梨子「人魚姫の噂」

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270 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 20:52:43.67 ID:vQ6qZL/R0

梨子「…………」


つまり……おじいちゃん、気を遣ってくれたってこと、なのかな……?





    *    *    *





果南「旅行に行った……?」


リビングで席に座っていた果南ちゃんは、私の説明を聞いて眉を顰める。


梨子「うん……そう言ってた。あと何日か泊まっていけとも……」

果南「……はぁ、相変わらず勝手に決めちゃうんだからなぁ……梨子ちゃんにも事情があるのに、困っちゃうよね」

梨子「私は、別にいいんだけど……」


私も受け答えをしながら、出来立てのたまご焼きが載ったお皿を机に置いて、果南ちゃんの隣の席に着く。

──本日の朝食はご飯と海苔とたまご焼き、あと例の如く昨日おじいちゃんが多めに作ったお味噌汁の残り。


果南「まあ、梨子ちゃんがいいならいいんだけどさ……」

梨子「それより、食べよ?」

果南「ん、そうだね」

梨子・果南「「いただきます」」


二人で手を合わせて、いただきます。

お箸を手に持つと、同時に──


果南「梨子ちゃん、あーん♪」


口元に差し出される、たまご焼き。


梨子「あ、あーん……///」


恥ずかしいけど、もう遠慮する理由もないし……素直に食べさせてもらう。


梨子「あむ……///」

果南「……おいしい? って、私が作ったんじゃないけど……」

梨子「うん……///」


今日もたまご焼きの味付けがばっちりなのを確認してから──


梨子「か、果南ちゃん……///」

果南「ん」

梨子「あーん……///」

果南「ふふ、あーん♪」


今度は果南ちゃんにたまご焼きを食べさせてあげる。
271 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 20:57:21.58 ID:vQ6qZL/R0

梨子「お、おいしい……?」

果南「うん! やっぱこの味だよね……毎朝、作って欲しいくらいだよ」

梨子「へ……///」


──そ、それって……。


果南「? どうかしたの?」

梨子「…………」


そうだった。この人はこういうことを無意識で言うんだった。


梨子「そうだ……足の調子はどう?」


気を取り直して、他の話題を振る。


果南「ん……ちょっと痛いけど……歩けないほどじゃないかな」

梨子「そっか……」


とりあえず、比較的落ち着いているようで安心する。


果南「ただね……足じゃないんだけど……」

梨子「?」

果南「起きた直後、声が出なくてさ……」

梨子「声……?」


言われてみれば……朝食を作っているときに洗面所の方から、うがいをする音がしていたような……。


梨子「風邪……?」

果南「なのかな……? ただ、喉の方は別に痛いとか、そういうことはないんだよね……ただ、声が掠れて出なかったというか」

梨子「起き抜けだったからかな……?」

果南「まあ、そうかもね」


──このときの私たちは、声が出ないという現象に対して、悪くてもちょっとした風邪程度にしか認識していなかった。

この後、異変が一気に加速していくとも知らずに……。





    *    *    *





それは、お昼を過ぎたころだった。


果南「ん……ん゛っ……」

梨子「? 果南ちゃん……?」


果南ちゃんが、喉を抑えながら、咳払いを始める。


果南「ぁ……ぁ…………」

梨子「声、出しづらいの……?」
272 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 20:58:40.91 ID:vQ6qZL/R0

訊ねると、果南ちゃんは首を縦に振る。

どうやら、思ったよりも喉の調子が悪そうだ。


果南「のど……ぁ……め……」


声を掠れさせながら、立ち上がると同時に──


果南「……っ゛!」


足を庇うようにすぐに蹲ってしまう


梨子「む、無理しないで……!」


すぐさま、駆け寄る。


 果南『……のど飴……確か、リビングに……』

梨子「のど飴が欲しいの?」


再び、私の言葉に果南ちゃんは首を縦に振る。


梨子「わかった、取ってくるから待ってて」


私は一人リビングに向かう。

──果南ちゃんの症状は、時間を経るごとに悪化し始めていた。

特に今日の足の痛みは酷いようで、朝食を取ったあとはほとんど座ったまま過ごしている。


梨子「のど飴……あ、これかな」


リビングの机の上に小さな瓶に入った飴を見つける。瓶ごと手に持って、すぐに果南ちゃんの部屋に戻る。


梨子「果南ちゃん、のど飴持ってきたよ!」

果南「ぁり……が……と……」


掠れる声でお礼を言いながら、果南ちゃんは瓶から飴を一粒取り出して、舐め始める。


梨子「大丈夫……?」

果南「……ご、め…………りこ……ちゃ……」

梨子「む、無理に喋らないで……」


私は果南ちゃんの手を握る。


 果南『……せっかく、一緒にいるのに……足の痛みでどこにもいけないし……声も出なくなってきて……』

梨子「気にしないで……? 私は果南ちゃんと一緒に居られるだけで嬉しいよ……」

 果南『梨子ちゃん……』


伝えると、果南ちゃんは私を抱き寄せる。


梨子「落ち着いたら……次、何して遊ぶか考えよっか」

果南「……ん……」
 果南『たぶん……いつもの調子なら……そろそろ波が引く……はず、だよね……?』
273 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:00:06.04 ID:vQ6qZL/R0

痛みに耐える果南ちゃんの背中に手を回しながら、私はこの期に及んで、少し経てば症状が落ち着くだなんて……楽観的に捉えていた。

──結論から言うと、このあと果南ちゃんの症状が落ち着くことは……なかった。





    *    *    *





果南「…………」

梨子「果南ちゃん、お夕飯作ってきたよ?」

果南「…………ぁ……」

梨子「無理に喋らなくても大丈夫だよ。一応おかゆにしてきたから……」

果南「…………」


もうすっかり日も落ちた今も、果南ちゃんの声は快復していない。

それどころか、あれ以降いつもだったら、波のあった足の痛みが一向に引かなくなってしまった。

あまりに長く続く痛みと、コミュニケーションが困難な状況に疲れてしまったのか、普段から明るい果南ちゃんもさすがに元気がなくなってきていた。

ベッドの上で上半身だけ起こした状態の果南ちゃんの横に、おかゆの載ったお盆を置いてから腰掛け、


梨子「……ふー……ふー……。……はい、あーん」


口元にスプーンを運ぶ。


果南「………………」


果南ちゃんは無言で口を開いて、おかゆを食べる。


梨子「熱くない?」

果南「…………」


訊ねると、首を縦に振る。


梨子「味濃くないかな?」

果南「…………」


再び、首を縦に振る。


梨子「よかった、じゃあ次……はい、あーん──」





    *    *    *





食事を終えると、果南ちゃんはしきりに瞬きを繰り返し始めた。


梨子「果南ちゃん……?」


何かと思って、手を握る。
274 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:01:34.59 ID:vQ6qZL/R0

 果南『なんか……目が……痛い』

梨子「目……?」


果南ちゃんの目を見ると──その目は真っ赤に充血していた。


梨子「ちょっと、ごめんね……」


果南ちゃんの両頬辺りに手を添えて、親指で下瞼を引っ張り、眼球を見てみる──

そこにあるのは充血しきった真っ赤な目があるだけ。


梨子「…………」

 果南『梨子ちゃん……黙っちゃったけど……私の目、どうなってるんだろう……?』

梨子「……あ、えっと……ちょっと充血してるね。目薬とかってあるかな?」

果南「…………」


訊ねると、果南ちゃんはコクンと頷く。


 果南『確か冷蔵庫に入れてたはず……』

梨子「冷蔵庫の中?」

果南「…………」


再び私の言葉に頷く。


梨子「ちょっと、取ってくるね」


おかゆを食べたあとの食器を運ぶついでに、冷蔵庫まで目薬を取りに行く。

──その際、今さっき見た目を思い出す。

真っ赤に染まった、目があった。

──目“しか”なかった。

もっと正確に言うと、本来目の痛みを訴えた人の眼球にあるはずのものが、ほぼなかった。


梨子「……涙が……なかった……」


そう、果南ちゃんの眼球は酷く乾いている状態……すなわち、ドライアイの状態だった。

素人の私が見ても、一目で目が乾燥していることがわかるのは、かなり酷い状況なんじゃないだろうか。

──悪化する足の痛み、声枯れ、そして酷い目の充血とドライアイ……。

どうしてこんな急にいろんな症状が出始めてしまったんだろうか。部位的にも共通項が見つけられない。


梨子「やっぱり……」


私は流しに食器を置きながら──自分の手の平を見つめる。


梨子「……ち、違う……。果南ちゃんの声が出せない今こそ、必要な力だよ……」


この力は、今こそ必要な……果南ちゃんを支えるために、私に与えられたものだもん……。


梨子「は、早く戻らないと……」
275 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:02:34.16 ID:vQ6qZL/R0

冷蔵庫の中の目薬を見つけて、すぐに果南ちゃんの部屋にとんぼ返りする。

頭の遥か隅の方で、鳴り響いている警鐘を、聞き逃しながら──





    *    *    *





立つのも辛い状況で、お風呂なんて入れるはずもなく……。


梨子「果南ちゃん……背中拭くね?」

果南「…………」


今日はお風呂はやめて、お湯で湿らせたタオルで身体を拭いてあげる。

前は自分でやってもらったけど、背中側はやっぱり一人だと大変だろうからと、手伝っている真っ最中。


 果南『……なんだろ……まるで、私……病人だ……』

梨子「…………」


目に見えて、果南ちゃんの意気が沈んでいくのがわかる。


 果南『……梨子ちゃんにも、申し訳ないよ……』

梨子「果南ちゃん……私のことは気にしないで? 好きでやってるだけだから……」

 果南『こんなことさせるために……恋人になったわけじゃないのに……』

梨子「……支えあうのが、恋人だから……ね?」

 果南『……自分が……情けない…………』

梨子「大丈夫だから……!」

 果南『……こんなの……もう、介護……だよ……』

梨子「…………」


落ち込み続ける果南ちゃんに、なんて言葉を掛ければいいのか悩みながら……私は果南ちゃんの身体を拭き続ける。





    *    *    *





果南「………………くぅ……くぅ……」
276 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:03:55.77 ID:vQ6qZL/R0

