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私「人魚姫の逆」
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33 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:28:58.79 ID:MEjqrkER0
コンコン
私(振り向くと魔女さんが立っていた。杖で床を叩いている)
魔女「歌姫。時間だ。これから乙姫との面談って約束、覚えてるよな」
歌姫「もちろん覚えてるよー」
魔女「『メイドとは話さないように』って約束も結んだはずだけど」ジロ
歌姫「そっちは忘れてた」フフ
魔女「はぁ……行くぞ」
スタスタ
私(魔女さんは歌姫をつれて謁見の間へと歩いていった)
私(クッキーの残り1枚を食べると、皿の底にメモ書きが置いてある)
手紙『今日の夜、メイドさんの部屋にお邪魔してもいいかな?』
手紙『歌姫より』
34 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:29:43.19 ID:MEjqrkER0
──夜・部屋──
ガチャ
私「手紙で『いいかな?』なんて伝えられても、肯定も否定もできないんだけど」
歌姫「黙認という形に必然なるよね。お邪魔します」
バタン
私「理由は知らないけど、魔女さんから私と話すなって言われたんでしょ。約束破っちゃダメじゃん」
歌姫「それぐらいあなたに会いたかったんだ」ニコ
私「……」ジッ
歌姫「あれ。こう言えば大抵の女の子は落ちるのに。ほら私って、顔がいいから」
私「……。朝の面談で乙姫様たちと何を話したの?」
歌姫「面談とは名ばかりの事情聴取だったよ。犯罪者みたいに色々と聞かれた」
私「犯罪者でしょ」
歌姫「言うじゃん」クスクス
35 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:30:18.91 ID:MEjqrkER0
私(私はベッドに、歌姫は椅子に腰掛けた)
私「それで、どうして私の部屋に?」
歌姫「朝は時間がなかったから。落ち着いて話す機会が欲しかった。あなたについても、色々聞きたいことがあるし」
私「私について?」
歌姫「例えば……人間なのにどうして竜宮城で働いているのか、とかね」
私「海で溺れているところを乙姫様と魔女さんに助けてもらったからだよ」
歌姫「へぇ、それはそれは。運が良いのか悪いのか。この広い海の中でよく見つけてもらえたね」
36 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:30:51.14 ID:MEjqrkER0
私「乙姫様はすごく目がいいんだ。それに透視が使える」
歌姫「溺れる前は何をしてたの?」
私「父親と2人で暮らしてた。父は小説家で、私は高校1年生だった」
歌姫「……あなた発言が矛盾してる。灯台で身寄りはいないって話してたのに」
私「矛盾してないよ。父はもういないから」
歌姫「どういうこと?」
私「私が溺れた原因は、父親との無理心中だった」
37 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:31:40.41 ID:MEjqrkER0
歌姫「……」ポカーン
私「父は私を縛って一緒に海に飛び込んだの。父は暴れなかったけど私は必死にもがいた」
私「そうしたらたまたま通りがかった乙姫様に救ってもらえた。海の中で助けを呼ぶ姿が見えたらしい」
私「父はそのまま沈んでいった。遺体は確認してないけど、今頃どっかの魚に食べられちゃったんじゃないかな」
歌姫「……。壮絶な話を、随分と落ち着いた様子で語るんだね」
私「半年も前の出来事だから」
歌姫「お父さんはどうしてそんな乱心を?」
私「遺作に心中の描写があったんだ。その小説は、作者が本当に心中することで真に完成する作品なんだって」
私「だから自分と一緒に死んでくれって。俺の夢のため一緒に死んでくれって。そんな意味不明なことを話してたよ」
歌姫「……」
私「なんか雰囲気暗くなっちゃったね。音楽でも流そうか」
38 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:32:30.14 ID:MEjqrkER0
カラッポナユメノナカ♪ オイカケテハルカナユメヲ♪ トドカナイユメヲミテル♪
