【バンドリ×けいおん】唯「バンドリ?」香澄「けいおん?」

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43 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:02:27.38 ID:2rXBvp8co
【花咲川駅前商店街】

澪「やっと着いた……ここが花咲川か……」

 初めて降りる駅を出てしばらく。秋山澪の眼前には、多くの人で賑わう商店街が広がっていた。

 平日の午前中にもかかわらず、商店街には子供の手を引く買い物客や、学生と思われる若者が行き交っている。


澪「ええっと……場所は……」

 名刺に書かれている住所をスマホの地図アプリに打ち込み、ルート検索を開始する。

 程なくしてからスマホには、目的地へのルートが表示された。


澪「そんなに遠くないな……よし、行こう」

澪(しかし、新商品のプレゼンなんて私に出来るかなぁ……でも、会社の命令なら仕方ないか……)


 ――学生向けのファンシー雑貨のデザインや制作をする会社に就職すること数年、澪の元に舞い降りた一つの指令。

 それは、風邪で休む事になった営業担当に代わり、制作担当である澪が新商品の商品説明をするため、花咲川の商店街にある雑貨店に向かってくれという内容だった。

 営業の仕事なんて人見知りの澪には難しいと思われる内容だったが、会社の命令では従わない訳には行かず、澪はその命令を渋々承諾するのだった。
44 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:04:42.03 ID:2rXBvp8co
澪「うん、良い街だな……ここ」

 商店街で作ったオリジナルの歌なのか、スピーカーからは明るく、可愛らしいBGMが澪の耳に入ってくる。

 街並みを歩く人の顔も明るく、それは澪の地元、桜が丘とはまた違った賑やかさで溢れていた。

 そんな街の雑踏を眺めながら、澪の足は目的地へと向かっていた。

―――
――


【商店街 外れ】

澪「え……? ええええええ???????」

 人通りの少ない商店街の外れに、澪の素っ頓狂な声が響き渡る。

 それもその筈、目的地についた澪を待っていたのは、無情にもシャッターで閉じられた古い店舗だった。

 すぐさま名刺に書かれている住所を確認するがここに間違いはなく、電話を掛けてみるも、不通のアナウンスが聴こえてくるだけだった。

 無駄を覚悟し、古びたチャイムを鳴らすも反応はなく、シャッターを叩いてみても、中から人が来る様子はない……。

 というか、そもそもこの店からは、営業している気配そのものが感じられない。完全に閉店した店のようだった……。


澪「そんな……どうして??」

 まさか、閉店……? とは考えられないだろう。昨日、担当から言われた店はこの名刺の店だったのだから。
45 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:06:52.86 ID:2rXBvp8co
澪「ど……どうしよう……」

 一度会社に連絡を入れて指示を仰ごうかと、通りに出てカバンからスマホを取り出したその時だった。


 ――どんっ


澪「うわっ!」

声「きゃっ!」

 突然、澪の身体に強い衝撃が走る。何が起こったのかと思った刹那、誰かが自分にぶつかったのだと言うことを理解し、澪はぶつかってしまった女の子に声をかけていた。


澪「ご、ごめんなさい! 怪我はない?」

女の子「痛たたた……っ」

 年の頃は自分よりもずっと下だろう、高校生ぐらいだろうか、桃色の髪に流行り物の服が似合う女の子が尻もちをつき、涙目で座り込んでしまっている。

 それに続くように、女の子の友達だろう、眼前の女の子と同世代と見られる3人の少女達がこちらに向かってくるのが見えた。
46 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:07:19.98 ID:2rXBvp8co
女の子A「ひまり、大丈夫?」

女の子B「も〜。ひーちゃんトロすぎー」

女の子C「まったく、前をよく見て歩かないからだぞ」
 
女の子D「あいたたた……す、すみません!」

澪「ううん、良かった、怪我はなさそうだね」

 女の子に怪我がなかったことにほっとし、安堵する澪。……その時だった。


 ――びゅううぅぅっ

 先程ぶつかった際の衝撃で肩から落ちたのだろう、運悪く開かれたカバンからは資料や書類が道に散乱し、それらが風に乗って四散していた。


澪「あ……あああああ!! 書類が!! 大事な資料が!!!」

女の子A「大変、急いで拾わないと!」

女の子B「もー、ひーちゃんのせいだからねー」

女の子C「いいからモカも拾うの手伝え! ひまり、そっち行ったぞ!」

女の子D「はーい!」

 それから、女の子たちの協力もあり、澪が落とした書類は、奇跡的に1枚の汚れも紛失もなく、澪の手に収められた。
47 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:10:16.36 ID:2rXBvp8co
澪「……うん、抜けはないな……あ〜〜、良かったぁ……」

 書類の枚数を確認し、カバンに仕舞い、同じ轍を踏まぬよう、しっかりと封を閉じる。


女の子D「本当に、すみませんでした!」

澪「ううん、こちらこそありがとう、本当に助かったよ。……ごめんね、私の不注意でぶつかっちゃって」

女の子D「そんな、私の方こそ前をよく見てなかったから……」

 などという会話が続くことしばらく、ふと澪は思い立ったことを口にする


澪(この子達、もしかしてこの辺りの子かな……)

澪「えっと、君たちって、この辺の子?」

女の子A「はい、まぁ……子供の頃からこの街で暮らしてますけど」

女の子C「アタシ達に、何かご用ですか?」

澪「……うん、あの……このお店なんだけど、知ってるかな?」

 これから伺う筈だった雑貨店の名刺を差し出し、澪は自分の状況を説明する。

 すると……。
48 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:10:44.14 ID:2rXBvp8co
女の子D「あー、私、このお店知ってます! 一昨日お引越ししてました!」

澪「え、それ本当?」

女の子D「はい! よかったらご案内しますけど……」

澪「うん、助かるよ、ありがとう」


 会社の営業担当がここに来たのは確か先週だ、その間に店舗が変わり、住所も電話番号も変更されたのだろう。

 今時にしては珍しく、ホームページもSNSのアカウントも無い会社なので、移転の情報が澪に入らなかったのも頷ける。

 渡りに船とはこの事で、すぐさま澪は女の子達に店への案内をお願いしていた。


 ――その雑貨店へ向かう道中、ひまりと呼ばれていた女の子が澪に問いかける。


ひまり「あの、お仕事って、何をされてるんですか?」

澪「うん、女の子向けにファンシー雑貨を作ってお店に紹介したり……そんな感じの仕事だよ、こういう会社なんだけど、知ってるかな?」

 澪は自分の名刺を取り出し、ひまりに手渡す。
49 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:11:17.23 ID:2rXBvp8co
ひまり「あー、私、この会社知ってます! 『スッポンモドキのおトンちゃん』シリーズ、私も持ってます!」

澪「ありがとう、あのシリーズ、私が考案したんだ」

ひまり「えっ、そうだったんですか?」

澪「うん、買って貰えて嬉しいよ、ありがとうね」

ひまり「ふふふっ……なんだか感激しちゃうなぁ……ねえ、巴もそう思わない?」

 ひまりに振られ、今度は巴と呼ばれた女の子が返す。


巴「うん、なんていうか……働く女の人って憧れるよなぁ」

ひまり「うんうん、私も、働いてる女性って、ステキだと思います!」

澪「……そんな大袈裟な、別に大したことじゃないよ」

 人は生活の為、家族の為、自分の為、嫌でも社会に出れば働きに出なければならない。それは古今東西問わず、今も変わらない。

 かく言う澪も、この子達と同じぐらいの歳の頃には、その意味を漠然としか理解していなかったのだが……。


澪(なんていうか……若いよなぁ……)

 人で賑わう商店街を楽しそうに歩くひまりと巴を見ながら、澪はそんな事を考えていた。


女の子A「この人……」

女の子B「らーん、どうかした?」

女の子A「ううん……別に」

女の子A(……似てる)
50 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:11:45.04 ID:2rXBvp8co
―――
――


【花咲川商店街 ファンシー雑貨店前】

 ひまり達の案内により、ようやく澪は真の目的地へと辿り着く。

 店内には多くの若者が入り乱れ、小洒落た店内ポップには先程の話にもあった『スッポンモドキのおトンちゃん』シリーズの告知もされ、賑わいを見せていた。


ひまり「着きました、ここですよ」

澪「みんなありがとう……今度会ったら必ずお礼するよ」

ひまり「いえいえっ♪ それでは、お仕事頑張ってください!」

巴「もし良かったら今度は仕事じゃなく、是非遊びに来てください、おいしいお店紹介しますよ」

澪「うん、本当に助かったよ……それじゃあね」

 4人にお礼を言い、澪は真新しい空気の漂う店内へと入っていく。

 店内に入る澪の後姿を見送り、4人の少女達は口々に声を交わしていた。
51 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:12:15.32 ID:2rXBvp8co
蘭「やっぱり、似てた」

モカ「似てたって、なにが?」

蘭「うん……あの人の声、巴にそっくりだった」

巴「え、アタシに?」

ひまり「あー、私も思ってたんだ、あのお姉さんの声、巴によく似てたよね」

巴「アタシの声って、あんなに綺麗だったか?」

ひまり「……あのお姉さん、かっこいい人だったね」

巴「ああ、また、会えるといいな」

モカ「うんうん、お礼もしてくれるって言ってたしね〜」

蘭「ふふっ……モカったら……」

ひまり「みんなー、そろそろ行こうよ、ショッピングモールで買い物してから、つぐのお店に行くんでしょ?」

モカ「あー、ひーちゃん待ってー」

巴「ったく、ひまりー! 走るとまたぶつかるぞー!」

 そして少女達……Afterglowの4人は歩き出す。

 彼女達はまだ知らない。

 澪と彼女達の間にある繋がりを……まだ、知らない――。
52 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:12:45.70 ID:2rXBvp8co
―――
――


【ファンシー雑貨店 事務所】

 店内に入った澪は店主の案内のもと、店の奥、事務所の一室へと入っていった。


店主「いやぁーすみません、店を移転したこと、お伝えしてなくて……」

澪「いいえ、地元の子に教えていただいたので着くことが出来ましたし、大丈夫ですよ」

店主「ああ、あの子達ですか……いい子達でしょう、商店街の人気者なんですよ」

澪「ええ……みんな優しくて、元気があって……ここは、本当に良い街ですね……」

店主「はははっ……そうでしょうそうでしょう、いやね、商店街で流れてる音楽も、あの子達とは違う子が作ってくれまして……」

澪「え、そうなんですか?」

店主「ええ……ああいう若い子たちに支えられて、私達はこうして今日も営業が続けられているんですよ……」

 優しい目で店主は言う。

 そして会話も程なく、仕事の話が進められる。


澪「……早速ですが、新商品のご説明をさせていただきます」

店主「ええ、よろしくお願いします」

澪「今回の弊社の新商品のアピールポイントですが……」

 澪の説明を、頷きながら店主は聞く。

 資料と自身の知識を元に商品説明をし、時折振られる質問にも適切丁寧に答え、澪は新商品のプレゼンを行っていく。

 営業担当とは違う、制作担当ならではの着眼点によるプレゼンに店主は興味を示し、次々と話は進んでいった。
53 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:13:21.69 ID:2rXBvp8co
澪「この辺りには女子校が2校ありますし、両校の長期休暇に合わせて告知していけば、この商店街でも大きくアピールできると思います」

店主「うんうん……いやいや、よくリサーチされてる、さすがだと思いますよ」

澪「はい、どうもありがとうございます」

店主「いやー、秋山さん、今日はありがとうございました。あとはお店の皆と相談して、後日改めてお話に伺いますね」

澪「はい、ご検討のほど、どうぞよろしくお願い致します」

 話は纏まり、澪のプレゼンが終わる。

 店主から前向きな返答を頂けたことに確かな手応えを感じ、澪は安堵の息をつく。


店主「では、社長と営業さんにもによろしくお伝えください、秋山さん、本日はありがとうございました」

澪「はい、こちらこそありがとうございました。 ……失礼します」


 ――ばたんっ

澪「ふぅ……」

澪(終わった……緊張したけど、どうにかプレゼンできた……良かったぁ)

 1時間程度のプレゼンは終わり、澪は雑貨店を後にする。

 そして会社の共有グループに報告のメッセージを入れ、時計を見る。
54 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:14:00.09 ID:2rXBvp8co
澪(もうお昼か……この辺りで何か食べてこうかな)

 時刻は昼過ぎ、時間もあるし、昼食がてらにどこかで休憩しようと思い、澪は商店街を歩く。

 そして商店街を探索することしばらく、焼き立てのパンの香り漂うベーカリーショップや揚げたてのコロッケが並ぶ精肉店のある通りで、澪は立ち止まっていた。


澪「喫茶店か……うん、ここにしよう」

 “羽沢珈琲店”という店名の書かれた喫茶店の戸を開ける。

 空調が効き、隅々まで掃除の行き届いた店内からはコーヒーの良い香りが漂ってくる。微かに聞こえるお客さんの声も良い感じのBGMとなり、店の雰囲気に溶け込んでいた。

 そして店に入った直後、店員と見られる少女の元気な声が店内に響いて来る。


【羽沢珈琲店】

店員「いらっしゃいませ! お客様、一名様でよろしいですか?」

澪「はい」

店員「かしこまりました、こちらへどうぞ♪」

 店員の案内に誘われ、澪はテーブルへ向かう、その時だった。
 

声「あれ……?」

澪「ん……? あっ……さっきの……」

 店員の案内で澪が座った席のその隣のテーブル。

 そこには、先程澪を雑貨店に案内してくれた、4人の少女達の姿があった。

 澪の来店に驚きを露わにし、少女達は澪に話しかける。
55 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:16:26.10 ID:2rXBvp8co
ひまり「え? ええええ???」

蘭「……どうも」

モカ「おー、さっきのお姉さんだ、こんにちわー」

巴「びっくりした、こんなにすぐ会えるなんて思いませんでしたよ」

店員「え? なに、みんな知り合いなの?」

モカ「ふっふっふー、実は今朝、このお姉さんの絶体絶命の危機を、みんなで救ってたのだよー」

蘭「絶体絶命って……モカ、話盛りすぎ」

澪(……世の中って、案外狭いんだなぁ)

―――
――


澪「コーヒーと、サンドイッチと……あと、隣のテーブルの子達に……このケーキセットをお願いします」

店員「はい、コーヒーに、サンドイッチに……蘭ちゃん達にケーキセットですね、ありがとうございますっ」

 メニューを手に澪は次々と注文を済ませ、店員の少女がそれを伝票に書き加えていく。


ひまり「そんな、いいんですか?」

巴「なんか、悪い気がするなぁ」

蘭「そうですよ、別に……そこまでしてもらう程のこと、してないと思います……」

澪「ううん、今度会ったら必ずお礼するって言ったでしょ、だから約束は守らせてくれないかな」

 遠慮がちな少女達に向け、優しく澪は返していた。
56 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:17:43.82 ID:2rXBvp8co
蘭「あ、ありがとうございます……」

