千川ちひろ「竹芝物語」

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102 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 21:22:52.56 ID:zyqdZReA0
 不意に、彼の言葉が思い出されました。

 まだ不明のままなのです。
 プロデューサーさんが美嘉ちゃんに対し、冷たい態度を取っていた理由について。

 好かれたくないとするなら、今のあの二人の様子は、プロデューサーさんにとって望ましくないとでも言うのでしょうか?
 あんなに穏やかで、二人とも笑っていて、幸せそうなのに。



 悪天候にも関わらず、これまでにも類を見ないレベルの成功をもって幕を下ろした、346プロのサマーフェス。
 シンデレラプロジェクトをはじめとしたアイドルの子達も、これを足掛かりとして数多くの仕事が舞い込む事になります。

 ですが、先述の謎が明かされることの無いまま、プロデューサーさんは美嘉ちゃんの担当を降りることになりました。

 海外の支社から帰国し、新しくアイドル部門の統括重役に就任した、美城会長の一人娘――。
 美城常務が、継続しているアイドル事業の全てを白紙に戻すと宣言したからです。
103 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 21:25:18.72 ID:zyqdZReA0
   * * *

「私は彼の事を信用していない」

 常務室に入り、真意を問い質した私に、美城常務は淡泊に答えました。
 ついこの間その席に就いたばかりとは思えないほど、その姿は泰然としており、言い知れぬ迫力を漲らせています。

「で、でも! いくらなんでも、少し急と言いますか……
 アイドルの子達の間にも混乱が広がっていますし、事実として彼女達はあの人の事を信用しています」
「それがどうした」
「どうした、って……!」

「君はどうなんだ?」
「えっ?」

 常務はデスクの上で手を組み、私を睨み上げました。


「聞いた話によれば、彼は君に、この346プロへ来た経緯について満足に説明できていないらしいな」
「……!」

「後ろ暗い事情でないのであれば、臆面も無く公明正大に話すことができるはずだ。
 混乱と君は言ったが、説明すべき事を秘匿し、混乱を助長させる人間を信用できると言うのか? 君は」
104 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 21:29:04.20 ID:zyqdZReA0
「わ、私は……」

 常務の仰る通り、彼に対する疑念は、私の中で依然燻り続けたままです。
 でも、今この場でその事を持ち出したくありませんでした。

 それを認めたら、プロデューサーさんがもう、私達の下を離れていってしまう気がして――。

「彼には特定の担当アイドルを回さない代わりに、庶務事務を担当させることにする」


「えっ……」
「つまり、君の直属の部下だ。直接の指導は君に従うよう、彼には既に伝えてある。
 君には負担を強いることになるが、よろしく頼む」


 ――既に伝えてある?

 プロデューサーさんは、もうプロデュースをしないことを了解しているというのでしょうか?

 美城常務は席を立ちました。

「他に言いたい事が無いのなら、話は終わりだ。
 私にはこの事務所が持つポテンシャルを早急に、全て余さず把握する責務がある」

 そう言って、常務はカツカツと靴音を鳴らして常務室を出て行きました。
 事務所内の施設やシステムをこの目で確かめるのだと言います。


 私達の新たな上役は、随分とバイタリティに溢れた、主導性の強い方のようです。
105 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 21:32:59.60 ID:zyqdZReA0
 彼のデスクは、再び私の隣に戻ってきました。

「ちひろさんすみません、この書類なんですけど」

 今日もプロデューサーさんは――いえ、正確にはもうプロデューサーじゃないのですが。
 私のチェックを請うために椅子を引いて相談に来られます。

 その表情は、こっちが拍子抜けするくらいに普通でした。
 まるで、ついこの間までプロデューサーであったことが嘘だったのかと思えるくらいに。

「……えぇと、うん。よく出来ています。
 ただ、このセルの端数処理がなっていないようなので、そこさえ修正してもらえれば大丈夫かと」
「あれ? そうですね、すみません。
 すぐに直します。ありがとうございます」


 黙々と備品購入に際する見積資料の作成を進める彼の姿を見て、私は何だか、この人の事が分からなくなってしまいました。
 遠く感じる、というか――。

 いくら常務の命令とはいえ、ここまで割り切ることができるものでしょうか?
106 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 21:40:30.66 ID:zyqdZReA0
 美城常務が命じた解体の対象は、シンデレラプロジェクトも例外ではありませんでした。

 ただ、これについては、アイドル事業部の発足に携わった今西部長肝入りのプロジェクトでもあります。
 さらにCPさんも、常務が解体を言い渡した会議の場で即座に反意を示しました。

 結果として、プロジェクト解体の代替案――。
 端的に言えば、今のシンデレラプロジェクトの継続が即時的な成果をもたらすことを示す、企画書の作成を言い渡される事になりました。
 困難なお仕事ですが、問答無用で解体されるよりはマシであると、CPさんは前向きです。


 ですが、プロデューサーさんは、常務の決定に抵抗の意思を示しませんでした。
 美嘉ちゃんの担当プロデューサーを降りる事を、素直に受け入れたのです。


 一方で、美城常務自身が主導するアイドル事業が近く発足されるとの話が、私の耳にも聞こえてきました。

 別世界のような物語性とスター性という、346プロアイドル部門の新しいブランドイメージ確立のための新企画、『プロジェクトクローネ』。

 シンデレラプロジェクトの凜ちゃんやアーニャちゃんに加え――。
 美嘉ちゃんもまた、その企画のメンバー候補として名を連ねているとのことでした。
107 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 21:44:05.75 ID:zyqdZReA0
「せっかく良い感じになってきたなぁって思ったのに……」

 346カフェの屋外テラスで、ついため息が出てしまいました。
 うだるような暑さはだんだんと和らぎ、中庭を通り抜ける乾いた風が秋の気配を感じさせます。

「常務が美嘉ちゃん達を自分のプロジェクトに組み入れようと、強引に解体させたようにも思えると言いますか…」
「サブPがそれで納得してるなら別に良くない?」

 向かいに座る杏ちゃんは、椅子の上にあぐらを組みながらぶっきらぼうに答えます。


 解体が言い渡されるに伴い、シンデレラプロジェクトの事務室は、地下の物置部屋への引っ越しを余儀なくされました。
 CPさんの企画が通るまでの間、当面はその部屋を活動の拠点にせざるを得ないようです。
 
 皆でお掃除をしたとのことでしたが、傍から見ると、お世辞にも良い環境とは言えません。
 これでも随分マシになったと智絵里ちゃんは言っていたので、お掃除する前の状態は推して知るべしです。

 そんな新しいシンデレラプロジェクトの事務室に顔を出したら、杏ちゃんと美波ちゃん、アーニャちゃんがいました。
 やはり、彼女達の近況が気になったのでカフェに誘うと、快くオーケーしてくれたのです。
 杏ちゃん以外は、ですが。


「サブPさんは、そんなに落ちこんでいる様子は無いのですか?」

 美波ちゃんの言葉に、私は持ちかけたカップを置き直し、首肯しました。
108 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 21:46:27.50 ID:zyqdZReA0
「以前、あの人がこのカフェで言っていたんです。
 346プロで、学べるものは何でも学んで吸収したいんだ、って」

「アー……吸収、ですか?」
「勉強するとか、経験を得るって意味よ、アーニャちゃん」

 美波ちゃんが解説をしてあげても、アーニャちゃんは握り拳を顎に当て、首を捻っています。

「サブPが勉強したいこと、プロデュースのことでは、なかったですか?」
「うん……それに、ちひろさん。
 346プロから何かを学びたいっていうのは、サブPさん……
 あまり良くない言い方ですけど、346プロを何かの腰掛けというふうに考えているのでしょうか?」


「それなんですよねぇ〜」

 ラブライカのお二人から核心に近いであろう部分を突かれ、私はもう一度嘆息しました。

「事務員としての所見ですが、細かな事務処理の仕方は会社によって様々であり、346プロには346プロのルールがあります。
 仮にあの人が、346プロから早々にどこかへの転職を考えていたとして、346の事務仕事の経験を満足に生かせる場なんて、そうは無いんじゃないかなぁって」

「転職?」

 それまでつまらなそうに話を聞いていた杏ちゃんが、急に身を乗り出してきました。

「サブP、転職すんの?」
「まだそうと決まったわけではないですよ」
「でもそれ、興味深いね」

「興味深い?」
109 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 21:50:17.96 ID:zyqdZReA0
 オレンジジュースをストローで吸う杏ちゃんの顔を、美波ちゃんが不思議そうに横から覗き込みます。

「だって、あんなに仕事の虫になってた人だよ?
 シンデレラプロジェクトのサブやってた時も、美嘉の担当やってた時も、尋常じゃない熱の入れようだったじゃない。
 ちひろさんが言ったみたいに、事務仕事がスキルアップに繋がらない事をサブPも承知済みなんだとしたら」

 ずごごご、と飲み干したジュースを置いて、杏ちゃんはニヤリと笑いました。

「もうサブPはサブPなりに、346プロに見切りをつけて、そういう準備を進めてるのかもね。
 どこに行くつもりなんだろ? こんな大企業を辞めて、次の居場所で待遇が向上する算段があるのかなぁ」


「辞める、と言ったって……」

 まだあの人は、346プロに来てそろそろ半年、というくらいなのです。
 既に転職先を見つけているならば、入社したその日から転職活動をしていない限り、時間的に辻褄が合いません。

 それとも、転職先などない――?
 とにかくこの会社から逃げ出すことを第一に考えたくなるくらい、ここの仕事が嫌になった?

 いや、まさか。


「サブP、プロデューサーのお仕事、ヴィエースィラ……とても楽しそうでした」
110 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 21:51:58.34 ID:zyqdZReA0
 テーブルの紅茶に視線を落としながら、アーニャちゃんがポツリと呟きました。

「アンズの言う通りです。
 サブPは、プロデューサーのお仕事の、アー、ムシ? ですか?
 とても一生懸命でした。きっと好きだから、一生懸命でした。
 アーニャは、そう思います」


「アーニャちゃん……そうね」

 美波ちゃんは、アーニャちゃんに優しく頷き、私の目を見ました。

「サブPさんがもう一度、誰かのプロデュースをするよう、進言してみるのはいかがでしょう?」


「進言、って……常務にですか!?」
「他に誰かいるんですか?」

 理知的に見えて、美波ちゃん、なかなか思い切ったことを言いますね――。
 それとも、他人事だと思っているのでしょうか?

 この間ちょっとお話をした時も、なかなかの迫力でしたし――。
 いくら私でも、あの常務に面と向かってこれ以上意見をするのは、ちょっと――。


 あっ。

「今西部長」

 私は、ポンッと手を打ちました。

「できない事は、無いかも知れません」
「本当ですか!?」
111 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 21:55:24.58 ID:zyqdZReA0
 そうです。
 役職こそ美城常務の下ですが、今西部長は常務のお父様である美城会長とも旧知の間柄であり、社内でも強い影響力を持っています。
 かの常務も、昔は部長がお目付役をしていたらしく、私達部下の目に触れない場では、今西部長に敬語を使っているらしいと聞きます。

 今西部長の言うことなら、美城常務も聞き入れてくれる可能性は十分にあります。


「どのみちさ、まずはサブPの意向を聞かない事には話にならないでしょ」

 ちょっとだけ舞い上がっていた所へ、杏ちゃんに冷や水を浴びせられ、皆で思わず口をつぐみます。
 ぐぬぬ。その通りですが――まぁ、ともかく。

「では、私はプロデューサーさんにそれとなく打診をしてみます。
 美波ちゃん、悪いけれど、誰かプロデューサーさんの担当になりたい子がいないか、探してもらえるかしら?」
「全然悪くないですよ。お安いご用です」


「あっ、今のお話! ナナがっ!」

 方針が概ね決まり、席を立とうとしたところで、いつの間にか菜々さんが私達のそばに立って手をピョンッと伸ばしていました。

「ナナがそれに名乗りを上げてもいいですか?」
112 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 21:56:48.20 ID:zyqdZReA0
「え、えぇもちろん……私達に決定権は無いですし」
「本当ですか!?」

 トレイを胸に抱えながら、菜々さんはうさぎさんのようにピョンピョンと飛び跳ねました。

「やったやったぁ!
 苦節幾数年、ナナもようやく担当プロデューサーさんの下でアイドル活動が……!」
「? クセツ……とても長いですか?」
「えっ!? あ、あぁぁアーニャちゃん、いえいえ、これは一種の比喩表現でして……!」
「ヒユ?」

 アーニャちゃんに無自覚のツッコミを入れられ、一人で動揺している菜々さん。
 何はともあれ、ようやく担当プロデューサーができるチャンスを得られた事が、彼女にとっては何よりも嬉しいようです。