私「こうして夜にあなたの歌をよく聞くんだ。なんだか気分が落ち着くから」
歌姫「……ありがと」
私(歌姫は椅子から立ち上がり、私の隣に改めて座った)
歌姫「あなたには、本当に申し訳ないことをしたと思ってる」
私「昼も謝ってくれたでしょ。もう気にしてないって」
歌姫「私には人魚伝説にすがる以外の方法が残されていなかった」
ギシ…
歌姫「みんな私に手術を受けることを勧めるんだ。マネージャーも家族も、事務所の同期でさえ」
私「それは……当たり前のことだと思うな。歌姫に生きて欲しいんだよ」
39 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:33:04.55 ID:MEjqrkER0
歌姫「そうだね。でも喉を失って、声を失って、歌を失って。それで私は本当に生きていると言えるのかな」
私「どういう意味?」
歌姫「歌は私にとっての全て。存在価値なんだ。歌うことが私の夢であり、目標であり続ける……」
私(窓の外。月の光を閉じ込めた泡が地面からゆっくり迫り上がり、端正な彼女の横顔に深い陰を作った)
歌姫「夢や目標のない人生に価値なんてないのに」
私「…………」
魔女『ここでの仕事を辞めて、地上に戻ってやりたいことでもあるの?』
私『悲しいぐらい全然ないです。溺れる前から夢とか目標とか、持っていなかったので』
私「価値ないんだ」
歌姫「ないよ。断言する」
40 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:33:40.44 ID:MEjqrkER0
私(私は音楽を止めた)
私「……別の夢を探すのはどうかな。例えば作曲家とか作詞家とか、あなたならきっとできるよ」
歌姫「同期にも同じアドバイスをもらった。あいにく私にとって、曲も詩も手段でしかないから」
私「厳しいことを言うようだけど、喉を切除する以外の道はもう残されていないように思う」
歌姫「手術を受けるくらいだったら私は歌い続ける。声が枯れるまで歌い尽くして、そのままがんで死ぬつもり」
私「それは自殺と変わらないよ」
歌姫「違うよ。決して自殺じゃない」
歌姫「結果的に死んでしまっても、そこに至るまでが人生なんだから」
バサッ
私(歌姫はそのままベッドに寝転がり、枕に顔を埋めて寝てしまった)
私(残りのスペースを使って、添い寝するような形で私も就寝した)
41 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:34:17.95 ID:MEjqrkER0
──翌朝──
私(起きて着替えてからドアを開けると、目の前に魔女さんが立っていた)
私「魔女さん? おはようございます」
魔女「おはよう。……歌姫、やっぱりここにいたのか」
歌姫「ふぁ〜。いつの間にかメイドさんと一緒のベッドで寝ちゃってた」
魔女「は?」ビキ
私「ご、ごめんなさい。歌姫が部屋に来たことを報告するべきでしたね」
魔女「……お前が謝る必要ないだろ。それよりも歌姫、説明したいことがあるからついてこい」
歌姫「? はーい」
スタスタ
42 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:35:11.50 ID:MEjqrkER0
私「魔女さんまた歌姫だけ……何か理由があるんだろうけど」
乙姫「あらあら。ヤキモチ?」ツン
私「わっ!」
乙姫「ふふ。あなたには私から話があるわ。ついてきて」
──庭園──
私(庭園は地上のビーチを模して作られており、ヒトデや貝殻がところどころに落ちている)
私(城全体を包む大きな泡の境界線を、ここから展望することができた)
乙姫「金魚鉢の中から見える風景ってこんな感じよね」
私「経験がおありで?」
乙姫「私の出生はお祭りの屋台だからねぇ」
私「え?」
乙姫「もちろん、冗談に決まってるわ」クスクス
43 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:35:53.30 ID:MEjqrkER0
私(尾ヒレを優雅に翻して、乙姫様は私に顔を近づけた)
乙姫「屋台産の姫など存在しない。姫は由緒正しい生まれの中でしか誕生しない。ねぇ、それがなぜかわかるかしら?」
私「? 血筋が優秀だからってことでしょうか」
乙姫「もっと単純な話よ。法律で決まっているから。いわゆる王位継承法ってやつね」
