白雪千夜「足りすぎている」

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52 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 22:57:05.86 ID:QXbKSZYO0
   * * *

「李衣菜チャン! 今日はみくが早起き勝負に勝ったから、一日みくの言うこと聞くにゃ!」
「そんなのズルいよ! 昨日私が早く起きた時はそんなの言わなかったくせに!」
「ちゃんと約束したもん! つべこべ言わずに猫チャンになる!」
「じゃあ朝ごはん早食い勝負で勝ったらチャラね、よーいどん!」
「ああぁぁあフライングー!!」

 民宿の食堂で、今日も前川さんと多田さん――もとい、みくさんと李衣菜さんは、朝から言い争いをしている。
 ケンカするほど仲が良いとはよく言うが、あの二人を見るとあながち間違いでもないなと思う。

 ただ、いつもと違うのは――。


「智絵里ちゃん、さっき食堂のおばさんに聞いたら、後でスイカを振る舞ってくれるんだって。
 どっちがたくさん食べられるか、競争しよう!」
「ええぇぇ、そ、そんなかな子ちゃん、スイカって結構お腹冷えちゃうから、たくさん食べるとお腹壊しちゃいそう…」
「美味しいから大丈夫だよぉ」
53 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:00:50.85 ID:QXbKSZYO0
「しーぶりん! 朝ごはん食べたらランニングしよう、ランニング!」
「やってもいいけど、私は競走なんてしないからね」
「な、何で!? 人はなぜ走るのか、考える脚だからである。
 じゃあしまむーやろうよ! 勝った方が今日一日私をちゃん付けね!」
「うえぇっ!? わ、私は普段からちゃん付けですし、そもそも未央ちゃんが勝つの前提……!」

「きらりちゃーん! みりあ達とお皿片付けるの、競争しようよ!」
「えへへ、みりあちゃん莉嘉ちゃん、そんなにたくさん持つと危ないにぃ。きらりに任せて」
「アタシだって、家ではお姉ちゃんのこと、いーっぱい手伝ってるもんねー!」

「誘われても杏はもうやんないからね」
「いいえ、今日こそは勝つわよ。今夜、もう一度杏ちゃんの部屋でババ抜きしましょう」
「美波さんの部屋で勝手にやっててくんない?」


 346プロダクションによるサマーフェスを控えた、シンデレラプロジェクトによる夏合宿。

 元を正せば、みくさんと李衣菜さんに端を発する勝負事が、合宿が始まってからというもの、妙に流行りだしている。
 アーニャさんと私の話が、プロジェクトの間で広まったらしい。

 プロジェクトのメンバーではないが、広めたのはお嬢様だという噂話も聞こえてくる。
54 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:02:18.06 ID:QXbKSZYO0
「そこまで憂慮すべき事態でもないと考えています」

 この風潮について、何となく申告してはみたが、コイツはどうも楽観視している。

「お前は、メンバー同士の穏やかならぬこの状況が、プロジェクトとして問題ではないと思っているのですか」
「お互いの不和に発展する場合は、問題であると思いますが」

 レッスン場の片隅に備えたデスクから立ち上がり、プリンタにある紙を取りながら、コイツは続ける。

「研鑽には目標が必要であり、これを満たす上で、競争心は有効に機能することもあります。
 とはいえ、白雪さんの仰るように、あまり関係のない事にまでいたずらに競いすぎるのであれば、健全ではないかも知れません」

「それは、何ですか?」
「今後の予定表と、フェス当日のセットリスト案です」
55 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:04:14.01 ID:QXbKSZYO0
 合宿の始期から当日までの、メンバー各々の予定とレッスン日程がビッシリ示されている。
 それまで他人事のように捉えていたものが、白雪という名前を見ると、ようやく我が事としての実感が湧いてくる。

「白雪さんは、このセットリスト、いかがでしょう」
「経験がないのに、聞かれても答えられるはずがありません」

 紙を返した。私は与えられた役割を果たすだけだ。

「一応のプロであるお前が良いと判断したのなら、それに従うのが現時点での最善です」

 私がそう言うと、コイツは首の後ろを掻いた。
 照れているのではない。なぜ、コイツは今困った仕草をしたのだ。

「どうか、皆さんの自発性を……「我」の強さというものを、あまり悪く思わないでください」

 コイツは頭を下げた。
 仕事の都合で、しばらく合宿の場から離れるらしい。そのための予定表か。


 いかに技能向上が望ましいとはいえ、戦わないに越したことなどないはずだ。
 競争など、くだらない。
56 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:05:49.56 ID:QXbKSZYO0
「チヨ。一緒にチーム、組みましょう」

「何の、ですか?」
「リレー、ですね?」

 プロジェクトのリーダーに任命された美波さんから、どういう訳か提案があったらしい。
 二つのチームに別れて行うとのことで、アーニャさんが楽しそうに私に駆け寄ってきた。


 言ったそばからこれか。
 第一、これはステージパフォーマンスとは何も関係が無いのではないか。
 戯れにしても、度が過ぎている。

 だが、すっかり皆やる気のようだ。
 レッスンの時と同じか、それ以上に息巻いている。

 気分転換、というものか――。
 自身の器量の小ささ故に、必要以上のことを行ってこなかった私には、あまり馴染みがなかったことだと気づかされる。


「分かりました」

 これも戯れ。
 私一人の心情など、取るに足らないものであれば、流れに身を任せていればいい。
57 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:08:48.44 ID:QXbKSZYO0
 と思ったものの――。

「はぁ、はぁ……!」

 い、意外と皆、本気でやるもんだな。
 遊びじゃないのか。何なんだこの殺伐とした空気は。

「ちよちー早く! らんらんが後ろから来てるよぉ!」
「チヨ! ダヴァーイ!」
「ぜぇ、ぜぇ……ふんす、わ、我が翼に宿りし魔力、今燃やし尽くす時、かひゅ……!」

 蘭子さんの猛追をやっとの思いで振り切り、杏さんにバトンを渡す。
 しかし彼女は、傍目にも明らかなほどにやる気の無いペースでノロノロと走り出した。

「ふ、杏さん、早く……せっかく私が、こんなに、が……頑張って……!」
「省エネ運転が杏の売りだからねぇ」

 こ、この人は――!

 結局、その予期せぬブレーキが響いてしまい、私達のチームは負けた。
58 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:10:34.20 ID:QXbKSZYO0
 次は飴食い競争。
 ご丁寧に、小麦粉がたっぷり入った大皿をわざわざ用意するという力の入れようだ。

 これに、顔を埋めろと?

「うぅぅ……えいっ!」
 意を決して、智絵里さんが隣の皿に顔を突っ込んだ。

「早く早く! 千夜ちゃん、アタシもやりたいんだからぁ!」
 莉嘉さんが邪な理由で私を急かす。

 どうやらやるしかないらしいので、大きく息を吸い込んで飛び込む。
 途端、小麦粉が気管に入ったらしく、盛大にむせた。

「!? グエェッホ!! ウェホ、エホッ!!」
「ああぁぁ!! 千夜ちゃん! 千夜ちゃん大丈夫ですか!?」
「ば、バカ殿みたいな顔になってるよ千夜ちゃん!!」


 飴食い競争に参加した人は、何故か顔を洗ってはいけないルールが追加された。
 私達のチームはまた負けた挙げ句、さらに私は白粉まみれの顔を写真に撮られた。


 その後も競技は続く。
 ハンカチ落とし、二人三脚――モノマネ対決などというふざけたものもあった。

 疲労感に肩を落としつつ、最後の競技は、大縄飛びだ。
59 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:11:37.91 ID:QXbKSZYO0
「きらりさんは、杏さんを抱っこしながら飛んでください」
「随分な言い方だね」

 杏さんはややヘソを曲げているが、私は合理的な提案をしているにすぎない。
 どうせこの人はまともにジャンプをする気など無いに決まっている。
 この期におよんで、勝つために手段を選ぶ必要があるのか。

「あ、ちよちー。大縄飛びはチーム対抗じゃなくて、私達皆でやるんだって」
「えっ!?」

 こ、ここまで来て、私は負けっ放しでいろと――!?


「意外と千夜って、ムキになるところあるんだね」

 凛さんが少し驚いた様子で私を見つめる。
 それを見つめ返していると、ほどなくして彼女は吹き出した。
60 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:13:18.87 ID:QXbKSZYO0
「何で笑うんですか」
「ごめん。でも、やっぱりそれ、おかしくて」
「好きでこんな顔になっているのではありません」

 そのやり取りを見ていたアーニャさんも、クスクスと笑っている。

「アーニャさんまで、私をおかしいと笑うのですか」

 そう言うと、アーニャさんは「ニェット」と首を振った。

「おかしいでは、ありません。
 チヨが楽しそうなのが、嬉しいです」

 何が楽しいものか。
 もういい。こんな戯れ事はさっさと終わらせようと、私は美波さんに進言し、大縄飛びが始まった。


 背が低い私は、先頭に立たされた。
 体を縮こませ、かつ脚は高くジャンプしなければならない。
 負担の大きいポジションではあるが、誰かが務めなければならないことだ。

 きらりさんは美波さんと大縄を振る役割を担ったため、杏さんはしんがりを務める。
 大変だなんだと文句を言っているが、今さらご託を並べないでもらいたい。
61 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:14:46.54 ID:QXbKSZYO0
「5…6…7…8、あ、あぁぁ!」
「何やってるにゃー! 李衣菜チャン!」
「そ、そんなこと言われたって!」

 李衣菜さんが脚を引っかけ、みくさんがすかさず責め立てる。
 面倒ごとが大きくなる前に、私は仲裁に入った。

「言い争いをしている暇があったら、すぐに再開しましょう。その方が生産的です」
「く、くひひ……ち、ちよちー、そんな顔でまともな事言われると逆に……!」
「な、何ですか!」

 未央さんが茶化したのをきっかけに、皆が笑う。
 みくさん達も、一緒に笑っているうちに仲直りしたようだ。


 この顔で、もう余計な事は言うまい。
 ただ無心で飛ぶのみ。
62 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:16:26.13 ID:QXbKSZYO0
「……44…! 45…! 46…う、わああああ!」
「ごめんなさい! 私が、今のは私がぁ、うぅぅ…!」
「大丈夫だにぃかな子ちゃん! 何度でもやり直そう?」
「ダー! キラリの言うとおりです」

 くっ……そろそろ脚が、上がらなくなってきた。
 震える膝に両手をつき、肩をガックリ落として必死で呼吸を整える。

「ち、千夜ちゃん、大丈夫ですか?」
「はい……ありがとうございます、卯月さん。まだ大丈夫です」

 ふと杏さんの方を見る。
 彼女は怠そうにしながら、Tシャツをパタパタとはたいている。
 汗は多少かいているものの、顔色はさほど変わっていないようだ。

 端っこ同士、条件は私と杏さんで同じのはずなのに、この違いは何だろう。
 どうやら彼女には、無視できないレベルの技術ないし基礎体力が備わっているらしい。


 美波さんが、目標回数を下げることを皆に提案した。
 だが、皆は一様に首を振った。
 ここまで来たのなら全員でやり遂げようという、気迫のこもった未央さんとみくさんの回答があり、皆もそれに同調したのだ。

 私も、それには同意見だった。
 冷静に考えれば、こんな戯れ事に意味は無いのだけど――いや、このまま終わったら、本当に意味が無いままで終わってしまう。
 それは私にとっても我慢がならないことだった。
63 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:18:08.98 ID:QXbKSZYO0
「……95…! 96…! 97…! 98…!」

 これもようやく――ようやく、終わる。

「……99…!! ひゃくーーっ!!!」


 悲鳴のようなカウントが夕暮れの広場に弾け、同時に皆の体が一斉にその場に崩れ落ちた。

 さすがに、これは堪えたな――。
 膝と両手をつき、肩で息をしているうちに、目の前の地面に汗がいくつも垂れていく。
 顔についていた白粉は、とっくに剥がれ落ちているだろう。


「チヨ」

 ふと、視界が少し暗くなった。
 何とか体を起こして見上げると、アーニャさんがペットボトルを持って目の前に立っている。
「お水です」
64 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:20:20.72 ID:QXbKSZYO0
「……ありがとうございます」

