真美「ベランダ一歩、お隣さん」

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155 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/19(水) 19:36:19.53 ID:3PIsBOKz0

それからしばらく、気分は晴れなかった。

それどころか、毎日のようにどこかで真美の曲を聴くたびに、どんどん嫌な気持ちが積もってく。


「アンタ、最近変よ?」

「うん……真美も、そう思う」


心配したいおりんが声をかけてくれた。


「そんな落ち込んで……自分でも理由が分かってないわけ?」

「分かってるといえば分かってるけど、分かんないといえば分かんない……」

「歯切れ悪いわね」


だって、真美自身にもよく分かんないんだもん。

原因は自分の歌だって分かってるけど、どうしてそれを聴いて嫌な気分になるんだろう。

そこが全然分かんないんだよ。
156 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/19(水) 19:36:47.68 ID:3PIsBOKz0

真美の話を聞いたいおりんにも、よく分かんないみたい。


「律子はどう思う?」

「真美のこと?」


いおりんが、事務仕事をしてたりっちゃんを呼ぶ。

いわく、よく分んなかったらりっちゃんに聞くのが一番だって。

作業をわざわざ中断してくれたりっちゃんに話すと、少し険しい表情になってから、ため息をついた。


「はぁ、そういうことね……。あの人、何考えてるのかしら……!」

「りっちゃん、分かったの?」

「多分ね」


りっちゃんは何か分かったみたいだけど、真美といおりんはまだ理解できない。

真美の前まで来てしゃがみこんだりっちゃんが、優しい声で言った。
157 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/19(水) 19:37:57.76 ID:3PIsBOKz0

「あなたは何も悪くないわ。私があなたでも、きっと同じ気持ちになるもの」

「そーなの?」

「それに、ごめんなさい。私にも責任の一端があるわ」


そう言って何故か、りっちゃんが真美に謝った。


「……これは一回、社長とプロデューサーと、三人で話す必要がありそうね」


申し訳なさそうな表情で、りっちゃんがまたため息をつく。

それと同時に、給湯室の方からピヨちゃんが入ってきた。


「こっこーあここああったかここあ♪ ……って、三人ともどうしたの?」


雰囲気暗めの真美たちを見て、ピヨちゃんが不思議そうな声を出す。


「えっと……」


真美は、今まで話してたことをピヨちゃんにも話した。

ピヨちゃんだけ仲間はずれっていうのも、なんかやだよね。
158 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/19(水) 19:38:29.68 ID:3PIsBOKz0

あったかいココアを右手に持ったまま、ピヨちゃんは真美の話を聞いてた。

最初はいつものちょっと緩い感じだったピヨちゃんの表情が、少しずつ硬くなってくみたいに見えて。

真美が少し涙目で話し終える頃には、険しい表情をしてた。


「なんで真美、嫌な気分になるんだろ。折角、みんなが歌を聴いてくれてるのに」

「それは……」


この場で言っていいものなのか、迷うようにりっちゃんが黙り込んだ。
159 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/19(水) 19:39:03.96 ID:3PIsBOKz0

事務所が静まり返ったちょうどその時、玄関の方から声が聞こえた。


「戻りました」


兄ちゃんの声だ。


「兄ちゃん……」


いつもならすぐに飛んでいくのに。

今日はなぜか、あんまり会いたくなくて、足が動かなかった。

そんな真美を見て、ピヨちゃんが小さく唇を噛んだ。


「お、なんだ。みんな居るじゃないか。おかえり―くらい言ってくれてもいいだろうに」


兄ちゃんが事務所に入ってきた。

なのに、なんで……なんで真美、こんなに……。
160 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/19(水) 19:39:44.80 ID:3PIsBOKz0

何も分からないまま、真美は泣きそうだった。


「えっ」


そう思った時、目の前のピヨちゃんが兄ちゃんの方を振り向いた。

真美はびっくりした。

いおりんも、りっちゃんも。


だって、ピヨちゃん、マジ切れ寸前って顔してたんだもん。


がちゃんっ!


「うぉっ!! こ、小鳥さん!?」


ピヨちゃんが、持ってたマグカップを勢いよくデスクに置く。

割れそうな音がして、中のココアが少し飛び散った。


「プロデューサーさん……何してるんですか」

「えっ!? 何してるってこっちの台詞……」
161 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/19(水) 19:40:24.11 ID:3PIsBOKz0



ばしんっ!



けっこー大きい音が響いた。

ピヨちゃんが、兄ちゃんのほっぺたを思いっきり引っ叩いた音。

兄ちゃんは突然のことに、頬を押さえながら目を白黒させてる。


「真美ちゃんの歌の歌詞、プロデューサーさんが考えてたんですね」

「そ、そうですが……」

「私てっきり、真美ちゃんと二人で考えたんだと思ってました」


ピヨちゃんが兄ちゃんに詰め寄る。

兄ちゃんはじりじりと、壁際へ追い詰められていった。
162 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/19(水) 19:41:03.97 ID:3PIsBOKz0

「女の子の大切な大切な、秘密の宝物を、何勝手にぶちまけてるんですか!」

「っ!」


ピヨちゃんの言葉に、兄ちゃんがハッとしたような表情をする。

次の瞬間、ピヨちゃんの二発目が兄ちゃんを襲おうとした。

でも、兄ちゃんに手のひらが当たる直前で、ピヨちゃんはなんとか手を止めた。

全身を震わせながら、声も震わせながら。


「真美ちゃんにとって、あなたとの思い出がどれだけ大切なモノなのか、分かってますか……!?」

「あ……俺……」


ピヨちゃんはうつむいて息を切らせながら、涙声になってる。

兄ちゃんは、なにも答えられなかった。

それを見ている真美からも、止まりかけてた涙が出てきた。
163 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/19(水) 19:41:56.71 ID:3PIsBOKz0

「大切な思い出を気付かない内に曝け出さされて! どれだけ辛い思いしたと思ってるんですかぁっ!!」

「っ……」


ピヨちゃんの叫び声が事務所に響きわたる。

兄ちゃんは項垂れたまま、何も言わなかった。


「……小鳥さん、それくらいに。私も一緒に作詞を詰めてた段階で、そこまで気が回っていませんでした。私も悪いんです」


りっちゃんがそっと、ピヨちゃんを諌める。

それを見てる内に、真美の中で堪えてたものが、耐えきれずに漏れ出した。


「……ひぐ、えっぐ、ぁぅ……」


いっしょーけんめー堪えた。

いおりんが泣きそうな顔で、真美のことを抱きしめてくれた。


「ぅぇぇ……」


泣き声を張り上げたいのを我慢して、押し殺した。

ぼろぼろ涙をこぼすいおりんの胸の中で、小さく泣いた。
164 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:06:27.28 ID:l0zubfjX0


……。


アイドルになるって、何も楽しいことばっかじゃない。

人から注目されると、思ってもなかったところから傷つくこともある。

大変なのは、レッスンや本番だけじゃないんだ。


「はー……」


家に帰ってベランダから外を眺めながら、そんなこと考えてた。

あのあとは、いおりんにギュッてしてもらったまんま少し泣いて、落ち着いた。

直後に来た社長さんが、兄ちゃんとピヨちゃんとりっちゃんの三人を社長室に連れてった。

真美はレッスンをお休みして、家に帰ってきちゃった。


「……兄ちゃん、真美、めーっちゃ傷ついてたんだかんね」


ピヨちゃんが言ってくれるまで、はっきりとは気付かなかったけどさ。
165 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:07:14.65 ID:l0zubfjX0

やっぱ男の人ってでりかしーない!

女心、なーんも分かってないし!

兄ちゃんには、ピヨちゃんのバチンでしっかり反省していただかないと!


「……でも、会いづらい……」


どんな顔して会ったらいいのかな……。

いつもの真美らしく、元気いっぱいな感じかな。

うーん、上手くいく気がしない……。


「真美」

「うおえうあぁぁぁあっ?!」


って、い、いきなり声がしたぁ!

だ、誰?! てきしゅー!?
166 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:07:41.64 ID:l0zubfjX0

「こっちだこっち、隣のベランダ」


びっくりする真美の声にびっくりした兄ちゃんがいた。


「び、びっくりした……いきなりベランダ越しに声掛けられたらビックリするよ!」

「ベランダ渡り常習犯の言葉じゃないな……」


隣のベランダからこっちを覗きこみながら、兄ちゃんが苦笑する。

もー!

