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【デレマス】ファースト・シンデレラ
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1 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:25:47.02 ID:ut4Hw6Jr0
地の文一人称形式の物語になります。
ちょっと長いので2〜3日かかるかもしれません。
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1669389946
2 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:28:07.10 ID:ut4Hw6Jr0
「……フーッ……」
23時、企画書を書き終えた俺は大きく息を吐いた。
練り上げたとはいい難いかも知れないが、これが一人の女性の人生を左右するものになる。
しかし、友人でもある彼女のたっての願いなのだ。応えないわけにはいかない。
東京の本社に持ち込むにはもう少し推敲が必要だろうし、何より彼女の了解を得る必要がある。
明日、バラエティ番組の企画会議後に別途打ち合わせという形で彼女に会議室の予約をとってもらっている。
企画書のタイトルは凝ったものではない。
『川島瑞樹アイドルプロデュースプロジェクト』
シンプルだが、それ以上のものは思いつかなかった。
とにかく、寸暇を惜しんで書き上げた企画書なのだ。
まずは、必要な睡眠を取り、明日の打ち合わせに備えることとしよう。
3 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:28:57.69 ID:ut4Hw6Jr0
大学進学を機に地元を離れてもう10年が過ぎていた。
あの頃の夢を叶えるべく、大手の芸能プロダクションに入社し、そのまま進学先であった大阪の支社に勤めること数年、
下積みからディレクターに昇格し、契約したテレビ局と共同してニュース番組やバラエティ番組の企画・制作に携わってきた。
その中で出会ったのが彼女、川島瑞樹だった。
気品のある整った容貌に知的で落ち着いた美声。
ユーモアのセンスも兼ね備えた頭の回転の速さ。
アナウンサーとしても、番組進行役としても申し分もない。
当然、彼女は人気アナウンサーとして大阪を中心に西日本に広く名前が知れ渡っていた。
4 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:29:46.16 ID:ut4Hw6Jr0
「ディレクター君?」
彼女は、なぜか俺を名前で呼ばない。
初めて会ったときは「アシスタントさん」だったのだが、とある番組の打ち上げで親交を深めてからはひとつ年上の俺を君付けで呼ぶようになった。
交友関係の広い彼女には当然異性の友人が何人か居るのだが把握している限り全員を名前で呼んでいる。
とは言え、扱いに差があると感じたことはなかった。彼女の中での何らかの線引きなのかも知れないが深く立ち入るつもりはない。
「あ、すみません川島さん」
「寝不足なの?いやだわぁ。お肌に悪いわよ?」
くすりと微笑んで、軽妙に返してくれる。このやり取りが心地よい。
5 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:30:16.97 ID:ut4Hw6Jr0
「それで、例の計画の話だけど……」
川島瑞樹は手元の資料を目に通す。ニュース番組の原稿を読み込むような真剣な眼差し。
「すごいわね。ここまで考えてくれるなんて。持つべきものは飲み友達ね」
「飲み、はつけなくても良いのでは無いかと」
「フフッ。もう、お硬いんだから」
いたずらっぽい笑顔を浮かべ、彼女は企画書を読みすすめた。
6 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:31:14.14 ID:ut4Hw6Jr0
2ヶ月前の打ち上げ飲み会で、たまたま同じタイミングで夜風に涼んでいた際、お互いのこれからについて語り合う機会があった。
俺は、やがてプロデューサーとしてアイドルのプロデュースをしていくつもりであること、それが高校の時に出会った、ある地下アイドルから見せてもらった夢だ、と語った。
川島瑞樹もまた、夢を語った。
今の仕事は楽しいけれど、本当はもっと色んな人を笑顔にしたい。
今回のアイドル密着取材で、その思いがもっと強くなった、と。
利害の一致から、彼女との共闘を誓った。この企画書はそのスタート地点だ。
「要るのは覚悟だけ、ね」
番組内で彼女自身が語った言葉を反芻する。
「ディレクター君。この話はどこまで進んでいるのかしら?」
したたかな、大人の女性の顔で彼女は聞いてきた。
やるからには本気、そして失敗は許されない。
彼女の人生に責任を持つのだ。
根回しはしすぎるほどしているつもりだ。
7 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:32:00.64 ID:ut4Hw6Jr0
「支店長と本社の同期から本社の部長と先輩プロデューサーとの繋がりを作りました。元々俺はプロデューサー志望だったので、感触は悪くないと思います。部長もこのプロジェクトの開始と同時に本社への異動とプロデューサーへの昇格を人事に掛け合うと約束してくれました」
企画書のコピーと先の番組での発言を修めた動画データ、そして最後は彼女からの一筆。
「川島瑞樹のアナウンサー卒業旅行の行き先は、東京になるのね」
彼女は脇においていたバッグから1枚の封書を取り出す。
『退職願』とだけ書かれた封書。中身は見るべくもない。
8 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:32:35.90 ID:ut4Hw6Jr0
「さすがに今日はやめてくださいよ?俺が誑かしたように思われてしまいます」
「まぁっ、誑かしたなんて人聞きの悪いわ」
大げさに驚いてみせた後、彼女は告げた。
「私だって大人のオンナよ。それなりの根回しは済ませているわ。さて、意見のすり合わせをしましょう」
机の上に開いていたノートに、今までの『アナウンサー川島瑞樹』とは異なるサインを綴る。
「もうサインを考えて来られたのですか。気が早いですね」
こうゆう余裕というか、準備の良さは流石だな、と思う。
「この日のために考えてきたの。これからよろしくね。私のプロデューサー君」
9 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:33:10.53 ID:ut4Hw6Jr0
(そう言えば、聞きそびれていたことがあったわ)
東京への移動中、まどろみながら昨日の話の続きを思い出していた。
(プロデューサー君が若い頃に会ったアイドルって、どんな子だったの?)
