俺ガイルSS 『思いのほか壁ドンは難しい』 その他 Part2

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656 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:15:30.09 ID:U7GVPbHG0


八幡「 ………… 正直、見当もつきませんね」


雪ノ下が姿を消したという事実を耳にして、驚きのあまり一方ならず動揺してしまう。
そしてそんな俺の様子を、陽乃さんが冷静な目で凝っと見ているのが分かった。

八幡「雪ノ下 ――― いえ、妹さんと連絡がとれないと何か困ることでもあるんですか?」

普通なら一時的に妹と連絡がとれなくなったという多寡がそれだけの理由で、わざわざ朝早く他人の家まで押しかけて来たりはすまい。いや俺ならするかも知れないけれど。

もしかしたら何かしら差し迫った事情でもあるということなのだろうか。


陽乃「そうね。……… 実は今日、あの子と一緒に、今住んでいるマンションの解約手続きをしに行くことになっていたの」

昨日、陽乃さんが口にしていた“明日の事”とは、つまりその事だったのだろう。しかし、

八幡「その手続きってのは直接本人がいなきゃできないもんなんですか?」

俺も詳しくは知らないが、建物自体は元々親の持ち物らしいし、単に解約するだけなら管理会社に電話一本で済みそうな気もするのだが。


657 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:17:46.97 ID:U7GVPbHG0

陽乃「んー、別にそういう訳でもないんだけど …… 」

曖昧な言葉で濁しながら、彼女はそこで一旦言葉を切ったが、

陽乃「お母さんの反対を押し切って勝手にひとり暮らし始めたのは自分だから、最後まで自分でやるって言いだして」

次に口にしたその言葉に妙に納得してしまう。
なるほど、あいつだったらそれくらいのことを言い出しかねない。
もしかしたら雪ノ下にとってのそれは“けじめ”という意味も含まれていたのかもしれない。

陽乃「そうしたら、お母さんが“それならあなたも付き添ってあげなさい”って」

八幡「それってつまり、お目付け役ってことですか?」

途中で気が変わらないように最後まで見届けろ、ということなのだろう。

陽乃「嫌な言い方だけど、その通りね」 そう言って苦笑を浮かべて見せた。

658 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:21:24.71 ID:U7GVPbHG0

八幡「でも、あいつが行きそうなところだったら、俺なんかより貴女(あなた)の方がよっぽど心当たりがあるんじゃないですか?」

それにもし仮に俺が知っていたとしても、絶対に教えるわけがないことだって百も承知だろうに。

しかしそれがわかっていながらも敢えてここまで足を運んだ、ということは、当然何かしらそれなりの思惑があってのことなのだろう。

いずれにせよ、雪ノ下の突然の失踪には今回の留学の件が絡んでいることは間違いあるまい。

まさか心変わりした、というわけでもないだろうが、もしそうだとしても、なぜまた今になって急に翻意したのかという疑問は拭い切れない。

659 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:24:56.89 ID:U7GVPbHG0

陽乃「普通なら、そうね。でも今回は今までとはちょっと勝手が違うみたいなの」

八幡「何がどう違うんですか?」

陽乃「スマホの電源もずっと切ったままにしてあるみたいだし」

八幡「たまたまバッテリーが切れているとかじゃなくて?」

別に珍しいことではない。うっかり充電し忘れてしまうことだってあるだろうし、そうでなくとも古くなったスマホはいつの間にか勝手に電源が落ちていたりするからな。

もっとも俺の場合、スマホはコミュニケーションツールとしてではなく“今スマホしてるから話しかけないでくれオーラ”を演出するためのディス・コミニケーションツールみたいなものなので実際に電源が入っていようがいまいが別に困ることはないし、そもそもわざわざそんなこともしなくても最初から話かけてくる相手からしていないのだが、一応はぼっちの嗜みというやつだ。

陽乃「でも、バッテリーの残量はまだ十分残っているはずなの」

スマホを取り出し、何やらぽちぽちと弄りながら答える。

おいおい、今この女性(ひと)、しれっととんでもないセリフ口にしなかったか? なんでそんなことまでわかるんだよ。
本人の知らないうちに位置情報特定する違法なマルウェアとか仕込んでるんじゃねぇだろうな。カレログじゃなくてイモログ?
もしかしてあいつが電源切ってあんのもそれが原因なんじゃね?

660 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:29:40.06 ID:U7GVPbHG0

ふと陽乃さんの視線が部屋の一点に注がれたまま止まる。

彼女の視線を追うと、そこはクリップポードに留められた家族の写真が数枚飾られている場所だった。

主に小町の写真がメインだが、申し訳程度に俺の写真も数枚混じっている。
家族のスナップ写真で俺だけ見切れているのが多いのは、クソオヤジが小町中心に写しているからだ。

陽乃さんが、「見ていいかしら?」と目で問うてきたので、特に断る理由もない俺は「どうぞ」と、浅く頷いて応える。

陽乃さんはすっと音もなく立ち上がると、俺のすぐ近くを横切り、立ったまま写真を眺め始める。

彼女が今、どのような表情をしているかまでは俺の座っている角度からでは見えない。

661 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:33:42.89 ID:U7GVPbHG0

陽乃「そういえば比企谷くん、この間の校内マラソン大会の時、ゴール間際で転んだんだって?」

不意に陽乃さんが、それこそどうでもいいような話題を振って来た。もしかしたら小町の運動会の写真を見て思い出しでもしたのだろうか。

八幡「そんな話、いったいどこから聞いてきたんですか?」

まるで場違いな質問に多少面喰らいながらも、ついつい問い返してしまう。

陽乃「途中まで隼人と一緒だったんでしょ?」

八幡「ええ、まぁ」 どうやら話の出所は葉山らしい。

三浦に頼まれて文理選択の答えを聞き出そうという目論見があったとはいえ、普段から運動らしい運動ひとつしていない俺が現役サッカー部のエースと並走しようとは、我ながら無茶をしたものである。

学校の部活動はたいてい体育会系と文化系に分類されるものだが、俺の所属する奉仕部はどうかというと、当然、そのどちらでもない系である。

陽乃「相当派手に転んだって聞いてるけど?」

八幡「や、そんなたいしたもんじゃありませんよ。ちょっと膝を擦り剥いたって程度です」

陽乃「 ……… へぇ、そうなんだ」

662 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:38:29.90 ID:U7GVPbHG0

陽乃「 ……… ねぇ?」

やや間をおいて継がれたその声には彼女としては珍しく、遠慮がちな響きがあった。

陽乃「それってやっぱりあの事故の後遺症のせいなの?」

八幡「 ………… 事故?」


気が付くと、いつの間にかすぐ目の前に立つ陽乃さんを俺が下から見上げる形になっていた。

本能的に身の危険を察知し、半ば腰を浮かせかけた俺の肩の辺りが、ぽんと軽く押される。


八幡「え?」


さして力を込めた様にも見えなかったが、絶妙なタイミングで押されたせいか簡単にバランスを崩してしまい、そのまま背中からソファーの上に倒れ込んでしまった。

起き上がろうとする俺の胸の辺りが、やんわりと、だが、有無を言わせぬ柔らかな重みに押し止められる。

この感触は、もしかして ……… ノー〇ラ?!


熱く湿った吐息が顔にかかるほど近く、お互いの鼻が触れ合わんばかりに迫る陽乃さんの顔に、ちょっとしたパニック状態に陥る。


陽乃「どれどれ、その傷とやら、お姉さんにもちょっと見せてごらんなさい」

663 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:44:46.57 ID:U7GVPbHG0

八幡「やっ、ちょっ、なっ?!」

泡喰って抵抗しようにも、この状況で変に押しのけようとして当たったり触ったりしたらかなりマズいものがある。

陽乃「うふふ、よーいではないかぁ♪」

必死に後ずさろうとする俺に、陽乃さんがとろけるような熱っぽい目で這い寄ってくる。しかもこの角度だと胸の圧迫感というか迫力がマジパない。


“それは 胸というにはあまりにも大きすぎた 大きく 柔らかく 重く そして豊満過ぎた それは 正に肉塊だった”


思わず脳内ナレーションが流れてしまう。しかも石塚○昇ボイスで。


八幡「全然よくありませんってば! って、なにどさくさに紛れて上まで脱がせようとしてるんですか?!」

陽乃「ついでよ、ついで。いいじゃない、別に減るもんじゃあるまいし。あら、意外と引き締まってるのね」

八幡「だからそういうことされると俺の神経がゴリゴリ擦り減るんですってば!」

陽乃「ほらほら、すぐに終わるから、あなたは大人しく畳の目でも数えてなさい」

八幡「でもこの部屋フローリングなんですけどっ!?」

陽乃「えいっ」 はむっ


いやぁああああああああ! やめてぇええええええええ!! 耳はらめぇええええええええ!!!

664 : [sage]:2019/07/19(金) 00:49:14.95 ID:U7GVPbHG0

かたんっ


その時、不意に部屋の外から小さな物音が響いてきた。

陽乃さんがすぐにその音に反応して動きを止め、それでもきっちりマウントをとった状態のまま何かしら問うような視線でじっと俺を見下ろす。


雪乃「おやおや、比企谷くんのおうち、大きなネズミでも出るのかしら?」

八幡「 ……… いえ、ネズミじゃなくてネコだと思います」

陽乃「ネコ? …… へぇ、ネコなんて飼ってたんだ? ネコ、好きなの?」

八幡「ええ。ネコは好きですよ。さすがに貴女(あなた)の妹さんほどじゃありませんけど」

今更言うまでもないことだが、雪ノ下のネコ好きはまさに超合金Zかガンダニウム並みの筋金入りだ。


陽乃「 ……… そうね。でもあれは一種の代償行為みたいなものだから」

ごくさらりと陽乃さんが口にした言葉が耳にとまった。


八幡「代償行為? それってあの ……… ?」

陽乃「そ、さすがによく知ってるわね」

全てを口にするまでもなく陽乃さんが俺の考えを読み取る。

陽乃さんの言う代償行為とは、何らかの原因によって欲求が満たされなかった場合に、それに代る行為で代替えしようとする心理行動のことである。

665 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:54:51.89 ID:U7GVPbHG0

俺の言葉を裏付けるようにして、扉の隙間から飼い猫のカマクラが顔をのぞかせ、そのままのそのそと部屋に入って来た。

冬なのにわざと扉を少し開けておく習慣はネコを飼っている家あるあるだ。
もっともこの場合はネコのためというよりも、いちいち戸を開け閉めするのが面倒だという飼い主側の事情によるものが大きいのだが。

ここで犬ならばまず間違いなく飼い主の危険を察知して即座に駆け寄ってくるところなのだろうが、部屋に入って来たカマクラはこちらを一瞥したきり後は見向きもしない。

別に俺が嫌われているとか、家族のヒエラルキーの中でも一段低く見られていると言うわけでもないし、できればそう思いたい。
ネコはイヌと違って多分に野生が残っているらしく、例え相手が誰であろうとまるで気兼ねすることなく勝手気儘、悠々自適に振る舞う可愛らしくも憎たらしい生きものなのである。