「ちひろさん。ちなみに、人数は何人でも?」
「うーん、そうですね……5人までにしましょうか。クインテット」

 たぶん、美波ちゃんに声掛けをお願いしたら、シンデレラプロジェクトの子達から見繕う事になりそうです。
 あまり多すぎても、CPさんにご迷惑をおかけしちゃうかもですし。

 美波ちゃんに後は任せ、私は席を立ちました。
113 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 21:58:11.89 ID:zyqdZReA0


「……いえ、ご心配には及びません」


 事務室に戻る途中、廊下で声が聞こえました。

 ピタリと足を止め、辺りを見回すと、廊下の奥。
 観葉植物と柱の影に隠れ、誰かと電話で話をしているらしい男の人が見えます。


「大丈夫です。社長のお手を煩わせるわけにも……はい、そうです……」


 案の定、その人はプロデューサーさんでした。

 デスクに備えてある会社の電話ではなく、わざわざ席を立ち、自分の携帯を使って話しているのです。
 同じフロアにいる私達には、あまり聞いてほしくないお話を、誰かとしているのだと――。


  ――説明すべき事を秘匿し、混乱を助長させる人間を信用できると言うのか? 君は。


「……ッ」

 美城常務の言葉が、嫌なタイミングで思い出され、胸が苦しくなりました。


「俺は十分に満足していますから……はい、はい……
 そうですね……苦労を掛けてすまなかったと、皆にも伝えてください……ありがとうございます。では……」
114 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 21:59:51.78 ID:zyqdZReA0
 私は、事務室へと一目散に駆け出しました。

 他の同僚達がビックリしてこちらを見るのも厭わず、素早く着席し、呼吸を整えます。
 あたかもずっと前からそこにいたかのように。


 やがて、プロデューサーさんが戻ってきました。

「……あら? おかえりなさい、プロデューサーさん」

「俺はもうプロデューサーじゃないですって。
 しかし、それにしても……事務仕事って大変ですねぇ、目が回りますよ」
「いえいえ、もう半分以上も処理されているじゃないですか」

 肩を回しながら席に着いたプロデューサーさんに、私はニコリと微笑みかけ、エナドリを差し出します。

「こちらに就いて間もないのに、よくやってくださっています」
「このエナドリと、ちひろさんのご指導のおかげですよ」
「ふふっ、お上手ですね♪」


 ――この人は、この346プロに来てからずっと、そうだったのかも知れません。

 ずっと、自分を隠している。
 あるいは、それ以上にもっと大きな何かを、私やアイドルの子達に――。
115 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:01:39.05 ID:zyqdZReA0
 辛くはないのでしょうか?


「そうだ、ちひろさん。
 この書類なんですけど、どれもフォーマット同じですし、一部代表的なものを決裁すれば後は省略、って処理の仕方はダメですか?
 その方が、俺達も上司の人達にとっても仕事を減らせるし、良いんじゃないかなって」

「あぁ〜、それなんですけどねぇ……
 私も同じ事は思うんですけど、それ、ダメなんですよ」
「えぇ、ダメなんですか?」
「言うなれば『346ルール』みたいな、社内にはびこる暗黙の了解みたいな所がありまして」
「そうかー。大企業ともなると、やっぱり慣習ってあるんですねぇ」
「割を食うのは、いつだって私達みたいな下っ端ですけどねー」
「あーあ、そこはどこも同じなんですね、ハハハ」
「ふふっ♪」


 あなたの裏の姿を垣間見たことを隠して、上っ面な掛け合いをしてみせる私は――こんなにも苦しいのに。


「…………」


「? ちひろさん、どうかされましたか?」

「……プロデューサーさん」
「ハハハ、ちひろさん。だから俺はもうプロデューサーじゃ…」


 バシンッ!!
116 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:02:51.04 ID:zyqdZReA0
「……!?」

 ビックリして身じろぐプロデューサーさんの姿が、視界の隅に写りました。
 おそらく、他の同僚達もそうだっただろうと思います。

 差し詰め、とうとう“鬼の事務員”千川ちひろが、癇癪を起こしたとでも思われたのかも知れません。


「はぁ、はぁ……!」

 デスクの上に叩きつけた書類は、来年度の予算編成に関する各部の要望書でした。
 あと2時間以内にはデータ入力を終えて集計し、資料として体裁をまとめて上司へ報告しなければならない、とても大事なものです。

 でも、そんなもの――今の私には、どうでも良くなってしまったのです。

「プロデューサーさん、ちょっと来てください」
「は、はい……」
117 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:05:28.53 ID:zyqdZReA0
 彼を連れて出たのは、別館の屋上でした。

 少し前までは、タバコを吸う人達の喫煙スペースとして、よく利用されていた場所です。
 でも、世間の流れに従い、我が社でも禁煙の流れが加速していくにつれ、次第に人が少なくなっていきました。

 非喫煙者の私にとっては、お昼休み、たまにここのベンチでお弁当を広げる機会も増えたのですが――それは置いといて。


「お話があります」

 今日も屋上は、私達以外誰もいません。
 秋が近づく空の陽は早くも傾きかけており、眼下に見える幹線道路には、下校途中と思われる近所の高校生達が歩いているのが見えます。

「あなたに、担当していただきたい子がいます。
 もう、打診はしていて……美城常務には、今西部長を通じて進言してみるつもりです」

 振り返り、彼の姿を見つめながら――ふと、何でこんな事をしているんだろうって、自問しました。
 一介の事務員が、この間来たばかりのプロデューサーのお仕事に、ここまで介入する筋合いなどありません。

 でも、どうしてでしょう。
 そうせざるにはいられなかったんです。

「もうプロデューサーではないと、あなたは言いますが……もう一度、プロデューサーになりませんか?」
118 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:07:30.55 ID:zyqdZReA0
「……お気持ちは、ありがたいんですが」
「ッ!?」

 プロデューサーさんから返されたのは、遠回しで優しい語り口による、明確な拒絶でした。

「俺には、もうここでプロデューサーをする筋合いがありません」


「……たとえあなたには無くても、あなたを必要としている子がいます。
 安部菜々さんのこと、プロデューサーさんもずっと案じていたじゃないですか!」
「あぁ、菜々さんか……」

 彼は困ったように頭を掻き、遠くの方へと視線を投げ出しました。

「彼女にも悪いことをしたな……でも…」
「でもじゃありませんっ!」

 ズカズカと彼の元に歩み寄ります。いっそ胸ぐらを掴んでやりたいくらいの勢いです。

「理由は聞きませんよ。どうせ教えてくれないんでしょう?
 だったら美嘉ちゃんをもう一度担当するのはどうですか?
 あのサマーフェスで、あなたも美嘉ちゃんも本当に楽しそうでした。忘れたとは言わせません。
 あれだけ美嘉ちゃんのために骨身を削っていたあなたが、まさか美嘉ちゃんを担当したくないだなんて言わな…!」
「美嘉は難しいでしょう」

「えっ?」

 彼は肩をすくめ、自嘲気味に笑いました。


「たぶん美嘉も、もう俺が担当するのは嫌だって言うと思います」
119 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:09:06.34 ID:zyqdZReA0
「なんで……?」

 私には、訳が分かりませんでした。
 都合の良いでまかせを言って、私を突っぱねようとしている――。
 そう思えたなら、どんなに楽だったでしょう。

 でも、違いました。
 まるで彼自身、それが嘘であってほしいと思っているかのように――彼の目は、本当に寂しそうでした。

「……確かめさせてください」

 そう言って私が踵を返そうとした時、プロデューサーさんの携帯が鳴りました。


「……ッ」

 携帯の画面を見た途端、彼は少し険しい表情をさせ、私の顔を覗うようにチラリと見ました。
 その様子から察するに、私には話の内容を聞かせたくない相手――先ほど廊下で話していた相手だと思われます。
120 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:12:48.87 ID:zyqdZReA0
「……失礼」

 彼は私に小さく頭を下げ、私に背を向けてその電話に出ました。


 私もまた――彼の方を振り返ることなく歩き出し、携帯を取りました。
 こんなに穏やかならぬ気持ちになるのは久しぶりです。

 画面には、美波ちゃんからの着信通知が表示されています。
 彼の相手にムキになるあまり、全く気がつきませんでした。

 階段を降りながら美波ちゃんに折り返します。 


『……はい、新田です』
「千川です。美波ちゃんごめんなさい、電話に出られなくて」
『ちひろさん、その……一応、やりたいって人、集まったので……』

 一度、こっちに来てくれませんか――。
121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:14:26.71 ID:zyqdZReA0
 そう言われ、やってきたのは、シンデレラプロジェクトの事務室でした。
 中に入ってみると、およそプロジェクトのほぼ全員が集合しているように見えます。
 それと――あ、菜々さんも。

「お待ちしておりました、千川さん」

「!? わっ、CPさん」

 すぐ隣にCPさんが立っていたので、思わずビックリして飛び退いてしまいました。
 そうか、以前は別室だったけど、ここに来てからはアイドルの子達と同じお部屋なんですね。

「新田さんから、事情はお聞きしました。
 あの人に、もう一度アイドルの担当を依頼するというお話には、私も賛成です」

 元々、彼の手腕には一目も二目も置いていたCPさんです。
 アイドルのプロデュースを続けさせて、その仕事ぶりを観察したいという気持ちは強かったことでしょう。

「シンデレラプロジェクトとしましても、本件については協力を惜しみません。
 メンバーの皆さんにも、話は通してあります」
122 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:15:30.10 ID:zyqdZReA0
「えぇ、ありがとうございます」

 しかし――。

「……さすがに、ここにいる全員が、という訳ではないですよね?」
「はい」

 頷いて、CPさんはメンバーの皆の方へと目配せをしました。

 ズラリと並んだシンデレラプロジェクトの子達のうち、私の前へと一歩歩み出たのは――。


「諸星さん、双葉さん、神崎さん、安部さん……以上の4名を、シンデレラプロジェクトから選出致しました」


「菜々さんは、プロジェクトのメンバーではないのでは?」
「あぅ……す、すみません、ナナ、年甲斐も無く出しゃばってしまい…!」
「あぁいえ、私の方こそつまらない事を……」

 年甲斐も無く、ね。
 幸いにしてツッコミを入れる子がいなかった事に内心ホッとしつつ、しかし――なるほど。
123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:17:24.37 ID:zyqdZReA0
 菜々さんは、以前からカフェでプロデューサーさんとの繋がりがありましたし、先ほども一番に名乗り出たほどです。
 今回のメンバーの中では、もっとも意欲がある子かも知れません。

「ククク……瞳を持つ者の心に今再び炎を灯し、その秘術を引き出すは我らの役目よ!」

 蘭子ちゃんも、親身に話を聞いてくれた経緯から、彼に対して恩義を感じる部分があったのでしょう。
 久々に見せる独特の調子から、彼女なりの気概を感じます。

 ただ――。

「ちょっと意外……ですね」
「別にやりたくてやる訳じゃないよ」

 これ見よがしに欠伸を掻く杏ちゃんを、きらりちゃんが宥めます。

「サブPちゃんと、もっともぉ〜っとハピハピできるの、杏ちゃんも絶対楽しいにぃ☆」
「ほら、こうして半ば強制連行されてんの」

 きらりちゃんは、自分の持つ女の子らしさに、プロデューサーさんから自信を与えてもらえたと言っていました。

 ちょっと鬱陶しそうにしていますけど、杏ちゃんも彼の動向には興味を示していましたし、満更でもなさそうです。


「この4人ですか」
「いえ、もう一人います」
124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:20:58.58 ID:zyqdZReA0
「え?」

 私の言葉に訂正してみせた美波ちゃんでしたが、どうにも様子が変です。
 ちょっと、落ちこんでるような――。

 この中に、まだ名乗り出ていない子が?
 皆を見渡していると、怪訝そうな私の様子を斟酌したらしい未央ちゃんが、申し訳なさそうに手を振りました。

「いやいや、本当はこの未央ちゃんも隙あらば加わりたいなって思ってたんだよ?
 でも、気づいたら残るところ定員1名ってなっててさー」

「みりあもやりたかったんだけど、やっぱりここは、止めといた方がいいかなーって」
「うーし偉いぞみりあちゃん気ぃ遣いだなー、未央ちゃんがナデナデしちゃう、よぉしよしよし」
「えへへへ」

 みりあちゃんの頭をグリグリする未央ちゃんにクスリと微笑みながら、かな子ちゃんが補足してくれます。

「満場一致で、もう一人の子は最初から決まっていたんです。
 アイドルの中でも一番サブPさんのことを知っているし、きっと皆のリーダーになってくれるって」

 その話を聞いて、私はすぐに察しがつきました。


「美嘉ちゃん、ですね?」

 やっぱりそうでした。
 皆も、あの子に入ってもらった方が良いと考えていたんです。

 でも――なぜか皆、押し黙っています。
125 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:22:54.39 ID:zyqdZReA0
「……?」

 否定されないというのは、きっと私の言った事は間違っていないのでしょう。
 ただ、この空気は一体――。


「お姉ちゃん……」


「……莉嘉ちゃん?」

 気づくと、美嘉ちゃんの妹の莉嘉ちゃんが、俯いて肩を震わせていました。

「やらない、って……アタシはもう、いいから、って……」

「……それは、どうして?」
「分からないよ!
 お姉ちゃん、何も話してくれないんだもん……何も……!」


 もう俺が担当するのは嫌だって言うと思う――そんなプロデューサーさんの言葉が、頭をよぎりました。
 まさか、本当にそうなの?

