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【たぬき】高垣楓「迷子のクロと歌わないカナリヤのビート」
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279 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/03(火) 01:37:39.42 ID:/BT2JQWN0
地上では、人々を魅了するカリスマを発揮して。空とか飛んで、いつも泰然としていて。
そうかと思えば妙ちくりんなジョークで笑って、酒をぐいぐい飲んで、好き勝手にこっちを振り回して。
怖いものなんて何もありませんって顔をして……それでも。
一人でいる時は、ずっとそうしていたのか?
細い体を小さく折り畳み、ぎゅっと両膝を抱えて。
すぐ背後に迫る孤独から身を隠すように。
誰にも見つからず、気付かれもせず、人々の歓声を遠く聴きながら。
歩み寄って、傘を差し出した。
もともと相手の傘だ。
綺麗な髪に雪を積もらせていた彼女は、夢から覚めたような顔をして、こてんと顔を上げる。
目が合う。
何か言われる前に、こちらが口を開く。
きっとこれから何度も繰り返す言葉の、それが最初の一声だった。
280 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/03(火) 01:38:19.16 ID:/BT2JQWN0
「アイドルになりませんか?」
281 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/03(火) 01:39:31.87 ID:/BT2JQWN0
二色の目が、丸く大きく見開かれた。
「…………だけど、私は……あなたを、連れ去ってしまいます」
「違う。あなたがじゃない。俺が、あなたを連れて行くんだ」
雪は降り続ける。重く足元を揺らす音や歓声も今や遠い。
「約束する。そこは、すごく楽しい場所になる。そうしてみせる。あなたと俺だけじゃない、これが最初の一歩です。
毎日がお祭りみたいで、退屈してる暇も、寂しいだなんて考える暇もないんだ」
闇の中でもなお映える瞳が、それぞれの色にいっぱいの夜を写し取っている。
諦めと、最後の一線での拒絶を宿して。
「……いいんでしょうか。私も、姉さんも、そんなことをしてもらえるような……」
「逃げないでください!」
高垣楓の方が、びくんと大きく跳ねた。
282 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/03(火) 01:40:35.29 ID:/BT2JQWN0
「俺ももう逃げません。あなたが何者だろうと構わない。お姉さんも同じだ!
全部あなたの一部です! 何が起こっても、みんなまとめて連れて行ってやる!」
堰を切ったら止まらない。心の奥底で溶けたものが濁流になり、声となって迸り出る。
……だから。
「だから、行くな」
月の無い夜で良かった。灯りが遠い屋根の上で良かった。
お前が言うなと、言われそうだったから。
「どこにも行くな……! こんなところで、泣くなよ!!」
283 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/03(火) 01:41:32.04 ID:/BT2JQWN0
――かえちゃん。
――見つかったねぇ。
どこかから、優しい声がした。目の前の人と同じ声だった。
残響が風に溶けて消える頃、高垣さんは立ち上がっていた。
なんて顔をしてるんだ、と思った。
だけどこれもまた、高垣楓という人の本当の姿なのかもしれない。
284 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/03(火) 01:42:18.64 ID:/BT2JQWN0
「――っ」
息を呑み、呼吸を整える。
それを待つ。高垣さんは喉元を軽く押さえ、ためらうように小さくかぶりを振る。
「――〜〜〜〜……っ」
ただ、待つ。一つの傘の下で、高垣さんは唇を引き結び、真面目な顔を作ろうとする。
だけど、無理だった。
とうとうくしゃくしゃになる。いつもの涼しげな美貌はどこへやら、まるでそれは幼い女の子のようだった。
やっと見つけてもらった迷子みたいに、けれど視線だけは決して外さずに。
青と碧の両目から、大粒の涙をぽろぽろ零しながら。
「はい」
285 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/03(火) 01:42:55.79 ID:/BT2JQWN0
――ワアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!
うわびっくりした!!