陽乃「名前はなんていうの? あ、あなたじゃなくてもちろんネコの方ね?」

八幡「 …… いちいち断らなくてもそれくらいわかりますから。えっと、カマクラです」

陽乃「ふーん。カマクラ、ね。おいで、カマクラ」

カマクラは陽乃さんに名前を呼ばれると甘えた声でにゃあとひと鳴きし、そのままとことこソファーまで近づいてきてごろんと横になる。
あまつさえ撫でれとばかりに腹まで見せやがった。

おいおい、お前の野生の矜持と飼い主である俺の立場はいったいどこにやったんだよ。 

666 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:57:44.87 ID:U7GVPbHG0

陽乃「私はてっきり比企谷くんは犬派だとばかり思ってたんだけどなー」

ソファーから乗り出すようにして俺の身体越しにカマクラの腹をふにふにもふもふと撫で摩りながら、陽乃さんが問うともなしに問うてきた。
カマクラが気持ち良さそうにごろごろと喉を鳴らす。

八幡「別に犬も嫌いってわけじゃありませんけど。でもどうしてそう思ったんですか?」

陽乃「そうね、犬好きの匂いがするっていうか?」

八幡「犬好き?」

思わずくんくんと袖の匂いを嗅いでみる。なるほど、確かに負け犬の匂いならプンプンしてるかしれませんけど? しかも血統書付き。

陽乃「だって、あの時もあんな必死になって車に飛び込んで来たじゃない?」

八幡「 ……… あの時?」

さきほどからの話の流れもあって、それが高校入学初日に起きたあの事故のことを意味しているのはすぐにわかった。
しかし、まるでその場で見ていたかのような口ぶりに違和感を覚え、つい同じ言葉で聞き返してしまう。


陽乃「あら、言ってなかったしら?」

言いながら、陽乃さんは今度は俺の耳元に睦言のようにそっと囁く。


陽乃「キミが事故に遭った時、私も雪乃ちゃんと一緒にあの車に乗ってたんだよ?」

667 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:02:54.44 ID:U7GVPbHG0

驚きのあまり思わずがばりと半身を起こすと、バランスを崩した陽乃さんがわざとらしく嬌声を上げる。

カマクラがビクリと跳び退き、そのままソファの陰へと逃げ込んでしまった。

陽乃「もしかしてやっとその気になったのかしら?」

八幡「なってませんて。じゃなくて、そんなこと今まで一度も言ってませんでしたよね?」

陽乃「そうだったかしら。それに、わざわざ話すようなことでもないでしょ?」

八幡「でもそれだとまるで、あなたは最初から全部知ってたみたいじゃないですか」

陽乃「もちろん全部というわけじゃないんだけどね。お父さんの立場もあるからって、キミのことは何も教えてもらえなかったし」

そういえば、あの事故の事後処理は弁護士を通じて内々のうちに示談で済ませたと聞いている。
元はと言えば勝手に路面に飛び出した俺が悪いわけであって、うちの親も恐縮しきりだったらしいが、結局のところ押し切られる形で治療費は全額負担してもらっているはずだ。
別に俺が文句を言えるような立場でも筋合いでもあるまい。

668 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:05:59.08 ID:U7GVPbHG0

その時、閃きにも似たある考えが俺の頭に浮かぶ。

八幡「もしかして、あの時、間に入った弁護士さんって ……… 」

陽乃「そ。お父さんの会社の顧問弁護士。つまり、隼人のお父さんよ。といっても、普段は交通事故の示談なんかは扱ってないみたいだけど」

八幡「ってことは、葉山も事故のことを?」

陽乃「 ……… そうね、知っていたとしても不思議はないかもしれないわね」

そんな素振りを露ほども見せなかったのは、父親の仕事とはいえ、やはり依頼人に対する守秘義務があったからなのだろうか。

陽乃「あ、それから」

八幡「 ……… まだ何かあるんすか」

陽乃「ちなみにあなたの運ばれた病院、あれ、隼人のお母さんのところよ」

当たり前のような顔で、とんでもないことを言ってのける。

さすがにそれはできすぎだろう ……、と言いたくもなるところだが、必ずしもそうとは言いきれないないところに逆に怖いものを感じる。
当初から示談に持ち込むことを念頭に置いていたのだとしたら、その方が色々と都合がよかったことだろう。

サブレの飼い主である由比ヶ浜、庇って車に跳ねられた俺、跳ねた車に乗っていた雪ノ下、示談の間に立った弁護士と俺の運ばれた病院の女医さんの息子である葉山。

なんの因果なのか、どうやら俺達は運命の糸というやつで最初からがんじがらめに縛られていたらしい。

669 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:08:44.68 ID:U7GVPbHG0

陽乃「雪乃ちゃんもあの事故のことはずっと気にしてて」

八幡「ああ、あいつもアレでいて案外、気にしぃなところがありますからね」

完璧主義故の潔癖症なのだろう。他人にも厳しいが自分にも厳しい。そしてなぜか俺に対しては一番厳しい。それってなんかおかしくね? 普段の俺に対する言動の方をもっと気にしろよ。


陽乃「あの子もあの子なりに色々と手を尽くして調べていたみたいなんだけど、あの事故のことはおろか、あなたの存在すら誰も知らなくて」

そこで陽乃さんはなぜか改めて俺の顔をまじまじと見つめる。


陽乃「 ……… あなた、いったい何者?」

八幡「 ……… いや、ただのぼっちなんですけどね」

670 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:12:55.26 ID:U7GVPbHG0

陽乃「それにしても、ほとんど諦めかけてたから、まさかあんな形で再び会うことになるとは思いもよらなかったわ。今だから言うけど、初めてキミが雪乃ちゃんと一緒にいるのを見た時は、ホントびっくりしたものよ」

そうは見えなかったが、このひとのことだ。気がついても素知らぬフリをするくらい雑作もないことなのだろう。

陽乃「 ……… てっきり雪乃ちゃんに先を越されたのかと思ったんだけど」

八幡「先を越すって ……… 何がですか?」

俺のその言葉を陽乃さんは曖昧な微笑(えみ)を浮かべて誤魔化した。


八幡「ところで、貴女はどうしてそれが俺だとわかったんです?」」

陽乃「私は静ちゃんから聞いたの」

なるほど、被害者と加害者が共に学校の関係者であるならば、当然学校側があの事故のことを把握していたとしても何ら不思議はあるまい。
本来ならもっと大騒ぎになってもおかしくないはずなのだが、相手が県議とあって学校側も色々と忖度したのやも知れない。

だとすると、もしかしたら俺があの部室の連れて来られたのも、決して単なる偶然なんかではなかったということなのだろうか。

全てを知っていながらも敢えて事故のことを俺たちに黙っていたのも、平塚先生なりに何かしら思うところがあったのかも知れない。
自ら抱える悩みや問題を自力で解決させることが奉仕部の主旨であるとするならば、それは自ずと部員にも適用されるということか。

いかにもあの先生の考えそうなことではある。

671 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:17:32.05 ID:U7GVPbHG0

陽乃「 ――― さっきの話の続き、なんだけど」

あねのんの言葉にふと我に返る。

陽乃「実はあの子はね、昔はどちらかというとネコよりもイヌ好きだったのよ」

八幡「それが ――― どうしてあんなに苦手になったんですか?」

陽乃「なぜだと思う?」

八幡「小さい頃あなたが面白半分にイヌをけしかけた、とか?」

陽乃「あ、惜しい! ……… でも、確かにそんなこともあったかしらね」


…… あったのかよ。嫌味で言ったつもりだったのに。いや、この人ならマジでやりかねないから怖いんだよな。

獅子は千尋の谷から我が子を突き落とすというが、あねのんなら教育的指導とかいう名目で更にその上から平気で岩とか投げ落とすまでしそう。
もうシゴキとか体罰っていうレベルじゃねぇだろ。虐待だ虐待。児童相談所何やってたんだよ。

