千川ちひろ「竹芝物語」

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302 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 22:05:10.99 ID:64qMODCb0
 ロー・コンテクスト文化圏である欧米は、事物をハッキリと明文化させ、責任の所在や行動主体をクリアにする傾向があると聞きます。
 私達の「皆で一緒に頑張ろう」という発想は、彼女の存在意義さえも曖昧にしてしまうものだったのかも知れません。

「彼女に対する俺の行いは、信頼の押しつけ……自分の自己満足で、彼女のためにはならなかった。
 そしてそれは、765プロの子達にも、無意識的に行ってしまっていたのではないかと」
「プロデューサーさん……」

「所詮、ステージに立つのはアイドル達。
 裏方である俺は、彼女達に対して一定の距離感を保ち、ビジネスライクで付き合うのが正しいのだと……。
 アメリカで別れた際の、彼女の辛そうな姿を見て、悟ったんです」


 ――彼の心の奥底にあったものが、ようやく分かりました。

 別れが辛くなるからという理由だけで、希薄な関係を築こうとしたのではありません。

 プロデューサーさんは、自身の行いがアイドル達の目指す夢の意義を奪う可能性を恐れたのです。
 だから、深入りをするまいと誓った。



「でも、彼女達に……美嘉達や春香達に、教えてもらえました。
 それは違うんだってことを」
「えっ?」
303 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 22:07:02.99 ID:64qMODCb0
 もう一度、空に向けてふぅっと息をつくと、再び彼は私にニコリと、人懐こい笑顔を見せてくれます。

「お互いに苦しいから、支え合うんだってこと……本当にその通りで。
 それに、伊織も言ってたけど、アメリカでの教訓を肯定したら、逆に765プロの子達との思い出を否定してしまう事にもなる。
 だから、俺にはもう……正直どうしたら良いのか、分かりません」

「わ、分からないって……!?」
「結論を急ぎすぎていたんです。俺はきっと」

 予想外の結論に困惑する私を尻目に、彼は爽やかに笑い飛ばし、満足げに息をつきました。


「だから、ずっと考え続けるのだと思います。
 アイドル達と共に、何度でも泣いて、怒って、ぶつかって……何度でも笑ってやるのだと、ようやく心に決めました」
304 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 22:10:40.94 ID:64qMODCb0
「プロデューサーさん……」

「あの日の俺に、アメリカで出会った彼女を日本に連れていくだけの気概があったなら……。
 その身勝手は彼女のためになっただろうかと、結局ここに来ても、分かりませんでした。
 ですが、ちひろさん」

 プロデューサーさんの優しい眼差しが、私の視線とピッタリに重なり合います。

「たとえあなたが身勝手だと言おうとも、俺はそれに救われたんです。
 346プロのアイドル達との交流のおかげで、俺は確たる誓いを持ってこれからもプロデューサーを続けることができる。
 こんなに嬉しい事はありません」

「プロデューサーさん……!」


「ずっと言おうと思っていました。
 本当に、ありがとうございます、ちひろさん」



「え、えへへ……もう、やめてくださいっ」

 イヤだなあ。
 もう泣かないって、思っていたんだけど――。

「何を泣いてんですか、泣きたいのはこっちの方です。
 これから帰って徹夜仕事が待ってるんですから」
305 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 22:13:34.15 ID:64qMODCb0
「ぐすっ……あら、そんな文句を言うんだったら、私も付き合いますよ?」

 目尻を拭い、みっともなく鼻を啜って、精一杯笑いました。

「えっ? ちひろさん、今日中に片付けなきゃいけない仕事を処理してきたんじゃ……?」
「片付けなきゃいけない仕事はね。
 今日中に“片付けておきたい仕事”は、いくらでもありますから」

「いや、それ……。
 まぁ、遅くとも0時までには寝てくださいよ。お肌、荒れちゃうでしょ?」
「寝るまでが今日です」

 エヘンと胸を張って答えてみせると、プロデューサーさんは呆れるように鼻で笑いました。

「346プロの事務員は逞しいですね。ウチの人にも見せてやりたいです」


 そうして、私達は笑い合いながら事務所に戻りました。

 お城に迎え入れることも、お城から連れ出すことも適わない二人。
 それでも、得難きものを確かめ合い、12月が終われば解ける魔法の最後の輝きを、最高のものとするために。

 ふと空を見上げると、都会の喧噪から少しだけ離れた冬晴れの空に、煌めく星達が瞬いているのが見えました。
306 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 22:16:49.71 ID:64qMODCb0
   * * *

「そういえばさー、貴音ぇ」
「どうしたのですか、響?」

 舞台袖で入念に屈伸を繰り返しながら、響ちゃんが貴音さんに声を掛けました。

「どうして貴音は346プロに遊びにこなかったんだ?
 事務所も綺麗だったし、アイドルの子達も皆仲良くしてくれて、すーっごく楽しかったんだぞ?」
「それは、トップシークレットですよ」
「思わせぶりだけどそれ、大した意味ないでしょ」

 貴音さんはニコリと小さく笑い、響ちゃんの頭を優しく撫でました。

「わ、わっ!? な、何するんさー貴音!」
「太陽の如き貴女の勇気と明るさは、皆に元気をもたらします。
 私のような者にも……真、ありがたい事です」

 響ちゃんの頭から手を放すと、彼女は美希ちゃんに目配せし、プロデューサーさんに向き直りました。

「では、行って参ります、プロデューサー」
307 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 22:18:36.40 ID:64qMODCb0
「あぁ。頼んだぞ三人とも」
「へへっ、なーんくるないさー!」

