26:名無しNIPPER
2020/11/08(日) 09:19:38.36 ID:FQVp12gN0
「ライラ、今日の動きよかったね」
「本当でございますか?」
「うん。頑張ってたのがよくわかったし、ミスもなかった……よね? たぶんファンも観ていて楽しかったと思うよ」
「えへへ、そう言って頂けると嬉しいですねー」
移動のタクシー内。今日の振り返りがてら、杏が少しずつ話を切り出した。ライラも満足感があったせいか、積極的に言葉を返す。
「でもやっぱりアンズさんを見ているとスゴかったです。ライラさんも自分では頑張れたと思っていますが、……でも、もっともっとうまくなりたいです」
気づくことは自分に対してだけじゃない。周囲を見ても学びはたくさんあった。何より、センターの杏は本当に動きにムダがなくて、速いのに丁寧で、そしてかわいかった。技量差はきっと自分が思っているより遥かにあるんだろう、とライラは感じていた。
「そりゃまた、意識の高いことで」
窓の外に視線を逃す杏。真面目な話は性分じゃない、とは以前も語っていたけれど。
「……ライラはちょっと前まで、なんか調子いまひとつかなって思っていたんだけどさ。そっちは解決したの?」
リハの頃から見る限りでは、ちゃんと前を向けるようになってたよね。視線を合わせないまま、杏がそうつぶやいた。
「そう、ですね」
一瞬ためらった後、ライラがゆっくり、だけど自信を持って口を開いた。
「何がカイゼンして何がカイケツしたかは、まだわからないですが。でも少しずつ頑張れていますです」
「そっか」
優しい笑顔を見せるライラ。視線を戻した杏もそれを見て、少し安心したような表情になった。
そこからしばし他愛ない雑談へと変わった。ライラと杏は事務所内でも挨拶や軽い会話こそすれ、ゆっくりお互いのことを話す機会は今までなかった。もちろん出自や現在の活動の概要くらいは把握しているけれど。質問は意外にも、ライラから投げかけることの方が多かった。
ライラから見て杏は確かな実力のある先輩であり、しかしあまり前向きな言葉を発したりはしないことが印象的な人だった。けれどきちんと練習もするし、結果にもつなげる人だった。ムダなことを嫌い、最短距離を走ることに長けているようだった。
わたくしは寄り道ばかりでございますからねー、と自戒的に言葉を発したライラだったが、杏はその言葉を聞き逃さず拾った。
「ライラはあんまりそういうこと気にしたりしないでさ……なんというか、好きなこととか楽しいことを追いかけていってほしいな」
それに、そういうとこもライラの魅力なんだよ。今の自分を否定しないでね、と。
「ライラさん、今の人生も、ここでの毎日もとっても楽しいでございますよ?」
「それならいいんだけど」
ライラがゆっくりと言葉を紡ぐ。
「故郷を去るまでも素敵でした。でも、今だってとっても幸せでございますよ。この先とか将来とか、どうしてなっているかわからないですけれど。でもそれも人生でございますねー」
毎日発見がありますし、毎日小さな幸せがありますです。それだけでライラさんは幸せでございます。そう彼女は続けた。
「そっか」
んー……、と適切な言葉を探して天を仰ぐ杏。しばらくしてライラの方に向き直った。
「ライラはさ、たらればってわかるかな」
「おいしいやつですか」
「それはたぶんニラレバ」
パラレルって言った方がいいかもしれない。杏は説明を続けた。
人生にはいろんな選択肢があって、もしこちらを選んでいなければ……という道はいっぱいあるハズなの。っていうか分岐があるからこそ人は考えちゃうんだけどね。でもどうやったってその分岐点にも別ルートにも戻れるわけじゃないし、選び直せないじゃん。だったら悩んでも仕方ないよねみたいな。
意味はわかるものの、杏がこの話をする意図がいまいち察することができないライラ。頷きつつ続きを待った。
「杏もなんでアイドルやってるかなんて、いろんな巡り合わせの結果だからとしか言い様がないんだよね。他の生き方だってあったかもしれない。でも幸い、いや幸いなのかな? まぁいいや、とりあえず杏は今の生き方は嫌いじゃなくてさ」
「アンズさん、いろんな人にお慕いされておりますもんねー」
ライラの記憶にもそんな光景が目に浮かぶ。怠惰な発言もしばしばな杏だが、そんな彼女を慕う者は少なくないし、事務所で見る彼女の周りはいつも賑やかだ。担当プロデューサー、諸星きらり、前川みく、緒方智絵里、三村かな子、荒木比奈、などなど。それはきっと、彼女の素敵な部分をちゃんとみんなわかっているから。
「……どうかなぁ。でも、感謝はしてる。少しだけね」
「ふふ。素敵でございますよ」
照れくさそうに杏が反応して見せた。ライラも笑みをこぼす。
「話を戻すけど」
「はいです」
逸れてきた話題を仕切り直し、杏は続けた。
「人生のあり方をいろいろ、それこそきっと杏より苛烈に生きてきたライラがさ、今この場で小さく留まってほしくはないなぁって思うんだよ。ライラは幸せを感じているのかもしれないけど、それはそれとして、どうにかしなきゃいけないことはあるわけでしょ」
「……はい、です」
現実に引き戻すような一言に、胃のあたりが少しキュッと摘まれたような感覚に陥ったライラ。
「お互い、今この瞬間がずっととはいかないもんね」
時の流れは環境を変化させる。万事不変とはいかないし、出会いもあれば別れもある。それはライラもよく理解していたはずだった。だが彼女は最近ずっと、この幸せな毎日が失われなければいいなとばかり思っていたことに、ようやく気がついた。
「物語が終わらなければ幸福なんだとしても、時計の針は進めるべきだと思うんだ」
みんな、生きているんだから。
それは杏なりの、精一杯のメッセージだった。
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