魔王と魔法使いと失われた記憶

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304 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/09/24(木) 21:28:06.97 ID:HSZ2OTe3O
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「ぴゃあ!!!」という声が外から聞こえた。さしものエリザベートも、全く予想だにしてなかったようだ。
小娘はというと、プルプル手を震わせている。信じられない、とでも言いたげな表情だ。

「教授……一体どういうことなの??」

「ジャック、ひょっとして初めから」

煙草を加えながら、ジャックがニヤリと笑う。

「その通り。あいつに情報は流してたのは俺だ。プルミエールが狙われるであろうことも、お前が彼女を『浚いに』来るであろうこともあいつは分かっていた。
黙っていて悪かったが、あいつもお前らの支援者だったってわけだ。勿論、俺がプルミエールの『追憶』を知っていたのもアリス経由だ」

「どういう経緯だ?そもそも、お前とこのアリスって女はどういう関係だ」


「元嫁だ」


「……はぁ??」

「ええっっ!!?」


305 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/09/24(木) 21:28:33.95 ID:HSZ2OTe3O
俺と小娘が叫ぶ。デボラだけは「ああ」とさほど驚いた様子はない。

「確かにいたねえ。思い出したよ、あの女(ひと)かい」

「お前ら姉弟が居候していた時はまだ一緒に住んでいたからな。別れたのはそれからしばらくしてからだな」

「まあ、魔法馬鹿同士だったからねえ。別れたって話を聞いた時はさほど驚かなかったけど、付き合いはまだあったんだねぇ」

「嫌い合って別れたわけではないからな。よく連絡は取っていたし、エリックの話もしている。もちろん、こいつが何を望んでいるのかも」

流石の俺も驚いた。人間側に協力者がいたとは。

「六連星のことも把握してたようだな。陽動っていうからには、何かしらでテルモン方面に連中の注目を集めようという考えだろう」

「陽動って……危険じゃないんですか!!?」

「無茶はするが危険は冒さない、それがアリス・ローエングリンという女だ。まあ、やるからには成算があるってことだろ」

「解せないねえ」

デボラが口を挟んだ。

「何で教授様がこんな厄介ごとに首を突っ込むんだい?あんたの役に立ちたいからといっても、こいつはちと度が過ぎるよ」

ジャックは煙草を灰皿に押し付けた。

「俺もアリスも、20年前の『サンタヴィラの惨劇』には疑念を持っている。
ケインとの付き合い上、理由無しにあんなことをするはずがないと確信しているからな。旧友の汚名をそそぐというのが理由の一つだ。
そして、六連星が出張ってきて確信したが、これは間違いなく国家絡みでの陰謀だ。そうじゃなければ、プルミエールは狙われない」

ジャックはコフコフ、と軽い空咳をした。少し、話しているのが辛そうにも見える。

「……事の背景がろくでもないことは、察しが付いてる。このまま、『歴史の真実』が明らかにされないままのほうが、世界は平和なんだろうが……ゴフッ」

「ジャックさん!!大丈夫ですかっ??」

「ん……まあ、まだ大丈夫だ。とにかく、アリスが時間を作ってくれている間に、お前らを鍛えないといかん」

「時間……どれぐらいだ」

俺の問いに、ジャックが黙った。

「分からん。ただ、最低1週間、恐らくは2週間までは粘れるだろう。どの程度グロンドの転移に融通が利くかにもよるが、あれを頻繁に使えないならアヴァロンは陸路でテルモンに向かうはずだ。
ここからテルモンは往復に2週間はかかる。その間に、『追憶』の使い勝手を向上させないといかんな。無論、奴を討てるだけの力も身に付けたいところだ」

「……たかが2週間でできるのか?」

「それはお前がよく知っているだろう?」

ニィというジャックの笑みに、俺は初めてここに来た時のことを思い出して身震いした。体術にはある程度自信があったが、魔法はからきしだった俺に根本から魔法の基礎を叩き込んだのが彼だ。
その修行は思い出したくもない。あの苛烈なのを、もう一度やるのか?

クックック、とジャックが面白そうに笑う。

「冗談だよ。課題は明白だ。お前は『加速』の持続時間、プルミエールは『追憶』の効果範囲の拡大。エリザベートにもちと稽古を付けてやるかな。
課題が明白だから、そこまで時間はかからんよ。まあ苦労はしてもらうが」

「あたしにも……頼めるかい」

「……お前もか」

デボラが頷く。

「誰が父さんと母さんの仇かは分からない。ファリスの母親なのかもしれない。
だけど、もしもの時のためだ。もう一度、あたしを鍛えてはくれないかい?」

「いいだろう。じゃあまず手始めに、俺の家の掃除をしろ」

「は?」

「俺の他に4人も寝泊まりするんだ。幸い、この家は相応に広い。散らかってる本を整理すりゃ、それなりに何とかなるだろ」
306 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/09/24(木) 21:32:27.03 ID:HSZ2OTe3O
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「何だか妙なことになりましたねぇ……。あのアリス教授が偽者で、ジャックさんの元奥さんというのにも腰を抜かしましたけど」

パタパタとはたきで塵を払いながらエリザベートが言う。額には汗が滲んでいる。

「皆ここに滞在するのは仕方ないさ。あたしらを匿う意図もあるんだろう?」

デボラの言う通りだ。俺たちがジャックを頼る可能性は、少し考えれば分かりそうなものだ。それでも、アヴァロンという男がここを襲わないだろうと確信できるのには理由がある。
それは単純に、ジャックが当代一の大魔導師だからだ。彼の知名度は高くはないが、彼以上に魔術の腕が立つ男は父上以外に見たことがない。
アヴァロンがジャックのことを知らないとは思えない。とすれば、こちらに追手は迂闊には来ないはずだ。

俺は魔道書を持ち上げた。やたらと重い。横の男は背の高さを活かしてひょいひょいと片付けている。

「……さっきから思っていたが、何故お前もいる?」

「そりゃあ姫のお守りだろ。てか俺も命は惜しいんでね、一人でモリブス市街に残る選択はねえよ」

ランパードが本を片手に言う。ジャックは酷く渋い顔をしていたが、安全面から結局こいつも泊めることになってしまった。「俺が人質に取られたらまずいだろう?」とはこいつの弁だ。

「にしても、どれも面白そうな本ですね。読み耽ってしまいそう」

「そりゃあ天下のオルランドゥ家の正統後継者だからね。蔵書の質は魔術学院の大図書館に勝るとも劣らないさ。
あたしやウィテカーも、よくここに入り浸ってたものだよ」

俺は魔道書が微かなマナを帯びていることに気付いた。なるほど、ここのマナの濃さはそういうことか。
昔極端に濃い濃度のマナの下で鍛練をさせられ閉口したが、これはそれの亜種ということのようだ。掃除をしろと命じたのには、相応の理由があるということだ。


片付けは半日がかりで終わった。幸い外に異変はない。今日のところは逃げ切ったと言えそうだった。

「ふえぇ、疲れたぁ……お腹空いたぁ……って誰が作るの?」

「そう言えば……ジャックさん、足悪いし誰が身の回りのお世話してるんだろう?」

俺は辺りを見渡した。そういえば「あいつ」にまだ会ってないな。

「ここから街まではかなりありますものねぇ。食糧の調達とかも必要だし。どうなんですそこのとこ」

「あたしに話を振るのかい?あたしらが居候してた時は、普通にアリスさんが食事作ってたけどねぇ。まだジャック先生も五体満足だったし」

デボラが困惑したように言う。

「……召し使いがいる。ただ、今日は見てない」

「いるのかい?こんなに散らかってて?」

「散らかってるのが好きな奴だ。というか散らかしたのは多分そいつだ。どこに行っているのだか……」

ニャァ、と黒猫がドアから入ってきた。

「あら、猫ちゃん。……この子、どこかで見たことがありますねぇ……」

「そうね。アリス教授のとこにいた猫も黒猫……」


「それはそうだにゃ。それがボクだからにゃ」

307 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/09/24(木) 21:33:31.67 ID:HSZ2OTe3O


「「「???」」」


猫が喋る。そしてクルッと宙返りすると、12、3ぐらいの少年の姿になった。半ズボンに半袖で、褐色の肌をしている。

「な゛??」

「やはりいたか、『シェイド』」

ニシシ、と笑うと奴はプルミエールに抱き付いた。

「えっ!!?」

「んー、やっぱり美人さんだにゃ。このおっぱいに埋もれ……」

スリスリとプルミエールの胸に頬擦りする奴に、ゴスッ、俺は拳骨を脳天に食らわす。「あだっ」っとシェイドは飛び退いた。

「何するにゃ!!このチビ!!」

「お前もだろう?相変わらず女癖の悪い奴だな」

「おっぱいは正義にゃ!!それに、ボクの可愛さに落ちない女の子はいないにゃ!あ、あっちにも狐耳のお姉様がいるにゃあ!」

シェイドはデボラに向けて駆け出す。それを彼女は前蹴りで吹っ飛ばした。

「あぐ……暴力反対にゃあ……」

「頭の弱いガキは嫌いだよ。というか何だいこいつは。亜人かい?」

「いや、こいつは……」

車椅子の音がする。ジャックだ。

「シェイド、飯の支度をサボって何油を売ってる?」

「あ、御主人!!ただいまにゃ、買い出しは終わってますにゃ」

「女漁りの間違いだろ?ったく、お前が仕事しないから家がいつまでたっても片付かん」

「あのぉ、この子は……」

「俺の召し使いだ。『偽猫』を基にした魔術生命体だな」

「にゃ!!シェイド・オルランドゥ21歳だにゃ!絶賛お嫁さん募集中にゃ!!」

「ガキが何言ってやがる。せめて召し使いとしての仕事を最低限できるようにしろ。飯はどうした?」

「あぐ、今から作りますにゃ……ちょっとお待ちを」

そう言うとシェイドはパタパタと厨房に向けて駆け出した。

「何だいありゃあ。そもそも21って」

「13年前に偽猫を捕まえてな。俺の身の回りの世話をするためにアリスが残した。偽猫としての年齢を足すとあんな感じだ」

「にして騒々しい奴だねぇ……」

デボラが眉を潜めている。プルミエールは呆気に取られた様子だ。

「……人に化けるんですね……」

「『人化術』だな。あれは学会にも発表されてない。ユングヴィの奴らが五月蝿いからな」

ジャッ、ジャッと鍋を振る音が聞こえる。香ばしいスパイスの薫りが漂ってきた。やっと飯にありつけそうだった。
308 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/09/24(木) 21:35:39.00 ID:HSZ2OTe3O
#

「どうぞ召し上がれにゃ!!」

テーブルにはバターと鶏の「バー・レー」、そして鶏と長魚のスパイス炒めがある。俺が好きな辛口の「カシ・レー」ではないが、仕方ない。シェイドは辛いのが苦手だ。

「あっ、美味しい!!食べやすくて」

「本当ですねぇ!モリブス料理ってクセがある印象だったけど、これなら大丈夫かも」

「喜んでもらえて光栄ですにゃ。ささ、取り分けますにゃ」

シェイドはプルミエールの皿にばかり料理をよそっている。……気分が悪い。
それはどうもエリザベートも同じようだった。理由は違うが。

「えっと、私にはないんですかねぇ?」

「おっぱいない子はダメにゃ、出直して来いにゃ」

「な、なんですってぇ!!?」

パシッとジャックがシェイドをはたき、ランパードがエリザベートを押さえる。

「馬鹿者がっ。こいつらは客人だ、手を出すことはまかりならん」

「えー」

「第一、礼をちゃんと学べと言っているだろう?何年俺の召し使いをやっている?」

「だって……これは耐えられませんにゃ」

ジャックが深い溜め息をついた。

「すまんな。どうも理性は獣のままのようだ。遠慮なく突き放して構わん」

「は、はぁ」

エリザベートはまだ額に青筋を立てている。まあ、当然だが。

「何ですかこの侮辱。私は貴方より大分歳上ですよ?ランパードも何か言ってやって下さいよ」

「ま、まあまあ。貧乳は希少価値と……いでっ」

ランパードが激しく痛がった。脛でも蹴られたか。

「おふざけはこの程度にして、だ。モリブスの様子は」

「やはり緊迫してましたにゃ。ラミレス家主導で厳戒態勢が敷かれてますにゃ。
彼らがエリックたちに気付くのは、あのままだと時間の問題だったはずですにゃ。ここに逃げたのは大正解にゃ」

「他に気付いたことは」

「ユングヴィが荒れてますにゃ。後任を誰にするかで」

「当然だな」

ジャックがナプキンで口を拭く。

「明日早くに、多分ベーレンが来る。修行はその後……」


一瞬のうちに、ジャックの表情が変わった。


309 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/09/24(木) 21:36:09.15 ID:HSZ2OTe3O
「……誰か来る」

「何っ!!?追手か」

「いや、それにしては人数が少ない。3人、それも……」

「一般人にかなり近いマナですねぇ」

エリザベートは怪訝そうに窓の外を見る。どういうことだ?

「一応、応対は俺がする。異変があったら出て構わん」

「……分かった」

ジャックが車椅子で玄関へと向かう。一般人が、たった3人?