「ミカ達に負けないくらい、ファンの人達の心、釘付けにしてくるの!
 ちゃんと見ててよね、ハニー!」

 そう言って、美希ちゃん達は竜宮小町が捌けたばかりの、熱気溢れるステージへと駆けて行きました。


「まったく……人前ではハニーなんて呼び方、やめなさいっていつも言ってるのに」

 口をへの字に曲げてため息をつく律子さんを、プロデューサーさんは困り顔で宥めました。
308 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 22:21:25.00 ID:64qMODCb0
 765プロのクリスマスライブは、超満員となりました。

 私達346プロ側のコラボ出演があったからだと、プロデューサーさんや小鳥さんは仰ってくださいましたが、それは違います。
 だって、そのPRをする前から、チケットが瞬く間に完売していたのを、私は知っているからです。

「凄いね」

 私達の隣に立って、美嘉ちゃんがポツリと呟きました。
 視線の先にあるのは、輝くステージの上でダイナミックに歌い踊る、美希ちゃん達プロジェクト・フェアリーの姿があります。
 765プロにしては珍しい、攻撃的かつ挑発的な楽曲『オーバーマスター』が、ますます会場のボルテージを上げていきます。

「勝てそうか?」

 プロデューサーさんがそう聞くと、美嘉ちゃんは肩をすくめました。

「そんなんじゃないでしょ、今日のはさ。でも……負けないよ★」
「あぁ、その意気だ」

 満足げに頷くと、プロデューサーさんは辺りを見回しました。


 彼の視線の先には、目一杯に屈んであげたきらりちゃんと、精一杯背伸びしたやよいちゃんが仲良くハイタッチをする姿。
 そして、蘭子ちゃんの衣装の結び目を直してあげている雪歩ちゃん。

 あずささんに対して何故かタジタジになっている杏ちゃんの横では、真ちゃんにストレッチを手伝ってもらい絶叫している菜々さんが見えます。
309 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 22:23:20.79 ID:64qMODCb0
「失礼」

 ふと、野太い声が聞こえたかと思うと、楽屋の方からCPさんが姿を現しました。
 その後ろには、シンデレラプロジェクトの子達もゾロゾロと総出でついています。

「CPさん……」
「ご迷惑かも知れませんが、こういう機会ですので、皆で激励にまいりたいと」
「迷惑だなんて。願ってもない事ですよ」


「サブP」

 CPさんの横で、声を掛けたのは凜ちゃんでした。

「今さら、私なんかが余計なお世話を言ってもしょうがないと思うけど……。
 悔いとか、残しちゃダメだよ」

「そうそう。後で忘れ物したから取りに来たーなんて言ったって、聞き入れてやらないぞー?」
「み、未央ちゃんっ、そこは申し開きを聞き入れてあげましょうよぉ」
「しまむーもさ、結構言うよね?」

 卯月ちゃんの天然っぷりに皆で笑うと、凜ちゃんは気恥ずかしそうに顔を赤らめて咳払いをしました。


 その様子を楽しそうに見つめて、プロデューサーさんが答えます。

「ありがとう、凜。それに皆。
 悔いならもう無い。皆のおかげだ」
310 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 22:25:31.02 ID:64qMODCb0
 そう言って、彼はシンデレラプロジェクトの皆の顔を一人一人見渡しました。

「そして、すまなかった。
 今度会う時は、ライバル同士だ。
 俺に恨みがあったら、遠慮無くそれをエネルギーにして765プロにぶつけてやってくれ」
「ちょ、ちょっと、プロデューサー!?」

 慌てて千早ちゃんがツッコミを入れると、プロデューサーさんは頭を掻きながら誘い笑いをしました。

「そうでもしないと、やってられないだろ?
 こんなプロデューサーに散々振り回されて、せめて恨みでも売ってあげなきゃ彼女達も浮かばれない」
「それは、そうかも知れませんが」
「え、認めちゃうのか!?」


「ふふっ……上手く言えないけどさ」

 皆で大笑いする中、プロデューサーさんの隣にいる美嘉ちゃんが、鼻の頭を掻きました。

「アンタって、やっぱり765プロのプロデューサーなんだね」

「ガッカリしたか?」
「ううん」

 かぶりを振り、彼を見上げる美嘉ちゃんは、とても満足げでした。

「何ていうか、嬉しいな」
「何だそりゃ」
「アハハ」
311 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 22:28:02.09 ID:64qMODCb0
 途端、会場から聞こえてくる歓声が一際大きくなりました。
 気づくと、プロジェクト・フェアリーの曲が終わったようです。

「……来たな」


「ただいまなのー!」
「お客さん、しっかり暖めてきたぞ!」

 煌めく汗を振りまきながら、彼女達はプロデューサーさんとハイタッチを交わしました。

 そうです。
 この次はいよいよ、紹介アナウンスがなされた後、彼女達――346プロアイドル達の出番です。


「ほら、プロデューサー」

 後ろの方から、伊織ちゃんが声を掛けました。

「大一番を控えたあんたのアイドル達に、何か言うべきことは無いの?」
312 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 22:31:14.73 ID:64qMODCb0
「じゃあ、お客さんを待たせるのもなんだし……一言だけ」


 あれだけ大騒ぎしていた舞台袖が、しんと静まりかえりました。
 皆が、美嘉ちゃん達5人のアイドルに向き直ったプロデューサーさんを見守っています。


「皆……俺をお前達のプロデューサーにしてくれて、ありがとう。
 異なる事務所のそれぞれに担当アイドルがいたことは、これまでどのプロデューサーも経験し得なかったこと。
 それは正しく、俺の誇りだ」


