傘を忘れた金曜日には.

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524 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/01/25(金) 09:32:46.58 ID:f79pRk8hO
さくらいいぞー
525 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/01/25(金) 17:15:59.04 ID:1kXjxA5dO
おつです
526 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/02(土) 21:55:23.65 ID:Z2U+cUJn0
続き楽しみにしてます。
527 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/06(水) 00:12:10.04 ID:b3EeR47mo



 中庭に取り残されている。笑い声はまだ聞こえている。

 人々がいる。それが分かる。

 それなのに奇妙な感覚だった。
 
 この校舎のなかにいる誰もが、俺を認識していないという、確信に近い感覚。
 
 試しに俺はあちこちを歩きながら、いろんな生徒たちの様子を見てみた。
 一度は話しかけてもみた。けれど彼ら彼女らは俺の声にまったく反応を示さなかった。

 俺の姿は誰にも見えていない。

 それは当然のことだという気もした、けれど。


528 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/06(水) 00:12:38.23 ID:b3EeR47mo

 渡り廊下には市川鈴音が居た。

「市川」
 
 と声を掛けてみるけれど、反応はない。

 校舎の廊下を真中とコマツナが歩いていく。

「真中」

 と声を掛けてみるけれど、やはり反応はない。
 
 追いかけるようにちせが走り抜けていく。

 図書室には大野がいる。
 
「大野」

 と声を掛けたところで、彼は顔を上げる素振りも見せない。

 自分が誰にも見えていない、自分の声が誰にも聞こえていないというよりは、
 世界中のすべてに無視されているような気がした。

529 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/06(水) 00:13:06.23 ID:b3EeR47mo


 自分の居場所がどこにもない、自分がどこにいていいのかわからない。
 誰にも自分の声が聞こえていない。

 あの日のような感覚だと、ぼんやりと考える。

 この場所はいけない、と俺は思う。
 この場所は俺に何かを突きつけようとしている。
 
「さくら!」

 と、叫んでみたところで、どこからも返事はない。

 たしかに、さっき、姿を見たはずなのだ。
 あいつはどこかに隠れているはずなのだ。

 それなのに、どこからも返事がない。
 
 チャイムが鳴って人々が教室へと去っていく。
 散らかった部屋がひとりでに片付いていくみたいに、あるべき場所にみんなが戻っていく。

 俺には帰る場所がない。

530 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/06(水) 00:14:51.70 ID:b3EeR47mo

 少しだけ考えて、俺はポケットの中の携帯電話を取り出した。
 
 電源は入っている。
 
 よくわからない状況だった。これがなにかに使えるのではないかという気がしたけれど、具体的には何も浮かばない。

 誰かに電話をかける? それでどうする?
 仮につながったとして、誰がこの状況をどうにかできるっていうんだろう。

 まいったな、と俺は思った。

 ここは異質だ。どう考えても、あの森とは別のルールで動いている。

 でも俺はここで何をすればいい?
 さくらを連れ戻しに来た。それはたしかなはずなのに。それだけだったはずなのに。

 このままでは、ただ帰るだけでさえ覚束ない。
 出口があるのかさえ、わからない。

 まいったな、と、そう思っていられるのは最初だけだった。

 授業が終わって、生徒たちが校舎にあふれる。
 そしてやがて黄昏をすぎ、夜が来る。

 校舎から人が減っていく。
 
 誰もいなくなってから、長い長い夜がやってくる。

 みんな気付いていないけれど、そうなのだ。
 本当に世界を支配しているのは、夜だ。
 
 人はまるでそれを克服したような顔をしているけれど、夜なのだ。

 夜はおそろしい。
 何が潜んでいるのかもわからない暗闇。

531 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/06(水) 00:15:25.10 ID:b3EeR47mo

 夜の校舎を亡霊のようにさまよっていると、自分自身が自分自身ではなく、ひとつの現象にすぎないような感覚があらわれる。

 時間の流れがおそろしくゆるやかだった。
 
 夜の校舎は冷え冷えとした空気に澄んでいる。

 もう誰の声も聞こえない。
 
 窓の外には月だけが浮かんでいる。

 思い出すのは夜の森。

 ざわつく葉擦れの音、
 今に聞こえそうだ。

 今に……。

 現れるかもしれない。

 溜息をついて、やり過ごそうとする。

 真夜中の校舎に新鮮味なんてほとんどない。

 ただ明かりもなく暗いだけ。
 なにもない。

 寒々しい気配、
 聞こえる、
 聞こえる。


532 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/06(水) 00:16:01.86 ID:b3EeR47mo

「……」

 今に現れる。

 そんなわけがないだろ、と俺は思う。

 俺は今歩いている。
 廊下を、教室を、渡り廊下を、亡霊のように歩いている。

 さくらはまだ見つからない。

 どこにもいない。

 早くしないと。
 早く見つけないと、さくらを早く見つけないと。

 早くしないと、現れる。

 あいつが……。
 あいつが来てしまう。


533 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/06(水) 00:16:30.80 ID:b3EeR47mo

 森の中、葉擦れの音、
 あの景色はもう俺の視界のどこにもない。

 それなのに、近づいている。

 どうして今更思い出してしまったんだろう。

 あの森を平気で歩けた理由が、今はわかる。
 子供の頃、あの森をあんなに恐れていたのに、どうして今は平気で歩けたのか。

 ……でも、あれは本当なのか?

 あいつは……。

 あいつは、
 でも、今は夜だ。

 夜は暗い。夜は長い。夜はおそろしい。
 でも、あんなことは、全部……

「──人を悪者扱いするなよ」

「……」

 嘘だ、と思った。
 これは悪い夢なんだ。

 あいつは全部夢だったはずなんだ。

534 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/06(水) 00:17:23.64 ID:b3EeR47mo

 あの森には俺しかいなくて、そこにはただ、月と梢の音が聞こえるだけだったはずなんだ。

「都合の悪いことから逃げる癖は治ってないみたいだな」

 それなのに、声が聞こえる。

「……そんな反応されると傷つくな」

「……」

「話をしようぜ、まあ、べつに大した話じゃないが」

「……」

「なんだよ、付き合い悪いな。いいだろ?」

 声は、俺の頭の中で響いている。
 スワンプマンや、カレハや、佐久間茂とも違う。

「──どうせ誰も、おまえのことなんて迎えに来ないんだから」

 逃げ切れない。逃げ切れなかった。
『夜』が来てしまった。



535 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/06(水) 00:19:51.66 ID:b3EeR47mo
つづく
536 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/06(水) 00:29:12.92 ID:UNsqi8nR0
おつです
537 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/06(水) 06:49:34.86 ID:Soa/6DoQO
おつです。
538 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/06(水) 08:03:38.99 ID:ON6A8XeM0
おつです
539 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/06(水) 12:16:48.39 ID:OzDOAUMOO
おつに乙
540 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/06(水) 23:51:38.87 ID:NgGOUZjc0
おつです。ここにきて、また新たな登場人物が!?
541 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/07(木) 00:25:46.28 ID:yhQ75zcUo