モカ「ありがとうございまーす」

巴「すみません、いただきますっ!」

ひまり「かっこいい……あ、ありがとうございますっ」

 そして、彼女達にちゃんとした自己紹介もしていなかったことを思い出し、澪は名刺を手に、彼女達の方を向く。


澪「そういえばまだ自己紹介もしてなかったね、秋山澪です。桜が丘で、ファンシー雑貨の制作をやってます」

 二度自身の名刺を一人ひとりに手渡しつつ、自己紹介をしていた。

 澪の名刺を受け取り、ひまり達も澪に向け、自己紹介をする。


蘭「……美竹蘭です」

モカ「青葉モカでーす、みんなからはモカって呼ばれてまーす」

巴「宇田川巴です、秋山さん、よろしく」

ひまり「上原ひまりです! えっと……あ、秋山さん! よろしくお願いします!」

 生まれて始めて名刺を手渡されたことで緊張してしまったのか、若干表情が固くなる4人だった。

 そんな彼女達の様子を察し、緊張を解す為、澪は言葉を重ねる。
57 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:18:09.23 ID:2rXBvp8co
澪「あー……その、もし良かったらみんな、私のことは気軽に名前で呼んでくれてもいいよ? もう知り合いだしさ。私もみんなのこと、名前で呼んでもいいかな?」

 自身の周囲に漂うぎこちない空気を取り払うように、優しく言葉を発する澪。

 その気遣いに応えるように、ひまり達もまた、親しみを込めて澪に接するのだった。


巴「はい、もちろんです! 改めてよろしくお願いします、澪さん」

ひまり「澪さん、よろしくお願いします!」

蘭「そっか、澪さん、桜が丘から来てるんですね」

 蘭達の暮らす花咲川と、澪の暮らす桜が丘は、およそ電車で1時間程度の距離がある。

 そう遠い距離ではないが、理由もなく立ち寄れるほど近いというわけでもなかった。


モカ「桜が丘かぁ……」

蘭「モカ、知ってるの?」

モカ「うん、桜が丘にあるスタジオの近くにはね、それはそれは美味しいパンを焼いてくれる喫茶店があるって話なんだー」

モカ「だから、いつかは行ってみたいと思ってたんだぁ〜、えへへへへ〜」

 じゅるりと涎を垂らしながらモカは言う。
58 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:19:10.92 ID:2rXBvp8co
澪「あのお店、私もよく行くんだ。もし良かったら今度買ってくるよ」

モカ「わぁぁ……あ、ありがとうございますー」

ひまり「それに、桜が丘といえば高校の制服、すっごく可愛いって評判なんだよね」

澪「……そうなの?」

ひまり「はい、制服目当てで桜高を受験する子も結構多いんですよ」

澪(……あの制服、そんなに人気だったのか)

巴「それで今日は、仕事で桜が丘から来てくれたんですよね」

澪「うん、そうなんだ……あ、みんなさっきは本当にありがとう。おかげですごく助かったよ」

ひまり「えへへっ、よかったです」

巴「ああ、案内した甲斐があったな」

モカ「ふっふっふー、モカちゃんたちのお手柄〜」

 澪と蘭達の間に和やかな雰囲気が流れてくる。

 それから数分後。トレイに注文した品を乗せ、店員の少女がテーブルにやってきた。


店員「お待たせしました、コーヒーと、サンドイッチのセットになります、あと、こちらがケーキセットになりますっ」

澪「ありがとうございます」

モカ「おー、きたきたー」

店員「それと、私もお邪魔していいですか?」

巴「つぐ、今から休憩?」

店員「うん、お母さんに言って休憩もらったんだ」

 そして、つぐと呼ばれた少女は澪に向き合い、自己紹介をする。
59 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:19:59.57 ID:2rXBvp8co
つぐみ「はじめまして、羽沢つぐみです。お姉さん、蘭ちゃん達とお知り合いだったんですね」

澪「はじめまして……もし良かったら、つぐみちゃんも好きなのどうぞ」

 メニューを手に、澪はつぐみに差し出す。


つぐみ「え、私もいいんですか?」

澪「うん、みんなにもご馳走したし、これも何かの縁ってことで、ね」

つぐみ「あ、ありがとうございますっ」

 澪の言葉をありがたく頂戴し、つぐみは厨房にいる母親にケーキの追加注文を済ませ、再び席に着く。


澪「今朝はみんなのおかげで助かったよ、本当にありがとうね」

モカ「お仕事、どうでしたー?」

澪「うん、バッチリ、上手く行ったと思うよ」

巴「それは良かったです、澪さんの仕事が上手く行って、アタシ達も案内した甲斐がありましたよ」

モカ「やっぱり、大人になってからやる仕事って、大変なのかなー?」

ひまり「う〜ん、どうなんだろう……澪さんはお仕事、楽しいですか?」

 自分達より歳上の女性と話す機会がそう無いのか、次第にひまり達の興味は澪の仕事へと移っていく。
60 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:20:26.49 ID:2rXBvp8co
澪「仕事は……そうだなぁ……大変なこともあるけどやっぱり楽しいよ、好きで選んだ仕事だから、やりがいだってあるしさ」

蘭「やりがい……ですか」

澪「うん、自分達で何日も話し合って、苦労して作ったものがお店に並べられて、それをひまりちゃん達ぐらいの子が喜んで買ってくれるのを見た時は、この仕事やってて良かったって思う」

澪「こんな私でも、世の中の役に立ててるのかなって……そう思うんだ」

つぐみ「お母さんも言ってました、私のケーキをみんなが美味しそうに食べてくれることが、この仕事の一番の楽しみだって」

巴「アタシも、バイトしててお客さんにお礼言われた時、すっげー嬉しかったな」

澪「ああ、ごめんね、なんだか自分の話ばかりで……みんな、今日は学校お休みなの?」

ひまり「はい! 今日は、創立記念でみんなお休みなんですよ」

巴「澪さんを送ったあと、みんなで買い物して、ちょうどここでお茶してたところなんです」

モカ「それでこのあと、5人でバンドの練習もするんですよー」

澪「……バンド?」

 バンドという単語に、澪の眉が僅かに動く。
61 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:21:25.54 ID:2rXBvp8co
ひまり「私達、バンドを組んで音楽をやってるんです♪」

澪「……そう、なんだ」

つぐみ「はい! 実は来週、近くのライブハウスで大きなイベントがあるんですよ!」

 次第に、話題は彼女達のバンドの話へと移っていく。

 自分達が幼馴染同士で、Afterglowというバンドを結成し、来週、大きなライブを控えているということ。

 今日はその打ち合わせと、この後スタジオで練習を控えているということ。

 そんな彼女達の話を聞きながら、澪は昔を思い返していた。


澪(バンドか……懐かしいな)

 澪の脳裏に蘇る、昔の記憶。

 一人の幼馴染に誘われるがままにベースを買い、日夜練習に励んだこと。

 高校に入って間もなく、その幼馴染と共に軽音楽部を立ち上げ、メンバーを募集し、合宿に行ったり、学園祭でライブをしたこと。

 他にも新歓ライブ、遥か海を渡ったロンドンでの演奏、卒業ライブ……そして、毎日のように行われた、放課後のティータイム。

 お茶にケーキを囲って過ごした高校時代の情景が瞼の裏に浮かび、自然と口元が僅かに緩んでいく。

 隣のテーブルで広げられる光景にかつての自分の姿を重ね、澪は彼女達の話に静かに耳を傾けていた。
62 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:21:56.94 ID:2rXBvp8co
蘭「そういえばまりなさん、大丈夫かな……ゲスト、呼んできてくれるかな」

モカ「まー、なんとかなるんじゃないの?」

巴「スペシャルゲストか……一体どんな人が来るんだろうな」

ひまり「かっこいい人達だといいなぁ〜」

つぐみ「楽しみだよね……今からワクワクしちゃうなぁ」

ひまり「あの、澪さんはバンドとか、興味ないですか?」

澪「ううん……実は私も高校の頃、幼馴染に誘われて……軽音部でバンドを組んでたことがあったんだ」

蘭「えっ……? そうだったんですか?」

巴「ち、ちなみに、パートは何やってたんですか?」

澪「ベースだよ、昔は結構弾いてたんだ」

ひまり「わぁ、わ、私と一緒だー! 嬉しいなーっ♪」

 眼前の女性がバンドを組んでいたこともさる事ながら、その女性が自分と同じ楽器を担当していたことに対し、ひまりは喜びを露わにする。

 それは他の4人も変わらず、澪がバンドを組んでいたことにある者は驚き、またある者は興味を惹かれていた。
63 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:22:55.19 ID:2rXBvp8co
澪「ふふっ、懐かしいなぁ……みんなの話を聞いてたら昔を思い出したよ」

ひまり「澪さん、綺麗だから演奏も凄くかっこいいんだろうなぁー」

澪「そんな……むしろ私なんて上がり症で、全然だったよ……」

 実際の評判はさておき、澪は話を続ける。


澪「でも、そんな私を受け入れてくれて、みんなで毎日部活やって……楽しかったな」

蘭「…………」

 懐かしむように澪は昔を振り返る……。

 そんな風に話す澪を見ながら、ふと、蘭の中にある疑問が浮かび上がる。

 その心に抱いた疑問を言葉に変え、蘭は澪に投げかけた。


蘭「あの……澪さん」

澪「……ん?」

蘭「その……澪さん、今はバンドやってないんですか?」

澪「うん……みんな生活や仕事が忙しくて、なかなか会う機会も取れなくなってね」

 少し寂しそうな眼をしながら、澪は続ける。

 そんな澪の顔を見つつ、僅かに蘭の表情が曇っていく。
64 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:23:38.15 ID:2rXBvp8co
蘭「そうなんだ……やっぱり大人になると、いつまでも変わらず……『いつも通り』って訳には行かないものなのかな」

つぐみ「蘭ちゃん……」

 いつまでも子供のままではいられない。時が来れば、嫌でも人は成長し、大人になっていく。

 そして、大人になれば今の自分と周囲の環境も自然と変わっていく……。それは、蘭が高校に入学した時に体験したことでもあった。

 いつの日か、自分達が学校を卒業し、大人になった時、やはり自分達の関係も変わってしまうのか……?

 環境が変わってしまう事への不安が、蘭の胸をちくりと刺す。

 だが、次に澪が言った言葉に、蘭はその考えを改める事になる。


澪「うーん、どうだろう」

澪「確かに会う機会は減ったけど、それで関係が消えたってわけじゃないからなぁ」

蘭「…………」

澪「そりゃあ、学生の時みたいに毎日会ってって事はなくなっちゃったけど……それでも、たまに会うと、みんな学生の時とそんなに変わってないんだ……特に私の幼馴染なんてまさにそうでさ」

澪「だから、大人になったからと言って、何もかも変わるってわけじゃないと思うよ」

蘭「…………」

澪「……それに、あいつらと私は、数年会わないだけで消えちゃうような、そんな寂しい仲じゃないって、少なくとも私は思ってる」

 そう、自信を込めて澪は言ってのける。

 その言葉には一切の迷いがなく、澪の仲間への確かな信頼と自信が込められていた。

 澪の話を聞き、蘭は優しく微笑み、一礼する。
65 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:24:21.02 ID:2rXBvp8co
蘭「うん……澪さん、ありがとうございます」

 たとえ卒業して離れたとしても、それで関係が消えてなくなるわけじゃない。

 その言葉が、蘭の中に芽生えかけた不安を優しく解いていた。


巴「もー、蘭、気にしすぎだって……大人になったからって、アタシ達が蘭の前から消えるわけないだろー?」

モカ「そうそう、大人になっても、モカちゃんはずーっと蘭と一緒だよ〜」

ひまり「卒業して大人になっても、私達は私達……『いつも通り』の、みんなだよっ」

つぐみ「うふふっ……でも私、蘭ちゃんがそう思ってくれてて、すごく嬉しいよ」

蘭「みんな……うん……そう、だよね」

澪(いい子達だな……みんな)


 ――隣のテーブルに映る少女達の瞳は、眩しいほどに輝いているように澪には見えていた。

 彼女達が掲げた誓いは、彼女達が思う以上に儚く、難しい誓いでもある。

 でも、この子達ならきっと出来るだろう。

 私のように、時の流れに翻弄される事もなく、今ある瞳の輝きを守って行けるだろうと……澪は確信していた。

―――
――
66 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:25:16.79 ID:2rXBvp8co
 そして、澪がAfterglowの5人とお茶を交わすことしばらく。

 次の仕事の時間が来た事もあり、伝票を持ち、澪は席を立つ。


澪「それじゃ、みんな今日は本当にありがとう、バンド活動、がんばってね」

ひまり「あ……あの澪さん! もし良かったら、今度のライブ、澪さんも来てくれませんか?」

澪「私も、いいの?」

蘭「はい……澪さんにも、私達の歌、聴いて貰いたいと思います」

巴「アタシのドラム、結構評判いいんですよ」

モカ「ふっふっふー。あたしのギターテクを見たら、きっと澪さんもモカちゃんの虜に〜」

つぐみ「みんな、頑張って練習したんですよ」

ひまり「なので、もし良かったら、澪さんにも聴いてもらいたいと思いますっ」

 言いながらひまりは一枚のフライヤーを澪に手渡す。

 そのフライヤーを受け取り、澪もまたひまりに言葉を返していた。


澪「……ありがとう、うん。なんとか時間作って行けるようにするよ」

ひまり「はい! よろしくお願いします!」

つぐみ「では、お会計お預かりします、ありがとうございました! ごちそうさまでした!」

一同「ごちそうさまでした!」

 皆がケーキをご馳走してくれたお礼を言い、澪を見送っていた。

 彼女達の礼に片手を上げ、澪は別れを告げる。


 ――その帰り道。
67 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:26:24.87 ID:2rXBvp8co
澪「いい子たちだったな……あの子達のライブ、律も誘って行ってみようかな……」

 やや傾きつつある陽光を浴びながら、澪は駅方面へと歩き出す。

 ほどなくして会社に戻り、報告を済ませ、残りの仕事に取り掛かる。

 そして、時刻は定時を迎え、街に西日が差し掛かる頃――。


澪「お疲れ様でした、お先に失礼します」

 一足先にタイムカードを切り、澪は会社を後にする。

 その道すがら、携帯を手に電話を掛ける……相手は、先程話に上がった幼馴染だった。


澪「……ああ、律か? 今日、忘れてないよな…………うん、私も今から向かうよ、それじゃ、また後でな」

澪「ふふっ……みんな、元気にしてるかな」

 足取り軽く、澪は夕暮れに染まる街を歩く。

 かつての仲間達の集う所へ向けて、その足は自然と速まりつつあった――。
68 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:27:07.03 ID:2rXBvp8co
#2-3.放課後の邂逅〜琴吹紬〜

 ――子供の頃から、両親には凄く感謝していた。

 生まれた時から私をずっと守り、ずっと私の我がままを聞いてくれたから。

 だから私には、父や母の期待を裏切ることはできなかった。

 そして、子供をやめた時に私は誓った。両親のために、父の積み上げてきた物を守っていこうと決めた……。


 立場、権威、家、財産……。

 これまで幾度も私を支え、守って来てくれた大切な物にある、唯一の“枷”。

 ……私にも、来るのかな。

 この枷を外し、誰の前でも、ありのままの自分でいられる、そんな時が。


 私の中にある小さなわだかまりは、“彼女”に再会した時、ようやく解けようとしていた―――。
69 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:29:16.01 ID:2rXBvp8co
―――
――


 ……凄く、懐かしい場所に私はいた。

 そこは、放課後の音楽室……私達が毎日のように過ごした部室。

 眼の前には、懐かしい制服に身を包んだ仲間たちの姿が見える。(さま)

