【艦これ】提督「風病」 2【SS】

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56 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2017/12/31(日) 12:18:26.43 ID:rVvkDkxp0



 遠征を終えて鎮守府に戻ると、遠征隊のみんなが私たちを出迎えた。帰還の鐘が静寂を揺らしていた。

 私たちはドラム缶を携えて港に上がる。みんなが集まって囲ってきた。

「陽炎、お帰り!」

「資源はどう? 回収できたの?」

「敵とは遭遇した?」

 矢継ぎ早に飛んでくる質問は恒例のものである。そんなに毎回大袈裟に聞く必要もないと思うが、ただでさえ娯楽が少ないのが鎮守府という場所だ。出迎えも、艦娘にとって楽しみの一つになるのも無理はない。

 陽炎姉さんはドラム缶を豪快に地面に置いて、胸を張った。

陽炎「何事もなく回収できたわよ〜。それもいつもの二倍くらいね!」

 感心する声が一斉に上がった。

「二倍! そんなに回収したんだ!」

「すごいね……」

時津風「浜風が考案した遠征ルートが見事に当たったね〜。ほとんど敵と合わなかったよ」

深雪「ああ。いつもより若干遠回りだったけど、びっくりした。あんないいルートがあったんだな」

 時津風と深雪の言葉に、視線が一斉に私の方へと向いた。説明をせがまれているようだったので答えることとした。

浜風「以前所属していた鎮守府で私が発見したルートです。あの場所は、地図上には記載がない岩礁地帯と被っていて潜水艦の活動には適さないんですよ。それに、それ以外の艦種も『餌』である魚類の活動が活発ではないからか、避けてくれます。深雪の言うとおり遠回りになってしまうから、提督の皆さんは最初から無視しているようですが」

陽炎「まさに、急がば回れってやつよね。浜風の言う通りドラム缶の量をいつもより増やしていて良かったわ。いつも通りの量だったら、回収しきれなくて油まみれになるところだったろうし。――さすが私の妹」

 陽炎姉さんは満足気に笑いながら私の背中を叩いてくる。たぶん、手を抜いてはいてもそれなりに力が入っているはずだ。後で赤くなるのだろうな。
57 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2017/12/31(日) 12:19:30.21 ID:rVvkDkxp0

「浜風さん、頭いいなあ……」

「たしかに。浜風さんの物の捉え方や考え方ってかなり鋭いと思う。海域の情報や敵の生態にも専門家が顔負けするくらいに詳しい。悔しいけど、頭の出来が違うわ」

「本当に本配属されてから二年目なの?」

浜風「ありがとうございます。とても、嬉しいです。皆さんの役に立てていれば良いのですが……」

陽炎「役に立つもなにも。浜風の考えたことで、みんな本当に助けられてるんだから。胸を張りなさい」

浜風「姉さん……」

陽炎「真面目なあんたのことだから、負い目があったんでしょうけどね。あんたはきちんと罰を受けた。そして、自分の能力を生かして迷惑をかけた皆にお返しもしている。やってしまったことは消せないけど、あんたが誠意を持って償っていることは皆見ているわ。ね、そうでしょ?」

 陽炎姉さんが周りに同意を求めると、みんなそれぞれに顔を見合わせて頷いてくれた。もちろん、この人だかりにいない人間もいるから全員ではないが……それでも多くの人間が、私を許そうと、歩み寄ろうとしてくれているのを実感できる。

浜風「……ありがとうございます」

 私は、瞳を潤ませてみせた。

浜風「姉さん、皆さん……。これからも、頑張ります……」
58 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2017/12/31(日) 12:20:26.63 ID:rVvkDkxp0

陽炎「な、泣かなくてもいいでしょ。ちょっと……」

時津風「陽炎慌ててる〜」

陽炎「あ、慌ててないわよ!」

深雪「どう見ても慌ててるんだよなあ」

陽炎「う、うるさい! ほら、浜風……。ハンカチで涙拭いて」

浜風「……」

 私はハンカチを受け取り、目元を拭う。

 本当、お人好しな姉だ。騙されているとも知らずに手を差し伸べてくるなんて。

 私に向けられている優し気な目線の数々にも失笑をこぼしたくなる。なんて、単純な人たちなんだろう。反省の色を示し二三回涙を見せただけで、もう許す気になって心まで開こうとしている。

 この鎮守府には、私と同じように他所の鎮守府で「辛い境遇」を経験して流れ着いてきた者たちが多いとはいえ……。はぐれ者に対してある程度寛容なのは分かるが、それにしても生温いのではないか。

 しかし、呆れる一方で都合がいいとも感じる。優しさや寛容さほど、利用しやすいものはない。

時津風「げっ」

 時津風が一歩引きながら小さく呟いた。苦手な野菜を前にしたときの子供のような反応である。視線の先を追いかけると、その理由が分かった。
 
 雷さんがこちらに来たからだ。
59 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2017/12/31(日) 12:21:42.12 ID:rVvkDkxp0

雷「お疲れ様、陽炎ちゃん」

陽炎「お疲れ様」

 陽炎姉さんが雷さんを不思議そうに眺めていた。提督がいないからだろう。

雷「司令官はいないわよ。忙しくて手が離せない状況だったから、私が代わりに成果の確認に来たの」

陽炎「ああ、それで……。やっぱ、沖ノ島海域攻略ともなると忙しくなるわよねえ」

雷「鬼門だからね」

 苦笑いしながら答えると、雷さんは手に持っていたファイルを広げた。

雷「それじゃ、確認するわよ。今回の鼠輸送任務で獲得した重油は」

 言いかけて、固まる。私たちが持ち帰ったドラム缶の量を目にしたからだろう。

雷「えっと……。もしかして、このドラム缶全部持って行っていたの?」

陽炎「そうよ」

雷「ずいぶん無茶なことするわね。それで、どれだけ獲得できた?」

陽炎「これ全部」
60 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2017/12/31(日) 12:22:36.67 ID:rVvkDkxp0

 陽炎姉さんが、ドラム缶に肘をついて得意げに言うと、雷さんは目を白黒させた。

雷「えっ!? 通常の倍くらい量があるのに? う、嘘でしょ」

陽炎「本当だってば。よかったら確認してみてよ」

 雷さんは陽炎姉さんの言葉に従い、ドラム缶一つ一つを検分し始めた。彼女のポケットには妖精たちが潜んでいたようで、ドラム缶の上に躍り出ると注入口を開く。匂いを嗅いだり、微量の重油を取り出して検査薬で品質を確かめたり、忙しなく働いていた。

 やがて検査が終わると、妖精たちは雷さんの肩に止まり、耳打ちをして結果を伝えた。

雷「……全部、基準値をクリアーしているね。本当なんだ」

陽炎「まあ、信じられないのも無理ないわよね……」

雷「間違いなく、今までの鼠輸送で一番の成果よ。これは司令官、大喜びすると思う」

陽炎「そっか〜! だってよ、浜風。よかったじゃない」

 陽炎姉さんがニヤニヤと笑いながら言ってくる。

浜風「はい。そうですね」

陽炎「なんか物足りない反応ね。もっと喜んでいいのよ、もっと」

浜風「一応、喜んでいるつもりですが……」
61 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2017/12/31(日) 12:23:46.23 ID:rVvkDkxp0

雷「えっと、陽炎ちゃんどういうこと? なんで浜風さんが……」

 困惑を表情に貼り付けて雷さんが訊ねてくる。

陽炎「あれ、雷ちゃん知らない? 今回の遠征は浜風がルートを組んだのよ。この大成功もそのおかげってわけ。……司令にも話し通していたから、聞いていたかと思ってたけど」

雷「一応、第一駆逐隊が遠征ルートの変更を上申してきたとは聞いていたけど……。浜風さんが考えた案だったのね。てっきり、陽炎ちゃんが考えたのかと思ってたわ」

陽炎「ちゃんと浜風が考えた案で行くとは言ってたんだけどね。提督が伝え忘れたのかも」

雷「そ、それで、どんなルートだったの? 私、そこまでは聞いてないから……」

 陽炎姉さんが説明をする。黙って説明を聞いていた雷さんは、目から鱗とでも言うように驚いた表情を浮かべたが、だんだん苦々しい表情になっていった。私の提案の優位性を素直に認めたくないのだろう。

雷「……ふうん。そんなルートがあるんだ」

 雷さんは唇を尖らせながら言った。

雷「すごいじゃない、浜風さん。命令違反ばかりする勝手な人だと思っていたけど、それだけじゃないんだね」

浜風「ええ、どうも」

雷「ちょっと見直しちゃったわ。この調子で、司令官のために頑張ってね」

浜風「……」

 貴女に言われるまでもない。

 私は提督のためになるのなら、なんでもやるつもりだ。そう、なんでも。
62 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2017/12/31(日) 12:24:54.74 ID:rVvkDkxp0
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63 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2017/12/31(日) 12:25:50.37 ID:rVvkDkxp0
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64 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2017/12/31(日) 12:27:09.23 ID:rVvkDkxp0

雷「今回のこと、私から司令官にちゃんと報告しておくわね。それじゃ、検査も終わったし、そろそろ」

浜風「お待ちください」

 踵を返そうとした雷さんに声をかける。彼女はピタリと立ち止まり、マリオネットのような機械的な動作で振り返った。

雷「何かしら?」

浜風「報告なのですが、私から提督にしたいです。今回の遠征は私が考えたものですし、私が報告するのが筋だと思うのですよ」

雷「必要ないわよ」

 雷さんは、にべもなく言い放った。

雷「司令官への報告は特に必要な事由がないなら、秘書艦が行うのが通例でしょ? それこそ筋よ。私が検査に来たのも、そうする必要があるからだしさ。だから、気を回さなくても大丈夫」

浜風「別に気を使っているわけではないです。ただ、私が報告した方がより正確な報告ができると思うので言ったんです。遠征ルートのことが雷さんに伝わってなかったように、報連相は人を通すだけ正確な情報が伝わらなくなる可能性が高くなりますので。そのことを考慮しても、単純にそちらの方が効率が良いとは思いませんか?」

雷「心配しなくてもちゃんと伝えるわよ」

 雷さんは怒気を込めて言った。

雷「ちょっと失礼じゃないかしら? 私がそんなことも伝えられないとでも言いたいわけ?」
65 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2017/12/31(日) 12:28:08.76 ID:rVvkDkxp0

浜風「そうは言っていません。ただ、私は効率の話をしているだけですので。それに、さっき秘書艦が報告を行うのが通例と仰いましたが妙ですね。前の鎮守府では、遠征の報告は、その遠征を取り仕切る部隊長もしくは部隊長の代行者もしくは部隊全員で行うのが通例でしたよ? 情報の錯誤を避けるためにです」

 私がそう指摘すると、雷さんの顔が青くなった。図星を指されたようである。

浜風「それとも、私の鎮守府だけだったのでしょうか? 陽炎姉さんは、前の鎮守府ではどうでしたか?」

陽炎「ええと……岬鎮守府も、たしかに遠征部隊みんなで報告していたわね」

浜風「だ、そうです。この鎮守府だけのルールみたいですね。もちろん、提督の判断でそうしているのなら従います。ただ、そのことについても確認したいので、一度お伺いを立てたいと思います」

雷「……ダ、ダメよ。ダメ」

浜風「何が駄目なんでしょう? 提督と会って話を聞くだけですよ?」

雷「ダメなものはダメなの! だって、今までは私がやってきたんだから」

浜風「理由になっていませんね。では、提督じゃなく雷さん……いえ、雷秘書艦に聞きましょう。報連相の手段が、そのような非効率な方法になっているのは何故なんですか?」

雷「そ、それは……」

 雷さんは言葉を詰まらせる。言うべきことを探しているが、見つからないのだろう。あまりにも滑稽で、あまりにも愚かしい。
66 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2017/12/31(日) 12:29:23.67 ID:rVvkDkxp0

浜風「ああ、それとも」

 せせら笑うのを堪えながら、私は核心に触れた。

浜風「私が……いえ、私たちが提督に会うと何か不都合なことでもあるのでしょうかね。雷秘書艦にとって、不都合な何かが」

雷「――」

 雷さんが目を見開き、噛み付かんばかりの勢いで睨んできた。

陽炎「ス、ストップストップ!」

 私と雷さんの間に割って入り、陽炎姉さんが声を張り上げた。

雷「陽炎ちゃんどいて! こ、この。司令官に優しくされているからって、付け上がるんじゃないわよ!」

 叫びながら突進してこようとする雷さん。だが、陽炎姉さんの腕に抑えられ、そこから先は一歩も前進できない。

 しかし、付け上がるな、か。果たしてどの口が言うのだろうか。

陽炎「雷ちゃん、雷ちゃん落ち着いて! たくもう……報告に誰が行くかくらいでそんな揉めることないでしょ!」

雷「うるさい! 喧嘩を売ってきたのはあいつよ! あんな軍規違反女、私がぶっ飛ばしてやる!」

陽炎「落ち着きなさい! 浜風、あんたもよ!」

浜風「私は落ち着いてますが」

陽炎「そうかもしれないけど! でも、どんな形であれ発端はあんたでしょ? とりあえず謝りなさい」
67 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2017/12/31(日) 12:30:56.24 ID:rVvkDkxp0