「せいぜい誇りにしてもらわなきゃ困るよ」

 どこか皮肉めいてそう言ったのは、杏ちゃんでした。

「そっちでも杏達のPRをして、杏達の印税の足しにでもしてもらわなきゃ、こっちで馬車馬みたいに働かされた甲斐が無いし」
「はは、そうだな」
313 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 22:42:08.16 ID:64qMODCb0
「我が友っ!」

 ぶわっ!と大きく腕を振り出し、蘭子ちゃんが見栄を切りました。
 雪歩ちゃんのおかげで衣装の結び目は何とか直り、安心して腕を振り回せるとイキイキしています。

「異世界にて開かれし聖夜の宴……互いの旅路を祈る祝福の鐘を盛大に打ち鳴らすは、我らの務めよ!
 凍れる時に終わりを告げ、互いの天(そら)に抱きし星の煌めきを、我らの新たな血の盟約としようぞ!」
「あぁ、もちろんだ蘭子」
「……っ!」


 嬉しそうに顔を輝かせる蘭子ちゃんに頷いて、プロデューサーさんは菜々さんに向き直りました。
 菜々さんはもう感極まっているのか、俯いています。本当に涙腺がユルユルのようです。

「ステージ上では、泣いちゃダメだぞ、菜々さん」
「わ、分かってますよぉ……グスッ……!」

 ゴシゴシと、手袋の甲で顔を拭いて、菜々さんは鼻を赤くした顔を上げました。

「ウサミン星人は、キメる時はちゃんとキメる事で、ファンの方々の間でも有名なんです。
 絶対に、プロデューサーさんが346プロに来てくれて良かったって思えるようなステージにしてみせます!
 ねっ、きらりちゃん!」
314 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 22:44:21.32 ID:64qMODCb0
「うんうん、もっちろんだにぃ☆」

 同意を求められたきらりちゃんは、バァッと手を大きく振り上げました。
 危うく天井に届いてしまいそうな勢いです。

「みんなで積み上げたきゅんきゅんパワーで、会場のみんなとハピハピするの、すっごく楽しみだにぃ!
 サブPちゃんがきらり達にくれたもの、今度はきらり達がお返しする番だゆぉ♪」
「俺が与えた混乱への仕返しか?」
「ち、違うってぇ! もうっ!」
「ハハハ、冗談だ」

 手を振りながら茶化してみせた後、ふぅっと一息をついて、彼は美嘉ちゃんに向き直りました。


「……しっかり目に焼き付けておいてね。
 アンタにもこんな担当アイドルがいたんだって……絶対に、忘れさせてやらないんだから」

「当たり前さ。俺はお前達のプロデューサーだからな」
「ハハッ★」


「……出番だ。行ってこい」
315 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 22:45:54.11 ID:64qMODCb0
 プロデューサーさんが掲げた手を目がけて、美嘉ちゃん達は嬉しそうに、次々に思いきりハイタッチをしていきます。
 そうして、暗転中の舞台へと一目散に駆けていきました。


「それでは、私達もこれで」
「えぇ」

 CPさん達とシンデレラプロジェクトの子達も、舞台袖から撤退していきます。


「プロデューサー。
 私は社長から電話がかかっていたようでしたので、ちょっと一旦外します」
「? あぁ」

 律子さんもそう言って、小首を傾げるプロデューサーさんを残し、そそくさとその場を後にしていきました。



 舞台袖には、765プロアイドル達に加え、私とプロデューサーさん、小鳥さんが残りました。


「ところで、ちひろさん」
「はい」

 美嘉ちゃん達が去って行った舞台の方を見つめながら、プロデューサーさんは口を開きました。

「こんな時になんですが……何で俺のことを、プロデューサーさんって呼び続けたんですか?」
「何でって?」
316 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 22:48:33.88 ID:64qMODCb0
「事務員だった時もそうですが、サブのプロデューサーだった時も……頑なに俺のことを、“プロデューサーさん”って。
 それだけが、俺は不思議でした」


 ――いざ聞かれても、困りますけれど。

「プロデューサーさんだからとしか、答えようがありません」

 肩をすくめて彼に笑いかけつつ、私は会場アナウンス用のマイクが設けられた席に着きました。

「誰か「コレだ!」と思うアイドルを担当してこそ、プロデューサー。
 あなたを一目見た時から、この人には絶対に、サブなんかじゃなく、担当アイドルがいなきゃおかしいんだって。
 そう信じていたんだと思います」


「……そう言えば、先日いただいたチケットですが、俺は使いません」

 プロデューサーは、満足げに頷きつつ、鼻を掻きました。

「ライブにおける俺の居場所は、いつだってこの舞台袖です。
 俺は“プロデューサー”ですから」
「えぇ、知っています」
317 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 22:52:51.26 ID:64qMODCb0
 実は、私達346プロからの提案で、プロデューサーさんには関係者用の席を1席、確保していたんです。
 ご自身が担当したアイドルの晴れ舞台を、ぜひ観客席から見てもらいたいと思って。

 でも、それは無粋な提案でした。
 彼にとって、担当アイドルの晴れ舞台を見守る場所は、この薄暗い舞台袖しかあり得ないのだと。

「だから、チケットは彼女に託しました」
「? 彼女って?」

「アメリカで出会った、あの子です。
 おそらく、直接会場には来れないけれど、ライブ配信を視聴すると言ってくれて」

 聞けば、765プロダクションの専用配信チャンネルから、今日のライブを生放送で視聴できるのだそうです。
 視聴用のパスコードは、チケットに印字されているとのことでした。