「ずいぶん懐かしいな」

 本当はずっとわかっていた。

「こうして話すのはいつぶりだろうな?」

 ずっとずっと気付いていた。

「つれないな。少しは反応しろよ」

 あの森がどうしてあんなに恐ろしかったのか、俺はずっと気付かないふりをしていた。

 葉擦れの音が、二重の景色が、あんなに怖かったのは、ただ、あそこに置き去りにされたからじゃない。
 この声が聞こえたからだ。

「どうだい?」

「……うるせえよ」

「聞こえてるんじゃないか」

 けたけたと笑うように声は言う。

「無視するなよ」

「……うるせえって言ったんだよ」

542 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/07(木) 00:26:29.64 ID:yhQ75zcUo


 息をついて、壁にもたれる。ここは教室だ。夜の教室。机が並んでいる。
 何年何組の教室かはわからない。それでも窓から空が見える。

 夜が覗いている。

「どうだい、調子は」

「おまえが来るまで好調だったよ」

「減らず口だな、相変わらず」

「……」

「なにか言いたげだな」

「喋るなって言ってるんだよ」

「ずいぶん強気になったな?」

「うるせえよ。……おまえなんて、俺の幻聴のくせに、うるせえんだよ」

「おまえらはいつもそうだな」と声は言う。

「都合が悪くなると、すぐに幻聴だとか、幻覚だとか言う。無意識の擬人化とか、そういうふうに、まるで自分の内部かのようなことを言う」

「……」

「佐久間とか言う奴もそうだっただろう。暗闇の中にはなにもないなんて言ってやがった。あいつは根本をわかっちゃいない」

「……」

543 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/07(木) 00:27:02.46 ID:yhQ75zcUo

「本当に暗闇に何もなかったら、ただの拗ねたガキでしかないあいつに、どうやってこんな世界が作れる?」

「うるせえって言ってんだよ」

「分かるだろう。ここは誰かの無意識でも自意識でもなんでもない」

「……」

「森は在る。俺が作ってやったからな」

「……わけわかんねえんだよ、バカ」

「今日はやけに喋ってくれるな。心細かったか?」

「……なんなんだよ」

「ん?」

「なんなんだよ、おまえは……」

「何でもないさ」

「……」

「何でもない。ただ在るだけだ」

「……それらしいこと言って誤魔化してんじゃねえよ。おまえは俺の幻覚だろうが」

「口調が荒いな。いつもの余裕はどうした? 何を言われたくなくて焦ってる?」

「……」

「そんなにショックだったか?」

「……」

「なあ、おまえが不貞の子だってことがそんなにショックだったかって訊いてるんだよ」

「デタラメ言ってんじゃねえよ……」

「デタラメなんて思ってないくせによく言うよ」

544 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/07(木) 00:27:33.84 ID:yhQ75zcUo


「……もう黙れ」

「勝手にしゃべるさ。おまえ、自分がどうして妹にあんなに縋ってるのか気付いてないわけじゃないだろ」

「……」

「だってそうだろう? 本当に両親から生まれた子供がいなかったら、おまえとおまえの両親のつながりなんて希薄なもんだもんな」

「……」

「ま、こんな話はどうでもいいさ」

「……信じねえよ、そんな話」

「そうかい?」

「おまえは俺の妄想だろうが」

「だから、そうじゃないって。前も教えてやっただろう? おまえが知らないことを、たくさん教えてやったじゃないか」

「……うるさいって」

「さんざん教えてやったじゃないか」

「何がしたいんだよ」

「ん?」

「何がしたくて俺にちょっかいかけてくるんだよ。……ほっといてくれ」

「そんなの決まってるだろ」

「……」

「俺はおまえみたいなガキが不幸になるのを見過ごせないんだよ」

545 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/07(木) 00:28:09.65 ID:yhQ75zcUo

「不幸?」

「だってそうだろ? 欲しいものもないやりたいこともない行きたい場所もない。
 目指す場所なんて最初からなくてただなんとなく生きてるだけ。それがなんともしんどいじゃないか。
 生きてる理由なんてひとつも思いつかない。誰かの劣化品でしかないし、そもそも自分が本物かどうかもわからない」

「……」

「不幸だよ、大層な」

「……」

「しんどいだけの日々なのに、どうせ死ぬまでそれが続くのに、なんでかそれを続けてる。
 ずっと引き伸ばしてる。しんどいのをやり過ごして、でもやり過ごしてもどうせまたしんどいんだ。
 なんでそれを続けなくちゃいけない?」

「……何言ってんだ、おまえ」

「何言ってんだよ、おまえの方こそ」

「……」

「それともおまえ、まさか本当に、おまえがこの森で何かを失くしたとでも思ってるのか?」

「……」

「前も教えてやっただろ。この森でおまえが失くしたものなんてひとつもねえよ。
 あいつも言ってただろ。すべては弾性を持ってる。ここでおまえが失くしたものなんておまえはとっくに取り戻してた」

「……」

「おまえは何かを失くしたんじゃない。最初から何も持ってなかったんだよ。
 何か理由があって何も欲しがれないんじゃない。何も求められないんじゃない。
 おまえは最初から何も求めてなんかいなかったのさ」

「……うるせえ」

「おまえには何もないよ」

「うるせえって。そんなこと……そんなこと、ねえよ」

「ないよ」

546 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/07(木) 00:28:55.72 ID:yhQ75zcUo

「何が無いっていうんだよ」

「何も無いって言ってるんだよ」

「……」

「おまえ、あのさくらとかいうやつを探してるんだろ?」

「……」

「あいつがいつか言ってたよな。おまえはすごく恵まれてるって。それなのにどうしてつまらなそうな顔をしてるんだって」

「……」

「そうだよな。おまえはすごく恵まれてる。周りには良いやつばっかりだ。なんにも悪いことなんて起きてない。
 結局全部おまえが満たされるように作られてる。だからだろ?」

「やめろよ」

「おまえはそれが嫌だったんだろ?」

「……」

「おまえは周囲に嫌な奴が居て欲しかったんだよな。自分に厳しい世界であってほしかったんだよな。
 だって周りが良い奴ばかりだと……自分が惨めになるもんな?」

「……」

「それに良い奴ばかりだと……死にたいなんて言いにくいだろ?」

「……」

 なんなんだ、
 なんなんだ、こいつは。

547 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/07(木) 00:29:27.61 ID:yhQ75zcUo

「だっておまえは何もほしくないのに、何もしたくないのに、生きてる意味なんてなんにも思いつかないのに、
 生きててしたいことなんて一個もないのに、生きてても自分の不出来が嫌になるだけなのに、
 なんにもできない自分が疎ましくなるだけなのに、自分より全然上手くできる奴らがおまえを許してたら、許されるしかないもんな」

