俺ガイルSS 『思いのほか壁ドンは難しい』 その他 Part2

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756 :1 [sage]:2020/04/07(火) 21:08:31.05 ID:dU5Rz+gv0

陽乃「 ――― ただし、ひとつだけ条件があるわ」

そう言って、陽乃さんが、なんとも形容し難い笑みを浮かべて妹と俺の顔を交互に見る。

そらきた、とばかりに身構える俺達に、蠱惑的な笑みを更に深くしながら涼し気に言葉を継ぐ。


陽乃「その時は私も同席させてもらうってことで、どう?」

雪ノ下が面食らったような表情を浮かべ、次いで何かを探るかのようにまじまじと姉の顔を見つめていたが、やがて、どうかしら、とばかりに俺に目で問うてきた。

757 :1 [sage]:2020/04/07(火) 21:11:47.56 ID:dU5Rz+gv0

八幡「なぜ ――― ですか?」


当然の質問だ。相手は俺達を合わせたよりも更に一枚も二枚も上手な陽乃さんだ。

それにこのひとの性格からして、ただの好意だけでそんなことを言い出すはずもない。


陽乃「 ――― あら、だって面白そうじゃない」

聞いたところで素直に答えてくれるとも思わなかったが、意外にもあっけらかんとした表情で至極あっさりと言ってのける。しかも面白そうて。

どうやらこの女性(ひと)にとっては、これもまた座興のひとつに過ぎないということなのだろう。相変わらずまるで掴みどころがない人である。

しかし、一緒にいたところで助けになるとは決して思えないが、かといってあの母親のいる手前、いつものように悪戯に引っ掻き回すような真似もできまい。

それでも姉の真意が掴めず態度を決めかねているらしい雪ノ下に黙って頷いて見せると、


雪乃「 ――― わかったわ」

深く濃い諦観の滲んだ溜息をひとつ吐き、渋々といった感じで姉の出す条件に応じる。

その時の陽乃さんの顔に浮かんだ何やら怪しげな笑みが少しばかり気にかかったものの、とりあえず今は肯(よし)とするしか他に方法はなかった。

758 :1 [sage]:2020/04/07(火) 21:13:49.32 ID:dU5Rz+gv0

陽乃「ところで、私は今日はもう家に帰るつもりなんだけど、あなたたち、――― 」

交渉は終わり、とばかりに席を立つ陽乃さんが、テーブル越しに乗り出すようにして俺たちに顔を寄せ、いつになく真面目な口調で切り出す。


八幡&雪乃「 ―――― ?」 


陽乃「まだ高校生なんだから、ちゃんとヒニンくらいはした方がいいわよ?」

言いながら左手の人差し指と親指で作った輪に、右手の人差し指をすこすこと出し入れする仕草をする。


八幡&雪乃「し・ま・せ・ん !」


陽乃「あら、しないの? ま、大胆!」


口に手を当て、大袈裟に驚いた素振りが超わざとらしい。


八幡&雪乃「 ……… だから」「 ……… そうじゃなくて」


頭痛と眩暈を一緒くたに覚え、思わずふたりしてこめかみを手で押さえてしまう。

759 :1 [sage]:2020/04/07(火) 21:15:13.65 ID:dU5Rz+gv0

陽乃「ま、もっとも例えあなたたちがいくら既成事実を作ったところで、それだけでお母さんを説得することは不可能なんだけどね」


八幡「 …… どういう …… 意味ですか?」

既成事実云々はともかく、何かしら含みのあるそのセリフを聞き咎め、思わず問うてしまった俺に、

陽乃「わからない? 例えキズモノでもコブツキでも構わないから雪ノ下(うち)とお近づきになりたいって考えている輩は掃いて捨てるほどいるってことよ」

まるで出来の悪いに生徒に接する教師の如く懇々と諭す。

なるほど。県内有数の建築会社を経営し、県議会議員も輩出した“雪ノ下”の看板には当然それだけの価値がある、という意味なのだろう。


760 :1 [sage]:2020/04/07(火) 21:16:40.89 ID:dU5Rz+gv0

陽乃「 ――― ああ、それと」

雪乃「まだ何かあるの?」

いささか棘と倦怠の器用に混じりあった妹の口調を気にも留めず、あねのんが俺に向けて話しかける。


陽乃「この場合、もうひとり役者が必要ね」

そう言って、そうでしょ? とばかりに俺の目を真っすぐ覗き込む。どうやら考えていることは同じらしい。


雪乃「 ――― もうひとり?」

訝し気な顔をする雪ノ下にも聞こえるように、俺はきっぱりと断言する。


八幡「ああ。今回の件については、もうひとり同席してもらうつもりだ」

もし、イヤだとぬかそうものなら、無理やりにでも引っ張り出すつもりだった。

761 :1 [sage]:2020/04/07(火) 21:17:20.15 ID:dU5Rz+gv0

短いですが、本日はこれにて。ノジ
762 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:06:47.31 ID:u2V0dNLU0


* * * * * * *

763 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:09:13.82 ID:u2V0dNLU0

店を出て陽乃さんが立ち去ると、残されたふたりの間には先程とはまた違った意味での何やら不自然で、少しばかりそわそわするような沈黙が落ちた。

雪は積もるほど降る前に雨へと変わり、それすらもいつの間にか上がってしまったようで、濡れた路面が街灯を受けて黒々とした光を放つ以外、その痕跡すら残っていない。


雪乃「 ――― 結局、私の家の事情にあなたまで巻き込むことになってしまったわね」

俺の傍らに立つ雪ノ下が申し訳なさそうに呟く。

八幡「 ……… いや、まぁ、あれは俺が勝手に言い出したことだからな」

事前にふたりで示し合わせていたというわけでもないのだが、雪ノ下もあの場で異を唱えるようなことはしなかったのだから、事後承諾みたいなものだろう。

成り行きとはいえ乗りかかった舟だ。既に腹は括っていた。それに策も ――― ないこともない。


764 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:12:55.50 ID:u2V0dNLU0

八幡「さて、明日は学校だし、俺もそろそろ …… 」

昨日今日と急な展開で疲れ果てていたし、ラスボス戦に向けて今のうちに英気を養っておく必要もある。

多少、後ろ髪を引かれる思いはしたが、それでも努めてさりげない風を装いながら駅の方角に向けて歩き出そうとすると、


雪乃「 ―――――― お待ちなさい」 


いきなり雪ノ下に引き止められてしまう。

雪乃「 ……… 服、濡れたままじゃない。その格好で帰るつもり? 風邪を曳くわよ」

八幡「や、ほら、水も滴(したた)るいい男って言うだろ? それに、俺にとっては濡れ衣を着せられるのだって毎度のことだからな」 

言った途端にクシャミが出てしまう。


雪乃「ほらごらんなさい。言わないことじゃない。大丈夫?」

いつになく優しく気遣うような態度に、俺としてもどう反応していいものか困ってしまう。

八幡「や、心配すんなって。 これくらいで風邪曳くほど ―――

雪乃「そうではなくて、私に感染(うつ)らないかって意味で聞いたのだけれど?」

八幡「 ……………… ああ、そうだろうよ」


雪ノ下がくすりと笑い、俺の口の端も自然に綻ぶ。

まだ少しぎこちないものがあるが、それもおいおい慣れるだろう。手探りで距離を確認しながら、ゆっくりと縮めていけばいい。

互いの事など何も知らずにただただ反発しあっていたあの頃に比べれば、それは遥かに容易(たやす)いことのようにさえ思えた。


765 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:16:53.15 ID:u2V0dNLU0

雪乃「 ……… 私の家、すぐそこだし、乾燥機もあるから少し寄っていったら?」

雪ノ下が目を伏せながら、それとなく申し出る。

八幡「あ、や、さすがにそれは ……… 」

わざわざ時刻を確認するまでもなく、世間一般の常識に照らし合わせても、男がひとり暮らしの女性の部屋を訪れていい時間帯ではなくなっていた。

いつぞやのように管理人に見咎められる危険性もさることながら、それ以上に陽乃さんが余計なことを言ったせいで、実は先ほどから変に意識してしまっているのは思春期全力真っ盛りのどうも俺です。

だが、途中で邪魔が入ったお陰で色々と中途半端な状態になってしまったこともあり、このままでは何やら決まりが悪いのも確かだ。

ちらりと様子を窺えば、雪ノ下がそわそわと俺の返事を待っているのがわかった。

766 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:28:15.36 ID:u2V0dNLU0

仕方なく、照れ隠しに頭をガシガシと掻きながら口を開く。


八幡「 ……… あー…、そういやさっき、お前、自分が本物じゃないみたいなこと言ってたけど ……… 」

雪乃「 ………そうね。残念だけれど、私はあなたの求めている本物には程遠いわ」

目を伏せたまま肯い、その黒い髪と白い息をさらうようにして冷たい風が吹き抜ける。


八幡「 …………… だったら、俺は本物なんていらない」


俺の言葉に、雪ノ下が驚いたように目を瞠る。そして俺はそんな彼女を真っすぐに見つめながら続けた。


八幡「 ……… 例え本物でなくても、俺は、お前が欲しい」


今ならはっきりとわかる。俺が欲しかったのは本物ではない。
いや、そうではない。例え完璧でなくとも、あるがままの雪ノ下こそが俺にとっての唯一無二の“本物”だったのだ。

もし俺の理想であり、憧れでもある雪ノ下が本物ではないのだとしたら、俺の求める本物など、この世界のどこを探しても存在しないということになってしまうのだから。

767 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:31:44.35 ID:u2V0dNLU0

雪ノ下が俺から目を逸らし、夜目にも明らかに寒さとは違う理由で頬が朱を帯びる。もじもじと身を捩るその仕草が普段の凛とした姿のギャップと相俟って妙に可愛らしい。


雪乃「………… あの、それって ………… もしかして、今すぐってことかしら?」


八幡「 ………… ん?」


想定外の返事に、今、自分が口にしたセリフを脳内再生し、すぐにあらぬ誤解を抱かせてしまった事に気が付いた。

八幡「あ、や、違っ、そうじゃなくて、今のはアレだ、なに、その、言い方に語弊があったっていうか言葉の綾波レイっていうか?」 

何だよそのヱヴァ〇ゲリオン。


雪乃「でも、ごめんなさい。私、今までそういう経験がないものだから何の準備もしてなくって。だから、その …… 急に言われても、困るというか …… 」

雪ノ下が真っ赤になりながらわたわたと言葉を連ねる。しかもどさくさに紛れてなんか凄いことカミングアウトしてるし。

768 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:33:20.87 ID:u2V0dNLU0

どうやら俺の不用意な発言のせいで雪ノ下に変なスイッチが入ってしまったらしい。

恐らく彼女の言う“準備”とは、陽乃さんが口にしていたアレのことなのだろう。
こいつってば、そっち方面の免疫とかまるでないくせに、知識だけはやたらと豊富だからな。

っていうか、いくらなんでも色々すっ飛ばして性急過ぎるでしょ。それこそ性的な意味で。
そういうのはちゃんとした段階を踏んでするもんだろ? そうだな、とりあえず先ずは交換日記あたりから? なにそれどこの昭和だよ。

769 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:35:50.31 ID:u2V0dNLU0

それに、例え俺にそんなつもりがあったにしても、当然のことながらそんなものを都合よく持ち合わせているわけがない。

いざとなれば近くのコンビニで買うという選択肢もあるのだろうが、いくら年齢確認が不要とはいえ俺のような健全な高校生にはあまりにもハードルが高過ぎる。

しかも、もし、レジの店員さんが若い女性だったりなんかした日には、難易度ドン、更に倍、で巨泉さん並みの倍率のミッション・インポッシブルだ。

770 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:40:37.71 ID:u2V0dNLU0


〜♪♪〜♪〜♪〜♪〜♪ 〜♪♪〜♪〜♪〜♪〜♪


そんな事を考えながらひとり勝手にテンパっていると、不意にどこからか耳慣れた曲が流れてきた。

既にスマホの電源を入れ直していたのだろう、音の出所は雪ノ下のスマホからだ。


―――――――― もしかして、由比ヶ浜?


