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【たぬき】高垣楓「迷子のクロと歌わないカナリヤのビート」
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110 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/06/28(金) 00:18:22.57 ID:XbZcdmSM0
「すみません。ただ、なんというか……その。アイドルは、リスクが大きくて」
「リスクなんて、どこで活動しても同じじゃないですか」
「違います! アイドルは、違うんです。あれは……明日には、何が起こるかわからない。そんな世界でしょう」
リスクこそ大敵だ。地ならしの済んでいない道を避けるのもひとつの選択だろう。
考えうる限り最も大きな失敗を、一度この目で見てきたんだ。
熟慮に熟慮を重ねた結果だった。
なのに千川さんは、複雑そうな表情を変えることがない。
「……そんなPさん、初めて見ましたよ」
「え……」
「私には、あなたが何かを恐れているみたいに見えます」
予想だにしない切り込み方に、一瞬硬直する。
だけどこれが最適解に違いない。
どう思われようと、ここまで来たらやるしかないんだ。
111 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/06/28(金) 00:19:27.05 ID:XbZcdmSM0
千川さんはそれ以上、何も言おうとしなかった。
あとは実物を見てわかってもらうしかない。書類をまとめ、会釈して事務所を後にする。
「最後に、もう一つ聞いていいですか?」
ドアを開けた時、後ろから千川さんの声がかかった。
「……何です?」
「その企画が本当に走り出したら、Pさんはどうするんですか?」
愚問だ。それこそ考えるまでもない。
「どうもしません。最初のきっかけを作って、ベテランにパスするだけです」
イメージ的に。諸々の手続き的に。
ここから先、一切のノイズがあるべきではない。身の程をわきまえなければならない。
なんとなればこの346の城において、俺はただの使用人でしかないのだから。
112 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/06/28(金) 00:19:59.96 ID:XbZcdmSM0
「高垣さんの今後の活動に、俺が介入するべきじゃないんですよ」
――「するべきじゃない」だと?
――「するのが怖い」の間違いじゃないのか、臆病者め。
脳裏をよぎる自分の声に耳を塞ぐ。もう前しか見ていない。
「……そこに、あなたがいないんじゃありませんか」
彼女の呟きはドアに阻まれ、俺の耳には届かなかった。
113 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/06/28(金) 00:22:27.43 ID:XbZcdmSM0
◆◆◆◆
モデル部門の高垣楓を、一時アーティスト部門で活動させる。
企画の要はそこにあった。
目星はついている。数々の歌手を大成させたベテランの音楽プロデューサーが我が社に在籍している。
そのうち一人とは面識もあった。確か彼は今、育てきった担当アーティストにセルフプロデュースを任せ、一時に比べて手が空いているはずだ。
アイドル部門に負けないよう、そちら方面の盛り上がりも欲しいに違いない。
高垣さんは絶好の才能。まさに金の卵だ。
モデルから電撃転向、音楽シーンに彗星のように現れた歌姫。
話題性は十分だろう。高垣さんのネームバリューは既に社内外で無視できないほど大きい。
いかにも異色な転身だが、勝算は十二分にある。
潮目を見ればモデル部門に戻ればいい。退路は十分に確保しているし、そうなった場合でもモデル活動に箔が付くだろう。
まだみんな知らないだけだ。彼女の歌声がどんなものなのか。
114 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/06/28(金) 00:24:32.83 ID:XbZcdmSM0
あなたは、ただのモデルに甘んじていていい人ではない。
その歌を広く世間に知らしめるべきだ。
一過性の、一山いくらの芸能人なんか目じゃない。間違いなくショービズの歴史に深い爪痕を残せる。
一声歌えば、きっと誰も、あなたのことを忘れない。
まさに、美しい城の歌姫に。いかに時代が変わろうとも、永く記憶に残り続ける「解けない魔法」に。
いつか見た悪い夢も払拭する、褪せない色を、もしかしたら――。
半分は願望に近かった。
けれど、そういう存在になれると思ったから。
次に会った時、俺は高垣さんに全てを話した。
あとは彼女の了解だけだったし、決して悪い話ではない。モデル時代の何倍、いや何十倍ものギャラが入るに違いない。
きっと受けてくれるはずだ。これまでになく熱を持った俺の説明を、高垣さんは静かに聞いていた。
115 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/06/28(金) 00:29:46.54 ID:XbZcdmSM0
すべて聞き届け、にっこり笑って答える。
「まっぴらごめんです♪」
116 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/06/28(金) 00:30:33.65 ID:XbZcdmSM0
◆◆◆◆
「……お〜〜いPよぉ。なぁに辛気くせぇツラしてんだお前よぉ」
「いや、ていうかペースおかしくないか? なんかあった……?」
「…………なんでもないっす」
飲んだくれている。
せっかく都合の合ったタクさんとヨネさんを前にしても、気分はいっかな持ち直さなかった。
さすがに放っておけず、タクさんが冗談めかして水を向けてくる。
「ひょっとしてアレか? 振られたか?」
「ぶッッ」
「ちょっ、タクさん!?」
彼としても軽い気持ちで言ったに違いないが、思いのほかそれが刺さった。
いや振られたとかではないんだが。
いやいや言いようによってはそうでもあるかもだが。
そこらへんのアレコレが逆流して、むせた酒が鼻にまで入った。
117 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/06/28(金) 00:37:12.99 ID:XbZcdmSM0
言い訳無用の有様に、言った方がむしろ恐る恐る、
「…………え〜とあの、図星スか? マジのやつ?」
「タクさん、今のはマズかったって……! オレも一緒に謝るからほら……!」
「いや……いいんです大丈夫です。想像してる通りじゃないけど、まあ、似たようなモンです」
二人揃って「あらら〜……」って顔をされた。
「……まあ元気出せや。女なんて星の数だぜ」
「い、いやオレもさ、よく子供っぽく見られてさ! 振られる気持ちもわかるっていうか、わは、わはは!」
気遣いがやたら染みる。
だからではないが、ついつい疑念が口をついて出てしまった。
「……何が、いけなかったんだろう」
「ん〜〜〜まあ大体カネじゃねぇの、オンナってなそのへんシビアだからよ。それかアレだな、ナニの具合が」
「タクさん!」
「ひががががが痛(ひた)い痛い痛いなにひやがんだヨネてめへぇぇえ」
118 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/06/28(金) 00:45:40.69 ID:XbZcdmSM0
金? 金は問題ない。これほど良い儲け話も無い。
実力への不安など言うも愚か。あんなに綺麗な歌声は今まで聞いたこともないんだ。
一体、何が嫌だったのか――――
――カナリヤというあだ名は、彼女が歌うのをやめたことから付いたの。
総代の……柊志乃さんの言葉が、脳裏に蘇る。
あの夜は酔っていたせいで深く考えもしなかった。
高垣さんは、歌うのが嫌いなんだろうか?
だとしたら何故?