乙女のぷらいべーとを覗くなんて、ほんとにでりかしーがない!


「いっぱい傷付けちゃってごめんな、真美」

「ん……いいよ」

「無理しなくていいんだぞ」

「ピヨちゃんがバチンってやってくれたから、ちょっとすっきりした」


兄ちゃんは思い出すように、まだちょっと赤い左頬を押さえた。
167 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:08:08.03 ID:l0zubfjX0

「まさか、いつもにこにこしてる小鳥さんがあんなに怒るなんてな……」

「社長室では何話してたの?」

「社長直々に、激怒されたよ」


思ってたより、ふつーに話せた。

良かった、真美の杞憂だったんだね。

ちょっと元気が戻ってきた!


「んっふっふ。真美の心を弄んだ罰だよん」

「……本当に悪かった」

「そ、そんなしんこくそーにしないでよー!」


せっかく明るくなってきたのに!

また、暗い気分になってきちゃうじゃん……。
168 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:08:36.92 ID:l0zubfjX0

「俺は、思い上がってたんだな」


ちょっと遠くに見える繁華街の明かりを見ながら、兄ちゃんが呟いた。


「真美がトントン拍子に進んでいくのを見て、自分の成果だと勘違いして」

「勘違いなんかじゃないよ」


そうだよ。

真美、兄ちゃんが居てくれたからここまで来たんだよ?


「いや、真美自身が出した結果だよ」


だらんと上半身を手摺りに寝かせる兄ちゃん。

危ないってば……。


「そんな当たり前のことも忘れて、勝手に突っ走った結果がこのザマだ」


俺だってペーペーの新米なのにな、と自嘲気味に笑う声が聞こえた。
169 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:09:03.38 ID:l0zubfjX0

兄ちゃんは、とっても辛そうだった。


「兄ちゃん、そっち行っていい?」

「……」

「返事がないってことは、おっけーでいいよね」


手摺りに飛び乗って、ひょいっと隣のベランダへ行く。

真美には、もう手慣れたもんよ!

使ってるの、足だけど。


「んっしょっと」


兄ちゃんの横に座る。

なのに、兄ちゃんはずっと遠くの街を見てる。


「ん!」


くいくいと、兄ちゃんのズボンの裾を引っ張る。

兄ちゃんは、その時初めてハッと気づいたように真美を見て、隣に座った。
170 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:09:30.12 ID:l0zubfjX0

夜の風が、ベランダに座り込む真美たちに吹きつける。


「うー、さぶいさぶい……兄ちゃん、真美より薄着だけどだいじょーぶ?」

「ああ」

「んもー、暗いってばぁ!」


ていっ!と兄ちゃんのおでこを小突く。

いきなり真美の攻撃を受けて、なされるがままに仰け反る兄ちゃん。

数秒間をおいて、仰け反った身体を戻したけど、やっぱり兄ちゃんは暗いままだった。


「ごめん、真美」

「だからー、もういいってば。それよりもさ――」

「違うんだ」


真美の声を、兄ちゃんが遮る。


「違うんだ……」


兄ちゃんは、何故だか泣きそうだった。
171 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:10:05.68 ID:l0zubfjX0

謝って項垂れる兄ちゃんを見て、真美はなんとなく分かった。


「俺は、知ってたんだ」


その言葉を聞いても、真美は全然驚かなかった。

そっか、そりゃそーだよね。

あれで気付かなかったら、とーへんぼくとかいうレベルじゃないって。


「そんなに深く考えてなかった。誰にでもよくある、憧れみたいなものだろうって」

「むう、そんなてーどだったら真美、あんなに必死にレッスンしないよ」

「そうだな、そうだよな」


また風が吹いた。

さぶい、ちょっと厚着してるのにまだ寒い。

そう思ってたら、兄ちゃんが上着を脱いで、真美に羽織らせてくれた。


「その気持ちを歌詞にしたら、きっといい歌になると思った。真美なら上手く歌えると思った」


上着、すっごくぽかぽかして、暖かい。
172 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:10:45.74 ID:l0zubfjX0

「真美の想いを知ってて、踏みにじったんだ、俺は」


兄ちゃんはゆっくりとゆっくりと、自分を締め付けていく。


「疑いすらしなかった。自分はいい仕事をしてるって」


兄ちゃん、震えてるじゃん。

寒いんだよね。

明日も仕事なんだから、無理しちゃダメだよ。


「小鳥さん、怒ってたな。あの人、アイドルじゃない素のお前たちを、誰よりもよく見てるから」


そだよ、ピヨちゃんは自分のことよりも何よりも、真美たちのことを一番に考えてくれてるもん。

でも真美、知ってんだかんね。

兄ちゃんがお軽い声で事務所に入ってきた時、りっちゃんの拳が一番力入ってたの。

よかったね、キレたのがりっちゃんじゃなくて。


「……社長室で放心してたら、律子にも一発もらったよ」


あっ、結局貰ってんじゃん。
173 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:11:13.61 ID:l0zubfjX0

「兄ちゃん、震えてる」

「あ……本当だ。情けないな……」

「上着脱いじゃったもんね」


兄ちゃんの後ろに回り込む。

そして、いつか兄ちゃんがしてくれたみたいに、真美の手をシートベルトみたいにして、後ろから抱きしめた。


「二人羽織りー。これで寒くない?」

「寒くは……ない」


そう言いながら、兄ちゃんはまだ少し震えてる。

だから、真美はシートベルトを少し強くした。

兄ちゃんの震えは、少しずつ治まってった。
174 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:11:47.69 ID:l0zubfjX0

「本気だったんだな、真美は」

「うん、そーだよ」


真美はいっつもいっつも、兄ちゃんのことばっか考えてた。


美味しいもの食べた時、兄ちゃんもこれ好きかな、とか。

かっこいーアクセ見つけた時、兄ちゃんに似合うかな、とか。

授業中暇な時、兄ちゃんは今頃なにしてるのかな、とか。

レッスンしてる時、兄ちゃんならどこを直せって言うかな、とか。


おっきなことも、ちっちゃなことも。

何を考えてる時でも、最初に兄ちゃんのことが出てくるんだ。


「ずっとずっと、考えてたよ」


見返りなんてなくてもいい。

女の子って、その人のことを想うだけでも、とっても幸せな気持ちになれるんだよ。
175 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:12:19.01 ID:l0zubfjX0

「そんな大切なものを弄んだのに」


兄ちゃんの声が、また少し震えた。


「なんで、お前……そんな風に笑えるんだよ……」


ぽたり、ぽたり。

当たる何かはとってもつめたい。

でも腕を伝っていくそれは、真美には心地良かった。


「真美だって今、何とも思ってないから笑ってるわけじゃないよ」


当たり前じゃん。

辛かったよ。

あの歌詞を作った時、兄ちゃんは真美を見てくれてなかった。
176 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:13:22.91 ID:l0zubfjX0

でも、今は違う。

兄ちゃんは、真美のことを見てくれてる。

真美の想いに向き合って、こんなに苦しんでる。

真美の想いを考えて、こんなに悩んでる。


「今は兄ちゃん、何よりも誰よりも、真美の想いを、真剣に考えてくれてる」


すっごく、すっごく嬉しい。


「真美、悪い子だから。真美のせいで辛い気分にさせてごめんなさい、って言えないんだ」


だから、おあいこだね。

もう、悪いのは兄ちゃんだけじゃないよ。

真美は兄ちゃんに怒るつもりもないし、怒る資格もないんだよ。
177 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:13:51.15 ID:l0zubfjX0

「それに最初からね、真美が兄ちゃんのこと、怒れるわけないじゃん」


兄ちゃんを抱きしめたまま上を見ると、繁華街の明かりは見えない。

夜空は真っ暗、星一つない。

それがとっても、寂しかったからかな。


兄ちゃんを抱きしめる腕に、少し力が入る。

少し腫れた兄ちゃんの左頬に、後ろから覗きこむように顔を出した真美の右頬が触れる。


頬が触れ合ってる所に、なんか水みたいなのが伝ってきた。

兄ちゃんからかな。

それとも、これは真美から?