浜風「……」

 眉を顰めそうになる。

 鼻息を荒くして唸る珍獣に、どうして私が頭を下げなければならないのか。ただ、まあ、私が軽く挑発したことが原因であるのは確かだ。

 私は溜息をつくのを堪え、頭を下げた。

浜風「そうですね。たしかに、私が怒らせてしまいましたから……。言い過ぎました。不愉快な思いをさせて、申し訳ありません」

雷「……ううぅ! この、この……!」

陽炎「雷ちゃん……ちょっと落ち着こう? ほら、浜風も謝っているし。ね?」

雷「……」

 唸り声が徐々に落ち着いてくる。

陽炎「報告には私が行くわ。雷ちゃんと一緒にね。それだったら筋は通っているし、いいでしょ?」

浜風「はい」

陽炎「雷ちゃんも、それでいいかしら?」

雷「……」

 雷さんは息を荒げながら、ゆっくりと頷いた。

 陽炎姉さんが、安堵の息をついた。

陽炎「……深雪、時津風。私、報告に行ってくるから資源の運搬だけ頼めるかしら?」

深雪「おう。問題ないぜ」

時津風「私も大丈夫〜。任せて〜」

陽炎「ありがとう」

 陽炎姉さんはお礼を言うと、動かなくなった雷さんの腕を肩に回して立ち上がった。そして、そのまま雷さんと一緒に、鎮守府本館の方へと歩いて行った。

 二人が去った後の港には、気まずい空気が流れていた。潮風が走り抜け、沈黙にケチを付けてくる。五月の風が冷たいのかどうかは知らないが、きっと温かいものではないのだろう。

 私は振り返って、みんなに頭を下げた。

浜風「お騒がせして、すいませんでした」
68 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2017/12/31(日) 12:32:02.22 ID:rVvkDkxp0

時津風「いやいや、いいよ〜。みんな、あの腰巾着さんには少なからず思うところあるしさ」

 時津風がさらりと棘のあることを言った。眠そうな眼差しは、陽炎姉さんたちの去ったところに向けられているが、その色は冷ややかだ。

深雪「……まあな。浜風、秘書艦様が言ったことなんかあんま気にすんなよ。別にお前、間違ったこと言ってねえしな」

浜風「……」

 私が無言で頷くと、深雪はあからさまに嫌味な感じで舌打ちをした。

深雪「なにが『司令官に優しくされてるからって付け上がるな』だよ。それはお前じゃねえか。……たく、遠征も出撃もしねえいいご身分のくせに、人に対してそんなこと言えんのかよ」

「……たしかに、深雪の言うとおりね」

「私も、ちょっとそう思うなあ。昔、色々あったのは知ってるけど、それでもね……。提督にべったりで、みんなと仲良くしようともしないし」

「司令や陽炎は、優しすぎると思う」

 時津風や深雪の言葉をきっかけに、みんなが次々と愚痴をこぼし始めた。雷さんに対して、みんながあまりいい感情を持っていないことは、私も把握していた。鎮守府に来て三カ月になるが、それくらいの期間があれば人間関係はおよそ掴めてくるものだ。やはり、どこの組織にも多寡に差はあれど人間関係のいざこざというものは付き纏ってくるようで、この鎮守府も例外ではない。
69 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2017/12/31(日) 12:33:13.69 ID:rVvkDkxp0

 とくに、雷さんは難しいポジションにいるようだった。彼女の複雑な出自もそうだし、この鎮守府での立場や扱われ方もそうだ。

 彼女は形ばかりの秘書艦である。明らかにその適性や能力がないのに、秘書についているのだ。詳しい理由は分からないが、どうにも提督の意向でそうなっているとのことである。まあ、彼女の過去や、金魚の糞みたいに提督に付き纏っているところを見れば、察しはつくが。

 ただ、その「特別扱い」がどうにもみんな面白くないようで、出撃部隊も遠征部隊も関係なく、彼女に良くない感情を持っている者は多い。しかも、出撃や遠征任務も免除されている優遇っぷりだから、なおさらその感情に拍車がかかる状況になっている。艦娘は、戦うことをアイデンティティとする存在だから、その嫌悪もまあ無理なからぬことであろう。働かざるもの食うべからず、なんて諺もあるが、いかに寛容なみんなであろうとも、戦う意思が米粒ほどもないものは冷遇するようである。

 そして極め付けは、本人も提督以外に興味がないことだろう。誰とも交わろうとしないから、この状況が変わることはない。現に彼女に接するのは、間宮さんや榛名さん、そして陽炎姉さんくらいだ。

 と、こんな感じで、雷さんはこの鎮守府では孤立している。身から出た錆びというべきもので、同情する余地はあまりない。

 だが、私にとっては彼女の存在もとても都合がいいものだ。彼女は利用できる。この鎮守府の人間たちと信頼関係を築き、掌握する手段の足がかりとして。

 ヤケを起こし、マイナスからスタートした私が、この鎮守府に溶け込む手っ取り早い方法。それは共通の敵を作ることだ。南鎮守府にいた頃は南提督を共通の敵に置いたが、この鎮守府では雷さんにその生贄役をやってもらう。

 雷さん。貴女がこの鎮守府から消えるのはその後だ。

時津風「ささ、そんなことよりパパッと資源片付けちゃお〜。お腹空いたしさあ」

深雪「だなあ。今日はA定食らしいから、張り切ってやるぜ!」

 ドラム缶を運び始める時津風たちを尻目に、私は海を見た。

 海は、ただ静かに潮騒を打っている。

70 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2017/12/31(日) 12:34:38.09 ID:rVvkDkxp0
投下終了です。
来年も風病をよろしくお願いします。
71 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/31(日) 13:37:29.10 ID:WXSUsJ4Go
乙です
72 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/31(日) 14:43:01.74 ID:Y6lLsN+Qo
乙!相変わらずしたたかな浜風や
73 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/31(日) 19:49:09.46 ID:Xpv+DYr7o
乙ー
74 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/03(水) 11:39:42.97 ID:nG/JY0SX0
乙風
75 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/04(木) 19:20:35.36 ID:muUCf+zD0
乙でっす
76 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/09(火) 12:55:09.48 ID:RSrxuefe0
乙ですー
77 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/01/16(火) 01:43:28.80 ID:tKC3niEB0

 



 ■

 静かな夕刻だった。

 執務室にはペンを走らせる音と、時計の音だけがある。俺は黙々と、山と積まれた資料の確認を行っていた。蟻が角砂糖を崩して巣に持ち帰るような、途方もない作業ではあるが、ルーティンと化しているから大して苦痛には感じない。いつものようにやっていれば、そのうち終わる。

 が、今日はいつもより筆が乗らない。集中ができないのだ。理由は、秘書の雷である。

 隣のテーブルに目を移す。そこには雷が座っていた。眉間に皺をよせ、乱暴な手つきでペンを動かしている。

 いかにも虫の居所が悪そうな様子であった。そして、とにかく落ち着きがない。時折思い出したかのように溜息をついたかと思うと、今度は指でリズムを刻み、苛立ちを表現する。

 陽炎と一緒に遠征の報告に来たときから、やけに機嫌が悪い。報告をしているときも声の端々に苛立ちがこもっていたし、陽炎が帰って事務作業を始めてからもずっとこの調子だ。

 同室にいる身としては、気が気ではなかった。
78 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/01/16(火) 01:44:29.38 ID:tKC3niEB0

提督「なあ、雷」

雷「……なに?」

提督「どうかしたのか? やけに機嫌が悪そうだが」

 雷は返事をせず、頬を膨らませ俯いた。

提督「なにか嫌なことでもあったのなら、相談くらいにはのるぞ?」

雷「……」

提督「……うーん」

 困ったな。本人が教えてくれなければ対処のしようもない。

 まあ、無理に訊き出すのも良くはない。彼女が話したくないのなら、その意思を尊重しなければならないだろう。

 執務に戻ろうとすると、椅子が擦れる音がした。雷が立ち上がったのだ。

 お手洗いにでも行くのか。そう思ったが、雷は扉の方ではなくこちらにやって来た。
79 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/01/16(火) 01:45:44.83 ID:tKC3niEB0

提督「雷?」

 相変わらず何も言わない。きゅっと下唇を噛んで、俺を見下ろしている。栗色の瞳に映った俺の像は雨の日の水面のごとく揺れていて、不安定だ。

 どうしたのだろう?

 俺が様子を伺っていると、彼女は俺の後ろに回った。突然のことで反応が追いつかない。後頭部が何か柔らかいもので包まれた。布数枚の先にある人肌の感触が、首筋の辺りを撫でる。

 驚いて振り返ろうとした。だが、頬が彼女の鼻先にぶつかった。温い吐息。心臓の音。そして遅れて感じる肌の熱。それらに気づいた瞬間、銀木犀にも似た香りがふわりと華やいだ。

提督「……」

 突然どうしたのか。

 困惑していると、雷がそっと囁きかけてきた。

雷「ねえ、司令官」

提督「……なんだ?」

雷「あの子に、優しくしないで」

提督「あの子?」

雷「浜風さんのことよ」

 浜風の名前を、苦虫でも吐き棄てるように言う。

 まさか、機嫌が悪い原因は浜風か? 遠征の出迎えの際、浜風と喧嘩でもしたのだろうか。

提督「ひょっとしてだけど」

雷「答えて」

 尋ねようとすると雷に遮られた。有無を言わさない口調だった。
80 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/01/16(火) 01:46:49.69 ID:tKC3niEB0

雷「答えてよ、司令官」

提督「……」

 たしかに客観的に見れば、浜風に対して甘いと思われるのも仕方がないことではある。

 が、それはあくまで彼女の特殊すぎる事情を勘案した結果だ。他の艦娘たちに対しても、それぞれの事情を考慮した上で、不平等になりすぎない範囲で個別に対応している。だから浜風だけを特別扱いしているつもりはない。あくまで、鎮守府の長としての視点で、鎮守府の仲間として見ているだけだ。

 むしろ、特別扱いしているのは君の方だよ。そんなことは口が裂けても言えないので、飲み込んで他の言葉を述べた。

提督「……別に、特別、浜風に優しくしているつもりはない。みんなと同じように接しているはずだ」

雷「そうは思えないわ。あんな重大な違反をしたのに、解体処分にすらしようともしないし。普通なら、とっくに死刑よ。それを大目にみて、しかも遠征部隊として働かせている」

提督「それはあくまで彼女が優秀な艦娘だからだ。純粋に、能力として判断した結果だよ」

雷「……たしかに、浜風さんが優秀なのは認めるわ。でも、本当にそれだけ?」

提督「……なにが言いたい?」
81 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/01/16(火) 01:47:59.58 ID:tKC3niEB0

雷「あの女に対して、何か特別な感情があるんじゃないの?」

 雷の言葉は、重く冷たく耳朶に届いた。

 背筋がぞっとする。彼女の細い腕が蛇のように蠢いて喉仏を軽く押さえつけてきた。

提督「そんな感情なんて、ないよ」

 図星を刺されたわけではないのに、声が掠れた。

 本当に、浜風に対してそのような想いは持っていないのだ。あるのは、救ってしまったことに対する責任感と、仲間としての感情だけ。それ以外にない。

 慄きの正体は、後ろに纏わりついた暗い影にある。

 可憐な少女の裏側から零れ出た闇に。

雷「ふうん」

 うろん気に言うと、彼女は続けた。

雷「じゃあさ、聞いてもいい? あの時――なんで手なんて握っていたの?」

 廊下で、二人きりで。

 俺は心臓を鷲掴みにされたような気分でその言葉を聞いた。冷たい汗が、米神を伝う。

提督「……そ、それは」

 一月前のことだ。今の今までそのことを一度も訊いてこなかったのに、ここで訊いてくるなんて。

 俺は、動揺を隠せなかった。やましい気持ちなどないのに。ただ、浜風のささやかな望みに応えただけだというのに。雷の追求は、まるで刃のように鋭く突き刺さった。

 雷の俺に対する執着心。そして、そこから形成される「愛情」という名の純粋な悪意。その怖ろしさを知っているから。
82 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/01/16(火) 01:49:34.00 ID:tKC3niEB0

雷「ねえ、司令官。ねえねえ。なんで? なんでなの?」

 雷の指が、頬をさする。

提督「……ち、違うんだ。別に、君が気にするような意図は」

 なかった、と弁明を続けることはできなかった。

 雷が、耳に優しく噛み付いてきたからだ。俺は悲鳴を上げそうになった。今度は舌が耳の中を這う。這い回る。身体中の関節という関節に甘い痺れが走る。その甘さ、その熱さ、そしてその奥にある負の感情――。それらがドロドロと入り込み、脳髄を痺れさせてきた。しかし、それは劣情には決して成り切れない恐怖そのものとして。