背中を拭いてあげたあと、果南ちゃんは眠ってしまった。

精神的な疲弊があまりに大きかったのもあると思う。

憔悴しきって、眠ってしまった果南ちゃんの隣で、私は考える。

この状況が明日も続くようなら、おじいちゃんに連絡をした方がいい。

おじいちゃんが携帯電話を持っているのかはわからないけど……幸い行先は十千万旅館だと聞いている。

なら、千歌ちゃんに連絡をすれば最悪、コンタクトは取れるはず。

場合によってはお医者さんを呼ぶ必要もある。

ただ、今日は……もう……眠ろう。

私も疲れてしまった。

──果南ちゃんの隣で横になる。


梨子「果南ちゃん……絶対、私が支えるから……」

果南「………………くぅ………………くぅ……」

梨子「おやすみ……」


果南ちゃんの寝顔をしかと確認してから、目を閉じた──





    *    *    *





──夢を見た。

青い青い海を泳ぐ、紺碧の髪の人魚姫の夢。

でも、この人魚姫は幸せでした。

声を失っても、歩くことが出来なくても、この人魚姫の気持ちは──何故か王子様に伝わっていたのです。

言葉を交わさずとも、歩いて寄り添うことができなくとも、彼女の気持ちは王子様に通じ、王子様は人魚姫を迎え入れます。

幸せの絶頂の中、物語は終わ──りを──迎、え──


 「なに……?」


幸せな物語が突然、ノイズが入ったように乱れ──


 『こんなものはまやかしだ』


──声が響く。


 『子供の思い描く、都合の良い幻だ』


次の瞬間。幸せだったはずの人魚姫が──泡立ち始める。

紺碧のポニーテールを揺らしながらどんどん泡沫に消えていく。

そして、人魚姫は──……消えて、なくなった。





    *    *    *


277 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:05:58.73 ID:vQ6qZL/R0


梨子「──……っ!!」


──私は飛び起きた。


梨子「はぁ……っ!! はぁ……っ……!!」


心臓がバクンバクンと激しく脈を打っている。

全身に冷や汗をかいていて、気付けば手足が震えている。


梨子「ゆ、め……?」


肩で息をしながら、私は頭を軽く押さえる。

嫌な夢だった。

ただの人魚姫の話だったら、別にいい。

でも、あの人魚姫の姿は……どう見ても……。

──そこで私はハッとして、隣で寝ているはずの彼女に顔を向ける。


果南「………………」


ただ、それは杞憂だったようで、彼女は──果南ちゃんは、うっすらと目を開けて横たわったまま、私を見上げていた。

果南ちゃんはそのまま、ゆっくりと手を伸ばして、私の手に自らの手の平を重ね、口を開く。


果南「……り…………ゃん…………ょぅ…………」
 果南『梨子ちゃん……大丈夫……?』


ほとんど音になっていない掠れた声。ただ、心の声を聞く限り、心配してくれていることがわかった。


梨子「大丈夫……ちょっと、変な夢見て……起こしちゃって、ごめんね」

果南「…………」


果南ちゃんはふるふると首を横に振る。

一度微笑みかけてから、私はベッドから足を下ろす。

今日はどうしたものか。

昨日考えたとおり、症状が落ち着いていないなら、おじいちゃんを呼び戻して、お医者さんに掛かる方向だと思うけど……。


梨子「果南ちゃん」

果南「……?」

梨子「足の調子……どう……?」


手を握りながら、訊ねる。


 果南『どう……だろ……』


果南ちゃんは首を傾げる。


 果南『立ってみないと……わかんないな』

梨子「……一度、立ってみる? 私が支えるから」

果南「…………」
 果南『試して……みよう……』


私の言葉に果南ちゃんは、首を縦に振る。
278 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:07:30.46 ID:vQ6qZL/R0

梨子「よし……それじゃ……」


果南ちゃんが上半身を起こして、ベッドの端から足を垂らす。

足が軽く、床に着くと── 一瞬ビクッとして、足を引っ込める。


 果南『……だ、大丈夫……いつもなら、寝起きは……落ち着いてる……』


怖いんだ。昨日一日刺すような痛みに耐えていたんだもん。


梨子「果南ちゃん、怖いなら……無理しなくて、いいよ?」

果南「…………っ」


でも果南ちゃんは私の言葉に首を振る。


 果南『試しもしなかったら……もうホントに立てなくなる気がして……怖い……』

梨子「……わかった」


私は果南ちゃんの脇の下に頭を通して、支えるような形を取る。


梨子「せーのでいける?」

果南「…………!」
 果南『それで、やってみよう……』


果南ちゃんが首を縦に振った。

よし……!

息を吸う。


梨子「せーの……!」


果南ちゃんが足を出して──

立ち上が──


 『───¢£%#&□△◆■!!!?!!?!?』

梨子「っ゛!!?!?」


急に頭の中を、爆音が劈いて、蹲る。


梨子「……ぁ゛……づっ……!!」


目がちかちかして、頭がぐらぐらする。


梨子「……今の……何……っ……」


頭を押さえながら、立ち上がった傍らに……──倒れていた。


梨子「………………え?」


海のような深い青色の髪の少女が。

──私の大好きな、世界で一番大切な、大事な人が。

倒れていた。
279 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:08:51.34 ID:vQ6qZL/R0

果南「……………………」

梨子「あぁぁぁぁっ……!!」


私は目を見開く


梨子「──果南ちゃんッ!!!!」


すぐに彼女の傍らにしゃがみ込み肩を揺する。


梨子「果南ちゃんっ!!? 果南ちゃんッ!!!!!」


絶叫に近い声量で果南ちゃんの名前を呼びかける。

でも、


果南「……………………」


彼女からは一切の反応がない。


梨子「果南ちゃんっ!!! しっかり……!!! しっかりして……!!!」


肩を揺すっても、顔に触れても、手を握っても、反応がないどころか──テレパスも起こらない。


梨子「はっ……!! はっ……!!! はっ…………!!!」


動悸がしてきて、息が切れる、目の前で起こっていることに現実感がない。

何が起きてる? 何が起きているの? 何が起きてしまったの……!!?

焦り、混乱する思考の中、


梨子「た、助け……よ、呼ばなきゃ……っ!!!」


自分の周囲を手探りで探し始める。


梨子「携帯、どこ……!! どこ……!!?」


焦って回る視界の中──かろうじて、ベッドの上に置いてある自分のスマホが目に入る。


梨子「あった……!!」


引っ手繰るように手に取って、電話帳を開く。


梨子「き、救急車……!!! 救急車……、どこ……!!?」


焦った思考のまま、必死にスクロールするも、救急車なんて項目は当然登録されているはずもなく、ただ連絡先が流れていく。


梨子「はっ!! はっ!!! はっ!!!! なんでっ!! なんでないのっ!!?」


震える手で、か行とさ行の間を何度も行ったり来たりする。

もはやパニック状態に陥っていた私は、ダイヤルボタンを押して119番をすればいいことにすら気付けない。

そんな中──ある名前が、目に留まった。
280 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:17:02.09 ID:vQ6qZL/R0

梨子「くにきだ……はなまる……」


“国木田花丸”。

私は藁にもすがる想いで、花丸ちゃんの連絡先をプッシュした──





    🥖    🥖    🥖





花丸「……ふぅ、お掃除終わり」


境内にある落ち葉の掃き掃除を終えて一息。

秋と違って、吐く息が真っ白になるこの季節は、もう木々の葉っぱもほとんどが散りかけてしまっているためか、日に日に掃除する葉っぱが減っていくのが、なんだか風流に思える。

じいちゃんとばあちゃんは大晦日に備えて今日も大忙し。

だから、こんな雑用はマルの仕事なんです。


花丸「お茶でも飲んで、一服しようかな」


冬はつとめて。とは言うものの、やっぱり冬の早朝の寒さは身に染みる。こんな寒い朝はやっぱり温かいお茶に限るよね。

お茶を淹れるために、部屋に戻ると──


花丸「……ずら?」


すまーとほんがぴかぴか光っていることに気付く。


花丸「……ルビィちゃんかな?」


ルビィちゃん以外で、マルのすまーとほんに連絡してくる人はあんまりいない。

正直操作方法もよくわからないし、一緒に買いに行ったときにルビィちゃんが教えてくれた、電話とらいんと簡単なめーるの使い方くらいしかわからない。

そんなわけでルビィちゃん以外から連絡を貰うことはあんまりないのです。

でも、こんな早い時間に……?

まだ時間的には早朝と言って差し支えない時間に、ルビィちゃんが起きていること自体が珍しい。

……そんなマルの考えは正しかったようで、


花丸「……ずら? 梨子ちゃん……?」


すまーとほんの画面に表示されていたのは、桜内梨子という名前。


花丸「えっと……通話」


ぽちっと押して、すーまとほんに耳を当てる。


花丸「もしもし? 梨子ちゃん?」

梨子『──つ、繋がった!!!! は、花丸ちゃん……っ!!!』

花丸「ずらっ!!?」

梨子『お、お願い……っ!!!! 助けてっ!!!! このままじゃ、果南ちゃんが……!!!』

花丸「え、果南ちゃん!? なんのことずら!?」

梨子『た、倒れて……っ!!! 救急車、呼べなくて、だから、花丸ちゃんに……っ!!!』
281 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:19:00.50 ID:vQ6qZL/R0

なんだかよくわからないけど、梨子ちゃんが酷く混乱していることはよくわかった。


花丸「り、梨子ちゃん、一旦落ち着くずら……!」

梨子『でも、果南ちゃんが……っ!!! わたっ、私の……私のせいで……っ!!!』

花丸「梨子ちゃんのせい……?」

梨子『わた、しが……っ……ひぐっ……さとりの、力を……たよってた……から……っ……』

花丸「…………覚」


──聞き覚えのある怪異の名前を聞いて、マルは目を細めた。


花丸「梨子ちゃん、一回深呼吸して」

梨子『え、……しん、こきゅう……』

花丸「ゆっくり、息を吸って、吐くずら」

梨子『…………すぅー…………はぁー…………。…………』

花丸「……落ち着いた?」

梨子『…………。……う、うん……ごめん』

花丸「果南ちゃんに何かあったの?」

梨子『そ、そうだ……果南ちゃんが、た、倒れて……意識が、なくて……』


まだ少し混乱はしているものの、さっきよりは意味が通じている。

えーっと……確か、意識がないときは……。


花丸「呼吸はしてる?」

梨子『え、呼吸……?』

花丸「果南ちゃんの口元に耳を当ててみればわかるずら」

梨子『う、うん……!!』


ガサゴソと電話の先で音がする。

たぶん、今呼吸を確認しているんだと思う。


梨子『……呼吸はしてる……!』

花丸「ならひとまずは気絶してるだけだと思う」

梨子『…………』

花丸「……梨子ちゃん?」

梨子『よかったぁ……っ……』


今の今まで、よほど混乱していたのか、電話口から聞こえてきたのは、心の底から安堵した声だった。


花丸「ただ、えーっと……急に倒れたんだったら、他にケガしてないかとかは確認してあげた方がいいと思う」

梨子『あ、うん……!』


本から仕入れた程度の知識だけど、たぶん間違ってはいないはず……。

果南ちゃんの最低限の安否だけ、確認したのち、


花丸「梨子ちゃん」

梨子『な、なにかな……?』

花丸「さっき言ってた──覚の力を頼ったって、どういうことが教えてくれる?」
282 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:20:22.23 ID:vQ6qZL/R0