 しかも、その理由を言わないだなんて――まるで、プロデューサーさんです。

「なのに、一人でふさぎ込んで、機嫌悪そうで……
 アタシ、分かんないよ! なんであんなに悔しそうに……!」
「莉嘉ちゃん、落ち着いて」
126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:24:29.20 ID:zyqdZReA0
 どうやら、並々ならない事情があるようです。
 直接話を聞かない事には、お話になりません。

「城ヶ崎美嘉さんを本件のメンバーに加えるのは、ここにいる皆の総意です。
 代替案は考えておりません」

 CPさんは、そう言い切りました。
 普段なら、不足の事態に備えて二の手、三の手を講じる彼にしては、とても強気の姿勢と言えます。

 そして、皆がそれで了解しているというのなら、話は早いです。


 卯月ちゃんの話によると、美嘉ちゃんはトレーニングルームにいたとのことでした。
 脇目も振らず、一心不乱に自分を追い込んでいるようであり、とても声を掛けられる雰囲気では無かったようです。

 ですが、それは卯月ちゃんのような、心根の優しい穏やかな子であるが故です。
 鬼でも悪魔でもありませんが――不肖、千川ちひろが鬼となるべきシーンであるというのなら、ここは喜んで。

「皆は、ついて来ないでください。CPさんも。
 美嘉ちゃんと、1対1でお話をしてみます」

 私の提案に、皆は同意してくれました。
127 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:26:03.16 ID:zyqdZReA0
 目的のお部屋へ向かう道すがら、私はずっと考え事をしていました。
 言うまでもなく、来年度の予算資料に関することではありません。

 プロデューサーさんと美嘉ちゃんの、これまでの経緯についてです。

 多少の衝突はあったそうですが、サマーフェスではあれだけ強い信頼関係を見せていた二人です。
 お互いに、思い入れが無いはずはありません。

 それなのに、プロデューサーさんは、自分が担当になるのは美嘉ちゃんも嫌だろうと推察し、現に美嘉ちゃんは断ったのです。
 莉嘉ちゃんの言う通り、もし美嘉ちゃんが本当に、プロデューサーさんの事を拒否しているというのなら――。


 考えられる理由は、おそらく二つです。

 一つは、美嘉ちゃんが彼の事を、本当に心の底から失望しているという理由。
 すなわち、プロデューサーさんが彼女に対し、すっかり幻滅させるような事を言ってしまった可能性。

 もう一つは、本当は一緒にお仕事をしたいけれど、それが敵わない何かしらの事情があるという説。


 気になるのは、美嘉ちゃん自身が「やらない」「もういい」と言っているという話です。
 一緒に「できない」のではなく――。

 美嘉ちゃんは、プロデューサーさんのことを嫌いになったのでしょうか?

 いずれにせよ、一つだけ言える確かな事があります。
128 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:28:46.43 ID:zyqdZReA0
 トレーニングルームの扉をそぉっと開けて、中を覗いてみます。

 部屋の奥の、大鏡と窓際の壁に挟まれた隅っこの方――。
 虚空を見つめるような表情で、美嘉ちゃんは床に腰を下ろしていました。
 ペットボトルを手に、タオルを首に巻いて、休憩中のようです。


 すぅっと扉を開けて、中に入ると、美嘉ちゃんはボーッとした表情のまま、その顔を私の方へと向けました。

 汗はすっかり引いているように見えます。
 どのくらいその状態でいたのでしょう。


「……ちひろさん」
129 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:30:07.83 ID:zyqdZReA0
 しばらく沈黙したのち、美嘉ちゃんは何がおかしいのか、フッと鼻で笑い、立ち上がりました。

「あの人のこと?」
「そうです」

「いい」

 言うまでもなくそれは、グッドではなく、ノーサンキューの方の「いい」でした。
 ある程度、覚悟はしていたはずですが――。

 先のプロデューサーさんと同様に、明確な拒絶を前にすると、結構堪えます。

「アタシはやらないから。
 ほら、その、なんだっけ……常務って人の、プロジェクトクローネとかいうヤツ?
 アレで忙しくなるだろうし、未央とか、もっと他にやりたい子いたんでしょ?
 その子が入れば……」


 ――急に、美嘉ちゃんは言葉をピタリと止め、俯いてしまいました。
130 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:31:29.94 ID:zyqdZReA0
「……美嘉ちゃん?」

 自分ではなく、他にやりたい子にやらせればいい。
 おそらくそう言いたかったのでしょうし、それは一見、もっともであると思われます。

 ですが、なぜそこまで言って、言い淀むのでしょう?


 ここに来るまでの間に整理し、一つだけ得ることのできた確信を、彼女にぶつける時です。


「あの人の事について……何か、話を聞いたんですね?」

「……!」

 美嘉ちゃんの肩が、ピクリと揺れました。

「この346プロに配属された経緯や、彼が抱えている事情を……」

 ――何となくですが、検討はついています。
 いいえ。私自身、気づかないフリをしていただけなのかも知れません。


「近いうちに、プロデューサーさんは……346プロを去るつもりでいる、ということでしょうか」



「……ねぇ、ちひろさん」
131 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:32:53.53 ID:zyqdZReA0
 美嘉ちゃんは俯いたまま、拳をギュッと握りしめました。

「前にさ、言ったよね?
 アタシをあの人に担当させるの、ちひろさんが偉い人達に進言してくれたからだ、って」
「正確には、CPさんを通じて、ですけどね」

「そのさ、えっと……もし、もしだよ?
 変なコト、言うけど……聞き流してくれて、いいけど、もしさ……」


 かぶりを振り、美嘉ちゃんは顔を上げました。
 それは、今にも泣き出しそうな、悲痛に満ちた笑顔でした。

「そういうの、他の事務所に対しても言えたり、する?」

「? ……どういう事ですか?」
「アハハ、ゴメンゴメン。
 意味分かんないよね……ホント、バカみたい……」

 美嘉ちゃんは、わざとらしく大きな声で笑い、頭をクシャクシャと掻きます。
 大袈裟な仕草になりすぎて、手を掻き上げた勢いで首に巻いていたタオルを引っかけ、床に落としてしまいました。

 それを見つめるように、彼女はまた、視線を床に落とします。


「だから、その……例えば、他の事務所の人に、ウチの人間になれ……とか?」
132 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:34:25.36 ID:zyqdZReA0
「……プロデューサーさん、まさか」

「…………」


 美嘉ちゃんは、タオルを拾い上げ、元いた部屋の隅へとスタスタ歩き出しました。
 置いてあったバッグに荷物を押し込め、肩に背負って私に向き直ります。

「やっぱさ……聞き流してなんて、ムリ?」

「そこまで聞いてしまっては、ね」
「そっか」

「プロデューサーさん本人から、聞いたのですか?」

 美嘉ちゃんは俯いて、首を振りました。

「それじゃあ、今西部長……?」

 ――美嘉ちゃんは、俯いたまま答えません。
 そもそも、あの今西部長がわざわざ混乱を助長するような事をアイドルに伝えるとは思えませんでした。


 となると――。

「……美城常務、ですか」



 ――――。
133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:35:27.45 ID:zyqdZReA0
「ちひろさん、いるっ!?」

 突然、入口の扉がガチャッ!と開きました。
 慌てふためいた様子で中に入ってきたのは――。


「!? ……り、凜ちゃん?」
「……!?」


「はぁ、はぁ、はぁ……!」

 急いで走ってきたのか、凜ちゃんは肩で息をしていました。
 歳の割にとてもクールで冷静な彼女にしては、らしくもない、随分と慌てた様子です。

「どうしたんですか、凜ちゃん?」


「プロデューサー、やるって」
「えっ?」

「だから、美嘉達のプロデュース。常務が命令したみたい」


「……えっ!?」
134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:37:14.33 ID:zyqdZReA0
 まだ私からは、常務はおろか部長にさえ、何も話をしていません。

 凜ちゃんの話によれば、急にプロデューサーさんを呼び出し、その場でそれを命じたようです。
 まさに鶴の一声――というより、藪から棒どころか、手の平返しと言ってもいいくらいの急転直下です。

「私、クローネの用で常務の部屋に行って、その話をしたら……そういう話になった、って」
「何で……?」

 あまりに突然の事すぎて、頭が混乱しています。
 隣の美嘉ちゃんは、もっとでしょう。

 何か事情があったのは間違いないはずですが、常務にそれを質して素直に答えてくれるでしょうか?
 それとも、プロデューサーさんがプロデュースをしてくれるというのなら、何も聞かずにそれで良しとするべきでしょうか?


 結果的に、話は決して楽観できるものではありませんでした。

 そして、プロデューサーさんの急な人事の後、346プロ内でにわかに妙な噂が立ち始めたのです。


 346プロが、他の芸能事務所の買収を計画していると。
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:46:04.12 ID:zyqdZReA0
   * * *

 プロデューサーさんのデスクは、再び専用のオフィスフロアに戻る――ことはなく。
 変わらず、私のデスクの隣に留まりました。

 それは、美城常務の指示であり、私が内心望んだことでもあり――。
 プロデューサーさんご自身の希望でもあったようです。


 美城常務がなぜ、そう指示したのかは分かりません。
 そもそも、プロデューサーさんの人事を急に変えた事の真意さえも、私にはまだ。

 でも、常務がプロデューサーさんの事を、厄介な存在だと捉えている事は明らかでした。
 ただでさえ異質な注目度を有する彼のデスクが、そのオフィスに舞い戻る事で、多少なり混乱が生じうると考えたのかも知れません。


 一方、私としては、やはり彼のことを間近で見守っておきたいという気持ちがありました。

 美嘉ちゃんの言葉から察するに、彼との別れは、きっと近いうちに訪れるのだと――今では、冷静に考えることが出来ています。
 ですがせめて、彼が何を求めにこの346プロへやって来たのかを知りたいのです。
 それまでは、もっとプロデューサーさんの事を――。


 ただ――。


「俺は、君達のプロデュースを行う事に同意していない」
136 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:47:57.02 ID:zyqdZReA0
 きらりちゃん、杏ちゃん、蘭子ちゃん、菜々さん、そして美嘉ちゃん。
 トレーニングルームに集合した5人のアイドル達に向かって、プロデューサーさんは開口一番、そう言いました。

「で、でもぉ……常務からそう言われたんでしょぉ?」

 皆に動揺が広がります。
 きらりちゃんから恐る恐る尋ねられても、取りつく島も無いほどに、彼は冷徹な態度を崩しません。

「346プロ側から一方的に言い渡されたに過ぎない。
 仕方なく、こうして体裁こそ取り繕ってはいるが、実態の伴わないプロジェクトになるであろうことは予め覚悟してほしい」

 346プロ側――という他人行儀な言い方は、彼がこの事務所を離れようとしているという、私の中の疑念をますます強くさせます。


「じゃあさ、サブP。1コ質問」

 スッと手を上げたのは、杏ちゃんでした。

「あっ、今はサブPじゃないか」
「どうでもいいよ。好きに呼べばいい」

「じゃあ遠慮なく。サブPはさ、ここからどこかへ転職する予定があるの?」

 極めて端的で直球な杏ちゃんの質問に、皆がさらに驚きました。
 回りくどい事を嫌う彼女らしい言動ではありますが――。

 そんな中、プロデューサーさんは顔色一つ変えずに、小首を傾げてみせます。

「何の話だ?」
137 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:49:50.70 ID:zyqdZReA0
「ここを辞めて、どこか他の事務所とか、違う業界に行ったりとかしないの?
 最近のサブPの奇行を見るに、てっきりここを出て行く算段がもうあるんだと思ってたけど」