 私の用意するお茶を楽しみにする二人と、そんな二人を呆れ顔で見ながら、それでも私のお茶を美味しそうに飲んでくれる同級生と、一人の後輩。

 やがて、顧問の先生も合流し、私達の部活が始まる。(ぅさま)


 みんなの笑い声が部室中に響き、暖かな時間が過ぎていく。(ょう様)

 それは、私が3年間、毎日のように見てきた光景……。

 その中で私は……。(じょう様)
 

 (お嬢様)

 もう……さっきから何だろう、この声は……。

 もう少し、みんなの声を聴いていたいのに……誰の声だろう。


 (お嬢様)


 違うわ……ここでの私はお嬢様なんて固い呼び名じゃない……私は……。


 (起きて下さい、お嬢様)


 わたし……は…………。
70 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:30:55.08 ID:2rXBvp8co
声「起きて下さいお嬢様…………お姉ちゃん……起きて」

紬「っ……!」

 突如、紬は弾けたように瞼を開く。

 ぼやけた目線の先には、跪いて声をかけ続ける、蒼い瞳に金髪のスーツ姿の女性が映って見える。

 その女性が、自分のよく知る秘書であり、また身の周りの世話をしてくれる使用人の斉藤菫だと認識するのに、そう時間はかからなかった。


【琴吹邸】

声「お嬢様……お目覚めですか」

紬「菫……ちゃん」

菫「すみません、お休みのところを無理に起こしてしまって」

紬「いいえ、私の方こそごめんなさい、まさか眠ってしまうだなんて……」

 おそらく、連日の仕事疲れが溜まっていたのだろう……少しの間、熟睡してしまっていたようだ。

 準備の何もかもを使用人達に任せてしまっていたことを謝罪し、紬は菫に向き合う。
71 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:31:30.73 ID:2rXBvp8co
菫「いいえ、それが私達の務めですから、お嬢様はお気になさらないで下さい」

 申し訳なさそうな表情の紬に向け、菫は優しく微笑みながら続ける。


菫「車の準備が整いました、時間も迫っています、そろそろ向かいましょう」

紬「ええ、そうね」

 豪華な装飾の散りばめられた真紅のドレスを身に纏い、紬は玄関へと歩き出す。


使用人「行ってらっしゃいませ、紬お嬢様」

紬「ええ、留守をお願いね」

 出迎えの使用人に一礼し、自宅の屋敷の玄関の先、開かれた高級車の助手席に乗り込む。

 そして程なくし、運転席には菫が乗り込み、多くの使用人に見送られながら、車は発進する。

 紬の古い友人の令嬢、弦巻こころの屋敷へ向かって――。
72 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:32:43.13 ID:2rXBvp8co
―――
――


 ――大学を卒業してすぐの事。琴吹紬は、自身の父が経営する会社……琴吹グループに就職し、懸命に働いていた。

 周囲から親の七光りだと思われたくない一心で紬は昼夜を問わず働き続け、着実に業績を上げ、己の実力で周囲を認めさせ……会社の役員へと登り詰めていった。

 そんな過酷な生活と並行し、紬は淑女としても社交界で華々しい活躍を見せており、数ある資産家や富豪の間でも、紬の存在は一際有名になっていた。

 今日は、数多ある資産家の一つ……琴吹家と古くから親交のある、弦巻家のホームパーティーに招待されたのだ。

 こころより直々に招待を受けた紬は大喜びで出席の旨を伝え、使用人の斉藤菫を伴い、弦巻家の屋敷へと向かっていた。


【琴吹家専用車内】

菫「弦巻家へは約20分程で到着となります、お嬢様、お疲れのようですし、しばらくお休みになられては如何ですか?」

紬「ううん、菫ちゃんが運転してくれるんだもの、いつまでも寝てばかりいられないわ」

紬「……それに、今日は久々にこころちゃんに会えるんですもの、その後は高校時代のみんなにも会えるんだし、もう楽しみで楽しみでっ」

菫「ふふ、お嬢様、本当に楽しみにされていましたよね」

 期待感溢れる笑顔を顔全体に浮かべながら、ハンドルを握る菫に紬は言う。

 それはまるで遠足前の子供のようで、そんな紬の笑顔に釣られたのか、自然と菫の声も柔らかくなっていた。

 しかし、一瞬和らいだその声も、次の言葉を発する頃には真面目なトーンに戻っていた。
73 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:34:03.64 ID:2rXBvp8co
菫「ですがお嬢様……浮かれるのもよろしいですが、今日は多くの資産家の方々もお見えになられます、その点、くれぐれもお忘れなきようお願い致します」

紬「はーい、分かってるわ」

 どこか寂しげな返事をする紬に対し、菫は運転を止める事もせず、頭の中に詰め込んだ数百に及ぶ来賓のリストを読み上げていく。


菫「本日ご出席される来賓には、ドイツ外交官のダミアン氏にイギリスの不動産王アーサー氏……ロシア政財界のトップ、アレクサンドル氏もいらっしゃいます」

菫「……それと、中国財団の王氏は先日ご子息がご誕生なされたので、ご祝言をお忘れなくお願いします」

紬「ええ、分かったわ」

菫「いずれも琴吹グループとは古い付き合いであり、仕事の上でもビジネスパートナーとして重要な方々ですから……申し訳ありませんが、今回は仕事の一環として参加しているという事も覚えておいて下さい」

紬「ええ……仕方ないけど……一応理解はしてるつもりよ。ありがとうね、菫ちゃん」

 社交界の集まり、そこには当然多くの資産家が来賓として招待される。

 今や紬の存在は社交界や政財界でも注目されており、そこには当然、紬に一目会おうとする者や、今後の事を踏まえ、琴吹家との友好関係を築こうとする者もいる。

 紬としても、旧友との一時を過ごそうという場で仕事や家の事を考えるのは不本意ではあった。が、それが琴吹家の家紋を背負って立つ、『琴吹紬』の立場なのだという事を理解していた。


紬「分かってはいるけど、あーあ、なんかやる気出ないなぁ」

 紬がむくれる仕草をする、その評定にやれやれと観念し、菫はそっと一言、紬に囁いた。


菫「……私も頑張るから、少しだけ頑張ろう……ね? お姉ちゃん」

紬「……うんっ」

 静かな車内に紬の笑顔が戻り、車は進む。

 そして数分後、菫の運転する黒塗りの高級車は、弦巻家の屋敷へと到着していた――。
74 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:34:36.49 ID:2rXBvp8co
―――
――


【弦巻家 庭園】

紬「んんん……やっと着いたわねー」

 軽く背伸びをし、紬は周囲を見る。

 屋敷の外には既に多くの高級車と共に本日の来賓として招待された資産家の姿も見え、その姿の一つ一つが場の華やかさを一層引き立てていた。


菫「もう既に多くの方が見えられてますね」

紬「ええ、では、早速行きましょうか」

 菫を従え、会場となる屋敷のホールへと向かう途中の事だった。


男性「Oh, Tsumugi!」

紬「……? あれは……」

 突然、タキシード姿の白人男性が紬に英語で声をかけてきた。

 彼が以前、父の付き添いでアメリカに行った際に知り合った男性だという事を思い出し、紬は頭の中を仕事モードに切り替え、応対する。
75 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:35:23.63 ID:2rXBvp8co
男性「I am glad to see you after a long time, how is your father doing?」
(久しぶりに会えて嬉しいよ、お父上はお元気ですか?)

 本場さながらの流暢な英語だが、決して何を言っているのかが分からない紬ではない。

 後ろに控えている菫が通訳に入ろうと男性の前に割って出たが、紬はそれを制止し、英語で返す。


紬「I am happy to see you after a long time, my father is fine」
(久しぶりにお会いできて嬉しいです、父は元気ですよ)

男性「Please tell me that it was good and please come to our company again in the future」
(それは良かった、ぜひまた今後、我が社に来てくださいとお伝え下さい)

紬「Yes, let me know, so let's see you again......」
(はい、お伝えしておきますわ、それではまた……)

男性「Yes see you again」
(ええ、またお会いしましょう)

 紬に軽く一礼し、男性は庭園の端、多くの資産家の集まりの中へと入っていく。

 男性の姿を見送り、紬は軽くため息をついていた。


紬「びっくりした……彼も招待されていたのね」

菫「そのようですね……先程はすみません、出過ぎた真似をしようとしてしまって」

紬「ううん、通訳を通すよりも、直接お話したほうが向こうも嬉しいと思ったからね」

菫「お嬢様……」

菫(こういうのは私に任せてくれればいいのに……)

 紬のこうした人と向き合う姿勢が、昔から公私両面に置いて良い関係を築いているのだろうと菫は思う。

 ただ、菫の中に紬への唯一の不満があるとするなれば、お嬢様のサポートにと必死で覚えた外国語を話す機会が、当の紬の前では、ほとんど発揮されない事ぐらいだった。
76 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:36:24.72 ID:2rXBvp8co
女性「Hallo Tsumugi」

 弦巻家の使用人と挨拶を交わしながら屋敷へと向かうその途中、二度紬に話しかける声が聞こえてくる。

 今度はやや年配と見られる女性が、ドイツ語で話をかけていた。

 先程同様に思考を仕事に切り替え、紬はドイツ語で言葉を交わす。


紬「Na ja Es ist lange her, ich freue mich, Sie kennenzulernen!」
(まあ! お久しぶりです、お会いできて嬉しいです!)

女性「Gutes Deutsch wie immer, ich bin beeindruckt」
(相変わらず上手なドイツ語ね、感心しちゃうわぁ)

紬「Danke fur das Kompliment」
(お褒めいただき光栄です)

女性「ch lass ihn warten, lass uns wieder Tee trinken, also auf Wiedersehen」
(彼を待たせてるの、またお茶でもしましょう、それじゃあね)

紬「Wir sehen uns wieder」
(またお会いしましょう)

 そう言い、手を振る女性に向け、紬もまた同じように手を振り、女性を見送る。

 それから屋敷へ向かう道中、様々な国の様々な資産家が紬の元に集い、挨拶を続けていた。

 それらに対し、紬はフランス語、中国語、ロシア語と、その人の国籍に合わせた言葉で挨拶を交わし、笑顔で言葉を交わす。

 ……それから、庭園を抜けて屋敷に辿り着くまでに、既に30分余りの時間が経過していた。

 ようやく屋敷に辿り着き、紬はぼやく。


紬「まさか、お友達のお屋敷に着くまでの間に5ヶ国語も話す事になるとはね……」

菫「お嬢様……」

紬(はぁ……早くこころちゃんに会いたいわ……)

 恐らく、今日は一日中こんな感じになるのだろうかと……考えれば考えるほど、気が重くなる。

 ……でも、こころに会う事ができれば、きっとこの憂鬱とした気持ちも晴れるだろう……と。そう信じ、広い屋敷を歩き続ける……。

 紬と菫の2人は、ただひたすらに本日の主催の姿を探し求めていた。
77 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:37:33.00 ID:2rXBvp8co
―――
――


【弦巻家 パーティー会場】

 所変わってパーティー会場の別フロア。

 そこには、本日の主催である弦巻こころの友人……『ハロー、ハッピーワールド!』のメンバーが集っていた。


美咲「せっかくのテスト休みだから家でのんびりしてたのに……こころってば急にみんなを呼び出して……どうしたんだろ」

花音「おうちの前に大きな車が止まってて……私、びっくりしちゃったよ」

美咲「ウチもです、黒服さんに言われるがままに大きな高級車に乗り込んでたのを母に見られた時、『あんた、一体何やったの?』って心配されましたよ……まぁその誤解は黒服の人達が解いてくれたみたいでしたけど」

花音「大変……だったね、それにしても……ふえぇ……ここにいる人達みんな、すっごいお金持ちみたいだね……」

美咲「ええ、いかにもお金持ちのやるパーティーって感じですね……ほんと、つくづくこころって凄いんだなって思います」

 自分達の周囲にいる来賓を見ながら、美咲と花音は口を揃える。

 それは一般庶民である美咲や花音から見ても分かるほど、周りにいる来賓の一人ひとりが自分達とは違い、華やかな人生を歩んできているのだと言うことが伝わっていた。
78 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:38:05.22 ID:2rXBvp8co
薫「ああ……なんて美しい……これが、本場のパーティー……フフフ、今宵の私のダンスのお相手は、どこにいるんだろうね……」

はぐみ「みーくんみーくん! あっちに大きなケーキがあったよ! あとで食べに行こっ!」

美咲「この2人は相変わらずだし……」

花音「うふふっ、薫さんも、今日は大人っぽくてかっこいいね……」

美咲「まぁ、薫さんの場合、普段からあんな感じですからね……様になってると言うか、舞台慣れしてると言うか……」

花音「うんうん、美咲ちゃんのそのドレスだって、すごく綺麗で似合ってるよ?」

美咲「ありがとうございます、花音さんのそのワンピースも、よく似合ってて、可愛らしいと思いますよ」

薫「ふふふ、はぐみ……かわいいドレスだね、汚さないように気をつけるんだよ」

はぐみ「うん! 薫くんのお洋服も、すごくかっこいいと思うよ!」

 黒服に言われるがままに屋敷に来た美咲達は、黒服の用意したパーティー衣装に着替えていた。

 皆が皆、普段はまず目にかかれないようなパーティー衣装を着こなし、年相応の女の子らしい反応をしている。

 そして、会場の様子が更なる賑わいを見せてきた時だった……。


美咲「しかし、こころってば、一体どこにいるんだろ……」

声「あっ! みんな、来てくれたのね♪」

 美咲達の耳に飛び込む、一際明るい声。

 振り向くとそこには、美咲達と同様に優雅なドレスを身に纏った、弦巻こころの姿があった。
79 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:38:39.60 ID:2rXBvp8co
こころ「ようこそ! 今日はホームパーティーを開いたのよ、みんな楽しんでってちょうだい♪」

はぐみ「こころん、今日ははぐみ達を呼んでくれてありがとうね!」

薫「ふふふっ、こころの素敵な招待に感謝するよ、ありがとう……こころ」

花音「ありがとうこころちゃん、こころちゃんも今日は一段とキレイだねっ」

美咲「それでこころ、一体今日はどうしたってのさ?」

こころ「今日は、ハロー、ハッピーワールド!の事を、私のお友達に紹介しようと思ったのよ♪」

花音「……お友達?」

美咲「まさか、それだけのためにこんな大きなパーティーを開いたっていうの……?」

こころ「そうよ、みんながハロハピの事を知ってくれたら、世界はもっと笑顔になると思うの♪ どう、ステキでしょ?」

美咲「……………ははは、もう、なんでもいいや」

 こころのこういう突拍子もない所についていちいち突っ込むのも今更かと、乾いた笑顔でこころの発言を受け入れる美咲だった。


 ――それから、4人も次第にパーティー会場の高貴な雰囲気にも慣れていった時のこと。
80 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:39:16.82 ID:2rXBvp8co
はぐみ「うんうん、このお肉、すっごくおいしいっ!」

薫「ほら、はぐみ、口元にソースが付いてるよ」

はぐみ「本当だぁ、薫くん、ありがとっ」

美咲「しかし、本当にすごいなぁ……有名政治家に資産家……どこも有名人だらけですね」

花音「ねえ、美咲ちゃん、あそこ見て……」

美咲「あれって……えええ?? う、嘘でしょ?」

花音「あの2人、私、朝のテレビで見たよ……確か、すっごく仲の悪い事で有名な政治家だよね?」

 美咲と花音が目を向けた先、そこには、連日のようにテレビを賑わせている有名な2人の政治家がいた。

 一人は恰幅の良い初老の白人男性と、もう一人は威圧感のある軍服を身に纏ったアジア系の男性で、互いに啀み合うような表情で双方を睨んでいる。

 その後ろに佇む部下と思われる男達も例外ではなく、2人の政治家の間には、見えない火花が散っているように感じられていた。


こころ「私、ちょっと2人とお話してくるわっ♪」

美咲「ちょっ……話してくるって……こころ、待ちなって!……ああもう、こころってば……」

 超大物政治家2人を相手に怖気づく様子もなく、こころは2人の元へ向かっていく。その度胸……というよりも空気の読まなさ加減に、美咲の口からは呆れ声が出る。

 そして何より、ここで下手に2人を刺激すれば、両国の関係が崩れてしまうのではないかと美咲が危惧した矢先の事だった。

 2人の元にこころが駆け寄り、何やら話をしているのが伺える。


美咲「ちょっとこころ、あのバカ何やってんの……?」

花音「なんだか、2人の間に入ってお話してるしてるみたいだけど……」

美咲「ここからじゃ、何を言ってるのか聞こえないですね……」
81 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:41:33.61 ID:2rXBvp8co
こころ「〜〜〜〜? 〜〜〜! 〜〜♪」

白人男性「…………」

軍服男性「…………」

こころ「〜〜〜! 〜〜〜♪ 〜〜〜〜☆」

白人男性「…………」

軍服男性「…………」


 2人の間にこころは立ち、笑顔で話を続けている。

 次第に強張っていた顔の2人は、その表情を緩め、互いが互いの顔を優しく見つめていた。

 そして……。


白人男性「I was bad...... Would you like to get along well now?」
(私が悪かった……これからも仲良くしてはくれないだろうか?)