雷「言い訳なんて聞きたくないわ。ねえ、司令官。あんな雌猫の手なんて握ってはダメよ。どんな病原菌がへばりついているかわからないんだから」

 彼女は俺の腕を鷲掴みにすると、もう片方の手で俺の胸ポケットからライターを取り出し、火をつけた。

雷「ちゃんと消毒しなきゃね」

提督「――」

 ――なにをする気だ。

雷「うふふ……。司令官、最初は痛いかもしれないけれど、我慢してね? ちょっと爛れちゃうかもしれないけど、大丈夫。高速修復材につければすぐに元通りになるから」

 人間にも、高速修復材は効くんだよ。雷は、笑いながらそう言った。

提督「や、やめろ! なにを考えているんだ!」

雷「なにって? 消毒って言ったでしょ?」

提督「馬鹿なことはやめてくれ! それに、一か月前のことだぞ! どうして今になって……」

雷「うん、そのときは我慢したわ。だって、司令官ならあんな病原菌くらい平気だって思ったから。だけど、最近そう思えなくなったの。あの菌が、だんだん司令官の手を穢し始めた気がして……。あの菌って、遅効性だったのよ、きっと」
83 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/01/16(火) 01:50:40.75 ID:tKC3niEB0

 訳のわからない持論を展開し、火を近づけてきた。俺は雷の手を必死で振り払おうとしたが、艦娘の力には抗うことができない。押さえつけられ、なす術もなく彼女の良いように扱われる。

 恐怖が臨界点に近づいてきた。

 足がふるえる。カチカチと歯がなる。背中にシャツが汗で張り付く。潰れた悲鳴を上げ、俺はもがいた。椅子がガタガタと音を立てる様は、恐怖でのたうち暴れる牛のようであろう。

雷「じっとして……ね?」

提督「やめろおおっ!」

 火が、俺の袖を微かに焦がし――消えた。

提督「……え?」

 雷が、小さく笑って告げた。

雷「冗談よ」

提督「……冗談だと?」

雷「そう、冗談。いくらなんでもそこまではしないわよ」

 ふざけているのか。こんなの、冗談の一言で済む問題じゃ――。

雷「でも、半分だけね。司令官に痛い思いをさせるのは嫌だけど、消毒をして欲しいというのは本当。……だから、ちゃんと手を洗ってね? 毎日一時間くらい。じゃないと、今度は本当に燃やしちゃうかも」

 横目で微かに捉えられた雷の目には、光など一片もなかった。頭に昇りかけた怒りが一瞬で霧散する。

雷「そうすれば、あの子のことなんか気にしなくなる。……他の子達と同じように接するようになる。そうよね、司令官」

提督「……あ、ああ」

 逆らっては、ダメだ。

 逆らえば、本当に手を燃やされる。

雷「……司令官が、優しくしていいのは『家族』だけよ。ここにいるみんなは、仲間だけど『家族』じゃない」

 そのこと、忘れないでね。

 雷はそう告げて、腕を解いた。その際に袖が捲れたせいか、右腕に刻まれた無数の傷が見え隠れしたが、俺は見ないふりをする。

 頭を撫でられた。

 いつもなら、いや……前までは心地よく感じていたはずのそれも、今では憂鬱を呼び起こすだけだ。
84 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/01/16(火) 01:51:49.44 ID:tKC3niEB0

雷「……司令官の『家族』は私だけよ」

 違う。

 違うんだ。家族とは、こんな脅迫と心の闇をひけらかした依存で結びついた関係であってはならない。彼女の言う家族の像は酷く歪で、酷くおかしい。

 それに、俺の家族はとっくにみんな死んでいる。父も母も……妹の静流も。柊家の名を継ぐものは俺しかいない。

 それは彼女だって同じだ。彼女の家族だった者たちは、全員あの事件の犠牲となった。艦娘制度始まって以来のシリアルキラーの手にかかり、殺された。

 これは、もう存在しなくなった関係性を無理やり引っ張り出した、狂気じみたごっこ遊びでしかない。みんなに平等に接する義務を負う俺と、「特別な関係」を築くために彼女が考え出した方法だ。ここ一ヶ月近くは、ことあるごとにこの言葉を引き出して、俺とスキンシップを図るようになってきた。

 元々、依存傾向の強い子だ。おそらく、この鎮守府に来る前は『家族』に依存していた。そして、家族を失くしてからは、ぽっかり空いた穴を埋めるように俺へと依存した。

 最初は、それで仕方がないと思った。似たような境遇にあった彼女に同情したのもある。だからこそ、俺は彼女を拒まずに側へ置き、療養してもらおうとした。ある程度は、それで成功したのだ。塞ぎ込んでいた彼女は、徐々に明るさを取り戻した。

 が、一度歪んだものは中々元には戻らない。光が強くなると影が深まるように、明るさの裏に隠れた闇はだんだんと暗く、深くなっていった。

 俺は、それに気づくのが遅れた。

 いや、彼女を受け入れた時点からすでに手遅れだったのかもしれない。俺は彼女の狂気を拒み切れず、そして彼女への情を捨てきれず、ずぶずぶと沼に嵌るように雷という子に囚われた。

雷「……ふふ」

 愛おしげに、雷は笑う。

 俺は、浜風の言葉を思い出していた。

 カタツムリとレウコクロリディウム。俺と雷の関係性へのアイロニーだ。

 俺は、カタツムリか。

 なにかあれば、すぐにブラックニッカという殻に籠って身を守る俺には、ぴったりかもしれない。


 
 
85 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/01/16(火) 01:58:20.74 ID:tKC3niEB0
投下終了です。
>>52>>53>>56>>57>>58>>59>>60>>61>>64>>65>>66>>67>>68>>69

以上が、まとめ速報の方で更新されていませんでしたので上げておきます。あちらで読まれている方、申し訳ありませんでした。
86 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/16(火) 04:32:34.24 ID:vsIgh03y0
乙です。雷が想像以上に怖い子ですねぇ。良くも悪くも子供って感じですけど。
87 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/16(火) 06:35:52.90 ID:CwD4TKlbo

怖いなぁ
88 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/16(火) 07:45:35.49 ID:U6MxKc5RO
乙風
89 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/21(日) 00:12:46.40 ID:ImO22PzG0
乙です
雷怖いよー
90 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/21(日) 17:17:01.35 ID:uo3Ji56C0
おつー
91 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/01/27(土) 23:08:25.59 ID:oux51JHM0





 ■

 二度目の雨も煩かった。

 粘りつくように、鬱陶しい雨だった。

 電が荼毘に付されて一週間後のことだ。司令官の命令で、暁を加えた第一艦隊はリランカ島沖へと出撃した。

 もちろん、これは弔い合戦だ。電の無念を晴らすことに躍起になっていた暁は、今まででは考えられないほどに鋭い怒りに満ちた表情をしていた。目は血走り、誤魔化しきれないほどの隈もあった。

暁「行ってくるわ」

響「……暁」

 響が心配そうに暁の背中を見ていた。私も、同じ顔をしていたんだと思う。

 妹の死を誰よりも深く悲しみ、誰よりも憎んだのは彼女だった。これまでの明るい暁は、面影すらも匂わせることなく豹変していた。

 それが、怖かった。暁が急に遠くなった気がしたからだ。

響「……暁、いや姉さん。無理だけはしないでくれ」

暁「分かっているわ。無理なんてしない」

響「約束、だよ?」

暁「レディは必ず約束を守るわ」

 だから心配しないで。

 暁はそう言ったけど、そこに笑顔なんて欠片もなくて。私も、響も、そんな姉の表情に、どうしようもなく不吉な予感を覚えずにはいられなかった。

 電のことが過ぎったこともある。だけど、それ以上に……戻ってきた暁が、もう二度と私の知っている暁じゃなくなるような気がしたのだ。
92 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/01/27(土) 23:09:55.56 ID:oux51JHM0

雷「私とも、約束して欲しい」

 私は何度か逡巡し、絞り出すように言った。

雷「……必ず、戻ってきて」

 暁は、振り返らずに手を挙げた。

 そうして、暁は長門さんたちとともに出撃した。私たちは水平線の彼方に第一艦隊が消えるまで、ずっとずうっと港で見送った。

響「大丈夫。姉さんは、必ず帰ってくる」

 響の呟きに、私は返事ができなかった。

 たぶん、響も返事を期待して言ったわけではないだろう。自分に言い聞かせているだけで、不安を拭いたかったのだ。

 だが雨は、響の言葉に不穏な響きを与えるだけだった。



 それから、二時間ほど経った後だったと思う。出撃部隊から撤退を願い出る電報が入った。

 電のときと同じように、暁の艤装が故障を起こしたのだ。機関部が突然火を上げ、航行不能となったという。あってはならない事態が二度も起こってしまったことに愕然とするしかなかった。一体、整備班は何をやっているのだろうか。こんな失態、許されることではない。

 不安と苛立ちに苛まれる私たちと違って、司令官は冷静だった。同じ轍は二度と踏まないと、すぐさま進言を聞き入れ撤退を命令した。長門さんを殿に、動けない暁を重巡洋艦に曳航させ、状況を見極めながら指示を出し続けた。

 隣で見ていた私たちは、暁の無事を祈った。

 どうか。どうか、神様。

 暁を……私たちの家族を、無事に帰してください。
93 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/01/27(土) 23:11:21.19 ID:oux51JHM0

東「……戦線からは、離脱したな」

 時計の長針はどのくらい回っただろうか。気が遠くなるような祈りの時間は終わった。

 司令官の一言に、私たちは崩れるみたいに尻餅をついた。

響「……よかった。本当に、よかった」

 響が顔をくしゃくしゃにしながらそう言った。きっと、私も同じ顔をしていただろう。視界が滲んで、身体が震えて、訳がわからないくらいに安堵していた。

東「迎えに行こうか。この目で、暁のことを観なければ」

 司令官の言葉に、私たちは頷いた。

 私たちは艤装を身につけて急いで港へ向かった。出撃ドックから直接海に出て暁を迎えにいく。艤装が付けられない司令官は、「灯台の辺りから観るよ」と告げて、そちらへ向かった。

響「……」

雷「……」

 私たちの間に言葉はなかった。

 ただただ、暁の無事な姿を見たいという一念に囚われて、他のことなんてどうでもよかった。暁。私たちのお姉ちゃん。私たちの大切な家族。その顔がみたい。その顔を見るまで、心から安心なんてできない。

 駆けるように、海へ出た。

 暁。暁、暁、暁、暁――。

 雨が、装甲の上で弾け飛ぶ。雨脚がさらに激しくなってきていた。

 暁、暁、暁、暁――。

 第一艦隊の姿が、雨で烟る水面に浮かんできた。影が少しずつ形を現してくる。

響「暁っ!」

雷「お姉ちゃん!」

 喉を焼くように、私たちは叫んだ。
 
 その声は暁に届いたのか。重巡洋艦の肩を借りていた暁は、私たちの姿を見ると小さく笑った。笑顔は血で化粧されている。大破しているのだろう。黒い煙。電気を走らせる壊れた装甲。痛々しい姿だった。
94 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/01/27(土) 23:12:49.18 ID:oux51JHM0

 でも、生きている。
 
 生きていてくれている。

 お姉ちゃん、よかった――。

東『「勧酒」という詩を知っているかい?』

 突然、通信が耳をくすぐった。やけにノイズが少なくて、明瞭に聴こえてくる。

東『人生の儚さを謳った漢詩だ。この国では、井伏鱒二の名訳の方が知られているだろう。――この盃を受けてくれ、どうぞなみなみ注がしておくれ、花に嵐のたとえもあるぞ……とね。ふふ、聴いたことはないかな? 私はこの詩が大好きでね。ふとした瞬間、風呂でも入っているときにでも、よく口ずさんでしまうんだ』

 まるで歌うような調子の声。やけに明るくて、弾んでいるからか、雨の中でもはっきりと聴こえてくる。

 私は、思わず振り返った。

 灯台の下に司令官がいる。雨に邪魔されて司令官の顔だけは見えない。

 なぜ振り返ったのか。わからない。響は暁の元へ向かっているのに。どうして私は……。

東『と、こんなことを言いたいんじゃない。言いたいのは、そう、この詩の最後の一文。特徴的な一文についてだ。そこに書かれていることが本当かどうか、観てみたいと思ったんだよ。なにぶん好奇心が強いものでね。……ああ、後学のために教えておくとしようか。それは、こういう一文だ』

 最後の声音は、優しく紡がれた。

東『「さよなら」だけが人生だ』
95 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/01/27(土) 23:14:50.68 ID:oux51JHM0

