【モバマス】水曜日の午後には、温かいお茶を淹れて
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3: ◆Z5wk4/jklI[sage saga]
2018/12/04(火) 21:42:53.19 ID:gOTfw+RA0
「うん、今日もみんな、元気みたいだね!」

 私が所属している芸能事務所、美城プロダクションの駐車場、花壇に並ぶアマリリスやナデシコ、ほかにもたくさんお花さんたちは、春の陽気の中で嬉しそうにお日様を見てる。
 プロダクションに来るときはいつも、花壇のある駐車場を通ってから中に入ることにしてる。花壇はとても丁寧な人が手入れをしているみたいで、どの花もとっても幸せそう。いつも元気を分けて貰ってるんだ。

「時間……うんっ、そろそろ行かなきゃ」

 腕時計を確認すると、プロダクションの人から指示されていた時間が迫ってた。今日から私には新しい担当プロデューサーさんがついてくれるらしく、今日はその顔合わせ。これまで担当してくれたプロデューサーさんは、日程連絡の電話口で、新しいプロデューサーさんの元でも頑張ってねって励ましてくれたんだ。
 今まであまり力になれなくてごめんね、とも。
 そんなことはありませんってすぐに言ったけれど、オーディションを勝ち抜けない私が言っても、励ましにもならなくて。
 だから、新しいプロデューサーさんをがっかりさせないように、これまで以上に頑張らなくちゃ。
 私は駐車場で人知れず決意を新たにした。

「お花さん。私、きっとみんなみたいにきれいに咲けるように、頑張るからねっ!」

 発した声は、思わずちょっと大きくなってしまって、誰かに聞かれていなかったか、あたりを見回して……
 と、駐車場の端っこで、警備員のおじいさんがこちらを見てるのに気づいた。聞かれちゃったかな。私はちょっと恥ずかしく思いながら、その場を離れた。

「……あの警備員さんが、花壇のお手入れをしてくれているのかなぁ?」

 私はちょっとだけ後ろを振り返って、警備員さんのほうをみてみる。時折見かけるあの警備員さんは、結構なお歳だと思うんだけど、姿勢が良くてすらっと細く背が高くて、いつも穏やかな顔をして、駐車場を見回っていたっけ。
 ときどき、お花さんたちを眺めていることもあったかな。今度、勇気を出してお話してみるのもいいかもしれない、と、プロダクションのエントランスの扉を開きながら、私はぼんやりと考えてたんだ。

---

「ええと、相葉……夕美さんね! その、申し訳ない!」

 顔合わせのために指示されていた部屋に入るなり、壮年の男の人が、両手を合わせて私に頭を下げた。
 驚いた私が返事をできずにいると、男の人は頭を掻きながら、困り果てた様子で言う。

「いや、ちょっと社内が荒れてるんだ……昨日、倒れて病院に運ばれてったやつがいてね」

「えっ!?」

 さすがに、予想外の出来事。

「過労らしい。さっき病院から連絡が入ったんだ……そいつが社内の重要企画にいくつか関わってたから、今は社内がてんやわんやでね……ちょっと、これからの人事もやりなおしになるかもしれないんだ。悪いんだけれど、すこし待っていてもらえるかな」

「あ、は、はい……」

 男の人が部屋の椅子を手で示して、私は言われるがままそこに腰かけた。

「じゃあ、ちょっと待たせるけれど、また戻ってくるから……ん」

 部屋を出ようとした男の人は、自分のスーツのパンツのポケットを探ると、スマートフォンを取りだした。画面を見て「ええっ」と声を漏らすと、慌てた様子で耳に当てる。

「はい! ええ、ええ、そうなんです、すいません、ご心配を……はい……えっ!? え、いや、それはさすがに……」

男の人は電話をしながら、私のほうをちょっとだけ気にしたあと、そのまま部屋を出て行った。
部屋の中でぽつん……と、私は独りぼっち。

「……えっ、と……」

 嵐のように過ぎた出来事を、もう一度振り返る。いま部屋の中で私を待っててくれた人は、新しいプロデューサーさんじゃなくて、別の人。
 社内が大変なことになってて、新しいプロデューサーさんとは会えるかどうか、わからない。

「……私、どうなるんだろう?」

 駐車場に咲くお花さんたちみたいになれるように頑張ろうと思っていた私の意気込みは、はやくもお先真っ暗になっちゃった。
 しばらくぼんやりしたり、スマートフォンでSNSを眺めたりしていると、扉が開く音がして、さっきの男の人が部屋の中に戻ってきた。さっきよりもずいぶん疲れた顔で、額は汗でびっしょり。
 男の人はふうう、と深いため息をついてから、私に言った。

「ああっと、とりあえず……相葉さんたちのプロ……担当者は、もともとの予定とはちょっと別の人間が着くことになったよ。せっかく来てもらったところで申し訳ないんだけど、準備が必要になるから……明後日の午後、もう一度来られるかな?」

 私は手に持っていたスマートフォンでカレンダーをチェック。大学の講義は午前で終わりそう。私は頷いて、男の人にお返事した。

「よかった、じゃあまたここで、とりあえず電話番号渡しておくね」男の人が名刺を取り出した矢先、また男の人のスマートフォンが鳴りだす。「ああ、ごめんバタバタして……それじゃ、また明後日ここにきてね!」

 男の人は言いながら、部屋から出て行ってしまった。ふたたび、私は部屋の中で独りぼっち。

「……今日は帰るしかないのかな?」私はさっきの男の人の言葉を思い出す。「相葉さん“たち”って言ってたけど……私のほかにも、宙ぶらりんになっちゃった人が居るってことなのかな」

 私は言いながら荷物をまとめて、部屋から出ると、来た道を戻っていく。慌ただしい廊下を出て、エントランスを抜けて、駐車場へ。お花さんたちは相変わらず元気いっぱいにまぶしく咲いている。警備員さんは……いないみたい。休憩中かな。
 予定がなくなっちゃった私は、普段は通らない道を散歩して帰ることにした。



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