「……」

「周囲が良い奴だと、おまえみたいなクズは弱音も吐けなくて大変だよな。
 いや……弱音を吐いて、弱ったふりをして、プライドを切り売りして、どうにか居場所でも作ってたか?」

「……」

「なあ、だから安心しただろ? ここに戻ってこられて」

「何言ってんだ、おまえ」

「あのときに言ってやっただろ、どうせおまえは生きてたってそのまんまだよ、良いことがあったってしんどいままだよって。
 だからもう森から出るなって俺は言ってやったじゃねえか。おまえが不幸になるだけだって。
 そんなことないっておまえはビービー泣いてたな。でもどうだ? 結果はどうだった? なあ、俺が訊いてるんだよ」

「うるせえよ」

「さんざん待ってやったんだ。答えくらい聞かせろよ。……なあ、どうだよ、救いとやらは見つかったか?」

「……」

「おまえはおまえを許せたかって訊いてるんだよ。……誰かがおまえを許すかどうかじゃなくてな」

 夜が、
 夜が続く。

 耳の奥に、誰かのすすり泣きを聴いている。

「勘弁してくれよ」と俺はひとりごとを言う。
 夜は始まったばかりなのだ。

548 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/07(木) 00:30:04.23 ID:yhQ75zcUo
つづく
549 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/07(木) 00:39:19.55 ID:Ky6Opdym0
展開に驚いた
乙乙
550 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/07(木) 08:02:44.96 ID:M9lRFpoAO
おつです
551 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/07(木) 22:48:20.13 ID:yhQ75zcUo


「鴻ノ巣ちどりは駄目だ」と声は言う。

「あいつはおまえのことなんて見ちゃいない。あいつが見ているおまえはあいつが見ている理想像としてのおまえでしかない。
 あいつはおまえの弱さを受け入れられないし、おまえの弱さを美化しすぎている。だから鴻ノ巣ちどりは駄目だ」

 声は続ける。

「瀬尾青葉も駄目だ。あいつはおまえの弱さを知らない。知らなさすぎる。
 あいつはおまえという人間のろくでもなさを低く見積もりすぎている。その重さに気付いたらすぐに投げ出すさ」

 声は続く。

「大野辰巳はおまえを高く評価しすぎている。それはおまえの実像とは離れすぎている。
 だからあいつも駄目だ。あいつはおまえのことを変わり者だと思っている。仮におまえが助けを求めたって、あいつは変な顔をしておしまいだろうさ」

 声は続く。

「市川鈴音はおまえにさほど興味がない。当然駄目だ。ある意味付き合いやすくはあるだろうが、あいつはおまえが消えても興味を示さないだろう。
 だから市川鈴音も駄目だ。それにあいつはそもそも種類が違う」

 声は続いている。

「宮崎ちせもそのとおりだ。そもそもあいつにとってはおまえは人間じゃない。あいつにとっておまえはフィギュアみたいなもんだ。
 勝手に自分に都合の良い像を投影しているだけ。おまえがちょっとでもその像からはずれればすぐに失望するさ」

 声は、夜は、
 終わらない。

「泉澤怜はどうだ? あいつはエゴの自意識の塊だ。あいつにとっておまえらの存在なんて自分の力の二の次でしかない。
 あいつの好奇心はいつもおまえたちを置き去りにしてきた。あいつは人間に興味が無いんだ」

 途切れない。

「三枝純佳は一番駄目だ。あいつにとってはおまえの弱さが都合が良いんだ。
 あいつはおまえの弱さに安堵している。おまえが不安がれば不安がるほどあいつは嬉しいんだ。そんなのまともじゃない」

 呪詛は続いていく。


552 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/07(木) 22:48:52.49 ID:yhQ75zcUo

 六年前、あのときも俺はこうしてこの声を聴いていた気がする。
 もう、記憶のなかですら曖昧だけれど、こうなってみればはっきりと思い出せる。

 この呪詛はずっと降り続いていた。
 
 絶え間ない雨のように俺を濡らし続けていた。

 あの暗い森のなかで、俺はこの呪いをずっと浴びせられていた。

 こいつが何なのか俺は知らない。
 何がしたいのかもわからない。

 けれど耳をふさいでも無駄なのだ。

 葉擦れの音と、
 夜の空、
 それだけならばまだしもよかった。

 この声が……。

「人のせいにするなよ」と声は言う。

「おまえは最初から空っぽだろう」

 そうして声は続ける。

553 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/07(木) 22:49:47.35 ID:yhQ75zcUo

「さくらを見つけてそれでどうする? あいつを引き戻してどうするんだ?
 瀬尾青葉のときもそうだったじゃないか。あいつを見つけて、そのあとはどうする?
 それで全部おしまいだ。元通りになって、やっぱり空っぽな自分があるだけ。それを突きつけられて、誰かのせいにして……。
 でも、誰かのせいにしたところで、おまえが求めてるものなんてどこにもありゃしない」

「……」

「だから、なあ、全部やめにしちまおうぜ」

「……」

「もういいだろ。よく頑張ったよおまえは、何にもないくせによくそこまで生き延びたよ」

 俺は……

「疲れただろう? おまえは最初からずっと……」

 俺は、

「ずっと、ひとりになりたかったんだよな」

 そう、なのだろうか。

「周りがまともで優しければ優しいほど、つらかっただろ?」

 俺は、

「自分が駄目なんだって思わされて、優しくされればされるほど、自分がそこに居るべきではない気がして」

「……」

「自分がそこにいるべきではないような気がして、自分にふさわしい場所なんてどこにもないように思えて……」

「……」

「だからおまえは、ずっと、『自分の居場所じゃないような気がする』って思い続けてたんだろ?」

「……」

「誰が認めなくたって、おまえが頑張ったんだって、俺が認めてやるよ。
 ほら、もう休めよ。周りに人がいればいるほどおまえは孤独になっていく」

「……」

554 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/07(木) 22:50:49.92 ID:yhQ75zcUo

「べつにおまえは悪くないのに、何にも欲しくなくて、でもそんなこと言うとみんなに変な顔されるから。
 みんなが望むように振る舞って、何か望んでるふりをして、何かあるふりをして、この森のせいで変な音まで聞き続けて、
 それなのにおまえは拗ねずによく頑張ったって。でも、誰もおまえを楽になんてしてくれないんだ」

 おまえはどこにも行けないんだ。

「だからもういいだろ? なあ、俺は親切心で言ってるんだ。おまえは死ぬべきだって」

「……」

「『桜の森の満開の下』……あれがなんで孤独なのか、分かるだろ?」

「……」

「人と人とが触れ合おうとする、その距離に孤独は生まれる」

「……」

「だからここは孤独じゃないんだ。本当にひとりになったとき、人は孤独には決してなれない」

「……」

「だから永遠にここにいればいい」

555 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/07(木) 22:51:15.97 ID:yhQ75zcUo