そう考えると雪ノ下の抱える幼少期のトラウマの八割方はこの姉のせいなのかもしれない。もちろん血筋もあるが、あの加虐的な性格も多分に影響を受けているのだろう。

672 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:23:46.26 ID:U7GVPbHG0

陽乃「昔、ふたりでお父さんにおねだりして仔犬を買ってもらったことがあってね」

そのまま語り続ける陽乃さんの声が、いつの間にかいまだかつて聞いたことのないよう湿り気を帯びる。

陽乃「とても可愛がっていたんだけど、その犬が私たちの見ている目の前で車に轢かれちゃって」

八幡「 ……… 」

陽乃「あの子、その犬を抱えたまま、ずーっと泣いててね。あれ以来、犬、それも小さな犬は特に苦手みたい。多分、あの時のことを思い出しちゃうからじゃないのかな」

遠くを見るような目で何もない空間を見つめながら小さく付け加える。

陽乃「雪乃ちゃんが他人、それも男の人に対してあそこまで関心を持つなんて珍しいな、って思ってたんけど」

そこで言葉を切り、再度俺に顔を向ける。

陽乃「見ず知らずの犬を庇うために車の前に身を投げ出されちゃっりなんかしたら、例えガハマちゃんじゃなくってもキュンってしちゃうのは当然なのかも知れないわね」

673 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:27:11.95 ID:U7GVPbHG0

八幡「あの、ひとつ聞いていいですか?」 

陽乃「何かしら?」

八幡「由比ヶ浜の父親が務めている会社のことなんですけど」

陽乃「 ……… 驚いた。そんなことまでいったいどこから訊いてきたの?」

余程意外だったのだろう、一瞬だけだが素で驚いた表情を浮かべる。

俺はその問いには答えず、質問を続けた。

八幡「雪ノ下にはそのことを?」

陽乃「いいえ。私からは何も伝えてないわ。もしかしたらそのことでガハマちゃんと何かあったのかしら?」

八幡「由比ヶ浜とは昨日直接会いましたけど、そんな話はしてませんでしたから、多分それはないはずです」

万が一耳に入っていたとしたら、あいつの性格からして話がもっとややこしくなっていたことだろう。


陽乃「ふぅーん、お休みの日に、ふたりで? それってもしかして、デートってことかしら?」

意地悪な笑顔を浮かべたかと思うと、素知らぬ顔でいきなり俺の太腿のあたりを抓る。

八幡「ってててて! そ、そんなんはありませんてば!」

陽乃「あらら、な―んだ、つまんない。それじゃあ、いったい何をしていたの? 正直にいってごらんなさい?」

八幡「や、なにって、……… 単にふたりで映画見て、メシ食って、街をぶらぶらして、お茶して、ポートタワーから夜景眺めただけですけど」


陽乃「 ……… 比企谷くんは知らないかもしれないけれど、それを世間一般ではデートって言うんだよ?」


674 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:29:04.24 ID:U7GVPbHG0

陽乃「それで、雪乃ちゃんは昨日キミがガハマちゃんと会ってたことは知ってるの?」

八幡「ええ、その事は由比ヶ浜から直接伝えたって聴いてます」

陽乃「 ……… ふーん。なるほど、ね。 それで、か」

何やらひとり得心がいったようにふむふむと頷いたかと思うと、

陽乃「やれやれ、今更逃げたところでどうにかなるってわけでもないのにね」

呆れたようにそう呟く。

八幡「逃げる? あいつが? 何からですか? 別に逃げてるってわけじゃないんじゃないですか」

逃げるという言葉があまりにも雪ノ下に似つかわしくなかったせいもあるが、俺よりも彼女をよく知るはずの相手なのに、それでもつい庇うような口調になってしまう。

陽乃「そうかしら? 私はそうは思わないけど」

そういうところはちっとも変わってないのよね、と、ひとりごちるように付け加えた。

675 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:30:59.83 ID:U7GVPbHG0

陽乃「さて、と、コーヒーご馳走様」

訊きたい事は全て聞き出したのか、それともこれ以上ここに居たところで何も得るものはないと判断したのか、陽乃さんがあっさりと俺の上から身を離す。

八幡「無駄足踏ませてしまったようですみませんね」

陽乃「あら、なんのことかしら?」

俺の精一杯の皮肉に、あねのんは毛一筋すらも動かすことなく素知らぬ顔で応えた。

676 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:34:41.44 ID:U7GVPbHG0

陽乃さんを玄関先まで見送ると、ちょうど、帰って来た小町に出くわす。

小町「あれ、もう帰っちゃうんですか?」

その両手には菓子類の詰まった大きなコンビニの袋。こいつ、俺の金だと思っていったいどんだけ買い込んできたんだよ。


陽乃「ごめんなさいね、また今度時間のある時にゆっくり寄らせてもらうから」

小町「どうぞどうぞ! 陽乃さんなら、いつでも大歓迎です!」

陽乃「ふふふ。ありがと。小町ちゃんたらホントに可愛いわね。もう、食べちゃいたいくらい」

言いながら両手の塞がった小町をそのままぎゅっと胸に抱き寄せる。

小町可愛いという点においては俺も激しく同意せざるを得ない。
もはや国民的妹と言っても過言ではない小町を育てたのは実はワシなんじゃよガハハハとか言って自慢したくなるレベル。
もっとも、育てたのは俺ではなくて親なのだが、俺の記憶している限り小さい頃からほとんど手のかからない子だったのでそれすらも怪しい。

それにしても実の妹に対しては苛烈なまでに厳しいくせに、他人の妹にはやたらと優しいのな。

もしかしたら、ある意味それが彼女自身の代償行為なのかも知れない、――― ふとそんな考えが脳裏を過る。


小町「あわわわ、可愛いだなんてそんな正直な! あ、でも食べるんなら兄の方が超おススメですよ。もう目のあたりから腐りはじめてますけど、お肉は腐りかけが一番美味しいっていうし、今だったら消費期限ギリギリアウトです」

八幡「なんでアウトなんだよ」


小町「それに、今度はうちの両親揃っている時に来てもらえたりするとポイント高いですよ!」

陽乃「そうね、私も常々是非一度、比企谷くんの親の顔が見てみたいと思っていたところなの」


八幡「 ……… それ、明らかに違う意味で言ってますよね?」

677 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:37:46.47 ID:U7GVPbHG0

陽乃「じゃ、比企谷くん、もし、雪乃ちゃんから何か連絡があったら教えてね。決して悪いようにはしないから」

八幡「ええ、覚えておきます」

陽乃「あ、それから」

片目を瞑り、艶っぽく付け加える。

陽乃「さっきの続きはまた次の機会に」

八幡「 ……… それだけは絶対にありえませんから」

雪ノ下の名前を耳にした小町が何かしらもの問いたげな表情を浮かべてそっと俺の顔を窺がう。

俺は迷った挙句、無駄だとはわかりつつも既に背を向けている陽乃さんに声を掛けた。

八幡「あの、余計なお世話かもしれませんけど、いくら妹だからってあまり干渉し過ぎるのも却って逆効果なのかもしれませんよ」

扉に手をかけていた陽乃さんが、ふとその動きを止めたが、振り返ることなく答える。


陽乃「 ――― 私にはこんなやり方しかできないの。知ってるでしょ?」


外の世界と家の中を隔てる玄関の扉が、いつもより少しだけ長く、もの悲しい音を曳いて閉まる。

ややあって、隣に立つ小町がくいくいと小さく袖を引きながら、俺に向けてそっと呟いた。



小町「 ……… お兄ちゃん、それって特大のブーメランだと思う」

678 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:41:00.96 ID:U7GVPbHG0

では、本日はここまで。ノシ

やっと終わりが見えてきました。今しばらくお付き合いください。
679 :1 [sage]:2019/07/19(金) 08:33:53.85 ID:U7GVPbHG0

まぁ、他にも色々とあるんですが、ここだけ修正しときます。

>>614 6行目


そこで少しだけ間を置き、できるだけ当たり障りのない紹介しようと三浦の顔色を窺いながら慎重に言葉ぶ。
                      ↓
そこで少しだけ間を置き、できるだけ当たり障りのない紹介しようと三浦の顔色を窺いながら慎重に言葉を選ぶ。


>>673 10行目

八幡「ってててて! そ、そんなんはありませんてば!」
           ↓
八幡「ってててて! そ、そんなんじゃありませんてば!」
680 :1 [sage]:2019/07/20(土) 23:22:53.35 ID:018m0W4j0

転章なので今回は短めです。
681 :1 [sage]:2019/07/20(土) 23:29:28.52 ID:018m0W4j0

小町「そう言えば、お兄ちゃん、どこか出かけるんじゃなかったの?」

陽乃さんが去った後、小町が思い出したように話しかけてくる。

八幡「いや、予定変更だ」

先ほど家に招き入れた際、陽乃さんは玄関先でごくさりげなくだが靴を物色していた。
リビングでも一見寛いでいるようでいて、実は家の中に他に人の気配がないかと耳を欹(そばだ)てていたことにも気が付いている。

ということは、彼女が俺の家まで来た理由はひとつ ――― 雪ノ下がここにいないかと勘繰ってのことなのだろう。

俺に変なちょっかいをかけてきたのも、妹を誘き出そうとしてのことだとすれば十分頷ける。

もっともあの女性(ひと)の事だ。
もしかしたら単に俺に対する嫌がらせのためだけにわざわざ家まで押しかけて来たという可能性もなきにしもあらずなのだが。
何といっても目的のためなら手段を選ばないどころか、手段のためなら目的すら選ばないところまであるからな。

682 :1 [sage]:2019/07/20(土) 23:32:21.68 ID:018m0W4j0

八幡「あー…、それより小町、悪いけどちょっと金貸してもらえないか?」

昨日の由比ヶ浜とのお出かけと先程のお茶請けの菓子代で、ただでさえ乏しい俺の軍資金は既にほぼ底を尽きかけている。
どこへ行くという宛てがあるわけでもないのだが、いざという時に今手持ちの金だけでは少しばかり心許ない。

小町「またぁ? 小町だって今月は結構ピンチなんだよ?」

八幡「や、ほら、倍にして返すから ……… 宝くじで三億円当たったら」

小町「 ……… 三億円当たっても倍にしかならないんだ。っていうか、お兄ちゃん宝くじなんて買ってないじゃない」

八幡「いや、買ってるだろ、オヤジが」

小町「こんな時まで親の脛齧るつもりなんだ!? 地道に働いて自分で返すつもりがない時点でお兄ちゃん人として始まる前にもう終わってるよ?!」

八幡「よしわかった。そこまで言うんなら体で返す」

小町「 ……… それってクズ男が女からお金をせびる時のテンプレ文句だってば。 っていうかいらないしマジいらないしホントいらない」

八幡「なにをうっ! お兄ちゃん、お前をそんな薄情な子に産んだ覚えはないぞっ?!」

小町「 ………… 小町だってお兄ちゃんに産んでもらった覚えないけど」

683 :1 [sage]:2019/07/20(土) 23:37:26.75 ID:018m0W4j0

小町「やれやれ、でもそういうことなら仕方ないか」

ちょっと待ってて、と言い残して姿を消したかと思うと、しばらくして年頃の女の子にあまり似つかわしくない地味な茶封筒を片手に戻ってくる。

小町「はいこれ」

俺に向けて差し出された封を受け取って中を覗くと、そこにはピン札が数枚。

八幡「何これどうしたんだ?」

小町「ん? ヘソクリ」

ドヤ顔でいかにも得意げに胸を張って見せるが、残念ながらその手のマニアでもなければ腹と胸の区別すらできない。

八幡「いいのか、こんな大金?」

小町「雪乃さんのためなんでしょ? だったら小町だって、ひと肌もふた肌も脱いじゃうよ」

うんうん、やはり持つべきはよくできた可愛い妹だな。でもとりあえずお前も年頃の娘なんだから、脱ぎ散らかした下着は自分で洗濯カゴに入れるくらいしような?

小町「それに、お兄ちゃんのためでもあるもんね。あ、これって小町的にポイント高いかも」

八幡「 ……… 小町」

ポイント云々はともかく、感動のあまり思わず目を潤ませる俺に、小町が後ろ手を振りながら当たり前のような顔で付け加える。


小町「あ、利子はいいからね。それ、お父さんのだし」

684 :1 [sage]:2019/07/20(土) 23:38:51.98 ID:018m0W4j0


* * * * * * * * * *


685 :1 [sage]:2019/07/20(土) 23:45:40.32 ID:018m0W4j0


小町「 ―――― で、結局もう諦めて帰ってきちゃったの?」


ソファーにぐったり凭れかかるようにして仰向けになる俺に、小町が呆れ顔で声をかける。

八幡「 ……… いや、捜すにしたって、千葉、広過ぎだろ」

県外にお土産として持ってくと湿気ていると勘違いされてしまいがちな銚子の濡れ煎でさえ平気で食べることのできるほど千葉愛に満ちた俺としては、誇らしいと思う反面こんな時ばかりはやはりげんなりしてしまう。
ちなみにフツウの煎餅は湿気ると柔らかくなるものだが、濡れ煎は湿気ると逆に固くなる。一応これも千葉のマメチな?

小町「そのへんブラブラしてて、どこかで偶然ばったりってことはないの?」

八幡「 …… なんだよそのベタな展開」

生まれながらにして神懸かったアンチ恋愛体質の俺のことだ。例えトーストを咥えて交差点で飛び出したところで、せいぜいまた車に轢かれるのが関の山だ。

それどころか下手をすると当たり屋と間違えられて警察に捕まるかもしれない。

686 :1 [sage]:2019/07/20(土) 23:53:40.40 ID:018m0W4j0

小町「雪乃さんが行きそうな場所とかわかんないの?」

八幡「さっき陽乃さんにも同じこと聞かれたけど、正直言ってホントに見当もつかん」

小町「 ……… お兄ちゃんって、ホント使えないね。知ってたけど」

八幡「使えない言うな」

同じ学校、同じ学年とはいえ本来、代議士の娘である雪ノ下と社畜の息子に過ぎないこの俺とでは天と地ほどの差がある。
活動範囲どころか住む世界からして既に異なる。
あたかもロミオとジュリエットのようだと言えば聞こえがいいが、要は格差社会のモデルケースみたいなものだ。

八幡「だいたい、千葉にいると限ったわけでもないだろ。さすがに車はないにしても電車とか …… 青春18きっぷ一枚でどこまで行けると思ってんだよ?」

小町「でも雪乃さん、まだ17歳じゃなかったっけ?」

八幡「一応言っておくが18きっぷは年齢に関係なく買えるからな?」

しかしよく考えてみれば罪つくりなネーミングだよな。

みどりの窓口で、もじもじしながら小声で「せ、青春18きっぷ下さい」とか口にしている平塚先生の姿が目に浮かぶようだ。

小町「あ、だったら想い出の場所とか、どう?」

八幡「想い出の場所?」

知り合ってまだ一年に満たない俺達に、想い出の場所などあるだろうか?