同じことを考えていたのか、雪ノ下に緊張が走る。

だが、スマホの着信画面に目を走らせた顔に、たちまち安堵の表情が広がるのが見えた。

771 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:42:36.47 ID:u2V0dNLU0


雪乃「 ………… 何かしら?」


通話モードにするや否や、そのあからさまに突慳貪(つっけんどん)な、それこそまるで赤穂の特産品みたいな塩対応からして、どうやら相手は先ほど別れたばかりのあねのんのようだった。


「 ―――― ○%×$★♭♯▼!」


漏れてくる声は俺にも聞こえるが、何を言ってるのかまではさっぱりわからない。何か言い忘れた事でもあったのか、それとも ―――――


「 ―――― ◆%×☆$、♭♯▲!※%△♯?%÷&@□、■&○%$■☆♭*!:」


雪乃「 ………… え?」 雪ノ下の顔色が変わる。


「 ―――― ※%△♯?%★$♭♯▲÷&@□」


雪乃「なっ? い、いつの間にっ?! ちょっ、姉さん?!」

 
「 ―――― ●%△♯?%◎★&@□!」


唖然としながらまじまじとスマホの画面を見る様子からして、一方的に言いたい事だけ言ってそのまま切ってしまったに違いない。
いかにもジーニアスハイテンションにしてゴーイングマイペースなあの人らしい。


772 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:46:08.02 ID:u2V0dNLU0

八幡「姉ちゃんから、 ……… か?」

雪ノ下が無言でこくんと頷く。

八幡「んで、 ……… なんだって?」

何も答えないところを見る限り、急に気が変わった、とかそんなところなのだろうか。

例えもしそうだとしても、それならそれで仕方あるまい。多少遠回りになるかも知れないが、ははのんに会うためには何か別の方法を考えればいいだけだ。

いずれにせよ、今日はもう遅い。この件については改めて仕切り直しということになるのだろう。

残念なような、それでいて少しほっとしたような複雑な心境だった。

773 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:50:37.91 ID:u2V0dNLU0

雪乃「 ……… 違うの。そうじゃなくて」


俺の考えを察したらしい雪ノ下が、逸らせた視線を昏いアスファルトに落としたたまま、ふるふると首を振る。


雪乃「 ……… 姉さんが」

八幡「姉ちゃんがどうかしたのか?」


よほど言いにくいことなのだろう。何を言われたものか先程より更に朱を深くし、しかもよく見れば少しばかり涙目になってる。

そしてそのまま待つこと暫し、やがて消え入りそうなほど小さな声で続ける。



雪乃「 ………… リビングの引き出しに入れてあるから、ちゃんと使いなさい ……… って」

774 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:52:15.09 ID:u2V0dNLU0

ではでは。ノジ
775 :1 [sage]:2020/04/18(土) 22:24:14.59 ID:+7z8dsQm0


* * * * * * *

776 :1 [sage]:2020/04/18(土) 22:27:31.49 ID:+7z8dsQm0

胸の上に何やら圧を感じて目を覚ます。

冬になると、いつの間にかカマクラが俺の上で丸くなって寝ている、ちょうどあんな感じだ。

夢現で目を薄く開けると、窓から差し込む淡い光に照らされ、染み一つないまっさらな白い天井が視界に広がっていた。

俺の部屋のものではない、見慣れない天井だ。

互いの家に泊まりに行くような仲のよい友達のいなかった俺としては、自分の部屋以外で目覚めることなど滅多にない。

だが、まるで馴染みのないはずのその白さにはどこかしら既視感があった ――――― 病院だ。

って、もしかして夢オチ? もしかして俺、また車に撥ねられちゃったとか? つか、我ながら真っ先に思いつくのがそこかよ。

やがて意識に記憶が追い付いてくると、糊の効いたシーツのたてるさらさらという衣擦れの音、肩にかかるすやすやと心地よさそうな寝息に気がつく。


――――― 胸の上に乗っているのはふてぶてしい猫などではなく、細くたおやかな白い腕。


時折、彼女がもぞもぞと動くと、ベッドのスプリングが僅かに軋む音がする。

掌には柔らく滑らかな感触、耳許には甘い吐息が鮮明に残っていた。

そして俺は深々と溜息をつきながら、自問自答する。


ちょっと乾燥機借りる間だけだったはずなのが、なぜこうなってしまったのだろうか。

777 :1 [sage]:2020/04/18(土) 22:28:45.23 ID:+7z8dsQm0

おまけみたいなもんです。ではまた。ノジ
778 :1 [sage]:2020/04/19(日) 20:39:22.75 ID:NPWzZ8gS0


* * * * * * *

779 :1 [sage]:2020/04/19(日) 20:43:16.81 ID:NPWzZ8gS0


一色「 ―――――― あ、先輩!」


次の日の放課後、グランドの端に立つ俺の姿に気が付いた一色が手を振り、俺も軽く手を挙げてそれに応える。

拝み手を切るような仕草で他のマネージャーに断りを入れると、一色はすぐさま俺に向かって小走りで駆け寄って来た。

一色「珍しいですね。今日はどうしたんですか? 」

軽く息を弾ませ、頭の天辺から爪先まで俺の姿をつぶさに見ながら訊ねる。

俺と言えば授業中でもないのに上下ともジャージ姿だ。不思議に思われても仕方あるまい。

八幡「ああ、ちょっと大事な話があってな」

一色「 …… え? 大事な話? それって …… 私に …… ですか?」

八幡「ん? あ、いや …… 」

そうじゃなくてだな、と続けようとした刹那、「やべっ!」という声とともに、いきなり俺達の居る場所に向けて放物線を描きながらサッカーボールが飛んで来た。

780 :1 [sage]:2020/04/19(日) 20:46:34.97 ID:NPWzZ8gS0

小さく悲鳴を上げ、首を竦める一色の前に出た俺は、反射的に胸でボールをトラップし、そのまま膝と足を使って数回リフティングすると一番近くにいた部員に向けて正確に蹴り返す。

以前かなりやり込んだことがあったせいか、身体の方が勝手に反応してしまったらしい。


一色「 ……… え?」


ざわっ


だが、次の瞬間、サッカー部の間に静かなざわめきが走り抜け、当然のように俺と一色にその視線が集まる。


「今の見たかよ?」 「誰よ、あいつ?」 「素人の動きじゃねぇべ」



…… つーか、戸部。なんでお前まで混じってんだよ。一応クラスメートなんだから顔くらい忘れんなっつの。


781 :1 [sage]:2020/04/19(日) 20:49:29.03 ID:NPWzZ8gS0


「 ―――――― テニスだけじゃなくて、サッカーもうまいんだな」


俺の蹴り返したボールを手にした葉山がゆっくりとこちらに近づいてくる。

八幡「言ってなかったか? お前や雪ノ下ほどじゃないにせよ、基本俺はそこそこのスペックホルダーなんだぜ?」

顔立ちだってそれなりに整っている方だし、成績だって現国は常に学年3位をキープしている。見ての通り運動神経だって決して悪くない。
目が死んでることと働いたら負けだと考えているという欠点にさえ目をつぶれば申し分なしだ。まぁ、目をつぶったら何も見えなくなってしまうわけだが。

葉山「 ……… そうだったね」

相手が相手だけに、それこそ鼻先であしらわれるかと思いきや、あっさりと肯定されて逆にきまりが悪くなる。

葉山「よかったら一緒にプレイしてみないか?」

しかも冗談か本気かそんな事まで言い出しやがった。

八幡「断るに決まってんだろ。なんでわざわざお前の引き立て役なんかしなきゃならねぇーんだよ」

俺はヒキタニであってヒキタテじゃねぇっつの。いやホントはヒキガヤなんですけどね。

782 :1 [sage]:2020/04/19(日) 20:54:07.03 ID:NPWzZ8gS0

葉山「もしかして、俺に何か用でも?」

いつもの爽やかな笑みを浮かべ、それとなく俺に水を向けてくる。

八幡「用もないのにわざわざこんなところまで来るとでも思ってんのか?」

思わず憎まれ口を叩いてしまったが、正直自分で言っておきながらなんだかツンデレっぽいなこれ。

し、仕方なく会いに来てあげただけで、べ、別にあんたのことなんて、[ピーーー]ばいいのに、くらいにしか思ってないんだからねっ!


葉山「 ……… それもそうだな」 苦笑を浮かべながら頷き、

葉山「いろは、すまないがちょっと頼まれてもらってもいいかい?」

気でも利かしたつもりなのだろう。さりげなく人払いするために一色に声をかけはしたものの、当の本人からの返事が、 ――――― ない。

葉山「 ――― いろは?」

再度、葉山が声をかける。つられて隣に立つ一色に目を遣ると、なぜか呆けた表情でじっと俺の顔を見つめている彼女と目が合った。


一色「え? あ? はへ?」


我に還ったらしい一色に、葉山が再び同じ言葉を繰り返し、ひとことふたこと簡単に指示を付け加える。

一色は慌ててコクコクと頷きながら、再度チラリと俺を見て、すぐにその場から離れていった。


783 :1 [sage]:2020/04/19(日) 20:56:00.62 ID:NPWzZ8gS0

八幡「 ――― 雪ノ下の家に話をつけに行くつもりだ」

一色の背中を見送りながら、十分な距離をとった頃合いを見計らって俺から話を切り出す。


葉山「 ……… そうか」

多少なりとも驚いた様子を見せないところからして、やはり俺がここに来た理由を最初から察していたのだろう。

八幡「で、お前はどうする?」

葉山「 ……… どうするって、何をだい?」 

八幡「このままでいいのか?」

葉山「 ……… このまま?」

敢えてなのだろうが、その白々しいまでの落ち着き払った態度がいつになく癇に障り、自然、俺の口調も荒く尖ったものへと変わる。

八幡「これからもずっとそうやって親や家のせいにしながら、自分の責任から逃がれ続るつもりなのかってことだよ」

784 :1 [sage]:2020/04/19(日) 20:58:52.53 ID:NPWzZ8gS0

俺の発した問いには応えることなく、葉山は手にしたボールをじっと見つめている。
元は白かったのだろうが今は泥に汚れ、ところどころけばだったそれは練習の激しさを物語っていた。

スポーツ万能にして頭脳も明晰、成績は全科目常に学年トップクラス。人並み以上の才能に恵まれながらも決してそれに溺れることなく努力も惜しまない。

それもこれも、唯ひとりの女性に“弟”ではなく“男”としてと認めてもらいたい、というのがその動機であるとするならば、それも頷ける。
そして、それが今の葉山隼人という、一見して完全無欠ともいえる人間を形成してきたのだろう。