軍服男性「I was bad, let's go together and build a good country!」
(私こそ悪かった、共に2人で、良い国を築いて行こう!!)

 2人の政治家は言葉を交わし、握手をする……かと思いきや、次に2人は、涙を流しながら熱く肩を抱き合っていた。


美咲「嘘でしょ……あの2人、泣きながら抱き合ってるよ!」

花音「ふえぇぇ……こ、こころちゃん、何を言ったんだろう」

こころ「ドナルドとジョン、ケンカでもしてたのかしら? 会った時からずっと笑顔じゃなかったのよ」

こころ「だから、私が2人を仲直りさせてあげたの♪ これでみんな笑顔になれたわよっ♪」

美咲「こころ、あんたって本当に……」

 こころの行動は国際問題どころか、一触即発状態にあった国を和平へと導くことになった。

 これをきっかけに後日、犬猿状態にあった両国間に友好条約が締結される事になるのだが、それはまた別の話である――。
82 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:42:22.96 ID:2rXBvp8co
―――
――


こころ「うふふっ♪ みんな笑顔で楽しそうね、私も嬉しいわっ」

こころ「……あっ!」

美咲「ん……?」

 ふと、こころが一組の来賓を見かける。

 こころのいる所から数メートル先、そこには赤いドレスを身に纏った金髪の女性と、その横には、スーツ服姿の金髪女性の姿が映って見える。

 2人の女性に向け、こころは駆け出し……後ろから抱き着いていた。


こころ「つむぎーーー♪ 会いたかったわ、つむぎーーっっ♪」

紬「きゃっ……こ、こころちゃん??」

 突然背後から抱きつかれ、思わずよろける紬だったが、抱きついてきた主が自分の探し求めていた人物だと知ると、その驚きは安堵に変わっていた。


紬「こころちゃん! 会いたかったわぁ……」

菫「こころお嬢様……どうも、ご無沙汰しております」

こころ「紬、菫♪ 久しぶりね、来てくれてありがとう♪ 2人とも元気だったかしら♪」

紬「ええ……うふふっ、こころちゃんもお元気そうね……」

 こころと紬、菫の3名が久々の再会を喜び合っていたその時、こころの後方より、美咲達が追いついてきた。
83 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:43:49.32 ID:2rXBvp8co
美咲「ちょっとこころ……急に走り出さないでよー」

花音「はぁ、はぁ……きゅ、急に走り出すからびっくりしちゃった」

薫「ふふっ、こころ、急に走り出したりして、一体どうしたんだい?」

はぐみ「わぁぁ、綺麗なお姉さん達だねー、こころんのお友達?」

こころ「そうよ♪ この二人は私のお友達の、紬と菫よ♪」

こころ「紬、菫、こちらは私のお友達なの♪ みんな、ステキな人達なのよ♪」

紬「まぁ……そうなのね」

 こころの目線の先にいる4名の少女達に向け、紬と菫は自己紹介をする。


紬「はじめまして、琴吹紬です、こころちゃんとは昔からお付合いをさせていただいてるの、どうぞよろしくね」

菫「斉藤菫と申します、皆様、どうぞ宜しくお願い致します」

花音「ま、松原花音です、よろしくお願いします」

薫「薫……瀬田薫と申します……ああ、なんて美しい女性達なんだろう……」

はぐみ「北沢はぐみですっ! つむぎさん、すみれさん、よろしくねっ」

美咲「どうも、奥沢美咲です……ん、『琴吹』って……もしかして、あの琴吹??」

 紬の名前を聞いた美咲の表情に、僅かな緊張が走る。
84 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:44:48.58 ID:2rXBvp8co
はぐみ「みーくん、知ってるの?」

美咲「知ってるも何も、超大手のグループ会社じゃん……はぐみだってテレビのCMぐらいは見たことあるでしょ?」

美咲「しかも、名前が紬って……もしかして、あの琴吹家の紬お嬢様……?」

花音「こころちゃん……すごい人とお友達だったんだね……」

美咲「ええ、とても凄い人だって聞いてます、……ああ、私、なんだか緊張してきた……」

 眼の前の女性が、過去に何度かテレビや新聞でも見たこともある女性だという事を思い出し、思わず息を呑む2人だった。

 そんな緊張気味な2人に向け、こころが話しかける。


こころ「2人とも何を固くなってるの? 紬は紬よ、私の大事なお友達よ? つまり、みんなのお友達よっ♪」

こころ「さあ、怖い顔してないで、美咲も花音も紬と握手しましょっ♪ これで2人も、紬のお友達よっ」

美咲「こころ……」

花音「こころちゃん……」

 こころに促されるまま、美咲と花音は紬と手を交わす。

 紬の手に2人の手が重ねられ、優しく握られた。
85 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:45:31.18 ID:2rXBvp8co
美咲「紬……さん、さっきは失礼しました。改めて、よろしくお願いします」

花音「わ、私も……よろしくお願いしますっ」

紬「ええ……ありがとう、美咲ちゃん、花音ちゃん……これからもよろしくね」

はぐみ「あー、みーくんもかのちゃん先輩もずるーい! 今度ははぐみと薫くんとも握手しよっ!」

薫「ふふっ……紬さん、どうぞ宜しく……」

紬「ええ、私からもよろしくね」

 次いで差し出されたはぐみと薫の手を優しく握り、紬は微笑む。

 その光景を満足そうにこころは眺め、笑顔を絶やさず続けた。


こころ「ふふふっ、みんなが紬と仲良くなれて、私も嬉しいわっ♪」

紬「うふふふっ……こころちゃん、ありがとうね」

こころ「……? 変な紬、私は何もしてないわよ?」

 眩しい程に輝くこころの笑顔を見て、紬はふと思う。

 こころは決して立場や状況を弁えず、空気を読まない。どこにいようが、常に等身大のこころでいる。

 そして、こころが持つ笑顔の輝きの前では、誰もが立場や権威を捨て、ありのままの自分に戻れる。

 それは、周囲の評価や立場に縛られた大人になってしまった紬には決して出来ない事で……それを容易くやってのけてしまうのが、弦巻こころの魅力であり、皆がこころを慕う理由でもあった。

 紬自身も、先程までの資産家らを相手にした立ち回りとは違う、等身大の自分でいられる事に喜びを抑えきれずにいた。

 そこにはもう、琴吹家令嬢としての『琴吹紬』はなく、ただ一人の女性としての『琴吹紬』がいるのみだった――。
86 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:46:18.02 ID:2rXBvp8co
こころ「うふふふっ、なんだか楽しくなってきたわね、そうだ♪ せっかくだし、みんなで今から踊りましょうっ♪」

美咲「えええ、いきなり? しかもここで?」

花音「ふえぇぇ、わ、私……こういう所で踊るダンスなんて知らないよぉー」

薫「大丈夫だよ、花音、さあ、私の手を取ってごらん……」

はぐみ「みーくんみーくん! みーくんも踊ろっ!」

美咲「あーもう……みんな、少しは落ち着きなってばー」

 それから程なく、こころの思い付きで、舞踏会が開かれる。

 自由に踊るこころ達の姿を見て、周囲では互いに手を取り、社交ダンスを行う者が相次ぐ。

 気付けばフロアの一角は優雅なダンス会場となり、互いが互いの手を取り合う場へと成り代わっていた。


紬「素敵なお友達ができたのね……こころちゃん」

菫「はい、あんなにも笑っていられるこころ様のお姿……私も久しぶりに見た気がします」

こころ「二人とも、何をしてるの? みんなで踊りましょっ♪」

紬「うん、行こう、菫ちゃん!」

菫「はい、お嬢様……」

紬「ううん、違うわ、今の私は……」

 『お嬢様』という堅苦しい呼び名ではない、今の私は、あなたと長い時を過ごした、たった一人のお姉ちゃんよ。

 言外でそう紬は言っている……言葉にしなくとも、菫にはそれが十分伝わっていた。


菫「そう……だね……うん、お姉ちゃんっ!」

 菫は叫ぶ。紬の妹として、親しみと敬愛を込め、紬の家族としての呼び名で叫ぶ。

 そこにいるのは既に紬の秘書でも使用人でもない。

 血の繋がりこそ無いが、それでも紬のことを長く『お姉ちゃん』と呼び親しんで来た、琴吹紬の唯一の妹としての、『斉藤菫』だった。
87 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:47:01.28 ID:2rXBvp8co
―――
――


 そして、こころの思い付きで開かれたダンス大会もほどなく終わりの気配が近付いた頃。


はぐみ「あーっ、楽しかったね〜」

薫「ああ、とても儚い一時だったね……心が洗われるような時間だったよ」

美咲「あははは、慣れないことやったから脚がガクガクだよ……」

花音「私も……でも、楽しかったよね」

美咲「まぁ……悪くはなかったですよね」

はぐみ「ねえねえこころんー、そういえば、ミッシェルはどうしたの?」

薫「そういえば、今日はまだミッシェルを見ていなかったね……かくれんぼでもしてるのかな?」

こころ「それが、ミッシェルってば、今日はどうしても外せない用事があるっていうのよ」

紬「……ミッシェル?」

はぐみ「うん、ミッシェルっていうのはねー」

美咲「あー、まぁ、その話は今はいいでしょ? 今日は来れないって言ってたんだしさ」

 はぐみの言葉に美咲が被せる、ここで下手にミッシェルの話を膨らませて、どうしてもこころがミッシェルに会いたいと言い出しでもしたら、きっと黒服が動いて自分がミッシェルにならざるを得なくなるだろう。

 それはあまりにも面倒なので、こころとはぐみの気をどうにか紛らわせる事にする。
88 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:47:33.64 ID:2rXBvp8co
こころ「今度、紬にもミッシェルを紹介するわね♪」

紬「ええ、楽しみにしてるわっ」

美咲「……それにしても紬さん、本当にこころと仲良しですよね」

花音「うん、そうだね〜」

美咲「あの、紬さんとこころは、どれくらい前からの知り合いなんですか?」

紬「私が高校生ぐらいの頃からだから……もう10年ぐらいになるのかしら」

こころ「紬のお家で、紬のお誕生日の日に私達はお友達になったのよ、懐かしいわねっ♪」

紬「あの頃はまだ背も小さかったのに……今じゃこんなに立派になって……うふふっ、こころちゃんも大きくなったのね……」

 こころの頭を紬が優しく撫でる。

 既にこころの気は、ミッシェルから紬へと移っていたようだった。

 ……その時。


はぐみ「つむぎさん……」

美咲「ん、はぐみ、どうかした?」

はぐみ「つむぎ……つむぎ………う〜ん……」

 はぐみが一人、ぶつくさと独り言を繰り返していた。


はぐみ「つむぎ……つむぎ……むぎ…………ムギちゃん先輩!」

紬「えっ……?」

 はぐみの言葉を聞いた紬の眼が一瞬、大きく開かれる。
89 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:48:24.17 ID:2rXBvp8co
美咲「ちょっとはぐみっ、年上の人に失礼でしょ」

はぐみ「ごめーん、う〜ん……でもなんか、そう呼んだらすごくしっくり来たんだ」

紬「ううん、い、いいの! はぐみちゃん、もう一度呼んでくれる?」

はぐみ「……? うん! ムギちゃん先輩っ!」

紬「……っ」

 『ムギちゃん先輩』と、はぐみが紬を呼ぶその声に、懐かしい日々が紬の脳裏に蘇る。

 かつて、制服を着て高校に通っていた頃。その高校で、素敵な仲間に出会えたこと。その仲間とともに、軽音部で青春を謳歌したこと。

 様々な思い出が紬の中を駆け巡り、懐かしい声が紬の記憶の中でこだまする。


 『――ムギちゃーんっ! 一緒に部活行こっ』

 『――おーいムギー! 今日のお茶も、楽しみにしてるからなー』

 『――二人とも、ムギに甘えすぎだぞー! ……ムギ、いつもありがとうな』

 『――ムギ先輩! 次のライブ、楽しみですね!』


紬(…………)

紬「……っ……っ」

 皆に気付かれぬよう、紬はそっと目元を拭う。
90 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:48:57.06 ID:2rXBvp8co
菫「お嬢……お姉ちゃん……大丈夫??」

紬「うん……ごめんなさい、ちょっと昔を思い出しちゃって……」

紬(懐かしいな……)

 紬の事をそのあだ名を呼ぶ人は、もう紬の周りには一人としていなかった。

 それが、ここで再びそのあだ名で呼ばれることになろうとは。

 突如訪れた不思議な偶然に、紬の口から感謝の言葉が囁かれる。


紬「……ありがとう、はぐみちゃん」

はぐみ「……? ムギちゃん先輩、どうしたのかな?」

―――
――


 それから、7人の話題は、こころ達の今の話に移っていった。


はぐみ「そうだ、ねえこころん、ムギちゃん先輩達にもハロハピの事、教えてあげようよっ」

紬「ハロハピ?」

こころ「そういえば紬はまだ知らなかったわね、私達は、『ハロー、ハッピーワールド!』っていうバンドを組んでるのよっ♪」

はぐみ「うん! みんなすごいんだよ!」

薫「ふふふ、音楽を通して世界中を笑顔に……なんて素晴らしく、儚い目標なんだろうね」

花音「私達、こころちゃんに誘われて、バンドをやってるんです」

美咲「まぁ誘われたというか……巻き込まれたって言っても良いですけどね」

 そして紬達はこの時初めて知った。

 こころ達が今、『ハロー、ハッピーワールド!』というバンドを結成し、音楽を通して世界を笑顔にするための活動を行っていることを。
91 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:49:40.31 ID:2rXBvp8co
こころ「みんな行くわよ♪ ハッピー! ラッキー! スマイル!」