「誰だろう?」

「見当も付かないね。ここは隣とは相当離れてる。理由もなしに来るとこじゃない」

窓をそっと見る。玄関に来た男たちは……


「あっ」


プルミエールが声をあげる。俺もすぐに気付いた。

3人のうちの1人に見覚えがあった。モリブスに来て、ミリア・マルチネスの死の状況を見た時に対応した、あの若い男だ。

310 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/09/24(木) 21:39:45.71 ID:HSZ2OTe3O
第14話はここまで。次回はプルミエール視点です。
多少心理描写が多めになるかもしれません。
311 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/09/24(木) 21:52:41.17 ID:HSZ2OTe3O
キャラ紹介

シェイド(21)

男性(雄)。身長164cm、54kg。黒髪に褐色の肌の猫耳少年。笑うと八重歯が見える。
元は魔獣「偽猫」だったのをジャックとアリスが手を加え、魔術生命体とした存在。倫理には反しているが、2人ともその点は無頓着である。
アリスが離婚の際に生活能力がないジャックのためにと残した存在だが、シェイド自身は料理以外の家事はあまり得手ではない。
こっそりと(?)魔術書を読み漁っており、片付けないので家は散らかり放題である。

街に出る時は亜人のふりをしている。女好きであり、特に巨乳で歳上の女性が好み。ナンパのためよく家を空けている。
自分の見たくれの良さを自覚しており手を付けた女性も多いが、あまりに浮気性なので長続きはしない。
また、貧乳には価値がないという信念があり、エリザベートには全く関心がなかった。

ジャックとアリスのメッセンジャーのような役割もしており、第1話ではエリックについての情報を伝えに来たところだった。
なお、この際は猫に化けている。この姿での移動速度は恐ろしく速い。
またオルランドゥ姓を名乗ってはいるが、当然養子ではない。本人はジャックの跡を継ぐつもり満々ではあるが。
312 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/26(土) 07:43:20.04 ID:6EGJwsjY0
乙乙
313 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/09/28(月) 19:55:00.24 ID:YA6smyVZO




第15話




314 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/09/28(月) 19:55:51.64 ID:YA6smyVZO
ユングヴィ教団の人が来て数分後、ジャックさんが戻ってきた。

「安心しろ、追手ではない。俺に依頼だ」

「ネリドの捜索かい」

「そうだ」

「でもあんたはこの身体だ?捜索依頼なんて意味がないじゃないか」

「俺なら妙案があると思っていたようだな。ああ、お前らがここにいることは気付いてないようだったから安心しろ」

私は胸を撫で下ろした。少しはゆっくり、安心して眠れそうだ。

「で、何て返事したんだ?その妙案ってのがあるのか」

「一応、受けることにした」

「放っておけばいいじゃねえか。魔王やお嬢ちゃんにとっては、ネリドもエストラーダも敵だろうよ」

「テキ」を飲み干し、ランパードさんが言う。ジャックさんは小さく首を横に振った。

「モリブスを完全に味方に付ける必要がある。ジョイスはともかく、ユングヴィは向こう側だ。あと恐らくは、他の貴族もな。
ユングヴィに恩を売っておけば、ここからの活動が大分しやすくなる。今後の布石、というわけだな」

「にしても、さっきどこにいるか分からないとか言ってたじゃねえか。捜索なんて意味がねえだろ」

ジャックさんが私と魔王を交互に見る。

「そこで、お前たちの出番というわけだ」

「え?」

「どういうことだ」
315 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/09/28(月) 19:56:35.65 ID:YA6smyVZO
「まずプルミエールには『追憶』を磨いてもらう。『追憶』の難点は音声再生ができないという点だ。どういう経緯でネリドとエストラーダが消されたか分かれば、アヴァロンが主犯だと確定できるはずだ。
そして、その上でアヴァロンを捕縛する。そのためにはエリック、お前の力が必要だ」

「……殺すのではなく、捕縛?」

「『死人に口なし』だろう?それに、アヴァロンを生かしておかないとエリザベートの『憑依』を使ってネリドたちの居場所を探ることもできん」

エリザベートの顔色が真っ青になった。

「ちょ、ちょっと待ってください!?そんなことできるわけが……第一、それってもろに外交問題……」

「イーリスの大司教がモリブスの大司教を害した時点でもう外交問題だろう?それを証明した上でなら、風当たりも少なかろう。
イーリス王家がどういう反応を示すかは知らんが、正義は我にありということだな。
あと、ついでにお前も鍛えるからそのつもりでいろ。条件次第で誰にでも『憑依』できるようになるはずだ」

トクトクと瓶からお酒を注ぎ、ランパードさんがニヤリと笑った。

「これを奇貨に一気に引っ掻き回すつもりだな」

「そういうことだ。まあ、ネリドやエストラーダが生きているとは思わん。ただ、主犯を捕まえれば少なくともモリブスでは堂々と動けるようにはなる。
アリスがどれぐらいの時間を作ってくれるのかは知らないが、その間にアヴァロンを捕まえるだけの力量を付けさせよう。多少の無茶はするが」

「無茶?」

「それは明日のお楽しみだ。じゃあ、飯を済ませてとっとと寝るぞ」

「ん?部屋はどうすんだ。掃除して大分広くはなったが」

ジャックさんの家は存外に広かった。使われていなかった客間が3つあるから、この人数が泊まることは問題ない。
ランパードさんが言っているのは、部屋割りのことだろう。普通に考えたら男女で分かれるのだろうけど……

「俺は御免被る。エルフと一緒というのはな」

嫌そうな顔をして魔王が言う。……また始まった。いい加減心を開けばいいのに。

「おいおい、男女が一緒ってのは……」

「……今更それ言います?」

エリザベートが頬を膨らませた。彼女も反論するのはちょっと意外だ。

「え」

「普通に私とビクター、プルミエールとエリックでよくないですか?デボラさんは余っちゃいますけど」

「あ、私はお邪魔虫なんで1人で寝るさ。そこのエロ猫が夜這いに来たら蹴り飛ばすつもりだけどね」

「に゛ゃ!!?そ、そんなことはしないにゃ?」

シェイド君が叫んだ。……あ、そのつもりだったんだ。ジャックさんがはあ、と息をつく。

「前科があるだろうが。まあ、安全のためにもその組み合わせが妥当だな。くれぐれも盛るなよ」

「……?」

「するわけがないだろう」

魔王は険しい表情だ。彼とはもう何日も一緒の部屋で寝ているけど、男性としては驚くほど紳士だというのは知っている。……会話もろくにないのだけど。

エリザベートを見ると、「何のことですかねぇ」と明後日の方を見ている。ランパードさんは「ハハ……」と苦笑していた。

「……ん?」

魔王が私の袖を引っ張った。

「寝るぞ」

「う、うん」
316 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/09/28(月) 19:57:55.52 ID:YA6smyVZO
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部屋は少し埃っぽいけど、掃除したお陰でそこそこ清潔にはなっていた。私は軽くお風呂で汗を流した後、寝間着に着替える。
昨晩のことがあってから身体を洗ってなかったから、随分さっぱりした。

魔王はというと、本を読み漁っているようだった。

「魔術書?」

「ああ。明日からジャックの指導が始まる。準備だけはしておかんとな。ああ、これがお前の分だ。今晩じゃなくてもいいから、少し読んでおけ」

「あ、ありがとう……これって?」

「『マナの持続的運用法』についてのジャックの論文だ。昔のことを『思い出させる』には、不可欠だからな」

魔王は物凄い勢いでパラパラと本を読んでいる。こうしてみると、やはり彼はただ者じゃないと思う。
しかし、表情には余裕がない。というか、いつもそうだ。今日は特にそうかもしれない。

「もう遅いから、明日にしたら?それに、身体もまだ洗ってないでしょ?」

「明日朝入るからいい」

……何だか、少し不安になってきた。彼は、余りに自分を追い立て過ぎている。

「ねえ、一つ聞いていい?」

「何だ」

「あなたって、趣味とかってないの?」

「……ないな。旨いものを食うのは嫌いではないが、楽しみというほどでもない」

「本当に?」

「……何が言いたい」

魔王が紙を捲る手を止めた。

「……何かに焦っている気がして。あなたが楽しそうにしているのを、見たことがないもの」

「……それのどこが悪いっ」

「……前に、全てが終わったらどうするつもりなのか訊いたことがあるわよね。そして、あなたは『分からない』って。
私には20年前にサンタヴィラで何があったか『まだ』分からない。でも、あなたがそれを知りたがっているのは知ってる。自分を含めた、全てを犠牲にしてでも」


バンッッ!!!


大きな音に、私はビクッとした。魔王が魔術書を机に叩きつけたのだ。

「お前に何が分かるっっ!!!」

「……だから、分からないの。でも、何があなたをそこまで追い込んでいるのかは知りたい。
……あなたが悪い人じゃないのは、いい加減分かってる。何度も命も救われたわ。
でも、あなたは……何か『大義』のために自分を殺してる気がする。見てて、辛くなるの」

魔王が怒りの余り震えているのが分かった。ランプの灯りに照らされた彼の顔色は、まるで御伽噺の鬼神のように真っ赤だ。
一瞬、彼が飛び掛かろうとしたように思えた。私は刹那、目をつぶって身を屈める。
317 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/09/28(月) 19:58:38.60 ID:YA6smyVZO


……しかし、魔王は襲ってこなかった。代わりに聞こえたのは、落胆とも悲嘆とも付かない溜め息だった。


「……何故、俺やジャックがこんなことをしようとしているか、ちゃんと話したことがなかったな」

「え」

魔王は俯くと、そのまま静かに席に座り直した。その表情は、影になって見えない。

「俺たちは『サンタヴィラの惨劇』を疑っている。あれが父上の意思ではなく何者かによって引き起こされた事件ではないかと。
そして、それは……『魔王ケイン』を、ひいては魔族そのものを世界の仮想敵とするためのものだったのではないかと」

「……何のために?」

「どこの国も矛盾や不満を抱えている。その怒りを魔族に向けさせることで、世を平安に保ちたいのではないかというのが……俺たちの仮説だ。
勿論、『4勇者』も虚構だ。お前の育ての親、宰相トンプソンも含めてな」

「違うっ!!」と声に出かかったけど、私はそれを耐えた。今は、彼の話を聴く時だ。
何より、それを否定しきれない自分がいた。「六連星」デイヴィッドは、4勇者の親族なのだ。

魔王が震えている。

「……だが、同胞がその虚構の犠牲になっているのは……耐えられん。俺はズマ魔候国の正統後継者にして真の魔王だ。同胞たちを救う……責務がある」

「ズマ魔候国って、ハンプトン大魔候がいるじゃない」

「ハッ」と心底軽蔑しきった様子で魔王が吐き捨てた。

「あれは自らの富と安寧しか考えていない僭王だ。奴も討たねばならん。民のためにも」

「討たねばならない人が、そんなにいるのね」

「……そうだ。トンプソンもデイヴィッドも、ハンプトンもアヴァロンもだ。だが……俺には力が足りない。昨日、それを思い知った」
318 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/09/28(月) 19:59:30.60 ID:YA6smyVZO


……しかし、魔王は襲ってこなかった。代わりに聞こえたのは、落胆とも悲嘆とも付かない溜め息だった。


「……何故、俺やジャックがこんなことをしようとしているか、ちゃんと話したことがなかったな」

「え」

魔王は俯くと、そのまま静かに席に座り直した。その表情は、影になって見えない。

「俺たちは『サンタヴィラの惨劇』を疑っている。あれが父上の意思ではなく何者かによって引き起こされた事件ではないかと。
そして、それは……『魔王ケイン』を、ひいては魔族そのものを世界の仮想敵とするためのものだったのではないかと」

「……何のために?」

「どこの国も矛盾や不満を抱えている。その怒りを魔族に向けさせることで、世を平安に保ちたいのではないかというのが……俺たちの仮説だ。
勿論、『4勇者』も虚構だ。お前の育ての親、宰相トンプソンも含めてな」

「違うっ!!」と声に出かかったけど、私はそれを耐えた。今は、彼の話を聴く時だ。
何より、それを否定しきれない自分がいた。「六連星」デイヴィッドは、4勇者の親族なのだ。

魔王が震えている。

「……だが、同胞がその虚構の犠牲になっているのは……耐えられん。俺はズマ魔候国の正統後継者にして真の魔王だ。同胞たちを救う……責務がある」

「ズマ魔候国って、ハンプトン大魔候がいるじゃない」

「ハッ」と心底軽蔑しきった様子で魔王が吐き捨てた。

「あれは自らの富と安寧しか考えていない僭王だ。奴も討たねばならん。民のためにも」

「討たねばならない人が、そんなにいるのね」

「……そうだ。トンプソンもデイヴィッドも、ハンプトンもアヴァロンもだ。だが……俺には力が足りない。昨日、それを思い知った」

この人は、多くのものを背負い過ぎている。見た目は子供だけど、普通の人が背負ったらすぐに潰れてしまいそうな業を背負ってしまっている。
そして、それを自分だけで抱え込もうとしている。魔族のために。


……そんなの、もつわけないじゃない。


319 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/09/28(月) 20:00:02.37 ID:YA6smyVZO


私は立ち上がった。そして、取ったのは……自分でも思いもかけない行動だった。



ぎゅっ



320 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/09/28(月) 20:00:42.82 ID:YA6smyVZO

気が付いた時、私は彼を抱き寄せていた。何でこんなことをしたのか、自分でもよく分からない。ただ、なぜかこうするしかないように思えた。

「むっ……なっ、何をするっ!?」

その間数秒。我に返った魔王が、力で私を押し返した。

「ご、ごめんなさい!!ど、どうしたんだろう、私……」

沈黙が流れる。それを破ったのは、彼の方だ。

「……すまん。もう一度、抱いてくれないか」

「……えっ」

「嫌ならいい。二度と、我儘は言わん」

私より小さい彼が、さらに小さく見えた。それが悲しく、愛おしく見えて……私はもう一度、彼を胸に抱いた。
気が付くと、私は彼の頭を撫でていた。……本当に私、どうしちゃったんだろう?


どのぐらいそうしていただろうか。今度は優しく、彼が私から身体を離す。


「……ありがとう。臭くはなかったか」

「えっ、その、何も感じなかったけど」

本当のことだ。というより、そんなことに気が回らなかった。

魔王がフッと笑う。

「変わった趣味だな。……今から、風呂に入る。先に、寝てていいぞ」

「え、でもあなたは」

「俺もすぐに寝るから安心しろ」

そう言う彼の顔は心なしか穏やかに見えた。タオルを持って、魔王が部屋を出ようとする。ドアを開けた時、彼は不意に私に振り向いた。

「小娘。俺のことを『エリック』と呼ぶことを許す」

「……?」

「魔王じゃ言いにくかろう。何より、俺が魔王であるのが知れたら不都合もいいところだ。まあ、もう何回か呼んでいたようだが」

「そうだけど……」

魔王が穏やかに微笑んだ。
321 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/09/28(月) 20:01:11.99 ID:YA6smyVZO


「とにかく、明日から疲れるぞ。しっかり寝ておけ。……おやすみ、『プルミエール』」

322 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/09/28(月) 20:03:19.22 ID:YA6smyVZO
第15回はここまで。諸事情あり遅れ&短めです。申し訳ありません。

次回は会談&修行です。アリスがどんな手を打ったかが分かります。
323 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/09/28(月) 20:32:52.81 ID:YA6smyVZO
キャラ紹介

アリス・ローエングリン(39)

女性。身長155cm、43kgの小柄な体型。童顔であり、数年前までは20代前半と言われても通るほどだった。
さすがに40近くなり目尻に皺が見えるようにはなってきたが、それでも歳不相応には若い。なお、胸は控えめ。
穏和な人格者として通っており、天才肌の研究者としては例外的に指導者としても定評がある。

40手前でオルランドゥ魔術学院の教授となる事例はほとんどなく、精霊魔法の分野では第一人者。「追憶」の開発にも多少なりとも貢献している。
ただ、ややマッドサイエンティストな側面もあり、精霊の力を借りることで魔獣をより高次の生命体にさせたり、精巧な傀儡に自分の疑似人格を乗り移らせたりもしている。
進歩のためなら多少の倫理観は覆されてもよいと考える危うさのある女性である。
なお、実はギャンブル好きで滅法強い。もっともプルミエールら学生の前ではその顔はほとんど見せていない。

