十時愛梨「それが、愛でしょう」
1- 20
54:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:31:39.83 ID:n4MKx+790
 薄く目を見開いて、カーテンの隙間から見える舞台はきっときらめく場所からは遠いのだろう。喝采は湧き起こらない。ペンライトが描く虹は浮かばない。
 ――それでも。
 自分に言い聞かせるように、繰り返す。
 それでも、今日ここから、私の旅は始まるのだ。

 十時愛梨。憧れた名前は、私が初めに触れた記念碑は、同じ舞台に立って眺めてみれば、遙かに遠いところにある。
 八番の子、合格です。社内オーディションの審査員をしていた担当の人が、無機質に読み上げたのは結果と番号だけで、そこに私の名前はない。
 今だって、それはきっと同じことだ。舞台に飛び出した私に、名前はまだないに等しい。
 どれだけしつこく名乗ったって、呆れるぐらいによろしくお願いしますと繰り返したって、何百人の中で一人、気に留めてくれた人がいたならそれだけでも望外の幸運だと言い切れるぐらいに、アイドルという存在は飽和して、ありふれたものになってしまっている。
 だけど、その幸運を引っつかまなければ、私が手にすることを願って、プロデューサーが形にしてくれたこの一歩を踏み出すことすらできないんだ。

 簡易的な自己紹介を終えて、一曲だけを披露する機会が巡ってくる。
 大丈夫。言い聞かせるのは、過去に怯えて震えていた私。そして今、緊張で口から心臓が飛び出そうになっている私。そして。
 静かなアコースティックギターのイントロが、見えない手に押し出されたかのように私の背中を突き抜けて、観衆へと向けて響き渡る。
 五人。微かに足を止めて、また歩き出した人まで含めても、たったそれだけ。この曲の力をもってしても、今はまだ、何百人の中から片手の指で数えられる人の足しか止められない。

 そしてそれは、私自身の力じゃない。
 わかっている。不遜で、傲慢で、向こう見ずな私だけど。
 恋のことだってわからないし、そこから先にあるもののことなんて、想像もつかないけれど。
 それでも、十年以上抱えてきたものがある。だから今、この舞台に立っている。


<<前のレス[*]次のレス[#]>>
57Res/91.81 KB
↑[8] 前[4] 次[6] 書[5] 板[3] 1-[1] l20




VIPサービス増築中!
携帯うpろだ|隙間うpろだ
Powered By VIPservice