真美「ベランダ一歩、お隣さん」

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255 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:35:03.06 ID:ob1y39C80

すっかり忘れてた。

兄ちゃん、今日約束あるって言ってたんだよね。

だから真美、こうして一人で日曜日を過ごしてたんだよね。

やよいっちに、遊園地のチケットもあげて。


「ねぇ、兄ちゃん……」


忘れてたんじゃないや。

忘れようとして、わざと忘れてたんだ。


だから、ほんとは、もしかしたらとは、一瞬思ったんだけど。

兄ちゃんに言われた時、可能性は一番最初に思いついたんだけど。


せめてせめて、知らないふりをして、兄ちゃんには聞こえない、小さな声で聞く。
256 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:35:29.17 ID:ob1y39C80



とっても、仲良さそうだけど、さ。


「その女の人、誰……?」


兄ちゃんは、真美の知らない女の人と、楽しそうにお喋りしてた。


257 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:45:57.06 ID:ob1y39C80

え、だれ?

兄ちゃん、真美はその人知らないよ?


あ、そっか、お仕事関係の人だよね。

あはは、びっくりしちゃったよ!

もう兄ちゃんってば、私服でお仕事なんて誤解を招くようなこと……。


「……あ」


女の人が、兄ちゃんに抱きついた。

腕を組むみたいに、ぎゅっと。


「――ッ!」


真美は、兄ちゃんから目を逸らして走った。

兄ちゃんの方に背を向けて、家へと一目散に。
258 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:46:24.13 ID:ob1y39C80

誰もいない家へ逃げ帰って、部屋に飛び込んだ。

ベッドへ倒れこみ、うつぶせたまま、さっきの光景を思い出す。


「……すごく、綺麗な人だった……」


兄ちゃんと同い年くらいかな。

真美みたいな子どもなんかじゃなくて、ちゃんとした大人だった。


「……そっか。兄ちゃんにも、春が来たんだね」


良かったぁ。

兄ちゃんの将来、少し、心配してたんだよ。


「だから、これは……」


喜ぶべきこと、だよね?
259 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:46:52.54 ID:ob1y39C80

そのはず、なのにさ。


「なんで真美、こんなに嫌な気持ちになってるの……?」


真美、自分で言ったじゃん。

兄ちゃんに好きな人ができたら、応援してあげるって。

兄ちゃんが迷ったら、後押ししてあげるって。


「だからさ、真美、お祝いしてあげなきゃいけないのに」


ねぇ、なんで?

なんで、あの人と一緒にいてほしくない、なんて思ってるの?


「最低だよ……真美、悪い子だよ……」
260 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:47:19.31 ID:ob1y39C80

応援してあげなきゃ、って気持ち。

応援したくない、って気持ち。


二つが頭の中でごちゃごちゃするよ。


「やっぱり、真美じゃダメだったのかな……」


せめて、あと五年早く生まれてたらなぁ。

でもそれだと、兄ちゃんの部屋に行ったりしなかったかも。

結局どう足掻いても、真美の恋は叶わなかったのかな。


「千早お姉ちゃんが言ってた『切ない』って、こういうことなのかな」


兄ちゃんを好きになったことは後悔してない。

兄ちゃんを好きになれて、本当に良かった。


でも、この気持ちがずっとずっと続くのは……辛いよ。
261 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:47:50.42 ID:ob1y39C80

月曜日、事務所に行く足取りは重かった。


「……兄ちゃんとどんな顔して会ったらいいんだろ」


しょーじき、今はまともに話せる気がしない。

でもライブもあるし、レッスンをサボるわけにはいかないよね。


そんなことを考えながら事務所のドアを開けようとした時、中からはるるんと兄ちゃんの話し声が聞こえた。


「プロデューサーさん、昨日一緒にいた方って……」

「えっ、見てたのか?」

「す、すみません! お買い物してたら、お二人でカフェに入っていくのを見かけて……」

「あいつは……大学時代の同期だよ」

「そう、なんですか……」


あの綺麗な人、大学行ってた頃の知り合いなんだ。

じゃあ、真美よりも出会いは早いじゃん。

……なーんだ。真美のほーが、後出しだったんだ。
262 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:48:17.26 ID:ob1y39C80

それっきり、中から会話は聞こえてこなかった。

なんか、すぐに入るのも気まずいよね……。

一度表に出て、誰かが来るのを待とうかな。


少し待ってたらあずさお姉ちゃんが来たから、一緒に事務所に入った。


「おはようございます」

「おはよ」

「二人ともおはよう」


返事があったのは兄ちゃんだけ。

ソファーで湯呑を抱えながら俯いてたはるるんは、少し遅れて真美たちに気付いた。


「あ……おはようございます」


いっしょーけんめー笑ってるけど、元気がない。

そっか……はるるんも、だったんだね。
263 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:48:43.82 ID:ob1y39C80

スケジュールの確認をしてから、兄ちゃんから逃げるように事務所を出る。

そしてレッスン場へ行って、真美はレッスンレッスン、そしてレッスン。


「うーん」


しばらく練習してから通しで一曲流した後、様子を見てたトレーナーさんが唸った。


「あれ……真美、何か失敗してた?」

「内容自体は及第点よ。でも、真美ちゃんらしさが弱いと言うか、全力を出し切れていないと言うか」

「あー」


たはは……引き摺っちゃってたみたい。

気持ちが漏れ出しちゃうようでは、真美もまだまだですなぁ。
264 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:49:10.17 ID:ob1y39C80

「急な追加で大変だろうけど新曲もあるし、頑張ってね」

「うん、初めてのソロライブだもんね」


これまでやってきた歌は、それなりにできてる。

あとは、ライブで初お披露目の新曲だ。

……このままじゃダメなのは分かってるんだけど、兄ちゃんのことが頭から離れないよ。


「よりによってまた、恋の歌なんだもん……」


今回は作詞も作曲も知らない人だけど。

でもモヤモヤした沈んだ気持ちのままじゃ、どんな歌だって魅力は引き出せない。

トレーナーさんも心配してるし、なんとかしないとダメだよね、真美。
265 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:49:39.05 ID:ob1y39C80

前向きになるための、手っ取り早い方法。


「そんなのあったら苦労しないけど……」

「お願いだよぉりっちゃん! そのずのーだけが頼りなの!」

「そうねぇ……私の場合、人のために何かをするようにしてるわ」


人のために?


「結局、後ろ向きな時って、自分のことはいくら考えても、どんどん沈んでくだけだから」

「うんうん」

「誰かのために動いてれば、悩みも少しずつ晴れてくかもしれないわね」


やっぱりっちゃんってすごいなぁ。

自分が大変な時こそ人のため、かぁ。


「真美、頑張ってみる」

「ライブ前だし、あんまり深刻にならないようにね?」
266 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:50:05.03 ID:ob1y39C80

兄ちゃんのことは、事務所のみんなは知らない。

はるるんだけは気付いてるっぽいけど。

だから、気付かれて心配かけないように、明るくしてないとね!


「でも、人のためかぁ……」


何しよっかな?


「……って、絶好の人助けがあるじゃん!」


色々と複雑だけど……ええい、ままよ!