マルは梨子ちゃんに向かって、そう問いかけました。





    *    *    *





梨子「……よい……しょ……!!」


全身に力を込めて、やっとの思いで果南ちゃんをベッドの上に持ち上げる。


梨子「はぁ……はぁ……」


数十センチとはいえ、自分より体格や身長が大きな人を持ち上げるのが、こんなに大変だとは思わなかった。

それに加えて、意識のない人は想像以上に重いなんて言うけど……本当だったらしい。

とにもかくにも、どうにか果南ちゃんをベッドの上に寝かせてあげられた。

幸いなことに、私が確認出来た範囲では、頭を打ったりもしていなかったようだし……。

そして、頭の中を劈いたあの爆音は恐らく──


梨子「果南ちゃんが痛みで気絶するときに、発した……心の声」


実際に心の叫び声を聞いてしまったから、わかる。

尋常じゃない痛みだったんだ。

そんな痛みを私は……。唇を噛み締める。

私は、なんてことを……。

大切な人に、なんてことを……。

一人、過ぎたことを悔やんでいると──コンコン。


梨子「!」


出窓の方からノック音が聞こえてきた。

すぐにカーテンと共に窓を開け放つ。


花丸「お待たせ、梨子ちゃん」

梨子「花丸ちゃん……!」


そこには、駆け付けてくれた花丸ちゃんの姿。


花丸「果南ちゃんの容態はどう?」

梨子「今は、ベッドに寝かせてる……呼吸はしてるし、ケガも特にしてなかったよ」

花丸「それは何よりずら」


花丸ちゃんは靴を脱いで、果南ちゃんに近付いていく。


花丸「足が痛むって言ってたよね」

梨子「うん……本人はずっとそう言ってた」

花丸「……そして、梨子ちゃんはそんな果南ちゃんの心を……ずっと読んでいた」

梨子「………………ごめんなさい」
283 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:23:04.56 ID:vQ6qZL/R0

私は目を伏せる。


花丸「……どうしてこんなことになるまで相談しなかったの? って言いたいけど……今は先にやることがあるずら」

梨子「やること……?」

花丸「たぶん、一刻の猶予もない状況まで、進行しちゃってるからね……」

梨子「一刻の猶予も……ない……」


改めて言葉にされて青ざめる。


花丸「突然痛みで気絶するなんて、異常なことだからね。次は気絶じゃ済まないことが起こるってことだよ」

梨子「……だよ、ね……」

花丸「だから、今すぐに梨子ちゃんに取り憑いてる覚を追っ払うずら」

梨子「追っ払う……」

花丸「室内じゃ出来ないから、外に出よっか」

梨子「う、うん……」


花丸ちゃんの指示通り、二人で外に出る。


花丸「えっと……マッチと……」


花丸ちゃんは早速ごそごそと持っているポーチを漁り始める。


梨子「あの……花丸ちゃん……」

花丸「ずら?」

梨子「やっぱり、私……覚に取り憑かれてるの?」

花丸「たぶんね。心を読める怪異って言うといろいろいるにはいるけど……全部ひっくるめて覚って言っても、あながち間違いじゃないくらいには大きな括りだから」

梨子「やっぱり……怪異が関係してるんだ……」

花丸「少なくともマルには、それ以外の原因は思いつかないかな……。他人の心が読めるなんて、奇妙奇天烈なこと、神様か妖怪くらいしか出来ないと思うよ」

梨子「そう……だよね……」

花丸「……? 何か引っかかってるの?」

梨子「あ、いや……」

花丸「気になることがあるなら、今言って欲しいかな……。まだ、何か隠しててそれが原因で状況が悪化しても困るし……」

梨子「か、隠してるというか……。……何が原因なのかなって」

花丸「?? だから、原因は覚で……」

梨子「そうじゃなくて……! 何で私は覚に取り憑かれちゃったのかな……って」

花丸「ん……それに心当たりははないの?」

梨子「……正直ずっと考えてたんだけど……これに関しては全然思い当たる節がなくて……」


本当にある日気付いたら果南ちゃんの心が読めるようになっていた。

この一点においては、全く嘘偽りがない。

もちろん、私が無意識のうちに覚に取り憑かれるような振舞いをしていた可能性もあるけど……。


花丸「……確かに、憑かれた原因がわからないと、また取り憑かれる可能性はあるね。……ただ、今はとりあえず梨子ちゃんに憑いてる覚を追っ払うことが先決かな。そっちは梨子ちゃんから追い出したあとに考えればいいことずら」

梨子「まあ、それもそっか……」


今は果南ちゃんを助けることが先決だもんね。
284 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:25:46.42 ID:vQ6qZL/R0

花丸「それじゃ、梨子ちゃん。準備はいい?」

梨子「う、うん」

花丸「始めるずら」


そう言って、花丸ちゃんはマッチと爆竹を手に持った。



──────
────
──


さて、話は先ほど花丸ちゃんと電話でしていた会話に遡る。

私が覚によって果南ちゃんの心をテレパスで読んでいたことを白状すると、花丸ちゃんは覚への対処法を話し始めた。


花丸『覚ないし……サトリのワッパと呼ばれる怪異には共通する弱点があるずら』

梨子「共通の弱点……確か前に焚火って言ってたよね」

花丸『うん。心を読むことが出来ない無生物……即ち焚火の木片が跳ねてぶつかったことで退治された逸話から、それが弱点だって知られてるよ』

梨子「それじゃ……焚火をすれば、倒せるってこと……?」

花丸『概ねその理解で間違ってないずら』

梨子「……でも、焚火の準備なんて出来るかな」


淡島で今から薪を集めて、火を起こすなんて……。


花丸『そうだね。ただ、覚にはもうちょっと簡単に用意出来る対抗策があるずら』

梨子「簡単に用意出来る対抗策……?」

花丸『それが──爆竹ずら』

梨子「爆竹……? 爆竹って、火をつけるとパパパパーンって鳴るやつ……だよね?」


子供が遊んでいるおもちゃというイメージが強いけど……それこそ、千歌ちゃんも小さい頃に爆竹で遊んで叱られたって話を最近聞いたところだ。


花丸『元々爆竹は、昔の中国で悪鬼や疫病を駆逐するために、竹を焚火にくべて爆ぜさせていたものが由来とされているずら。だから、今でも覚だけじゃなくて、様々な怪異から人里を守るために、春節になると爆竹を鳴らす風習が残ってる地域もあるんだよ』

梨子「えっと、つまり……焚火が弱点の怪異は、爆竹も弱点ってこと……?」

花丸『そういうことずら。日本ではそういう風習があんまりないから、爆竹はおもちゃ扱いだけど……覚に関しては、ピンポイントな弱点になるはずだよ』

梨子「じゃあ、爆竹を用意すれば……!」

花丸『うん! だから、今から持ってそっちに行くから──』


──
────
──────



──そして今に至る。


花丸「梨子ちゃん、すごい音がすると思うけど、耳は塞がないでね。梨子ちゃんの中にいる覚を驚かせるためのものだから」

梨子「う、うん……!」
285 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:28:17.15 ID:vQ6qZL/R0

少し開けた場所に立った私のそばで、花丸ちゃんがマッチに火を点ける。

私は──目を瞑る。

本当に大変なことになってしまった。私が無知だったばっかりに……。勝手にいいものだと思い込んだ──うぅん、思い込もうとしたせいで。

この力に頼って、助かった場面はいっぱいあった……だけど。

その代償が私に返ってくるならともかく……果南ちゃんに害が及んでしまうのは、許されることじゃない。

虫のいい話かもしれない。でも……もう、出て行ってください。

そう心の中で唱えて──


花丸「いくずら……!!」


花丸ちゃんが爆竹の導火線に火を点けて、私の周囲に放り投げる。

5〜6個の爆竹が私の周りに落ちて──パパパパパパーーーーン!!!! と小気味のいい爆発音を立てながら、跳ね回る。


梨子「……!!」


爆竹なんて使ったことがなかったから、至近で爆ぜる爆音と火花が少し怖いけど──果南ちゃんにこれ以上、何かがある方がもっと怖い。

そう思いながら、爆竹の中で立ち尽くす。

数秒間、大きな音と火花を爆ぜ散らせながら、踊り狂った爆竹たちは……程なくして、鎮火した。


花丸「梨子ちゃん、お疲れ様」

梨子「…………終わり……?」

花丸「終わりだよ」

梨子「…………そっか」


思いのほか、あっさりと終わって拍子抜けする。


梨子「……自分の中に変わった部分は特にないけど……」

花丸「まあ、対象が限定されてる能力だったみたいだし、自覚出来る変化はあんまないかもね……。でも、これできっと果南ちゃんの心は読めなくなってるだろうし、それに伴って害をなしてた……覚の毒? とでも言うのかな? そういう力は失われていくはずだよ」

梨子「それなら、今すぐ果南ちゃんのところに……!」


私は駆け出す。


花丸「一件落着ずら」


そんな私の後を花丸ちゃんがゆっくりと追いかけてくる。

──部屋に入ると。


果南「………………」


果南ちゃんが朝と同様、うっすらと目を開けているところが目に入ってくる。


梨子「果南ちゃん……! 気が付いたんだね……っ!」


爆竹の大きな音で、目を覚ましたのかもしれない。


梨子「よかった……果南ちゃん……っ……!」

果南「…………?」


不思議そうな顔をする果南ちゃんの手を握る。
286 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:30:00.75 ID:vQ6qZL/R0

梨子「……果南ちゃん、あのね……私……」


ちゃんと、言わないと……私がしでかしてしまったことを……。


梨子「私……」


……でも、言葉が上手く出てこない。

──もしかしたら、嫌われるかもしれない。そんな考えが頭過ぎって、私の口を鈍らせる。

手を握ったまま、躊躇していると──


 果南『あれ……私……どうしたんだっけ……?』

梨子「……え」


頭の中に──声がした。


 果南『さっきの音……? 爆竹……?』


──私は一気に青ざめる。


花丸「それにしても……覚ってワッパも含めるとものすごい数の種類がいるけど……特定の人相手だけに発動する種類もいたなんて、勉強になったずら」


能天気に部屋に入ってくるに花丸ちゃんに対して、私は、


梨子「……まだ、終わってない」

花丸「……ずら?」

梨子「まだ、終わってない……!! テレパスの能力、なくなってない!!」


大きな声でそう伝えた。


花丸「!? そ、そんなはずないずら!! 覚やサトリのワッパの弱点は確かに爆竹で間違いないよ!!」

 果南『テレパス……? さとり……? 何のこと……?』

梨子「でも、現に声は聞こえるの!!」


能力が消えていないということは、それに伴って起こる果南ちゃんへの異変も収まっているとは思えない。


花丸「そ、そんな……? どういうこと……? まさか、爆竹が効かない覚の類……?」

果南「…………?」
 果南『一体……何の話だろう……?』


怪訝な顔をする果南ちゃん。


梨子「あのね、果南ちゃん……実は──」


意識の戻った果南ちゃんに事情の説明をしようとした、そのときだった。

──ぶくぶくぶくと、泡立った。


梨子「……うそ……」


私は目を見開いた。


花丸「な……なに……これ……?」


花丸ちゃんも言葉を失う。
287 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:31:18.34 ID:vQ6qZL/R0