 この人の、これだけ気配りができる余裕はどこから来るものなのか。
 彼女の行いは、私が黒埼家で行っているような使命感、義務感とは、まるで毛色が違う。

 アーニャさんは私の隣に腰を下ろし、自分のペットボトルをクイッと一口飲んで息をついた。

「チヨ、楽しかったですか?」

 首を傾げ、星が舞う碧い瞳を私に向ける。
「ミナミが、気にしていました。ワガママに、皆を付き合わせてしまったかと」


「……分かりません。
 これが楽しかったのかも、フェスの完成度を上げるために必要なことだったのかどうかも。
 ただ、疲れました」

 私はかぶりを振って、空を見上げた。
 先ほどまで青い空に上っていた積乱雲はいくつにも千切れ、茜色に染まりながら暢気に浮かんでいるのが見える。

「こんなにボーッとした、のんびりした気分は、久しぶりです」


 フフッ、と弾けるような小さな笑いが、隣から聞こえる。
 見ると、アーニャさんはもう一度水を一口飲んで、どこか思わせぶりにこう言った。

「はぁ……アズマシィ」
65 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:23:13.08 ID:QXbKSZYO0
 ――あずましぃ。

「あっ! アーニャ、それってどんな意味!?」

 遠くの方でかな子さん達と談笑していた未央さんが、耳ざとくアーニャさんの呟きを聞きつけて駆け寄ってくる。

「ふっふーん、私、当ててみせよっか。
 このシチュエーション、この雰囲気から推測するに、アズマーシィ、その意味はズバリ「縄跳び楽しい」っ!」
「いや、そんな限定的な単語無いでしょ」

 凛さんの指摘はもっともだ。
 それはロシア語ではなく――。

「それたぶんロシア語じゃなくて北海道弁だよ」


 未央さんと凛さんが、杏さんの方に向き直った。
「そうでしょ、千夜?」


 彼女、北海道の人だったのか――私は、首肯した。

「あずましいというのは、心が落ち着くとか、居心地が良い、満足とか、そう言った意味の言葉です」
66 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:24:55.55 ID:QXbKSZYO0
「えっ、ちよちーも北海道出身なの!?」
「はい」

「ええぇぇ、でも、そんなズルいよアーニャ!
 だってさっき、明らかにロシア語っぽく「アズマァースィ〜」って流暢に言ってたじゃん!」

 未央さんが訳の分からない難癖をつけ、頬を膨らませて憤慨してみせる。
 その仕草のおかしさに皆が笑い、未央さんもまた楽しそうに笑った。


 まぁ――お嬢様への良い土産話になったと思えば、悪くない。

 この合宿で留守にする間、ずっとお世話ができずにいた。
 いくら寮のサービスが整っているとはいえ、従者としての最低限の務めは――。

 ――?


「……北海道、覚えていますね、チヨ」


 アーニャさんから感じる、潤沢な愛に満たされた心の余裕は、私には無いものだった。

 それを疎ましく思ったことは無い。
 卑屈な思いをさせられたことも無い。

 彼女は、私に無いものを与えてくれる。何の見返りも期待せず。


 ただ、その時のアーニャさんの笑顔は、なぜか少し寂しそうに見えた。
67 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:26:37.46 ID:QXbKSZYO0
   * * *

 当日は生憎の天気だった。
 それはシンデレラプロジェクトにとって、ある意味幸いだったかも知れない。

「ふっ……ッ……!」
「チヨ、良い感じです。焦らなくても大丈夫、ですね」

 特に、私にとっては。


 事の発端は、美波さんがリハーサルの直前に倒れたことだった。
 プロジェクトのリーダーというプレッシャーを背負い込み、高熱を出してしまったのだ。
 偶然女子トイレを通りかかったスタッフが、洗面所の前でうずくまっている彼女を発見したという。
68 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:28:37.68 ID:QXbKSZYO0
「ごめんなさい……! うぅ、うっ、ううぅ……!!」

 医務室のベッドの上で、ひどく無念そうに泣きはらす美波さんを、沈痛な面持ちで見守るメンバー達。

 思うに彼女は、気ぃ遣いが過ぎたのだ。
 リーダーに抜擢されてから、ずっとそうだったが、特に今日は会場に着いた時から、熱の入れようが異常だった。
 重責に耐えるため、自分を納得させるために率先して動き回ったのは良いが、心と身体のバランスが取れずに自壊した。

 故に、美波さんに感謝や同情をする人はいても、責め立てることなど出来はしない。

 そんなところだろう。
 黒埼の従者としての務め以上の気配りを他人に行う余裕がない私には、理屈は分かっても理解は難しい。


「セットリスト、どうするの? プロデューサー」

 凛さんが、いつになく不安そうな表情でアイツに問いかける。


 ソイツは、少し手を口元に当てて考え込み、タブレットを幾度か操作すると、私達に向き直った。

「セットリストは、このままで行きます」
69 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:30:19.49 ID:QXbKSZYO0
 メンバーが一斉にどよめく。

 お前、状況が分かっているのか?
 美波さんがこのような状況になっていて、ラブライカの曲をどうやり遂げようと言うのか。

「こちらに接近していた台風は、今では太平洋側に抜けて、天候も回復傾向に向かうようです。
 これからステージマネージャーらと協議し、開演を1時間ほど遅らせるように提案しようと思います。
 その間」

 ソイツは一度、言葉を切った。
 ほんの少しだけ、私の目を見た、気がした。

「新田さんの代わりにラブライカを……アナスタシアさんのパートナーを、どなたかに務めていただきたいのです。
 開演までの間、可能な限りラブライカの振付を習得していただきたいのですが、お願いできないでしょうか」
70 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:32:20.81 ID:QXbKSZYO0
 ――視線を感じる。
 言うまでもなく皆の、そして、誰よりもアーニャさんの視線を。

 確かに私は、アーニャさんと親しくさせていただいていた。
 というより、何故かアーニャさんが積極的に私との交流を図ってくれると言った方が正しい。
 それは、断る理由も無かったし、悪い気もしなかった。

 ラブライカでない時のアーニャさんが、いつも何となく私と一緒にいることを、美波さんを含め、メンバーの誰もが認識していた。
 彼女と呼吸を合わせる適役は一人しかいないと、皆はすっかり思い込んでいる。


「遠回しな言い方などせず、ハッキリと私に命じたらどうですか」

 結果が見えていながらそこにたどり着かない部屋の空気に業を煮やし、つい言葉に棘が出る。
 私は、ソイツに一歩踏み寄った。

「お前が一言言えば、それで済む話です」

 私の後ろで「ちょっと千夜チャン……」と零すみくさんの声が聞こえた。
 当のコイツは、困ったような顔をして首の後ろを掻いている。

 困らせるような事は言っていない。私は事実を言っている。
71 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:34:19.62 ID:QXbKSZYO0
「ニェット、チヨ」

 声が聞こえた方を振り向くと、いつも優しく微笑んでいるアーニャさんが、険しい顔をして私を見つめていた。

「プロデューサーもアーニャも、チヨに言ってほしいです。
 チヨは、アーニャと一緒のラブライカ、やりたくないですか?」


 ――アーニャさん、そういう言い方はズルいと思います。

「あっ! ちよちー、首の後ろを掻いた」
「プロデューサーとおんなじだね!」

「えっ?」

 ふと、自分の手を見つめた。
 私の手が、いつの間に首へ――?


「白雪さん」

 向き直ると、ソイツは、少し柔らかくなった部屋の空気に少しも表情を緩めることなく、私を見つめていた。

「あなたの抱く感情は、もっともです。
 無言の圧力で、あなたに押しつけるような形となり、大変申し訳なく思います。
 当然に、この責任はプロデューサーである私が取ります」
72 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:35:39.04 ID:QXbKSZYO0
 決して折れない定規を背中に刺したまま、ソイツはその姿勢そのままの真っ直ぐな目で私を見つめ続ける。

「ですが、私はあなたの主体性に期待したいと考えました。
 図々しいお願いであることは承知しておりますが、能動的な一歩を踏み出していただきたい。
 自分から投げ出すことで得られるものを、その目で見てほしいのです。
 アイドルとは、その連続です」



 ――まったく、コイツは勝手なことをばかり言う。

「お前はウソつきですね」
「えっ?」

 いや、ウソつきというなら私も同じか。
 対等と言いながら、私に命じろなどと――。

「あるいは、バカです……バーカ」


 聞こえよがしに盛大なため息を吐いて、私は顔を上げた。

「お前と私は対等の関係。
 そういう約束だったことを、私も忘れていました。
 故に、責任を持つべきはお前ではなく私。いちいちお前に指図されるまでもありません」
73 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:37:20.88 ID:QXbKSZYO0
「チヨ……!」

 随分と面倒なことになった。だが、四の五の言ってもいられない。
 幸いにして――と言うのが正しいかは分からないが――私はアーニャさんにせがまれ、『Memories』の振付を戯れで模倣したことはある。

 当初の開演時間まで、あと2時間弱――。

「伸ばせる時間は1時間と言いましたね。
 できれば、私達の出番は原案よりも後半に組んでください。
 少しでも長い練習時間を要求します」

 戯れ――そう。
 乗りかかった船の上で、黙って興じるだけのことだ。


 ありがとう、ありがとう――。
 ベッドの上から、美波さんの涙声が聞こえる。感謝されるいわれなど無い。
74 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:39:10.04 ID:QXbKSZYO0
 元々、私のソロ曲は用意されていなかった。
 お嬢様を差し置いて、一人で先を行くことを良しとしなかった私が、アイツにそう要求したためだ。

 故に、与えられる仕事は、ほとんどがグラビアと呼ばれるビジュアル重視の内容がほとんどだった。
 ステージに立ったことも何度かあったが、どれも他の誰かのバックダンサーとしてのもの。

 今日の出番も、最後にプロジェクトのメンバー全員で歌う『GOIN'!!!』しか予定されていなかった。
 つまり、余力という意味でも、私が最も代役として適任ということになる。
 さほど労することなく、『Memories』の振付はアーニャさんと通しで確認することができた。

 後は、歌詞を間違えずに歌いきるだけだが、これについては、演者向けに表示されるディスプレイがあるらしい。
 ステージにて、機材の動作確認をしていたスタッフが、両手で丸印を作った。
 先ほどまで大雨に降られていただけに故障が心配されたものの、どうやら問題は無いようだ。
75 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:41:48.58 ID:QXbKSZYO0
 開演を30分後に控え、スタッフ用の通用廊下に掲示されたセットリストをもう一度確認する。

 ●MC(前川みく・多田李衣菜)
  M17 「LEGNE -仇なす剣 光の旋律-」Rosenburg Engel(神崎蘭子)
  M18 「できたてEvo! Revo! Generation!」new generations(本田未央・島村卯月・渋谷凛)
  M19 「Happyx2 Days」CANDY ISLAND(双葉杏・三村かな子・緒方智絵里)
  M20 「LET'S GO HAPPY!!」凸レーション(城ヶ崎莉嘉・諸星きらり・赤城みりあ)
  M21 「OωOver!!」*(Asterisk)(前川みく・多田李衣菜)
  M22 「Memories」LOVE LAIKA(アナスタシア・新田美波)→白雪千夜
 ●MC(城ヶ崎美嘉)
  M23 「GOIN’!!!」CINDERELLA PROJECT


「緊張してきた? ちよちー」

 未央さんがひょこっと、横から私の顔を覗き込んできた。
 この人は、つくづく他人に対する心の壁というものが無いらしい。
 彼女の後ろには、凛さんと卯月さんもいる。

 私が出番の繰り下げを進言した時、これに応じて出番を入れ替えてくれたのが、未央さん率いるニュージェネレーションズだった。
 彼女は普段から、プロジェクトのメンバー内でも率先して協力的な姿勢を示し、ムードメーカー役を担うことが多い。
 美波さんを表のリーダーとするなら、未央さんは裏の、第二のリーダーとも言うべき人だろう。

「分かりませんが……緊張をする必要も筋合いも、無いと考えています」

 そう、元々私は無価値。
 まして代役で果たすべき役割に興じるだけのことに、手前勝手な緊張など――。
76 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:43:22.12 ID:QXbKSZYO0
「ヒツヨウもスジアイも、無いと考えていマス」


 私の言葉をオウム返しに、それも何故かしかめ面をしながら冗談めかして未央さんは言った。

「そんな事言ってぇ〜。知らないぞ〜、私もそうだったけど初ステージってすっごく緊張するんだから!」
「今からそんなプレッシャーかけてどうすんの、まったく……千夜、気にしないでいいからね」
「千夜ちゃん、人を! 人を手のひらに書いて飲み込むといいですよ!」