ぴったりくっついてるから、分からないね。
178 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:14:23.70 ID:l0zubfjX0



目を閉じると。



「兄ちゃんが、好きだから」



流れるように自然と、声が出てきた。



「子どもの憧れとかじゃない」



兄ちゃんの肩に、力が入る。



「好き」



兄ちゃんが真美の手を、強く握った。



「好き、だから」



笑ってるはずなのに、涙が溢れてきちゃった。


179 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:15:01.39 ID:l0zubfjX0

兄ちゃんの手に、もっと力が入る。

ちょっと痛いよ、兄ちゃん……。


「ま、み……」


いっしょーけんめー、兄ちゃんは声を押し殺した。

うん、いいよ、無理に喋ろうとしなくても。

今喋っちゃったら、大変なことになっちゃうもんね。


「ん」


だから返事の代わりに、腕にもっと力を込めた。

兄ちゃんが目を強く瞑って唇を噛み締めながら、震えてる間、ずっと。


慌てなくていいよ。

真美はずっと待ってるから。
180 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:15:33.60 ID:l0zubfjX0


――どれくらい経ったかな。

兄ちゃんがやっと落ち着いて、鼻をすすりながら真美の方を見た。


「みっともないとこ見せちゃったな」

「真美だってこれまで散々見られたもん。たまには兄ちゃんが見せてくれてもいいじゃん」

「そういうものか……?」


色々な話は置いといて、真美はちょっと勝ち誇ってた。

いっつも兄ちゃんが真美をフォローする側だったもん。

でも今は、真美の方が若干ゆーりかも?


「なあ、真美。さっきの」

「兄ちゃん、今はなんも言わないで」


兄ちゃんの唇に人差し指を当てて、続く言葉を遮った。

しーっ。
181 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:16:23.71 ID:l0zubfjX0

「返事はいらないよ、兄ちゃん」

「でも、お前……」

「だってさ、仮に真美にとって嬉しい答えだったとしてもさ」


……よーはそれって、ろりこんでしょ?


「それはそれで不味いよね」

「ぐっ……ま、まぁそれは、そうだが」

「だから、いま返事を聞きたいわけじゃないんだよ」


兄ちゃんが社会的に抹殺されちゃうんじゃほんまつてんとーだし……。


それに、真美は今、その言葉が欲しいわけじゃないんだよね。

真美が考えてるのは、もっと先のこと。
182 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:16:54.68 ID:l0zubfjX0

「兄ちゃん、真美のこと好き?」

「……んんっ!?」


あっ、言葉がシンプルすぎた。

兄ちゃん、完全に思考回路が固まってる。


「ああうん、変な意味じゃないよ? 担当アイドルとしてでも、お隣さんとしてでも、何でもいいんだけど」

「な、なんだ……そりゃ好きに決まってるさ。とっても大切だよ、真美のことは」


んふー。

そーゆー意味じゃないってわかってても……。

……やば、好きって言われるの、めっちゃ嬉しい。


「じゃあこれからも、兄ちゃんの傍に居ていい?」

「ああ、それは勿論……でも、俺は……」

「真美はいいの、今はそれで」


兄ちゃんを抱きしめてた手を放す。

ちょっと名残惜しい。
183 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:17:32.87 ID:l0zubfjX0


月明かりを背に、兄ちゃんの前で両手を広げる。


「もし兄ちゃんに好きな人ができたら、全力でおーえんしてあげる」


事務所、女の子いっぱいいるしね。


「もし兄ちゃんが告られて悩んだら、後押ししてあげる」


事務所、兄ちゃんを好きな子いそうだしね。


「でも、もしこのまま何年か経った時」


今のまま、楽しい時間が回り続けて。


「兄ちゃんが真美のことを、小さな子どもじゃなくて、一人の“女の子”として認めてくれる時が来たら」


今のまま、隣に真美がいたら。


「真美に、返事を聞かせてよ」


それが真美の、たった一つのお願い。

184 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:18:08.29 ID:l0zubfjX0

すっごく自然に、笑みがこぼれた。

えっへん。

言いたいこと全部、兄ちゃんに言ってやったぜ。

なんだかいぎょーを成し遂げた気分!

ぜんぶぜんぶ、これからなんだけど。


「……わぁっ!?」


って思ってたら、急に兄ちゃんに抱きしめられた!

え、なになに!?

ど、どしちゃったの、もしかして兄ちゃんロリコンだったの!?


「……ってるさ」

「はえ?」


なんて言ったの?

よく聞こえなかったよ。
185 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:18:40.99 ID:l0zubfjX0


「ずっと、待ってるさ」


今度の声は、はっきり聞こえた。


「俺も、その日が来るのを」


兄ちゃんの囁くような声が。


「……待っててくれるの?」

「今、真美が笑った時、見えたんだ」

「何が?」

「その日が」


兄ちゃんの声を聞いてると、落ち着く。

兄ちゃんが好きだから、落ち着くのかな。

それとも、落ち着くから、好きになったのかな。
186 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:19:07.70 ID:l0zubfjX0

兄ちゃんにとってまだ真美は、恋愛とか、そーゆー相手じゃない。

それは真美が一番分かってる。

でも兄ちゃんは、待とうとしてくれてる。

ちっちゃい真美の気持ちを知って、それに本当に応えられる時まで。


「何年くらいは確実に待ってくれる?」

「そういう身も蓋もない聞き方をするか?」

「……四、五年くらい?」

「割と現実的な数字を弾き出してきたな……」


兄ちゃん。

今日は、まず第一歩を踏み出せたかな。

これまでは妹みたいなものだって思われてたけど。


「真美、頑張るね」

「慌てなくていいさ。俺はどこにも逃げないよ」


今日からは、少し前に進めるよね。
187 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:19:48.27 ID:l0zubfjX0

ベランダに吹く風が、少し穏やかになった。


「ああ、そうだ」

「どったの?」

「小鳥さんと律子が、明日夕飯奢ってくれるって」

「え! 兄ちゃんずるい!」

「騒ぐな騒ぐな。お前も連れてくから」

「やたー!」


さっきまでの風は、真美の心を攫っていってしまいそうで、怖かった。


「何食べたい?」

「キャビア」

「容赦ないなお前」

「もしくは松坂牛」

「容赦ないな……」


でも、いま吹いてる風は、冬なのにとっても心地良い。
188 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:20:20.57 ID:l0zubfjX0

兄ちゃんと二人で座って、夜風に当たりながら空を見る。

お互いに無言になって、とっても静か。

なんか、今はあんまり喋りたくないんだ。

兄ちゃんと二人きりの静かな時間を、ゆっくり過ごしたい。


「……あ、流れ星」


でも、そっこーで沈黙を破ったのは真美だった。


「星もあんまり見えないのに、珍しいな」

「兄ちゃん、お願い事言えた?」

「あー、考える余裕もなかったよ」


そう答える兄ちゃんの視線がめっちゃ泳いでた。

嘘ついてる顔だ。
189 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:20:49.71 ID:l0zubfjX0

「何考えてたの?」

「……秘密」

「いじわる」


ぼすり、と兄ちゃんの膝に寝っ転がる。

すかさず、兄ちゃんが真美の髪の毛をくしゃくしゃーって乱す。


「うあー、やめれー」

「今流行りの頭皮マッサージを受けてみろ」

「うおー……効くぅー……」


……あんまり妹モドキを脱却できてない気がする。

まぁ、まだ仕方ないかな。


「ゆっくり、慌てずに、だよね」


真美がそう言ったら、くしゃくしゃするのを止めて、優しく撫でてくれた。

んふー……そんなふーにされたら……真美、寝ちゃうよ……。
190 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:21:23.09 ID:l0zubfjX0

この幸せは、いつまで続くかな。

ちょっとの間だけ?

それとも、これからずっと、ずっと?

