【モバマス】水曜日の午後には、温かいお茶を淹れて
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44: ◆Z5wk4/jklI[sage saga]
2018/12/16(日) 22:22:38.07 ID:/MDiOILR0
 結局それから私たちは、特別何をするでもなく、一時間近く落ち着かないままでプロデューサーさんを待って時間を過ごした。はぁとさんは不機嫌そうな顔で黙ってしまい、マキノちゃんはときどきスマートフォンを操作しながらなにやら考え事をしていた。私は美穂ちゃんとくるみちゃんとおしゃべりをしていたけれど、どこかぎこちない。
 やがて扉が開き、プロデューサーさんが戻って来た。表情は険しいままで、額には汗がにじみ、後ろにはちひろさんを連れていた。

「戻りました。皆さん、お呼び立てしたのにお待たせして申しわけない」

「プロデューサーさん、あの、お茶、出過ぎてしまって……勿体ないけれど、処分しました」

 私が言うと、プロデューサーさんは何を言われたのかわからなかったらしく、一瞬だけ固まって、それからはっとしたような表情をした。

「失念していました……。この分は、また今度に」

 プロデューサーさんはいつもの自分の席の前まで来ると、スーツのジャケットを脱いで椅子にかけた。落ち着いた印象のベージュのベストの襟元を引っ張って、手で首元を仰いでいる。
 ちひろさんは、黙って入口のところに立っていた。

「あの、プロデューサーさん、一体何が……」

 美穂ちゃんが心配そうに尋ねる。

「ご心配をおかけしました」プロデューサーさんは深く息をつき、それからはぁとさんのほうを見る。「佐藤さん。申し訳ない。緊急事態と判断して順番が前後してしまいましたが、先ほど見せていただいたお仕事は、プロダクションとして、先方に丁重にお断りの連絡をいたしました」

「は……?」

 はぁとさんが低い、小さな声をあげた。眉間にしわが寄っている。

「ちょっ、ちょっと待て、こら!」

 はぁとさんは音を立てて椅子から立ち上がった。驚いたのか、私と美穂ちゃんの間に座っているくるみちゃんが怯えて「ひっ」と短い声をあげる。私はくるみちゃんを落ち着かせるため、机の下でくるみちゃんの手をそっと握った。

「佐藤さん」

「なんでっ!」はぁとさんはプロデューサーさんの声を無視して叫んだ。「そんなにはぁとが仕事するのが気に入らないのかよっ!? はぁとはただ、アイドルがしたいだけなんだよ! いつもいつもOLみたいな事務仕事と、いやがらせみたいな個人レッスンばっかりでっ!」

「佐藤さん」

 はぁとさんは止まらない。

「皆には仕事振ってるのにはぁとに仕事振らないのは、はぁとを辞めさせたいからだろ!? プロダクションのお荷物だってんならそうだってはっきり言えよ! イジメみたいなやり方で追い詰めるほうが、やり方が汚いだろっ!?」

 最後の方は泣き叫ぶみたいな声になって、はぁとさんはまくし立てた。
 そのとき、事務室の扉の方でざり、と靴が擦れる音がした。瞬間、プロデューサーさんがきっと扉の方に強い目を向ける。扉の前にはちひろさんが立っている。プロデューサーさんに制されたちひろさんは唇を結んで、なにかを言いたそうな顔で、胸の前でプロダクションの封筒を強く強く抱きしめていた。

「もう、はぁとには後がないんだよ……止まってなんて、いられないんだよ……」

 はぁとさんは絞り出すような声で言い、拳を握り締めてうつむいた。

「佐藤さん」プロデューサーさんは普段よりゆっくりした口調ではぁとさんを呼んだ。「佐藤さんと、このユニットの他の四人の皆さんには、ひとつ、大きな違いがあります」

「年齢だろ、そんなの」

 はぁとさんは拗ねるみたいな声で言った。
 プロデューサーさんは頷く。

「その通りです」

「それがっ……!」

 はぁとさんは目尻に涙を溜めてプロデューサーさんを睨みつけた。

「……このお話は、機が熟してからするつもりでしたが……仕方ありません。佐藤さん。ユニットの中であなただけが大人だということは、あなただけが完全を求められているということです……わかりますか」

 プロデューサーさんは両手を机の上について、ふーっと息をついた。

「人はみんな、無意識に美しいものとそうでないものを見分けています。だが決して『あなたは美しくなかった』とは教えてくれない。人々自身も、どうしてそれを美しく感じたのか、あるいはそうでなかったのかを説明できません。それでも選別の結果は如実に表れる。優れたものには注目が集まり、そうでないものは静かに、穏やかに、置いて行かれるのです」

 プロデューサーさんの淡々とした言葉を、はぁとさんも私たちも、じっと聞いていた。

「佐藤さん以外の四人はまだ未成年です。人々は未成年の身体は成長過程にあることを理解している。立ち居振る舞いも未熟であることが許されているのです。しかし佐藤さん、あなたは大人です。二十五歳を超えて、人は大きく変化しない。そう見られます。……自分で気づいていらっしゃらないでしょうし、周りの人も指摘してはくれなかったと思いますが……、佐藤さん。あなたは、私と顔合わせをしたとき、体幹が崩れていたのです」

「……はっ?」

 はぁとさんが、震えた声で訊き返した。

「美城プロダクションは多数のアイドルを抱えている。それが個々のアイドルにとって有利に働く面もありますが、不利に働く面もあります。加速していく芸能界で、体幹が崩れている程度のことでも無意識のうちに起用の候補から外れる。気づいているならなおさら、矯正の必要のない別のアイドルを起用する。芸能界全体で考えればその傾向はより顕著になります。そのため、私は佐藤さんを一時的に社内も含めた業界の人々の目から隠し、これまでの印象を薄めるとともに、体幹を鍛えなおしていただくことにしたのです。佐藤さんの矯正が完了したときには、順次お仕事をお願いする予定でした」

 私は思い出し、はっとした。
 出会ったころいつも、はぁとさんはプロデューサーさんから、座っているときの姿勢を注意されていた。


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