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三船美優「天道虫 is ……」
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2 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 14:35:14.99 ID:A6rjc17z0
しばらくの間、私は、アイドルとしての活動を行えなくなりました。
オーディション中に、靴紐が切れて転んで、怪我をしてしまったからです。
より高いステップへ進むために、プロデューサーさんが申し込んでくださった大一番での、ミスでした。
私って、いつもこうなんです。
ここぞという時に、ままなりません。
知名度の低い私は、他のお仕事をあまりいただく事ができないままです。
そして、大変失礼な事を言うようで恐縮ですが――私のいる事務所は、お世辞にも大きい会社ではありません。
アイドルも、私しかいない有様でした。
彼女が来てくれるまでは――。
「“死神”?」
3 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 14:38:30.22 ID:A6rjc17z0
「“疫病神”、とも言われている」
事務員さんは、手元の資料に目をやりながら、プロデューサーさんに答えました。
「彼女が所属した事務所は、軒並み倒産に追い込まれている。
半ば都市伝説じみているから、業界でもそれなりに有名だ」
「で、その子を社長が拾ってきたって?」
「あぁ」
プロデューサーさんは、椅子にもたれながら大きな声で笑いました。
「そいつはいいや! もう潰れる寸前のこの事務所を、社長自らトドメを刺しにきたってこと?
あからさまだよなぁハッハッハ、ねぇ美優さん?」
「い、いえ、あの……」
私が、もっと頑張れていれば、この事務所も――。
「キミ、言葉を慎みたまえよ」
事務員さんがそっと苦言を呈すると、プロデューサーさんは、ハッと手を大きく振って、
「いや、違う! 美優さんがどうって話じゃない、むしろ俺だから! ごめん美優さん!」
プロデューサーさんに悪気が無いのは、分かっているのですが――。
4 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 14:43:24.05 ID:A6rjc17z0
私がこの事務所に来たきっかけも、その子と同じ、スカウトでした。
OL時代、帰宅途中にヒールが折れ、うずくまっていた私に、プロデューサーさんが声を掛けてくれたのです。
何事にも自信を無くしかけていた私を、プロデューサーさんは明るく励ましてくださいました。
ただ、やはり現実は、そう簡単にうまくいくものではありません。
アイドルの真似事をしてみた所で、プロデューサーさんが期待するような成果を、私は上げられずにいました。
そして、このタイミングで怪我をしてしまったがために、今後予定された活動計画は全てご破算です。
そう――身の程を知るというのは、とても大事なことなんだなって。
この年齢になって、初めてそれを知るには、私は遅かったのかも知れません。
きっと、業界最大手の芸能事務所――346プロダクションにスカウトされていたとしても、それは同じ事です。
二度目の転職を、早くも考えるべき時が来たのかも――そう、思っていました。
5 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 14:46:23.94 ID:A6rjc17z0
当日――。
約束の時間になっても来ないので、彼女を迎えに外に出たプロデューサーさんが、ようやく戻ってきました。
「す、すみません……」
「なーに謝ることがあるの! 白菊さんは何も悪くないじゃん、悪いのはウチのオンボロ社用車だよ」
話によると、彼女を乗せて帰る途中、車は何度もエンストをして、うまく走らなかったそうです。
「解せないな。あの車は私が昨日点検し、整備したばかりだが」
「ネーサンのゴッドハンドをもってしても、もう限界なのかねーあのボロは」
いずれにせよ、その子が負い目を感じるべき話でないのは、私にも分かりました。
ですが――。
応接スペースで、私のお向かいに座る彼女は、ソファーに浅く腰掛け、肩を縮こませて頭を下げました。
「いえ……たぶん、私のせいです」
6 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 14:49:22.38 ID:A6rjc17z0
「そんなにも、君の『不幸』は強力なものなのか?」
お茶を出し終えた事務員さんが、お盆を持ちながら壁に寄りかかり、腕組みをしました。
「『不幸』って?」
首を傾げるプロデューサーさんに、事務員さんも肩をすくめました。
「これまでの所属事務所の件も含め、彼女にまつわる噂話さ。オカルトの域を出ないがな」
つまり、彼女の身の回りには、いつも不運な出来事がつきまとうのだそうです。
信号に悉く捕まったり、買ったお弁当にお箸が入っていないのは序の口。
外で食べ物を手に持っていると、すかさずカラスに奪い取られ、行列に並べば、必ず自分の手前で定員オーバーになるとか。
なんと、頭上から植木鉢が振ってくることもしょっちゅう――。
そ、それが本当だとしたら、非常に危ないことでは――?
「さすがにバナナの皮でツルッと滑って転ぶとかはないでしょ? アハハハ!」
プロデューサーさんが、そう言っておちゃらけてみせても、彼女はますます頭を垂れるばかりです。
「……マジか」
「は、はい……」
7 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 14:51:43.30 ID:A6rjc17z0
「今までいた事務所でも……たとえば、プロデューサーが、事故や病気で長期入院してしまったり。
屋外でのお仕事で、雨に降られなかった日は無いですし、レッスンではいつも……」
「……いつも?」
プロデューサーさんが促すと、彼女はさらに顔を俯かせます。
「いえ……すみません。
あまり、レッスンできたことが無くて……過ぎたことを言いました」
――それ以降、彼女は黙ってしまいました。
「ふーん、そいつは筋金入りだなぁ。やっぱ社長はこの会社を潰…」
「ウウ゛ンッ!」
プロデューサーさんの言葉を遮るように、事務員さんが大袈裟に咳払いをします。
「どのような経緯があるにせよ、杞人の憂いというものだ。
私の方から少し、事務的な話をしよう。まず、住所と通勤経路をこれに記入してくれないか」
8 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 14:55:06.04 ID:A6rjc17z0
「あながち眉唾物じゃないのかもなぁ」
自分のデスクでコーヒーを啜りながら、プロデューサーさんは一人納得するように呟きました。
応接スペースでは、事務員さんが白菊さんと、契約に関する書類の確認を進めています。
「あの……これから、どうしましょう?」
「何が?」
恐縮しながら尋ねる私に、プロデューサーさんはフラットに聞き返します。
「いえ、その……
私はまだ、この通り、満足に活動できませんから……やはり、彼女のプロデュースに力を…」
「うーん、それなんだけどね」
カップをデスクに置き、腕組みをしながら椅子にもたれ、プロデューサーさんは私に顔を向けました。
「美優さんに任せてもいいかな?」
9 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 14:57:26.95 ID:A6rjc17z0
「……え?」
任せる? ――何を?
「あー、うーんと……実は俺、今ちょっと手が離せなくてね、色々と」
「はい」
ここ最近、プロデューサーさんは、いつも外に出られていて、忙しそうです。
「だからそのー……この事務所の先輩として、あの子の面倒を色々と見てほしいんだよね」
「はぁ……」
そうですね――お茶の場所とか、鍵のかけ方くらいは、私でも教えられると思いますし。
「俺の代わりに、パシッと彼女のプロデュースをやってもらえない?」
「えぇ、まぁ」
「…………へ?」
ぷ――プロデゅーぅ、す?
10 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 15:01:13.30 ID:A6rjc17z0
――――。
小さい頃から、聞き分けの良い子だと、言われて育ちました。
両親は、とうとう反抗期が無かった私を、いくらか心配に思ったようです。
それは、そうなのかも知れません。
家族で外食をする時は、必ず、両親よりも値段の安いものを選びました。
誕生日プレゼントでさえ、自分から何かを欲しがった事も、無かったと思います。
無欲――と言えば、聞こえは良いのかも知れませんが、おそらくそれは、正しくはありません。
壁を押せば、反発がある。
手が痛くなる。
何かを欲しがれば、何かしら我が身への反動があるものと、いつからとも無く、私は知っていました。
何物にも強い興味を傾けず、しかし、言われた事には注意を払い――。
そうして、私はすっかり流されやすくなったのだろう、と――彼女との初めてのレッスンに向かう途中、思い返しました。
11 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 15:04:52.36 ID:A6rjc17z0
「いえ、あの……現地集合で大丈夫です。道は、調べれば分かりますから……」
「そ、そうですか……?」
電車と徒歩で、スタジオに向かいます。
本当は、プロデューサーさんのように、車で送り迎えをしてあげられたら良かったのですが――。
何分、私はペーパードライバーで、車庫入れも満足にできません。
その事で頭を下げると、逆に彼女は、手を目一杯振りました。
「そ、そんな、大丈夫です! むしろ車じゃない方が安全ですから!」
初めは、私の運転が頼りないから、という意味かと思いましたが――どうやら、違うようです。
駅で待ち合わせて、一緒に行きましょうかと提案しても、彼女は丁重に断りました。
その意味が、到着した先のスタジオで彼女に会い、ようやく分かりました。
「あはは……植木鉢じゃなかっただけ、ラッキー、かなって……」
曰く、“普段よりも”スムーズに行けたおかげで、予定より一時間以上も前に到着していたようです。
服に付いた鳥のフンの跡を指差しながら、彼女は苦笑しました。
自身の不幸から遠ざけようと、彼女は私を、気遣ったのですね。
12 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 15:07:34.28 ID:A6rjc17z0
「あっ、お疲れ様です美優さんっ! もう足の具合は良いんですか?」
元気で溌剌とした、いつものトレーナーさんが、スタジオに入るなり声を掛けてくださいました。
「あ、いえ……今日は、私ではなくて……」
慌てて手を振り、私は彼女を――白菊さんを、紹介しました。
私の体の影から、彼女は恐縮そうに顔を覗かせ、トレーナーさんの顔色をうかがっています。
「あぁ……へぇ〜、新しい子が入ったんですねっ!