果南「………………?」
 果南『何……? これ……?』


そして、当人である果南ちゃんも自体が呑み込めず呆けていた。

いや、それもそのはずだ。泡立っていたのは他でもない──果南ちゃん自身だったからだ。

私が触れた部分から──泡になり始めていた。

私は咄嗟に手を放す。


梨子「は、花丸ちゃんっ!!! 果南ちゃんがっ!!!」

花丸「な、なにこれ……? どういうこと……?」

梨子「花丸ちゃんっ!!!」


立ち尽くしてる花丸ちゃんの両肩を掴む。


梨子「覚、全然いなくなってないっ!!!」

花丸「わ、わかってるずら……!! で、でも……」


花丸ちゃんは私に肩を掴まれたまま頭を抱える。


花丸「覚相手の退治手順を間違った……? いや、そんなはずない……。確かに爆竹で間違いないはず……」

梨子「花丸ちゃんっ!!」

花丸「今、考えてるのっ!!!」

梨子「でも、このままじゃ!!! このままじゃ、果南ちゃんが泡になって消えちゃうっ!!!!」


私が必死に叫ぶと、


花丸「消える……?」


花丸ちゃんは私の言葉に引っかかる。


花丸「どうして、消えるって思うの……?」

梨子「え……!?」

花丸「泡立つ=消えるって……」

梨子「え……」


それは……。


梨子「人魚姫は……泡になって、消えちゃう……から……」


私の言葉で、花丸ちゃんは目を見開いた。


花丸「……逆だったずら」

梨子「逆……?」

花丸「……これは、人魚姫ずら」

梨子「人魚、姫……? 花丸ちゃん、何言って──」

花丸「果南ちゃんが訴えてるのは、刺すような足の痛み、声が出ない、極端に乾く目なんでしょ!?」

梨子「えっ、そ、そう……だけど……」

花丸「刺すような痛みは人魚姫が人間の足で歩くと、感じる痛み!! 声が出ないのは、魔女に声をあげちゃったから!! 極端に目が乾くのは、そもそも人魚は涙を流せないから!!」

梨子「!!」
288 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:34:16.77 ID:vQ6qZL/R0

そこでようやく私も気付く。


梨子「そして、最後は……泡になって消える……」

花丸「マルたちは、心が読める力のイメージに引っ張られ過ぎて……『梨子ちゃんが覚に憑かれてる』って勝手に勘違いしてたずら。心が読める力に付随して、果南ちゃんの身体に不具合が起こってるって思い込んでた。でも、今起こってる現象は人魚姫そのものずら!! つまり……!」


つまり──


花丸「『梨子ちゃんが覚に取り憑かれてる』んじゃなくて……!! 『果南ちゃんが人魚姫に取り憑かれてる』ずら……!!」

梨子「物語に取り憑かれるって、そんなことありえるの……!?」

花丸「理屈はわからない……でも、どう考えても、人魚姫との関連性が大きすぎるずら! ただ……」

梨子「ただ、何!?」

花丸「テレパス能力との親和性がわからないずら……。人魚姫にそんな設定ないし……」

梨子「それ今重要!?」


現在進行形で果南ちゃんは泡になって消え始めてるのに、そんな設定の話なんて……。


花丸「そこがわからないと、原因が特定出来ないずら!!」

梨子「げ、原因って……?」

花丸「人魚姫がどうしてあそこまで果南ちゃんと同一化してるかの原因!! 物なのか、人なのか、それとももっと抽象的な原因……それこそ、物語があること自体が原因なのか!! それがわからないと対処のしようがないずら!!」


言われてやっと気付く。果南ちゃんが今、人魚姫と同化しているとわかったところで、何が原因になっているのかがわからなければ、それを止める術がない。


花丸「梨子ちゃんっ!!! 何かわからないっ!!?」

梨子「な、何かって……」

花丸「人魚姫を通じて、テレパスしたい……いや、されたいって思うようなエピソード!!!」

梨子「そ、そんなピンポイントなエピソード……」

花丸「それがわからないと果南ちゃんは本当に泡になって消えちゃうずら……!!!」

梨子「……っ!」

花丸「マルには絶対にわかんない!! わかる可能性があるとしたら、ずっと果南ちゃんと一緒にいた梨子ちゃんにしかわからないずら!!」


私は頭を抱える。

思い出せ、思い出せ……!!

人魚姫のエピソード……!!

果南ちゃんとした人魚姫の話……クリスマスに贈りあったネックレス……いや、関係ない。

そもそもなんで、人魚姫の話になったんだっけ……そうだ、私が小さい頃、人魚姫を内浦で見たって話をして、えっと……そうだ、そのあと二人で人魚姫の絵本を読んで……。


梨子「……あ」


その後だ。果南ちゃんはこう言った。

──『どうすれば、あの物語は、あんな悲しい結末にならなかったんだろうって……今でも思うよ』──

──『……もし、人魚姫の気持ちが……王子様に伝わっていたら……変わってたのかな』──

──『王子様が……人魚姫の考えてることがわかれば……結末は変わってたのかな……』──

何に想いを馳せながら、願った……? そんなの……!!


梨子「あの絵本だ……!!」

花丸「ずら!?」
289 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:35:34.01 ID:vQ6qZL/R0

私は、果南ちゃんの机のノートを立てている本棚から、ボロボロの絵本を一冊引き抜いて──


梨子「!?」


──戦慄した。

取り出した、ボロボロの絵本は、言葉では形容出来ない、禍々しいオーラのようなものを纏っていた。


梨子「……っ!! 花丸ちゃん!!」

花丸「原因はこれしかありえないずら……!! 果南ちゃんはこの絵本に取り憑かれてるずらっ!!」


花丸ちゃんの言葉に頷く。


梨子「どうすればいい!!?」

花丸「もう、本自体が怪異化してるから、焚き上げるしかないっ!!」

梨子「お焚き上げってこと!? 手順はっ!!?」

花丸「細かい作法に拘ってる余裕はないずら!! とにかく神聖な場所で、燃やせば悪霊化も出来ないはずだよ!!」

梨子「神聖な場所!?」


この淡島で神聖な場所って言ったら──


梨子「──淡島神社……っ!!」


目的地は決まった。もう時間がない。

絵本を片手に、一目散に走り出そうとした、そのとき──


梨子「きゃぁっ!!?」


急に何かに足を引っ張られて、転倒する。


花丸「梨子ちゃんっ!!」

梨子「な、なに!?」

 『やめて』

梨子「!!」


私の足を引っ張ったのは──


 果南『やめて……燃やさないで……母さんとの思い出の絵本なんだ……』


果南ちゃんだった。果南ちゃんが這ったまま、私の足を掴んでいた。


梨子「っ……」


これが果南ちゃんにとって、すごく大切なものだってことは知ってる。けど……。

私が逡巡する中、


花丸「ずらぁぁぁ!!!」

梨子「!」


花丸ちゃんが果南ちゃんに飛び付く。


 果南『マル……!?』
290 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:37:10.34 ID:vQ6qZL/R0

急に飛び付いてきた花丸ちゃんに驚いたのか、私の足を掴んでいた手が緩む。


梨子「花丸ちゃんっ!?」

花丸「梨子ちゃん!! 急ぐずら!!」

梨子「で、でも……!! 果南ちゃんがお母さんとの思い出だから、燃やさないでって……!!」

花丸「果南ちゃんと、果南ちゃんの思い出、どっちが大切ずらかっ!!!」

梨子「!!!」

花丸「思い出は、なくなってもまた作ればいい!! でも、果南ちゃんが消えちゃったら、思い出ごと全部なくなっちゃうずら!!」


言いながら、花丸ちゃんはさっき爆竹を引火させるのに使っていたであろう、マッチ箱を投げ渡してくる。

キャッチしながら、果南ちゃんを見ると、


果南「…………っ」


果南ちゃんはすごく悲しそうな顔で、私の手にある絵本を見つめていた。


梨子「……っ」


でも、私は──


梨子「果南ちゃん……っ……ごめん……っ!!」


絵本を持って走り出した。

恨まれてもいい、嫌われてもいい、それでも……果南ちゃんを助けるんだ……!!





    *    *    *





梨子「はぁ……っ!! はぁ……っ!! はぁ……っ!!」


淡島神社の急な階段を全速力で駆け上がる。

真冬の空気が肺に刺さって痛い。でも、もう時間に猶予はない。

普段トレーニングで上る階段ダッシュのとき以上の全力で階段を駆け上がる。

その際──声がした。


 『私の気持ちは……伝わらない……』

梨子「……っ」

 『鞠莉……関係ないって……。……私には関係、ないって……』


果南ちゃんの声だった。


 『自分の気持ちが伝わらないのって……辛いね……。……人魚姫も、こんな気持ちだったのかな』


これは、恐らく、記憶だ。

果南ちゃんがこの人魚姫の絵本を読みながら、積み重ねた、想いと──記憶。


梨子「はぁ……っ!! はぁ……っ!! はぁ……っ!!」

 『思ってることが、伝わればいいのに……。……想いが伝われば……きっと、こんな気持ちにもならないはずなのに』
291 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:39:05.35 ID:vQ6qZL/R0

だから、果南ちゃんは絵本を読みながら願い続けたんだ。


 『私の気持ちが──言葉に出来ない気持ちが、伝わればいいのに』





    *    *    *





梨子「は……っ!! は……っ!! は……っ!!」


やっとの思いで、淡島神社の一番上に辿り着く。

正直、全力ダッシュで上っていいような傾斜じゃないと改めて思い知らされる。


梨子「でも……あとは……っ……焚き上げる……だけ……っ……」


鳥居を潜って聖域に入ろうとした、そのときだった。


 『やめて』

梨子「!?」


頭の中に直接響く声。


 『やめて、大切な本なの、やめて』

梨子「この……声……っ……」


果南ちゃんの声。


 果南『ねぇ、なんで燃やそうとするの……?』

梨子「ごめん……! でも、このままじゃ果南ちゃんが危なくて……!」

 果南『だから、思い出まで消すの? 私と母さんの思い出を梨子ちゃんが消すの?』

梨子「っ゛……」


ダメだ、今この声を聞いちゃダメだ。

絵本を早く燃やさないと。

でも──


梨子「え……」


本を掴んだ私の手は、私の意思に反するように、絵本を手放そうとしない。


梨子「な、なに……これ……っ……」

 果南『絵本を燃やさないで』

梨子「っ゛……!」

 果南『母さんとの思い出を消さないで』


今までのテレパシーと違う。聞こえるなんてレベルじゃない。

私の頭全体を押しつぶすように、果南ちゃんの声が何度も反響して脳内に響き渡っている。
292 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:43:32.81 ID:vQ6qZL/R0

 果南『梨子ちゃん……やめてよ』

梨子「……っ゛……」


頭がガンガンする。意識が飛びそうだ。

ダメだ、早く本を手放さないと──


梨子「……っ゛」


覚束ない足で、鳥居まで歩を進める。

その際──


梨子「……あっ!!」


足をもつれさせて、前のめりに転ぶ。


梨子「…………ぐ、ぅ……っ……」


思いっきり転んだため、腕や膝を擦る。もちろん、絵本を持っていた手も──


 果南『ちょっと!! やめてよ!! 絵本が傷付いちゃう!!』

梨子「……!」


私は立ち上がる。


梨子「……ねぇ、そんなに大事……?」

 果南『大事だよ!! 大事な絵本だって、梨子ちゃんも知ってるでしょ!?』

梨子「……どれくらい? 世界一?」

 果南『そんなの世界一に決まってる!! たった一人の母さんとの思い出なんだよ!!』

梨子「……私の手と……指と……どっちが大事……?」

 果南『そんなの絵本の方が大事に決まってるでしょ!? 梨子ちゃんの手!? なんで、そんなものと比べるの!?』

梨子「……そんなもの……か」


私は息を吸う。


梨子「……果南ちゃんは、そんな風に言わないよ」

 果南『何が!?』

梨子「果南ちゃんの声で……騙らないでよ」


果南ちゃんは、こう言ったんだ。

──『……この手は……この指は……世界一大切なものだから……』──

──『……私たちの……Aqoursの曲を作ってくれる……大切な指だから……』──

──『……この指は……私の曲を作ってくれた……宝物だから……』──

心の底から、こう思って、言ってくれたんだ。

私は鳥居を潜って、膝を突き、


梨子「……うあぁぁっ!!!」


──絵本を持っている手を、思いっきり石畳に叩きつけた。
293 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:46:49.77 ID:vQ6qZL/R0

