90: ◆YF8GfXUcn3pJ[saga]
2019/08/18(日) 03:02:26.05 ID:OJA0wgUK0
「あの、さ」
その翌日に、私はプロデューサーの部署の部屋を訪れていた。
夕方もいい時間だったけれど、夏と言うだけあって、日はまだ落ち切ってはいなかった。
プロデューサーは伏し目がちに私と会話をしながら、パソコンを叩いていた。
何をしてるの、という質問に対する彼の答えは『メールの処理』とのことで、これが何故か印象に残っている。
――私はプロデューサーが仕事として具体的に何をやっているのかについて、よく知らないままにアイドルをやっていた。
その当時は、メール処理なんかやらされるのか、と殊更に感銘を受けたけれど、今考えれば電子メールの処理をしない社会人の方が珍しいように思う。
「プロデューサー。『大人はずるい』って、どういう意味?」
一瞬彼の手が止まる。何事も無かったかのように仕事を再開すると、彼はぱっとしない返事をした。
「そのままの意味だよ。大人はずるいんだ」
はぐらかそうとしているのは明々白々だった。
しかし私は、彼の法則を知っている。
彼は私を無視しない。
必ず返事をする。
私はそのことに気付いていた。
むしろそれこそが、彼が嘘を吐く理由なのかもしれなかった。
本当のことを言いたくはないけど、私を無視したくはない。
そんな行動規範に縛られた彼の行き着いた最適解が、嘘を吐くことなのかもしれない。
「大人はずるいから、嘘を吐くんだよね」
「……そうだな」
「プロデューサーは、いつ嘘を吐いたの?」
彼は答えに窮していた。
無理もないことだ。
人は常々無数の嘘を吐いて生きているし、吐いた嘘をいちいち覚えているような人間は神経質を通り越してもはや異常だ。
それでも、私の知りたかったことは、彼がいつ嘘を吐いたのか、なのだ。
彼はあの日――映画館に行った日だ――最後に、大人はずるいんだ、と口にした。
それは言わば自白のようなもので、彼が「緑色の空」の話をしたとき、あるいはそれに関する出来事の中で、何らかの嘘を吐いたことを認めたようなものなのだ。
しかし私は、彼のどの言葉が嘘だったのか、特定できずにいる。
それが分からなければ、何も始まらない。
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