「奇行とは心外だな。俺には転職をする予定なんて無いよ」


 肩をすくめ、鼻を鳴らして答えた彼の言葉に、杏ちゃんが「えっ」と声を漏らしました。
 それまで伏し目がちだった美嘉ちゃんも、思わず顔を上げます。

「サブP、辞めないの?」
「誰がどんな憶測でそんな事を言い出したのかは知らないが、346プロを辞めるなんてことは無い」


 杏ちゃんは、プロデューサーさんの顔をしばらくジッと見つめて、息をつきました。

「嘘じゃなさそうだね。
 サブP、嘘をつくの下手だから、見ればすぐ分かるはずなんだけど」
「それじゃあ……!」

「勘違いをしないでくれ」

 菜々さんの表情がパァッと明るくなったのも束の間、プロデューサーさんがピシャリと釘を刺しました。

「俺は皆のプロデュースをする気なんて無い。
 皆の方こそ、俺なんかに構う事など考えず、誰か他のプロデューサーに鞍替えするよう動いた方がいい。
 何なら、俺も斡旋には協力するし、シンデレラプロジェクトの所属だった子達は早々に元へ戻るべきだ」
138 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:51:03.55 ID:zyqdZReA0
「どうして……?」

 蘭子ちゃんがポツリと呟き、やがてぶんぶんと頭を振って続けます。

「我が友は、我らと共に歩む気概が潰えたと言…」
「蘭子、君の言葉はよく分からない」
「! ……ッ」

 蘭子ちゃんは言葉を詰まらせました。
 目には涙がウルウルと溜まり、今にもこぼれ落ちそうです。

「な、ナナ達のこと、プロデューサーさんは嫌いになっちゃったんですか……?」


 それまで無表情を貫いていたプロデューサーさんの顔が、少しずつ曇ってきたように見えました。

「…………」
「プロデューサーさんがプロデュースをしたくない理由は、ナナ達にあるんですか?」


「…………」
139 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:58:00.75 ID:zyqdZReA0
 とても苦しそうな彼の表情を見て、再確認しました。
 プロデューサーさんとしても、あのような露骨に冷たい態度を取ることは、決して本意では無いのです。

 嘘をつけないプロデューサーさんが、菜々さんの質問に答えられない事が、何よりの証拠でした。


「……そんなに俺にプロデュースしてほしいのか」

 深いため息をついて、プロデューサーさんが皆を見渡します。
 蘭子ちゃんは小さく頷き、他の子達も、真っ直ぐに彼のことを見つめ返しています。


「なら条件を出そう」


 そう言って、プロデューサーさんはきらりちゃんの方へ向き直りました。
 彼女の大きな身体がピンッと伸びます。

「きらり。君は『グラン・コレクト』のオーディションに合格してみせろ」
「……ふぇっ!?」

「彼らの眼鏡に適うトップモデルの仲間入りを果たせたなら、君のプロデュースをする」

 プロデューサーさんが言った『グラン・コレクト』とは、国内でも最高峰のファッション・ショーです。
 権威ある国内外のアーティストやモデルさんが勢揃いするものであり、346プロのモデル部門でさえ過去に出場できた人はいません。
140 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 22:59:13.71 ID:zyqdZReA0
「杏は、そうだな……仕事をしてもらおうか。週七で」

「週七? え、休み無し?」
「内容は何でもいい。グラビアでも番組収録でも、地方の営業でも、好きにすればいい。
 ただ、自分で仕事を取ってくるんだ。他のアイドルのプロデューサーに頼み込んで、それに同行するでも良しとしよう」

「随分アバウトで乱暴な条件だね。労基に訴えるよ?」

 杏ちゃんが鼻を鳴らしても、プロデューサーは動じません

「好きにするんだな。条件が合わないというのなら、この話は終わりだ」
「…………」


「蘭子」
「は、はいっ……!」

 ひどく突拍子も無い言い草を続けるプロデューサーさんを前に、蘭子ちゃんは早くも不安そうです。

「君は『オールド・ホイッスル』に出演して、武田蒼一氏に実力を認めさせ、彼に曲を作ってもらえ」
「えっ……」
141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 23:04:33.81 ID:zyqdZReA0
 業界屈指の音楽プロデューサー、武田蒼一氏が監督する音楽番組――『オールド・ホイッスル』。
 その番組に出演するには、氏から直々のオファーを得る以外に無く、未だかつて、番組史上アイドルで出演を果たした人は唯一人しかいません。
 まして、曲を作ってもらった事がある人なんて――。

「菜々さん」
「な、ナナは……あの……」

 普段ならさん付けを注意する菜々さんですが、すっかりプロデューサーさんに気圧され、何も言い返せずにいます。

「『アイドルアルティメイト』で優勝してみせろ」
「……はっ!?」

 プロデューサーさんが提示したのは、国内トップクラスのアイドル達が勢揃いする一大フェスイベントです。
 アイドルなら誰もが夢見る大舞台こそが『アイドルアルティメイト』であり、出演するには相応の実績を摘まなくてはなりません。

 まだアイドルとして満足に活動できていない菜々さんには、あまりに酷な条件です。
142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 23:05:49.79 ID:zyqdZReA0
 そう――あまりにも無茶苦茶です。

 彼がプロデュースの条件として突きつけたものは、そもそもプロデューサー自身がそれに適うようアイドル達を導くべきもの。
 言わば、彼自身が行うべき仕事であり、彼自身が目指さなければならないものでもあるのです。

 自分の立場を棚に上げ、一方的にアイドル達に無理難題を押しつけるその姿は、横暴そのものでした。


 プロデューサーさんが、デスクを私の隣のままとなるよう望んだのは、アイドル達のためではありません。
 むしろ、彼女達から――プロデュースの現場から、少しでも遠ざかるためだったのです。


 そして、最後の一人へとプロデューサーさんは向き直ります。

「美嘉、君は…」
「玲音さんにライブイベントで勝つ」

「……何?」

 美嘉ちゃんは、真っ直ぐに彼を睨み上げました。

「どう? 文句ある?」


 プロデューサーさんが提示するより先に、美嘉ちゃんの方から条件を突きつけてみせたのです。
 しかし――。

「本気で言っているのか? 美嘉」
143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 23:10:45.66 ID:zyqdZReA0
 言うまでもなく、全てのアイドル達の頂点。
 史上唯一のオーバーランク・アイドル。

 遙か雲の上の存在とも言える玲音さんを相手に、ライブ対決での勝利を公言することの重みは、美嘉ちゃん自身が一番良く分かっているはずです。

「よく分かったよ。
 アンタは本当にアタシ達と、これっぽっちも付き合う気なんか無いんだってこと」

 美嘉ちゃんは、悔しそうに唇を噛み、肩を震わせました。

「でも……それでも、分からせてやるんだ。
 アンタの代わりが務まるプロデューサーなんて、どこにもいないんだって。
 どんなに無理だとしても、アタシ達は……アタシは、そんなの認めてないんだって」


 息をつき、美嘉ちゃんは顔を上げました。
 大きな瞳から涙を流すその姿に、誰もが息を飲みました。

「プロデュースをしたくない? つまんないウソを言わないでよ!
 百歩譲ってウソじゃないとしても、今に是が非でも担当したいって思わせてやるんだから!!
 アタシは……! 絶対に、諦めないから……!!」
144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 23:17:58.55 ID:zyqdZReA0
「……結果が全てだ、美嘉」

 美嘉ちゃんを諭すようなプロデューサーさんの語り口は、穏やかでしたが、およそ説得に足る内容ではありません。

「なぜお前がそうまでして俺にこだわるのか知らないが……
 俺は、お前達の過程の努力を評価するつもりは無い。
 いいか、無駄な努力はよすんだ。お前が一番分かっているはずだろう」
「うるっさい!!」

 美嘉ちゃんは悔しそうにかぶりを振りました。

「まるでアタシを……言うこと聞かない、子供みたいに……!!
 分からず屋なの、プロデューサーの方じゃんっ!! バカッ!!」

「み、美嘉ちゃん……!」

 溢れんばかりの激情を吐き出し、ボロボロと流れる涙を振りまいて、美嘉ちゃんは大股歩きで部屋から出て行ってしまいました。


「…………」

 プロデューサーさんは、頭をポリポリと掻き、両手に腰を当ててため息をつきます。

「皆……俺がさっき皆に言った事は、全て戯れ事だ。
 ふざけた条件に付き合い、無駄な労力を費やす必要なんてどこにも無い。いいな」



「サブPちゃん、あのね?」
145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 23:21:10.01 ID:zyqdZReA0
 皆の視線が、きらりちゃんに集まります。
 どういう訳か、とても楽しそうに笑っています。

「……ありがとにぃ☆ きらりにこぉ〜んなおっきい目標をくれて♪」
「えっ?」

「出来るかどうか分かんないくらいおっきな夢の方が、たくさんきゅんきゅんパワーでハピハピできるゆぉ☆
 サブPちゃん、きらりから目、放せなくなっちゃうの、楽しみだなぁ〜♪」

「何を言っ…」
「ククク……!」

 困惑するプロデューサーさんの言葉を、これ見よがしに忍ぶ蘭子ちゃんの笑い声が遮りました。
 案の定、彼女は額に手を当て、いかにもそれらしいポーズを決めています。

「覇道を突き進むは、このグリモワールにて既に定められし事!
 約束の地があるなら、たとえ那由多の果てにある茨の道も恐れる道理など無いわ!」

 ぶわっ! と雄々しく手を振り出し、蘭子ちゃんは見栄を切りました。
 彼女も、引くつもりは無さそうです。


 プロデューサーさんの目が、菜々さんの方へと向きます。
 彼女は、モジモジと身体の前で手を揉んだのち、顔を上げました。

「ナナも……やります」

 それは普段と比べ、あまり大きくはないけれど、力強い決意を滲ませる声色でした。

「ずっと、憧れていました、IU……アイドルアルティメイト。
 ナナがIUに出れるんだとしたら、こんなに嬉しいことはありません」
146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 23:22:56.19 ID:zyqdZReA0
「分かっているのか?
 IUに出場するには、業界関係者からの推薦以外では、IU予選大会あるいは特定のオーディションでの優勝が必要だ。
 その予選とかに出るのだって、相応の実績が評価されてからの話になる。
 つまり、君はスタートラインに立つ事すらできない。最初から話になっていないんだ」

「プロデューサーさんこそ、分かっていませんねぇ〜」

 菜々さんは、含み笑いを浮かべながらチッチッと指を顔の前で振りました。
 なんかこのジェスチャー――古臭いとは言いませんが、まともに見たのは久しぶりのような気がします。

「ウサミンリサーチによれば、IUの出場条件は近年改正されて、新たに一つ追加されたんですよ」
「何だって?」

「それは、ファン投票。
 開催時期の数ヶ月前に開設される特設サイトの自由投票欄で、最多得票数を獲得したアイドルが一人、出場できるようになったんです。
 業界のコネや、ライブ等による優勝経験が無くても、ファンの人達からの知名度と熱い支持があれば、菜々にも可能性はあります!」

「いや、それは……第一、数ヶ月前ってもうそろそろ開かれ…」
「あるんです、可能性はっ!
 というわけでナナは、これから地方巡業の旅に出ます。
 協力してもらえる人を探して、たくさんの人達にウサミンって呼んでもらえるように、いっぱい顔を売ってきますねっ!」
147 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 23:24:59.12 ID:zyqdZReA0
 プロデューサーさんは、頭を抱えてしまいました。
 よりにもよって、業界研究に余念が無いアイドルオタクとも言うべき菜々さんに、わずかでも可能性の芽を与えてしまった、という表情です。


「……まさか、お前まで付き合うだなんて言わないよな?」

 そして、まるで助けを求めるように、残る一人に向き直ります。
 プロデューサーさんが慎重に尋ねると、杏ちゃんは肩をすくめました。

「杏的にも残念だけど、サブPが想定してたようなWin-Winにはならないみたいだね」
「何だと?」
「まっ、この流れで杏だけ抗っても立場が無さそうだし。
 お仕事、何でもいいんでしょ? まぁ心配しないでよ。
 レギュレーションの編み目をかいくぐって最低限の努力をしてサボるのは、自慢じゃないけど杏得意だから」

「馬鹿な……!」

 ひどく困惑するプロデューサーさんを見て、杏ちゃんはニヤニヤと楽しそうに笑いました。
 あまり底意地のよろしくない所が、彼女にはあるようです。

 でも、口には出さなくとも、それは皆との調和を大事にしてこその言動であることは明らかでした。


「……勝手にしろ。俺は知らないからな」

 やっとの思いで絞り出すように、プロデューサーさんはそう吐き捨て、部屋を後にしていきました。
148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 23:28:56.56 ID:zyqdZReA0
 彼の言った言葉が、私はずっと胸に引っかかっています。

 346プロを辞めることは無い――。


 額面通り受け取るのなら、それはきっと喜ばしい事であるはずです。
 私が勝手に抱いていた疑念が晴れて、アイドルの子達も、まだあの人と一緒にいられることを意味する言葉なのだと。

 なぜ、そのように信じ切る事ができないかと言うと、美嘉ちゃんです。
 事情を一番理解しているはずの美嘉ちゃんの、あんなに悔しそうな姿――。

 そして、私はとある憶測にたどり着きました。


 346プロを辞めないことと、346プロを去ることが、矛盾しないのだとしたら?