よーし、それじゃあ今日は簡単なメニューにしときましょうか?」
「あ、は、はいっ」
提案をするだけの知識も経験も無いので、私はただトレーナーさんに従うだけです。
運動着に着替え、まずは準備体操から、彼女のレッスンが始まりました。
私は、どうして良いか分からず、ただスタジオの端っこでポツンと立っています。
13 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 15:10:02.70 ID:A6rjc17z0
「はぁ、はぁ……」
「初めてですし、無理しないで大丈夫ですよ。水分補給しましょう、はいっ!」
「す、すみま……はぁ、す、すみません……」
四苦八苦しながら、何とか基本のステップを終えた所で、白菊さんはその場にへたり込みました。
レッスンをできたことが無い、と自分でも言っていましたが、あまり運動は得意ではないようです。
最初はこんなものですよ、とトレーナーさんが励まします。
その通りだと思いました。
私も、似たようなものだっただろうなと、事務所に入ったばかりの頃を思い出します。
14 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 15:11:55.48 ID:A6rjc17z0
腰に手を当てて、うーん、と何か思案した後、トレーナーさんはポンッと手を叩きました。
「白菊さん、ちょっと体が硬いかも知れませんね。
お家でもできる柔軟体操、一緒にやってみましょうかっ。いきなりステップばかりだと疲れちゃいますし」
彼女の疲れ具合を見て、より軽めのメニューに切り替えたようです。
「すみません……」
「いえいえ全然っ! ちゃんと改善できるところがあるのって、良いことなんですよ!
というわけで、ちょっとこっちの方に来てみてください」
そう言って、トレーナーさんはスタジオ奥の壁の方へ、手招きをします。
「こうして……別にどこでも、壁でも良いんですけど、片手をついてですね……」
トレーナーさんが、壁の手すりに手をついた瞬間でした。
「あ、危ないっ!!」
15 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 15:17:23.45 ID:A6rjc17z0
誰が叫んだのか、一瞬分かりませんでした。
それに意を介する暇もありませんでした。
「へぶっ!?」
突然、トレーナーさんが手をかけた手すりがバキッと外れ、彼女はその場に倒れ込んでしまいました。
「!! す、すみません大丈夫ですか!? すみませんっ!!」
血相を変えて、白菊さんがトレーナーさんの元へ駆け寄り、私もそれに続きます。
「あいたた……いやぁビックリしました。が! ヘッチャラです、アタシ石頭なんでっ!」
幸い、頭をちょっと打った程度で、目立った怪我は見受けられませんでした。
アハハ、と照れくさそうに笑い、トレーナーさんは手を振って応えます。
その一方で――。
「すみません……すみません……!!」
明らかに過剰と思えるほどに頭を下げる白菊さんが、私の印象に強く残りました。
16 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 15:19:08.06 ID:A6rjc17z0
帰り道、駅までの道を二人並んで歩きます。
最初、やはり彼女は遠慮していたのですが、私の困ったような顔を見て、従ってくれました。
要らない気を、遣わせてしまったようです。
ただ――私も、おそらく彼女も、あまり自分から話す方ではないので、沈黙が続きます。
わ、私が誘ったのだから――私が、何か話さないと――。
「あ、あの……」
意を決して、少し上ずった声で話しかけると、彼女は顔をこちらに向けました。
「お疲れ様でした……レッスン、大変でしたよね」
――――えぇと、あの――。
「前の事務所では」
「えっ?」
17 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 15:21:01.68 ID:A6rjc17z0
「させてもらえなかったんです……レッスン」
三人組の若者が、向かいから集団で歩いてきます。
それを見ると、白菊さんは大袈裟と言って良いほどに、大回りして彼らとすれ違いました。
すっかり、人との距離の取り方を――不幸との付き合い方を、心得ているように見えます。
レッスンをできたことが無い、と彼女が自分で言っていたのを、私はもう一度思い出しました。
「今日の事故も……私のせいなんです」
少し、寄りたい所があるので――そう言って、彼女は駅とは別の方向へ歩いていきました。
私は――彼女の後ろ姿を見つめながら、ただ立ち尽くすことしかできませんでした。
18 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 15:23:26.20 ID:A6rjc17z0
――――――。
――――。
通りを歩いていると、唐突に分厚い壁が、目の前に現れます。
通行止めかと、仕方なしに回り道をしても、壁ばかりです。
やがて、それらが一斉に、私に迫ってくるので、壁が追いかけてこられない道へと逃げます。
先ほどまでお昼だったのに、追い立てられるようにたどり着いた先は、モノクロで、とても暗い場所です。
やがて、その黒の部分がどんどん大きくなっていき、私を取り巻く世界の輪郭が無くなっていく。
――――。
19 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 15:27:17.93 ID:A6rjc17z0
初めてこの夢を見たのは、部活動をしていた、中学生くらいの頃。
あまりに怖くて、泣きながら夢の中で死にもの狂いで走り、汗びっしょりで飛び起きたのを覚えています。
走るのをやめたのは、社会人になって、しばらく経ってからの事でした。
壁が追いかけてくる方向も、たどり着く先も結末も、もう大体分かるので、私は歩いてそこへ向かうだけです。
気持ちの良い夢でない事に変わりはありませんが、さほどの事でもありません。
こんなものだろう、という気持ちがボンヤリと、泡のように浮かんで、朝食を終える頃には忘れています。
20 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 15:31:44.68 ID:A6rjc17z0
「かしこまりました。取り急ぎ、PDFか何かでピロッと送っていただけましたら、後は私の方で段取り致しますので。
……えぇ、そうですね、原本は後で……いえ、こちらこそ恐れ入ります。よろしくお願いします、失礼致します」
受話器を置き、プロデューサーさんが隣に座る事務員さんに、雑談の続きをします。
「それでさー、俺大将に言ったの。コショウ入れ過ぎちゃったから替えてくれって」
「あまりにも横暴だろう、それは」
「だってあんないっぺんにドバッて出てくるなんて思わねーもん、蓋取れたんだよ?」
私は、事務作業をしながら、ふとソファーにいる彼女の方を見ると――。
やはり、大人しくしながらもソワソワと、落ち着かない様子です。
私は席を立ち、お茶を淹れました。
「おー、美優さんありがとう!」
「すまないね。本来であれば私の仕事なのだが」
「いえ、これくらいしか、できなくて……」
そう言って、軽く会釈をしてから、私は、白菊さんの前にもお茶を置きました。
21 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 15:35:23.27 ID:A6rjc17z0
「あっ……あ、ありがとうございます、すみません、三船さん」
彼女は、驚いた様子で私の顔を見て、ペコペコと頭を下げます。
私も手を振り、彼女の隣に腰掛けてみました。
「プロデューサーさん、ああいう、何と言いますか……ヘンな擬音を使うの、好きですよね」
そう言って、私は彼女にコッソリ、誘い笑いをしてみます。
白菊さんは、キョトンとした様子で、プロデューサーさんを見て、それから私を見ました。
「ほら……ピロッと、とか、ドバッと、とか」
「あ、あぁ……ふふ、そうですね」
ようやく、彼女が少しだけ笑ってくれて、私も安堵します。
「何か、お菓子とか、食べますか?
この間、社長が信州に行かれた際の、お土産のクッキーが……」
私が手近の棚に手を伸ばそうとすると、彼女は短く声を上げました。
「あ、あの……本当に、お気遣いはしないで大丈夫…」
「お気遣いなものか」
「えっ?」
22 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 15:37:51.29 ID:A6rjc17z0
二人でほとんど同時に声を上げ、顔を向けると、事務員さんが手際よくお盆にお菓子を乗せていました。
「キミは私達の仲間であり、運命共同体だ。仲間のお菓子くらい満足に食べられないでどうする」
「ネーサン、俺にも一個ちょうだい」
席に座ったまま、プロデューサーさんがおざなりに声を掛けます。
事務員さんが一つ手に取って、ちょっと乱暴に投げました。
「ライナーかよ。普通下投げじゃない?」
「キミの場合、少しはその横着な性分を改めた方が良い。寝ていて人を起こすな、だ」
「へいへい、ネーサンの説教は懲り懲りですわ」
フン、と鼻でため息をつき、気を取り直して事務員さんは私達の前にお菓子を置きました。
「そろそろ慣れなさい。この事務所では遠慮は無用だ」
「あ、ありがとうございます……」
やはり、恐縮そうに頭を下げる白菊さんに、少し肩をすくめつつ、事務員さんは席に戻っていきました。
23 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 15:40:19.73 ID:A6rjc17z0
「……すごく、しっかりした事務員さんなんですね。プロデューサーみたい」
「私も最初、そう思いました」
そう言って、二人で忍ぶように笑い合います。
「それで、あの……今後のスケジュールなのですが……」
私はおそるおそる、一枚紙の資料を彼女の前に提示してみました。
「わぁ……」
小さく、彼女が声を上げたのが聞こえました。
「な、何か?」
「いえ、あの……」
繁々と、私の作った――そんな大仰なものではないのですが――スケジュール表を、隅から隅まで見渡してから――。
「こんなに、レッスン……させてもらえるんですか?」
24 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 15:45:56.07 ID:A6rjc17z0
「えっ? え、えぇ……まずは、レッスンかなぁと…」
どう返答して良いか分からず、私はプロデューサーさんの方に目をやります。
「こんにちはー、ヤクルトでーす」
でも、タイミングの良くない事に、ヤクルトレディーの方がお越しになられていました。
曰く、どこかの営業先への帰りに寄ってくださっているのだそうです。
「おーオバちゃん待ってたよー。タフマンある?」
「若いウチから働きづめだと早死にするよ。タフマンに頼らないでしっかり休みなね」
「俺ぁそんなマジメに働いてねーから大丈夫だよー♪」
「そう若くもないしな。マスター、いつもの」
プロデューサーさんと事務員さんは、私の方などそっちのけで、ヤクルトの方と談笑を始めてしまいました。
「あ、うぅ……」
「嬉しいです」
「えっ?」
白菊さんの方を見ると、彼女は眉根を寄せながら、モジモジと身を縮こませています。
「ですが……先日のトレーナーさんに、またご迷惑を……」
25 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 15:49:28.65 ID:A6rjc17z0
「あの……トレーナーさんにも、ご了解をいただいていますので、心配はいりませんよ」
「そ、そうですか……?」
むしろ、「白菊さんはすっごく育て甲斐がありますっ!」と、トレーナーさんは鼻息を荒くしていました。
それを白菊さんに伝えると、彼女は顔を紅潮させ、やがて両手を大きく振りました。
先日、事務員さんからお聞きしたのですが、まだ13歳なのですね。
私と違って、伸びしろも未来もあるのは、それは本当の事だろうと思います。
ただ――。
なぜ、プロデューサーさんは、私に白菊さんの事を任せたのでしょう。
「あ、もうこんな時間か。んじゃネーサン、俺ちょっと例の協議先へ行ってきまーす!」
26 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 15:52:18.27 ID:A6rjc17z0
ここ最近は、外にご出張されてばかり――プロデューサーさん、本当に忙しそう。
「……あら」
ふと、彼のデスクの上を見ると――346プロの名が踊る書類が、いくつもありました。
そして、作りかけの履歴書と――転入書――。
――売買契約書?