 三者三様でありながら、この人達に共通して言えることは善意だ。
 代役とはいえ、初の舞台に立つ私を気に掛けてくれている。

「ありがとうございます」

 素直な言葉が自分の口から出たことに、ふと驚いた。

 軽くあしらおうとして発したものではない。
 彼女達にどう受けとめられたかは分からないが、私にしては、確かな湿り気のある言葉だ。


 少し、心臓の鼓動が早くなっている。
 アーニャさんともう一度確認をしておきたくなり、私は三人に断りを入れて踵を返した。
77 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:45:23.81 ID:QXbKSZYO0
 ――――。


「あ、ありがとうございましたぁ!」
「たぶん電車混むから、今日は早めに帰った方が良いよ」
「あ、杏ちゃん、終わる前からそんなこと言わないで!
 あの、これから登場する子達も、いっぱい応援してください!」

 キャンディアイランドの三人がステージを降りる。
 私とアーニャさんの出番は、この後に登場する凸レーションの、次の次だ。

 舞台の袖から、こうして様子を見るのは初めてだ。
 それは当然のことだった。ライブイベントを直に見たことさえ無かったのだから。

 1時間の順延をした甲斐もあってか、雨は今では止み、会場は満員に近い観客達による真夏の熱気に満ちている。


 ――――。


「お前」
「はい」

「アーニャさんはどこにいる」
78 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:47:31.48 ID:QXbKSZYO0
 おそらく、美波さんの様子を見に行っているのだろうと推察された。
 私が懸念しているのは、美波さんの容態でもあり、彼女の本来のパートナーであるアーニャさんが、ステージに集中できないのではないかということだ。


 それだけだ――そ、それだけ――。

「アナスタシアさんは、直にこちらにお越しになるのではと思います」
「どこにいるのかと聞いているんです!」

 思わず上ずった見苦しい声に、スタッフの何人かがこちらを振り返ったのが見えた。

「あ、う……す、すみません、私は、ただ……」

「白雪さん」

 ソイツは、大きな膝を畳んで私の前に屈みこんだ。


「初舞台は、誰もが緊張します。あなただけではありません」



 咄嗟に何も言い返すことができないのが情けない。

 膝の震えが、止まらない――。


「私は……お、お嬢様が……」
79 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:49:13.21 ID:QXbKSZYO0
 そう、今日はお嬢様だけでなく、黒埼のおじさまがわざわざ会場へ来てくれることになっている。
 従者として、粗末なものは見せられない。

「黒埼家の、じゅ、従者として……私は、果たすべき……!」
「それよりも、白雪さん」

 急に両肩に手を置かれ、私の体が跳ねた。


「今のあなたは、シンデレラプロジェクトの力になりたいと願っているように、私には見えます」


 胸の奥が大きく響く。
 しかし、どういうわけか、目の前のコイツの瞳から、目をそらすことができない。


「今のあなたが感じていることは、メンバーの一員としての責任感と、皆さんとの思い出、絆。
 これを守りたいがための緊張だと、私は思います。
 あなたは、正常です。何も恥じることなどありません」


 ――知った風なことを、コイツは。

「どうか、自分を無価値などと、思わないでください。
 守りたいものができたあなたと、アナスタシアさんなら、何も心配はいりません」


 つくづく――私のことを、好き勝手に、知った風なことを――。
80 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:51:03.44 ID:QXbKSZYO0
「イェーイ、みんなーありがとーー!!」
「この後もぉ、すーっごく可愛ぃ子たちがたくさん登場するから、楽しんでってにぃ☆」
「みりあ達もまたあとで出てくるからねー!」

 いつの間にか、凸レーションの出番が終わったらしい。
 次の、みくさん達の出番が終わったら、私が――。

「チヨ」


 振り返ると、ステージ衣装に着替えたアーニャさんが、私の後ろで真っ直ぐに立っていた。

「アーニャさん……」

「チヨ、手を」

 彼女の指が私の手に絡み、ギュッと握りしめられる。
 細いのに温かい、とても不思議な、彼女の手。

 鼓動が、ゆっくりと小さくなっていく――。


「アズマシィ、ですね?」


「……そうですね」
 私はかぶりを振ったが、アーニャさんにつられ、つい小さく笑った。

「あずましいです」
81 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:53:14.52 ID:QXbKSZYO0
 出番が訪れ、意を決してアーニャさんと二人、ステージに立つ。

 美波さんが急遽リタイヤしてしまった旨は、既に冒頭でアナウンスされている。
 彼女の出番を期待してきた観客は、代わりにやってきた私を見てさぞガッカリすることだろう。

 そう思っていた。


「――――ッ!?」

 観客の熱気と、歓声の圧に押され、思わず身じろぎをした。

 これは皆、ラブライカのファンによる声援のはず――そうではなかったのか?
82 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:55:48.09 ID:QXbKSZYO0
 後になって知ることだが、あの場には私の出番に期待して来たという観客も一定数いたらしい。
 元々、ステージパフォーマンスの仕事が多くなかっただけで、思い返せば、他の仕事での露出は少なくなかった。

 アイツの宣伝戦略、と認めるのは些か釈然としないが――。

 差し詰め、シンデレラプロジェクトの隠し球――アイツは、私をそう位置づけたのか。
 それで観客の期待感を煽り、今日のこの場で起爆するよう周到に仕込んでいた。

 だから、私の名前がプリントされた団扇を振る人もいた。
 なんと物好きな――。

「せぇーの、千夜ちゃあぁーーーーん!!!」


 一際大きな歓声が上がった一角に目を凝らす。
 あれは――。

「お……お嬢様っ!?」

 いや、お嬢様だけではない。
 一切伝えていなかったはずなのに、お嬢様や私が通う学校の同級生まで来ている。
 なんと、あんな品の無いペンライトを、黒埼のおじさまが振るうなんて――!

 動揺するなという方が無理な話だった。

 再び心臓の鼓動が早くなる私の手を、アーニャさんが握った。


「ダヴァーイ、チヨ♪ 一緒に、楽しみましょう♪」
83 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 23:59:05.55 ID:QXbKSZYO0
 ――――。

 一言で言えば、上出来だったのだろう。


 歌い終わり、二人で観客席に向かって頭を下げると、割れんばかりの歓声が上がった。
 アーニャさんが微笑みながら、彼らに手を振っている。

「チヨも。皆、喜んでくれますね?」

 促されるまま、胸の前で小さく手を振ってみる。

 ――た、ただ手を振っただけなのに、何の冗談かと思うほどの反応だ。

「アーニャさん、も、もう良いです行きましょう」

 これ以上はなんだか、現実の出来事として受け止めきれない。
 頭がおかしくなりそうだ。
 踵を返し、大股で歩いて舞台袖へ捌ける。


 降りた先では、メンバーの皆が手厚く出迎えてくれた。
 無我夢中でしかなかった私のパフォーマンスを褒めてくれているようだった。

「すごかったわ、千夜ちゃん! 私の立場がなくなっちゃいそう」
84 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 00:01:25.83 ID:1/ZkFkMM0
「……美波さん!?」

 なんと、メンバーの中には、先ほどまで医務室で寝ていたはずの美波さんまでいた。
 いつの間にかステージ衣装に着替え、ピンシャンとしている。顔色も良い。

 初舞台を終えたばかりで冷静な思考ができない身に追い打ちをかけられ、すっかり頭が混乱している。
 一体、どういう事なのか?

「ごめんね、千夜ちゃん。
 実は、予め皆で話し合っていたことなの。プロデューサーさんや、ちとせちゃんとも、ね」


 話を聞くと、どうやらお嬢様の差し金だったらしい。

 シンデレラプロジェクト内で、唯一自分の持ち歌が無い私に、お嬢様は疑問を抱いた。
 そして、アイツに問い質して事情を把握し、私を表舞台に引きずり出そうと画策したのだ。
 それは、私を起爆する機会を覗っていたアイツにとっても利害の一致があったのだろう。

 リーダーである美波さんにその意志が伝えられると、彼女の方から今回の“作戦”が提案された。
 つまり、アーニャさんのパートナーとして登場する方が、私にとっても良いだろうという、彼女の配慮だったのだ。
 他のメンバーも、皆一様にこれに賛同したという。


 納得した。どうりで無言の圧力があったわけだ。
 アーニャさんが私に、戯れに振付の模倣をせがんでいたのも頷ける。
 不自然なほど統制が取れていた学校の同級生の一団があったのも、当然にお嬢様の音頭によるものだろう。
85 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 00:08:13.47 ID:1/ZkFkMM0
「でもさ、ちよちー。楽しかったでしょ?」

 後ろから肩をポンッと叩かれ、未央さんがニカッと歯を見せて笑う。

「これからもぉーっと楽しいことが待ってるにぃ☆」
「そうだよ、皆での全体曲があるもの!」

 そうだった。
 まだ、私の――私達の出番があったのだな。


「それでは、新田さん。後はよろしくお願いします」
「はいっ」

 アイツが舞台の上へ手を向ける。
 目の錯覚かと思った。アイツが、ニコリと笑っているなど――。

「それじゃあ、皆。
 私達の今日最後の締めくくり、私達の最高を、最高のお客さん達に精一杯届けましょう!」

 アーニャさんが、そっと私に寄り添った。
 足を指差し、小声で何かを伝えようとしている。

 足を――?
「足を、鳴らします。一緒に、ですね?」


「シンデレラプロジェクトっ!!」

 ダンッ!
 という、一斉に踏み鳴らした足の群れに、私も加わった。

「ファイトーー!! おぉーーー!!!」
86 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 00:21:00.83 ID:1/ZkFkMM0
 曲が始まると、その場の空気の隅々が一斉に熱を帯び、私達と共に音と光が縦横無尽に弾け飛ぶ。
 お嬢様もそこにいるであろう観客席は、もはや言うまでもないほどの盛り上がりようだ。

 ラブライカの『Memories』とは違い、『GOIN’!!!』は前々からしっかり練習を積んでいた曲だ。
 それに、今のこのステージ上には、馴染みのある15人のシンデレラプロジェクトのメンバーが勢揃いしている。


 ずっと不思議だったことがある。
 観客が行う、いわゆるコールと呼ばれるものだ。
 今日初めて披露される新曲でも、こうして観客がピッタリ息を揃えて声を出し、ペンライトを振るうことができるのはなぜだろう。

 皆に聞いてみたところ、どうやら入場した際に予めパンフレットと一緒にコールを示したものが配られるらしい。
 それは、観客にもステージ上のアイドル達と一体となって楽しんでもらうための配慮なのだろう。

 事実、まるで観客達と会話をしているかのように、私達の歌にペンライトの群れが呼応する。
 然るべきタイミングで与えられるコールが私達の気力を引き上げ、同時に観客のボルテージも上がっていく。


 先ほどよりも、ずっと落ち着いていることに気づいた。
 こうしてステージを見渡し、観客の反応を楽しむ余裕さえある。


 ――楽しい?
87 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 00:22:08.62 ID:1/ZkFkMM0
 アーニャさんとの天体観測の時といい、最近の私はどうかしている。

 これは、あの日お嬢様と一緒に見たライブの映像と、よく似ている。
 私がいるべき世界とは、まるで遠いものだったはずの――。

 それが、どうして楽しいなどと――。

「――ッ!? あっ…!」


 突如、私の上体がグラリと揺れた。
 ステップを踏み外し、足があるべき所に着地しなかったのだ。

 私の体は、そのまま無様にもんどり打って倒れ――。



 るはずだった。

 すんでの所で私の手を引いたのは、凛さんだった。


「り……ッ!?」

 そのまま彼女は何食わぬ顔で――私も、彼女に倣ってステージを続けた。
 時間にしてみれば、コンマ数秒のことだっただろう。

 最後の曲も、そうして無事に、終わった――。
88 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 00:23:57.31 ID:1/ZkFkMM0
「はぁ……はぁ……!」

 あのまま倒れていたらと思うと、ゾッとする。
 皆とのステージを台無しにするところだった。


 ――皆との?

 お嬢様にお見せするステージが、ではなく?


