高山紗代子「敗者復活のうた」

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180 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:05:18.23 ID:ZRhpxi3E0
高木社長「まあそれは、2人の問題だ。高山紗代子君は、確かに目的であるトップアイドルにちゃんと向かっている。あの娘の望む通りに」

P「そうですとも。ギブアンドテイクだ。お互いがお互いを利用して、何が悪いというんです!?」

高木社長「……ひとつだけ、君に言っておこう」

P「? なんです」

高木社長「復讐は、いつか終わる。終わらない復讐などない。なぜなら……」

P「復讐は何も生まない、なんていう話じゃないですよね?」

高木社長「無論、違う。これは君よりは長く人生を歩み、そして多少は愛憎というものを経験している身としての、経験則だ」

P「……うかがいましょう」

高木社長「復讐は、何を以て成し遂げられたとするか……そう考えれば、自ずと明らかだろう。復讐は、その過程が報われた時、終了するのだ」

P「? 復讐をするな、という話ではないんですね?」

高木社長「逆に君に聞こう。君はどうなれば、復讐が終わると思っているのだね?」

P「それは……俺を馬鹿にしたやつらを……そう、特にあいつを見返して……」

高木社長「君は、それを確認できるのかね? 目に見える所で見返せたとわかるのかね?」

P「……」

高木社長「君の復讐も、いつか終わる。そして、そのいつかは突然にやってくる」

P「それは、予言ですか?」
181 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:06:17.11 ID:ZRhpxi3E0
高木社長「先程も言っただろう? これは経験則だよ。そしてそのいつかがやって来た時に、君はプロデューサーとしての真価が問われるだろう」

P「……お言葉は、覚えておきます」

高木社長「うむ。それはそうと、気になることがあるんだが」

P「え? なんです?」

高木社長「二階の最前列……ここから見えると思うが」

P「ええ……ん? あれは……961プロの……」

高木社長「黒井が来ているんだよ。いや、業界としての礼儀で劇場のこけら落とし時から招待状は送っていたんだが、今回初めて来たっていうのがどうにも不思議でね」

 765プロと961プロは、互いにライバル関係にある芸能事務所だ。そしてそこには社長同士の因縁もある。
 その961プロの社長が、一体なんの用でやって来たのか。それも初めて。

P「確かにいい予感はしませんね」

 無愛想に、というよりは不機嫌に腕を組んで座る黒井社長に、プロデューサーは眉を顰めるが、招待客としてやって来たわけでもあり無下にもできない。が、無視もできない。

高木社長「まあともかく、私が目を光らせておく。君は、高山君を頼む」

P「わかりました」
182 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:06:51.70 ID:ZRhpxi3E0

 765プロ劇場において、高山紗代子の名前は少しは知られ始めている。
 だがそれは、765プロの新鋭アイドルメンバーの1人としてであり、単独のアイドルとしては「ああ、あの娘か」程度の認知であるのが大半だ。
 無論。紗代子のファンも存在はしている。が、まだこれといって目立った活動実績のない紗代子のファン達も今は「ちょっと気になる娘」「あの娘、可愛いな」「今後に注目をしている」といった人達だ。
 事実、今日は紗代子が主役のセンター公演だが、客席は探せば空席もあるといった状況である。

P「見てろよ。そのうち、紗代子単独でもこの劇場を満席にしてやる」

 舞台袖から客席を見ながら、プロデューサーは呟く。
 そこへ紗代子がやって来る。

紗代子「プロデューサー、行ってきます!」

 舞台に上がる時、すなわち仕事の時、紗代子はメガネを外す。意志の強い瞳が、普段より更に際だって見える。
 表情だけ見れば、自信にあふれている。
 だが、その実この少女は、コンプレックスという弱い自分を抱えているのを、プロデューサーは知っていた。

P「ホウキは必要か?」

紗代子「え? あ、いいえ。もうわかっていますから、プロデューサーの教えは」

 紗代子は、はにかんだように笑った。
 どうしたことか、今日は本当に自信に満ちているかのようだ。
 何かあったのだろうか。

紗代子「じゃあプロデューサー……約束を果たします」

P「約束?」
183 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:09:41.07 ID:ZRhpxi3E0
紗代子「筑波山からの帰り、お話ししたことです」

 プロデューサーの脳裏に、あの時の事が蘇る。
 そう。あの時、紗代子は……

P「気づいたことを、俺に見せる……というあれか」

紗代子「はい。上手くいくかはわかりませんけど、試してみます!」

 自信だけじゃない。心底楽しそうな姿が、そこにはある。

P「ひとつ、気をつけて欲しいが二階席最前列に、やや年輩の男性がいると思う」

紗代子「え? あ、はい」

P「気をつけろ」

紗代子「えっ? 気をつけるって、それはどういう……」

P「うむ……俺にも正直わからん。が、もしかしたら何かをしてくるかも知れない。少なくとも、そういう心の準備だけはしておいてくれ」
184 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:10:13.92 ID:ZRhpxi3E0
紗代子「誰なんですか? その人は」

P「黒井崇男といってな、あの」

紗代子「961プロの社長さんですね」

P「知っているのか!?」

紗代子「以前、劇場の新規アイドルを邪魔したり引き抜こうとしたりして……」

 迂闊だった。いや、現状把握ができていなかった。一番のライバルであるのみならず、様々な妨害を仕掛けてくる961プロとその社長の動静に無頓着だった自分が ※はらただしく なる。
 これもすべて、あんな部屋などに閉じこもっていたせいだ。

紗代子「プロデューサー?」

P「なんにせよ、気をつけろ。それから……がんばってこい」

紗代子「はい! プロデューサー、見ていて下さい!!」
185 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:10:41.19 ID:ZRhpxi3E0

 幕が上がった。
 舞台袖から見える紗代子の顔も、いい表情にプロデューサーには見えている。
 幕の上がる直前の、少しだけ不安げな顔はもうない。いや、口元には笑みすら見て取れる。
 最初の曲のイントロが流れる。紗代子の歌声をまずは聞かせようと選んだ、バラードだ。
 吐息のような、歌い出しから……

紗代子「あーーー♪」

 突然、紗代子は大声で歌い出した。いや、絶唱だ。
 バックの志保と静香が呆気にとられた。つまり、明らかにリハーサルとは違う歌い出しだ。
 しかし構わず紗代子は手を客席に、そう二階席の方に向けてそのままの声量で歌い出す。

紗代子「私は ここにいます♪
    私は ここで歌っています♪
    ねえ 聞こえますか?
    私が わかりますか?
    私が ここにいます♪」

 冒頭の絶唱で、もしかしたら紗代子は初のセンターで混乱してるんじゃないか。プロデューサーは一瞬、そう思った。必要があれば、曲を止めるつもりだった。
 しかし彼は、戸惑いながらもそれはやめた。
 紗代子は明らかに、意図して絶唱している。
 本来なら、気弱な少女の不安な胸の内を歌った曲が、今紗代子によって強い問いかけの歌になっている。

紗代子「誰も 知らない私♪
    明かりもない ここで♪
    私は あなたの為に歌います♪
    お願い 私を見て♪
    お願い 私を聞いて♪
    お願い 気づいて♪
    あなた♪」
186 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:11:33.03 ID:ZRhpxi3E0
 客席は静まりかえっていた。
 誰もこんな始まりを想定していなかった。
 が、呆然としていた観客は、曲の途中で思い出したかのようにペンライトを振り出す。
 そして紗代子が歌い終わると、その場の全員がーーおそらく黒井社長以外はーー熱狂的な拍手をもって彼女を讃えた。
 その熱気は最後まで途絶えることなく、公演は終了した。
 アンコールまでの間に、プロデューサーは紗代子の元に走った。

P「ああいうことをやるなら、せめて俺には事前に報告して欲しかったな」

紗代子「すみません。試してみようと思ったら、もう胸を抑えきれなくて、幕が上がってから、そうだここでやってみようって」

 そう言えば紗代子は、この初センター公演で先日気づいた何かをプロデューサーに見せると言っていた。
 確かに彼は驚かされた。そして客席全ての人の心に響く歌声だった。

P「結局、気づいた事っていうのはなんだったんだ?」

紗代子「プロデューサーの言ってた事は本当でした。必死な人間の懸命な声は、人の魂に届くって」

P「ああ、俺の声が聞こえたんだったな」

紗代子「でも……じゃあどうすれば必死で懸命な人の声を出せるのかは、山に行っても遭難した人の気持にはなれないのでわかりませんでした。だけど……」

P「?」

紗代子「それなら遭難した人の気持ち、必死な人の懸命な心境ってどんなだろうって考えてたら、思いあたることがありました」

P「なんだ? それは」
187 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:12:02.90 ID:ZRhpxi3E0
紗代子「765プロのオーディションを、落ちた時の私の気持ちです」

P「……」

紗代子「もう駄目なのかな……これで……ここで終わりなのかなって絶望だけがあって……希望や明日も見えなくて……誰かに助けて欲しくて……そんな気持ちを、歌にこめました」

P「夢を失い、人生の絶望を経験した者の強み……か」

 彼にはわかった。紗代子のあの冒頭の絶唱は、出そうと思ったのではない。自然と出た、助けを呼ぶ声だったのだ。
 まだ17歳の少女が、生きる目標である輝く夢を失いそうになり、それを恐れ、そして助けを呼んでいたのだ。聞いた者の心に響かないはずがない。
 そしてそれだけに、紗代子のアイドルにかける夢の強さと、想いに彼は震える思いだった。
 この純粋な夢に対して、自分はなんと汚い人間なのだろうかと、恥ずかしくなった。
 そう、泣きたくなるぐらいに……

紗代子「え?」

P「なんでもない。さあ、アンコールだ。早く行け」

紗代子「はい! あ、プロデューサー」

P「……なんだ?」

紗代子「待ってて、くれますよね?」

P「……」

紗代子「またどこかに行ったりしないですよね?」

P「……俺は」
188 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:12:41.15 ID:ZRhpxi3E0
紗代子「ずっと、私を見ていて……いいえ、教えてください! トップアイドルになる夢の叶えかたを!!」

 実際、プロデューサーは内心このままここから去ろうかとも考えていた。
 逃げ出したかった。
 少なくとも紗代子に、顔向けが出来なかった。
 だが、まるでそれを見透かしたように紗代子に念を押され、改めて彼は決意した。

P「待ってるさ。ここで、紗代子をな」

 紗代子は笑顔で頷くと、ステージへと走って行った。
 センター公演を終えたばかりとは思えない力強さに、Pは苦笑を漏らす。

P「時々だが……本当に時々だが、復讐とか……ばからしくなるな」
189 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:13:26.20 ID:ZRhpxi3E0

 公演が終了した後、765プロ劇場はちょっとしたパニックに陥った。
 公演前はまばらだったグッズ売り場に、お客さんが大挙して押し寄せたのだ。
 紗代子関連のグッズは見る間に完売し、急きょ倉庫から在庫が運ばれた。

美咲「て、手伝ってください。お願いします〜」

P「い、いや、お、俺は……」

 言いかけて彼は考え直す。
 今日の主役は、紗代子だ。その紗代子が起こした成功の証しなのだ、これは。
 体験し、見届けておこう。自分は彼女のプロデューサーなのだから。

「今日の高山紗代子ちゃんの歌、CDはないんですか?」

P「申し訳ありません。CDは近日発売予定です。配信も同時販売の予定でして」

「タオルを3枚ください! 自分用と保存用と布教用!」
「マスコットぬいぐるみ、もうないの!? Tシャツは!?」
「ラバストがあるの!? 全部一揃いください!!!」

 売れたのは紗代子のグッズだけでなく、触発されるように他の娘のグッズも売れ出し、とうとう売店も倉庫もカラになってしまった。
 観客が帰り静寂の戻った劇場で、プロデューサーは鈍りきった身体を隠そうともせずに投げ出す。
 疲労感は強いが、それ以上に満足と達成感に満たされる。
 自分と紗代子が、この劇場のグッズを空にしてやったのだ。
 知らず、笑みが漏れる。

紗代子「いつも……」

P「うおわっ!」
190 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:14:29.14 ID:ZRhpxi3E0
 気がつけば、紗代子が上から顔を覗き込みようにしている。
 衣装から私服に着替え、メガネも髪もいつものように戻している。
 こうしていると、本当に普通の女の子だ。本当にあの絶唱をした娘と同一人物だろうかと、心配になってくるほどに。

