6:名無しNIPPER[saga]
2017/10/05(木) 03:56:49.81 ID:iojGYRpa0
愛が狂気の手助けによって成就するというならば、より進歩した狂気を用いればよい。
合理的狂気を超えて狂気的狂気を目指せばよい。理屈ではそうなる。
安全を前提に恐怖を肯定する合理性から狂気性に至る方策は、単純に安全を前提に置かず端的に恐怖そのものを肯定してしまう精神構造を持てばいい。
しかし、それは単に強すぎる感情の暴発による逸脱であってはならない。ただ安全を気にしないだけの「やけっぱち」であるはずがない。
そうした刹那的逸脱に恐怖を愛する心はあるだろうか。むしろ、それは恐怖から逃れるための行為ではないか。
常に恐怖と行動が結びついていた原始動物を超え、恐怖と行動を分離しえたのは人間の合理性であった。
ただし、それは「恐怖‐行為」関係を「安全」という概念によって分断抽出したに過ぎず、まだ根本的に安全がない地点では原始的な「恐怖‐行為」関係は残存している。合理的な狂気は未だ完全ならず。
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