これからの活動のために参考に、と聞いてくる川島瑞樹になんと答えたのか。
(川島さんとはタイプが違いすぎるので参考にはなりませんよ)
(いいじゃない。参考にするかしないかは聞いてから考えるわ)
彼女の表情は参考にするため、というより別の興味に掻き立てられているようにも見える。
(笑顔が、いや、笑顔だけじゃない可愛らしい女の子でしたね。でも、ちょっと一風変わった設定付けをしていました。皆と一緒に笑顔になりたい。皆の笑顔が見たいって言っていたのを覚えています)
10 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:33:44.44 ID:ut4Hw6Jr0
(あら、私と同じじゃないの。聞いてよかったわぁ。私と気が合いそうね)
川島瑞樹の表情から、興味の方向性が若干変わったのを見て取れた。
(でも、あの頃16歳のデビューライブに立ち会って、進学のために地元を離れた時があの子の17歳の誕生日の少し前でしたし、彼女がメジャーデビューしたという話は聞きませんので、もう引退して普通の仕事をしているか、結婚しているかもしれませんね)
(誕生日まで覚えているのね……。あら、それなら私より年下じゃない?プロデューサー君、もしその子と再会したら何をやっていたとしてもスカウトしちゃえばいいのよ。私も年が近いアイドル仲間がいると心強いし、それに、その子とはいいお友達になれそう……)
楽しげに語る川島瑞樹の表情には裏腹の、アイドルとして生きていくことを決意した覚悟のようなものを感じた。
(そうですね……会えたら、良いですね……)
その話はそれで終わりだった。
11 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:34:22.48 ID:ut4Hw6Jr0
その後は彼女と共に企画書の推敲を行い打ち合わせは終了となった。
事務所に戻り、推敲した企画書、動画ファイルと川島瑞樹の一筆のコピーと共にクラウドストレージ上の共有フォルダにアップロードして、本社の先輩プロデューサーに連絡をした。
善は急げ、と言ったもので「明日、本社に来られないか」との打診を二つ返事で承諾し、諸所の予定の調整を行って朝一の新幹線に飛び乗って現在に至る。
(名前は……あの子の名前は……あ)
―――眠りに、落ちた。
12 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:35:01.95 ID:ut4Hw6Jr0
「流石に経験豊富なアナウンサーだけはある。しっかり打ち合わせしてきたんだな」
企画書に随所に盛り込まれた川島瑞樹の意見を評価し、先輩プロデューサーである神山は感想を述べた。
「彼女の夢の大きさに私も感銘を受けました」
そして、告げる。
「彼女は一両日中に退職願を出します。早ければ来月、遅くとも再来月にはアナウンサーを『卒業』します」
「川島瑞樹ほどの女子アナがアナウンサーを辞めるとなると、あっちのマスコミは大騒ぎだろうし、こっちでも大なり小なり話題になるだろうな」
川島瑞樹の名前は東京でもある程度知られている。
どのマスコミよりも先に彼女がアイドルとして再デビューする計画を進め、広報しなければならない。
幸いにも、先日のアイドル密着番組が放送された後、もしかして本気で、という雰囲気が流れている。
13 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:35:39.97 ID:ut4Hw6Jr0
「これからの予定は?」
「念の為、明日いっぱいの予定を調整済みです」
「よし、幸い上の方も明日は社内にいる。個室を貸してやるからプレゼンの用意を進めろ」
「ありがとうございます」
幸い、と神山は言うが、だからこその「今日来い」だったのだろう。こういう強引な手法もまた、プロデューサーには必要ということか。
「千川、こいつを個室の作業部屋に案内してくれ」
「かしこまりました」
ハキハキとした声と共に、女性が一人やってきた。
「千川ちひろだ。お前も本社に異動して本格的にアイドルをプロデュースするようになると、彼女の世話になることが多くなる。今のうちに媚を売っておけ」
「なんですか神山さん、人聞きが悪いですよ」
柔らかい微笑みを浮かべながら女性は、千川ちひろは答える。
14 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:36:26.39 ID:ut4Hw6Jr0
「では、ご案内しますね」
「よろしくお願いします。千川さん」
立ち上がり一礼する。
ある程度すぐに動けるよう、既にプレゼン資料に手を付けてはいた。
後は昨日推敲した企画書の内容に合わせた修正を行うのみ。
「企画書、私も読ませて頂きましたが素晴らしい出来でしたよ。あれなら上の方々も承認していただけると思います」
「ありがとうございます。千川さんにそう言ってもらえると自信がもてます」
「さっきの神山さんが言われていたこと、真に受けないでくださいね」
千川ちひろは困ったような笑顔を浮かべる。
「こちらです。何かあったら内線をお願いしますね」
出張者用の作業部屋で、万が一のために寝泊まりできるようベッドが備え付けられている。
「ありがとうございました」
千川ちひろを見送った後、部屋に入り、ジャケットを脱いだ。ネクタイを外し、備え付けのパソコンの電源を入れる。
グループウェアを起動し、メールを確認すると、明日のプレゼンの時間が決まった旨の連絡が入っていた。
15 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:37:01.98 ID:ut4Hw6Jr0
「仕事が早いな……」
プレゼンは明日の13時から、参加者は常務、部長以下主だったもの全て。
他の参加者は自由に入室して良いというものだ。
『川島瑞樹アイドルプロデュースプロジェクト・プレゼンテーション』と銘打たれている。
「……丸一日……」
そこまででどれだけ資料をブラッシュアップ出来るかにかかっている。
まだまだ肩書はディレクターのままだが、プロデューサーとしての初仕事なのだ。
「……よし!」
気合を込め、資料を開く。
企画書の内容と照らし合わせ、修正を始める。
今日、この瞬間瞬間の全てに川島瑞樹のアイドルとしての未来を背負っているのだ。
それを忘れないよう、昨日ノートに書かれたサインをいつでも目に入る場所に置くのだった。
16 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:37:41.29 ID:ut4Hw6Jr0
結果から言えば、拍子抜けするほどプレゼンは上手く言った。
川島瑞樹の名前と、先日の放送から既に話題性があったこと、その背後で俺が既に動いていたことも評価された。
条件はいくつかある。あくまで新人アイドルとして過度の特別扱いはしないということを始め、想定以上のものはない。
ひとつを除けば。
「ユニットデビュー、ですか?」
「そうです。注目度の高い川島瑞樹のアイドルデビューに合わせ、ユニットでの活動を行うことも発表します」
部長の語り口は穏やかなものであったが、反駁を許さない雰囲気もある。
「既にメンバーの選定は終わっている」
部屋には神山ともう一人、俺と同期の林田が居た。
「5人一組でのユニットデビューとなる。まずはこいつだ」
17 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:38:17.56 ID:ut4Hw6Jr0
神山が取り出したのは1枚の履歴書と数枚の宣材写真。
どれもこれもまるでグラビアアイドルのような扇情的なポーズで撮られている。
「松本沙理奈。22歳だ。見て分かる通り外見の素材は超一級だ。だが、少々その素質に胡座をかいている部分がある」
「川島さんのもとでもう少し落ち着いて欲しいと?」
「違う。鼻っ柱を叩き折って、その上で成長させる」
なるほど、とうなずく。
完成された大人の女性と若く魅力的ながら自信が強すぎるタイプをぶつけて相乗効果を促そうということか。
「会うのは久しぶりだな。俺からはこの眼鏡二人だ」
林田が渡してきたのは2枚の履歴書。
気だるそうな長髪の女性と笑顔が爽やかな少女。
「こっちの気だるそうな眼鏡が荒木比奈、20歳。同人作家だ。こっちの爽やかな眼鏡は上条春菜、18歳。女子高生だな」
18 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:38:47.95 ID:ut4Hw6Jr0
「ちょっと待て。女子高生は分かるが同人作家?」
「磨けば光るものを感じてスカウトしてきた。今の所レッスンは真面目にこなしているぞ」
そういう問題か、と思いつつ履歴書の内容を目に通す。
「この上条って子は、履歴書だけ見ると割と普通だな」
「そう思うだろう?まぁそのうち分かるさ」
苦笑気味の声を漏らしつつ林田は答えた。
(そう言えば、こいつの眼鏡の趣味、こんな上等なものだったか?)