梨子「っ゛ぅ゛……!!!」

 果南『何やってるの!!? 本が、絵本が!!!』

梨子「貴方が果南ちゃんの気持ちそのものだって言うなら……っ!! 言ってみてよ……っ!!」


また同じように、手を叩きつける。


梨子「……っ゛あ゛ぁ゛……!!」

 果南『やめて!!! 絵本が、絵本がっ!!!』


硬い石畳で、手が切れ、擦り剥け、血が滲む。


──『だから……梨子ちゃんも、その宝物を……大切にして欲しい……』──

──『代わりの利かないものだから……大切に、して欲しいんだ……』──


梨子「私の手は、指は……!! 宝物だってっ!!!」

 果南『そんなものどうでもいい!!!! 私が大切なのは、その絵本なのっ!!!! やめてっ!!!!』

梨子「……ふふっ、やっぱり……貴方は……果南ちゃんじゃない」
294 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:52:43.93 ID:vQ6qZL/R0

もう一度大きく振りかぶって──手ごと、本を……叩きつけた。


梨子「……づ、ぁ゛ぁ゛……っ!!」


その拍子に本が手から、離れる。


梨子「はっ……はっ……離れた……っ!!!」


私はポケットからマッチ箱を取り出し、


梨子「……っ゛……!」


ボロボロになってじんじんと痛む手で、マッチを擦る。

──こんな痛み、果南ちゃんが今まで感じていた痛みに比べたら……!

点火したマッチ棒を見て、


 『やめて──やめろ、やめろぉぉぉぉぉぉ!!!!!』


境内中に声が響き渡る。

私は叫び続ける絵本に向かって──火の点いたマッチを……放った。


 『ぎゃああぁあぁあぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!』


絵本に引火すると共に、一段と大きな絶叫が響き渡る。


梨子「はぁ……はぁ……」

花丸「──梨子ちゃーん……っ。やっと、追いついた……ずらぁ……っ」

梨子「花丸……ちゃん……っ……」


ちょうど、階段を駆け上がってきて、へとへとな様子の花丸ちゃんが追い付いてくる。


 『許さない……』

花丸「ずら……声が」

梨子「……うん」

 『散々力に頼り切っていたというのに……』

梨子「……っ」


そうだ、私は愚かなことに……ずっとあの絵本の作り出した、心を読ませる力に──頼り切っていた。


 『都合が悪くなったから、燃やすなど……愚かな』

梨子「…………」

 『呪ってやる……。貴様の想いが……二度と、あの娘に……届かぬように……未来永劫、呪ってやる──』


その言葉を最後に──『人魚姫』の絵本は……燃え尽きたのだった。

295 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 21:53:12.53 ID:vQ6qZL/R0



    *    *    *










    *    *    *


296 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 22:16:40.41 ID:vQ6qZL/R0


──1月4日土曜日。

──コンコン。


 「……梨子ちゃん、起きてる?」

 「えっと……今日も梨子ちゃんのお母さんにお願いして、あげてもらったんだ……ごめん、勝手に」

 「…………」

 「一度、話がしたいんだ……」

 「…………」

 「…………ごめん、また来るね」





    *    *    *


297 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 22:19:21.62 ID:vQ6qZL/R0


梨子「…………」

花丸「果南ちゃん行っちゃったよ?」

梨子「…………」

花丸「いつまでそうしてるつもりずら?」

梨子「……だって、私……」


ベッドの上で膝を抱えて、縮こまる。


花丸「……もしかして、最後に言われた『呪ってやる〜』ってやつ、気にしてるの? あれは負け惜しみみたいなものだから、気にしなくていいと思うけど……」

梨子「それは割とどうでもいい……ただ……」

花丸「ただ?」

梨子「散々力に頼り切って……ずるしてたのは……あの怪異が言ってた通りだったなって……」

花丸「梨子ちゃん……」

梨子「……今更、果南ちゃんとどんな顔して会えばいいのか……わかんないよ」

花丸「…………」

梨子「それに私……果南ちゃんの大切な絵本……燃やしちゃったんだよ……」

花丸「……やむを得なかったことだと思うよ」

梨子「私……ずっと、果南ちゃんのこと苦しめてたんだ……。私がテレパスなんかに頼らなければ……果南ちゃんはあんな辛い思いすることなかった……」


私は抱えた膝に顔を押し当てて、蹲る。


梨子「花丸ちゃんも……こんなどうしようもない私のこと……慰めてくれなくていいんだよ……?」

花丸「…………。……とりあえず、報告だけさせて欲しいずら」

梨子「報告……?」

花丸「うん。結局、今回の怪異はなんだったのかって話。改めてちゃんと調べて考えてきたから、今度は間違いないと思う」


花丸ちゃんはそう前置いて話し始める。


花丸「あの怪異は覚じゃなくて……ずばり神ずら」

梨子「神……? あれが……?」

花丸「付喪神って言われる神様だよ。長い年月の中で強い思い入れを受けた道具には神霊が宿ることがあるずら。今回は、果南ちゃんの持っていた絵本が長い年月の中で神霊化して、付喪神になったみたいだね」

梨子「……結局、その付喪神は何がしたかったの? 果南ちゃんの思い入れで神様になったのに……果南ちゃんを消したかったの?」

花丸「難しいところだけど……きっと、あの絵本の神様は、物語の世界と果南ちゃんを同調させただけだったんじゃないかな」

梨子「同調……」

花丸「果南ちゃん……ずっと、悩んでたんでしょ?」


ずっと悩んでた──鞠莉ちゃんとのことだ。

10月頃にあった、鞠莉ちゃんとのトラブル。

結局、最終的に仲直りはしたものの……果南ちゃんの中では、ずっと何かがつっかえたままで……。

──『あのとき自分の想いがちゃんと鞠莉に伝わっていれば』──

──『どうして、私の想いは届かないんだろう』──

そんな想いが果南ちゃん自身の中で、ずっと渦巻いていた。
298 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 22:24:20.90 ID:vQ6qZL/R0

花丸「その悩みを……果南ちゃんは人魚姫に投影してしまっていた。強い想いを投影された絵本は──本来あったはずの物語を歪めた形で神格化しちゃったってところかな」

梨子「じゃあ、なんで泡になって消えるの……?」

花丸「ずら?」

梨子「そもそも果南ちゃんが投影したのは、想いが伝われば、幸せになれるかもって話でしょ……?」

花丸「うーん……これはマルの想像だから、正確なことはわかんないけど……果南ちゃんの中で一番強かったのは、想いが伝わればって部分だったんでしょ?」

梨子「……たぶん」

花丸「付喪神はあくまでその部分の強い想いを核にした投影で神格化したわけで……それ以外の部分は元の物語のままだったんじゃないかな」

梨子「いい加減な神様……」

花丸「まあ、もともと『人魚姫』はそういう話じゃないし……」

梨子「そう、だよね……。『人魚姫』は……ただただ悲しいお話だし……」


ただ、報われない恋をした人魚姫が、消えてなくなるだけのお話……。

でも、私の言葉に対して、


花丸「んー? そうかな?」


花丸ちゃんは首を傾げる。

どうやら、花丸ちゃんは『人魚姫』の物語をそうは捉えていないようだ。


梨子「……いや、だって……救いようのないバッドエンドだよね……?」

花丸「……………………なるほど」

梨子「……今の間は何……?」

花丸「うぅん。そういう捉え方もあるのかなって思っただけ」

梨子「……そう」


まあ……物語の感じ方は人それぞれか……。

私は再び膝を抱えて顔を伏せる。


花丸「……それで、いつまでそうしてるつもりずら?」

梨子「その話に戻るの……?」

花丸「だって、もうあれから一週間以上経ってるんだよ?」

梨子「…………」

花丸「毎日ああして足しげく通ってくれてるんでしょ? 話くらい聞いてあげても……」

梨子「……自信がないの」

花丸「自信……?」

梨子「……もう、私には……果南ちゃんの心の中を知る術はないから……」


私はテレパスを失った。

考えてみれば、私は果南ちゃんとの付き合いの中で、常にテレパスに依存しきった関係を築いていた気がする。

果南ちゃんの心がわかる、察しの良い私は──もういない。

まあ、考えてみれば……あれは私の力ではなく、果南ちゃんの力だったから……実は最初からそんな私はいなかったのかもしれないけど……。
299 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 22:26:53.92 ID:vQ6qZL/R0

花丸「……なるほどね」

梨子「……きっと、果南ちゃんの気持ちはもう……わかってあげられない」

花丸「……梨子ちゃんが何に思い悩んでるのかはわかったずら。それでも、一度ちゃんと話した方がいいと思うけどな」

梨子「…………」

花丸「まあ……マルがこれ以上口出すことじゃないけど。そういえば、手は大丈夫?」


──手。

絵本を引きはがすために、思いっきり石畳に叩きつけた手のことだろう。


梨子「切り傷に擦り傷、軽い打撲もしてて、自分で叩きつけてケガしたって説明したら、お医者さんにすごい叱られた……」


そう言いながら、包帯を巻かれた手を見せる。


花丸「そんな素直に言ったら、そりゃ叱られるよ……」

梨子「……でも、幸い跡が残ったりすることはなさそうだってさ」

花丸「それは何よりずら。……さて、梨子ちゃんの手の安否も確認出来たし、もうマルがすることは終わったから、お暇しようかな」


花丸ちゃんは最後にそう残して、部屋から出ていこうとする。


花丸「お邪魔しました」

梨子「……花丸ちゃん」

花丸「ずら?」

梨子「……助けてくれて……ありがとう」

花丸「ふふ、どういたしまして」





    *    *    *





──気付けば部屋が暗くなっていた。


梨子「夜……か……」


また落ち込んで引きこもったまま、一日を終えてしまった。


梨子「……少しくらい、外の空気吸っておこうかな……」


そう思ってカーテンを開けると──


梨子「あ──」

千歌「……?」


窓の向こうに千歌ちゃんの姿。

……しまった、完全に目合っちゃったな……。

さすがにこのまま無言でカーテンを閉めるのは、千歌ちゃんに悪い。

そう思って、ベランダに出る。
300 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 22:29:44.89 ID:vQ6qZL/R0

千歌「梨子ちゃん、久しぶり。最近ずっとカーテン閉めたまんまだったから心配してたんだよ?」

梨子「ごめん……ちょっと、いろいろあって……」

千歌「いろいろって……果南ちゃんと?」

梨子「…………」


まあ、お隣だしバレてるよね……。


千歌「最近、果南ちゃん、梨子ちゃんのおうちに来ては、すぐに帰ってっちゃうし……。ケンカでもしたの?」

梨子「ねぇ、千歌ちゃん……」

千歌「ん?」

梨子「千歌ちゃんはさ……ダイヤさんの気持ちがわからないことって、ある……?」


訊ねてみて、あんなに仲の良い二人に限ってそんなことあるはずないのに、と思ってしまう。けど、


千歌「うん、あるよ」


千歌ちゃんの回答は意外なものだった。


梨子「あるの……?」

千歌「そりゃ、あるよ。……というか、むしろそれで一度別れかけたし」

梨子「え!?」


さすがにその話は予想外だった。


梨子「い、いつ頃……?」

千歌「うんと……8月の頭くらいかな」


8月の頭って……。


梨子「付き合い初めて1ヶ月くらいのときなんじゃ……」

千歌「うん、そうかな……。それくらいの時期ね、付き合い始めた頃は、ダイヤさんの気持ちも……チカの気持ちも、お互いわかりあって通じ合ってたのに……いろいろあって、それがわかんなくなっちゃったことがあってね」