真下から、今度こそ爆発のような歓声が巻き起こる。それは屋根を突き破って二人を打ち据え、高く高く雪の空にまで轟いていく。
一瞬、二人してぽかんとした。高垣さんに至っては涙を拭うことも忘れていた。
…………あ。
腕時計を見てやっと気付く。
年が、明けたんだ。たった今。
286 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/03(火) 01:44:54.37 ID:/BT2JQWN0
屋根の上のなにやら間抜けな沈黙をよそに、下は下でこれでもかと盛り上がっていた。
見つめ合うことしばし。新年なら、何はなくとも言わなきゃならない気がして、
「……あけまして、おめでとうございます?」
それがなんかツボに入ったのか、高垣さんは「ぷふっ」と口元を押さえて。
「――おめでとうございます」
涙を流したまま、綻ぶように笑った。
12時を回った時計の針は、当たり前だが、進み続けている。
【 冬 ― 終 】
287 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2019/09/03(火) 01:46:14.50 ID:/BT2JQWN0
一旦切ります。
次回エピローグです。
288 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/09/03(火) 06:20:02.48 ID:IAkZOk24o
一旦乙です
やはりマスターはあの人だったか
再スカウトはどうなのかな
289 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/09/03(火) 07:07:19.87 ID:fFqMwXjDO
実は既にスカウト済みだったりして
290 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2019/09/05(木) 00:52:23.97 ID:9I+qLSeE0
【 いつも : ここにいる 】
「――――もしもし、母さん?」
「ああ、いや、大したことじゃないんだ。うん。うん、元気。仕事? 仕事は……まあ」
「あのさ。親父、そっちにいる?」
「うん、じゃあちょっと換わってくれるかな。少しでいいから――」
「…………久しぶり」
「別に、今更どうこう言うつもりじゃない。けど……けど、一応さ。報告っていうか」
「俺、アイドルのプロデューサーになるから」
「それだけ。……ああ。わかってる」
「いや、いいんだ。伝えときたかっただけだから」
「ああ。――じゃあ、また」
291 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 00:56:59.24 ID:9I+qLSeE0
◆◆◆◆
大体いつも企画書に手こずる。
今日も今日とて、深夜の会社。必死こいてPCと向き合う俺のデスクに、すっと影が差した。
「じゃんっ♪」
見上げると、コンビニ袋を持った千川さんが。
「……千川さん。……スタドリでしたら間に合って」
「何言ってんですか、夜食ですよ夜食。何か食べとかないと倒れちゃいますよ」
中には最寄りのコンビニで買ったらしきおにぎりやサンドイッチが入っていた。ありがたい。
給湯室でインスタントの味噌汁を作って一休みしていたところ、千川さんがぽつりと切り出した。
「それにしても、びっくりしちゃいました」
「え?」
「まさかほんとにプロデューサーを目指すなんて。Pさんあんなこと言ってたのに」
「それはまあ、色々ありまして」
「あ、さてはこの間のライブでついにアイドルの良さに気付きましたね? ていうかあの後どこ行ってたんです?」
話していいのか悪いのか。
鮭おにぎりをアツアツの味噌汁で流し込み、適当にはぐらかして作業に戻る。
千川さんは何が楽しいのか、隣のデスクから頬杖を突いて俺の仕事を見守っている。
292 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 00:57:55.50 ID:9I+qLSeE0
「ねえ」
「はい?」
「Pさんは、どんなアイドル事務所を作りたいんです?」
どんな、か。
ビジョンというか、コンセプト、もっと言えばビジネスプランの話でもある。
無策で突っ込んでどうにかなる世界でもない。もちろん幾つか考えているが、何より――
「――誰かの、居場所に」
考えてのことではない。
言葉が口をついて出て、止まらなかった。
「ファンもアイドルも……いつも、いつでも、自然な笑顔でいられる。そんな……誰かの居場所になれるような、そういう事務所を、作ります」
293 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 00:58:53.85 ID:9I+qLSeE0
抽象的に過ぎるだろうか。展望としてはどうにもふわっとしている。
だけど思い付いてしまったのだから仕方が無い。
千川さんは少し驚いたように目を丸くして、
「……ふふっ」