例えその結果、相手からは“面白くない”と言われようとも、葉山は葉山なりに、常にその時点で一番ベストと思われる方法を模索し、選択し、実践してきたに違いない。

785 :1 [sage]:2020/04/19(日) 21:01:13.47 ID:NPWzZ8gS0

葉山抜きで練習を再開したサッカー部の動きは先程よりも明らかにキレが悪く、メンタルでもフィジカルでもその存在の大きさを感じさせた。

総武高校もお題目として文武両道を校訓に掲げてはいるが、県内有数の進学校だけあって真剣に部活動に打ち込む生徒の数は少ない。

一見真面目そうにやっているような連中でも、実のところではせいぜい内申点稼ぎが目的の場合がほとんどだ。

そんな中にあってもサッカー部は県大会で上位に食い込むほどの実績を残している。それもひとえに葉山の持つカリスマ性やリーダーシップによるところが大きいのだろう。


786 :1 [sage]:2020/04/19(日) 21:04:25.16 ID:NPWzZ8gS0

葉山「 …… お前にいったい何がわかる」

俺の耳に、ぼそりと呟く声が聴こえた。恐らくこれがこいつ本来の声なのだろう。そう思わせるような錆の含まれた低い声音だった。

いつもの快活で爽やかな外見そのままに、中身だけが入れ替わる薄ら寒い感覚に襲われる。朱に交わってなんとやら。そんなところはやはりあの女性(ひと)と同じだ。

目には見えないが明らかに俺に向けて放たれた圧に対し、いつもであればあっさりと屈してさっさと逃げを打つところなのだが、今回ばかりはそうもいかない。

八幡「はぁ? 甘えてんじゃねぇよ。お前の気持ちなんざこれっぽっちもわからねぇし、わかりたいとも思わねぇーっつーの」

だが、俺の返す憎まれ口に、葉山はまるで反応を示さない。ならばとばかりに、

八幡「 ………… ま、勝手に親の敷いたレールの上を走っているだけで黙ってても好きな女が手に入るかも知れないんだ。タナボタもいいところだけどな」

続けて放ったそのひと言で、予想通り葉山の顔色が変わった。


787 :1 [sage]:2020/04/19(日) 21:07:43.46 ID:NPWzZ8gS0

胸倉に伸びてくる手を最小限の動きで捌いて躱(かわ)す。

こいつのこの動きは文化祭の時にも一度見ている。あの時はわざと譲ってやったが二度目はない。自称スペックホルダーの本気の逃げ足の速さ嘗めんなよ。

別にずっと根に持っていたというわけでもないのだが、ついでとばかりに足も引っ掛けてやった。わざとじゃないよ。じょうけんはんしゃ。だから、ふかこうりょく。

いつになく頭に血が上っていたらしい葉山はものの見事に俺の策略に嵌り、前のめりに倒れてがっくりと手と膝をついた。

滅多にない醜態を晒した羞恥のためなのか、俺を振り仰ぐその目に明確な殺気が宿る。いや、それは殺意とすらいっていいかも知れない。

ゆっくりと立ち上がる葉山の拳は白くなるほどきつく握り締められていた。


……… あー、さすがにちょっとやりすぎたか。これはもうダメかもわからんね。

788 :1 [sage]:2020/04/19(日) 21:15:08.83 ID:NPWzZ8gS0


「 ―――――― ダメっ!」


殴られるのを覚悟して目をつぶった刹那、俺と葉山の間に素早く割って入る小さな影があった。

恐る恐る目を開けると、両手を広げて俺を庇うようにして葉山の前に立ちはだかる ――― 小刻みに震えた一色の華奢な背中が見えた。


一瞬、葉山の顔に驚きの色が浮かび、すぐに気まずそうに目を逸らし、固く握りしめていた拳を解いて力なく身体の脇へと垂らす。


八幡「来るか来ないはお前の勝手だ。自分で考えて決めればいい。強要はしない」

だがな、と、続ける。一色の背中越しというのが今イチ格好つかない。


八幡「雪ノ下がこうなった責任の一端はお前にもあるはずだ。それはわかってるんだろ?」

俺のその言葉に葉山が驚いたように目を瞠り、次いでその顔が苦し気に歪む。

789 :1 [sage]:2020/04/19(日) 21:21:06.50 ID:NPWzZ8gS0


“ ―――― もしかして俺のせいかも知れない。”

先日の踊り場の一件で、葉山は自らそう告白している。
その時の俺は、それを両家の間で交わされた約定のことだとばかり思い込んでいたし、事実、葉山もそのように仄めかしていた。

だが、陽乃さんの口から今回の雪ノ下の留学を決めたのが彼女達の母親であり、その直接の原因となったのは俺が文化祭準備期間中に彼女のマンションを訪れたことだと聞かされた時から俺の中にはある疑念が生じていた。

四六時中母親の監視下に置かれているならともかく、あの時に限ってたまたま目撃されるという偶然があるものだろうか、と。

それがもし単なる偶然ではないのだとしたら、恐らくはあの日、俺が彼女の処に行くことを母親に知らせた人間がいたはずだ。

それが誰であれ、その目的は、雪ノ下の周りに男の影があることを匂わせ、彼女を貶めることで、“誰か”或いは“何か”から排除しようとしていたのに違いない。

もしかしたら、雪ノ下の父親が倒れた事も、タイミング的に今回の件と全く無関係というわけではないのかも知れない。

いすれにせよ、俺が彼女の見舞いに行くことを知っていた人間はごく限られている。 そして、あの時、俺をそう仕向けたのは ―――――――― 、


790 :1 [sage]:2020/04/19(日) 21:24:53.65 ID:NPWzZ8gS0

葉山「―――― 俺を脅しているつもりか?」 

抑揚を抑えた静かな声に僅かだが動揺の色が混じる。そのひと言で俺の憶測はある程度の確信へと変わった。

八幡「どう取ろうがそれはお前の勝手だけどな」

敢えて核心に触れずにおいたのは、一色のいる手前、葉山を庇おうとしたわけではなく、仄めかす程度に留めておいた方がより効果的だと判断したからに過ぎない。

葉山「俺がお前の脅しに屈するとでも?」

八幡「俺にとって一番大切なものを守るためだ。手段は選ばないし、選ぶつもりもない」

不穏な空気が流れる中で、俺と葉山の間に睨み合うかのような硬い視線が交錯する。

791 :1 [sage]:2020/04/19(日) 21:27:15.85 ID:NPWzZ8gS0

葉山「 ……… やっぱりキミとは何があっても友達にはなれそうにないな」 

俺を睨みつけたまま、葉山が苦い物でも吐き捨てるかのように呟く。

八幡「 ……… そうだろうよ。前にも言ったろ? 俺はお前のことが大っ嫌いだからな」

葉山「ああ、そうだったね」


八幡「それに ――――― 、」

俺の口から最後に零れた言葉に、葉山が怪訝そうな表情を浮かべる。



―――――――― “友達”だったら、もう十分間に合ってる。



その時、俺の脳裏を過ったのは、とある少女が浮かべた寂しそうな笑顔だった。

792 :1 [sage]:2020/04/19(日) 21:29:11.87 ID:NPWzZ8gS0

それではでは。ノジ
793 :1 [sage]:2020/04/20(月) 19:28:44.91 ID:cXkTTvye0

葉山が無言で俺に背を向け練習へと戻って行くと、それまでの緊張が一気に解けたものか一色がその場にへなへなとしゃがみ込んでしまった。

八幡「葉山から頼まれた仕事はもういいのか?」

俺が声をかけてもしばらく心ここにあらずといった様子だったが、やがて思い出したように首だけ回して俺を見上げる。

一色「え? あ、はい。さっきのあれならちゃっちゃと …… 」

八幡「済ませたのか? 随分と早いな」

日頃いい加減な姿ばかり目にしているが、もしかして実はこいつ思いのほか有能だったりするのかも知れないと、見直し ………

一色「いえ、全部、戸部先輩におっつけてきちゃいました」 

八幡「 ……… って、またかよ」

こいつ生徒会やマネージャーの仕事もそうだけど、それ以上に戸部の扱いがどんどんぞんざいになってきてねぇか? まぁ、仕方ねぇか、戸部だし。

794 :1 [sage]:2020/04/20(月) 19:32:45.65 ID:cXkTTvye0

一色「そ、そんなことより」

ぐいぐいと強引にジャージの袖が腕ごと下に引っ張られ、俺の頭ががくがくと揺れる。

八幡「って、お前、ひとの話全然聞いてねぇだろ」

一色「ダイジョブです! いつものことですからっ!」

八幡「 ……… いつもなのかよ。つかそれ全然大丈夫じゃねぇやつだろ」

一色「それより先輩って、もしかしてサッカーとかやってたんですかっ?!」

八幡「はぁ? んなわけねーだろ」

個人競技ならそこそこいけるつもりだが、団体競技はからっきしである。
運動神経は決して悪くはないとは自負している。しかしいかんせん、チームプレイと名の付くものが超苦手なのだ。そもそも仲間に混ぜてすらもらえない。

俺がいる、というもうそれだけでなぜかチームの輪は乱れるわ、凡ミスも増えるわで、場の雰囲気がどんどん悪くなり、モチベーションもだだ下がりとなる。

我ながらこれほど敵に回して頼もしく、味方に回して恐ろしい相手もそうはいないだろう。

795 :1 [sage]:2020/04/20(月) 19:35:41.99 ID:cXkTTvye0

一色「で、でも、さっき、なんか、こう」

そういってむんとばかりにない胸を無理に張ってみせる姿が妙に痛々しい。無い袖は振れないって言うけど、無い胸も張れないのな。

っていうか、お前一応サッカー部なんだから、いい加減トラップとかリフィティングって用語くらい覚えたらどうなんだよ。

八幡「あれはみんなで遊んでても俺だけ声かけてもらえなかったんで、気を引こうとして公園の隅でずっとやってたらいつの間にかうまくなってたんだよ …… って、言わせんな、恥ずかしい」

一色「うわー…、確かに死ぬほど恥ずかしい過去ですね、聞いてる方が」

八幡「うるせーよ、ほっとけ」

一色「あ、でもそれって、いわゆる"昔掘った貝塚"ってヤツですか?」

八幡「それはもしかして"昔とった杵柄"って言いたかったのか?」

いるんだよなぁ、聞きかじりの難しい言葉使おうとしてスベるヤツ。はい俺のことですね。

一色「え? えっと、やだなぁ知らないんですか? 最近はみんなそう言うんですよ?」

八幡「 …… 言わねーし、聞いたこともねーよ」 

796 :1 [sage]:2020/04/20(月) 19:39:50.27 ID:cXkTTvye0

一色「えっと、それで、あの、その、さ、さっきはありがとうございました」

いきなり、一色が小さくぺこりと頭を下げる。

八幡「あん? いや、どっちかっつーと礼言わなきゃならんのは俺の方だろ?」

一色「そ、そんなことないです!」

両手と首をぶんぶん振りながら俺の言葉を否定する。

八幡「まぁ、あわよくば暴力沙汰にして、それをネタに葉山を強請(ゆす)ってやろうとした俺の目論みは外れちまったけどな」

一色「 ……… うっわー、先輩ってホンットいい感じに性格が歪んでますよね」

俺としても「なるほど、その手があったか」などとブツブツ言いながら真剣な顔で考え込んでいるこいつにだけは言われたくない。


一色「それと …… ちょっとだけカッコ良かったです。あ、ホントにちょっとだけですけど」

人差し指と親指でほんの僅かな隙間を作って見せながら付け加える。

八幡「 ……… いや別にわざわざ二回言わなくてもいいから」

一色「やだなぁ、ですからほんのちょっとだけですってばぁ」

八幡「だからって何も三回も言うこたぁねぇだろっ!!! 」

しかも、さっきよりだんだん指の間隔が狭くなってねぇかそれ?

797 :1 [sage]:2020/04/20(月) 19:43:37.55 ID:cXkTTvye0

まだ何か言いたいことでもあるのか、一色が口をもにゅもにゅさせながら俺の顔をじっと見つめている。

それでいて先程からずっと気になっているくせに葉山との間に何があったのかストレートに聞いてこないのは、やはりこいつなりに遠慮しているのだろう。

八幡「………んだよ。俺の顔に何かついてんのか?」

少しだけ面映ゆくなった俺が誤魔化すように嘯くと、

一色「あ、はい。土がちょっとはねてます」

そう言って手にしているタオルではなく、わざわざポケットから取り出したきれいなハンカチで俺の顔についた土を拭おうとした。

八幡「い、いいよ、汚れんだろ」

傍から見たらまるで彼女のような甲斐甲斐しさに照れ臭くなり、思わず避けようとすると、


一色「そんなの全然気にしないでください。それにこれ、どうせこないだ先輩からもらったハンカチですし」

八幡「 ……… お前はそういうところを少しは気にした方がいいんじゃねぇのか?」

798 :1 [sage]:2020/04/20(月) 19:46:50.95 ID:cXkTTvye0

一色「えっと、それから ……… 」

手にしたハンカチをぐしゃりと握りしめながら、俺から目を逸らす。だからそれ俺のやったハンカチだろ。

一色「私、あれからひとりで色々と考えてみたんです」

八幡「ん?」

一色「それで、あの、やっぱり、その、わ、私、先輩のこと ……… 好き ……… みたい ………… です」

言葉尻にかけて次第に声が小さくなり頬が微かに染まる。その言葉の意味が頭に浸透するまで少しだけ時間がかかった。

一色「だって、先輩が卒業するまでまだ一年もありますし、こういうのって断られてからが勝負だって言うじゃないですか」

俺が何か言おうとする前に、まるで照れ隠しするかのように早口で捲し立てる。

八幡「 ……… いや、断られてからが勝負って、それ営業の話じゃね?」

しかもブラック企業の社畜営業が初日から繰り返し繰り返し叩き込まれるという例のアレ。
でも俺の経験上、キッパリと断られてからいくらしつこく食い下がっても印象悪くするだけなんだよなぁ。下手すると警察呼ばれるまであるし。

一色「それに私の一番好きなマンガでも、あきらめたらそこで試合終了だって」

八幡「だからお前一応サッカー部なんだよな?」

なんで一番好きなマンガがバスケなんだよ。そこはとりあえずキャプテンなにがしとか、ジャイアントなんちゃらとかにしろよ。他にもいろいろあんだろ、俺もよく知らんけど。

799 :1 [sage]:2020/04/20(月) 19:51:18.40 ID:cXkTTvye0

八幡「っていうか、ちょっと待て。さっきからお前、先輩、先輩って言ってるけど …… 」

一色「あ、ごめんなさい。もしかして、また勘違いさせちゃいました?」

顔を上げ、にやぁっと、それこそ腹の底まで透けて見えそうなほど真っ黒な笑みを浮かべる。
どうやらこの期に及んでまでまだ俺をからかっていたらしい。

八幡「いいか、一色。ごめんなさいで済んだら第三者委員会も報告書格付け委員会もいらないんだぞ?」

一色「でも、私が葉山先輩に振られたのだって元を正せば全部先輩のせいじゃないですかっ? だったら先輩が責任取るのが筋ってもんじゃないですか?」

八幡「どうしてそうやってありもしない責任の所在を無理やり俺に押しつけようとするわけ?」

一色「それが無理だったら、せめて代わりにいい男子(ひと)紹介するくらいしてください!」

八幡「アホかっ! 俺に他人を紹介できるほど人脈あるわきゃねぇだろ!?」

一色「そんなこと、最初から知ってますぅ〜」

下唇をつきだし、変顔で返してきやがった。 先生、こいつ殴っていいですか?