 最初に脳裏をよぎった言葉の妥当性を自問する。
 私は、アイドルである以前に、黒埼家の従者であるはずだ。
 第一に考えるべきはお嬢様――。


「……え?」


 ともすれば地響きさえも起こしている観客席から、ふと毛色が異なる高音域の歓声が上がった。

 見上げると、ステージの上をキラキラと、白い何かが舞っている。



 これは――雪?
89 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 00:28:05.28 ID:1/ZkFkMM0
 近く、世界的なスポーツの祭典が東京で行われるに辺り、その暑さ対策が様々に検討されていた。
 この日に舞い降りた雪も、その一環だったという。
 つまり、人工雪による冷却効果の実証実験を行う場として、346プロがその事務局側の公募に応じたのだ。

 真夏とはいえ夜間の、しかもアイドルのライブという、様相も条件も異なるものにも採用された辺り、まるで節操が無い。
 だが、346プロはこれを効果的なステージ演出として利用できると考え、実際その目論見は奏功したと言えるだろう。


 ちらちらと降る雪を、諸手を挙げて拾い上げようとしながらはしゃぐ観客達。
 ステージ上のアイドル達も、思った以上に綺麗に煌めくそれに、誰もが弾けるような笑顔を浮かべている。

 雪、か――。
 ルーマニアでは、一度お嬢様と雪合戦を――。

「white snow……」


 大歓声のステージ上で、流暢な英語が唐突に、それも――。

 とても小さな声だったのに、なぜか私の耳に強く響いた。


 案の定、というべきか、それはアーニャさんの声だとすぐに分かった。
 彼女の方に顔を向けると、しっかりと視線が合ったからだ。


「チヨの名字……ですね?」
90 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 00:28:43.17 ID:1/ZkFkMM0
「……アーニャさん?」



 後になって知ったが、人工雪による演出は、アーニャさんの強い希望があったのだという。

 その時の彼女も、いつか見た時と同じ――まるで、泣き出したいのを必死で誤魔化すような――。


 何かを言いたいのを堪えるような、寂しい笑顔だった。
91 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 00:30:45.13 ID:1/ZkFkMM0
   * * *

 ――――


 無理にとは言わないが――養子になる気はないのかい?


 もちろん、君のお父さんもお母さんも、たった一人しかいない。

 私に代わりが務まるなどという、思い上がったことを言うつもりなんて無い。


 だが――君さえ良ければ、私達を本当の家族だと思って、接してくれていいんだよ。

 ちとせもあの体だし、私の仕事の都合もあって、同世代の友人があまりいなくてね。

 歳の近い妹のような子がいた方が、あの子も喜ぶだろう。



 どうかな――?


 ――――
92 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 00:32:26.87 ID:1/ZkFkMM0
   * * *

「はぁぁ……ハラショー……」

 上野にある美術館。
 その大広間に飾られた絵画の一つを見て、アーニャさんが感嘆の声を漏らした。
 やはり大作というのは、人の心に残るだけの力がある。

「クロード・モネの『睡蓮』ですね。
 1900年代初頭ですから、彼の晩年におけるシリーズのうち、比較的早期に制作されたもののようです。
 柔らかで温かみのある色使いと光の表現は、モネならではかと」
「はあぁぁぁ……」


「すっかりツアーコンダクターだね、千夜」

 私とアーニャさんの後ろから、凛さんがからかい混じりに感心した様子で声を掛ける。

「これくらいのことは、何でもありません」
93 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 00:34:08.12 ID:1/ZkFkMM0
 あのフェス以降、私達の仕事は劇的に増えた。
 私でさえ、それまではグラビアだけだったものが、最近は歌う仕事の方が多くなっている。
 346プロの他のアイドルがパーソナリティを務めるラジオ番組のゲストに呼ばれたり、あろうことかテレビに出たこともあった。
 それをこなすためのレッスンも比例して増えたため、ますますお嬢様のために費やす時間が無くなっていく。

 本来、あまり望ましいことではないのだが――。
 そのような生活の中で得た貴重なオフを、お嬢様のためではなく、こうして他の人達と過ごすという選択をしている辺り、いよいよ私はおかしくなってきている。

「チヨ、これは何ですか?」

 余計な思考に耽るのをまるで茶化すように、アーニャさんはもう次の作品の前にいる。
 楽しそうだ。凛さんも、悪い気はしていないように見える。
 誘って良かったと思う。

 ただ――。


「セザンヌのようですね」

 後ろから、黒くて大きい定規が私のそばを通り過ぎた。
 アイツの位置から、おそらく作品の名前までは判読できていないはずだ。

「オォ〜〜。プロデューサー、すごいです。知っているんですか?」
「過去に、見覚えがあった気がしたもので」
94 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 00:35:46.87 ID:1/ZkFkMM0
 私は呼んだ覚えはない。なぜか、アーニャさんと凛さんが誘ったのだ。

 しかし、なかなかどうしてコイツも、絵画に対する造詣が深いように見える。
 畑は違うとはいえ、アイドルという芸術を作り上げるものとして、一定の教養は持ち合わせている――ということか?

「プロデューサー、あそこにも似たようなもの、あります。
 一緒に、行きましょう。ダヴァーイ♪」
「あ、アナスタシアさん。あの、腕を……」


 ――――。

 ああいう過度なスキンシップは、プロデューサーとして節度を持って断るべきではないのか。

「千夜、千夜ちょっと、怖い顔してる」
「何か」

 私が仏頂面であると言いたいのならいつもの事だ。
 今さら凛さんが注意すべきものでもないだろう。
95 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 00:36:58.95 ID:1/ZkFkMM0
「今日は、ありがとう千夜。
 アーニャだけじゃなくて、私まで誘ってくれて」

 アイツとアーニャさんが私達を置いて先に行ってしまったのを見計らい、凛さんが改めて私に声を掛けた。

 確かに、日頃からお世話になっているアーニャさんとは、一緒に美術館に行きたいとはずっと思っていた。
 ただ――。

「凛さんにも、お世話になっていますから……ですが、お誘いしたのには、理由があります」
「えっ?」

 そう、凛さんにはお世話になった。
 彼女がいなければ、あのフェスはどうなっていたことか知れない。

 だからこそ呼んだのだが、それは単純な感謝の気持ちだけによるものではない。

 そう、今は二人だけ。タイミング的にもちょうどいい。


「なぜ、凛さんはあの時、私の手を引くことができたのか。
 それをお聞きしたかったのです」
96 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 00:39:39.44 ID:1/ZkFkMM0
 どうしても分からなかった。

 あの『GOIN’!!!』で、私と凛さんのポジションは、確かに隣同士ではあった。
 それに、一緒にレッスンを重ねてきていたし、複雑なライン移動もピッタリ呼吸を合わせてこなせるまでになっていた。

 だが、基本的には個の集合体であるはずのものだ。
 移動で導線が交わる以外は、私と凛さんは当然に各々別の場所で歌い踊っているにすぎない。

 いくら隣同士とはいえ、私が倒れようとした瞬間に手を伸ばして助けることなど、人間の反射神経ではまず不可能だ。
 それとも、私があそこで転ぶことを予め予測していたとでもいうのだろうか?


「あぁ……あれは」

 凛さんは、平静を装っているものの、気恥ずかしそうに頬を掻いた。
 そうして、「うーん……」と言葉を選びながら、悩ましげに俯いている。


「千夜は、納得しないかも知れないけど……そういうものなんだよ、きっと」
97 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 00:40:53.93 ID:1/ZkFkMM0
 ――?
 理由になっていない。凛さんともあろう人が、随分と具体性に欠く、ナンセンスな回答だ。

「そういうものとは?」
「だからさ……」

 頭を少しクシャクシャと掻いて、開き直るように鼻で一つ息をついた。

「上手く言えないし、合理的な理由なんて無い。
 あの時は、たまたま私がそういうのを発揮して、気づいて、そうしたってだけ」

「……たまたま、ですか」


「千夜はきっと、信じられないって言うと思うし、私にもまだ信じられないけど……
 ライブってたまに、そうなんだよ」

 凛さんがある作品の前で足を止めた。
98 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 00:42:41.94 ID:1/ZkFkMM0
 彼女に倣い、私もそのバレエダンサーが描かれた絵画を見上げる。
 ドガだろうかと当たりをつけてみると、案の定そうだった。
 たぶん、思考の置き場に困った彼女が、適当な対象としてこれに視線を預けているに過ぎないと思った。


「自分でも信じられないような力が、急に働くんだ。
 それはたぶん、このステージを成功させたい、絶対失敗なんてさせたくないっていう、潜在的な強い気持ち……。
 あるいは、お客さんからもらえる力もあるのかも知れない。
 美嘉も言ってたけど、ステージって、私達アイドルだけじゃなくて、お客さん達と一体で作るものらしいから」

 かぶりを振って、顔を上げる。
 その真っ直ぐな横顔は、適当な言い草で私の質問をやり過ごそうとしているのではない、彼女の真摯な想いが感じられるものだった。


「強いて理由があるんだとしたら、そんなところかな」
99 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 00:44:03.05 ID:1/ZkFkMM0
「分かりました」

「ほんとに分かってる?」
「いえ、分かっていません」

「だと思った」
 フフッ、と年相応に吹き出す彼女の笑顔に、私もつい頬が緩む。

 理解のできないことに、いちいち心を惑わされるのは合理的ではない。
 そういう私のスタンスを、今ではアーニャさんだけでなく、プロジェクトの皆が認識していた。

 分からないことは無視、だけど――。
 凛さんの口から、そういう抽象的な話が出てきたことは、ちょっと興味深い、かな。

「ところでさ、千夜」
「何でしょう」


「ちとせは、今日呼ばなくて良かったの?」


「……もちろん、お誘いしたかったのですが、ご都合がつきませんでした」
「そうなんだ……忙しいのかな」

 少し落胆しながら、凛さんは顎に手を添えて何か思案している。
100 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 00:45:07.66 ID:1/ZkFkMM0
 そう――付き添える時間を割かれているのは、私の方だけではない。

 最近では、お嬢様の方も、ご不在の時が多くなっている。
 長らく候補生の身に甘んじていたが、アイドルとしていよいよ始動し始めたということだろうか。

 そうであるならば、早く見てみたいという気持ちは純粋に強い。
 私に対してさえ、一定の物好きが集まる業界だ。
 お嬢様の美貌であれば、ファンの獲得などずっと容易いに違いない。


 ただ、気になることがある。
 お嬢様は私と同様、シンデレラプロジェクトのプロデューサーたるアイツにスカウトされ、この事務所に来た。
 一方で、アイツの口から、お嬢様を担当することになった旨の話は聞いていない。

 アイドルの活動を始めたのだとしたら、お嬢様は一体、誰が担当しているのだろう?


「あっ」

 凛さんが、ふと何かを見つけて足を止めた。

「どうかされましたか?」
「ほら、あそこ」
101 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 00:47:48.78 ID:1/ZkFkMM0
 彼女が顎で指した方を見ると、アイツとアーニャさんだ。
 通路の脇に退いて、電話で何やら話しているアイツを、アーニャさんが不思議そうに見つめている。

 ほどなく電話が終わり、その場に合流した私達の下へ、アイツが戻ってきた。

「申し訳ございません。
 急遽、事務所に戻る用が出来てしまったため、私はここで失礼させていただきたいと思います」

 熊の様な巨躯で、丁寧に腰を折る。
 何度も見てきた姿ではあるが、コイツのアイドルに対する慇懃さは、少し過剰なのではないかと度々思う。

「白雪さんも、お誘いいただいておきながら、誠に恐縮です」
「お前は元々誘ってなどいません。どうぞお構いなく」
「はい」

 では、と再び小さく頭を下げ、アイツは大きな脚を大股に歩き、足早に私達のもとを去って行った。


「一体、何があったのでしょう」
「ふふっ……それより、千夜」
「何ですか?」
102 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 00:49:21.31 ID:1/ZkFkMM0
「何か、千夜とプロデューサーのやり取りってさ……ヘンだよね」
「ヘン?」

 首を傾げる私に、凛さんは苦笑しながら手を振るう。

「だってさ。お前呼ばわりもそうだけど、結構キツい言い方に聞こえるのに、プロデューサーも普通に返してるし」
「ダー。リンも、そう思っていましたか。
 チヨとプロデューサー、何だか、信頼感があって、楽しそうです」

「いや、信頼というものでは……」

 一体何を言っているんだろう、この人達は――。

「あ、ほら。首を掻いた」

 ――凛さんに指摘され、無意識で首の後ろに回していた手を引っ込める。
「プロデューサーと一緒、ですね?」


「……次に進みましょう」

 せっかく美しいものを観賞しに来ているのだ。
 くだらない話に付き合うより、これを楽しむ方に時間を費やす方がはるかに有意義である。

 後ろの二人が、小さく笑い合っているのが聞こえる。
 不可解だな。実に、不可解極まりない。
103 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 00:50:53.30 ID:1/ZkFkMM0
 観賞が終わり、三人で事務所に立ち寄った。
 特に用は無かったのだが、アイツのことが気になると二人が言い出したため、様子を見に行くことになったのだ。