やおら、自分のパソコンを立ち上げた。
「資料、送ってください。私も手伝います」
「は? いや、悪いですよそんな」
「いいから。そのペースだと明日に間に合わないでしょ」
そう、決戦は明日だ。
本当ならもっと余裕を持ちたかったところだが、アイドル部門の統括――今西部長が直近で空いているのが、その日しか無かったのだ。
ありがたい。ここは甘えさせてもらおう。
「すみません、それじゃお願いします」
「はーい。うふふ、後で何奢ってもらっちゃおっかな〜♪」
……やっぱり裏あったわ。
294 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:00:00.08 ID:9I+qLSeE0
◆◆◆◆
「ふんふん。なるほど……ね」
正直、採用面接の時よりも緊張する。
今西部長のオフィスに通されて、俺は彼が出来立てホヤホヤの企画書に目を通していくのを固唾を飲んで見守っている。
「――最初は驚いたよ。あんなに渋っていた君が、まさか自分から部署の立ち上げを希望するとはねぇ」
しみじみと、部長。穏やかな目尻には何かを懐かしむような気配があった。
「勝手なことを言って申し訳ありません」
「いや、構わないよ。意気を示すのに早いも遅いもないからね。優秀な人材であれば、うちはいつでも大歓迎だ」
もちろん、彼の発言には含意がある。
優秀な人材であれば――裏を返せば、そうでなければ要らん、ということ。ごく当たり前の話だ。
部長は眼鏡の奥の温和な瞳を、一瞬ぎらりと閃かせた。
「さて……当アイドル部門は、ありがたいことにどこも多忙だ。君がそこに食い込めるか、我々の時間を消費させるに足る人材なのかだが――」
息を呑む。
ここからが本番だ。
295 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:01:11.94 ID:9I+qLSeE0
そこから鬼のようなダメ出しが始まった。企画内容の現実性、将来性、短期長期の展望と具体的なスケジュールの詰め方。
こちらとしても頭を絞ったつもりだが、相手は海千山千の古強者。隙だらけも甚だしいと言わんばかりの突っ込みはぶっちゃけこれまでの出来事の中でも一番キツかった。
しかしこっちも気圧されてはいられない。冷静で的確な指摘に一つ一つ答え、一歩も退かぬ構えで喰らい付く。
「しかし、君はこれをどう――」
「いいと思います」
書類をまとめ、部長の隣に座る大柄な男が口を挟んだ。
部長の直属の部下だという彼は、俺やヨネさんやタクさんからは先輩にあたる人だ。
「……笑顔というところが、特に」
そう言う本人は巌のような表情筋をピクリとも動かさないのだが、だからこそ滲み出る説得力みたいなものがあった。
今西部長は言葉を切り、困ったように笑う。
「うーむ……私もそれで締めようと思っていたのだが、どうも先を越されてしまったようだ」
「……申し訳ございません」
「構わんよ。後はどう細かいところを詰めるかというだけの話だったからね」
296 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:08:48.36 ID:9I+qLSeE0
「え……と。それでは……?」
「コンセプトは良い。君の発想に欠けているのは、我が社の設備や人材、コネクションをどう効率的に使うかという視点だよ。プロデューサーを名乗る以上、そこを外してはいけない」
「ご存知の通り、弊社は業界の各所に太いパイプを持ちます。独力にこだわらず、使えるものをフルに活用してこそ、かと……」
要するに――と、部長はペンを軽く振った。熟練の魔法使いのような手つきで。
「明日にでも走り出せるかどうか、という話だ」
「……!」
張り詰めていた空気が、部長の笑顔でゆるっと弛緩した。
その一言で、足先から脳天にまで煮え滾るような達成感が満ち満ちた。
「ごく個人的な感想としては、君がその気になってくれてとても嬉しく思う。アイドル部門へようこそ」
「わからないことがあれば、ご質問ください。お力になれるかと思います」
「ありがとうございます!!」
椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、深々とお辞儀をする。
やった。
いや、これからだ。まだ何も成し遂げてはいない。だが、ひとまずは、壁を越えた。最初の壁を。
まずはより具体性を詰めた企画書の作り直し。部長には認めて貰えたが、正式の社の会議を通るかどうかはまた壁だ。
いや、やってみせよう。まだ始まってもいないのだから。
297 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:10:19.56 ID:9I+qLSeE0
「どういう心境の変化があったのかは、敢えて聞かないよ。ただもう一つ……君の最初の一手を聞いておきたい」
「最初の一手、ですか?」
「今になって飛び込んでこようと言うんだ。何か秘策があるんじゃないかね?」
秘策というほどのものでは。
けれど、最初のアクションはもちろん考えている。