何度か顔を合わせていたが、林田が以前掛けていた眼鏡は可もなく不可もない黒縁の眼鏡だった。
だが今はスーツの配色に合わせたような淡い青色の眼鏡を掛けている。
19 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:39:19.82 ID:ut4Hw6Jr0
「最後はこの子だね。担当プロデューサーが外出しているので私から紹介させてもらうよ」
部長の差し出した最後の履歴書には、大人しく利口そうな少女が写っている。
「佐々木千枝、11歳。見ての通り小学生だね。よく気が利く利発な娘だが、少々気弱な部分があるそうだね」
確かに、その通りの写真だ。
「彼女は、自分からユニット入りを希望したそうだ」
「それは……」
「かっこいい大人の女性に憧れているそうでね。君の企画書を読んでいた彼女のプロデューサーに向けて、同じ仕事がしたいと言ってきたそうだよ」
20 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:40:01.78 ID:ut4Hw6Jr0
(年が近いアイドル仲間がいると心強いし)
一昨日の川島瑞樹とのやり取りを思い出す。
気がつけば全て彼女より年下のアイドルとのユニットデビューの話が進んでいる。
しかも、一人はまだ小学生だ。
「ひとまず、今日は大阪に帰りなさい。今回の件、川島瑞樹とよく話をしておくんだよ」
部長に告げられ、ミーティングは終了となった。
議事録は明日にでも届くだろう。
ふと、スマートデバイスに目をやるとメールの着信があった。
川島瑞樹からだった。
退職願を出したことの連絡と、明日こちらの事務所を訪問しても良いかの打診だった。
時間は任せるとのことだったので、15時に、こちらも報告したいことがある、と返信をする。
土産として事務所用以外に川島瑞樹への菓子を購入し、新幹線に乗る。
慌ただしい2日間はようやく終わりを告げようとしていた。
21 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:40:52.32 ID:ut4Hw6Jr0
翌日、出社して支店長に報告を行った。
「分かってはいたが、思ったより急だったな」
少し名残惜しそうに、支店長は一枚の紙を差し出してきた。
辞令。来月1日付けで本社勤務。職種はプロデューサー。
「本社の方から君の代わりに若いディレクターの異動辞令も出ている。再来週にはこちらで勤務を始めるが、君は例のテレビ局との仕事が主だったのでそれほど引き継ぎに時間はかかるまい」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げた。
川島瑞樹とのやり取りから2ヶ月、支店長に計画を打ち明けたのがその数日後だったとは言え、その間多大な支援をしてもらっていたのは知っている。
川島瑞樹が所属するテレビ局の局長とも既に話をしているそうだ。
曰く、川島瑞樹の出演依頼をした場合は優先的に回して欲しいとのことだという。
「だからこそ、川島瑞樹も、そして君にも成功して欲しい」
力強い後押しを受けた。入社して7年、この人の下で働けて本当に良かったと、心から思った。
22 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:41:24.66 ID:ut4Hw6Jr0
「我社のアイドルプロデューサーの間では、最初にプロデュースしたアイドルを『ファースト・シンデレラ』と呼ぶのを知っているかね?」
「同期の林田がそんな事を言っていましたね。まぁ彼のファースト・シンデレラはガラスの靴ではなくて、ガラスの眼鏡を掛けていたようですけど」
プロデューサー人生を変えてしまうほどの出会い、そういう意味でそのような大仰な言葉を使っているのだろう。
林田も、上条春菜との出会いをそう語っていたのを思い出す。
「川島瑞樹が、君の『ファースト・シンデレラ』だったのだな。出会って何年も経つというのに」
支店長はそう笑い、釣られて俺も笑っていた。
23 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:41:57.83 ID:ut4Hw6Jr0
ただ、人生を変えるほどの出会いという意味では、申し訳ないが彼女は『ファースト・シンデレラ』ではない。
俺の『ファースト・シンデレラ』は、もうどこにいるのかもわからない、探し出すためのガラスの靴も持っていない。
なのに、今も変わらず記憶の奥底で笑って歌っている、あの子なのだから。
24 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:42:30.20 ID:ut4Hw6Jr0
午後になり、川島瑞樹が事務所に来訪してきた。
「はぁい。プロデューサー君、お待たせ」
数日前会ったときより、ずっとスッキリした顔をしているように見える。
「この前言いそびれましたが、俺はまだディレクターですよ。職種変更は来月からです」
「もう、お硬いこと言っちゃって。貴方は私のプロデューサーなの。もう決まったことよ?」
「……敵いませんね。川島さんには」
25 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:43:00.56 ID:ut4Hw6Jr0
「それで、どうだったの?」
お土産の菓子を渡し、椅子に座った後、彼女は尋ねてくる。
昨日の社内プレゼンの結果、本格的にプロジェクトがスタートすること、来月から東京の本社に異動すること。
川島瑞樹のアナウンサー卒業の報告に合わせて、当プロダクションへの移籍を発表すること。ソロデビューへの向けた日程、そして。
「ユニット?」
「そうです。ソロデビューライブに合わせて、ユニット活動の発表を行います。可能なら、ユニットソングを披露することになるかもしれませんね」
「あらやだ。そこまで想像していなかったわ」
驚いたような声を上げはしたが、表情は楽しげだった。
26 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:43:37.92 ID:ut4Hw6Jr0
「ユニットメンバー候補はこちらの4人です」
「いやだわ。私よりみんなずっと若いじゃない」
言葉とは裏腹にやはり楽しそうだ。
具体的な話がいくつも出てきてアイドルになる実感に溢れているのだろう。
「この千枝ちゃんって子はまだ小学生?」
「そうです。他のメンバーはわかりませんが、佐々木さんははっきりと川島さんと仕事がしたいと名乗り出たそうです」
「健気だわ……お姉さんが守ってあげなくちゃ」
「アイドルとしては川島さんが後輩ですよ?」
そんな会話を楽しみつつ、少し時間が経った頃、話題を変える。
27 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:44:24.80 ID:ut4Hw6Jr0
「局の方ではどんな反応でした?」
「なんだか拍子抜けするくらい、あっさりだったわ。プロデューサー君のプロダクションから声がかかっているのも、知ってた、みたいな雰囲気よ」
思っていた以上に周囲の察しは良かったようだ。彼女が時間を掛けて根回ししていたこともあったのだろうが。
「後は発表のタイミングだけど、そこは局長に一任することになったわ。早ければ来月頭には、ということで決まり次第、支店長さんに連絡が入るはずよ」
「何から何までありがとうございます。流石、デキるオンナは違いますね」
「もう、からかっちゃって」
照れたように笑う彼女を見て、思う。
