6:名無しNIPPER[sage saga]
2023/01/07(土) 13:59:36.20 ID:FRtckmfc0
「どうしたの? 早く帰らないと電車なくなっちゃうんじゃ……」
「あっ、あぅぁぅ……」
「きゃっ、ひとりちゃん!?」
突然目の前に現れた郁代のもとへ、ゾンビのようにふらふらと近づくひとり。リアルに凍死する未来が頭に浮かぶほど精神的にも肉体的にも追い詰められていたせいか、今のひとりにとっては救いの女神以外の何者でもなかった。
「ちょっと、すごい濡れちゃってる! ギターもあるんだから傘くらい差さないと!」
「わ、忘れちゃって……」
刻一刻と濃さを増していた霧雨のおかげで、額に髪が張りつくほど身体中しとしとになっていたひとりを見かねて、郁代は急いでハンカチを取り出し、ぽんぽんと顔を優しく叩いた。
ひとりはゾンビの体勢のまま、柔らかい布で顔を撫でられる。
「駅に行かなかったの? こっちでまだ用事でもあった?」
「いやっ、えっと……」
「?」
こんな状況下にあっても、ついつい「なりゆきを説明するのがわずらわしい」と思ってしまうひとり。全部悪い夢なのではないかと現実逃避し、自分でも今の状況をいまいち飲み込めていなかったため、脳内の整理もできていない。
ぷるぷると硬直するひとりを見て、質問責めにすると逆効果であると悟った郁代は、とりあえず雨に濡れないよう店の軒下にひとりをずらし、次の言葉をおとなしく待った。
「……ぁ、ぅぅ……」
「……」
「……じ、実はっ、家に……帰れなくて……」
「……帰れない?」
「い、妹が熱を出して、うつっちゃうかもしれなくてっ……それで、もうすぐ大事な本番だから、帰ってこない方がいいんじゃないかって、お父さんが……」
「ああ、なるほど……!」
まさか高校生にもなって自分の家への帰り道で迷子になったのでは……という可能性を捨てきれなかった郁代は、ひとりの口から想像よりもまともな理由が出てきたくれたことにとりあえず安堵した。
今はもうどんな理由であれ、熱が出たらまず感染症を疑って行動しなければいけない世の中だ。このままひとりが家に帰って同じように熱を出してしまった場合、演奏に支障が出るどころか、本番を迎えることすらできなくなるかもしれない。
とすれば、なぜひとりはこんな雨の中をさまよっていたのだろう。
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