はぐみ・薫・こころ「イェーイっ!」

花音・美咲「い、イェーイ」

 こころ達が声を合わせ、お決まりのフレーズを口にする。

 紬と菫も、その様子を見て優しく微笑んでいた。


紬「うふふっ、こころちゃんの作ったバンドかぁ……なんだか楽しそうね……」

菫「バンド……懐かしいですね、私も昔を思い出します」

こころ「そういえば、紬たちも昔、バンドを組んでたのよね?」

紬「ええ、そうよ、うふふっ、懐かしいわね……」

薫「それはそれは……不思議な縁だね、お二方とも、バンドをやってただなんて」

こころ「私、小さい頃に紬と菫の演奏を見たことがあるのよ! あの時の2人、すっごくかっこよかったわ! バンド名は……なんだったかしら?」

紬「放課後ティータイムと……」

菫「わかばガールズ……ですね、本当に懐かしいです」

美咲(ん……放課後ティータイム……? どこかで聞いたことあるような……)

花音「あ、あの! お二人のパートは何だったんですか?」

紬「私はキーボードで、菫ちゃんはドラムだったわよね?」

菫「はい」

はぐみ「じゃあ、かのちゃん先輩と、ミッシェルと同じだね!」

美咲「まぁ、厳密に言えばミッシェルはキーボードじゃなく、DJだけどね」

こころ「……そうだわ♪」

 突如、こころがパチンと手を叩き、弾けたように何かを思いつく。
92 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:50:24.55 ID:2rXBvp8co
美咲(うわぁ、すごく嫌な予感……)

美咲「い、一応聞くけど……こころ、一体何を思いついたの?」

こころ「ライブよ! 今からライブをやりましょう♪」

花音「え……ふえええええ!?」

美咲(やっぱり……)

薫「ふふふっ……ああ、私も今、こころと同じことを思っていた所だよ」

はぐみ「うんうん! どうせなら、ムギちゃん先輩とスミーレ先輩にも、はぐみたちの演奏を見てもらおうよ!」

菫「す、スミーレって……また懐かしいあだ名を……」

紬「こころちゃん達のライブかぁ……楽しそうね♪」

美咲「で、でもほら、ミッシェルはどーするの? 今いないんだよ?」

 言いながら美咲が目線をホールの端に寄せてみる……すると。


黒服(美咲様、ミッシェルの準備、いつでもOKです!)

 と、美咲に向け、親指を立てる黒服達の姿が見えた。


美咲「はぁ……やっぱ、やんなきゃダメか」

 観念した美咲が目線で黒服に了承し、その了解を受け取った黒服はこころに耳打ちをする。
93 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:51:17.28 ID:2rXBvp8co
黒服「こころ様、ミッシェル様ですが、たった今こちらに向かってるとの事です」

こころ「そう! ならよかったわ! 黒服さん、ありがとう♪」

こころ「みんなー! ミッシェルも今ここに向かってるわ! これからライブをやるわよー♪」

 こころは会場中に聞こえる声量で声を上げる。

 その声を聞き、会場中の来賓の間で、こころの催事への期待を寄せる声が聞こえてくる。


男性「おお、どうやら、これからこころお嬢様がご学友の方々と演奏会をするようですね……」

女性「まぁ……楽しみですわ、きっと、優雅な演奏会になるのでしょうね……」

美咲「演奏会って……みんな何か勘違いしてない……?」

花音「あははは……いいんじゃないかな……ガールズバンドパーティーも近いし、リハーサルも兼ねてってことでさ」

薫「こんな大勢の前でライブだなんて……胸が踊りだすよ、みんなが私の演奏の虜に……ああ、なんて儚いんだ……!」

はぐみ「えへへへ、はぐみも頑張るよ!」

美咲「まぁ、このメンツで集まってライブをやらないことの方が珍しいか……わかった、分かりましたよ」

紬「菫ちゃん、最前列で見ましょう! 私もこころちゃん達のライブ、見てみたいわ!」

菫「あの、お嬢様、言い難いのですがその……そろそろお時間が……」

紬「えっ? 嘘、もうそんな時間なの?」

 菫に言われ、紬が時計を見る。すると次の約束……紬と菫の高校の同窓会まで、既に1時間を切っていた。
94 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:52:53.14 ID:2rXBvp8co
紬「もっと早く、こころちゃん達に会えていれば良かったのに……残念だわ」

菫「私もです、楽しい時間が経つのはあっという間なんですよね……」

こころ「紬ー、紬達も見てってくれるわよね! 私達のライブ!」

紬「ごめんなさいこころちゃん……せっかくなんだけど、もう次の約束の時間が来ちゃったのよ……」

 時間が迫っていることを説明し、落胆した様子で紬はこころに打ち明ける。


こころ「あら、そうなの……? それは残念だわ」

紬「また誘ってくれる? 次は時間を作って、必ず行くから……」

花音「そっかぁ……残念ですけど次の予定があるなら、仕方ないね……」

美咲「ええ、紬さんもお忙しいようですし……次の機会に……ですね」

はぐみ「ムギちゃん先輩っ! だったら、今度はぐみ達がやるライブに来て欲しいなっ」

薫「そうだね……今日のライブは一旦お預けになってしまうけど……でも、次のライブは、今日以上に儚いライブになると、お約束しますよ」

こころ「そうね、紬、菫。来週やるガールズバンドパーティーには是非いらしてちょうだい! みんなで待ってるわね♪」

黒服「紬様、菫様、詳細につきましてはこちらを御覧ください」

 こころの声に合わせ、黒服より、ガールズバンドパーティーの告知フライヤーが紬に手渡される。

 数多の出演バンドの名前が連ねられたそのフライヤーには、ハロハピの名前も確かに書き留められていた。
95 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:53:59.78 ID:2rXBvp8co
紬「ええ、必ず行けるようにするわ、もちろん、菫ちゃんも一緒に……ね」

菫「はい、私も、皆様のご活躍を楽しみにしております」

紬「それと……美咲ちゃんっ!」

 そして会場を後にする間際、紬は美咲を呼び止める。


美咲「……はい? なんでしょう?」

紬「こころちゃんと、これからも仲良くしてあげて……ね」

美咲「……ええ、もちろんです」

美咲「今日は会えて良かったです……また、お二人にお会いできる日を楽しみにしてます」

 紬の眼差しに、美咲は笑顔で応え……改めて、固い握手を交わすのであった。
96 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:54:26.60 ID:2rXBvp8co
―――
――


 それから程なく、移動の準備を終えた二人は弦巻家の屋敷を後にする。

 しばらくしてから微かに聞こえてくるライブの賑わいに、僅かにうしろ髪が引かれる気持ちの二人だったが、迷いを振り切り、車は走り出す。


【琴吹家専用車内】

紬「こころちゃん達、本当に楽しそうだったわね……」

菫「ええ、私も、昔を思い出しました……」

紬「うん、早くみんなに会いたくなったわ、まだ着かないのかしら?」

菫「お嬢様、もう少々お待ちください……会場まで、後少しですよ」

紬「も〜、違うでしょ、菫ちゃん……」

 むくれた子供のような顔で紬は言う。

 その言葉の意図を理解し、菫は僅かに溜息を漏らし、言い直す。


菫「……うん、もうじき着くから、少しだけ待ってて……お姉ちゃん」

紬「うんっ!」

 夕日に照らされる道路を、黒塗りの車はひた走る。

 二人の目的地は、すぐそこまで迫っていた――。
97 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 21:58:52.84 ID:2rXBvp8co
#2-4.放課後の邂逅〜中野梓〜


 ――いつからだろう、自分の音楽が分からなくなってしまったのは。

 ――いつからだろう、私の音に、迷いが籠もるようになってしまったのは。

 ――いつからだろう、自分の音が、かつての熱を失ってしまったと感じたのは。

 そんな風に停滞を感じていた時だった、父と母が、私に一つの話を持ちかけて来たのは。


 「――ある人を近々ゲストに招きたい。彼と会い、話を通しておいてくれないか」


 父と母はそう言い、私に彼を紹介してくれた。

 それが、私と“彼女達”を繋ぐ、一つの……大きなきっかけだった――。
98 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:07:51.94 ID:2rXBvp8co
―――
――


 その日、Roseliaの5人は、ライブ前の練習の為、とあるスタジオにて音合わせを行っていた。

 普段は馴染みのあるCiRCLEを使っているRoseliaだが、生憎とその日は既に予約で埋まっており、また近隣のスタジオも同様に埋まっていた為、5人は朝から花咲川から離れた場所……桜が丘にあるスタジオで練習に勤しんでいた。

 その日の練習は順調に進み、充実した時間は瞬く間に経過していく。

 昼を過ぎ、5人がスタジオを出てからの事……。


【桜が丘市内】

友希那「さっきのスタジオ……なかなか良かったわね」

紗夜「そうですね、設備も整っていましたし、料金も手頃だったので、次も利用したいと思います」

あこ「まさに、隠れた名店って感じでしたよねっ」

リサ「花咲川からはちょっと遠かったけど、また来たいよね」

燐子「はい……そう……ですね」

 などと言った会話をしながら道を歩く5人。

 それぞれが今日の練習の出来具合に満足だったのか、その表情は明るく見えていた。
99 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:08:57.52 ID:2rXBvp8co
あこ「う〜〜ん……たくさん練習したから、あこお腹へっちゃったぁ〜」

紗夜「そうですね……湊さん、どうでしょうか? まだ時間もありますし、ミーティングも兼ねてこの辺りで食事にしませんか?」

友希那「そうね……じゃあ、お店を探しましょうか」

リサ「賛成ー♪ じゃあさ、せっかくだしここ行ってみない?」

 リサが器用にスマートフォンを操作する。……しばらくして表示された画面には、とある喫茶店の名前が表示されていた。


友希那「リサ……ここは?」

リサ「うん、前にモカがね、桜が丘のスタジオの近くに、おいしいパンを焼いてくれる喫茶店があるって言ってたのを思い出したんだ」

紗夜「そういえば……前に日菜も似たような事を言ってましたね、最近できたマネージャーさんの紹介で、桜が丘の喫茶店に行ったことがあって、そこのパンが凄く美味しかったと……それ、このお店のことだったんですね」

あこ「へぇ〜、あの友希那さんっ。せっかくだしそのお店、今から行きませんか?」

友希那「そうね……この街のことはよく知らないのだし、宛があるのなら行ってみましょうか」

燐子「はい……楽しみ……ですねっ」

 そして、5人は目当ての店に向け、歩き出す。

 その日、その店で一つの出逢いが待っている事を知らず、友希那達の足は進んでいた――。
100 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:09:35.12 ID:2rXBvp8co
【桜が丘 喫茶店前】

紗夜「あのお店じゃないですか?」

リサ「うん、そうだね」

 歩くこと数分、紗夜の指差す先に、目当ての店と思われる喫茶店はあった。

 どことなく高級感のある店構えで、遠目に見ても店内の賑わいが見て取れる。

 通りに面したテラス席にもまた多くの客の姿があり、なかなか繁盛している様子が伺えていた。


燐子「綺麗なお店……ですね」

あこ「うんっ! 早く行きましょうっ」

リサ「ん……あれは?」

 何かに気付いたのか、唐突にリサが歩みを止める。


友希那「リサ、どうかしたの?」

リサ「ねえ、あの男の人……もしかして、友希那のお父さんじゃない?」

友希那「えっ……?」

 リサが指差す先、そこには、テラス席に座る友希那の父親の姿があった。

 その対面には……友希那達の方向からでは顔は見えないが、恐らくは自分達よりも年上なのだろう、髪を腰まで降ろした、長髪にスーツ姿の女性らしき人の姿も見える。

 友希那の父が時折、笑顔を見せて話をしている様子が伺えた事もあり、その女性と友希那の父が、親しい間柄であろうことが傍からも見て取れた。
101 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:10:20.80 ID:2rXBvp8co
友希那「お父……さん? どうしてここに……?」

紗夜「お知り合い……でしょうか、随分と楽しそうにお話をしてるように見えますが」

あこ「ん〜〜……なんか……怪しい感じがしますねぇ」

リサ「ちょっと、あこ! あんた何言ってんの!」

あこ「わっ……ち、違うんです友希那さん! あのその、決して変な意味じゃなくて……っ!」

友希那「…………っ」

リサ「あっ! ちょっと友希那! 待ちなよ!」

 あこの不用意な失言を叱責するリサだったが、そんなリサには目もくれず、友希那はテラスにいる父の元へと歩み寄る。

 そんな友希那の後を追うようにして、4人も歩くスピードを速めていった――。
102 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:11:03.69 ID:2rXBvp8co
【喫茶店 テラス席】

友希那父「そうですか……あのお二人が……」

女性「ええ……父も母も、湊さんの事をよく話してくれまして……」

友希那「あの……少しよろしいですか?」

女性「えっ……は、はい?」

 和やかに談笑する二人の間に突如として割って入る声。

 女性が顔を見上げると、そこには怒気を孕んだ表情で女性を見下ろす友希那の姿があった。

 そんな友希那の姿に友希那の父も驚きを隠さず、言葉を詰まらせる。

 無論、急に知らない人から怒りの形相を向けられた女性もまた、思考が一瞬止まっていた。


友希那父「……友希那? どうしてここに?」

友希那「あの、父に何かご用ですか?」

女性「えっ……? あ、その……」

友希那父「ゆ、友希那……ちょっと落ち着きなさい」

友希那「お父さんは黙ってて……あなたは一体……父とはどういったご関係なんですか?」

友希那父「おい……友希那……」

女性「父って…………ああ……そういう事……」

 友希那の言葉に、女性が何かを納得する。

 その直後、友希那に遅れてリサ達もテラス席に集まってくる。
103 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:11:41.65 ID:2rXBvp8co
リサ「もーー、ちょっと友希那ってば、速いって!」

紗夜「湊さん、周りに人もいる事ですし、少し落ち着きましょう」

あこ「そ、そうですよ友希那さんっ! と、とりあえず座りましょっ! ねっ!」

燐子「ここで騒いでると……その……店員さんも……来てしまうんじゃ……」

 紗夜達の言う通り、急にテラスに集まった人影に、周囲からは何事かと注目が向けられる。

 だが、そんな様子も意に介さず、尚も友希那は女性に詰め寄っていた。


友希那父「今井さん……これは一体……?」

リサ「あぁどうも、おじ様こんにちは……あ〜〜……まぁ、詳しいことは後でお話します」

友希那「答えて、あなたは一体……」

女性「……わ、分かりました、分かりましたから、落ち着いて下さいっ」

 下手なことを言うよりも、自分の身分を明かしたほうが手っ取り早いと思い、女性は懐から名刺を取り出し、友希那に差し出した。


女性「はじめまして、中野梓といいます……湊さんとは、父と母の紹介で、仕事の話のためにお時間を頂いてたんです」

友希那「……? どういう……事?」

 女性の告白に友希那は目を丸くする。そして、梓と名乗った女性に補足するように、父の言葉が被せられる。
104 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:12:38.21 ID:2rXBvp8co
友希那父「彼女の両親は、私が音楽をやってた頃の恩人なんだよ……まったく、一体何を勘違いしているんだ……友希那」