メッセ、ららポート、千葉村キャンプ場、修学旅行で訪れた奈良京都の名刹、東京ディスティニーランド、幕張のコミュニティセンター、…… 結構あるもんだな。

さすがに遠方はないだろう。あいつ、人込み苦手だし方向オンチだし。初見の場所では予めパン屑でも捲いておかない限り戻って来られそうもない。

しかしそうなると、直近でしかも近場と言えば奉仕部の部室くらいしか思いつかないが、さすがに休みの日に特別棟には入れないはずだ。

687 :1 [sage]:2019/07/21(日) 00:05:58.60 ID:4msA1/n50

その時、今までどこに隠れていたものか、再び姿を現したカマクラがテーブルの上に飛び乗った。

小町の買ってきた袋の中身が気になるのか、コンビニ袋に首を突っ込んで中をガサゴソと物色しているうちに、偶然置きっぱなしだったリモコンを踏んづけ、その拍子にテレビの電源が入る。

画面に映し出されたのは、バラエティ番組か何かだ。いつもなら気にも留めないわざとらしい笑い声が今は耳について煩わしい。

しかし、すぐに切ろうと伸ばしかけた手がそこで止まる。

コマーシャルに切り代わって画面に登場したのは笹の葉を咥えた凶暴な面構えのパンダのキャラクター ―――― パンさんだ。

そういや昨日、映画館でも3Dリメイク版が近日公開だとかいって予告編が流れてたっけか。

パンさんが酔っ払って千鳥足で酔拳を繰り出し、悪役をばったばったと薙ぎ倒すシーンでは、既に聞き慣れたテーマ曲が流れ始める。


―――――――― そうか!


閃くものを感じた俺はソファーに置きっぱなしだった上着を引っ掴む。


小町「お兄ちゃん?!」


背後で小町が声を上げるのが聞こえたが、一縷の望みに賭けた俺は振り返ることもなくすぐさま駅へと走った。

688 :1 [sage]:2019/07/21(日) 00:07:40.27 ID:4msA1/n50

それでは短いですが、本日はこの辺で。ノシ゛
689 :1 [sage]:2019/07/27(土) 19:56:47.78 ID:/20m2WhF0

おっとっと。次の更新はできれば今月中、遅くとも来週中に。
690 :1 [sage]:2019/08/10(土) 21:10:27.83 ID:hNAt3JfZ0

この暑さの中で冬の話なんて書いてられっけ!(逆ギレ

スミマセン、調子に乗りました。もう少しお待ちください。
691 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/09/06(金) 16:22:16.94 ID:06hZQm3Do
おつかーれ
692 : [sage]:2019/11/07(木) 02:36:09.53 ID:kw0kl4XjO

* * * * * * * 

693 : [sage]:2020/01/07(火) 10:34:36.13 ID:zsmSax3y0

原作完結したのにまだ終わらん(白目
694 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/07(火) 23:25:35.85 ID:ncIkGJ6t0
ここが完結するのをずっと待ってるよ
〈●〉〈●〉
695 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/22(水) 12:13:32.59 ID:DtROEQsDO
由比ヶ浜にやった事の責任を取らせるよね?
雪乃が不利な状況で抜け駆けという最低な行為までやっておいて、このまま八幡や雪乃と人間関係を続けるとか都合が良すぎると思う
696 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:28:20.01 ID:0yGjL3CR0

ガラスに映る俺の姿を見た雪ノ下の顔に驚きの表情が広がる。


雪乃「 ……… どうして、ここだとわかったの?」

振り返ることもせず、努めて淡々と問う声にも明らかな狼狽の色が滲む。

八幡「正直、ここしか思いつかなかったんでな」

最寄りの駅からここまで走って来たせいで弾む息を抑えながら、そのまま彼女の傍らに並ぶようにして立つ。

葛○臨海水族館 ――― 先日、俺と雪ノ下、そして由比ヶ浜の三人で初めて訪れた場所である。

もし雪ノ下に心残りがあるとするならば、あの時自らの願いを口にすることの叶わなかったこの場所をおいて他にあるまい。
それにここは彼女の住まうマンションから目と鼻の先でもある。

いつぞや聴いた雪ノ下のスマホの着信音 ――― パンダのパンさんのテーマを耳にして、もしや、と思ったのだが、いつもはつれない運命の女神も、どうやら今回ばかりは俺に向けて微笑んでくれたらしい。
697 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:30:16.78 ID:0yGjL3CR0

雪ノ下の視線が水槽の中を悠々と泳ぐ魚の姿を追う。先日見た赤い魚とは違う別の魚だ。

雪乃「きっと、あの魚にはここは狭すぎたのね」

ガラスの表面をなぞるように指先で触れながら、寂しそうにぽしょり呟くのが聴こえた。

八幡「そうとも限んねぇんじゃないのか? 単に見つけられないだけなのかも知れんぞ。 ほら、赤いのは三倍速いって言うしな」
 
彼女の声の響きに居た堪れないものを感じた俺は、根拠もないままついまぜっ返してしまう。

雪乃「 ―――― 相変わらずそういう嘘は下手なのね」

そんな俺に、雪ノ下が小さく笑い、でもありがとう、と付け加えた。それがいったい何に対する礼なのかは俺にも解らない。

698 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:33:56.15 ID:0yGjL3CR0

雪乃「 ……… あなた、ひとりなの?」

何かしら意を決したかのように短い問いを口にする。

八幡「ここに来たのは俺ひとりだ」

気の利いた言葉を添えようと思ったのだが、すぐに無駄だと気が付いて諦める。

今ここには由比ヶ浜はいない。どのような理由があるにせよ、その現実が今更のように重くのしかかる。

雪乃「 ………… そう。でも、いいの?」

初めて俺に向けられた瞳が、水槽の照り返しを受けて薄暗がりの中で複雑な色を孕んで揺らぐのが見えた気がした。

八幡「 ―――― ああ。最初(はじめ)っから俺にも選択肢なんてもんはなかったんだ」

考えるまでもなく俺の出すべき答えは決まっていた。
いずれその答えを求められる日が来ると知りつつも、変化を恐れるあまり、敢えて見て見ぬふりをして先送りにしていた。
ただ単に、それだけのことなのだから。

699 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:38:15.77 ID:0yGjL3CR0

八幡「どうするつもりなんだ、これから」

留学のこと、葉山とのこと、そして俺達のこと。全てを含ませた上での俺の問い。

雪乃「正直、どうしたらいいのか、私にもわからないの」

雪ノ下が小さく首を振りながら答える。

雪乃「どうしようもないことなの」

明確に応えることができない、その苦し気な胸の内を吐露するかのように付け加えられた言葉は、まるで自分自身に対する言い訳のように聞こえた。

八幡「お前らしくないな」 

自分でも思いがけずその言葉が口を衝いて出る。
俺の知る、いや、少なくとも知っているはずの雪ノ下は、誰の前であっても決してそんな弱音を口にすると考えもしなかったからだ。


雪乃「あなたの言う私らしさって、何?」

間髪入れず返されたその問いが、行き場を喪い力なく宙に霧散する。

そしてその声の響きは、以前、俺に対して同じセリフを口にした、とある少女を思い起こさせた。

今となっては彼女たちに対する俺の認識も、全て単なる思い込みや、勝手な理想の押しつけに過ぎなかった、ということなのだろうか。


八幡「 ……… そうだな。悪かった」

自己嫌悪に囚われ、ただありきたりな言葉でしか謝罪することのできない俺に、雪ノ下は少し困ったような表情を浮かべ、


雪乃「 ―――― 出ましょうか」

静かにそう促すと、返事を待つことなくしずしずと出口に向けて歩き始めた。

700 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:40:45.60 ID:0yGjL3CR0

いつの間にか、外は白い雪が舞い始めていた。


薄暗い屋内にいたせいもあるのだろう、鉛色の雲に覆われた空の色でさえ沁みるように眩しく感じられる。

振り向けば今出て来たばかりの建物の上に覆い被さる半円形のドームが地平線に埋もれた月の骨のように見えた。

周囲は他に目立った建物や他の人影もなく、その寒々とした景色は、あたかも別の星にふたり、ひっそりと取り残されたような錯覚すら覚える。

白くけぶる息を身に纏わりつかせようにしながら音のない世界を宛てどもなく歩き続け、舞い散る雪の中に霞む彼女の姿は、手を伸ばせば届く距離だというのに、まるで今にもどこか遠くに消え失せてしまうのではないかと思われるほど切なく儚げに見えた。

