【モバマス】水曜日の午後には、温かいお茶を淹れて
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24: ◆Z5wk4/jklI[sage saga]
2018/12/10(月) 22:03:34.44 ID:Wp4M41Qe0
「……戻りました。大沼さんとそこで会ったので、一緒に」
ちひろさんの背後の扉が開いて、穏やかな声がした。
プロデューサーさんとくるみちゃんが、部屋の中に入って来た。くるみちゃんは両手を胸のところでぎゅっと握って、とても不安そうな顔をしている。はぁとさんの声は事務室の外にも聞こえていたみたい。
プロデューサーさんはいつもの調子で、部屋の中に歩いてくると、帽子を脱いで長机の上に置いた。
「千川さん、お願いしていた書類はこちらですね」
「はい」
「ありがとうございます」
何事もなかったみたいに、プロデューサーさんは流し台のほうへと向かい――
「プロデューサー!」
はぁとさんが大きな声をあげた。声に驚いたのか、くるみちゃんの肩がびくりと跳ねる。
「はぁとに、仕事――!」
「佐藤さん」プロデューサーさんは、低い声で、諭すようにゆっくりと言った。「まだです」
「――っ!」
はぁとさんは、唇をぎゅっと結んで、プロデューサーさんを睨みつけると、ノートパソコンのある席に大きな音を立てて座り、乱暴にキーボードを打ち始めた。
ちひろさんは小さく頭を下げ、失礼しますと言って事務室から出て行った。
くるみちゃんはおろおろと泣き出してしまいそうな顔ではぁとさんや私たち、プロデューサーさんを見ていた。
――私やはぁとさんも含め、実績の弱いアイドルは、プロダクションに所属していなければ、とてもじゃないけれどアイドルとしての活動を続けることはできない。
美城プロダクションは芸能界でも最高峰のプロダクションだから、アイドルとして輝くことを目指していくなら、美城プロダクション以上にいい環境なんてまず得られない。
それに、美城プロダクションを辞めたアイドルなんて、どこのプロダクションだって欲しがりはしない。美城を辞めるなんて、トラブル以外にあり得ないと思われてしまうから。
だから、はぁとさんはここに残るしかない。
はぁとさんが黙って座ったときに考えていたのは、きっとそういうことだと私は予想した。
じゃあ、私は。私はどうして、美城プロダクションで、アイドルをしているんだろう。
「八神さんには、写真モデルのお仕事を受けていただきます」
ちひろさんが部屋を出ていき、プロデューサーさんが何事もなかったかのように自分と、希望したメンバーの分のお茶を淹れなおしたあと、プロデューサーさんはマキノちゃんに書類を手渡して言った。
マキノちゃんは渡された書類を真剣な目で見つめる。
「ティーンズファッション誌の写真モデル……毎回同じカメラマンが、モデルを変えて撮る連載なのね……カメラマンは……」
マキノちゃんは手元のスマートフォンでなにかを入力する。検索してるみたい。
「……かなりの大物みたいね。光栄だわ」
マキノちゃんは目を細めて、嬉しそうに言った。
その直後、私とマキノちゃんは、ほぼ同時にはぁとさんの方を見た。はぁとさんはこちらを見ずに、ずっとノートパソコンのキーボードをたたいている。
プロデューサーさんに言われ慣れたのか、はぁとさんは過剰なくらいに背筋を正していた。
「当日は、別のユニットのプロデューサーが随伴します。そのユニットから二名とマキノさん、合計三名での撮影となります」
「上条春菜さん……は、知っているわ。荒木比奈さんは初めて見るわね……最近プロダクションに所属したのかしら」
「八神さん」
プロデューサーさんが言う。いつもと声の調子が違ったので、マキノちゃんも、私も、くるみちゃんも、思わずプロデューサーさんに注目した。
「八神さんは、非常によく物事を調査、分析されているとか」
「そうね」
「この現場でも、八神さんにとって学ぶべきことがたくさんあると思います。事前の分析だけでなく、よく、現場の観察をしてみてください。当日のカメラマンをはじめとしたスタッフ、ともに仕事をするアイドル、随伴するプロデューサー。プロフィールや事前の情報からだけでは実感できないことが、きっと現場には隠れている。数値やデータにならないものも、面白いものですよ」
プロデューサーさんは、試すような目でマキノちゃんを見た。
「……」マキノちゃんは、手元の資料とプロデューサーさんとの顔を交互に見た。「……意識してみるわ」
プロデューサーさんは頷く。
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