 夜が明け、声が消えた。

 生徒たちの姿がまたあらわれはじめる。
 俺はその様子をただ黙って眺めている。

 相変わらず、誰も俺には気付かない。

 やり過ごした、と思った。
 
 体の感覚があるのが不思議だった。ものすごく眠たいのに、眠ることができない。
 体の節々が痛んでいる。

 どれくらいの間歩いてきたんだっけ。
 どのくらいの距離を歩いてきたんだっけ。

 もう思い出せない。

 さくらを見つけなければ、いけない。

 また夜が訪れる前に。

 むこうの時間はどうなっているんだろう。

 ここで夜が明けたということは……むこうでも同じくらいの時間が経ったということだろうか。

 ただでさえ眠らずに、何もできずに過ごす夜は長い。

 あんな声を聞かされ続けたら、まるで永遠に終わらないようにさえ思えた。

 それでも俺はまだ折れていないつもりだ。

 こんな夜は、今までだって何度も超えてきた。
 あんな言葉なんかで壊されていられない。

556 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/07(木) 22:51:48.32 ID:yhQ75zcUo

 考えなきゃいけない。
 
 どうしてさくらは俺の前に姿を見せ、すぐに消えたのか。

 いったいなぜ、さくらは俺に会ってくれないのか。

 さくらはそもそも、どうしていなくならなきゃいけなかったのか。

 そもそも──さくらはいったい、なんなんだ?

 仮説。

 一、ましろ先輩の『空想の友達』を、
 二、佐久間茂の『森』が具象化した。
 三、具象化された『さくら』のスワンプマンとして『カレハ』が生まれた。

 カレハもさくらも変な能力を持っている。そこに関しては、考えてもどうしようもない。 

 けれど……

 だとしたらどうして、さくらは『守り神』になんてなった?
 どうして、学校から出られない?

 推論。

 一、さくらはなんらかの理由で守り神として具象化した。
 二、誰かがさくらに守り神としての役割を与えた。
 三、単にさくらが守り神を自称している。

 いや……“違う”。

 ──……守り神さんか。

 ──なんです、それ。

 さくらは、自分のことを守り神だなんて、一度も言っていない。

557 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/07(木) 22:52:21.52 ID:yhQ75zcUo

 ──きみはいったい、なんなんだ?

 ──残念ながら、わたしはその問いの答えを知らないんです。

 さくらにはそもそも“何の役割も与えられてなんかない”。

 さくらはそもそも何者でもない。少なくともさくら自身は、自分が何者かなんてわかっていなかった。

 さくらは……。

 ──じゃあ、おまえは……人知れず、恋の手伝いをしているわけか?

 ──我が意を得たりとはこのことです。そのとおり。わたしは今そのために生きています。

“わたしは今そのために生きています。”

 どうしてだ?

 ──世界は、愛に満ちているんです。

 世界は愛に満ちている。

 そしてあいつは、からっぽになった俺に、からっぽじゃなくなった頃のことを思い出させると言った。

 けれど……。

558 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/07(木) 22:58:02.19 ID:yhQ75zcUo

 俺は、周囲の様子を見る。校舎のなか、騒がしく響く生徒たちの声。
 あいつはこれをずっと眺めていたという。
 それ以前の記憶はないという。

 それならば、どうして……この世界が愛に溢れてるなんて思えたんだろう。

 どうして、誰かと誰かを結びつけることのために生きようなんて思えたんだろう。

 さくらは……この景色に、何を見たんだろう。
 
 誰とも繋がれない場所で、どうしてあいつは、あんなふうにみんなを愛せたんだろう。

 そう思った瞬間、涙がこぼれそうなくらいに感情が溢れ出してきた。
 
 だってあいつは誰とも会えなかったはずなのだ。
 あいつの声はどこにも聞こえていなかったし、あいつの姿は誰にも見えていなかった。

 誰もあいつを知らないし、だから誰もあいつに感謝なんてしなかった。

 あの日俺は、暗い森でひとりぼっちだった。

 それよりもずっと長い時間、あいつは俺なんかよりずっと深い孤独のなかにいたはずだったのに。

 どうしてあいつは、平気でいられたんだろう。

 俺には分かりそうもない。

 言葉で理解できたとしても、実感できそうにない。

 ……考えても仕方ない。
 あいつが逃げるなら、俺は捕まえようとするしかない。

 でも俺は、あいつを見つけて、何を言えばいいんだろう。

559 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/07(木) 22:59:05.48 ID:yhQ75zcUo
つづく
560 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/07(木) 23:45:15.05 ID:kTxUzXKQ0
おつです。この先、一体どうなるのか……
561 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/08(金) 00:38:47.60 ID:BkLvGqS8O
562 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/08(金) 01:27:35.69 ID:ywgcW4kQ0
おつです
563 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/08(金) 08:55:18.63 ID:3FG8qpivO
乙です
柚子だけコメントないのはわざとかな?
564 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/08(金) 10:04:33.30 ID:k1jfYocU0
おつです
565 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/14(木) 23:08:06.78 ID:VqaAuuzy0
続き楽しみにしてます。
566 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/15(金) 21:17:41.69 ID:moRpKdxQo


 結局俺は誰にも見えないままだ。

 誰に話しかけても、誰に会っても、誰も俺のことを見ない。

 いっそ誰かの内緒話でも聞いてみようか、それとも女子の着替えでも覗こうかと思ったが、
 既にそんなことを楽しむような余裕もない。

「さて、どうしたもんかな」

 と、努めて落ち着いたふうを装って、自分に訊ねてみる。

 ひとまず片っ端からさくらの居そうなところを探したけれど、残念ながら見つからない。

 最後に思いついたのが屋上だったが、鍵がかかっていた。

 学校帰りに『トレーン』に寄ったから、今の俺は制服のままだ。
 ポケットには屋上の鍵があるのに、どうしてかそれでは扉は開かなかった。

 開かないということは、そこになにかの意味があるということだ。
 それはたしかだと思う。

 とはいえ、それが何を意味するのかわからない。

 屋上に繋がる扉の前に、俺は座り込んだ。

567 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/15(金) 21:18:17.18 ID:moRpKdxQo

 どうしても、何度もさくらのことを考えてしまう。

 さくらは何を思って、この校舎のなかで生きてきたんだろう。

 さくらが守り神になった理由。
 さくらが縁結びを始めた理由。
 
 そんなことばかりを考えて、それなのにどうしても答えが出てこない。

 今、それを考えることが必要な気がするのに。

 誰にも聞こえない、誰も触れられない。
 
 いま、この状態がさくらの経験していることだとしたら、さくらはどうしてあんなことを求めたんだろう。
 何かを変えられる力を持っていたから?

 からっぽじゃなかったから?