例え人生の『ファースト・シンデレラ』でなかったとしても、プロデューサーとしての『ファースト・シンデレラ』は間違いなく川島瑞樹なのだ。
彼女に人生を変える決断を促したのは間違いなく俺で、その責任から逃れようとしてはならない。
28 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:44:54.99 ID:ut4Hw6Jr0
「川島さん、改めてこれからもよろしくお願いします」
「なぁに?プロポーズ?」
「何でそうなるんですか?」
「そんな冷静なツッコミ、ミズキ、ちょっぴり悲しい……」
これからはこんなやり取りが多くなっていくのだろうと思うと、少し面映ゆくなってしまう。
それでも、こんな彼女だからこそなお、アイドルに相応しいのではないかと感じた。
29 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:46:13.59 ID:ut4Hw6Jr0
川島瑞樹が事務所を退出後、ここ数日間で溜まっていた仕事を取り掛かる。
そうこうしている内に思いつく新しいアイデア、プロモーションをノートに書き込みながら、気がつけば夜はすっかり更けていた。
これから忙しくなるだろうが、それはきっと心地よい忙しさだろう。
新しい日々が始まる、その実感だけは確かにこの胸にあるのだから。
30 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:46:43.80 ID:ut4Hw6Jr0
― 第一章「川島瑞樹」 了 ―
31 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 00:47:23.83 ID:ut4Hw6Jr0
今日はここまで。続きは26日の夜に。
32 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2022/11/26(土) 05:23:22.72 ID:xa+OgEy/o
たんおつ
33 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga sage]:2022/11/26(土) 07:23:12.91 ID:Wb6XSBEDO
最近じゃまったく売ってないブルナポクッキーの宣伝ですね。わかります(意訳。続きが楽しみです。頑張ってください)
34 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2022/11/26(土) 12:53:49.81 ID:r/aCZg3s0
うすら寒くて香ばしいレス久しぶりに見たなぁ
センス無いのに面白いこと言おうとして滑ってるの数年前はよくいた
35 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:26:18.27 ID:ut4Hw6Jr0
再開します。
36 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:27:06.43 ID:ut4Hw6Jr0
『川島瑞樹 28歳の再挑戦!』
『女子アナからアイドルへの華麗なる転身!』
『28歳の覚悟!アイドル、川島瑞樹の魅力に迫る!』
ここ数日、スポーツ紙や芸能雑誌では川島瑞樹のアイドル転身を報じた様々な文面が踊っていた。
発表のタイミングを調整し、このように一斉に報道させることで単報では得られることのない相乗効果があった。
「もう、28歳28歳って、女の子の歳をそう強調するものじゃないでしょ?」
当の本人はやはり、というか当然のように落ち着いているが、報道内容に年齢を強調した物が多いことに不満であるようだ。
37 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:27:40.20 ID:ut4Hw6Jr0
「別に隠していたわけじゃないんですし、それも広告ですよ。既に何件か美容品関係のオファーが来ていますから」
「プロデューサー君、そういうことじゃないの。女の子はいつだって若く見られたいものなのよ」
「それじゃぁ、このアンチエイジング関係の仕事は断りますか?」
「それとこれとは話は別」
不満げな少女のように振る舞っていたかと思えば、大人の女性としての表情に切り替える。川島瑞樹はまだまだ底を見せていない。
38 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:28:29.18 ID:ut4Hw6Jr0
「ところで、昨日の初顔合わせはどうでした?」
「良かったわよ。若い子たちに囲まれてパワーをいっぱい貰えたわ」
昨日はユニットメンバー達との初顔合わせが行われた。
心配だったのは松本沙理奈がやや元気がないように見えたところだ。
自分のスタイルに最大限の自信を持っていると聞いていただけに不安だったが、神山に確認したところ「折ってもらおうと思っていた鼻っ柱が別のところで折られていた」かららしい。
あれ程の美女の自信を挫いたのは誰だか気にはなるが、「そのうち会うだろう」と言われただけだった。
つまり、このプロダクションのアイドルの誰かなのだろうが、ここは所属アイドルが多すぎる。
全員の顔と名前が一致するまで時間がかかりそうだ。
聞いた話だと同じ仕事に入って初めて同じプロダクションのアイドルだと知った例もあるという。
39 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:29:11.46 ID:ut4Hw6Jr0
「春菜ちゃんの『眼鏡どうぞ』から始まって、沙理奈ちゃんのお悩み相談でしょ?比奈ちゃんはお話の引き出しがとても多くて助かったわ。千枝ちゃんが『千枝もみなさんみたいなオトナになりたいです』って言うものだから、もぅいじらしくって、いじらしくって……千枝ちゃんは私たちで守り育てていきましょうってなったの」
指折しながら嬉しそうに話す川島瑞樹の表情で、この5人を組ませてよかったと心から思う。
「川島さん、ユニット名は決まりましたか?」
「もちろん。プロデューサー君達が挙げてくれた候補、どれも素敵な名前だったわ」
コーヒーを一口し、川島瑞樹は決意を込めて答えた。
「その上で、みんなで考えてみたの。私たちに相応しいユニット名……」
40 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:29:41.60 ID:ut4Hw6Jr0
何枚かの紙をテーブルに広げる。昨日、彼女に渡していたユニット名候補と、可愛らしい少女のイラストが数枚。
「比奈ちゃんすごいのよ。候補名でイメージできたイラストを次々書いていって」
『こんなに筆が乗るなんて、なかなかないっス』と語っていたらしいが、さすが同人作家といったところか。
「春菜ちゃんも事前に聞いていたらイメージに合う眼鏡を持ってきたのにって……フフッ……ごめんなさい、脱線しちゃったわね」
本当に、楽しそうだ。やはり川島瑞樹はアイドルになってよかったのだ。
「……私たちが決めたユニット名は『ブルーナポレオン』よ」
41 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:30:30.32 ID:ut4Hw6Jr0
川島瑞樹から渡されたユニット名の書かれた紙には、松本沙理奈の提案を荒木比奈がイラスト化した5人の共通衣装案が書き添えられていた。
神山を始め、他のアイドルのプロデューサーは「ユニットのリーダーは川島瑞樹、彼女の決定に従う」と言っており、何よりもアイドルの自主性を重んじるのがプロダクションの方針である。