悩まないで動く!

そうすればきっと、大丈夫だよ!


大丈夫、だよ。
267 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:38:48.68 ID:F7aS3gER0

「ねね、兄ちゃん。このお店知ってる?」

「いや、知らないな。美味しそうなフレンチですこと」

「最近、若い女の人の間で人気なんだって!」

「なんだ、連れてって欲しいのか?」

「違うよ! 兄ちゃんもいいオトナなんだから、お店のレパートリー増やさないと、ってだけ!」


次の日から、真美は兄ちゃんを支えることにした。

あの人と兄ちゃんが上手くいくように、陰からこっそりと助けるんだ。

兄ちゃんってば仕事に関係ない流行はゼンゼンおっかけないんだもん。


「デザートが絶品っぽいよ?」

「マジかよ、もう行くしかない」


真美のお助けで兄ちゃんが幸せになれたら、とっても嬉しいから。
268 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:39:32.50 ID:F7aS3gER0

「んー、へー、ほうほう」


女性誌読んで流行りのお店を調べたり。


「なるほど、ああいう行動が好感度上がるんだね」


街中でカップルを観察したり。


「みんな、こういうのが欲しいんだー」


アクセ屋さんでプレゼント品の傾向をまとめたり。


女の人とお付き合いする上で、兄ちゃんのためになりそうなことをてってー調査!

それからそれを、それとなーく兄ちゃんに教えてあげるんだ。

教えてあげた情報を、兄ちゃんが上手く使えるかは分からないけど……。

それくらいは自分で頑張ってもらうとしよう。
269 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:39:58.39 ID:F7aS3gER0

確かに、りっちゃんの言うとおりかも。

何か人のために目的を用意してがむしゃらにやってると、悩んでる暇がないね。


「真美ちゃん、最近調子戻ってきたわね」

「そう? ならこの調子でジャンジャンバリバリ、ライブに向けて頑張っちゃいますね!」

「菊地さんのモノマネ、上手いわねぇ」

「んっふっふ〜。真美、ライブで一人765プロコーナーもやるんだよ」


トレーナーさんも、ホッとしたような反応を見せてくれた。

新曲の方はまだちょっとぎこちないけど、まぁ多分なんとかなるっしょ。


「お前、最近情報通になってきたなあ」

「トップアイドルを目指すなら、様々な流行を知ってなければならないのだ!」

「ほーう、意識が高いのはいいことだ」

「ちなみに、最近の二十代女性の間ではこんなアクセが流行ってるんだってー」

「何だこりゃ、変なの」

「真美はけっこー好きだけどねー」


育成計画も少しずつ進んでるし、この調子ならきっと、兄ちゃんも上手くいくはず。

上手くいく、はず。
270 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:40:24.42 ID:F7aS3gER0

「喉かわいたー」


じゅるじゅると、コンビニで買ったジュースをすする。

レッスンの帰り道に、なんとなく駅の前でぼーっとしてみた。

最近はライブに調べ物に、忙しかったかんね。


「んっふっふー、買っちゃった!」


そしてそして、片手に持ちたるはコンビニの袋!

その中には……。


「ふおぉ……白いやつ……!」


赤いイチゴが乗った、白いショートケーキ。

最近はコンビニも、色々あるんですなぁ。
271 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:40:51.48 ID:F7aS3gER0

フォークを袋から出して……。


「いっただっきまーす!」


ぐさっ!

哀れショートケーキ伯爵、討ち取られたり!

イチゴ男爵は後回しにしてやろう。

せーぜーいちごのいの言葉でも考えるがいい!

……なんか違う?


「あむっ!」


フォークを一直線にお口の中へ!

ぱくっ。
272 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:41:21.81 ID:F7aS3gER0


……。


あれ。


「おかしいな……?」


もう一口。

ぱくっ。


「……」


もぐもぐ。


「……全然、美味しくない」


味はケーキ。

勿論、前に食べたのよりは安いやつだけど。

でも、もっともっと美味しいはず。
273 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:41:47.37 ID:F7aS3gER0

何口食べても、美味しくない。


「疲れ過ぎて舌がどーにかなっちゃったのかな……」


プラスチックの蓋をして、ケーキは袋にしまった。

ご飯のあとに食べれば美味しいのかも。

亜美にずるっ子って言われるかもだけど。


「あのケーキ屋さんのなら、今食べても美味しいかな」


駅の前にあるケーキ屋さん。

いつだったか、兄ちゃんが買ってきてくれたお店。

店員のお姉さんがニコニコしながら、箱にチョコレートケーキを詰めてた。
274 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:42:13.71 ID:F7aS3gER0

でも、美味しい美味しくない以前に、食べたいって思わない。

チョコレートケーキ、ショートケーキ、フルーツタルト。

いろんなケーキのポスターが出てるけど、食欲がわかない。


「あの人、誕生日かな」


眺めてると、大学生くらいの男の人が、大きな箱を受け取ってた。

ワクワクしてるみたいに笑ってて、ケーキ屋のお姉さんもさっきよりいっぱい笑ってる。

きっと誰かを喜ばせてあげようと思って、今頃とっても幸せで。


「あ……」


だめだ、これ。

275 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:42:41.33 ID:F7aS3gER0


目頭が熱いよ。


「ダメだよ……真美、ダメだってば……」


唇をめいっぱい噛んだ。

でも、涙が溢れてきちゃう。


「美味しかったなぁ……」


あの夏の日。


「兄ちゃんと食べたケーキ、美味しかったよ……」


ぽろぽろ。

止まんないんだよ。

嫌なのに。

嫌なのに。

幸せな思い出を思い出しちゃって。

止まらなくて。

涙が、出てきちゃうんだ。
276 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:43:09.14 ID:F7aS3gER0

真美、決めたじゃんか。

もう迷っちゃダメなんだ。

進むしかないんだよ。

それが、兄ちゃんのためなんだよ。


そう何度言い聞かせても。

真美の中の真美が、納得してくれない。


『なんで真美が、こんな思いしなきゃなんないのさ!』


分かってるんだよ、真美も。

でも、この思いのやり場がなくて。


「あのときのケーキ……美味しかったなぁっ……!」


男の人が足早に駅へ向かっていく後ろで、出てくる言葉が止められなかった。

持って帰ったケーキは、結局食べなかった。
277 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:43:44.47 ID:F7aS3gER0

そして、暑い夏のある日。


「とーとーこの日が来ましたなぁ……」


ソロライブの日が、やってきた。


「仕上げはバッチリか?」

「あたぼうよ! ここで仕上がってなかったら、真美はおまんまの食い上げだぜ!」

「その言葉は間違……ってないのか。ないのか!?」

「ねぇ兄ちゃん、真美の日本語ってそんなに信用ない?」


会場に向かう車の中で、他愛もない会話。


「日本語はさておき……昨日のリハは新曲がちょっとぎこちなかったが、まぁ大丈夫だろう」

「あ……うん」


ちょっと動揺しちった。

でも兄ちゃんは運転に集中してて、こっちは見えてない。
278 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:44:12.94 ID:F7aS3gER0

「お、おぉ……でか……」


到着したライブハウスは、リハで来た時よりもずっと大きく見えた。


「えっ、真美ここでやんの?」

「お前は何を言っているんだ」


口元をつままれて、むにむにされる。

むぬー、やめれー!