701 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:42:35.70 ID:0yGjL3CR0

八幡「 ――― どこ行くつもりなんだ?」 

行きたい処があるの、少しだけつきあってもらえるかしら ――― 水族館を出る時に、それだけしか聞かされていない。

俺の声に気が付いた彼女は、僅かに歩調を緩めたが、振り返りもせず答える声だけが風に乗って届く。

雪乃「ごめんなさい。もう一度あれに乗ってみたくて」

言いながら仰ぐ雪ノ下の視線を追う俺の目に映ったものは、あの日、三人で乗った大観覧車だった。


702 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:44:23.58 ID:0yGjL3CR0

ゆっくりとはいえ、常に回り続ける観覧車に乗り込むタイミングというのがこれでいてなかなか難しい。

地方から出てきたお年寄りがエスカレーターに乗る時のおぼつかない感覚も恐らくはこんな感じなだろう。

ついそんな余計なことを考えていたせいか、


八幡「ほら」

先に乗り込んだ俺は、無意識のうちにいつものクセが出て、妹に対してやるような調子で雪ノ下に向けて手を差し延べてしまう。

目の合った瞬間、相手が小町ではないことを思い出し、少しばかりバツの悪い思いをしながら、慌てて手を引っ込めようとすると、

雪乃「 ……… ありがとう」

呟くような小さな礼とともに、小さく冷たく、まるで氷のように滑らかな感触が俺の掌の中にすべりこんできた。

703 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:47:05.06 ID:0yGjL3CR0

雪乃「 ―――― どういった風の吹き回しかしら?」


斜向かいの席に腰を下ろして程なく、雪ノ下が静かに口を開く。

手にした半券に目を落としているのを見て、それが観覧車のチケットを購入する際に俺が黙ってふたり分払ったことを意味していると気が付く。


八幡「 …… ん? ああ。こんな時は黙って男の方が出すもんだって、小さい頃からよく躾けられてるんでな」

雪乃「随分と古風なご家庭なのね。それとも、もしかしたら妹さんがいるせいなのかしら?」

八幡「いや、俺をそう躾けたのは小町なんだけどね」

雪乃「いつもふたこと目には“金がない、金がない”ってまるで口癖のように言っていたと思うけれど?」

多少押しつけがましいかとも思ったのだが、俺を見るその目が悪戯っぽく笑っているのを見る限り別に気分を害しているというわけでもないらしい。

しみったれた男だと思われるのもなんかアレな気がしたので少しばかり見栄を張る。


八幡「そのことだったら心配すんな。どうせ金の出処は隠してあった親父のヘソクリだし」

雪乃「 ……… 心配するなと言われてもそれを聞かされたら余計に心配になるのだけれど」

704 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:52:40.39 ID:0yGjL3CR0

そんな他愛のない会話を交わしているうちに、ふつりと会話が途切れてしまう。


八幡「あー……、お前のマンションって、確かあっちの方だったっけ?」

ゴンドラ内を漂う微妙な空気を誤魔化すようにして、朧げな記憶を頼りにツインタワーの方角を示す。


雪乃「そうだったかしら。ここからじゃよく見えないわね」

形ばかりに窓の外を一瞥しただけで返って来たそっけない返事は、この間とは座っている位置が違うからなのだろう。

だが、ゴンドラの高度が上がるにつれ、ただでさえ白い顔が更に色を失くしてゆくのを見て、そういえばこいつが高い処を苦手としていたことを思い出す。

恐いんならわざわざ乗らなきゃいいだろ、と言いたくもなるのだが、女子って恐い恐いとかいいながら遊園地の絶叫マシンとかにも率先して乗りたがるのな。
嫌よ嫌よも好きのうち、とは女性心理の不可解さを表す常套句ではあるのだが、俺の経験からしてマジで嫌われているだけ、という可能性の方が高いので決して鵜呑みにしてはいけない。


雪乃「良かったら、もう少し端に寄ってもらっても構わないかしら?」

八幡「ん?」

背後の窓越しに何か見えるのかしら、と振り返りながらも言われるがままに尻の位置をずらす。
すると、雪ノ下が無言のまま立ち上がり、くるりと体の向きを変えたかと思うと、すぐさま、すとんと俺のすぐ隣に腰を下ろす。


雪乃「隣に誰かいるだけでも少しは違うから」

消え入るような小さなその声は後からついてきた。

八幡「お、おう。そ、そか」

すぐ近くに感じる雪ノ下の体温のせいか、ゴンドラ内の空調は変わらないというのに、急に頬が火照り始めたような気がした。

705 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:55:14.30 ID:0yGjL3CR0

リハビリを兼ねて少しだけ更新。近日中にまた。ノシ゛
706 :1 [sage]:2020/03/16(月) 21:17:21.91 ID:IsKPfli80

今日は生憎(あいにく)の空模様だが、日本最大級を謳うだけのことはあり、晴れた日の観覧車の窓からは東京都庁やスカイツリーはもちろん、房総半島や海ほたる、遠くは遥々富士山さえも望むことができるらしい。

実は富士山くらいなら総武線沿線からでも日常的に目にすることができる、というのが千葉市民の数少ない自慢のひとつだったりするのだが。

ちなみに現在のところ日本最大の観覧車は大阪エキ〇ポシティのレッド〇ースオーサカホイールなんだそうだ。
高さ123m、72基あるゴンドラは床面は全てクリア素材で、しかも一周するのに18分もかかるとあっては、高所恐怖症の人間にしてみれば絶叫マシンどころか、まさに拷問部屋に等しいとすらいってもいいくらいだ。
わざわざそんなものに、しかも金払ってまで乗りたがるヤツなんて、せいぜいバカとハサミくらいのものだろう。何か違うか。

707 :1 [sage]:2020/03/16(月) 21:19:46.91 ID:IsKPfli80

そういや前回この観覧車に三人で乗った時、由比ヶ浜が「観覧車の頂上でキスしたカップルは永遠に別れないんだって」とかなんとか、どこかで聞き齧ったような頭の悪そうなジンクスをさも得意げに披露してたっけか。

あの時は「いやそれ単なる吊り橋効果なんじゃねぇの?」と、鼻先で嗤って軽く聞き流していたのだが、改めて狭い空間にこうしてふたり、肩が触れ合わんばかりの距離で座っていれば嫌でも意識してしまう。

さすがに少しばかり居心地の悪くなった俺が、さりげなく座る位置をずらそうと膝の上で組んでいた手を解いて脇に下ろすと、偶然、雪ノ下の手に軽く触れてしまった。

八幡「や、すまん」

あたふたと謝り、慌てて離そうとした俺の小指に、先ほどから黙りこくったまま俯く雪ノ下の小指がそっと絡みついてきた。

ふと見れば、艶やかな黒髪の隙間から覗く彼女の耳が微かに赤く染まっていることに気が付く。

結局、俺はそのまま何も言わずに視線だけを窓の外へと逃した。

708 :1 [sage]:2020/03/16(月) 21:22:23.58 ID:IsKPfli80

雪乃「 ……… ごめんなさい。あなたの期待に沿えなくて」

窓の外を眺める俺に耳に、雪ノ下がぽしょりと呟く声が届いてきた。

八幡「 ―――― 期待?」 

その言葉の意味を理解することができず、思わず聞き返してしまう。

雪乃「そう。あなたが求めていたのは"本物"だったのでしょう?」

雪ノ下が目を伏せたまま薄く微笑む。

雪乃「でも、私は違う。少なくともあなたの求めている“本物”ではないの」

訥々と語る、いつもとは異なるその声の響きが俺の胸に深く突き刺さる。

八幡「本物 …… じゃない?」

雪乃「ええ、そう。あなたがどう思っているのかは知らないけれど、本当の私は、いつも姉の影に隠れて母に怯えているだけのただ臆病で小さな子ども。姉さんの真似さえしていれば、いつかはあの人のようになれると堅く信じ、そう錯覚していたの」

そこで言葉は途切れ、ゴンドラを流れる音楽とアナウンスの声がふたりの間に落ちた束の間の沈黙を埋める。

雪乃「でもそれは違った。気がついたら、私は自分では何も決められない人間になっていたの。中身のない、意思のないただの人形。目を固くつむり、耳を塞いでじっとしてさえいれば、いつの間にか嵐は過ぎ去ってくれる。ずっとそう思っていたの。ほんと、そんなところは昔からちっとも変わっていないのね」

乾いた声で自嘲気味にそう告げる雪ノ下の横顔は、俺の目からはまるで姉と瓜ふたつに映って見えていた。


709 :1 [sage]:2020/03/16(月) 21:23:57.90 ID:IsKPfli80

雪乃「けれど、あなたは本物。私には決してないものを持っている。揺るぎのない信念と、自己犠牲を厭わない高潔さ。そして最後には誰でも救ってしまう優しさ」

八幡「そ …… 」

そんなことはないだろ、と、否定しかけた俺の言葉を雪ノ下が被せるようにして遮る。

雪乃「 …… だから、あなたを見ていると自分がとてもちっぽけで取るに足らないみじめな存在に思えてしまうの」

俺は改めて隣に座る雪ノ下をまじまじと見つめる。

そこには俺の憧れる完璧超人の姿はなく、ただひとり、自信を失い、怯え、疲れて、うちひしがれた俺と同じ歳の等身大の少女の姿があった。

もし、彼女の言葉が真実だとするならば、皮肉なことに俺の求めていた本物が彼女の中にあったように、彼女の希(こいねが)う何かもまた、俺の中にあったということなのだろうか。


710 :1 [sage]:2020/03/16(月) 21:26:10.35 ID:IsKPfli80

―――――― いや、多分それは違う。


彼女も俺と同様、自らの追い求めてやまないが、決して手にすることのできない“本物”の幻想を、他人の中に投影しているだけなのだ。

そして今のこのような状況に追い込まれたことで冷静な判断力を失い、自分が負の感情による自己嫌悪のスパイラルに陥っている事に気が付いていないだけなのだ。

だが、それと同時に、彼女の思いつめた表情を見て、俺はもうひとつ、この件を通じて自分が大きな勘違いを犯していたことに気が付く。

711 :1 [sage]:2020/03/16(月) 21:27:44.10 ID:IsKPfli80

昨年の夏休み明け、俺が入学式初日に巻き込まれたあの事故で、雪ノ下ただひとりがいち早く被害者と加害者という俺達の関係性に気が付いていながらも、ずっとそれを黙っていた事、そしてそれがあくまでも結果論に過ぎないとはいえ、彼女が俺たちに嘘をついていた、ということに対し、勝手に幻滅し、あまつさえ彼女を責めるかのような態度さえとってしまったことがある。

しかし、それとても本当のところは、俺の理想であり憧れでもある完璧超人であるはずの雪ノ下雪乃でさえも嘘をつくという、ごく当り前の現実を俺自身が認めたくなかったという、ただそれだけの理由に過ぎない。

そして、今度は俺の固執していた“本物”という言葉だけが、俺の知らないところで勝手に独り歩きを始め、いつしか意図せずして雪ノ下を圧迫し、無意識のうちに彼女を苦しめるようにさえなっていたに違いない。

つまるところ、雪ノ下に留学を決意させるまで追いつめたもの。それは、母親への畏怖でも、姉への劣等感でも、葉山との婚約でも、由比ヶ浜との友情でもなく、


―――――― 他でもない、彼女に寄せていた、俺自身の勝手な思い込みのせいだったのだ。

712 :1 [sage]:2020/03/16(月) 21:30:34.69 ID:IsKPfli80

短くてスミマセンが、本日はこんなところで。

次回はもう少し早くなると思います。ではでは。ノジ
713 :1 [sage]:2020/03/31(火) 10:41:54.90 ID:Ls+QV4MJ0

雪乃「 ―――――― どうか、したの?」


気が付くと、俺の顔色の変化を察したらしい雪ノ下が心配そうに顔を覗き込んでいた。

雪乃「大丈夫? 顔色が悪いわよ? もしかして気分が優れないのかしら?」

その声にも気遣う気配が色濃く滲む。

八幡「あ、や、何でもない。えっと、すまん。黙ってたけど、実は俺も高いところがちょっと苦手だったりするんだ」

ともすれば押し潰されそうになる罪悪感を気(け)取られまいと、へどもどしながらも咄嗟の言い訳を口にする俺に、雪ノ下が心底意外そうな顔をする。


雪乃「そうなの? 私はてっきり、あなたは高いところが好きなのだとばかり思っていたのだけれど」

八幡「 ……… もしかしてそれ暗に俺がバカだっていいたいわけ?」


つか、なんでそこで超可愛らしく首傾げてんだよ。

714 :1 [sage]:2020/03/31(火) 10:43:58.64 ID:Ls+QV4MJ0

雪乃「そういえば、昨日は三浦さんと一緒だったみたいだけれど?」

少し気づまりになった空気を換えようとするかのように、雪ノ下の方から違う話題を振ってきた。

八幡「 ……… ん? ああ、言わなかったか? 偶然あそこでバッタリ出会っちまったって」

そのことは葉山にも伝えてあったはずなのだが、恐らく少し離れていたこいつの耳にまでは届かなかったのだろう。

雪乃「 ……… そう」

ぼんやりとした返事が返ってくる。

八幡「確か、三浦の方は海老名さんと遊びに行った帰り、とか言ってたけどな」

何の気なしにそこまで付け加えたところで、ふと気が付く。

昨日、俺が由比ヶ浜とふたりで会っていたことは雪ノ下も本人から聞いて知っているはずだ。
だとしたら、今のはもしかして、由比ヶ浜はどうしたのか、という彼女からの遠回しの問いかけなのだろうか。