梨子「う、うん……」

千歌「それで、私がすごいイライラしちゃって……何度もダイヤさんに向かって『前はわかってくれたのに!!』って怒っちゃって……その度にダイヤさんはすっごく悲しそうな顔して……。それでね、私なんでダイヤさんにこんな悲しい顔させてるんだろうって。……そのとき、ああ、もうダメなんだなって思って、ダイヤさんにそのこと話したんだ。もう終わりにしようって。傷つけるくらいなら離れたいって」

梨子「そ、それで……どうなったの……?」

千歌「……泣かれた」

梨子「…………」

千歌「私、今までダイヤさんがあんなに泣いてる姿……見たことなかったから、びっくりしちゃってさ。それでダイヤさん、こう言うんだよ」


──『言葉にしてくれなきゃわかりません……っ!! わたくしは、もっと貴女のことが知りたいのに……っ……! 貴女の言葉が聞きたいのに……っ……!』──


千歌「言われてハッとなってさ……。もう、その後は、お互いわんわん泣きながら、ごめんなさい、ホントは大好き、もっと一緒に居たいって……それでやっとお互いの気持ちが再確認出来たというか……。……って、あ……ダイヤさんが泣いてたこと話したのがバレたら怒られるな……。……チカが話したことは内緒にしておいてね?」


千歌ちゃんは口元に人差し指を当てながら、そんな風に話す。
301 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 22:30:55.95 ID:vQ6qZL/R0

千歌「それからかな……お互いいろんなことを言い合うようになったよ。見たもの、感じたもの、思ったこと、なんでも話すようになった。むしろ今では、お互いの気持ちが通じ合ってるって思ってた頃よりも、ダイヤさんのことを深く知れた気がしてるよ」

梨子「そう……なんだ……」

千歌「まあ、不満があるとしたら、最近ダイヤさんのチカへの扱いが雑なことだけどね!」

梨子「…………」

千歌「だから、梨子ちゃんも。思ったことは真っ直ぐぶつけてあげて欲しいな……。もちろん、思い通りにならないこともたくさんあると思うけど……果南ちゃんはきっと、梨子ちゃんの言葉をしっかり受け止めてくれると思うから」


千歌ちゃんは微笑みながら、そんな風に言うのだった。





    *    *    *





──翌日。1月5日日曜日。

私は最後までどうするか悩んでいたけど……結局、朝から淡島に渡り──船着き場で待っていた。

冬の波風を受けながら。……ここに居れば絶対にあの人は来るからと、思って待っていた。

──そして、待ち人は、


果南「え……」


お昼前になると、やっと現れた。


梨子「……果南ちゃん、久しぶり」

果南「ひ、久しぶり……」

梨子「……うん」

果南「…………」

梨子「…………」


挨拶もそこそこに、会話が続かず無言になる。

どうしよう……何から話せば、いいんだろう……。

そのまま、しばらく無言が続いたけど、


果南「……少し、歩かない……?」


果南ちゃんは意を決したように、そう提案してきた。





    *    *    *


302 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 22:33:45.20 ID:vQ6qZL/R0


果南「…………」

梨子「…………」


二人で淡島を歩く。

二人で並んで歩きながらも──お互い無言が続く。無言のまま歩いて、気付けば淡島内にあるトンネル・ブルーケイブの中。

どうしよう……これでも、一応話をしに来たつもりなんだけど……。どう会話を切り出せばいいのかがわからない。

そんな中で、無言の空気を先に破ったのは、


果南「……あの、さ」


またしても、果南ちゃんだった。


梨子「ん……」

果南「その……ちゃんとお礼言ってなかったなって……」

梨子「お礼……」

果南「マルから聞いたんだ……私、すごく危ない状態だったって」

梨子「……」

果南「梨子ちゃん……助けてくれてありがとう」

梨子「…………私」


足を止めて、目を伏せる。お礼を言われるようなことをした覚えはない……むしろ、


梨子「私…………果南ちゃんの大切な絵本……燃やしちゃった」


私は、果南ちゃんが『やめて』と言っても、やめなかった。彼女の思い出を……燃やしたんだ。


果南「……あのときは私も気が動転しちゃってて……あんな風に言っちゃったけど……。あのままだと、私泡になって消えちゃうところだったんだよね……? 梨子ちゃんは私を助けてくれた……気に病むようなことじゃないよ」

梨子「それだけじゃない……私……ずっと、果南ちゃんの気持ちを盗み見てた」

果南「それは、違──」

梨子「──私……!」


果南ちゃんの言葉を掻き消すように、言う。


梨子「本当はもっと前から、気付いてたの……気付いてたのに……自分が間違ってたこと、認められなくて……果南ちゃんをずっと傷付けてた……」

果南「……梨子ちゃん」

梨子「この力は、“ご縁”なんだって、自分の都合の良いように解釈して、思い込んで……それで果南ちゃんを傷付けて……辛い思いさせて、痛い思いさせて……」

果南「…………梨子ちゃん」


果南ちゃんが私の名前を呼んで、私の手を握ろうとする。

私は──その手から逃げるように、後ろに下がる。


果南「…………」

梨子「……果南ちゃんは優しいから、きっと優しい言葉を投げ掛けてくれる……でも、でもね……」


私は一度大きく息を吸う。そうじゃないと、怖くて、言えない気がしたから。


梨子「──もう、果南ちゃんの気持ち……わからないの……っ」


その拍子に涙が零れた。
303 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 22:38:48.06 ID:vQ6qZL/R0

梨子「許してくれても、笑い掛けてくれても、手を握ってくれても、抱きしめてくれても、髪を撫でてくれても……もう、私には……それが果南ちゃんの本心なのか、わからない……っ……テレパスがないと……どうやって、そばに居ればいいのかも、わからない……っ……。……だから──」


思わずぎゅっと手を握る。今……言わなきゃ。こんな……ずるをしなくちゃ、何もできない、私には──


梨子「こんな私に……果南ちゃんのそばに居る資格──」

果南「──梨子ちゃん」


──でも、果南ちゃんは、それでも私を抱きしめた。

私が取った距離を、しっかりと詰めて──果南ちゃんは、私をしっかりと抱きしめる。


果南「ごめんね」

梨子「……っ」

果南「私が弱かったせいで……梨子ちゃんを苦しませてる……」

梨子「ち、ちが……っ」

果南「ホントは……最初から全部、私がちゃんと言葉で伝えてればよかったんだ。でも、梨子ちゃんは気付いてくれる、わかってくれるって……甘え切って……」

梨子「…………わ、私は……っ」

果南「だから、もう甘えない──」


果南ちゃんは私の両肩に手を置き、私の目を真っ直ぐ見て、


果南「梨子ちゃん。好きだよ」


そう、言った。


梨子「……っ……!」

果南「……よく考えてみたら、私、一度も自分の口から、伝えてなかった。……梨子ちゃん、好きだよ」


果南ちゃんの愛の言葉を聞いて──ポロポロと涙が溢れ出す。


果南「世界で一番……大好きだよ」

梨子「……こんな、私でも……いいの……っ……?」

果南「もちろん」


果南ちゃんは頷きながら、今度は強く強く、抱きしめる。


果南「……これでも、私の気持ちは、本心は、好きって気持ちは……伝わらないかな……?」

梨子「……っ……」


私はふるふると首を横に振る。


梨子「──……伝わってる……っ……」

果南「……よかった」


──ああ、やっとわかった。

心の声が聞こえなくたって、伝わる想いは──ちゃんと、あるんだ。

少なくとも、今、私には、伝わってる。

だから、今度は──


梨子「果南ちゃん……っ……」

果南「ん……」
304 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 22:40:16.67 ID:vQ6qZL/R0

私も伝えなくちゃ。言葉にして、想いを。


梨子「──好き、です……っ……。大好き……っ……」

果南「うん……知ってるよ……。ずーっと……知ってたよ……」


私の髪を撫でながら、果南ちゃんは優しい声で、答える。

それ聞いた途端に、いろんな感情が溢れてきて、


梨子「ぅ……っ……ぅぇぇぇ……っ……」


私はみっともなく、声をあげて泣き出してしまった。

でも、果南ちゃんは、そんな私を優しく抱き留めたまま、


果南「ずっと一緒にいよう…………。……梨子」


そう、言葉にしてくれた。

──まだ年明けて数日しか経っていない昼下がり。

煌々と光る青いライトに照らされたトンネルの中で、私はしばらくの間、肩を震わせ続けていた。

世界で一番落ち着く、世界で一番幸せな、胸の中で──





    *    *    *


305 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 22:44:22.54 ID:vQ6qZL/R0


──数日後。


花丸「一件落着だったみたいでよかったずら〜。ん〜おいしいずら〜♡」


私は諸々の報告がてら、花丸ちゃんを家に招いていた。

お礼も兼ね、松月のケーキを添えて。


梨子「……一件落着か」

花丸「? なにか、まだ気になることでもあるずら?」

梨子「うん、まあ……」

花丸「また、めんどくさいことになったら嫌だから、早めに教えてほしいな」

梨子「いや、その……なんで、皆は気付かなかったのかなって」

花丸「ずら……?」


花丸ちゃんは私の言葉に首を傾げる。


梨子「だって、あのテレパスって果南ちゃんの『人に心を読ませる能力』だったんでしょ? それだったら、私以外の人たちも触れたら果南ちゃんの考えてることがわかったんじゃ……」

花丸「んー、少なくともマルにはわからなかったよ」

梨子「え?」

花丸「一緒の部活をしてる以上、触れることくらいあるけど……その中でもマルは果南ちゃんの心を読めたことはなかったかな。だから、あれは相手を限定した能力だったんだと思うよ」

梨子「……まあ、それならそれでも、いいんだけど……」

花丸「まだ納得行かないの?」

梨子「……自分で言うのは悔しいんだけど……それなら、なんで私だったのかな」


少なくとも、テレパスが始まった時点では私と果南ちゃんの接点はほとんどなかったわけだし……相手を限定した能力だったというなら、選定基準はなんだったのか。


花丸「それは簡単ずら」

梨子「え?」

花丸「あれは最初から全部、『人魚姫』だったんだよ」

梨子「……? どういうこと?」

花丸「あの付喪神は物語を神格化した存在だったわけでしょ?」

梨子「うん」

花丸「付喪神が持っていた力の本質は、現実の人間と物語を強引に同調させる能力だったずら」

梨子「まあ……だから、果南ちゃんは足が痛んだり、声が出なくなったりしたんだもんね」

花丸「そうそう。ただ、その物語への同調の力って言うものが、果南ちゃん以外にも働くとしたら?」

梨子「?」

花丸「『人魚姫』には、人魚姫以外にも重要な登場人物がいるでしょ?」


重要な人物……つまり……。
306 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 22:47:09.97 ID:vQ6qZL/R0

梨子「えっと……私が王子様に割り振られてたってこと……?」

花丸「そういうことずら」

梨子「…………」

花丸「なんだか、これでも納得が行ってなさそうだね」

梨子「……それこそ、なんで私……?」

花丸「条件に当てはまるのが梨子ちゃんだけだったんだよ」

梨子「条件って?」

花丸「まず、あのお話の中で、人魚姫と王子様の間にある大事な関係の要素は、自分の知らない未知の世界に住んでいる存在、だよね」

梨子「……まあ、そうなるのかな」

花丸「そうなると、果南ちゃんと昔から面識のあった千歌ちゃん、曜ちゃん、ダイヤさん、鞠莉ちゃん、ルビィちゃんは除外。マルも内浦住みでお互いの顔は知ってたし、善子ちゃんも外界というほど離れた場所に居たわけじゃないしね。そうなると残ったのはそもそも梨子ちゃんだけなんだよ」

梨子「…………なるほど」


あれ、ということは……?