真美にはまだ分かんない。

でも、一つだけ確かなのは、今この瞬間がとっても幸せだってこと。


「兄ちゃん……」

「ん?」

「……んっふっふー、なんでもない」


夢心地の中で、いつかきっとと願う、その日を想い描きながら。

目を瞑ったまま、兄ちゃんのぬくもりを感じてた。
191 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/20(木) 17:06:02.49 ID:Rnsij3g30
おつ
この辺までは読んだ覚えたがある
192 : ◆on5CJtpVEE [sage]:2019/06/20(木) 21:17:49.46 ID:6v6J+R0WO
>>191
当時は投下も遅く、すみませんでした
改めて目にしてもらえて幸いです、ありがとうございます
193 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:51:02.28 ID:l0zubfjX0

兄ちゃんに想いを伝えた後も、過ごす日々はあまり変わらなかった。

ちょっと変わったことと言えば、街中で真美の歌を聴くと、ちょっと誇らしくなったこと。

それと、仕事中、兄ちゃんと目が合う回数が増えたことくらい。


「兄ちゃん、ぼーっとしてどったの?」

「ん? ああ、なんでもない」


そんで、何事もなかったかのように仕事に戻る。

そんな感じ。
194 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:51:43.92 ID:l0zubfjX0

「あれ? 真美、足押さえてどうしたの?」

「やよいっちー、ちょっと足が痛いー」

「捻ったの?」

「そうじゃないんだけど……」


真美がちょっと困ってたりすると、


「その靴、そろそろ小さいんじゃないか?」

「あ、そうかも」


前よりも細かいところに気付いてくれるようになった。

真美のこと、しっかり見てくれてる。

それが伝わってきて、真美もがんばろーって気になるんだ。
195 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:52:10.17 ID:l0zubfjX0

また春が来ると、真美は中学生になった。

げーのーかつどーに協力的な、私立の中学校。

亜美と二人で入ると、クラスではちょっとした話題になった。


「うえー……質問攻め疲れたー」

「バテバテだね」

「だってさーひびきん、みんなよーしゃないんだもん。あれならマスコミのほーが楽だよー」


中学生ってすとれーとに言うよね。

まったく、みんなお子ちゃまだなぁ。


「大丈夫だぞ、しばらくすれば落ち着くから」

「そーいや、ひびきんもげーのーかつどーのために転校してきたんだよね」

「最初はもみくちゃにされたよ……」


でも今は、仲良い友達とふつーにのんびりしてるって。

いいなー、真美も早くそーなりたい。
196 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:52:38.44 ID:l0zubfjX0

確かに二、三ヶ月もすると落ち着いてきたけど、新しい悩みもできた。


「うーん……どうしよ」

「すっぱりキッパリ、言っちゃえばいいって思うな」

「そうだよね……」


真美の前には、二つの封筒。

それぞれに、同じがっこーの男の子の名前が書いてある。

まぁ、そういうことだよね。


「ミキミキはずぱーーーって言ってる?」

「すっごい数が来るから正直メンドーだけど……一応勇気出して伝えてくれてるし、返事してあげないと可哀想なの」


そっかぁ、そうだよねぇ。

もしあの夜、兄ちゃんにてきとーな返事をされてたら、真美だって嫌だったもん。
197 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:53:06.94 ID:l0zubfjX0

ごめんなさいって伝えると、二人ともすっごく落ち込んでた。

でも最後に、返事をくれてありがとうって言ってくれた。

ごめんね、二人とも。

でも真美、断るのはアイドルだからとかじゃなくて、好きな人がいるから。


「告白されたんだって?」

「うんむ。真美は可愛いですからなー」


兄ちゃんに本日のイベントをご報告。


「モテモテだな、真美」

「そうだよん。これで入学以来、七人目?」

「……マジか」


あれ? 八人だっけ?

真美の返事を聞いて、兄ちゃんは複雑そうな表情をした。
198 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:53:35.54 ID:l0zubfjX0

「ねぇ、兄ちゃん」

「なんだ?」

「もしかしてさ、今の話聞いて、兄ちゃん――」

「って、そろそろ出ないと収録間に合わないぞ!」

「うあうあ!? もーこんな時間なのー!?」


兄ちゃんは慌ててスマホ片手に車のキーを取りに行った。

やばば! 真美も何も準備してないよー!

さっさと荷物用意しなきゃ!


「……でも今、兄ちゃんさ。少しだけど」


真美の思い違いとか、自惚れとかでなければ。

……んっふっふー。
199 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:54:05.26 ID:l0zubfjX0

中学生になってからは、前よりもげーのーかつどーに費やす時間が増えた。

学校に行ってる時間の方が少ないくらい。

毎日毎日、分刻み……ってほどじゃないけど、なかなかのハイペース。

でも、亜美はもっと忙しいんだよねー。

さすがは竜宮小町ですな。


「亜美ほど売れてないお陰で、こうやってのんびりする時間もちょっと多いんだけどね」

「ほう、それはアレか。遠回しに仕事増やすなと仰せか」

「いえいえ兄ちゃん様、滅相もないであります」


兄ちゃんが書類ざんぎょーしてる後ろで、いおりんが買い溜めてたオレンジジュースをゴクリ。

うむうむ、やはりいおりんのオレンジジュースはいい味してますなぁ。


「勝手に飲んでどやされても知らんぞ」

「だいじょーぶだいじょーぶ、いおりん自分で飲んだ量覚えてないから」
200 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:54:38.23 ID:l0zubfjX0

「ほう、自信満々だな」

「いおりんが怖くてアイドルやってられるかってーの。おいちい」

「そうか、なら俺のフォローもいらないな」

「ふえ?」


兄ちゃんが何言ってるのかさっぱり分からんぜ。

うん、分からない分からない。


「ふぅん……真美、いい度胸してるじゃない」


だから、後ろから怒りが伝わってくる足音なんて聞こえてないぜ。


「いえいえ伊織お嬢様、真美は毒が入ってないか身を呈して確かめてたわけで」

「ちょっと顔貸しなさい」

「行ってらっしゃい」

「に、兄ちゃんの裏切りものーーー!!」


給湯室に連れてかれて、頭ぐりぐりされました。
201 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:55:05.05 ID:l0zubfjX0

いてて……酷い目にあったよ……。


「伊織は?」

「荷物取りに来ただけみたい。もう帰ったよん」

「そうか」


短く返事をして、兄ちゃんはまた仕事に戻る。

今事務所にいるのは、真美と兄ちゃんだけ。

かちこちかちこち、時計の音が静かな事務所に響く。


「もう夜だぞ。帰りな」

「明日休みだし、もちっとだらだらしてくー」

「親御さんが心配するぞ」

「ちゅーがくせーになったし、兄ちゃんと一緒ならいいってお言葉貰ったよ」


ミキミキのせくちーグラビアを見ながら教えると、小さなため息が聞こえた。
202 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:55:34.81 ID:l0zubfjX0

「遊べるわけでもないのに、なんで事務所に残ってるんだ」

「真美は、兄ちゃんと同じ空間にいるだけで幸せなの」

「うぐ」


雑誌を読みながらのんびり答えると、なんかダメージ受けたよーな声が聞こえた。

兄ちゃん、割と弱い。

しばらくウンウン唸ってから、いきなりガタンと立ち上がった。

ちょっとびっくりした。


「……今日はダメだ、作業が進まん。飯食って帰ろう」

「おー!」


よっしゃー! 兄ちゃんの奢りだー!


「北京ダック!」

「それは小鳥さんに頼め」


窓の鍵に戸締りよーし!

では行こうではないか、兄ちゃんクン!
203 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:56:08.78 ID:l0zubfjX0

ファミレスに着くと、先客がいた。


「あれ? プロデューサー、こんばんは」

「真美ちゃん、お疲れ様」

「ちっ……まこちんにゆきぴょんか……」

「えっ、なんでボクたち舌打ちされてるの?」


店員さんに一言伝えて、まこちんたちの席へ行く。

じょーだんだよまこちん、じょーだんじょーだん。

……七割くらいは。


「やーりぃ! プロデューサーの奢りですね!」

「雪歩、好きなもの頼んでいいぞ」

「ありがとうございますぅ」

「ボクは?!」

「まこちんは奢る側っしょ?」

「誰が彼氏だよ!」
204 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:56:34.77 ID:l0zubfjX0

兄ちゃんと二人が良かった……って気持ちもなくはないけど。

やっぱりご飯は皆で食べたほーが楽しいよね!


「そういえば雪歩、この間のCM良かったよ。らしさが出てた」

「はいっ、ありがとうございます!」

「その調子なら、ファンもすぐに増えるな。しっかり自分の可愛さを表現できてるよ」

「えへへ……そんな、照れちゃいますぅ……」


……。

げしっ。


「あだっ!?」

「ぷ、プロデューサー?」

「つま先……いや、なんでもない……なんでもない……」


顔を引き攣らせて涙目の兄ちゃんが、こっそりこっちを見る。

ふーん、真美知らないもんね。
205 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:57:10.28 ID:l0zubfjX0

「でも最近、真美もすっごく可愛くなったと思いません?」

「うぇっ!?」


っとここで、思わぬとこから真美へ矛先が向いた。

ま、まこちん、いきなりキラーパスはキツいっしょ!?