「ライブ当日だってのに、朝から気が抜けてるんじゃないか?」

「そ、そんなことないって」

「そうか? 冗談は抜きに、もし体調悪くなったりしたらすぐに言うんだぞ」

「分かってるってば」


平静を装ってるつもりだったんだけど……。

心がどこかモヤモヤしてる。

やっぱり兄ちゃんには、完全には隠しきれないね。
279 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:44:52.89 ID:F7aS3gER0

「俺はちょっとスタッフさんのところに行ってくる。衣装のチェックとかしててくれ」

「りょーかい!」


真美の返事を聞くと、兄ちゃんはバタバタとステージの方へ走っていった。

もうすっかり、やり手プロデューサーって感じですなぁ……。


「えーっとバイタルサンフラワーでしょ、グッドラックターコイズでしょ、ダークゾディアックでしょ……」


一つ一つ衣装のチェック。

うん、アクセも含めて漏れはなし、っと。


「本当にそうでしょうか?」

「のわぁぁぁぁぁああっ!?」


ぬっひゃぁ!

だ、誰!? いきなり後ろから声かけてぇ!
280 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:45:24.50 ID:F7aS3gER0

「ふふふ。驚きすぎですよ、真美」

「お、お姫ちんじゃん……もうっ、びっくりさせないでよ!」

「そしてデザートトラベラーは、たった今、わたくしがお持ちしました」

「げっ、めっちゃ漏れあんじゃん……」


そういえば仕事入ってない子が何人か、手伝いに来てくれるんだった。

お姫ちんに手伝ってもらいながら、改めて衣装やアクセをチェックチェーック。


「えーっと、チェックMYノートがこれで……この名前、誰が付けてるんだろ」

「名前、ですか?」

「いろんな衣装あるけどさ、覚えにくい上に一部はちょっと痛いよね」

「真美。そのようなことを言ってはなりません。グッドラッタコじぇっ」


ねぇお姫ちん。

思いっきり噛み噛みで言われても説得力ないんだけど。
281 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:45:53.53 ID:F7aS3gER0

そんな感じで和やかに進んでたけれども。

確認がひと段落ついた時、不意に言われた。


「ここしばらく、心ここにあらず、といった様子が時折見受けられます」


先ほどの見落としの時も、と付け加えながら、お姫ちんは心配そうな顔をした。

気付いてたのは兄ちゃんだけじゃないみたい。

たはは……ダメダメだね、真美ってば。


「奢りや怠慢でないことは分かります。何か懸念でも……?」

「ううん、何でもない。ただ疲れてぼーっとしちゃってただけだよ」


雑多なアクセ類をまとめて、確認作業は終了。

この話題は、早いとこ切り上げたかった。
282 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:46:22.86 ID:F7aS3gER0

「さて、これで搬入物の確認は大丈夫でしょう。何かお手伝いすることは?」

「ありがとね、お姫ちん。あとは歌詞のチェックしようと思ってたくらいだから、だいじょぶだよー」

「……そうですか。ならばわたくしは斜向かいの控室におります」


何かあればお声かけを、と言い残して、お姫ちんは楽屋を後にした。

多分、真美の気分に気付いて、察してくれたんだと思う。

ごめんね、お姫ちん。


「それじゃ、歌詞チェックしよっと」


本番で飛んだら怖いもんね。

特に新曲は――。


「……待ち焦がれる恋の歌、かぁ」
283 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:46:51.16 ID:F7aS3gER0

今回は兄ちゃんが決めたわけじゃなくて、社長の知り合いから貰った曲らしい。

トレーナーさん伝手に聞いたんだけど。


「アナタは、待っていてくれますか――」


歌詞カードを見ながら口ずさむ。


「光に届く、その時を――」


真美にとっては初めての、優しいバラード。

これまではずっと、元気な曲とかばっかだったもんね。


「この最後のサビの歌詞、時々ふっと忘れかけちゃうんだよね」


歌詞を読むたびに、ぐさりと刺さる。

だから、頭が忘れたいのかも。
284 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:47:20.14 ID:F7aS3gER0

とんとん。

楽屋のドアが、小さくノックされる。


「真美、入っていいか?」

「あ、いいよー」


兄ちゃんだ。

そろそろ、ステージの方も整ってきたのかな。


「機材のセッティングが終わったから音出しやるぞ。来てくれ」

「あいよー」


トコトコと兄ちゃんについてく。

そんな真美を見て、兄ちゃんはまた心配そうな顔をした。
285 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:47:45.57 ID:F7aS3gER0

「やっぱり元気がないな」

「ううん、そんなことないもん」

「いつもなら張り切って前を歩くだろう」


そーかな。

そーだったかも。

今の真美は、アヒルの子みたいに兄ちゃんの後ろをついてくだけだもんね。


「……へっへん! そんなこと言われちゃ、真美も張り切るしかないっしょ!」

「おいっ! 待てっ!」


だだだっ、と。

兄ちゃんの横を、すり抜けるように走り抜けた。


「機材持ってる人もいるんだから危ないぞ!」

「あ、そっか、気をつけるね!」


兄ちゃんの顔を見ないように。

空元気を、精一杯の盾にして。
286 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:48:12.12 ID:F7aS3gER0

ステージに駆けこもうとしたとき、誰かとぶつかりそうになった。


「わわっ!?」

「おっとはるるん! めんごめんご」

「び、びっくりしたぁ……真美、危ないよ?」

「ちょっと慌て過ぎちった!」


積み上げられた段ボールの影から出てきたのははるるんだった。

隣には千早お姉ちゃんとやよいっち。

結構いっぱい来てんだねー。

……うちの事務所、お仕事大丈夫なのかな。
287 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:48:42.90 ID:F7aS3gER0

「初めてのソロライブだからって羽目をはずしてはダメよ」

「千早お姉ちゃんはお堅いですなぁ。やよいっちには甘いのに」

「そ、それとこれとは話が違うでしょう!」

「そうだよ! 千早さん、真美にも結構甘いんだよ?」


え? そうなの?

