22:名無しNIPPER
2020/11/08(日) 09:15:13.24 ID:FQVp12gN0
* * * * *
相川千夏はそもそも後輩の面倒見が特別よいとか世話焼きとかいうわけではない。落ち着いた佇まいが魅力の、聡明で博識なオトナの女性だ。ただそうした堅いイメージに比せず、彼女を慕う後輩は多い。その理由はいろいろあるが、盟友・大槻唯の言葉を借りるのであれば「大切なタイミングを絶対にこぼさないヒト」だからだとか。その話を聞いて以来、ライラも頼もしい大人像として千夏を浮かべることがあった。
電話越し、一瞬の躊躇の後、ぜひ行きたいですとライラは返答した。唐突なお誘いもきっと何か意図あってのことに違いない。大切を絶対にこぼさない。たとえばそれが今なのかもしれない、などと思いながら。
「おまたせしました」
駅前で合流の後、一緒に電車を乗り継いで隣町へ。目的の駅を降りるとすぐに視界に入ってきたコンサートホールが今日のお目当てだ。
「急に声を掛けちゃってごめんなさいね」
「いえいえ、とても嬉しいですよー」
入り口の大きな立て看板が見えてきた。凛々しい写真と大きく「黒川千秋」の文字。
「お仕事が入っていたから来られないと思っていたのだけど、急にリスケになっちゃって」
座席は言わずもがな満員だし、立ち見だけど、と千夏が説明する。
「おさそい頂けて光栄でございますです。チアキさんが練習いっぱいされているのは知ってますもんね」
「ええ、それに ――」
彼女のライブはきっと見に行って損はないわよ。特に、今のライラはね。そう話す千夏が印象的だった。
「少しだけお邪魔しちゃおうかしら」
そう言って千夏はステージ前の楽屋を控えめにノックした。
「あら、いらっしゃい。来てくれたのね」
事務所が誇る人気アイドルがそこにいた。ぱぁっ、と明るい表情を見せる千秋。
「ステージ前の集中時間にごめんなさいね」
「ううん、そんなことないわ。むしろ嬉しい」
「仕上がりは順調?」
「ええ。十二分に堪能していってね」
交わされる会話がプロフェッショナルのそれだ、とライラは思った。千秋の視線が自分の方に移ったところでペコリと一礼。
「こんにちはですよー。失礼します」
「ライラさんも来てくれたのね。ありがとう」
「楽しみでございます。頑張って……くださいませ?」
「ふふっ、ありがとう」
変な疑問形イントネーションになってしまったのは、頑張ってくださいと千秋に言ってよいのか少し迷ったからだった。最前線を走る黒川千秋という女性、その凄さも、美しさも、そして努力の様子もみんな知っているから。
「最近ちょっとだけ、しょんぼりんこね。悩み事かしら?」
千秋が何かを察したのか、目線を合わせながらライラに話しかけた。
「……えっと、そう、見えますでしょうか」
「少しだけね。いつもの優しくて暖かいあなたの笑顔が、最近ちょっと控えめな印象だったから」
ライラは一度うつむいて、そうですねー……、とつぶやくばかりだった。自分でもうまく言葉にできないので、いや、内心わかってはいるのだけれど、せっかくの千秋の問いかけに返答することができない。
「無理しなくてもいいわよ。きっと悩んでること、引っかかっていることがあるんだと思うの。でも、言葉にできないことって少なくないから。焦らず、でも背負い込みすぎないでね」
優しい笑顔とともにフォローする千秋。誰しも思い悩む時はあるから、と。嬉しい言葉であるとともに、なんだか最近は今までにも増して、助けてもらってばかりだとも思ってしまうライラがいた。
あまり長居も悪いわね、と千夏が促し、切り上げる雰囲気になった。
「またゆっくり話せるかしら」
「もちろん。ライブ後でも後日でも、また時間を取って話したいわ。千夏さんとも、ライラさんともね」
再度エールを送り、楽屋を後にした。手を振って見送ってくれた千秋はクールでエレガントで、衣装もとっても煌びやかだ。だけどその背中には既に熱い想いが滾っているようだった。
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