「三船君」
「は、はいっ!?」
「すまない、お茶のおかわりをもらえないか? 私では、キミのように上手く淹れられなくてね」
市販品ですし、淹れ方も、そう特殊な事はしていないつもりですが――。
事務員さんにお茶を淹れ、席に戻ると――。
それらの書類は、デスクの上から姿を消していました。
27 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 15:55:39.28 ID:A6rjc17z0
「お待ちしてましたよ! お疲れ様ですっ!」
「お、お疲れ様です……?」
次の日、レッスンスタジオに着くと、トレーナーさんが臨戦態勢と言った様子で、私と白菊さんを迎えました。
「白菊さんの経歴は、確認させていただきました。
なるほど、見学しに行ったスタジオの大鏡が突然割れたり、床が抜けたりしたそうですね。が!」
無闇に仰々しい救急箱を部屋の隅にドスンッ、と置いて、トレーナーさんは腕をまくってみせます。
「どんと来いです! さぁ、始めましょう!」
私は、目をパチクリとさせるしかありません。
そんな、まさか――。
「……よく、ご存じなんですね」
白菊さんは、ポツリと呟き、やはり恐縮そうに頭を下げました。
28 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 15:56:55.47 ID:A6rjc17z0
ほ、本当に――?
やがて、レッスンが始まると、それは襲ってきました。
トレーナーさんに――。
本当に突然、大鏡が割れるなんて、思いもしませんでした。
「と、トレーナーさんっ!!」
「ッ! なんとぉー!!」
ですが、鮮やかなバックステップを決めて、トレーナーさんはその難を逃れます。
が、彼女が着地した先の、床が抜けました。
「どわああぁぁっ!?」
「トレーナーさーんっ!!」
29 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 15:59:29.61 ID:A6rjc17z0
「…………」
帰り道、やはり白菊さんは、自責の念に囚われてしまっているようでした。
「あ、あの……トレーナーさん、さっきご連絡があって、擦り傷だから大丈夫です、と……」
私なりに励まそうとしても、彼女は頭を垂れるばかりです。
まさか本当に、彼女の周囲にのみつきまとう不幸というものが、あり得るのでしょうか?
ただ一つ言える事は、白菊さんは――。
自身の不幸が周りの人達に危害を及ぼす事を、とても恐れています。
「じゃあ、ここで……すみません……」
その日も、彼女と駅まで一緒に帰る事は、ありませんでした。
30 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 16:04:10.18 ID:A6rjc17z0
事務所に戻ると、事務員さん一人だけでした。
彼女が受話器を置いた所で、ちょうど私と目が合ったので、クールな笑みを返してくれます。
「どうだった?」
「あ、いえ……」
色々あって、スタジオが使えなくなってしまったので、代わりのスタジオを探さなくてはなりません。
皆まで言わずとも、その事だけを伝えると、事務員さんは察してくださったようです。
「あの……プロデューサーさんは?」
「今日は外回りから帰ってこないよ」
やはり――お忙しいのですね。
「あの……ひょっとして、346プロへ?」
おそるおそる、私は聞いてみました。
31 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 16:08:26.70 ID:A6rjc17z0
「そうだね」
事務員さんは、淡泊に答えます。
「……そうですか」
よく分からない気持ちを、胸の奥へ押しやり、自分のデスクに着いてパソコンを開きます。
ふと――気になったので調べると、白菊さんの帰路にある沿線は、信号機トラブルで大幅に遅延しているようです。
――こんな事が、あるのでしょうか。
「心配は要らない」
「えっ?」
後ろから、私のパソコンの画面を覗き込んで、事務員さんがフッと鼻で笑いました。
「その遅延は、あの子の不幸とはおそらく無縁のものだ。
何でも結びつけてしまうのは、あの子が可愛そうだろう」
「そうですね……すみません」
それなら、良かった――。
「何しろあの子は、電車をあまり使わないそうだからね」
32 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 16:09:55.96 ID:A6rjc17z0
「……えっ」
自分の席に戻り、事務員さんは続けます。
「専ら、バスと徒歩らしい。
電車と比べ、事故か何かで遅れた時に、周りに与える影響が比較的少ないからだそうだ」
だから、白菊さんは駅まで私と行こうとしなかった――。
「どうして……」
「ん?」
独り言が、つい口に出てしまっていたようです。
「社長は白菊さんをスカウトし、プロデューサーさんは私に、彼女を任せたのでしょうか」
33 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 16:12:38.92 ID:A6rjc17z0
私には、ちっとも分かりませんでした。
いや――。
「どうしてだと思う?」
事も無げに事務員さんは、自分のカップに手を伸ばし、コーヒーを啜ります。
分からない、というのは嘘です――分からないフリをしていたかった。
ですが、そうとしか考えられない事を、私は既に知っていました。
「もう、私達も……この会社も、どうでも良いから、ですか」
34 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 16:16:27.13 ID:A6rjc17z0
とても失礼な事を、言ってしまいました。
ですが――。
「初めは、冗談だと思いました。会社を潰そうとしている、だなんて……
でも、そう考えれば、すべて納得がいきます」
体よく廃業するきっかけとして、“死神”と揶揄される彼女を迎え――。
そんな彼女のお世話を私に任せたのも――。
プロデューサーとしての知識も経験も、アイドルとしての未来も何も無い私に――そして――。
346プロに、プロデューサーさんが頻繁に出入りしているのも――。
「転職を、されようとしているのかな、って……346プロへ」
「やれやれ……重要書類をデスクの上に放置するのはやめなさいと、だから言ったのにな」
35 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 16:20:59.41 ID:A6rjc17z0
「えっ?」
「見たのだろう? 彼の書類を」
軽くため息を吐きながら質した事務員さんに、私は黙って首肯します。
「彼は今、この会社ごと、346プロへ身売りする段取りを進めている最中だ。社長の特命でな。
この秋にはもう、我が社は畳む事になるだろう」
どこか嫌味を含ませるように、彼女は鼻を鳴らしました。
「そして、倒産した要因は“また死神のせい”だと、周囲は勝手に空想し、同情してくれる」
「……そうですか」
やっぱり――何故だか、胸につかえていたものが、少しだけ晴れた気がしました。
「怒らないのか?」
事務員さんは立ち上がり、給湯器の方へ歩きながら、不思議そうに尋ねます。
「担当アイドルの面倒をロクに見ることもせず、目先の保身だけを考えている我々が憎くないと?」
36 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 16:23:12.16 ID:A6rjc17z0
「私のせいでも、ありますし……こんなものだろうな、って、思えますから」
私だけなら――私の人生なんて、そういうものだから。
ただ――。
「ただ……白菊さんだけは、見捨てないであげてほしかったな、って……」
パソコンの画面には、事務所周辺のレッスンスタジオの所在を示した地図が映っています。
電車を使っていなかったなんて――。
そんな、プロデューサーとして知っておかなければならない事を、私は知らなかった。
もっと、近い所を――彼女の家か、事務所に近いスタジオを探さないと。
「これ以上レッスンしてどうする?」
私のデスクの後ろから、事務員さんの声が聞こえます。
「どうせ畳むんだ。いくら努力したところで、何も残らない。
だから、彼はキミに、彼女の世話を押しつけた」
37 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 16:25:23.56 ID:A6rjc17z0
「ご存知ですか?」
「ん?」
「どうして、白菊さんがアイドルを目指すのか」
自身の不幸が周囲に波及する事を恐れる彼女が――。
人とのつながりを恐れる彼女が――。
どうして、人との関わり無しに向き合えない『アイドル』を志したのか。
「私は、知りません。だから……知りたいんです」
これもおそらく、プロデューサーとして本来、知っておかなければならない事でしょう。
直接聞くのは簡単です。でも――。
彼女を真に理解するためには、それを肌で感じる必要が、ある気がして――。
口が下手だというのも、多分にあるのですが――だから――。
「もっと、向き合わなくちゃ、って……」
38 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 16:27:05.22 ID:A6rjc17z0
「やれやれ……人の事より我が事、だな」
気づくと、事務員さんは私のカップに、コーヒーを注いでくれていました。
「えっ……ありがとう、ございます」
「意地悪な事を言って、すまなかった」
「えっ?」
流しへ行き、自分のカップを洗うと、事務員さんは私に向き直りました。
「詳しい事は言えないが……私も彼も、社長も、キミ達を見捨てようなどとは考えていない。
だから、キミ達はキミ達の努力をしてくれ。我々も……少なくとも私は、全力でサポートする事を約束しよう」
「……はい」
今日の、ここでのお話は、私と事務員さんだけの、秘密になりました。
39 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 16:28:34.53 ID:A6rjc17z0
――――――。
――――。
突然に、しかし、いつも通りに、壁が私の行く手を阻みます。
そして、いつものように、私は回れ右をして、壁の邪魔にならない方へと歩き出します。
後は、到着した場所で、真っ暗闇になるのを待つだけ。
――――。
――?
40 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 16:29:32.60 ID:A6rjc17z0
何だか――いつもと、様子が違います。
黒が広がるのが、妙に遅い気が――。
――おそとにいって、むしのかいだんごっこするの!
――ッ!?
――おそといくの!
どうして――――苦しい――。
早く、黒くなって――!
