9:名無しNIPPER[sage saga]
2023/02/21(火) 20:40:06.96 ID:G7tB3fi30
片道2時間というのは少し盛っているのではないかと思っていたが、あながち間違いでもなかったようだ。
初めて乗る電車、初めて降りる駅。郁代から送られてきた座標情報をもとに地図アプリとにらめっこしながら、リョウは初めて降り立つ金沢八景の地をウロウロとさまよっていた。
中途半端に電車を乗り継がなければいけなくて、帰宅ラッシュに重なったせいでその間まともに座席に座ることもできず、目的の駅に到着するまでにかなりの体力を奪われてしまったリョウ。
しかも駅からまたそこそこの距離を歩くようで、こんな距離を毎日往復して学校まで通っているなんて、とてもではないが信じられなかった。自分なら将来のアテなど決めないうちに中退を選んでしまいそうだ。
だが、昨日もひとりはこれと同じ時間をかけて、歌詞を見せるほんの数十分のためだけに、自分が気まぐれに指定した下北沢のカフェまで来てくれたのだ。そう考えると、こんなことで根をあげている場合ではないと思えてくる。
「あ……」
郁代から教えてもらった座標の家が、目の前に迫ってきた。
見た目にはごく普通の家。表札にはきちんと「後藤」と書かれている。
深く呼吸して上がっていた息をととのえ、インターホンを押そうとしたが、少し躊躇してしまった。
ほとんど勢いでここまで来てしまったが、ひとりに何を話せばいいか、まったくまとまってない。
というか知らない人の家のインターホンを押すという経験に乏しすぎて、勝手に手が震えてくる。事前に連絡とかせずにいきなり訪問していいのだろうか。けれどひとりに電話をしても電源は切れているらしいし、連絡をとることはできない。まずはインターホン越しに挨拶し、ここまできた事情を説明しなければいけない。片道2時間もかけて来て、最後の最後に待ち構えていた関門を前に、リョウの帰りたさゲージは急激に上昇していった。
しかし、ひとりのことを思えば……虹夏と郁代のことを思えば、こんなところで帰るわけにはいかない。
及び腰になりながらおそるおそる手を伸ばして、リョウはインターホンを押した。
[はーい]
「あっ、あの……山田と言います」
[えっ?]
「えーと、ぼっち……じゃなくて、ひとり……さんの、その、友達……と言いますか」
[あっ、あーあー! ひとりちゃんのバンドの! ちょっと待っててくださいね、すぐ行きますからっ]
ぷつりとインターホンが切れる。
リョウは自己紹介すらまともにできない自分の情けなさに打ちのめされていたが、とりあえず逃げずにインターホンを押せただけで上出来だと強引に自分を納得させた。
応じてくれたのはひとりの母親のようで、家の中からぱたぱたと音がしたのち、がちゃっと玄関を開けて迎えてくれた。
「まぁまぁいらっしゃい! こんなところまで来てくださってありがとうございます〜。さ、どうぞ上がって♪」
「お、お邪魔します……」
玄関に上がらせてもらうと、奥の方からひとりの父親、妹、そして犬までもが爪音をカチカチさせながらやってきた。
途端にリョウが苦手とするアットホームな雰囲気に包まれてしまう。
「わっ、本当におねえちゃんのバンドの人だー! えーっと確かー……」
「ベース弾いてた子だよね。遠いところをわざわざありがとう」
「あー、べーすってあの “じみ” なやつだ!」
「ぐっ」
「こらこらふたり、ベースはバンドに欠かせない重要な楽器なんだぞ?」
「ワン!」
このちびっこには確か前にも同じようなことを言われ、ヘッドホンを装着して洗脳工作を図ろうとしたことがあったような気がする。どうやら効果は出ていなかったようだ。
「あの〜、ところで今日は……ひとりちゃんと遊ぶお約束でも?」
「あ、いえ……約束はしてなくて」
「あらあら、そうだったの」
「ぼっ……ひとりが、今日学校を休んだって聞いて、それで……」
「まぁまぁ、心配して来てくださったのね。でも実は風邪とかじゃなくてね、ちょっと今日はどうしても行けないって言ってて〜……」
「大丈夫です。事情はわかってます」
リョウはそう言って、後藤家の面々の間をかき分け、ひとりの部屋へと向かって歩き出した。
すぐに「あ、そっちはリビングだよ」と後藤父に訂正され、階段を上るよう案内される。
「ひとり、ここ最近作詞の作業に集中してるみたいでね、ご飯もロクに食べてくれなくて……」
「……」
「やっと出来上がったって昨日家を飛び出していったはずなんだけど、またすぐに戻ってきて、閉じこもっちゃって……でもお友達が来てくれたなら、元気出ると思うんだ」
「は、はい」
和室の前に案内され、後藤父たちは空気を察してくれたのか、すぐに下へ降りて行った。
――とうとうここまで来ることができた。
(この奥に、ぼっちがいる……)
リョウは一息つき、意を決してふすまをぽすぽすとノックした。
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