 堂々巡りの思考のうちに、約束のように日が暮れていく。

 
568 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/15(金) 21:18:43.82 ID:moRpKdxQo

 俺はいまさくらと同じような状況に陥っている。それでもさくらの気持ちはわかりそうにない。
 俺には過去があり、さくらにはそれがなかった。

 さくらは気がついたらこの学校にいた。誰からも何の説明も受けず、誰にも話しかけられず。

 そしてましろ先輩に出会う頃には、もう守り神だった。縁結びの神様だった。

 さくらはどこかで、その使命を帯びた。

 ……違うのかもしれない。

 さくらは、自分でそう決めたのかもしれない。

 自分の役目を自分で決めた。
 一度そう思うと、それ以外に考えられないような気がする。

 ──わたしは気付いたら、この場所にいました。そのことに疑問を覚えたことなんてなかった。
 
 さくらは気付いたら学校にいた。
 そして、さくらは誰にも会っていない、ましろ先輩以外には、さくらと話せる人間もいなかった。

 ──いつからここにいたのかなんて、覚えてない。わたしを見つけたのは、ましろが初めてです。
 ──少なくとも、覚えているかぎりだと、そうです。それまでわたしはずっとひとりだった。

 だとすればそうだ。

 さくらが自分で、そうしようと決めたのだ。

569 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/15(金) 21:19:13.35 ID:moRpKdxQo


 どうしてあいつは、世界は愛でできているなんて、そんなふうに言えたのか?

 あいつは人の心が読めた。
 そして少しだけ、世界に働きかけることができた。
 それがどんな形だったのかはわからないけれど、あいつは、そうすることができた。

 ──わたしは、誰にも見つからないまま、小細工や、与えられた力のいくつかを使って、人と人とを結びつけてきました。
 ──誰に褒められなくたって、それがわたしのやるべきことだった。

 ──どうしてかは、知らない。ただそれは、わたしがそういうものだから、そういうふうに作られたから。生まれたときから、そういう存在だったから。

 けれど違う。

 ましろ先輩は、『さくらをそんな存在として作らなかった』。
 そうである以上、さくらは生まれたときからそうだったわけじゃない。

 あいつは誰かの心を読み、そして、偶然かどうか、誰かの想いを実らせた。

 それを自分の存在理由だと考えることにした。

 だって、それ以外に何もないのだ。

570 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/15(金) 21:19:46.61 ID:moRpKdxQo

 ──わからないんです。なにも。自分が何者で、何のために生まれたのかも。

 本当に誰かから与えられた務めなら、そういう存在として生まれたなら、そんな疑問が生まれるわけがない。

 それまで何もなかったさくらに、『誰かの恋を実らせる』という理由ができた。

 そうだとしたら、あいつがあんなふうに、縁結びなんて変なことにこだわっていたのは、
 きっと、あいつが孤独だったからかもしれない。

 それ以外に、世界に関わる方法がなかったからかもしれない。

 だからあいつは、世界は愛でできていると言った。
 そのために自分がいるのだと考えることにした。

 自分は誰とも関われないままで、誰かを憎むこともせずに、ずっとひとりぼっちのまま、
 誰かの幸せを願い続けてきた。
 
571 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/15(金) 21:20:30.40 ID:moRpKdxQo


 どうして今さくらに会えないんだろう。

 さくらに何かを言いたくて仕方がないのに、何を言えばいいのかわからない。
 
 瞼を閉じて、これまでのことを考えた。
 
 真中が入学して、大野が入部して、市川が部活に出るようになった。
 さくらに会って、大野が文章を書けるようになって、部誌を作った。

 瀬尾がいなくなって、ちせと会って、怜が帰ってきて、
 ましろ先輩と会って、ちどりがいて、純佳がいて、
 瀬尾が帰ってきて、俺は変になって、

 さくらがいなくなった。

 こんな振り回されるだけの日々の中で、俺は本当に何かひとつでも自分の意思で行動してきただろうか。
 今まで俺は何かを求めてきたんだろうか。

 考えろ、と頭の中で誰かが言った。

 そうだな、と俺は答えた。

 不意にポケットの中で携帯が震えた。

 メッセージが届いている。

『さくらのこと、よろしくね』

 そんなメッセージが、今、不意に届く。
 やっぱりあの人は、超能力者か何かなのかもしれない。

『それが鍵の代金です』


572 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/15(金) 21:21:00.00 ID:moRpKdxQo


「……」

 俺は、
 どうしたい?

 いつまでもぐだぐだと何もしたくないと文句を言ってばかりだ。
 さんざん甘やかされてきたくせに、それでも何にもしたいことなんて思い浮かばない。

 誰かと一緒に過ごすなんて重苦しくて嫌だった。
 周りのみんながいいやつばかりなのに、そうなれない自分が嫌いだった。

 誰かが俺を好きになるなんて信じられないし、自分で自分を好きになるなんて不可能ごとに思えた。

 いつも茶化してごまかしてきた。

 瀬尾が帰ってきたあと、自分にうんざりしたのは、そのせいだ。
 結局俺は、ただ、与えられた課題をこなしてきただけだ。

 誰かの立てた筋書き通りに動いていただけだ。
 だから、いざ自分で動けと言われると、何もできなくなる。

 今だってそうだった。

 でも、

 ──あなたは……どういうつもりで、ここに来たんですか?

 俺は、
 

573 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/15(金) 21:21:50.16 ID:moRpKdxQo


「どうだい」と声が言った。

「そろそろここに住み着く決心がついたか?」

 夜が来た。
 どんな声も誰にも届かない、誰も迎えにこない、誰も自分を求めない、
 そんな夜だ。

 でも、それは、さくらがずっと居た場所だ。

「……なあ」と、俺は声をあげた。

「なんだよ。珍しいな、今日は返事をくれるのか」

「おまえ、言ったな。この世界を作ったのは本当はおまえだって」

「ああ、言ったばかりだろう、あんな拗ねたガキに世界を作る力なんてあるわけないんだから」

「……佐久間茂がこの世界を考えた。おまえがそれを作った」

「そうなる」

「ましろ先輩が、さくらを考えた。この世界が、さくらを作った」

「そうだな」

 だとしたらきっと、ここは、孤独が生んだ国なんだろう。

574 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/15(金) 21:22:30.38 ID:moRpKdxQo

 ──味方ですから。兄がどんなにずるくても、ひどくても、たぶん許しちゃうと思うんです。

 ──じゃあ、ひいきなしでもマシな人間にならないとな。

 ……なんだよ、
 自分で分かってるんじゃないか。

 さんざん唸って、呻いて、喚いてきたのは、
 自分が思うほど自分がマシな人間じゃないからだ。

 何ひとつほしいと思えないのは、手に入れたところで離れていくとしか思えないからだ。
 声をあげたところで、誰も来てくれないと思っていたからだ。

 なるほど、オーケー、了解。

 ──先輩は、それでいいんですか。
 ──先輩は、柚子と、どうなりたかったんですか?