――――。
朝、目覚めると、大して暑いわけでもないのに、寝汗をかいていました。
41 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 16:34:57.49 ID:A6rjc17z0
「かしこまりました、ありがとうございます。それではこれから、はい……いえこちらこそ恐縮です。
では、これからお伺いします。その際にサクッと例の書類もお預かり致しますので……はい、お願いします。失礼致します」
受話器を置いて、プロデューサーさんは慌ただしく席を立ちます。
「それじゃあネーサン、また例の協議先へ行ってくるね」
「お土産を頼むよ」
「渋谷だぞ? お土産もクソも無いでしょ、コンビニのアイスでいい?」
渋谷――346プロの、最寄駅でした。
「ねぇ、美優さん」
「へっ!?」
「美優さんは、何か欲しいのある?」
「あっ……わ、私は、いえ、何も……」
「そっか、ほたるちゃんは?」
「いえ、私も、悪いですし……」
「ほらー、美優さんもほたるちゃんもいらないって」
「ヒカリエの地下2階にある、吉兆庵のどら焼きを買ってきなさい」
「どうせ高いんでしょ? パルムで十分だわ」
42 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 16:36:32.67 ID:A6rjc17z0
「あ、ネーサン、オバちゃん来たらこれでタフマン買っといて。それじゃ、行ってきまーす」
そう言って、小銭を事務員さんのデスクに置くと、プロデューサーさんは出て行ってしまいました。
「フッ……キミ達二人なら遠慮すると思ったのだろう。打算的な男だな」
事務員さんは、私と白菊さんへ順に目配せをして、肩をすくめました。
「でも……」
白菊さんが、オドオドしながら、控えめに呟きます。
「プロデューサーさんは、良い人です」
「そうか」
事務員さんは、否定も肯定もしませんでした。
私も――。
「前の事務所では、怒られてばかりで……ここの人達は、皆、優しくしてくれますから」
43 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 16:42:52.25 ID:A6rjc17z0
「そうか」
事務員さんは、やはり、深くは語らずにカップを傾けます。
そして、キーボードを叩き始めると、それ以降何も話さなくなってしまいました。
白菊さんは――どうなるのでしょうか。
この事務所が無くなる時、彼女はきっと、また自分のせいだと思い込んでしまいます。
そうじゃないんだって、教えてあげたい。だけど、このままじゃ――。
「し、白菊さんっ」
「はいっ!?」
「私も、今日は大きな予定、無いですし……どこか、あ、遊びに行きましょうか?」
44 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 16:45:26.92 ID:A6rjc17z0
「へ……?」
拍子の抜けた彼女の返事を尻目に、私は事務員さんに、そっと視線を送ってみます。
事務員さんは、フッと鼻を鳴らし、手を止めました。
「どこへ行くのか知らないが、お土産を頼むよ」
「こんにちはー、ヤクルトでーす」
お礼を言おうとした私と、事務員さんの間に、ヤクルトレディーの方が割って入りました。
「あら、今日はあのお兄さんは?」
「彼は外へ行っています。マスター、いつもの」
「あいよー」
「お嬢ちゃん達も、何かどうだい?」
「お、お嬢ちゃん……」
私は、もうそういう歳では――でも――。
せっかくなので、私はアロエヨーグルトを、白菊さんは黒酢ジュースを購入しました。
45 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 16:47:25.22 ID:A6rjc17z0
と、言ったものの――。
今時の13歳は、どのような遊びをするのか、まるで見当がつきません。
とりあえず、近所の都立公園にでも足を運ぼうと思った矢先――。
予報外れの、土砂降りの雨が降ってきました。
「あ、あの……よろしかったら、一緒に」
そう言って、おずおずと白菊さんは折りたたみ傘を取り出しました。
なるほど、そういう対策もバッチリなのですね。
「いえ……実は、初めてなんです、これを使うの。
持ってる時に限って、降られない事がほとんどだから……だから、むしろラッキー、かなって」
――な、なるほど。
46 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 16:51:10.87 ID:A6rjc17z0
ですが、折りたたみ傘は、二人で使うには少し小さくて――。
結局、タクシーを使って、なんとか駅ビルに到着しました。
パッと思いついたのは、ショッピングです。
「私、アロマを見ようかなぁって……白菊さんも、何か見たいもの、ありませんか?」
彼女の好きな物、興味のある物を知るには、悪くないプランだと考えました。
「私は……」
白菊さんは、エレベーターの横にあるフロアマップを見て、少し悩んだ後――。
「雑貨屋さん、行っても良いですか?」
「良いですね、行きましょうか」
小物が好きなのかな?
およそ初めてにも思える、彼女の能動的な発意に、少し胸が温かくなります。
47 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 16:57:14.71 ID:A6rjc17z0
エスカレーターでゆっくりと上がって、上階の雑貨屋さんを目指します。
エレベーターは、前に止まってしまった事があって以来、なるべく使わないそうです。
――――。
目的の階に到着して、少し彼女の後ろについて、観察してみます。
白菊さんは、辺りをキョロキョロ見回してから、ゆっくりと物色を始めました。
やがて、彼女は一つの可愛らしいシールを手に取りました。
「それは……ウサギ、でしょうか?」
「はい……あ、でも、やっぱりこれ、前にも買ったことあるヤツでした」
照れくさそうに、でも、柔らかな笑顔で白菊さんは答えながら、それを棚に戻しました。
「幸せの象徴ですから……こういう、幸運グッズっぽいものを見たり、買ったりするの、好きなんです」
48 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 16:58:29.56 ID:A6rjc17z0
「可愛いですよね、ウサギ」
そう言いながら、なんて健気で儚いのだろうと思いました。
彼女は幸せを願っている――つまり、自身の不幸な現状を、憂いているのです。
どんなに苦しい事でしょう。
「……あ、これ」
私は、その隣にあった別のシールを手に取ってみました。
これも可愛らしい、テントウムシを象ったものです。
「へぇ……テントウムシも、ラッキーシンボルなんだそうです。白菊さん、知っていましたか?」
「いえ、知りませんでした……そうなんだぁ」
値札の上には、可愛らしいイラストと一緒に、そんな宣伝文句が歌われています。
どういった理由なのかは、よく分かりませんが――。
でも、白菊さんはとても興味津々です。
49 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 17:03:29.30 ID:A6rjc17z0
「あ、そういえば」
手にとってしばらく眺めた後、何かを思い出したように、嬉しそうな顔を私に向けました。
「知っていますか? テントウムシって、一番てっぺんまで登ってから飛ぶんです」
あ、それ――。
「知っています。だから、手をこう、階段のようにかわりばんこに……」
――おそといくの!
「……ッ!?」
「……三船さん?」
「あ、いえ……階段のように、かわりばんこに手を置くと、テントウムシ、ずっと登り続けてしまうんですよね」
「そう、そうです!」
小さい頃、夏休みに父方の実家へ遊びに行った際、祖母に教わりました。
止まっている植物や、畑の塀等――。
テントウムシは、それらの一番上まで登ってから、小さな羽を遠慮がちに広げて飛ぶんです。
その思い出を語ると、白菊さんはとても嬉しそうに頷きました。
「その、一生懸命に見える感じが、私、好きで……そういう風に、私もなりたいかなぁって」
50 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 17:05:09.40 ID:A6rjc17z0
「白菊さんなら、きっとなれると思います」
ちゃんと上まで、登っていける――いえ、彼女には、登っていってほしいと思います。
「ありがとうございます。それと、あの……今さらですが」
白菊さんは、恥ずかしそうに目を伏せました。
「苗字ではなくて……名前で、呼んでもらえると、嬉しいなぁって」
「えっ?」
――そう言えば、考えたこともありませんでした。
苗字じゃなくて、名前――。
「ほたるさん?」
思いついたまま呼んでみると、何だか違和感が残ります。
彼女としても、どこかしっくり行っていない様子です。
「語尾が……」
語尾――ほたる、さん付けではなくて――?
「ほ……ほたる、ちゃん?」
51 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 17:07:18.76 ID:A6rjc17z0
呼んでみると、彼女の顔が、パァッと明るくなりました。
「は、はいっ」
「ほたるちゃん、で良いですか?」
「はいっ! あ、あの……私も、美優さんって、呼んでいいですか?」
「えぇ、もちろんです」
何だか、歳の離れた妹ができたみたいです。
急に、二人の距離が縮まったような気がして、私もすごく、嬉しくなりました。ふふっ。
白菊――いいえ、ほたるちゃんと、お揃いのシールを買って、仲良くスマホケースに貼り付けます。
色違いの、可愛らしいテントウムシが、お互いのスマホにちょこんと彩られました。
――ただ、何となく、先ほどから頭の奥がチリチリする感じがします。
52 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 17:11:03.59 ID:A6rjc17z0
ほたるちゃんにせがまれて、今度は私の用で、アロマのお店に行きました。
と言っても、実は、そこまで入り用があった訳では無いのですが――。
せっかくですし、何か買おうかしら。
「こういう、オイルと言いますか……これを、中に入れて炊くんです」
講釈と言えるほど、威張れるものではないのですが、ほたるちゃんはとても興味深そうに聞いてくれます。
「あとは、手軽なものだと、こういうスティック状のものも……
テーブルの上に置いておくだけで、少し気分が落ち着きます」
「美優さん、すごく大人の女性って感じで、カッコいいです」
「……へっ?」
カッコいい、とは――?
「そ、そういうものでは……OL時代、上手く行かない事が多くて、だから……こういうのに、すがっていただけですよ」
53 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 17:15:02.50 ID:A6rjc17z0
「それじゃあ、私にも合うかも知れません」
そう言って、ほたるちゃんは、スティック状のアロマグッズを手に取りました。
「私なんて、上手く行かない事ばかりですから」
――おそらく、彼女の癖なのでしょう。
自嘲気味に笑いかけるその様が、すっかり自然な仕草として身についてしまっているようでした。
何も言わずに、私はほたるちゃんの選んだそれと一緒に、レジへ持って行きました。
「お、お金、出しますっ」
遠慮する必要なんて無いのに――彼女のその姿、どこかで見た記憶があります。
会計をして、振り返ったほたるちゃんの顔を見て、気づきました。
たぶん、私です――。
遠慮して、何も欲しがる事をしなかった私に、どこか似ていると思いました。
54 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 17:17:07.41 ID:A6rjc17z0
「す、すみません……」
「謝ることでは、ないですよ」
笑いかけながら、彼女のアロマを手渡すと、ほたるちゃんはなおも恐縮そうに身を縮めました。
「はい……ありがとうございます、美優さん」
人に迷惑を掛けることを極度に恐れるあまり、彼女は、人に甘えることに慣れていないのかも知れません。
なら、せめて私が、頼れる大人にならなくちゃ――ですね。
「ほたるちゃん、その……服とか、見てみませんか?」
「服、ですか?」
「私も、あまり頓着がある訳ではないのですが……たまには、ね?」
55 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 17:19:13.08 ID:A6rjc17z0
「とてもお似合いですよ! 新しく売り出したこちらのアウターが、当店では人気なんですっ。
軽くて着心地良い上に風も通さないので、そう季節を選ばずに着れますよ?」
そ、そうかしら――ほたるちゃんにも、お似合いですし――。
「お客さん、すっごくスタイル良いですね!