梨子「……私、最初から果南ちゃんに選ばれてたってことなんじゃ……///」

花丸「そういう解釈も出来るかもしれないね」


それこそ、私は勘違いをしていた。

皆が果南ちゃんの気持ちを読める中、私がたまたま偶発的に、果南ちゃんのテレパスに気付いたために、巻き込まれたんだと思い込んでいたけど……。


花丸「梨子ちゃんは最初から果南ちゃんに選ばれていた。そして、テレパスの力を使って、果南ちゃんのそばで彼女を支えて、その先で結ばれた」

梨子「……///」

花丸「“ご縁”に感謝しないとね」

梨子「うん……///」


私はあのとき、“ご縁”だと思い込んでしまったことを後悔していたけど……案外、それらも含めて、全て“ご縁”の一つだったのかも、なんて……花丸ちゃんの言葉を聞いて改めて考え直す。


花丸「あとその“ご縁”ついでに」

梨子「?」


花丸ちゃんがごそごそとバッグの中から──包装された長方形のものを手渡してくる。


梨子「これは……?」

花丸「マルからのプレゼントだよ。……うーんと、そうだなぁ。恋人が出来た梨子ちゃんへのお祝いってことで」

梨子「あ、ありがとう……これは、本……?」

花丸「うん。是非、果南ちゃんと一緒に読んで欲しいな」

梨子「果南ちゃんと……?」

花丸「きっとそこに、二人が求めてたものが、あると思うから」

梨子「求めてたもの……?」

花丸「やっぱりマルは、物語は好きで居て欲しいし。この“ご縁”にいっぱい感謝するためにもね」

梨子「……? う、うん……よくわかんないけど、ありがとう」


とりあえず……果南ちゃんと一緒に読めばいいんだよね……?

花丸ちゃんが何を言いたいのかは、よくわからなかったけど……私はそれをありがたく頂戴するのだった。


307 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 22:49:38.98 ID:vQ6qZL/R0


    *    *    *





そういえば、忘れかけていたけど……まだ一つ解決していない問題があった。


梨子「……この一件と直接関係してるのかわからないんだけど……」

花丸「ずら?」

梨子「実はもう一つだけ、わからないままのことがあるんだよね……」

花丸「って言うと?」

梨子「……人魚姫の噂は一体なんだったのかなって」

花丸「ずら……? 人魚姫の噂?」

梨子「うん……果南ちゃんから聞いたんだけど……。内浦に昔、人魚姫の噂があったらしいんだけど……ある日を境に、急に誰も知ってる人がいなくなっちゃったって話をされて……」


これに関しては、本当にどういうことかわからないままだった。


花丸「……あー」

梨子「……これも、怪異の仕業なのかな……? 噂を食べちゃう妖怪みたいな……」

花丸「……それは怪異の仕業ではないよ」

梨子「え? ……花丸ちゃん、何か知ってるの?」

花丸「まあね……」

梨子「し、知ってるなら教えて……!」


私が身を乗り出して訊こうとすると──


花丸「それなら、一番の当事者に訊いた方がいいと思うずら」


花丸ちゃんは、ある方向を指差した。


梨子「……?」


その方向にあったのは──


梨子「千歌ちゃん……?」


千歌ちゃんの家だった。





    *    *    *





──日もところも変わって、とある休日の朝のこと。


梨子「おじいちゃん、朝ごはん出来たから、新聞片付けて?」

おじい「……ああ」


私が声を掛けると、おじいちゃんは新聞を畳んで横に置く。

私も机の上に朝食を並べてから、エプロンを外して、席に着く。
308 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 23:05:28.21 ID:vQ6qZL/R0

梨子「いただきます」


私が「いただきます」をすると、おじいちゃんの方からも小さな声で「いただきます」という声が聞こえてくる。

──ちなみに今日の果南ちゃんはまだ仕事中。

今日は少し時間が掛かるから、先に食べていて欲しいと言われたので、こうしておじいちゃんと一緒に先に食べています。

……いつもの調子だと、まだ戻ってくるまでに20分ほど掛かると思う。

さて、あの話をするなら、今かな。


梨子「ねぇ、おじいちゃん」

おじい「なんだ」

梨子「……なんで、内浦の人魚姫の話、果南ちゃんには聞かせたくないの?」


お味噌汁を飲んでいたおじいちゃんの手が止まる。


おじい「……誰に聞いた」

梨子「……ってことは、やっぱりおじいちゃんが口止めしてたんだね」


確かに、千歌ちゃんに聞いたとおりだった……。



──────
────
──


千歌「──ニンギョヒメノウワサ?? ナニソレチカシラナイー???」


千歌ちゃんに訊ねると、酷い棒読みが返ってきた。


梨子「……ねぇ、千歌ちゃんお願い……! 何か知ってるなら教えてくれないかな……?」

千歌「し、知らない……っ!! チカ、そんなの知らないもん……っ!!」


軽く涙目になりながら、拒否される。


花丸「あはは、相当怖かったんだね。果南ちゃんのおじいちゃん」

千歌「は、花丸ちゃん!! 滅多なこと言っちゃダメだよぉ!? おじいが怒るとホントに怖いんだからね!? チカあのときは死んだと思ったんだから……っ!!」

梨子「なんでおじいちゃんはそんなに怒ったの……?」

千歌「そんなの知らないよっ! チカはただ、内浦の人魚姫について、果南ちゃんと一緒に探しに行くから教えてって聞きに行っただけだもん! おじいは内浦の海のことならなんでも知ってるからって思って聞いたら……ああ、だ、ダメ……思い出しただけで泣きそう……っ」


──
────
──────



突然消えた噂の真相──それは、内浦の人魚姫について訊ねた千歌ちゃんが、トラウマになるくらい、おじいちゃんを激昂させたということが起因だったらしい。

おじいちゃんはこれでも内浦地区一帯では有名人で、かなりの古株、加えて子供受けがよく寡黙だけど優しい人なのに、千歌ちゃんが泣き帰るくらいに激怒したという事実は、田舎特有の噂の伝播スピードによって一気に広まり、瞬く間にこの一帯で人魚姫の噂をすることはタブーになったらしい。

しかも、どうやら──果南ちゃんにその話をすることは完全に禁忌扱いだったということまでは、千歌ちゃんと花丸ちゃんから教えてもらうことが出来た。
309 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 23:07:35.62 ID:vQ6qZL/R0

梨子「もちろん、果南ちゃんには言わないつもりだけど……」

おじい「なんで、知る必要がある」

梨子「私……小さい頃に、内浦で人魚姫を見たんです。……だから、気になって」

おじい「……他所でも有名だったのか、あの馬鹿娘は……」

梨子「バカ娘……?」

おじい「そいつは、俺の娘だ」

梨子「……へ?」


思わずポカンとしてしまう。おじいちゃんの娘ってことは──


梨子「果南ちゃんのお母さん……?」

おじい「そうだ」

梨子「え……それじゃ、なんで果南ちゃんに教えてあげないんですか……?」

おじい「……あの馬鹿娘に影響されて、果南まで出て行ったらどうする」


この不可解な人魚姫の噂の正体って──もしかして、ただの孫バカ……?


おじい「育てて貰った恩も忘れて……男と一緒に出ていきやがって……」


つまり……娘が出て行ってしまって、怒っているおじいちゃんが、孫を取られまいと、話題を出させないようにしていたものだったということ。

なので、私が見た紺碧の髪の人魚の夢は──果南ちゃんを意識しすぎて、見てしまった妄想の夢というわけではなく、当時実際に見た果南ちゃんのお母さんだった、ということらしい。

どうりで果南ちゃんにそっくりだったわけだ……。


おじい「……まあ、そういうことだ」

梨子「あ、うん……ありがとうございます」


思ったよりもしょうもない理由で少し拍子抜けしてしまったけど……。


梨子「……ふふ」


なんだか、孫だけは取られたくないと必死になっているおじいちゃんはちょっと可愛げがあるなと思ってしまった。


おじい「なんだ」

梨子「なんでもないですよー。ふふっ」





    *    *    *


310 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 23:13:21.84 ID:vQ6qZL/R0


──休日の朝から朝食を作りに果南ちゃんの家まで来ていたということは、そのあとは果南ちゃんとお家デートなわけで……。


果南「さて……何かしたいことある?」

梨子「うん、実は一緒に読みたい本があるんだ」

果南「読みたい本?」

梨子「……花丸ちゃんにプレゼントしてもらったんだけど」


この間、花丸ちゃんにお礼をしたときに渡された本を取り出す。


果南「マルから……?」

梨子「是非、果南ちゃんと一緒に読んでって言ってた」

果南「私と一緒に……?」

梨子「うん……なんでも……『二人が求めてたものが、あると思うから』……って」

果南「? なんだろ……? まあ、そこまで言うなら読んでみようか」

梨子「うん」


私は、バッグから包装用紙で丁重に包まれた本を取り出し、包装を開けてみる。すると、中から出てきたのは──


梨子・果南「「あ……」」


──『人魚姫』だった。横長の重厚な装丁のハードカバーの絵本だ。


梨子「……読む?」

果南「……まあ、うん」


二人でページを捲る。

花丸ちゃんから貰った『人魚姫』は──色とりどりのパッチワーク刺繍と、ビーズで作られた写真を挿絵として使った絵本になっていた。

その挿絵と共にお話は進んでいく。

6人の人魚の姉妹。

嵐の中で沈む難破船。

王子を助ける人魚姫。

魔女に貰った薬を飲んで人間の足を手に入れ。

王子が隣国の姫君と結ばれて……。

人魚姫はナイフを海に投げ捨てた──


梨子・果南「「…………」」


次のページで人魚姫は泡になって消えてしまうんだろう。


果南「……ページ捲るね?」

梨子「……うん」
311 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 23:18:34.09 ID:vQ6qZL/R0