「モデル部門の高垣楓を、うちに引き抜きます」
部長のペンが落ちた。
隣の先輩もぽかんとしている。
これまで聞いたどんな展望よりも信じられないという顔で、部長は一言、ぽつりと。
「……本気かね?」
298 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:11:45.54 ID:9I+qLSeE0
◆◆◆◆
ここでアイドル高垣楓の初仕事を紹介しておこう。
346プロオリジナル推理ドラマ、「元婦警探偵サナエの事件簿 〜からくり地獄温泉の罠〜」。
役柄は、舞台となる旅館の新人従業員。
被害者役である。なんかの巻き添えで開始20分くらいで死ぬ。
それはもう楽しそうに死んでいた。
何度リテイクを喰らったか知れない。放映当初はモデル界で名の知れた「あの高垣楓」がこうなるものかと、社内外で物議を醸したようである。
モデル部門にも話は通しておいたが、「働きすぎてついに正気を失ったか」と囁かれてもまったく文句の言えない所業であった。
クランクアップ後にロケ地の温泉に浸かり、日本酒を傾けながら彼女は言ったものだ。
――たまには、死ぬのもいいものですねぇ。
299 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:13:55.89 ID:9I+qLSeE0
〇
それから、色んなことがあった。
本当に、数え切れないくらいの色んなことが。
「今日付けでこの部署の専属アシスタントとなりました、千川ちひろです。よろしくお願いします♪」
「はい、こちらこそよろし…………は?」
うちの部署が記されたナンバープレートを掲げ、見慣れた事務員がにんまり笑っていたり。
「おッッッッッ前マジ早く言えそういうことはマジでお前!!!」
「高垣!? 高垣楓ってあの!? Pさんマジで引き抜いちゃったのか!!?」
「痛い痛い痛い折れる折れる折れる!!」
馴染みの居酒屋で、同僚たちに祝福だかリンチだかわからないやつを受けたり。
「それでそれで、結局どうなったの? 君と楓ちゃんはどういうアレなの?」
「な〜によもう隅に置けないわねぇあの子も! ほらほらお姉さん達に白状しちゃいなさい黙秘権は認めないわよ!」
「いやだからそういうのじゃありませんて近い近い近い近い」
何かの折の飲み会で、川島さんら先輩アイドルに厄介な絡み酒を喰らったり。
300 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:15:24.53 ID:9I+qLSeE0
「君のお父上から電話があったよ」
「それは……仕事についてでしょうか?」
「いいや、ただの近況報告さ。色々と懐かしい話をした。……元気そうで何よりだ」
激務の合間に、部長と缶コーヒーの乾杯をしたり。
「時にはこのように街に出て、スカウトを行うこともあります」
「なるほど……」
「これにはお伝えできるノウハウはありません。ただ、直感だけが頼りとなります。貴方の目で、輝きの原石を見つけ出してください」
「わかりました。当たって砕けろの精神ですね。……あと」
「はい……?」
「……後ろでこっちガン見してるの、警察の巡回じゃありません?」
「!?」
スカウトの心得を実地で教わっていたところ、ポリスのお世話になりかけたり。
「なるほど。君が新しく設立された部署のプロデューサーか」
「よ、よろしくお願い致します。私は――」
「いや、いい。有能であれば名前は嫌でも覚える。今後とも励みたまえ」
「はい! ……え? な、何ですかこれ?」
会社の偉い人から、なんか飴貰ったり。
301 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:19:52.26 ID:9I+qLSeE0
始まりは、デスクの他にはダンボールばかりの、資材倉庫再利用の地下オフィス。
デビュー当初の高垣さんの仕事は主にバラエティ、旅番組、街頭で着ぐるみを着て風船を配ったりも。
彼女は、自ら進んで「高垣楓」を崩していった。
美しく、近寄りがたい高嶺の花。そんなイメージを放り捨て、ただ一人の、等身大のアイドルであろうとした。
俺はそれを全力でサポートした。とにかく何でも仕事を持ち込んだ。クイズ番組で駄洒落を飛ばした時はさすがに血の気が引いたが。
そういう風にして、季節は巡る。
302 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:21:19.51 ID:9I+qLSeE0
〇
または、忙しさもほんの少し落ち着いた、いつかのある夜のことだったり。
高垣さんはその夜、上機嫌だった。
ローカルCMの仕事を一件終え、その流れで久しぶりに飲んでいた。
「夜桜」
「はい?」
「綺麗ですねぇ。八分咲きといったところでしょうか」
見上げる先には、街路樹の桜。柊さんが従える「あれ」ほどではないが、かなり立派だ。
冬は終わり、もうすっかり春になっている。
風は花葉の香りを含んで、酒に火照った顔を涼しく撫で去っていく。