紗代子「あ、驚かせてしまってすみません。プロデューサーは、いつも横になって目を閉じて笑ってるなあって思って」

P「ぐ、偶然だ。そうだ……見ておくんだ。この光景を」

紗代子「え?」

P「ここの売店だけじゃないぞ。倉庫も空っぽだ」

紗代子「これ、私の歌で……?」

P「そうだ。紗代子のステージを見て、みんなファンになってくれたんだろう」

紗代子「……嬉しいです」

P「まだまだトップアイドルへの道はこれからだ……レッスンだって現場だって、辛いこともあるだろう。けれど……」

紗代子「はい。この光景を、忘れないでおきます」

 薄暗い、物のなくなった売店という、ドラマのワンシーンとはほど遠い、殺風景な光景を2人は目に焼きつけるようにしてしばらくの間、佇んでいた。
191 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:15:32.40 ID:ZRhpxi3E0

     『プロデューサーも敗者だった』
192 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:16:03.25 ID:ZRhpxi3E0
「歌姫様は、ご機嫌ナナメかい」
「ナナメどころか、癇癪玉をぶつけてきてるよ。どうすんだ、もうすぐ本番だってのに、リハーサルもできちゃいない」

 場所はラスベガス。その中にあるベガスを代表する有名ホテル、シーザース・パレス。
 歌姫、とやや揶揄の隠った呼ばれ方をされている少女は、そのロイヤルスイートに立てこもっていた。
 理由は特にない。
 いや、特にないーーと本人は思っている。
 だが何だか気に入らない。
 思えばなぜ、自分はこんな所にいるのだろう。
 本当は、日本でアイドルをしているはずだった。
 いや、別に日本でやると決めていたわけではないが、それでもアメリカに来るつもりなどなかった。
 見込まれ、条件を出され、それに両親がのったというだけのことだ。自分にはどうすることも出来なかった。
 しかしそれとても、それはそれで別にいいだろう。自分はアイドルになりたかったのだから。今も自分が歌えば、会場は熱狂し、ファンは日に日に増えている。
 歌うたび、会場は大きくなっている。
 そして今日の会場が、コロシアム・アット・シーザーズ・パレス。名にし負う、世界的に有名な劇場だ。
 本来ならば、申し分のない……いや、名誉に思えるはずのこの会場でのコンサートにも気乗りがしない。
 彼女は、先ほど自分で蹴飛ばしたイスを引きずってテーブルの前に戻すと、いつもの儀式めいた行動に入る。

 カタカタカタカタ

検索結果『たかやまさよこ アイドル』……107件HIT

「えっ!?」

 彼女は思わず立ち上がった。
 これまで何度も検索をして、その都度落胆をしていた検索結果。それが今夜、期待もせずに習慣のように検索した結果は、思わぬ結果を表示していた。
193 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:16:34.26 ID:ZRhpxi3E0
「よー……ちゃん?」

 震える指先が、ヒットした検索結果の一番上を開く。
 そこにはあの765プロの新入アイドルとして、高山紗代子の名とプロフィールが掲載されている。

「よーちゃん……よーちゃんだ! アイドルに……なったんだ!! やっぱり私との約束、忘れていなかったんだ!!!」

 涙が溢れ、滲むディスプレイを彼女は読み進む。
 日本では有名なライターの書いた、高山紗代子の初センター公演の記事だ。

「新人とは思えない見事な歌声は、観客全員の心をいっぺんに掴んでしまった。いや、掴んで激しく揺さぶってみせた……冒頭からの絶唱は、我々に対する呼びかけだった……この日この公演をもって、彼女ーー高山紗代子は一躍、歌姫として我々の記憶に残るアイドルになった……公演後、765プロ劇場の売店とその倉庫は、売る物を何もなくし文字通り空っぽになった。いや、彼女の歌声が空っぽにしたのだ……」

 文章を指でなぞりながら、声を出して彼女は記事を読んだ。
 記事は、あの子を絶賛していた。
 読み終えた少女は、笑みと燃えるような瞳で立ち上がった。

「負けないよ……よーちゃん」

 鍵を開け、ドアから出てきた少女にプロモーターである、コーエンは苦言を述べようとする。
 が、それより早く彼女は口を開く。

「さあ、私を歌わせなさい」

 コーエンの顔はにがり切る。が、そもそもそれこそが彼の目的であり仕事なのだ。
194 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:18:07.87 ID:ZRhpxi3E0
「準備はすべて終わっている。リハもしてないが、いけるのか?」

 彼女は答えなかった。代わりに、ハイトーンで歌い始める。

「馬鹿な。まだステージじゃないんだぞ」

 プロモーターであるコーエンなどお構いなしに、彼女は歌いながら廊下を歩いて行く。
 そしてそのままステージに登る。

「あ〜〜〜♪♪♪」

 司会も呆気にとられる登場と、絶唱。
 観客も驚くがもさすがにサプライズ好きで、慣れているベガスの常連客である。
 すぐにコロッセオは、熱狂に巻き込まれた。

 最初の1曲を歌い終え、満座の拍手を浴びながら、彼女の目はまったく観客を見ていなかった。
 彼女の目は、そこから見えないはずの遠く……海の向こうを見ていた。

「よーちゃん。負けないよ……私、負けない!」

 そう呟く少女は、心底嬉しそうだった。
195 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:18:44.76 ID:ZRhpxi3E0

翼「歌姫にラスベガスが揺れた。デビュー間もない新鋭歌姫。既に貫禄のショー。えっと……これなんて読むのかな〜?」

未来「えっと……さ……し? す……違うかな、せ……そ?」

静香「Shah……は、ええと……シャーでいいのかしら? どう、エミリー」

エミリー「そうですね。発音はシャーだと思います」

百合子「プロフィールは一切未公開の、新生歌姫かあ。なんか衣装もスタイルもセクシーって感じがしますね」

琴葉「そうね。でもメイクはしてても、なんとなく顔立ちは少し幼い気がするわ。私とそんなに年齢は違わないんじゃないかな」

瑞希「はい……そして髪は染めているみたいですが、東洋系とも見てとれます。お名前の、シャーからもオリエンタルな響きが感じられますね」

昴「オリエンタル?」

瑞希「シャーは、ペルシャ語で王という意味だったと……記憶しています。めいびー」

のり子「そうそう。ほら、シャー・ナーメって世界史で習ったじゃない」

望月杏奈「そう……なの? 杏奈、まだ……そういう世界史とか、習ってない……からわからない……」

育「どうなの? 高校生のみんな」

茜「そ、そういうのはまだ、茜ちゃんにはちょーっと早いかなー……」

美奈子「ええっと。古代ペルシアの神話、伝説、歴史を集めた叙事詩……って習ったかな? シャー・ナーメは王の書って意味で」

茜「あ、そうそう! そうだったね!! 茜ちゃんもちょうど今、思い出したよ!!!」
196 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:20:43.85 ID:ZRhpxi3E0
静香「じゃあやっぱり、このShahっていう人、中央アジア出身なのかな」

翼「とか言って案外、日本人だったりして〜」

のり子「まっさか〜。でもそんなにいい歌なら、ちょっと聞いてみたいよね」

紗代子「おはようございますー。? みんな、どうしたの?」

瑞希「おはようございます、高山さん。今週発売の週刊誌に、アメリカで人気急上昇のアーティストの記事が……載っていたので、みなさんと盛り上がっていました」

紗代子「へえ……アメリカかあ。私たちも、日本でトップアイドルになったりしたら、全米デビューとか……?」

桃子「どうしたの? 紗代子さん」

紗代子「この写真のアーティスト……どこかで見たことがあるような……」

未来「え? それって紗代子さんのお知り合い、ってことですか?」

翼「ほら〜。Shah日本人説、がぜんシンピョーセー? が出てきましたー」

静香「まさか……どうなんです? 紗代子さん」

紗代子「え? シャー?」

瑞希「そのアーティストの、お名前です。Shahと書いてシャーと読むよう……です。めいびー」
197 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:21:19.61 ID:ZRhpxi3E0
可憐「ほ、本当にお知り合い……なんですか?」

紗代子「ど、どうかな……なんとなく見たことあるような気がするだけのかも知れないし……」

琴葉「写真も白黒で小さいしね。東洋系だから、親近感あるだけかも知れないわね」

小鳥「みんな、こんにちは」

未来「あ、小鳥さん。おはようございまーす」

小鳥「劇場に来るのも久しぶりで……ぴ、ピヨッ! さ、紗代子ちゃんその記事は!?」

紗代子「え?」

小鳥「そ、それ、紗代子ちゃんのプロデューサーさんには……見せてないわよね!?」

紗代子「え……え、ええ。はい」

P「おはようございます。おや、音無さん」

小鳥「ピーヨーーーッッッ!!!」
198 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:21:47.35 ID:ZRhpxi3E0
P「どうしました?」

小鳥「あ、あの、ええと、そ、その、さ、紗代子ちゃん」

紗代子「え?」

 小鳥は紗代子の方を見ずにヒソヒソと声だけかけると、後ろ手に何かを渡せと合図する。

紗代子「?」

瑞希「何かを渡せ……という、合図でしょうか?」

環「じゃあこれ、くふふ」

小鳥「ん? この暖かくて柔らかい、そして私の指をペロペロと……」

こぶん「にゃーん」

小鳥「わ〜可愛い〜♪ ん。ネコちゃんネコちゃん!!」

こぶん「にゃーん」

P「音無さん?」
199 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:23:22.96 ID:ZRhpxi3E0
小鳥「ハッ! そ、そうじゃなくて、その週刊誌……」

 ヒソヒソと小鳥は紗代子に言い、手を出す。
 よくはわからないが、言われるまま紗代子は週刊誌を渡す。

P「なんです? その本」

小鳥「こ、これはその、私の秘蔵の、う、薄い本で……」

P「え? 音無さん、そういうのみんなの前では……」

小鳥「ですよね! ね! だからこれ、私が持って帰りますね。それじゃあみんな、またねーーー!!!」

P「……なんだありゃ? 何しに来たんだ?」

翼「さあ……」

静香「なんだったのかしら?」

P「まあいい。紗代子、レッスンのことでちょっと」
200 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:23:51.24 ID:ZRhpxi3E0
 この所……そう、先日の紗代子のセンター公演以来、プロデューサーは毎日劇場にやってくるようになった。
 それに伴い、紗代子のレッスンは格段にすすんだ。やはり、一度行ったレッスンを後で確認してから指示を出すのと、その場で指示を出すのとでは内容は同じでも早くそして的確だった。
 ひとつ予想外だったのは、彼が毎日顔を出すようになると、他のアイドル達もアドバイスや指導を求めるようになった事だ。


志保「あの、すみません。私のダンスも見ていただいていいですか?」

P「え? や、いや、お、俺は……紗代子の担当で……で、だ、だから、北沢さんには担当のプロデューサーが……」

志保「ちょっとでいいんです! お願いします!!」

P「え、ええと……」

のり子「そういえば、公演終盤の紗代子のダンス」

P「え、お、俺に……い、言ってる……のか?」

のり子「アタシにも教えて! あの後自分でやってみたんだけど、ピンとこなくて」

P「あ、あの……」

可奈「あと、あの曲なんですけど」

P「い、いや……」
201 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:25:31.58 ID:ZRhpxi3E0
 そうした光景に、紗代子は少しだけ悋気を感じてはいたが、誇らしくもあった。
 自分のプロデューサーが有能であることを、みんなにわかってもらえるのは単純に嬉しかった。
 そして紗代子にとって意外だったのは、強気で自信に溢れてるんじゃないかと思っていたプロデューサーが、案外……いや、かなり気弱で素振りの落ち着かない人物だったことだ。
 紗代子以外の娘に対しては、言葉遣いがやや口ごもりがちで、目線もなかなか合わせてはくれない。
 だがプロデュースに関しては真摯で、厳しくもあった。

 そうこうするうちにやがて……毎日劇場でみんなに会うようになり、必要に駆られ会話を交わし関わるうち、1ヶ月もするとプロデューサーは紗代子以外の他のアイドルに対しても物怖じしなくなってきた。
 今では普通に会話をし、求められれば紗代子以外の他の娘にもアドバイスや指導をする。

「もっと高山さんのプロデューサーみたいに指導して欲しいって言われてまいりましたよ」

 他の娘の担当プロデューサーが、そう苦笑していた。
 いずれにしろ、765プロ内の歯車は、上手く回り始めていた。
202 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:25:57.13 ID:ZRhpxi3E0
紗代子「あ。はい! そうだプロデューサー、私ちょっと思ったんですけど」