 その瞬間だった。

 圧倒的な光と轟音が背後を貫いた。海が隆起し、全身を叩きつけるような衝撃が走る。私は前のめりに倒れてしまった。一瞬、世界から雨が消えた。視界も意識も真っ黒に染まる。

 それは落雷のような爆発だった。

雷「――」

 振り返ると、さっきまでの景色はなかった。炎が渦を起こし、黒煙が空を突き刺すように登っている。まるで海面が焼かれているようだった。

 人が、何人も転がっていた。ある人は血だらけになり、ある人は火に包まれて狂ったように暴れ、ある人は顔の半分を失って泣き叫んでいた。

 一体、なにが起こったのだろう。

 近くの悲鳴が、遠くから聞こえる気がした。

 前にいる響が、叫んでいる。あかつき、あかつき。そう叫んでいる。泣いているように叫んでいる。フラフラと前に歩きながら、炎に手を伸ばしながら。

 私は起き上がることさえできなくて。

 ただ、眼前に広がる光景を呆然と見ていることしかできなかった。

東『ふむ。どうやら本当かもしれないな。さよならだけが人生。ふふ、さよならだけが人生か。人生とは、脆いな』

 司令官の嬉しそうな声だけが、はっきりと聴こえた。

 今度の雨は遮りはしなかった。


96 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/01/27(土) 23:20:19.30 ID:oux51JHM0
投下しました。
人とは何か、という問いはこの作品のテーマでもあります。人ってなんなんでしょうね。
97 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/28(日) 00:17:10.08 ID:cb9x9pSF0
乙風(´・ω・`)
98 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/28(日) 09:01:55.34 ID:DMK2Xz2ao
おつ
99 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/28(日) 21:44:11.78 ID:mjXcrJXx0
更新多くて嬉しい乙
100 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/01(木) 16:48:58.20 ID:uUB/Rq760
乙です。
101 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/01(木) 22:38:58.60 ID:sUoWaagD0
乙風です
102 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/02/07(水) 14:37:50.48 ID:FU3OJffo0



 ■

 南西鎮守府は、「小さな揺り籠」だ。

 地図に名も載らない小島の中にある。かつてここは戦場として名を馳せ、何千人もの戦士が死んでいった場所だ。その名残なのか、島のあちこちには兵器の残骸が転がり、いくつもの防空壕の跡がある。そんなところに、優しい提督と艦娘たちが寄り集まっているのだ。

 彼女たちの多くは、かつて他の鎮守府に配属されていた。が、あらゆる地獄に触れ、苦しみの果てに脆く崩れ、傷つき、絶望し、果てにこの地へ流れついた。だから、ここには痛みを共有できる人間関係が自然と形成される。傷を舐め合うことに特化した集団となる。

 その様を、海軍内ではこんな風に揶揄する声があるそうだ。

 隔離病棟。

 鎮守府ではなく病院扱い。それはこれ以上にないほどの恥辱であり、不名誉な扱いであろう。しかし、残念なことに間違いではない。

 ここは元々、鎮守府ではなかったのだから。

 そう。ここは以前その揶揄どおりに病院だったのだ。正確に言えば、精神や肉体に傷を負った艦娘たちのリハビリを行う療養施設だった。

 艦娘は、精神や肉体にダメージを受け、戦闘行為を行えなくなった場合、二つの道を用意される。

 一つ目は解体という手段だ。解体の儀を行うことによって、艦娘の使命から解き放つ……いってしまえばクビにするわけだ。だが、これはあまり積極的に取られる手段ではない。なぜなら、解体をした場合は戦死した場合と違って、艦の魂を次の適合者に降ろせるようになるまで最短で二年もかかるからだ(これには個人差があって五年かかるものもいる)。戦死の場合、一年も掛からない。この厄介な制約が、前者の選択に対するハードルを上げているのだ。
103 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/02/07(水) 14:38:52.50 ID:FU3OJffo0
undefined
104 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/02/07(水) 14:39:52.03 ID:FU3OJffo0

 だから、どちらかといえば二つ目の選択肢の方が積極的に用いられる傾向にあった。前述したとおり治療だ。戦線復帰が可能な見込みのある者を対象に、約一年の期限付きで療養施設へ入院させる。これは聞こえのいいことのようだが、実際は搾取の文脈で語られることだ。その艦娘が使い物にならなくなるまで、徹底して酷使する魂胆がありありと見える。本当に奴隷と紙一重の存在なのだ、我々は。

 まあ、それはさておき。この鎮守府は、元々二つ目の選択肢の役割を担っていた施設だった。それが、十一月に突如として鎮守府へと改装される運びとなったのだ。その理由は、この時期に発覚した『捨て艦』事件にある。

 あの事件がもたらした影響は計り知れないものだった。もはや通常の生活さえもままならないと判断され、解体されたものは人員の三割にも登り、それ以外の艦娘たちのほとんども治療が必要なレベルで「破壊」されていた。つまり、一つの鎮守府が消え、その人員のほとんどが療養施設へ送られることとなったわけだ。

 さすがに提督会議もこの戦力の損失には目を瞑るわけにはいかなかったのだろう。戦力を少しでも有効活用するために、療養施設を鎮守府へと改装する苦肉の策をとったわけである。

 それが、「小さな揺り籠」の創設の歴史だ。

 この鎮守府に、問題を抱える子達が多く集まるのもそういう理由である。

 陽炎姉さんのように身体の一部がない子。躁鬱を抱えながら休みがちに仕事をする子。定期的な幻聴に悩まされる子。いないはずの姉妹艦の名前を時折呼んでしまう子。比較的軽度だがPTSDにかかっている子も多い。むろん、深雪や時津風のように健康な子もいるが、ほとんどがそんな子達ばかりだ。
105 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/02/07(水) 14:41:09.34 ID:FU3OJffo0

 彼女たちは、自分の抱える課題や障がいと向き合い、治療しながら鎮守府の一員として戦うという、ある意味では過酷な状況下におかれている。そんな状況では症状がより悪化しそうであるが、提督の采配がいいおかげで、幸いそうしたトラブルはあまり起こってはいないらしい。情けのように送られてきた補充要員をうまく回して対応したり、それぞれの艦娘たちの症状に合わせたケアに努めていたりするおかげであろう。提督の優秀さが、彼女たちを綱渡りのような状況で救っていると言ってよかった。

 ……以上が、私がこの鎮守府について調べたことの簡単な概説だ。しかし、まだ調査は十分とは言い難い。この鎮守府は思った以上に奥が深く、まだまだ把握できないことも多くあった。まるで、深淵を覗いている気分になるくらいに。

 そう、例えば――あの二人。

 私は、思考の海から帰還し、目線を食堂のカウンターの方に滑らせた。

 そこには、楽しげに談笑しながら食べ物を受け取る鈴谷さんと熊野さんの姿があった。私は熊野さんを注視する。はしゃぐ鈴谷さんを窘めながら、彼女は優雅な動作でトレイを運んでいた。

 目を細めずにはいられない。

鈴谷「おりょ? 浜風さんじゃーん。チィース!」

浜風「どうも」

鈴谷「今一人なの? 珍しいね」
106 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/02/07(水) 14:42:36.13 ID:FU3OJffo0

浜風「陽炎姉さんは提督に呼ばれているみたいで。たぶん、提出した報告書について不備か質問があったのでしょう。私は陽炎姉さんの用件が終わるまで待っています」

鈴谷「ふーん。それじゃあさ、陽炎ちゃんたちが来るまで私たちと一緒にご飯食べない?」

浜風「いいですよ。喜んで」

 愛想笑いを浮かべて了解すると、鈴谷さんも嬉しそうに笑った。後ろにいる熊野さんが躊躇を見せたが、鈴谷さんが席に着くと諦めて座った。

熊野「すいません。……鈴谷が失礼しますわ」

浜風「気にしないでください。私も、お二人とお話ししたいと常々思っていましたので」

鈴谷「そっかそっか。嬉しいこと言ってくれるじゃ〜ん!」

 本当に嬉しそうに鈴谷さんは言った。この笑顔を見ていると、邪気はないように思える。彼女はとても人懐こい性格だし、接しやすいからだろう。

 私は、鈴谷さんと熊野さんとたわいのない雑談をしながら食事を進めた。味気ない食事に、味気ない会話。つまらない時間だったが、二人はとても楽しそうに笑っていた。

 一頻り話をしたところで、陽炎姉さんたちがやってきた。

陽炎「はまかぜー」

鈴谷「……と、陽炎ちゃん来たね。そろそろ私たち行こうかな」

浜風「そうですか。もう少し話していけばいいのに」

鈴谷「んにゃ、そうしたいのは山々だけど。そろそろ私たちも出撃の準備をしなくちゃさ」

浜風「ああ」

熊野「楽しかったですわ。また、機会があればお話ししましょう」

 熊野さんが微笑んだ。
107 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/02/07(水) 14:43:52.23 ID:FU3OJffo0

浜風「それでは、また」

 二人は手を振って去っていった。入れ違う形でやってきた陽炎姉さんが不思議そうな顔で二人の背中を見ていた。

陽炎「浜風、遅れてごめん」

浜風「いえいえ」

陽炎「鈴谷さんたちと食べてたの?」

浜風「ええ。とても楽しいお話をいろいろ聞かせていただきました。鈴谷さんも熊野さんも、いい人ですね」

陽炎「そっかー」

浜風「なんだか嬉しそうですね?」

陽炎「そう? まあ、あんたもちょっとずつみんなと溶け込めてきたんだと思うとね〜」

浜風「なるほど」

 私は曖昧に返事をした。

浜風「ところで、陽炎姉さん」

陽炎「何かしら?」

 鈴谷さんと熊野さんに目をやる。二人は、食堂を出るところであった。私は、熊野さんの背中へと視線を移した。

浜風「……あれは、誰なんですか?」

陽炎「え?」

浜風「熊野さんです」

 ああ、と小さく呟いて、陽炎姉さんは表情を曇らせた。
108 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/02/07(水) 14:45:06.05 ID:FU3OJffo0

陽炎「……気づいちゃったのね」

浜風「偶然、工廠で艤装保管名簿を目にして気付きました。この鎮守府に、熊野なんて艦娘は所属していませんよね」

 本当は、偶然なんかではなく、全員の情報を把握するために行った調査で気付いたのだが。ここに配属されている重巡洋艦は全五隻。そのうち、最上型は二隻だけだ。その中には熊野さんの名前なんてなく、別の艦娘の名前があった。

浜風「私の気のせいではないならば、本当は三隈という名前の艦娘ではないですか?」

 陽炎姉さんは小さく首肯する。

陽炎「……それ、本人に言ってはダメよ? せっかく仲良くなれたんだから」

浜風「わかっています。彼女はおそらく」

陽炎「解離性同一性障害。あの人は、疑うことなく自分のことを熊野だと思っている」

浜風「……」

 やはり、そうか。

浜風「……彼女は以前、どこの鎮守府にいたんですか?」

陽炎「……」

 陽炎姉さんは俯いて、言葉を口の中で転がしていた。言いにくそうにしているところを見ると、察しがついた。

 名前を出すことさえ憚られる鎮守府なんて、一つしかない。

浜風「東鎮守府。そうですね?」
109 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/02/07(水) 14:46:21.27 ID:FU3OJffo0
undefined
110 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/02/07(水) 14:47:05.72 ID:FU3OJffo0

陽炎「そうよ。雷ちゃんたちと、一緒のところ」

 深く深く嘆息し、

陽炎「……あの人は、きっと、耐えられなかったのでしょうね。逃げることもできずに追い詰められた結果、熊野さんという人格を作って、辛い経験と記憶から逃避した。何があったかは、三隈さんの主人格が心を閉ざしてしまっている以上、詳しくはわからないけどね」

浜風「……そうですか」

陽炎「そっとしておいてあげて。気づいていないフリをして、熊野さんとして接して欲しい。事情を知っている子はみんな、そうしているから」

 私は、首を縦に振った。

 解離性同一性障害は、自分の中に別の人格を生み出してしまう精神病である。しかし、それはまったくの別人を生み出すわけではなく、あくまで自分の心を区分けするような形で生み出すのだ。つまり、別人が宿るのではなく、その人の内側から生じる一部でしかない。その一部分のことを「交代人格」と称するが、「交代人格」はその人が辛い経験や記憶から逃れるため、必要に応じて生み出されたものであり、彼らはそれぞれに応じた役割を担う。その理解が前提として重要となってくる。

 この障害は、幼年期の愛着障害と、耐え難いほどの苦痛に満ちた体験を通じて発症するとされている。共通する特徴としては、「安心できる居場所の喪失」が挙げられており、それが基盤にあるからこそ、彼らは自分の交代人格という逃避先を失うことを極度に怖れる傾向にある。自己の存在を確かめるために自傷行為に走ったり、治療をする医師に対して「お前は私を消すつもりなのだろう!」と攻撃的な態度に出るケースがあることも、それを裏付けているだろう。