ジャック・オルランドゥは元夫。恋人というよりは研究者としての同志という意味合いが強かったらしい。
結局互いの研究を優先した結果離れて暮らす方がいいという結論に達し離婚。ただ、愛情は残っており関係も良好である。
なお、子供はいない(できなかった)。シェイドはその意味で子供に限りなく近い存在でもある。

エリックに絡む一連の計画は第1話以前から把握しており、プルミエールの情報をエリックに教えたのも彼女である。
エリザベートの行動など、彼女がそれとなく誘導している面も大きい。
背景には元夫への協力以上の動機がどうもあるようだが、詳細は不明。
324 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/09/28(月) 20:45:41.35 ID:YA6smyVZO
なお、アリスは「崩壊した〜」シリーズのアリスの子孫に当たります。
傀儡などについては彼女が遺した一部オーバーテクノロジーを活用しているようです。
325 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/01(木) 20:36:09.53 ID:mKWppRREO




第16話




326 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/01(木) 20:37:03.91 ID:mKWppRREO

目覚めると時計は6時を指していた。少し早く起きてしまったかしら。
魔王……エリックはすうすうと静かな寝息を立てている。こうして見ると、本当にただの年下の男の子にしか見えないんだけど。


「……かわいい、かも」


言ってから思わず口をふさいだ。何言ってるんだろう、私。そもそも急に彼を抱き締めたり、ちょっと行動がおかしくなってる。

「ん……」

エリックが身動ぎした。しまった、聞かれたかな……。

「あ、お、おはよう」

「ん……変な奴だな」

彼が目を擦る。良かった、気付いてない。

「ま、まだ寝てていいと思う。6時過ぎたばかりだし」

「……もうそんな時間か」

大きく伸びをすると、エリックはおもむろに着替え始めた。無駄な肉のない褐色の肌が、朝日に照らされて光る。

「え、ちょ、ちょっと?」

「……今更恥ずかしがることもないだろう。心配するな、お前が着替える時はいつも通り外に出てやる」

「そ、そうだけど……」

やっぱりどう接したらいいか困ってしまう。別に恋人になったとか、そういうわけでもないのに。


……恋人、か。


私はちゃんとした恋をしたことがない。子供の頃に出会った「あの人」に感じていたのは、恋愛感情というよりは大人への憧れだろう。
トンプソン先生……クリス・トンプソン宰相に対して持っていたのは畏れと尊敬が入り交じった感情で、これも多分恋じゃない。
異性と接することがほとんどなかったこともあって、私は22の今まで生娘のままだ。

だから、今私が抱えている気持ちが何なのかは、自分でもよく分からない。
これが恋というものなのだろうか?それとも、ただの同情?……頭が混乱する。

そもそも、エリックは私をどう思っているのだろう。昨晩、やっと私を「小娘」ではなく、名前で呼んでくれるようになったけど。
もし彼が私を「女」と見ているのなら、私はどうすればいいのだろうか。受け入れるべきなのかどうか、それすらも分からない。

……考えるのは、今はやめよう。考え出すと、頭がまとまらなくなる。
327 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/01(木) 20:37:50.02 ID:mKWppRREO
「終わったぞ」

私もローブを手に取る。

「うん。じゃあ、少しだけ待ってて」

「了解だ……と言いたいが」

エリックが窓を見た。振り向くと、黒い影が窓の縁の所に見える。……あれって。

「舐めるなっっ!!」

窓をバンと開けると、黒猫は「にゃあ」と鳴いて狭い窓枠を駆けて行った。

「シェイド君?」

「……判断がつかんな。ただ猫にしては随分こちらの様子を見ていたが」

顔を真っ赤にしながらエリックが言う。

「まさか、覗き?」

「ジャックも言っていたが、あいつは手癖が悪い。お前も気を付けろ。部屋の外で待っている」

「あなたも、覗かないでね」

「……馬鹿が」

ふん、と鼻息を鳴らすと彼は静かに出ていった。
328 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/01(木) 20:38:43.28 ID:mKWppRREO
#

「あれはお前じゃないだろうな」

朝食の席で、エリックがシェイド君に言う。彼の頬には手形がハッキリと残っていた。

「何の話にゃ?」

「とぼけるな。小娘の……プルミエールの着替えを覗こうとしてただろう?猫に化けて」

「ん?してないにゃそんなの。だって……」

デボラさんがハムを乗せたパンを齧り、盛大な溜め息をついた。

「こいつ、私の着替えを覗いてやがったんだよ。すぐに気付いて平手打ちかましてやったさ」

ギロッとデボラさんがシェイド君を睨んだ。彼は身をモジモジさせている。

「怖いにゃお姉さん……でもそれがいいにゃ」

「先生、どんな教育してんだい?覗き魔だけじゃなく被虐趣味まであるのかい」

「返す言葉もないな。女癖以外は優秀なんだが」

エリックがデボラさんを見た。

「デボラ、シェイドが来た時間は?」

「確か、6時過ぎだねえ」

ちょうど猫が通った時間だ。

「ボクを疑うなら筋違いにゃ。それに、エリックがいるのに手は出せないにゃ。こいつ怖いにゃ、容赦ないにゃ」

「……それもそうか。じゃあ、あれはただの猫……ん」

「そういえば」

エリザベートとランパードさんが、まだ起きてない。「そのうち起きるだろ」とジャックさんは言ってたけど。
329 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/01(木) 20:39:34.40 ID:mKWppRREO
「おはようございまぁす」

欠伸をしながらエリザベートがやってきた。後ろからついてきているランパードさんは、どこか疲れた様子だ。

「あれはお前か」

「ん?あれって?」

「猫だ。俺たちの部屋を覗いていた」

「……ああ、あれ」

ランパードさんが前に出た。

「すまねえな、『草』からの連絡があってな」

「『草』?」

「そうだ。アヴァロン大司教だが、明け方前にモリブスを発ったらしい」

ニヤリ、とジャックさんが笑う。

「やはりな」

「昨晩話していた、アリス・ローエングリン教授の策ってヤツか?」

「そうだ。俺も詳しくは知らない。だが、あいつの行き先がテルモンだということを考えると、薄々見当は付く。
大方、テルモンの反皇帝勢力に動きがあったんだろう。イーリスとテルモンは一応同盟国だ。ユングヴィの原理主義派も多い。
アヴァロンは、表向きは教団員の保護でテルモンに向かったと考えるべきだろう」

「まさか……ローエングリン教授が煽動でもしてんのか?」

「直接手を下すような女じゃない。ただ、『何かおかしなこと』を引き起こした可能性は高いな。例えば、反皇帝勢力の首魁、カール・シュトロートマンの演説が街中で流れたり、とか」

「んなことができるのか」

ジャックさんが私を見た。

「お前なら分かるだろう?」

「……まさか」

「そうだ。『追憶』は大地の精霊が『過去に見たもの』を水晶などに映し出す。とすれば、『今見ているもの』を何かに映し出すこともできると思わないか?」

……可能だ。というか、それなら私にもできなくはない。ただ、やる意味がないと思っていた。
もし、遠くの場所に映し出せることができたら……それは確かに有益だろう。アリス教授なら、この程度は簡単にやってのける。

「理解できたようだな」

「でも、それって……教授が反皇帝勢力と手を組んでる、ってことですよね?どうしてそんなことを」

「それは本人から聞いた方がいいだろうな。一つ言えるのは、あいつにはあいつなりの事情があるってことだ」

ジャックさんがミルクを飲んだ。事情?一体何だと言うのだろう。

デボラさんが訝しげに口を開く。

「とにかく、しばらくアヴァロンは戻ってこない。そう考えるべきってことだね?
ただ、行ったっきり戻ってこないってこともあり得るんじゃないのかい」

「プルミエールの『追憶』が仕上がって、ネリドとエストラーダの消失にアヴァロンが関わっていると分かれば、それだけでもかなり効く。
もちろんアヴァロンを捕縛できれば最上だが。エリックとプルミエールの存在は邪魔極まりないはずだから、何かしら手は打ってくるはずだ」

「それって、アヴァロン以外の誰かが来る可能性があるってことかい」

「後で来るジョイスは俺の協力者だ。ラミレス家は敵としても、連中では派手に軍隊を動かすことはできない。無頼衆を使おうにも、俺相手に喧嘩を売るほどの度胸もないだろう。
だからこそ、アヴァロンはクドラクを使おうとしたわけだ。できることなら大事にならずに、こいつらを殺したかったからな。
それができるのは、アヴァロン本人以外だとかなり限られる。アヴァロンのグロンドなら、存在そのものを消し去れるからな」

デボラさんが「なるほどねぇ」と干し肉を焼いたやつを口に運んだ。ジャックさんが私たちを見る。

「時間的な猶予はこれでできた。後はお前ら次第だ」
330 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/01(木) 20:41:39.04 ID:mKWppRREO
#

「にしても、何であの猫は私たちの部屋にいたんだろう」

お皿を洗いながらエリザベートに言う。彼女は布巾でお皿を拭きながら私を見た。

「部屋が分からなかったからじゃない?猫の目って、そんなに良くないから」

「そんなものかなあ」

それにしては、じっと見られていたような気がする。シェイド君なら、まあ分かるのだけど。

「考えすぎだよぉ。ていうか、何でこんなに疲れるんだろうね」

床を箒で掃きながら、デボラさんが辺りを見た。

「これ、昨日も思ったけど……この家自体のマナ濃度が高いね。魔術書から発せられるものだけかと思ってたけど、そこかしこにマナの発生源がある。前はこうじゃなかったけどねえ」

「なるほど、家事自体が修行の一環なわけですか」

そう、朝食を食べ終わると「シェイドだけでは片付かん」ということで私たちも家事の手伝いをさせられていた。エリックとランパードさんは薪割りをしているはずだ。
人遣いが荒いなあと思ったけど、やはりそれなりに意味があることみたいだ。

「寝室はマナが濃くなかったから、まだ良かったですけど」

「そう言えばそうだねえ。さすがにそこまで先生も鬼じゃな……」

「甘いな」
331 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/01(木) 20:42:33.13 ID:mKWppRREO
急にジャックさんが車椅子で現れた。口元には意地悪そうな笑みが浮かんでいる。

「ひあっ!!ビックリしたぁ」

「甘いとはどういうことです?」

「昨日は初日だったからな。これからこの家のマナ濃度を徐々に上げていくぞ。寝ている間も修行というわけだ。まずはマナの総量と体力を増やす。
近いことを昔エリックにもやったが、それよりも負荷は掛けさせてもらう。当然『夜の運動』なぞやっている暇も余裕もないぞ」

「『夜の運動』?」

ギクッ、とエリザベートの動きが固まった。

「まあお前らは安心だ。エリックのヘタレはよく知っているからな。そろそろジョイスが来るから、手早く終わらせておけ」

「は、はいっ」

ジャックさんが去ると、エリザベートが大きな息をついた。

「消音魔法掛けてて気付くとか……」

「何やってたのよ、あなた」

「プルミエール、気付かないのかい……そいつら、『番』だよ」

「『番』?」

「要は夫婦ってことさ。違うかい?」

「は???」

思わず大声が出た。

え?エリザベートって結婚してたの??そりゃ私より少し歳上だけど、見た目はこんな子供なのに。

エリザベートは「ははは……」と苦笑している。

「厳密には『番』予定なんですけどねぇ。まだ正式には婚約の儀を行ってないから」

「トリスの風習は知らないけど、こんな早いうちから結婚するとはねぇ。まあ、好色多淫でエルフは有名だから、若くてヤッてても驚かないけどさ」

「むう、失礼な。ロックモールやベルバザスの娼婦と一緒にしないでくれますかねぇ。私はビクター一筋で10年ですよ?」

「……え、そんなのずっと一緒に勉強してきて初耳なんだけど」

「休暇とかの際に、ね。ま、別に隠しておくことでもなかったんだけど」

さすがにちょっと驚いた。言われてみれば、2人の距離感とか納得するものがあるけど。

「……そ、そうなんだ……というか、あの黒猫、もしあなたたちが、その……してるとこに来たらどうしたんだろ」

「え」

エリザベートの表情が固まる。

「ご、ごめん。変なこと言っちゃったかな」

「いや、違くて。『草』の猫、三毛猫なんだけど」

部屋に重苦しい沈黙が流れた。……私たちの知らない誰かが、偵察に来ている?それともただの猫?

不安を抱えているうちに、呼び鈴が鳴った。
332 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/01(木) 20:43:51.49 ID:mKWppRREO
第16話はここまで。長さとしてはこのぐらいがちょうどいい気がしてきました。
次回はエリック視点です。会談と修行、そして不審な影の話です。
333 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/01(木) 21:02:29.89 ID:mKWppRREO
用語紹介

「番」

トリス森王国特有の結婚形態。トリスは一夫多妻(ないしは多夫多妻)制であり、結婚は「番」契約に基づく。
男性は女性の元に通う「通い婚」であり、女性同士の同意があれば他に妻を持つことが許される。
ただし女性も他の男性と「番」になることが可能であり、基本的にイニシアチブは女性側にある。つまり、一夫多妻制ではあるが女性優位社会である。

エルフは他国(ないしは他種族)から好色と揶揄されることが多いが、これは強ち間違いでもない。
娼婦(男娼)にトリス出身者が多いのは困窮によるものではなく、敢えて好んで選ぶ者が少なくない。
これはエルフという種族の生殖能力が低く、試行回数を増やさないと種として存続し得ないからである。「番」制度の背景にも、こうした事情がある。
なお、男性、あるいは女性同士でも「番」にはなれる。可能性は大幅に下がるが、魔法を使えば同性間の生殖も可能である。

「番」契約を結べるのは16歳からだが、一般的にこの年齢では性行為は不可能であるため適齢期は30歳以上(多くは35歳前後)である。
この観点からすると、政治的な事情があるにせよエリザベートとランパードの事例はかなりトリスにおいても珍しいと言える(しかも特定の相手のみとなると極めて珍しい)。
334 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/01(木) 21:11:57.72 ID:mKWppRREO
この辺りは現在減速運転中の「オルランドゥ大武術会」と共通しています。
335 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/04(日) 09:49:29.41 ID:e/SkxUbmO
多分今日投下しますが、以下の点について検討中です。

・タイトル変更。妙案ありますでしょうか……
どうにもタイトル付けるのは苦手です。
336 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/04(日) 19:32:14.71 ID:KRGt/NcrO
タイトルは少し考えます。ここのタイトルはそのままで、なろうだけ変える可能性が高そうではありますが。

更新開始します。
337 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/04(日) 19:33:28.95 ID:KRGt/NcrO




第17話




338 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/04(日) 19:35:03.11 ID:KRGt/NcrO