「え、いや、あはは……」

「真美、最近恋でもしてる? なんちゃって! はははっ!」

「あ、あはは……」


ま、まこちん。

気付いてないんだ、気付いてないんだね!?

隣見てよ、ゆきぴょん超オロオロしてるよ!

ってああっ!

兄ちゃん、何の話?って顔しながら太もも必死につねってる!

ま、真美には分かる! アレ爆笑我慢してる顔だ!!
206 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:57:38.59 ID:l0zubfjX0

「どう思います、プロデューサー?」

「……んんっ!?」


と、ここで兄ちゃんにパスが回った。

高みの見物から一転、兄ちゃんの反応が止まった。

心なしか、顔色がサーッと青くなってるように見える。

んっふっふー、ざまみろ、真美のこと笑ってるからだよん!


「……!」


ゆきぴょんが固唾を飲んで兄ちゃんの反応を窺ってる。

映画のクライマックスを見守る勢いで……。


「あ、あー……」


兄ちゃんの口から悩む声が漏れる。

さて兄ちゃん、まこちんのパスをどう受ける!
207 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:58:30.88 ID:l0zubfjX0

「……ああ、可愛いというか……女の子として、魅力的になってきてる、と思う」


ぼんっ。

あれ、何の音だろ。

キッチンでなんか爆発したのかな?

なんかちょー熱くなってきた。

まさか火事とかじゃないよね?


「ねぇ真美、なんでそんなに赤くなってるの?」

「……えっ」


……うん、まこちんに聞かれるまでもなく分かってた。

さっきの音も、この熱さも、あれだよね。

真美のほっぺただよね。


「え、あ、ううん、えっと……」


な、何も場を取り繕う言葉が出てこない。

うあ……めっちゃ恥ずかしい……。
208 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:59:20.01 ID:l0zubfjX0

ゆきぴょんが打って変ってめっちゃ顔輝かせてる。

これがあれだね、こないだ国語でやった水を得た魚ってやつだね!


「うんうん! 真美ちゃん、すっごく魅力的になってきてるよ!」


ゆ、ゆきぴょんは味方だと思ってたのにー!


「真ちゃん、メニュー貸して!」

「メニュー? はい」


え、何してんのゆきぴょん?

なんで勢いよくメニューめくり始めて……。


「これっ! これ頼もう? カップルドリンク! そこの二人で!!」

「いやいやいやいや」


謎のメーターが振り切れそうなゆきぴょんに、兄ちゃんが冷静にツッコミを入れる。


「あ、このカップルドリンクお願いします」


まこちーーーん!!!
209 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:59:53.14 ID:l0zubfjX0

目の前にはでんっと、おっきなハートのグラス。

……頼んじゃったものは仕方ないから、飲むしかないよね。


「さっさと飲むか……」

「そだね……」

「ひゅーひゅー!」

「飲んじゃってくださぁい!」


囃したてる二人とは対照的に、真美たちの気分は真っ暗だった。

ゆきぴょんもまこちんも、仕返しするかんね……!


「お、覚えてろー!」

「真美……事後処置は後で考えるとして、現実と向き合おう……」

「お、おおう……そだね、兄ちゃん……」

「うっらやましいなぁ、お二人さん!」


特にまこちんは絶対泣かす。
210 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:00:22.17 ID:l0zubfjX0

ストローをちょっと咥える。

目線を少し上に上げると、兄ちゃんと目が合った。


「に、兄ちゃんこっち見ないでよ……」

「仕方ないだろう、ストローは向かい合わせで固定なんだから」


何この恥ずかしい時間。

ほっぺた真っ赤っかで真美火山が大噴火。

こんなことになるなら、さっさと帰ればよかった……。


真美、今は兄ちゃんと一つのコップから飲んでるんだ。

……また顔が熱くなってきた……。


「そして悔しいことに、このドリンクめっちゃ美味しいよ」

「果実味溢れる濃厚な味わいだな」


いつもみたいな軽口だけど、兄ちゃんはちょっと変な感じだった。

なんかちょっと挙動不審。
211 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:00:57.52 ID:l0zubfjX0

「ごちそうさまでした!」

「真美ちゃん、また明日ねー」

「おう……二人とも、気をつけて帰れよ……」

「ゆきぴょん……また事務所でね……」


ご飯を食べて、よーやく二人から解放された。

……あの後、あーんまでやらされるし、生きた心地がしなかったよ。

そりゃ真美も兄ちゃんにあーんとかやってたけどさ、やりたいけどさ!

他人が見てる前で言われてやるのってなんか違うじゃん!


「恥ずかしかった……」

「俺もドッと疲れが出てきた……」


家への帰り道を歩きながら、兄ちゃんと二人でさっきのエンカウントイベントを思い出す。


「……せっかく二人でゆっくりできると思ったのに」


真美からぼそっと不平が漏れる。
212 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:01:29.09 ID:l0zubfjX0

すると、兄ちゃんがいつもと違う道を指さした。


「今日はこっちの道から帰るか」

「え? 遠回りじゃん」

「ゆっくり帰れるだろう」


そう言って、真美の返事を待たずに方向を変えて歩き始めた。


「兄ちゃん待ってよー!」


追いついて、こっそり兄ちゃんの手を握る。

ちょっと驚いたように真美の方を見たけど、仕方ないなって感じの顔で、握り返してくれた。


「あ……」

「ん? 違ったか?」

「ううん、これでいいの!」
213 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:01:57.40 ID:l0zubfjX0

歩いてる時、ふと兄ちゃんが真美の頭を凝視してきた。

え、なになに、ゴミでもついてんのかな?


「お前、背伸びたな」


って、そんなことかいっ!


「真美だって成長期だもん。そりゃーぐいぐい伸びるってもんよ」

「ちょっと前まで、あんなにちっちゃかったのになぁ」


確かに、中学入ったころから急に伸び始めたかも。

これは、オトナへの道が着実に進んでいる証拠ですな!
214 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:02:32.77 ID:l0zubfjX0

「ふふん、真美だってオトナの階段登ってるんだぜー」

「そうなんだな……」


真美が満面の笑みで見上げると、兄ちゃんは照れるみたいに慌てて目線をそらした。

なんかこういう兄ちゃん、珍しいかも。

でも、手はしっかり握ってくれてる。


「兄ちゃん、照れてるの?」

「否」

「目を見て言ってよ」

「拒否」


兄ちゃんは家に着くまで終始ぎこちなかったけど、なんか可愛かった。

カップルドリンクのせいかな?

ゆきぴょんへの仕返しは、少し手心を加えてあげよう。

ただしまこちん、てめーはダメだ。
215 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:03:05.79 ID:l0zubfjX0

そうなんだよ。

最近、兄ちゃんがぎこちない。

こないだも休みの日にベランダから侵入したら……。


「よっと、おじゃましまーす」

「んっ!? ま、真美か。どうした?」

「遊びに来たの! ねね、新しいゲーム買ったからやろうぜい!」

「暇してたし、あんまハードなのでなけりゃいいぞ」

「うむうむ、そんじゃちょっと隣にしつれー」

「お、おう」

「……どうして距離とるの?」

「いや、密着してたら暑苦しいだろう」


てな具合で。

いまさら何言ってんのさ、これまでそんなの全然気にしてなかったじゃん。
216 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:03:39.97 ID:l0zubfjX0

「慌てたりする兄ちゃん見てるのは楽しいけど、ちょっと距離も感じるんだよね」

「そうかしら? これまで通り、仲良し二人に見えるわ」


あずさお姉ちゃんは、お茶を飲みながらのほほんと言った。

そりゃ仲悪くなったわけじゃないけどさ。

なんか、前みたいに馴れ馴れしくできないんだよー。


「他にも、あーんとか絶対にやらせてくれなくなったし、薄着してると怒られるし」

「……お父さんかしら?」

「なんかつまんなーい!」

「うふふ、でもそれって、大人として見られ始めてる証拠じゃないかしら?」


お? おぉ!

そーいう見方もできるんだ!


「なるほど……真美がせくちーなのがいけなかったんだね……」

「せ、せくちーかは分からないけれど」
217 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:04:24.74 ID:l0zubfjX0

そこで真美は、一計を案じた。

秋、まだ夏の暑さが残る時期。


「やっほ、兄ちゃん!」

「やっと来たか……って、わざわざ浴衣着てきたのか!」

「そなんだよー、ひびきんに着付け手伝ってもらってたんだけど、手間取っちゃって」


兄ちゃんを近所の神社のお祭りに誘った。

ここんとこ忙しかったけど、ピヨちゃんに無理言ってスケジュール合わせてもらえたぜい!