どうやら知らずボールは俺の手に渡されていたようだ。

715 :1 [sage]:2020/03/31(火) 10:45:54.85 ID:Ls+QV4MJ0

雪乃「 ―――― 海老名、さん?」

だが、その名前を耳にした途端、雪ノ下が反応を示す。

八幡「あいつがどうかしたのか?」

俺的にはむしろどうかしてるのはあいつの頭の方なのではないかと思うのだが。


雪乃「実はあなたに話しておきたいことが、もうひとつだけあるの」

暫し口を噤み、何かしら躊躇うかのような素振りを見せていた雪ノ下だが、やがておずおずと口を開く。


雪乃「修学旅行での嵐山のこと、覚えているかしら?」

俺はその問いに黙って頷いて見せる。

あの時、俺は海老名さんに対する戸部の告白を未然に防ぐため、雪ノ下と由比ヶ浜の前で彼女に嘘の告白をしている。

それもこれも、それが欺瞞であり、ぬるま湯に浸かる行為であると知りつつも、変わらぬ関係の継続を願う葉山達に、柄にもなく俺自身が共感を覚えてしまったからに他ならない。

716 :1 [sage]:2020/03/31(火) 10:48:20.61 ID:Ls+QV4MJ0

八幡「あの時は、その、悪かったな」

当時のことを思い出すと、今でも忸怩たる思いとともに、胸の奥が締め付けられるようにきりきりと痛む。
俺の軽率な行動のせいで、そうとは知らず危うくかけがえのない大切なものを喪いかけたのだ。

雪乃「私の方こそ、あなたには酷いことを言ってしまって ……… 」

ごめんなさい、と言いながらしおらしく頭(こうべ)を垂れる。

あの時、俺は雪ノ下から、あなたのそのやり方はとても嫌いだと言われている。

それも当然なのだろう。あれが決して褒められたやり方ではないことは俺自身がよくわかっていた。
だが、その事で雪ノ下と由比ヶ浜に呆れられるようなことはあったとしても、まさかふたりからあのような反応が返ってくるとは予想だにしていなかった。

しかし、当時はわからなかったふたりの気持ちも、今は痛いほど理解できる。
もし、あれが逆の立場であったなら、やはり俺も彼女達と同じように考え、同じように傷ついたことだろう。

いつぞや平塚先生にも言われた通り、俺には他人の心理を読み取ることはできても、その感情までは理解できていなかったのだ。

717 :1 [sage]:2020/03/31(火) 10:52:43.11 ID:Ls+QV4MJ0

雪乃「でも、別にあの時の事であなたを責めているわけではないの」

ふるふると小さく首を振ると、その艶やかな黒髪がさらさらと揺れ、まるで雪の結晶のような光が弾けて空気に溶ける。


雪乃「私は、例えそれが嘘だとわかってはいても、彼女が、海老名さんのことがとても羨ましかった。そして、―――― それ以上に妬ましかった」

いいえ、それも違うかもしれないわね、と、今、自分が口したばかりの言葉を否定する。


雪乃「 ――――― あの時、私は、あなたに対する本当の気持ちに気がついてしまったの」


そこで彼女は言葉を切り、それ以上は何も言わず、その代わりに俺の肩に暖かな重みが遠慮がちに加わるのを感じた。

このままずっと時間が停まってしまえばいい。生まれて初めて俺の中にそんな感情が生まれた。

718 :1 [sage]:2020/03/31(火) 10:55:39.90 ID:Ls+QV4MJ0

八幡「 ……… なぁ、ひとつだけ聞いていいか?」

緊張のあまり掠れた声で問う俺に、雪ノ下がこくんと小さく頷いて返す。


八幡「この前、ここで言いかけた、お前の願いって、いったい何だったんだ?」

ゆっくりと雪ノ下が顔を上げ、深く濃く昏い色を湛えた美しい瞳が俺の目を真っすぐに覗き込んだ。


雪乃「そうね。それももう、今となってはどうでもいいことなのかもしれないけれど、 ―――― 」

それまで触れるままにしてていた俺の小指に、雪ノ下の小指の力がきゅっと加わる。


雪乃「今は、ずっとあなたとこうしていたい、かしら」

719 :1 [sage]:2020/03/31(火) 10:56:56.39 ID:Ls+QV4MJ0


気が付くとゴンドラは観覧車の頂上へと差し掛かっていた。


720 :1 [sage]:2020/03/31(火) 11:00:12.63 ID:Ls+QV4MJ0

彼女に向けられた視線を逸らすこともできず、熱にうかされたように頭の中心が痺れたまま、ゆっくりと、まるで吸い寄せられるように互いの顔が近づく。

そして、ふたりの唇が重なるかと思われた、まさにその瞬間、




雪乃「 ―――― ねぇ、比企谷くん?」


それまでとはうって変わって地の底から響いてくるような、低くくぐもった声が俺の耳へと届いてきた。





雪乃「 ……… 気のせいかしら。なぜかあなたから姉さんの香りがするみたいなのだけれど?」


721 :1 [sage]:2020/03/31(火) 11:05:45.66 ID:Ls+QV4MJ0


* * * * * * *

722 :1 [sage]:2020/03/31(火) 11:08:02.01 ID:Ls+QV4MJ0

雪乃「 ―――― そう、姉さんがあなたの家に。あの人の考えそうなことだわ」


雪ノ下が深々と溜息を吐きながら首を振る。

しどろもどろの釈明に追われているうちにいつの間にか観覧車は一巡を終え、今、俺達がいるのは再び地面の上だ。

俺のたどたどしい言い訳でもなんとか納得してもらえたのは、俺が信用されているというよりも、むしろ好むと好まざるとに関わらず彼女が姉の行動パターンを熟知しているが故だろう。


723 :1 [sage]:2020/03/31(火) 11:11:19.72 ID:Ls+QV4MJ0

八幡「一応、お前のこと心配してってことなんじゃないのか?」

雪乃「そうかしら」

いもうとのんの方は半信半疑といった様子だが、普段の行いがアレなだけに、こればかりは何と言われようとも仕方あるまい。


―――― と、その時、急に雪ノ下の身体がびくりと強張る。


明らかに何かに怯えるような彼女の視線を辿って首を巡らせば、

そこにはどこからか現れた白と黒と茶の混じった仔犬が一匹、こちらに向けて一目散に駆け寄って来る姿があった。

何が嬉しいのか空気なんぞお構いなしとばかりにひゃんひゃん吠えながらまとわりついてくる犬に対し、雪ノ下の方は俺を盾にしながらくるくると逃げ惑う。

724 :1 [sage]:2020/03/31(火) 11:15:11.69 ID:Ls+QV4MJ0

雪乃「ひ、比企谷くん、そ、その子、な、なんとかしてくれないかしら」

これが大型犬だったらさすがに俺も腰が引けてしまうところだが相手は小型犬、しかもまだ仔犬に過ぎない。

苦笑しながらも、しゃがんで手を差し出すと、せわしなく尾を振りながら、ざらざらした長い舌で嬉しそうに俺の掌をぺろぺろと舐めはじめた。

雪乃「か、飼い主はどうしたのかしら」

俺の背後に隠れたままの雪ノ下が覗き込むようにしながら、こそっと口にする。

八幡「さぁ、な。大方、はぐれでもしたんだろ」

仔犬の頭を撫でながらあたりを見回すが、それらしき姿はどこにも見えない。

確かこの公園はペット同伴の散歩も許可されていたはずだ。首輪もしているし、毛並みも整っているところを見る限り野良犬というわけでもあるまい。


雪乃「 ……… そう、この子も迷子、なのね」

迷子の仔犬の姿が今の自分の境遇と重なりでもしたのか、複雑な表情を浮かべてしんみりと呟く。どうやら警戒レベルも少しだけ下がったようだ。

725 :1 [sage]:2020/03/31(火) 11:17:49.85 ID:Ls+QV4MJ0

八幡「そういやこないだ、お前の姉ちゃん、犬を飼うみたいなこと言ってたぞ?」

先日ミスドで出くわした折に陽乃さんと交わした会話を思い出す。

雪乃「昨日の晩も、あの後、部屋に帰ってからお酒を飲みながらそんな話をしていたわ」

言いながら小さく肩を竦めて見せる。

八幡「 …… まだ飲んでたのかよ」

つか、よく考えたらあのひとまだ未成年だろ。お酒は夫婦かハタチになってからって、学校で習わなかったのかよ。

雪乃「姉さんはいつもそう。私の嫌がることばかりするの」

拗ねたように恨みごとを口にする。

八幡「お前んちでも昔、犬飼ってたことがあったんだって?」

雪乃「 ……… 驚いた。そんな話までしたの?」

素で意外そうな顔をする。

一見サバけているようでいて実のところ本心では何を考えているのかわからないあのひとのことだ。
例え話の流れとはいえ、他人に対して自分のことを話すこと自体、そうそうあるものではないのかもしれない。

726 :1 [sage]:2020/03/31(火) 11:20:34.58 ID:Ls+QV4MJ0

八幡「だったらお前も今のうちに少し慣れといた方がいいんじゃねぇのか? どうせ家に帰ったら嫌でも顔を合わせることになるんだし」

雪乃「それはそう ……… なのかも知れないけれど」

その様子からすると、どうやらまだ及び腰のようだ。

八幡「まだ …… 恐いのか?」

雪乃「こ、恐くないんかないわ」

少しばかりむっとした様子で応じる。
陽乃さんから色々と事情を聴いている俺としては気を遣って言ったつもりだったのだが、雪ノ下の方はどうやらそれを挑発と受け取ったらしい。


雪乃「で、でも、ただ、ちょっと、なんていうか、その …… か、咬んだりしないかしら?」

しかし威勢がよかったのは最初だけで、言葉尻にかけて次第に声が不安げに窄まる。


八幡「大丈夫だろ、多分。―――― いや、よく知らんけど」

俺の言葉に、そっと伸ばしかけていた手がぴたりと止まる。


雪乃「 ……… あなたって、こんな時にまで随分と無責任なことを言うのね」

727 :1 [sage]:2020/03/31(火) 11:22:38.58 ID:Ls+QV4MJ0

呆れたように小さく首を振りながら、それでも彼女自身も何かしら思うところでもあったのか、覚悟を決めるかのような吐息をひとつ漏らし、おずおずと、いや、明らかに恐る恐るといった態で仔犬に向けて再び手を伸ばす ――― と、


雪乃「ひゃうっ!?」


ぺろりと指先を舐められた雪ノ下が手を引っ込めながら、すっとんきょうな声を上げる。

八幡「って、お前いったいどっから声出してんだよ?!」

雪乃「し、仕方ないじゃない。びっくりしたのだから」

だが、戸惑いながらも先程よりも幾分落ち着いた様子でそっと頭に手をやり、仔犬の方も今度は大人しくされるがままになっている。

728 :1 [sage]:2020/03/31(火) 11:26:49.91 ID:Ls+QV4MJ0

雪乃「 ―――― 昔、姉さんとふたりでお父さんにおねだりして仔犬を買ってもらったことがあったの」

犬の頭をそっと撫でながら、遠い目で、独り言のようにぽつぽつと語り出す。

雪乃「でも、その子が私たちの見ている目の前で車に轢かれてしまって……」

その話なら姉のんからも聞いていたが、敢えて口を挟むような野暮な真似はせず、黙って耳を傾けながら頷いて見せる。


八幡「ショック、だったんだろうな」

まるで初めて聞きでもしたかのように相槌をうつ。

雪乃「ええ。もちろん私もショックだったのだけれど、姉さんたら、その仔犬抱いたまま、ずっと泣いてて。あんな姉さん、初めて見たわ」


……………… ん? 