このワンピースもいかがですか? さりげなくボディラインも強調できちゃいますよぉ!?」
い、いぇ、私は――さりげない、というか、胸元が開きすぎ――。
「もうこの一点限りなんですよねー!」
「お連れの方にもぜひぜひ!」
「ご一緒に当店オリジナルのアクセサリーもいかがでしょう!?」
――――。
「あ、あの……美優さん」
「えぇ……ちょっと……休憩、しましょうか?」
56 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 17:23:41.26 ID:A6rjc17z0
最上階にあるレストランフロアの、カフェに立ち寄ります。
ようやく腰を落ち着けて――ふと窓の外を見ると、まだ雨が降り続いているようです。
「あの、すみま、いえ……ありがとう、ございます」
目の前に座ったほたるちゃんは、やはりどこか申し訳なさそうです。
断りきれなかったとはいえ、少し、羽目を外しすぎてしまったようです。
しばらくは、節約をしなくてはならないでしょう。
頼れる大人、というのは、難しいものですね。
なけなしの経済力にものを言わせたところで、みっともない姿を見せてしまいました。
――でも。
「ほたるちゃん、明るい色の服も、すごく似合っていましたよ」
57 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 17:28:36.80 ID:A6rjc17z0
「ほ、本当ですか?」
「えぇ」
彼女にはやはり、アイドルとしての素質があります。
店員さんの着せ替え人形にさせてしまったけれど――。
服を変えるだけで、見違えるほど、さらに印象が変わるものですね。
「美優さんにそう言ってもらえると……嬉しいです」
ほたるちゃんは、モジモジと顔を俯かせながら、控えめに笑みを零しました。
この笑顔――そう。
もっと、自分自身の魅力に気づかせて、萎縮しきった彼女の心を氷解させていく必要があります。
そのためには、レッスンだけでなく、もっと彼女と色々な時間を共有して、魅力を見つけて――。
「いつか、晴れた日には、一緒に公園に行きませんか?
私、犬が好きで、時々ドッグランを見に行く公園があるんです」
「い、犬……!」
58 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 17:30:20.23 ID:A6rjc17z0
明らかに、ほたるちゃんが身を強張らせました。
「ご、ごめんなさい。犬、苦手でしたか?」
「毎朝、吠えられていて、ちょっと……あ、でも、頑張りますからそれは…」
「い、いえ! 頑張らなくても……」
「ただ……」
ほたるちゃんが、窓の外に顔を向けました。
「たぶん、晴れる事は無いと思います……私と一緒にいる限り」
その横顔は、寂しそうで、悲しそう――先ほどとは違う、普段彼女が見せる、自嘲気味の笑顔でした。
「私は、雨、好きです」
「えっ?」
驚いた顔を、ほたるちゃんが私に向けました。
失礼かも知れませんが、その意表を突かれた表情は可愛くて、ちょっと面白いですね。
「雨の音は、心が落ち着きますから」
59 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 17:33:43.27 ID:A6rjc17z0
「……無理に励まそうと、しなくて良いんですよ?」
ほたるちゃんは、既に冷めてしまったカップを両手で持ち、視線を落としました。
「無理なんかじゃありません」
自分の気持ちをどうすれば素直に伝えられるのか、分からないままの私の口から、気づくと声が出ていました。
「その公園には、綺麗なアジサイが植えられた緑道もあるんです。
雨が降った緑道を、傘を差して散歩するのも、良いものですよ?」
「……今日よりも、大雨が降って……まともに、散歩もできないかも知れません」
「その時は、東屋で雨宿りしましょう。体が冷えてしまったら、近くにスーパー銭湯もあります」
「たまたま、配管の事故か何かで、営業停止しているかも……一度、そういう事が…」
「それなら、私の家に来ませんか? 今日買ったアロマの事も、ちょっとだけなら、教えられますし」
「電子機器とか、人の家に行くと、壊れてしまうんです……美優さんにご迷惑をおかけする訳には…」
「かも知れない、というだけでしょう?」
「えっ……」
60 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 17:35:41.13 ID:A6rjc17z0
何を言いたいのか、うまく考えがまとまりません。
ですが――“かも知れない”ばかりを挙げていては、キリが無いのも事実だと思うのです。
「かも知れないとしても……」
思わず、はしっ、と彼女の手を取りました。
「私は、ほたるちゃんをもっと知りたいし、力になりたいんです。
プロデューサーとしてではなく、私個人の気持ちとして」
ほたるちゃんは、すごく驚いています。
「人に好かれる事を恐れていたら、アイドルなんて……!」
――言いかけて、ハッと我に返ると、私は口をつぐみ、手を引っ込めました。
私自身、ロクに大成できていないくせに、何を偉そうに説教しようというのでしょう。
「ごめんなさい……あまりにも、身勝手でした」
61 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 17:51:15.85 ID:A6rjc17z0
「いえ」
ほたるちゃんは、優しく首を振ります。
「美優さんの気持ち、伝わります。
私も……トップアイドルを目指すと言いながら、臆病になりっぱなしでした」
気づくと、ほたるちゃんが手を伸ばし、引いた私の手にそっと添えました。
「ほ、ほたるちゃん……」
「美優さんになら、私、甘える事が、できるような気がします。
色々と、私の不幸のために、ご迷惑をおかけするかと思いますが…」
「ううん!」
ギュッと、ほたるちゃんの手を握り返し、首を振ります。
「むしろ、共有させてほしいんです。ほたるちゃんの不幸を。
二人なら、辛いのも苦しいのも、きっと半分で済むでしょう?」
「そ……」
自分の不幸が周囲にまで及ぶ事を恐れる彼女には、酷な言い方だったかも知れません。
ですが――そんなのやっぱり、間違いなんです。
「自慢じゃないですが……冴えない出来事との縁の深さなら、私もそう負けてはいませんから」
62 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 17:52:35.24 ID:A6rjc17z0
「美優さん……」
彼女を救おうなどという、おこがましい考えなんてありません。
私は、彼女を理解し、見出した魅力を一人でも多くの人に知らしめたい。
担当プロデューサーとして――いいえ、彼女の友人として。
「帰る前に、傘を見に行っても良いですか? 私も、折りたたみを買っておこうかなぁと」
「もちろんです。行きましょう」
そうして買った折りたたみ傘を手に、駅ビルを出る頃には、雨は上がっていました。
これは、どっちかしら――ラッキー? それとも、「せっかく買ったのに」という不幸?
――あるいは、不幸であれば良いですね。
両手にいっぱいの買い物袋をぶら下げながら、お互いに顔を見合わせて、私達は笑い合いました。
63 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 17:54:15.77 ID:A6rjc17z0
「あっ」
帰り道、事務所が見えてきた所で、ふとほたるちゃんが立ち止まりました。
「どうかしましたか?」
「お土産……」
「あっ」
そういえば、事務員さんから言われていたのを、私もようやく思い出しました。
「事務員さんも、軽い気持ちで仰っていただけだと思いますし、気にしなくて大丈夫ですよ」
「コンビニで、アイスでも……私、買ってきます」
「あ、ほたるちゃん」
「美優さんは、先に戻っていてください」
彼女はそう言うが早いか、先ほど通り過ぎたコンビニへ走っていきました。
――コンビニで考えられる不幸と言えば、何でしょう?
64 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 17:56:29.98 ID:A6rjc17z0
目当てのアイスが、売り切れているかも知れない。
買ったアイスに、ゴミが入っているかも知れない。
コンビニ強盗に遭遇するかも知れない。
――やはり、色々な可能性を言い出したらキリがありません。
一部の常識外れなケースを除き、そう大した事態にはならないだろうと思い、私は彼女の言葉に甘える事にしました。
「ただいま帰りま……」
事務所に戻り、扉を開け――かけた所で、私はその手を止めました。
「そこを何とか、もう一度お考え直していただけないでしょうか。
私共と致しましても、これが……!」
奥の方から、声が聞こえて来ます。
普段はとても明るい調子だけれど、電話でお仕事の話をする時は、すごく丁寧な口調。
しかし、いつもとは違う、とても切迫した様子の――プロデューサーさんの声です。
「いえ、それは誤解です。ご迷惑はおかけしません、どうか、どうかその日のイベントに……!?
ちょっ、あの……!!」
65 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 17:58:01.88 ID:A6rjc17z0
――――。
少し、時間を置いて、私は開けかけた玄関扉の間をすり抜け、閉めました。
「ただいま帰りました」
「……ん、美優さん?」
プロデューサーさんは、執務室に入った私の姿を見ると、和やかな顔をしながら手を上げました。
「おーお疲れ〜! ネーサンから聞いたよー、ほたるちゃんと遊びに行ってたんだって?
いいなーそういうの大事だよね、たまにはサラッと羽を伸ばしてさ。レッスンばっかだと気ぃ詰まるでしょ?」
「いえ……気が詰まるほど、レッスンもあまり、できていないですが…」
「あ、そっかそっか悪い! まぁまぁ……おっ?
