6:名無しNIPPER[saga]
2017/09/11(月) 17:32:02.61 ID:4sMggCAno
――しばらく経って、幸子は自分を呼んでいる声が聞こえてハッと顔を上げた。
我に返って返事をすると、母親が開け放したドアから顔を出しながら驚いたように目を丸くして言った。
「まあ、こんな所に。もうすぐお昼ご飯できるから下に降りてきなさい」
幸子は眠りから覚めたばかりの子供のように、どことなく上の空な調子で、「はぁい、いま行きます」と答えた。
それからようやく、自分がどれほど長い時間この小説に没頭していたか気付いて唖然とした。
「どうしたの、汗びっしょりじゃない! 先にシャワー浴びておいで――」
母が呆れたように言った。
幸子はその小説を大事そうに抱えて一階へ降りた。
真昼を迎えてますます燃えさかる夏の大気が、なぜだか無性に愛おしく感じられた。
居間に通じる縁側は庭に向かって開け放たれ、隙間だらけの家を心地良い風が吹き抜けていく。
庭先に父と祖父が笑いながら玄関へ歩いて来るのが見える。
この古ぼけた屋敷の、目に見える一つ一つの模様や傷跡やガラクタが、ふとした瞬間に抑えきれないほどの輝きを伴って幸子の胸に迫って来る。
幸子は、気まぐれに読み始めた小説の中の美しい世界が、まさに今自分の目の前にも開かれていることを実感したのである。
『銀の匙』。
幸子は、夏休みの読書感想文は、この本について書こうと心に決めた。
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