P「なんだ?」

紗代子「千鶴さんがきのうやっていたステップなんですけど」

P「なんでもやりたがるんだな、紗代子は。後でちょっと見てやる」

紗代子「はい!」

 そのまま個別レッスンに入りそうな紗代子の腕を、瑞希がチョイと引く。

紗代子「え? どうしたの瑞希ちゃん」

瑞希「後で……ちょっとよろしいですか」

紗代子「?」
203 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:26:27.42 ID:ZRhpxi3E0

桃子「かくれんぼ?」

環「うん。劇場ってかくれるとこがたくさんあるから、きっと楽しいぞ〜」

桃子「はあ……そんな子供みたいな遊び。第一、劇場でそんなことしちゃダメ」

環「だってたまき、子供だぞ?」

育「隠れるって言っても、機材とか大事なものがある場所は勝手に入ったらだめなんだよ?」

環「じゃあ、劇場のステージと客席と、機械の置いてある場所はナシでやろう!」

育「うーん。それなら」

桃子「一回だけだよ?」
204 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:26:55.10 ID:ZRhpxi3E0
桃子「あはははは。じゃあ次は、環が鬼だよ」

環「よーし。たまき、すぐ2人をみつけてやるぞ〜! いーち、にー……」

育「桃子ちゃん、桃子ちゃん」

桃子「なに? 育」

育「今度は一緒に隠れようよ。だって、1人で隠れてるとつまんないもん」

桃子「そうだね……いいよ」

育「やったあ。あ、そうだ。わたし、さっき面白そうな所に気がついたんだ」

桃子「面白そうなところ?」
205 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:27:24.71 ID:ZRhpxi3E0

桃子「二階と三階の間の階段? ここが面白そうなの?」

育「それがね。ほら、ここから下の方見えるでしょ? 階段はジグザグになってるんだけど、一階と二階の間の階段下には何もないでしょ?」

桃子「うん」

育「で、上の方を見て。ほら、三階と四階の間の階段下も何もないのに」

桃子「あれ? 二階と三階の間には、壁がある」

育「ね、ここってもしかして倉庫みたいになってるんじゃないかな」

桃子「なるほどね」

 コンコンと桃子が壁を叩くと、明らかに中は空間があるような音がする。

桃子「ほんとだね。中に入れそう……ここかな?」

 壁の下部に小さなスペースがあり、指を入れてみるとカチャリと何かが外れる音がする。

育「桃子ちゃんすごーい。あ、ここを持つと壁が横に動くよ」
206 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:29:05.21 ID:ZRhpxi3E0
環「育も桃子もみーつけた! あ、ずるいぞ2人とも」

桃子「あー。環が来ちゃったか……え? なにがずるいの?」

環「機械の置いてある場所はもなしだってたまき、言ったぞ」

育「え? あ、ほんとうだ。これ……パソコンかな」

桃子「本当だ……なんの部屋だろ」

環「なんだっていいけど、機械のある場所だからここはなしで、続けるぞ」

桃子「はいはい。じゃあ次は桃子が鬼でいいよ」

環「よーし」

育「じゃあ、どこに隠れようかな」
207 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:29:43.19 ID:ZRhpxi3E0

 事前に予定されているレッスン時間は1時間だったが、2時間半後に紗代子は戻ってきた。

紗代子「ごめんね! つ、つい夢中になっちゃって」

瑞希「大丈夫です。そうだろうと、最初から思っていましたから……学校の課題をやっていました」

 無表情にそう言う瑞希だが、口の端と瞳の動きで紗代子には彼女が笑っている事がわかる。いや、正確には心中そう思っているということだ。

瑞希「これから……音無さんに会いに行きませんか?」

紗代子「あ、さっきのこと? うん……そうだね。少し変だったもんね」

瑞希「なんだか気になります……、ではさっそく765プロ事務所に向かいましょう……ごー!」

 電車から降り、事務所に向かいつつ紗代子は改めて今日の小鳥とプロデューサーのやり取りを思い出す。
 あれはなんだったのか。
 思い当たるのはあの記事の主……

瑞希「どうされました? 高山さん」

紗代子「あ、うん……さっきの小鳥さん、なんであんなに必死にShahの記事のこと、プロデューサーから隠そうとしてたのかな、って」

瑞希「確かに……あの慌てようは、普通ではありませんでしたね」

紗代子「私のプロデューサー、ずっと外国に行ってたんだよね」

瑞希「はい。……なるほど、Shahさんとその時に何かあったのでは、思っているのですね?」

紗代子「なんとなくだけど……でも、そう考えると小鳥さんがShahのこと知ってそうだったり、プロデューサーさんから記事を隠そうとしたのも、理解できるかも知れないって思ったの」
208 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:30:52.46 ID:ZRhpxi3E0
瑞希「確かに、そうかも知れません。あ、765プロが見えてきました」

高木社長「では、よろしく頼むよ。また何かあれば、すぐに知らせてくれ」

善澤「ああ。ま、あんまり期待するなよ」

瑞希「あれは高木社長さんと、確か芸能記者の……」

紗代子「善澤さん、だっけ? そうだ!」

瑞希「え……高山さん?」

紗代子「あ、あの!」

善澤「ん? おや、君は確か……高山紗代子君だったかな」

紗代子「はい! あの、先日は私の主演公演の記事を書いてくださってありがとうございました!!」

善澤「いやいや。こちらこそ、素晴らしいステージをありがとう。ふむ……」

紗代子「?」
209 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:33:08.94 ID:ZRhpxi3E0
善澤「ステージを離れると、また印象が違うね」

紗代子「あ、メガネをしてますから。普段は」

善澤「いやいや。そういう些細な点だけじゃないな。なんていうか……こういう言い方をしたら失礼かも知れないが、普通の女の子という雰囲気になるね」

紗代子「そうですね。わかります、私には特別なものは何もないですから」

善澤「気を悪くしないでくれ。だからこそ、先日のあの公演での君の輝きが更に印象深くなったよ。うむ……素顔の高山紗代子の特集とか、ぜひ書かせてもらいたいな」

紗代子「それはそうと……あの」

善澤「なにかな?」

紗代子「善澤さんは、Shahっていうアメリカのアーティストをご存じですか?」

善澤「ああ。今、全米チャートを急上昇中の新鋭アーティストだね。まだ日本ではほとんど知られていないけどその内に人気が出ると取材を始めてるんだが、困ったことにプライベートに限らずプロフィールは全て厳重なトップシークレットでね」

紗代子「そのShahは、プロデューサーと何か関係があるんじゃないかと思っているんです」

善澤「? プロデューサー? 765プロ劇場のプロデューサーといえば……」

瑞希「いえ。高山さんだけは、私たちとは別のプロデューサーです。――とおっしゃるプロデューサーなのですが」

善澤「――君だって!? 復職していたのか……そうか、彼が高山紗代子君のプロデューサーだったのか。なるほど」

紗代子「復職?」

善澤「あれ? 知らなかったのかい?」
210 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:33:36.57 ID:ZRhpxi3E0
紗代子「ずっと外国にいたと……」

善澤「ふうむ。これは、僕が言ってもいいことかちょっと迷うな」

紗代子「教えてください! この通りです!!」

 往来で、人気の高まりつつあるアイドルが頭を下げる姿に、善澤も少し慌てる。

善澤「とにかく、ここでは何だから少し落ち着いて話せる場所に移ろうか」
211 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:36:41.30 ID:ZRhpxi3E0

瑞希「カフェなのに個室があるのですか……これは驚きました」

善澤「まあ職業柄、こういう場所も知っているというわけだ。人目を気にする話でも自由にできる場所が必要でね」

 善澤が2人を連れてきたのは、歩いて数分のカフェだった。
 彼が目配せをすると、店員は黙ってこの個室に通してくれた。

善澤「さて……君のプロデューサーの話だったね。いや、来る途中でティンときた」

紗代子「え? 何がですか?」

善澤「Shahの正体……というか、彼女が何者なのかがさ」

瑞希「なんと! どういうことなのですか……?」

善澤「うむ……まあ高山君は、自分の担当プロデューサーのことであるし、真壁君はその親友だ。彼のことについて知る権利はあるかも知れない」

紗代子「はい!」

善澤「なにより、私が話すのを断ったら、君たちは他の者に聞いて回るかも知れない。アイドルがそういうことをするのは危険だ。この業界、悪徳みたいな記者だっているのだからね」

瑞希「はい」

善澤「だからこれは、君たちを護る意味も含めて話そう。それから、君たちがいずれトップアイドルになったら、独占取材でもさせてもらうからね?」

 笑いながら言う善澤に、2人は頷いた。
212 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:37:42.93 ID:ZRhpxi3E0
善澤「かつて……765プロにある男がプロデューサーとして入社してきた。彼はまだ若く、経験も未熟だったが、並々ならぬ熱意と才能を見出す目。そしてそれを育てる知識を持っていた」

紗代子「もしかして……」

善澤「アイドルの未熟さと、彼の未熟さ、両者が互いに磨き合い成長し合っていけば素晴らしいアイドルとプロデューサーが誕生する予感がすると、高木は目を細めていたものだ」

瑞希「その方が、高山さんの……」

善澤「ある日、その彼が勢い込んで事務所に帰ってきた。ものすごい逸材を見つけた! 絶対にトップアイドルになれる娘だ!! と、たまたま居合わせた私も驚くほどの、それはもう興奮した面持ちでね」

 善澤は、懐かしい思い出を語りながら煙草に火をつける。
 壁には『禁煙』と書かれていたが、個室なので店員も注意には来ない。
 紗代子と瑞希も話の腰を折るまいと黙っていた。

善澤「確かにその娘は逸材だった。容姿、歌声、ダンスと既に高いクオリティを身につけており、それに加え彼がレッスンで鍛えたこともあり、メキメキと実力を伸ばしていった」

瑞希「なるほど……今の高山さんと、同じように……ですね」

紗代子「そんな。私なんて……まだまだだけど」

善澤「……だが、ある日。事件が起きた」

紗代子「え?」
213 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:38:11.31 ID:ZRhpxi3E0

P「社長! ついに決まりましたよ!! デビューイベントが!!!」

高木社長「……」

P「都の文化会館大ホールもおさえましたよ。いやあ、これは広告もバンバンうたないといけませんね。なに、見て聞いてもらえれば間違いなく観客は納得してくれるはずです!」

高木社長「……残念だが」

P「グッズですが、今からだと……え?」

高木社長「そのイベントは中止だ」

P「なんですって!? な、なんでです!? 本人もレッスンじゃなくて、早く観客の前で歌いたいと言ってるのを宥めてすかして、ここまで事務所の他のアイドルとも別レッスンにしてまで人前には出さず実力を磨いてきたのに!!」

高木社長「彼女は、引き抜きにあった」

P「……え?」

高木社長「AISの代理人から先ほど、連絡があった。彼女は本日付けをもってAISの所属となった。我が765プロとの契約解除に伴う違約金も、既に振り込み済みだそうだ」

P「そんな馬鹿な! AIS? AISってどこの……まさか!?」

高木社長「アメリカン・インターナショナル・シンガーズ。通称AIS。アメリカでも1、2を争う大プロモート事務所だ」

P「なんで……なんであの娘がそんな……どうして……」
214 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:38:38.30 ID:ZRhpxi3E0
高木社長「詳しいことはわからない。善澤に調べてもらったが、事の経緯は不明だ。だが、彼女は既にアメリカにいる。どうやらAISのドン、コーエンと彼女の両親が極秘裏に示し合わせていたらしい」

P「な、なんとか……なんとかならないんですか!? そ、そうだ、訴訟! 訴訟を起こしましょう!!」

高木社長「難しいだろうね……なによりこの移籍を、当の彼女が承知をしているんだ」

P「俺が……俺が育てた……俺の……自慢のアイドルになるはずだったのに……」

高木社長「残念だが、致し方あるまい。また君には新たに最初から別の娘のアイドルプロデュースを……」

P「そんな……馬鹿な……そんな……なぜ……なんでだ……どうして……」

高木社長「……」
215 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:39:16.79 ID:ZRhpxi3E0

善澤「才能を見いだし、育て、その成功を夢見ていたアイドルが突然に引き抜かれ、彼は精神的に大変なショックを受けてね」

紗代子「そんなことが……」

善澤「それに加え、担当していたアイドルに逃げられただとか、そもそも大したアイドルじゃなかったのをエラそうに吹聴してたんじゃないかとか、そんな娘なんか最初からいない……全部ウソなんじゃないかとか、大金をせしめる為に外国に彼女を売り飛ばしたとか散々に業界内で陰口を叩かれてね」