あんまり普段、そういう感じはしないけど。


「そうだね……今のが私だったら正座させられてるね……」

「いい歳して中学生と並ぼうとするんじゃないわよ」


不貞腐れたはるるんと、呆れた表情の千早お姉ちゃん。

あはは、そんな姿を見てたら、少し気分が明るくなってきたよ。
288 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:49:09.51 ID:F7aS3gER0

「真美、また無理してない?」


はるるんが、真美の顔を覗き込みながら呟いた。

千早お姉ちゃんもやよいっちも、ちょっと心配そうに見てる。


「してないよ」

「本当に……?」

「してないから、だいじょぶ」


うん、大丈夫。

そう、自分に言い聞かせるように。
289 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:49:37.90 ID:F7aS3gER0

一瞬の沈黙の後、スタッフさんが真美を呼ぶ声がした。

準備、出来たみたい。


「それじゃ行ってくんね!」

「あっ……」


はるるんが、何か言いかけた。

でも、真美は知らんぷり。


何歩か駆けたところで、はるるんの声が聞こえた。


「もっと私たちを頼ってくれても、いいんだよ」


ちょっと寂しそうに笑うはるるんの声。

その声に引かれつつ、スタッフさんのとこへ向かった。
290 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:50:15.15 ID:F7aS3gER0

音出しは特にトラブルもなくおしまい。

リハーサルは昨日、入念にやったからね。


少し予定が押し気味だったけど、いよいよ本番。

幕の間からこっそり覗くと、いつの間にかお客さんが客席を埋めて、ちょっと先走ったサイリウムが光ってる。


「おっし真美、準備はいいな?」

「もうマリカースタート前からアクセル全開状態だぜ!」

「いいですか真美、あのげえむは押しっぱなしだと滑ってしまってスタートできないのです」

「知ってるよ……お姫ちんがテンパってた時に教えてあげたの真美じゃん……」

「衣装のチャックは大丈夫? メイクは崩れてない? 最初の歌、どっちの足から出るか覚えてる?」

「千早お姉ちゃん、そんなオロオロしなくても大丈夫だから」

「心配なんですよね、千早さん」

「千早ちゃん、まるでお受験前のお母さんみたいだよ……」


みんなが思い思いの言葉で、真美のことを後押ししてくれる。
291 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:50:45.85 ID:F7aS3gER0

そして、オープニングBGMが鳴り響く中。


「それじゃあ、暴れてこい!」

「おうさっ!」


ぐいっと。

兄ちゃんの手が、真美の背中を押した。


いつもならいっぱい勇気を貰えるのに。

今日はまるで、無理矢理追い出されたみたいで。

兄ちゃんとの距離がひらいてくみたいで。

兄ちゃんはもう、真美とは違う世界に居る人みたいで。


「へーい! 会場の兄ちゃん姉ちゃん! 最初からフルスロットルでいくよーーっ!!」


本当は真美こそ、後押ししてあげなきゃいけないのに。

嫌なこと考えてる自分が、大嫌い。
292 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:51:22.37 ID:F7aS3gER0

「スタ→トスタ→!」


兄ちゃんに応援するって嘘をつく自分が嫌い。

みんなに大丈夫だよって嘘をつく自分が嫌い。

ファンのみんなに笑顔の嘘をつく自分が嫌い。


「あなたのハートに、バキューン!」


ライブが一曲、また一曲と進んでく。

無理矢理作った笑顔が、だんだん苦しくなっていく。


「見っつっけたんっ!」


今後ろから膝かっくんされたら、全部ぼろぼろと崩れちゃいそう。
293 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:51:57.57 ID:F7aS3gER0


客席のみんなが盛り上がる。

真美はステージの上で一人ぼっち。


時々舞台袖を見ると、十数歩のところに兄ちゃんがいる。

いつもならそれを思うだけで元気がいっぱい湧いてくるのに。


今はこの十数歩が、とっても遠い。

294 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:52:23.97 ID:F7aS3gER0

演出の合間を縫っての衣装替え。


「着替える時間はほとんどないよ!」


はるるんが慣れた手つきで着替えを手伝ってくれた。

着替え用の演出時間は、あと二十秒。


「はるるん」

「なに?」

「真美、嘘ついてた」


あと十秒。


「真美、大丈夫なんかじゃ、ないんだ」


あと五秒。


「真美、嘘ついてたんだよ」
295 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:52:50.55 ID:F7aS3gER0

「知ってたよ」


え?


「真美はもっと、素直になっていいんだよ」


はるるんは、笑いながらそう言った。

……素直になって、いい?


「ほら、演出終わっちゃう」

「あっ、行かなきゃ!」


やばっ、出遅れちゃう!

急いで行かなきゃ!
296 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:53:18.12 ID:F7aS3gER0

「お待たせーっ! 後半もバクハツしてくよー!」


素直に、かぁ。

このステージに立ってるのは、素直な気持ちかな。


「さあ! ここから星へー!」


それは間違いないよ。

このライブが決まった時、最初はすっごいワクワクしたし、早くステージに立ちたいって思った。

なんでだろ?


「この世界ってば私だけ!」


真美、そんなにみんなの前で歌ってダンスしたかったのかな。
297 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:53:43.42 ID:F7aS3gER0


そもそも、真美、なんでステージに立ってるんだっけ。


楽しいから?


そういや真美、いつからそんな風に思えるようになったんだろう。

最初はどうしたらいいか分からなくて、あんなにもがいてたのに。


最初は?


あれ?


真美、なんでアイドル始めたんだっけ。

298 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:54:12.58 ID:F7aS3gER0

そうだ。

あの日、思ったんだ。


『真美も兄ちゃんと一緒に行けたらなー……ぜーったい毎日楽しいのに』


兄ちゃんと同じ道へ進んで、兄ちゃんと並んで歩きたいって思ったんだ。


そして、今日のライブは、その答えの一つだから。

ここまで二人で来れたことの、一つの証明だから。


だから真美、このステージが待ち遠しくて、たまらなかったんだ。
299 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:54:51.00 ID:F7aS3gER0

セットリストの最後は、懐かしのデビュー曲。

この曲を初めて歌ってから、もう結構経つんだね。


「デートしてくれま・す・か?」


揺れるサイリウムが、とっても綺麗。

色とりどりの光が揺れる度に、色んなことを思い出すよ。



ケーキをもらった。

就職のお祝いをした。

事務所のオーディションを受けた。

練習のしすぎで倒れちゃった。

一緒にベランダで星を見た。



そして……恋をした。


300 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:55:26.34 ID:F7aS3gER0

ドラマで準ヒロイン貰ったよね。

ピヨちゃんとりっちゃんにビンタ貰ってたよね。

そんで真美、兄ちゃんに告白してさ。

お祭りに連れ出して、キスまでしちゃって。


あー、ほんとに、あっという間だったなぁ……。


「っ……」

そんな夢みたいな日々も、もう少しで終わりなのかなぁ……。


「恋バナ、お・わ・り!」


終わらせないと、ダメなのかなぁっ……!

301 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:56:00.81 ID:F7aS3gER0

「兄ちゃん姉ちゃんたちー! 今日は来てくれてありがとーーー!!」

たくさんの声を浴びながら、ステージを後にする。


セトリの最後が終わって、あとはアンコール。

一曲目が千早お姉ちゃんとやよいっちのゲストステージ。

そして二曲目に用意されてるのは、今度発売する真美の新曲。

二人が歌ってるうちに着替えないと……。


「よし、真美。衣装はこっちだ!」

「うんっ!」


舞台袖で待っていた兄ちゃんに急かされて、楽屋前を急ぐ。

ねえ、兄ちゃん。

真美、こんな風に一緒にいるだけで、ちょー幸せなんだよ?
302 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:56:26.96 ID:F7aS3gER0

と、そのとき。

兄ちゃんの携帯の着信音がなった。


「ん、誰だ……?」


急ぎながら、兄ちゃんが携帯を見た。

そして、ぼそりと呟いた。


女の人の、名前。


「っ!」


直感で、思った。

それたぶん、あの人の名前、だよね。
303 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:56:53.32 ID:F7aS3gER0

がしゃあん!