 ──おまえはどうなりたかったんだよ。どうしたかったんだよ、真中を。

 ──きみにも、探しものがあるんだと思うんだ。
 ──見つけてあげてよ。じゃないと怒るよ。

 ──自分がなにかくらい、きっと、自分で見つけてみせますから。
 ──でも、嬉しい。……約束ですよ。

575 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/15(金) 21:23:07.38 ID:moRpKdxQo

「"全部片付いたら、おまえに付き合ってまた芝居をしてやる"」

 俺はそう言った。忘れてなんかいない。

「答えは決まったかい」

「うるせえよ」

「ひどいな」

「今大事なとこなんだ。ちょっと黙ってろ。どうせおまえは有り余るくらいに時間があるんだろう」

「……ま、そういう言い方もできるな」

「俺は帰るよ」

「……また傷つくだけだぜ」

「うるせえな、おまえと違って俺は忙しいんだよ」

「……そうかい」

 立ち上がって、扉の前に立つ。

 もう一度、鍵を差し込んだ。

 ゆっくりと、それを回す。
 鍵の開く音が聞こえた。

576 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/15(金) 21:28:20.87 ID:moRpKdxQo
つづく
577 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/15(金) 22:34:52.06 ID:H6uIoU8E0
おつです
578 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/15(金) 23:57:31.72 ID:eMC2Tv+yo
579 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/15(金) 23:58:49.37 ID:SK0rNqks0
おつです
580 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/16(土) 08:57:02.73 ID:Pp1ZEqbGo
おつです
581 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:41:46.27 ID:VaWGBfBWo



「……なにをしにここに来たんですか」

「……何拗ねてるんだよ」

「拗ねてません」

 屋上のフェンスにむかって、彼女は立っている。背中だけが、こちらから見える。
 景色は夜。まだ、明けたりはしない。

「べつに何かがあったわけじゃないんです」

 そんな喋り方がいつもどおりで、俺は少しだけほっとした。

「正直言っていいか?」

「なんですか」

「結局のところ、なんだけどさ」

「はい」

「ぜんぶ、よくわかんなかったよ」

「……なにがですか?」

「ここがどんな場所かとか、どんな意味があるのかとか、俺に欠けてるものがなんなのかとか」

「……」

「ぜんぶよくわかんなかった」

「……そうですか」

 ほんのすこしだけ拍子抜けしたみたいに、さくらは溜息をついてから振り返った。

582 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:42:16.18 ID:VaWGBfBWo

「さくら」

「はい」

「おまえ言ったよな。俺にからっぽじゃなかった頃のことを思い出させるって」

「……はい」

「できそうか?」

「……さあ」

「自信なさげだな」

「いまは、自信がないです」

「どうしてこんなところにいるんだ?」

「わかりません」

 と、さくらはそう言って、俺の目を見た。

「ずっとわからないままなんです」

「だよな」

 と俺は頷いた。

 何にもわかりっこない。

583 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:42:47.35 ID:VaWGBfBWo

 さくらはでみうるごすのえのなか。

 あなたのなかのかれとごういつをはたして。

 よげんをはたして、あのこをむかえにいって。

 ……"あなたのなかのかれ"って、なんのことだろう。

 でも、もしそんなものがもしあるとしたら、俺の中にいるのなら、"彼"とやらはもう俺だろう。
 合一もなにも、最初から俺なのだ。

 もし違うとしても、食べたものが徐々に消化されていくように、やがて馴染んでいくだろう。
 今は少し不自然だったとしても。

 そんなのはきっと、誰かに言われるようなことじゃない。

 問題は今、目の前にいるこの子に何を言えるかということだ。

 でも、

「……駄目だな」

「……何がですか?」

「結局、何を言えばいいのか、よくわからん」

「そんなこと、期待してません」

「そっか」

「はい」

584 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:43:15.61 ID:VaWGBfBWo

 さくらは、何か言いたげに、あるいは、何も聞かれたくなさそうに、うつむいたままだった。

 俺はそれをどうすればいいかもわからない。

 三枝隼。さえぐさしゅん。

 改めて考えてみても、なんだか自分の名前じゃないような気がする。

「ひとりで、ここまで来たんですか」

「……ん。いや、案内人がいた」

「案内人ですか」

「……」

「どうして、ここがわかったんですか」

「……屋上?」

「違います。こっちにわたしがいるって、どうしてわかったんですか」

「教えられたから」

「それで、どうして……」

「……」

「どうして、ここまで来たんですか」

「……さあ?」

585 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:43:41.73 ID:VaWGBfBWo

「さあ、って……」

「よくわからないんだよ、全部」

 本当にそうなのだ。
 俺には全部よくわからない。

「なんでかわかんないけど、俺にはさくらが見える」

「はい」

「なんでかわかんないけど、神隠しに遭った」

「はい」

「なんでかわかんないけど、風景が二重に見えて、音が聞こえて、声が聞こえて……」

「……はい」

「幼馴染がふたりに分かれて、俺もふたりいて、いなくなったり、戻ってきたり、消えたりして」

「……」

「何かが足りないとか、欠けてるとか、ずっと思ってたけど……」

 でも、と俺は今、考えてしまう。

586 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:44:11.25 ID:VaWGBfBWo

「……それが、何だって言うんだ?」

 俺が誰で、本物なのか、偽物なのかとか。
 俺に何かが欠けていて、からっぽだとかからっぽじゃないとか。
 俺が誰にどう見えるとか。

「それって、いったいなんなんだ?」

 この森が、茂さんの作った空間だとか、いや、作ったのは"夜"だとか。

 さくらが何者で、カレハが何者なのかとか。

 それが全部分かれば、何もかもが綺麗さっぱり解決するようなことなのだろうか。

「……わたし、ずっとひとりだったらよかったです」

 さくらは不意に、そう言った。

「ずっとひとりだったら、何にも怖くなかった。何にも変わらずにいられた。
 今までどおり、ただ、するべきことをして、それでよかったんです」

「……」

「でも、ましろも、あなたも、いなくなってしまう」

「……まあ、そうだな」

 否定できない。

「……なんで平気そうなんですか」

「平気そうに見える?」

「見えます」

587 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:44:43.86 ID:VaWGBfBWo

「俺にはよくわからない」

「そればっかりですね」

「……」

「ずっとひとりのままでよかったです」

 そう言って、彼女はごまかすみたいに声に笑みを含んだ。

「ひとりのままだったら、寂しくならない」

「……」

「そうですよね」

「そうかもな」

 でも、

「よくわかんないんだよ、さくら」

 自分の足音を聞きながら、視界が進んでいくのを感じ取る。

「俺に何かが欠けてるとか、俺の中の誰かと合一を果たせとか言われた。
 俺も何かが欠けてるような気がしてる。葉擦れの音が聞こえなくなってからも、気分は全然落ち着かない」

