89: ◆YF8GfXUcn3pJ[saga]
2019/08/18(日) 03:01:19.14 ID:OJA0wgUK0
☆
その年の六月の終わり頃は大変だった。
ただでさえ梅雨のせいで体が重いのに、スケジュールは多忙を極めていた。
七月に事務所開催の合同ライブがあるというので、私は歌やらダンスやらを叩きこまねばならなかったし、かといって写真撮影や雑誌の取材などの通常の仕事の手も休まらなかった。
レッスンや長丁場の仕事でボロボロになりながらも這う這うの体で帰還し、やっと帰れると事務所を出たところで雨が私に追い打ちをかける。
私は、このまま私が突然失踪したら皆はどんな顔をするのだろうかというのを想像し、その想像だけで何とか毎日を乗り切っていた。
七月頭のライブが終わって、ほぼ同時期に梅雨が明けた。
燃え尽きて消し炭になった私は、ライブの日を境に、部屋でごろごろ寝転がって時間を潰すことが多くなった。
六月の下旬はプロデューサーと打ち合わせに行く時間がないのを惜しく思っていたけれど、いざ暇になると、やっぱり外出しようという気分にはならない。
ひとりで寝転がる時間が増えると、考え事をする時間も増える。
「緑色の空」のこと、彼のこと、私のこと。分からないことが増えるばかりで、状況は少しも進展しなかった。
私はふと考える。
彼の本質に踏み込むためには、私は何かしらの行動を起こさなければならないんじゃないか?
突然脳裏に姿を現した言葉は、私の急所を的確に突いていた。
当時の私に欠けていたものは行動力だった。
何かに必死になろうとする度に、理性の皮を被った感情が邪魔をしていた。
些末なことに本気になることは格好悪いと決めつけて、泥臭くなろうとする自分を押し留めようとする心理が働いていた。
振り返れば、今までだってそうだ。
私は常に、流れに身を任せて生きてきた。
十五年間を生きた北海道を離れて、東京に独り暮らしすることになったのだって、私の自堕落な生活を見かねた両親の計らいによるものだ。
アイドルをやっているのだって、印税で儲かるというプロデューサーの口車に乗せられたからだ。
――口車に乗せられたというのは半分は建前で、アイドルに興味があったというのも理由のひとつだった。
自分で選択に踏み切った経験がなかった。
私は自身の選択を、全て他人に任せて生きてきた。
目の前に映る選択肢から目を逸らし、選択肢を選ぶことに伴う責任から逃げてきた。
でも、そんな生き方もそろそろ、限界なのかもしれない。
私にはいずれ、選択をしなければならない日が来る。
そんな直感があった。
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