……… でも、正直変に猫かぶっているよりか、こいつのこういう強(したた)かなところ、決して嫌いじゃないんだよなぁ。

800 :1 [sage]:2020/04/20(月) 19:53:56.40 ID:cXkTTvye0

八幡「あ〜、先輩ならなんでもいいんだったらアレなんかどうだ、アレ?」

たまたまタイミングよく視界に入った校門に向かう後ろ姿に向けて顎をしゃくって見せる。

一色「えっ?! いたんですか、知り合い?!」

八幡「いや、いくらなんでも知り合いくらいいんだろ」

一色「先輩は知ってても向こうは先輩のことなんか知らないかもじゃないですか」

ぶつぶつ文句を言いながらも、俺の示す方向を目で追う一色。

しかし、その姿を一瞥するや否や速攻で、

一色「 ……… ごめんなさい。さすがにあれはいくらなんでもムリです、死んでも」

八幡「 ……… 酷ぇ言われようだな 」

一色「あ、でも、死んでもっていうのは、もちろん私がじゃなくって、あの人がってことですよ?」

八幡「 ……… そっちの方がもっと酷ぇだろ」


へぇぶしっ


ちょうどその時、件(くだん)のそれ、トレンチコートを羽織った人影から放たれた盛大なクシャミが遠く俺たちの耳にまで聞こえてきた。

801 :1 [sage]:2020/04/20(月) 19:57:50.66 ID:cXkTTvye0

八幡「さて、と。じゃ、部活中なんでそろそろ戻るわ。その話はまたいつか、そのうちてきとーにな」

俺がそう告げると、意識の顔を少しだけ寂しそうな表情が掠める。


一色「わかりました。約束ですよ? それじゃ、また。―――――― 比企谷先輩」

背後からかけられたその声に、ふと足が止まる。俺は少しだけ躊躇ったが、結局、振り返ることもなく応じる。


八幡「おう、またな、―――――― いろは」


その瞬間、小さく息をのむ気配が伝わってきた。そして ――――――


一色「はっ!? 後輩女子に告られただけで名前呼び捨てとかもしかしてもう彼氏面ですか? 別にイヤというわけじゃありませんが都合のいい女とか思われるのは私のプライドが許さないのでやっぱりごめんなさい!」

立て板に水とばかりに一息に捲し立て、慌ただしくぺこりと頭を下げる気配も続く。


八幡「 ……… いや、だからもうそういうのいいから」

802 :1 [sage]:2020/04/20(月) 19:58:34.40 ID:cXkTTvye0

では続きはまた明日にでも。ノジ
803 :1 [sage]:2020/04/21(火) 19:53:12.48 ID:kSaMdh750


雪乃「 ―――――― 遅かったわね。たかがお遣いごときにいったい何時間かかるのかしら?」


部室に戻るや否や、聞き慣れた罵倒が俺を出迎える。

雪ノ下と由比ヶ浜が揃って俺と同じ恰好、つまりジャージ姿なのは、久しぶりに部活を再開する前に一度みんなで部室を掃除しようということになったからだ。


八幡「悪りぃ。途中でちょっと一色につかまっちまってな」

言いながら机の上に校内の自販機で買ってきた飲み物を並べる。

少し前にちょっと休憩しようかという話になり、俺が自分から買い出し係を買って出たのである。

パシリならまかせとけ。慣れたもので、ふたりが午後茶なのは今更聞くまでもなかったし、俺がマッ缶であることはそれこそ言うまでもない。

ついでといっては何だか、途中で寄り道して、“ちょっとした用事”も済ませてきた。

だから別に嘘はついていない。ただ単に全てを口にしなかっただけの話だ。

804 :1 [sage]:2020/04/21(火) 20:01:35.84 ID:kSaMdh750

それぞれが俺の買ってきた飲み物に手を伸ばし、思い思いの場所で一服する間、それとなく雪ノ下と由比ヶ浜の様子を窺う。

今朝早く家に帰ってから(小町に見つかってしこたま怒られた)、登校するまでの間に由比ヶ浜にはひと言“任務完了”とだけメールしてある。

早朝だというのにすぐに返信があり、そこには“ありがとう”の文字。

俺と雪ノ下のことについては薄々察しているのだろうが、あえて聞いてはこなかった。

ふたりだけで話したい事もあるだろうと、わざと気を利かせて席を外したのだが、ぱっと見、ふたりの様子は今までとさほど変わりない。

しかし、それは俺が気が付かないだけであって、良くも悪くも今回の件がふたりの関係に大きく影響したことは確かだった。

だが、それはあくまでもふたりの問題である。俺がしゃしゃりでる幕ではないのだろう。

三浦ではないが、友達だからといって変に遠慮することなく、言いたいことをはっきりと言い合える仲になってこそ、正しい人間関係と言えるのだから。

もっとも、雪ノ下や三浦のように思ったことを全てズケズケ言ってたら友達を作るよりも失くす方が早いと思うのだが。

それでも、もし、それで壊れてしまうようならば、それはやはりそれまでの関係に過ぎなかった、ということになるのかも知れないが、このふたりならば多分、大丈夫だろう。

俺はふたりを信じているし、ふたりは俺を信じてくれている。とりあえず今はそれだけで十分だった。

805 :1 [sage]:2020/04/21(火) 20:04:24.83 ID:kSaMdh750

結衣「ところで、いろはちゃん、ヒッキーに何の用事だったの?」

由比ヶ浜が午後茶に口をつけながら、思い出したように俺に尋ね、

雪乃「もしかして、何か頼まれごとかしら? また生徒会絡み?」

暖をとるように両手で缶を持つ雪ノ下がその話に加わる。

動いている最中はさほど気にはならないが、換気のために開け放たれた窓からは、時折カーテンを揺らして冷たい風が舞い込んでくる。


八幡「ん。あー、ほら、また、なに? その、いつものアレっつーか ……… 」

あまり深く突っ込まれても困るので、曖昧な言葉で誤魔化す。

ひとつ嘘を吐くと、その嘘を糊塗するために別の嘘を吐くことになり、更にその嘘を隠すためにまた新たな嘘を吐く。
こうしてどんどん雪だるま式に嘘が増えていき、最後はにっちもさっちもいかなくなるので、嘘を吐く時はいつでも言い逃れができるように適当に暈(ぼか)しておくに越したことはない。

だが、ふたりは俺の言葉に疑問を挟むことなくそのまま納得してくれたようだった。


雪乃「あなたに頼るなんて ……… あの子、よっぽど友達がいないのね」

雪ノ下が心底気の毒そうに言いながら、小さく首を振って見せる。


八幡「 ……… だからそうやって話の腰を折るついでにさりげなく心まで折りにくるのマジでやめてもらえませんかね?」

806 :1 [sage]:2020/04/21(火) 20:06:41.50 ID:kSaMdh750

結衣「それで、ヒッキーは、またひとりで手伝うつもりなの?」

由比ヶ浜がおずおずと問うてくる。その顔には心配している様子が窺えた。

八幡「ん? あ、や、今回は大した依頼でもないし、あいつにはちょっと個人的に借りもあるんでな」

雪乃&結衣「 ……… 借り?」

八幡「あー……、ま、とりまひとりでやってみるつもりではいるんだが」

チラリとふたりの様子を窺いながら、照れ隠しに人差し指で頬を掻く。


雪乃&結衣「 ――――― ?」

揃って不思議そうな表情を浮かべ、俺の次の言葉を待っているのがわかった。


八幡「もし困ったら、そん時はお前らも力を貸してもらえる ……… か?」


「うん!」 「やれやれ仕方ないわね」


やや間をおいて、異口同音に答えるふたりの顔には、いつもの見慣れた、柔らかな笑みが浮かんでいた。


807 :1 [sage]:2020/04/21(火) 20:08:38.11 ID:kSaMdh750

短いですが、本日はここまで。

次回いよいよラスボス戦です。申し訳ないですが今のところ更新時期は未定。
予想を覆し、期待を裏切るクライマックスに向けて、がんがりますです。ではでは。ノジ

808 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/04/24(金) 08:34:08.73 ID:pksKZZgbO
乙です。
完結まで頑張ってください!
809 :1 [sage]:2020/04/25(土) 23:49:04.49 ID:pCPdShfR0
>>808 あざーす!
810 :1 [sage]:2020/04/25(土) 23:49:33.59 ID:pCPdShfR0
スミマセン、いつもの訂正です。油断するとすぐコレだ。

>>795 三行目

っていうか、お前一応サッカー部なんだから、いい加減トラップとかリフィティングって用語くらい覚えたらどうなんだよ。
                        ↓
っていうか、お前一応サッカー部なんだから、いい加減トラップとかリフティングって用語くらい覚えたらどうなんだよ。


>>801 二行目

俺がそう告げると、意識の顔を少しだけ寂しそうな表情が掠める。
              ↓
俺がそう告げると、一色の顔を少しだけ寂しそうな表情が掠める。
811 :1 [sage]:2020/04/25(土) 23:52:43.95 ID:pCPdShfR0


そして、いよいよ当日 ―――――――



雪ノ下の実家は市街地から程よく離れた郊外にあるらしく、バスや電車だとあまり便が良くないというので陽乃さんが手配してくれた車で向かうことになった。

指定された場所に着くと、待ち合わせの時間にはまだ間があるというのに既に黒塗りのハイヤーが停車しており、後部座席ではひとり雪ノ下が俺を待っていた。

八幡「すまん、待たせたか?」

俺が声をかけると雪ノ下は黙したままふるふると首を振る。

そしてそのまま彼女の隣の席に乗り込むと、


雪乃「 ――――――― 出して頂戴」

慣れた調子で雪ノ下が運転手に声をかけ、車は静かに動き始めた。


812 :1 [sage]:2020/04/26(日) 00:09:01.65 ID:bGpQd3+80

先程から彼女がいつになくピリピリしているのが伝わって来てはいるのだが、何分これから会おうとしている相手が相手だ。その気持ちも決してわからんこともない。

かといって到着までずっとこのままふたりして黙って座っている、というのも俺的にはなんかアレなので、何かしら会話の糸口はないかと考えていると、


雪乃「今日はネクタイ、してるのね」

ぽつりと雪ノ下の方から話しかけてきた。

八幡「あ、や、まぁ、一応、な」

学生の正装と言えばやはり制服だろう、ということで、今日の俺は休みの日であるにも関わらず制服姿だ。しかも普段はしないネクタイまでしている。

ウチの学校は、本来であれば校則で男子のネクタイ着用を義務づけているはずなのだが、夏場はクールビズで免除されているということもあり、そのままなし崩し的に年間を通して着用せずに済ませてしまう生徒も多い。

県内有数の進学校だけあって、それで著しく風紀が乱れるようなこともないせいか、余程だらしない恰好でもしていない限り学校側も黙認しているような状況だった。

813 :1 [sage]:2020/04/26(日) 00:14:00.45 ID:bGpQd3+80

雪乃「少し曲がってるわよ」 

いきなり雪ノ下に指摘されてしまう。

八幡「おっと、そりゃすまん」

だが、そうは言われても普段あまりネクタイをする習慣がないだけに、うまく結び直すことができない。そもそも、ネクタイなんぞ一生せず済めばそれに越したことはないだろう。