私「は、はぁ」
乙姫「竜宮城には竜宮城のルールがある。全てはルールに従って決定される。例外はないわ」
私「……? そうですね」
ゴポゴポゴポ
乙姫「歌姫の件。大変な目にあったわね」
私「いえ。スタンガンで少し眠らされたくらいのものですので」
乙姫「トラウマになってないといいんだけど」
私「全然です。彼女、悪い子じゃないし」
44 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:36:40.06 ID:MEjqrkER0
私「そうだ乙姫様。歌姫をメイドに雇ってみてはいかがでしょう」
乙姫「……!」
私「竜宮城で人間は貴重でしょうし、炊事や掃除は私が教えますから」
乙姫「歌姫はあなたを攫った人間よ?」
私「もういいんです。手術を受けた後に一緒に働かないかって、誘ってみてもいいですか?」
乙姫「……歌姫のこと、好きになったのね」
私「好き? 好きって言うか……彼女の考え方とか価値観とか、もっとよく知りたいと思って」
乙姫「残念だけど雇うことはできないわ」
私「そうですか。乙姫様がそうおっしゃるのなら仕方ありませんが……」
乙姫「あの子は明日、安楽死させるの」
45 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:37:19.78 ID:MEjqrkER0
──
私(人魚誘拐は、竜宮城において最も重い罪なのだという)
私(がんを患った歌姫は、鍵付きのファンコミュニティで人魚伝説について尋ね──)
私(竜宮城の関係者を自称する商店店主と出会い、人魚の存在を確信した上で行為に及んだ)
私(人魚の身柄を巡って過去に戦争が起きた反省から、誘拐の意思そのものを絶対悪だと法律で定めている)
私(計画的な犯行で、未遂であっても誘拐の意思が認められるため、殺処分する)
私(竜宮城には竜宮城のルールがある。全てはルールに従って決定される──)
私(以上が乙姫様からのお話だった)
46 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:38:12.22 ID:MEjqrkER0
──大浴場──
私「……」ボーッ
魔女「あんまり浸かってるとのぼせるぞ」ツン
私「あ、魔女さん。珍しいですね。いつもシャワー派なのに」
魔女「たまには入る気分にもなるんだ。隣いいか」
私「ええ。どうぞ」
カポーン…
魔女「……歌姫のことは聞いた?」
私「聞きました」
魔女「乙姫の話していた通りだ。歌姫は明日、玉手箱の毒で安楽死させる」
47 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:38:54.37 ID:MEjqrkER0
私「他人の生き死にを3日で決めちゃうんですね」
魔女「人魚じゃなくて人間だから。誤解を恐れずに言うと、命の重さが違う」
私「人間にだって心はあります。情状酌量の余地とかってないんでしょうか?」
魔女「ある。だから絞首でなく安楽死させる」
私「……」チャプ
私(きっと、人里で暴れた猪を処分するぐらいの感覚なんだろうなぁ)
魔女「このことは歌姫には知らせてない。知らせるつもりもない。彼女を思ってのことだ」
私「知らされて死ぬのがマシか、知らされないで死ぬのがマシか」
魔女「……色んな意見があるだろうな」
48 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:39:32.68 ID:MEjqrkER0
私「死刑宣告ではなかったとすると、今朝魔女さんが歌姫を迎えに来た理由は何ですか?」
魔女「”人魚姫の逆”の説明をしていたんだ」
私「あの。今なんて?」
魔女「人魚姫の逆。そして歌姫は、不老不死になることを選んだよ」
私「……」ポカーン
魔女「のぼせちゃったか?」
私「驚いているんです。色々とよくわかりません。どういうことです?」
魔女「お風呂から出たら、お前にも同じ話をするつもりでいる。でもその前に──」スッ
私(魔女さんは私に肩をくっつけた)
49 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:40:12.74 ID:MEjqrkER0
魔女「やっぱりのぼせたんじゃないか。身体あっついぞ」
私「あー。湯船に浸かりながら、少し考え事をしちゃって」