「今さらこんな事をして何になる、とも思いましたが……やはり、諦めきれないもんですね」


「きっと見てくれますよ。
 苦楽を共にしたプロデューサーさんからのラブレターを、その子が放っておくはずがありません」

 私は大真面目に言ったつもりでしたが、プロデューサーさんはフンッと茶化すように鼻を鳴らすだけでした。



「……時間を取らせました。
 じゃあちひろさん、よろしくお願いします」
「はいっ」
318 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 22:55:33.47 ID:64qMODCb0
 本当は、彼女達の紹介アナウンスは、小鳥さんが行うはずでした。
 でも、小鳥さんから提案されたんです。

「ちひろさんもどうか、あの子達の……プロデューサーさんの力になってあげてください。
 その方が、あの人もきっと喜びます」

 アイドル達はともかく、他社の事務員である私にまで見せ場を用意してもらうなんて、些か恐縮ですが――。
 任された以上は応えなければ、346プロが誇る“鬼の事務員”千川ちひろの名が廃ります。

 全然鬼でも悪魔でもないんですけれど――。
 まぁ、一人で勝手に釈明していれば世話無いか。


 ふふっ、と一人、自嘲じみて小さく笑います。
 スタンバイが整った旨をスタッフさんから聞き、コホンと咳払いをした後――。

 私はマイクのスイッチを入れ、ボリュームのつまみを押し上げました。
319 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 22:58:20.18 ID:64qMODCb0
『皆様、本日はこの765プロさんのクリスマスライブで大変な盛り上がりの中、失礼致します。
 私、346プロダクションという芸能事務所で事務員をしております、千川ちひろと申します』

 ウォォォォオォォォォォ---ッ!!!!


 ――!?

 な、何だか私のアナウンスでさえ、既に凄い反応です。
 思いのほか、765プロファンの方々の間での私の認知度も、畏れ多くも結構あるようでした。

『……ありがとうございます。多大なるご声援、誠に恐縮です』



『ところで皆様……話は飛んでしまいますが、会場にお越しの皆様は、道に迷われた際、どうされますでしょうか?』
320 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:00:43.85 ID:64qMODCb0
『スマホで地図アプリを起動する、友人や知人に電話して聞く……。
 きっと多くの方は、そうされるのではと思います』



 意図せず異国の城に仕える事になった兵士と、その城のお姫様。

 かの物語のように、たとえ両者が添い遂げる結末にはならずとも、お互いの未来を尊重し合い、祈り合えるのだとしたら――。

 この先、迷い傷つくことがあったとしても、その希望に満ちた輝きを胸に抱くことができたなら。



『一方で、技術が今ほど発展していなかった時代……人々は星の明かりを頼りに、自身の道を見出したと言います』

『文字通りの道標として、方角を知るために空を見上げた人もいれば……。
 彼方にいる想い人も、同じ光を見ている……そんな願いを馳せて、生きる力に変えた人もいたでしょう』

『迷える子羊達に、パンとワインのご用意はありませんが、輝ける未来を信じる勇気を……。
 今夜、346プロのアイドル達が披露するステージは、そんな想いが込められたものとなります』


『聖なる夜に舞い降りた、346の星々達による夢の共演を、どうぞ心ゆくまでお楽しみください』


 ワアァァァァァァァァァ---!!! パチパチパチパチパチパチ…!!
321 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:01:32.67 ID:64qMODCb0
https://www.youtube.com/watch?v=ghBmhPL7AmA
322 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:05:13.90 ID:64qMODCb0











 〜〜♪

 ウオオォォァァァァアアァァァァァァァァ----ッ!!!!! パチパチパチパチ…!!!



  空見上げ 手をつなごう
  この空は輝いてる
  世界中の手をとり
  The world is all one!!
  Unity mind.


   CINDERELLA STARLIT 【 The world is all one !! 】
323 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:07:58.43 ID:64qMODCb0
 STARLIT(星明かり)――それが、プロデューサーさんの考えたユニット名でした。

 当初は『スターリット』の一語だけだったのですが、より346プロらしさを示した名前にしようという皆の意見により、『シンデレラ』を頭に付け加えたものです。

 これについては、CPさんにも了解を取るべく相談したのですが、CPさんは穏やかにこう答えました。


「私のものではありません。
 シンデレラの称号は、他ならぬ彼女達のものです」


 346の城に迷い込んだプロデューサーさんを救い出す、星達の煌めき。

 それは、彼が抱いた346プロアイドルへの感謝が込められたユニット名。

 でも、その想いは実のところ、一方向ではありません。


  ねぇ、泣くも一生
  ねぇ、笑うも一生
  ならば笑って生きようよ 一緒に


「彼女達……ずっと一点を見つめていますね」
324 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:09:13.27 ID:64qMODCb0
 彼の隣に立ち、そう指摘すると、プロデューサーさんは肩をすくめました。

「会場へのアピールとしては、マイナスですよ」
「ふふっ」


 そう――『シンデレラ・スターリット』の5人は皆、会場の中央にただ一つ残された空席の方へと向いていました。
 そこに座り、見守ってくれるプロデューサーさんの姿を追い求めて。

 彼女達もまた、彼に対するこれまでの感謝の想いを、このステージに込めたのです。


  顔を上げて みんな笑顔
  力あわせて 光目指し
  世界には友達
  一緒に進む友達いることを忘れないで!