「……」

 さくらの肩を掴んで、俺は彼女を振り向かせる。
 まっすぐに視線を交わすと、さくらの目が少し揺れた。

 彼女のからだに触れたのは、これが初めてだという気がした。

「でも、それがなんだっていうんだ?」

「……」

「世界はからっぽかもしれない。……たしかに。世界は愛に満ちているかもしれない。……たしかに」

 でも、

「それがいったいなんなんだ?」

「……」

588 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:45:21.44 ID:VaWGBfBWo

「どうしてここに自分がいるのか、本当はよくわかってないんだ」

 さくらと会って、自分がからっぽだと言われて、手伝いを始めたときも。
 瀬尾がいなくなって、ちせに言われて、瀬尾の居場所をつきとめようという話になったときも。
 あの絵の中に何かがあると気付いたときだって、本当は俺は何にもわからないままだった。

 ただ流されていただけだった。自分がどうしたいかなんて、誰にも説明のしようなんてなかった。

 でも、

「それがなんだっていうんだ」

 俺はそう言う。

「どうしておまえがいなくなったりするのか、俺にはちっともわからないんだ」

「……」

「佐久間茂がどうだとか、『薄明』がどうだとか、そんなの全部、本当はどうだっていいんだ」

「どうだって、って」

「そんなのいいんだ、本当は」

 まっすぐにさくらの目を見る。彼女の目もこちらを見ている。

589 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:45:47.88 ID:VaWGBfBWo

 さくらのむこうがわに空がある。街がある。雲がある。月がある。
 あんなにも怖かった月が、今は不思議と、そうでもない。

「帰ろうよさくら。どうせもう、ひとりじゃいられないんだ」

「……帰ったって、でも、どうせ、わたしはひとりです」

「俺がいるだろ」

「あなただって、いなくなるじゃないですか」

「そうだよ」

「そうだよって……さっきから、いったいなんですか」

「どうにかする」

「……どうにか、って」

590 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:46:21.58 ID:VaWGBfBWo

「なあ、さくら。実は、困ってるんだ」

「……なにが、ですか」

「真中に振られそうなんだ」

「……自業自得です」

「そうかもしれない。でも、おまえ、縁結びの神様だろ」

「あなたが勝手に呼んでるだけです」

「でも、これもひとつの縁だろう」

「……」

「助けてくれよ」

「……そんな大事なこと、他力本願にしないでください」

「困ってるんだ。このままじゃ、話もしてもらえない」

「……」

「だから、戻ってこいよ。そしたらまた、おまえを手伝ってやる」

「……でも、あなたがいなくなったら、わたし」

「……」

「また、ひとりぼっちです」

591 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:46:51.46 ID:VaWGBfBWo

 そう言ってうつむいたさくらを、俺はどうしてだろう、不思議とあたたかな気持ちで見ていた。
 どうして気付かずにいられたんだろう。
 
「なあ。佐久間茂がこの国を作った。らしい」

「……なんの話か、わかんないです」

「おまえもたぶん、この国の副産物として、生まれて、ここにいるんだと思う」

「……」

「佐久間茂にこんな国を作れたんだから、俺にだってそのくらいのことはきっとできる」

「……なに、言ってるんですか」

「おまえの居場所くらい、俺が世界に書き加えてやるよ」

 茂さんに秘密があるように、母さんに秘密があるように、
 何かを隠しながらみんな生き延びている。
 
 それぞれがそれぞれの孤独を押し隠して生きている。

592 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:47:28.40 ID:VaWGBfBWo

「何言ってるんだ」と声が言った。

「さんざんおまえの泣き言に付き合ってやったんだ」と俺は言う。

「少しくらいは役に立てよ」

 戸惑ったように、さくらが俺を見た。声は、少しだけ溜息をついて、笑った。

「おまえにそれだけのものが作れるのか?」

「書いてやるよ」

「……」

「いいだろう」

 と声は言った。

「試してやるよ」

「交渉成立だ」

「さっきから、何を言ってるんですか」

「帰ろうぜ、って言ってる」

「……なんで」

 か細い声で、ささやくように言う。彼女はうつむいたままでいる。

 俺はその仕草を眺めている。

593 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:48:08.43 ID:VaWGBfBWo

「……おまえを放っておけない」

「どうして」

「たぶん、だけど……」

 ひとりぼっちでいる少女。
 誰にも見てもらえなかった少女。

 不意に、
 背後から声が聞こえた。
 夜ではない。

 夜とは違う。

「言ってやれよ」

"俺"が立っている。

 その姿は、一瞬で見えなくなった。

 どうしてなんだろう。
 俺にはやっぱり、全部わからない。

 出会ってしまった以上は、もう、他人じゃないからとか、
 なんとなく、自分を見ているようだったからとか、
 そういうあれこれをひっくるめて、

「なんとなく……」

「はい?」

「うん、なんとなく、なんだけどさ」

 本当に、ただなんとなく、

「おまえがいない生活が、既に少しだけ寂しいんだ」

 だから、たぶん、こういうべきなんだろう。

「俺は、おまえに居てほしいんだ」

594 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:48:37.94 ID:VaWGBfBWo

 さくらは、驚いたみたいな顔で、俺を見た。
 俺も少しだけ、自分自身に驚いた。

「そうだよ」と、また背後から声が聞こえる。

「やれやれ」と夜が言った。

 でも、それがなんだっていうんだろう。
 そんなのはちっとも大事なことじゃない。

「帰ろうよ、さくら」

 少しの逡巡のあと、
 さくらは小さく頷いた。

 それから俺の手をとった。
 こんなにも、小さな手だったのか、と、俺はまた驚いた。

「……信じてあげます」

「……うん」

「あなたが、わたしの居場所を作ってくれるんですね」

「うん」


595 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:49:08.29 ID:VaWGBfBWo

「もしできなかったら?」

「できなかったら……どうしようかな」

「……一生、取り憑いてあげます」

「それは落ち着かなさそうだな」

「絶対にそうします」

「ふむ」

 じゃあがんばらないとな、というのも少し違う気がした。
 だから、

「やれるかぎりはやってみるよ」

 と、そう言ってみせる。

「はい」

 と、さくらはようやく笑った。

 月が煌々と光っていた。

596 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:49:50.28 ID:VaWGBfBWo
つづく
597 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/20(水) 00:51:03.64 ID:VaWGBfBWo
311-7  二十六年前 → 二十五年前
598 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/20(水) 03:41:46.84 ID:K1XPn4MoO
乙です
そろそろ終わると思うと寂しくなるなぁ
599 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/20(水) 06:43:42.54 ID:lEadOsyH0
おつです
600 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/20(水) 08:35:45.93 ID:fEoZ0sCBo
おつおつ
601 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/20(水) 08:45:19.64 ID:HLLCq748O
乙です
さくらメインヒロインだろこれ
602 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/20(水) 17:04:05.06 ID:SM1Pn+Coo
603 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/21(木) 00:15:09.37 ID:w3OWurP50
おつです
604 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 01:02:30.54 ID:su5zp2Hbo