「よう、久し振りっちゃね」

陽気に大男が手を上げる。髪は禿げ上がり、顎髭を生やしている。どこぞの山賊か何かかとしか思えない出で立ちだが、この男がモリブス統領、ジョイス・ベーレンだ。

「御無沙汰しております」

「エリックも元気そうたい。にしても、随分賑やかやねえ。弟子は取らん言うてなかったか?」

ベーレン候の言葉は南ガリア訛りが強い。オーガの血が入っているとも聞く。
オーガやオークは粗暴な種族との印象が強いが、十分な知性を持ち合わせた者も決して少なくない。ただ、人の言葉が構造上発音しにくいだけなのだ。
ベーレン候は混血だからか、さすがに流暢だ。それでも独特の訛りはある。

ジャックが苦笑した。

「まあ、成り行きだな。それに、期間限定だ」

「……身体は大丈夫なんか」

「しばらくはもつだろう」

「煙草はほどほどにしとき。アリスちゃんが悲しむけん」

「あいつも承知の上さ。小姑みたいな説教をしにここに来たわけではないだろう?」

ベーレン候が頷く。

「まあ、知っての通りっちゃ。ロペス・エストラーダとルイ・ネリドが消えた。どっちも俺とは敵対してたけど、さりとて不在なのも困る。そして、それが意味することが何かも大体は分かる」

「……そうだな。話に入る前にここにいる奴らを一通り紹介しておこう。この眼鏡が、件(くだん)のプルミエール・レミュー」

プルミエールが遠慮がちに一礼した。

「で、このチビエルフが」

「チビは失礼じゃないですか??あ、私はトリス森王国の……」

「第3皇女エリザベート・マルガリータっちゃ?で、そこの背の高いのが、ビクター・ランパード卿やね」

「え、会ったことって……」

「いや、ない。申し訳ないんけど、頭ん中を少し読んだたい」

「『読んだ』?」

ベーレン候が人懐っこい笑みを浮かべた。これがあるからこの男は憎めない。

「っちゃ。ベーレン家は代々『精神感応術』が使えるんよ。要は、思考の表層を覗けるっちゃ。
アングヴィラのクリス・トンプソンのような水準じゃなかけど、色々便利なんよ。こうやって驚かしたりな」

「相変わらず人が悪いねえ」

「はは、まあ手品みたいなもんたい。不快にさせたなら謝るっちゃ」
339 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/04(日) 19:36:09.76 ID:KRGt/NcrO
苦笑するデボラにベーレン候が笑った。エリザベートは少しむくれている。

「……まあいいですけど」

「にしても、トリスも絡んできたのは驚いたたい。あのマルガリータ女王の考えることはよう分からん」

「それはお母様に言ってくださいます?」

「それもそうっちゃ。まあ、もう魔族だけの問題じゃなかね」

ジャックが頷く。俺も感じ始めてはいたが、これは単に魔族を差別から解放するための闘争ではない。もっと根の深い何かだ。

俺とプルミエールが「サンタヴィラの惨劇」の真実を明らかにすることにどんな意味があるかは分からない。ただ、それが北ガリアの勢力図を一変させる何かに繋がり得るのは、もはや疑いがない。
だからこそトリス王家は動いているのだろう。そして、南ガリアとの交易で主導権を確立したいモリブスもだ。

「……どういうことなんですか?」

プルミエールの言葉に、ベーレン候が「うーん」と唸った。

「俺も正直なところ全て分かってるわけじゃなかよ。
ただ『六連星』が動いたということは、北ガリアの中核国であるアングヴィラ、テルモン、イーリスにとっては不都合ってことなんは間違いなか。ロワールが何考えとるかはちと分からんけど。
言ってみればこれは、覇権を巡る争いになりかねんわけたい。違うか、エリザベート姫にランパード卿」

「俺も全貌を聞いたわけじゃねえぜ。ただ、女王は何かを感じ取ってるな」

ランパードの目がエリザベートに向く。彼女も首を縦に振った。

「お母様の『千里眼』が何を見たかは知らない。でも、それなりの根拠がなければこんなことはしないです」

「やろ?俺としては南ガリアとの交易の邪魔にならなきゃいいんよ。ただ、イーリスが土足でこちらの庭を荒らすんなら考えがあるっちゃ。
まあ、表立って喧嘩売るわけにもまだいかんけど、協力はさせてもらうつもりたい」

プルミエールが頭を下げる。

「ありがとう、ございます」

「ええって。ただ、モリブスという国としてあんたらを保護するにはイーリスの……アヴァロン大司教の関与を示す証拠がなか。
それに、あんたらも知っての通りこちらも一枚岩じゃないけん。ラミレス家やゴンザレス家は元より親テルモンや。連中の動きを抑えるには、然るべき何かが要るけん」

「それは俺も既にこいつらに伝えている。とりあえず、こいつらが力を付けるまで7貴族の残りと無頼衆を押さえてくれ。時間はそうかけさせん」

「了解っちゃ」
340 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/04(日) 19:36:40.11 ID:KRGt/NcrO
エリザベートが手を挙げた。

「ちょっと、いいですか?貴方自身の身の安全は」

「それは心配なか。な、ジャック」

「基本的にお前が害される心配は薄いと思ってるが、過信は禁物だぞ?相手は『六連星』だ、何をしてくるか分からん」

「それもそうたい。ま、気をつけとくっちゃ」

そういうとベーレン候は立ち上がった。そして霞のように消えていく。

「「……消えたっ!!?」」

「どうしてあの人は普通に帰らないのかねえ」

驚くプルミエールとエリザベートをよそに、デボラが肩をすくめた。俺もベーレン候とは数えるほどしか会っていないが、ほぼ毎回こうだ。

「用心深いんだよ、あいつは。あの図体でな」

「転移魔法、じゃないですよね……」

「いや。そもそも、さっきまでここにいたのはジョイスの『分身体』だ。あいつはああ見えて俺の同期でな。幻影魔法では右に出るものがいない。
精神感応術はむしろおまけみたいなものだ」

そうらしい。父上とも知己だったと聞く。涙ながらに想い出を一晩中語られたこともあった。少々暑苦しいが、嫌いな人物ではない。

エリザベートが首を傾げる。

「ということは、本人は別の所にいるわけですか」

「ああ。それは俺にも分からない。クドラク……ファリス・エストラーダが父の政敵である奴を狙わなかったのはそういうことだ。
何せどこにいるのかすらよく分からんのだからな。とにかく、これで準備が整ったというわけだ」

ニヤリとジャックが笑った。

「また、あれか」

「それが一番効率がいい。今回は濃度をさらに濃くするぞ。その上で、幾つか負荷をかけていく」

2年前のことを思い出し、いささかうんざりした。24時間、体力が削られ続けるのは俺でもさすがに厳しい。

「こむ……プルミエールやエリザベートにも、同じ内容をやらせるのか?」

「このぐらいしてもらわんとな。じゃあ、行くぞ」
341 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/04(日) 19:37:17.86 ID:KRGt/NcrO
#

「……ふう」

修練が一服し、俺はベッドに身体を投げ出した。プルミエールはというと、部屋に戻るなりしゃがみこんで動かない。

それも当然だろう。高いマナ濃度の下での魔力展開。それに加えて筋力と持久力を高めるための運動。
俺の場合、それに加えて庭でランパードとの地稽古までやらされている。相当な使い手であるはずのランパードすら、最後は碌に動けなくなっていた。

1時間の休憩後は夕食、そして家事だ。この家事がまた地味に堪える。

「……大丈夫、か」

「ぜ、全然、大丈夫じゃ、ない……ベッドにすら、辿り着けない……」

俺は力を振り絞り彼女に肩を貸した。フラフラになりながら彼女を寝かせる。

「……あり、がと……でも、力が、抜けてく……」

「肝心なのは体力とマナの使い方だ。無駄なく使わないと、すぐに衰弱するぞ……。
寝ている間もマナの濃度は上がっていく。身体に、効率のいい使い方を、身体に叩き込ませろ」

「そんなことを、いっても」

「……仕方がない」

俺はザックから瓶を取り出した。「霊癒丸」を1粒取り出し、歯で半分に噛み切る。……酷い苦味と刺激臭が口に拡がった。

半分は無理矢理飲み込み、もう半分を彼女の掌に渡す。

「飲め」

「え」

「飲まんともたんぞ」

プルミエールはなぜか躊躇している。顔が妙に赤い。

「……不味いのは我慢しろ」

「そ、そう……でも、これって、あの……」

「何を躊躇っている」

プルミエールは意を決したようにそれを飲み込んだ。「うえ」という呻きが漏れる。すぐに血色が良くなってきた。

「……凄い。酷い味だけど」

「元々これはジャックの薬だからな。前の時も使っていたものだ。半粒だけでも、疲労回復に十分な効果はある」

「ありがとう……でも、これって貴重なものなんでしょ?」

「これはジャックからもらったものだ。まあ、多少の補充は利くはずだ」

「そう……」

また顔が赤くなっている。俺の顔も、つられて熱くなっているような気がする。

……私情を挟まないと、俺はこの旅を始めた時に決めていたはずだ。ここまで、情に脆くなっていたのか?

俺は頭を振る。いかん、疲労のせいで考えがおかしくなっている。
342 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/04(日) 19:38:02.45 ID:KRGt/NcrO
窓の外を見た。空は茜色に染まり始めている。モリブスの乾いた風が、頬に当たった。

「……ん?」

バルコニーに、何かが見えた。……黒猫?それはまるで、部屋の中を覗き見ようとでもしているかのようだ。
シェイドか?いや、あいつも同じような修練を受けている。覗きをする気力なぞあるはずもない。
とすれば、今朝の黒猫か。……どこか引っかかる。

「プルミエール、ちょっと来い」

「え?」

黒猫を見るなり、彼女の顔から血の気が引いた。

「あれって……」

「やはり、今朝の猫か」

「多分……でも、気味が悪い」

やはりプルミエールも同じことを考えていたようだった。あれは不自然だ。

「エリザベートやランパードの猫か?」

「違う。今朝来たのは三毛猫って言ってた。黒猫じゃない」

「となると……別のエルフによるもの、ということか」

「……そうなるわ。エリザベートたちも認識してると思う」

嫌な予感がした。やはり、アヴァロンはこちらを監視しているのか?ジャックがいるとはいえ、ここも安全ではないのか。

「ジャックに言った方が良さそうだな」

「その必要はない」

いつの間にか、ジャックが部屋にいた。その表情は険しい。

「知っていたのか?」

「ランパードから話は聞いた」

その後ろからランパードが現れた。

「すまねえな。どうもありゃ、うちのもんらしい」

「お前が『草』の元締めじゃないのか?」

「そうだ。が、前にも言ったがトリスも一枚岩じゃねえ。女王とは別の指揮系統が存在する。
俺も表向きはそっちの命を受けてたが、どうにも裏切りに気付かれたらしいな」

「何だそれは」

「知ってるかどうか分からねえが、トリスの女王は政(まつりごと)はやるが行政には参画しねえ。この長が司祭長のジェラルド・ヴァレンチンだ。
ジェラルドは女王の『番』の一人だが、政略上のもんで夫婦関係はない。で、トリスの実権を握りたがってる。所詮は小物だが」

ジェラルド・ヴァレンチンか。名前は聞いたことがある。権力欲は強いが、臆病な男であるらしい。

「マルガリータ女王に弓を引けるような男でもないだろう?いくら他国と歩調を合わせるにせよ、そっちの方が立場が強いんじゃないのか」

「まあな。しかもエリザベートも俺と一緒にいる。それを承知で喧嘩を売るなんてことはできねえはずだ。
だからこそ気になる。何のために偵察しているのか」

「ここの守りは?」

ジャックが窓の外を見た。もう黒猫はいない。

「基本、変なのが来たらすぐに分かるはずだ。それに、俺の力量を知っていたら下手な手は打てない」

「……とすると?」

「手を出しているのはジェラルドではない可能性があるな。あるいはただの猫か。心当たりは?」

「猫に心当たりはねえな。他にちょっかいを出してきそうな奴……」

数秒考えた後、ランパードの顔色が変わった。
343 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/04(日) 19:38:41.18 ID:KRGt/NcrO


「あっ!!?」


「どうしたんですか??」

「いや、まさか。しかし……あり得る」

「えっ、ちょっと!!?」

プルミエールの制止も聞かず、ランパードが部屋を出ようとする。ジャックがそれを引き留めた。

「待て。もう少し説明しろ」

「まずいことになってるかもしれねえんだ、ちと1、2日外してもいいか??」

「どういう要件だっ!?」

「『草』が乗っ取られたかもしれねえ。少なくとも、侵食されてる。それができる人間を、1人だけ知ってる。そして、マルガリータ女王とも敵対し、ジェラルドに近い人間を」

「誰だそいつは??」

ランパードが自分を落ち着かせるためか、大きく息をした。
344 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/04(日) 19:39:11.44 ID:KRGt/NcrO




「シェリル・マルガリータ。マリア・マルガリータ女王の父親違いの妹にして……幽閉中の『ダークエルフ』だ」



345 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/04(日) 19:40:46.06 ID:KRGt/NcrO
今回はここまで。北九州弁もどきが出てますが、訛りを表現するためのものですのでご承知ください。

次回は短めです。六連星側の話になります。
346 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/04(日) 19:52:51.23 ID:KRGt/NcrO
キャラ紹介

ジョイス・ベーレン(51)

男性。身長204cm、体重105kgの偉丈夫。頭は禿げていて、強面の風貌もあり山賊か何かにしか見えない。
母親がオーガであり、声帯の構造上訛りがある。南ガリア出身者は大なり小なり訛っている。
温厚で陽気な男であるが、政治家としては理知的でリベラル。また、通商政策に力を入れており「儲かればええんよ」というのが口癖。移民政策も進めている。
半面、治安政策には甘い。この点でロペス・エストラーダとは鋭く対立していた。
もっとも人間性は互いに認めあっていたらしく、敵対者というよりは好敵手に近い関係でもあったようだ。

オルランドゥ魔術学院の卒業生でもあり、ジャックとは学生時代からの旧知の仲。
エリックの父である魔王ケイン、そしてデボラの父であるリオネル・スナイダとも親しかったようだ。
幻影魔法については達人級であり、本人の意思通り動く「分身体」を作る「分身(ダブル)」は彼にしかできない魔法である。
なお分身体は触れたりもするので、看破はほぼ不可能である。ただし、食事だけはできない。
347 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/06(火) 20:59:58.19 ID:ZGv8N3vbO




第17.5話




348 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/06(火) 21:03:10.01 ID:ZGv8N3vbO



……ザシュッッ!!!