「ですが……」
325 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:12:11.65 ID:64qMODCb0
 そう言って、プロデューサーさんは腕組みをしたまま、黙してジッと舞台の上を見守りました。

 微動だにしていないかと思えば――よく見ると、組んだ腕の上で指をトントンと叩き、リズムを刻んでいます。

 ――ふふっ。

 この人は身体の芯からプロデューサーなのだという、私の見立ては当たっていたようです。
 アイドル達と一緒になって、戦っています。

 そうでなきゃ、おかしいもの。

 黙して小鳥さんと目配せをします。
 彼女も同じ事を考えていたようで、二人で忍ぶように笑い合いました。


  ひとりずつ 違うパワー
  ひとつに重ね合えれば
  この地球の未来は The beam of our hope
  晴れわたる この気持ち
  まっすぐに輝いてる
  世界中の手をとり
  The world is all one!! The world is all one!!
  Unity mind.
326 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:16:32.25 ID:64qMODCb0
 さぁ、いよいよCメロです。
 ここで用意していたサプライズがあります。


  前を向いて 前を向いて


 突如、伊織ちゃんと真ちゃんが上手から登場し、会場がますます歓声に沸き立ちます。


  ほら、空を見上げよう


 今度は、下手から春香ちゃんと千早ちゃん、美希ちゃんも合流し、会場は大喜び!
 ここまでは台本通り、ですが――。


  前に進もう 前に進もう


 クライマックスを迎えるや否や、舞台の上手と下手から、一斉に19名のアイドル達が躍り出てきました。
327 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:20:48.38 ID:64qMODCb0
 そうです。
 出番を控えていた765プロアイドル達と、きらりちゃんと杏ちゃん、蘭子ちゃん達を除くシンデレラプロジェクト11名全員です。

 先ほど電話があったと言って出て行った律子さんも、ステージ衣装に着替えて登場したのです。
 バレないよう、彼に隠れて。


  人生は楽しめる Sympathy & Teamwork


「ハッハッハッハ」

 それを目にしたプロデューサーさんは、声を上げ、手を叩いて笑いました。
 彼にはずっと、秘密にしていたことだったのです。

 シンデレラプロジェクトの子達なんて、私服で舞台袖の応援に来ていたんです。
 それが、観客席へと撤収したかと思いきや、衣装に着替え、765プロの子達と共にステージに合流する。
 そんな荒唐無稽なサプライズを、プロデューサーさんはひどく愉快に感じてくれたようでした。

「誰が言い出したんです、これ? 春香?」
「さぁ、誰なんでしょうねぇ?」
328 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:22:33.62 ID:64qMODCb0
 プロデューサーさんは、ただただ呆れたと言った様子でかぶりを振ります。


「確かに『団結』がテーマの曲ですが、何でもやりゃあいいってもんじゃない。
 あまりに散漫になりすぎて、観客だってどこを見たら良いか分からないでしょう。
 俺だったらこんな狭苦しい演出、絶対に良しとしないし……あーあ、ほら見てください。
 大方、全員で合わせる時間も取れなかったんでしょう。ダンスも皆バラバラだ」


 ぶつくさと文句を言いながら、それでもプロデューサーさんは笑ってくれていました。

 ステージ上には、事務所の垣根を越え、美嘉ちゃん達『シンデレラ・スターリット』をセンターにした総勢29名のアイドル達。
 それらはさらなる煌めきを放ち、互いに手と手を取り合う団結の尊さを歌います。


  ひとりでは出来ないこと
  仲間となら出来ること
  乗り換えられるのは Unity is strength
  空見上げ 手をつなごう
  この空はつながってる
  世界中の手をとり
  The world is all one!! The world is all one!!
  Unity mind.
329 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:24:26.21 ID:64qMODCb0
 ワアアアアアァァァァァァァァァァァァ---!!!!! パチパチパチパチ…!!



 地鳴りのような大歓声に手を振り、美嘉ちゃん達5人が一歩、前に歩み出ました。


「私達はぁーっ!!」

「『シンデレラ・スターリット』ですっ!!!」


「ありがとうございましたぁーーーっ!!!」


 ワアアアアァァァァァァァァァァ---……!!!!





「ですが……良い笑顔だな、って思います」





 私から語るクリスマスライブのお話は、これでおしまいです。

 そして、魔法にかけられたような12月は終わり――。



 年が明けると、プロデューサーさんは346プロの下を永久に去りました。
330 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:26:44.53 ID:64qMODCb0
   * * *

「いやぁ〜、ウチのプロデューサーも一時はどうなることかと思ったが……
 雨降って地固まる、と言ったところかな?」

「フンッ! そのままボロボロに崩れてさえいれば良かったものを」

「いやいや、あぁして立ち直ってくれたのも、元はと言えば機会を与えてくれた黒井のおかげさ。
 美城君へ口利きをしてくれたお前には、感謝しているよ」

「勘違いをするんじゃあないぞ、高木。
 私は貴様のプロデューサーがどうなろうと知ったことではない。それに」

「それに?」


「346プロの弱体化を狙ってあの軟弱プロデューサーを仕向けたのに、どうして346も765も勢いづく事になったのだ!」

「ハッハッハ、それは当人達を前にして言うことではないだろう。
 なぁ、美城君?」

「黙れ! いいか、よく聞け美城よ。
 私がその気になれば、貴様の娘が唱えるお姫様の城などというくだらん妄想など、いつだって塵芥にできるのだ。
 貴様の城なんて、シンデレラじゃなくて3匹の子豚の小屋だ、小屋!」

「三男坊が建てた、頑丈な方の小屋かい?」

「頑丈じゃない方のだっ!! いちいち言わせるな!」
331 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:28:30.79 ID:64qMODCb0
「ハッハッハ、まぁまぁ……。
 そうだ。そんなに言うなら、今度お前の事務所も同じ事をやってみるといい」

「何だと?」

「人材交流さ。
 異なる事務所の間でそういう取り組みを行うことは、決してマイナスにはならない。
 今回の一件で、お前にもよく分かっただろう?」

「大きなお世話だ。
 第一、我が961プロはプロデューサー制などという軟弱な体制を敷いていない。
 寄こすも受け入れるも、そもそもの筋合いが無いのだということを、貴様には散々説明をしたはずだがな」