って。

真美の中で、何かが崩れる音がした。


「あとでかけ直せばいいか……真美?」


どうして?

真美、いっしょーけんめー諦めようとしてるんだよ?

でも、このステージがきっと、最後だからって……。


「おい真美、どうして立ち止まってるんだ? 急がないと……」


今だけは真美の兄ちゃんでいてほしいって。

そう思ってたのに。


「……真美?」


なんで……。

なんで、さ……。
304 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:57:21.07 ID:F7aS3gER0




ここは、真美と兄ちゃんだけの場所なのに……!



305 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:57:50.78 ID:F7aS3gER0


「なんで……ここにまで来るのさ……!」


足が勝手に、逆方向へ走り出した。


「?! おい、真美っ、どこに行くんだ!?」


後ろから、兄ちゃんの声がした。


やだ。

やだ、やだやだやだ!!


真美、もうダメだよ。

これ以上、歌えない。

踊れない。

いつもの表情をしてらんない。
306 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:58:17.85 ID:F7aS3gER0


「真美!」


兄ちゃんが真美を呼べば呼ぶほど。

もう、真美は苦しいだけなんだよ。

こんな場所、居たくない。


大好きな兄ちゃんが、誰かに持ってかれちゃうのを見てるだけなんて!

307 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:58:42.50 ID:F7aS3gER0


「はぁっはぁっはぁっ……」


兄ちゃんを振りきって、裏の方まで逃げて来ちゃった。

今頃、千早お姉ちゃんとやよいっちは大変かな。

スタッフさんたちも、慌ててるかもしれない。

ライブもぜんぶ、ぶち壊しかもしれない。


あはは。


真美、さいてーじゃん……。

308 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:59:10.58 ID:F7aS3gER0

自分の思い通りにいかないからってさ。

ぜんぶ放って逃げて、逃げて……。


「……うぁ……ぅっく……」


なにやってんのさ、真美……。

ぜんぶぜんぶ、自分で決めたことじゃんか。


このステージに立つことだって。

兄ちゃんを応援することだって。


ずっと、兄ちゃんの隣にいるって。

この想いが報われないとしても……ずっと、ずっと……。


それはぜんぶ、自分で……!

309 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:59:40.34 ID:F7aS3gER0


「みぃつけた」


ぽんっと、肩を叩かれた。

振り向くと、かわいいリボンが揺れてた。


「真美、メイクが涙でぐしょぐしょだよ?」

「ばる゙る゙ん゙……」

「ふふっ。私、そんな怪獣みたいな名前じゃないよ」


そんなふーに声かけられたら。

そんな、ぜんぶ知った上で微笑むような、優しい声で話しかけられたら。

積み上げてたものが、一気にがらがら崩れちゃう。


「……ッうあぁぁぁああぁぁぁぁああああんっ!!」

「うん。真美、頑張ったんだよね」


はるるんの顔見たら、もう堪えらんなくて。

胸の中に飛び込んだ。

もう、辛かった想いが、我慢してたことが、ぜんぶ溢れてきて……!
310 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 08:00:07.37 ID:F7aS3gER0

「ごめんなさっ……ごめ、ごめんなさい、ごめ……あううぅぅぅぅ……!」

「もー、なんで真美が謝るの」

「だって、ちはやおねーちゃんにも、やよいっちにも、いっぱいいろんな人にメーワクかけて……!」

「それなら大丈夫だよ。ほら、聞こえるでしょ?」


そう言って、はるるんが涙を拭ってくれた。

耳を澄ませてみると、会場からファンの兄ちゃん姉ちゃんたちの歓声が聞こえた。


「ちゃんとステージは続いてるよ」

「うん」

「ね? 二人だって、伊達に人気アイドルやってるわけじゃないんだよ」

「……うん」


はるるんに優しくされると、悲しい気持ちが少しずつ楽になってく。

やっぱり、はるるんってすごいや。
311 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 08:00:37.70 ID:F7aS3gER0

「落ち着いたら、プロデューサーさんのところに行こう?」

「っ……なんで、さ……」


兄ちゃんのことが出てきたとたん、また胸がきゅっと締め付けられる。

はるるん、真美が辛いの、分かってるでしょ?

なんでここにきて、そんな意地悪を言うの?


「真美、プロデューサーさんから何も聞いてないんだよね」

「……そう、だけど」


でも聞くまでもなく、いちもくりょーぜんじゃん。

あの女の人に、ベタ惚れなんでしょ?
312 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 08:01:07.58 ID:F7aS3gER0

「真美が今度出す新曲、あるよね」

「うん……でも、しょーじきあんま歌いたくない」


待ち焦がれる、恋の歌。

今の真美にとって、いちばん辛い歌。

だって、待って待って待った結果、真美はダメだったんだもん。


「こんな時に歌ったら……酷い歌になっちゃうよ」


歌って、心を込めて歌うんだもん。

今あの歌詞を歌おうとしたら、きっと、悲しさと妬みにまみれちゃう。

歌も、ファンの兄ちゃん姉ちゃんも……可哀想だよ……。
313 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 08:01:34.83 ID:F7aS3gER0


「わぷっ!」


なんて考えてたら、急に目の前が真っ暗になった。

代わりに、顔にふにょふにょと柔らかい感触。


「あのね」


はるるんが、真美を抱きしめながら呟いた。


「ほんとはね――」


こそっと、そのまま真美に耳打ちした。

……え……?

なにそれ……。

真美、聞いてないんだけど……。
314 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 08:02:04.55 ID:F7aS3gER0

「でも、社長の知り合いの人がって……」

「プロデューサーさん、いっつも裏目裏目だね」


そう言ってはるるんは、くすっと笑った。

それって……。


「ほら、早くプロデューサーさんのところに行ってあげないと」

「え、でも千早お姉ちゃんたちが」

「大丈夫大丈夫、貴音さんもいるから。お姉さんたちに任せなさい!」


はるるんがフフンと力こぶを作る。

つんつんってつつくと、くすぐったそうな表情とともにへにゃっとした。
315 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 08:02:30.91 ID:F7aS3gER0

「……ありがと、はるるん」

「うん、どういたしまして」


急がなきゃ。

はるるんに背を向けて、真美は楽屋の方へ駆けだした。


「私は、ダメだったけど」


後ろから、小さなつぶやきが聞こえた。

真美は振り返らずに、兄ちゃんのとこを目指した。


「真美は、大丈夫だから」


潤んだ声が、真美の背中をぐいって押した。

316 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/22(土) 18:42:28.20 ID:Ntp7if/30
復帰したのか 投下乙
317 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/06/22(土) 21:15:55.39 ID:YNHMUbVqO
くっそ切ないな
もらい泣きするぞ
おつおつ
318 : ◆on5CJtpVEE [sage]:2019/06/23(日) 00:10:25.89 ID:5i4lUinvo
>>316
恥ずかしながら戻ってまいりました
完結までさほどかかりませんので、よろしければご覧いただけると幸いです