魔女「……泣いたり怒ったりしてもいいんだ。何を言われても私は全て受け止めるから」
私「いえ。理解してるつもりですから。竜宮城のルールも……魔女さんの優しさも」
魔女「私の?」
私「情が移らないよう、私と歌姫を遠ざけようとしてくれていたんですよね」
魔女「……。お前は聡い子だよ。少し心配なくらい。時には感情的になった方が健康的なんだから」
私「今でも十分に健康的です」
魔女「嘘だよ。だってこんなにのぼせてる」
50 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:40:52.16 ID:MEjqrkER0
──魔女の店──
私「おじゃまします」
魔女「ん。そこらへんの椅子に適当に座って」
私(竜宮城近くの洞窟にある魔女さんのお店に来た)
私(様々な種類の草花や、煮えたぎる大釜が設置されている)
私(釜のすぐそばの目立つ場所に瓶が2本置いてあった。赤色と緑色の液体が入っている)
魔女「こっちの赤色が、おとといお前に話した人魚を人間へと変身させる薬だ」ヒョイ
私「代償は数種の素材、それと本人の声でしたね」
51 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:41:22.79 ID:MEjqrkER0
魔女「私やお前が飲んでも効果ないけどな。乙姫には効果あるけど」
私「これが魔女さんが説明したかったものですか?」
魔女「いいや本題はこっちの緑色。逆変身薬って私は呼んでる」ヒョイ
私「逆?」
魔女「早い話が、人間を人魚へ変身させる薬だよ」
私「……」
魔女「これから大事なことを言うから、よく聞いてくれ」
52 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:41:53.78 ID:MEjqrkER0
魔女「変身薬。人魚が人間に変わる。代償として声が必要」
魔女「逆変身薬。人間が人魚に変わる。代償として”声以外の全て”が必要」
魔女「声以外の全てには、身体も精神も記憶も全部含まれる」
魔女「老いも死も失うという意味で、不老不死とも捉えることもできる」
魔女「声だけの存在になって、海の中を永遠と漂い続ける」
魔女「それが、”人魚姫の逆”の正体だ」
53 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:42:27.63 ID:MEjqrkER0
私「…………」
魔女「わかった?」
私「1分待ってください。頭の中を整理します」
──
私「何となくわかりました」
魔女「よろしい」
私「エレベータや灯台で魔女さんが『不老不死になる方法はない』と嘘をついたのは何故ですか?」
魔女「私は『人間が不老不死になる方法はない』と言ったんだ。これを飲んだら一応は人魚になる。概念としてだけど」
私「は、はぁ」
魔女「そのうち頭が追いついてくるよ。魔法学なんてそういうもんだ」
54 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:43:16.13 ID:MEjqrkER0
私「……この話を歌姫にもしたんですよね」
魔女「ああ。薬を飲みたいかどうかについても問いかけた」
私「なぜそんな提案をしたんです?」
魔女「歌姫の心情は察している。声だけの存在になることが、彼女の救いになるかもしれないと考えたから」
私「乙姫様はよく許してくれましたね」
魔女「ルールは破っていないからな。どちらにせよ人間としての一生は終えることになるし」
私「確認ですが、安楽死の話は歌姫に伝えてないんですよね?」
魔女「そうだ。歌姫視点で見れば、手術を受けると未来と不老不死になる未来の、後者を選んだということになるな」
私「不老不死……声だけの存在になって、海の中を永遠と漂い続ける」
魔女「見方によっては死刑より過酷だ。だけどあいつは、喜んで薬を飲みたいと即答したよ」
55 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:44:04.99 ID:MEjqrkER0
魔女「正直言って即答は驚いた。死と死の選択ならまだしも、彼女にとっては生と死の選択だったのに」
私「……」
歌姫『喉を失って、声を失って、歌を失って。それで私は本当に生きていると言えるのかな』
歌姫『歌は私にとっての全て。存在価値なんだ。歌うことが私の夢であり、目標であり続ける……』