 だが、シンデレラプロジェクトの事務室に行くと、そこにアイツはいなかった。
 それどころか――。

「ちょ、ちょっと! 何をするんですか!?」

 みくさんの、少しヒステリックな声がこだました。
 普段もそれなりに騒がしい人ではあるが、李衣菜さんに怒る時のような賑やかな調子は、微塵も感じられない。

 引っ越し業者らしき真っ青な作業着に身を包んだ男の人達は、困ったように頭を掻いている。

「何と言われましても、ここを片付けろという依頼があったもので……」

 そう説明する間も、何人もの作業員達が事務室に出入りし、中にあったものを次々に運び出していく。
104 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 00:55:17.77 ID:1/ZkFkMM0
 プロジェクト解体の危機にある、とアイツから聞かされたのは、その日の夕方だった。

 346プロの事務所棟の地下。
 物置として放置されていた、埃まみれの部屋にメンバーの皆が集められた。

 ひどく無念そうに頭を下げ、険しい顔をしながら、アイツは口を開いた。

「先日、我がプロダクションのアイドル事業部に、新しい常務が着任しました」


 ソイツの話によるところでは、こういう事らしい。

 アイドル事業部の新たな統括重役として就任した美城常務というのは、会長の娘であること。
 親のコネや欲目によるものではなく、海外のグループ会社を立て直した辣腕ぶりを買われ、就任したらしいこと。

 業績が伸び悩む346プロの経営状況を一目した美城常務から、全てのプロジェクトを解体し、白紙に戻すとの宣言があったこと。


「ちょ……ちょっと待ってよプロデューサー!
 私達、最近すっごく調子良かったじゃん! まるで失敗してるみたいな言い方はヒドくない!?」

 未央さんの言い分は、もっともだと思った。
 いくら会社の代表に近い立場とはいえ、昨日今日来たばかりの人に、知った風な口を聞かれる筋合いは無い。

「もちろん、私も反論をしました。ですが……」

 曰く、これまでのプロデュース方法では、効率が悪いということらしい。
 会社の財政的な面だけでなく、この業務を司るスタッフ――すなわち、プロデューサーや事務員達にとっても。
105 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 01:01:11.62 ID:1/ZkFkMM0
 政府によって働き方改革なるものが提示され、昨今では某広告会社の社員の過労死がニュースでも取り沙汰された。
 労働者の待遇改善と心身のケアは、経営者側にとって喫緊の課題であるという。

 特に、業界でも大手の346プロは、その性質上マスメディアに対する露出も多く、揚げ足取りに近いスキャンダラスな追求がいつあってもおかしくはない。
 クリーンなイメージを保つためには、ホワイトを演出する必要がある、ということのようだ。

「つまり、プロデューサーさんのやり方を、常務は否定したんですか?
 私達に親身に尽くしてくれた、プロデューサーさんを……」

 美波さんの呆然とした、消え入るような言葉が、ひんやりとした物置部屋にひっそりと霧散する。


 私のプロデューサーは、コイツだけだ。
 だから、一般的なプロデューサーがどういう性質のものかを私は知らない。

 しかし、正すべき点が全く無いとは言いがたいが、コイツは常に私達のことを考え、私達のためになることの最適解を常に講じてきたことは、私にも分かる。

 劣悪な労働環境があったとするならば、確かにそれは礼賛されるべきものではないだろう。
 だが、コイツの心意気までをも否定することはいかがなものか。


「別にいいんじゃない、どっちでも」
106 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 01:02:52.20 ID:1/ZkFkMM0
 気の抜けた、しかし思いも寄らない意見が飛び出した方へ目を向けると、杏さんだった。

「え、あ……杏ちゃん、何言ってるのぉ?」
「要するにその常務って人は、杏達の活動の仕方に文句を言ってるだけで、アイドルとしての活動そのものを止めろって言ってるんじゃないんでしょ?」

 部屋にいる全員の、ともすれば非難にも似た視線を一身に受けながら、泰然としたものだ。
 愛用のぬいぐるみに埃がつかないよう、両手でそれを抱え、しかし怠そうに欠伸をかいている。

「働き方改革大歓迎。労働の効率化は良いことだよ。
 効率的ってのがローコスト・ハイリターンを意味するんだとしたら、346プロは即戦力を求めている。
 だから、一応の実力を獲得した杏達を簡単に手放すことはしないでしょ。杏は別に手放してくれていいんだけど」

「で、でも!
 シンデレラプロジェクト、一緒にやれなくなっちゃってもいいの!?」
「一生会えなくなるわけじゃないんだし、同じ仕事してればどうせまたいつか一緒になる時もあるんじゃない?
 そこまで悲観するような話じゃないと思うけど」
107 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 01:05:08.36 ID:1/ZkFkMM0
 ――杏さんの言い分は、理にかなっている。
 というより、反論する必要が無いもののように思われた。

 少なくとも、私の当初の目的は、お嬢様に言われたとおり、アイドルをこなすこと。
 たまたま配属された先が、このシンデレラプロジェクトであっただけで、これにこだわる理由は無い。

「千夜は、その辺どう思う?」

 不意に杏さんが私に話を振った。

 いや、不意に、ではない――。
 最近分かったことだが、彼女は無能な怠け者を装っているように見えて、その実非常に聡明で狡猾だ。
 自ら省エネ運転を公言するくらいである。決して無意味で無駄な行動はしない。

 私に話を振ったのは、何事にも合理性を求める私の考え方を熟知しているからだ。
 自分のスタンスを、私なら否定することはないだろうと、杏さんは考えている。


「私は」

 皆が私の言動を、固唾を呑んで見守っている。
 ふと、隣に立っているアーニャさんにチラッと視線を向けると、非常に心配そうな表情をしているのが見えた。
108 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 01:08:23.29 ID:1/ZkFkMM0
「……まだ解体されるべきものではないと考えます」

 一斉に、皆が安堵のため息を漏らす。
 へぇ、という杏さんの値踏みをするような声も、その中に混じって聞こえた。

 私は、アイツに向き直った。視線が絡む。

「お前は、私やお嬢様と約束しましたね?
 私、いえ……私達がトップアイドルとなれるよう、善処をすると」
「はい」

「つまり、私達はまだ道半ばです。
 望まれた成果が達成されないのであれば、私はお前や346プロに対し、契約不履行の事実を訴えることになる。
 その常務に従い私を相手取るか、私との約束を守って常務に刃向かうか……。
 お前にも、どちらかを選ぶ自由は許されましょう。どうぞ好きに」


 コイツは、首の後ろを掻いた。
 だが、どういうことだろう。

 苦笑している。珍しいパターンだ。

「どちらかと言えば、白雪さんを相手にする方が、恐ろしいですね」

 その言葉を聞いた美波さんの表情が、見る間に明るくなる。
「プロデューサーさん……それじゃあ!」


「シンデレラプロジェクトの活動計画をベースとした新規の企画案を作成し、常務に提出致します。
 常務のプランと対立する形となりますが、より良い改善策は歓迎すると常務も仰っていたので、勝算はあるかと」
109 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 01:10:19.71 ID:1/ZkFkMM0
「やったぁーー!!」

 物置部屋が歓声に包まれる。
 まだプロジェクト存続が決まったわけでもないので、ぬか喜びになり得る可能性は否定できない。

 だが、気づくと私は、アーニャさんと手を取り合っていた。

「チヨ、ありがとうございます」
「感謝をされる筋合いなどありませんよ」
「ニェット。チヨがプロデューサーを、脅かしたから、ですね?」

 微笑みかけるアーニャさんに、私はかぶりを振り、鼻で小さく笑った。

「そのような事を言われるのは、心外です」
「フフッ♪」


「杏ちゃんも、プロジェクトを抜けたかったら抜けてもいいんだよ〜?」

 意地悪く杏さんを肘で小突くのは、未央さんだった。
 ニヤニヤしている辺り、本心でないのは自明だ。

「だから杏はどっちでもいいんだってば。千夜の反応は予想外だったけどね」

「私は客観的な事実を言ったに過ぎません」
「まぁ、そういう事にしておくよ」
110 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 01:12:37.76 ID:1/ZkFkMM0
 当面の活動拠点として、この物置部屋を使っていくことになった。
 プロジェクト存続に向けて動き出した私達の最初の仕事は、部屋の掃除だ。

「千夜ちゃん、普段やってくれてばかりだから、今回は休んでくれてもいいわよ」
「ありがとうございます。掃除は、少々苦手なもので」
「えっ、千夜ちゃん、お掃除苦手なんですか?」

 卯月さんが驚いた様子で私を見る。

「黒埼に仕えている間は、それが仕事でしたので、四の五の言っていられなかっただけのことです」

 掃除というのは、やればやるほど新たな汚れが見つかり、キリが無くなっていく。
 どこまでやれば良いという終焉が見えないものは、私にとって付き合い辛い対象だ。

 機械に任せようと、黒埼の屋敷でルンバを一度操作した時のことを思い出す。
 あれは、どうしようもない代物だったな。痒いところに全く手が届かない。
 お嬢様の気まぐれで買われたは良いものの――。



 ――――。

 突然、背筋が凍る感覚が我が身を襲った。


「……ねぇ、プロデューサー」

 皆と掃除をする手を止め、凛さんが後ろを振り返る。
 アイツは、部屋の一角でノートパソコンを広げていたが、その作業の手を止めた。


「常務って人のプランと対立する、って言ってたけどさ……
 それ、どういうことなの? その常務のプロジェクトと、私達が戦うってこと?」
111 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 01:15:00.14 ID:1/ZkFkMM0
 アイツは、急に苦しそうな表情で押し黙った。
 先ほどまで明るくなってきていた部屋の空気までもが、急激に陰鬱になっていく。

 しばらくして、アイツは自分のバッグから書類を一枚取り出し、凛さんに手渡した。

「まだ、明確に争うと決まったわけではありませんが……」



「……プロジェクトクローネ?」

 なるほど、一方的に全てのプロジェクトを白紙にするだけではなく、常務には新規プロジェクトの案があったらしい。

 コンセプトは、
 「かつてのアイドル全盛期を彷彿とさせるスター性、別世界のような物語性の確立」
 「お城のような煌びやかさ」
 とある。

 その下には、プロジェクトのメンバーが列記されているようだ。


 ――――。
112 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 01:16:23.61 ID:1/ZkFkMM0
  ・速水奏
  ・塩見周子
  ・宮本フレデリカ
  ・一ノ瀬志希
  ・城ヶ崎美嘉
  ・鷺沢文香
  ・橘ありす
  ・アナスタシア
  ・渋谷凜


「え、ちょ、ちょっと待って!? 何でアーニャとしぶりんが……!」

 もちろん、動揺しているのは未央さんだけではない。
 なぜ、既にシンデレラプロジェクトに所属している者までもがメンバーに選ばれているのか。

 しかし、私をさらに動揺させたのは、そこに記された最後のメンバーだった。



  ・神谷奈緒
  ・北条加蓮
  ・大槻唯
  ・黒埼ちとせ
113 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 01:17:25.52 ID:1/ZkFkMM0
「…………お嬢様?」



  ・黒埼ちとせ



「ち、チヨ……」


 私は目を疑った。何度も何度も見直した。

 だが、当たり前のことだが、書いてあるその名は、いくら読み返しても一向に変わることは無かった。
114 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 01:19:41.22 ID:1/ZkFkMM0
今日はここまで。
続きは明日の昼過ぎ頃に投下したいと思います。
残りは大体6割ほどになります。
115 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/11/23(土) 02:02:15.04 ID:Ciyf02Q+o
久しぶりだなこういう本格的なifストーリー
白も黒も乗務好みではありそうだが、黒の方がお好みか
116 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/11/23(土) 02:08:14.99 ID:j4LoI85co
>>115
まあ見た目で言えばフレちゃん同様華はあるからな>ちとせ
117 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/11/23(土) 02:29:51.26 ID:wcPio3dq0
スレタイを見て足りないものの作者かなと少し思った
118 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/11/23(土) 07:07:50.34 ID:84v7ORkt0
乙!
続き期待
119 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/11/23(土) 11:27:51.81 ID:6WH6qbJhO
【決講】可奈「飛べ飛べ神鳥〜♪る〜ぐ〜ちゃん〜♪」
https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1574466531/
120 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 13:56:23.88 ID:1/ZkFkMM0
   * * *

 こんにちは。

 また、私と一緒に遊んでくれるの?

 あそこの丘、もう紅葉は終わったけれど、落ち葉がフカフカだから、きっと楽しいよ。


 え、違う?