二つ返事で部長の了承は得られ、正式に『ブルーナポレオン』によるユニットデビューが決定した。
それぞれのプロデューサーとの打ち合わせを近日中に行えるよう、スケジュールの調整を千川ちひろに依頼した。
「プロデューサーさん、午後からは代理店さんのところに行かれるのですね?」
「そうですね。できれば明日以降でお願いします」
「はい!任せて下さい」
42 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:31:04.87 ID:ut4Hw6Jr0
ハキハキとした言葉遣いが頼もしい。事務員は何人も居るが、その中でも彼女は群を抜いて有能だ。
「世話になることが多くなる」と言われたが、はたしてその通りだった。
「あら、プロデューサー君。今からお出かけ?」
レッスン中だった川島瑞樹が通り掛かった。休憩中なのだろうが、多少息が上がっているようで言葉は短かった。
「はい。今日はレッスンが終わったらそのまま諸所の手続きに行って下さい」
「わかったわ。それじゃぁプロデューサー君。また明日ね♪」
川島瑞樹と別れ、事務所を後にした。
43 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:31:45.67 ID:ut4Hw6Jr0
夕方、打ち合わせは特に問題なく終わった。
広告代理店、化粧品メーカーの営業とで、現在の川島瑞樹は話題性こそあれデビューが発表されたばかりの新人アイドルであることを説明し、本格的なCM起用の話はデビューLIVE以降という方向に落ち着かせた。
帰り際に「ぜひ川島さんに」と新製品の試供品を手渡されそうになったが、あいにく今日は薄めのバッグ一つしか持ってきていない。
営業はそれに気づいたのか「まとめて送るので川島さん以外のアイドルの方や女性スタッフにも」と運送会社を手配し、まとまった数の試供品を送ってくれると約束してくれた。
よほど製品に自信があるのか、川島瑞樹に乗ることを商機ととらえてくれているか。
44 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:32:22.90 ID:ut4Hw6Jr0
(とにかく、まずはスケジュール通り進めることだな)
アイドルに期待するのは何もファンばかりではない。
様々な企業や業界がそれぞれの思惑で動いてくるだろう。
それら全てが今回のような好意的な反応を見せるわけではないだろう。
「ピピーッ」風を切って笛の音が響いた。
ふと目をやると、どうやら駐車違反の取り締まりをしているようだ。
1人の婦警が、路肩に停車している車の移動を指示しているようだ。
その婦警を目にして、一つの可能性が頭をよぎる。
記憶の中の映像と比べてみて、身長は少し高く、髪の色も……少し違う。
でも、もしかすると、もしかするかもしれない。
10年経ったのだ。面影は変わっていて当然。だが、もし別人なら……。
45 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:32:59.15 ID:ut4Hw6Jr0
(プロデューサー君、もしその子と再会したら何をやっていたとしてもスカウトしちゃえばいいのよ)
以前、川島瑞樹から言われたことを思い出す。
「あの……」
気がついたら肩をたたいていた。瞬間、肩に手を回され、右腕を思いっきり引っ張られ……。
「痛っ!」
視界が反転し、青空が目に飛び込んでくる。幼くみえる顔が、いたずらっぽく舌を出していた。
「ごめんねー。お姉さん、日頃の癖でいきなり掴まれると投げ飛ばしちゃうんだ。職務中の警官をナンパしようとか、いい度胸ね♪」
楽しげに話しかけてくる。見た目よりもう少し年齢があるのかもしれない。
46 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:33:33.83 ID:ut4Hw6Jr0
「いや、ナンパというわけでは」
立ち上がり、スーツの埃を払いながら答えた。
「昔の知り合いに、少し似ていたように感じて」
「ナンパの常套句じゃないの。もう、いくらお姉さんがかわいいからってそんな嘘ついちゃって……」
(常套句なのか?)
ナンパなどしたこともないのでよく分からない。
しかし、彼女がそういうのなら過去にそんな風に声をかけられる機会が多かったのだろう。
「怪しいなぁ……よし!職務質問よ!何か身分を証明できるもの、持ってる?」
47 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:34:06.51 ID:ut4Hw6Jr0
「あ、怪しいものでは……。これ、名刺です」
言われるがまま名刺を差し出してしまった。
かなり強引な人のようだ。
それに冷静になってみると低い身長、髪色の系統、幼気な顔立ちとあの子との共通点はあるが、もしかして、と思うほど似ていないのに気づく。
(何を焦ってたんだろうな、俺)
こちらの思惑もどこ吹く風、婦警は名刺を受け取って覗き込んだ。
48 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:34:37.51 ID:ut4Hw6Jr0
「ふーん…………おおっ!芸能プロダクションのプロデューサー!?へー……スゴいじゃない!ナンパじゃないとしたらスカウト?キミ、見る目あるじゃない♪」
「え?」
唐突な話の展開に思わず声が漏れた。
「え?じゃないわよ。失礼しちゃう!」
ムッと頬をふくらませるが、むしろ子供っぽい可愛らしさが強調されているだけで怖さは微塵もない。
その声音はどことなく楽しそうだ。
49 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:35:10.49 ID:ut4Hw6Jr0
「本当に昔の知り合いと思っただけってことね。信じてあげるわ!」
低い位置から肩をバシバシと叩いてくるが、このカラッとした笑顔は何物にも得難く感じてきた。
「さて、あたしは職務に戻るから。知り合いにも会えるといいわね」
両拳を腰に据え、「行ってよし!」と言わんばかりの大きく口を開いた笑顔。
「アイドルに、興味はありませんか?」
気がつけば、そう声をかけていた。
50 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:35:48.62 ID:ut4Hw6Jr0
もともと直帰予定だったこともあり、その後は彼女の仕事が終わるのを待ってからとなった。
彼女、片桐早苗が勤める警察署から少し離れたカフェ店での待ち合わせとなった。
1時間ほど経ち、辺りが薄暗くなる頃、待ち合わせ場所のカフェに入る。
コーヒーをいっぱい注文して席につくと、スマートデバイスに見慣れないアドレスからのメールが着信した。
『今からいくわ。10分後くらいに。さなえ』
これまで話した印象とは異なる簡潔な文章。
彼女の中にも何か迷いのような感情があるのかも知れない。
51 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:36:17.56 ID:ut4Hw6Jr0
(は?さっきのは冗談で……。あ、あたしがアイドル!?またまた〜)
アイドルの話を持ち出した際、明らかに動揺していた。自分が最初に「スカウト?」とか言ってきたにも関わらず。
(やっぱりナンパだったんじゃなーい?ふふっ)
動揺はすぐに収まったようだが、話の展開は不審なものだったのは認めざるをえない。
(わかった!キミ、ちょっと面白いから話くらい聞いてあげるわ!)