瑞希「なんという……ひどい話です。ぷんぷん」

善澤「未来のトップアイドルを極秘に育てていると彼も言っていたとはいえね……特に酷かったのは、プロデューサーが無能だからその娘は海外に出ていったらしい……担当アイドルに見限られて捨てられたんだ、という声だったな」

紗代子「そんなことまで……」

善澤「そういったことが重なり、彼は人前に出られなくなってしまったんだ。人の目が気になり、手が震え、言葉も上手く出せなくなって」

 そう言われ、紗代子と瑞希にはピンときた。劇場に来るようになってからしばらく、プロデューサーがやや挙動不審ともとれる言動であった理由が。

紗代子「……それで、どうなったんですか?」

善澤「高木は彼に休養を勧めた。まあ、そうでなくても人前に出られない彼にはプロデュースそのものが無理だった。その後の消息を聞かなくなったから、もしかしたら765プロを辞めたんじゃないかとも思っていたんだが、今日その名前を久しぶりに聞いたというわけさ」
216 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:39:48.04 ID:ZRhpxi3E0
 初めて聞くプロデューサーの過去に、紗代子は少なからず衝撃を受けた。
 確かに外国に行っていたという話は、結果として嘘だったのかも知れないが、それでもプロデューサーに対する同情が胸に去来する。
 苦労して、夢の実現まであと一歩という所での挫折……いや、絶望。その悲しさや苦しさは、いかばかりだっただろうか。
 瞬間、あの夜のことが脳裏に蘇る。
 765プロオーディションを落ちた、あの夜の自分の苦しみだ。
 絶望の淵で、必死にプロデューサーも助けを求めたのだろうか? いや、それを乗り越えて今、彼は自分のプロデュースをしてくれているんだ。

善澤「これはまだ記事にはしないから教えてくれないかな、彼はどうやって君のプロデューサーになったんだい?」

紗代子「オーディションの様子を録画で見て逸材かも知れないって言ってくれたそうで……最初はレッスンの様子を録画して、後からそれを見て指導を……」

善澤「外国にいることにして、そうやってプロデュースをしていたのか……」

瑞希「そうだと、思います。ですが……今はもう、いつも劇場に来てくださいます。きっと、高山さんをプロデュースしているうちに、心の傷も癒えたのではないでしょうか」

善澤「そうかも知れないね。そして、Shahの件だ」

紗代子「あ! そういえば最初に、Shahの正体がわかったっておっしゃってましたね」

瑞希「そうでした……今の話を聞いて、Shahの正体を予測すると……はっ! もしやShahさんは、高山さんのプロデューサーが担当していた……」

紗代子「そうか……その、引き抜かれたアイドルなんですね?」
217 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:42:08.29 ID:ZRhpxi3E0
善澤「うむ。僕も、そうじゃないかと思ったんだ。アメリカでのデビュー、そして活動を始めた時期、そのポテンシャル。写真からでは少しわかりにくいが、そう思って見るとかつての面影もある気がする」

 善澤が、件の週刊誌をカバンから取り出す。
 この娘が、かつて自分のプロデューサーの担当アイドルだった……
 そう思うと、紗代子は不思議な思いがした。
 そしてなんとなくだが、自分がこのShahに対してどこか既視感にも似た感情を抱いたのは、そうした因縁がそう思わせたのだろうかという気もした。

善澤「いずれにしても、辛い挫折があったとはいえ、まだまだ彼の才能を見いだす目と、それを育てる力は健在だということが、よくわかったよ」

紗代子「え?」

善澤「高山紗代子君というアイドルを、見てね」

紗代子「あ、ありがとうございます」

善澤「こうしていると普通の女の子に見える君を見出したのは流石だよ。いや、もちろんこうしていても君が可愛いのは間違いないけれどね」

 紗代子と瑞希は、善澤に礼を言い別れると共に帰途についた。
218 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:44:39.61 ID:ZRhpxi3E0
紗代子「……」

瑞希「……ショックでしたか? 高山さん」

紗代子「え?」

瑞希「高山さんのプロデューサーが……嘘をついておられたこと、です」

紗代子「うん……びっくりはしたかな。でも、ごめんね。今は違うことを考えていたの」

瑞希「違うこと……それは、なんですか?」

紗代子「やっぱりプロデューサーはすごいなあ、っていうことと」

瑞希「はい。辛いことがあって、人前に出られないほど精神を痛めて、それでも復帰してこられたのは、尋常な強さではありません」

紗代子「それと……前から不思議に思ってること、あれはなんだろうなあ、って」

瑞希「?」

紗代子「プロデューサーはオーディションの私の映像を見て、逸材かも知れないって選んでくれたんだけど、私のどこにそんな要素を見つけたのかな」
219 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:45:12.58 ID:ZRhpxi3E0
瑞希「それは……以前にも言いましたが、高山さんは心の強い人です。きっと高山さんのプロデューサーも……」

紗代子「うん。正直、瑞希ちゃんにそう言ってもらえるのは嬉しいよ。でも、あのオーディションでそういうの、プロデューサーはわかったのかな?」

瑞希「それは……確かにあのオーディションは、面接がほとんどでした」

紗代子「ちょっと発声とか身のこなしはさせられたけど、それで私のどこを逸材だと思ってくれたのかな?」

瑞希「私には、わかりません……ですが、高山さんのプロデューサーは、あのShahも見つけた眼力の持ち主です。きっと、私たちにはわからない目の付け所が、あるのではないでしょうか?」

紗代子「……前にそれを聞いた時、プロデューサーにははぐらかされちゃったし、さっき善澤さんにも言われたじゃない。普通の女の子にしか見えない私を見出したのは流石だ、って」

瑞希「はい」

紗代子「ずっと気になってるんだ。どうして私なんだろうって。なんで私は選んでもらえたのかな、って。今日の話を聞いて、それが強くなったの。人前に出られなくなったプロデューサーが、私を見てプロデューサーに復帰して、人前に出られるようになるほどのものが、本当にあるのかな、って」

瑞希「高山さん。現実だけを見ましょう」

紗代子「え? 現実?」
220 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:45:56.75 ID:ZRhpxi3E0
瑞希「はい。高山さんのプロデューサーは、高山さんを見つけた。プロデュースをしたいと思った。そしてプロデュースをして、人前に出られるようになった。高山さんも、ちゃくちゃくと実力をつけています」

紗代子「うん……」

瑞希「これらは全部、本当にあった事です。それだけで十分ではないでしょうか」

紗代子「そうかな……うん、そうだね。自分にわからないことをあれこれ考えるより、現実がすべてだよね」

瑞希「そうです。私も……自分が可愛いと呼ばれるとは思っていませんでした。ですが今、ファンからは瑞希ちゃん可愛いと言ってもらえます……うれしはずかしですが」

紗代子「瑞希ちゃんは可愛いよ?」

瑞希「……不意打ちで、高山さんの強い瞳に見つめられながら言われると、照れてしまいます。ともかく、自分の魅力は、自分ではわかりにくいものなのでしょう」

紗代子「そうか……そうかも知れないね」

瑞希「きっとそうです」

紗代子「わかった。プロデューサーが、私の何を認めて選んでくれたのかはわからないけど、その期待に私は応えたい! トップアイドルになって、プロデューサーに報いたい!! いつかトップアイドルになったら、私の夢もプロデューサーの夢もかなうんだよね!!!」

 帰りの電車内。窓から見える夕日。その夕日に負けない、強く燃える瞳で、紗代子はトップアイドルへの想いを更に強くしていた。
221 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:46:30.72 ID:ZRhpxi3E0

 紗代子と瑞希が電車に乗って帰っているのと同じ頃、当のプロデューサーは劇場内の、あの暗い部屋にいた。
 相変わらず光源はディスプレイしかなく、その黄昏のような灯りで彼は週刊誌を読んでいた。
 音無小鳥が隠したものではない。もうとっくに彼はそれを見つけ、手に入れていた。
 小さなその記事は、読めば数分程度の長さだ。
 それを彼は、飽くことなく読んでいた。いや、眺めていた。
 そして急に殺気だった顔で立ち上がると、週刊誌を壁に投げつける。
 荒い息をしながら、彼は吠えた。

P「なにが新鋭歌姫だ! なにが貫禄のショーだ!! なにがShahだ!!!」

 投げ捨てた週刊誌を、彼は再度拾うとそれをビリビリに引き裂いた。

P「今に見てろよ……」
222 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:49:18.94 ID:ZRhpxi3E0

     『すべては嘘だった』
223 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:49:52.62 ID:ZRhpxi3E0
紗代子「て、テレビに出演ですか!?」

P「もうそろそろ、そういう段階に進んでもいいかと思っている。どうだ? やるか?」

紗代子「は、はい! もちろんやりたいです!! やらせてください!!!」

翼「え〜! 紗代子ちゃんだけ、もうテレビとか出ちゃうのー? 私は〜?」

静香「翼はまだ、センター公演だってやってないでしょう? でも……私も早くテレビには……」

永吉昴「センター公演も、紗代子をトップバッターにしてこの間、瑞希がやっただろ? 次は誰だ? 3番目からはクリーンナップだから、案外オレとか!?」

のり子「ジャジャーン! 実は次のセンターは……なんとアタシなんだよね!!」

静香「えっ!? それ、決定なんですか!?」

のり子「うん! 昨日プロデューサーに言われたんだ」

静香「そんな……私は……私の番はまだなんですか!?」

未来「まあまあ静香ちゃん。そのうち私たちの順番も回ってくるよ。それで、その次はテレビでデビュー!」

美奈子「うんうん。焦らなくても、順番はちゃんとやってくるし、プロデューサーさんはちゃんと色々考えてるみたいだから、ね!」

静香「わ、わかってます。けれど、なんていうか、紗代子さんを見ていると焦っちゃうんです!」

紗代子「え?」
224 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:50:31.83 ID:ZRhpxi3E0
静香「紗代子さんの努力はわかってます。でも……なんだかどんどん先に進んでいって、私は置いて行かれてるような……」

P「……じゃあ、紗代子と一緒に出るか?」

静香「え?」

翼「それって、テレビに一緒に出るってことですよね〜? えーそれなら私も出たい、出たーい!」

静香「ま、待って! 声をかけられたのは私よ!! あ、あの……本当に紗代子さんと一緒に出て……いいんですか?」

P「というか、君たちのプロデューサーには話を通してあって、紗代子のバックで一緒に出る娘を2人ばかり出していいかと思……」

未来「はい! じゃあ私も出たいです!!」

翼「え? あ、ズルい〜! 私も出たーい!!」

育「テレビに出られるの!? 私も!!」

高坂海美「私も出たい! お願い!!」

P「ま、待て待て。最上さんに声をかけたのは、身長がちょうどいいからなんだ」

静香「身長……ですか?」

P「紗代子のバックってことは、当然に紗代子よりちょっと後ろでダンスとコーラスをやることになる。その時に身長が揃ってるといいんだ」

昴「さ、紗代子! 身長は!?」

紗代子「え? あ、えっと、156cmだけど」
225 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:51:08.47 ID:ZRhpxi3E0
P「最上さんは見た感じ160とちょっとぐらいだろう?」

静香「はい。162cmです」

P「そのぐらいの娘がちょうどいいんだ」

美奈子「じゃあ私もだめですね……残念」

翼「私、ヒールを履きますから〜!」

P「慣れないヒールは危険だ。そして実はもう1人は既に考えていて……真壁さん、どうかな?」

瑞希「私が……ですか? それはテレビには出たいですが」

翼「む〜! 瑞希ちゃんはもうセンターも経験してるし、やっぱズルいー!」

P「身長が160cmぐらいだし、紗代子とは仲がいいみたいだから、スムーズにいくかと思うんだ」

瑞希「わかりました……私が高山さんのために、一肌脱ぎましょう」

静香「わ、私もがんばります!」
226 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:51:36.75 ID:ZRhpxi3E0
P「よし! じゃあ決まりだな。2人のプロデューサーには言っておくから、今日から紗代子と一緒にレッスンをしてくれるな?」