友希那「なっ……!!」

 父から発せられる、意外過ぎる言葉。

 決して嘘を言っているようには見えない梓と父の顔を見て、2人のその言葉が真実だと言うことを確信する。

 そして、自分が今の今まで何をしでかしていたのかを振り返り、友希那は大慌てで梓に頭を下げていた。


友希那「ご、ごめんなさいっ……まさか、お父さんの知り合いの娘さんだなんて……知らなくて……」

梓「ううん……いいんですよ、顔を上げて下さい」

燐子「友希那さんのお父様のお知り合いの娘さん……そう……だったんですね」

リサ「いやぁー、まさか、そういう事だったとはねぇー」

あこ「ご、ごめんなさいっ! あこが変なこと言っちゃったから、友希那さん、本気でそう思っちゃったみたいで……」

リサ「いやいや、あこ、さっきはつい怒っちゃったけど、私的にはグッジョブだよ♪」

紗夜「宇田川さん、これに懲りたら、まずは発言の前に自分の言おうとしてることを一度考え直したほうがいいわ……そうでなくても、あなたは不用意な言葉が多いんですから」

あこ「はーい、反省します……」

リサ「ふふふっ、しっかしさー、中野さんとお父さんが仲良く話してるのを見てそう考えちゃうって事は……友希那ってば、本っっっ当にお父さんのこと、大切に想ってるんだね〜」

友希那「…………っっっっっっ!!」

 茶化すリサの言葉に友希那は涙目になり、耳まで顔を赤くする。

 事もあろうか自分は、父の恩人の娘のことを、まるで父の不倫相手か何かだと勘違いし、詰め寄ってしまうとは……。

 穴があったら奥深くまで入ってそのまま一生を終えてしまいたいと、そう思うぐらい恥ずかしい事をしてしまったと後悔する友希那だった。
105 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:13:56.68 ID:2rXBvp8co
紗夜「こんなに狼狽えている湊さん、初めて見ましたね……」

リサ「そうだねー、でも、これはこれで得だったね、こんなに可愛い友希那の姿、なかなか見られないもの」

友希那「リサ……はぁ、もう、勘弁してくれないかしら……っ」

リサ「うんうん、コーヒーでも飲んで落ち着こう、ね♪」

友希那父(友希那……良い仲間を持ったな)

梓(この人が……湊さんの娘さん……)

 こうして騒動は終息し、気を取り直した面々は席に座り、人数分の注文を済ませてから双方に自己紹介をしていた。


梓「改めまして……みなさんはじめまして、中野梓と申します。……今、両親と共にジャズバンドを組み、各地で音楽活動をしています。どうぞよろしくお願いします」

リサ「今井リサです、中野さん、はじめまして」

紗夜「氷川紗夜です、中野さん、以後お見知りおきを」

あこ「宇田川あこですっ! 中野さん、よろしくお願いしますっ」

燐子「白金燐子です……どうぞよろしくお願いします」

友希那「湊友希那です、先程は、大変失礼しました……」

 自己紹介と共に再度、友希那は深々と頭を下げる。
106 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:17:08.91 ID:2rXBvp8co
梓「ううん、もう大丈夫ですよ」

友希那父「さっきも軽く話したが、彼女は私の恩人の娘さんでね……それで今日は、彼女の方から仕事の話を持ちかけてくれてた所だったんだ」

友希那「……仕事?」

梓「はい、実は湊さんに、今度私達の開催するジャズライブにゲストとして出てもらえないかと思いまして」

友希那「ライブってことは……もしかしてお父さん、もう一度歌を?」

梓「あ、その……まだそこまで具体的なことは決まってないんですけど……」

梓「湊さんのお話は以前より父と母から伺ってまして、その時に、ちょうどゲストのお話が上がったんですよ」

梓「でも、今日は両親も別件で打ち合わせがあったので、それで、私に直接会って来るように言われてたんです」


友希那父「私も今日はたまたま桜が丘に用事があってね……それで、彼女に都合をつけて貰ってたんだ」

友希那「そう……だったのね」

友希那父「ああ、私も久しく人前で演奏してなかったからね、せっかくの機会なので、この話を受けようかと思ってるんだよ」

友希那父「それに、彼女のご両親には私も若い頃、よくお世話になっていたからね……この機会に、少しでも昔の恩返しができればと思っていたんだ」

友希那「そう……そんな事が……」

 ジャズ……昔の父とは別ジャンルの音楽だが、それでも、また父の演奏が見られるのかも知れない……。

 そう思い、自然と友希那の顔には笑顔が戻っていた。
107 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:18:06.15 ID:2rXBvp8co
あこ「十数年来の恩返しかぁ……なんていうか……運命に導かれし大いなる出会い……って感じですねっ!」

リサ「あははっ、そういうのはちょっと分からないけど……でも、ドラマみたいでステキだよね」

紗夜「ええ……本当に、人の縁とは分からないものですね」

燐子「はい……人と人の巡り合わせって……とても素晴らしい事だと思います……」

友希那「中野さん……その……」

梓「あっ……ううん、せっかくだし、皆さん、気軽に名前で呼んでくれてもいいですよ? あまり固いのも落ち着かないと思いますし……」

友希那「……はい、ありがとうございます。では……梓さん、父のこと、どうぞよろしくお願いします」

梓「こちらこそ……友希那さん、ありがとうございます」

 先程とは違い、笑顔で頭を下げる友希那に対し……梓もまた、笑顔で返していた――。
108 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:19:00.13 ID:2rXBvp8co
―――
――


あこ「……う〜ん、このパン本当に美味しい〜〜っ♪ さあやちゃんの所のパンも美味しいけど、ここのはそれとは違っておいしい〜♪ お姉ちゃんにお土産でいくつか買ってこうかな?」

リサ「うんうん、私も、モカへのお土産に何個か買ってってあげよっと」

紗夜「私も後程買って行こうと思います……日菜、喜んでくれるかしら……?」

燐子「私も、お父さんとお母さんに……少し、買っていってあげよっかな」

 焼き立てパンの評判通りの味に感銘を受けるあこ達だった。そしてその隣のテーブルでは、友希那、友希那の父、そして梓の3名による話が展開されていた。

 誤解が解けた今となっては、友希那達の存在は仕事の話の邪魔になるのではないかと懸念もされていたが、既に仕事の話もほとんど纏まっていたので、もし時間があるのなら少しだけお話をしたいと他ならぬ梓からお願いをされ、友希那達は快くその話を受け入れていた。


 ――梓の根底、そこには、両親の知り合いの娘……湊友希那の話を聞きたいと思う純粋な気持ちと……。

 今現在、停滞している梓自身の音楽……その停滞を打破するヒントになるのではという、藁にもすがる思いもあった。


 そしてその提案は、友希那達からしても願っても無い事だった。

 梓と友希那達の音楽は、確かに畑は違うが、それでも梓は、長く音楽を生業にしているプロの演奏者である。

 客前で演奏を披露し、それで生計を立てているプロの言葉は、間違いなく今後のRoseliaの為になると、友希那の中に強い確信があった。
109 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:20:13.63 ID:2rXBvp8co
梓「友希那さんは今……バンドを結成し、音楽活動をされているんですよね」

友希那「はい……リサ、紗夜、あこ、燐子達と共に、Roseliaというバンドを組み、音楽活動を行っています」

梓「友希那さんがバンドを組み、音楽活動を行ってる理由、聞いてもいいですか?」

友希那「私が音楽を……やる理由……ですか」

友希那父「…………」

リサ・紗夜・あこ・燐子「…………」

 一瞬、隣にいる父の顔と、こちらの話に耳を傾けるリサ達の顔が視界に入ったが、友希那は迷うことも無く、強く言葉を発する。


友希那「私達、Roseliaの目的は……いつかステージの上から、最高の音楽を届ける事……」

梓「最高の……音楽……」

 何よりも、誰よりも強い眼差しで、友希那は言葉を続ける。


友希那「それが、どんな物なのか……その『最高』まで、どれ程の距離があるのか……Roseliaが今、どの地点に立っているのか……それはまだ、分かりません」

友希那「だけど、私は……いいえ、“私達”は、確実に私達の目指すべき頂に近付いていると、それだけは確信を持って言えます」

 一切の迷いなく、友希那は言い切る。

 その言葉は仲間への揺るがぬ信頼と、自身の音楽への強い自信に満ちており。情熱の宿るその瞳は、まるで輝いているようにすら梓には感じられた。
110 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:21:07.74 ID:2rXBvp8co
友希那父(友希那……)

リサ「……っ……うんっ……えへへ、友希那……ああもう、急に泣かさないで欲しいなぁ……っ」

紗夜「湊さん……あなたと共にRoseliaで演奏ができて……本当に私、光栄に思います……」

あこ「っ……りんりん……あこね、今すっごく思うんだ……本当に、ほんとぅに……Roseliaに入って良かったっ…て……っ」

燐子「うん……あこちゃん……私も……だよ」


梓「最高の、音楽……」

 友希那の言葉を反芻し、自分自身の中に取り入れていく。

 そして……。


梓「うん、決して楽な道じゃないと思うけど……頑張って……私も応援してます」

 と、彼女達の決意を受け入れるように、梓は返す。
111 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:21:57.63 ID:2rXBvp8co
梓(凄いな……友希那さんの真っ直ぐな眼……こんなにも輝けるなんて……)

 友希那の眼に宿る、強い意志の輝き。

 それは仲間を信じ、目標に向かい、己が道を突き進む至高の輝き。

 自分達の奏でる音楽に対する、絶対的な自信に満ち溢れた、プロにすら匹敵する程の……情熱の輝きだった。


 ――高校生という若さで、Roseliaの様に崇高な決意を掲げているバンドは決して多くはない。

 音楽に対しては梓自身もかつて、友希那達に近い決意を掲げていた。が、その決意とは真逆に等しい音楽性を、梓は高校生の頃、2組のバンドに所属していた時に体験していた。

 その時に感じた、“仲間”という存在の大きさを、誰よりも梓は知っていた。

 一瞬、その崇高な自分の信念に盲信する余り、友希那が一人きりの道を進んではいないかとも心配したが、友希那の後ろで席を交える4人の表情を見て、その心配も杞憂だったと梓は思い直す。

 この子達は同じ志を持つ仲間と共に、自分達の音楽を信じ、今も立ち止まらず、ひたむきに突き進んでいる。

 友希那のその強い意志に梓は、素直に尊敬の念を抱いていた――。


梓(ああ……そっか、そうだったんだ)

 今の自分に抜けていたのは、もしかしたら、こういう意志の強さなのかも知れない。

 今までも、客前で演奏するプロとしての意識は確かにあった、が。

 それでも、長い生活の中で安寧の日々を過ごす内に、自分はどこかで慢心していたのではないかと、そんな事を考えてしまう。

 その慢心が……ここ最近の停滞を呼び、音に迷いが生まれるようになったのではないかと、自分自身を振り返り、分析する。


 もしかしたら、私に湊さんの事を紹介してくれた両親も、今の私の異変に気付いていたのではないだろうか。

 だからこそ、私に湊さんの事を紹介してくれた……彼に会い、自分自身の音楽を見つめ直すきっかけになれればという期待を込めて――。

 決して確信は持てないが、恐らくそうなのではないかと梓は悟っていた。
112 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:22:34.03 ID:2rXBvp8co
梓「友希那さん、話して下さって、ありがとうございます」

友希那「いいえ……そうだ、梓さんは今、プロとして演奏をなされているんですよね?」

梓「ええ、プロっていうと少し照れますけど……でも、聴きに来てくれるお客さん達には、友希那さんと同じく、最高の演奏をお届けしたいっていう気持ちはあります」

梓「とはいっても、私なんかまだまだ全然で……あははっ、さっきの友希那さんの話を聞いてたら、私よりも友希那さんの方がよっぽど凄いって思っちゃいましたし……」

友希那「あ、ありがとうございます……」

リサ「あ、あの! アタシ……梓さんの話、もっと聞きたいなぁ。こんな機会、あまり無いしさ」

紗夜「そうですね……演奏でお金を稼ぐプロのお言葉ですから、日菜達とはまた違った意見があると思いますし、私も是非お聞きしたいですね」

あこ「はいっ! 大変な事とか、楽しい事とか……あこも聞きたいです」

燐子「私も……あこちゃんと同じ気持ち……です」

梓「なんか、照れちゃうな……こういうの」

 そして、Roseliaの5人は梓の話に耳を傾けていた。

 自分が両親と共にジャズをやる事になったきっかけや、演者としてステージに上がることの大切さ、演奏をする時に何を一番に考えているかといった、演者としての梓のこと。

 ……そして、梓もまた友希那達と同じように、高校時代、先輩や後輩達と共に、2組のバンドを組んでいた事を話すのであった。
113 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:23:17.60 ID:2rXBvp8co
友希那「……梓さんも、昔は私達の様に、バンドをやってた事があったんですね」

リサ「じゃあやっぱり、パートはギターをやってたんですか?」

梓「はい、リズムギターをやってました」

あこ「リズムギター? 紗夜さん、それって普通のギターとは違うんですか?」

紗夜「Roseliaのギターは私だけですからイメージは沸かないと思いますが……私達の知り合いでいえば……そうね、Poppin'Partyの戸山さんのパートがリズムギターですね」

あこ「へ〜、そうなんですね」

燐子「梓さんも……きっと……私達よりも厳しい練習を……していらしたんでしょうね……」

梓「あはは……どうでしょう……部活の時はいつもお菓子ばかり食べてたから……ちゃんとした練習をした事なんて、数えるぐらいしかなくて……」

友希那「そうなんですか……意外だわ……てっきり、私達ぐらいストイックに打ち込んでいたものとばかり思ってましたけど……」

 梓の言葉に、驚いた声で友希那は返す。


梓「最初は私も部活じゃなく、友希那さん達の様に外バンでやろうとも思ってたんです……でも、軽音部の先輩達の楽しそうな演奏がすごく魅力的に見えて……それで、軽音部でやるって決めたんですよ」

梓「当時の私が本当の意味でバンドに求めていたのは、バンドとしてのレベルの高さではなく、共に音楽を楽しめる仲間だったんですよね」

梓「ふふっ……あの頃は楽しかったなぁ……」

 過去を思い返す梓の脳裏に、二組のバンドと過ごした青春が蘇る。

 4人と先輩達と、2人の同級生と、2人の後輩に……1人の顧問の先生。

 みんなで奏でた音が、お茶を交わした日々が蘇る。

 それはもう、遠い日の記憶。いくら願っても巻き戻せない、懐かしい日々の思い出――。


リサ「一度でいいから聴いてみたいね……梓さんたちのバンドの演奏……」

友希那「ええ……そうね……」
114 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:24:26.98 ID:2rXBvp8co
―――
――
― 

 そして陽も傾きかけてきた頃。

 梓は次の約束があるという事で、話はそこでお開きになった。


梓「湊さん、Roseliaの皆さん、本日はありがとうございました」

友希那父「こちらこそ、ご両親に宜しくお伝え下さい、ありがとうございました」

友希那「いつか、梓さんのステージも観に行きます。本当に、ありがとうございました」

梓「はい、皆さんもバンド活動、頑張って下さいね」

 皆に向け、梓は一礼し、喫茶店を後にする。

 その梓の背を見送り、友希那はつぶやく。


友希那「中野梓さん……あの人は、一体どんな音楽を奏でるのかしら」

友希那父「ああ、彼女のご両親の音楽は、まさに純粋そのものだったよ。あの人達は私とは違い、決して周りに流されることもなく、本当の意味で自分達の音を楽しんでいた……」