そして、現在に至っている。
52 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:36:48.60 ID:ut4Hw6Jr0
(片桐早苗、新潟県出身、28歳……川島さんと同い年か。柔道空手合気道の有段者で、大学卒業後警視庁に入庁。階級は巡査部長、交通部交通指導課勤務……)
メモしていた内容を見直しながら待つところ数分、片桐早苗がやってきた。
「おまたせー……ってなによその顔?」
「いや、私服のセンスが独特というか……」
一昔前の派手な色の、ボディコンスーツと言っていいのだろうか。童顔の片桐早苗にはあまり似合っていると思えない。
「あたしがなにを着ようが、あたしの好きでやってることっ!センスが古いのはわかってるけど、好きなことは貫かなきゃね!」
大きく口を開いて笑う片桐早苗の声は、自分を曲げない力強さに満ちていた。
53 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:37:20.84 ID:ut4Hw6Jr0
「それで、夕方の話なんだけど……、なんであたしをスカウトしようと思ったの?」
大きな目を見開き、怪訝そうに尋ねてくる。
「警察官より向いてるかな、と思いました」
「あーそう?たしかにお堅いシゴトって向いてないなーって最近思ってたのよねー」
片桐早苗の職務中のふるまいは、特に警察官として逸脱していたわけではない。
ただ、くだけた話しかたは警察官らしいとは思わなかった。
「この方をご存知ですか?」
事務所から持ってきていたスポーツ紙や芸能誌のコピーを取り出す。
54 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:37:51.04 ID:ut4Hw6Jr0
『川島瑞樹 28歳の再挑戦!』
『女子アナからアイドルへの華麗なる転身!』
『28歳の覚悟!アイドル、川島瑞樹の魅力に迫る!』
今朝、川島瑞樹と話していた際に見ていた資料。
「スポーツ紙でみた程度には、かな?あたしと同い歳で女子アナからアイドルに転身なんてスゴいわねーって。まさかあたしが声をかけられるなんて夢にも思わなかったけどね」
表情をころころ変えながら、最後には少しはにかむように笑った。
おそらく、彼女自身が言ったよりもっと大きな関心事だったのだろう。
55 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:38:20.85 ID:ut4Hw6Jr0
「川島瑞樹さんの所属は弊プロダクションです。そして、俺は彼女のプロデューサーを務めています」
「ホントに?」
「本当です」
「ちょっと信じられないわ。そんなうまい話、あたしに降ってくると思えない」
片桐早苗から今までの明るい表情が消え、明らかに怪訝な眼差しを向けてきた。
それもそうだろう。明るく、顔立ちこそ童顔だが片桐早苗も28歳なのだ。
世の中にはうまい話などそうそうあるものではないことも知っているだろう。
なにより彼女は警察官なのだ。うまい話をダシにして人を騙し、甘い汁を吸うような輩がいることなど誰よりも知っている。
56 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:38:51.95 ID:ut4Hw6Jr0
「そこで、職場体験を提案します」
誠意を見せる必要がある。
川島瑞樹の時のように何年も付き合いがあるわけではない。
片桐早苗に人生を変える決断をしてもらうには、駆け引きなど必要ない。
実際に会社を見てもらい、レッスンをするアイドル達を見て、スケジュールが合えば川島瑞樹にも会ってもらう。
こちらの提案を聞いた片桐早苗の瞳から、疑惑の色は消えているように思えた。
「片桐さん、次の休暇はいつですか?」
57 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:39:27.78 ID:ut4Hw6Jr0
「驚いたことに明日なのよ。あははっ、今日はこの後、一杯ひっかけて、明日は何も気にせずお昼くらいまで寝ていようと思っていたのに……」
片桐早苗は「困ったわね」と呟く。
「明日、朝10時でいいかな?」
「飲み過ぎないでくださいよ?」
「あはは!」
俺の返しに、片桐早苗は笑った。
「大丈夫よ!ちゃんと起きれるくらいしか飲まないから!お姉さんを信じなさい!」
58 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:40:04.05 ID:ut4Hw6Jr0
「それで、スカウトしちゃったんだ?トレーナーの麗ちゃんと何を話しているのかと思ったわ」
翌朝、事務所で川島瑞樹に昨日の話をした。
なぜ声をかけたのかというのは適当に言い繕っておいたが。
千川ちひろにはアイドル候補からの来客があること、トレーナーの青木麗にはアイドル候補の見学者が来ることを伝えている。
「そうですね。良ければ川島さんも会ってもらえませんか?」
59 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:40:33.99 ID:ut4Hw6Jr0
「わかったわ。片桐早苗さん、話を聞いていたらとても楽しそうな子だし、同い年だし、それに、フフフッ、お酒もいける口みたいね」
やはり同年代で、しかも酒好きと嗜好があう仲間が増えるかも知れないというのは心強いのだろう。
「まだ片桐さんがアイドルになるかは分からないですけどね」
「なってくれるわ、きっと」
そう、なってくれるという確信がある。
目の前の川島瑞樹が、初めてプロデュースするアイドルだとしたら、片桐早苗は初めてスカウトしたアイドルになるのだから。
もうひとりのファースト・シンデレラに、彼女ならきっと。
60 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:41:03.49 ID:ut4Hw6Jr0
「プロデューサーさん、片桐早苗さんがお見えですよ」
千川ちひろから声がかかる。
「あぁ、いま行きます」
「プロデューサー君、レッスンが終わったら私も行くわ」
川島瑞樹に礼を言い、応接へと向かった。
「プロデューサー君、おはよう!来たわよ!」
応接室には、昨日とは打って変わってスーツ姿の片桐早苗が居た。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
61 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:41:35.40 ID:ut4Hw6Jr0
「こっちこそよろしくね!」
目を輝かせている片桐早苗の様子から、まずは心理的なわだかまりが無くなっていることがわかる。
芸能プロダクションのプロデューサーを名乗る男から、間違いなくプロデューサーであることがはっきりしたのが大きいのだろう。
「それで、何を見せてくれるの?」
「各施設からご案内して、その後にレッスンルームへご案内します」
「ふふっ学生時代に戻ったみたい」
わだかまりがなくなり、昨日、声をかけたときのような明るい笑顔を振りまいていく片桐早苗の様子を、各施設のメンバーたちも暖かく見守ってくれていた。
62 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:42:13.46 ID:ut4Hw6Jr0
彼女の明るさ、気風の良さ、愛嬌が様々な人たちと話すたびに見えてきて、まわりのメンバーもそんな彼女につられて笑顔になっていた。
やはり片桐早苗はアイドルに向いている。
食堂での昼食に舌鼓を打ってもらった後、レッスンルームに案内した。
歌のレッスン、魅せ方のレッスン、そしてダンスレッスン。
基礎的な部分だけであるが一通り見てもらう。
「なにかやってみますか?」
「そうね……ダンスレッスンとかやってみたいわ」
「大丈夫ですか?昨日のお酒が残っているのでは?」
「そこまで飲まないって言ったでしょ……シメるわよ♪」
俺たちの会話を見て、レッスンに参加しているアイドル達も自然と笑顔が零れていた。
63 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:42:45.42 ID:ut4Hw6Jr0