血飛沫が宙に舞う。巨体が、ゆっくりと倒れていく。


極白の雪が、紅に染まる。袈裟斬りに斬られた男は、薄く嗤いながら動かなくなった。


そう。最期の顔は……確かに嗤っていた。深く、牙を見せながら。



「ざまあみろ」



そんな声が、どこからか聞こえた気がした。


もう、知性も理性もないはずなのに。まるで、呪いをかけているような、低く、歪んだ声。



いや、それは確かに呪いだ。
なぜなら……今でもこうして、奴の……魔王ケインの死を、夢に見るのだから。


349 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/06(火) 21:04:26.52 ID:ZGv8N3vbO
#


「……ハッ」


私は正気に戻った。執務室の机に、突っ伏していたらしい。
時計を見る。幸い、意識を失っていたのは10分程度だったようだ。

ノックの音がする。

「陛下」

「入れ」

深く一礼して、その翼人は入ってきた。短く切り揃えられた金髪の男が、指を眼鏡に当てる。

「時間です」

「……そのようだな」

私は、机の釦を押した。本棚が独りでに開き、その中から巨大な「モニター」が現れる。


そして、その画面は瞬く間に6分割された。出席者は……3人か。


「まず御苦労様です、アヴァロン大司教。今どちらに」

『ロックモールですよ。色事に興味はないですが、ここしか会談ができないなら仕方がない』

「テルモンの状況は聞き及んでますか」

『ええ。カール・シュトロートマンが動いたようですね。あの暗愚なゲオルグでは、対応しきれますまい』

「貴方自ら向かう必要もないでしょう。エリック・ベナビデスと……プルミエール・レミューの捕縛を優先しないとは、貴方らしくもない」

『ユングヴィの教えを守ることの方が重要です。何より、血を見るのは苦手なのですよ。殺生は神の思し召しにも反します故』

澄ました顔で良く言う。自分が殺すか、魔獣に殺させるか程度の違いでしかない。この偽善者が、私は堪らなく嫌いだ。
350 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/06(火) 21:05:12.13 ID:ZGv8N3vbO
「コホン」

私の後ろにいる翼人が小さく咳払いをした。気付かれたか。

「貴方のことだから、別の手段を打っているのでしょう?」

『無論。まだ、来てないようですが』

モニターの中上の青年が、小さく言った。

『シェリル・マルガリータか』

『さすが『拳神』、察しがいい』

『『分かる』だけだよ、アヴァロン大司教。むしろ、よく口説けたものだね』

『あそこにエリザベート・マルガリータとビクター・ランパードがいると伝えたら乗り気になりましてね』

フフ、とアヴァロン大司教が笑う。左下の男が舌打ちした。

『ゴチャゴチャうるせえんだよ、腐れ司教が。正面から行ってぶった斬ればいいだろうが?』

「デイヴィッド、口を慎め。不敬だぞ」

デイヴィッドが不服そうに、もう一度舌打ちをする。

『陛下、なんでこんな奴らとつるんで『六連星』なぞ作った?んなの、アングヴィラだけで……』

「しかし、『秘宝』は……遺物含めて、我らが共同で管理せねばならん。我らがこうして話しているのも、秘宝のお蔭だ。
そして、秘宝は危うい。誰も手にしてはならぬ。我ら以外は」

『だから俺を呼び戻し、サンタヴィラ跡地に向かわせた。分かってんだよ、んなのは。ただ、まだるっこしく陰険なやり方は、俺の性に合わねえんだよ。
つーか、シェリルはともかくあとの2人はどうした??』

「ナイトハルト伯は北方の蛮族の討伐だ。ゲオルグ帝が動けばいいものを。オーバーバックの居場所は……誰にも分からん」

『オーバーバック?どこかで死んでるんじゃねえか??あるいは、レナ・エストラーダみてえにいつの間にか死んだとかか?』

「死んでいたら、私が察している。口が過ぎるぞ、デイヴィッド」

翼人の言葉に、デイヴィッドが黙った。

『……すまねえ、言い過ぎた』

『とにかく、あの2人……いや、4人についてはシェリルに任せました。彼女の力は、『クドラク』以上に暗殺向きですから。
ここに出てこないことからして、既に行動を始めたようですね』

「……そのようですね」
351 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/06(火) 21:06:17.26 ID:ZGv8N3vbO
シェリル・マルガリータか。魔族とエルフの間に産まれた、禁忌の子。その身は、長年幽閉されている。

しかし、それでもなお彼女は影響力を行使し続けている。姉のマリア・マルガリータ女王の目を巧みに盗みながら。それを可能としているのは、彼女が持つ「パランティア」の力だ。
彼女は「クドラク」同様に、「姿が見えない」。しかし、決定的に違うのは……

「陛下」

後ろから声をかけられる。つい、思考に耽っていたらしい。

「失礼をした。貴方の予定は」

『テルモンに行きユングヴィ教徒の保護を。シュトロートマン一派への対応については、ナイトハルト伯が戻り次第任せるつもりです。
その後は『魔女シェリル』の首尾次第でしょうね。まず心配は要らないと思いますが』

『アリス・ローエングリンが行方不明らしいが』

「拳神」ロイド・ロブソンが呟く。アヴァロン大司教の顔が、僅かに歪んだ。

『何ですって』

『僕の『知る』程度の話だ。オルランドゥでは騒ぎになり始めている。監禁しようとしたら傀儡だったらしい』

『……『秘宝』、ですかっ!??』

顔を紅潮させる大司教に、ロブソンが首を振った。

『そこまで僕には『分からない』。ただ、彼女とその元夫、ジャック・オルランドゥには最大限の注意を払うべきだ。いかに『魔女シェリル』であっても、討てるとは限らない』

『……それもそうですね』

大司教から余裕が消えた。私は後ろの翼人を見る。

「どうする」

「捜索隊を展開しましょう。デイヴィッド、指揮を頼めますか」

『サンタヴィラの監視と捜索はいいのか』

「さしあたりそちらを優先しましょう。オルランドゥに向かってください」

『人使いが荒いな、大将』

デイヴィッドが溜め息を付いた。この男も彼には逆らえない。

「とにかく、『魔王エリック』と『想起者プルミエール』の処理はシェリルに一任しよう。では、各々方」

モニターが一斉に消えた。私は椅子にもたれかかる。
352 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/06(火) 21:07:20.86 ID:ZGv8N3vbO
「お疲れですか」

「やむを得ん。そろそろ家督をユリアンに譲りたいものだが」

「あのお方にはまだ荷が重いかと」

「……それもそうか」

私は苦笑した。そう、荷が重い。このような秘密は、息子に引き継がせるものではない。断じて。

私は立ち上がった。

「行かれますか」

「ああ、民の声を聞くのが、王の仕事だ」


「変わりませんね、貴方は……アルベルト陛下」


「陛下はよせ、所詮婿養子だ。クリス、デイヴィッドへの指示は任せる」

「御意」


そう言うと、翼人……宰相、クリス・トンプソンは深く頭を下げた。

353 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/06(火) 21:09:36.13 ID:ZGv8N3vbO
短めですが今回はここまで。

次回は多分プルミエール視点です。
色々オーバーテクノロジーが出てますが、今後もこうした要素が出ます。
354 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/06(火) 21:50:18.05 ID:ZGv8N3vbO
キャラ紹介

アルベルト・ヴィルエール(38)

男性。184cm、75kgの栗色の髪の男性。ヴィルエール王家のフィリア・ヴィルエールは妻。側室はおらず、1男1女がいる。
20年前、魔王ケインを討った勇者。その剣の腕は現在においても天下無双である。
温厚篤実な人格者であり、民の声を良く聞き吸い上げる名君。前代がやや専制気味だったこともあり、なおのこと民に慕われている。

ただし、その裏では「六連星」を組織しており、清廉潔白な人物というわけでもない。
魔王ケインの死については重大な秘密があるようだが……?
また、明らかに文明レベルを逸脱した「秘宝」を幾つか使っているもよう。その真実は、まだ闇の中である。

なお婿養子である。婿入り前の名はアルベルト・オーディナルであり、一貴族の跡取りに過ぎなかった。
355 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/06(火) 21:51:39.93 ID:ZGv8N3vbO
上のキャラ紹介から色々察するものがあろうかと思いますが、展開はお楽しみに。

なお、今回の展開に合わせ、なろうの方の題名とあらすじを変更しています。
356 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/10/06(火) 21:54:42.60 ID:TjTrjC8T0
357 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/10(土) 17:11:50.18 ID:QhyjSLwuO




第18話



358 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/10(土) 17:12:37.89 ID:QhyjSLwuO


ランパードさんが姿を消して、2日が経った。連絡は、まだない。
さすがのエリザベートも、修練に集中できていないようだった。顔色は悪く、疲労も溜まっているみたいだ。


バサッ


「す、すみませんっ!!もう一度……」

「いや、いい。お前はもう休んでおけ」

床に落ちた魔術書を拾おうとしたエリザベートに、ジャックさんが溜め息混じりに言った。

「でもっ!!?」

「ランパードが心配なのだろう?だが、集中できないなら修練の意味はない。むしろ邪魔だ」

エリザベートが涙目で唇を噛む。こんなに悔しそうな彼女を初めて見た。

「先生、言い方キツくないかい?」

「だが、これくらいせねばならん相手だ。『魔女シェリル』については、説明されただろう?」

デボラさんが何か言おうとしてやめた。私は一昨日のことを思い出す。
359 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/10(土) 17:13:19.04 ID:QhyjSLwuO
#

「ダークエルフ?」

私の問いに、ランパードさんが頷いた。

「私も詳しく知らないけど、確かエルフの間で、稀に生まれてくるという」

「そうだ、『忌み子』だ。トリスに災いをもたらすとして、生まれた瞬間から国家の管理下に置かれる。
実の所、完全なる偶然で生まれてくるわけじゃねえ。魔族とエルフが『番』になった場合、小さい確率で生まれることが分かっている」

「そのどこが問題なんだい、愛し合って生まれた子だろう?」

デボラさんの言葉に、ランパードさんが首を振る。

「これがどういうわけか、強大な……途轍もなく強大な魔力を持って生まれてくるんだよ。しかも、今までの事例からして例外なく『邪悪』。
トリスは余程のことをやらかさねえと死刑はしねえ。ただ、過去のダークエルフは、大体大量殺人を犯し、そして処刑されてる。
だから、生まれたら即拘束、監禁だ。赤ん坊に罪はねえが」

エリザベートが同意した。

「シェリル叔母様も、何人も人を殺したと聞くわ。私もシェリル叔母様のことは、怖くてお母様に聞いたことがない。
でも、どうして叔母様は処刑されてないの?」

「理由は2つ。まず、単純に王族だからだ。ソフィア前女王は、恋多き女だった。そして、魔族を『番』としたことの責任を取って……というより、ダークエルフを生んだことの責任を取って自死した、らしい。
姫が生まれる前のことだし、きっと聞かされてねえと思うが」

エリザベートの顔が蒼白になる。

「……そうだったの」

「ああ。ただ、王族は処刑できない。マリア様も、負い目があるんだろうな。だから徹底した監視下に置くだけに止めている」

「ちょっと待て。じゃあなぜ殺人を犯したと分かる?ずっと監禁されてるんだろう?」

エリックの言う通りだ。ずっと動けないなら、人殺しなんてできるはずがない。


しかし、ジャックさんの口から飛び出したのは、驚くべき言葉だった。


360 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/10(土) 17:14:23.49 ID:QhyjSLwuO


「『憑依』、それも離れた場所にいても、接触しなくてもできる類いのものか?」


「さすが、ジャック・オルランドゥ。知ってたか」

「『魔女シェリル』の噂は聞いたことがある。15、6年ぐらい前に自らを『シェリル』と名乗る女が、『歓楽都市ベルバザス』に出現したと。
そして暗黒街を牛耳り、エルフの娼婦たちを瞬く間に支配下に置いた、らしいな」

いつも余裕の笑みを浮かべているランパードさんが、とても険しい顔になった。

「そうだ。そして俺が派遣された。厳密には、俺とその部下3人だ。
しかし……犠牲を払った。重い、重い犠牲を……」

「部下は全員」

「殺されたさ。希少品のはずの銃を、それも見たことがないものを、奴は持っていた。……多分、あれは遺物だ。
それでも俺は、何とか『シェリル』と名乗る女を討ったさ。だが、そいつはエルフじゃなく、人間だった。
そして、3ヶ月後に再び……今度はロワールのニャルラで『シェリル』が現れたんだよ。『自分はトリス王家のシェリル・マルガリータだ』と名乗る、『亜人の女』が、な」

ジャックさんが煙草に火を付けた。

「『魔女シェリル』はどこにでも現れる。そして、世界のあらゆる歓楽街を支配する。
伝説じみた存在だが、確かにエルフの『憑依』を使っていれば説明は付くな。
そして、さっき言っていたもう一つの理由は……本当にシェリル・マルガリータが関与しているかという証拠がない、ということだな?」

「そういうことだ。そして、どうやって『憑依』しているのかも分からねえ。監視も異口同音に『彼女はそこにいた』と言いやがる。
マリア様の『千里眼』ですら、シェリルが動いたという証拠は押さえられてねえんだ。
ただ、マリア様に対して弓を引こうとしているのは確かだ。ジェラルドとも利害は一致する。いや、待てよ……」

ランパードさんが叫んだ。

「まさかっ、シェリルは『六連星』かっ!!?」

「あり得ることだ。歓楽街を支配していたなら、それなりの連中とも付き合いがあるだろうな。アヴァロンとどういう接点があるのかはよく分からんが」

「そうか、道理で……いよいよ俺が行かねえとまずいな」
361 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/10(土) 17:15:03.95 ID:QhyjSLwuO

ランパードさんが玄関へと向かう。「待って!!」とエリザベートが彼の袖を掴んだ。

「私も行きますっ!」

「ダメだ。姫を危険には遭わせられねえ。何より、あいつの手口は2度戦った俺が、よく知ってる。対処法を知らないとまず終わりだ」

「でもっ!!?」

ランパードさんが唇を噛む。エリザベートを抱き寄せようとしたけど、逆に突き放した。


「言うことを聞けっ!!……あんたまで喪うことは、俺には耐えられねえんだよ」


「ビクタァ……」

「大丈夫、必ず戻る。心配するな」

ジャックさんが眉をしかめた。

「そんな約束ができるのか?そもそも、何のために行く」

「『草』の誰かがシェリルに乗っ取られてるはずだ。まずはそこから手を付ける。
シェリルの厄介な所は、まるで疫病のように自分が支配できる範囲を拡げていくってことだ。だから、誰が『中枢』かを把握する。
ただ、俺だけで倒せる相手でもねえ。中枢が誰か分かった時点でこっちに戻る。緊急回避の手段は、ちゃんと持ってるからそこは安心していいぜ」

「緊急回避……?あっ」

ランパードさんはエリザベートに黒い球を1つ見せた。

「いつの間に!!?」

「そ、『転移の球』だ。無茶はしねえから、安心しな」

くしゃくしゃと頭を撫でられ、エリザベートが涙目になる。

「本当に……ちゃんと帰ってきてくださいね?」

「ああ、約束だ」

ランパードさんが走り去っていく。その間、エリックだけは……終始無言だった。
362 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/10(土) 17:15:33.37 ID:QhyjSLwuO
#

しかし、それから全く音沙汰がない。「『中枢』が分かったらシェリルを叩く」ということで、それに備えて修練をしているわけだけど……
シェリルって人が「六連星」としたら、それはあのデイヴィッドと同格ということだ。そこまでの相手に、付け焼き刃でどこまで迫れるのだろう?