あんなに……聞き惚れるような、素晴らしい声を持っているというのに。
他の客だって魅了された。彼女を知る人は、みんな彼女の歌を心待ちにしていた感じでさえある。
119 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/06/28(金) 00:51:31.28 ID:XbZcdmSM0
「聞いてみないと……」
「ん? お? 何を?」
「なあPさんさ、あんま引きずるもんじゃないって。な? ほらオレたちも付き合うからさ」
「おーそうだそうだこの後吉原行こうぜ吉原、俺様が奢ってや……おい聞いてんのか? ……あ、寝てる」
「…………」
聞いてみないと。
それだけを思いながら、沼のような眠りに落ちて、この夜は終わった。
120 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/06/28(金) 00:58:32.33 ID:XbZcdmSM0
◆◆◆◆
高垣さんとはあれ以来会っていない。
もともと頻繁に会う約束を交わすような間柄ではなかった。日常的に連絡を取り合うわけでもない。
それにあんなことがあった後だから、なんとなく顔を見せるのは憚られた。
そこで俺は、別の場所に目を向けた。
夜市だ。
本人でなくとも、高垣さんのことをよく知る人たちなら。
たとえばそう、柊さんだったら詳しいかもしれない。
そうして、高垣さんが歌わない理由、あるいは過去、彼女が何を思うかなどを知ることができれば。
断られたんだからさっさと引き下がるなんて考えは、どうしたことか、その時はさっぱり無かった。
かくして俺は仕事終わりに夜の街に繰り出し、例の「夜市」を探してみるのだが…………。
121 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/06/28(金) 00:59:48.02 ID:XbZcdmSM0
「…………見つかんねぇ!!」
というか、いつどこでどれくらい行われているのか。
そんなことさえも知らないままだったのだ。
それに行き先だって謎にもほどがある。
あの地下鉄の謎空間、記憶にある限りの道筋をトレースしてもさっぱりだったし。
いよいよ往生した。
そもそもからして、こっちは凡人。
高垣さんに手を引かれなければ、不思議のフの字にもまるっきり縁がないんだと思い知らされて、
「あら?」
122 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/06/28(金) 01:00:22.36 ID:XbZcdmSM0
聞き覚えのある声に、振り返る。
街灯に照らされた道の向こう、買い物袋を提げた女性が立っている。
その姿に見覚えがあった。想起されるのは、酔っ払いの頭にもくっきり残った、かぐわしいコーヒーの香り。
彼女は――
「……マスター?」
「ええと……クロさん、で良かったのよね?」
123 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/06/28(金) 01:01:16.50 ID:XbZcdmSM0
一旦切ります。
ちょっと引っ越し等色々あって更新滞っておりました。すみません。
ぼちぼち再開していきたいです。
124 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/06/28(金) 01:47:46.61 ID:2pURxWKMo
何となく瞳子さんっぽい雰囲気
125 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/06/28(金) 02:20:47.88 ID:xLIUuY4DO
乙
さぁ最後までラストスパートです
126 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2019/07/06(土) 16:55:11.10 ID:uX8bu3fGO
そういえば、童謡のカナリアは「なぜ歌を忘れたのか」がはっきりしてないんだよな。
それ(≒楓さんが歌を捨てた理由)を明らかにしないままただ思い出させることだけを目的にして立てた計画がうまくいく道理はなかろう。
127 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2019/07/07(日) 22:18:01.34 ID:BmYrOlBS0
マスターが言うには、夜市の開催には「サイン」があるのだという。
それは十分な観察力と、ある種の慣れが無ければ見抜けない。
たとえば、意味ありげにこちらを見て鳴く黒猫。
風の流れと真逆に飛ぶ一枚の枯れ葉。
海でもないのに聞こえる波音。
同じ方向を見ている電線のスズメ。
そうした少しずつ生じた綻びのような常識の「ずれ」を追えば、果てに入口があると。
128 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/07(日) 22:19:46.92 ID:BmYrOlBS0
「見方がわかれば、そんなに難しくはないの。私でも追えるくらいだから」
赤く色づいた並木道がライトアップされている。
どこかから金木犀の香りがする中で、マスターは迷わず歩を進めた。
彼女もちょうど夜市に行くところで、買い物袋は向こうで作る軽食の材料だという。
歩みはやがて路地へ入り、狭い路地を右へ、左へ……。
進んでいく中、マスターが肩越しにこちらを振り返った。
「それにしても、今日は一人なのね。カナリヤさんは一緒じゃないの?」
「ああ、いえ、なんというか」
ありのまま説明するのも気恥ずかしくなり、
「……色々ありまして、はい」
誤魔化せたつもりだが、マスターは何をどう解釈したのかくすくすと笑った。
「二人とも、隅に置けないのね」
「ぬぁ!? ち、違いますからね!? そういうのじゃなくて……!」
何を言っても柳に風だった。
すっかり自分の中で何か結論を出してしまったらしく、マスターはどこか上機嫌そうに歩を進める。
129 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/07(日) 22:22:26.02 ID:BmYrOlBS0
「けど、良かった」
「何がですか?」
「カナリヤさん、あまり人付き合いが得意な方ではないから。あなたみたいなお相手ができて嬉しいと思うの。大事にしてあげてね?」
だからそういうのでは。
なおも反論しようとしたところ、マスターが夜市へ通ずる扉を開く。
今回のそれは、路地の奥の奥にぽつんと鎮座する稲荷明神だった。
小さな祠の軋む木戸を開けば、その向こうには提灯が並ぶあの参道。
二度目だが、また唖然とした。多分何度訪れても慣れない気がする。
街中で突如出現した異空間に踏み入り、マスターはこちらに手を差し伸べる。
「総代に用があるんでしょう? こっちが近道よ、ついてきて」
頷いて手を取り、色鮮やかな夜の中へ。
彼女の手は暖かく、ほっそりしていて、けれど少し荒れていた。
傷付いて分厚くなった表皮と、ところどころにできたタコ。働き者の手だ、と俺は思う。
130 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/07(日) 22:26:40.09 ID:BmYrOlBS0
○
あの巨大な桜は、十月を過ぎても満開だった。
永遠に咲き誇ったままなのかもしれない。
柊志乃さんはその根元近くのカフェテーブルで、一人優雅にワインを嗜んでいる。
「あら……。今日は、一人で来られたの?」
柊さんは意外そうな顔をする。
続いて視線がマスターに移って、それで合点がいったようだった。
「私が案内しました。あなたに用があるようだったから……」
「そうだったの。優しいのね」
「放っておけなかっただけですよ」
眉をハの字にして、どこか困ったように笑むマスター。
小さく俺に「頑張ってね」と言い残し、自分の仕事に戻っていく。
その背中に一礼して、俺は柊さんと正対した。
「聞きたいことがあるんです」
131 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/07(日) 22:29:04.10 ID:BmYrOlBS0
ここ数週間で起こったことを、全部話した。
俺の決意。進めていた企画。その理由と思惑。
もちろん、けんもほろろに断られたことも。
彼女はどうして歌を嫌うのか。あれほどの才能を持ちながら、自ら望んで持ち腐れているのは何故か。
「歌わないカナリヤ」と旧知らしき柊さんならば、あるいは知っているのかもしれない。
柊さんは最後まで黙って話を聞いていた。
やがてグラスのワインを軽く回し、上品に口に含んで、語り始める。
「彼女の歌には、魔力があるのよ」
最初はもののたとえだと思った。
けれど、ただそれだけとは断言しきれない得体の知れない説得力もあった。
「楓ちゃんの声は、耳にする者すべてを引きつける……人も、鳥獣も、虫魚も草木も、みんな。
だからこそ誰も放っておかないの。誰もが何度も聞きたがり、あるいは独占したがり……あるいは、利用したがる」
最後の方は、明らかに俺を見ながら言っていた。
「り、利用だなんて、俺はそんな……!」
「本当にそう言い切れる? 俗物的な私利私欲のためではないとしても、あなたの行動は本当に『楓ちゃんのため』にしたことなの?」
132 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/07(日) 22:32:58.63 ID:BmYrOlBS0
即答は……できなかった。
ただ、彼女の才能を惜しく思ったから。
存分に発揮できる場所を用意して「あげたかった」。
そうすることで俺自身が彼女にどうこうとか、何か美味い汁を吸おうだなんて思ったことはない。だが。
そこに、自分自身のエゴが絡まないだなんて、心の底から言えるだろうか。
「私が言いたいのはね、クロさん。人には人の、相応の居場所があるということなの」
いつの間にかワイングラスは空になっていた。
柊さんは俺から視線を外さぬまま続ける。
133 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/07(日) 22:38:04.02 ID:BmYrOlBS0
「彼女は人の身ながら人の手に余る。神業、あるいは魔性のそれよ。だから歌さえ自ら封じたの」
「すべてを受け入れるこの夜市でさえ、あの子の居場所にはなりえなかった。あなた一人の手に負えないのは当然のことよ」
「だから、クロさん。楓ちゃんのことは放っておいて。どうか、好きにやらせてあげて欲しいの」
134 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/07(日) 22:39:43.78 ID:BmYrOlBS0
幼子を諭すような、ひどく淡々とした口調。
落ち着き払った彼女の姿に、似ても似つかぬ男の顔がダブる。
同じような語り口で、同じようなことを言ったあいつの顔が。
「それは……ただの、諦めでしょう」
十年前の古傷から、血の滲むような呪詛が漏れる。
「諦めは悪いことではないわ。少なくとも、しがらみを振り払って、前へ進むひとつの契機にはなる」
「そんなのは詭弁だ!」
がたんっ!