「でも、今日スーツなのよね。もっとカジュアルな格好にしておけばよかったかしら?」
「そういうことなら!今日たまたま予備を持ってきていた私のレッスンウェアをお貸ししますよ!はっ、これはもしやサイキック予知だったのでは?」
レッスンメンバーの1人、堀裕子が元気な声を上げた。身長は問題ない、だが……。
「ありがと。でもちょっとトップが……ね……」
片桐早苗は少し言いよどんだ。
さすがにストレートに胸が窮屈になるとは言えなかったようだ。
「それならー、トップは私の予備をお貸しするというのはーどうですかー?」
もう1人のメンバー、及川雫がゆったりと声をかける。
彼女は背も高く、そのバストサイズはプロダクション内でも最大を誇る。
「ぶかぶかだろうけど、伸びちゃうよりいっか!ありがと、ふたりとも!」
64 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:43:24.91 ID:ut4Hw6Jr0
「ふえー……きつかったわー……」
ダンスレッスンの体験が終わった後、片桐早苗は完全にへばっていた。
「こういう時はキンッキンに冷えたビールが飲みたいわー……。プロデューサー君、ちょっと買ってきて?」
「ダメです」
さすがに半日ほど行動をともにしていると気兼ねない会話ができるようになってきたと感じる。
「しかし、柔道空手合気道と武道の有段者でもきつかったでしょう?」
「そうねー。身体の使い方が全く違うからね……まぁここまで動いたのも久しぶりだったけどね……あー……ビール飲みたいー」
片桐早苗は水を何杯も口にしながら息を整える。
65 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:44:01.40 ID:ut4Hw6Jr0
川島瑞樹のレッスンが終了してしばらく経っている。
そろそろこちらに来る時間だ。
彼女との話が終われば、片桐早苗に今の気持ちを聞くつもりである。
コンコン、とノックする音、「どうぞ」と入室を促した。
「はぁ……今日は特にきつかったわ……。プロデューサー君、ちょっとビール買ってきて?」
とんでもない事を口走りながら川島瑞樹が入室してきた。
66 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:44:31.47 ID:ut4Hw6Jr0
「何を言ってるんですかあなたは」
「フフッ……だって、ちょっと聞こえてたのよ。片桐さんの声。それに片桐さんの気持ち、わかるわ。はじめまして。川島瑞樹よ」
「えっ!ちょっと!」
片桐早苗は慌てて立ち上がった。
「変なところ見せちゃったわ……。はじめまして。片桐早苗よ。これからよろしくね」
片桐早苗の言葉を受け、俺は川島瑞樹と顔を見合わせる。
67 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:45:14.39 ID:ut4Hw6Jr0
「あら、その様子だともう決めちゃってる?」
「片桐さん。アイドルになっていただけるんですね?」
片桐早苗は、両拳を腰に当てて、気持ちよく笑った。
「あははっ!もうほとんどそのつもりだったけどね。はっきり決めたのは今よ!」
「今、ですか?」
「そうよ!たった今!」
片桐早苗は川島瑞樹と向き合った。
「川島さん……いいえ、瑞樹ちゃん!辛いレッスンの後に飲むビールは最高よね!」
「片桐さん……いいえ!早苗ちゃん!わかるわ!」
二人は熱い握手を交わしていた。
俺は一体何を見せられているのだろうか。
68 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:45:45.95 ID:ut4Hw6Jr0
とは言え、片桐早苗の決意を最後にひと押ししたのは、紛れもなく川島瑞樹の一言だったのだろう。
「……では片桐さん。次は退職までのスケジュールを教えてくださいね。公務員なんですからそこはしっかりしてください」
「わかってるわよ!プロデューサー君!さて、ふたりとも!今日の予定は?」
キラキラと目を輝かせ、片桐早苗は尋ねる。
「今日ですか?これからは特に……?」
「わかってないわね、プロデューサー君。ここにビールが飲みたいって女の子が二人もいるのよ?」
つまり?
「「ちょっと付き合いなさい♪」」
69 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:46:29.48 ID:ut4Hw6Jr0
― 第二章「片桐早苗」 了 ―
70 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/26(土) 22:47:31.86 ID:ut4Hw6Jr0
今日はここまで。続きは明日27日の夕方に投下します。
明日の投下で完結します。
71 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga sage]:2022/11/26(土) 23:45:42.05 ID:Wb6XSBEDO
?「ビール?!キャッツの試合はないけどつきあうよ!」
?「おさけのトラブルはさけなければいけませんからね……ふふっ」
72 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/27(日) 16:31:14.92 ID:EM6Mdgk00
再開します。
73 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/27(日) 16:31:54.01 ID:EM6Mdgk00
何になりたいのかとか、どう生きたいのかとか、何も考えずに生きてきた。
高校3年生だった俺は、単に何かと子離れしてくれない親元を離れたいという軽薄な動機で、地元を離れて関西の大学を志望していた。
やりたいことは、もっと歳をとったら見つかるだろうか。
そう思いながら過ごしてきた。
成績は割と良い方だったこともあり、それなりに名のしれた大学に進学できそうではあったが、将来に向けて何の目的もないまま過ごしていた。
74 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/27(日) 16:32:57.27 ID:EM6Mdgk00
初夏の土曜日。
その日、受験勉強の息抜きに街をぶらついていた。
通りがかった雑居ビルの方から、にぎやかな声が聞こえてくる。
近くのライブハウスから漏れている声々に興味が惹かれ、ほんの気まぐれに足を踏み入ったことは覚えている。
「…………、………出身の16歳でーす♪」
チケットを買って扉を開いた。キンキンと高い声がライブハウスに響き渡る。
最初に出会った際に、名前と設定を話したところを聞きそびれたのは今でも覚えている。
メイド服のような衣装を着て、ウサギ耳のカチューシャをつけた、ポニーテールの女の子だった。
75 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/27(日) 16:33:28.67 ID:EM6Mdgk00
(……地下アイドルってやつか)
あの頃はそういう分野にあまり興味がなかったが、こうやって必死に夢を追っている女の子たちがいることくらいは知っていた。
「今日はじめて!ステージに上げさせてもらいましたよー!」
なんて眩しい笑顔なのだろう。
なんて嬉しそうな声なのだろう。
「皆さん!今日は私のステージにきていただいてありがとうございます!精一杯歌いますね♪」
76 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/27(日) 16:34:10.60 ID:EM6Mdgk00
特別に歌がうまいわけではない。
それでも、小さな体から発せられている歌声は、このステージの先にきっとある、夢を信じていたからだろう。
必死に歌い、必死に踊る、その一挙手一投足に目を奪われていた。
心のなかでは(がんばれ!)と何度も叫んでいた。
「ありがとうございました!」
曲が終わったと同時に、自然と拍手をしていた。
ただ、拍手も歓声もまばらだった。
そう、彼女はまだまだデビューしたての地下アイドルだったのだから。
彼女の出番の後も、ライブは順調に進行していった。