静香「はい……チャンスだわ。テレビにも出られるし、あの高山さんが受けているレッスンを、私も受けられるなんて、貴重な経験なんだから」

瑞希「高山さん、よろしくおねがいします!」

紗代子「こちらこそ! 2人とも、よろしくね。一緒に最高の番組にしようね!!」

静香「もちろんです。がんばります!」

P「じゃあ俺は、そのことを伝えたり打ち合わせがあるから、紗代子頼むな」

紗代子「はい! じゃあまず、日課であるレッスン前のランニングから」

瑞希「わかりました」

紗代子「瑞希ちゃんも静香ちゃんも初めてだし、今日は初日だからハーフでいくね」

静香「よろしくお願いします」
227 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:52:19.96 ID:ZRhpxi3E0

静香「……ハーフってなんだろう?」
228 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:53:00.35 ID:ZRhpxi3E0
瑞希「はあ……はあ……ま、まさかレッスン前から20km以上走らされるとは……予想外でした。気息奄々だぞ、瑞希……」

静香「………………」

紗代子「だ、大丈夫? 静香ちゃん?」

静香「だ、だい゛じょ・ぶでず! だい゛じょぶ……」

紗代子「ちょっと休憩しようか」

静香「らいじょうぶれすから!」

紗代子「整理体操が終わったらね」

静香「えっ!? は、はい……あの、瑞希さん」

瑞希「なんでしょう……私、既に答える気力が残りわずかです……」

静香「紗代子さんの、あのレッスンでの吸収力の源泉を見た気がします……すべてはこの体力があってなんですね……」

瑞希「それに加えて、あのやる気と熱意です……すごいです、高山さんは……」

静香「ええ……本気でアイドル目指すんだから、見習わないと……あ、そういえば」

瑞希「なんですか?」

静香「ShahのアルバムやMV、手に入りそうなんです」
229 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:54:49.05 ID:ZRhpxi3E0
紗代子「えっ!?」

瑞希「なんと……それはまた、どうやって?」

静香「父の仕事の関係もあって、海外によく親戚が行くんですけど、お土産としてお願いしたんです」

紗代子「本当に!? 私にもそれ、聞かせてくれるかな」

静香「もちろんです。みんなで見ようかと思ってます」

瑞希「楽しみです……全米で人気急上昇の歌姫は、絶対に参考になるでしょうし……」

 瑞希は紗代子を見る。
 Shahは紗代子にとって、プロデューサーが前に担当していた娘になる。その意味でも紗代子は色々と気になっているはずだ。
230 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:56:45.89 ID:ZRhpxi3E0
静香「? なんですか?」

瑞希「なんでもありません……歌だけではなく、ダンスやパフォーマンスも、さー……しゃ……しゃあー……すみません、かみました」

紗代子「あれ? ……」

瑞希「?」

紗代子「……あっ!」

静香「ど、どうしたんですか!?」

紗代子「Shahって……もしかして……」

瑞希「?」
231 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:58:26.64 ID:ZRhpxi3E0

善澤「やあ、久しぶり」

P「え? あ、善澤さん! ご無沙汰しています。先日は紗代子の記事、ありがとうございました」

善澤「ああ。いいライブだったよ。そして君もまた、バリバリとやってるらしいね」

P「はい……また、色々とお願いします。あ、そうだ」

善澤「なんだい?」

P「黒井社長……なんですが」

善澤「黒井が? どうかしたのかい?」

P「いや、特になにがってわけじゃないんですが、先日ウチの劇場に観客として来てたんですよ」

善澤「黒井がかい? それはまた珍しいな……いや、他はともかく765プロの劇場にか。確かに彼は、意外と自分の足でスカウトをしたり、芸能界の情勢を掴んだりする男ではあるんだが」

P「そうなんですか?」

善澤「以前、沖縄や礼文島で偶然会った時には驚いたものだよ。しかし目の敵にしている765プロ劇場になあ……」

P「ええ。それがなんとなく気になってまして」

善澤「うーん……待てよ、それっていつのことだい?」

P「2週間ぐらい前ですか」

善澤「というと、高山君のセンター公演か」

P「そうです」
232 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 15:58:58.16 ID:ZRhpxi3E0
善澤「僕もその時いたが、黒井には気がつかなかったな」

P「何か言ってくるかとも思ったんですが、すぐに帰られて……逆に心配なんですよ」

善澤「ふむ……ちょっと探ってみるか」

P「お願いします」

善澤「代わりに、高山君の独占取材でも頼むよ。いや、彼女と君のね」

P「え? 俺、ですか?」

善澤「一度は挫折した男が、才能を見いだした少女をトップアイドルにする、その復活劇を記事にしたいんだよ」

P「……」

善澤「なに、高山君にはトップアイドルになったら独占記事を書かせてもらうと約束をしてあるんだ。君には内緒だったがね」

P「そんな、かっこいいものじゃないんです……」

善澤「え?」
233 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:00:40.92 ID:ZRhpxi3E0
P「今はこうやって落ち着いて善澤さんと話もしていますが、俺の心の中にはまだ俺を馬鹿にした連中と、あの娘……今はShahですか、あいつを恨む気持ちが残っているんです」

善澤「それはまあ……きれいさっぱり忘れて赦せなんていうのも、無理というものだろうが」

P「紗代子や、765プロのみんなと過ごして、そんな自分が嫌になることもあります。けれど……まだ俺の心の奥底には、あいつらを見返したい気持ちが強くあって、時々頭をもたげてくるんだ……」

善澤「見返す?」

P「善澤さんには、話しておきます。俺は……復讐のために、紗代子のプロデューサーになりました」

善澤「なんだって?」

P「俺が……なぜ彼女を……高山紗代子という娘を選んだのか、わかりますか?」

善澤「いや。皆目見当がつかない。それだけに、よくぞあの娘を見いだしたと、感心しているよ」

P「違うんだ……」

善澤「違う?」

P「俺が、彼女を……高山紗代子を選んだ、その理由は……」
234 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:02:49.58 ID:ZRhpxi3E0
 プロデューサーは、善澤にだけ聞こえるよう小さな声で呟いた。
 瞬間、善澤はペンを落とした。
 その表情は、驚愕を示していた。

善澤「馬鹿なことを……それは、いくらなんでもあんまりだ。彼女はこのことを!? い、いや、知るはずもないか」

P「紗代子は俺を全面的に信用してくれています。それは嬉しいし、きっと彼女のお陰で俺はまた人前に出られるようになったと思います。だがもし紗代子が、自分が選ばれた理由を知ったら……」

善澤「もし彼女が知ってしまったら、君はどうする?」

P「……今度こそ、二度と人前には出ないつもりです」

善澤「そうならない事を祈っているよ。そして今の話、決して高山君には話すんじゃないよ」

P「復讐を望む俺が、口を滑らせなければ……ね」
235 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:03:41.61 ID:ZRhpxi3E0

 ふと、プロデューサーの脳裏にShahがまだ彼の担当だった頃のことが去来する。


「芸能活動って、本名じゃなくてもいいんでしょ?」

P「? そりゃアイドルでも芸名で活動してる人は大勢いるけど、本名を使うのは嫌か?」

「本名が嫌なんじゃなくて、名乗りたい名前があるの」

P「ほう? なんていう名前だ?」

「サー、って芸名どう?」

P「サー? それだけ?」

「表記はSAHでもSirでもなんでもいいわ。読み方がサーなら」

P「覚えやすいし、インパクトはあるけど、どういう意味があるんだ?」

「アイドルが、サーって名乗ってたらファンやマスコミからは『サーちゃん』って呼ばれるでしょ?」

P「まあ、そうなるだろうな」

「サーちゃんっていうアイドルがいたら……気づいて……もらえるかも……」

P「え? なんだって?」

「……なんでもない。いいでしょ?」

P「うむ……まあいいだろう。いや、確かに印象的だからいいかも知れない」

「決まり! 私、今日からアイドルのサーよ」
236 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:04:20.19 ID:ZRhpxi3E0

瑞希「相変わらず、念入りな下見ですね」

静香「え? いつもこんなに念入りに下見をしてるんですか? ステージの大きさをわざわざ測ったりを?」

紗代子「うん。実はメガネを外すと、ちょっと視界がぼんやりしちゃうから、下見の段階で距離感とか掴んでおかないといけないから」

瑞希「そうでした……そして、そうまでしてステージではメガネを外すのは、訳があるんでしたね」

紗代子「私……小さい頃、仲良しだった友達がいたんだ。その子も私もアイドルが好きで……それで、2人で約束したの。絶対2人ともアイドルになろうね、って」

瑞希「幼い頃の、大切な友達との約束ですか……それを守ろうと、高山さんは一生懸命なんですね」

紗代子「あ、もちろん私自身がアイドルが好きで、憧れてて、なりたいって思ってたんだけど、あの子だってきっと今もそうだって……そして私も信じてるから」

瑞希「なるほど。そして、それはまだ、高山さんがメガネを使用するようになるより前のことなのですね?」

紗代子「うん……アイドルごっことかして遊んでいた頃は、メガネをしてなかったから。もしかしてメガネをしてたらわかってもらえないかも、って」

瑞希「お名前では、わからないのですか?」

紗代子「なんとなく覚えてはいるんだけど、漢字でどう書くのとか詳しいことは……小さい頃だったからね。でも2人とも名前が『さよこ』だったのは印象深いからはっきりと覚えてるよ」

静香「2人とも……? その子も、さよこというお名前なんですか?」

紗代子「うん。一緒に遊んでいたりして、周りの誰かが『さよこちゃん』って呼んだりすると2人とも『はーい』って返事しちゃったりしてたから、ある時にあの子が『じゃあ、私はさーちゃんで、あなたはよーちゃん。ね!』って言って」

瑞希「じゃあそのさーちゃんという方も、今アイドルになろうとしているのかも知れませんね」

紗代子「というか、もうなっていると思う」

静香「えっ!? 本当ですか!?」
237 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:06:28.51 ID:ZRhpxi3E0
紗代子「Shahが、あの子……さーちゃんだと思う」

瑞希「……なんですって。びっくり」

静香「え? じゃあその紗代子さんの幼なじみの、さーちゃんがShahだっていうんですか?」

紗代子「うん……さっき瑞希ちゃんが、かんでShahのことをさーって言った時に思い出したの。週刊誌に載っていたShahの写真、あれは……」

瑞希「そういえば、高山さんはあの写真を見た時に見覚えがあるような気がする……とおっしゃってましたね。まさか私がかんだことが、手がかりになるとは……お手柄だぞ、瑞希」

静香「ま、待ってください! ほ、本当にそうなんですか? 勘違いとか見間違いじゃないんですか!?」

紗代子「? たぶん、間違いないと思うけど……どうして?」

静香「っ……実は、翼と賭をしていて……」

瑞希「賭け、ですか?」

静香「か、賭って言っても、金銭とかは賭けていなくて、そ、そう!  射幸心を煽るようなものじゃなくて……」

紗代子「え? それってもしかして翼ちゃんが言ってた、Shah日本人説……のこと?」

 静香は、コクリと頷く。
238 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:07:14.38 ID:ZRhpxi3E0
静香「翼が大穴ねらいで日本人説、でもけっこう自信あるんだ〜♪ って言い出して……じゃあもし違ったら花坊のうどんをおごりなさいよ、って話になって……」

紗代子「う、うん」

静香「かわりに、もし本当にShahが日本人だったら私は翼に、根の津でうどんをおごるってことに……しかも私は翼が食べるのを見てるだけっていう……あああ、本当にShahは紗代子さんの幼なじみなんですか!?」

紗代子「う、うん! ま、間違いない……と、思う!!」

静香「ああ……」

 ガッカリと項垂れる静香。

紗代子「元気出して、静香ちゃん。うどんなら、今度私がヤマサ製麺所でおごってあげるから」

 瞬間、バッと静香は頭を上げると、紗代子に詰め寄る。

静香「そこって、美味しいんですか!?」

紗代子「う、うん! うちの家族はみんな大好きだよ」

静香「どんな? どんな、うどんなんですか!?」

紗代子「えっと、セルフのお店なんだけど」

静香「セルフ!? セルフって、自分で作るってことですか!?」

紗代子「そ、そうだよ」

静香「製麺所のセルフうどんなんて、香川に行かないと体験できないと思ってました……あ、味はどうなんですか!?」

紗代子「や、柔らかくて美味しいよ」

瑞希「待ってください最上さん、少々落ち着きましょう」
239 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:08:12.77 ID:ZRhpxi3E0
静香「あ……す、すみません私、ちょっと興奮してしまって……」

瑞希「高山さん、高山さんのプロデューサーは、この事ご存じなのでしょうか?」

紗代子「どう……かな? そもそもShahの存在を知っているのかがわからないし、知っていたとしてもShahが自分の担当していた娘だっていうことも気づいているのかな」