何買ってきたのそれ、ひょっとしてお土産!? いやー悪いねー」
「あぁいえ! これは……す、すみません」
66 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:00:20.75 ID:A6rjc17z0
「あぁ、違ったか。いやいやこちらこそ。
へぇー超買い込んだねぇ、楽しかった? いいなー」
プロデューサーさんは、先ほどの切迫した声が嘘のように、私に気さくに話しかけてくれました。
決して私達に見せない一面を、彼は隠し持っている。
そんな彼を見て――私は、とある思いが生まれました。
「プロデューサーさん」
「ん、何?」
「何か、ほたるちゃんにお仕事をさせたいんです。イベントとか……できれば、ライブを」
プロデューサーさんは眉を上げ、小首を傾げてみせました。
無礼を承知で、私は続けます。
「この事務所が、無くなる前に」
私がそう言った瞬間、プロデューサーさんの顔に緊張が走るのが見て取れました。
「教えてください。
私達が、この事務所のアイドルでいられるのは……あと、どれくらいですか?」
67 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:03:23.69 ID:A6rjc17z0
――少し、穏やかな顔に戻して、どこかプロデューサーさんは他人事のように話しました。
「先方とは、9月末の契約に向けて、話を進めているところだね」
私と、目を合わせようとしません。
動揺した姿を見せまいと、平静を装っているのは明らかです。
「驚いたよ。いつか言わないと、とは思っていたんだけど……隠していてごめんね」
「それは、構いません」
私は一歩、彼の方に進んで続けました。
「私が何とかしたいのは、ほたるちゃんが……今回の倒産を、ほたるちゃんのせいだと、思わせたくないんです」
再び驚いた顔をして、プロデューサーさんが向き直り、私を見つめます。
「そのためにも、知らしめたいんです。ほたるちゃんが、どれだけ素晴らしいアイドルなのかを、多くの人に。
だから、ライブを……無茶なお願いなのは分かっています。でも……!」
68 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:05:04.92 ID:A6rjc17z0
「残念だけど、それは難しい」
毅然とした冷たい彼の言い方に、思わず私の体が強張ります。
「俺達が思っていた以上に、どうやらほたるちゃんの噂は有名らしくてね。
彼女の名前を出した途端、会場も、共演相手の事務所にも、断られてしまう」
ふふっ、と鼻で笑い、プロデューサーさんはかぶりを振りました。
「さっきも、交渉してみたんだけどね、ダメだった……最後の一件だったんだけどなぁ」
「プロデューサーさん……」
この人も、お仕事を用意しようとしてくださっていたのですね。
ひょっとしたら、私と同じ考えで――ほたるちゃんのために。
「ふっふっふ」
「……?」
唐突に、プロデューサーさんが肩を揺らし、不適な笑みを浮かべました。
「だがな、諦めるのはまだ早い。正道がダメなら、邪道がある」
69 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:09:00.47 ID:A6rjc17z0
「さっき、難しいって……?」
「難しいとできないは違うんだよ、美優さん」
先ほどとは違い、どこか得意げにプロデューサーさんは鼻を鳴らします。
「ただいま」
「た、ただいま帰りました」
そこへ、事務員さんが帰ってきました。
どういう訳か、ほたるちゃんも一緒です。
「お帰りネーサン、パルムあった? おっ、ほたるちゃんもお帰り」
「ちょうど、白菊君と出会った所で、コンビニ強盗があってな。少し手こずってしまった」
そう言いながら、事務員さんは首に手を当て、けだるそうにコキコキと鳴らしました。
「だが、それを追い払ったおかげで、店長からこの通り、礼をもらってね。
怪我の功名、と言ったところか」
「無傷じゃねーか」
事務員さんがほたるちゃんと一緒に持ってきたのは、両手いっぱいのコンビニ袋に入ったアイスでした。
70 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:11:50.98 ID:A6rjc17z0
「す、すみませんでした……」
ほたるちゃんが頭を下げると、事務員さんは呆れながら手を振りました。
「悪いのは強盗だ、キミとは何も関係が無い。
たとえキミの不幸が遠因だとしても、キミが謝る話ではないだろう」
まさか、本当にコンビニ強盗に遭っていたなんて――。
事務員さんがいなかったら、どうなっていたでしょう。
「はい、あ、ありがとうございます」
「よろしい」
「ネーサンの腕っ節の強さときたら、草薙素子もかくやというメスゴリラだからな」
プロデューサーさんがそう言った瞬間、事務員さんの、アームロック? が決まりました。
「いででででで!!!ごめんごめんごめんもう言いません折れるあいだだだだだ!!!」
「よろしい」
「そ、それで、プロデューサーさん」
「ん?」
事務員さんに解放された右腕を回すプロデューサーさんに、私は問い直します。
「さっきの話ですが……あの」
「あぁ」
71 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:17:01.51 ID:A6rjc17z0
「今度、346プロが主催するでっかいライブイベントがあるの、知ってる?」
「サマーフェスか」
「そう、さすがネーサン、古巣だけあってよくご存知」
プロデューサーさんが、ニカッと事務員さんに笑顔を返しました。
って――えっ?
「古巣、ですか?」
「え、知らなかったっけ? ネーサン、前は346プロにいたんだって」
そ、そうだったんですか――ほたるちゃんと一緒に、変なため息が出てしまいました。
「346プロでも、事務員さんだったんですか?」
「あれ、プロデューサーやってたんじゃないっけ? ネーサン」
「しがない事務員だよ」
事務員さんは、自分の分のコーヒーを淹れ、席に着きました。
「うっそだぁ、バリバリの敏腕Pでしょ絶対。こんな偉そうな態度の事務員さんいる?」
「どの会社でも、サイフを預かる部署は偉いもんさ」
「そりゃ確かに。あ、話逸れた、それでね」
オホンと咳払いをして、プロデューサーさんは本題に戻りました。
「そのフェスに、特別枠で参加させてもらえないか、先方と交渉してみようと思う。
ウチの会社を346プロに買収してもらう、そのついでにな」
72 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:20:21.61 ID:A6rjc17z0
「そ、そんな事、できるんですか?」
だって、346プロのイベントに、無関係の私達が出るだなんて――。
「そこでネーサンの力が必要になるんだ。ネーサン、誰か頼れそうなツテとかない?」
「私とて、魔法使いではない。出来ることと出来ないことがある」
「爪を隠してる場合かよ。いよっ、完璧超人」
ハァ――と、深いため息をつく事務員さん。
やがて、観念したように彼女は胸ポケットから手帳を取り出し、連絡先を探しました。
「……あそこの事業部長とは縁がある。機会を見つけて、コンタクトを取ってみよう」
「さっすがネーサン!
ていうかさ、今回の話だって俺じゃなくてネーサンがササッと話を進めるべきだったろ、どう考えても」
「あの会社とはあまり接点を持ちたくないんだ。詳しくは言えないがね」
「そうやってワガママ言うから、俺や美優さんが割を食うんじゃんか、ちょっとは反省しろよ。
美優さんも、この人にもっとベシッと文句言っていいからね」
「えっ……文句?」
「だって、346との調整を最初からネーサンがしてくれてりゃ、俺も美優さんとほたるちゃんのプロデュースにガシッと専念できたし、美優さんだって慣れないプロデュース業しなくて良かったんだよ?」
なるほど、そういう事だったんですね――でも。
「むしろ、感謝したいです」
「は?」
73 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:22:35.30 ID:A6rjc17z0
私の言葉に、プロデューサーさんと、事務員さんの目も点になります。
私は一度、ほたるちゃんの顔を見て、二人に向き直りました。
「そのおかげで、ほたるちゃんのファンの、第一号になれましたから」
「……そういや美優さん、いつの間にほたるちゃんを“ほたるちゃん”って呼んでるね」
「あ……ふふっ。そうなんです」
「よーし、分かった!」
プロデューサーさんが手をポンッと叩きました。
「俺も346のプロデューサーに一人、話の分かる人がいるから、ちょっとその人プッシュしてくるわ。
ネーサンもあっちのお偉方とアレして、外堀埋めてって」
「それよりキミは、二人に楽曲を用意してあげなさい。交渉なら私と社長で進めておく」
「あ、そりゃそうだな。美優さん、足の具合はどう?」
「足は……」
日常生活には、支障はありません。
ただ――。
「行けます……ほたるちゃんと一緒に、レッスンします」
「よしよし」
74 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:26:51.89 ID:A6rjc17z0
「あ、あの」
声がした方に、皆が振り返ると――おずおずと、ほたるちゃんが手を挙げていました。
「どうした、ほたるちゃん?」
「私、と、とても……嬉しいです、でも、その……こんな、私なんかのために、皆さんが…」
「はいっ! ほたるちゃん、アウトー」
「う、うえぇっ!?」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、プロデューサーさんが小脇に置いていた何かをヒョイッと持ち出しました。
「デデーン、つってな」
これは、よくある豚の、いえ――カエル、の貯金箱、ですか?
「いつだったか、『ゲロゲロキッチン』ってケーブル局の番組に、美優さん出たことあったでしょ?
その時もらったヤツ。これからネガティブな事を言った人は、1回につき百円です。いいね?」
「え、あぅ、それは……でも、本当に私…」
「ほらほら、また言いそう! もう百円だぞ、ほたるちゃん!」
「は、はいっ! すみません、払います、払いますから!」
「いや、払えっつってんじゃなくてネガティブを言うなって」
「なるほど、思考の矯正ツールか。考えたな」
顎に手を当て、繁々とそれを眺めながら、事務員さんがニヤリと笑いました。
「あ、ちなみに美優さんもだからね? ネーサンは、タバコ1回につき百円」
75 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:29:43.73 ID:A6rjc17z0
「高いな」
「嫌ならキッパリ禁煙しとけって。マジで女性のタバコだけは止めろよ、だから結婚できねぇんだ」
「いぃだだだだだだだだっ!!!」
気づいた時には、またそういう、関節技のようなものを決めていました。
お、折れていないかしら――?