何人かの地下アイドル、何組かのインディーズバンドのパフォーマンスが続けられたが、頭の中には、彼女の、夢をまっすぐに信じる瞳と、喜びを弾けさせた笑顔だけが残っていた。
77 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/27(日) 16:34:41.03 ID:EM6Mdgk00
その後は、受験勉強を続けながら、あのライブハウスに通っていた。
彼女の出演は土日だけ、しっかり勉強することが地下アイドルを続ける条件だという。
そんな彼女を見習って、俺も成績を落とさないよう受験勉強に励んだものだった。
そして、何度目かのライブの後、初めて彼女と話す機会を得る。
少しずつ彼女の認知度は上がっていたようで、ライブ後に握手会が開かれることになったのだ。
78 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/27(日) 16:35:30.29 ID:EM6Mdgk00
「あぁっ!いつもありがとうございますー♪」
型通りの挨拶だった、と思いきや……。
「初ライブの時から、毎回見にきてくれてますよね〜。嬉しいです!」
驚きのあまり、一瞬固まってしまった。
「あの、その、いつも応援しています!頑張ってください!」
年下の女の子に敬語で挨拶をしていた。
どれだけ緊張していたのだろう。
「はい!また見にきてくださいねぇ♪」
ふにゃっとした、という表現がしっくりくる微笑みで、握手をしてくれた。
小さな、柔らかい手だった。
79 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/27(日) 16:36:14.03 ID:EM6Mdgk00
それから何度もライブハウスに足を運んだ。
何度かの握手会を重ねる内に、少しずつ、少しずつ、彼女の話を聞く機会も増えてきた。
アイドルだけではなく声優の仕事もしたい。
お姫様のようなアイドルになりたい。
アイドルとしての設定(設定ではなく本当だと強弁していたが)について、アニメの話。ゲームの話。
こちらの話も少しずつ聞いてもらっていた。
受験の話。進学の話(関西の大学に行くと言った時は、寂しそうにしてくれたものだ)。
そして、将来何になりたいか。
80 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/27(日) 16:36:53.57 ID:EM6Mdgk00
「君がトップアイドルになっても、こんな風に話ができるような仕事が良いな」
そんなことを口走っていた。
「それじゃあ、芸能事務所のプロデューサーさんとかどうですか?そうしたら一緒にお仕事もできるかもしれませんねぇ」
光が差し込んだような気がした。
そこから、今の人生が始まったのだから。
人生を変えてくれた初めてのアイドル。それが彼女だった。
試験の前に行ったライブ後の握手会では逆に応援してもらった。
大学への進学で故郷を離れる前、最後の握手会でも話をした。
81 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/27(日) 16:37:33.52 ID:EM6Mdgk00
「もう少しでお誕生日だったんですが……仕方ないですよねっ!頑張って下さい♪」
最後に会った彼女は、本当に寂しそうにしてくれていた。
「君も、4月からはここより大きいライブハウスに行くんだろう?お互い頑張ろうね」
彼女もまた、新しい舞台へ挑戦していこうとしているのだ。最後の握手の後、握り拳を作って彼女に見せる。
「芸能界での再会を祈って」
大きな瞳にうっすらと涙を浮かべていた彼女。
小さな握り拳を作って、俺の拳と合わせた。
「次に会う時は……」
82 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/27(日) 16:38:31.04 ID:EM6Mdgk00
―――目が覚めた。
何度も見てきた夢だけど、ここまで鮮明にあの頃を思い出すのは久しぶりのような気がする。
大学から今まで、実家に戻る機会は盆と正月くらい。
「芸能界で再会するまで」なんて言わず、彼女の行き先を聞いておくべきだった。
何をカッコつけていたのか。
だけど、もしその後も理由をつけて彼女に会いに行っていたら。
そうして、どこかで夢を諦めてしまった彼女を見ていたら、今の俺はなかったかも知れない。
そうしたら川島瑞樹とも、片桐早苗とも出会うことはなかった。
それに、川島瑞樹はまだしも、片桐早苗がアイドルになることはなかっただろう。
片桐早苗は既に警察官を辞め、正式にアイドルとしてプロダクション所属となった。
二人のアイドルの未来は俺の肩にかかっている。
いつまでも思い出を引きずっているわけにはいかない。
83 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/27(日) 16:39:04.55 ID:EM6Mdgk00
「あら、おはようプロデューサー君」
「おはようございます。川島さん」
川島瑞樹の朝は早い。
アイドルである彼女が定刻通りに出社する必要はないのだが、事務所に寄る用事があるときは、まず俺より早く来て新聞や雑誌を読んでいる。
特に新聞に関しては必ず複数社の記事に目を通す。
アナウンサー時代の癖だと言うが、学ぶことへの貪欲な姿勢が、彼女の魅力のひとつだろう。
そして今日は、1人の小さな訪問者が居た。
84 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/27(日) 16:39:42.80 ID:EM6Mdgk00
「おはようございます。プロデューサーさん」
「おはよう、佐々木さん」
ジュニアアイドルの佐々木千枝。
ユニット「ブルーナポレオン」の最年少メンバーだ。
川島瑞樹のデビューライブの際、松本沙理奈、荒木比奈、上条春菜とともにバックダンサーを務め、そのまま5人でのユニット活動が発表された。
以来、「ブルーナポレオン」としてのユニットライブに向けてレッスンに励んでいる。
85 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/27(日) 16:40:12.14 ID:EM6Mdgk00
控えめでおとなしい少女だが、学ぶことへの積極性は眼を見張るものがある。
先ほどから川島瑞樹と共に新聞を読んでいたが、読めない字やわからない表現が出てくると、川島瑞樹に尋ねていた。
「学校の先生になったみたいね」と川島瑞樹は微笑んでいたが、しっかり者の佐々木千枝の存在が、ユニットメンバーをまとめる鍵になっているようだ。
4人ともが、この少女の前では憧れの「大人のお姉さん」であろうとするからだろう。
86 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/27(日) 16:40:42.14 ID:EM6Mdgk00
「川島さん。少ししたら、来週のスケジュールを確認しましょう」
「わかったわ。いつでも声をかけてね」
専用の事務室に入り、普段どおりメールと、アイドルのスケジュールを確認する。
片桐早苗のレッスンはもう少し先の時間。
とは言え彼女もまもなく出てくることだろう。せっかくだから二人揃っての確認にしようと決める。
二人とも、持ち前のコミュニケーション能力で既に多くの同僚たちと親交を深めていた。
それでもやはり、最も気が合うのはお互いのようだ。
87 :
◆xMUmPABXRw
[sage saga]:2022/11/27(日) 16:41:12.87 ID:EM6Mdgk00
「おはよう!プロデューサー君!なにか用事ある?」
そうこうしていると、片桐早苗がやってきた。
「おはようございます、片桐さん。10分後に、来週のスケジュールを確認させて下さい」
「わかったわ!」
そう言うと、片桐早苗は元気に去っていった。
おそらくリフレッシュルームに寄っていくのであろう。
それもまた彼女の日課のようなもので、暇があればリフレッシュルームで同僚のアイドル達と雑談をしている。
そうやって様々なアイドルたちの話を聞き、親交を深めて行っているようだ。
(さて……。川島さんを呼びに行くか)
今日という長い一日は、そうやって幕を開けたのだった。
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