ちょっと待て。何か俺の聞いた話と若干食い違うような?

729 :1 [sage]:2020/03/31(火) 11:30:37.78 ID:Ls+QV4MJ0

雪乃「 ……… どうかしたの?」

思わず反応してしまう俺に、雪ノ下が怪訝そうな表情を浮かべる。

八幡「え、あ、いや、それって ……」


ン・ヴヴヴヴ、ン・ヴヴヴヴ ……


と、ちょうどその時、間の悪いことに俺のポケットでスマホのバイブ音が響き始めた。

どうせまたいつものダイレクトメールか何かだろ、と、そのまま放置しておいたのだが、なかなか鳴り止む気配を見せない。

八幡「すまん、ちょっといいか?」

スマホに気をとられるあまり、返事を聞かないうちに雪ノ下に仔犬を押し付ける。

雪乃「え? や? ちょ、ちょっと、あ、あの、ひ、比企谷くん?」

手にした仔犬を明らかに持て余し、わたわたと慌てる雪ノ下を他所に、未だ鳴り続けるスマホを取り出して着信画面を見ると、――― そこには“由比ヶ浜”の文字。

そういえば雪ノ下がスマホの電源は切られたままだったはずだ。
ということは、多分、連絡が取れない事を心配するあまり、由比ヶ浜は迂回して俺のところに電話をしてきた、といったところなのだろう。

出るべきものかどうなのか、それ以前に着信相手が由比ヶ浜であることを知られていいものか逡巡しながら、そっと雪ノ下の顔を窺う。


雪乃「もしかして、……… 由比ヶ浜さん ………?」

俺の様子を見て何かしら察したのだろう。やはりというかなんというか、勘が鋭い。


八幡「 ……… うん、まぁ、そうだな」

ここで嘘をついても彼女に通じるとも思えない。素直に告げる。その間もスマホのバイブは鳴りっぱなしだ。


雪乃「出なくて、……… いいの?」

八幡「 ……… 今は、いいだろ」


ふたりの間に落ちた沈黙とは対照的に、スマホのバイブ音だけが、まるで責めるかのようにやけに大きく鳴り響く。

やがて、その音も唐突に途絶え、後には息苦しくなるような重い沈黙だけが残された。

730 :1 [sage]:2020/03/31(火) 11:32:36.64 ID:Ls+QV4MJ0

それでは、本日はこれにて。ノジ
731 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/04/01(水) 19:00:03.93 ID:YIqytHJ70
乙です。
732 :1 [sage]:2020/04/05(日) 09:48:05.75 ID:f0RhZ2+m0

ちょっとだけ更新のついでにちょっとだけ訂正。辻褄が合わんかったぞなもし。

>>727 1行目

呆れたように小さく首を振りながら、それでも彼女自身も何かしら思うところでもあったのか、覚悟を決めるかのような吐息をひとつ漏らし、おずおずと、いや、明らかに恐る恐るといった態で仔犬に向けて再び手を伸ばす ――― と、

              ↓

呆れたように小さく首を振りながら、それでも彼女自身も何かしら思うところでもあったのか、覚悟を決めるかのような吐息をひとつ漏らし、おずおずと、いや、明らかに恐る恐るといった態で、俺の抱き上げた仔犬の頭に向けて再び手を伸ばす ――― と、

733 :1 [sage]:2020/04/05(日) 09:50:02.12 ID:f0RhZ2+m0

あれほど怖がっていた仔犬を手にしたまま物思いに佇む雪ノ下の顔には隠しようのない翳りが浮かんでいた。

彼女が今、心に抱いているそれは、ここにこうして俺とふたりだけでいることに対する後ろめたさ、――― 罪の意識なのだろう。

普段は滅多に感情を面に露わにすることのない雪ノ下だが、今の俺にはその気持ちが手に取るようにわかる。

なぜならば俺もまた、ここに来るまで、そして、ここに来てからも彼女と同じ想いをずっと胸に抱え続けていたのだから。

同じような完璧超人でありながら雪ノ下にはあっても葉山にはない弱点、それは由比ヶ浜という存在である。

それは彼女がこれまで生きてきた十七年の人生の中で、唯一、心を許した友達だからこそのなのだろう。

そして、立場や形こそ違えど俺にとってもそれは同じだった。

734 :1 [sage]:2020/04/05(日) 09:56:41.68 ID:f0RhZ2+m0

―――――――――― 恋愛と友情。


本来は天秤にかけるようなものではなないはずのものなのに。

譲ったり、譲られたりする類のものではないはずなのに。

頭ではわかっていながらも、彼女のその誠実さと優しさが、たったひとりの友達の心を傷つけてまで自らの望みを叶えることを頑なに拒んでいた。

それがわかっていながらも、いや、わかっているからこそ、どうすることもできない俺がここにいる。

そんな自分の無力さ、不甲斐なさがいつになく――――― 腹立たしい。

しかもそれは、いずれこうなると薄々感づいていながらも見て見ぬふりを続け、いつの間にか袋小路に迷い込ませ、追い込んでしまった俺自身の責任でもあるのだ。

誰も傷つけることなく、誰ひとり傷つくことなく全てを丸く納める。そんなご都合主義な解決方法など、どこを探しても見つかりはしない。

例えここで全てを投げ出し、全てを忘れるとことにして逃げ出したとしても、それは近い将来必ず俺達三人の心に深い影を落とすことになるだろう。

735 :1 [sage]:2020/04/05(日) 10:00:25.22 ID:f0RhZ2+m0

雪ははらはらと静かに舞い降り、運命の瞬間は刻一亥と迫りつつあるのが分かった。

振る雪は止まらない。決して時間が止まらないように。


やがて、彼女は浅く噛みしめていた美しい唇を解く。


雪乃「 ……… 今日、あなたに会えて本当に良かったわ」

努めて明るい口調だが、そこには惜別の悲しみが滲む。


雪乃「 ……… あなたに対する気持ちは本当よ。それは決して嘘ではないの」

こみあげてくる何かを無理やり飲み下し、震え声で絞り出すように一語一語をはっきりと告げる。

全てを聞くまでもなく、彼女が何を言わんとしているか察した俺の胸の奥で何かが押し潰され、外気の寒さとは違う理由で身体が震え始める。


雪乃「 ――― でも、」


やめてくれ。それ以上は何も聞きたくない。頼むからその先は言わないでくれ。


雪乃「それでも私は、やはり友達を ――― 由比ヶ浜さんの気持ちを裏切ることはできない」


深い悲しみと、それ以上に固い意思の宿るその瞳を見た瞬間、どれほど言葉を尽くしたところで彼女の決意を覆すことなどできはしないと悟っていた。

736 :1 [sage]:2020/04/05(日) 10:02:00.22 ID:f0RhZ2+m0

ではでは。ノジ
737 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/04/05(日) 10:07:27.83 ID:fn/kz9Nu0
乙です。
738 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:19:28.00 ID:Qd5hvHO10

ぽっかりと空いた胸の穴に冷たい空気が流れ込む。

こうなるであろうことはある程度予期していたはずなのだが、いざそれが現実と重なると思考に感情がうまく追いつかない。

失意のあまりその場に立ち尽くす俺の耳に、どこか遠くで誰かを、或いは何かを呼ぶような声が聴こえた気がした。

男なのか女なのか、子供なのか大人なのか。もしかしたら空耳だったのかも知れない。それに今はそんなことはどうでも ――――

だが、それまで大人しく雪ノ下の腕に抱かれたままだった仔犬の垂れ耳がぴくりと動き、もたげた首をあらぬ方向へと巡らす。

そして次の瞬間、いきなり小さな身体をめいっぱいくねらせ彼女の腕から抜け出たかと思うと、短い脚を目いっぱい動かしながら一目散に走り出した。


雪乃「 ――――― え?」


咄嗟の事に何の反応もできず、言葉を喪ったまま茫然と仔犬の走る姿を目だけで追う ―――― と、

間の悪いことに、ロータリーの周辺に植えられた街路樹の陰、ちょうど俺達の死角になる位置から、音もなく一台の車が滑るように侵入してきた。

739 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:21:49.62 ID:Qd5hvHO10


―――――――――― マズい。



考えるより早く体が動く。


ヘッドライトに照らされ驚きのあまり車道の真ん中で竦む仔犬に覆い被さるように抱きかかえ、そのままの勢いでつんのめるようにして反対側まで走り抜けた後、足が縺れて無様にすっ転んだ。

冷たいアスファルトの感触、空気を切り裂くブレーキの音、目まぐるしく回転する景色、網膜に焼き付く眩いばかりのライトの輝きが、時系列をまるで無視して立て続けに俺の脳裏に混然一体となって押し寄せる。


そして、一瞬の後に訪れた静寂の中で、俺は泥まみれ擦り傷だらけになりながらも、なんとか自力で身体を起こすことができた。

740 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:23:18.72 ID:Qd5hvHO10

普段の運動不足が祟ったのだろう。急激な動きに耐えかねた身体の節々は悲鳴を上げてはいるものの、幸いなことに仔犬も自分も大した怪我はなさそうだ。

車の運転手にどやされる覚悟でいたが、一度止まった車は再びゆっくりと動き出し、申し訳程度に小さくクラクションをひとつ鳴らすと、そのまま俺の脇をのろのろと通り過ぎて行ってしまった。

スモークガラスのせいで車内の様子を窺うことはできなかったが、こちらに向けて注がれる視線のようなものを感じた気がした。

741 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:25:55.28 ID:Qd5hvHO10

とりあえずは大事に至らず安堵の溜息を漏らす。

余程驚いたのか、腕の中で身じろぎもしなかったが仔犬も、甘えるように小さく鼻を鳴らすとぺろりと俺の顔を舐め上げた。


八幡「 ……… ほらよ」

苦笑しながら仔犬を地面に下すと、小さな尻を振り振り先ほどの声のしたであろう方向にそのままとことこと駆け去ってしまった。


ふと目を向ければ車道の反対側で、蒼白な表情を浮かべ手で口を覆った姿で固まっている雪ノ下に気が付く。

照れ隠しに軽く手を挙げて無事を伝えると、まるで何かの魔法でも解けたかのように、こちらに向けて小走りで駆け寄って来る彼女の姿が見えた。

742 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:27:36.37 ID:Qd5hvHO10

 ぱんっ


八幡「 ―――――― てっ!?」


服についた汚れを払い、立ち上ろうとするや否や、いきなり左頬を張られた。

訳が分からず、頬を押さえつつも、ただただ茫然として俺を叩いた雪ノ下の顔を見つめてしまう。


 バキッ


八幡「あがっ」


今度は左のフック。しかも腰の入ったいいパンチ。恐らくは世界を狙えるまである。

もしかしたら車に跳ねられた方がまだマシだったかもしれない。

っていうか、二度もぶった!? オヤジにもぶたれたことないのに!?