「そうだったか。フ〜ム……」

「やりたいのなら、せいぜい346と765のお人好し同士、仲良くおままごとでも続けるんだな。
 なんなら、今度は逆にでもしたらどうだね?」
332 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:29:30.06 ID:64qMODCb0
「逆って……346から765へ、ということかい?」

「弱小プロダクションに子豚が迷い込めるだけの余地があればの話だが?
 ハッハッハ、コイツはいい!
 あんな狭っ苦しい事務所を見て、お姫様気取りの豚共が卒倒する様をぜひ見てみ……」


「……フム」

「? ……何を考えている、高木」

「いいね、それ」

「は?」



「……美城。貴様まで、何を満更でも無さそうな顔をしているのだ」
333 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:33:07.58 ID:64qMODCb0
   * * *

「千川さんっ!」

 とある部署の元新人プロデューサーさんが、嬉しそうな顔をして私に駆け寄ってきました。

「この間話していたオーディション、無事に受かりました!」
「あらっ、やりましたね! おめでとうございます!」
「はい! これを足掛かりにガンガン業界に売り込んで、アイツの存在感を知らしめてやりますよ!」

 キー局の番組のゲスト出演枠を決める大きなオーディションが、通ったとのことです。
 彼も担当アイドルの子も、多大な苦労を重ねていた事を知っていたので、私まで自然と嬉しくなります。

「それで、そのぉ……PRにかけるための予算をですね、頂戴したいなぁ、なんて、えへへ……」

「? そっちの予算は、広報部さんに既に回してありますけど」
「えっ? で、でもっ!
 あっちに聞いたら、もう新規に回す分の金は無いって言われたんですよ!」
334 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:35:50.06 ID:64qMODCb0
「この前の予算要望の時に、その辺りを見込んでしっかり要求しなかったからじゃないですか?」
「うっ……!」

 痛い所を突かれ、彼はたちまち返す刀を失ってしまったようです。
 まぁ、突いた側が言うのもなんですが、こういうケースの責任は大体決まってるもんなんですよね。

「まさか、ご自分の担当アイドルがオーディションに受かる可能性を考慮していなかった、なんて話ではないでしょう。
 それを抜きにしても、本当に必要なお金であるなら、常に先を見越して十分な精査が成されてあって然るべきです」
「う、ううぅ……」

 元新人プロデューサーさんは、その場に立ち尽くしたまま、すっかり体を縮こませ、小動物のように震えてしまっ――。
「うぅぅ、分かりました!」
「?」


「こ、今回は俺の不手際です!
 何とか俺の先輩達にひたすら謝り倒して、どうにかPRの経費を恵んでもらえないか掛け合ってみます!
 ちひろさんや広報部さんには、ご迷惑をお掛けしません!
 自分の不始末は、自分で何とかします!!」


 ――うーん、決して悪い人ではないのですが。

「それ、自分で何とかできていないのでは?」

「あぅ……!」
335 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:37:39.16 ID:64qMODCb0
「第一、その先輩さん達の担当アイドルのためのPR予算を、一部犠牲にすることにもなっちゃうでしょう」


 私は、バッグから手帳を取り出し、メモを書き加えました。

「いくら必要なんですか?」
「へっ?」


「こういう事もあろうかと、流用のために確保してある臨時調整金という予算枠が、あるにはあります。
 アイドル一人のPRにかかる当面の経費程度なら、何とか賄えると思いますから、後で流用理由書と事業計画をウチにくださいね♪」


「せ、千川さぁぁん……!」

 張り詰めた緊張の糸が切れたのでしょうか。
 安堵しきった彼は、男だてらに、とは言いませんが、すっかり泣き出してしまいました。


「4月から入ってくる新人さんにも、ちゃんと教えてあげてくださいね。私の代わりに」


 あの人にも、こういう時があったのかなぁ――なんて。
 ふふっ♪


 私は踵を返し、常務室へと足を運びました。
336 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:39:45.55 ID:64qMODCb0
「失礼致します」

 部屋に入ると、常務はいつからそうしていたのか、手元の書類を難しそうな顔をしてジィーッと見つめています。

 その書類は、私にも心当たりがありました。


「……君は、上役を便利屋か何かのようにでも考えているのか?」

 開口一番、常務は私に問い質しました。
 随分と藪から棒です。

「何の事でしょう?」
「君があの事務所と未だに繋がりを持っていることは知っている」

 書類をデスクの上に投げ置き、いつものように手を組んで私を睨み上げてきます。

「父から……会長から、またしても無茶な依頼があった。
 目の上のタンコブをどのように扱えば良いものか、君からもぜひご教示賜りたいものだと思ってね」
337 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:41:54.00 ID:64qMODCb0
「本当に知らないんです」

 私はニコリと笑って返します。

「今回の一件は、私は何も関知していません」
「誰もこの書類の内容について話をしないうちから、随分と知った風な口を利くじゃないか」

 いつぞや鎌をかけられた事の仕返しとばかりに、常務は鼻を鳴らしました。
 でも――。

「既に皆知っています。
 それは、この事務所の皆が……少なくとも、当事者となる人達は皆、それを待ち望んでいたからです。
 それがようやく、先方からの申し入れによって日の目を見たのだと、私は先方の事務員さんから教えていただきました」
338 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:42:58.26 ID:64qMODCb0
 フンッ、と面白くなさそうにため息をつき、常務は先ほど投げ置いた書類を手元に引き寄せながら、引き出しを開けました。
 中からご自分の印鑑を取りだし、書類に判を押して私に差し出します。