蹴倒した椅子が地面に転がる。倒れる音が存外に大きく響いたが、気付きもしない。
周囲の客も、こちらを見守るマスターも、冷たい目をした眼前の柊さんさえも、俺には気にする余裕が無い。
「居場所なんてどうにでもなるでしょう!? 能力さえあればそんなものいくらでもついてくる! わからないんですか!?」
135 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/07(日) 22:41:34.49 ID:BmYrOlBS0
一気にまくし立て、肩で大きく息をする。
柊さんはそれでも微動だにしなかった。
琥珀色の瞳が下からこちらを見据え、心の裏側までも見透かして告げる。
「いいえ。居るべき場所は、その人自身の心で見つけるものよ」
「……それがもし、見つからなければ?」
グラスを弄ぶ柊さんの表情には、遠く離れた友を想うような、穏やかな諦念が宿っている。
「どこかここではない遠くに、飛んでいってしまうのではないかしら。空に帰る天女みたいに」
136 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/07(日) 22:42:46.54 ID:BmYrOlBS0
俺はもう何も言わずに踵を返した。
話を続けようにも、無意味な気がした。彼女と俺とでは議論が平行線どころか、そもそもの論点から違う。
去り際の背中に、柊さんの声がかかる。
「またいらっしゃい。ここは、あなたのような子のためにある場所だから」
137 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/07(日) 22:45:11.33 ID:BmYrOlBS0
◆◆◆◆
「人が悪いんですね、総代」
「そうかしら? 私はいつも通り飲んでるだけよ」
「本当に関わらせないつもりなら、カナリヤさんの歌を聴かせなかったはずでしょう?」
「…………」
「私も、諦めは悪いことではないと思います。それで別の生き方を見つけられるのなら……」
「……季節と同じよ。移ろいを受け入れて、その時々に咲く花を楽しめばいい。みんな難しく考えすぎだわ」
「ふふっ。神代桜と共にあるあなたが言いますか?」
「いやだわ、あまりいじめないで。志乃ちゃん泣いちゃう」
「楓ちゃんに言われたの。もし自分が抑えきれなくなったら、彼を頼むって」
「それでも、もしかしたら、と思っているんでしょう」
「……半々といったところね。何のことはないわ。結局、私も諦めきれていないのかも……」
◆◆◆◆
138 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/07(日) 22:48:59.51 ID:BmYrOlBS0
やっぱりもう一度説得しよう。
そう決意してからがまた大変だった。
高垣さんは相変わらずモデル部門にいて、今何をしているのかを確かめるのは難しくなかった。
……だからといって、捕まえられるかどうかは別の話だ。
そもそも高垣さんのプライベートを知っている人がまずいない。
仕事が終わればふらっと消えて、のらりくらりと他者を躱す。
スケジュールも微妙に合わず、掴めそうで掴めない尻尾の先を必死で追い続ける気分だ。
139 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/07(日) 22:50:15.02 ID:BmYrOlBS0
「ああもう! あの人野良猫かなんかか!?」
「苦戦してますねー」
コーヒーカップを両手で持ちながら、千川さんはすっかり静観の構えだ。
「というかまだ諦めてなかったんだ。意外とガッツありますね」
「……そんなんじゃないです。ただなんというか、もう一回話くらいはしておかないとですね」
「そですか。Pさんが必死になってるとこ見るの初めてだから、なんか新鮮というか、割と笑えますね」
こ、この女……。
このところアイドル部門へのアシストに回ることが多い千川さんは、毎日の仕事をだいぶエンジョイしているっぽかった。
デスクにアイドルグッズすげえ増えてるし。もはや半分ただのファンだろ。
140 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/07(日) 22:53:14.81 ID:BmYrOlBS0
「――これは極秘ちひろ情報なんですけどね」
と、千川さんがデスクのうちわを手にする。
「高垣さんの居場所、知ってるかもしれない人がいるんですよ」
「! だ、誰ですか?」
「んーでもなー。個人情報ですからねー。それに私もちょっとお話した程度の人ですしー」
「教えてください。このままじゃ埒が明かん」
ふふんと含み笑いを漏らし、うちわをはためかす千川さん。
既に軌道に乗ったいくつかのアイドル部署では、所属するアイドルのグッズも結構な数出ている。
彼女の顔は、そのうちわに描かれていた。多分ライブで配布されたグッズの余りだろう。
「第一芸能課の、川島瑞樹さんです」
141 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2019/07/07(日) 22:57:16.19 ID:BmYrOlBS0
一旦切ります。
更新遅くなってしまいすみません。秋はもうちょっと続きます。
142 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2019/07/09(火) 22:41:34.79 ID:aPnPrAGk0
期待
143 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/07/09(火) 23:39:27.38 ID:mvAMl0kZ0
期待
144 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2019/07/10(水) 10:52:11.92 ID:85s6qKmhO
>>132
〜137
……志乃さんならまあそう言うだろう。女神サクヤヒメ(推定)だし。
145 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2019/07/14(日) 00:42:11.60 ID:TmI5fe2I0
◆◆◆◆
「楓ちゃん? ああ、何度か一緒に飲んだことがあるわね」
川島さんとは、高垣さんを捕まえるより遥かに楽に接触できた。
「一度雑誌の撮影で一緒になったことがあってね。ほら私大阪から来たじゃない?