亜美は恨めしそうにしてたけど。

しっかたないじゃーん、亜美は真美より売れっ子だもんねぇ。

んっふっふ〜。


「気合入りまくってるな……」

「似合ってるかな?」

「まぁ、そりゃ」


む、そっけない返事。

ぜーったいにメロメロにしてみせるんだかんね!
218 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:04:51.53 ID:l0zubfjX0

すっごい数の人。

あらかじめ待ち合わせてないと絶対合流できないっしょ。


「すごい人ごみだねー」

「もしはぐれたら入口の所に集合な」

「あーい」


焼きそばたこ焼きわたあめかき氷……。

あんず飴ソースせんべいチョコバナナ射的金魚すくい……。


「今日は息抜きだ。好きなだけ奢ってやろう」

「ホント!?」

「……やっぱり節度を持ってな」

「一気にカッコ悪いぜ兄ちゃん」
219 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:05:33.35 ID:l0zubfjX0

「こんだけ人いると、真美のファンも一人くらいいるのかな」

「一人なんてもんじゃないと思うぞ。何十人と居るかもな」

「まったまたぁ、大げさだよチミィ」

「CDの売上とか見てると、割と現実的な数字だと思うが」


……。

えっ、真美のCDってそんなに売れてんの?


「髪型変えてみたけど、ばれないかな……」

「真美といえばサイドテール、って感じで浸透してるし、そうそう気付かれないよ」


今日の真美はお団子ポニー。

いつもとイメージ変えて変装代わりに……。

というのは建前で、実際のところは、


『男なんてうなじ見せれば一発なの』


というミキミキの台詞を信じての髪型なんだけど。
220 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:06:09.57 ID:l0zubfjX0

「兄ちゃん、この髪型似合ってる?」

「うん、いつもの髪型も可愛いけど、浴衣によく合ってる」

「……」

「なんだ、急に目をそらして」

「な、なんでもない!」


いや、自分から話振っといてなんだけどね?

面と向かって言われると恥ずいんだってば!

そしてさりげなく、うなじを……。


「しかし浴衣って涼しそうだな。首回りとか」

「う、うん。めちゃ涼しいよ」

「いいなぁ。俺も浴衣にすりゃよかったかな」


ってミキミキ全然だめじゃーん!

メロメロどころかがんちゅーにないじゃん!

嘘つきー!
221 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:06:38.36 ID:l0zubfjX0

でも兄ちゃんの浴衣かぁ……。

ちょっと見たかったかも。


「お、面白いもんがあるぞ」

「えっ、なになに!?」


兄ちゃんが指さす方向には、お面屋さん?


「兄ちゃん、さすがに真美」

「あのラインナップを見てみろ」

「そういう歳じゃ……ってうえぇっ!?」


ま、真美たちのお面が並んでるー!

えっ、あれ事務所的に許可とかどうなの?


「許可した覚えはないんだがな……」


あっ、やっぱ無許可なんだ。
222 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:07:13.05 ID:l0zubfjX0

「でも、ついつい買っちゃったね」

「いや、こんな面白いもんあったら買わざるを得ないだろう」

「しかも全員分。ねっきょー的なファンだと思われてるよ」

「俺としては、横にいた高校生が訝しげにお前のこと見てたのが気になってたけどな」

「……妬いてんの?」

「アホ」


真美のお面を斜め掛けして、隣の屋台で買ったたこ焼きをぱくぱく。

偽物とはいえ、自分の顔を被るのは何とも複雑な気分ですな。


「たこ焼き一個くれないか」

「いいよん。はい、あーん」

「自分で食べます。ひょいっとな」

「うあうあー! ごーとーだー!」


やっぱりあーんはやらせてくんない。

兄ちゃんのけちんぼ、かいしょーなし!
223 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:07:53.62 ID:l0zubfjX0

それにしても、今日はなんでこんなに人が多いんだろ。

何かイベントでも重なってるのかな?


「もうすぐ、少し離れた川で花火大会をやるんだと。ここから割と見えるらしいぞ」

「へー、だから人がいっぱいいるのかな」

「だろうなぁ。この祭りは毎年来てるけど、こんなの初めてだ」


ふうん、兄ちゃん、去年までも来てたんだ。

真美は去年、どうしたっけ。

亜美と一緒に輪投げ荒らししてたっけ?


「ごちそーさまでしたっと。ゴミ捨ててくんねー」

「はいよ」


次は何食べよっかなー。

それとも、射的でもやろっかなー。
224 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:08:25.08 ID:l0zubfjX0

なんてのんびりと構えてたんだけど……。


「あああああ人波に流されるううううう!」


も、戻れない! 来た方向に戻れないよ!

ぬわあああおっちゃんとおばちゃんのサンドイッチに潰されるー!

『流れに逆らわず、一方向にお進みください』って!

そしたら兄ちゃんとはぐれちゃうよー!


「そして、完全にはぐれてしもうた……」


人が少なくなってきたとこで、ようやく流れから抜け出せた。

ぐにゃぐにゃ歩き回ったせいで、自分がどこにいるかも分かんなくなっちったよ……。
225 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:08:58.16 ID:l0zubfjX0

待ち合わせは入口のとこって言ったっけ。

とりあえず行かなきゃ。


「えーっと、多分あっちだよね。兄ちゃんにメールを打って、と」


……ちゃんと兄ちゃんと会えるかな。

待ち合わせ場所を決めはしたけど……こんなに沢山人いるし……。

なんか無性に不安になる。

とっても、心細い。


「それにしても、カップルが多いですなあ」


右を見ても左を見ても、いちゃいちゃいちゃいちゃ。

真美と兄ちゃんも、さっきまではそう見えてたのかな。

それともいいとこ、兄妹かな。


「何年後か分からないけど、ぜーったいにそーゆー関係で来てやる」


そんな宣言を胸に、自分を奮い立たせる。
226 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:09:34.67 ID:l0zubfjX0

入口の鳥居近く。

兄ちゃんはちょっと心配そうに、境内の方を見てた。


「お、いたいた。真美!」


兄ちゃんが真美の名前を呼ぶ。

居た、ちゃんと居てくれた――!


「……ってうわっ!? いきなり抱き着くな!」

「兄ちゃんっ……!」


ちゃんと合流できるって信じてたけど。

兄ちゃんの声を聞いたら、我慢してた不安感が一気に込み上げてきた。


「怖かったー!」

「はいはい、よしよし。もう怖くないから、とりあえず離れなさい」


ぐすん。兄ちゃん、もちっと優しくしてくれてもいいのに。

でも、頭撫でてくれたから許してあげる。

……んで、落ち着いたら真美、一個思い出したことがあるんだけど。
227 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:10:13.58 ID:l0zubfjX0

「兄ちゃん、思いっきり真美の名前呼んだよね」

「あ」


こっそり周囲を窺うと、何人かの人がこっち見てる。

これ、けっこーめんどいパターンじゃない?


「よし、逃げよう」

「ナイス判断、真美もそう思ってた」


幸い、周りの人も真美だって確信はしてないみたい。

真美と兄ちゃんは逃げるように、こそこそと人ごみの中へ入ってった。

追いかけてくる気配もないし、ギリセーフかな?