 遠い眼で、友希那の父は続ける。


友希那父「それは、彼等の娘である彼女にも受け継がれているだろう……友希那と話していた時の中野さんの瞳は、若い頃の彼女の両親と同じ輝きをしていたからね」

友希那父「彼女の音楽……友希那も是非聴いてみるといい、たまには畑の違う音楽を聴くのも悪くないだろう」

友希那「……ええ、そうね……近いうちに必ず聴いてみるわ」

 微笑みながら言う父の声に、友希那は梓の存在を強く認識していた。

 そして……。
115 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:25:16.36 ID:2rXBvp8co
友希那父「まぁ、そうでなくとも、友希那と梓さんは気が合うのかも知れないな、彼女も友希那と同じく、猫が凄く好きなようだったから……」

友希那「そう……なのね……ふふっ、次に会える日が、尚の事楽しみになってきたわ」

 猫好きという自分との共通点もまた、友希那と梓の間に一つの繋がりを築いたのであった。


友希那父「じゃあ、私もそろそろ帰るとしよう、友希那も、あまり遅くならないようにな」

友希那「お父さん、今日は本当にごめんなさい……」

友希那父「はははっ、気にするな……あそこまで娘に敬愛されていることが分かったんだ……むしろ、私の方こそお礼を言うべきだよ。ありがとう、友希那」

友希那「もうっ……あまり茶化さないでよ……ふふっ」

友希那父「ははは……じゃあ、私はもう行くよ」

友希那「うん……お父さんもお仕事頑張って……お父さんがライブに出るのなら……必ず、みんなで聴きに行くわ」

友希那父「ああ、娘達の前で恥をかかないよう、私も頑張ってみるさ」

 そして、友希那の父も喫茶店を後にする。


友希那「梓……さん……また、お会いしたいわね」

あこ「友希那さーん、日も暮れてきましたし、あこ達もそろそろ行きませんか?」

リサ「そういえば、結局ミーティングできなかったね」

友希那「いいんじゃないかしら……今日は、今までのミーティング以上に大きなものを得られた気がするわ」

燐子「はい……梓さんのお話……凄く、為になったと……思います」

紗夜「そうですね……それでは皆さん、今日はもう帰りましょう」

 程なくしてから友希那達も店を後にし、歩き出していた。
116 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:26:29.44 ID:2rXBvp8co
―――
――


梓「今日は来てよかった……オファーの話も上手く行ったし、自分の事も見つめ直すことができたし……」

 友希那の言葉、Roseliaの持つ信念に触発されたこともあり、梓の中に再び、音楽に対する熱意が湧いてきていた。

 ……だが、意気込みだけで全てが変わるかと言えば、決してそうではない。さすがにそこまで甘くはできていないのが世の中だ。

 ……そう、今のままではまだ不十分……私が停滞を完全に克服するには、更にもう一つ、何かが必要だ。

 そのもう一つが何なのか、今はまだ分からないけど……それでも、今日の彼女達との出会いは、間違いなく自分の前進に繋がったに違いないと、梓は信じていた。


梓(……でも、みんなの話してたら思い出しちゃったな……また、みんなと演奏したいな……)

 それが叶わぬ事だとは知りつつも、ふと思ってしまう。

 『放課後ティータイム』と『わかばガールズ』、昔梓が組んでいた2組のバンド……そこで奏でた音楽が、梓の頭の中で鳴り響く。


 ――その時、梓の携帯がメッセージの着信を告げる。


梓「んん……? あ、唯先輩からだ」

 梓の携帯に通知される一つのメッセージ。

 そこには、今でもたまに連絡をくれる先輩からの一言が表示されていた。


 『久しぶり、今お仕事終わったんだぁ、私はもう向かってるけど、そっちはどう?』という一言に対し。

 『私も、今から向かいますよ……楽しみですね、同窓会』と返信を入れ、梓は向かう。

 自分に、音楽の素晴らしさを教えてくれた仲間と、先輩達の待つ場所へ――。
117 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:27:35.08 ID:2rXBvp8co
#2-5.放課後の邂逅〜平沢唯〜


 ――高校生の頃から、私の毎日には音楽があった。

 それは、今も変わる事なく続いていた……。

 私が今でも私のままでいられるのは、きっと、音楽があったからだと思うんだ。


 あの日、何かをしなきゃって思っていた私に応えてくれた音楽が。

 何をしたらいいのか分からず、迷っていた私を導いてくれた音楽が。

 あの頃の私を、みんなに会わせてくれた音楽が。

 今の私を、あの子達に会わせてくれた音楽が。


 私を、みんなと繋いでくれた音楽が私は……大好き―――!!
118 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:28:11.47 ID:2rXBvp8co
―――
――


 その日、Poppin'Partyのメンバーもとい、花咲川女子学園高校2年の5名は、朝早くから電車に揺られ、花咲川から遠くの桜が丘へとやって来ていた。

 今日の集合は、バンドの練習でもなければ、決して遊びに来た為でもない……学校の授業の一環として……である。


【桜が丘 駅前】

有咲「ふあぁぁ………眠……」

 慌ただしく駅前を往来する人々を見ながら、欠伸混じりに有咲はぼやいていた。


有咲「しっかしなー……せっかくのテスト休みだってのに、なーんで職場体験なんてやんなきゃいけねーんだ?」

たえ「仕方ないよ、日数調整の結果、そうなっちゃったみたいだしさ」

りみ「でも、私は嬉しいなぁ、ポピパのみんなで職場体験、楽しみだったんだっ」

沙綾「しかも、幼稚園の職場体験なんてね……ふふっ、私も楽しみにしてたんだ」

たえ「有咲は、楽しみじゃなかったの?」

有咲「べ、別にそんな事言ってねーだろ……つか……香澄のやつ、遅っせえな……」

 照れ隠しにそっぽを向く有咲だった、その時である。
119 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:28:44.42 ID:2rXBvp8co
声「ごめーーん! みんな、お待たせー!」

 人波を掻き分け、一際元気な声が有咲達の耳に届く。

 確認するまでもなく、それが戸山香澄の声だと言うことを、その場の4人は理解していた。


有咲「遅いぞ香澄……って、なんでお前ギターなんか持って来てんだよっ!?」

 叫ぶ有咲の目線の先……そこには、肩で息を切らす香澄と、そんな香澄に背負われた、香澄愛用のギターが目に留まっていた。


香澄「いやー、持って来るのに時間かかっちゃって……」

有咲「だからって……そんなもん普通は持って来ねえだろ……邪魔になるとか考えなかったのかよ」

沙綾「まぁまぁ……確かに、案内にも、具体的に何を持ってくるかまでは明記されてなかったもんね」

 沙綾が先日配られたプリントを見ながら言う。

 そこには『幼稚園に職場見学に行く生徒は、エプロンを一着と、園児と一緒に遊べるものを一つ持って来て下さい』という一文が添えられていた。


香澄「幼稚園の子たちと一緒に遊べそうなものって言えばこれしか思い浮かばなくて……みんなは何持ってきたの?」

りみ「私は……小さい頃に、よくお姉ちゃんと一緒に遊んだお絵かきセットを持ってきたんだー」

沙綾「私は弟達が小さい頃に遊んでたオモチャをいくつかね、だいぶ古いけど、まだ遊べると思うよ」

たえ「私は、ウサギのお人形さんセットを持ってきたの、『ゴルドニアファミリー』……すっごく可愛いんだよ」

有咲「昔、婆ちゃんによく読んでもらってた絵本があったから、私はそれを持ってきた」

香澄「みんな偉いね……ちゃんと準備してたんだ……」

 各自、きちんと準備をしていたことに感心する香澄だった。
120 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:29:42.95 ID:2rXBvp8co
有咲「へっ、香澄のことだからどうせ、準備のことなんかすっかり忘れて……んで、今朝になって慌てて用意したってトコなんだろうけどな」

香澄「有咲すっごーい! ねえねえ、なんで分かったの?」

有咲「お前のことだからなんとなく分かるんだよっ!」

たえ「ふふっ、有咲は香澄のこと、何でもお見通しだね」

有咲「だーーー! うっせー! いいから早く行くぞ!」

 赤面し、照れ隠しに叫ぶ有咲。

 そんな有咲に続き、歩を進める4人だった。
121 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:30:40.92 ID:2rXBvp8co
【桜が丘幼稚園】

 駅から歩いて数分、プリントに記載された地図を頼りに、香澄達5人は目的地の幼稚園へと到着していた。

 まだ開園の時間には早いのか、園内には教員の姿しかおらず、建物の中はがらんと静まり返っている。

 静かな園内を通り、職員室へと案内された香澄達は、幼稚園の先生達に向け、挨拶をしていた。


香澄「花咲川女子学園高校から来ました、今日は職場体験でお世話になります、よろしくお願いしますっ」

一同「よろしくお願いしまーす!」

園長「はい、お話は伺っておりますよ、こちらこそよろしくお願いしますね」

 園長と見られる教諭に挨拶を交わし、香澄達は自己紹介をする。

 ――そして。


園長「それでは、今日一日、皆さんの担当をさせていただく先生です、平沢先生、どうぞよろしくお願いします」

声「はーいっ」

 園長の声に合わせ、一人の女性がデスクから立ち上がり――。


唯「平沢唯です、今日一日、よろしくお願いしまーすっ」

 茶髪をボブカットに切り揃えたエプロン姿の女性……平沢唯は香澄達の元へと向かい、自己紹介をする。
122 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:31:08.58 ID:2rXBvp8co
香澄「戸山香澄ですっ、平沢先生、今日はよろしくお願いしますっ」

たえ「花園たえです、今日一日、お世話になります」

りみ「牛込りみです、よろしくお願いしますっ」

沙綾「山吹沙綾です、平沢先生、こちらこそよろしくお願いします」

有咲「市ヶ谷有咲です、こちらこそよろしくお願いします」

園長「では平沢先生、彼女達のことをよろしくね」

唯「はいっ! かしこまりましたっ」

 園長の声に元気な返事をし、唯は準備に取り掛かる。

 そんな唯の様子を見て、香澄達は口々に言葉を投げ合っていた。


香澄「平沢先生、すっごく優しそうな先生だねー」

沙綾「うんうん、子供に好かれそうな感じがするね」

りみ「ほんわかしてて、暖かそうな先生だね……」

たえ「うん……今日一日、すっごく楽しくなりそう」

有咲「あの人、私達より年上だよな……なんか、全然そんな雰囲気しないんだけど」

園長「では平沢先生、園児が来るまでに、このプリントをあの子達に配っておいてね」

唯「あ、はーい……ん?」

 唯がプリントを園長から受け取ろうとした時……ふと、香澄達の視線に気付く。

 その目線がプリントの束から香澄達に向けられた時だった。
123 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:31:58.31 ID:2rXBvp8co
 ――ばさささっ

 余所見をしたせいもあり、手渡されたプリントが床に落ちていた。


唯「ああー、すみませんっ!」

有咲(テンポ悪っ……)

園長「あらあら……大丈夫?」

唯「はい……えっと、あと1枚……」

 デスクの下に滑り込んだプリントを拾い、唯が立ち上がろうとした時。


 ――ごちんっ

唯「あいたっ!」

 小気味の良い音と共に、デスクに頭をぶつけていた。


有咲「しかもドジっ子……あんなんで本当に大丈夫なのか……職場体験」

唯(何か……前にもこんな事あったような気が……)

 頭を擦っては目元に涙を浮かべつつ、ふと昔の事を思い返す唯だった――。
124 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:32:31.05 ID:2rXBvp8co
―――
――


【空教室】

唯「えっと、それじゃあ園児たちが来るまでの間に、色々と説明しとこうと思うんだけど……」

 プリントを手に説明を始めようとしたその時、ふと、唯の目線が香澄のギターに止まる。


唯「その大きな荷物は……もしかして、ギター?」

香澄「はいっ! 子供たちと遊べそうな物を持ってくるようにって言われたので、持ってきたんです」

唯「ふふっ、そうなんだ……」

 ふと、ギターを見つめながら唯は言葉を止める。

 そんな刹那の静寂の中、有咲が香澄に向けて言葉を放っていた。
 

有咲「それ見ろ、あんなでっかい荷物、やっぱり邪魔だったんじゃねーか?」

香澄「ううぅぅ……だ、ダメだったのかなぁ」

唯「あ、ううん! そんなんじゃないよ、戸山さん、ギターやるんだね」

香澄「はい……」

 やや落ち込んだような顔で唯を見る香澄だった。

 そんな香澄に向け、唯は微笑みながら言葉を返す。
125 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:33:22.06 ID:2rXBvp8co
唯「もし良かったら、あとでみんなの前で弾いてみてくれないかな? 楽しみにしてるね♪」

香澄「あ……は、はいっ!」

たえ「なんか、大丈夫みたいだね」

有咲「…………」

 それから唯により、プリントを元に幼稚園の一日の流れや、施設の案内を進められること数分。

 程なくして、通園する園児達の出迎えの時間が迫っていた。


唯「じゃあ、荷物はここに置いて……まずは、幼稚園に来る子供たちのお出迎え、行ってみよっか?」

香澄「はーいっ!」

 唯に連れられ、持参したエプロンを身に着けた香澄達は正面玄関へと向かう。

 広い玄関先には、バスの送迎で来園した園児の他、保護者に手を引かれて来る園児など、既に多くの園児と教諭達とで溢れかえっていた。
126 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:34:18.30 ID:2rXBvp8co
園児A「せんせー、おあよーございます」

唯「はーい、陸くんおはようーっ」

園児B「ひらさわせんせー、おはよー!」

唯「うん、海くんおはよー! 今日も元気だねー♪」

園児C「ゆいせんせー! きょうもおうたのじかん、ある?」

唯「うんっ! 空くんの大好きなお歌、今日もやるよー! 楽しみに待っててねっ♪」

沙綾「……………………」

りみ「……? 沙綾ちゃん、どうかしたの?」

沙綾「えっ……? あ、ううん……別になんでもないよ」

 多くの園児がまず最初に唯に駆け寄り、元気な挨拶をしていた。

 その光景から、唯が多くの園児から慕われているということが香澄達にも伝わって来る。
127 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:35:14.82 ID:2rXBvp8co
香澄「平沢先生、子供たちの人気者なんだねー」

沙綾「うんうん、みんな、先生の事が大好きなんだってのがよく分かるよね」


唯「ほら、よかったらみんなも挨拶してあげて?」

香澄「はいっ! みんなー! おっはよーっ!」

沙綾「おはよー! みんな、今日はよろしくねー!」

りみ「おはよー、みんな元気だねー」

たえ「おはよー、ふふっ……みんな可愛いなぁ」

有咲「なんか……こういうの照れるな……」

園児D「ねえねえ、おねえちゃんたち、だーれー?」

唯「お姉さんたちはねー、今日、みんなと遊びに来てくれたんだー」

園児D「ふーん、そーなんだ、おねえちゃんっ! おはよーっ」

 園児の一人が有咲に向け、元気な挨拶をする。


有咲「お、おはよー」

 無邪気な笑顔の園児に対し、有咲もまた、笑顔を作って挨拶を交わす。

 その時だった……。
128 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:36:36.41 ID:2rXBvp8co
園児D「ていっ」