雪乃「仕方ないわね。ほら、かしてごらんなさい」

俺がもたついているのを見かねた雪ノ下が溜息交じりに手を伸ばし、丁寧に結びなおしてくれる。

本人は特に意識していないのかも知れないが、あの晩以来、彼女の何気ない所作の中にも今までにはなかった艶のようなものを感じる事が増えた気がする。

しかも、こうしてふたりきりで会うのも久しぶりである。


雪乃「 ――――――― できたわよ」


そんな事を考えていたせいか、雪ノ下が手を止めて顔を上げるまで、互いの顔がすぐ近くまで寄っていたことにさえ気がつかなかった。

目の合った瞬間、それまでは白かった彼女の顔が急に赤くなる。多分、俺も似たようなものなのだろう。

814 :1 [sage]:2020/04/26(日) 00:20:39.96 ID:bGpQd3+80

雪乃「 ……… こほん。 比企谷くん、服装はともかく、そのだらしない顔と腐った眼はなんとかならなかったのかしら?」

照れ隠しなのか、俺のネクタイを結び終えた雪ノ下が顔を背け、躙(にじ)るようにして少しだけ距離をとる。

八幡「 ………… 今更無茶言うなよ」

生まれて此の方ずっとこの顔で生きて来たんだから、文句があるなら親に言っとくれ。

雪乃「それと、姿勢が悪いわよ、姿勢。猫背 ……… なのは、えっと、まぁ、いいとして」

八幡「お前、ほんと猫ならなんでもいいのな」

雪乃「それより、今からでも遅くないから斎戒沐浴精進潔斎して身を清めて邪心を祓ったらどう?」

八幡「いいから少し落ち着けって」

雪乃「 ………… ごめんなさい。つい緊張してしまって」

言いながら雪ノ下が萎れたようにして項垂れる。

雪乃「 …… それに、あなたから邪心を祓ってしまったら後には何も残らないんですものね」

八幡「うるせーよ。つか、お前、今からそんな調子で、本当に大丈夫なのかよ?」

雪乃「私の方は全然問題ないと思うのだけれど、あなたの方こそ随分と心配性なのね。そんなんじゃ将来きっとハ〇るわよ?」

八幡「おい〇ゲとか言うな、ハ〇とか。失礼だろ! 髪の毛の不自由な人と言えっ!」

言いながらも、思わず髪の生え際を確認してしまう。

雪乃「でもあなたの場合、どちらかというと不自由なのは髪の毛ではなくて、頭の中身の方じゃないのかしら?」

八幡「 ………… いいよ。わかったから、お前もう帰れよ」

雪乃「あら、もう忘れてしまったの? 今から向かってるのが私の実家なのだけれど」

815 :1 [sage]:2020/04/26(日) 00:23:31.19 ID:bGpQd3+80

そんな感じで、三、四十分ほど車を走らせた辺りからだろうか、目的地が近づくに連れて道沿いに同じような白い壁がずっと続いていることに気が付いた。

聞いた話だが、雪ノ下の家はこの辺の大地主であり、少し離れているが最寄りの駅から家まで歩いたとしても、自分の土地以外に足を踏み入れることなく辿り着けるらしい。

そうこうするうちに、やがて車は減速し、大きな屋根と袖のついた腕木門の前で音もなく停止した。


雪乃「 ―――― 着いたわよ」

彼女がそう告げると同時に後部座席のドアが、がちゃりと音を立てて開く。

雪乃「ありがとう。ご苦労様」

車を降りた雪ノ下が労いの言葉をかける。運転手は無言で頭を下げ、そのまま何処へともなく走り去ってしまった。
料金を支払った様子はないのだが、どういうシステムになっているのかは俺にもわからない。

816 :1 [sage]:2020/04/26(日) 00:27:20.43 ID:bGpQd3+80

振り向いて見上げれば、門の上に覆いかぶさるように松の枝が伸びている。これがいわゆる迎えの松というやつなのだろう。

門扉は大きく開け放たれたままになってはいるが、正門はそれなりの身分のある者しか通ることが許されなかったと聞く。

DNAレベルにまで刻みこまれた先祖代々由緒正しい庶民生まれの俺としては、とりあえず袖にある小さな通用口の潜り戸からそろりと入ろうとすると、


雪乃「 ―――― 何をしてるの、こっちよ」


当たり前のように正門の前に立つ雪ノ下に手招きで促される。

こうなってしまった以上は仕方あるまい。だが、こんな時の正しい作法も一応は心得てはいる。俺はやおら息を大きく吸い込むと、


八幡「たのも …… 」

雪乃「いいから、早くなさい」


言いかけてる最中に強引に袖を引っ張られてしまった。



やれやれ、―――――――― “汝等こゝに入るもの、一切の望みを棄てよ”、か。



俺は再度その大きな門を見上げ、改めて覚悟を決めると、黙って雪ノ下の後に従った。

817 :1 [sage]:2020/04/26(日) 00:28:58.51 ID:bGpQd3+80

門を抜けると、そこには散策どころかちょっとしたピクニックまでできそうな日本庭園が広がり、遠く母屋と思われる屋敷まで白い石畳の道がずっと伸びている。

庭には天に向けてうねる松の木が植えられ、ハンマーで殴っても壊れそうにない石橋の架かった池には、うちのカマクラくらいはある錦鯉が何匹も泳いでるのが見えた。

いずこからともなく聞こえてくるカポーンという音は、間違ってもここが銭湯だからなのではなく、恐らくは鹿威(ししおど)しなのだろう。時代劇かよ。

しかし、金ってのは、あるところにはやっぱりあるもんなんだな。


818 :1 [sage]:2020/04/26(日) 00:31:30.24 ID:bGpQd3+80

俺の予想に反して、母屋は日本家屋ではなく瀟洒な赤煉瓦の洋風造りだった。

この分だと、地下にはワインセラーどころか核シェルターくらいがあっても不思議ではない。

そして体温の低い覗き見が趣味の家政婦とか、沈黙した執事が数えているうちに眠くなってしまうほど雇われているのだろう。
しかもメイド長は“なんちゃらの猟犬”とか渾名される元凄腕のテロリストだったりして。
さすがに冥途・イン・ジャパンだな。

雪ノ下の話では、旧宅は海外の著名な建築家のデザインだったらしく、国だか県だかの重要文化財に指定するだのされるだのという話が持ち上がっていたのだが、先代の時代にさっさと壊して建て替えてしまったらしい。

文化財に指定されれば、修繕や改修する際に補助金が出るのだが、その度にいちいち申請が必要で、それはそれで色々と面倒臭くて不便なのだそうだ。

災害時でもないのに修繕するだけで金がもらえるなら少しくらいの不自由は我慢してもよそうなものなんだが。なるほど、金持ちの考えることはよくわからん。

819 :1 [sage]:2020/04/26(日) 00:36:56.98 ID:bGpQd3+80

そのまま雪ノ下に付き従って玄関までたどり着くと、まるで俺たちの到着を待ち構えていたかのように中から扉が開けられ、陽乃さんが出迎えてくれた。

陽乃「いらっしゃーい。比企谷くん、遠路はるばるご苦労様」

今日は普段着らしく、胸元の開いたざっくりとしたセーターといういつもよりずっとラフな恰好に加え化粧も控えめだったが、元の素材が素材だけに、そのままファッション誌の表紙を飾ってもおかしくないくらい魅力的に見えた。


陽乃「あら、ふたりだけ?」

小さく首を傾げる様子からして、どうやらもうひとりの来訪が予定されていた人物、つまり葉山はまだここには来ていないらしい。

ちゃんとした約束を交わしたわけでもなし、今日ここに現れるかどうか確率は五分五分だったが、来ないなら来ないでそれは仕方あるまい。

陽乃さんの方も特に気にした風でもなく、それ以上は何も聞かずに俺たちを中に招き入れてくれた。

玄関をくぐるとそこはちょっとしたホールになっており、吹き抜けから下がる年代物のシャンデリアから透明な宝石のように上品な輝きが放たれている。

見回せばそこかしこに、いったい何に使うのかわからないほどでかい壺やら畳一畳分はありそうな絵画が飾られ、素人目にもかなり高価なものであることがうかがえた。

思わずそのうちのひとつふたつを手に取って、ルーペでも使いながら「いやぁー、いい仕事してますねー」とかやりたくなるのをぐっと堪(こら)える。

820 :1 [sage]:2020/04/26(日) 00:41:41.20 ID:bGpQd3+80

陽乃「お母さんなら、今、書斎よ。すぐに来ると思うから、少し掛けて待ってて」

雪乃「 ―――― また、書斎?」

雪ノ下が形の良い眉を顰め、そんな妹を見る陽乃さんの口許にも苦笑が浮かんでいる。

陽乃「小さい頃、家で隠れんぼしてて勝手にあの部屋に入った時、お母さんからものすごく叱られたの。だからちょっとしたトラウマになっているのよ」

俺の考えを察したのか、陽乃さんが教えてくれる。

雪乃「私の方は専ら姉さんのいたずらに無理やりつきあわされて、その度にとばっちりを受けていただけだと記憶しているのだけれど?」

いもうとのんの異議申し立てに、あねのんの方はどこ吹く風だ。

そのまま応接間らしい部屋に通され、陽乃さんが手ずから淹れてくれた紅茶を前に、ふかふかのソファーに座ったまま待たされること暫し、やがてどこか遠く離れた場所から微かに扉を開け閉めする音が聞こえた気がした。


―――――――― どうやら、いよいよお出ましらしい。


俺と雪ノ下が緊張した面持ちで、じっと母親の登場を待ち受ける中、



♪ ♪ ♪〜♪ ♪♪♪♪〜♪〜♪ ♪ ♪ ♪〜♪ ♪♪♪♪〜♪〜♪〜 


ただひとり陽乃さんだけは面白がって、呑気にも鼻歌でスター・ウォーズの“帝国のマーチ”を奏でている。 


……… って、 ははのん、ダース・ヴェイダーかよ。




「 ――――――――――― お待たせしてしまって、ごめんなさい」



静かだがよく通る声音、く結われた髪、凛とした佇まい、目の前の姉妹の面影を色濃く宿す美貌。

たかが娘の友人である高校生に面会を求められただけにも拘わらず、一部の隙も見せることない厳かな風格の漂う和服姿。

廊下から続くアーチ状の開口部に落ちる影を抜けて俺達の前に姿を現したのは、



あねのんをも遥かに凌ぐであろう最強のラスボスにして最後の黒幕 ――――――――――― 雪ノ下母であった。


821 :1 [sage]:2020/04/26(日) 00:42:26.56 ID:bGpQd3+80

では、また。ノジ
822 :1 [sage]:2020/05/02(土) 21:09:05.21 ID:aExjX7YW0


雪ノ下母「ヒキタニくん ―――――― と言ったかしら」


言いたいことを全て言い終えて言葉が途切れると、それまで黙って俺の話に耳を傾けていた雪ノ下母が静かに口を開いた。

特に高圧的、という訳でもないのだが、泰然たる居住いもそのまま、表情の読めないどこか造り物めいた美しい顔と、色素の薄い鳶色の瞳から放たれる鋭い眼光に射すくめられるような気がして知らず委縮してしまう。

名前を間違えられる事に関しては既に慣れてはいたはずなのだが、それを正すのも何かしら憚られるような雰囲気だった。


八幡「あ、いえ、はい、あの、比企谷 ……… 八幡です」


既に一度告げてはいるのだが、ここで改めてもう一度、今度はフルネームで名乗る。


雪ノ下母「 ―――――――― 比企 …… 谷?」


呟くように小声で口にしながら、ほんの僅かに眉を寄せる。それはつい先程ではなく、もっと以前、どこかしらで聞き覚えがある、そんな風情だった。

しかし、すぐにゆっくりと頭(かぶり)を振るようにして、

雪ノ下母「ごめんなさい。あまり人の名前を覚えるのが得意ではないものですから」

無論それは、嘘 ――――― なのだろう。仮にも議員の妻ともあろう者が、他人の名前を覚えるのが苦手で済まされる訳がない。

つまりそれは、遠回しに“取るに足らぬ相手の名前など覚える価値もない”と言っているに等しいのだろう。

823 :1 [sage]:2020/05/02(土) 21:13:38.02 ID:aExjX7YW0

雪ノ下母「陽乃からは、どうしても会わせたい男性(ひと)がいるからと聴かされていたのだけれど ――――― 」

八幡「 ……… はい?」

もちろん、初耳である。つか、何てこと言ってんだよ。いくらなんでも、もっと他の言い方があんだろ。

当惑と共にあねのんに向けた視線は、当然のごとく澄まし顔で黙殺されてしまう。


雪ノ下母「いずれにせよ、貴方(あなた)のおっしゃりたいことはよくわかりました」

ここに至るまでに、俺が雪ノ下と同じ学年で彼女が部長を務める部活動に所属している事、今回の留学が彼女の本意ではなく、また、本人の気持ちを無視して親同士の決めた約束が、彼女にとってどれだけ精神的な負担を強いているかについて恐れながらと訴えている。