エリザベートが、床に落ちた魔術書を拾った。

「……やります」

「次気を抜いたら、分かってるな?」

「はいっ」

私も合わせて、マナを自分の周りに展開する。身体が酷く重い。
地味だけど、基礎が一番辛いのは本当に確かなことだった。発展的演習は、もう少し先らしい。


その時だ。


チリリン


呼び鈴が鳴った。誰だろう?
玄関に行くと、そこにいたのは……


「すまんっちゃ。ジャック、おるか」


363 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/10(土) 17:17:09.37 ID:QhyjSLwuO
ベーレン候?表情は真剣……というより、無表情だ。

「ジャックさん、ベーレン候が」

「……何?」


車椅子に乗って彼が顔を出した、その瞬間だ。


「プルミエールっっ!!!そいつから離れろっっ!!!」


「え」


ベーレン候はおもむろに懐に手を入れる。そして、そこから出されたのは……銃だった。

364 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/10(土) 17:17:59.37 ID:QhyjSLwuO



……刹那。



「加速(アクセラレーション)5ッッ!!!」


バァンッッッ!!!


ザンッッ


銀色の煌めきが、目の前を走る。ベーレン候の右手首が銃と共に宙に舞った。
次の刹那。「ドスンッッッ」と鈍い音と共に、ベーレン候の巨体が崩れ落ちる。当て身を当てて気絶させたのだと、すぐに分かった。


「デボラっ!!!すぐに処置をっ!!!」

365 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/10(土) 17:41:28.44 ID:QhyjSLwuO


「わ、分かった!!!」


向こうからデボラさんとシェイド君が駆けてくる。シェイド君が激しく流れる血を押さえながら、治癒魔法をかけ始めた。

「出血が激しいにゃ!!」

「待ちなっ!手首はあたしが繋げる、あんたは回復魔法をかけ続けな!!」

「繋げる??できるのかにゃそんなの??」

「つべこべ言わずにやるんだよ!!」

「わ、分かったにゃ!!……睡眠魔法も平行にゃ??」

シェイド君にジャックさんが頷く。

「多分、精神はシェリルの支配下だ。しばらく眠らせるしかないな」

「え」

「ジョイスが『分身体』で来ないなんてあり得ないからな。生身で来たのが分かった瞬間、尋常ではないと判断した」

コフコフと、ジャックさんは軽く咳をするとエリックを見た。彼は短剣の血を拭い鞘に収めたところだ。

「助かった。調子はどうだ?」

「まあ、軽くはなったな」

平然とエリックが言う。

「あ、ありがとう……また、助けられちゃった……」

「当然のことをしたまでだ。それより」

エリックの視線がエリザベートへと向く。彼女は呆然と立ち尽くすばかりだ。

「あ……ああ……」

「ランパードだと思った、か」

「……帰ってくるんじゃ、なかったの?」

「焦りすぎだ。ただ……」

ジャックさんも渋い顔になった。

「あまり、いい状況ではないな。俺はランパードの力量や性格を詳しくは知らない。ただ、ここに戻ってこられる状況にないのは確かだ」

「……まさか……」

震えるエリザベートを私は抱き締めた。……そんなことは、想像したくもない。
366 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/10(土) 17:42:08.11 ID:QhyjSLwuO
ジャックさんは首を振った。

「殺された可能性は否定できないな。ただ、ここにジョイスが来たということから考えて、その可能性は薄い」

「どうして分かるんですか?」

「シェリルの手口として、『憑依』かそれに類した洗脳を使ってると俺は見た。そして、誰が一番俺たちに警戒されないかと問われたら、それはジョイスではなくランパードだ。
ジョイスが来た瞬間に察知できていたから難を逃れたが、ランパードだったら俺も油断しただろうな。
つまり、ランパードの利用価値は高い。シェリルがそれをしなかったということは、勢い余って殺してしまったか重傷かという可能性もあるが……」

ジャックさんが煙草に火を着けた。

「まだ潜んでいるのが一番ありそうだな。それも、簡単に逃げられない状況で」

「……『転移の球』を持ってるのに?」

「あれは俺も知っているが、屋内じゃ使えん。つまり、外に出ること自体が容易ではないということになるな」

「助けに行かなきゃ」

涙を拭って、エリザベートが外に出ようとする。私は彼女の袖を掴んだ。

「ちょっと待って!?どこにいるのか分からないのよ!?」

「でも行かなきゃ!!これ以上待ってても……取り返しが付かなくなってからじゃ遅いのよ!!?」

「落ち着け」

溜め息混じりにジャックさんが言う。

「ジョイスから話をまず聞こう。シェリルの状況が分かるかもしれん」

「え?さっきは眠らせるしかないって……」

「そうだ。眠っている間、デボラにちと働いてもらう」

「……あたし、かい?」

「そうだ。『時間遡行(アップストリーム)』の効果を忘れたか?」

「……あ、ああっ!!?そういうことかいっ!」

ニヤリと彼が笑う。

「そう、脳に掛ければ、洗脳は解けるはずだ。多少時間と体力は使うがな」
367 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/10(土) 17:42:40.23 ID:QhyjSLwuO
#

「……ん」

「気付いたか」

「……ちょっと待て。なんで拘束されとると??」

ベーレン侯の意識が戻った。ジャックさんがデボラさんの方を見る。

「どれぐらい戻した?」

「半日。今朝ぐらいの記憶にはなってるはずだね」

「いいだろう。ジョイス、お前、この銃に見覚えは」

エリックが手首ごと吹き飛ばしたものだ。簡素な造りで、特注品というほどでもないらしい。

「ないっちゃ。俺ならもう少しマシなのを使うたい」

「……だろうな。お前なら『魔導銃』の方を使うはずだ」

「『魔導銃』?」

私の問いに、デボラさんが魔術紋が入った銃を見せた。

「これだね」

「どうしてあんたもそれ持っとるん?」

「あたしが独立するときにアリスさんからね。あんたも持ってたんだね」

「アリスがオルランドゥに赴任する時に餞別代りにもらったと。それより、もうええやろ?何でこんなことになっとるか、説明してくれっちゃ」


一通りジャックさんが今日のことを話すと、ベーレン侯が眉を顰めた。

「……洗脳されてたんか」

「ああ。心当たりは」

「……今日はラミレス家のエマニュエルと会う予定だったっちゃ。もちろん、ラミレス家がアヴァロンとの繋がりがあることは承知の上だったから、俺本人が会うつもりは全くなかったんやけど」

「エマニュエル・ラミレスが『シェリル』?」

私の言葉に、ベーレン侯が考える素振りをした。

「どうやろな。『憑依』についてはよく分からんけど、普通に考えたら相手は同じ女性のはずたい。男に憑りついたら違和感がすごいはずやし」

「だろうな。ラミレス家に近い誰かか?いや……普段地下室に籠っているはずのお前に接触するなら」

「……嫁か!!」

ベーレン侯の顔に朱が差した。

「彼女がシェリルの『中枢』とは考えにくいが……誰かが彼女を洗脳し、そこからお前にと考えるべきだな。とすれば、昨日今日の彼女の行動が分かればいい」

「んなのどうすれば……」

ジャックさんがニヤッと笑い、私を見た。


「修練の成果を見せる時だな、プルミエール・レミュー」


368 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/10(土) 17:43:50.27 ID:QhyjSLwuO
18話はここまで。寝落ちしていました……

次回は多少?推理ものに近いテイストです。
369 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/10(土) 19:06:19.61 ID:QhyjSLwuO
武器紹介

魔導銃

使用者のマナに応じた魔力弾を放つ銃。一種の魔法発動装置であり、銃とはその見かけが似ている程度である。
弾の速度や威力は使用者の力量に比例するため、ジャックが使えば特級遺物並みの破壊力になる。
遺物のようにも見えるが、アリスが秘密裏に開発した兵器である。アリスがなぜこのような兵器を作れるのかは現状では不明。

なお、銃はこの世界では希少であり、ジョイスが持っていた簡素なものでも相当に高価である。
また、銃の遺物も存在する。ランパードが最初に遭遇した「シェリルの憑依体」はこの持ち主であった。
魔導銃は当然流通していないが、少なくとも3丁は現存する。そのうち1つはデボラに、もう一つはジョイスに渡っている。
370 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/11(日) 20:45:25.38 ID:Plru0K4UO




第19-1話




371 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/11(日) 20:45:52.59 ID:Plru0K4UO

その日のモリブスは、小雨が降っていた。雨除けの外套が、俺たちの顔をすっぽりと隠している。
外套から滴る雨がうざったいが、姿を見られてはいけない俺たちにとっては僥倖かもしれない。

「どこに行くの?やっぱり、ベーレン侯の私邸?」

「それが一番手っ取り早いな。まず、誰がベーレン侯の妻を『操ったのか』を探る必要がある。ただ……」

「既に全員操られてるかもしれない……そういうことね」

俺はプルミエールに頷く。シェリルの力は全くの未知だ。ただ一つ言えるのは……

「シェリルの『憑依』は、私やビクターのと違う。同時に、複数に、しかも本人を介さず広げられる……まるで病原菌か何かみたい」

「『憑依』の発動条件って?」

「私の場合、しばらく対象に触る必要があるの。大体、10秒ぐらい。『憑依』の間、本人は意識を失うけど。でも、シェリルも同じなのかは分からない」

エリザベートがポツリと言う。まだ、ランパードのことが気掛かりらしい。

「その通りだ。だから、探らねばならないのはまずは『手段」。そして『加害者』。
そいつがシェリルと特に繋がりの深い『中枢』であればいいが、多分そうじゃないだろうな」

ランパードは2日前、俺たちにこう言い残していた。「シェリルは自分の石を完璧に反映させる『中枢』を介して影響力を広げる」と。
ただ、どうやって影響力を広げていたかは遂に奴も分からなかったようだ。だからこそ、奴は「中枢」を見つけるのにこだわっていた。
「『中枢』を殺せば、『憑依』の効果が全て消える」からだ。

恐らく、奴はその特定に手間取っている。あるいは、特定できたが脱出が難しい状況に陥っている。
奴が死のうが生きていようが俺にはさほど関心がない。ただ、プルミエールは悲しむだろう。そして、エリザベートも。

だから、俺たちが代わりにやらねばならない。鍵になるのは、ジャックの言っていた通り……プルミエールだ。
372 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/11(日) 20:46:19.46 ID:Plru0K4UO
#

「……私にかかってる?」

プルミエールが、意外そうに言った。ジャックは首を縦に振る。

「そうだ。お前の『追憶』。この数日の修練で、少しは進化したはずだ。
土の精霊の力を借りて土地の記憶を呼び起こし、水晶玉に反映させるのがこの魔法の骨子だ。
そして、マナの運用幅が修練で広がったことで……呼び起せる対象も広がっているだろう」

「というと?」

「土の精霊を人に一時的に宿らせる。そして、本人が『見た』ものを反映させることもできるはずだ。
今の『追憶』は、その場所で起きた出来事しか再生できない。
対象を土地ではなく人にすることで、運用の幅が広がるというわけだ」

「……でも、それって……本人の同意が必要では」

「必ずしも必要じゃない。極論、死んで『物体』となっていても運用は可能だ。むしろ、そっちの方が分かりやすい」

プルミエールの顔色が変わった。こういうことに対する耐性は、彼女にはない。恐らく、一生付きそうもないだろう。

「……誰かを殺せ、とでも??」

「意識を失っている状態であればいい。要は、物体に近い状態であればいいんだからな。同意があれば当然可能だが」

「なら、ベーレン侯に使えばいいじゃないか。同意は当然得られるだろう?」

デボラの言葉に少し考えた後、ジャックが否定した。

「いや、ジョイスの肉体は朝方の状況に戻っている。つまり、この肉体は『乗っ取られた』時のことを『覚えていない』。だから、真相を探りたいならば……」

「俺の嫁、ってことたい」

「そうなるな。だが、良いのか?」

「ちょっとやそっとじゃ死なんちゃ。遠慮せずやっていいたい」

「となると……」

ジャックが俺を見た。

「荒事になりそうだな」

「あ、くれぐれも殺しだけはやめてくれんか。極力、誰も傷つかんようにしたいんよ」

「分かってるさ、ベーレン侯」
373 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/11(日) 20:47:07.83 ID:Plru0K4UO
#

そして俺たちはモリブスの市街地に来た。2回の「時間遡行」で疲弊しているデボラと、万一の時の守りに必要なシェイドは残している。
強行突破という手はなくはない。ただ、犠牲が出る可能性も決して低くはない。俺一人ならそれでもいいが……プルミエールとエリザベートがいる以上、あまり無茶もできなそうだ。

「……誘き出すしかないか」

「誘き出すって、ベーレン侯の奥さんを?」

「そうだ。ただ、『憑依』の条件が分からない以上、できるだけ慎重にやる必要がある」

どうにも手段が思いつかない。搦め手は苦手だ。

エリザベートが何かに気付いた。視線の先にいるのは……猫?