歌姫『夢や目標のない人生に価値なんてないのに』
魔女「ともかく、以上が説明したかったことだ。こんな時間に付き合わせて悪かったな」
私「いいえ。ありがとうございました」
魔女「……。歌姫は明日の昼、この場所で薬を飲む予定になっているよ」
私「……はい」
魔女「お前は部屋から出なくていい。エレベータを使って外に出ていてもいいぞ。乙姫には私から伝えておくから」
私「お気遣いありがとうございます。でも、働いていた方が気が紛れそうなので」
私(魔女さんと別れて部屋に戻った)
私(ベッドの中で久しぶりにあの夢を見た。私が死ぬはずだった、あの時の)
56 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:44:39.72 ID:MEjqrkER0
──回想──
ザザーン
父『昨日発表した最新作だけど、本当は最旧作なんだ』
父『執筆した時から決めていた。この小説を俺の遺作にしようって』
父『遺作には親子の心中の描写があって、作者が本当に子供と心中することを含めて、真に完成された作品になるんだ』
父『俺はそのために子供を作ったし、妻は必要なかったから離婚した』
父『やっと俺の夢が叶う。夢であり、目標であり、俺がこの世に生きた意味だ』
父『今まで本当にありがとうな』
父『俺の夢のため一緒に死んでくれ』
私『むーっ!!』
57 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:45:14.22 ID:MEjqrkER0
──
私(目覚めるとまだ仄暗い朝だった。粒状の泡が少量だけ外で光っている)
私(再び寝付けそうにはなかったので、メイド服に着替えて庭園を歩くことにした)
──庭園──
私(庭園の砂浜にフードを被った女の子が座っている)
歌姫「……」
私「……何をしてるの?」
歌姫「ふふ。海の音を聴いてるんだ」
私(歌姫はフードを取り、耳元にある綺麗な法螺貝を見せた)
歌姫「あなたは多分、話しかけてこないと思ってた」
私「今日起こること魔女さんから聞いたよ」
歌姫「だよね。そんな顔をしてる」
58 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:45:56.26 ID:MEjqrkER0
歌姫「隣座る?」ポンポン
私「……。いや、私はこれから料理の仕込みをするから」
歌姫「そっか。私のこと止めに来たわけじゃないんだね」
私「もう少し長く一緒にいれたら、あれこれしつこく言う資格もあったのかと思うけど」
歌姫「人魚の姫様から聞いたよ。私のことをメイドに誘ってくれたんでしょ?」
私「……美しい竜宮城の中で、お揃いの制服を着て仕事をする毎日」
私「そんな生活だって、決して悪くないものなんじゃないかと、私はそう思ったんだ」
歌姫「そうだね。きっと楽しい。今なんかよりよっぽど、幸せな日々を送れると思う」
私「じゃあどうして……って考えてしまう時点で、私はあなたの理解者にはなれなかったんだね」
59 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:46:43.39 ID:MEjqrkER0
歌姫「……」
私「私、そろそろ行くよ。長くいても辛いし」
スッ
歌姫「ねぇメイドさん。最期だから正直に言うけれど」
私「?」
歌姫「父親の話を聞いたとき、あなたへの同情の前に──」
歌姫「お父さんへの共感が先立ったんだ」
60 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:47:20.82 ID:MEjqrkER0
私(歌姫は再び貝殻を耳に当てた)
歌姫「……海の音が聴こえる」
私(歌姫。それは海の音じゃないよ)
私(貝の外殻によって波と同じ周波数以外の音が遮られたのを、それっぽく感じてるだけなんだ)
歌姫「バイバイ」
私「……さようなら」
スタスタ
歌姫「そうだ。これも忘れずに言っておかないと」
私(ジャケットの表紙みたいな綺麗な顔で歌姫は笑った)
歌姫「クッキー。ごちそうさまでした」ニコ
61 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:48:01.96 ID:MEjqrkER0
──
私(歌姫の変身は滞りなく行われたと、後に魔女さんから報告を受けた)
私(生活はすっかり元に戻り、私も炊事に洗濯に毎日を忙しく過ごしている)