あの子和歌山が地元だから、近いねーって意気投合したのよ」
めちゃくちゃ気さくな人だった。おっそろしく話しやすい。
菓子折りのひとつでも手渡すつもりだったのだが、「やっだぁそんなの気にしないでいいのよぉ!」ときたもんである。
というか高垣さん、和歌山だったのか。全然意識したことがなかった。
146 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/14(日) 00:44:16.21 ID:TmI5fe2I0
「だけど、実家の話はしないわねぇ」
地元トークはちょいちょいやるものの、彼女は話の核心には触れようとしないそうだ。
川島さんは実家のことや関西あるあるを喋るのだが、高垣さんは「家」に話題が移ろうとするとスイッと話題を変えるのだという。
「なんだったかしら。確かすごく古いお屋敷だって聞いたけど……そこまでが限界ね。すらっと話が逸れて、おしまい」
和歌山は土地の大部分が山間で占められ、古くから「木の国」と呼ばれているという。
そこの旧家となれば、それこそ山岳の一つや二つは持っていたっておかしくなさそうだ。
確かに高垣さんから故郷の話を聞いたことは一度も無い。
けれど敢えて聞き出すものではないし、なんとなくそういうものだと思っていたのが正直なところだ。
さて肝心の居場所なのだが、川島さんさえ掴み切れていないようだった。
相談の結果、高垣さんのいそうな場所をいくつかリストアップしてもらった。
確実ではないが十分だ。あとはタイミングの問題だろう。
147 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/14(日) 00:46:00.44 ID:TmI5fe2I0
それからまた少し話し込んだ。
持ち前の話しやすさもあってか、初対面なのにまったく緊張することがない。
「――あ、君って年下なの? あらやだ。職場の人が年下ってこと結構増えてきたわねー」
川島さんの経歴は異色だった。
アイドルになる前は大阪の準キー局で女子アナをしていたというのだから驚きだ。
人気だってあったらしい。安定も安定、ド安定の仕事じゃないか。
「前の職場に不満があったわけじゃないのよ。人前で話すのは好きだし、人間関係も良かった。大阪だって好きだしね」
「でしたら、どうして?」
「うーん……なんて言えばいいのかしら」
川島さんは少し考え込んで、
「見てみたくなったのよ」
「見て……?」
「新しい景色っていうのかな。こう……自分が立てる、自分だけの居場所から」
148 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/14(日) 00:56:59.38 ID:TmI5fe2I0
「自分だけの、居場所……」
「そ。人は誰だって自分が主人公だし、挑戦に年は関係ない。でしょ?」
川島さんは、茶目っ気たっぷりにウインクをしてみせた。
「あとはうちのプロデューサー君が熱くてねぇ。彼が大阪出張の時に出会ったんだけど、是非とも新しい挑戦をしてみませんか! って。
それで私、こらもう応えなあかん! ってね。あっ関西弁出ちゃった」
それでも、やはり気になる。
聞けば聞くほど疑問は膨らむ。気付けば俺は無遠慮に尋ねていた。
「あの……失礼かと存じますが、不安はありませんでしたか?」
「ん?」
「既に生活基盤はできていたわけでしょう。それもかなり安定した仕事だ。一度それを全部捨てて、東京で一からやり直すことは……。
芸能……特にアイドル業は水物です。縁起でもないことを言うようですが、『もしも』を考えたことは……?」
ビンタの一発や二発は喰らうつもりでいた。
いくらなんでも絶賛売り出し中のアイドル相手に、口が裂けても言っていいことではない。
川島さんはしかし、怒る風でも、まして悩む風でもなく、あっけらかんと答える。
149 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/14(日) 00:58:03.50 ID:TmI5fe2I0
「そうね。今は永遠に続くものじゃない。お肌と同じね。いつかは陰るし、シミやソバカスだってできちゃう」
「だったら……」
「でも、だからって何もしない理由にはならないでしょう?」
川島さんの声は柔らかだった。
俺ごときがするような心配などは、既にその思いがけず小柄な体に、すべて呑み込んでいるようだった。
「それも全部含めて挑戦だもの。言ったでしょ? 人生っていうのは、みんな自分が主人公!
できる努力をし尽くして、それで思いっきり自分の足で立てたら、あとはもう何が起こっても笑い飛ばしてやるだけよ」
150 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/14(日) 00:58:40.66 ID:TmI5fe2I0
強い人だ。
346のアイドル部門に……第一芸能課に、この人がいるなら。
俺の中で、何かひとつ大きなものが解れたような気がした。
話を終え、深々と一礼する。
……俺は俺のすべきことをせねば。
間違っても主人公とは思わないが、使用人なりに必要な務めを。
「今日はありがとうございました。その……アイドル活動、頑張ってください。陳腐なことしか言えませんが、応援してます」
「ありがと♪ いやーそれにしても若いわねー青春ねー。君もいろいろ大変だと思うけど、ファイトっ!」
…………なにか勘違いされているような気もするが。
151 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/14(日) 01:00:48.74 ID:TmI5fe2I0
◆◆◆◆
結局、最終的には足で稼いだ。
川島さんと作ったリストを参考に、心当たりのある居酒屋、無い居酒屋、銭湯に健康ランド、近郊の温泉地。
片っ端から当たってそれでも外し、迷子みたいに途方に暮れた時。
しとしとと、秋雨の振る心細い夜だった。
高垣さんは存外に近いところで見つかった。
数か月前の春、酔っ払いの俺が通りがかった、神田川にかかる大きな橋。
その欄干の上に。
最初との違いは、彼女が背中ではなくこちらを向けていたということ。
相も変わらず細いヒールで、通りがかる人々に何故か気付かれもせずに。
ビニール傘に街灯の光を照り返し、最初から俺のことを見ていた。
「……高垣さん」
「こんばんは、Pさん。お久しぶりですねぇ」
152 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/14(日) 01:02:18.13 ID:TmI5fe2I0
〇
そこそこ遅い夜だった。
川面に吸い込まれゆく雨粒を見ながら、桟橋に隣り合って座る。
冬ももう近く、雨は触れたら震えそうなほどに冷たい。これが雪に変わる日もそう遠くはあるまい。
「ええと」
「はい」
「あれから、色々考えたんですけど」
傘を打つ雨音を聞きながら、ぽつぽつと順を追って話した。
うまいセールストークなどできるはずもないので、これまで俺が考えたこと、話したこと。
あなたの足跡を辿りながら何を思い、どういうつもりであなたを探していたのか。
「――確かに新しい挑戦です。今までとは勝手が違う。けど、高垣さんならできると信じます」
「……」
「ご自分の歌が嫌いだということ、柊さんから聞きました。それでも言います。あなたの歌を必要としてる人は、必ずいます」
その歌が、誰かの救いになるのかもしれないなら。
やはりそのままにしていていい才能ではない。
俺の右手側に座り、高垣さんはしばし黙っていた。
153 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/14(日) 01:03:53.23 ID:TmI5fe2I0
ややあって虚空を見上げ、不意に切り出す。
「――どこか、『ここではない』という思いがいつもあるんです」
「……はい?」
「体が、まだ……何かを、追いかけたがっているような」
青い左目は揺らぐ川面を写し取る。まるで仙人みたいな静謐な表情に、泣きぼくろが不思議と目に焼き付いた。
「時々、見つけることもあります。ここならいいのかもという場所を。だけど長続きしなくて。
どこか空虚で、なんだか寂しい……私以外のみんなが逆さまになって、違う場所を見ているような」
瞳が、こちらを向いた。
「あなたが示すその場所は、私を閉じ込める鳥籠ですか?」
「……違います! 俺はただ、あなたに相応の活躍の場を用意したくて……!」
「嘘。私がいないと困るって顔。このままじゃいけないんですか? 私はあなたのただのお友達にはなれませんか?」
154 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/14(日) 01:04:28.85 ID:TmI5fe2I0
義理は、無い。
職務とは関係無い。
益も期待しちゃいない。
このままではよくないと説くに足る合理的理屈がひとつも無い。
だとすれば、俺がここまでこの人に執着する「理由」とは、何か。
「私が欲しいんですか?」
155 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/14(日) 01:05:47.94 ID:TmI5fe2I0
「……なんですって?」
「ほらまた、悲しそうな顔。本当のところを聞かせてください。あなたは、自分が寂しいだけじゃないんですか?」
傘が傾く。高垣さんが体ひとつ分、こちらに近付く。
高垣さんは笑っていた。
その美貌から目が離せない。
「歌やアイドルなんて建前。本当は、ずっと傍にいてくれる誰かが欲しいだけ」
幼子に言い聞かせるような声色が染み込む。
その声に耳を傾けていると、雨音さえも遠くなって。
「自分が見つけて、自分から決して離れない。夢でも幻でもない、あなただけのお人形が。……違いますか?」
人形の夢を見る。
埃を被った、かわいそうな彼女たちの夢を。
あの人たちはもういない。消えてしまった。
十年前から変わることなく、ショーウインドウの前に立ち尽くす少年は何を思っていたか。
156 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/14(日) 01:08:21.07 ID:TmI5fe2I0
「素直に言ってください。そういうことでしたら、お答えするのは簡単なことです」
高垣さんの指摘に、何故だか反論できなかった。
自覚が無かった。俺は、「そう」なのか? ここまでがむしゃらだったのも、必死にこの人を追いかけたのも。
傘と傘がぶつかり、水滴を散らして二人の後ろに倒れる。頬を濡らす雨の冷たさも感じない。
初めてこの人と出会った時も、そういえば濡れていた。俺は川に落ちて。彼女は涙を流して。
あの時からだったろうか。