「それならキミは、変な擬音を喋るごとに百円だな」
「は?」
肩を回しながら、プロデューサーさんは首を傾げます。
「あ、あぁ……サクッととか、ビシッととか、ですよね?」
「えーそんなんでいいの? 俺全然サイフ痛まない自信あるけど」
「キミ、このパピコを二つに割ってくれないか?」
事務員さんは素知らぬフリをして、二本セットのアイスをプロデューサーさんに差し出しました。
「えっ、何、ネーサンが割ってよ、そんくらいパキッと。あっ」
あまりのあっけなさに、私も、ほたるちゃんも思わず吹き出してしまいました。
「きたねぇぞ! 絶対ハメだろ今の!」
「いいから、さっさとこのゲロちゃんに百円食べさせなさい。
何なら1万円くらい、今のうちに入れといたらどうだ?」
「馬鹿にすんなこの野郎!」
76 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:31:59.62 ID:A6rjc17z0
という訳で――私とほたるちゃんは、ネガティブな事を言ったら百円。
プロデューサーさんは、擬音を言う度に。事務員さんは、タバコを吸ったら百円。
サマーフェス当日まで、このゲロちゃん募金は続け、本番が終わった後の打ち上げで使いましょう、という事になりました。
出られるのかどうか、まだ決まった訳ではないのに――ふふっ、楽しみですね。
「さて、そうなると……ユニット名、どうするかな」
事務員さんが、ふと独り言のように私達に問いかけました。
うーん、と腕組みをして唸った後、プロデューサーさんが顔を上げました。
「美優さんと、ほたるちゃんだから、『みゆ〜ず』ってのはどう?」
「白菊君どこに行った。それに、何となくパクりっぽいだろう」
「あ、そう? じゃあ、苗字の三船と白菊で、『白船〜ず』とか?
それか、英語で『ホワイトシップ〜ず』ってのは」
「キミ、少し黙って」
「あ、あの……ユニット名は、追って考えることに、しませんか?」
そう私が提案すると、ほたるちゃんも含め、皆さんは納得してくださいました。
いつ言うべきだろうかという、迷いだけが、私の胸に残りました。
77 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:32:59.91 ID:A6rjc17z0
――――――。
――――。
突然に、しかし、いつも通りに、壁が私の行く手を阻みます。
そして、いつものように、私は回れ右を――。
――? えっ――!?
「ダメなんです……私は、人を不幸にしちゃうんです。
そんな人、アイドルになんて、なっちゃいけないんです……」
あれは――。
――アイドルになりたくない?
78 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:34:56.26 ID:A6rjc17z0
「スカウト、ですか……? 私はもう、アイドルにはなれません!
私は疫病神なんです。関わったら、あなたの事務所だって、倒産しちゃうかも……!」
――ハッハッハッハ。
「な……何が、おかしいんですか……?」
壁がどんどん、迫ってきます。
なのに私は――目の前にいる二人のやり取りに心を奪われ、その場を動くことができません。
――渡りに船、と言っては失礼だがね。
「えっ……?」
――もう、畳もうと思っているんだ。
79 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:37:42.18 ID:A6rjc17z0
――古い友人が、大手芸能事務所の重役をしていてね。
――彼と相談して、ウチの社員とアイドルを、その事務所に引き継ごうと思っている。
「あ、あの……」
――白菊ほたる君、と言ったね?
――キミには間違いなく、輝ける素質がある。それに、今私達のもとにいる彼女も。
――キミ達がそこに入る足掛かりを得られるよう、私に人肌脱がせてくれないかね?
「な……どういう、それは……?」
――さて、その前に質問だ。一度しか聞かないよ、いいかい?
――キミは、幸せになりたいかい?
80 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:39:48.07 ID:A6rjc17z0
「し、幸せに……不幸な私が、幸せなんて……」
暗く恐ろしい壁が、見る間に空間を浸食していきます。
二人の姿も――私自身さえ、輪郭が判然としなくなり、今にも押し潰されそうです。
――アイドルとして、輝きたくないかい?
「ぐすっ…………な、なりたい……です……幸せに……!」
「トップアイドルに、私……!!」
――――ッ!!!
――――。
――何かを叫びながら飛び起きたらしい事は、何となく分かります。
しかし、何を叫んだのか、思い出せません。
ひどい汗――シャワー、浴びなきゃ。
81 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:43:19.49 ID:A6rjc17z0
あの日以降、明確な目標を得た私達は、とても精力的に活動を行っていきました。
「ぐわあああぁぁぁっ!!」
「トレーナーさーん!!」
突然、レッスンスタジオの天井パネルが落下して、トレーナーさんが下敷きになりました。
「ぐぬぬ、そう来ましたか。が! どうと言うことはありませんっ!」
すぐに飛び起きると、手際良くトレーナーさんはそれを片付けます。
「今日帰る時に、管理人さんに言っておきましょう。さぁ、再開しますよ!」
「はいっ!」
ほたるちゃんと一緒に、レッスンに励むようになってからというもの、色々な事が起きます。
音源の機器がダメになったり、天井や床が抜けたり――大鏡は、意外と壊れないもののようです。
レッスンだけでなく、オフの日に二人で遊ぶ時も、心なしか雨の日が多かったり――。
「うひゃあっ!?」
「だ、大丈夫ですか!?」
雨が降らない日は、度々こうして私の目の前に、植木鉢が落ちてきます。
82 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:45:10.38 ID:A6rjc17z0
それ以外にも、車に水を跳ねられたり、自販機に入れたお札が、上手く認識されずに何度も返されたり。
色々ありますが、まぁ――こんなものだろう、と思えば、案外普通です。
「す、すみません、私のせいで……」
「ふふっ、ほたるちゃん?」
「えっ?」
「アウト、ですね?」
「あっ」
私が手を出すと、ほたるちゃんは照れ笑いをしながら、百円を差し出しました。
事務所に戻ると、プロデューサーさんと事務員さんが、何やら喧嘩をしています。
「あっ、お帰り!
美優さんほたるちゃん聞いてくれよ、コイツタバコ吸ってんのに百円出さなくってさぁ!」
83 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:48:41.01 ID:A6rjc17z0
「せっかく件の約束を先方と取り付けてきたんだ。それくらいの成功報酬はもらいたいな」
「俺だってちゃんと曲の手配したっての!
そんなん当然の仕事だろ、このコンコンチキのオッペケペーのスットコドッコイめ!」
「はい、三百円」
「残念でしたー、今のは擬音じゃありませんー! 悪口ですー!」
相変わらず仲良しの二人を見て、大笑いをする私達。
そして――。
い、今の話、ひょっとして――!?
「当日、1曲分歌わせてもらえるよう、先方と手筈を付けてきた。
しっかり仕上げてくれたまえよ?」
「346プロお抱えのコンポーザーから、お蔵入りになりそうだった曲を譲ってもらえたんだ。
デュオ用のパート分けとか、考えないとな」
「やったぁ!!」
思わず、ほたるちゃんと手を取り合いました。
すごい、本当に、ステージに立てるなんて――!
「やりましたね、美優さん!」
「……美優さん?」
84 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:49:18.34 ID:A6rjc17z0
「えぇ、そうですね! すごく楽しみです、ほたるちゃん」
85 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:51:26.31 ID:A6rjc17z0
「ここ、どうですか?」
「……少し、痛いです」
お医者さんの問いかけに、私は少し、嘘をつきました。
「フ〜ム……楽しいから止めたくない、というのは分からなくもないですがねぇ」
半ば呆れ気味に、お医者さんは私の足を診ながら首を捻ります。
「時には趣味もほどほどにしとかないと、治るモンも治りませんよ。エアロビでしたかな?」
「は、はい……すみません」
「謝るなら、あなた自身の体に言ってあげたらどうです。ウーン、ここは…」
「いっ……!!」
「ちょっと……痛い、です」
アイドルをやっている、というのは――恥ずかしくて、言えていません。
86 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:54:02.51 ID:A6rjc17z0
いつかのオーディションで痛めたのは、左の足首でした。
軽い捻挫でしたので、しばらく安静にしていれば、問題なく治るはずのものです。
「医者としては、おすすめはしませんけどねぇ。副作用の無い薬は無いんです」
席に戻り、腕組みをしながらカルテを睨むお医者さんに、私は頭を下げるしかありません。
「すみません……でも、どうしても、仕上げなくてはならなくて……
あとひと月、それを過ぎれば、先生の仰る通り、安静にします」
「フ〜ム……」
難しい顔をして、カルテにペンを走らせて、お医者さんはため息を一つつきました。
「分かりました。ただし、くれぐれも無茶はいけませんよ。
最悪、取り返しのつかない……完治せず、一生痛みを背負う危険性もあるんだってことは、十分にご理解ください」
痛み止めを、もう二週間分処方してもらい、また経過を診ることになりました。
87 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:56:14.37 ID:A6rjc17z0
病院を出たその足で、午後のレッスンを行うスタジオへ向かいます。
最寄駅に着くと、私を見つけたほたるちゃんが、手を振ってくれました。
「美優さん!」
「待たせちゃいましたか?」
「いえ。私が勝手に、早く来ちゃって……レッスン、楽しみだったから」
「ほたるちゃん、レッスン張り切っていますものね」
「はい。こんなに、充実した日々を過ごすの、初めてで……すごく、楽しいです」
雨が降り始めた道中を、傘を差しながら二人並んで歩きます。
ほたるちゃんは、今日は犬に吠えられなかったとか、バスの遅れも5分で済んだとか、とても嬉しそう。
そんな、彼女の顔を見るのが辛くて――ほんの少し、顔を傘で隠しながら歩きました。
88 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 18:58:37.95 ID:A6rjc17z0
薄々、勘づいていた事ではありました。
元々素質があったほたるちゃんがレッスンを続ければ、見る間に実力を身につけていくでしょう。
事実、ダンスもボーカルも、トレーナーさんが驚くほどの上達ぶりを彼女は見せていました。
それに引き替え、私は――これまでの無理が祟ったのか、満足に踊ることができなくなってきています。
ほたるちゃんとデュオを組むなら、私に合わせ、二人のダンスのレベルを下げざるを得ないでしょう。
いえ、そもそも本番当日までもつかどうか――。
足を引っ張りたくはありません。だから――。
「と、トレーナーさん、それは…」
「皆まで言わないでください、ほたるちゃん! 天井が落ちても、このヘルメットがあれば大丈夫!」
「アタシの心配よりも、ふふふ、美優さんもウカウカしていられませんよ!