静香「え? 紗代子さんのプロデューサーが、Shahのプロデューサーなんですか!?」

瑞希「元……ですが、これはまたあとできちんと説明しますね」

静香「そうだったんですか……」

瑞希「この事、お知らせすべきでしょうか?」

静香「この間の、小鳥さんの様子を見ると、私は慎重に考えた方がいいんじゃないかと思いますけど」

瑞希「はい……せっかく心の傷が癒えたプロデューサーが、またショックを受けたら大変です」

紗代子「確かにそうだね。うん、まだちょっと黙っておくよ」

瑞希「それが良いでしょう。しかしそれにしても……」

静香「?」
240 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:09:41.26 ID:ZRhpxi3E0
瑞希「不思議なご縁ですね。高山さんとShah、子供の頃に一緒にアイドルになろうと約束した幼馴染みのお2人が2人とも、同じプロデューサーに担当されて」

 それは紗代子も思っていた。
 そして、自分とShahを友にのプロデューサーが見出したということは、自分とShahに共通するような才能か、それに類するなんらかの見所があったということなのだろうか。

紗代子「私も……がんばれば、さーちゃんみたいに、アメリカでも通用するようなアイドルになれる……のかな?」

瑞希「もちろんです」

静香「ええ、紗代子さんの歌声はすごいです。それに、あのがんばりなら絶対に大丈夫だと思います」

紗代子「そうだね。今はまだまだでも、いつかはあの子に届くって、私も信じるよ……ありがとう。さあ、じゃあ続きをやろうか。ますは、明日のために!!」

静香「はい!!」

瑞希「やるぞー瑞希。えいえいおう!!」
241 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:11:27.00 ID:ZRhpxi3E0
 紗代子のテレビ出演は大成功だった。
 容姿の美しさと、軽やかなダンス。そしてなにより、画面越しでも伝わるあの、魂を揺さぶられる歌声に視聴者は驚き、話題になった。
 効果はすぐ現れた。問い合わせは殺到し、関連グッズがまた在庫から消えた。
 町中で、紗代子の歌が流れるようになる。

「姉ちゃんのサイン、欲しいって言われるようになったよ。とうとう姉ちゃんのこと、自慢しちゃった」

 弟が少し恥ずかしそうに、紗代子に言う。

静香「私にテレビのお仕事ですか!?」

翼「え〜また静香ちゃん〜?」

P「先日のテレビで、注目されたみたいだな。真壁さんにも声がかかってるそうで、改めて2人のプロデューサーから話があると思う」

瑞希「やったぞ……瑞希。がんばります」

紗代子「ふふっ。私たちも、段々アイドルとして有名になってきたんだね……」
242 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:12:31.96 ID:ZRhpxi3E0

     『あの子がやってきた』
243 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:13:45.72 ID:ZRhpxi3E0
 アメリカ、テキサス州のダラスから飛び立ったプライベートジェットの操縦室で、機長は困惑していた。
 このジェット唯一の乗客である少女が、突然ハイジャック宣言をしたのだ。行き先を日本に変更しろという脅迫と共に、だ。
 このハイジャッカーは別に武装しているわけでも、人質をとっているわけでもなかったが、機長はフライト前に雇い主であるコーエン氏から「くれぐれも乗客の機嫌を損ねないよう、最大限のワガママを許してやって欲しい」と強く言われていた。
 だがしかしこれは、最大限というワガママを越えているのではないだろうか。
 本来の行き先は、イギリスのヒースローである。そこへ向かわずに日本になど行って良いものだろうか? そしていずれにしろ最終的にはこの乗客はヒースローに向かわなくてはならないのだ。
 なにしろあの、ロイヤル・アルバート・ホールでのライブが控えているのだ。

「数時間でいいのよ。今回は少し余裕のある移動のはずでしょ? お願い!」

 乗客の瞳は真剣だった。ワガママというよりは、今しかないという一瞬に望みをかける、懇願の目だった。

 機長は成田空港へ、連絡を取ることにした。
244 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:15:19.51 ID:ZRhpxi3E0

P「歌番組も好評だった。色々と仕事も入ってきている」

紗代子「本当ですか!? 良かった……あ、でも、まだまだですよね。もっと私、上を目指したいです!!」

P「うむ……確かにまだまだやるべきことは、ある。だが、こうした世間からの求めに応じるのもアイドルとしての大切な仕事だ」

紗代子「はい。私、がんばります」

P「とりあえず、劇場外で単独ライブをうつ」

紗代子「劇場外……ですか?」

P「今度は本当に1人だぞ。どうだ? やるか?」

紗代子「はい」

P「いい返事だ。単独だから、色々とやってもらうぞ。覚悟しておけ」

紗代子「もちろんです。それで、どこなんですか? 劇場外って」

 一瞬、プロデューサーの顔が曇ったのを、紗代子は見逃さなかった。
 が、彼は軽く頭を降ると、殊更に笑顔で答える。

P「東京都の文化会館だ。しかも、大ホールだぞ。大きなハコだが、気後れするなよ」

 その答えで、紗代子はなぜプロデューサーの表情が曇ったのかを悟った。
 東京都文化会館は、Shah……いや、あの子のデビューイベントとなるはずだった会場だ。
 プロデューサーにとっては、苦い思いでの場所だ。
 今度は……いや、自分はなんとしてもプロデューサーに成功の喜びを味あわせてあげたいと強く彼女は思った。
245 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:16:16.96 ID:ZRhpxi3E0
瑞希「東京都文化会館ですか? 確か……上野だったと思いますが……どうかされましたか?」

紗代子「私の単独ライブが決まったの!」

瑞希「本当ですか……いよいよ単独でのライブなのですね。私、当日は観客として、高山さんに声援を送りたいと思います」

紗代子「ありがとう。それで、その会場がその東京都文化会館なんだ」

瑞希「待ってください。都の文化会館といえば……確かShahさんの……」

紗代子「……うん。それも同じ大ホールなんだって」

瑞希「高山さんは……本当に、良いのですか?」

紗代子「え? なにが?」

瑞希「高山さんは、Shahさんではありません。トップアイドルになって、自分だけでなく高山さんのプロデューサーの夢もかなえたいという想いは立派です。ですが、高山さんがShahさんの身代わりになることは……ありません」

紗代子「ありがとう、瑞希ちゃん。瑞希ちゃんの言ってること、わかるよ」

瑞希「はい……」
246 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:19:29.84 ID:ZRhpxi3E0
紗代子「それから……この間、私に言ってくれたことも」

瑞希「高山さんに……私が、言ったこと……ですか?」

紗代子「瑞希ちゃんは私に、事実だけを見ようって言ってくれたよね。だから……うん、今起きてることだけ見ていくよ。Shahのことは、今はプロデューサーとは分けて考える」

瑞希「そうですか……なんだか私は、余計なことを高山さんに言ってしまったような気もしますが、いつでも相談にはのります。なんでも私に言って、頼ってください……」

紗代子「うん。ありがとうね!」

 2人は笑顔を交わしあうと、東京都文化会館へと向かった。

瑞希「スマホのルート案内だとここを曲がって……見えました、あれが東京都文化会館です」

紗代子「お、思っていたより大きいんだね」

瑞希「そうですね……外観も立派な……おや、なんでしょう?」

紗代子「すごい人だかり……何かあったのかな」
247 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:20:27.63 ID:ZRhpxi3E0
「ホントにマジだって! いたんだよ、あのShahが」

「もうすぐロンドンでライブだろ? こんなとこにいるもんか」

「でも確かにちょっと似てたな」

紗代子「……え? Shah?」

瑞希「そんなまさか……そう、都合よく……」

Shah「ふう。もう日本でも知られてきてるんだ。まさか、ファンに見つかるとは……」

瑞希「!? あ、あの、もしかしてShahさん……ですか?」

Shah「え!? ち、違います。私は通りすがりのアーティストで……」

紗代子「……さーちゃん?」

Shah「……え? まさか……」
248 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:20:55.71 ID:ZRhpxi3E0
紗代子「私……わかる? 私は……」

Shah「よーちゃん! よーちゃんでしょ!? まさか会えるなんて……元気にしてた!?」

紗代子「さーちやんこそ!! ずっとずっと……会いたかったよ!!」

 抱き合う2人。しかしその再会を瑞希が止める。

瑞希「待ってください。こんな人目の多いところで、日米の新鋭アイドル2人が親しげにはぐするなど、騒ぎの元です」

紗代子「そ、そうか。ごめん、瑞希ちゃん」

Shah「じゃあ、どうしたら……」

瑞希「大丈夫です……私に、ついてきてください」
249 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:38:46.37 ID:ZRhpxi3E0
 瑞希が2人を連れてきたのは、いつぞや善澤記者が紗代子と瑞希を連れてきたカフェだった。
 瑞希が善澤の名前を出すと、さして詮索もされず件の個室に3人は通された。

Shah「もしかしたら会えたりするかもとは思っていたけど、本当によーちゃんに会えるなんて! ネットで見たよ。アイドルとして、がんばってるんだ」

紗代子「私こそ、さーちゃんの活躍は聞いてるよ。すごいね、アメリカで活躍してるなんて!」

Shah「……私は乗り気じゃなかったけどね」

紗代子「え? あ、うん……プロデューサーのことだよね」

Shah「プロデューサー?」

瑞希「端的にご説明しますが今、高山さんを担当しているプロデューサーは、Shahさんを以前担当しておられたプロデューサーです」

Shah「え?」

紗代子「さーちゃんが引き抜きでアメリカに行った後、色々とあって……今は私のプロデューサーなの」

 Shahは青ざめると、その表情を強ばらせた。

紗代子「さーちゃん?」

Shah「ごめんなさい! よーちゃん!! 私の……私のせいで!!!」

紗代子「え?」

Shah「謝ってゆるしてもらえるとは思わないけど、本当にごめんなさい」

紗代子「ま、待ってよ。さーちゃん。なんで私に謝るの?」
250 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:39:33.84 ID:ZRhpxi3E0
Shah「なんで……って、私のせいでよーちゃんがあの人の片棒を担がされて……やっぱり、あの人に脅されたりされてるの?」

紗代子「お、脅される!?」

瑞希「待ってくださいShahさん。話が噛み合っていません……脅されるとはなんのことですか?」

Shah「え? だって……あんな条件でプロデュースを受けて……無理矢理だとばかり……もしかしてよーちゃん、なにも知らないの?」

紗代子「なにも……? 私は、どこの面接やオーディションでも落ちて絶望していた所を、プロデューサーに……」

Shah「本当に……なにも知らないの……ラングレーだって動いたって聞いてたけど」

紗代子「ラングレー?」

Shah「Central Intelligence Agency。CIAのこと……つまり、ええと、日本語に訳すと……」

瑞希「アメリカ中央情報局……ですね。映画とかでは聞く名前ですが……」

紗代子「ど、どういうことなの!? なんでそんな所が私やプロデューサーに関係あるの!?」
251 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:40:18.70 ID:ZRhpxi3E0
Shah「あの人……あのプロデューサー、私を脅迫してたの」

紗代子「きょう……はく?」

Shah「アメリカは訴訟に対しては寛容よ。だけど、脅迫となるとそれは別。明らかに反社会的な行為として咎められるわ。コーエンは事を重く見て、CIAに相談したって言ってた。国を跨いでの犯行予告だったし」

 茫然とする紗代子。代わりに瑞希が、Shahに聞く。

瑞希「脅迫とは、具体的にはどういうものだったのですか?」

Shah「当初は支離滅裂な言動だったわ。日本に戻らないと天罰が下るとか、今までのレッスンや指導料として1億円払えとか、AISは俺に株を売って俺のものになるべきだ、とか……」

紗代子「そんな……そんなこと……」
252 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:41:11.02 ID:ZRhpxi3E0
 心配そうに紗代子を見ながら、それでも瑞希は聞く。