一緒に酒を飲んで、それから度々会って。くだらない話を何度もして、花火を見て、夜市に行って、
彼女の歌を聞いて。
あの頃からずっと「悲しそうな顔」をしていたと高垣さんは言う。
だとしたら、俺が本当に望んでいたことを、この人は俺よりもよく知っていたのだろうか。
「ほら、言って? 傍にいてって。そうしたら……私も誓ってあげますから」
もう、声と共に甘い吐息が届く距離だった。
鼻と鼻がやわらかく触れ合う。前髪が絡み合い、二人の距離はほとんどゼロになる。
唇が唇に近付いて、そのまま――
157 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/14(日) 01:09:37.33 ID:TmI5fe2I0
「……………………あんた高垣さんじゃないな?」
158 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/14(日) 01:10:55.22 ID:TmI5fe2I0
雨と夜のせいで、今の今まで気付きすらしなかった。
至近距離で見つめ合う、ネオンと雨の乱反射を写し取ったその、綺麗な瞳。
両方とも、青い色だった。
159 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/14(日) 01:14:05.69 ID:TmI5fe2I0
今にも唇が重なる距離。
真っ赤な舌先をちろりと出して、「その女」はぞっとするほど妖艶に微笑んだ。
「いいえ。間違いなく高垣ですよ――私も、ね」
瞬間、天地がひっくり返る。
重力が逆巻くような異様な感覚の中、全身が桟橋から離れていた。
感じるのは、しかと繋がれた細く白い手。その冷たさ。
女に引き上げられ、俺は空へと落ちた。
160 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2019/07/14(日) 01:14:47.93 ID:TmI5fe2I0
一旦切ります。
161 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/07/14(日) 01:50:31.48 ID:arg3PlPno
空へと落ちた
すげえ表現だな
鳥肌立ったわ
続きが待ち遠しい
162 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/07/14(日) 07:37:50.09 ID:8TNXiAAYo
一旦おつ
こう来たか
163 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2019/07/14(日) 10:52:22.21 ID:n+fnB2x0O
楓さん…、もうそこまで【降魔】したペルソナに引きずられて……。
(この時期だと妖鳥バーあたりか?)
164 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/07/14(日) 16:11:39.13 ID:MCMjtS2t0
待ってる
165 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2019/07/27(土) 15:59:56.76 ID:aiDwMVos0
◆◆◆◆
気を失っていたようだ。
水の中を漂っているような浮遊感がある。
けれど呼吸はできて、冷たくも暖かくもない風が全身を洗う感覚。
目を覚ます。
俺は、逆さまになって空に浮いていた。
頭の上に広大な山林。足の下に遥かな空。
空には雲ひとつ無く、太陽も月も星も無く、墨絵のようなモノクロームの世界だった。
昼も夜も無い。明らかにさっきまでいた神田川の桟橋ではない。
そればかりか、現実かどうかすら定かではない。
これは夢か? それとも「夜市」みたいなよくわからない異空間なのか?
166 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:00:58.36 ID:aiDwMVos0
「『楓』は」
混乱する俺の耳に、涼やかな声が滑り込む。
あの、青い眼をした女が、いつの間にか目の前にいた。
逆さまに浮遊しながら、目線の高さは同じ。
まるで透明の床を歩むように、一歩一歩確かな足取りで近付いてくる。
「『楓』は、可哀想な子です。とても不器用で……臆病で」
「……何者なんだ、あんた」
小首をかしげる女。
色を失ったこの世界で、彼女の青い双眸だけが炯々と輝いていた。
167 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:02:30.61 ID:aiDwMVos0
「言ったでしょう。私も『高垣楓』ですよ」
「違う。俺はあんたなんか知らない」
「本当に? これまで一度も会ったことがないと、確信を持って言えますか?」
だって――女は細い指で自らの唇を割り開き、ぬらつく舌を出してみせる。
「キスまで気付かなかったくせに」
「なっ」
咄嗟に手の甲で口を隠した。触れてはない、はずだ。ギリギリで。
今更になって頬が熱くなるのを感じる。そんな様を見て、女はころころ笑った。
普段の高垣さんとは違う、悪戯っぽさと稚気を含んだ、年端もいかない少女のような貌だった。
「私はあなたを知っています。春からずっとこの目で見ていましたから」
「しかし……」
「花火。一緒に見ましたよね?」
脳裏に夏のある日の出来事が浮かぶ。
空を飛ぶ高垣さん。引き上げられる俺。乱舞する花火の光。
168 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:06:03.09 ID:aiDwMVos0
――寂しいんですか?
――……え?
――そういう顔。今もです。なんだか、帰り道を忘れちゃった迷子みたい。
――寂しいなんて……俺は、一言も。
――わかりますよ。だって私も――
屋上での、会話。
「私も。私たちも、寂しかった」
169 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:06:42.32 ID:aiDwMVos0
あの時、青い眼がこちらを見ていた。
「そんな時、あなたに出会いました。私が流す涙の理由を聞いてくれました」
涙が流れるのは、いつも青い眼からだった。
「夜空が綺麗な時や、楽しい時や、嬉しい時。自然と涙がこぼれます。
それが永遠ではないと知っているから。楓は、誰ともそれを分かち合えないと知っているから。
……私が教えた歌を、あの子は封じてしまったから」
今、両目の青がまっすぐ俺を射ている。
無邪気に見開かれた双眸は、獲物を前にする猛禽のそれに似ていた。
「ねえ。だから、一緒にいませんか?」
170 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:07:47.95 ID:aiDwMVos0
風が逆巻く。
遥か頭上の木々が一斉にざわめき、黒い紅葉を雲霞のように吹き散らした。
「……!!」
「歌を聴かせてあげましょう。優しく抱いてあげましょう。望むことをなんでもしてあげましょう。
だから代わりに、あなたの全てを、私たちにください」
無邪気な笑み。
上昇して渦を巻く木の葉の竜巻が、二人の周囲を完全に閉ざす。
一歩、女が踏み込んで、鼻先に立った。
「ここには光も闇もありません。誰にも置いていかれたりしません。
いなくなってしまった人たちのことを思い悩む必要もありません。
だって私たちがずっと傍にいるんですもの」
171 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:08:51.47 ID:aiDwMVos0
「待ってくれ。だったら、外のことはどうなる!?」
「なぜ気にするんです? 目を背けていたんでしょう? 諦めたような顔をして、ほんとは何一つ諦められないのに」
「それは、自分の身の程を知っていたから……!」
「本当は怖かったんですよね。あなたにも古い傷があるんですよね? 触れることすら痛いから、ごまかすことしかできなかったんですよね」
「違う!! 俺は、俺はあいつみたいになりたくなかっただけだ!!」
「ほら」
笑顔。
モノクロームの薄闇の中、ぼうっと浮かび上がる青色の燐光。
「あなたも、可哀想な人だから。見たくないものを見続けてしまうから。
……だから私が、代わりにその目を塞いであげるんですよ」
手が伸びる。ぞっとするほど冷たい掌が俺の頬を撫で、目を塞ぐと、闇。
深い闇。
安堵する闇。
笑い声だけが思考を埋める。鼻歌が聞こえる。すべてを忘れ去った時、そこにあるのは安息だろうか。
172 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:09:33.09 ID:aiDwMVos0
違う。
嫌だ。やめろ。やめてくれ。
こんなものは安らぎじゃない。ここにいてはいけない。
だってまだ、泣いているじゃないか。
『……やめてください、姉さん』
どこかから、震える声がして。
次の瞬間、重力が戻る感覚があった。
173 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:12:28.83 ID:aiDwMVos0
◆◆◆◆
細い雨が降っていた。
背中が凍えそうなほどに冷たい。
どうやら、雨に濡れた地面に横たわっているようだった。
頭にだけ、温かくてやわらかい感覚。
なんだろうと思って見上げると、高垣さんが俺を見下ろしていた。
目覚めてみれば、ここは元の桟橋。傘を差した高垣さんの膝枕。
「……Pさん」
彼女の手が頬を撫でる。暖かかった。
逆光で表情がほとんど見えなくとも、その手の感触で確信した。
彼女は、俺が知ってる高垣楓さんだ。
川面に反射したネオンが彼女の顔を照らす。
瞳の色は、両方とも碧色だった。
174 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:13:37.77 ID:aiDwMVos0
「何が……起こって……」
「彼女に会ったんですね。……ごめんなさい。私の責任です。抑えることが、できませんでした」
そんな顔をしないで欲しかった。高垣さんらしくない。
そう思うのと同時に、この人が「彼女」と呼ばわる何者かの正体が気になって。
「あの女は……何者なんですか?」
問いを受けて、高垣さんは複雑な顔をした。
自分のことを聞かれたような。
とても遠い世界の何者かについて聞かれたような。
ややあって、ゆっくりと語りだす。
「私の、双子の姉です」
175 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:14:35.44 ID:aiDwMVos0
◆◆◆◆
ご存知でしょうか?