──ページを捲る、するとやはり人魚姫は泡になって消えてしまった……と思ったが、


梨子「え……」


その泡はどんどん浮かびあがり──海を超えて、空へ──


果南「まだ、続きが……」


人魚姫は風の精に生まれ変わり──よい行いを積み続けることで、いつか不死の魂を得て、人間の幸せを味わうことが出来るようになる。

つまり──


果南「人魚姫は……ただ泡になって、消えてなくなっただけじゃなかったんだ……」


そして、全てを知った人魚姫は太陽に向かって両手を差し伸べたとき、初めて──


梨子「生まれて初めて涙が零れ落ちたのだった……」


二人で茫然としてしまう。

これはあとで花丸ちゃんに聞いた話になってしまうんだけど……人魚姫は実は泡になって消えてしまうところで終わってしまう絵本と──その後、空の精になって、いつか人間の幸せを味わうことが出来ることを知るところまで描かれている絵本と、2パターン存在しているらしい。

もちろん、アンデルセン著の原書では後者まで記されているとのこと。

つまり、もともと人魚姫は……救いのない悲しい結末のお話ではなくて──


果南「……梨子」


果南ちゃんが私の肩を抱く。


梨子「うん……っ……」

果南「人魚姫は……最後は幸せだったんだ……」

梨子「……うん……っ……」


私は今日も『人魚姫』を読んで、泣いてしまった。

泣いてしまった、けど……この涙は今までとは違って、悲しい涙じゃない。

私は──子供の頃から、どうしても好きになることができなかった、『人魚姫』の結末だったけど。

長いような、短いような……ある一冊の『人魚姫』の絵本を巡る物語の末──今日この日を境に、やっと……好きになることが出来たのでした。


312 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 23:23:11.21 ID:vQ6qZL/R0


*    *    *





……さて、そうなるともう一個謎があるんだけど……。

果南ちゃんの持っていた絵本のことだ。

私が読んでいた絵本は小さな子供向けの10ページほどしかない短い絵本だったから、結末がちゃんと描かれていなかったというのもわかるんだけど……。

果南ちゃんがお母さんから貰ったという絵本は、ボロボロでこそあったものの、子供向けの絵本というにはしっかりとお話が描写されている作りになっていた。

後日、私は人魚姫の原文を確認してみたんだけど……果南ちゃんの持っていた絵本は、私の記憶が正しければ、ほぼ原文通りに物語を記しているものだった気がする。

ただ、二人で読んだときもお話はあそこで終わっていたし……あえて最後をカットしたパターンのものだったという可能性は十分あるけど……。

でも、そんな疑問の答えは──やっぱり、果南ちゃんの家にあった。


梨子「〜♪」


今日も鼻歌を歌いながら、松浦家の朝食の準備をしている。

目の前ではいつもどおり、おじいちゃんが仏頂面で新聞を読んでいる中、朝食を並べる。


梨子「よし……!」


準備完了。今日は仕事が長引くという話も聞いていないし、果南ちゃんが戻ってくるのを朝食の準備をしながら待つ日。そして、準備が終わったら果南ちゃんを待つ間、少しだけ暇な時間が出来る。

その間、最近見つけた密かな楽しみがあって──私はリビングの端の方においてある、棚を物色する。


梨子「今日は……これにしよ」


──手に取ったのは、アルバム。

そう、最近は果南ちゃんを待つ間にこっそり、松浦家のアルバムを見せてもらっている。

……特に誰かに了承を貰ったわけでもないけど……おじいちゃんも何も言わないし、いいよね? だって、気になるもん。好きな人のちっちゃい頃のこと。

パラパラとアルバムを捲ると──


梨子「……えへへ……」


幼少期の可愛らしい果南ちゃんの姿が、たくさん収められている。

たまに果南ちゃんと一緒に写っている、今の果南ちゃんを一回り大人っぽくしたような人は──恐らく果南ちゃんのお母さんで、私が幼少期の頃に見た、人魚姫の容姿とも一致する人だった。


梨子「果南ちゃんのお母さん……本当に美人……」


特に長い髪を棚引かせながら、泳いでいる水中写真なんかは本当に綺麗で……。内浦の人魚姫だなんて噂が立つのもおかしくないと思わざるを得ない美しさだった。


おじい「……ん゛んっ!!」


私が果南ちゃんのお母さんについて、感想を口にするたびに、おじいちゃんが咳払いをする日常にもだんだん慣れてきた。

パラパラとアルバムを捲りながら、


梨子「それじゃ、次は……」


次のアルバムを取り出そうとしたときに、ふと──


梨子「……ん……?」


棚の奥の方に、くしゃくしゃになった紙が落ちていることに気付く。
313 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 23:27:39.14 ID:vQ6qZL/R0

梨子「なんだろ……?」


手に取って、広げてみると──


梨子「……え? これって……」


私が広げたくしゃくしゃの紙切れは──人魚姫が明るい天に昇っていく挿絵と一緒に、光の精になることを綴った、『人魚姫』の最後の1ページだった。

つまり──果南ちゃんがお母さんから貰った絵本の、最後の1ページ。


梨子「え……? どうして、こんなものが……? ねぇ、おじいちゃん」

おじい「なんだ」

梨子「こんなのが棚の奥に……」


私がそれを見せると──


おじい「……ああ、あいつが破ったページか。こんなところにあったのか」


あいつ──即ち、果南ちゃんのお母さんのことだろうけど……。


梨子「果南ちゃんのお母さんが、破ったんですか……?」

おじい「ガキの頃にな。よほど、この最後が気に食わなかったらしい」

梨子「え……なんでだろう」


私は逆に疑問に思う。せっかく、悲しい結末じゃなかったのに……救いのあるラストの1ページのはずなのに……。

ただ、私のそんな疑問に対して、おじいちゃんは、


おじい「そりゃぁ、最後は海に溶けて消える方が幸せだろうからな」


と、さも当然のように口にする。


梨子「…………」


つまり、あの絵本の最後の1ページがなかった理由は──海が好きすぎて、海に溶ける結末を最後にしたかった、果南ちゃんのお母さんが原因だったということらしい。


おじい「そこだけは、あの馬鹿娘とも、意見が合ったところだ」


つい最近、物語の感じ方は人それぞれだなんて、思ったばっかりだったけど……。

結局、憎まれ口を叩きつつも、果南ちゃんのおじいちゃんとお母さんは、似た者同士だったということ。

今回は、この結末を変えられた絵本のお陰で、私も果南ちゃんも大変な目に遭ったわけだけど……。

これも含めて──全部“ご縁”なのかなと、自分を納得させるように、私は肩を竦めたのでした。

314 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 23:28:07.50 ID:vQ6qZL/R0



    *    *    *










    *    *    *


315 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 23:32:21.39 ID:vQ6qZL/R0


数日後。

──高い高い冬の空を仰ぎながら、白い砂浜がどこまでも続いている千本浜を二人で歩く。

比較的暖かい気候と言われる内浦でも、さすがにこの季節だと、思いのほか寒くて……。


梨子「……くしゅん」

果南「あーもう……だから言ったじゃん、浜辺は寒いって……」

梨子「だって、このお洋服がよかったんだもん……」


今日は果南ちゃんと一緒に、お散歩デート。

今日のために選んできた、お気に入りのお洋服を着て──首からは果南ちゃんから贈ってもらったネックレスをさげて。


果南「もう仕方ないなぁ……」


果南ちゃんはやれやれと肩を竦めると、自分の上着を脱いで私に羽織らせてくれる。


梨子「ありがとう……えへへ、果南ちゃんの上着……♡」

果南「さては最初からそれが目的だったね……?」

梨子「えへへ〜どうだろうね〜♪」

果南「全く……」


呆れ気味に頭を掻く果南ちゃんの首にも、お揃いのネックレスが光っていて。

──ああ、なんだか、嬉しいな。この些細な、景色が、時間が、嬉しい。


梨子「果南ちゃん♪」


私は思わず、名前を呼びながら抱き着く。


果南「おとと……何?」

梨子「こうしたかったの♪」

果南「そっか」


果南ちゃんは微笑みながら、私を抱き返してくれる。

抱きしめて、私の頭を撫でながら、ぼんやりと海を眺める。


梨子「……私……冬の海、好きかも」

果南「私から上着を剥ぎ取れるから?」

梨子「もう! そういうことじゃないもん! ……静かで、果南ちゃんがそばにいることを、ちゃんと感じられるから……」

果南「……そっか」


二人で冬の砂浜に腰を下ろして、寄り添い合う。

海を眺めていたら、ふと思い出す。


梨子「そういえばさ」

果南「ん?」

梨子「ソロ曲の歌詞……本当に変えてよかったの? 元は最後は魚になって、海に還ってく歌詞だったけど……」


──完成したはずのソロ曲だったけど……実はあの騒動が決着したあと、果南ちゃんからの提案で歌詞の直しを行いました。

今言ったとおり、魚になって海に還っていく歌詞から──海からあがって、人に戻っていく歌詞へと。
316 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 23:34:46.24 ID:vQ6qZL/R0

果南「……なんかさ」

梨子「うん」

果南「……私はやっぱり、魚よりも人間に戻りたいなって思って」

梨子「どうして?」

果南「ここには……──梨子がいるから」

梨子「……ふふっ、そっか」


どうやら果南ちゃんは、お母さんやおじいちゃんとは違う結末を選んだらしい。その理由が私なのは──なんか嬉しいな。

私は微笑みながら、果南ちゃんに身を寄せて、目を瞑る。目を瞑って、この時間を、幸せを──噛み締めながら、思う。

人には、言葉では表せない想いや、伝えきれない気持ちはどうしてもあって、それはどうしようもなくもどかしいものだ。

それでも私は──私たちは……諦めずに、必死に言葉にして伝え続ける。

伝わるかわからなくても、伝え続ける。

きっと、それでしか伝わらないものもあるということを、知ったから。


梨子「果南ちゃん」

果南「ん?」

梨子「キス……しよ……?」

果南「ふふ……うん」


──たった二人きりの、冬の砂浜で、唇が重なった。


梨子「……えへへ……」

果南「梨子……」


そしてまた、抱きしめ合う。大好きな人と、この浜辺で。


梨子「果南ちゃん……世界で一番、大好きだよ」

果南「私も……世界で一番大好きだよ、梨子」


私たちは、今日もこの寒空の下で、大好きを伝え合います。

何度でも、何度でも。

だって、私たちには──言葉を、気持ちを、伝えられる、声があるのだから──





<終>
317 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 23:39:17.97 ID:vQ6qZL/R0
終わりです。お目汚し失礼しました。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン著の『人魚姫』は今では青空文庫で無料で読むことが出来ます。
もし『人魚姫』のざっくりとしたあらすじは知っているけど、読んだことがなかったという方は、是非この機会に読んでみて欲しいです。
また作中の最後に出来てた、花丸からプレゼントされた絵本は、リトルモアブックスから発行されている絵本をモデルにしています。
美麗な挿絵もさることながら、翻訳も現代風になっており、かなり読みやすく新訳されているので、『人魚姫』に親しんできた方でも楽しめると思いますので、興味がありましたら、こちらも是非。

それでは、ここまで読んで頂き有難う御座いました。

また書きたくなったら来ます。

よしなに。
318 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/08/25(火) 15:08:23.06 ID:5TWw+01Y0
スノッブにも成り切れてない感じ
319 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/08/31(月) 08:21:52.26 ID:uBbSXs9hO
おつでしたー
今回も大長編で、冒頭のシーンはいつ来るのかとハラハラわくわくしながら読み進めました
ようちかも心のわだかまりがとけたようで、ホッとしました
残る1年生組?編、楽しみにしています
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