>>317
そこまで感情移入して読んでいただけて嬉しいです
最後まで見届けてあげてください
319 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:12:27.17 ID:5i4lUinv0

背中を押されて戻った、楽屋の近く。


「真美! どこに行ったんだ?!」


血相変えて、衣装箱の裏を探してる兄ちゃんが居た。

……真美、もうそんなとこ隠れるほどコドモじゃないんだけど。


「兄ちゃん」


だから真美は、できる限り大人っぽく聞こえるように、静かに兄ちゃんを呼んだ。

真美の声を聞くや否や、呼ばれたペットみたいに振り返る兄ちゃん。

あはは、焦りすぎだってば。


ばぁか。

320 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:13:17.78 ID:5i4lUinv0

「真美! なんで急に……!」


ちょっと怒りつつも、心配で仕方ないって感じの兄ちゃん。

ごめんね。

でも、ホントにガマンできなかったの。


「ごめんなさい」


そのことは、謝るから。


「謝るから、一個だけ教えて」


はるるんに後押ししてもらわなきゃ、怖くて聞けなかった言葉。
321 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:13:43.82 ID:5i4lUinv0

「さっきの携帯の着信、あの女の人、だよね」

「……!」


真美の質問を聞いて、兄ちゃんは息が詰まったような顔をした。

なんだろ、驚きと憤りと後悔をまぜこぜにしたような感じ。

ほんの一瞬のことだったけど、ぐるぐると季節が巡るみたいに兄ちゃんの表情が変わった。


「お前……知ってたのか」


帰ってきた答えは、さっきまで真美が、何よりも恐れていた言葉だった。
322 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:14:10.74 ID:5i4lUinv0

その言葉は、ただの知り合いの一人とかじゃない、って証拠。

うん、知ってたんだ。


「ごめんなさい。前に街で兄ちゃん見つけて、追っかけてたら……」

「……そう、だったのか」


やっちまった、と兄ちゃんが手のひらで顔を覆った。


「そうだよな、そりゃそうか、それで最近……」


そのまま、兄ちゃんの指の隙間から呟きが漏れる。

真美にかける言葉を探すように、あれこれ言い掛けるんだけど、結局続かない。
323 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:14:37.71 ID:5i4lUinv0

「ね、兄ちゃん」


だから真美は、兄ちゃんが喋りやすいように、怯えた心を押し殺して言った。

なるべくなるべく、優しく優しく。


アイドル始めて、辛かったとき。

あの夜ベランダで、兄ちゃんが話しかけてくれたときみたいに。


真美は、怖くないよ。

真美は、ちゃんと聞くよ。

って、兄ちゃんに聞こえるように。


「その人、兄ちゃんの、彼女さんなのかな」


どんな答えが返ってきても、真美自身が、ちゃんと聞いてあげられるように。
324 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:15:17.10 ID:5i4lUinv0

「一昨日、告白されたんだ」


真美の表情を見て、声を聞いて、兄ちゃんも少し落ち着いたみたい。

ステージの方を気にしてたから、大丈夫だよ、って言ったら、話し始めてくれた。


「最近、何かと理由をつけて誘われてたんだ。大学時代の同期でね」

「うん、知ってる」

「マジかよお前スパイか何かか」

「真美の目は、いついかなる時でも兄ちゃんクンを見張っているのだよ」


そう胸を張って言うと、兄ちゃんも思わず小さく吹き出した。

事務所での会話を盗み聞きしただけだけど。


「風呂もか」

「別に見張ってもいいけどさ、ふつー逆じゃない?」

「お前は事務所から前科者を出したいのか」


ああ、すっごく久しぶりかも、この感じ。
325 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:15:43.26 ID:5i4lUinv0

「で、告白にはなんて答えたの?」

「断った」


携帯を取り出して、兄ちゃんはぽちぽち操作し始めた。


「さっきのも、ただのお礼だったよ。返事をくれてありがとう、って」

「せっかくきれーな人だったのに」

「そうだな、大学でも人気だったよ」


携帯を閉じて、兄ちゃんが視線を真美に移した。

悲しそうな辛そうな、どんよりした雨の日みたいな視線。
326 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:16:13.61 ID:5i4lUinv0

「バレてたらすぐに問いつめられると思ってた。そしたらちゃんと答えりゃいい、急に話しても不安がらせるだけだ、って」

「真美だって、少しずつだけどオトナになってるんだよ?」

「ああ、俺の考えが甘かった。前科もあるのに、どうしようもないな」

「そだよ、もう前科者じゃん」

「本当にな」


衝動的に、兄ちゃんの服の裾を掴んだ。

その手を、兄ちゃんが優しく握ってくれる。

あったかい。

あったかいなぁ。
327 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:16:41.98 ID:5i4lUinv0

「ごめん、ちょっと嘘」


ホントは、オトナだから気を遣ってたんじゃない。


「怖かっただけなんだ。あの人誰って聞いて、好きな人って言われたらって」


直接聞かない理由を作って、逃げてただけなんだよ。

兄ちゃんのためって理由を。


「じゃあ、なんで急に聞こうと思ったんだ?」

「はるるんに聞いたから」


何が、とは言わない。

でも兄ちゃんは、その一言でぜんぶ分かったみたいだった。
328 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:17:28.25 ID:5i4lUinv0


「アナタは、待っていてくれますか――」


小さく、兄ちゃんにだけ聞こえる声で、口ずさむ。


「光に届く、その時を――」


優しいバラードの、ワンコーラス。

さっきまでは怖くて歌えなかった歌詞。

真美の歌を聴いて、兄ちゃんは眉をしかめた。


「やめなさい」

「んっふっふー、他も全部歌えるよ」

「マジでやめなさい」


待つことも許してくれないのに、なんでこんな歌詞を歌わせるの、って思ってたけど。

329 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:17:57.51 ID:5i4lUinv0

「春香め……本人には言うなと念を押しておいたのに……」

「でもはるるんが教えてくれたから、真美は兄ちゃんに聞けたんだよ」


はるるんが教えてくれなかったら、この歌は嫌いなままだった。

きっと真美は、この歌詞みたいに待ち続けるだけの損ばかり。

兄ちゃんはあの女の人に取られちゃうんだって、辛いままだった。


でもほんとは。


「この歌詞、男の子の歌だったんだね」

「……」


ずっとずっと待ってたのは、真美だけじゃなかったんだね。

330 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:18:34.38 ID:5i4lUinv0

嬉しいんだ。

胸が幸せで、はちきれそうなくらい。

はるるんに言われるまで気付けなかったのだけが、悔しいけど。


「あの日、真美に言ったこと」


いつか、星のない空を二人で見上げたベランダ。

面と向かって、初めて告白した夜。

そこで兄ちゃんは言ってくれた。


「覚えてて、守ってて、くれたんだね……」

「当たり前だろう、このおませさん」


口元が震えて、視界が霞んだ。
331 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:19:08.77 ID:5i4lUinv0

分かってた。

はるるんに言われて気付いて、ここに来るまでには、そうだったんだって理解してた。


「でも、実は違うんじゃないかな。ギリギリで気持ちが変わったんじゃないかな、って」


たった今の今まで、少しだけ。

少しだけ、不安だったんだ。


「答えは最初から決まってたよ」

「兄ちゃんの?」

「ああ」


短く答えて、兄ちゃんは真美の頭をぽんぽんと撫でた。

うー。それ、ずるい。
332 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:19:37.47 ID:5i4lUinv0

「ちびっこに手を出す変態ではないが」

「それは流石に引くよ」


そりゃそうだ、と言って兄ちゃんが笑う。

真美、その顔好きだよ。

兄ちゃんがほんとにたまにだけ、真美にだけ見せてくれる表情。


「でも、この子が大きくなったら……一人の女性になったら、俺はきっと好きになるんだろうなって」

「へ?」

「うん、変な話だけどさ、あのとき、確信したんだ」

「……うぇっ!?」


き、急に真顔で、とんでもないことを言わないでよ!