ははのんの方も時々小さく頷いて見せながら、一切口を挿むこともせず最後まで俺の話に聞き入ってくれてはいたが、実際のところ、どれ程の効果があったかはわからない。

だが、その口ぶりからして、どうやら俺の意図するところは十分伝わっている様子だった。

824 :1 [sage]:2020/05/02(土) 21:22:24.26 ID:aExjX7YW0

これはあくまで俺の推測に過ぎないのだが、今回の件については、雪ノ下の父親が倒れたことで両家の縁談の話が早まったのではないかと睨んでいた。

そして、陽乃さんも言っていた通り、このままでは葉山の婚約相手が雪ノ下になってしまうことも、まず間違いないと見ていいだろう。

しかし、密かに陽乃さんに思いを寄せている葉山にとって、それは本意ではないはずだ。

かといって今まで決して親の期待を裏切ることなく、家庭でも学校でもずっと優等生を演じ続けてきた葉山にとって、今更自分の我がままで親同士が決めた約定を反故させるようなことなど言い出せなかったに違いない。

婚約を破棄させることが不可能である以上、葉山にできることといえば、例えそれがその場凌ぎに過ぎないにしろ、一旦この話を棚上げさせる以外にない。

そうなると、母親が勝手に決めた雪ノ下の留学も、願ったり叶ったりということになる。

葉山とて決して最初から意図していたわけではないのだろうが、今までもそれとなく雪ノ下を自分の婚約相手から排除する方向に働きかけていたはずだ。

あいつをこの場に同席させたかったのも、どこぞの馬の骨とも知れぬ俺なんぞよりも、当事者である本人の口からはっきりと雪ノ下との婚約が意に添わぬものであることを伝えた方が効果的だと考えたからなのだが、未だに姿を現わさないところを見る限り、どうやら俺のその目論見は外れてしまったらしい。


825 :1 [sage]:2020/05/02(土) 21:27:36.63 ID:aExjX7YW0

雪ノ下母「娘の事をそこまでご心配いただいて、親として本当に感謝しています」

八幡「あ、いえ、そんな、こちらこそ ………… 、」

目上の女性にいきなり深々と頭を下げられて恐縮してしまい、それが正しい作法なのかわからないまま、それでも慌てて俺も頭を下げて返す。


雪ノ下母「お話を伺う限り、私も娘に対して親として至らない部分も多々あったかと思います」

顔を伏せたまま、ははのんが申し訳なさそうに言葉を継ぐ。

八幡「 ………… えっと、あの、それじゃあ」



雪ノ下母「 ―――――――――― ですが、これはあくまでも当家の問題です」



それまでの慇懃な態度から一変、再び身体を起こし、ぴしりと伸ばした背筋から、まるで見下ろすかのような眼光で俺を見据える。

雪ノ下母「当家のことは当家で解決させていただきたいと思います」

つまり、お前には関係ないことだ、青臭い正論を振りかざして他所の家の事情にまで嘴を突っ込むな、と釘を刺されたのだ。

826 :1 [sage]:2020/05/02(土) 21:29:32.44 ID:aExjX7YW0

雪ノ下母「本日は娘のためにわざわざ越しいただいてありがとうございました」

ははのんが再び腰を折るようにして、優雅な仕草で、ゆったりと頭を下げる。

敢えて言葉の続きこそ口にしなかったが、話は終わったからどうぞお引き取りを、とでも言わんばかりだった。


八幡「あ、いえ、でも、まだ ……… 」

陽乃「 ――――― 比企谷くん、往生際が悪いわよ」


既に勝敗の趨勢が見えていたにも関わらず、それでもなお食い下がろうとする俺を陽乃さんがぴしりと諫(いさ)める。

その目は、これ以上みっともない悪足掻きはやめなさいと告げていた。


雪ノ下母「雪乃、あなたには少しお話があります。 今日はこちらに泊まって行きなさい」

言葉こそ柔らかいが、娘に向けたそれは明らかに命令である。


雪乃「お母さん、私 ――――

それまでずっと黙っていた雪ノ下が初めて口を開く。母親に対する口答に慣れていないのだろう、縋るかのようなその声は震えを帯びていた。


雪ノ下母「 ――――― 雪乃。これ以上、お母さんを困らせないで頂戴」


そんな娘に対し母親は一顧だにせず冷たく言い放つ。そして、未だ席を立とうともしない俺に対し、

雪ノ下母「申し訳ないのですが、この後も所用があるものですから。もし差し支えなければ、帰りのお車はこちらでご用意をさせて ―――― 」

827 :1 [sage]:2020/05/02(土) 21:34:09.07 ID:aExjX7YW0


「 ―――――――――――――― どうかしたんですか」


知らぬ間に部屋の入り口に立つすらりとしたシルエット ―――― 葉山隼人の姿を目にした瞬間、俺は思わず抱きついて快哉を叫びたくなってしまった。

慣れない長広舌を振るってまで時間稼ぎをした甲斐あって、どうやらやっと待ち人が現れてくれたらしい。


葉山「もしかして、お取込み中だったかな?」

部屋の中をぐるりと見回し、いかにも何気ない調子で誰にともなく尋ねる。

八幡「遅かったじゃねぇか。もう来ないんじゃないかと思ってたところたぜ」

半ば諦めかけていただけに、つい漏らしてしまう俺の恨み節にも、

葉山「どんな時でも、必ず期待に応えるのが俺だからね」

嫌味のない爽やかな笑みを浮かべながら応じる。

だが、憎たらしいことに、こいつがここにこうして遅れて登場して来てくれたおかげで、演出効果は弥(いや)が上にも高まっていた。

葉山が来ることまでは聞かされていなかったのだろう、虚を突かれたのものか鉄壁とさえ思われたははのんの顔にも少しばかり戸惑いの表情が浮かぶ。 

認めるのも癪に障るし悔しいが、やはりこいつは俺なんかとは違って根っからの主人公体質というヤツなのだろう。

828 :1 [sage]:2020/05/02(土) 21:40:05.15 ID:aExjX7YW0

雪ノ下母「あら、隼人くん、いらっしゃい。気にしなくていいのよ。丁度お客様もお帰りになるところだったから」

ははのんが葉山に優しく声をかける。猫可愛がりというのは本当らしく、声まで猫撫で声だ。

この機に乗じて体(てい)よく俺を追い払おうという魂胆なのだろうが、そうはいかない。俺も黙ってこのまま立ち去る気などまるでなかった。

それどころか、新たに手にした切り札を前に、内心密かにほくそ笑む。


当たり前のように俺の隣に腰を下ろす葉山と素早く小声で言葉を交わす。

葉山( ……… それで、俺はいったい何をすればいいんだい?)

八幡(いや、お前がここに来てくれただけで十分だ。後は黙って俺に任せてくれればいい。悪いようにはしない)


雪ノ下母「隼人くんもお知り合いなの? もしかして、お友達だったのかしら?」

そんな俺たちの様子を目敏く見つけたははのんが、すかさず葉山に尋ねる。


葉山「いえ、比企谷とは同じクラスですけど、別に友達というわけではありません」

馴れ合いではないのかという誤解を与えぬよう、あくまでも素っ気ない返事をする葉山に、

陽乃「そういえばこないだ私も“これ以上はないくらい赤の他人だ”って言われたっけ」

聞かれもしないのに、なぜかあねのんまで、それもわざわざ皆に聞こえるように吹聴する。あ、これ絶対に根に持ってるやつだ!


829 :1 [sage]:2020/05/02(土) 21:44:12.16 ID:aExjX7YW0

八幡「 ……… こほん。さて、こうして葉山も来たことですし、申し訳ありませんが、もう少しだけお時間をとらせていただいてよろしいでしょうか?」

開き直ったかのように居座る俺に、さすがにははのんが少しばかり面食らった顔となる。

雪ノ下母「それは構いませんが ……… できれば手短に」

溜息混じりに告げるその面(おもて)からは、これ以上まだ何か言いたいことでもあるのか、と辟易した様子が垣間見えた。

だが、僅かな表情の変化から相手の考えを読むのは俺の得意とするところだ。
それに親子だけあって、クールビューティーなところも雪ノ下とそっくり同じだから、慣れさえすれば却ってわかりやすいとさえ言えた。


俺は勿体をつけるようにして、膝の上で指を組み合わせ、体を前のめりにして乗り出す。

八幡「実は今日、俺がここに来た理由は他でもありません。この葉山のことで、まだお伝えしていなかった話があるからなんです」

俺のその言葉に、雪ノ下母だけではなく、当然のように隣に座る葉山も反応する。


葉山「比企谷、お前、まさか ……… 」 

ああ、もちろん、そのまさか、だ。


830 :1 [sage]:2020/05/02(土) 21:58:10.80 ID:aExjX7YW0

陽乃さん、雪ノ下、そして葉山。

この三人は親同士が旧知なせいもあって、幼い頃から姉弟のように育てられた間柄だと聞いている。

だが、その割に葉山の陽乃さんに対する態度はどこかよそよそしく、雪ノ下の葉山に対する態度も、まるでわざと距離を置いているかのように他人行儀に見える。

恐らく、この三人の間に、陽乃さんを頂点とする何かしら酷く歪(いびつ)な力関係が働いている事は傍から見ても感じ取ることができるだろう。

男ひとりに女ふたり ――― その部分だけのみ言えば、俺と雪ノ下、由比ヶ浜の関係にも通じるものがあるかも知れない。

だが、明らかに違う点があるとすれば、それはひとつ。

それは、この三人の間に、最初から親同士の決めた婚約という取り決めがあったことだ。

そこに本人たちの意志が介在しない以上、それはある意味で、不健全で不安定な関係だということができる。

しかし、もし、ここに雪ノ下という存在がなければ話はもっと簡単だったはずだ。

そして葉山もまた、親の言いなりになるのではなく、自分の意思で相手を選ぶべきだったのだ。

自分で選ぶことができなかったのではなく、選ぶことをしなかったのは、雪ノ下のみならず、葉山もまた一緒だった。

陽乃さんが常にふたりの事を気にかけつつも、時として突き放すような態度をとってきたのも、恐らくはそのことと深く関係しているのだろう。

ならば、今こそこの俺が、三人が囚われ続けてきた呪縛から解き放ってやろう。

御行奉為(おんぎょうしたてまつる)。真の意味でのカタルシスというヤツを、ここでとくと味わうがいい。

831 :1 [sage]:2020/05/02(土) 22:08:12.64 ID:aExjX7YW0

八幡「 ――――――― おかしいとは思いませんでしたか?」

俺は言いながら、先程とは逆に、雪ノ下母の目を真っ直ぐ見つめ返す。


雪ノ下母「何が、かしら?」

主語のはっきりとしない俺の曖昧な問いかけに、雰囲気に呑まれでもしたのかははのんが応じてしまう。


八幡「葉山隼人と言えば、近隣でも名の通った好青年で、スポーツ万能、成績も優秀で常に学年トップクラス、そして教師受けもいい」

雪ノ下母「何が言いたの?」


八幡「そんなこいつに、なぜ今まで浮いた話ひとつ流れなかったと思いますか?」

雪ノ下母「それは …… 」

思い当る節でもあるのか、咄嗟に反駁しかけたははのんが口を噤み、その瞳がごく微かに揺れる。


八幡「こいつには、―――― 葉山には、誰にも言えず、ずっと心の奥底に秘めていた悩みがあるんです」


―――― 簡単な話だ。俺という存在が、外部から僅かな力を加える、ただそれだけで今までの関係は破綻し、終焉を迎える。


八幡「でもそれは、親同士が決めた約束が枷となって、今まで誰にも話すことができなかったんです」


―――― しかもそれは、たったひと言で済むはずだった。


八幡「実は葉山が、ずっと好きだったのは、 ――――――――――――――― 」

俺は皆の注目を集めるように芝居がかった仕草でわざと間を稼ぐ。


雪ノ下母は目を細めたまま、身動(みじろ)ぎもせず俺の次の言葉を待ち、

葉山は床に拳を固く握り、視線を床に落としたまま、黙って唇を噛み、

雪ノ下は未だ俺の意図を図りかねるかのように、こちらをまじまじと見つめている。

そして、陽乃さんは、これから俺の言わんとする事など最初から判り切っていたかのように、ひとり優雅な仕草でティーカップを口へと運ぶ。

その場に居合わせた三人のその様子を視界に収めながら、俺はハッキリと告げた。



八幡「 ―――――――――――――――――――― “男”なんです」


832 :1 [sage]:2020/05/02(土) 22:09:50.32 ID:aExjX7YW0

続きは近日中に。ではでは。ノジ
833 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/05/03(日) 08:14:47.48 ID:DMXD56CpO
そっち!?
乙です
834 :1 [sage]:2020/05/03(日) 20:24:56.78 ID:NOnZ36gu0
いかんな。少し雑になってきたぞなもし。