私の故郷……和歌山は、修験道の聖地だということを。
そこは神が住まい、精霊の宿る異界。
千年以上前から、身分を問わずあらゆる人々の信仰を集める、日本最大の霊場です。
その霊脈の要所に構えられた神社を、熊野三山。
三重、奈良、和歌山をまたぐ長い長い参詣道を、熊野古道といいます。
176 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:15:49.53 ID:aiDwMVos0
かつてこの道を切り開いたのは、厳しい苦行の道を修めた山伏たちでした。
それが時代を経るにつれて整えられ、市井の人々、あるいはやんごとなき身分の方々も詣でるようになったそうです。
山伏たちは熊野を重要拠点とし、彼ら独自の文化と勢力を築き上げていきました。
彼らの主な役目は、熊野三山の統括や、山を訪れる参詣者の先導……。
そうした役職を持つ人々を、熊野別当と呼びます。
彼らは熊野一帯で絶大な権力を誇りました。霊的、あるいは宗教的に絶対的な立ち位置にあり、時の帝とも通じていたといいます。
そして熊野の神仏を奉じ、祈り、祀り、力を得ました。
時の動乱や権力争いによって組織は形骸化し、今や史書の中のみの存在となりましたが……。
ええ。
高垣は、その別当の傍流に連なる家です。
177 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:16:46.43 ID:aiDwMVos0
熊野古道には参詣者が数多く訪れますから、彼らを導く役目は必要です。
高垣は代々その任を担い、熊野の地に親しみ、栄えてきました。
……もっとも、それも室町時代の中期ごろまでの話です。
高垣は、徐々に没落していきました。
詳しい原因は伝わっていません。参詣者の減少、時勢の激動、別当そのものの終焉……そんなところでしょうか。
当時の当主は考えました。
いかに家を残すか。
紀伊の地に打ち立てた当家の権威を、どのようにして保つか。
傍流とはいえ熊野別当、その血を絶やさぬ為にはどうすべきか……。
178 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:17:47.53 ID:aiDwMVos0
結論はこうです。
神を造ろう、と。
179 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:19:20.00 ID:aiDwMVos0
神仏習合にて「権現」と呼び称されるようになった熊野の祭神ですが、紀伊山地はそれ以前から神秘の場所。
人々の宗教体系からは外れた「まつろわぬ神々」もまた存在します。
高垣は人の身でありながらその輪に加わり、異界の加護を受けようというのです。
――「素材」に選ばれたのは、当時7つになる前だった、双子の姉妹でした。
双子とは、普通の肉親よりも繋がりの深い関係です。
同じ血を分けるだけでなく、二つの身体(うつわ)に一つの魂を分けた、文字通りの一心同体。
当主……つまり姉妹の親は、神域に娘二人を連れていき……
姉の方を、贄に捧げました。
180 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:21:24.88 ID:aiDwMVos0
……「熊野」の語源は「隈野」、すなわち「地の果て」を意味します。
伊勢が表とすれば熊野は裏、死者の国。古来より霊魂が集まる場所とされてきました。
遺体を山岳の麓に葬った時、魂は山を登り、頂に到達して神となる――そうした山岳信仰が由来となっています。
いわば、再生の地だったのです。
双子の片割れは「そちら側」に渡り、もう片割れはこの世に残る……
そうして、二人はひとつとなります。
生きながら、魂の半分は神域に在る。いわばそれは、半神半人の存在と言えましょう。
181 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:22:26.72 ID:aiDwMVos0
――以後、高垣は盛り返しました。
人が集まり、幸運に恵まれ、信仰もお金も嫌というほどもたらされ、現代に至ります。
それもこれも、新たに打ち立てた「半神」のもたらす恵みによって。
……ですが、それが魔道でなくてなんだというのでしょう。
古くから熊野にある家々は、今や「高垣」の存在を固く秘します。
ある家は言います。高垣は、神を宿した家だと。
またある家は言います。高垣は、鬼の棲まう家だと。
私から言わせれば、そのどちらでもありません。
結局のところ、ご先祖は信仰そのものではなく、家のため……ただ我欲のためにそのようなことを行いました。
そんなことをするのは、どこまでいっても「人」です。
人以外の、何者でもありませんよ。
182 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:23:56.24 ID:aiDwMVos0
◆◆◆◆
「それからというもの、高垣の家には双子が生まれるようになります」
俺の頬に両手を添え、寝物語のように紡がれる言葉の数々は、まるで実話とは思えないものだった。
だが彼女が話しているのは、遠い昔話ではない。彼女自身と地続きの「今」の話だ。
「五十年に一度、あるいは百年に一度……。不定期ですが、決まって『娘』が。
その度に、同じ場所へ参り、片方を贄とします。姉妹が七つになる前に」
――楓ちゃんは人間よ。私が保障するわ。
――彼女は人の身ながら人の手に余る。神業、あるいは魔性のそれよ。
柊さんの言葉が脳裏に蘇る。
荒唐無稽と誰が切り捨てられるだろうか。この目で見たことが、すべて嘘偽りない真実だ。
「七つで消えた彼女の名は、樒(しきみ)といいます。
歌が上手で、明るくて、いつも私を引っ張ってくれる……自慢の姉でした」
183 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:25:19.97 ID:aiDwMVos0
そして、真実であればあるほど。
穏やかに語る彼女の姿が、たとえようもなく孤独に思えた。
「『高垣楓』とは、ですから、器の名前なんです。
容れるモノが無ければ空っぽな、ただのお人形」
雨は降り止まない。川面と雨滴に散らされたネオンが、彼女の顔をまだらに照らす。
184 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:26:21.22 ID:aiDwMVos0
「人は私を通して、色んなものを見ます。信仰、理想、羨望、嫉妬……あるいは、遠い過去の後悔」
ぎくりとした。
高嶺の花とは、往々にして見る者の様々な認識を投影するものだ。
強固に積み上げられたイメージの鎧が、その人の実情を覆い隠す。
本人が望むと望まざるとに関わらず。能力や容姿といった外面的要素に、他人が張り付けていった値札の数々。
トップモデル。夜市の歌姫。憧れの美女。神に近い何か。
他人を前にした時、彼女は常に「何者か」であることを強いられる。
俺自身、彼女にそれを求めてはいなかっただろうか。
歌や実力といった付加価値に魅入られながら、その奥にある「高垣楓」をどれほど知っていたというのだろう。
高垣さんは己がそう在ることを受け入れていた。
諦めのためか。生い立ちのせいか。
身の内に神を宿して、多分ずっと遠い場所から、人の輪を見つめるだけで。
185 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:29:03.55 ID:aiDwMVos0
「……こんな話をしたのは、志乃さん以外にはあなたが初めてです。
姉は……樒は、あなたに何か、私たちと似たものを感じたんだと思います」
頬に触れていた手が離れる。
高垣さんはそっと俺から離れ、傘を差してくれた。慌てて膝立ちになり彼女と向き直る。
