9:名無しNIPPER[sage saga]
2023/09/07(木) 21:31:21.36 ID:I2AyKHWk0
12月25日。
いつも以上に重たい目蓋を開けて櫻子が目をさますと、外がやけに明るかった。
カーテンを開けてみると、一面の雪景色。いつの間にこんなに降っていたのだろう。
視界の端に向日葵の家が写った。少し目を細めて、向日葵が玄関から出てきたりしないだろうかと思ったが、何の変化もない。
諦めてベッドの方に戻ろうとすると、そこでベッドサイドに何かが置かれていることに気付いた。
「え……?」
白い紙製のラッピングに包まれた、ちょっとしたダンボールほどはある大きさの何か。手に持ってみるととても重い。
包装紙自体は適当に家にあった紙を使っただけのようだが、その包装の仕方はまぎれもなくプレゼントのそれだった。
そうだ。今日はクリスマスだ。
大急ぎで包装紙のテープ部分をカリカリと剥がしてみる。中から出てきたのは、どうやら数冊の参考書のようだった。
「メリークリスマス」
「ね、ねーちゃん?」
「なにそれ、プレゼント? サンタさん来てくれたんだ。よかったね」
ドアからこっそり顔をのぞかせた撫子が、少しだけ楽しげにこちらを見ていた。
櫻子は眉をひそめながら裏表紙を見る。
「これ……ねーちゃんの名前書いてあるけど」
「あちゃー……まあ、隠してるわけじゃないけどさ。それ、私が高校受験の時に使ってた参考書」
「!」
「私も当時は何が良いかって、いろいろ探したからさ。そこにあるのは特におすすめのやつ。ちょっとだけ古いかもしれないけど、範囲とかは変わってないみたいだから……全部櫻子にあげる」
「……ねーちゃん……」
プレゼントに参考書なんてもらっても、去年までの自分だったら怒っていたかもしれない。
けれど今の櫻子は、なぜか少しだけ、目の前のその難しそうな本に希望のようなものを感じていた。
片っ端からぱらぱらとめくってみる。撫子は昨晩と同じようにその隣に腰掛け、櫻子の小さい頭を撫でた。
「櫻子……勉強してみよ」
「!」
「勉強すればいいんだよ。そうすれば、これからもひま子と一緒にいられるよ」
櫻子の目が大きく見開かれる。
答えは最初から、ずっとそこにあった。
「ほら見て、こういうのとか。細かい参考や解説がわかりやすい位置についてて……とにかく使いやすいの。しかもこれ一冊で、この教科の大抵の部分はマスターできる」
「……うん」
「もしもここにあるやつが全部できたら、県内の高校くらいはどこにだって行けるかもしれないよ。私が行ってた高校もたぶん大丈夫。たぶんひま子も……そこ目指してるんでしょ」
「!」
「だからさ、まずはここから、やってみなよ」
撫子は一冊の参考書を櫻子に持たせ、その手を上から包んだ。
――この一冊。この一冊をひととおりやってみな。
何回も何回もやって、全部の答えを暗記するくらい、やりこんでみなよ。
それが終わったら次の一冊。それも終わったら、またもう一冊。
そうやってここにあるものが全部できたとき、櫻子はきっと、ひま子と同じ高校に行けるようになってるよ。
「わからないことは全部復習ページに載ってる。それでもわからなかったら、いつだって私が教えてあげる。一緒に考えてあげる……だから、まずは一歩、踏み出してみよ」
撫子の優しい声を受け、櫻子のすっかり枯れてしまったと思った目から、また熱い雫がこみあげてきた。
「まず一問。まず1ページ。少しずつ、少しずつでいいの」
「う……うぅっ……」
「ひま子と一緒の高校に行けるようにさ……頑張ってみようよ」
大室櫻子、中学二年の冬休み。
12月25日の、クリスマス。
この日、櫻子は一度も家から出ることなく、静かに机に向かい続けた。
お茶を持ってきたり、わからないところはないかと様子を見に来たりと、かいがいしく面倒を見ようとする撫子・花子に見守られながら、櫻子は険しい道をゆっくりゆっくりと歩き出した。
この道は、「ふたりの距離」を戻すための道。
わからない問題にぶつかると、気持ちが焦る。頭をかきむしりたくなるような不安に襲われる。
けれど向日葵の顔を思い浮かべると、前に進む気持ちが湧いてくる。
もう泣かせない。もう二度と、あんな顔はさせない。
その速度は決して早いものではないが、目の前の一問一問をこなすたび、確実に向日葵との距離が詰まっているような気がして、それだけで櫻子の胸には勇気が湧いた。
――櫻子はこの日、生まれて初めて、勉強を通して「嬉しい」という感情を抱いた。
結局この冬休み、大室家はいつもより静かな正月を迎えた。
櫻子は、少しずつ少しずつ一日の勉強時間を増やし、最後にはほとんど受験生のようなスケジュールで、自分から机に向かい続けていた。
まるで人が変わったようだったが、花子も撫子も、それを温かい目で見守り続けた。
「このぶんなら私が戻っても大丈夫でしょ」……三が日を過ぎたころ、撫子は櫻子の様子を逐一伝えてもらうよう花子に頼み、下宿先に戻っていった。
花子も、櫻子がついに変わったことを喜ばしく思いながら、ややお節介気味にサポートをし続けた。
三学期が始まったら、きっとひま姉は驚くだろう。
もしかしたらいつか本当に、一緒の高校に行けるほど櫻子の成績が上がってしまうのかもしれない。
そんな未来を思い浮かべながら、せかせかと忙しそうにしている姉の背中を見つめ、花子は嬉しそうに微笑んだ。
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