最初に会った時みたいだなぁ、ということをなんとなく思った。
「昨日、モデル時代からお世話になってる美容師さんと会ったんです」
「そうなんですか?」
「そうなんです。――前より、よく笑うようになったと言われました」
303 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:22:15.85 ID:9I+qLSeE0
確かに、高垣さんはこのところよく笑う。時にはふっと穏やかに、時には子供みたいにけらけらと。
そうした予測不可能な天真爛漫さがウケて、今では若年層のファンも相当数ついている。
彼女自身が元から持っていた魅力の一部だ。アイドルの仕事は、単にそれを引き出しただけに過ぎない。
子供っぽくも、神秘的に。「高垣楓」は、そのどちらの面も併せ持つ。どちらか一方だけではいけないのだ。
そうでしょう――と、俺は彼女の左側の青に内心で語りかける。
「楽しいから、ですね。楽しいんです。私、いま――楽しいなぁ」
夜空に向かって歌うように告げて、高垣さんはふと足を止める。
「今まで……ずっと、何かを、追いかけていた気がします」
「はい?」
「それが今、何だったのか、わかってきたような」
304 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:22:51.47 ID:9I+qLSeE0
彼女は自分で自分の顔に触れた。
目を閉じて、顔の左側。泣きぼくろを備えた左眼のあたりを撫で、形のいい柳眉、まぶた、長い睫毛にそっと触れて。
そこに宿る大切なものと、言葉を介さず語り合う気配。
しばしの間を置き、目を開く。
まっすぐに俺を見据える瞳は、どちらの色も、どこまでも穏やかだった。
「今なら、歌えそうです」
305 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:26:18.69 ID:9I+qLSeE0
◆◆◆◆
高垣楓のステージは、街角のごく小さなものだった。
CDショップのささやかなイベントスペース。ミニライブといった感じで、50人も座れれば上等な方だろう。
実はずっと待っていた。彼女に歌の仕事はいくつか来ていたのだが、これまでは全て断ってきていた。
本人が「歌いたい」と言うまで。
曲を用意して会場を手配し、トレーナーさんを付けてスケジュールを組み、セッティングは当の高垣さんが呆気にとられるくらいのスピードで進む。
当たり前だ。一分一秒が惜しい。
他の誰よりも、俺自身がどれほど聴きたかったと思ってるのか。
会場の入りは、まあまずまずといったところ。
新人アイドルのデビューと聞いて来た人、たまたま通りかかった人、モデルの高垣楓を知っていた人。
ほとんどの人は半信半疑。どんなもんかと思っているだろう。暇つぶしくらいのつもりで来ている人もいるだろう。
彼らは幸運だ。
これから、最初の証人になるだろう。のちのち自慢できるぞ。あの高垣楓の生歌を最初に聴いたってな。
306 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:27:18.95 ID:9I+qLSeE0
舞台が始まる。
まばらな拍手。
ステージ衣装を着込んだ高垣さんが、おもちゃみたいな舞台に立って。
お客さんの一人一人の顔を見て、一礼。
空気が変わる。彼女は微笑んでいる。
マイクを握って、息を吸い込み――――
歌う。
307 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:28:59.33 ID:9I+qLSeE0
◆◆◆◆
―― 夜市 桜舞う境内
「ああ……聞こえているわ、楓ちゃん、樒ちゃん」
「…………本当に、いい歌」
「ふふ……ワインでも贈ろうかしら。あの子がデビューした、この年に生まれたものを……」
308 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:29:33.43 ID:9I+qLSeE0
◆◆◆◆
―― 夜市 参道
「あ……♪」
「カナリヤさん、そっちに行ったんですね」
「うん。暖かな、いい風……。素敵な写真が撮れそう♪」
309 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:30:07.05 ID:9I+qLSeE0
◆◆◆◆
―― 鹿児島 とある離島
「……ふむー?」
「今、因果のよじれが、どこかにー……」
「……ああ。なつかしき風を感じましてー」
310 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:30:57.30 ID:9I+qLSeE0
◆◆◆◆
―― ゆめのなか
「んー…………」
「おうた……ゆらゆら……ぽわぽわ……」
「ふわー……」
311 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:32:06.41 ID:9I+qLSeE0
◆◆◆◆
―― ???