私(歌姫が人魚になった日から、彼女の音楽を聞く頻度はうんと少なくなった)
私(曲の歌詞は未だ覚えられないままでいる)
私(そんなある日、乙姫様からご命令を受けた)
私(買い出しをしに地上に出てほしいという旨だった)
62 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:48:50.97 ID:MEjqrkER0
──エレベータ前──
魔女「乙姫からも聞いてると思うが、今日は地上にお使いに出てもらう」
私「はい」
魔女「同伴を希望したけど断られた。流石に毎回ってわけにはいかないからって」
私「大丈夫です。周囲に気をつけて買い物します」
魔女「代わりにこの防犯ブザーをつけていけ。引っ張ればすぐに駆けつけるぞ」
私「……あの。本当に私のこと何歳だと思ってます?」
魔女「15歳」
魔女「人魚姫と同い年のね」
63 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:49:57.80 ID:MEjqrkER0
ヴーン…
魔女「……」ジッ
乙姫「メイドのことが心配?」ツン
魔女「あぁ。乙姫か」
乙姫「反応が渋いわねぇ。そこはわっと驚いてくれないと」
魔女「……歌姫の件、地上ではどうなった?」
乙姫「報道関係の協力者に頼んで、頭身自殺として処理してもらったわ」
魔女「……。がんを苦に飛び降りたミュージシャン。なるほど出来過ぎたシナリオだな」
乙姫「今はまだ歌姫の死にあれこれと考察が盛んになってる。でもそれも、しばらくすれば落ち着くでしょう」
魔女「考察?」
乙姫「うん。天才はどのような精神状態で自殺に至ったか、みたいなの。人間の世界ではありがちな話よ」
64 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:50:42.48 ID:MEjqrkER0
乙姫「いくつかSNSやテレビ番組を見たけど、どれも笑っちゃうぐらいズレた議論ばかりしていたわねぇ」クスクス
魔女「そりゃあお前が情報をねじ曲げたからな」
乙姫「そうじゃなくて。そもそもの話よ」
魔女「……?」
乙姫「歌姫の心理状態を推し量ろうとする行為そのものが、ズレた考えだって言ってるの」
魔女「どういう意味?」
乙姫「私たちと彼女とでは、脳の形が違うんだから」
魔女「? そりゃあ他人なんだから頭の形はそれぞれだろう」
乙姫「そういう意味じゃなくて──歌姫は先天的な脳の病気だったのよ」
65 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:51:38.39 ID:MEjqrkER0
魔女「は?」
乙姫「透視して歌姫の頭蓋骨の内側を覗いたわ」
乙姫「大脳皮質および大脳辺縁系に異常な変形が見られた」
乙姫「あそこは神経伝達物質を司る部位で、放出がイカれると過集中を引き起こすの」
乙姫「過集中が起きると、生物としての大前提である身の安全や幸福感の優先度が無視される」
乙姫「彼女が歌に執着していた、常軌を逸するまでの目的意識の正体はこれよ」
魔女「……」ポカーン
乙姫「多くの人間にとって夢とは、幸せになるための手段を指すわ。幸せになるために何かを目指し努力し叶える」
乙姫「けれど歌姫にとっての夢は、それ自体が叶えるべき目的と化していた」
乙姫「夢は夢でも彼女が見ていたのは、さながら脳異常が引き起こした白昼夢といったところねぇ」
66 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:52:20.74 ID:MEjqrkER0
乙姫「歌姫は私たちには見えないものを見ていた」
乙姫「見てるものが違うんだから、気持ちを推し量ろうとする行為なんて無意味だし」
乙姫「理解も共感も、最初からできるはずがないのよ」
シーン
魔女「……言葉通りの意味で、考え方が違っていたのか」
乙姫「ええ。それも先天的にね」
魔女「それは、なんと言うか……悲しき天才の性とでも言えばいいのかな」
乙姫「ええ。或いは……」
ヴーン…
乙姫「……彼の脳も同じ形をしていた」
魔女「彼って?」
乙姫「あの子の父親よ」
67 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:53:01.90 ID:MEjqrkER0
──海蝕崖──