 従者――そうなんだ。

 もう。パパの言うことも、当てにならないんだから。


 何でも言うことを聞いてくれるの?

 うーん、それじゃあねぇ――あなたの命を、私にくれる?


 あはは、そんな困らないで。

 今のは私がイジワルしたかっただけ。ごめんね?


 でも、軽々しく「何でも」なんて言葉、使わない方がいいよ?

 何にでも限界というものが、どうにもできないものがあるんだから。

 私の身体が、そうであるように――。


 ――――
121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 14:04:12.83 ID:1/ZkFkMM0
   * * *

 アーニャさんと凛さんの『プロジェクトクローネ』への配属は、シンデレラプロジェクトからの脱退を前提とするものでは無かった。
 当人の意向を個別に聞き、希望があれば兼任という形で所属することも可能らしい。

 しかし、いくら強制でないとはいえ、常務が提唱するプロジェクトへの配属を断るという選択は、実質的に不可能であろうというのが、アイツの見解だった。

 それについては、私も否定はしない。
 元々、そういうしがらみを避けたくて、契約時はアイツに雇用形態を確認したものだった。
 今となっては、結果的に隷属する形になってきているが、そんな事はどうでもいい。


 私が問題とすべきは、当然に別の所にあった。


「あ、千夜ちゃん!」


 レッスン室を飛び出し、医務室への廊下をひた走る。

 また、お嬢様が倒れたらしい。
 頻度で言えば、この程度はよくある事――。

 だが、これは決して看過できる事ではない。


 息が整うのも待たず、ほとんど衝突せんとする勢いそのままに、私はそのドアを開けた。

「お嬢様!」
122 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 14:08:45.35 ID:1/ZkFkMM0
「にゃはははー♪ ちとせちゃん、騙されたと思ってあーんして、あーん」
「えぇー? それ、ヘンなの入ってるでしょう」


 お嬢様が横たわるベッドに、数人が群がっている。
 あの人達もアイドル。それも――。

 一ノ瀬志希さんと、宮本フレデリカさん――。

「やだなー、眠らなくても疲れなくなる魔法のオクスリだよ?」
「志希ちゃん、言い方!」
「チトセちゃーん☆ チトセちゃん、こっちのフレちゃんのお水ならどう?
 おフランスから遠く離れた、東京の由緒ある地で作られた魔法の聖水、源泉掛け流しだよー♪」
「いやそれモロに普通の清涼飲料水やん」

 城ヶ崎美嘉さん、塩見周子さん――。

「うーん、志希ちゃんのヘンなお薬よりかは、フレデリカちゃんのがいいかなー」
「ワァオ☆ じゃあこのコップに入れるねー、あ、でも宮本的にはもう一つアクセントがほしいかもー。シキちゃんお薬ちょうだい?」
「はーい♪」
「いや入れるなっ!!」


「あら」

 くだらないやり取りを傍からボーッと眺めていると、横から声を掛けられた。
123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 14:10:50.82 ID:1/ZkFkMM0
「あなたは確か……白雪千夜、だったかしら」


「速水奏さん、ですか」
「シンデレラプロジェクトの人に名前を覚えてもらえているなんて、光栄ね」

 嫌でも覚える、という言葉は、すんでの所で飲み込んだ。


 常務が提唱するプロジェクトクローネの看板ユニット『LiPPS』。
 そのリーダーである速水さんは、プロジェクトの実質的なまとめ役であり、もはや顔とも言える存在だ。

 なるほど。同い年とは思えない大人びた美貌もさることながら、肝が据わっている。
 この人達が、私達シンデレラプロジェクトの――。

「あまりそう、敵意をむき出しにされても困るわね」
「そんなつもりはありません」


「あ、千夜ちゃん」
 お嬢様が私に気づき、手を振った。

「ありがとう、来てくれたんだねー。
 フレデリカちゃんと志希ちゃんの特製ジュース、千夜ちゃんもどう?」
「さり気なく毒味させようとしてんな、この子」
「周子ちゃん鋭い」

「お嬢様、なぜ……」

 ゆっくりとベッドに近づく。

「なぜ、そのような無茶をなさるのですか」
124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 14:14:45.05 ID:1/ZkFkMM0
 お嬢様は、お身体が決して強い方とは言えない。
 事実、これまでにも346プロのレッスン中に倒れてしまったことは何度もある。

 私は、部屋にいる他の人達を見返した。
 睨みつけたと言っても良い。

「あははは、あのぉ〜……ち、千夜ちゃ〜ん、あんま怖い顔してると福が逃げるよー?
 って、そういや初対面だよね。初めまして、LiPPSの色白担当です」

「存じています、塩見周子さん。
 あなた方が今日、お嬢様と同じレッスンを受けていたことも」

 ご自身だけでなく、お嬢様の周りの人間も、既にその体力の程は承知しているはずだ。
 限界を見極められるだけの――行き過ぎたレッスンを止めるだけの条件は、優に揃っている。


「千夜ちゃん、ごめん……」

 真っ直ぐな、それでいてひどく申し訳無さそうな声は、城ヶ崎美嘉さんだった。

 シンデレラプロジェクトにおける私達の仲間、莉嘉さんの実の姉だ。
 先日のサマーフェスでは、全体曲に入る前のMCを上手く行ってくれたこともあり、私達にとっても頼れる存在ではあった。

「本当なら、アタシ達がちゃんとちとせさんを止めなきゃいけない立場なんだけど……」
「ううん、いいの美嘉ちゃん」

 ベッドの上で横たわるお嬢様が、優しく首を振った。

「千夜ちゃんには悪いけれど、これからも同じようなことが起きると思うから、気にしないでいいよ」
125 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 14:20:16.91 ID:1/ZkFkMM0
「き、気にしないで、って……!」

 お嬢様の無理な相談は今に始まったことではない。でも、今のはあまりに――!

「やはり君か、黒埼ちとせ」


 激昂する寸前だった私の背後、医務室の入口に立っていたのは、灰色のスーツを着た背の高い女性だった。
 ウェーブがかった長髪を束ね上げ、真っすぐと、かつ豪然たる姿勢でその場に佇んでいる。

「私は君に無茶をしろと命じた覚えは無い。
 レッスンを行う度に医務室の世話になるようでは、スタッフにとっても気が気で無くなるな」

「それは私が一番よく分かっていること。
 今度のフェスで、私が結果を出さなくてはならないことも、ね」
「フン」


 お嬢様との会話の内容と、その態度で察しがついた。

 この人が、美城常務か。
 アイドル事業部、並びにプロジェクトクローネの、総責任者――。
126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 14:22:39.65 ID:1/ZkFkMM0
「君は?」
 私の存在に気づいた常務が、顔をこちらに向けた。

「白雪千夜と申します。シンデレラプロジェクトに所属しています」
「名前は知っている。なぜ君がここに来ている」
「お嬢様の従者だからです」

 常務は鼻を鳴らした。
「なるほど、それなら君からも彼女によく言い聞かせてほしい。
 プロジェクトの目玉となる大事なアイドルが本番前に潰れてしまうことは、私にとって本意ではない」


「ふふ……妬いちゃうわね?」

 常務の言い草に、速水さんが肩を揺らした。

「何が言いたい」
「まるで、私達が目玉ではないみたいに聞こえたものだから」
「我がプロジェクトのメンバーは皆、当然に家族とも言える存在だ。
 勝手に被害妄想をされては困るな」
「そうだとしても」

 腕を組みながら部屋の壁に背を預け、速水さんは常務を真っ直ぐに見据えた。
 不敵の一言に尽きるその表情は、およそ新人アイドルが上役に向けて出せるオーラではない。

「ちとせに対する346プロの力の入れようは、他のアイドル達の比ではないんでしょう?」
127 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 14:26:54.75 ID:1/ZkFkMM0
「……どういうことですか?」

 話の趣旨がつかめないでいると、何がおかしいのか、猫のような笑い声を上げながら一ノ瀬さんが部屋の中央に躍り出た。

「犬が飼い主側をランク付けしていることがよく話題になるように、動物っていうのは何かにつけて順位を付けなきゃ気が済まないんだって。
 そうすることで初めて群れの中での従属の関係性とか自分の分、つまり立ち位置や実在性を確認することができるんだよね。存在の証明ともゆー。
 人間社会で言えば、親は子供を、先生は生徒を、上司は部下を、あるいはそれぞれその逆を……芸能界、取り分けアイドルの世界はひょっとしてその最たる例なんじゃないかにゃ?
 常務の立場としてはそりゃあ万物平等公平無私を唱えるほかは無いかも知れないけど、どこかでホンネの部分を曝け出さない限り、ヒトたるべきアイドルはヒトならざるキミらの人形でしかなり得ないと思うなー」

「えぇー、シキちゃんお人形になっちゃうの?」
「にゃははー全身フル稼働1/1サイズだよー♪」
「やったー☆ 由緒ある魔法の宮本水で育てなきゃー!」
「人形の概念壊すのやめて……」


「あ、えーとね千夜ちゃん、一応あたしの方から説明すると」

 一ノ瀬さんと宮本さんが好き勝手にはしゃいでいるのを無視して、塩見さんが私に声を掛けた。
 あしらい方に慣れている辺り、こういうやり取りは日常茶飯事らしい。

「961プロの、玲音さんっていうアイドルいるでしょ?」
128 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 14:30:09.85 ID:1/ZkFkMM0
「……申し訳ございません。不勉強で」
「うっそ、オーバーランク知らん?
 ははぁ〜、あたしも自慢できたもんじゃないけど、千夜ちゃんも存外マイペースだねー。まぁいいや」

 ケラケラと愛想良く笑って、塩見さんは続ける。

「今度のフェスで、ちとせちゃんが歌う曲、玲音さんの曲なんだって。
 何て言ったっかな、『アクセルレーション』だっけ?
 つまり、961プロとの事務所の垣根を越えた一大コラボ企画。しかもすんごいエラ〜い人の曲。
 だから346プロとしては余計に失敗が許されないってわけ。
 でいいんだよね、奏ちゃん?」
「私じゃなくて、常務に直接聞いてもらえないかしら」
「えぇー、あたしあんま怖いの苦手やし」


 軽い調子で言っているが、どうやらお嬢様を取り巻く環境は決して軽いものではないらしい。

 新任常務のメンツをかけた新規プロジェクトの駒の一つとして、お嬢様はあてがわれただけのものと思っていた。
 だが、他事務所の、それも聞く限りでは業界のトップに君臨するアイドルの曲を借りるという。
 もし失敗しようものなら、業界内における346プロの信用は地に落ちる。

 お嬢様は、常務だけでなく、346プロの期待を一身に背負うことを承知し、これを成功させようと過酷なレッスンに身を投じている。
129 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 14:32:13.59 ID:1/ZkFkMM0
「そう、だから」

 城ヶ崎美嘉さんが、言葉を継いだ。

「アタシ達も、本当はちとせさんが無茶をするのは、黙って見てられないの。
 でも、ファンの人達の事を考えたら、次のフェスがすごく重要なイベントになる、絶対成功させなきゃって思うと、どうしてもダメって言えなくて……
 常務には、アタシにやらせてとも言ったんだけど、でも」

「城ヶ崎美嘉、君には既にイメージがある。
 余所の曲を軽率に歌って、君が培ってきたものを失わせることは得策ではない」

 常務は、部屋にいる私以外の全員を見渡した。

「君達を始め、プロジェクトクローネには私が見出したそれぞれの役割、持ち味がある。
 そこに優劣はない。一ノ瀬志希がふざけたことを言おうとも、それは各自認識してほしい」
「ふざけたってヒドーい」


「……なるほど、よく分かりました」

 頭の中はひどく静かだ。
 でも、腹の底は久しく感じていなかった怒りがこみ上げてくる。

「経営者の立場として、そういう建前をとることを良しとしたあなたの考えが」
130 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 14:34:47.02 ID:1/ZkFkMM0
 何が労働環境の改善だ。

 確かに常務は「無茶をするな」と言うだろう。
 だが、無茶をしなければ到達できないレベルを要求されていたのでは、使われる側のやるべき事は変わらない。
 その結果、仮にその者が潰れたとしたら、経営者は「それを命じた覚えは無い」「勝手にやったことだ」と言い逃れる寸法だ。

