1:名無しNIPPER[sage saga]
2023/01/07(土) 13:48:17.59 ID:FRtckmfc0
[人間 凍死する温度]
(……なんで、こんなの検索してるんだろ)
霧のように細かな冷雨が髪を濡らす、冬の夜の下北沢。
その街中を、ギターを背負って傘もささずにあてもなくさまよう後藤ひとりは、肩をすくめてマフラーの中に顔を隠しながら、震える手で絶望的なワードをスマホに打ち込んでいた。
ずらずらと出てくる検索候補を死んだ魚のような目で流し見する。よくわからないが、とにかく人間は寒いところに居続けると死んでしまうらしい。あまりにも過酷な現在の気候と気温は、行き場を失った女子高生一人をあの世に連れていくことくらい造作もないだろう。
ミストの粒に光を反射させる液晶画面を服でぬぐってポケットにしまい、貴重な体温が少しでも奪われないように身を縮めて、ひとりはまたとぼとぼ歩き出した。
どうしてこんなことになってしまったのか。
大事な本番を間近に控える中、スタジオ練習を終えた結束バンドの面々は、いつもどおりそれぞれの帰途についた。
本日の合わせは練習は、はっきり言って満足のいく結果ではなかった。本番に向けて四人はモチベーションを高めていたが、弱みを克服しようと焦ってはりきった結果、今までできていた部分までもがぎこちなくなり、全体としての質が落ちてしまった。
「みんなここ最近の疲れが出てきちゃったのかもしれないから、今日はこのあたりで解散しよ? 次は絶対大丈夫だって!」……そう鼓舞する虹夏の声が少し不安気だったのを、リョウも郁代もひとりも肌で感じていた。
自分が足を引っ張っているのではないか。みんなと呼吸を合わせられるよう、もっと上手くならなくては。下北沢から遠く離れた金沢八景に住むひとりは、すぐにでも家に帰って練習しないといけないと思い、目的の電車に乗るために駅までの道を急いでいた。そのときはまだ雨は降っておらず、空気が湿っている程度だった。
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2:名無しNIPPER[sage saga]
2023/01/07(土) 13:51:20.71 ID:FRtckmfc0
駅までもう少しというところで、ポケットのスマホが震えた。メッセージではなく着信だった。慌てて手に取ると、そこには父親からの着信であることを示す画面が。なるべく人の少ない静かな路地に小走りで逃げ込み、ひとりは電話に応じた。
「おっ、出た出た。もしもし、ひとり?」
「え……お父さん、どしたの」
「今どこだ?まだ電車乗ってないか?」
「うん……もう乗るとこだけど」
3:名無しNIPPER[sage saga]
2023/01/07(土) 13:52:42.68 ID:FRtckmfc0
「この前遊びに来てくれた子たちを見て思ったんだ。あの子たちとは、きっとそれくらい仲よくなれたんだろうなって。まだ練習終わったばかりなら、話もしやすいだろ?」
(無理無理無理……)
ひとりの脳内に負のビジョンが思い浮かぶ。
「えっ、そんな急に言われても……」と戸惑う虹夏。「私、人を泊めたりするの無理なんで」ときっぱり断るリョウ。「うちもちょっと……ごめんなさいっ」と愛想笑いを浮かべる郁代。みんなから断られ、絶望に打ちひしがれるひとり。みんなと呼吸のあった演奏もできなくなり、本番は大失敗……結束バンドはこの不和をきっかけに解散……
「ひぃぃぃああぁぁぁぁ!!!」
4:名無しNIPPER[sage saga]
2023/01/07(土) 13:55:16.35 ID:FRtckmfc0
(いや、待てよ……?)
誰かに泊めてもらわなくても、要は一晩明かせればいいのだ。どうにかして明日の朝を迎えられれば、とりあえず学校が始まっていつもどおりの平日になる。これから約12時間、なんとかして時間がつぶせればいい。眠れなくても、一晩くらいなら徹夜したって平気だろう。無理に結束バンドの誰かにお願いして関係が険悪になるくらいなら、そっちの方が何倍もいい……後藤ひとりの思考回路は、そんな答えに辿り着いてしまった。
だが問題はこの寒さだ。今日は今シーズン一番といってもいいほどに冷え込んでいる。しかも気づけばうっすらと霧雨まで降り出した。都内で雪が降るのは珍しいが、今夜の寒さは本当に雨が夜更け過ぎに雪へと変わりかねない。しかし、それなりに気合をいれなければコンビニすら入ることができないひとりにとって、どこかの店に避難するというのも敷居が高い。24時間営業の店はあるだろうが、そんなところに一人で入って知らない人に絡まれた日にはこの世の終わりだ。そもそも女子高生が深夜まで店にいたら、客だけでなく店員も気にするだろう。
人がまったくいなくて、誰にも見られなくて、女子高生がいても違和感のない、雨風がしのげる暖かいところ。そんな実在しないユートピアを求めてあてもなく下北沢をさまようひとり。まず目に入ったのは小さな公園だった。とりあえず立っているだけで疲れてきたので、ベンチにそっと腰掛けてみる。
5:名無しNIPPER[sage saga]
2023/01/07(土) 13:56:43.31 ID:FRtckmfc0
「……」
まったく知らない店や民家の横をゆっくりと通り過ぎながら、帰る家があるというのは本当にありがたいことなのだなあとひとりは痛感していた。今までは家にこもりっきりになる負のビジョンを妄想することが多々あったが、引きこもれる家があるだけマシなのだということに、ここに来て気づかされた。
どうして親を相手に強がってしまったのだろう。どうして今日は傘をもってこなかったのだろう。様々な後悔が濁流のように押し寄せる。
凍死なんてしたら流行り病にかかるよりよほど悲惨なことになるし、せいいっぱい勇気を出して、本当に誰かに泊めてもらえないか頼んでみようか。頼むとしたら誰がいいだろう。
(虹夏ちゃん……リョウさん……喜多ちゃん……)
6:名無しNIPPER[sage saga]
2023/01/07(土) 13:59:36.20 ID:FRtckmfc0
「どうしたの? 早く帰らないと電車なくなっちゃうんじゃ……」
「あっ、あぅぁぅ……」
「きゃっ、ひとりちゃん!?」
突然目の前に現れた郁代のもとへ、ゾンビのようにふらふらと近づくひとり。リアルに凍死する未来が頭に浮かぶほど精神的にも肉体的にも追い詰められていたせいか、今のひとりにとっては救いの女神以外の何者でもなかった。
「ちょっと、すごい濡れちゃってる! ギターもあるんだから傘くらい差さないと!」
7:名無しNIPPER[sage saga]
2023/01/07(土) 14:00:36.28 ID:FRtckmfc0
「お父さんは、今夜はどうしなさいって?」
「……だ、誰かの家に……泊めてもらえばって……」
とても申し訳なさそうに、目を伏せ気味にぽつぽつと話すひとり。頼るあてを見つけられず、こんな極寒の中で夜を明かせる場はないかとさまよっていたのだろうか。事実だとしてもそんな可能性は考えたくもないが、それより何より、こんなときでさえ頼ってもらうことができない自分に、郁代は歯噛みした。
「どうして頼ってくれないの?」「言ってよ、そんなことくらい!」……思わず口をついて出そうになる言葉は、どれもひとりの心を傷つけてしまいそうだ。
今のひとりに、必要な言葉。
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