  ――例えば、他の事務所の人に、ウチの人間になれ……とか?
149 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 23:30:44.89 ID:zyqdZReA0
「他のプロダクションの買収騒ぎか」

 少し提出が遅れてしまった予算資料と一緒にお渡しした芸能雑誌を、美城常務はデスクの上に投げ置きました。

「まさか、君までこんな荒唐無稽な噂話を信じているなどとは言わないだろうな?」

「……火の無い所に、煙は立たないとも言います」
「信じられないな」

 美城常務は椅子をグルリと回転し、背面にあるガラス張りの眼下に広がる街並みへと視線を移しました。

「君はもう少し賢い人物だと思っていた。
 城を築き上げようという者達が、つまらん戯れ事にいちいち振り回されていては話にもならない」


「嘘だと仰るのなら……嘘だと、この場で否定していただきたいんです」

 私がそう言っても、常務はまるで素知らぬ振りです。

「私はアイドル部門の統括だ。
 346プロダクションという会社全体の運営そのものに関わる事を、自身の一存で決められる立場ではない。
 故に、私にはこんな事に口を挟む意思も権限も無い」

「ですが、常務は美城会長のご子息です」


 美城常務は背を向けたまま、顔を半分だけこちらに向け、私を睨みつけました。
150 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 23:32:28.85 ID:zyqdZReA0
「常務が、プロデューサーさんをあまり快く思っておられなかった事は、存じ上げています。
 彼のことを、プロデュースの場から引き剥がし、346プロから追い出そうとしていた事も」

 それは、私の目にも明らかでした。
 なぜそうしなければならないのか、ずっと不思議でした。

「それは、あの人が……346プロの人間ではないからではないでしょうか?」


「…………」

「だから、美嘉ちゃんにも彼の素性について話をした。違いますか?」
「何?」

 美城常務の語気が、急に強くなりました。
 気圧されてはなるまいと、私も唾を飲み込み、顎をグッと引きます。

「彼の周囲に疑念と混乱を与えるために……
 私とあの人との賭け事について、美嘉ちゃんに話をしたのも、常務ではなかったでしょうか」
151 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 23:34:03.53 ID:zyqdZReA0
「何の話だ」

 呆れるように息をついた常務は、改めて椅子に背を預け直しました。

「あのサマーフェスは、城ヶ崎美嘉を始め、アイドル達による危機意識が上手くプラスに働いた事で収めた成功だ。
 何を賭けたかは知らないが、仮に私がその賭け事とやらについて知っていたとして、わざわざそれを彼女に伝えても何一つ有益な事など無い」


「誰もサマーフェスの話だなんて、言っていません」
「……!」

 背を向けたまま、美城常務の身体が一瞬強張ったのを、私は見逃しませんでした。

 やっぱり、常務だったんだ――。


「彼はアイドルを自身の道具としか考えていない……そう思い込ませるために、常務は美嘉ちゃんに、賭け事の話を明かしました。
 でも、美嘉ちゃんはそれで失望するどころか、逆にそれをフェス成功に繋げるための気力に変えたんです。
 だから、もう一度美嘉ちゃんとプロデューサーさんを引き離すために、あなたは美嘉ちゃんに、彼の素性を明かした」


「……その賭け事を、私がいつ知ったと?」

 椅子をこちらに向け直し、美城常務は私を睨み上げました。

「公式ファンサイトにて、私の身に覚えのない管理者権限によるログイン履歴がありました」
152 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 23:37:03.05 ID:zyqdZReA0
 資料室でその話をプロデューサーさんに持ち出した、あの日――。
 私はもう一つ、彼に嘘をつきました。

 賭け事の場として、私が提示した346プロのファンサイトは、非公式ではないのです。
 また、投票によりアイドルの優劣を競った事実も、過去にありません。


 ファンや有志の方々の手で編集できるページも、用意されてはいます。
 ですが、それらの更新は全て、346プロの情報システム担当である私の承認を経た上で反映される仕組みになっています。

 つまり、彼に説明した「業界に精通した管理人」とは、何を隠そう私のことです。

 ただ、事務所の社員には、これを無闇に閲覧してはならないというお触れがあるのは事実です。
 悪意のある二次情報が、私の監視の目をかいくぐって反映される可能性も無くはないからです。
 やっぱり、私一人で全て監視するというのも、荷が重いですし。


 そして、あの日の翌日、私は――。
 サイト設立以来初めての投票ページを作成し、サマーフェス終了時に更新されるよう、タイマーをセットしました。

 順当に行けば、そのページがアップされてしまうはずだったのです。

 ですが、そうはなりませんでした。
 私は、内心ホッとした一方で――当然、不思議に思いました。
153 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 23:40:41.29 ID:zyqdZReA0
 管理者権限のログインIDとパスワードを付与されている者は、私の直属の課長と、今西部長と、美城常務だけ。

 課長は、すっかり私にそれらの更新を丸投げ、もとい一任しています。
 一度も触ったことすら無く、大方とっくにIDとパスワードも忘れていることでしょう。
 今西部長は、なおのことそうだと思われます。

 となると――。
 着任早々に、事務所の全てをこの目で確かめるという姿勢を見せていた、主導性の強い上役――。

「状況的に見て、あのページを削除した人物としては、美城常務が最も可能性が高いと思ったんです」



「……そのページを出力し、シンデレラプロジェクトのプロデューサーに、それを見せた」

 私は、ハッと息を呑みました。

「彼らとしても、決して本意ではなかったらしい事は、彼からの説明で理解したつもりだ」


 常務は椅子から立ち上がり、大きなデスクを回り込むように、私の方へと歩み寄ってきました。

「概ね、君の推察した通りだ。
 城ヶ崎美嘉をはじめ、我が事務所のアイドルとあのプロデューサーを引き合わせる事は、アイドルにとって有益ではない。
 そして、彼自身にとってもだ」

「それは……あの人が近いうちに、この346プロを去るからですか?」
154 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 23:42:59.01 ID:zyqdZReA0
 私の声は、きっと震えていただろうと思います。
 それは、重役と間近に相対したからではありません。

「そうだ」

 常務の言葉に、私はなぜか、ひどく落ち着きました。
 暗澹とした諦めと言った方が正しいかも知れません。しかし――。

 すぐにそれは、無理やり晴らしました。

「ではなぜ、彼をもう一度美嘉ちゃん達の担当プロデューサーとなるよう命じたのですかっ!?」


 美城常務は、ほんの少しだけ押し黙ったのち、ため息をつきました。

「要請があったからだ」
「えっ?」

 要請――プロデューサーさんについての?

「それは一体、誰から……いいえ、どこからの」
「じきに分かるだろう。それともう一つ」
155 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/12/10(木) 23:44:39.91 ID:CGmNrexv0
無駄に長くて諦めた
156 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 23:45:37.12 ID:zyqdZReA0
 デスクの上にあった雑誌を手に取り、常務はそれを私に差し出しました。

「この噂は事実ではない。
 それはアイドル部門の統括として、そして会長の腹づもりを知る者として、明確に否定させてもらう。
 だが……当たらずとも遠からず、というべきか」

「……どういう事ですか?」

 雑誌を受け取った私は、心臓が嫌な高鳴りを続けるのを押さえることができません。


「我が346プロが組み入れようと考えたのは、事務所ではなかったということだ。
 もっとも、肝心の相手からは断られてしまったがな」



 ――気づくと美城常務は、入口のドアを開けて、そこに立っていました。

 私は、ほとんど放心状態のまま、しばらくその場に立ち尽くしていたようです。

「用が済んだのであれば帰りたまえ。
 混乱をさせてしまったなら、すまなかった」
157 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 23:52:07.49 ID:zyqdZReA0
 プロデューサーさんが担当した5人のアイドル達は、1ヶ月も満たない間に、目覚ましい飛躍を遂げていきました。


 きらりちゃんは、その長身を活かしたモデル業を率先して行いました。

 圧倒的なプロポーションを持つ子ですし、個性の面で競合できる相手もいません。
 CPさんも全面的に協力し、それらの仕事を内々に斡旋していったことで、業界でもかなりの注目を浴びるようになりました。

「こういうのはぁ、ココをこうして……えいっ♪
 こんなワッペンを付けてあげると、すっごく可愛くなるんだにぃ☆」

 元々自分でも可愛らしいお洋服や小物を作る趣味を持っていた子です。
 トップモデルとして、等身大の女の子として、情報を発信し続けるきらりちゃんは、幅広い年齢層から多くの支持を受けるようになったのです。


 蘭子ちゃんは、なんと、武田蒼一氏と直に合う機会が得られたのです。

 これは、私の前で泣いてしまった新人プロデューサーさんから偶然にも活路が開かれたものでした。
 あの日、新人さんが懇親会を開いた相手方――その中に、武田氏とコンタクトを取れる人物がいたのです。

「蘭子ちゃんの未来がかかっています。
 先方へのご連絡とアポイントの獲得について、引き受けてくださいますね?」
「ひぃっ!? や、やります、やらせていただきますっ!!」

 瓢箪から駒というべきか。
 兎にも角にも、その新人さんのお尻を目一杯叩き、何とかマッチングの実現にこぎ着けました。
158 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 23:53:53.02 ID:zyqdZReA0
 当日、蘭子ちゃんは大いに緊張したそうですが、武田氏の人柄に助けられ、次第に持ち前のキャラクターを発揮できるようになると、
「君、面白いね」
 と興味を持ってもらい、直々にボーカルトレーニングを受ける約束まで取りつけたそうです。


 菜々さんは、広報部の全面的なバックアップを得た上での地方営業に奔走しました。
 専用の動画配信チャンネルも設立し、現地での映像を逐次更新することで、その土地のファンを地道に獲得していったのです。

「こ、これはえぇと……アレですか、語尾に「なう」って言うヤツでしたっけ?」

 SNSの活用に慣れていない菜々さんを、現地での動画配信ができるようにするまで教育するのも、実は少し大変でした。
 でも、次第に動画のコメント欄には「次は○○に来てほしい」というフォロワーさんからのリクエストが多数寄せられるほどの人気チャンネルになったのでした。


 杏ちゃんはというと――あら?

 346カフェで、のんびりお茶しているようです。
159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/10(木) 23:58:40.17 ID:zyqdZReA0
「お仕事、しなくていいんですか?」

 そう聞きながら、向かいの席に座ってみます。
 やはり、彼女はプロデューサーさんの出した条件に、付き合う気が無いのかしら。

「もう1〜2分したら始めるよ、お仕事」
「えっ?」

 ニヤリと、明らかに確信犯っぽい含み笑いを見せた後、杏ちゃんは自分の目の前にタブレット端末を載せました。

「どれどれ……おっ、繋がった。菜々ちゃーん、聞こえる?」
『はいはーい! バッチリ届いてますよー杏ちゃーん!
 皆さんも一緒に杏ちゃんにウサミン電波を届けましょう、いいですかせーの!!』

『ウッサミーン!!』

「いやうるさいって」
 笑いながら、杏ちゃんはタブレットの画面に向かって手を振ります。
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/11(金) 00:00:21.07 ID:u+bie/2J0
 そうです。
 杏ちゃんは菜々さんとタッグを組み、菜々さんの地方営業に同行していたのです。
 リモートで。

「レギュレーションには違反していないでしょ。これぞ流行りのリモートワーク、ってね」
「でもそれ、菜々さん一人が頑張っているんじゃ……」
「菜々ちゃんの広報活動は杏も一肌脱いでるから、お互い様の持ちつ持たれつ。Win-Winだよ」

 実際、菜々さんの動画配信チャンネルのコメント欄を見ると、杏ちゃんの存在も動画の名物になっているようです。

 時折しでかしてしまう菜々さんの天然ボケに、杏ちゃんがやんわりツッコんだり。
 あるいは、杏ちゃんの「仕事しない」キャラが、ある種の癒やしになっていたり。

 確かに、杏ちゃんは毎日仕事をしています。
 毎日、ほんのちょびっとずつでも菜々さんのチャンネルページを更新したり、一部ワイプで出演したりと、なかなかの働きぶりです。



 そして――。


『今のアタシなら、きっと誰が相手でも負けないって思います。
 ライブ対決に負けるような“カリスマギャル”なんて、ファンの皆も求めてないでしょ?』
161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/11(金) 00:02:07.77 ID:u+bie/2J0
 渋谷のメインストリートにある大きな電光掲示板に、今日も美嘉ちゃんの姿がデカデカと表示されました。
 最近、ますますメディアへの露出を増やしています。

 それは、プロデューサーさんを通して行っている活動ではありません。
 彼女自身が多方面の取材に応じ、必ず決まって話すことが、ファンのみならず業界全体で大きな話題を呼んでいるのです。