「あの子、使えないかな」

「え?」

「どこまで『憑依』の効力があるのかは分からない。でも、ふと思ったんだ。『何でベーレン侯は銃を使ったのか』って」

「何でって……」

プルミエールは首を傾げている。確かに、言われてみれば妙だ。

「ベーレン侯って、幻影魔法の達人なんでしょ?あんな直接攻撃しなくても、もっと上手いやり方だってあるはず。
あなたもそれっぽいことできるじゃない。『幻影の霧』、だっけ?」

「あれは幻影魔法というより、精霊魔法と精神感応の合成に近いけど……でも、確かにもっと簡単に私たちを襲えたはず」

「そう。つまり、『憑依』している間はその人の能力は使えない。恐らく、『中枢』はすごく単純な指令しか『衛星』に出せないんじゃないかな。逆に言えば、私の能力とかに気付くことはない」

「……!!そうか、だからあの猫を使って……」

エリザベートが頷いた。

「もちろん、普通にやってたらまず誘き寄せるなんてできないわ。でも……」

エリザベートが計画を話し始めた。これは一種の賭けだ。しかし、成功すれば……誰も傷付けず、彼女を生け捕ることができる。

「できるのか?」

「最初のとこさえ上手く行けば、多分。問題は使っている間、私の意識が失われるということだけど……多分、効力範囲は広がってるとは思う」

「なるほど、そういうことか。とすると、自動的に配置は決まるな」

「うん。私とプルミエールはワイルダ組に行く。あなたは、これを持ってここで待ってて」

エリザベートが黒い球を俺に手渡す。

「了解だ」
374 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/11(日) 20:47:46.55 ID:Plru0K4UO
#

彼女たちが去って半刻。弱っていた件の野良猫が、ベーレン侯の私邸に入っていくのが見えた。
回復魔法でもかけてもらったのだろうか、多少は元気そうになっている。猫の首輪には筒のようなものがある。あれが肝だ。

中には、手紙が入っている。脅迫状だ。


「ベーレン侯は預かった。夫人独りで迎えに来られたし」


これに釣られるのかどうか。書かれていることは確かに事実ではあるが。

ベーレン候とラスカ夫人との関係は良いと聞いている。普段ならば……あるいは「憑依」の範囲が限定的ならば、出てくるはずだ。
しかし、もし罠と気付かれたら……別の方法を考えねばならない。その場合、警戒心が高まった相手に仕掛けることになる。成功の公算は、さらに薄くなるだろう。

俺は雨の中、身動きせずにただ待った。南国でも、雨の冷たさは体力を奪う。あまり長くはいられない。


……中年の婦人が門から出てきた。あれか。


俺は「加速」を使おうとマナを溜めた。修練のおかげで、「5倍速」を使える回数は増えている。大丈夫だ、賭けには勝っ……

375 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/11(日) 20:48:24.97 ID:Plru0K4UO



ゾクン



悪寒が急に走った。何だ?


チラリと後方を見る。刹那。



ドゴオオッッッ!!!



376 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/11(日) 20:49:36.44 ID:Plru0K4UO


俺の右に、巨大な質量が振り下ろされた!!?右手は……ある。何とか交せた、か??


「チッ」


後方に跳ぶ。振り向くと、ラスカ夫人は馬を寄越すよう指示しているようだった。目の前にいるのは……女??



「……はじめまして。エリック・ベナビデス」



顔は外套で見えない。だが、俺の名を知っていることからして、ただ者ではないのは明白だった。
そして、右手には……女が一人で扱うことなどできなそうな、巨大な斧。

377 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/11(日) 20:50:15.79 ID:Plru0K4UO


こいつが「シェリル」なのかは分からない。ただ、確実に言えるのは……こいつとやりあっていては、ラスカ夫人を取り逃がすだろうということだ。


俺は覚悟を決めた。


「加速(アクセラレーション)5!!!」


反転し、一気にラスカ夫人に迫る。速度で振り切る!!


「重力波(グラビディ)」


ズンッッッ


「ぐおっっ!!?」


身体が急に、鉛を仕込んだ服を着たかのように重くなった。気を抜くと、地べたに這いつくばりそうになる。何をされたっ!?


「行かせるわけにはいかないのです。『魔王』エリック」


何者だ!?今の魔法は……そして、こいつの素性は??

378 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/11(日) 20:50:46.69 ID:Plru0K4UO


ラスカ夫人がこちらに気付いた。彼女は既に馬上の人だ。このままでは取り逃がす!!


俺は瞬時に考えた。この危地を脱するには、「アレ」を使うしかない。
しかし大丈夫か?周囲への被害は?そして、俺の身体は?


選択肢は、どうもなさそうだった。何より、この魔法の効果下では、「5倍速」ですら十全に動けそうもない。


ならばっ!!!


379 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/11(日) 20:52:00.91 ID:Plru0K4UO




「加速(アクセラレーション)20、『閃』!!!!」




380 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/11(日) 20:52:32.64 ID:Plru0K4UO

風景が一瞬のうちに切り替わる。身体はクソ重いままだが、それでも普段の「5倍速」ぐらいの速度では動けているようだった。

馬を蹴り飛ばし、鞍の上にいる夫人を小脇に抱える。懐から「転移の球」を取り出し、地面へと投げ付けた。


もう一度後方を見る。女は、斧の刃を大地に当てた。


「震えなさい、『エオンウェ』」


やはりあれは遺物かっ!!!身体が、さらに重くなる。
馬とそれを牽いてきた従者は、既に何か巨大なものに踏み潰されたかのように肉塊へと姿を変えていた。
俺も……もちろん夫人も、このままでは同じ目に遭うっ!!


地面に、黒い穴ができた。俺は半ば倒れるように、その中へと身を投じる。

381 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/11(日) 20:53:00.65 ID:Plru0K4UO



女が、外套を上げた。見えたのは……妖艶に歪む、褐色の笑みだ。



382 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/11(日) 20:56:14.13 ID:Plru0K4UO
第19-1話はここまで。推理小説テイストのはずが、少し予定が変わりました。

19話は多分3〜4回です。次回はプルミエール視点にあるでしょう。
383 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/11(日) 21:08:26.70 ID:Plru0K4UO
技・魔法紹介

「閃」

現在のエリック最大の切り札。
簡単に言えば「20倍速」による体当たりだが、移動速度が音速を大きく超えるため、その破壊力は尋常なものではない。
また、「音速剣」同様衝撃波も発生する。エリックの質量による上乗せもあり、「音速剣」よりさらにその影響は広範に及ぶ。
半面、肉体にかかる負担は尋常ではない。エリックが使うのを躊躇っていたのはこのため。
さらに、その衝撃波の破壊力も大きく、一種の無差別攻撃手段でもある。一般人が巻き込まれれば死は免れない。
これもエリックが「最後の手段」としていた理由だった。

ただ今回は、女の「重力波」の影響で移動速度が大きく減じられていたため、威力は遥かに減じられている。衝撃波も発生していない。
このことを見越した「閃」の使用であったとも言える。
なお、女の重力波はランパードのそれよりも威力は大きい。「加速」を使わないならエリックも肉塊になるのは必至であった。
(ラスカ夫人が無事なのは、エリックが触れているためである。これにより彼女も「加速」の効果を受けている)
384 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/13(火) 21:51:36.25 ID:ARENFlNKO




第19-2話




385 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/13(火) 21:53:53.24 ID:ARENFlNKO


天井に黒い穴が空いた。次の瞬間。


ズドオオオオンンンッッッ!!!!!


2つの塊が、猛烈な勢いで「落ちてきた」!?
ベッドが粉々に壊れる。そこにいたのは……


「グハッッッ!!!」


「エリック!!?」


慌てて駆け寄ると、エリックが気を失っている中年女性を抱きかかえていた。
激しく「落ちた」せいか、彼があちこちから血を流しているのが分かった。

「……俺は、後回しだ。まずは女を……」

「後回しって……何があったの??」

「……待ち伏せ、されていた。それも、途轍もない凄腕だ……シェリル本人、かも……ゲフゲフゲフッ!!」

エリックが血を吐く。……大変だっ!!

「エリザベート、治癒魔法使える??」

「少しは!でも、これじゃ……」

「丸薬の残りがあるから、それも使うわ!!先にエリックを治す、いいわね?」

「……馬鹿が……」

憎まれ口を叩く彼の口を拭い、例の丸薬を取り出す。残りはもう1粒しかない。
でも、これを使わないといけないのは間違いなかった。そうしないと、死にはしなくても……治るまでには、相当かかる。

「飲み込める?」

「……分か、らん……」

目が虚ろになっている。これは想像以上に良くない。早く飲ませなきゃ……!
386 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/13(火) 21:55:16.94 ID:ARENFlNKO


私は咄嗟に丸薬を唇に咥える。そしてそれを彼の口に合わせ、舌で押し込んだ。


「むぐっっ!!!?」


「んっ……んんっっ!!」


舌から、熱い鉄のような味がした。彼は最初拒んでいたけど、舌で丸薬を受け取り……ゴクンと飲み込んだ。


唇を離す。口は、彼が吐いた血で濡れていた。汚れるのも気にせず、それを拭う。


「プルミエール……」

「エリザベート、出血とかは?」

「う、うん。……大分、止まってきた。骨がどうなってるかは分からないけど」

女性……多分ラスカ夫人だ……には目立った外傷はない。ここから落ちた時の衝撃は、全部エリックが肩代わりしたのだろう。

バタバタと、ラファエルさんたちが部屋に入ってきた。

「どうしたっ!?」

「至急寝床を2つ確保して下さい!!」

「分かったっ」

エリックが私を見た。

「……俺より、ラスカを……詳しくは、あとで、話す」

「うん」

彼が意識を失ったのが分かった。あの「霊癒丸」の効き目は、自分でもよく分かってる。3刻ぐらい寝れば、きっと体力は戻るだろう。

「エリザベート、エリックは任せたから、私はこっちをやる」

「う、うん」

ラスカ夫人を寝かせると、私はすぐに詠唱を始めた。土地の代わりに人を媒体とする……言われてみれば、確かに原理は同じだ。
巻き戻す時間は……とりあえずは今朝。そこから、3時間ぐらいまでを3倍速で見る。これでいいはずだ。
387 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/13(火) 21:56:17.61 ID:ARENFlNKO
水晶玉に光景が浮かび上がった。ラスカ夫人の視点であるらしい。彼女もオーガとの混血なのだろうか、随分視点が高いことに気付いた。
修練の成果か、かなり疲れは少ない。思っていたよりは楽な気がする。


しばらくは、何事もなく過ぎた。家事を人任せにしない人らしく、使用人に混じって洗濯などをしているようだった。
異変は、水晶玉の時間で「1時間」ほど経って起きた。客人があったようだ。

『ラミレス家からの使者、ですか』

水晶玉から、声が響く。声はまだ小さくて、聞き取るのがやっとだけど……これも、あの修練の成果かかな。

『はい。……様の……ご要望で。ジョイス様に……お会い……と』

声は途切れ途切れだ。それでも、言ってることの大枠は分かった。「中枢」は、ラミレス家にいる。

『お断りします。主人は職務で多忙です故』

『ジョニィ様の……聞けないと?』

『本日の予定は、全て一杯なんです。恐縮ですが、緊急というならジョニィ・ラミレス様ご自身でいらっしゃられるのが筋では?』

使者は黙ると、おもむろに近付く。


『な、何ですか。……きゃあっっ!!?』


視界が一気に反転する。押し倒された、と分かったのはすぐだった。

388 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/13(火) 21:57:22.40 ID:ARENFlNKO


若い男の顔が目の前に近付き……すぐ離れた。


『……よろしいですね?』

『……分かりました』


……何が起こったのだろう?しかし、今「憑依」されたのは、間違いない。


「キス……」

「え」

エリックに治癒魔法をかけながら、エリザベートが呟いた。

「キスよ。多分、一瞬でも触れたら発動するんだ。ベーレン候があっさり『乗っ取られた』理由が分かった」

その通りだった。ラスカ夫人はすぐに地下室に行き、ベーレン候にキスをした。ベーレン候は用心深いらしいけど、夫人からのこうした求めは普段通りだったのだろう。だからあっさりかかったんだ。
そこからは予想通りだ。ベーレン候は乗っ取られ、一直線にジャックさんの家に向かう。ラスカ夫人はその間、キスで邸宅を全てシェリルの支配下に置いてしまった。

確かに恐るべき力だ。でも……

「キスに気を付ければいいって程度なら、多分……」

「うん、そこまで脅威じゃない。でも……」

薬で眠るエリックを見た。そう、その程度なら彼は普通に何とかするはずだ。
でも、あの様子は……明らかに、追い詰められてた。しかも、あんな重傷を負うほどに。

エリックの「加速」は、かなり使い勝手のいい魔法だ。どういう原理かは分からないけど、速く動けるだけでなく細かい動作もできるようだった。
攻撃に使えば打撃力を高め、守備に使えば大体の攻撃は避けられる。そう言えば、ランパードさんが稽古で「ちっとも当たる気がしねえから『加速』はやめてくれねえか」と愚痴ってたっけ。

だから、相手が余程の相手じゃない限りは、こんなことになるはずがない。それこそ「クドラク」……ファリスさんぐらいでなければ。


……ファリスさんぐらいでなければ??

389 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/13(火) 21:58:21.83 ID:ARENFlNKO


そう言えばさっきエリックは……襲ったのは「シェリル本人かも」って言っていた。まさか、そんなことが??



「ねえっ、ランパードさんはシェリルってずっと幽閉されているって言ってたわよね!!?」

「そのはず。お母様の『千里眼』の目を盗んで、行動なんてできないはずだから……。だから、さっきのエリックの言葉はあり得ないの、絶対に」

エリザベートの顔が真っ青になっている。その表情は、エリックを襲ったのがシェリルではあり得ないことを示していた。
でも、エリックを追い詰めるなんて、そう簡単にできることじゃない。付き合いがそんなに長くはない私にだって、そのぐらいは分かる。


……だったら、自分の目で確認すればいい。私には、できる。


今、エリックは眠っている。「追想」を使うにはお誂え向きだ。

390 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/13(火) 21:59:26.20 ID:ARENFlNKO
#

ラファエルさんが別室のベッドに彼を寝かすと、私はすぐに詠唱を始めた。「戻す」時間は短いのでさほど苦でもない。水晶玉に、彼の見ていた景色が浮かび上がる。

……外套の女が、そこにいた。胸の大きさで、それが女だと分かった。
異常に大きな斧を持っている。あんなものを軽々使えている時点で、明らかに常人じゃない。

『震……さい、『エオンウェ』』

女が言うと、急に視界がブレた。あれは、多分「遺物」だ。それも、相当に強力な。

「『エオンウェ』?エリザベート、知ってる?……エリザベート??」

エリザベートから、感情が抜け落ちていた。見てはならない何かを見たかのように。

「ねえっ、どうしたのよ??」

「……これ」

一瞬だけ、女の顔が見えた。歪んだ笑いの、女の顔が。
はっきりと見えなかったので、一度「巻き戻す」。そこにいたのは……褐色の肌のエルフ。


「……ダークエルフ???」


エリザベートが頷いた。

「ダークエルフが、外をうろつけるはずがない。でも、でもお母様が見逃すはずなんてっ!!」

「落ち着いて!!シェリルと決まった訳じゃないでしょ??」

「でも……これは間違いないの。そう……間違いなくこれは……」

ダークエルフ。そして、それは……シェリルしかいない。
「六連星」が自ら、エリックを始末しに出向いてきた。状況は……物凄く悪い。

そして、ランパードさんが動けない理由も分かった。下手に動こうものなら、殺されるからだ。
なら、今彼はどこにいる?考えろ。考えるんだ、私!