 だから、私たちは彼らを否定してはいけない。否定せず、その人格の存在を認めなければいけない。それが大事なアプローチなのだ。陽炎姉さんが、そっとしておいて欲しいと言ったのもそれが理由だ。

浜風「鈴谷さんも、わかっていて接しているのですね?」

陽炎「……ええそうよ。彼女は舞鶴鎮守府だったんだけどね。三隈さんの治療のために転属を希望して、ここに来ることになったって司令から聞いたわ。三隈さんとは姉妹艦というだけでなく、同期だったみたいね」
111 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/02/07(水) 14:49:29.05 ID:FU3OJffo0

浜風「なるほど」

 だから、彼女は他の艦娘たちと違って壊れてはいないのか。きっと、心の強い人なのだろう。自分の友人が歪に変わってしまったことを受け入れた上で、自然に振る舞うなんてことは、そう易々とできるものではない。

浜風「ああいう障害には、専門家、周囲、そして側にいて支えてくれる存在……それらが三位一体となった、複合的な支援が必要となってきますからね。鈴谷さんは側にいて支える存在として、これ以上にないくらい適任なのだと思います」

陽炎「そうね……」

 陽炎姉さんはそう言うと俯き、しばらく黙りこんだ。そのまま時計の長針が一周するくらい考え込み、ふと顔を上げた。

陽炎「……あんたに話しときたいことがあるの」

 無言で続きを促すと、陽炎姉さんは周囲を見渡した。

陽炎「場所を変えてもいいかしら。ここじゃ、ちょっと話しにくいから」




 陽炎姉さんとともにやって来たのは艦娘寮の屋上であった。

 金網が軋む。フェンスに背中を置いた陽炎姉さんは、懐から小さな箱を取り出した。「誉」という粗悪な煙草だった。

陽炎「吸うのよ、実は」

浜風「意外です」

陽炎「こう見てもけっこう不良なのよ」

 陽炎姉さんは笑いながら煙草に火をつけた。紫煙がゆらゆらと立ち登り、空へと溶けて無くなる。
112 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/02/07(水) 14:50:52.65 ID:FU3OJffo0

陽炎「あんたと二人でこうして話をするのは、久しぶりかもね」

浜風「たしかに、そうかもしれません。二月からゆっくり話している暇なんてありませんでしたし」

陽炎「いつ以来だったかな」

浜風「もう、一年経ちますね」

陽炎「そっか……」

 煙草の火が蛍のように赤く灯る。

陽炎「谷風は元気にしているかしらね」

浜風「私がいたときは元気でしたよ。今はどうかはわかりませんが……」

 谷風たちが……南鎮守府のみんなが現在どうしているのかは私も分からない。ただ、提督から聞いた話によると南鎮守府は現在も存続しているらしい。南提督が死んだ話は一切伏せていたから、はっきりしたことは知らないが。解体されたとの話もなかったから、きっとまた、新しい提督が着任することになったはずだ。

陽炎「……元気だと、いいわね」

浜風「もしかして、手紙が来ないんですか?」

 陽炎姉さんは、重たげに頷いた。

陽炎「二月からね。ぴったり、来なくなっちゃった」

浜風「……」
113 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/02/07(水) 14:52:05.46 ID:FU3OJffo0

陽炎「だから、友達としては心配かな。心配するだけで、どうすることもできないけど」

 陽炎姉さんらしからぬ、諦観を匂わせる台詞だった。それがさらっと彼女の口から出てきたことが意外で、少しだけ驚く。

 右腕の義手をさすりながら、陽炎姉さんは言った。

陽炎「どうして、みんなに手が届かないんでしょうね。みんな、一人残らず助けられればいいのに」

 伸びきった煙草の灰が、崩れて落ちた。塵となり、一瞬で風にさらわれてゆく。

 私は、何も言わなかった。

 叶わないとわかって口にする理想は、自嘲に他ならない。それを意味もなく貶すのは、悪趣味としか言いようがないだろう。

 戦争での命は、落葉だ。到底拾いきれるものではない。彼女も戦場に足を踏み入れて一年で嫌というほど思い知らされてきたのだろう。彼女の零した本音のかけらには、なんとも言えない哀愁が漂っている。

 一年。たかが一年だ。だが、一年という月日は、あまりにも重くのしかかってくる。陽炎姉さんが煙草を嗜むようになったのも、きっとこの重みから少しでも目を逸らしたかったからなのだろう。

 煙草の火が消えた。

浜風「……そろそろ本題に入りましょう」

 陽炎姉さんが二本目に手をつける前に、私は言った。

浜風「話とは、何ですか?」

陽炎「……」

 握り締められた義手が、音を立てて震えた。

陽炎「……ここが元来どういった場所なのか、提督や他の誰かから聞いているかしら?」

114 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/02/07(水) 14:53:48.69 ID:FU3OJffo0

浜風「はい。元々、療養施設だったようですね。東鎮守府の一件をきっかけに鎮守府へ変わったと聞きました」

陽炎「そうよ。だから、ここには色々な事情で排除された子や傷ついた子達が多く所属しているわ。雷ちゃんや三隈さんのようにね」

 そう言って、上へと視線を移した。雲に濁された空は暗い感情の鏡のようである。

 陽炎姉さんは見るのが嫌だったのかもしれない。目を閉じて、ゆっくりと細く息を吐いた。
 
陽炎「……海軍は狂っている。戦場に出て、一番実感したことがこれよ。戦闘の怖ろしさよりも、命の尊さよりも、何よりもね。私たちが剣を捧げた組織の腐敗に巻き込まれ、みんな病んでしまった。いつも思うのよ、私。私たちは一体何のために……誰のために戦わされているのかって」

 そんなこと、答えは出ている。簡単だ。私たちが怪物を殺せば殺すほど甘い汁を啜ることができる極少数の者達のためだ。国を守るためでも、平和を取り戻すためでもない。大義などない。なんにもない。

 あるのは腐った果実の甘い香り。戦争を狩りと見做し、勲章を見て自慰行為に耽る外道貴族どもの享楽の宴。その実態の中で私たちの有り様は、青と赤の凸型の駒でしかない。艦娘は護国の英雄だと嘯き、虚像の誇りを育む嘘に騙された、愚かな駒だ。

 その嘘に私たちは苦しめられた。私も、おそらく陽炎姉さんも。そして、ここにいる壊れた艦娘たちも。

陽炎「ここにいるみんなも、同じことを思っている。戦うことに、本当は大した意味はないんだって。霧のような夢から目を覚ましちゃったのよ」

浜風「……それでも、みんなは戦いを止めない。それは何故でしょう?」

 分かっていながらも、敢えて訊ねた。意地悪をする気もからかう気も一切ない。

 ただ、なぜだろう。なぜか、陽炎姉さんの口から答えを聴きたい気がしたのだ。

 陽炎姉さんは、ゆっくりと顔を下ろして私の顔を見つめた。皮肉っぽく笑うことなど一切なかった。アメジストの瞳は尊厳に洗われ、澄んでいた。
115 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/02/07(水) 14:57:28.59 ID:FU3OJffo0

陽炎「私たちが、艦娘だからよ。大義があろうがなかろうが、それでも私たちは戦わなければならない。これは、理屈では語れないことよ」

浜風「……そうですね」

 たしかに、理屈を並べ立てては語れないことだ。いかに汚されようとも、嘘の英雄像で飾り付けられようとも、「艦娘である」という誇りだけは確かなものだ。それだけは変わらないし、変えられない。

 真の化物にでも、ならない限りは――。

陽炎「馬鹿だと思う。でも、そんな馬鹿野郎どもを誰よりも私は誇らしく思うの。それは、可笑しなことかしら?」

 私は首を横に振った。

浜風「たしかに、合理とは程遠いですね。でも、誇りというのはそういうものなのだと思います」

陽炎「……そういうところは、変わらないわね」

 陽炎姉さんは呟くように感想を漏らし、少しだけ表情を緩ませた。首を傾げても、彼女は答えず、煙草を咥えた。

 ゆらり、ゆらり。煙がまた昇る。

陽炎「私はね、そんな大好きな馬鹿野郎どもを守りたいの。それは命だけではなくて、心や魂も含めてね。……矛盾したことを言っているように思うかもしれないし、たしかにそう言われたら反論し辛いわ。でも、こんな無茶苦茶な思いを、分かってくれた人がいる」

浜風「……提督、ですね」

 無意識に手を握る。一ヶ月前に感じた熱は、もはや残り滓のように儚い。

 陽炎姉さんは紫煙をゆっくりと吐いて、

陽炎「司令は、私のことを『同志』って言ってくれたわ。同じ想いを抱いた『同志』だって。司令官なんてどいつもこいつも役職だけ立派なクズばかりに違いない思っていたけど……あの人だけは違った。あの人は本当に、この鎮守府を、私たちを守ろうとしてくれている。艦娘の権利を、尊厳を、命を」

 語調が強くなっていく。風が吹き抜け煙草の火を消す。熱を言葉に吸われるように陽炎姉さんの意思に火が灯る。

陽炎「だから、この鎮守府だけは絶対に、どんなことがあっても守護するわ。ここは、私たちにとって最後の希望。唯一の正気の島だから」

浜風「……正気の島」
116 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/02/07(水) 15:00:53.21 ID:FU3OJffo0

 こんな、壊れた者たちが傷を舐め合う場所が、か。

 でも、陽炎姉さんの想いは否定できるものではなかった。たしかに、ここは彼女たちにとって、艦娘としてのアイデンティティを保っていられる最後の居場所だ。提督の傘の下で、仲間達と苦しみを分け合いながら、どうにかこうにか生きている。だからこそ、彼女たちは皆必死に戦おうとするのだろう。

 悲しいほどの直向きさだった。

陽炎「もう、何も失いたくはない。手の届かない場所は無理でも、せめて自分の手の届くところだけは……。もう、守れないのは嫌なの」

 陽炎姉さんは、義手を空に掲げてそう口にした。鋼鉄の腕を見つめる目には、まさに陽炎のような感情の揺らぎが映っている。そこにあるのは腕を失ったことに対する後悔か。それとも、もっと別のことに対する懺悔なのか。

陽炎「……ねえ、浜風。あんたにもお願いしたいの。どうかこの鎮守府にいるみんなを、あんたにも守って欲しい」
 
浜風「私も、ですか」

陽炎「無理にとは言わない。でも、協力して欲しいの。あんたなら、私や提督よりもずっと頭の回転が速いし、こういうのは得意だと思うからさ」

浜風「……」

 これが、彼女の話したかったことなのだろうか。

 きっと、間違いではない。これは、彼女が血を撒き散らしながら彷徨い続け、その果てに見出した一筋の光だ。輝かしい想いを共有し、同じ道を歩きたいと思って話してくれたことに、誇張も嘘もないだろう。
117 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/02/07(水) 15:02:37.30 ID:FU3OJffo0

 まごう事なき本音。ただ、その本音の裏には別の思いが隠れている。きっと洞穴のような暗く澱んだ、失意の片鱗だ。腕を失い、最果ての「小さな揺り籠」に至ることとなった原因……それに触れようとしたのではないか。

 だが、陽炎姉さんは何も語ろうとはしなかった。

 きっと語る勇気が後一歩足りないのだろう。彼女は強く優しい人だが、その反面繊細なところもある。私に知らせたいと思いつつも、知られることが怖いのだ。

 そう察しつつ。私は、助け舟を出す気にならなかった。

 そこに、大した理由はない。
 
浜風「……分かりました」

陽炎「協力してくれる?」

浜風「ええ。陽炎姉さんと提督の願いですから」

陽炎「……ありがとう」

 陽炎姉さんはそう言って、嬉しそうにも寂しそうにも見える微笑みを浮かべた。

陽炎「あんたも一緒なら心強いわ」

 私は何も言わず、そっと空を見上げた。消えかけた紫煙の先に広がる空は、どんよりと重たい色になっていた。

 きっと、雨が降るだろう。

 嘘つきな私を非難する、煩い雨が。

118 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/02/07(水) 15:03:33.61 ID:FU3OJffo0
投下終了です
119 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/07(水) 15:34:34.12 ID:Tki+bzLQO
乙です
120 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/07(水) 22:37:27.64 ID:iSK9Wdeg0
乙風
121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/07(水) 22:47:57.28 ID:J5gd+Bq90
乙風なの
122 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/02/27(火) 07:41:31.86 ID:ZIowptKcO
いいですね
123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/03/04(日) 00:56:50.20 ID:ZMzEcgO60
乙です
124 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/03/18(日) 18:37:14.43 ID:lXqu+oFy0





 ■

 俺は、疲れていた。

 身体が鉛のように重たい。それに反し、頭がふわふわと浮いたように軽い。思考がまとまらないときがあって、ぼうっとしてしまう時間が増えた。報告に来たものたちの言葉も、耳に入っても鼓膜を通過しないで蒸発することが頻繁にあった。歩くと、ふらつくときがある。