『何なら、玲音さんにだって負けないよ、アタシ☆
 機会があるなら、いつだって挑戦させてほしいな。絶対に楽しいライブ対決にしてみせるから!』


 それはまさに、オーバーランクに対する宣戦布告と言っても良い内容でした。
162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/11(金) 00:06:01.80 ID:u+bie/2J0
「どうしてアイツ、わざわざあんな事を……!」

 連日のように寄せられる問合せの電話を置き、プロデューサーさんは頭を抱えました。

 メディアはこぞって美嘉ちゃんと玲音さん、二人のライブ対決の実現を煽り立てました。
 ネット上では、二人の対決に期待を寄せる声と、美嘉ちゃんを傲岸不遜だと非難する声と、およそ半々といったところです。

 いずれにせよ、美嘉ちゃんの発言をもって、それは遠からず実現させなくてはならなくなりました。

 なぜなら、その話を耳にした玲音さん当人が、すっかり乗り気になってしまったからです。
 大手メディアに向けて「ぜひやろうよ」と、実に楽しそうに答えていた姿が、ますます業界を沸かせました。


 普段の美嘉ちゃんは、決して驕り高ぶった態度を取ることなんてありません。
 目上の人に対する礼節をしっかりと弁え、現場のスタッフさん達にだって一人一人に頭を下げ、挨拶を交わすような子です。

 まして、相手はかのオーバーランク。
 美嘉ちゃんが畏敬の念を抱いていないはずがありませんでした。


「ああして公然と啖呵を切ることで、自分を追い込んだんですね……」

 私がポツリと漏らした言葉に、プロデューサーさんはため息をつきました。


「馬鹿なことを……くそっ」

 拳をデスクに叩きつけた後、「俺もか」と、小さく呟くのが聞こえました。
163 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/11(金) 00:07:45.73 ID:u+bie/2J0
 美嘉ちゃんと玲音さんのライブ対決について、日程はアッサリと決まりました。
 玲音さんのスケジュールが過密すぎるので、逆に選択肢が無かったのです。

 ただ、その日にちょうど空いている会場が都合良くあるかというと――ありました。


「サマーフェスと同じ会場ですか」
「困った時の、最後の受け皿という存在ですね」

 快諾してくれた竹芝のイベントホールの管理会社さんに、二人でご挨拶に行きます。
 担当者さんは、プロデューサーさんを気に入ってくれたようです。


「346プロに現れた風雲児として、業界ではちょっとした有名人ですよ。
 例の城ヶ崎美嘉ちゃんや、最近賑わせている安部菜々ちゃんの担当プロデューサーもあなたでしょう?」
「は、はぁ……」

「エンタメ業界は近年不況が続いていますからね。
 今後も346プロさんの方で、何か景気の良い話題を提供してもらえると、我々としても助かりますよ」


「……そうですね」

 担当者さんの言葉に、プロデューサーさんは曖昧な返事を繰り返すことしかできていませんでした。
164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/11(金) 00:10:41.39 ID:u+bie/2J0
 PRやチケット販売の段取りを確認し、その場はお開きとなりました。
 事務所に戻ったら、これらの仕事を大急ぎで進めなくてはなりません。

 11月下旬に急遽セッティングされたライブ対決本番まで、もう一ヶ月も無いのです。


 竹芝のペデストリアンデッキにも、寒風が吹きすさぶようになりました。
 そろそろ厚手のコートを着ていないと、外を歩くのが少々辛い時期です。

 二人並んで歩いていると、ふとプロデューサーさんが足を止めました。


「? ……どうかされましたか?」

「ここで会ったんでしたね、俺達」


 ――多くの人が行き交うデッキの、あの手すりの辺りだったでしょうか。

 紺色の着物を纏った女の子の前で膝をつき、履き物を履かせている男性の姿が鮮明に思い出されます。

「もう8ヶ月か……」
 プロデューサーさんは、物憂げに眺めたまま、立ち尽くすばかりでした。

「俺は346プロで、一体何ができたんだろうなぁ」


「たくさんやりました。やってくださいました」
 隣に立ち、彼の横顔を見上げます。

「それに、まだ終わっていないじゃないですか。振り返るのは早いですよ」
165 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/11(金) 00:15:11.74 ID:u+bie/2J0
 チラリとプロデューサーさんは視線を向け、フッと自嘲気味に鼻を鳴らしました。

「それはそうかも知れないけど……でも、彼女達を振り回してばかりだった」

 プロデューサーさんはかぶりを振り、空を見上げました。
 昨日までは秋晴れが続いていたのに、どんよりとスッキリしない曇り空です。

 この人はなぜ、負い目を感じているのでしょうか。
 何を一人で、勝手に――。


「美嘉ちゃんが玲音さんに負けたら、きっとプロデューサーさん、自分の責任だって言うつもりでしょう?」

 プロデューサーさんが、驚いた顔をして私の方を向きました。

「それは、しない方がいいと思います。
 美嘉ちゃんだけじゃありません。きらりちゃんも蘭子ちゃんも、菜々さん、あるいは杏ちゃんも……。
 プロデューサーさんが与えた条件を達成できなくても、下手にあの子達を慰めちゃいけないと思います」

「どうしてですか?」

 少し鼻息を荒くして身体ごと向き直った彼に、私もまたしっかり見つめ返して答えます。

「あの子達は、今まさに成長の最中です。
 自分で走った末にたどり着く結果を、自分で認めさせてあげてください。
 大人の都合で、責任だけをあの子達から掠め取るようなやり方は、きっとあの子達だって納得を得られません」
166 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/11(金) 00:17:23.64 ID:u+bie/2J0
「それには同意できません、ちひろさん」

 プロデューサーさんは、語気を強めました。

「俺が与えた無茶な要求に、あいつらは苦しみ、振り回されています。
 その結果に対して、俺が責任を取らなければ、誰が責任を取るっていうんです。
 そんなの、俺は……」


「……なるあなたに」
「えっ」


 私の顔を凝視するプロデューサーさんの姿が、みるみるうちに滲んでいきます。

 プロデューサーさんだけじゃありません。
 向こうの手すりも、デッキも、往来を歩く人々の姿、向こうのビル群やその先に広がる灰色の雲も私の頭の中も――。

 全部グチャグチャになって、もう、何が何だか分かりません。

 今さら何を一人で――勝手なこと――!



「どうせいなくなるあなたに、何の責任が取れるって言うんですかっ!!」

「……!」
167 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/11(金) 00:25:34.18 ID:u+bie/2J0
 都内でも有数の国際競争拠点である竹芝の、綺麗で大きなペデストリアンデッキは、今日も大勢の人々が行き交います。
 私一人が変な挙動をしたところで、誰も気に留める人などいません。

 だから――あなただって――!

「自己満足の……安い、慰めなんて……!!」

「ち、ちひろさん……」



「プロデューサーさんっ!」


 突如、彼を呼ぶ声が聞こえました。
 私達二人の間に流れる重苦しい空気を叩く、快活で、高くて、柔らかくて――どこか悲痛そうな女の子の声。

 声のした方を向いて、私は思わず目を見張りました。


 私だって業界人です。
 キャスケット帽と大きな黒縁眼鏡で変装していても、明らかにその子だと分かります。

 昨年度アイドルアワードを受賞した、765プロダクション所属アイドルの、不動のセンター。



「春香……!」
168 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/11(金) 00:28:50.66 ID:u+bie/2J0
 プロデューサーさんもまた、彼女を前に釘付けになっていました。
 まさかこんな所で会おうなどとは、考えもしていなかったのでしょう。

 天海春香さんは、キャスケット帽を取りました。
 トレードマークとも言える愛らしい赤のリボンが、デッキの風にあおられ、儚げに揺れます。

「プロデューサーさん……!」


 まるで、数年来の再会を果たす家族のように見えました。
 おそらく、それは彼らにとって、事実そうであったのだと直感したのです。


「ちひろさん……すみません」

 プロデューサーさんは、私に向けて頭を下げました。
 私もまた、何も聞かずに頷き返します。

「先に……駅の方へ行っていますね」


 彼らの間には、積もる話があるに違いありません。
 私が邪魔してもいけないと思い、彼に依頼されるまでもなく、私は場を外しました。
169 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/11(金) 00:30:41.27 ID:u+bie/2J0
 いよいよ覚悟を決める時が来た。
 先に駅へと辿りつき、改札の前で一人待つ私の胸中は、その気持ちに支配されていました。

 私はまだいいんです。
 美城常務からお聞きしていたことでしたし、予測もしていました。
 仕事も、元に戻るだけです。彼がいなかった時の状態に。

 ですが――。


「すみません」

 顔を上げると、プロデューサーさんがすぐそこまで駆けて来ていました。
 随分急いできたのか、肩で息をしています。

「俺は……」

「私は、いいんです。もう、大体分かっています。でも……」


 私は、プロデューサーさんの顔を直視することができませんでした。

「あの子達には……ちゃんと説明をしてあげてください。
 CPさんや、シンデレラプロジェクトの皆にも……」


 少し押し黙った後、「はい」という彼の短い返事が聞こえ、私は駅へと向かいました。
170 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/11(金) 00:33:16.76 ID:u+bie/2J0
 その日のうちにCPさんにお願いし、アイドルの子達をシンデレラプロジェクトの事務室に呼び集めました。
 何事なのか分からず、未央ちゃんのようにキョトンと首を傾げる子もいれば、薄々何かを勘づいてそうな子もいます。

 ドライエリアから差し込む夕陽に照らされ、彼女達の前に立ったプロデューサーさんが、口を開きました。



「皆……俺は、346プロの人間ではない」


「765プロから、派遣交流でこの事務所にやってきたプロデューサーなんだ。
 そして、年内をもって346プロでの配属を終え、俺は765プロに戻ることになる」


「今まで言うことができなくて、すまなかった」
171 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2020/12/11(金) 00:36:06.13 ID:u+bie/2J0
今日はここまで。
明日はお休みして、明後日の14時頃以降に残りを投下していければと思います。
172 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/12/11(金) 00:55:32.02 ID:3z93m+Pl0
見てるぞ
ひとまず乙
173 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/12/11(金) 08:46:29.39 ID:oymvJe7DO


やはり765か……最初315と思ってけどね
174 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/12/11(金) 10:19:25.49 ID:LdEBc+I10
選出メンバーと765Pでやっとわかった
期待
175 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/12/11(金) 15:07:02.81 ID:0E97GYNT0
イナズマイレブンの安価SSもあるので読者はどんどん参加してくださいね
176 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 14:02:36.42 ID:64qMODCb0
   * * *

「皆、今日は来てくれてありがとう!
 こんなに熱くステキな夜を分かち合うことができて、本当に嬉しいよ。
 それも、この機会を与えてくれた城ヶ崎と346プロさんのおかげだ。改めて、心から感謝と敬意を表したい」


「もちろん、楽に勝てる相手だと思ってはいなかったさ。
 だけど、城ヶ崎のパフォーマンスは、アタシの想像を遙かに超えていた。
 こんなに脅かされるなんて……フフフッ、勝負を終えた安心からか、喜びと同時にワクワクが止まらないな」


「この場で皆に約束しよう! 城ヶ崎からのリターンマッチは、最優先で受け付ける!
 アタシの最大のライバルとして、共に最高のステージを共有し合う友として、いつでもこの会場に呼んでほしい!
 それまでアタシも城ヶ崎も、今日以上に皆を楽しませられるようトレーニングを重ねることを誓うよ!
 また会おう、皆っ!!」
177 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 14:09:20.99 ID:64qMODCb0
「転職する予定も、346プロを辞めることも無い、か……」

 12月を間近に控え、346カフェの屋外テラスも、そろそろ閉鎖の時期です。
 それまで鮮やかな紅葉を楽しむことができた中庭も、すっかり葉が落ちきってしまいました。

「確かに、嘘じゃないよね。元々346プロの人間じゃないんだから」

 タブレット端末をつまらなそうに弄りながら、杏ちゃんは独り言のように呟いています。
 菜々さんの動画チャンネルも、依然として好評ではあるものの、一時期よりかは少し再生数が落ち着いてきたようです。

「皆の近況、って言ったっけ?
 意外と普通だよ。菜々ちゃんはこの通り、地道に活動を続けてる。
 きらりと蘭子ちゃんは、少なからずショックで沈んでた時期もあったけど、今じゃ平静を取り戻して結構元気」

 端末の操作を終えると、杏ちゃんは椅子の上であぐらを組み直し、天井を見上げて大欠伸を掻きました。

「まぁ、いざとなったら皆シンデレラプロジェクトに行けばいいんだし。
 あ、ちひろさん知ってたっけ? CPが出した企画書、常務も認めたんだってさ。だから一応、解体は回避できたって話。
 シンデレラプロジェクトの皆も、クローネと掛け持ちしてる子も、何だかんだ仕事が忙しくなってきたみたいだね。
 そんなに心配するほどでもないと思うけど」
178 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 14:11:05.98 ID:64qMODCb0
 杏ちゃんのお話に、私はひとまずホッとしました。
 決まった事を認められず、いつまでも塞ぎ込んだり、行き場の無い感情を周囲にぶつけてしまうような子は、どうやらいなさそうです。