私(地上での買い物が済んだ。特にアクシデントも起こらずスムーズに終わった)
私(久しぶりに海を上から見渡したくなったので、近くの崖まで足を運んでいる)
ザザーン
歌姫『父親の話を聞いたとき、あなたへの同情の前に──』
歌姫『お父さんへの共感が先立ったんだ』
私「……じゃあきっと、一生私は」
??「やめなさい!」
68 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:53:40.53 ID:MEjqrkER0
私(急に後ろから声をかけられた)
??「歌姫は追い死にを望むような性格じゃないわ!」
私「え?」
同期「歌姫の同期として勧言する。自殺はやめなさい!」
私「……。あなたもしかして、歌姫の話に出てきた同期さん?」
同期「え? な、なんだ。歌姫のお友達だったのね」ホッ
私「友達?」
同期「あれ。違うの?」
私「……いや、そうだよ。友達だった」
69 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:54:16.89 ID:MEjqrkER0
──
同期「歌姫の後を追ってファンの方の自殺未遂が相次いでいるの。それで勘違いしちゃった。ごめんなさいね」
私「ううん。実際、歌姫のことを考えていたから」
同期「私もこのところずっと、去ってしまった歌姫のことばかり考えるわ。あなたの気持ちがよくわかる」
私「あなたも歌手なの?」
同期「ええまぁ。歌姫と比べたらまだ天と地の差だけれど……そっちはどんな経緯で歌姫とお友達に?」
私「説明すると、あなたの命に危険が及ぶから話せない」
同期「あはは」
私「冗談じゃなくて」
同期「えっ、え?」
70 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:54:49.50 ID:MEjqrkER0
私「とにかくなんだかんだあって友達になったんだ」
同期「まぁ、言いたくない事を深くは聞かないわ」
私「出会ったのは、ごく最近のことだったけど」
同期「短い期間でよく友達になれたわね。あの子ってかなり人を選ぶのに」
私「色々と事情があって。それに……」
同期「それに?」
私「歌姫は……父に似ていたから」
同期「へぇ。お父さん歌が上手なのね」
71 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:55:30.57 ID:MEjqrkER0
ザザーン…
私「小説に出てくるような不老不死に憧れを持っていた」
同期「?」
私「夢とか目標とか、無限に生きられたらそんなことで悩まずに済むから」
私「……私を心中に巻き込んだお父さんの気持ちも、時間をかければきっと理解できると思っていた」
私「だけど、それはきっと違うんだよね」
ザザーン…
私「時間をかけたところで、私はあの人たちに共感できたりしないんだ」
私「だって、半年考えてもわからなかったお父さんの気持ちが、歌姫には一瞬でわかっちゃったんだから」
72 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:56:12.59 ID:MEjqrkER0
私「人魚が王子との結婚を夢見て死んだのも」
私「お父さんが小説を完成させたくて死んだのも」
私「歌姫が歌い続けるために死んだのも──」
私「私には共感できない。それは自殺だよって、今でもそう思っちゃう」
私「それは不老不死になったところできっと変わらない。時間は何も解決しないから」
私「私は夢のために死ねる人魚姫の気持ちが、この先もずっとわからない」
私「だから、本当の意味で人魚姫の逆なのは」
私「きっと私の方だったんだよね」
73 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:56:57.84 ID:MEjqrkER0
歌姫「……」ポカーン
私「あっ。ええと」
歌姫「頭大丈夫?」
私「そ、そんな言い方しなくたって」
歌姫「内容は全く入ってこなかったけど、あなたが思い詰めてるのはわかったわ」
私「いや別に、思い詰めてるわけじゃ」
歌姫「悩み事は歩いて発散させるのが一番。私も作詞に煮詰まった時よくやるの。ついてきて」グイ
私「え。ちょっと……」
歌姫「あ、ジュース飲もっか。近くに商店があったはずよ。奢ってあげるからね」ウフフ
私「そ、そんな甲斐甲斐しくしなくていいから!」