 ――むにっ

 突如、無防備な有咲の胸目掛け、園児の手が伸ばされる。


有咲「ひゃっ…………! な、ななななななな何を!?」

 反射的に触られた胸を両手で抑え、赤面する有咲。

 そして、その小さな手に残った感触を確かめるようにして、園児は一言呟く。


園児D「ママよりもおっきい……」

唯「こーらー、だめでしょそんな事したらっ」

園児D「へへーん、ゆいにはやってやんないよーだ」

唯「も〜、また先生を呼び捨てにしてー、まちなさーーい、お姉さんにあやまりなさーいっ」

園児D「やーだよーっ」

 そして逃げるように園児は走り出し、教室へと駆けていく。

 後には、まだ硬直して動けない有咲と、やれやれと言った風な顔で園児を見る唯が残されていた。


有咲「ま、まったく……とんでもねーエロガキだな……」

唯「市ヶ谷さんごめんね……あの子、すっごいいたずらっ子で……気を悪くしないであげて?」

有咲「い、いや……別に平沢さんのせいじゃないですし……」

有咲(はぁ、子供……苦手になってきた……)

 そして、有咲の状況を近くで見ていた香澄達が有咲に駆け寄り……。
129 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:37:10.27 ID:2rXBvp8co
りみ「有咲ちゃん、大丈夫?」

沙綾「いやー、有咲、一本取られたね」

たえ「有咲、元気出して」

香澄「あはははっ、やんちゃな子だったね」

有咲「香澄……笑ってるけどお前もいっぺんやられて見ろ、すっげえ恥ずかしいんだぞっ!」

香澄「ふっふっふ……じゃあ、私が触って上書きしてあげよっか? なんてねっ♪」

有咲「マジで殴るぞ香澄いいいいいい!!!」

 香澄達にからかわれた事で緊張も解けたのか、いつも通りの感じに戻る有咲だった。


有咲「大体な、近くにいたんなら助けろってえの!」

りみ「あ、あの、ごめんね有咲ちゃん、すぐに行けなくて……」

沙綾「いや、別にりみりんは悪くないでしょ?」

たえ「有咲……いくら有咲のお願いでも、小さい子相手にそんなひどい事できないよ?」

有咲「おたえは一体何を想像してんだよ!」

香澄「もー、有咲もそんな怒っちゃやだよー」

 ――そんな5人を見て、ふと唯は思う。


唯(ふふふっ……この子達……凄く懐かしい感じがするなぁ)

 お揃いの制服を着てふざけあい、また笑いあう5人の姿に、かつての自分達の姿が映って見える。

 きっと、私もあの子達と同じぐらいの頃、あんな感じで笑い合っていたのだろう……と。

 そんな事を考える唯だった。
130 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:38:26.75 ID:2rXBvp8co
園児「ゆいせんせー、あのおねーちゃんたち、すっごくおもしろいねー♪」

唯「……うん、そうだねぇ」

 香澄達の姿を微笑みながら見つめる唯、そして……。


唯「さあ、みんな、そろそろ教室に行こっか!」

一同「はーいっ!」

 唯の声が玄関内に響く。

 彼女達の職場体験はまだ、始まったばかりであった。
131 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:40:22.01 ID:2rXBvp8co
―――
――


【教室】

唯「はーい、みなさーんちゅうもーく! 今日は、遠くの花咲川から、お姉さんたちが遊びに来てくれましたっ」

 およそ20名ほどの園児達が集まる教室に、唯の元気な声が響き渡る。

 そして、改めて園児に向け、香澄達の紹介がされていた。


香澄「みなさんこんにちわー! 今日一日、よろしくお願いしまーす!」

園児達「よろしくおねがいしますっ!」

 香澄の明るい声に負けないぐらいの元気な声が響き、教室内に活気が宿る。

 そして……。
132 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:41:05.99 ID:2rXBvp8co
たえ「これからの時間は何をすればいいんですか?」

唯「今からの時間は、みんなのお昼ごはんの時間まではお遊戯の時間なんだ」

沙綾「今からだと……だいたい2時間ぐらい……ですか、この予定表だと」

唯「うん、それで、お昼ご飯が終わったらお昼寝の時間があって、そこで職員の休憩の時間になるんだ」

有咲「じゃあ、昼食はその時に取るって感じになるんですか?」

唯「うん、そうだね。もちろん、その間に連絡ノートを書いたり、午後のお遊戯の準備をしたりもするんだけど」

りみ「大変なんですね……休憩っていっても、あんまりのんびりできなさそう……」

唯「まぁねー、でも、慣れちゃえば割と早く終わるんだけどね」

沙綾「次の仕事に備えて空き時間を使って効率的に……か、ウチのお店もよくやるから、やっぱどこも一緒なんですね」

香澄「それを一人でやるって、やっぱり、幼稚園の先生って大変なお仕事なんですね」

 唯の働きっぷりに関心の声を上げる香澄達だった。

 それから程なくし、唯の号令に合わせて園児達と香澄達は動き出す。


唯「じゃあ、牛込さんと花園さんはペアであっちの子たちと遊んであげて……山吹さんと市ヶ谷さんは向こうの子たちをお願いね」

たえ・りみ・沙綾・有咲「はいっ!」

香澄「平沢先生、わ、私はどうすればいいですか?」

唯「うん、戸山さんは、私と一緒にお歌のお手伝い、してもらってもいいかな?」

 歌の手伝いという言葉に香澄の眼が一瞬煌めく。
133 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:41:57.16 ID:2rXBvp8co
香澄「わぁ……じゃ、じゃあ、私、ギター持ってきてもいいですか?」

唯「うん、お願い。……あ、もし良かったら、アンプもあるんだ、私の私物だけど、使ってみる?」

香澄「えっ!? いいんですか??」

有咲「つーか、なんで幼稚園にアンプがあるんですか……?」

唯「いやー、実は、私もたまーに演奏するんだよねぇ」

一同「……え? ええええ???」

 ギターを弾く素振りをしつつ、照れながらも唯は答える。

 その返答に5人の目が点になり、相次いで言葉が投げかけられていた。


香澄「もしかして、平沢先生もギターやるんですか?」

唯「うん、まぁね〜」

沙綾「そういえば……SNSに……あああった、桜が丘幼稚園のアカウント、ほらこれ見て」

沙綾「このギター演奏してる動画……これ、平沢先生じゃない?」

 沙綾がスマートフォンの動画を再生させる。

 そこには、軽快にギターを弾き鳴らす唯に合わせ、元気に歌を歌う園児達の様子が撮影されていた。
134 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:42:52.02 ID:2rXBvp8co
たえ「すごい……上手な演奏……」

りみ「うんうん、園児のみんなも、楽しそうに歌ってるねー」

香澄「そっかぁ、平沢先生、ギターやるんだ……」

唯「うん、だからさっき戸山さんがギター持ってきたの見て、つい嬉しくなっちゃってさ」

香澄「あ、ありがとうございますっ! 平沢先生!」

唯「うふふっ……じゃあみんな、お願いね」

一同「はーい!」

 唯の言葉に従い、それぞれがペアを組み、園児達の元に駆け寄る。

 こうして、香澄達の職場体験実習は始められるのであった。
135 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:44:03.12 ID:2rXBvp8co
―――
――


りみ「みんな、おえかきセット持ってきたんだぁ、私と一緒にあそぼっ」

園児「うんっ! おねーさんとあそぶー♪」

りみ「わぁーっ……この子達、めっちゃ可愛い……」

園児「おえかきよりもにんじゃごっこやろーよ! おねーちゃんもやろー!」

りみ「ええぇぇ、あ、あの、おねーさん、忍者ごっこなんてやったことないよ〜」


たえ「みんな、ウサギさんは好きかなー?」

園児「うんっ! うさぎさん、だーいしゅきっ♪」

たえ「今日は、みんなの好きなウサギさんをいっぱい持ってきたんだぁ」

園児「わぁ〜〜、かーわいいーっ」

たえ「ふふっ……持ってきて良かった」


園児達「…………」

沙綾「あ、ええと……陸くん、海くん、空くん……だっけ? 良かったらおねーちゃんと一緒に遊ばない?」

陸・海・空「うんっ♪」

沙綾(……何だろう、この子達、初めて見るのに他の子達とは違う……凄く、すごく不思議な感じがする……)

陸・海・空「おねーちゃん! なにしてあそぶのー?」

沙綾「うん……そうだね、えっと……」
136 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:44:58.52 ID:2rXBvp8co
有咲「さすが沙綾だな……すげえ手慣れてる……」

園児「ねーねーおねーちゃん、がいこくのひと?」

有咲「えっ……?」

園児「だって、かみのけきんいろだし、おっぱいおおきいし……」

有咲「……っど、どこ見てんだよっ!」

園児「あははっこのおねーちゃん、おもしろーい!」

園児「あったかくていいにおーい! おねえちゃん、いっしょにあそぼー!」

有咲「ひゃっ! ちょ、ちょっと! うぅ、急に引っ張るなって……」

沙綾「あははっ! 良かったねー有咲、大人気じゃん♪」

有咲「さーあーやー! 笑ってないで助けてくれえええ!!」


唯「うん、みんなも大丈夫そうだね……じゃあ、みんなー! お歌を始めるよー!」

園児達「わーーいっ!」

唯「戸山さん、準備はどう?」

 すっかり子供たちと打ち解けている他の4人の姿に安心し、唯は音を確認している香澄に問いかける。

 そしてしばらく、演奏の準備を終えた香澄が唯に向けて告げた。
137 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:45:30.85 ID:2rXBvp8co
香澄「お待たせしました、いつでも行けます!」

唯「じゃあ、戸山さんは私のオルガンに合わせて、演奏お願いね」

香澄「はいっ!」

唯「はーい、じゃあみんなー、カスタネットの人はいつものとおり、『うんたん♪』のリズムで叩いてねー」

園児達「はーいっ!」

園児「……うん、たんっ♪ うん、たんっ♪」

唯「あははははっ、そうそう、そんな感じでねー」

唯「お歌を歌う人は、大きな声で歌おうねーっ」

園児達「はーいっ!」

 準備が整ったのを確認し、唯は香澄に問いかける。


唯「戸山さん、子供向けの曲で何か弾ける曲……あるかな?」

香澄「えっと……あ、じゃあ、きらきら星……弾いてみてもいいですか?」

唯「うんっ、いいよ♪ じゃあ、行くよ……」

 そして、香澄のギターと唯の奏でるオルガンの音に合わせ、園児達の合唱が始まった。
138 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:46:06.36 ID:2rXBvp8co
唯「……いち、に、さん」 


 ――じゃららんっ♪

香澄「……きーらーきーらー ひーかーるー♪」

唯「おーそーらーの ほーしーよー♪」

香澄「まーばーたーきー しーてーはー……」

唯「みーんなーをー みーてーるー」

園児「うん、たんっ♪ うん、たんっ♪」

園児「きーらーきーらー ひーかーるー♪」

全員「おーそーらーの ほーしーよー……」

 香澄と唯の歌声に合わせ、カスタネットの音と、園児達の歌声が幼稚園中に響き渡り……。


園児「あー、ゆいせんせーのおうただー、みんな、いこー!」

園児「うんっ♪」

りみ「あれ? みんなー、どこいくのー?」

 りみ、たえ、沙綾、有咲達4人の元を離れ、唯と香澄の側へと園児達が集まっていく。
139 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:47:00.75 ID:2rXBvp8co
りみ「みんな、行っちゃったね」

たえ「あははっ……うん、そうだね」

沙綾「平沢先生も香澄もすごいなぁ、見てよほら、子供たち、みんな楽しそうに歌ってる……」

有咲「香澄のおかげで助かったけど……なんか客を取られたって感じがするな……」

沙綾「こうなったら仕方ないか、私達も行こうよ」

有咲「ああ、そうだな……」

 程なくして、手持ち無沙汰になった4人も唯達の元に集まり、合唱に交じることとなった。


先生「ちょっと、みんな……」

園児「あー、ゆいせんせーだ! ゆいせんせーがオルガンやってるー!」

園児「あのおねーちゃんたち、だーれー?」

園児「わたしたちもうたうー! ゆいせんせーといっしょにおうた、うたうのー!」

 他の教室からも園児が駆けつけ、いつの間にか香澄達の周りには多くの園児が集まり、揃って歌を歌い始める。

 ――さながらそれは、小さなライブ会場の様相を呈していた。

 そして、きらきら星の合唱が終わりを告げ……。
140 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:47:52.01 ID:2rXBvp8co
唯「あははっ、すごい人数になっちゃったね……すみません、他のクラスも巻き込んじゃって……」

先生「まぁ、平沢先生が歌うとこうなるのはよくあることだし……ね」

先生「いいわ、今日の予定は変更して、お歌のお時間にしましょう」

唯「はい……ありがとうございます」

園児「ねーねーゆいせんせー、きょうはぎたー、ひかないのー?」

唯「あ〜、ごめんねえ、今日は先生、ギター持ってきてなくって……」

園児「ちぇー、そーなんだぁ……」

唯「ごめんねぇー」

 唯の声に何人かの園児の残念そうな声が漏れる。

 その声を聞いた香澄が、ある事を思い付き、唯に提案していた。


香澄「……あの平沢先生、もし良ければ、私のギター使って下さい!」

唯「え? で、でも……」

香澄「平沢先生ならきっと優しく扱ってくれると思いますし、何より私、平沢先生の生演奏、聴いてみたいんですっ」

唯「…………いい、の?」

香澄「はいっ♪」

唯「……うん、ありがとう、じゃあ、少しだけ借りるね」

 唯の手に、香澄のランダムスターが手渡される。

 その独特の形状故に唯が普段愛用しているレスポールとは感じが違うが、それでも唯はすぐに対応し、その指からギターの音色が紡がれた。
141 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:48:32.74 ID:2rXBvp8co
 ――じゃらららんっ♪

唯「ふふっ……可愛いギターだね、戸山さんに出会って、すっごく嬉しそうにしてる……」

有咲「分かるんですか? ギターの気持ち」

唯「うん、なんとなく、だけどね」

香澄「えへへ……平沢先生……私のギター、可愛がってあげて下さいっ」

唯「うんっ! よろしくね!」

 ――じゃららんっ

 再び、ランダムスターから音色が溢れる。

 それはまるで、唯の問いかけに対する返事のようだった。
142 : ◆64sUtuLf3A [sage saga]:2019/10/02(水) 22:49:02.98 ID:2rXBvp8co
―――
――


唯「じゃあみんな、何か歌いたい曲、あるかな?」

園児「わたし、プィキュアのうたがいいー!」

園児「えー、ライダーのうたがいいよー!」

唯「あははっ、あまり新しいのは先生わからないんだぁ、ごめーん」

 最近のアニメの歌など、子供らしいリクエストが飛ぶ中、一人の園児の要望に唯の耳が止まる。


園児「うーん、じゃあ、あめふりっ!」

唯「あめふり……うん、じゃあそれにしよっか」

園児「わーいっ♪」

唯「もし良かったら、戸山さん達も一緒に歌ってあげて?」

香澄「はいっ」

唯「じゃあ行くよ……いち、にー、さんっ」


 〜〜♪

唯「あーめあーめ ふーれふーれ かーあさんが……♪」

園児「じゃのめで おむかえ うれしいな♪」

香澄達「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン……♪」

全員「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン――♪」
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