「ほら、はぐれないように手を放すなよ」

「う、うん!」


兄ちゃんが差し出してくれた左手を握る。

放さないよ、放すわけないじゃん。

神社に二人っきりだって放さないもん!
228 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:10:41.16 ID:l0zubfjX0

「撒いたみたいだし、とりあえず人ごみを抜けよう」

「おっけー!」


兄ちゃんに手を引かれて、誰もいない、ちっちゃな社の裏手に回る。

ふー、やっと一息つけるぜ……。

兄ちゃんもホッとしたように、近くの岩に腰掛けた。


「ん? もう人ごみは抜けたし、手放してもいいぞ」

「……やだ」

「やだってなぁ」

「だめ?」

「だめ、ってわけでもないが」


兄ちゃんが座ってる岩はけっこーおっきい。

隣に真美が座るスペースあるかな?
229 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:11:11.68 ID:l0zubfjX0

「んー、ギリギリだね」

「そっちにも座りやすそうな岩あるだろう」

「隣がいい」

「はいはい」


仕方ないなという風に、兄ちゃんはちょっとだけずれてくれた。

これなら真美も座れるね。


「よいしょっと」

「狭くないか?」

「狭い方がある意味いいかも」


兄ちゃんと近い。

兄ちゃんと密着してる。

なんかドキドキする……。
230 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:12:00.06 ID:l0zubfjX0

その時、視界の端が明るく光った。

直後、どーんと大きな音。


「花火始まったみたい」

「なるほど、確かにこの神社は見るために丁度いいな」

「ここだと木が邪魔で、ほとんど見えないね」


境内の方だとバッチリ見えそう。

だからこんなにお祭りも混んでんだね。

兄ちゃんの横でぼーっと考えてると、次から次へと花火が上がる。

どーん、どーん。


「折角だし、花火見に行くか?」

「んー、いいや。また人ごみに入ってくの、疲れるっしょ」

「一理あるな」

「それに真美ね、花火って音聴いてるだけってのも好きなんだ」


どーん、どーん。

心地良い音と振動が、真美の身体を揺らす。
231 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:12:40.20 ID:l0zubfjX0

なんだろ。

さっきよりも、胸が超ドキドキする。

花火の響きのせいかな?

遠くの方からわいわいがやがや、たくさんの声が聞こえる。

そこから離れて、真美と兄ちゃんは二人きり。


「真美、どうした?」

「……」


なんだか、やっちゃいけないことをしているような、イケナイ背徳感。

それと一緒に、のぼせたように頭がぼーっとなる。


「疲れたのか? ならこのままもう少し休も――」

「兄ちゃん」


名前を呼ぶと、兄ちゃんがこっちを向く。

いつもの兄ちゃんの表情。


それを見たら、なんか我慢できなくなった。
232 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:13:19.12 ID:l0zubfjX0


「――っ!」


どーん、どーん。

花火の音と人々の喧騒が響く。

その中で、兄ちゃんが何か言った。

でも、真美には聞こえないよ。


「んっ……」


暖かい。

柔らかい。


「ん……」


自分でも、ちょっとびっくりしてる。

でも、今身体を動かしてる真美は、とっても冷静で。


「……っぷはぁ」


のぼせあがった頭は、何も考えらんない。

一つだけ理解できたのは、兄ちゃんが多分これまで見た中で、一番驚いた顔をしてること。
233 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:14:00.29 ID:l0zubfjX0

「真美、お前……」

「……んっふっふー、油断大敵だよ、兄ちゃん」


自分で言うのもなんだけど、真美、なんでこんなに冷静なんだろ。

けっこーなことしたよね、今。


「易々とすることじゃないぞ」

「易々とじゃないよ」


理屈じゃないんだよね。

身体が、勝手に動いてた。


「易々となんかじゃ、ないよ」


もう一回、言った。


「兄ちゃんだから、だよ」

「そう、か」


真美の返事を聞いて、兄ちゃんは黙り込んだ。

やりすぎちゃったのかな。

真美がしたこと、いけないことだったのかな。
234 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:14:55.40 ID:l0zubfjX0

「わっ!?」


そんな風に思い始めた時、兄ちゃんが真美の頭をぽんぽんと撫でた。

そのまま軽く引き寄せられて、兄ちゃんに寄りかかる形になる。

な、何するの? 何かされちゃうの?!


「真美」

「えっ、あ、な、何?!」

「確かにいいな、音だけって言うのも」


いつも優しい声だけど、それよりもっと少し優しめに、兄ちゃんが言った。

その途端、強張った真美の身体から、ふっと力が抜ける。

……もー、びっくりさせないでよ。

真美が言えたことじゃないけど。


「うん」


こてんと、兄ちゃんに身体を預ける。

そして花火が終わるまで、二人でゆっくり、遠くの響きに耳を傾けてた。
235 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:15:21.82 ID:l0zubfjX0



ちょっと背伸びしすぎたかな。


でも、兄ちゃんとの距離は縮まったかな。


236 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:15:52.80 ID:l0zubfjX0

帰り道は、手をつないで帰った。

ほとんど何も喋らなかったけど、それでよかった。

こないだはぎくしゃくというか、照れながらだったけど。

今日は当たり前のように、穏やかな雰囲気。


喋れないんじゃないや。

喋りたくないんだ。


二人っきりの、この穏やかな時間が、いつまでも続きますように。
237 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/06/21(金) 01:04:32.66 ID:YSRSVhbvo
おつおつ
優しい世界だ
238 : ◆on5CJtpVEE [sage]:2019/06/21(金) 22:42:01.66 ID:ob1y39C8o
>>237
ありがとうございます。
最後まで見守っていただけると幸いです。
239 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:16:33.95 ID:ob1y39C80

「それでそれで、昨日はどーだったんだ!?」

「ミキがアドバイスしたんだから、勿論モノにしたよね?」


そんな真美のささやかな願いは、翌日そっこー潰された。

事務所に入るなり、ひびきんとミキミキに拉致監禁。

給湯室で両手をわきわきさせながら迫られた。


「ミキミキ、兄ちゃんにうなじ攻撃はかすりもしなかったよ」

「……うそ!?」

「浴衣は似合ってるって言ってくれた!」

「着崩れなかった?」

「うん。ひびきんが綺麗にやってくれたから、ばっちぐーだったぜい」

「ふふん!」

「ミキは……ダメなオンナなの……」


ダメだこれ。

しばらくはみんなにわいわい騒がれそうだね。
240 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:17:02.48 ID:ob1y39C80

夜、寝ようとしたら亜美に声をかけられた。


「兄ちゃんとはうまくいってんの?」

「うまくも何も、スタ→トスタ→にも立ってないよ……」

「お祭り行ったんじゃないの?」

「……行ったけど」


布団の中で、兄ちゃんとの出来事を思い出す。

改めて思い返すと、なんかすんごくむず痒いよ!

タオルケットを被ってじたばたじたばた。


「んっふっふ〜、どこまでいったの? ちゅーした?」

「ちゅーした」

「やるねぇ真美さん、ちゅーしたんだ……ってまじで?」

「うん」

「……やるねぇ」


一言返事をするのにも顔が真っ赤っか。

亜美は感慨深げに、ウンウンと頷いてる。
241 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:17:42.25 ID:ob1y39C80

「そんで?」

「えっ?」

「そんで、その次は?」

「その次って……のんびり花火の音聞いて、帰ったけど」

「えー……そこはパッと舞って、ガッとやってチュッと吸ったんなら、はぁぁぁぁあんでしょ!」

「やんないよ!」


もう、亜美ってば人事だと思って!


「でも、うかうかしてると兄ちゃん取られちゃうよ?」

「それは……そうなったら、仕方ないよ」

「えぇ? 仕方ないって……真美、そんなんでいいの?」

「もし兄ちゃんが本当にそれを望むなら、真美は止めらんないよ」


勿論、イヤに決まってんじゃん。

でも、兄ちゃんの気持ちは兄ちゃんのもの。

真美が学校で告白を断ったみたいに、兄ちゃんのことを決めるのは、兄ちゃん自身だから。
242 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:21:11.48 ID:ob1y39C80

別に、兄ちゃんは真美を選んでくれるって約束したわけじゃないし。

キスだって、真美が一方的にしただけ。

これ以上のことを、真美は兄ちゃんに求められないよ。


待っててって言ったから。

待ってくれるって言われたから。


真美にできるのは、なるべく兄ちゃんに好きな人ができないといいなぁ、ってちょっぴり思うくらい。

神様が、真美のお願いを聞いてくれることを祈るだけ。

どうか、真美が待ち望んでいるその日が来ますように――。
243 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:21:39.83 ID:ob1y39C80

真美はその日を待ち続けながら、ずっと兄ちゃんの傍にいた。

その間、色んなことがあった。


事務所のみんなは、それぞれみんな、テレビでよく見るようになった。

テレビに出ない時も、何かしらのイベントで飛び回る日々。

兄ちゃんと、本格的にプロデューサー業へシフトし始めたりっちゃんが頑張ったおかげだよ。

今では真美もレギュラー番組が三本あるし、CDも新譜出すと、もうちょっとで十位台に届きそうなくらい。


でも忙しくなるとやっぱり、兄ちゃんとの会話は減る。

それでも真美は、できる限り兄ちゃんの傍にいた。

兄ちゃんの方も、なるべく真美と一緒にいる時間を作ってくれてた、と思う。


デスクで固まったまま兄ちゃんがウンウン唸ってたのは、そんな日々にも慣れてきて、真美が中学三年生になった頃だった。
244 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:22:22.08 ID:ob1y39C80