頭がフリーズしちゃったじゃん!
333 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:20:22.07 ID:5i4lUinv0

そ、そしたら兄ちゃん……今はどう考えてるのかな……。


「あのさ……真美、オトナになれた?」

「まだだな」


即答された。


「えーーっ!? だっていま言ったじゃん! あんな歌詞も書いてくれたじゃん! アレ兄ちゃんからのあんさーっしょ!? オッケーっしょ!?」

「バカ言え、義務教育を受けてる身でオトナと抜かすか」

「ぐ、ぐぬぬ……」


これは確かに言い返せない。

真美、まだ中学生だもんね……。

どんなに背伸びしても、仮に今すぐおひめちんやあずさお姉ちゃんみたいなないすばでーになっても、中学生は中学生。

オトナとは言えないね。
334 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:20:52.34 ID:5i4lUinv0

「それでな、真美。一つ頼みがあるんだが」

「頼み?」


なんだろ。

兄ちゃん、いつになく真面目な顔してる。


「ああ。来年の五月二十二日の夜、時間作れるか」

「え……」


五月二十二日。

それって、真美の……。


「その日、時間が取れたらでいい。俺にくれないか」

「……うん」


空けないわけ、ないじゃん。

335 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:21:18.86 ID:5i4lUinv0

「真美、それまで頑張れるか?」

「うん」

「それまで待てるか?」

「うん」

「それまで、待っていてくれるか?」


兄ちゃんが、真美の目を見ていった。

真美も、兄ちゃんの目をまっすぐ見た。


「うんっ!」


そんで、はっきり聞こえるように、絶対に兄ちゃんが聞き逃さないように。

思いっきり声を張り上げて、うなずいた。
336 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:22:10.42 ID:5i4lUinv0


きっと、今の声は聞こえたと思う。


「ほんじゃ今日最後のステージ、行ってくんね!」


なんでって、真美を見る兄ちゃんの目が、とってもあったかかったから。

気合を入れた真美の背中を、ぽんと押してくれた手が、とってもあったかかったから。


「ああ、行ってこい」


兄ちゃんが笑顔でそう言ってくれるだけで。

真美、こんなにこんなに、心が湧きたつんだよ。


「真美のステージから、一秒たりとも目を離しちゃダメだかんね!」


知ってるでしょ、兄ちゃん。

真美、こんなにこんなに、兄ちゃんのことが大好きなんだよ。

337 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:22:38.91 ID:5i4lUinv0

舞台袖へ行くと、はるるんがお姫ちんの衣装チェックをしてた。


「双海真美、ただ今帰還いたしましたっ!」

「おや、もう大丈夫なのですか」

「めんごめんご、もうだいじょうぶいっ!」


ピースピース!

らぶあんどぴーすだぜっ!


「ならば、私の出番は必要ありませんね」

「ありがとね、お姫ちん!」

「真美、とってもいい顔してるね」

「んっふっふー、今の真美は百人力だよん!」


着かけてた衣装を脱ぎながら、お姫ちんは安心したように小さく息を吐いた。

みんなに心配、かけちゃったな。
338 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:23:25.70 ID:5i4lUinv0

「ちょうど千早ちゃんのお笑い道場夏場所が終わったところだから、このまま入れ替わっちゃおうか」

「待ってなにそれ超見たいんだけど」

「やよい、小道具持って二人で戻ってきて……あ、よかった! ジェスチャー通じたみたいだね」

「カメのエサとか何に使ったの!? どんなステージやってたの?!」

「まこと、素晴らしいステージでした……」

「お姫ちん涙で潤んでるし! うあうあー! 真美がいない間に何が起こってたのさーー!?」


な、なんかすっごくレアなタイミングを逃した気がする……!

戻ってくる千早お姉ちゃん達も、なんかやり切ったような清々しい表情だし……。


「ほら、真美の出番だよ!」

「えっ!? あ、うん、い、行ってくんね!」


お姫ちん、はるるんの隣でそんな涙拭きながらハンカチ振らないでよ!

気になるじゃん! 気になってステージに集中できないじゃーん!
339 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:24:05.59 ID:5i4lUinv0

ステージの方からは、ファンの兄ちゃん姉ちゃんの歓声が聞こえる。

その声を背に、千早お姉ちゃんとやよいっちが帰ってきた。


「もう大丈夫なの?」

「うん、あんがとね、やよいっち。二人とも、ごめんなさい」

「謝りたいなら後で聞くわ。あんまり口にすると、ステージに影響が出るから」

「ん、そだね!」


腕をぐるんぐるん回す。

ぐるーんぐるーん。

よっしゃー、やる気全開!!


「あ、千早お姉ちゃん」

「何かしら?」

「……お笑い道場夏場所、あとで見せてね」

「ふふふ、ステージをしっかり締めることができたら、ね?」


おっけー……。

この双海真美、やったろーじゃん!!
340 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:24:31.86 ID:5i4lUinv0


それじゃ、ステージに――。


――。


――あれ。

外から、声が聞こえる。


何か、よく聞き馴染みのある言葉だ。

いつもいつも、毎日のように聞き馴染みのある……。

なんだっけ、これ。


それが、少しずつ冷えてた真美の身体を、暖めてくれる。

341 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:24:58.88 ID:5i4lUinv0


あ、そっか。

これ、あれだよ。


真美の名前だ。


みんなが、真美の名前を呼んでるんだ。


そっか、そうだよね。

みんな、真美の歌を聴きに、ここへ集まってきてくれたんだもん。

他の誰でもない、真美の歌を聴きに来てくれてるんだ。

342 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:25:50.04 ID:5i4lUinv0


そうだね。


「……よしっ、いま行くよん」


真美が兄ちゃんと一緒に目指してきたものってさ。

結局、みんなを笑顔にすることで。

みんなに明るい何かを届けることで。


兄ちゃんと一緒に歩いてくことでもあって。

765プロのみんなと一緒に頑張っていくことでもあって。

ファンのみんなに全力で気持ちを伝えていくことでもあって。


うん、そうなんだ。

このステージを、全力でやり切ることがさ。


「めんごめんごみんなーーー! たっだいまーーー!!」


真美がずっとずっと、目指してきたことなんだ!

