3:名無しNIPPER[sage saga]
2023/09/07(木) 21:23:16.44 ID:I2AyKHWk0
途中からはほとんど向日葵の顔も見ていなかった。それが気付くのを遅らせた。
ふと見やると、向日葵は深くうつむきながら、冷たい地面にしゃがみこんでいた。
(えっ……?)
さすがに様子がおかしいことに気付き、櫻子が慌てて駆け寄る。
「向日葵?」
その肩に手を乗せると、ふるふると小刻みに震えているのが一瞬でわかった。そして、持っていた答案にはぱたたっと雫が落ちた。
突然雨が降ってきたわけではない。すべて、向日葵の目から零れ落ちてきたものだ。
「う……うっ……」
「ひ、向日葵!?」
「うぅ……っ……ぁ……」
「ちょ、ごめん、ごめんって……」
作戦が失敗したことのショックより何より、向日葵の動揺ぶりの方に櫻子は驚いていた。
その姿、その泣き方、泣き声。
すべてが一瞬にして遠い記憶を思い出させた。
――これは、本気で泣いているときの向日葵だ。
幼いころにはよく見たが、大きくなってからはほとんど見たことがなかった姿。
勝手に溢れ出してくる涙が止められなくて、子どものような嗚咽も止められなくて。本当は私の手を振り払いたいほどなのであろうに、そんな気力すらなくて。
ただただ悲しいという気持ちだけが胸の中にいっぱいになって、自分ではもうどうすることもできないときの、向日葵の泣き方だ。
いや……しかし、 “これほどまでのもの” は、もしかしたら初めてかもしれない。
こんなに本気で泣いている向日葵は、今まで見たことがないかもしれない。
「ひ、向日葵ってば……」
昔だったら、自分が抱きしめてあげればすぐに泣き止んでくれた。
食べていたお菓子をあげたり、おもちゃをあげたり、優しくしてあげれば、ひまちゃんはすぐに泣き止んで笑顔になってくれた。
けれど、今はもうそんな手は通用しない。
今はもう自分が抱きしめたところで、向日葵はより悲しい思いをするだけだろう。
――だって、悪いのは完全に自分だ。
(私が……悪いんだ……)
櫻子は大きな後悔と、目の前で泣きじゃくる幼馴染に対して何もできないという無力感に苛まれた。
向日葵の再三にわたる忠告を無視して、協力の申し出も面倒だからと断って、テスト前なのにずーっとずっと遊び呆けて、それでこんな点数をとってしまったのは、自分だ。
今の私に、向日葵を抱きしめる資格なんかないし、私ではもう、向日葵の涙を止めることはできない――。
その事実に気付き、オロオロと慌てることすらできずにただ固まっていると、何事かと気づいた花子が家の中から飛び出てきた。
すると、「どうしたの」と状況を聞かれるよりも先によろけながら立ち上がり、向日葵は櫻子にも花子にも何も言わないまま、逃げるように自分の家の中へと入っていってしまった。
取り残された花子は当然櫻子を問い詰める。しかし櫻子も櫻子で放心状態になっていた。
ほとんど無意識によろよろと自分の家に入り、よたよたと部屋までの階段を上がり、0点の答案を花子に見られて怒られたり呆れられたりしたところまでは、なんとなく覚えている。
けれど櫻子は、もう妹のお小言も、「撫子おねえちゃんに報告するから」という声も、受け止めることができない。
とにかく、あまりにも悲しそうに泣く向日葵の姿が、脳裏に焼き付いたまま離れなかった。
大きなトゲが胸に刺さったような気がして、けれどそれを抜く資格すら今の自分にはないんだということを痛感して、ずっとそのトゲを見つめたまま、痛みをただ受け入れていた。
――私が泣かせた。私が向日葵をあんなに泣かせたんだ。
ごめんね、ごめんねと心の中で何度も繰り返した。直接言わなければ意味がない、そして言ったところでもう何の解決にもならない謝罪の言葉が、胸の中で生まれては、口から出ることなく消えていった。
今はもう、向日葵の笑顔を思い出せない。泣き顔しか思い浮かばない。
向日葵の涙が沁み込んだ答案用紙を撫でると、すっかりふやけて固くなってしまっていた。
そんなとき、「一緒に試験対策しません?」と言ってきてくれた時の向日葵の顔が、ちょっとだけ思い出せた。
――ああ、私は。
向日葵を、裏切ったんだ――。
すると、途端に目から大粒の涙が溢れ出してきて、もうどうすることもできなかった。
「うくっ……ふっ……うぅぅ……」
自分でも自分の気持ちがよくわからないままベッドに倒れ、櫻子は情けなく泣き続けた。
これが、すべての始まりだった。
33Res/102.43 KB
↑[8] 前[4] 次[6]
書[5]
板[3] 1-[1] l20