「くれぐれも、346のブランドイメージを損ねることの無いように」
「ありがとうございます。
 それと、4月からの専務昇格、おめでとうございます」

「君があっちにいる間に、また役職が変わっているかもな」

 そう言ってクルリと椅子の背を向ける間際、常務の口角が上がっているように見えました。


 この人も、そういうお茶目な皮肉、言うことあるんだなぁ。

「働きすぎないよう、お身体はくれぐれも大事にしてくださいね♪」

 そう言って、私はバッグからエナドリを一本取り出し、常務のデスクに置いて失礼させていただきました。
339 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:45:06.61 ID:64qMODCb0
 お聞きした話によれば、765プロからの正式な申し入れがあったのは、3月に入ってから。
 でも、実際のところ、1月中には既にそういう話が、お偉いさん方の間で決まっていたみたいです。

 765プロの高木社長と、ウチの美城会長――さらには、961プロの黒井社長も一枚噛んだのだとか。

 目の上のタンコブだと、美城常務は会長の勝手な振る舞いを迷惑がっていましたが――。
 何だかんだで判を押してくれる辺り、私達を応援する気持ちはあるのでしょう。


「千川さん」


 廊下を歩いていると、前方からやってきたCPさんと出会いました。

「諸星さんと双葉さん、神崎さん、安部さんについては、先ほど必要書類を提出させていただきました。
 城ヶ崎さんは……おそらくは、常務が取り次いでくださるかと思います」
「ありがとうございます」


「我が事ではないものの……不思議と、気分が高揚するものですね」
340 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:46:34.99 ID:64qMODCb0
 穏やかに微笑むのを見て、私もつい頬が緩んでしまいます。
 この人、結構お堅い人のはずなのになぁ。

「この間電話でお話したんですが、すごく忙しいみたいです。
 ひょっとしたら、CPさんにもいずれお呼びがかかるかも知れませんよ?」
「その時が来るのであれば、ぜひいつでも」

 CPさんは、力強く頷きました。
 いずれ来るかも知れない機会に向けて、心づもりは万端のようです。


「何かお困り事があれば、遠慮無くご連絡ください。
 ご武運をお祈りします」

「ありがとうございます。
 CPさんも、何もなくてもご連絡くださいね」
「はい。それでは、失礼」

 丁寧に私にお辞儀をして、彼は私の下を去って行きました。
341 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:48:00.47 ID:64qMODCb0
 765プロから346プロへの人材派遣は、昨年でその取り組み期間を終えました。
 彼は――プロデューサーさんはもう二度と、346プロに来てくれることはありません。

 ですがそれは、プロデューサーさんに二度と会えないことを意味するわけではなかったんです。
 だから、ちっとも寂しいことではありません。

 なぜって、私達が会いに行けば良いのですから。


 346プロからの派遣メンバーとして、選ばれたアイドルは5人。
 きらりちゃんと杏ちゃん、蘭子ちゃん、菜々さん、美嘉ちゃん――。

 シンデレラプロジェクトをはじめとする他のアイドルの子達も皆、『シンデレラ・スターリット』の5人が行くことに賛同していました。

 美嘉ちゃんは、あのライブが終わった後、美城常務が主導するプロジェクトクローネに正式に配属されました。
 だから、美嘉ちゃんの手続きについては、常務が直接取りなしてくれるのでしょう。
342 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:50:25.55 ID:64qMODCb0
 そして、今回の765プロへの人材派遣は、なんと346プロだけではなく、他の事務所からも募るというのです。
 その中には、283プロダクションという事務所の名前もありました。

 あの日、竹芝でプロデューサーさんと初めて会った時、プロデューサーさんが履き物を履かせてあげていた女の子――。
 283プロ所属のアイドル、杜野凜世さん。

 彼女もまた、今回の参加メンバーに選ばれたのだそうです。
 プロデューサーさんがいる事務所に、彼女も興味を惹かれたのかも知れません。

 それに、765プロの新規プロジェクトである“劇場(シアター)”立ち上げに際する5人の候補生達――。


 パッと想像するだけでも、当初の765プロの規模から考えれば、かなりの大所帯になるのは目に見えています。
 事実、事務仕事も膨大になり、猫の手も借りたい状況なのだと、765プロの小鳥さんは電話口で嘆いていました。
343 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:51:56.63 ID:64qMODCb0
 そこで、当初はアイドルだけだったはずが、事務員の応援についても、小鳥さんから依頼があったのです。
 283プロの事務員さんにも、同様にヘルプを依頼しているそうなのですが――。


「346プロでは見せなかったであろう、プロデューサーさんの色々な顔……
 もっと知ってみたいと思いませんか?」


 電話口で、小鳥さんから得意げにそう言われてしまっては、聞き捨てる訳にはいかないじゃないですか。

 なので、一応ウチも大企業ですし?
 余裕を見せようと、二つ返事でその挑発に乗ってやったのです。

 小鳥さんも、まったく人が悪いです。ふふっ♪
344 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:54:50.15 ID:64qMODCb0
 トレーニングルームの前を通り過ぎると、元気な声が聞こえてきました。

「ほらほら、皆だらしなくない? もっとしっかりやろっ!」


 檄を飛ばしているのは、美嘉ちゃんでした。
 屋内とはいえ、さほど暖房を強くかけていないはずのその部屋で、キラキラと大粒の汗を振りまいているのが見えます。

「にゃははは、美嘉ちゃんすごいやる気だねー。ひょっとして発情期かにゃ?」
「発じょ……!? な、何言ってんの志希ちゃん! そんなんじゃないしっ!!」
「あー、そういや今度行く事務所で愛しのプロデューサーさんが待ってるんだったっけ?
 こりゃ赤飯炊いとかなきゃねー、いやーお腹いっぱいやわー」