「兄ちゃん、何生まれそうな声出してんの?」

「生まれないから困ってるんだよ」

「赤ちゃん? それとも卵?」

「何が卵か。一応俺も、胎生である哺乳類の端くれだからな」

「その前に男として出産を否定してよ」


デスクの上で、何やら書いては消し、書いては消しを繰り返してる。

どれどれ、何か知んないけど真美さんが採点してしんぜようではないかね。


「って引き出しにしまって鍵かけちゃダメー!」

「仕事の邪魔するんじゃないの。で、何か用があったんじゃないのか?」

「あ、そだった」


危ない危ない、すっかり忘れてた。

そうだ、真美にはじゅーだいな使命があったのだ!
245 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:22:50.01 ID:ob1y39C80

真美は二枚の紙きれをポケットから出す。


「兄ちゃん兄ちゃん、これなーんだ!」


ぴらぴら。


「それ……遊園地のチケットか?」

「だいせーかい!」


んっふっふ〜、なんとビックリ、商店街のくじ引きで当たったのだ!

今度の日曜日、兄ちゃんとオフが被ってるのは調査済みだぜい!


「遊園地ねぇ。ここ数年くらい行った記憶がないな」

「ねね、今度の日曜に一緒に行こうよ!」

「えーっと、今度の日曜は……あ」


手帳をめくっていた兄ちゃんの手が止まった。

少し、申し訳なさそうな表情をしてる。
246 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:23:46.31 ID:ob1y39C80

兄ちゃんの返事は、真美をさいだいきゅーにがっかりさせるものだった。


「悪い、用事が入ってるな……」

「えええええええええ!?」


う、うそ!?

一昨日、久しぶりの休みだーみたいなこと言ってたのに……!


「ライブに向けて忙しくなるから、今度の日曜逃したらしばらく休み被りないじゃん……」

「すまん、許してくれ……」


えええ……うそー……。

完全に遊ぶ気満々で、アトラクションどう回るかとかスポットとか全部調べてたのに……。


「でも、用事あるんじゃ仕方ないよね……」


兄ちゃんは何度も謝ってくれたけど、真美の気分は完全に萎え萎えだった。

ここ数日、これを目指して毎日過ごしてたのにー……。
247 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:24:12.37 ID:ob1y39C80

でも兄ちゃんにも、色々と都合があるよね。

急に仕事入っちゃったのかもしれないし、友達と会ったりするのかもしれないし。

兄ちゃんの身体は真美だけのものじゃないしね。


「……って、なんかえっちい言い方かも」

「へ? 何が?」

「わあああああっ!? やよいっち!?」


きょとんとした顔をしたやよいっちに背後を取られてた。

え、聞こえてないよね?

だいじょぶだよね?


「ななななんでもないっしょ!」

「ふーん。へー、そーなの?」

「うんっ!」


汗がだらだら。

怪しいなーと呟きながらやよいっちに顔を覗きこまれるたびに、ドキッ!っとする。
248 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:31:51.49 ID:ob1y39C80

「でも真美、なんか暗いかも。どうしたの?」


とりあえずさっきの発言は聞こえてなかったみたいで良かったぁ……。

でも、やっぱりテンション下がってるのは隠せないね。


「兄ちゃん、日曜予定あるって……」

「あ、昨日言ってた遊園地のお話?」

「うん」


完全に浮かれて、やよいっちとか千早お姉ちゃんに自慢しちゃったもんね……。


「他の日は合わないの?」

「ぜーんぜん。しばらくはずっとお仕事とレッスンだよー」

「そっかー。ソロライブやるんだもんね」
249 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:32:21.34 ID:ob1y39C80

そう。

実は中学最後の夏には、真美のソロライブが決まってるのだ。

東京ドーム貸し切り!ってわけにはいかないけど、そこそこおっきめのライブハウスでやるんだよん。

でも初ソロライブなのに、社長さんも思い切りいいよねー。


「そうなると、このチケットも持て余しちゃうなぁ」

「行かないの?」

「なんか一気に行く気がなくなってきた……」

「そーなんだ……」


あ、そういえば昨日話した時、やよいっち少し行きたそうにしてたっけ。


「じゃあやよいっち、これあげるよ」

「はわわっ!? さ、さすがにそれは……」

「なんか利用期間決まってるみたいだし、勿体ないじゃん」

「うぅ……でも……」

「千早お姉ちゃんでも誘ったら?」


ちなみに行きたそうにしてたやよいっちを、千早お姉ちゃんがチラチラ見てたことは知ってんだかんね。
250 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:32:47.90 ID:ob1y39C80

「でも、ただでもらうなんて……」

「そんじゃ、今度遊びに行ったときに美味しいご飯食べさせてよー、やよいっちスペシャル!」

「そ、そんなのでいいの?」

「やよいっちはもう少し自信持った方がいいと思うよ」


やよいっちのご飯、めっちゃ美味しいんだよ。

もやしパーティー以外の普段のお食事も、ぜつみょーな味付けでお姫ちんをも唸らせるのだ。

……お姫ちんの場合、何出しても唸りながら食べるけど。


「まぁまぁとりあえず、はいっチケット!」


少し強引にやよいっちに押し付ける。

なんかこのまま持ってると、チケット見る度にテンション下がりそうだし……。


「あわわっ! えっとえっと、ありがとね、真美」

「いいってことよ!」


近い内にライブの準備も始まるし、いつまでも暗いままじゃね。

明るく明るく、ポジティブにポジティブに……。
251 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:33:14.87 ID:ob1y39C80

そう思ったから、日曜は街に遊びに行ったんだ。

ほんとははるるんが、どこかに遊びに行こうって誘ってくれたんだけど。

何だかそんな気になれなくて、一人で出てきた。


「おっちゃん、ソフトクリームちょーだいっ!」


ニコッと笑って注文すると、ちょっと多めにサービスしてくれた。

うむうむ、キミはきっと出世するぞ。


最近はアイドルばっかり頑張ってたから、たまには自分へのごほーびってやつ?

んー、やっぱりソフトはミックスですな!


「はー……お昼下がりに食べるソフトクリームは格別ですぜ……」


なんか映画のワンシーンみたいだよね。

階段座って舐めてたら、真美もせくちーに見えるかな?

イケメンにナンパされちゃったりして!

兄ちゃん以外アウトオブがんちゅーだけどね、ごめんね!
252 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:33:41.67 ID:ob1y39C80

「……あれ?」


階段に座ろうとしたその時、視界の端に見慣れた人がいた。


「あ、兄ちゃん!」


左手の時計をちらちら気にしながら、兄ちゃんが早歩きで通り過ぎてった。

真美のほーには気付いてない。


「兄ちゃんの外行き私服、かっこいいなー……じゃなくて!」


遠目にぽけーっと見てたけど、ハッと気付いてすぐにソフトクリームを食べきった。

これから誰かと待ち合わせなのかな?

よーし、それなら真美もごあいさつしないとね!


「友達と話してる時に、いきなり不意打ちで抱きついたらびっくりするかな?」


んっふっふ〜、兄ちゃんの慌てる顔が目に浮かぶぜ!
253 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:34:08.59 ID:ob1y39C80

思い付いた名案を早速実行しようと思って、兄ちゃんを追いかけた。

距離はちょっと離れてたけど、走ればあっという間。


「急ぎつつ、気付かれないように……」


兄ちゃんが少し先の角を曲がった。

一瞬見失いかけて焦ったけど、その先は確か曲がり角はないはず。

だいじょぶ、十分間に合う距離!


「逃さないぜ、兄ちゃん!」


ターゲットを追う探偵みたいにかっこよく角に隠れながら、兄ちゃんが曲がって行った方を見た。
254 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:34:34.99 ID:ob1y39C80


「っ!」


慌てて角に隠れ直した。


見つかったから、じゃない。


心臓がバクバクいってる。

驚いたからとか、恥ずかしいからとかじゃない。


緊張と、恐怖。


「うそ……」


ねぇ、兄ちゃん。

嘘、だよね?


「にい、ちゃん」


こっそり、もう一度、角の先を覗きこむ。

さっきと同じ場所に、兄ちゃんはそのまま居た。
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