瑞希「当初は、ということは。その後が……あるのですか?」

Shah「ええ……しばらくすると、文章は妙に紳士的なものになったわ。でもそこから先は、一切がラングレーが証拠として管理をしだしたから、私はよく知らないの」

紗代子「……」

瑞希「では、現在は?」

Shah「コーエンは、もう心配ないって言ってたわね。両者の間で、合意があったみたい。ただ……脅迫がなくなった代わりに、たわごとを言うようになった、とも」

瑞希「高山さん、もう……やめておきましょうか?」

紗代子「……聞きたい。話して、さーちゃん」

Shah「よーちゃん、本当にいいの? ようやく再会できたのに、こんな話をしちゃって……」

紗代子「大丈夫。私は……私たちの友情と夢は変わらないよ。でも、私はやっぱり本当のことを全部知っておきたい」

Shah「……わかった。あの人は……ごめんねよーちゃん、これはあの人の言ってたことだからね。私が思ってることじゃなくて……」

紗代子「……うん」
253 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:43:07.07 ID:ZRhpxi3E0
Shah「あの人は、今に見ていろ、俺の実力を証明してやる……なんの……なんの才能もないやつを、誰も見向きもしないような者を、俺だけの力でプロデュースしてトップアイドルにしてみせてやるからな……って……」

 紗代子の顔から、顔色と表情が抜け落ちた。
 涙すら出なかった。
 凍ったように世界が止まった。
 ずっと不思議だった。
 ずっとずっと謎だった。
 どうして自分なんだろう。
 どうしてプロデューサーは、私を選んだんだろう。
 ようやくわかった。

 自分は、なにもない、なにもできない、なんの才能も将来性もないことを理由に選ばれたのだ。
 プロデューサーの力の証明のために……
254 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:44:33.82 ID:ZRhpxi3E0
Shah「慰めのつもりじゃないけど」

 ポツリとShahが口を開く。

Shah「私は、よーちゃんの実力も才能も信じてるよ。それから……あの人のことも」

瑞希「高山さんの、プロデューサーをですか?」

Shah「今日、あの場所……都の文化会館に私が行ったのは、どうしてもあの場所を見ておきたかったからなの」

瑞希「高山さんや私と会えたのは、予想外の偶然……なのでしたね」

Shah「あの文化会館は、私のデビューイベントが行われるはずだった場所。そして、イベントは中止になったけど、会場はキャンセルされなかった」

瑞希「? イベントは中止になったのに、会場はそのまま借りていたんですか?」

Shah「後から聞いたの。当日、あの人は本来ならデビューイベントが開かれているはずのあの会場で、ずっと呆然と客席に座っていたそうよ。会場代は自腹でね」

瑞希「そうなんですか……」
255 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:45:25.45 ID:ZRhpxi3E0
Shah「あの人は、あの人なりに真剣だった。私に期待をしてくれていた。それに応える時間も機会もなく、私はアメリカに連れて行かれてしまったの……あの人は、私やコーエンを脅迫したかもしれないけど、あの人なりに傷ついた」

瑞希「……しばらく、人前には出られなくなってしまっていたそうです」

Shah「私は、自分のしでかした事を見ておきたくて、今日あそこへ行ったの」

瑞希「そうだったんですか……高山さん、大丈夫ですか」

紗代子「……え? あ、うん……」

Shah「ごめんね。せっかく会えたのに、こんな話で……」

紗代子「ううん。私もプロデューサーに聞いてみる。今まで聞かなかったこと」

瑞希「それは……それこそ、大丈夫ですか? 高山さんも傷つくことに……」

紗代子「もう、後戻りはしたくないし、前に進むなら全身でぶつかりたいの」

Shah「そっか。じゃあそろそろ、私は行かなくちゃ。よーちゃん、約束……まだ忘れてないよ」

紗代子「私もだよ、さーちゃん。今日はありがとう」
256 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:46:58.96 ID:ZRhpxi3E0
 紗代子とShahは抱き合い、別れた。
 そして悲壮な表情で、紗代子は劇場に帰ってきた。

P「どこに行ってたんだ? これから……」

紗代子「プロデューサー!」

P「な、なんだ?」

紗代子「私、会いました」

P「会った? 誰にだ?」

紗代子「さーちゃん……いえ、Shahにです!」

 ハッとするP。
 紗代子は構わず続ける。

紗代子「プロデューサーが、以前担当していたんですよね?」

P「な、なんで……どうして知って……」

紗代子「Shahがあの子だったんです。一緒にアイドルになろうって誓い合った、その子がShahなんです」

P「なんだと……」
257 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:47:42.19 ID:ZRhpxi3E0
紗代子「あの子を脅迫したっていうのは、本当なんですか?」

P「ま、待て。それは……あの時、俺はどうかしていた……」

紗代子「あの子を見返すために……自分の力を認めさせるために、私の担当になったんですか?」

P「紗代子! き、聞いてくれ!!」

紗代子「私がなんにもない! なんの才能もない、ほっといたらアイドルになれない娘だから、選んだんですね!?」

 泣き叫ぶように追求する紗代子に、プロデューサーの足は震えた。
 恐れていた事が起きた。起きてしまった。
 自分のしてきたことが、一番知られたくない紗代子に全部知られてしまったのだ。
 崩れ落ちるように床にへたり込んだ後、プロデューサーは絶叫した。

P「あ……あああ、あああーーーっっっ!!! あ、あーーー!!! あああぁぁぁあああーーーっっっ!!!」

 そのまま彼は、もつれる足でその場を逃げ出した。
 代わりに紗代子が、その場に泣き崩れる。

紗代子「うう……わーーーーーーっ!!!」

 仲間のアイドルたちも、立ち尽くすしかなかった。
 そして翼が、静香の袖を引く。

翼「つまり……やっぱりShahは日本人だった、ってコトだよね〜?」

静香「……今は、それどころじゃないでしょ」

翼「わかってるけど……こういう空気、どうしたらいのかわかんないよ……」

瑞希「帰りましょう……高山さん。今日は、私が送ります……」
258 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:48:56.08 ID:ZRhpxi3E0
 紗代子を抱えるようにして乗り込んだ、帰りの電車内。彼女は一言も発しなかった。
 瑞希も言うべき言葉がなく、黙っていた。
 帰宅した紗代子を見て、さすがに母親は何が起こったのかはともかく、娘の精神状態は察し、黙って娘を自室に送る。

「わざわざ心配して送り届けてくれたんでしょ? ごめんなさいね」

瑞希「いえ……1人にするわけには、いかないと思いましたから」

「今夜は、お夕飯を食べていってね。あ、なんなら泊まってもいいのよ?」

瑞希「いえ、それは……ですが、やはり高山さんが心配ではあります……」

「決まり! ね、お宅には私からも一言添えて連絡することにして」

瑞希「では、お言葉に甘えて……それにしても、大丈夫でしょうか?」

「紗代子なら心配ないわよ」
259 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:49:53.18 ID:ZRhpxi3E0
瑞希「なぜですか……あの熱意と懸命さの塊のような高山さんが、あれほど落ち込んだ姿を、私は見たことがありません」

「ま、確かに久々ね。春頃に、765プロのオーディションを落ちて帰ってきた時以来かしら」

瑞希「あの時の……」

「あの子はね、どんなことがあっても、一晩寝たら元気になってるから。だから、大丈夫。そうね、明日の朝食は、たい焼きでも焼いておいてあげようかしらね」

瑞希「本当ですか……しかし、今回はどうでしょう」

 これまでも苦難や困難はあった。だがそれとは次元が違う。
 今回彼女は、信頼するプロデューサーとの根源的な関係が崩れそうであるのだ。
 ずっと心の支えだった、プロデューサーに見出されたという自信が、今回は粉々に砕かれたのだ。それもそのプロデューサーによって。

「ただいまー。え!? あ、アイドルの真壁瑞希ちゃん!?」
260 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:50:49.65 ID:ZRhpxi3E0
瑞希「おじゃましています、真壁瑞希です。私のことは気軽に、瑞希ちゃんと呼んでください」

「もしかして姉ちゃんが、友達だって言ってたのは……マジ?」

瑞希「はい……マジです、マジ。真実の本当です……まじまじ」

「今夜はうちに泊まってくれるそうよ。失礼のないようにね」

「マージでえええ!?!?!?」

 夕食にも紗代子は部屋から出てこなかった。
 紗代子の弟も「765プロのオーディションを落ちて以来だよな」と母親と同じことを言い、あまり動じていないようだ。
 そして夕食後、その弟が自転車に乗る。

「姉ちゃんがいないのに走るって、変な感じだな」
261 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:52:06.91 ID:ZRhpxi3E0
瑞希「それはつまり……高山さんは、毎晩走っておられるということですか?」

「ああ……いや、はい。最初は自転車使わずに一緒に走ってたんだけど、だんだん追いつけなくなって、ママチャリに乗るようになって、それでも追いつけなくなってちゃんとした自転車買って、そして今はあれを組んでるとこです」

瑞希「あれ……ほほう、緑色の綺麗な自転車ですね。び……びあん……き?」

「うん! お陰様で、今は自転車部でエースですよ。あのビアンキの自転車も姉ちゃんに見せて自慢するつもりだったのに」

瑞希「明日には……本当に高山さんは、元気になっているでしょうか」

「ま、大丈夫でしょ」

瑞希「今夜は……高山さんの代わりに、私が走ります」

「え? ま、マジですか!?」

「ちゃんとボディガードするのよ? 瑞希ちゃんも、戦車とかに気をつけてね」

瑞希「はい……戦車?」
262 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:53:07.38 ID:ZRhpxi3E0

「こんなにのんびり走るの、久しぶりかな」

瑞希「つまり高山さんは、もっと早く走っているのですね?」

「慣れっこになってたから麻痺してたよな。駅から海岸線まで出て、そのまま神社前を登って降りてマリンワールドまで……けっこうなスピードで」

 瑞希は、その距離と速さに驚く。いや、紗代子の弟は、今日は速度を控えて走っているというから、普段は……

瑞希「すごいです……高山さんは……」
263 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:54:15.76 ID:ZRhpxi3E0

 来客用のベッドに横になりながら、それでも瑞希は紗代子が心配だった。
 紗代子の家族は心配していなかったが、あれだけの精神的なショックを受けて、それでも一晩で立ち直れるものだろうか。
 いや、もし立ち直れなかったとしたら、紗代子はアイドルをやめてしまうのではないだろうか。

 その想像は、瑞希の胸を悲しみの棘で刺した。
 彼女にとって、紗代子は単に親友というだけではない、同僚のアイドルだけでもない。
 紗代子の努力と、その諦めない熱意でここまで来る様を間近に瑞希は見てきたのだ。
 それは美しいだけの道程ではなかった。時に涙を流し、もがくように苦しみながら歩んできた茨の道だ。
 それだけに、紗代子のすごさを如実に物語り、自分も影響を受けた道でもあった。

瑞希「高山さん……」

 ステージの上での、楽しそうに、嬉しそうに、輝くように歌う紗代子。
 そしてその陰で、弱い自分を必死に鼓舞し、その自分を励まし、寄り添っていた紗代子。
 2人の紗代子は、瑞希にとって。いや、765プロ全員の、今や宝物となっていた。

瑞希「やめないで……ください」
264 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:55:19.00 ID:ZRhpxi3E0

 朝がきた。
 結局ほとんど眠れなかった瑞希は、紗代子の部屋の前で座り込んでそのドアが開くのを待っていた。

紗代子「あれ……瑞希……ちゃん!? なんでここに!?」

 ウトウトしていた所に、紗代子の声が聞こえ瑞希は目を開ける。
 そこには不思議とさっぱりとした表情の紗代子が、立っていた。

瑞希「おはようございます、高山さん。高山さんのお母さんが、勧めてくださったので、昨夜はお泊まりをさせていただきました」

紗代子「そうだったの!? ごめんね、相手もしてあげないで」

瑞希「よいのです。それにしても……」

紗代子「な、なに?」

瑞希「ご家族のお話は、本当でした……元気になられましたね。よかったぞ……ほっ」

紗代子「うん……自分でも不思議だけど、なんか一晩寝ちゃうと元気になれるんだよね。それに……」

瑞希「はて、なんですか?」
265 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:56:12.99 ID:ZRhpxi3E0
紗代子「こんなの……あの時にくらべれば……765プロのオーディションを落ちたあの日の夜にくらべれば、なんでもない!」

瑞希「私は、もしかして高山さんがアイドルをやめてしまうのではないかと、心配していました」

紗代子「やめないよ。やめない……このままじゃ、絶対にやめない! 今度は私が……」

 紗代子の母親は、起きてきてた娘を見て少し笑うと「おはよう」とだけ言った。父親も似たような反応で、弟はしきりに瑞希に話しかけてきていた。
 つまり、これといって特別な反応を紗代子にしめさず、家族は朝の時間を迎えていた。
 なるほど、やはり紗代子のことをよくわかっている。