アハハ…
74 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:57:52.44 ID:MEjqrkER0
──商店──
同期「あれ、お店が閉まってる。ついてないわね」
私「……。飲み物はもういいよ」
同期「そう……灯台前にビーチがあったはずよ。そこに向かいましょう」
──砂浜──
ザッザッザ
同期「格好を見るにメイドさんよね。相当業務が忙しいのね。かわいそうに」
私「だから別に、悩んでいたわけでは」
同期「うふふ。気持ちを明るくするコツを教えてあげましょう」
私「え?」
同期「それはズバリ、夢を持つことよ!」バッ
75 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:58:31.14 ID:MEjqrkER0
シーン…
私「──夢?」
同期「そう。夢や目標があれば、それに向かって前向きに突き進むことができるの」
同期「頭の中のモヤが吹っ飛ぶぐらい無我夢中にね。人間ってそう言う風にできているんだから」
私「……あなたには”それ”があるの?」
同期「もちろん、あるわ」
ビシッ
同期「私の夢は第2の歌姫になること!」
同期「ヒット曲を作って、CDたくさん売って、天国のあいつを見返してやるの」
同期「金持ちになったら自分の会社を立ち上げる。音楽界に私の名前を刻んでやるわ!」
76 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 21:59:25.78 ID:MEjqrkER0
ザザーン…
私「……」
同期「それが私の夢よ」
私「あなたが、もし」
同期「ん?」
私「もしも道半ばで喉を患い、命と声の選択を迫られたら……その時はどうする?」
私(彼女は天真爛漫な笑顔で言った)
同期「そんなの、答えは決まってるじゃない」
77 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 22:00:02.95 ID:MEjqrkER0
同期「手術を受けて命を取る」
同期「そして別の夢を探す。例えば、作曲家とか作詞家とかね」
私「…………」
同期「歌姫は……実力も才能もあって、呼び名に恥じない同期の花だったわ。だけど1つ大きな間違いを犯した」
同期「それは自殺したこと。自殺をして、人生から逃げたことよ」
同期「自殺は美しいことじゃないのに」
ザザーン
同期「……。何その顔」
私「え?」
同期「なんだかすごく、怒っているように見えるわ」
78 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 22:00:45.51 ID:MEjqrkER0
──
私(砂上に貝殻が落ちている)
私(拾って耳に当ててみた)
同期「何それ?」
私「法螺貝。こうすると、海の音が聴こえるんだ」
同期「うふふ。夢を壊すようで悪いけれど……」
私「うん」
同期「貝の外殻によって波と同じ周波数以外の音が遮られたのを、それっぽく感じてるだけというのが通説よ」
私「……そうだね。あなたがきっと正しい」
79 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 22:01:17.65 ID:MEjqrkER0
私「それでも聴こえた気がしたんだ」
同期「?」
私「海の音が……」
私「歌姫の声が」
おわり
80 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 22:01:48.29 ID:MEjqrkER0
お疲れさまでした
見てくださった方、ありがとうございました
81 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2021/10/11(月) 22:02:23.61 ID:MEjqrkER0
よかったら他の作品も見てください
https://twitter.com/sasayakusuri
82 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/10/12(火) 14:56:09.23 ID:3Lb9a4jko
おひさしぶり、今回のもよかったです
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