「だから、これ以上一緒にいることはできません。……あなたまで、連れていかれてしまいますから」
高垣さんは最初から、俺が見ているような領域の人ではなかった。
彼女の笑顔はひどくぎこちない。全て打ち明けるだけでも相当の勇気を要しただろうことがわかる。
一介のサラリーマンにこれ以上何ができるというのだろう。
俺の手には余る――柊さんが言う、まさにその通りの事態じゃないか。
だけど、何か考える前に動き出していた。
足を一歩前に、手を伸ばして。
理屈とか損得ではない、もっと根本的な感情のうねりに押されて、目の前の人を行かすまいと。
その一歩から先が、嘘みたいに遠いことを知る。
186 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:30:12.22 ID:aiDwMVos0
高垣さんが浮き上がる。雨を浴びながら重力から解き放たれ、もう二度と届かないところまで。
泣きぼくろを備えた左眼がちかりと輝き、神性の青を帯びる。
「高垣さん!!」
「さようなら」
冷たい風をひとつ起こし、高垣楓は目の前から消えた。
碧色の右目から、一筋の涙を流しながら。
187 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:30:44.18 ID:aiDwMVos0
◆◆◆◆
「ん?」
気が付けば、橋のたもとにいた。
とっぷり夜も更けた時間帯だ。雨も降ってるし、寒いし。
……ていうか、なんでこんなところにいるんだっけ?
何か用があった覚えは無い。帰り路とも正反対だ。
……参ったな、何も思い出せないぞ。微妙に頭がクラクラする。今日って誰かと酒飲んだりしたっけ?
188 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:32:09.33 ID:aiDwMVos0
「って、なんだこりゃ」
さっきから普通に差している傘だが、どう見ても俺のものではなかった。
コンビニで適当に買ったビニ傘よりもよほど上等で、しかも多分、女物だった。
どういうことだろう。酒に酔った挙げ句の傘泥棒なんて笑えないぞ。
周囲をきょろきょろ見渡してみても、元の持ち主らしき人はどこにもいなかった。
途方に暮れた。かといって、そこら辺にほっぽって帰ってしまえばそれこそ傘泥棒の所業だ。
少し迷い、今日のところはひとまず持ち帰ることにした。
覚えていないだけで職場の誰かから借りたのかもしれない。心当たりのある人に尋ねてみて、どうしても見つからなかったら交番に届ければいい。
「…………帰るかぁ」
189 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:32:56.98 ID:aiDwMVos0
誰かと会っていた気がする。
誰なのかはわからない。
地を這う冷たい風に身震いした。風は足元から背中のあたりを這いあがり、ずっと上空に吹き抜けて消えた。
その頃にはもう思い出せない何かより、明日の仕事のことに思いを馳せていた。
190 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:34:10.18 ID:aiDwMVos0
◆◆◆◆
かえちゃん、泣いたらあかんよ。
うちはええ。カミサマのひとつになるんや。なんにも怖いことなんかないよ。
……でも……しいちゃんがおらんの、うち、いやや。
なん言うとるの。うち、ずっとかえちゃんのそばにおるよ。
かえちゃんの中に入って、ずうっと守っちゃる。
……でも……でも……。しいちゃんがおらんと……うち……なんにもできんもの。
ほな約束しよか。
うちがな、かえちゃんのそばにいてくれる人、見つけちゃる。
かえちゃんのこともうちのことも全部知って、ほんでもそばにいてくれる人を、なっとか見つけちゃる。
……ほんまにおるんかなぁ。
おるよぉ。きっとおる。せやさかい、それまでの辛抱や。
かえちゃんもあんじょうしっかりするんよ。ええね?
……うん。
それまで、もう一つ歌を教えちゃる。そいを歌って、きばるんよ。
191 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:35:54.58 ID:aiDwMVos0
〇
ええ。覚えていますよ、姉さん。
ですが、この身にまつわる因業を、一体誰に背負わせられるでしょう。
これは重荷です。表の世界を生きる人々には、決して押し付けてはならないモノなんです。
私はいいんです。あなたさえ一緒なら、それで満足なんですよ。樒姉さん。
「歌を……忘れた……カナリヤは……後ろの山に……棄てましょか……」
『いえいえ……それは……かわいそう……』
「歌を……忘れた……カナリヤは……背戸の小薮に……埋めましょか」
『いえいえ……それは……なりませぬ……』
――――泣いたらあかんよ、かえちゃん。うちが代わりに泣いちゃるけ――――
【 秋 ― 終 】
192 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/07/27(土) 16:36:56.95 ID:aiDwMVos0
※樒(シキミ):
関東以西の山中に自生する、マツブサ科シキミ属の常緑小高木。
古来より神仏事に用いられ、特有の芳香があり、花は墓前や仏壇の供花となる。
花、葉、茎にいたるまで樹木全体に毒を持ち、特に果実は致死性の猛毒を秘める劇物。
そのことから「悪しき実」と呼ばれ、転訛して今の名が付いたと言われる。
静岡県、鹿児島県、和歌山県南部などに主な産地を持つ。
花言葉は「甘い誘惑」「援助」「猛毒」。
193 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2019/07/27(土) 16:38:29.51 ID:aiDwMVos0
一旦切ります。
更新クッソ遅れて申し訳ありません。そろそろ終わりに向かいます。
194 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/07/27(土) 16:40:06.53 ID:iqDq5e9eo
天狗かと思ってたが、もっと高位のぞんざいなのかな?
195 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/07/27(土) 16:40:12.58 ID:j0X2rTAOo
待ってます
196 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/07/27(土) 16:46:26.74 ID:XBm/6btW0
双子の片割れが贄っていうのは割りと伝承としては聞く話
197 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/07/27(土) 16:46:58.97 ID:WjiTqCp1o
寺生まれシリーズのよしのん完全体みたいな感じかな?
198 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2019/07/27(土) 20:32:39.22 ID:QNi70RGTo
唐樒なら時子様が大量に使ってそうだけど
樒は劇薬
199 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/07/27(土) 20:49:44.00 ID:N2QhRuGDO
たしか、神様に捧げるのが榊なら、こっちは仏様だっけ
あと、戦国時代とかにはトリカブト同様に兵糧丸に使われていたらしいね(食中毒に効果があるとか)
200 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/07/27(土) 23:55:13.32 ID:uIvwTs58o
よしのんと歌鈴の合わせ技では?