 なるほど、これが常務の仰っていたクインテットユニットかぁ。
 他の4人の子達も、美嘉ちゃんに負けず劣らず個性的なメンバーばかりです。

「あのね! アタシは別にそんなんじゃないって何度も言ってんじゃん!」
「図星を指された時ほどムキになる、なんてね。
 ただでさえ競争は激しい上に、あっちには既に関係を築いた子もいるでしょうから、一筋縄ではいかないと思うけど?」
「何でアタシが競争しなきゃいけないの!? いいからさっさとレッスン…!」
「ねーねーミカちゃん、知ってた?
 アイラビューをフランス語に訳して日本語で言い直すと、月が綺麗になるんだって!」
「どうでもいいし、何でフランス語かませたの!!?」
345 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:57:25.92 ID:64qMODCb0
 賑やかな声が絶え間なくこだまするトレーニングルームを眺めていると――。

「あ、ちひろさん!」


「あら、菜々さん達、お疲れ様です」

 菜々さんときらりちゃん、杏ちゃん、蘭子ちゃん。
 今度派遣される『シンデレラ・スターリット』の皆さんです。

「美嘉ちゃん、中にいりゅ?」
「えぇ、とても楽しそうですよ」


「うわぁ、こんな集団の中に入る勇気は杏無いよ……どっかで時間潰さない?」

 窓から覗いて顔をしかめる杏ちゃんを、菜々さんが叱責しました。

「ダメです!
 明日からナナ達、765プロさんでお世話になるんですから、ちゃんと初めのご挨拶を皆で考えていかないと」
「だから、今じゃなくても明日出る前とか…」
「鍛錬無き魔力に輝きが宿ることなど無いわ!
 茨があるならたとえ……うわ、LiPPSの人達」

 蘭子ちゃんも、どうやら中にいる子達の雰囲気に圧倒されているようです。
 これから他社さんに行こうって人達が、こんな事でビビってどうしますか。


 私は、トレーニングルームの扉をガチャッと勢いよく開けました。

「美嘉ちゃーん! 皆さんがお呼びですよー!」
346 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 23:58:26.27 ID:64qMODCb0
 その瞬間、助けを求めるような美嘉ちゃんと、新たな標的を見つけた4人の子達が一斉にこちらへ振り向きました。

「な、ち、ちひろさんっ!?」
「にょわー☆ みんなー、ちょっと美嘉ちゃん借りるにぃ♪」
「じゃ、杏はこれで」
「ぴぇっ!? け、結界を張る前に解き放たれては……!」

「おや」
「ほう」
「あら」
「ンー?」

「みんな、助けて、ていうか逃げてぇーっ!!」

 この賑やかな様子なら、765プロへ派遣されている間も、彼女達は元気に楽しくやっていけそうです。
347 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/13(日) 00:00:08.60 ID:BfsWwnZZ0
 事務室へ戻り、外出前のメールチェックのために、パソコンを立ち上げます。
 すると――。

「……あら?」

 見慣れないメールが一件届いていました。
 346プロ総務への代表アドレス宛てに、外部の方から送られてきたもののようです。

 いえ、外部というより――英語?
 海外の方?


「“Junie”……?」


 まさか――いいえ、その“Junie”と名乗る送り主について、思い当たる節は一人しかいません。

 私は、手早くそのメールをプリントアウトして、クリアファイルに入れました。
 765プロに行ったら、彼に見せて、確認をしたいと思ったのです。

 そして、私の予想は、おそらく当たっているでしょう。
 もしかしたら765プロ宛てにも、同様のメールが送られてきているかも知れません。

 彼女の物語も、まだ終わっていない――。


 さて、改めてデスクを一通り片付けて――っと。

「……よしっ!」

 頼りない課長に一礼し、私は事務所を後にしました。
348 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/13(日) 00:02:40.16 ID:BfsWwnZZ0
 皆より一足先に、私は今日、これから765プロに行ってきます。
 正式な派遣は明日からですが、予め事務員向けの業務説明を受けに行く必要があるのです。



 外に出ると、彼が去った冬はもうじき終わりを迎え、新たな季節が始まろうとしています。
 私達にとっての春が。


 各地から選りすぐりのアイドル達が、プロデューサーさんが待つ事務所へと集っていく。
 それが果たして、かつての物語にあった兵士さんとお姫様のような結末を迎えるのかどうかは、分かりません。

 ですが、あの日竹芝から始まった私達の物語は、まだ続いていくのです。
 それが何よりも、私には嬉しくてたまりません。


「ふふ……空見上げ、手ぇーをつなごう♪」
349 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/13(日) 00:04:32.18 ID:BfsWwnZZ0
 きっと、765プロルールの難解で膨大な事務処理が私を待ち受けていることでしょう。
 346プロの仕事しか知らない私には、きっと数多くのカルチャーショックがあり、初めは大いに苦労するであろうことは覚悟の上です。

 ですが――。


「この空はー つながぁってる〜♪」


 プロデューサーさんが皆と手掛けていく、色とりどりの煌めきが織りなすステージが、もうすぐそこまで来ている――!
 待ちに待った765プロ出勤初日を明日に控え、駅へと向かう私の足取りは誰よりも軽いのです。

 数多の星明かりに照らされた私達は、辛いことや苦しいこともあれど、それ以上に何度でも笑い合える。
 その先にある未来に向けて、迷いなんてありません。

 そうですよね、プロデューサーさん?


〜おしまい〜
350 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2020/12/13(日) 00:08:46.71 ID:BfsWwnZZ0
後半部分、ゲーム「アイドルマスター」の楽曲『The world is all one !!』の歌詞を一部引用しています。

長くなってしまい、すみません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
351 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/12/13(日) 02:19:02.14 ID:oAUONIjDO


なるほど、凛世だったのね
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