 朝食を終え高山家を辞した瑞希と、紗代子の2人は765プロ劇場へと向かった。
266 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:57:02.98 ID:ZRhpxi3E0

のり子「あ、紗代子! 大丈夫?」

紗代子「のり子さん、ご心配おかけしました。もう大丈夫です」

のり子「良かった〜! もう、このまま紗代子がアイドルやめちゃったらどうしようって心配してたよ!」

紗代子「瑞希ちゃんにも言われました。でも、やめません私」

桃子「おはようございま……紗代子さん! 良かった、やめないんだね!?」

のり子「あはは」

桃子「え? もう、のり子さんなにがおかしいの?」

のり子「みんな同じ心配をしてるんだなあっていうのと、紗代子は今日これから765プロのアイドルの数だけ、同じこと言われるんだなって思ったの」

桃子「じゃあ、ほんとうにやめないんだね? 紗代子さん」

紗代子「うん。ごめんね心配かけて」

桃子「ううん。桃子も嬉しいよ」

翼「おはようございまーす。あ、紗代子さん、やめないんだ!」

のり子「ほらね」

桃子「ほんとだ。おかしい」

 その後やって来るアイドルと、ほぼ同じようなやり取りをし、先に来た娘が笑うということを繰り返した後、意を決したように紗代子は言った。
267 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:57:57.57 ID:ZRhpxi3E0
紗代子「それでプロデューサーは?」

未来「あ、うん、それが……」

紗代子「? どうしたの?」

静香「昨日、あの後プロデューサーをみんなで追いかけたんですけど、見つからなくて」

紗代子「え?」

翼「駅までの道にいなかったし、別の道も探したりしたんですけど」

のり子「アタシもクラウザー号で、劇場の周辺を走ってみたんだけど、全然姿がないんだよね」

瑞希「プロデューサーは、どこへ行かれたのでしょう……みすてりー」

茜「空を飛んでいっちゃったとか?」

麗花「空にもいませんでしたよ?」

茜「ここで深く追求はしないでおくけど、じゃあどこへ行っちゃったの!?」

昴「なあなあ、可憐の嗅覚でプロデューサーを探せないかな」

可憐「えっ!? そ、それは無理だと思いますけど……」

風花「待ってみんな。プロデューサーさんは、多分……劇場のどこかにいると思うの」
268 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 16:59:01.01 ID:ZRhpxi3E0
翼「え〜? なんでわかるの?」

風花「紗代子ちゃんのプロデューサーさんは、逃げ出しちゃったわよね?」

志保「はい。うろたえた様子でした」

風花「精神的にショックを受けた人の逃避は、闇雲に走り出したりしないの。たいていは、よく知っている場所や慣れ親しんだ場所に行ってしまうものなのよ」

美奈子「なるほど。それじゃあこの劇場内で紗代子ちゃんのプロデューサーの慣れてる場所……どこかな?」

琴葉「この人数で、しらみつぶしに劇場を調べるのがいいかな」

桃子「まって。この劇場の中で、誰かが隠れていて、しかも誰にも気づかれないところ、ってことでしょ?」

のり子「桃子、心当たりがあるの!?」

育「あ! もしかして」

桃子「うん。あそこじゃないかと思うんだ。ね、環」

環「? どこだ?」
269 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 17:00:07.44 ID:ZRhpxi3E0
桃子「もう、育が見つけた、あのトマソンだよ!」

環「とまそん……?」

育「私たちが、かくれぼしてた時に見つけた、あそこのことだよ」

環「ああ、たまきもわかったぞ。でもなんであそこなんだ?」

桃子「あの後ちょっと考えてみたんだけど、あの場所って機材置き場でもないし、あそこにあった機械ってパソコンとかだったと思うんだ」

瑞希「なるほど。高山さんのプロデューサーは、そこからレッスンを見たり高山さんに指示を出したりしておられたのですね」

のり子「えー!? ということはあのプロデューサー、外国じゃなくて……まさか、ずっと劇場にいたってこと!?」

紗代子「桃子ちゃん、その場所に案内して!」

桃子「うん、こっちだよ」
270 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 17:00:57.22 ID:ZRhpxi3E0

美奈子「ここって……壁じゃないの?」

育「わたしが見つけたんだ。ここの足下に触ると……あれ?」

桃子「どうしたの?」

育「開かないの。あの時は中を押したらカチッっていって、スルって壁が開いたのに」

美奈子「ということは……中から鍵がかけてあるのかな」

のり子「どうする紗代子。壁、ぶち破っちゃう?」

昴「お! それならオレも手伝うよ」

琴葉「待って! そんな乱暴な……いくらなんでも劇場を壊すなんて」

昴「えー。でもじゃあどうすんだよ」

琴葉「なにか穏やかな方法を何か考えましょう」

このみ「鉄球をぶつけるとか、放水するとか……」

琴葉「もっと物騒になってるじゃないですか!」
271 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 17:02:25.60 ID:ZRhpxi3E0
紗代子「みんな、私に任せて」

琴葉「もちろん紗代子が一番の当事者だから、いいけど……まさか紗代子も壁を壊して無理矢理入ろうって言うんじゃないわよね」

紗代子「そ、そんなことはしません」

 紗代子は、ひとつ咳払いをすると歌い出した。

紗代子「あーーーーーー♪♪♪」

志保「この曲……」

静香「センター公演の時の……」
272 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 17:03:53.27 ID:ZRhpxi3E0
紗代子「私は ここにいます♪
    私は ここで歌っています♪
    ねえ 聞こえますか?
    私が わかりますか?
    私が ここにいます♪」

麗花「なるほど! 因幡の白うさぎ作戦だね!」

琴葉「いえ……天岩戸作戦だと思いますけど……歌で本当にプロデューサーが……あ!」

 ゴトリ。
 壁の中から、物音がした。と、続いてチャリという音が響き、壁そのものがスライドした。
 中からプロデューサーが出てくる。

昴「す、スッゲー。ほんとに出てきた」

のり子「は、早く捕まえて引っ張り出さないと」

瑞希「お待ちください。おそらく……その必要はありません」

静香「え?」

 気まずそうに、だがそれでも紗代子の歌声を聞き、出てきてしまったプロデューサーの前に、紗代子は真剣な瞳で対峙する。
273 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 17:05:00.09 ID:ZRhpxi3E0
P「紗代子……」

紗代子「アイドルは要りませんか?」

P「な、なに?」

紗代子「こういう歌をうたえるアイドルを、プロデュースしたくはありませんか?」

P「それは……」

紗代子「はやくしないと、他のプロデューサーを探しに行きますよ?」

P「ま、待て」

紗代子「才能のあるなしじゃなくて、今の私を見て決めてください」

P「お、俺……俺は……」

紗代子「私じゃあ、トップアイドルになれませんか?」

P「そ、そんなことはない!」
274 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 17:06:04.55 ID:ZRhpxi3E0
紗代子「以前の私は、こんな風に歌えたりはしませんでした」

P「それは……」

紗代子「ダンスもステップひとつできませんでした」

P「まあ、確かに……」

紗代子「でも、今はできます」

P「あ、ああ……」

紗代子「こんな逸材を、見逃していいんですか? プロデューサーがプロデュースしてくれないなら私、他のプロデューサーを探さないといけません!」

P「だ、ダメだ!」

紗代子「……」

P「紗代子は俺の担当だ。俺が見つけて、俺が育てたんだ! 俺が紗代子のプロデューサーで!! 紗代子の一番のファンだ!!!」

紗代子「……はい」

P「はあ……はぁ……い、いいのか?」
275 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 17:07:35.82 ID:ZRhpxi3E0
紗代子「トップアイドルには、一流のプロデューサーが必要です」

P「……」

紗代子「私のプロデューサーは、あなたしかいません! 要らないって言われても、あなたに私をおしつけます!!」

P「わかった。そしてすまなかった……」

紗代子「もういいんです。ここまでこられたのも、プロデューサーのお陰です。そしてこれから先の光景も、一緒に見て行きたいんです」

P「改めて頼む、俺に高山紗代子をプロデュースさせて欲しい。その理由は、高山紗代子が希にみる逸材だからだ。この娘をトップアイドルにしたいと思ったからだ!! 俺じゃないとできないからだ!!!」

紗代子「はい、よろしくお願いします!!!」

 仲間達が見守る笑顔の和の中心で、改めて2人は出会い、そして夢を誓い合った。
 後にトップアイドルとなる少女と、そのプロデューサーとなった男。つまり連壁の関係となる、この初めてではないこの出会いは、2人を強く結びつけた。

 なんの才能も持っていない事を見込まれた少女。
 それを復讐に利用しようとした男。
 だがそれを過去のものとして、2人は手を取り合った。
276 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 17:08:29.07 ID:ZRhpxi3E0
未来「そっか。私、ようやくわかったよ」

静香「え? なにが?」

未来「春香さんに言われたこと。絆、って言葉の意味」

翼「う〜ん。まあ、確かにちょっとわかったかな」

志保「何もないからという理由で選んだアイドルと、そのプロデューサー。それがまたもう一度お互いを認めて選び合う……」

静香「これが、絆……なのね」

翼「うんうん。ところで静香ちゃん。イッケンラクチャクしたから改めて確認なんだけど〜?」

静香「え? なに?」

翼「Shahはやっぱり日本人だったんだよね〜?」

静香「ええ……あ!」

翼「うどん、おごってぇ〜!」

静香「もう……わかったわよ」
277 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 17:09:12.88 ID:ZRhpxi3E0

善澤「なんと……そんなことが」

P「ええ。なんというか、不思議な縁を感じました。まさかサー……いやShahが紗代子の言っていた『あの子』だったとは」

善澤「だろうねえ。しかしそれを含めて、君と高山君が全てを知った上で和解して、改めて担当アイドルとプロデューサーになってくれたのは、僕にとっても嬉しいよ」

P「え?」

善澤「改めて、君達の歩んだ軌跡を、独占記事にさせてもらいたいな」

P「……紗代子が、トップアイドルになったなら」

善澤「いい返事だ。事実上のO.K.サインとしてうかがっておくよ。そうそう、君には話しておくんだが」

P「え?」

善澤「君と高山君のこと……記事になりかけていたんだ。書いたのは悪徳だ」

P「なんですって!?」

善澤「Shahのことももちろん含め、君が彼女を脅迫したことなども書かれていた。不起訴とはいえ、イメージダウンになりかねないところだったよ」

P「だっと、ということは……」

善澤「ゲラになる前に記事は消された。なかったこと、になっている」
278 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 17:10:03.82 ID:ZRhpxi3E0
P「消されたって、誰が……もしかして社長が?」

善澤「高木ではないな。彼も驚いていたからね」

P「じゃあ誰が……まさか、コーエンですか?」

善澤「おそらくそうだろうが、まあそれは僕が調べておくよ。いずれ書く君と高山君の物語のひとつのエピソードにもなろうからね」

P「お願いします」

善澤「ああ。高山君……あれ以来、さらに熱の入ったレッスンをしているようだね」

P「まだまだ……紗代子には足らないものが多いですから」

善澤「ということは、まだまだ彼女は伸びていくわけだ。まったく、末恐ろしいアイドルとその担当プロデューサーだね」

P「そうだ。これから葬式があるんですが、善澤さんも参列されますか?」

善澤「葬式!? だ、誰のだい?」

P「俺の……いや、かつての俺の、ですよ」

善澤「?」
279 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2019/12/29(日) 17:17:44.04 ID:ZRhpxi3E0
 その頃、紗代子と他のアイドルの面々は、ヒュッテ……いや、プロデューサーがずっと隠れていた階段にあるトマソンに集まっていた。

のり子「これってジグソーパズル? けっこう大きいね」

紗代子「はい。これだけは運び出して欲しいって言われてて……わあ、山の写真のパズルなんだ」

桃子「これって、なんて山かな?」

翼「えっと〜富士山?」

育「違うよ翼さん、富士山ってもっとこう広がってる感じだけど、この山はほら形が……さんかくだもん」

桃子「そうだよね」

亜利沙「フォーーーッッッ! 桃子ちゃん先輩、そこはこう、もっと、さん・かっ・けー♪ってお願いしまあああーーーすすす」

桃子「富士山じゃないよね」

亜利沙「あああぁぁぁあああ!!! 桃子ちゃん先輩の冷たい視線、ごちそうさまでえええす!!!」

美奈子「じゃあ、鋸山かな?」

麗花「違いま〜す。この山はね、K2って山だよ。世界で2番目に高い山」
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