黒埼ちとせ「メメント・ウィッシュ」
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6:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/11(木) 19:42:12.70 ID:fM9nM/xA0
 だったら、俺はどうしてあれほどまでにちとせに執着していたのか。
 三日三晩、営業回りに優先して、街角で見付けた彼女を探していた。これは冗談でも何でもない。新宿で、池袋で、渋谷のスクランブル交差点で。砂漠の中に一粒だけ落とされたダイヤモンドを探すかのように、俺はちとせをスカウトしようと必死になっていた。

『会いたかった?』

 そうして、出会った。まるで、俺の方が探されていたように、初めから三日三晩かけてそこに来させたかのように、初めて彼女を見付けた場所で、俺はちとせをスカウトしたのだ。
 これを、魅入られているという以外なんといえばいいのだろう。熱病にでも浮かされていたように、思考がちとせのことだけで埋め尽くされて、そうして。
 
 『じゃあ、契約しよっか』
 
 まるで、夜の城主であるかのように、跪いての口づけを求めるように、丈の余った袖に包まれた右手を差しだしてきたことを覚えている。その時はまだ知らなかったが、十九歳の、法律上はそう定義されていてもまだ大人という二文字からは距離が空いた年頃に似つかわしくない風格を漂わせて、ちとせはそう言ったのだ。
 そこからの記憶は判然としない。おかしな話だ。それまでのことははっきりと、夢に見るまでに覚えているのに、ただ彼女がその後に呟いた言葉だけが思い出せない。

 だから、魅入られている。
 そして、それこそが俺が、ちとせに見出したアイドルの、アイドルたり得る条件だった。

「……魅入られている、か」

 あれだけ文字を詰め込んだのに、今や白紙へと戻ろうとしている企画書をぱらぱらとめくって、溜息と共に浮かんだ言葉を口に出す。
 言葉にするには少し気恥ずかしい単語な気もするが、どうせ誰も訊いちゃいないのだと開き直って、そっと最後の一ページを閉じる。

 待機といっても、牢屋の中で過ごすようにずっとこのオフィスに座っていろという話ではない。凝り固まった両肩をほぐすように背中を伸ばせば、ばきばきと不健康な音が人気のない部屋に鳴り響いた。
 魅入られている。別部署のアイドル、神崎蘭子や二宮飛鳥が好きそうな言葉だが、それを自覚するに至ったきっかけは俺自身にはなかったはずだ。
 企画書のタイトルに視線を落とせば、そこには「定期LIVEバトル・黒埼ちとせ対十時愛梨企画草案」と明朝体で記された無機質な文字が並んでいる。



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