 つまり、常務が行っていることは、改善とは名ばかりの責任放棄に他ならない。

 まして、それをお嬢様に対して仕向けるなど――!
「そういうわけだから、千夜ちゃん」

 お嬢様の、妙にのんびりした調子の声で、我に返った。


「私も、自分のことはよく分かっているから、心配しないで。
 本当にダメな時は、こうしてダメって言って休むから。
 千夜ちゃんがいるシンデレラプロジェクトみたいに、私もこうして色んな子達と仲良くできて、楽しいの。
 だから、千夜ちゃんも、自分のことを優先して、お互い楽しんでいこう? ねっ?」


「お、お嬢様……」
131 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 14:42:44.44 ID:1/ZkFkMM0
「チヨちゃん、ギューン☆」
「うひゃあ!?」

 急に抱きつかれ、後ろを振り返ると、宮本さんだった。
 いつの間に背後に回ったのか、この人は。

「チヨちゃん、心配しちゃう気持ちも分かるけど、フレちゃん達も一緒だから安心してね。
 楽しいことが大好きな気持ちは、シンデレラプロジェクトの子達とギリギリ同じくらい、アタシ達も持ってるんだー☆
 チトセちゃんが本番もちゃーんと楽しくなれるよう陰日向に海越え山越え春はみやもと的にガッチリサポートするよー♪
 ね、カナデちゃん?」

 宮本さんが同意を求めると、速水さんは壁に背をもたれたまま、フッと肩を揺らした。
 まるで女優のような仕草に目を奪われていると、いつの間にか一ノ瀬さんが私に顔を近づけ、鼻を鳴らしていた。

「んふふ、千夜ちゃんもなかなかユニークな匂いを持ってるねー」
「ゆ、ユニーク? 匂い?」

「いかにも建前を是としてそうな子が、常務の建前に真っ向から異を唱えるその胸中や如何ほどかにゃ、って思ってさ。
 仲良くできそうで安心したよ。キミはまだホントの部分を隠してる。ないすとぅーみーちゅー、はろーわーるど、にゃははー♪」
132 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 14:44:50.19 ID:1/ZkFkMM0
 宮本さんといい、速水さんといい、強い個性にあてられて目眩をしそうな所にコレだ。
 理解できないものへの思考はシャットアウトしたいのに、目の前の彼女はお構いなしに私の視線を釘付けにする。

「取り繕わないハダカの部分に訴えかけて初めて人の心は動かせる。
 曝け出そう、解放しちゃおう。内なる本能を認識して初めてあたし達は生を得るんだよ。
 建前だけで乗り切れるほど簡単じゃなくない? アイドルって。だからあたしはここにいるの」

 ――本当の部分?

 まるで私がウソを言っているかのような言い草に、少し胸がざわつく。


「もういい、そこまでだ」

 常務が手を叩いた。

「黒埼ちとせ、君はスタッフの言うことをよく聞いて、着実な快復に努めなさい。
 他の皆も、予定されたレッスンメニューを消化していないままだろう。しっかり整理体操をしておくこと。
 いいか、くれぐれも無茶なことはするな。これは命令だ」


「要求レベルを下げる気はないようね」

 速水さんがポツリと言った皮肉に、常務は何も言葉を返さず、部屋を後にしていった。
133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 14:47:56.15 ID:1/ZkFkMM0
「……トレーナーは、チヨのこと、心配していました」

 寮の屋上の手すりにもたれながら、アーニャさんはボンヤリと俯いていた。

 生憎の天気であり、夜空を見上げても薄曇りを通して月明かりが辛うじて確認できる程度だ。
 通り抜ける風も冷たく乾いており、秋の終わりをいよいよ近く感じさせる。

 たとえ星が見えなくとも天体観測をしたいと、今夜彼女が言ったのは、私と話をしたかったからだという。
 それは私も同じだった。

「私のことなど、どうでもいいです。それより」

 私はアーニャさんの背を見つめる。
 少し肌寒いせいか、いつもよりも少し小さく見える気がする。

「アーニャさんは、プロジェクトクローネに参加するのですか?」


 少し間を置いて、彼女の頭がほんの少しだけ、縦に揺れた。

「リンも、やるって、言ってました」
134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 14:50:15.77 ID:1/ZkFkMM0
「そうですか」
「イズヴィニーチェ……ごめんなさい」
「何を謝ることが?」

 私はアーニャさんの隣に歩み寄り、手すりに手を置いた。

「アーニャさんに、お願いしたいことがあります」

「……チトセ、ですか?」
「はい」

 私は、プロジェクトクローネのメンバーに選ばれていない。
 希望すれば合流できる可能性もあるとアイツは言うが、選ばれた者とそうでない者がいるという事実が何を意味するのか、理解できないほど私は愚かではない。
 それに、シンデレラプロジェクトの皆を――。

 いや、それ以上を言うのは、決断をしたアーニャさんや凛さんに失礼だ。

「私よりも、アーニャさんの方がお嬢様と一緒にいられる時間が増えることが想定されます。
 どうか、お嬢様が無茶をなさるようなことがあれば、アーニャさんにも止めていただきたいのです」

 アーニャさんは、何も言わない。
 遠くに煌々と広がるビル群の光を、黙って眺めている。

「凛さんは、神谷さんや北条さんとのトリオユニットでの活動を予定されているとお聞きしました。
 お嬢様と同じソロ同士、アーニャさんであれば、お嬢様と同じレッスンを受けることも多いのではと思います」
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 14:55:41.74 ID:1/ZkFkMM0
「……イズヴィニーチェ、チヨ」

 アーニャさんは、小さく首を振った。

「それはたぶん、アーニャには、難しいですね」

「なぜですか」
 私はつい声を荒げた。
 心根が優しく、いつも相手を気遣ってくれる彼女からの予想外の返答に、動揺を抑えることができない。

「どうかお願いです。
 お嬢様に関することを誰かにお願いしたい、頼りたいと思うこと自体、私にとっては初めてなのです」


「ンー……理由は二つ、あります」

 アーニャさんはフッと空を見上げた。
 頭の中で、私を説得するための言葉を整理しているのだろうと思った。

「まず、これからのチトセの、レッスンメニューは、特別です。
 961プロの、レオンの曲を歌うの、とても大変ですね。
 アーニャは、一緒に特別なレッスン、受けることができません」

 オーバーランク――つまり、並び立つ者がいない領域のアイドルの曲を借りるのだ。
 アーニャさんの話では、その玲音なる人の特別レッスンを受けることもあるのだという。
 二人は意気投合、というより、玲音さんがお嬢様をいたく気に入ったこともあり、企画自体はスムーズに進んでいるらしい。

 問題は、どこまで完成度を高められるか――つまり、お嬢様の頑張り次第ということだ。
136 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 14:57:39.48 ID:1/ZkFkMM0
「で、ですが……!」

 無茶なお願いであろうと何とかしてほしい。
 いや、しなければならないのだ。
 私はアイドルである以前にお嬢様の従者。
 お嬢様の身の安全の確保は、私にとって第一に行わなくてはならないこと。

 あの人は、人形である私に生きる意味を与えてくれた、大切な方なのだ。

「お嬢様のお身体に、何かあってからでは遅いのです。
 ご自身が自称されているように、お嬢様のお身体は決して強いものではありません。
 せめて、レッスン以外の所で一緒の時間を作るとか、できる限りのケアを……!」

「一緒の時間……」

 アーニャさんは、こちらに顔を向けて、ニコリと笑った。
「それなら、たぶんできます」
「良かった……」

「でも……チトセを止めることは、できません」


 寂しそうな笑顔のまま、アーニャさんは俯いて首を振った。

「どうして……?」


「アーニャは、チトセを止めたいと、思わないからです」
137 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 15:01:33.93 ID:1/ZkFkMM0
 ――言っている意味がまるで分からない。

 この人は、ひょっとして私に喧嘩を売っているのか?

 親しくしてくれる人からの決して無視できない一言に、私は身を強張らせた。
 星空のように綺麗なその瞳を真っ直ぐに見据える私は今、どんな表情になっているだろう。


「チヨ……話をしても、いいですか?」
「話?」


「ちょっとだけ、昔の話……それと、アーニャがアイドルになった理由」


 以前、聞いたような気がしたが、ふと思った。

 そうだ。
 あの時は確か、アーニャさんがレッスンを頑張る理由について聞いただけだ。
 出来なかったことが出来るようになれば、ご両親が褒めてくれると――確か、そういう話だった。

「チヨに聞かれて、アーニャは、ちゃんと答えていませんね?」

 ――まただ。
 この人は度々、寂しそうな、何かを我慢するような笑顔をこうして私に向ける。

「……お願いします」

 そう言うと、彼女は「ダー」と頷き、胸に手を当てた。
138 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 15:04:25.67 ID:1/ZkFkMM0
「チヨ……アーニャは、日本人です」

 ?
 ――え、そこから?

「……知っています」
「フフッ、そうですね。
 アーニャは、北海道で生まれました。
 日本で生まれたアーニャは、日本人です。でも……」

 胸に当てた手をスゥッと下げて、アーニャさんは俯いた。

「ロシア人のパパと、日本人のママ……アーニャに会う人は、みんな、外国の人だと思います。
 それは、仕方がないです。
 アーニャは言葉、上手くありません。見た目も、日本人らしく、ないですね」

「過去に何かご苦労が、あったのですか?」
「ンー……」

 アーニャさんは、首を傾げながら、ちょっと困ったような顔をして虚空を見上げた。
 その姿を見て、ふと気づいた。

 日本語が下手だからではない。
 優しい彼女は、聞く相手が不快にならないような言葉を、とても丁寧に探している。


「そうですね……とても、大変でした。
 初めましての人と、うまく話せなくて……悲しくて、寂しかった」
139 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 15:10:27.66 ID:1/ZkFkMM0
「……確かアーニャさんは、幼少期はロシアで過ごされたと」
「ダー」

 彼女が日本語を自在に扱いきれない理由の一つは、それだ。

「生まれて、小さい時にすぐ、ロシアに行きました。
 ロシアの時は、パパのロシア語と……ママの日本語も、教えてもらいました。
 でも……10歳のアーニャが、北海道に戻った時、どちらも上手では、ありません。
 日本語も、ロシア語も……ヘンな言葉しか、使えなくて、皆、アーニャを避けましたね。
 怖い子、冷たい子……皆、そう言いました」


「アーニャさん……」

 豊かな愛に育まれた、元来心の温かな人だと思っていた。
 彼女にも背負ってきた過去があり、辛い経験を乗り越えて今の優しさがあるということか。

 つまり、どこかで転換期があったはずだった。
 暗い過去を払拭し、明るい感情を持てるきっかけとなった出来事が。


 私の心情を察するかのように、アーニャさんは私の目を見つめ、フッと笑った。
 少し、表情が明るくなった気がした。

「チヨ……たぶん、アーニャに何があったのか、知りたいですね?」
「えぇ、その通りです」


「とても、優しい人に出会いました」
140 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 15:15:45.94 ID:1/ZkFkMM0
 アーニャさんは、私から視線を外し、手すりを掴んでその先を見つめた。
「一人ぼっち……小樽で運河を、ボーッと眺めていたアーニャに、声を掛けてくれた女の子がいました」

「小樽、ですか……」
「ダー♪」

 その女の子はアーニャさんの二つ年上で、アーニャさんの知識ではほとんど理解ができない日本語だったという。
 よほど北海道訛りの強い子だったのだろうか。

「でも、色々なお話、してくれました。
 言葉は分からなくても、明るい笑顔で、楽しそうに話すのを見て、アーニャも、楽しくなりました」
「分からなくても、ですか?」
「ダー。アーニャの手を引いて、いっぱい色々な所へ連れて行って、遊んでくれました。
 とても寒い日だったけど、さよならをする頃には、体も心も、ポカポカですね」

 良い人に巡り会えたのだなと思う。
 名前も顔も知らないどころか、言葉さえ分からない他人と四六時中遊び倒すなど、よほどの暇人か奇人――。

「その時、アーニャは、教えてもらいました」

 こちらに振り返り、ニコリと笑う。

「アーニャは、色々な子と、お話するようにしました。
 言葉は、ンー……あまり、伝わっていなかったかも、ですね。でも、たくさん話しました。
 そうすると、友達、たくさんできました。アーニャも、皆も明るくなって、とても嬉しかった。
 寂しかった時には、皆近づいてくれなかった。でも、それはアーニャが、寂しかったから、ですね?」
141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 15:19:34.71 ID:1/ZkFkMM0
「それは、何よりです」
「アーニャの、恩人です。
 あの子にもらった明るい、優しい心を、アーニャはずっと、大切にしています」