743 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:29:01.43 ID:Qd5hvHO10

八幡「って、ちょっ、おまっ、女がグーで殴るかよフツウ!?」

俺の抗議する声も聞かず、雪ノ下がたて続けに殴ってこようとするのを見て、咄嗟にその細い手首を掴んで止める。

単純な腕力のみに限って言えば、男である俺の方が強いはずだ。

だが、それでも雪ノ下は腕を掴まれたまま全力で抗い、その動きを止めようとしない。


………… やばい。なんかフツウに力負けしそうなんですけど。

744 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:31:38.60 ID:Qd5hvHO10

八幡「いい加減に ……… 」

さすがに堪りかねて声を荒げると、雪ノ下は俺の手を振り解き、今度はまるで子供のように握った拳で俺の胸を叩き始めた。


雪乃「 …… て …… は」

身の内から溢れ出る何かに耐え切れないないかのように意味を為さない言葉を漏らすが、顔を伏せているせいでその表情までは見えない。


雪乃「 ………… どうして、あなたは、いつも、そうやって」

いつもは冷静沈着な雪ノ下のここまで取り乱した姿を見るのが初めてだったせいもあり、驚きのあまりされるがままになってしまう。

雪乃「平気で自分を …… 傷つけようとするの …… 私の …… 気持ちも …… 知ら …… ない …… で …… 」

顔を俯けたまま、しゃくり上げながら途切れ途切れに言葉を継ぐ。その形の良い頤から伝い落ちるのは、溶けた雪の滴 …… ではないのだろう。

745 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:34:54.33 ID:Qd5hvHO10

雪乃「 ……… どうして? どうしてなの? あなたはどうして ………」

まるで幼子のように同じ問いを何度も投げかける雪ノ下に、


八幡「 ………… それは、多分、俺が俺だからだろ」

俺は無意識のうちに、呟きで答える。


恐らく、彼女の聞きたい答えは別にあったのだろう。俺の言うべき言葉も他にあったのだろう。

だが、俺にはそれに応える術がない。

ずっと答えを出す事を先延ばしにしていたのは俺なのだから。変化を恐れて逃げていたのも俺なのだから。

できればふたりとは今までのような関係でいたい。しかし、今となってはそれも叶わぬ夢なのだろう。

だとしたら、例え三人の関係がこれで終わってしまうにしても、せめてこれ以上ふたりを悲しませるような真似だけはしたくなかった。

この期に及んでなお、自分の気持ちを偽っているのは百も承知だ。嘘に嘘を重ねてきたせいで、いつの間にか自分でさえも真実が見えなくなる。

自分に対してだけは決して嘘はつかない。そう心に決めていたはずなのに。それはいったいなんのためだろうか。誰のためなのだろうか。

746 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:37:07.20 ID:Qd5hvHO10

雪乃「 ……… そうね。あなたはそういう人だものね」 

雪ノ下が諦めたように涙声で呟く。

雪乃「だから、だから私は ……… 」

そして、彼女は顔を上げ、涙で濡そぼってなお吸い込まれそうなほど美しい瞳で俺を真っすぐに見据えながらこう告げる。


雪乃「 ……… あなたのことが …… 大嫌い」


それは、俺の憧れであり、理想であるはずの雪ノ下の口から初めて聞く、―――― 自らの意思で吐いた“嘘”だった。

747 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:43:10.75 ID:Qd5hvHO10

雪はいつの間にか糸のように細く冷たい雨へと変わり、ふたりの上にぱらぱらと降り注ぐ。


八幡「 ………濡れちまうぞ 」

ともすれば、感情の波に呑まれて彼女の身体を掻き抱いてしまいそうになる気持ちに抗い、ゆっくりと引き離そうとする。

ここ数日、いや、それ以前からずっと悩み続けていたのだろう。元々線の細い雪ノ下だが、その肩は触れただけで折れてしまいそうなほど華奢だった。

八幡「それに、 ……… お前も汚れちまうだろ」

ひび割れ、掠れた他人のような声が俺の耳に届く。

嫌われ者は俺ひとりでいい。汚れ役も俺ひとりでいい。

誰かが汚れ役をやらねばならないなら、それが結果として大切な何か、かけがえのない誰かを守れるなら、本当の本物が守れるなら、俺が喜んでその役を引き受けよう。

そのためだったら俺はどんな犠牲だって払うし、どんな道化だって演じて見せる。

だからこそ、今の俺にできることといえば、せいぜい自分の気持ちに蓋をして、どちらも選ばないという選択肢しか思いつかなかった。

雪ノ下にこれ以上負い目を感じさせないため。彼女たちふたりの関係を守るために。


しかし、その一方で、俺の頭の片隅で覚めた声が囁きかけてくる。

だとしたら、もしそうなのだとしたら、俺の求めて続けてたいた"本物"とは一体何だったのだろうか、どこにあるのだろうか。


だが、雪ノ下がいやいやするかのように首を振り、そのまま俺の胸に顔を埋める。

そして、俺の自らに対する全ての問いかけを否定するかのように、くぐもった震え声が耳朶をうつ。



雪乃「もう、いいの。構わないわ …… あなたと一緒なら …… 」


748 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:44:00.75 ID:Qd5hvHO10



「 ―――――――――――― あらあら、文字通り濡れ場、ね」



749 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:46:14.51 ID:Qd5hvHO10

八幡&雪乃「 ――――――― ?!」


突如としてかけられた聞き慣れた声にふたりして愕然と振り向く。


「それにしても比企谷くんったら、うちの車に何か怨みでもあるのかしら?」


そこには、いつの間にか俺たちのすぐ傍らで、こちらに向けて傘を差し出しながら呆れ顔で立つ ―――― 陽乃さんの姿があった。

750 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:47:24.52 ID:Qd5hvHO10

では本日はこんなところで。ノジ
751 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/04/06(月) 12:14:10.06 ID:vEQ/4ijxO
乙です。
752 :1 [sage]:2020/04/07(火) 21:00:50.97 ID:dU5Rz+gv0


* * * * * * *


753 :1 [sage]:2020/04/07(火) 21:03:23.49 ID:dU5Rz+gv0


雪乃「 ―――――― お母さんに直接会って話をしようと思うの」


開口一番、雪ノ下が真っ直ぐに話を切り出した相手 ――― 陽乃さんがまるで至近距離から豆鉄砲食らった鳩、というか、陽電子砲を喰らった使徒みたいな顔になる。どんな顔だよ。

場所は雪ノ下が住むマンションのすぐ近くにある喫茶店。あの後、ここまで車で送ってくれたのも陽乃さんだ。

毎度のことながらいくらなんでもタイミングが良過ぎだろ、と思ったら案の定、道すがら本人の口から悪びれもせずに俺を囮に使ったと聞かされた。

雪ノ下が姿を消したと知れば必ず俺が探しに行き、そして十中八九見つけ出すであろうと予測した上でのことらしい。

買い被りもいいところなのだが、「事実そうなったでしょ?」と言われては、さすがに返す言葉もない。

それ以上突っ込んだ話はしなかったが、もしかしたら俺のスマホにもいつの間にか怪しげなマルウェアがインストールされているのかも知れない。

だとすれば必ず共犯者がいるはずだ。

一瞬、頭をコツンとやりながら、てへぺろしている小町の姿が頭に浮かんだ。

754 :1 [sage]:2020/04/07(火) 21:05:41.90 ID:dU5Rz+gv0

陽乃「 ……… ふーん。いったいどういう風の吹き回し?」

陽乃さんがなぜか妹ではなく、隣に座る俺の顔をまじまじと見つめる。

陽乃「おやおや、もしかしたら、お赤飯でも炊いた方がいいのかな?」

からかうような露骨な言い回しに、思わず自分の顔が赤くなってしまうのがわかった。

雪乃「ふ、ふざけないで」///

雪ノ下が姉に向けてぴしゃりと言い放つが、その頬もまた赤く染まっているせいか迫力は半減以下だ。


陽乃「別にふざけてなんかいやしないわよ。それにしても、まさか雪乃ちゃんに先を越されるとはねぇ」

やれやれ、と軽く肩を竦め、深々とした溜息混じりに呟いたかと思うと、


陽乃「 ……… やっぱりあの時、ひと思いに押し倒してしまえばよかったかしら」

聞こえよがしにぼそりと不穏なセリフを付け加える。

雪乃「 ……… あの時?」

雪ノ下がきょとんとした表情を浮かべ、次いで突き刺すような視線で俺を睨み付ける。おいよせやめろこっち見んな。

思い当たる節があり過ぎるほどある俺は反射的に顔を背けてその視線から逃れようとはしたものの、


八幡「 ……… ってっ!」

何か言う代わりに思いっ切り太ももをつねられてしまった。しかも姉と同じ場所。姉妹揃って手加減なし。絶対、痣になってんぞこれ。

755 :1 [sage]:2020/04/07(火) 21:07:26.33 ID:dU5Rz+gv0

陽乃「 ……… ま、いいわ。帰ったら、ひとまず“あなた達”がお母さんと会えるように私の方でセッティングしといてあげる」

突然の思いも寄らない申し出に、ふたりしてまるでキツネにつままれたような顔を見合わせてしまう。

しかも“あなた達”と口にしているのを聞く限り、どうやら俺達の意図は正確に見抜かれていたらしい。

雪ノ下ひとりなら母親に会うためにわざわざアポなどとる必要はない。だが、どこの馬の骨ともわからぬ男が一緒となれば話は別だ。

いきなり押し掛けたところで門前払いされるのは目に見えているし、かといって彼女ひとりに全てを任せるわけにはいかない。

勝ち目があるなしに関わらず、これは俺の責任でもあるのだから。

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