 皆――大人なんだなって、思います。

「ちひろさんの方こそ、どう?」
「えっ?」

「サブPは元気そう?」


 私は、顎に手を当てて「うーん」と唸りつつ、彼の近況を振り返りました。

「……表面上は?」
「そういうの、一番面倒くさいパターンだよね」
「い、いえ。私の観察眼も、あまり当てにはならないと思いますし」

 慌てて取り繕いつつ、私は自分のカップを手に取りました。
 ハーブティー、ちょっと冷めてしまったみたいです。

「ただ、最近はなんだか、忙しそう。
 それはそうだと思います。元の事務所に戻られるのですから、あまりボーッとしてもいられないのかなって」
179 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 14:12:38.84 ID:64qMODCb0
「なら安心したよ」

 杏ちゃんはオレンジジュースをずごごご、っと飲み干し、テーブルに置きました。

「余計な心配をかけさせちゃってるかなって、きらりも蘭子ちゃんも心配してたからさ。
 向こうがこっちの心配をしてる余裕も無いって言うんなら、何よりだね」

 鼻を慣らして椅子の上からピョンッと飛び降り、杏ちゃんは私に後ろ手で手を振りました。

「ま、向こうに戻っても達者で、とかなんとか適当に言っといてよ。
 ……あ、これ杏じゃなくて、皆が言ってたってことで。それじゃ、後はお会計お願いします」


「待ってください」

 私は、杏ちゃんを呼び止めました。
 彼女も、思うところがあったのか、すぐにピタリと足を止めます。

「……美嘉ちゃんは、どうですか?」


 杏ちゃんは、こちらを振り返らないまま、ポツリと答えました。

「まぁ……一番面倒くさいパターンだよ」
180 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 14:17:16.11 ID:64qMODCb0
 事務室へ戻ると、驚くべき光景がありました。

「こぉら、莉嘉!
 みりあちゃんもかな子ちゃんも、智絵里ちゃんもさっさと自分の所に戻る!
 さっきスケジュール見たけど、アンタ達もこんな所で油売ってる場合じゃないでしょ?」

 プロデューサーさんのデスクの隣で、美嘉ちゃんが莉嘉ちゃん達に、何やらお説教をしているみたいです。
 彼は、少し狼狽えているようでした。

「で、でも、サブPさん忙しそうだし、せめてクッキーでもって…」
「心配しなくても、かな子ちゃんの気持ちは伝わってるって。
 そうでしょプロデューサー?」
「あ、あぁ……そうだな」
「ねっ?」


「みりあは、もっとサブPとお話したいな、って……」

 得意げにウインクをキメる美嘉ちゃんを前に、みりあちゃんが身体の前で手をモジモジさせながら呟きました。

「美嘉ちゃんも……そうでしょ? もっとサブPと一緒にいたいって、思うよね?」
「そうだよ!
 お姉ちゃん、ウチに帰ってからもずーっと自分の部屋に閉じ籠もってるじゃん!」
「なっ……ば、り、莉嘉! 何余計なこと……!」

「ごはんー! って呼んでも全然来ないし、絶対サブPくんのこと、何とかしたいって思ってるんでしょ!?」
181 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 14:19:17.43 ID:64qMODCb0
 美嘉ちゃんは「あーもう」と呆れ気味に頭をクシャクシャと掻いて、これ見よがしに大きなため息を吐きました。

「何とかって何よ。あのね、いーい?
 皆にとっては初めてのプロデューサーだから一大事なのかもしんないけど、アタシはとっくにそういうの経験してんの。
 よく考えなよ、学校の担任の先生が変わるのと同じだよこんなの。あ、こんなのって言ったら失礼だけど……でも!
 この先もプロデューサーが変わることはあるんだし、いちいちウジウジしてたらアイドルやってらんないでしょ?」

 美嘉ちゃんは腰に手を当て、莉嘉ちゃん達の顔を順番に見渡しながら、「うんっ」と大きく頷きました。
 誰に対するものでもなく、自分を納得させるための動作に見えます。


 そのまま、彼女はプロデューサーさんの方へと向き直りました。

「アタシがヘコんでるとでも思った?」
「えっ? あ、いや……」
「アハハ、そんなキョドんなくたっていいじゃん★」

 ケラケラと茶化すように笑って、彼女は続けます。
 どこまでも笑顔で。

「アタシ、玲音さんと対決して良かったよ。
 玲音さんも言ってくれたけど、ホントに楽しかったし、何より、思った以上に勝負になれたことが、嬉しくてさ……達成感はあるんだ。
 だから、次はもっとやってやるんだって、燃えてるよ! 落ちこんでるヒマなんか、アタシには無いって★」
182 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 14:21:22.19 ID:64qMODCb0
 美嘉ちゃんと玲音さんのライブ対決は、おおよその下馬評通り、玲音さんの勝利に終わりました。

 ですがそれは、身内の欲目を抜きにしても、惜敗と評価して良い内容だったと言えます。
 ライブ終了後、玲音さんが美嘉ちゃんをたくさん褒めてくれたこともそうですが、観客達による投票結果も、非常に肉薄していました。

 ライブ前は美嘉ちゃんに多く寄せられていた心ない誹謗中傷も、ライブ後には軒並み少なくなったことも、その証左です。
 敗れこそしたものの、あのライブ対決は美嘉ちゃんの株を大きく上げるものとなりました。


 美嘉ちゃんだけじゃありません。

 きらりちゃんは、依然として新進気鋭のアイドル兼モデルとして、その個性も手伝って今ではかなりの著名人です。
 蘭子ちゃんも、武田蒼一氏から直々のボーカルトレーニングを受けた事で、業界でも評判を集めるほど歌唱力が飛躍的に伸びました。

 菜々さんと杏ちゃんも、先述の通りSNSを活躍の場として、主に若年層の間で話題を呼び続けています。
 その勢いたるや、全国放送の大手ニュース番組でも取り上げられるほどです。

 つまり、プロデューサーさんが彼女達に課した条件によって、皆、アイドルとして大きな成長を遂げていったのです。
183 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 14:25:03.67 ID:64qMODCb0
「あの人の経歴には驚きましたが、大いに納得を得られるものでした」

 CPさんは自分のパソコンを操作して何かを印刷し、椅子から立ち上がりました。
 手に持った紙には、765プロダクションの活動実績が記されてあるようです。

「これは……」
「彼が赴任する前の765プロのアイドル達は、失礼ながら、お世辞にも満足な活動が出来ているとは言い難いものでした。
 ですが、赴任して一年足らずで所属アイドル達全てを高ランクへと成長させ、さらには“シアター”と呼ばれる新規プロジェクトも発足されるようです」

「極めつけは、アイドルアワードを受賞した、天海春香さん……」
「そうです」

 これら全てが、プロデューサーさん一人の手腕によるものだとしたら――。
 いいえ、アイドル達自身による非常な努力も、当然にあったことでしょう。

 それでも、彼が来たことで、765プロは確実に変わった。


 ですが、疑問は未だに残されたままです。

「彼は……プロデューサーさんは、どうして今まで黙っていたのでしょう」
184 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 14:39:07.59 ID:64qMODCb0
「これは、私の勝手な推察になりますが」

 資料から目を離すと、CPさんの真っ直ぐな瞳がありました。
 この人は、あまり器用な人ではないので、大事なお話をする時、中途半端に誤魔化して取り繕うということをしません。

「まず、自身の事を色眼鏡で見られる事を避けたかったのかも知れません」
「色眼鏡……なるほど」

 今日の765プロ隆盛の立役者として、業界でも知られるプロデューサーが来たとなれば、我が社の社員も気を遣うでしょう。
 それだけでなく、もし下品なメディアに嗅ぎつけられたら、根も葉もない事を言われかねません。

 でも――。

「それは……結果論かも知れませんが、アイドルの子達のためを思う行動だったとは、私には思えません」


 私に同意してくれたのでしょう。
 CPさんは、小さく頷きました。

「……それとは別に、より確度の高い理由がもう一つあります」
「何ですか?」

「記憶していた限りでは……自分は346プロのアイドル達と、親密な関係になるべきではないと、あの人は仰っていたかと」
「!」


  ――好かれるべき人間じゃないからです。
185 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 14:41:02.78 ID:64qMODCb0
「それは……いずれ765プロに戻る身だから?」
「……打ち明けるタイミングが遅ければ遅いほど、アイドル達からの心証は悪くなります」


 私は、地団駄を踏みたい気持ちになりました。
 なぜそんな、面倒になると分かっていることを望んで行う必要があるのでしょう。

「そんなの……最初から、こっちに来なければ良かった話じゃないですか。
 なんで、あの人……その先に何を期待したんだか、分からないですよ……!」

 悔しくて、たまりません。
 最初から来なければ、初めからアイドルの子達も、悲しんだり、振り回されたりしなくて済んだはずでした。

「どうして、346プロに来たんですか……!
 こんな、誰も幸せにならないようなことが、どうして起きたっていうんですか!?」


「美城常務曰く、「罪を背負った」のだと」

 CPさんの言葉に、私は顔を上げました。

「? ……罪、って?」
186 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 14:44:12.84 ID:64qMODCb0
「常務も、理解をされてはいないようです。
 ただ、346プロにやってきた経緯として、あの人がそう言っていたと……それともう一つ」

 CPさんは、手元の資料に目を落としました。

「あの人が346プロで、何かを学び取りたいと考えていたのは、真実だったのだと思います。
 ですが、アイドル達と親密になる事を恐れ、シンデレラプロジェクトのサブとして配属される事を望んだ……」
「……!」

「彼がなぜ346プロに来たのか、また、自ら望んでのことだったのかは、分かりません。
 ただ、彼はこの346プロで……良くない意味で、空気のような存在でありたかったのかも知れません。
 それが適わなくなり、身の振り方を考えた末に、いっそ憎まれ役となることを選んだのではと。
 親密な間柄となって、その後の別れが辛くなることよりも」

「で、でもあの人は自分からアイドル達を担当……!?」


 私は即座に反論しようとしました。
 でも、気づいてしまったのです。
187 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 14:45:40.18 ID:64qMODCb0
 彼は確かに、サブのプロデューサーとしての仕事以外の業務も、自分から率先して行っていました。

 ですが、それはあくまで自分に与えられた裁量の範囲内でのことでした。
 自分が望んだ範囲内での――。


 そうです。
 あの時の、CPさんを最大限尊重するという彼の姿勢は、CPさんのために自らが一歩引くという献身ではありませんでした。

 彼は、いつだって346プロのアイドル達に対し、一定の距離感を保ちたかったのです。
 CPさんとアイドルの橋渡しを行い、彼にそれを押しつけることで、逆に自分自身はアイドル達と距離を置く。

 そして、明確にそれを越える裁量を与えてしまったのは、私。

 美嘉ちゃんの担当プロデューサーとしての道を彼に提示したのは、他ならぬ私だったのです。


「わ、私が……」

 でも、親密になるのを避けようとして、ワザと冷たく当たって――結果として美嘉ちゃんも、自分自身も追い込んで――。

 挙げ句の果ては、5人のアイドル達を担当することに――それも、私が皆に――。


「私が……狂わせた……?」
188 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 14:47:39.72 ID:64qMODCb0
 それでもなお彼は、突き放そうとした。
 いずれ離ればなれとなる身であることを知っていたから。

 心根の優しいプロデューサーさんは、彼女達を悲しませまいと、誰も知り得ない本当の事情を隠して――。
 わざと憎まれ役を装って――。


 希薄な関係であり続けたかった彼の想いを無視して、自分勝手な考えであの人やアイドル達のことを振り回したのは――。


「千川さん」
「……!」

 ハッと我に返ると、CPさんの大きな手が私の肩を掴んでいました。
 彼の厳つい顔を目の前にしても、まだ意識がボーッとしています。

「あなたが責任を感じる必要はありません。どうか、お気を確かに」

「はい……」



 プロデューサーさんがプロデュースしたアイドル達は、皆大きな成長を遂げました。

 それは、彼にとっては皮肉と言えたのかも知れません。
 あるいは、私達にとっても。
189 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 14:57:17.28 ID:64qMODCb0
 プロデューサーさんから屋上に誘われたのは、それから数日経ってからのことでした。


「本当は、半年間の予定だったんです。9月末までの」

 白い息を吐きながら、彼は誘い笑いをしました。

「でも、ちょうどココにいる時でしたね……。
 ちひろさんと話をしている途中で、社長から電話があって、「3ヶ月延ばしといたから」って急に言われて。
 あれは参ったなぁ。ウチの社長、いつも話が急なんですよ。それも勝手にです」

 私は合点しました。
 あの時プロデューサーさんが出た電話の相手が、765プロの高木順二朗社長だったとは。

「それで、美城常務からも実は、引き抜きの話がありまして」
「断ったそうですね?」

「……常務から聞いたんですか」

 プロデューサーさんは、頷きました。
 申し訳なさそうで、寂しそうな表情でした。

「346プロの子達に好かれまいと、わざと俺は無茶な要求をし続けてきました。
 でも、あの子達は難なくそれについてくる、答えてくる……それを可能とするだけの資質も、事務所のバックアップもある。
 俺は、346プロを甘く見ていました」
190 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 15:01:46.19 ID:64qMODCb0
 かぶりを振って、プロデューサーさんは私に向き直り、姿勢を正しました。

「CPさんの言った通り、ちひろさんもあの子達も、誰も悪くありません。
 俺が中途半端な行いをしたことで、アイドルの子達は傷つきました。
 今回の混乱の責任は皆、俺にあります」

 そう言って、彼は私に深々と頭を下げました。


 私は、かけるべき言葉が見つかりません。

 傷ついたのは、彼だって同じなのです。
 それなのに、こうしてわざと憎まれるような事を。

 どうして――。


 どうして事情を話してくれなかったんですか。
 知っていたら私だってわざわざ余計な手回しをすることなんてありませんでした。
 まるで私が皆を引っかき回したみたいな事になっちゃってますけど私だって迷惑してるんですよ。
 最初から来なきゃいいのに勝手にこっち来て悩んでりゃ世話無いんですよ。付き合わされた方はいい迷惑なんです。
 あなたの言う通りですよ。私は何も悪くありません。あなたが勝手に面倒くさい事をして勝手に、勝手に私達をっ!