 どう考えても、疲労のせいだ。最近、沖ノ島海域攻略の準備で多忙を極めていることもあるが、理由はそれだけじゃない。

 どこに行くにも雷がついて回るからだ。仕事のときも、飯を食いに行くときも、果ては用を足すときまでも、俺の側から離れようとしない。唯一、煙草を吸いに行くときだけは煙の匂いを嫌がって距離を置いてくれるが、それだけだ。それ以外の時間は、ほぼほぼ雷の拘束を受けている状態だった。

 それは、寝るときだって例外ではない。

 重たい溜息が出た。

 雷が右腕に抱きついて寝ていた。俺の部屋、俺のベッドの中で、どうしてこんなにも穏やかな寝顔ができるのか。涎を垂らし、だらしなく口元を緩ませている。

 呑気なものである。俺は、君のせいでロクに休めていないというのに。

 燻る苛立ちを引っ込めて目を瞑る。だが、腕にかかった重さと柔らかな温かさが気になって、どうにも寝ることができない。もちろん、情欲に繋がるものではない。ただただ、岩の上に布一枚敷いたような寝心地の悪さが気になって仕方がないだけだ。もともと、人と一緒に寝れる性質ではないだけに、余計に辛い。

 寝るときくらい、一人にしてくれ。
125 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/03/18(日) 18:38:21.05 ID:lXqu+oFy0

 そう何度念じたことか。

 だが、口には出せない。口に出せば、雷の腕に赤い刻印が増えてしまうから。

 このまま、雷が熟睡したことを確認して抜け出そう。一度深い眠りに入れば、彼女はそうそう起きない。その隙に、一杯ひっかけてやる――。

 そう誓い、目を開ける。

 今夜は半月のようだ。淡い明かりが窓に染み込み部屋を濡らす。夜鳥の声が遠くから聞こえては消え聞こえては消え、静寂を壊さない風情を運んでくる。

 俺はそっと腕を動かしてみた。ぎゅっと握り返された。

 まだ、ダメか。

雷「……響」

 溢れそうになった舌打ちは、その呟きに遮られた。

 腕を引かれた。

雷「響……どこにも、行かないで……」

提督「……」

 熱を孕んだ感情が瞬時に冷めていく。

 響。それは、彼女の姉だった艦娘。理不尽に、無意味に、奪われてしまったかけがえのない命。

 もう二度と、戻ってこない「家族」だ。
126 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/03/18(日) 18:39:28.04 ID:lXqu+oFy0

 雷の目尻から悲愴の露が零れる。鼻筋を通り、俺の腕を冷たく濡らした。雷の中でけっして無くならない喪失の悲しみに、俺は目を伏せずにはいられなかった。

 鬱陶しい。そう、思いそうになっていた。ずっと纏わり付いてきて、自分のわがままを押し通すために狂気をひけらかす雷が重みになりかけていた。

 だが、俺は覚悟したはずだった。雷の……ここにいるみんなの苦しみを受け止める、と。そして、その覚悟に従い、俺は雷を救った。そして、彼女は俺を慕うようになった。俺には彼女を救った責任というものがある。このような身勝手で、感情的な考えを抱くのは無責任という他ない。

 俺は……。俺は、なんてことを。

 雷の髪に触れる。絹のように柔らかい髪は指に絡みつき、すぐに流れた。

 疲れているせいだ。

 初心を忘れてはいけない。たとえ、浜風の嘲り通りの関係性になっていようとも。それを苦々しく思ってしまうことがあろうとも、受け止めなければならないのだ、俺は。

提督「……俺は、提督だからな」

 だから、守らないと。

提督「……雷」

 もう苦しまなくていい。君は、もう辛い思いをする必要はないのだ。

 ゆっくり撫でていると、雷が優しい顔つきに戻った。

 ほっと息をつく。

 こうして見ると天使のようだ。細い眉に、小さな口、そしてやや幼さを感じさせる桃色の頬。もし、艦娘となった副作用で成長が止まっていなければ、きっと今頃美人になっていただろうに。重責も背負わず、悲劇も知らず、幸せになっていただろうに。

 艦娘なんかに、ならなければよかったのに。

 俺は瞑目し、ゆっくりと自分の肩を揺する。肩の骨が軽快に音を立てた。思ったよりも大きい音だったが、雷はまったく反応をせず穏やかな寝息を奏でている。

 とりあえず、酒を飲もう。それなりの量を飲めば寝ることはできるはずだ。睡眠の質は下がるが、どうせ寝れないのなら深酒してしまったほうがいい。

 そう思い、雷の腕をそっと外して起き上がったときだった。
127 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/03/18(日) 18:40:35.08 ID:lXqu+oFy0

 ドアがノックされた。

 軽快だが気遣いを感じさせる優しい音だ。
 
提督「なんだ」

 答えて、はっとした。つい、いつもの癖で反射的に答えてしまった。
 
 馬鹿野郎。今は雷がいるのだ。扉の先にいるのが陽炎ならともかく、あのノック音は間違いなく陽炎ではない。榛名か、それか羽黒……おそらくどちらかだ。

 だが、その予想は最悪の形で外れた。

浜風「……夜分遅くに失礼します」

 心臓が冷えた。あれは、浜風の声だ。

 まさか、このタイミングで浜風が来るなんて。

 俺は雷の方に目を向ける。小さく寝息をたててはいるが、寝ているのは確かだ。

 この状況を浜風に見られるわけにはいかない。いかに雷が幼いとはいえ、秘書艦が提督である自分と共寝しているなどと知れたら、どう誤解されるかわかったものではない。賢い子だから、事情を説明すればわかってくれるかもしれないが……だが、良くは思われないだろう。

 とくに、二人は仲が良くないのだ。これをきっかけに、二人の仲がさらに険悪になるなんてことにも繋がりかねない。

浜風「提督に……その……用事があって来ました。よかったら、開けてもらえると嬉しいです」

提督「あ、ああ! ちょっと待ってくれ」

 一体、どうしようか。

 扉と雷を交互に見ながら考える。身体の重たさはいつのまにか消し飛んでいた。

 とりあえず雷に布団をしっかりと掛ける。これで扉側から見えにくくはなっただろう。だが、寝返りを打たれでもしたら簡単に見つかってしまう。やはりどうにかこうにか理由をつけて帰ってもらうのが得策か。いやしかし――。

 そうこうしているうちに、なんとドアノブが回った。扉がゆっくりと開いていく。浜風が、あっと小さい声を漏らした。

 俺は慌てて扉に近寄った。
128 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/03/18(日) 18:42:03.36 ID:lXqu+oFy0

提督「や、やあ。浜風」

浜風「あの、すいません。まさか開いているとは思わず、つい……」

 浜風は、申し訳なさそうに眉毛をハの字に下げた。

提督「いや、いいんだ。俺が鍵をかけ忘れていたのが悪い。不用心だったな」

浜風「いえ、私も勝手に開けてしまったので。……提督、今、時間よろしいでしょうか?」

提督「そうだな、ちょっと日を改めてもらえると嬉しいかな。明日も早くから起きないといけないし、来客もあるから。憲兵の定期監査が来ることになっている。あと書類もかなり溜まっている。締め切り間近のやつを片付けねばならないんだ」

浜風「は、はあ。相変わらず、お忙しそうですね……」

 早口でまくし立てるように言ってしまったからか、浜風が微苦笑を浮かべた。そして、目を伏せる。

浜風「ご迷惑、でしたね。すいません」

提督「め、迷惑というわけではないぞ。ただ、忙しくてな。睡眠時間だけはしっかり確保したいから」

 背中が汗で冷えていたが、心は少しだけ平静を取り戻しつつあった。この流れなら浜風も帰ってくれるだろう。浜風には悪いが、今だけはどうしてもタイミングが悪すぎる。

 だが、浜風は引こうとはしなかった。

 きゅっと下唇を噛んで、俺の手をしばらく見つめた後、顔を上げた。

浜風「失礼を承知でお願いがあります。そんなに時間は取りませんので。その……」

 息を吐いて、言葉を紡いだ。

浜風「手を握って欲しいんです。それだけなのですが、駄目でしょうか?」

提督「……」

 俺は後ろを気にしながらも、浜風の顔を見た。

 期待と不安が混在した表情だった。青い瞳が潮が引いているときの海のように揺れている。あどけない、歳不相応な彼女が年相応になっていた。木香薔薇の香りが漂っているようだった。

 ささやかな幸福を、浜風は感じている。そして、その幸福をいま欲しがっている。まるで、お菓子を欲しがる子供のようないじらしさがあって可愛いらしい。ほんの一月ほど前は、こんな浜風をみて調子が狂いそうになった。ギャップがありすぎるからだ。
129 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/03/18(日) 18:43:13.31 ID:lXqu+oFy0

 が、今は米神に汗が滲むだけだった。焦りと、過去の慄きが一息に吹き出してきた。後ろの気配が急激に濃密になった気すらした。

 おかげで、「消毒」されかけたのだ。あれ以来ライターは全て処分したが、それであのときの記憶もゴミ箱に行くわけではない。この白磁の中に朱が滲んでいるような美しい手をとった途端、黒い瞳がこちらに向いているのではないか――。冗談として一笑できないのが怖ろしい。

提督「……」

 目を下げると、浜風の手が開いたり閉じたりしているのが見えた。逡巡する。まるでロシアンルーレットでもしているかのような気分だ。

 この手をとっていいものか。

 浜風の気持ちを思えば、握ってあげたい。ほんのささやかな願いでしかないから、叶えたい。

浜風「……やはり、駄目でしょうか?」

 浜風の声は不安げに震えていた。
 
 ええい、仕方ない。自分の気持ちに正直になれ。

 浜風の手を握ろうと手を伸ばした瞬間だった。

雷「……ううん」

 全身が硬直した。

 雷が寝返りをうって、こちらを向いたのだ。毛布が蹴飛ばされていた。扉から漏れ出た淡い光が、寝顔を映していた――。

 時が凍るとはこのことか。すべてが消え失せた。音も色も、感覚の一切が無へと還った。

 浜風がぽかんと口を開けていた。瞬きを繰り返し、思考を停止させているようだった。

 沈黙が重たい。沈黙が、冷たい。
130 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/03/18(日) 18:44:51.36 ID:lXqu+oFy0

浜風「……お邪魔だったようですね」

 冷笑を浮かべながら、浜風が言った。

提督「ま、待て! 待ってくれ! 誤解だ!」

浜風「わかっています。秘書艦娘と同じベッドで『仕事』をすることにお忙しいのでしょう?」

提督「わかってないじゃないか! そ、その、これは違うんだよ! 説明させてくれ!」

浜風「いえ、必要ありません」

 踵を返そうとした浜風の手を、反射的に握った。

提督「た、頼む! 話だけでも聞いてくれ……!」

浜風「……」

 浜風は握られたところをじっと見つめた。

浜風「……話だけなら聞きましょう」





浜風「事情はわかりました」

 浜風はそう言って、溜息をついた。

浜風「想像以上に依存されていますね。……一日中、べったりじゃないですか」

提督「……そうなんだよ」

 俺は扉に背中をあずけた。木の扉が、深く軋んだように思えた。

提督「正直、ちょっと困っている。前はここまでべったりしてくることはなかったんだけどな。夜も、最近はほとんど毎日来る」

浜風「最近は、ということは以前からあったのですか?」

提督「ここまでではないが、結構……。一人では不安で眠れないと言って来ていた」

浜風「なるほど。今は、毎日不安に苛まれているわけですね」

 微かなアイロニーが匂う口調だった。

浜風「そんなに不安を感じることはないと思うのですがね。いつも、どんなときでも提督と一緒にいられるのですから」

提督「……」
131 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/03/18(日) 18:46:05.82 ID:lXqu+oFy0

 君が遠因ではあるのだけどな。

 だが、そんなことは口に出すべきではない。浜風は、ただ普通に接してきているだけだ。多少の「わがまま」はあるが、本当に些細なものだし、注意する必要なんてない。それに、浜風の境遇を思えば、これくらいは付き合ってやりたいと思うのが人としての情というものだ。

 色彩の欠けた世界で生きることを強いられた浜風が、唯一見出した色。俺という人間の温もりだ。それは、さながら雪山の中に突然現れた小屋にも似ていて。浜風がすがりたいと思うのは詮なきことであろう。