ニャア


窓の外で黒猫が鳴いた。血の気がさらに引いていく。

391 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/13(火) 22:01:43.69 ID:ARENFlNKO


しまった!!もう、私たちがいる場所も見つかってしまった!?


そう思った瞬間、黒猫は窓の隙間から入ってくるとクルッと一回転して……男の子の姿になった。肩の力が抜けていく。

「シェイド君!!?」

「良かったにゃ、不安だったからご主人に少し様子見てこいって言われたけど、上手く行ったみたいにゃ」

「そんなことより!!シェリルがここに来てるみたいなの!!エリックは深手を負ってるし……」

「……シェリル?」

私は水晶玉をシェイド君に見せた。彼は怪訝そうに首を捻る。

「これ……多分ダークエルフじゃないにゃ」

「え?」

「うっすらと身体の周りにマナが見えるにゃ。多分、僅かだけど幻影魔法で認識をずらしてるにゃ。
肌の色を変えてる可能性が高いにゃ。シェリルとは別の個体にゃ」

「でも、この強さは……」

「トリスのことは知らんにゃ。貧乳、そんな使い手トリスおるにゃ?」

エリザベートが力なく首を振った。悪口を言われたのに全然反応しないなんて、彼女らしくもない。

「……にゃあ。しかし、こいつが遺物持ちなのはただ事じゃないにゃ。多分、『中枢』じゃないと思うけどにゃ」

「どうして分かるの?」

「そりゃモリブスにある遺物なんてボクでも分かってるにゃ。で、『エオンウェ』なんて知らないにゃ。つまり、こいつは余所者にゃっ」

口調のせいで軽く聞こえてるけど、早口で捲し立てるシェイド君の言葉からははっきりとした焦りが感じられた。混乱してるんだ、彼も。

「『中枢』はあくまでモリブスの人ってこと?」

「そうじゃなきゃベーレン候の喉元まで食い込めないにゃ。で、こいつはその協力者、あるいは上司」

「ジョニィ・ラミレス……は男性よね」

「にゃ。でも、ジョニィは大の色狂いにゃ。よくモリブスの花街に来てるらしいにゃ。夫婦関係は確か冷めきってたはずにゃから……」

エリザベートが急に頭を上げた。

「そうか!花街に『中枢』が……!!」

「それだ!でも『憑依』された人が多すぎて脱出できなくなってる……」

「娼婦にとってキスは当たり前だから、急速に『憑依』の範囲は広がるわ。で、ラミレス家を支配し、ベーレン候まで……」

「始末が悪いにゃ。エリックは……」

ベッドに寝かされている彼を見て、シェイド君が顔をしかめた。

「さっきのにやられたにゃ?」

「うん……動けるようになるまでもう少しかかると思う」

「分かったにゃ。とりあえず、『エオンウェ』が何か調べてくるにゃ。ボクが戻るまで何とか耐えろにゃ!!」
392 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/13(火) 22:03:31.40 ID:ARENFlNKO
#

「……そうか」

それから2刻。一通り説明を聞いたエリックが小さく言った。

目覚めてから少したったけど、顔色はまあまあ良さそうだ。ラスカ夫人はまだ眠らされている。シェイド君はまだ戻ってこない。

「うん。あれはシェリルじゃないみたい。でも……」

「間違いなく、強者だ。不意を突かれてなくても……自信はない、な」

エリックが唇を噛む。こんな悔しそうな彼も珍しい。エリザベートが、彼を見た。

「でも、どうであれ……花街に行かないと始まらないよ。行かなきゃ、ビクターを助けに」


その時、外が急に騒がしくなった。


「カチコミだぁっっ!!!」



窓の外を見る。そこには、数十人の人とエルフが押し掛けていた!!!


393 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/13(火) 22:05:47.92 ID:ARENFlNKO
第19話はここまで。次回は大体戦闘シーンです。

「シェリル」ですが、実は既に存在だけは作中に出ています。種明かしの一部は次回。
394 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/13(火) 22:06:17.63 ID:ARENFlNKO
失礼しました。第19-2話です。
395 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/13(火) 22:21:35.94 ID:ARENFlNKO
魔法紹介

「憑依(ポゼッション)」

対象に自己の意識を乗り移らせ乗っ取る魔法。エルフの中でも限られた者しか使うことができない。
また、乗っ取っている最中は本人の意識は消えている。つまり、本体が無防備なため安全を確保した上でないと使えない。
通常は小動物を対象にすることが多く、主に偵察や諜報のために使われる。

エリザベートの憑依はかなり強力なもので、一定の条件で人間相手にも使用できる。
また、視覚や聴覚などの感覚を一時的に「共有」することまで可能。ただ、これには相手の同意が必要である。
また、使用には対象に10秒ほど触れ続けねばならない。多くの場合、動物相手には「魅了(チャーム)」を併用することになる。
強力ではあるが制限が多く、必ずしも万能ではない。

シェリルの「憑依」は対象が無制限である一方、支配範囲が限定的などエリザベートのそれとは全く別の魔法のようである。
その真相は現在不明。ただ、「中枢」と呼ばれる存在を介して憑依対象が広がる特性があるようだ。それは伝染病に近い性質があると言えよう。
396 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/15(木) 19:21:14.27 ID:tce8OdH5O




第19-3話




397 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/15(木) 19:22:17.44 ID:tce8OdH5O


「逃げろっっっ!!!」


俺は飛び起きると、プルミエールの手を掴んだ。

「えっ」

「裏口だっっ!!!ラファエルっ、家具かなにかで入口を封鎖だっっ!!」

「なっ……!!?」

「つべこべ言わずにとっととやれっっ!!『乗っ取られて』も知らんぞっっ」

階段を駆け降りると、既に玄関付近は混沌の最中にあった。マイカというオーガが力任せに殺到する人々を薙ぎ倒しているが、このままではもって数分か。

「極力殺すな!口の辺りだけはしっかり覆え、口付けされると乗っ取られるっ!!」

「わ゛、わがっだ」

奴が長身で大分助かった。しかし、いかに相手が丸腰の一般人でも、このまま行けばワイルダ組も乗っ取られるだろう。

裏口を開けると、もう数人そこにいた。当て身ですぐに昏倒させたが、あっという間に次が来る。想像以上に統率が取れていてキリがないっ!!

プルミエールとエリザベートは、明らかに足が遅い。肉体能力だけなら、この2人はそこいらの小娘並みかそれ以下だ。
2人を抱えて「2倍速」で逃げるしかない。問題は、それができるかだ。

その時、俺の前にラファエルがやってきた。

「エリックの旦那、俺も行くっすよ」

「ワイルダ組はどうするんだっ??」

「さっきの話、大体聞こえてましたから。頭を倒せば元に戻るっしょ?
それに、病み上がりだけどウィテカーもいるっす。何とか持ちこたえられると信じます。とにかく、旦那たちを花街に連れていくのが第一っす。その後は、俺がワイルダ組を守るので」

そう言うと、ラファエルはエリザベートを背に乗せた。

「そこの娘さんは、旦那が」

「分かったっっ!!!」

「え、ちょ、ちょっと!?」

プルミエールを背負うと、彼女がすっとんきょうな声を上げた。豊かな胸が背中に当たるが、それを気にしていられる状況じゃないっ!

「加速(アクセラレーション)2!!」

一気に駆け出す!コボルトのラファエルも、平気で付いてくる。脚の速さなら、亜人でも随一なのがコボルトだ。
襲い掛かろうとする連中は、軽く跳ね飛ばす。立ち塞がる連中を蹴りつけていると、花街の妖しい香辛料の香りが強くなってきた。

「俺はここまでっす!!あとは頼みましたぜ旦那ぁ!!」

「助かったっ!!ワイルダ組を頼むっ!!」
398 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/15(木) 19:24:42.57 ID:tce8OdH5O
花街の入口でエリザベートを下ろすと、ラファエルは風のように消えていった。
モリブスの花街は、ベルバザスやロックモールほどの規模ではない。しかし、売春は無頼衆にとっていい「しのぎ」だ。勢い、娼館の数は他国に比べ多い。


この中から……「中枢」とランパードを見付け出せと??


「エリザベートっっ!!!」

「分かってる!!!」

エリザベートが精神を集中し始めた。エリザベートの感知魔法はかなりの精度と聞いている。ランパードを見付け出したら、一旦ジャックの所に退いて仕切り直すしか……


「おおおおおおおお」


「きききき……きき……」


「何これっっ!!?」


奇声をあげながら、娼館からワラワラと娼婦たちが出てきた。動きはトロいが……多いっ!!!目視できるだけで20、いや30人はいる!!!
手を前に出しているが……これではまるで屍人(グール)だ。いや、あるいは本当にそうなのか??

「エリザベート、まだかっ!!?」

「黙ってて、集中できないっっ!!!」

個人は問題じゃないが、集団で四方を囲まれるのは……最悪だ。被害を承知で本気を出すか??

逡巡していると、プルミエールが急に詠唱を始めた。


「『幻影の霧(ミラージュ・ミスト)』!!!」


俺たちの周囲を、白い霧が包む。そうか、これならっ!!
娼婦たちが次々と霧に入っては動きを止める。根本的な解決にはならないが、しかし十分だ!


「時間は稼いだわ!!エリザベート、どうなの!!?」

「……!!!10時の方角に……1、2……!!?」

彼女が青ざめる。何に気付いた??

「……どうしたの?」

「嘘……そんなっっ…………!!!」

霧がゆっくりと晴れていく。霧の効果で倒れている娼婦たちの向こうにいたのは……3つの人影。

1人は見たことがない顔だ。若い小柄なエルフの女……あれが「中枢」か?
そして、その奥にいるのは……外套で隠れてはいるが、多分さっきの女か。もう一人は、背の高さと体つきからして、男か?


……まさか。


「ビクターッッッ!!!!」


399 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/15(木) 19:26:25.16 ID:tce8OdH5O


エリザベートの悲痛な叫びにも、男は反応しない。前に出ているエルフの女が、クスリと笑った。


「お初にお目にかかりますわ、エリザベート第三皇女」


「ふざけないでっっ!!ビクターを、返しなさいっっ!!!」

「返せ、と言われても、ねえ。ね、シェリルお姉様」

女が外套の女にしなだれかかった。女が外套から顔を出す。長い金髪に褐色の肌。エルフだから外見年齢はあてにならないが、存外に若い。

「さすがエリック・ベナビデス。よくここが分かりましたね」

「……まあな、『シェリルもどき』」

「シェリル」の顔から表情が消えた。

「……『もどき』?」

「幻影魔法で肌の色を弄っているな。貴様も『中枢』か」


「くく。クククク……ハハハハハッッッッ!!!」


心底愉快そうに「シェリル」が嗤う。


「何がおかしい」

「面白い冗談ですね、エリック・ベナビデス。ですが、それに答えることはありません」

「シェリル」が斧を構えようとする。

「加速(アクセラレーション)5っっ!!!」

一気に間合いが詰まる。これを交わせるかっ!!!
400 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/15(木) 19:27:31.55 ID:tce8OdH5O


ギィンッッ!!!!


「なっ!!?」


高い金属音が響く。「シェリル」の隣にいた男が、剣で受けたのだ。


馬鹿なっっ!?


男はすかさず鍔迫り合いから喉笛を狙った一撃を繰り出す。俺は咄嗟に後方へと跳ねた。


あれは、本当にランパードなのか?奴は確かに手練れだ。しかし、その本領はむしろ魔法との組み合わせにある。
近接戦闘では「加速」を使わない俺にすら手を焼く程度だ。「5倍速」の俺の攻撃なぞ、受けられるわけがない。……そのはずだ。

そもそも、ランパードはなぜ今姿を現した?「憑依」されていたとして、なぜ「シェリル」は使わなかった?


クスクスとシェリルの隣の女が嗤う。


「ふふふ、さすがの魔王も混乱してますわ、ねえ、お姉様」

「そうですね。でも、種明かしはしてあげません」

穏和な笑顔と共に、「シェリル」が斧を地面に立てた。まずいっっ!!!
401 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/15(木) 19:28:09.62 ID:tce8OdH5O


「震えなさい、『エオ……』」


「させないっっ!!!『幻影の矢(ミラージュ・ボルト)』!!!」


プルミエールが何かを「シェリル」に向け飛ばした。それをシェリルは斧で受ける。


「……無駄な足掻きを……!!?」


一気に3人の周りに霧が拡がった。あれは、まさか!!?

「プルミエール!!!」

「エリック、ここは逃げた方がいいわ!!多分、何とかな……」


「ならないわ」


霧が一瞬のうちにかき消された。……そんな、馬鹿な。


「シェリル」がクスクスと笑う。

「驚きました。幻影魔法を込めた魔術矢を放ち、『何かしらに当たったら』幻影を見させる霧を発生させるわけですね。
さすがクリスが育てた天才。私がこれを使わなかったら危なかった」

彼女が首飾りを見せた。

「『パランティアの欠片』。おあいにくさまですね、魔法攻撃はこれで吸収できるのです」

「あ……ああっっ……」

プルミエールが崩れ落ちるのが見えた。エリザベートはまだランパードが「乗っ取られた」衝撃から立ち直れていない。戦況は……絶望的だ。
402 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/15(木) 19:29:23.94 ID:tce8OdH5O

……残された手段は、3つ。まず、「音速剣」を使う。当たればまず勝てるが、当たらなければ俺のマナは枯渇する。それに、ランパードも恐らくは死ぬだろう。「閃」を使うのも同様の理由でダメだ。

とすると、残された手段は……ここからの逃走。
戦力の差が、あまりに大きすぎる。被害拡大を覚悟で、一か八かジャックの家に戻るしかない。

……しかし、それが可能なのか?


「何余所見してるんです!!?」


女が鞭で攻撃してきた。迅いっっ!!!


「ぐっ!!!」


何とか避けたが体勢が崩れた。そこに、再びランパードが尋常ならぬ速度で襲い掛かる。その一撃を、俺は辛うじて交わした。

「逃げ回っていては『ソーン・ウィップ』の餌食ですよ!!」

ビシッ、とエルフ女の鞭が地面を叩く。避けた先で倒れていた娼婦の首が飛んだ。
こいつも手練れかっ!?反動を承知で「2倍速」を使い続けているが、とてもじゃないが2人を同時に相手しきれない!

そして……再び「シェリル」が微笑みながら斧を地面に当てる。血が一気に引いた。


「では、皆さんお別れですね」


ちょっと待て、全員まとめて殺すつもりか??……狂っている。

403 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/10/15(木) 19:31:26.06 ID:tce8OdH5O




刹那、視界の端に小さな人影が見えた。それも……2つ。何か、見たこともない二輪の乗り物に乗っている。



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