 ――ッ!
191 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 15:04:35.66 ID:64qMODCb0
 ――ダメです。
 とても言えません。


「もう…………やめてください……」

 消え入りそうな声でそう言うのが、私にはやっとでした。


 どうして――彼はどうして、346プロに――。
 どうしてこんな事になったのか。

 もう、一ヶ月もありません。
 それが明らかにならないまま、彼と過ごした日々は、終わってしまうのでしょうか――?



 それ以来、プロデューサーさんとは、言葉を交わすことが少なくなりました。
 実際、雑談を交わす暇も無いほど、彼が忙しいというのもあります。

 いいえ――きっと、わざと忙しくしているんです。


 ゆっくりと皆、元に戻っていく。
 いつしか私達は、約束された別れの時が来ることを、ひどく落ち着いた気持ちで待つようになっていきました。
192 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 15:05:56.24 ID:64qMODCb0
 12月に入ると、プロデューサーさんは不在の時が多くなってきました。
 聞いてみると、765プロに足繁く出張しているのだそうです。

 いよいよ戻る準備を整えているんだな――。
 そう思いながら、その日もつまらない見積書類の作成をしていた時のことでした。


 突然、事務室の扉がバンッと開き、飛び込んできたのは――菜々さん?

「ち、ちひろさん! 大変です、すぐに来てくれませんか!?」
「どうしたんですか、菜々さん。落ち着いて」

「美嘉ちゃんが、レッスン中に倒れて、医務室へ……!」


 すぐに書類を置いて、菜々さんと一緒に医務室へと走ります。

 また倒れるほどに無茶をするなんて――。
 でも、どうして?

 もう彼女が身を削る必要なんてありません。
 そうしたところで、もう――。
193 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 15:07:55.06 ID:64qMODCb0
 医務室の前には、他に参加していたであろうアイドルの子達が、心配そうにたむろしていました。
 よく見ると、あの時のメンバー――きらりちゃんに杏ちゃん、蘭子ちゃんの3人です。
 ちょうど、その5人でレッスンをしていたようでした。

「ちひろさん……!」
「皆、ちょっと通してください」

 きらりちゃんの大きな身体をどかしてもらい、私は菜々さんと一緒に医務室の扉を開けました。
 中に入ると、ベッドで寝ている美嘉ちゃんの隣に、お医者さんとCPさんと――。

「み、美城常務……?」

 なぜか、常務もおられます。
 一体どういう経緯で、と問い質したくなる私に、お医者さんが「お静かに」と淡泊に私と菜々さんに注意しました。
194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 15:13:36.70 ID:64qMODCb0
「容態はどうなんだ」

 美城常務はこちらには一瞥もくれず、お医者さんに問います。

「貧血ですね。軽度の栄養失調によるものかと。
 点滴は打ちましたので、この先しっかり食生活を改善して療養すれば、彼女くらいの若さであれば3日ほどである程度快復するでしょう」

 つまり、3日は安静にしなさいとのことです。
 ひとまず容態が安定しているようなので、お医者さんは間もなく退室されるとのことでした。

「大きな問題は無いかと思いますが、今日は自力での帰宅は止めさせた方がいいでしょう。
 城ヶ崎さんが目を覚ましたら、できれば車を手配してあげた方が良いかと思います。
 くれぐれも無茶をすることが無いよう、この子のプロデューサーにもよくお伝えください」


 お医者さんが出て行くのと入れ替わりで、外で待っていた3人がお部屋に入ってきました。
 邪魔になるかも知れないと遠慮していたそうですが、お医者さんから了解を得たようです。

 お医者さんが言った通り、大事には至らない旨を説明すると、皆は一様に安堵のため息を漏らしました。


「なぜ彼女は無茶をした」

 医務室に漂う空気が弛緩したのも束の間、美城常務がピシャリと私達に問いかけます。

「玲音とのライブはもう終えた。
 彼女は今、明確に喫緊の目標を有してはいなかったはずだ」
195 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 15:15:40.58 ID:64qMODCb0
「そ、それは……」

 常務の仰る通りです。
 プロデューサーさんだって、お医者さんに言われるまでもなく、美嘉ちゃんがここまで自分を追い込む事を望んではいません。

「莉嘉ちゃんも言っていたんですが……。
 美嘉ちゃん、家でも最近あまり食事をとらないみたいで……それで、栄養失調になったのかも知れません」
「自己管理ができていないと……つまり、彼女自身の問題か」

 美城常務が美嘉ちゃんの顔にジッと視線を落とします。
 強く糾弾するような目つきに耐えきれず、半ば言い訳がましく言ったものですが――そういえば、少し頬がこけているかも知れません。

「いずれにせよ、これが繰り返されるようなら、彼女にも正式にプロジェクトを転属してもらう事になる」
「? 転属、ですか?」


「プロジェクトクローネ、ですね?」

 CPさんの言葉に、常務は頷きました。

「彼女の起用を前提としたクインテットユニットの構想が既にある。
 私のプロジェクトの傘下に入っていれば、少なくともこのような無茶をさせる事は無い」

「無茶をさせないという条件であれば、シンデレラプロジェクトも選択肢に入ります」
「彼女は君のプロジェクトの1期生だろう。
 卒業生が再度編入されるような事態となっては、他の子達に対しても示しがつくとは思えないが」
196 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 15:16:59.78 ID:64qMODCb0
「み、美嘉ちゃんはっ!」


 急に声を上げたのは、蘭子ちゃんでした。

「!? ぴぇっ……!」

「気にするな。言いたい事があるならこの場で言いなさい」

 意図せず皆の視線を集め、硬直する彼女に、常務が促します。
 気のせいか、その声色はほんの少しだけ、普段より優しげな感じがしました。

 小さな咳払いを何度かして、ひゅぅっと呼吸を整え、蘭子ちゃんは口を開きました。

「美嘉ちゃんは、サブPとまだ……一緒にいたいはずです」
「蘭子ちゃん……」

「私も……いなくなっちゃうんだったら、いなくなる時まで、一緒にいたい、です。
 寂しい思い出のままじゃなくて、良い思い出を作ってから……お別れしたいんです。
 だから……お願いしますっ」
197 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 15:19:34.55 ID:64qMODCb0
 身体の前で手をピンッと置き、彼女が出来うる限りであろう最大限の丁寧なお辞儀で、蘭子ちゃんは常務に懇願しました。

「美嘉ちゃんと、私達も一緒に、やらせてください。
 まだやりたいんです。お願いします!」

「きらりからも、お願いしますにぃ!」

 大きな身体でぶわっ!とお辞儀するきらりちゃんに、私は一瞬身じろいでしまいました。
 一方で、常務はそのお固い姿勢を崩しません。

「『やりたい』というのは、必ずしも行動理由の全てではない。
 我々管理側は、君達アイドルの健康面も管理する責務がある。
 それが担保されないプロジェクトの継続を認めるわけにはいかない」


「それは、ちゃんとナナ達がこれから美嘉ちゃんに「めっ!」てします!」

 すかさず食い下がったのは、菜々さんです。

「今回のことは、プロデューサーさんだけでなく、年長者であるナナのチョンボでもありました。
 だから、ナナも肝に銘じてちゃんと……!」
「? 菜々ちゃん、美嘉ちゃんやきらり達とも同い年でしょぉ?」
「えっ!!? あっ、いや、そ……た、誕生日!!
 ほらっ、ナナは5月生まれで、皆さんはもっと後というか、そういう意味でですね!?」
「いや、数ヶ月しか……」

 また菜々さんが自爆しています。
 でも、彼女の一生懸命さに嘘はありません。


「彼自身は、どう思っているだろうな」
198 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 15:22:52.34 ID:64qMODCb0
 美城常務の言葉に、皆が「えっ」と言葉を失いました。

「君達の言い分はわかった。
 そこまで言うなら、まずは君達の意向に従うとしよう。
 プロデューサーである彼と、城ヶ崎美嘉も含めてな」


「待ってください」

 踵を返し、退室しようとする常務の背に、私は声をかけました。

「常務は、プロデューサーさんを346プロに引き入れようとして、彼から断られたと」
「……なぜ今その話をする」

 アイドルの子達に、ざわめきが広がります。
 常務の仰ることはもっともですが、聞かないわけにはいきません。

「ずっと気になっていました。
 あれほど厄介に思っていたはずの彼を、どうして引き入れようとしたのですか?」
199 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 15:24:01.65 ID:64qMODCb0
「何ということは無い。
 確かに目障りではあったが、346の機密に少しでも触れた以上、懐柔した方が都合が良いと考えただけだ」

 にべも無く言い捨て、再び歩き出そうとする常務の前に、CPさんが立ちはだかりました。

「今度は君か。用件があるなら手短に」


「彼女達のプロデューサーは、「罪を背負った」と言ったのだと、常務からお聞きしました。
 その真意を、常務はどのようにお考えでしょうか」


 常務は、しばらく考え込むように押し黙りました。
 アイドルの子達も、聞き覚えの無いであろうお話に、困惑しっぱなしです。


「彼はここに来る前、アメリカへ研修に行っていたらしい」

「アメリカ?」

 765プロから、アメリカへ――?

「憶測でしかないが……
 765プロにいた頃の彼が順風満帆であったとするなら、その時の事を言っているのかも知れないな」
200 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 15:26:35.66 ID:64qMODCb0
 常務が退室されて間もなく、私達はアイドルの子達にも帰るよう促しました。
 美嘉ちゃんは眠ったままですし、いつまでも皆でこの部屋にいても仕方がありません。

 ――という杏ちゃんの提案によるものです。
 それは、ごもっともでした。

 眠っている美嘉ちゃんのベッドの前にある丸椅子に、CPさんと二人、残って腰掛けます。


「海外での経験もあったとは……初めて知りました」

 CPさんは、膝に手を置き、背をピンッと伸ばしながら呟きました。
 重役の前でも、新入社員の面接でもないのに、この人はいつでもひどくお行儀が良いんです。

「元々、知らないことの方が多いです」
「それは、そうですね」

 フッ、と小さく笑ってくれて、私も少し安心します。

 美嘉ちゃんは、変わらずにすぅすぅと安らかな寝息を立てています。
 彼女がこうしてゆっくり休むのは、いつ以来だったのでしょう。
201 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/12/12(土) 15:28:06.14 ID:64qMODCb0
「先ほどの神崎さんの言葉で、気になることがあります」

 思わず、CPさんの方へと顔を向けます。
 先ほど、ちょっとだけ緩んだ表情が、元の仏頂面に戻っていました。

「寂しい思い出のまま、いなくなる、と……そう言っていました」
「……えぇ」

「結果だけを見れば、彼女達は申し分の無い結果を出してきています。
 ですが、満たされていない何かがあるのなら……」

「…………」

 今のままではいけない――アイドルの子達は、そう思っているんです。
 そして、諦めたくないのだとも。


「プロデューサーさんがやってきてからの日々は、混乱もありましたが……活気に満ちたものでした」
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