 ――――。
 実に良い話だ。だが――。

 なぜか先ほどから、素直にアーニャさんの話に傾聴しきることができない自分がいる。
 胸がざわつく――。

「それで、その……たとえば、アーニャさんのその……」
「はい」
「その子に元気づけてもらった、その経験を、誰かにも与えたいという想いから、アーニャさんはアイドルを……?」

「ンー……それも、無いことは、無いですね。
 でも、きっかけはちょっと、違います。アーニャも、スカウトでした」

 眉根を寄せて、悩ましそうに苦笑している。

「アイドルが何をするのか、分かりません。でも、プロデューサー、とても熱心でした。
 ストラースチ……情熱、ですね。この人の情熱、どこに向かうのか、とても興味ありました。
 大好きになれた、北海道の街……離れたとしても、私の知らない世界、見たいです」


 騙されている、乗せられているとは、考えなかったのか――そう聞こうとしたが、飲み込んだ。

 彼女はきっと、人を疑うことを知らない。
 それは、すごく危ないことなのに。

「ンー……チヨはアーニャを、心配してくれています」
「えっ?」
142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 15:21:52.35 ID:1/ZkFkMM0
 驚く私を見て、アーニャさんはクスッと笑った。

「スパシーバ、チヨ。
 でも、人を疑うより、信じる方が、楽しいですね?」

「信じた末に、裏切られることになったとしても、ですか?」

 彼女の言っていることは、詭弁だ。
 あるいは、無知であるが故の夢想。
 世の中、良い人間ばかりとは限らない。

「信じることを決めたのは、アーニャです。
 だから、裏切られて、悲しい思いをしたとしても、それはアーニャのせい、ですね」

 アーニャさんは、かぶりを振った。


「アーニャは、ワガママです。自分で決めたい……誰かのせいにしたくない。
 誰かの助けになったとしても、誰かに傷つけられたとしても、自分の気持ちで、受け入れたい。
 アーニャのいる世界は、アーニャの足で歩きたいです」


 アーニャさんの瞳は、私を真っ直ぐに見つめていた。
 その気迫から、私にその言葉をしっかり届けたかったのだろうという意志は明確に感じ取ることができ、実際それは、私の心に強く突き刺さった。

 決して平坦では無かった過去。
 それでも「我」を見出すことを選択した今。
 彼女は、常に黒埼家に依存してきた私の生きてきた世界とは、全く違うところにいる。

「だから、チトセを……そうしたいと、自分で決めたチトセを、アーニャは応援したいです」
143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 15:25:10.11 ID:1/ZkFkMM0
「お嬢様を、応援……」

 アーニャさんは頷いた。

「チヨの言うこと、分かります。
 アーニャもチトセは、とても心配です。倒れちゃうの、怖いですね。
 でも、アーニャ達が止めたら、チトセは、傷つくと思います。
 心に傷を……ずっと治らない、深い傷を」


「アーニャさん……」

 彼女は、冗談を言うような人ではない。
 とても真面目で、素直で、純情で、心根の優しい人。

 なのに――。


「何で、そんなことを言うんですか……」


 なぜそんな、訳の分からないことを言って、私の心をかき乱すのか。
 悲しそうな表情をして言うくらいなら、なぜそれをわざわざ呼び出して私に伝えるのか。

 胸の中で渦巻く、怒りとも悲しみともつかない暗く重たい感情に煩悶していると、携帯が鳴った。
 凛さんからのメールだった。

 美城常務とのミーティングに、お嬢様が姿を見せていなかったとのこと。
 部屋にいるはずのお嬢様と、連絡がつかないらしい。
144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 15:27:26.68 ID:1/ZkFkMM0
 合い鍵を使って部屋に入ると、奥に向かう廊下は真っ暗だった。
 電気をつけ、居間へと進むと、お嬢様は座椅子に腰を下ろし、背の低い丸テーブルに顔を埋めて眠っていた。

「お嬢様……」

 テレビが付いたままになっている。
 画面が灰色な所を見ると、おそらくDVDか何かを観ていた最中だったらしい。
 レッスンを終えて自室に戻り、それを最後まで観ることなく、疲れきって眠ってしまったのだろうか。

「お嬢様、お身体に障ります。ベッドで寝ましょう」
「んぅぅ〜……」

 何とか体を起こし、肩を担いでベッドに寝かせた。
 この間、二人でライブのDVDを観た時は、お嬢様が私に布団をかけてくださったことを思い出す。

「ちよちゃん……」
「はい、白雪です。何も気にせず、どうかゆっくりお休みになってください」

「ちよちゃん……」

 起きた訳ではないようだった。
 うわ言のように私の名を数度口にした後、そのまますぅすぅと、再び眠りについていく。
145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 15:29:32.97 ID:1/ZkFkMM0
 やはり、綺麗なお顔をされていると、改めて思う。
 こんなご無理をなさらずとも、お嬢様は十分美しい。

 ふと、アーニャさんの言葉を思い出した。
 お嬢様のフェスに向けた努力は、美城常務からの一方的な指示だけでなく、お嬢様ご自身が望んで決めたことであると。
 確かに、あの人はそう言っていた。

 なぜ、お嬢様はそのような過酷な道を――。


 ――部屋の空気が澱んでいる。

「少し、空気を入れ換えます」

 ベランダ側の掃き出し窓の上部にある小窓を少し開ける。
 サァッとカーテンがなびき、部屋の中に冷たく澄んだ空気が入ってきた。

 少し乾燥しすぎてしまうな。もう少ししたら閉めよう。

 手袋と、身にまとったインナーを、知れずキュッと握りしめる。


 冬は、とかく空気が乾燥するから嫌いだ。
 私の故郷、北海道ほどではないにせよ――いや、それを思い出すからこそ、冬は好きになれない。
146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 15:33:41.43 ID:1/ZkFkMM0
 本州の、とりわけ雪とは無縁の地域に住む人がよく誤解をするのは、雪国は空気が乾燥することはないのではないか、ということだ。
 雪という水分にあれだけ覆われているのだから、本州と比べれば、空気には湿気があるのではないかと。

 しかし、そうではない。
 本州の雪と北海道の雪は、大きくその性質が異なる。

 大気中に含まれる水分量が限界を超えると、雨となって地上に落ちる。
 それが一定の気温まで下がれば雪になるというのは誰もが知るところであり、当然にそれは本州も北海道も変わらない。

 双方で異なるのは、気温差である。
 北海道はその土地の性質上、あまりに気温が低いために、そもそも大気に含むことのできる水分量が極端に少ないのだ。
 言い換えれば、空気中に水分が存在できないほどに寒いのであり、その乾燥具合は本州の比ではない。


 翌週は、東京に季節外れの大寒波がやって来ると、連日ニュースで大騒ぎしている。
 それほど寒い日であれば、東京でも雪になるかも知れないが、それはいわゆる“ベシャ雪”と呼ばれる、水分を多量に含んだもの。

 飽和水蒸気量の少ない北海道の、乾いた冷たいそれに比べれば、さぞ温かな雪になるだろう。

 大気のキャパシティを超えた水分が、地上に落ちる。
 空気が乾燥する冬は、嫌いだ。


 ――?
 ふと、付きっぱなしだったテレビを消そうとした手が止まる。
147 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 15:36:51.50 ID:1/ZkFkMM0
 お嬢様は、何をご覧になっていたのだろう。


 無粋な真似とは思いつつ、リモコンを操作して音を消し、巻き戻して再生ボタンを押した。


「……これは」

 アイドルのライブのDVDだった。
 随分と、引きの画だな。客席側から撮ったものらしいが、手ぶれも激しいし、画質もそれほど綺麗じゃない。
 まるで一昔前のホームビデオのような映像だ。

 だが、よくよく目を凝らしてみると、どうも見覚えのあるステージであることに気づく。
 そして、その上にいるのはアーニャさんと――私。

「誰が、こんな映像を……」

 明らかにこれは、先日のサマーフェスだ。
 なぜか、急に私の方へズームされていく――恥ずかしい。

 しかし、察しがついた。
 おそらく、これは黒埼のおじさまが撮影したものだ。
 たぶん、スマートフォンではなく、昔から使用されているご自身のビデオカメラで。

 おじさまのカメラは、即興ラブライカの後、そのままシンデレラプロジェクト全員でのステージを残している。
 しかし、フォーカスするのは専ら私の姿ばかりだ。
 凛さんが私をさり気なく助けたシーンも、バッチリ映っている。

 おじさまが、私を――そして、お嬢様も、私のことを――。
148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 15:38:45.37 ID:1/ZkFkMM0
「……千夜?」


 振り返ると、凛さんが部屋の入口に立っていた。
 手には、お見舞いの品と思われる小包と、クリアファイルに入った書類が握られている。
「凛さん……」

「勝手に入っちゃって、ごめん。
 携帯とチャイム、鳴らしても反応が無かったから。
 今日あったクローネのミーティングの資料、ちとせにも渡しておきたかったんだけど……寝てるね」

「はい」
 私はその場に立ち上がった。

「お嬢様はご覧のとおり、お疲れのようです。
 どうか、ご無理をなさることが無いよう、凛さんからも改めてお嬢様にお伝えいただけると助かります」


「…………」


 返答が無い。黙って俯いている。
 だが、私の願いを受けた凛さんの反応は、アーニャさんのそれとほとんど同じだったと言える。
149 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 15:40:59.73 ID:1/ZkFkMM0
「凛さんも、ですか」
「え……?」

「あなたなら、理解を示してくれると思っていました」


「あ、ちょっと千夜……!」

 このままこの場にいると、私は凛さんにあらぬ言葉をぶつけてしまうだろう。
 彼女を説得することが不可能だと悟った私は、足早にその場を後にして、逃げるように隣の自室に駆け込んで鍵を閉めた。



「なぜ、皆してお嬢様を……」

 尊重とか応援とか言いながら、結局はお嬢様と関わり合いたくないだけではないのか。
 彼女達は、常務という大きな力を持つ者に逆らい、事務所内の居場所を脅かされたくないのだ。

 私だけがお嬢様の御身を案じている。私こそが。
 やはり、私がいないと――。


「……あ」
150 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 15:42:47.86 ID:1/ZkFkMM0
 しまった。
 お嬢様の部屋、小窓を開けっ放しにしていたのを思い出した。
 後で閉めようと思っていたのに、凛さんに気を取られてしまい、すっかり失念してしまっていた。

 急いで戻りたい所だが、また凛さんと鉢合わせになるのも煩わしい。
 二の足を踏んでいた所へ、声が聞こえた。


  千夜の言うことも、正しいよ――。


「! ……」

 外から聞こえてくるらしい。
 私はそっと窓を開け、ベランダに出た。


「体を壊したら、元も子もないんだから……あまり、頑張ればいいってものでも、ないと思う」


 やはり、凛さんの声だ。
 換気のために開けた小窓から、話し声が聞こえてくる。
 私は、ベランダの隔て壁のそばに立ち、そっと息を殺して聞き耳を立てた。
151 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 15:49:30.32 ID:1/ZkFkMM0
「でも、凜ちゃんは千夜ちゃんのお願いに「いいよ」って言ってあげなかったね」
「…………」

「あはは、ゴメンゴメン。気を悪くしないで。
 私を思ってのことだったって、分かってるよ。
 千夜ちゃんに何も言わなかったのも、本当は同意したい気持ちと、私を尊重したい気持ちが綯い交ぜになって、整理がつかなかったからでしょう?」


 お嬢様、起きていたのか――。
 それに凛さんも、本当はお嬢様がご無理をなさっていることを、快く思っていないらしい。


「いや……ちとせの気持ちも分かるんだよ。でもさ」
「凜ちゃん、千夜ちゃんに言っていたでしょう?」
「えっ?」
「アイドルのライブは、信じられないような力が働くものなんだ、って……。
 それ、本当なんだなぁって、千夜ちゃんのステージを見て分かったの」


 体が強張る。
 お嬢様が、私のステージを見て、一体何を――?


「あ、凜ちゃんが千夜ちゃんを助けたのを指してそう言ってるんじゃないよ?
 私は、あんなに楽しそうな千夜ちゃんを見るの、初めてだった……ううん、久しぶりだった、だね。
 自分は無価値だと公言して憚らなかったあの子が、良い仲間を持って、すごい力を発揮しているのを、肌で感じることができたの。
 黒埼家に仕える以外の生きがいを、千夜ちゃんに与えたくて、魔法使いさんの力を借りてアイドルという情熱の火種をあの子に示したんだけど、それは上手くいったみたい。
 フフッ……そう、うまくいき過ぎたの。まさかその炎が、誰かに燃え広がるものだなんて知らずにね」
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