「あら? この気配……」
「わぁ……♪ 幸せの流れが、下に注いでますね〜」
「う〜ん……ちょっと遊びに行っちゃおうかしら。ふふっ♪」
312 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:33:04.82 ID:9I+qLSeE0
◆◆◆◆
裏方まで届く歓声は、小さなハコにはまるで見合わないものだった。
人はとっくに席を溢れ、フロアを埋め尽くすほどに集まっている。客も、店員も、その音に釘付けだった。
渦中の歌姫は挨拶もそこそこに、逃げるように舞台を後にした。
引き止める声もあっただろう。彼女が何者なのか知らない客も多かっただろう。
この出来事は、後に「高垣楓の歌い逃げ」として伝説化することとなる。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ」
帰ってきて息を切らす彼女は、決して嫌だからそうしたのではない。
どうしようもなかったのだ。身の内に膨れ上がる熱を。
自分の意思で、自分の歌を歌い上げたその昂揚を。
歓声はまだ鳴りやまない。顔を上げる高垣さんの額には、玉の汗が浮かんでいた。
313 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:34:15.29 ID:9I+qLSeE0
「Pさ――」
ふらっ――
「……! 高垣さん!」
咄嗟に、よろけた体を受け止める。
彼女の体は熱かった。
汗ばむ肌に、熱を帯びた息。けれど辛そうではない、むしろ力強い息吹を感じさせる。
高垣さんの全身に、まだステージの残響が染み渡っている。
今の彼女は、神でも仏でもない。
走り出したばかりの、ただの新人アイドルだ。
「高垣さん。……楓さん」
「……歌、が」
「はい」
「楽しかったんです。みんな、笑っていて。私も……姉さんも」
「はい」
「私……ここに、いたいと思えました。ねえ……『プロデューサー』」
俺の腕の中で、楓さんが顔を上げる。汗で額に張り付いた汗が生々しい。
互い違いの色の瞳が、どちらも眩しいほどに輝いていて。
314 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:35:17.56 ID:9I+qLSeE0
そして彼女は、優しく笑った。
「私を見つけてくれて、ありがとう」
そんなの。
それを言うなら、あべこべだ。
順序が違う。そのすれ違いがなんとなく「らしい」なと思って、笑ってしまった。
俺から言わせてもらえば、だってそれは。
「……君が、俺を見つけてくれたんじゃないか」
あの「人形の夢」は、もう見ない。
何よりも救い出されるべきだったのは、自分だったのだと思う。
一年前の春に、あの橋の上で君と出会ってから。
315 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:36:40.04 ID:9I+qLSeE0
◆◆◆◆
この事務所は、そういう風にして始まった。
最初は殺風景だったオフィスルームも、徐々に物が増えてきて。
俺と楓さん、ちひろさんの三人だったのが、新しいアイドルもどんどん加わってきて。
どこからか、失せ物探しが得意な少女がやって来て。
やたらツキのいいお茶目なお姉さんが舞い込んで。
努力家のカリスマハーフ悪魔が加わって。
自称ネコチャンアイドル(人間)が殴り込んできて。
すったもんだの末に、ふわふわねむねむな女の子を保護して。
全裸で震えている女の子を保護したと思ったら本物のサンタで。
いつか夜市で出会った「写真屋さん」と再会して。
キュートな笑顔が素敵な頑張り屋さんを迎え入れて。
犬の散歩をしていたクールな花屋の娘さんをスカウトして。
明るく元気でパッション溢れる女の子を見出して。
それから――――
316 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:38:01.37 ID:9I+qLSeE0
〇
言っちゃなんだがお上りさん丸出しだった。
新宿駅の東口広場でデカいリュックを背負い、人ごみに惑う女の子を見つけた。
最初は親切心からだった。外回りで見かけてしまい、なんか放っておくのも憚られて。
あの、お困りですか――などとお決まりの声をかけようとして。
「ぽこっ!? ななな、なんでしょうかっ!?」
あ。
この子だ、と思った。
前置きはいらない。名刺を出して、その子に差し出す。
目をまんまるに見開くその子から、陽だまりのような匂いを嗅いだ気がした。
だからではないが、確信に近い思いで、言う。
317 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:39:12.89 ID:9I+qLSeE0
「君、アイドルになってみないか?」
いつも、いつでも、誰かのそばにいるように。
〜はじまり〜
318 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:56:00.13 ID:9I+qLSeE0
〇おまけ 〜 現在:エピローグ
部署は大きくなった。
それなりに自信もついた。
これ以上は無い。と思う。
頃合いだ。この機を逃してなんとするか。
決戦の時は近い。おれはやるぜおれはやるぜ。よし今だ、行け今こそ、男を見せろさあさあさあ。