>>831 6行目 

雪ノ下母「何が言いたの?」
     ↓
雪ノ下母「何が言いたいの?」


同じく、17行目

葉山は床に拳を固く握り、視線を床に落としたまま、黙って唇を噛み、
            ↓
葉山は拳を固く握り、視線を床に落としたまま、黙って唇を噛み、
835 :1 [sage]:2020/05/03(日) 20:30:25.54 ID:NOnZ36gu0


んぶっ



その瞬間、陽乃さんが口から盛大に茶色い液体を吹き出し、そのまま暫くの間、ゲホゲホと咳込み、咽せ返す。

暫くしてそれも収まると、後には部屋の隅に設えた古風な柱時計が正確に時を刻む、こつこつという音だけが地獄のような静寂に包まれた空間で大きく響き渡っていた。

思い出したかのように様に、遠く庭のどこかから、カポーンという鹿威しの間の抜けた音が聞こえてくる。

誰ぞ身じろぎでもしたのか、不意にぎしりと椅子の軋む音したかと思うと、――――――――――

今度は、くつくつと、まるで喉の奥が引き攣るかのような奇妙な声が聴こえてきた。

だがそれも束の間、やがて我慢の限界に達したのか、


陽乃「あ、あははははははははははははははははっ、バカだっ、バカだっ、ここに真性のバカがいるぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」


堰が崩れるかのように、陽乃さんの哄笑が広い部屋の中、所狭しとばかりに響き渡る。

そればかりか文字通り腹を抱え、脚をバタバタと振りながら涙まで流している。


雪乃母「 ―――――― 陽乃」

そんなあねのんの姿を無表情に眺めつつ、母のんが静かに窘(たしな)める。


陽乃「だって、だって、だ、だめ、も、もうホント限界っ、あはははははははははははははははははははははははははは、ひーっ、ひーっ、ひーっ」


836 :1 [sage]:2020/05/03(日) 20:35:03.86 ID:NOnZ36gu0

発作のような爆笑が収まり、それでもまだテーブルに突っ伏しながら、けくけくと苦しそうに引き攣るお腹を押さえる長女を尻目に、ははのんが口を開く。


雪ノ下母「 ―――― それは本当なの、隼人くん?」

当然のことながら、息子同然に接してきた葉山に対して向ける目は明らかに懐疑的だ。

しかし、俺の衝撃的とも言える発言に対して、まるで動じた素振りは見せない。例えそれが演技だとしても見事なものだった。


陽乃「ちょっと、お母さん、まさか」

正気を疑うかのような目は、一笑に付すとばかり思ってでもいたのだろう。ははのんの予想外の反応に、あねのんの方が逆に慌てている。


葉山「あ、いや、俺は ………… 」

言葉に詰まりながらも、いったいどういうつもりなのかと葉山が困惑した視線を俺に投げかける。


八幡「 ―――― ええ、そうなんです。俺はこいつから熱い胸の内を打ち明けられ、そのまま黙って見過ごすことができなかったんです」

葉山がボロを出す前にと、素知らぬ顔で付け加えた。


雪ノ下母「ご両親には話したの?」

当然のことながら葉山は何も答えることができず、ただただ恨みがましい目で俺を見るばかりだ。

今、ここでムキになって否定しないのは、俺を信用しているわけでは決してなく、下手に弁解すれば逆に深みに嵌るとわかっているからなのだろう。


837 :1 [sage]:2020/05/03(日) 20:41:59.08 ID:NOnZ36gu0

確かにひと昔前までならば、ふざけた話だと一笑に付されたかも知れない。

だが、今のこのご時世、性的少数派に対する世間の理解は、以前とは比べ物にならないくらい急速に広まっている。

しかし、ある程度はオープンになってきたとはいえ、一部ではまだまだマイノリティに対する差別や偏見の意識は根強い。

それは日本社会で少数派、つまり異分子を排斥しようとする保守的な考え方が未だ色濃く残っているからなのだろう。

そういった土壌で、しかも世間体という厚い壁のある以上、いざカミングアウトしようとしても、それなりの勇気と覚悟が必要とされることに変わりはない。

しかし、まさか葉山もこのような展開に自分が巻き込まれるなどとは予想だにしていなかったことだろう。災難だったな。俺のせいだけど。

838 :1 [sage]:2020/05/03(日) 20:47:51.06 ID:NOnZ36gu0

実のところ、雪ノ下母の反応については俺にとって意外でもなんでもなかった。

雪ノ下の父親は県議会議員の中でもかなり先進的な会派に属している。

その会派では、男女平等参画やジェンダーフリーのみならず、いち早く性的少数派に対する差別撤廃や、同性同士の事実婚を認める、同性パートナー支援制度の制定と導入推進についてもマニュフェストに掲げて取り組んでいた。

性的少数派、つまり、――――― いわゆるLGBTやジェンダー・マイノリティである。

ははのんも議員の妻という立場上、その手の研究会や意見交換会等に有識者として参加し、あるいは団体推薦を受けて理事としても名簿に名を連ねているらしく、そのあたりの事情は、ちょっとネットでググりでもすれば、すぐに情報を掻き集めることができた。

もちろん、いくつかは単なる団体の箔付けのための名義貸しに過ぎないのかもしれないが、少なくともそれがどのような団体で、どういった主旨でどんな活動をしているのか知らないわけではあるまい。

そんなははのんだからこそ、例え相手が小さい頃から我が子同然に接してきた葉山と雖も、それを頭ごなしに否定することができないのも当然だった。

ちなみに俺個人としては性的少数派に対する差別意識は全くといっていいほどないといっていい。
なぜならば、人間とはすべからく二種類に分類されるというのが俺の信条だからだ。 即ち、ぼっちかぼっちでないか、だ。

そして、マイノリティ(ぼっち)はマイノリティ(少数派)を知るものなのである。

839 :1 [sage]:2020/05/03(日) 20:56:38.78 ID:NOnZ36gu0

雪ノ下母「担任の先生からも、あなたがそんな風に悩んでいるだなんて話は聞いていないのだけれど」

それでもまだ納得いかないものか、ははのんが困惑気味にそっと呟くのが聞こえた。

なるほど。どうやら俺たちの担任と通じているというのは本当の事らしい。

三浦は先日ははのんが学校を訪れた際、ふたりが随分と親し気な様子だったと語っていたし、平塚先生からも、うちの担任が以前、陽乃さんのクラスを受け持っていたことがあると聞かされている。

今は直接繋がりはないとはいえ、ははのんが葉山のことを気にかけて連絡を取り合っていたとしても、それは別に不思議ではない。

だが、これ以上葉山にあまり突っ込まれた質問をされでもしたら俺としても都合が悪い。もともと穴だらけの計画だ。ここはやはり早急に幕引きを図った方が得策なのだろう。

とりあえず今は雪ノ下の留学を阻止することが最優先課題である。そのためにも、まずは両家で交わされた婚約話を解消する方向にもっていくことが先決だ。

その後の事については、それからまた考えればいい。

840 :1 [sage]:2020/05/03(日) 21:00:50.33 ID:NOnZ36gu0

♪♪♪♪♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪♪♪♪


と、その時、不意にどこからかケータイの着信音が流れて来た。

今更言うまでもなく俺のスマホは常時マナーモードだし、雪ノ下の着信音はパンダのパンさんだ。そして反応を見る限りでは、葉山でも陽乃さんでもないようだった。


雪ノ下母「 ―――――― 失礼。こんな時にごめんなさい」


ははのんが幾分決まり悪げに軽く断りを入れ、おもむろに取り出したスマホを片手に席を立つ。

戸惑いがちに画面に向けて走らせた目が、驚きに少しく見開かれるのが見えた。

そして、躊躇うことなくその場ですぐに通話ボタンに指を伸ばす。


雪ノ下母「 ―――――― もしもし? ご無沙汰ね。この間は急な事でゆっくりとお話もできなくてごめんなさい」

よほど親しい間柄なのだろう、およそ先ほどまでの冷たくよそよそしい態度と打って変わり、口元には笑みが広がり、話し方も随分と砕けた調子に変わる。

そのまま、ふた言み言、いかにも親し気に挨拶を交わしていたかと思うと、


雪ノ下母「 ―――――― 丁度良かったわ。ちょっとあなたに訊いておきたいことがあったの」

チラリと意味ありげな視線を送って寄越し、あたかも意図的にこちらに聴かせるかのように、声のトーンが少しだけ高くなった。


雪ノ下母「 ―――――― あなたのクラス、確か2年F組だったわよね?」


841 :1 [sage]:2020/05/03(日) 21:05:51.87 ID:NOnZ36gu0

そのセリフを耳にした途端、驚きと絶望のあまり、思わず喘ぎ声を漏らしそうになってしまう。

会話の内容から察するに、電話の相手は、ほぼ間違いなく、うちのクラスの担任 ―――――― なのだろう。

俺の計画に瑕疵があることは承知していたが、休みの日に、それもまさかこの最悪のタイミングで電話がかかってくるなど誰が予想できよう。

俺は臍を噛む思いで会話に聴き耳を立てながら、それでも何か言い逃れはできまいかと、目まぐるしく頭を回転させる。

だが、悔しい哉、焦れば焦るほど考えは纏まらず、打開策は何ひとつ浮かんでは来なかった。

そして、その間も絶えることなくふたりの会話は進む。


―――――――――― どうやら万事休す、か。


俺の焦りを見てとったのか、ははのんの顔に、勝ち誇ったかのような笑みが浮かび、声もひと際高くなる。


雪ノ下母「ええ、そうなの。 実はあなたのクラスの葉山隼人くんのことなのだけれど、ちょっと気になる噂を耳にして ―――――――――― え?」


842 :1 [sage]:2020/05/03(日) 21:06:37.96 ID:NOnZ36gu0



雪ノ下母「 ……………………………………… ハヤハチ? マストゲイ?」




843 :1 [sage]:2020/05/03(日) 21:11:30.16 ID:NOnZ36gu0

手にしたスマホの画面を、それこそ信じられないものを見るかのような目で、暫し食い入るように見つめるははのん。

それはまるで、見えるはずのない相手に向けてその真偽の程を問うているかのようであった。


雪乃母「 …… そ、そう、あ、ありがとう。いえ、なんでもないの。あまりのことにちょっと取り乱してしまって。ごめんなさい。ちょっとビックリしたものだから」


ははのんは簡単に礼の言葉を述べ、ここからでもはっきりとわかるほど震える指でそっと通話ボタンを切る。

そしてスマホを手にしたまま、暫く何やら考え込んでいるかの様子だったが、朱の引かれたその唇からは、


雪ノ下母 「 …… 友達じゃない …… 熱い胸の内 ……… 打ち明け …… る?」


声にもならぬ微かな呟きが漏れていた。


やがて、何を思ったのか、不意にはっと目を瞠る。


雪乃母「 …………………… そう。そうだったのね」


葉山と俺に向けた目が妙に熱を帯びて潤み、その頬が火照ったように赤らんで見えるのは気のせいか。


……………………… おい、ちょっと待て。 いったい“なに”が“そう”なんだよ。


844 :1 [sage]:2020/05/03(日) 21:20:36.89 ID:NOnZ36gu0

雪ノ下母「 …… こほん。 えっと、ヒキタニくん、だったかしら? もう大丈夫。何も心配しなくていいのよ」

その顔には先程までと異なり、まるで慈愛に満ちた聖母のような笑みが浮かんでいる。

雪ノ下母「あなたの気持ちは、今度こそ本当によくわかったから」

八幡「あ、いや、俺ではなくて葉山 ……… 」

雪ノ下母「いいのよ。こう見えて私、そちらの方面には多少理解がある方なの。 私たちの頃は“お耽美”と言ってね、あらやだ恥ずかしい」

俺の言葉になどまるで耳を貸さず、少女のように赤らめた頬を手で押さえ、くねくねと身を捩る様には、つい先程までの威厳に満ち溢れた姿の面影はミジンコほども見受けられない。

