271: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2017/09/30(土) 10:25:18.92 ID:ktVirj9S0
つぶやいた声は声にならない。
恐怖がぶり返しそうになるのを必死に抑えながら、目の前に手を持ってくる。手は見えなかった。
『あっちに動こう』と念じる。視界はするすると空中を泳ぐように移動した。
動いた先は洗い場の鏡の前。鏡には浴室の、後方の壁が映っていた。
なるほど、透明人間ってことだね。
『幽体離脱』という言葉がふと浮かぶ。たぶん知っている言葉の中ではそれが一番この状況に近い。
幽体とはいっても、漫画やアニメで描かれる幽霊のような人型はとっていない。足どころか手もないわけで、どうやらなにかを動かすようなことはできない。
思い立って、浴室のドアに向かって動いた。目の前にぐんぐんとドアが迫る。視界いっぱいが磨りガラスのドアで埋まる。そして、景色は脱衣所になった。ドアをすり抜けた。
再度ドアをすり抜けて浴室に戻り、浴槽の自分の姿を確認する。胸がかすかに上下していて、呼吸している様子が見て取れた。どうやら体は眠っているのと変わらないようだ。前回と同じなら、この本体に触れることで目が覚めるはず。
……だけど、その前に、
加蓮はドアの反対側、浴槽の接している壁をすり抜けた。この向こうは建物の外になる。
お隣の家の外壁が目の前にあった。壁と壁の隙間にそって、念じるままに移動し、家の前の道路に出る。
とっくに見飽きた街並みを、沈みかけた夕日が橙色に染めていた。
どこか遠くの空で、カラスの鳴き声が響いていた。
もっと上へ、と思ったら空高く飛び上がった。
あっちの方向へ、と思ったらその通りに空中を泳ぐことができた。
もっと速くは?
速度が上がる。『風を切る』ではなく、風が自分の中を通り抜けていく感覚があった。
声が出せたなら、笑っていたと思う。
高揚していた。こんなに楽しい気分になったのは、いったい、いつ以来だろう。
――すごい! アタシ、空を飛んでる!!
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