201 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2019/07/28(日) 18:11:13.40 ID:9Mt7mmtnO
……ああ、そりゃ最愛の家族が目の前で封神されるのを見ているしかできなかったんじゃなあ……。
202 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2019/08/04(日) 21:36:40.33 ID:Lkqfr4n00
ラストがどうなるのか全く読めないな
203 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2019/08/22(木) 00:10:22.51 ID:rmOYl90d0
【 冬 : 君と出会う 】
転げ落ちるように冬になった。
このところは気温の低下と日没の早まりがはなはだしい。
急激に深まりゆく冬の気配に押されて、会社は徐々に慌ただしくなっていく。
特にアイドル部門は、年越しニューイヤーライブの準備に大忙しだった。
舞台芸能はどこもそうだが、裏方にとっては準備期間こそ本番。
アイドル部門で働く人々は今日この時が戦場とばかりに社内外を駆け回り、「アイドルの舞台」を一つ一つ構築していく。
部門に所属するアイドルたちも毎日がレッスンの連続で、レッスンルームが空いている時間が無い。
一年の集大成。春から駆け抜けた新規アイドル部門の、ひとつの結実。
そのような意味を込め、川島瑞樹率いる第一芸能課を筆頭として、みんながラストスパートをかけていた。
厳しい寒さをものともせず。同じ方角を見て、一直線に。
俺は――
204 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/08/22(木) 00:11:23.76 ID:rmOYl90d0
〇
「聞きました、Pさん?」
会社の事情通こと千川さんが、隣のデスクから耳打ちしてくる。
「はい?」
「高垣さん。今年いっぱいで辞めるそうじゃないですか」
……?
いまいちピンと来ていない俺に、千川さんは何故か信じられないという顔をした。
「高垣さんですよ! 今モデル部門がてんやわんやなんですよ?」
高垣さん。高垣楓さん。
知らないかと言われれば、そりゃ知ってるが。
「ああ……確かモデル部門の花形でしたっけ。辞めちゃうんですか? どうして?」
「どうして、って……」
205 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/08/22(木) 00:12:18.83 ID:rmOYl90d0
こっちとしても意外ではあったのだが、千川さんには俺のその反応こそが予想外だったようだ。
人目を憚るように周囲を見渡し、誰も聞いていないことを確かめて、ずいっと顔を寄せてくる。
「だからそれを聞いてるんじゃないですか……! Pさん何か知らないんですか? 急すぎるでしょ!?」
そんなことを言われても。
モデル部門の人の進退をただのアシスタントが知るわけもない。
あちらにヘルプに出たことは何度かあるけど、トップモデルなんて名簿と写真の中の人でしかないのだ。
「……Pさん、何かあったんですか?」
「何もありませんけど……千川さんこそ、どうしたんですか? 疲れてません?」
「いえ、――いえ。なんでもありません。取り乱してすみませんでした」
俺の目に嘘が無いことをようやく納得してくれたらしい。
千川さんは何か言いたげな雰囲気を強引に飲み下して、無理やり気味に会話を打ち切った。
わけがわからない。
ひょっとして何か行き違いがあるのではと思ったが、俺自身に『心当たりがまったく無い』ため、どう確認を取ればいいのかもわからなかった。
……高垣楓さん。
名前だけ知っているその人に、俺は会ったことがない。
なのに何故か、名前の響きだけが頭の中に強く残った。
206 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/08/22(木) 00:13:12.51 ID:rmOYl90d0
◆◆◆◆
そういえば、今年ってどんなことしてたっけ。
振り返れるほど上等な経歴ではなかったように思うが。
事務処理にアシスタント、その他諸々お城の雑用。それくらいのものじゃなかっただろうか。
そうだ、アイドル部門ができて、それには極力関わらないようにしていた。
幸いそっち方面からの仕事は来ていないと思うが、そういえば同僚が二人、プロデューサーに転向して……。
あとは……なんだったっけ。
207 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/08/22(木) 00:19:03.69 ID:rmOYl90d0
〇
「はぁ〜ダレた……地獄のスケジュールだぜマジで……」
「年越しまでは踏ん張りどころだからなぁ……」
このところは気軽に飲み会も開けなくなった。
事務所の廊下でコーヒー片手に、タクさんヨネさんと近況報告がてらの世間話をしている。
夏ごろから自分の部署を持つようになった二人は、もちろんニューイヤーライブの戦場ど真ん中にいた。
スタドリを空ける本数もうなぎ上りだという。これもプロデューサーの宿命というやつか。
「頑張ってください。俺も応援してますよ」
「まぁ、ここまで来たからにはやるけどよ。アイツらもそれなりにサマになってきたみてぇだし」
「そういえば、Pさんは? 何かやってたんじゃないのか?」
高垣楓。
「……え? いや、俺はいつも通りですけど」
一瞬、頭の中にまた「その名前」が浮かんだが、何も言わなかった。
どうしてこれほど引っかかるのかもわからなかったから。
ヨネさんは不思議そうに首を捻る。
「あれ? そっちはそっちで、何かしてるって聞いてたような……」
「聞き間違いじゃないですか? それか人違いとか」
「何お前ヒマなの? じゃあ俺んとこ手伝ってくんね? レッスン場押さえんのも一苦労でよ」
「いやいやこっちも普通に仕事ありますからね!?」
208 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/08/22(木) 00:20:22.35 ID:rmOYl90d0
彼らの仕事ぶりは素直に尊敬している。
入社当初から知っていたから、一部署を任されるまでになった躍進は本当に嬉しい……めちゃくちゃ忙しそうなのはともかくとして。
あやかりたい気持ちはあるが、今の自分で満足している気持ちもまたある。
346プロの使用人。それでいい。何の不満も無い。けれど……
「けど……」
「ん? 何か言った、Pさん?」
「……何かが。何か……足りない、ような」
――体がまだ、何かを追いかけたがっているような。
考えて言ったことではなかった。
自分の中の何かが突発的に膨れ上がって、言葉が口をついて出た。
タクさんがサングラス越しの目をきょとんとさせる。
「何かって何だよ?」
「いや……それが、よくわからないんですけど」
「ずいぶんフワッとしてんな……疲れてんじゃねぇのか? 休み取るか?」
いかん無用な心配をさせてしまった。
深い意味なんて考えもしていない……はずだ。けれど、それが妙に重く腹の底に居座る。
209 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/08/22(木) 00:24:48.87 ID:rmOYl90d0
「『何かが足りない』……って時は、たぶん、自分が動かなくちゃいけない時なんじゃないかな」
ヨネさんが、缶コーヒーを片手にぽそっと呟いた。
「ヨネさん?」
「ああいや、なんとなく思ったんだ。Pさん、自分でもよくわかってないんだろ?
そういうことあるよなって。理屈じゃないんだよな。俺も何度かそういう話をしたことあってさ」
彼の部署はジュニアアイドルがメインとなっている。
だからだろうか、ヨネさんは理屈や損得じゃない「感覚的」な話を整理するのに慣れているようだ。
子供は正直だし、多感だ。けれどその感性を言語化できるほど精神が成熟していない。そこに道筋を示すのも、プロデューサーの役目だ。
「結局、何が足りてないのかは自分にしかわからないんだよな。だから、動くしかないんだ。
思い付くことを試してみて、なんでもいいから一歩前に進めば、足元が見えてきて……
自分に足りないものが、輪郭だけでもわかるんじゃないかと思う」
続く言葉に耳を傾ける。
彼は、「プロデューサー」の顔をしていた。
「それで多分、同じような思いを持ってるのは一人じゃない。
だから自分だけでもそれに気付けば……似たような誰かの穴を、埋めてあげられるんじゃないかって」
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