雪ノ下母「あなたたちがそういう関係なのだとしたら、こうはもう仕方ないわね」

いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、やっぱり何か勘違いしえねぇかこの人。


雪ノ下母「こほん。今日は色々あって疲れたでしょう? もう遅いから、ふたりともよかったら泊まっていきなさい。急なことで客間に寝具は一組しか用意できないけれど、もちろん構わないわよね?」

敢えて窓の外を見るまでもなく、日はまだ高く、午後の日差しは燦々と差し込んでいる。


雪ノ下母「あ、もしよかったらちょっと私の書斎覗いてみない? もしかしたら色々と捗るかも知れないわよ?」

……… なるほど。もし子供の頃の雪ノ下達が母親の書斎で蔵書を目にしていたら、間違いなくトラウマになっていたことだろう。今度は違う意味で。


ふと見ると、ひとりだけ話の展開から取り残された状態の雪ノ下が、茫然としながらも目で俺に説明を求めているのがわかった。

俺はただでさえ腐った目を更に腐らせて首を横に振る。世の中には知らない方がいいこともあるんだよ?

ところで腐女子ってまさか遺伝したりしないよね?

845 :1 [sage]:2020/05/03(日) 21:26:54.15 ID:NOnZ36gu0

葉山「比企谷、ちょっと話があるんだけど、いいかい?」


幾分引き攣った笑顔で俺の肩に置かれた葉山の手には、なぜか必要以上の力が込められていた。

八幡「お、おい、ばかっ! 今は止せって!」

この状況で、これ以上変な誤解が生じたらどうすんだっての。俺はすぐさまその手を邪険に振り払う。

だが、その瞬間、それまで俺たちふたりに熱い視線を送っていたはずの雪ノ下母の顔色がさっと変わる。

そして、解せないわ、とばかりに首を傾げたかと思うと、再びスマホを手にそそくさと立ち上がった。


雪ノ下母「あ、もしもし? 度々ごめんなさい。決してあなたの言ってることを疑っているわけじゃないのよ。でも念のためにどうしても確認はしておきたいことがあるのだけれど ……… 」


躊躇いがちに言葉を切り、俺たちの方をチラリと盗み見る。






雪ノ下母「もしかして、“ハヤハチ”じゃなくて“ハチハヤ”、の間違いじゃないのかしら?」





葉山&八幡「 ……………………… そうじゃねぇーだろ」




俺と葉山のツッコミが、奇跡的にホ〇 …… いや、ハモった瞬間だった。

846 :1 [sage]:2020/05/03(日) 21:27:49.23 ID:NOnZ36gu0

まだ少し続きますが、今日はこの辺で。ではでは。ノシ
847 :1 [sage]:2020/05/04(月) 20:52:56.15 ID:i1UTfmg30


* * * * * * *


848 :1 [sage]:2020/05/04(月) 20:58:16.40 ID:i1UTfmg30


「何でもは知らないよ。知ってることだけ」


―――― とは、海老名さんご本人の弁である。

セリフこそ同じだが、どこぞの委員長と腐女子とでは、似てるところと言ってもせいぜいメガネくらいしかないだろう。しかもコイツの場合は単なるエロメガネだし。

場所は、事の発端となった例の校舎最上階にある踊り場。集まったのは俺の他に海老名さん、三浦、由比ヶ浜の3人だ。


あの日、雪ノ下母に電話をかけてきたのは、やはりうちの担任 ――― などではなく、海老名さんだった。

海老名さんの話によれば、雪ノ下の母親とは同人サークルを通じて知り合った腐女子仲間なのだそうだ。
もっとも、例え同じサークル仲間であってもプライバーは遵守され、互いの素性はあまり詮索しないのがマナーとされるのだが、海老名さんの方はあの通りオープンな性格だし、ははのんのことも、ちょっとした会話の中から断片的な情報を寄せ集めた結果、彼女が雪ノ下の母親であることに気が付いたらしい。

決め手となったのは、やはりあのミスドでの邂逅だったようだ。

つまり、あの時ははのんが頭を下げた相手は俺などではなく、海老名さんだったというわけだ。

849 :1 [sage]:2020/05/04(月) 21:02:39.44 ID:i1UTfmg30

海老名「でも実際は、娘が友人関係に悩んでいるのを見かねて、気分転換に短期留学でもしたらどうか、っていう心づもりだったみたいだよ」

あの後、海老名さんが直接ははのんに聴いたらしく、そこで得た新たな情報を詳らかに披露する。

ははのんの言葉も足りなかったのだろうが、いつの間にかそれに色々と尾鰭がつき、様々な条件やそれぞれの思惑もあり、誤解に誤解が重なった結果、今回の騒動にまで発展してしまった、ということらしい。

いざ蓋を開け終わってみれば何のことはない、単なる取り越し苦労どころか骨折り損のくたびれ儲けもいいことろだ。

それでも結果オーライなのだから、それはそれでよしとするしかないのだが、もしかしたらまたいつもの如く陽乃さんにいいように操られただけの話だったのかも知れない。

850 :1 [sage]:2020/05/04(月) 21:06:09.56 ID:i1UTfmg30

今回の件で唯一の収穫といえば、雪ノ下家と葉山家の縁談話が正式に破談になった事だ。

雪ノ下母の働きかけによるものだが、そもそもこの話に一番ノリ気だったのもははのん自身だったようである。

破談にするにあたって父親の方は何も言わなかったのかと思ったが、実のところ雪ノ下家の事実上の主は父親ではなく、ははのんの方なのだそうだ。

なんでも雪ノ下家は代々女系の家系で、県議を務める雪ノ下の父親も入婿とのことらしい。
父親の実家もやはりそれなりの名家なのだが、本来家督を継ぐべき長男を婿養子として迎えたくらいのなのだから、その力関係は推して知るべしというヤツなのだろう。


851 :1 [sage]:2020/05/04(月) 21:09:09.80 ID:i1UTfmg30

しかし、いくら婚約の話が失くなったとは言っても、葉山も決して陽乃さんの事を諦めたわけではないだろう。
三浦にしてみればあくまでもスタートラインに立ったに過ぎない。

八幡「言っとくが、お前の相手はあの陽乃さんだ。正直、勝率はかなりのところ低いと思うぞ」

なんせ地上最強どころか史上最高の強化外骨格を纏っているからな。
しかも超がつくほどの美人でスタイルも抜群、幼馴染で、お姉さんキャラで、元許嫁候補のひとりとか、いったいひとりでどんだけフラグ立てまくりなんだよって感じだ。

三浦「だから、そんなこと今更ヒキオに言われるまでもないんですけどぉ?」

いつもの女王様気質を取り戻したのか、積まれた机に尻を乗せ、超高度な上から目線でさして身長差のないはずの俺をぐっと見下ろす。

だが以前とは違って、そこにはなにかしら親しみのようなものを感じるのは気のせいかだろうか。

852 :1 [sage]:2020/05/04(月) 21:13:57.59 ID:i1UTfmg30

結衣「ねぇ、ヒッキー、なんか優美子が勝てるような作戦とかないのかな?」

相変わらずこいつもこいつで、自分の事より友達の事ばかり心配しているようだ。
俺に接する態度も今までとなんら変わりない。まぁ、それも由比ヶ浜らしいといえば由比ヶ浜らしいか。

八幡「 ……… まぁ、ないこともない、かな」

結衣「へ? あるの? それってどんな?」

俺のその言葉に三浦もピクリと反応し、

三浦「へ、へぇ。そ、そうなんだ …… 」

しげしげとネイルを見つめるふりをしながらも、明らかに続きを催促している様子が窺えた。

八幡「そうだな、例えば ……… ふたりだけになったところでいきなり強引に押し倒して無理やり既成事実を作る、とか …… ?」

結衣「 …… キセイジジツ?」

由比ヶ浜がきょとんとするその一方で、

三浦「はぁっ?! なっ? ちょっ? そっ? はぁっ?!」

いち早くその意味を察したらしい三浦が、ぽしゅっと音がしそうなほどの勢いで顔を赤らめる。あーしさんてば肉食系のわりには案外純情なんですね。

そんな彼女を見て、つい不覚にも、可愛いな、等と思ってしまった俺がいたりする。

853 :1 [sage]:2020/05/04(月) 21:19:44.12 ID:i1UTfmg30

八幡「つか、男の俺なんぞに聞くよりも、そういうのなら女子の方がよく知ってんじゃねぇのか?よくわかんねぇけど、なんていうか、こう、傍から見てるだけで胸クソ悪くなるような頭の悪そうなイチャコラのシチュエーションとか」

海老名「 ……… 酷い言われようね。比企谷くん女子に対して偏見持ちすぎだってば。でも、男子の好きそうなシチュかぁ」

目をつむり、頬に指を当てて考える姿が様になりますね。中身は相当腐ってますけど。世のため人のためにもやっぱり一生黙ってた方がいいんじゃないですかね、この子。


海老名「あ、はい! 私こう見えて男子がぐっときそうなシチュだったらいくつかいいアイデアがあるかも?」

海老名さんが小さく挙手して名乗りを上げる。

いや、こう見えてって、お前、誰がどこからどう見たって腐女子以外の何者でもないだろ。それにこいつの場合、シチュっていっても、どうせあっち方面だよな。


854 :1 [sage]:2020/05/04(月) 21:26:14.10 ID:i1UTfmg30

海老名「うん、そうだ、よしっ」

なにが閃いたのか、ささやかな胸の前で手を打ち合わせると、

海老名「ヒキタニくん、ちょっと協力して。そこに立ってもらえるかな? そうそこ」

ちょいちょいと俺を手招きし、次いで何もない壁の一角を指す。

俺としては嫌な予感しかしなかったが、三浦と由比ヶ浜の期待するような目に促されるまま、仕方なく言われた通りに壁の前に立つ。

すると、俺の目の前に来るや否や、海老名さんはその小柄な体を精一杯背伸びさせ、伸ばした両腕の間に俺の頭を挟み込むようにして両手を壁に突く。
しかも片膝を俺の足の間に入れているせいで、動きは完全に封じられた形だ。やだなにこれ逃げ場ない。

海老名「クックック、ヒキタニ、俺のモノになれ ……… 」

鬼畜な笑みを浮かべて俺の目を見つめ、低く渋い声でそう告げると、ゆっくりと顔を近づけてきた。


まぁ、なんて男らしいのかしら。ホレちゃいそう。てか、ホラれちゃいそう。



………… って、そんなわけなかとです。

855 :1 [sage]:2020/05/04(月) 21:29:53.61 ID:i1UTfmg30

八幡「あほかお前は」

海老名「ぶベらっ」

顔面を手で押しやると、海老名さんの口から女の子らしからぬ声が漏れ出た。

海老名「ひっどーい、ヒキタニくんたら、かよわい女の子になんてことするのよ! もうっ、いいところだったのにっ!」

可愛らしく唇を尖らせてぶーぶーと抗議の声をあげる。

八幡「どこがだよっ! かよわいところも、いいところも、いちミリだってなかったじゃねぇか!?」

一瞬マジで貞操の危機すら感じたし。こいつマジこえーよ。あと怖い。

危なくお婿に行けなくされちゃうところだったぜ。そしたらもう責任取って海老名さんに養ってもらうしかない。

はっ?! もしかしてここで既成事実を造るつもりだったの?
 
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