「それで、電柱の陰に20分ですか」
「心の準備をしてるんですよ!」
「そうですか。あら、向こうからおいしそうなもつ焼きの香りが……」
「ああ待って待って行かないで一人にしないで」
楓さんを必死に引き止める。今行かれたらマジでどうしていいかわからない。
「そんなこと言って、これで何度目ですか?」
「う……いや……それは、言わないでくださいよ」
あの日から、一度も顔を合わせたことがない。
理由はただ一つ。「合わせる顔」を整えたかったからだ。
要するにただのカッコつけだ。そんなのわかってる。が、無手で飛び込んだらそれこそどうなるかわからない。
伝えたいことなんか、山ほどあるんだ。
319 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 01:57:25.41 ID:9I+qLSeE0
「ずっと、スカウトしたかったんでしょう?」
「……はい」
「それなら迷う必要はないじゃないですか。今がその時、ですよ」
「…………はい」
「私の時みたいに、ぐわーっと行っちゃえばいいんです。とーこさんに、とっこーですよ」
そうか! ……ん? 特攻?
「特攻ってそれ玉砕するやつじゃ」
「あ、赤のれんが私を呼んでます。ちょっと行ってきますね♪」
「ちょおおおおおいおいおいおいそんな殺生な!! マジで一人で行けってんですか!?」
軽やかに背を向けて、楓さんはウインクした。青い方の目が、いたずらっぽく輝いた。
「向こうで待っていますね。あの時みたいに」
言うが早いか、霞みたいに消えてしまう。
……………………。
320 :
◆DAC.3Z2hLk
[sage saga]:2019/09/05(木) 02:01:12.80 ID:9I+qLSeE0
「ふぅぅ〜〜〜〜っ…………」
何度目かもわからない深呼吸。
彼女の店は、一応わかっている。教えてもらったから。
けど入るのはこれが初めてだ。
俺が店を訪れる時は、彼女に名刺を渡す時だと。そう決意していたから。
今更何を怖がる。熊本で空を飛んだり、京都でみょうちくりんな結界に閉じ込められたりしたんだ。
そういうスチャラカなプロデューサー業を越えての今だろう。
もう、いつかの迷子ではないだろう。
「…………よしっ」
腹をくくる。大股で歩を進める。
俺は名刺を一枚取り出し、その喫茶店のドアを、勢いよく開けた。
321 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2019/09/05(木) 02:07:22.62 ID:9I+qLSeE0
これにて完結です。
字数&期間ともにクソ長いところをお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
かなり独自色が強く、これまでのものとも違ったノリのお話でしたが、少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。
各登場人物につきましては、この世界線でのひとつの創作とユルくお考えください。
ありがとうございました。
322 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/09/05(木) 02:39:28.18 ID:ZyQXyL8Vo
乙ゥ〜
素晴らしいですわね
323 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/09/05(木) 04:50:25.43 ID:e6rEtLfqo
乙でした!
PがアイドルLOVEになるまでの成長物語、楽しませて頂きました
やはり服部さんもスカウトですか。繭娘さんが色々とヤキモキしそう
元OLの人や元秘書の人も来たりするんでしょうかねえw
324 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2019/09/05(木) 06:55:09.13 ID:gi5oBT4o0
乙でした。
責任者はどこか⁉︎
(タイトル的に)
325 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/09/05(木) 07:02:57.35 ID:VUZbe63mo
どこから来たんだこずえと茄子は
瞳子さんのその後も気になるねえ
乙でした
326 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2019/09/05(木) 10:04:27.27 ID:4LfM9L6XO
長編お疲れ様でした!
よーし、一気読みじゃあ
327 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/09/05(木) 10:41:02.20 ID:eOXwM1jDO
乙
さて、こっひを凌辱してきますか
蛇足ですが、特攻と玉砕は似て非なるものですぜ
328 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/09/05(木) 20:08:18.42 ID:OZ6PI646o
名作たぬき劇場にまた新たな一ページが刻まれたな
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