さぁ、始めましょうっ!」
――――。
「はい」
今日も、言えない――か。
89 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 19:03:15.38 ID:A6rjc17z0
「あばばばばばばばっ!!」
「トレーナーさーん!!」
機材の調子が悪くなったので、様子を見ようとしたトレーナーさんが突然、叫びました。
漏電しかかっていたコンセントに手を伸ばし、軽く感電してしまったようです。
「あ、危なかった……ヘルメットが無ければ即死でした。が!」
そう言って、軽く伸びをした後でトレーナーさんはニカッと笑い、隅に置いたバッグからスピーカーを取り出しました。
「こんな事もあろうかと、音源のスペアは用意してあります!
さぁ、先ほどの「デッデーン♪」のところからもう一度っ!」
た、たくましい――。
「はいっ!」
一方で、ほたるちゃんは、やる気に満ち溢れた表情で、元気よく応えます。
もはや、自分の不幸のせいだとばかり気にしてしまう彼女が、遠い昔の姿のように思えました。
90 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 19:04:38.01 ID:A6rjc17z0
「はぁ、はぁ……」
――――。
疲労のせいもありますが――やっぱり――。
「美優さん、大丈夫ですか?」
「いえ……ごめんなさい。お願いします」
ほたるちゃんとトレーナーさんが、心配そうな顔をして見つめるので、なるべく笑顔で返します。
誤魔化すのも、そろそろ限界かも知れません。
もう一度――もう一度、今のところを踊って、ダメだったら――。
その時はちゃんと、言おう――言わなきゃ。
これ以上、ほたるちゃんの足は、引っ張れない。
そう、思っていたんです。
91 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 19:07:31.04 ID:A6rjc17z0
靴紐が切れたのは、再開し、ステップを踏んで直後でした。
視界がぐるりと空転し、鈍い衝撃がまず、おでこに来ました。
「ッ!? ……美優さんっ!!」
そして、しばらくすると、燃えるような激痛が左足を襲ってきたので、倒れたまま、堪らず身を屈めます。
「美優さん!! 大丈夫ですか、美優さんっ!!!」
声を押し殺し、左の足首を抑え、ギュッと目を閉じて痛みに耐えます。
嫌な汗が、額をダラダラ流れていくのが分かります。
荒い呼吸で、うっすら目を開けると、泣きながら必死に謝るほたるちゃんが目の前にいました。
92 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 19:09:12.17 ID:A6rjc17z0
近くの病院で診てもらったところ、幸い、骨や神経に異常はないようです。
先日、オーディションでやったのと同じ捻挫でしたので、一ヶ月ほど安静にしていれば治るだろうとのことでした。
ですが――。
「ほたるちゃん、そう気を落とすなって。な?」
「…………」
診療を終え、病院の待合スペースで、駆けつけてくれたプロデューサーさんがほたるちゃんに声を掛けます。
それでも、彼女はその声に応じる事ができず、泣きながら黙って項垂れたままでした。
まるで、自分自身が怪我を負ってしまったかのような――。
いえ、彼女の事だから、自分がなれば良かったと、考えてしまっているのかも知れません。
93 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 19:11:19.15 ID:A6rjc17z0
「美優さんは…」
ほたるちゃんの口から、ようやく――でも、涙混じりの声が聞こえました。
「……今度のフェスに、出られるんですか?」
――私はプロデューサーさんと、顔を見合わせました。
彼は、どう言い繕おうか、言葉に迷っているようです。
「きっと、難しいでしょうね」
嘘を言っても仕方が無いので、私はほたるちゃんに、なるべく明るい調子で話します。
プロデューサーさんが、小さく声を上げたのが傍で聞こえました。
「でも、ほたるちゃん。これは、本当の事なんですけれど……私、元々足を痛めていたんです。
だから、今度のフェスも私、実は、辞退しようと思っていたんです。
言い出せなくて、ごめんなさい。だからね、ほたるちゃん……その、本当に、気にしなくて大丈…」
「私なんて……」
「……えっ」
94 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 19:15:22.17 ID:A6rjc17z0
「私なんて、いなきゃ良かった!!」
ほたるちゃんは、堰を切ってわぁっと泣き出しました。
「何を言うんだ、ほたるちゃん」
ただならぬ空気を察したプロデューサーさんが、慌てて彼女の肩に手を添え、しゃがみ込みました。
「ほら、アレだぞ? そんなネガティブな事を言ったら百円だぞ?
ワハハ、いつ君が言い出しても請求できるように、俺こうしてほら、ゲロちゃんを携帯して…」
「お金を払って美優さんの足が治るなら、私、いくらでも払います!!」
ほたるちゃんは、自分の鞄からサイフを取り出し、お札を引っ掴みました。
「いくらですか、いくら払えば美優さんは…!」
「お、おい、ほたるちゃん落ち着け。誰もそんな事言ってないだろ?」
「私さえいなきゃ、美優さんはフェスに出れたんです!
本当に、私、充実してて、た、楽しくて……!! やっぱり、私、幸せに、なっちゃ……なっちゃ、いけないんですっ……!」
握りしめたお札とサイフを床に落とし、両手を顔に当てて、彼女は声を上げて泣き崩れました。
――それは違います。違うんです。
私が、言い出せなかったから――もっと早く、辞退する事を皆に知らせてさえいれば、こんな事には――。
「ほたるちゃん」
95 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 19:21:04.28 ID:A6rjc17z0
「……美優さん……ごめんなさい…」
「どうか謝らないでください」
私は彼女の手に、そっと手を添え、首を振ります。
「おかげで私も、吹っ切る事ができました」
「えっ……」
彼女の手を、そっと顔から引き離すと――可哀想に、ほたるちゃんの顔は涙でぐしゃぐしゃです。
「薄々勘づいていたのですが、私は、アイドルよりも、裏方をやっている方が、性に合っている気がします」
ふふっ、と、自嘲気味に――いいえ、自嘲ではありません。
この数ヶ月は、真似事しかできなかったけれど――。
「私は、ほたるちゃんのプロデューサーとして、今度のフェスには臨みたいと思います。
当日、ステージの上で、ほたるちゃんがしっかり輝けるように、私も頑張らなくちゃ」
プロデューサーさんの方へ振り返り、笑いかけます。
「ですよね、プロデューサーさん?」
96 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 19:22:36.74 ID:A6rjc17z0
あの時の、困惑気味のプロデューサーさんの顔が、脳裏に焼き付いて離れないのは、何故かしら――。
あっ――。
――また、この夢か。
最近、何だか思うようにいかないので、見るのが少し億劫になっている夢です。
今回も、どうやら様子が違います。
壁が迫ってきません。周りは――ここは――。
――大丈夫ですか?
「いえ、その……大丈夫、です……」
これは――私の、記憶?
――――あぁ、思い出しました。
97 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 19:25:13.77 ID:A6rjc17z0
右も左も、辺りはすっかりクリスマスムード。
鮮やかなイルミネーションに彩られた夜の街を、幸せそうな顔をして歩く人々。
その中にあって、私は、そう――ヒールが折れて、道端でうずくまっていたのでしたね。
「すみません。もう、構わないでいただけますか。大丈夫ですから……」
思えば、恥ずかしい出会いでした。
あの日の事を、どうして今になって思い出すのかしら――?
「アイドル……人前に出て歌ったり、踊ったりするあの……?
私なんかが……無理ですよ」
ただ――プロデューサーさんは、それでも私に手を――。
――決めるのは、あなたです。
そう、彼は言って――。
――――!? えっ!?
ふと、顔を上げた時、目の前にいたのはプロデューサーさんではなく、私でした。
98 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 19:26:31.06 ID:A6rjc17z0
「――――?」
――携帯にセットしたアラームが鳴っています。
この手の夢を見る時は、大抵、目覚ましが鳴る前に飛び起きてしまうのですが――。
なぜか今回は、比較的熟睡できたようです。
今日は――午前中、346プロの方とフェスの打合せをして、午後はほたるちゃんのレッスン。
あ、そうだ、ペーパー教習もお昼に予約しているから、忘れないようにしないと。
それなりに、プロデューサーとしての心構えがついてきたから、あぁいう夢を見たのかも知れません。
そう、前向きに考えながら、支度を済ませて家を出ます。
99 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 19:29:03.08 ID:A6rjc17z0
「はい、では予定通り、10時半頃にそちらに……いえ、私一人ですので。あ、白菊も同席させた方が?
……かしこまりました、ありがとうございます。では、先ほどの書類を持ってお伺い致しますね。よろしくお願いします」
受話器を置き、私は書類をバッグに収めて席を立ちました。
「では、プロデューサーさん、事務員さん。フェスの件で、346プロへ行ってきます。
その後は、ちょっと教習所へ行った後、ほたるちゃんのレッスンに立ち会いますので」
「あぁ、うん……俺も一緒に行こうか?」
「いえ、大丈夫です」
「無理はしないようにな」
事務員さんが、声を掛けてくれます。
私は、ニコッと笑みを返すと、ソファーの方に座っているほたるちゃんに向き直りました。
「それでは、ほたるちゃん。午後は頑張りましょうね」
「……はい」
弱々しい返事――やはり、まだ引き摺っているのでしょう。
どうにか、立ち直って欲しいのですが――。
ちょうどヤクルトの方が来られたので、私は、タフマンを購入しました。
100 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/04/29(日) 19:30:59.90 ID:DajCBWyM0
智香「ゴーゴーファイトだよ三船さん!☆」
101 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/29(日) 19:31:54.65 ID:A6rjc17z0
電車に揺られ、駅を出て国道沿いに歩みを進めると――。
――何度来ても、大きな事務所です。
煌びやかな装飾が施された建物に、お庭には大きな植栽がいくつも植わっています。
敷地を囲う、格式高い塀も、入り口の位置から端っこが見えません。
門をくぐると、手入れの行き届いた低木が色とりどりの花を咲かせ、来訪者を出迎えます。
こういう所に勤める人は、正しく人生の成功者だろうなぁと、漠然と思うと同時に――。
なぜ、事務員さんはこの事務所を辞めたのでしょう?
という、素朴な疑問がふと頭をよぎりました。が――。
打合せ前に余計な思案は不要でしょう。
頭を切り換え、エントランスに向かいます。
受付の方に用件を伝えると、上階の会議室へと案内されました。
外も相当でしたが、中に入るとさらに――す、すごいなぁ――。
う、いけない。集中しなくては――。
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