 問題の根底は雷にある。あるいは、俺の今までの接し方に誤りがあったか。

提督「……どうしたものかな、本当に」

浜風「拒否するわけにはいかないのですか? あまり優しくしすぎても依存が強まっていくだけですよ」

提督「わかっているよ」

 けれど、それをやってはならない。やってしまえば、彼女は自分を痛めつける。拒絶により吹き出した不安を、傷として刻み込む。

 それは、さすがに浜風には言えない。

 雷の名誉にも、関わってくる。

提督「そうすべきだとは思う。けれど、甘いんだろうな俺は。彼女にはなるべく笑顔で居てもらいたい」

浜風「それで、提督から笑顔が消えるようではいけないと思いますよ。……ロクに寝れていないのでしょう? 目の下に大きな隈があります」

 浜風に指摘されて、思わず目元を拭った。

 やはり隠し切れはしないようだ。

浜風「提督はただでさえ、大変な立場にいらっしゃるのです。雷さんのことまで抱え込みすぎると、今度は貴方が壊れてしまいます。それでは共倒れです」

 浜風の言葉は淡々としているが、鋭く尖っていた。

浜風「提督は、優しすぎますよ」

提督「……そうかな」

浜風「そうですよ。そこは提督の美点でもありますが、それで磨り減るのは勿体ないです。自分をもっと大切にしてください。自分を犠牲にしては、駄目です」

 青い瞳が、疲れ切った俺の顔を映している。酷い顔だ。自分でもそう感じる。
132 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/03/18(日) 18:47:13.52 ID:lXqu+oFy0

提督「もう少し、毅然とした態度を取るべきなのかもしれないな」

浜風「ええ、雷さんのためにもなりませんから。依存状態を抑えるためには、ある程度の線引きは必要なことでもあります。それに……」

 浜風は言葉を区切り、言った。

浜風「場合によっては、もっと専門的な治療も視野に入れるべきでしょう」

提督「……それはつまり」

浜風「提督の元から離すということです。幸い、ここには専門家が在中していますからね。彼らに任せるべきです」

 浜風の言うことはもっともだ。側から見たら、もうそうすべき段階にあるのは目に見えている。依存を止めさせるには、結局のところ、その依存先に近づかないよう離すのが一番だ。

 だが、それはあまりにも危険すぎる。

 口を噤んで、下を向いた。胃の内容物がもぞもぞと蠢いて、上に這い上がってきたからだ。

 思い出すのは血に染まったシーツとベッド。

 まだ、浜風がこの鎮守府にいなかったときのことだ。すでにそのとき、俺は雷の治療を専門家に依頼したことがあった。が、結果は惨事に終わった。俺の元から離れることがわかった雷は、豹変し、狂ったように暴れ、自分の手首の骨が剥き出しになるほど切って切って切りまくった。「司令官と離れ離れになるなら死んでやる!」と咆哮を上げながら――。

 また、ああなることは目に見えている。だから、その選択だけはできない。

 それに、依存のきっかけを作ったのはそもそも俺なのだ。俺には、その責任がある。
133 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/03/18(日) 18:48:28.39 ID:lXqu+oFy0

 俺の無言に察するものがあったのか、浜風が溜息を零した。

浜風「もし、専門家に任せるのが難しいのなら……なるべく距離を置くように工夫するべきです。あなたには、一人の時間が必要ですよ」

提督「そんな方法あるかな」

浜風「なくはないですよ」

 俺は目を白黒させて、浜風を見た。

浜風「簡単な話です。彼女を出撃させればいいんです」

提督「なに?」

浜風「出撃です。理由はよくわかりませんが、提督は彼女を出撃させていませんよね? 遠征隊として出撃させれば物理的に距離を取れますし、それなりの時間も取れますから」

提督「しかし、それは……」

浜風「……なにか不都合なことでもあるのでしょうか?」

 俺は小さく頷いた。

提督「雷は、前の鎮守府で家族を亡くしているんだ。……そのときのことが頭を過るんだろうな。出撃を怖れている節がある」

浜風「……なるほど。ですが、そうも言ってられないとは思いますが」
 
提督「どういうことだ?」

浜風「さっき、言っていたじゃありませんか。憲兵の定期監査が入ると」

 俺は押し黙った。内心、浜風の博識さに舌を巻きつつ。

 そうか、彼女は元秘書艦のだったな。ならば、定期監査でどういったチェックが入り、どういった指導が行われるのか知っていてもおかしくない。

浜風「雷さんは、半年近く一回も出撃していないのですよね? いくら出撃義務がある程度免除される秘書艦とはいえ、その点は確実に突っ込まれると思うのですよ。この鎮守府や、ここにいる艦娘たちの事情がいかに特別なものであろうとも」

 浜風の目が、猫のように細くなる。

浜風「……もしくは、すでに突っ込まれたことがあるのではないですか? 通常なら、療養所で治療中のもの以外を除き、二ヶ月活動記録がない艦娘には『強制出撃』が命じられますからね」

 どういった特別措置がこの鎮守府に適用されているか知りませんが――。浜風はそう言葉を締め、扉の方に目を移した。小さく鼻を鳴らし、微かな笑みを浮かべた。
134 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/03/18(日) 18:49:45.17 ID:lXqu+oFy0
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135 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/03/18(日) 18:50:37.07 ID:lXqu+oFy0

 息を飲む。手が汗で滲んでいるのを感じる。

 怖ろしい子だ。この鎮守府の特異性を考慮し――内容までは仔細に知らないまでも――特別措置が取られていることまで読んで、このような指摘をしてくるなんて。しかも、ほぼ当たっている。雷について、憲兵からすでに指摘を受けているのは事実だ。

 南西鎮守府には、他の鎮守府にはない特別措置がいくつか認められている。これは、俺がこの鎮守府の提督に任命されるにあたり、提督会議と交渉して得たものであった。

 代表的なものを挙げるとするなら、十分な補充要員の確保、そして療養が必要な艦娘のある程度の出撃免除――この二つ。とくに後者は厳しい追及を受けた。落ちこぼれた「戦力」の有効活用が、鎮守府への改装の大前提としてあったからだ。当然、それに反するような条件だから、揉めるに決まっている。

 しかし、胃を痛めながらも交渉をした結果、どうにか後者の条件を勝ち取ることに成功したのだ。ただ、当初提示していた条件に比べると、到底満足できるものにはならなかったが。

 その内容はこうだ。対象となる艦娘については、最大四ヶ月までの出撃免除を認める――というもの。

 そう、四ヶ月。つまり雷はすでにその期間を二ヶ月も超えてしまっているわけだ。憲兵からこのことを問題視されるのは当然の帰結と言えた。なんとか、理由をあれこれつけて雷を庇ってはいるが……そろそろ庇いきれなくなってきている。

浜風「このままでは、どのみち雷さんが辿る道は『強制出撃』です。『強制出撃』は、事実上の処刑とほぼ変わりません。片道分の燃料だけを与えられ、出撃させられるわけですからね。しかも、沖ノ島海域に」

 淡々とした指摘が、降りかかる矢のように突き刺さる。俺の葛藤を、悩みを、的確に鋭く抉ってくる。

 浜風は、何も言えなくなった俺に優しい笑みを向けた。

浜風「しかし、これはチャンスだとも思うんです」

提督「チャンス?」

浜風「もし、雷さんを出撃させることができれば……提督は雷さんと距離が置けるし、雷さんも監査の網から抜けることができる。……それに、提督もご存知ですよね? 雷さんが周りからどう思われているのか」

提督「……ああ」
136 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/03/18(日) 18:51:30.47 ID:lXqu+oFy0

 もちろん、知っている。

 ほとんどの艦娘たちから敬遠され、一部の者たちからは金魚のフン、穀潰しとまで揶揄されている。可哀想ではあるが、それも無理はないことだった。みんな、それぞれに苦悩を抱えながらも、自分たちの居場所を守るために必死になって戦っている。カウンセリングを受けながら、薬を飲みながら、汗と涙と血を流して。そんな中でロクに働かないものが居たら、後ろ指をさされるのは分かり切ったことではある。

 雷は俺しか見えていないから、まるで気にしてはいないが……。俺は当然、頭を抱えていた。全員を纏めるべき立場の秘書艦に協調性がないのは、本来ならば由々しき事態だ。

浜風「……これほど嫌われてしまったら、信頼回復にはかなり時間がかかるでしょう。ですが、彼女をある程度受け入れてくれる者が何人かでてきて、彼女自身も他の子に目を向けることができれば、状況も変わるでしょう。提督への依存も緩和できて、専門家の話も聞くようになるかもしれません」

提督「……」

浜風「必要なら、私も、陽炎姉さんも協力します。こういう助言は得意ですし、昔はよく人の相談にも乗っていましたので。できることならなんでもやりますよ。――雷さんを守るために」

提督「……なぜそこまで。君は、雷と仲が悪いはずじゃなかったか?」

浜風「別に私は彼女のことを嫌っていませんよ。嫌われてはいるでしょうが。……まあ、それに陽炎姉さんとの約束もありますから。この鎮守府にいるみんなを守ることに協力すると。当然、雷さんもその一人です」

 浜風は破顔してそう答えた。彼女にしては珍しい、熱のこもった口調であった。

 銀の髪が、海月の足のように揺らめく。目の前を、浜風の芸術品のごとく整った顔が埋め尽くした。廊下の光と俺の影を染み込ませた頬が、水彩画を思わせる淡い肌色に彩られた。
137 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/03/18(日) 18:52:13.51 ID:lXqu+oFy0

浜風「もちろん、提督もです」

提督「……浜風」

浜風「提督は、私を守ってくれるのでしょう? ならば、私も同じです。提督が苦しんでいるのなら、その苦しみを解消したい。そう、思っています」

 浜風の言葉が、染み渡るように響いた。ほんの少し。ほんの少しだけれど、心の中にある淀みの重たさが抜けていく。

 目の前にある瞳は、空のようだ。青く、澄んでいて、人を惹きつける不思議な魅力がある。

 無言で見つめ合ううちに、浜風の白皙の頬にほんのりと桜色が浮かんできた。

浜風「……えい」

 小さな掛け声とともに、浜風が胸に飛び込んできた。

 驚いて仰け反る。俺たちの体重を受け止めて、扉がゆるりと部屋の方に沈み、反発した。

提督「お、おい」

 いきなりどうしたんだ。

 浜風は俺の背中に手を回してきた。優しく、それでいて離したくないと主張するかのごとく。

浜風「……お許しください。ちょっと、雷さんが羨ましかったもので」

提督「う、羨ましかった?」

 声が裏返ってしまった。

 浜風の柔らかさ、浜風の温もり、浜風の匂い。限りなく大人に近づいた少女の感触が、溶け込むように俺の神経を痺れさせる。
138 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/03/18(日) 18:53:15.88 ID:lXqu+oFy0

浜風「……ずるいですよ、雷さんばかり。私だって提督と一緒にいたいのに」

 思わず、息を飲んだ。

 わかっているのか、この子は。自分と雷の違いというものを――。

提督「……な、なあ浜風。君の気持ちはわかったよ。とりあえず」

浜風「嫌です」

 浜風は俺の言葉を遮り、力を込めてきた。

浜風「離しません。ずっと、我慢していたんですから……。この温もりを……ずっと……」

提督「……」

浜風「……温かい」

 心底、嬉しそうな呟きだった。

 俺は息を吐く。純粋な思いの発露に、少しだけだが緊張が解れた。彼女も根っこではまだ子供なのだと、思うことができたから。

提督「我慢させてすまないな、浜風」

 思えば忙しさや雷を理由に、彼女のことを放ったらかしにしていた。彼女も雷と同じ、俺が救ってしまった子なのだ。放置するのは無責任だったかもしれない。

 それに、浜風の望みはシンプルだ。そんなものさえ叶えてあげないのは、彼女にとってあまりにも酷ではないか。

 浜風の頭に手を置いた。思ったよりも、彼女は小さかった。

提督「まあ、なんだ……。忙しくてなかなか時間は取れないかもしれないが、なるべく、努力するよ」

浜風「ありがとうございます。……でも、無理しなくていいんですよ。雷さんもいるんですから」

提督「まったく自分の時間がないわけではないさ。タバコを吸うときだけは、一人になれるから……。よかったらおいで。いつも二時くらいに、鎮守府本館の裏にいる」

浜風「……はい」

 浜風は俺を見上げて、嬉しそうに笑った。

浜風「また、温もりが欲しくなったら行きますね」
139 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/03/18(日) 18:54:01.34 ID:lXqu+oFy0




 浜風が帰った後、俺は部屋に戻ってベッドに入った。雷の寝息は聞こえない。こちらに背を向けているせいでどんな顔をしているかはわからないが、反応がないところを見るに寝ているのは間違いなさそうだ。

 俺はほっと息をつく。身体が一気に重く、沈んでいくような気がした。

 これなら、酒がなくても寝れそうだ。

 浜風が来たおかげで色々と焦ったが、張り詰めたものが解れたのも確かだ。彼女は、俺が抱えていた葛藤や悩みを理解してくれていた。それが、嬉しかった。

 苦しみを解消したい、か。

 彼女の優しさが、染み渡るようだった。

 浜風……。

 不思議な子だ。あの子を見ていると、なぜか静流のことを思い出す。とくに、見た目が似ているわけでもないのに。雰囲気……だろうか。他の子にはない、なんというか、青い薔薇のような存在感がある。そんなところが、よく似ている。
 
