【モバマス】水曜日の午後には、温かいお茶を淹れて
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35: ◆Z5wk4/jklI[sage saga]
2018/12/13(木) 20:05:06.68 ID:xAj2PbQr0
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 そして、時間は現在に戻る。

「うえ、うぇぇえ、ふぇ〜〜ん、えぇ〜〜ん」

 くるみちゃんは泣き止まなかった。
 スタッフさんがバックヤードに戻ってきて、イベントは私たちの退場以降、大きなトラブルなく終わったことを教えてくれた。お客さんの何人かは、くるみちゃんを心配してくれていたとも教えてくれた。
 くるみちゃんをいじめた子供たちは、玩具売り場へ去っていったらしい。
 私は焦っていた。お仕事が自分の思った通りに行かないのはよくあること。だけど、それは自分の実力不足を感じて、それから努力を重ねて克服していくもの。さっきみたいに、自分が原因ではないトラブルで、しかも悪意を直接ぶつけられるなんて、そうそう起こらない。
 このことで、くるみちゃんが始めて間もないアイドルのお仕事を怖がるようになってしまうのはよくない。そのためには、後半の部でくるみちゃんがお仕事をしっかり終えて自信をつけてもらうのが一番。でも、くるみちゃんが怯えてしまっては、お店の側に迷惑が掛かってしまう。これは学校の職業体験じゃなくて、お給料のあるれっきとしたお仕事なんだ。
 プロデューサーさんは、この家電量販店とプロダクションは長い付き合いだと言っていた。ここで関係が悪くなって、プロダクションがこのお店からお仕事を貰えなくなってしまうのは避けなきゃいけない。
 まずは、くるみちゃんを落ち着かせないと。
 私はくるみちゃんをそっと抱きしめた。
 くるみちゃんはそれでも泣き止まなかったけれど、早まっていた呼吸のスピードを少しずつ緩めていった。

「ふっ、ぐすっ。夕美しゃん、くるみ、くるみ……お仕事、だめに、しちゃっ」

「大丈夫、くるみちゃんの失敗じゃないよ」

「ふえぇ〜!」

 くるみちゃんは再び声をあげて泣き出す。
 私はくるみちゃんを抱きしめたまま、時計を探す。次のイベント開始予定時刻まであと二十七分。
 焦っちゃだめだ。私が焦ったら、それはくるみちゃんにも伝わっちゃう。
 どうしようか悩んでいたとき、バックヤードの扉が開き――見知った顔が入って来た。

「プロデューサーさん!」

 私が声をあげると、くるみちゃんが顔をあげた。私はくるみちゃんから身体を離す。

「ぷろでゅーしゃー……?」

 グレーのスーツ上下に同じ色のハットを深くかぶったプロデューサーさんが、こちらに歩いてくる。ハットを取ると、スタッフさんに深く頭を下げた。

「この度はご迷惑をおかけしました」

「いえ、こちらも想定外の事態に対応が間に合わず、申し訳ありません」

 スタッフさんも頭を下げる。
 プロデューサーさんは私たちの前まで歩いてくる。

「相葉さん、大沼さん、お疲れ様です」

「プロデューサーさん、あの……」

 何が起こったかを説明しようとすると、プロデューサーさんは手のひらを私に向けて、私を制した。

「お仕事の様子は見させていただいていました」

「えっ!」私は無意識に驚きの声を発していた。「ご覧になっていたんですか」

 プロデューサーさんは頷く。
 いつもは現場に来ないプロデューサーさんが、今日は来ていたなんて。くるみちゃんの初仕事だから?
 疑問に思う私をよそに、プロデューサーさんはくるみちゃんに優しく語りかけた。

「大沼さん、災難でしたね」

「ぷろでゅーしゃー……ひぐっ、あのぉ、ごめんなさい……おしごと……失敗しちゃって……」

 くるみちゃんはうつむく。プロデューサーさんは穏やかな顔で首を横に振った。

「トラブルや失敗はかならず起こります。これから大沼さんも、相葉さんたちもたくさん経験することです。だからこそ、失敗から次につなげることが大事です。大沼さん、後半のイベント、やれますか?」

「う、うぅ〜」くるみちゃんの目からは涙がぽろぽろとこぼれている。「でも、くるみ、涙が止まらなくて、こんなんじゃ、お仕事、また、だめに、ふぐっ、うえぇ」

 私は待機場所に用意されていたタオルで、ぐしゃぐしゃになってしまっているくるみちゃんの顔を拭いた。

「大沼さん」プロデューサーさんはくるみちゃんの前にかがみこむ。「私は、涙を流すことを悪いことだとは思いません」

「ふぇ……?」

 くるみちゃんはきょとんとした顔でプロデューサーさんを見た。

「いけないなのは、涙がこぼれることではなく、心が泣いていることです。たとえ涙を流していても、心が前を向いてさえいれば、大沼さんは大丈夫ですよ」

 プロデューサーさんはくるみちゃんの頭の上にそっと手を添えた。

「私は、大沼さんのお仕事は、まだ失敗していないと思います」

「でもぉ……でも、また男の子たちに邪魔されたり、くるみが泣き虫になったりしたら」

「たとえいくら涙が流れても、大沼さんの心が泣いていないのであれば、決して失敗にはなりません。イベントに予期せぬ邪魔が入るなら、それはスタッフも含めたイベント全体で対応するべき問題です。ですが……大沼さんが怖がって、心が泣いてしまい、諦めてしまうとすれば、そのとき、大沼さんが私たちと出会ったときに言っていた『変わりたい』という想いは、途切れてしまいます。大沼さん、もう一度、お尋ねします。後半のイベント、やれますか?」



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