343 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:26:27.08 ID:5i4lUinv0

「わぷっ! まぶしー!」


照明ってこんなに眩しかったっけ?


目が慣れて、もう一回見回すと、ファンのみんなが笑ってた。

あ、何人か心配そうな顔してる人がいる。

ちょっとバレちゃってたのかな……真美の不安。

もーダメダメじゃん、真美ってば。


「いやー、実は朝から頭のちょーしがまいっちんぐでしてなー。でも、もう大丈夫!」


笑顔でブイってやったら、心配そうにしてた人たちも安心したような表情になった。

良かったぁ。

いまの真美、ちゃんと笑えてるんだ。


「こーんなハイテンションで出てきてアレだけど……最後の新曲、ちょっとちっとりなんだよねー」


ぺろっと舌を出すと、みんなが笑ってくれた。
344 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:26:54.55 ID:5i4lUinv0


「真美の気持ち、いっぱいいっぱい詰め込むからね」


視界の正面。

PA機材の中に紛れ込むように、兄ちゃんがいた。

目が合うと、にっこり笑ってくれた。


「みんな、聴いてね」


マイクを、力いっぱい握りしめる。


ファンのみんなに、心のこもった声が届くように。

正面の兄ちゃんに、真美のメッセージが届くように。


「歌います」


真美の、素直な心を。

想いを、歌います。

345 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:27:36.72 ID:5i4lUinv0

最後のトリは、暖かいバラード。

兄ちゃんがずっと温めてくれた、密かな想い。


「――」


さっきまで口にするのも怖かったのになー。

無意識に身体を動かすみたいに、するする歌える。


「――」


頭、真っ白。

でも、ココロが沸き立って。

声がどこまでも響いていって。


すっご。

すごいこれ、初めての体験だ!
346 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:28:21.92 ID:5i4lUinv0


「――」


頭では歌詞と全然違うこと考えてるのに。

今もこんなワケわかんないことアレコレ考えてるのに。

なんだろ、こう、考えてることと口にしてることが一致してるような。


「――」


口にする言葉は違うけれど、いま、真美が考えてることを歌ってるんだ。

自分がいま、どんな言葉を口にしてるかも頭に入ってこないけど。

いやまぁ、多分ちゃんと歌詞歌ってるよね、多分。


「――」


……多分、歌ってるっしょ?

347 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:28:48.25 ID:5i4lUinv0


それはきっと大丈夫。

だってほら。


「――」


眩しい眩しい照明の向こうから。

兄ちゃんが、こっち見てもっと眩しく笑ってるもん。


「――」


多分歌詞違ったら顔面ユーハクで変な踊り踊ってるだろうし。

あ、ユーハクじゃないや、ソーハク?

ユーハクじゃ死んじゃってるね。

うらめしや〜!

348 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:29:22.38 ID:5i4lUinv0

ファンの兄ちゃん姉ちゃんたちが、真美の心に合わせてサイリウムをゆらりゆらり。

ごめんねみんな。

真美ってばちょっと自分勝手に歌っちゃってるよね。


「――」


でもきっと、その自分勝手も、なんとなくみんなに伝わってる。

それでもみんなみんな、優しく励ますような、あったかい目で見てくれてる。


「――」


だからステージ上の真美も、ヒャクパー素直な心で歌えるんだ。

真美の最高に素直な心……。

そう、オーバー・トップ・クリア・マミンド!

……マミンドってアキンドみたいでおっちゃんくさい、やっぱなし。
349 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:29:58.51 ID:5i4lUinv0


「――」


いっぱいいっぱいの想いが、歌に重なってく。

兄ちゃんと出会ってから、今日までの日々。

さっきまでとは違って、幸せに感じる想い出。


「――」


夢みたいな日々は、終わらない?

夢みたいな日々は、これから始まる?


「――」


違うよ、そうじゃない。


「――」


ほわほわと泡みたいだった夢から、目を覚ますんだ。


「――」


夢じゃなくて、朝を迎えて、真美は。

350 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:30:42.53 ID:5i4lUinv0


「――」


目が合う。

兄ちゃんと。


「――」


もうすぐラストのサビの、本当の最後。

兄ちゃんが答えをこめてくれた、あの歌詞。


「――」


真美の口がフレーズを歌う。

とっても自然に。

当たり前のように。


ごくごく自然に、本来の言葉とは、違う言葉で。

351 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:31:24.54 ID:5i4lUinv0



「ワタシは、待っていますから」



「光が照らす、その場所で」




兄ちゃんが、目を見開いた。


照明の光かな。


ちょっぴり目元が、光って見えた。


352 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:32:35.28 ID:5i4lUinv0


余韻を残して、静かに歌が終わる。


歌い終えたとき、みんなが笑ってくれた。

ワーワー叫ぶんじゃなくて、余韻を繋ぐみたいに、ただにっこり笑って拍手してくれた。

ぱちぱち、ぱちぱちって音が会場に響く。


歌い終えた途端、ボーっとしちゃった。

ぼやーっとした頭のままで見渡すと、舞台袖でみんなが笑ってた。


どれくらいだろ。

しばらく、ボーっと会場を見回してた。

そんで呆けたまま、正面を見た。

兄ちゃんが、拍手しながら口をぱくぱく動かしてた。

なんて言ってるんだろ?

耳に付けたモニターイヤホンから、声が聞こえた。
353 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:33:08.91 ID:5i4lUinv0

『まだステージ終わってないぞ、ドアホ』


「誰がドアホかっ!!」


キィーーーン!


「い゙っ!?」


さ、叫んだ拍子にマイクの共鳴がぁーーー!!

和やかムードだった会場は一転サツバツ!

みんな一斉に「い゙っ!?」って顔して耳を塞ぐ!


「うあーーー! PA切ってーーー!!」


音響さんが耳を塞ぎながら慌ててボリュームを落とす。

さ、最後の最後に、何やってんだぁぁぁぁ……。
354 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:33:52.37 ID:5i4lUinv0

でも、おかげでしめっぽい感じはどこかへバイバイ。

どこかから湧いたクスクス笑いが、少しずつおっきくなった。

もーこりゃ笑うしかないっしょ、センパイ。


「ご、ごめんねー兄ちゃん姉ちゃん、スタッフさんにボヤッとするなドアホーって言われちゃってさー、えへへ」


次の瞬間、会場が笑いに包まれた。

見れば、兄ちゃんもはるるん達もばくしょーしてんじゃん!

兄ちゃんは自分のせーだってジカク持ってよ!

というか千早お姉ちゃん笑い過ぎでしょ!

何お姫ちんの肩バンバン叩いてるの!

お姫ちん肩叩きみたいで気持ち良さそうだし!


「えぇ〜っと、まぁそのだねぇ、真美のライブだしこんなしょーもないオチでもパーペキ問題なしだよねっ!」


この流れで、真美らしくビシッと締めないとだかんね!


「そんなわけで兄ちゃん姉ちゃん達! 今日はありがとーーーーっ!」


叫ぶと、改めて会場いっぱいの盛大な拍手。

最後にとびっきりの笑顔を見せてくれて、真美は本当に満足だよ、みんな。
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