 そんなことを考えているうちに、瞼が重くなってきた。

 久しぶりに、ゆっくり眠れるといいな。

 そうして、俺の意識は闇へと落ちていった。
140 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/03/18(日) 18:55:16.93 ID:lXqu+oFy0












雷「……消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ」













141 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/03/18(日) 18:58:44.81 ID:lXqu+oFy0
投下終了です。
カゼヤマイ(@hl_zikaki)という名でツイッターもやってますので、そちらもよろしくです。
142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/03/18(日) 21:57:52.49 ID:9+ITzd2D0
ゾッとした…
浜風かわいい
乙です
143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/03/18(日) 21:58:43.05 ID:9+ITzd2D0
sage忘れました
すみません
144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/03/19(月) 00:33:43.46 ID:cnXWYZPA0

控え目に言って怖い(白目)
145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/03/20(火) 00:07:07.12 ID:uywLmFyq0
乙風。
146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/03/28(水) 19:53:09.61 ID:GtBgxv9q0
乙です
147 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/04/03(火) 01:20:58.81 ID:JRDka3s40




 ■

 暁の死は、不幸な事故として扱われた。

 魚雷が突如として爆発、それが他の魚雷や砲弾にも誘爆、そして大破状態だった暁は肉片一つ残さず海の藻屑となった。

 あまりにも残酷で、あまりにも呆気ない死だった。実感なんて持てるわけがなくて、暁の死を受け入れられなかった。受け入れたくなんて、なかった。私も響も。

 だけど、それが実感として落ちてくる間もなく、事態は目まぐるしく動いた。

東「よし、出撃しよう」

 司令官は、あっさりと言い放った。

 暁の死から二日後のことだった。葬式すらやってもいないのに、そんなこと忘れたかのように出撃を指示してきた。

東「明日、またリランカへ行くぞ。タ級には随分と煮え湯を飲まされたからなあ」

 私たちは、呆然と司令官を見詰めた。ここには出撃部隊と欠けた第六駆逐隊がいて、みんな、蝶の蛹から蜂が生まれてきた光景を見たかのような顔をしていた。

 司令官は、何食わぬ顔で耳垢をほじくり返し、指先についたそれを息で吹き飛ばした。そんな呑気な司令官に、長門さんが詰め寄った。

長門「……提督、お前は何を言っているんだ?」

東「ん? なんだ長門、聞こえなかったのか? 出撃だよ出撃。リランカへ電の葬い合戦だ」

長門「そうじゃない! お前、状況がわかっていないのか!」

東「状況なら理解しているよ」
148 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/04/03(火) 01:22:11.05 ID:JRDka3s40

 そう言って、司令官はみんなを見渡した。

東「不幸な事故によって、駆逐艦『暁』が轟沈。暁を曳航していた重巡洋艦『熊野』が重体、その他も二、三名が大破という大損害を被った。まるで激戦をくぐり抜けてきた後のような、酷いヒドォイ状態だ。みんな、ショックも大きいだろう」

長門「ならば、なぜ出撃なんてやろうと言うのだ!」

東「だからこそだよ。だからこそ、行かねばならない。ここで引いたとあっては、一体なんのために戦ってきたのか分からなくなってしまう。暁の死が、無駄になってしまうじゃないか」

長門「……言いたいことはわからなくはない。だが、今は休むべきだ。提督が言ったように、みんな、この事態に対して大きなショックを受けている」

 長門さんはこちらを一瞥し、感情を抑えた声で続けた。

長門「今、出撃しても大した成果を得られるとは思えない。それに、これは元々訓練だったんだ。そんなに急を要することでもないではないか」

東「ずいぶん軟弱なことを言うな」

 司令官は何がおかしいのか、けらけらと笑った。

長門「……なんだと?」

東「わかってないなあ、長門。我々は栄光ある帝国海軍の軍人だぞ? それがだ、仲間を殺されておきながら逃げたとあっては嗤われてしまうぞ。あの世で我々を待っている電も暁も、後ろ指をさされることとなる。それでは、あの二人があまりにも可哀想ではないか」

 司令官は立ち上がり、長門さんの前に立つと肩を叩いた。
149 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/04/03(火) 01:23:18.51 ID:JRDka3s40

東「しっかりしたまえ。君ともあろうものが、本質を見誤っているぞ。死体すらロクに残らなかった暁を弔うのは、形だけの葬式か? ……違うだろう? 戦いだ。今、戦うことこそが、彼女の叶わなかった宿願を繋ぐバトンとなるのだ。泣き喚くだけ泣き喚いて指を咥えて引き篭もるなんてことが、許されていいはずがなかろうが」

長門「……お前」

 長門さんは唖然としていた。私も他のみんなもそうだ。

 司令官の言葉に心を動かされたからではない。尤もらしい理屈を並べているが、どれもこれも白々しいほどに空虚で、まるで頭の中に染み込まなかった。

 司令官は、薄っすらと口元を歪めていた。

 弔いを、死への労りを述べる人間の表情だとは、とても思えなかった。

 私の脳裏にへばりついた声が再生される。人生の脆さを、楽しそうに歌っていたあの声が。

東「だから出撃だ。明日、リランカ島沖へ出撃する。これは命令だ。異論は認めない」

 以上だ。司令官はそう告げて、私と響に笑顔を向けた。

 ぞっとした感覚が足元から駆け上がってきた。全身が硬直する。

 まるで、蛇のような目だ。獲物を見つめる捕食者の目。

 響が手を握ってきた。その手は湿っぽくて、震えていた。

長門「どうしたんだ、提督。……最近、おかしいぞ?」

 長門さんのその言葉は、この場にいるみんなの気持ちを代弁したものだった。

 司令官は、こんな無茶な提案をしてくるような人ではないはずだ。「教授」と慕われるほどに頭が良く、慎重で、無駄を嫌う几帳面な人で……でも、優しい人だった。決して甘い訳ではないが、私たちのことをいつも気遣ってくれていた。

 それが、どうして……。まるで、顔だけ同じ形をした別人に成り代わってしまったかのようだ。
150 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/04/03(火) 01:24:21.94 ID:JRDka3s40

長門「お前は、こんな命令をする男ではないはずだ。考え直してくれ」

東「却下だ。言っただろう。異論は認めない」

長門「提督……!」

東「何度も言わせるな。次口答えをしたら、懲罰房に入ってもらう。わかったか?」

 長門さんは歯噛みして下を向いた。司令官の決定が揺るがないものだと悟ったのだろう。

東「わかったか、と訊いているんだが?」

長門「……わかった」

 渋々といった感じの返事だった。

 長門さんの渋面など見えていないかのように、司令官は口の端を吊り上げて、手を広げる。
 
東「さあ、出撃出撃出撃だ。みんな、気合い入れていこうじゃないか!」

 誰も何も答えなかった。ここにいるほとんどの人が顔を引きつらせ、おかしくなってしまった司令官を見ていた。

 ただ、一人だけ平然としている人がいた。重巡洋艦の青葉だった。彼女は白けた空気に構うことなく、手を挙げた。

青葉「質問いいですかねえ?」

東「……ん? なんだい、青葉」

青葉「出撃メンバーはどうなさるおつもりで?」

東「ああ」

 そうだなあ。そう呟いて、みんなを順々に眺める。
151 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/04/03(火) 01:25:45.23 ID:JRDka3s40

東「……まあ、あまり変わらないかな。熊野と暁の分を変えるくらいだろう」

青葉「ん? でも、飛鷹さんとか全身に大火傷負って、指も数本欠損してましたよ。変えなくていいんですか?」

東「指数本くらいなら誤差だよ誤差。火傷も跡になったくらいで、高速修復自体は成功しているわけだしな。十分、戦力として機能するさ」

 あっさりと言ってのける司令官に、怒りすら湧かなかった。飛鷹さんはこの場にはいない。顔に大きな火傷の跡が出来て、ショックのあまり部屋に閉じこもっていた。それを無理矢理引き摺り出そうとする神経が、信じられなかった。

 長門さんが何かを言おうとするのを遮り、青葉は質問を重ねる。

青葉「じゃあ、熊野さんと暁さんの代わりは誰にするんです?」

東「熊野の代わりは、まあ三隈辺りが妥当だろう。三隈も、熊野がこんな目にあって怒りに震えているはずだしなあ」

青葉「泣き崩れていましたけどね」

東「大丈夫だ。今頃、その悲壮も怒りに変わっている。私には分かるんだ。怒りは、素晴らしいエネルギーだ。その熱量は、信じられないほどの力を生む。成功を導き出す原動力となる」

青葉「そんなものですかね? まあ、いいですが。……では、暁さんの代わりは誰になるんですか?」

 司令官の目がこちらに向いた。みんなの視線も、一斉に集まった。

 驚愕、怖れ、憂い、憐れみ。色と形の違う瞳に浮かぶのは、ゴミ捨て場のゴミように混ざり合う負の感情だった。そして、その中には、生ゴミを漁るカラスやゴキブリのように蠢く狂気がある。

 無言の悲鳴が身体を擽ぐる。立っているのもやっとなほどに、足が震えた。響の手が強く、痛いくらいに握りしめてきて、でもそんな痛みさえも霞んで消えゆくほどに、恐怖が――生理的な恐怖が、私たちを貫いていく。

 司令官は、淡々と告げた。

東「……どっちかだなあ」

青葉「どっちか、と言いますと?」

東「そりゃあ、第六駆逐隊のどっちかに決まっているだろう」
152 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/04/03(火) 01:26:54.62 ID:JRDka3s40

長門「さすがにそれだけは容認できん!」

 たまらない、と言った感じで長門さんが叫んだ。同調する勇気のあるものは、誰もいない。彼女だけが、鋭い眼差しを司令官に向けて、詰め寄った。

長門「第六駆逐隊だけは……絶対に出撃させるべきではない!」

東「なぜだ?」

長門「そんなこと言わなくても分かるだろう! 少しは彼女たちの気持ちを慮れ!」

東「あー、そうだな。少し軽率だったかもしれん。すまないすまない。『家族』だもんな、そりゃあ『家族』がいなくなれば深く悲しんでしまうものだ」

 司令官の謝罪は、羽根よりも軽かった。呆気にとられた長門さんの隙を突くように、口元を吊り上げて続ける。

東「では、第六駆逐隊は解隊しようか。そうすれば、彼女たちは、ただの鎮守府の仲間だ。電と暁とも『家族』ではなくなる。『家族』でなくなれば、問題なかろう」

長門「……貴様」

 長門さんが今にも殴りかからんと言わんばかりに、歯をむき出しにした。が、詰め寄ろうとした瞬間、青葉が割って入って長門さんの腕を掴み、捻りを加えた。
153 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/04/03(火) 01:28:17.44 ID:JRDka3s40

長門「がっ……!」

青葉「おいたは駄目ですよ〜。司令官への不敬は許されない行為です」

 にこにこと笑いながら、さらに捻りを加える。長門さんが空中で一回転し、叩き伏せられた。マホガニーの机が衝撃でグラつき、資料とインクが宙に舞った。

長門「ぐ、ぐあああ……」

 呻き声。あの長門さんが、泡を吹きながら腕を抱えてのたうち回っていた。肘が……あり得ない方向に曲がっている。誰かの悲鳴。そして、笑い声。

 まさに、狂乱とした状態。長門さんに駆け寄る人、恐怖で固まる人、なぜか蹲ってしまった人。わからない。何が起きているのか――。

東「脆いねえ、人間は本当に脆い」

 悲鳴の中に、聞こえた静かな悦楽。それは、悪魔の囁きとしか言いようがないもので。

 悪魔は、はっきりと告げた。

東「さて、次はどちらが死ぬ?」

 ああ、と響が呻いた。私は何も言えなかった。ただ、唇を震わせているだけの虫けらにすぎなかった。

 なにが電と暁を死に追いやったのか、いま、はっきりとした。

 艤装が二度も不自然に故障を起こしたのも、暁の魚雷が突然爆発したのも――。

 すべて、目の前の悪魔がやったことだったのだと。楽しそうな悪魔が、自分の楽しみのためにやったのだと。

 悪魔の赤い瞳が、歪んだ。

東「次は、どちらが私をイカせてくれるんだい? はやく、君たちのどちらかの死体をみて、マスターベーションをさせて欲しい。ああ、暁は肉片すら残らなかったからね。『手』はもう楽しんだから……次は『頭』でも残らないかなあ? ふふ、うふふ、ハヒャハヒャヒャヒャヒャ、ハヒャ、ハヒャハヒャ」

 ナニヲイッテイルカワカラナイ。

 コイツガ、ナニヲイッテイルノカ。

 ワカラナイ。

154 : ◆jc3o0gJHYo [sage saga]:2018/04/03(火) 01:28:54.01 ID:JRDka3s40
投下終了です
155 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/03(火) 19:56:40.38 ID:egmE16D70
乙風
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