「それで……」とさくらは言った。

「帰るって、どうやって帰るんですか?」

「……わかんないのか?」

「知りません。気付いたらここにいましたし」

「……マジで?」

「……えっと、はい」

「……」

「……あの、どうやってここに来たんですか?」

 どうやって、と聞かれても、落ちてきたとしか言いようがない。

 
605 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 01:03:10.88 ID:su5zp2Hbo

「困りましたね」

 落ち着け。
 ここがあの森の一部なら、鏡を探せばいいだけだ。

 フェンスから離れて、さくらが塔屋の扉へと向かっていく。

「鏡……」

 以前、怜とも話した。
 概念的に鏡であればいいはずだ。

 月の鏡……という言葉もあるが、残念ながら月に触れることはできない。

 怜ならば、きっとこういうときでも、慌てたりしない。

 考えろ。鏡、鏡、鏡。

 ……いや、
 鏡じゃなくてもいいのだった。

「部室に行こう」

「部室、ですか?」

「『白日』がある」

「……あの絵ですか」

『夜霧』からこちらに入ってきたのだ。『白日』から帰るのも、おあつらえ向きだろう。

606 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 01:04:04.83 ID:su5zp2Hbo


「あなたに任せます」とさくらは言った。

「……責任、投げるなよな」

「そういうわけじゃないです。評価を改めただけです」

「評価?」

「あなたはもう少し、自分の柔軟さを評価すべきだと思いますよ」

「……どういう意味?」

「そのままの意味です。行きましょう」

 階段を降り、文芸部の部室へと向かう。

 夜の校舎は、窓から差し込む月の光以外には、ほとんど灯りがない。

「どうしてだろうな」

「はい?」

「ちょっと、ワクワクする」

「……子供みたいですね」

「夜の校舎だぞ。仕方ないだろ」

「でも、そっちの方がずっといいです」

「……そう?」

「はい」

607 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 01:04:43.89 ID:su5zp2Hbo

 廊下を歩く途中で、不意に、渡り廊下に人影を見つけた気がした。

「いま、何か見えたか?」

「……なにか?」

「人影みたいなの」

「気付きませんでした」

 ……気のせい、だろうか。
 それとも、単に、『夜霧』を歩いたときのような、単なるこの世界の演出のようなものか。

 いずれにしても、もう見えない。
 もうこの世界でするべきことはない。

 文芸部室の扉は簡単に開いた。
 
 壁には、『白日』が飾られている。

 海と空とグランドピアノ。決して混ざり合わない水平線。

「……なんで、ピアノを描いたんだろうな」

「なんでって、どういう意味ですか?」

「いや。人と人との距離が、海と空みたいなものだったら……」

 結局、繋がりあえないのかもしれない、と茂さんは言っていた。
 でも、ここにはピアノがある。

 さくらは、俺の心を読んだのだろうか。
 少し、不思議そうな顔をした。

608 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 01:05:23.08 ID:su5zp2Hbo

「空って、どこからが空ですか?」

「……ん?」

 彼女は部室の中へとゆっくりと踏み入って、静かに窓を開け放った。

 そして指先を伸ばす。
 そのままこちらを振り向いて、当たり前のような顔で、彼女は、

「ほら、これが空じゃないんですか?」

 なんでもないことのように、そう言った。

 一本取られた、と俺は思った。

「なるほど」

 だとしたら空は、海と接している。
 混じり合うことがないとしても。

609 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 01:05:51.28 ID:su5zp2Hbo

「あるいは、もしかしたら」

「ん」

「旋律は、空に届くかもしれません」

「……旋律」

「はい。それに、日差しも、雨も、空から海に届くでしょう」

「けっこうあるものだな」

「はい」

「雨も、海と空を繋ぐ」

「はい。空と海との距離なんて、たいしたことないです」

「……単なる言葉遊びだけどな」

 だとしたら、茂さんは、たとえば旋律が海と空を繋ぎうることに気付いていたのかもしれない。
 気付いた上で、ピアノの前の椅子に、誰も座らせなかったのかもしれない。

 雨は海と空を繋ぐ。

「……そっか」

「どうしました?」

「いや」

 だったら、傘をささずにずぶ濡れになるのも悪くないのかもしれない。

610 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 01:06:18.71 ID:su5zp2Hbo

「帰ろうか」

「はい。……帰れますかね」

「さあ。試してみないとな」

「……行き当たりばったりですね」

「おまえも相当だろ」

「まあ、たしかに」

 俺とさくらは、『白日』に向き合う。変なタイミングではぐれないように、さくらの手を取った。

「そういえばさ」

「はい?」

「さくらにはなんとなく、さわれないイメージがあった」

「……ふむ?」

「すり抜けそうな気がしてたんだ。さくらも、物にさわれないんだと思ってた」

「だとしたら、わたしの体は床をすり抜けていきますよね」

「テレパシーとテレポートを使うやつが急に物理法則っぽいことを言うな」

「それに服も着られません」

「でも、それ、どうなんだろうな。他の人には、服も見えないわけだろ」

「わたしが触ってるものは、他の人には見えなくなるんです」

「……怪奇現象を生み出せるな」

「いえ、あの、わたしが怪奇現象なんです。ある意味で」

「でも、その理屈だと、校舎が誰にも見えなくならないか?」

「……まあ、わたしにもよくわかんないです」

「まあそうか。……とにかく、なんとなく、さくらにはさわれないんだろうなと思ってた」

611 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 01:06:48.17 ID:su5zp2Hbo

「……ちゃんと触れてほっとしました?」

「いま、俺も透明人間なのかな」

「そうかもしれませんね」

「温度がある」

「不思議ですか?」

「さくらに限った話じゃないけど……」

「はい」

「人間の体温って、触れるたびに不思議になるよな」

「わたしが人間かどうかは、怪しいところですが」

「それを言ったら、俺もけっこう怪しいけどな」

「そうですか?」

「そうだよ」

 俺が真顔でうなずくと、さくらはおかしそうに笑った。

「そんなことは、いいんですよ」

 たしかに、と俺は思った。

「帰りましょう、隼」

 俺は一瞬、あっけにとられて、それから笑って頷いた。

「そうしよう」

 繋いでいない方の手で、俺は『白日』に触れる。

 光はあふれ、視界が鋭く満たされていく。
 その洪水に溺れながら、ゆるやかに時間が流れていくのを感じる。
 手のひらに温度がたしかにあった。

612 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 01:07:42.51 ID:su5zp2Hbo
つづく
613 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/22(金) 01:12:44.00 ID:un+l9grho
614 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/22(金) 01:21:25.78 ID:xrQUYTaQo
おつおつ
615 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/22(金) 02:58:55.23 ID:R0DATBk5O
台詞ばかりですね
616 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/22(金) 06:51:19.82 ID:qcpmRFia0
おつですら
617 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/22(金) 21:13:13.76 ID:SQ+045GW0
おつです
618 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/02/26(火) 21:43:36.31 ID:OGZvF3Wg0
おつです
619 : ◆1t9LRTPWKRYF [sage]:2019/03/01(金) 23:51:03.04 ID:1lN26oOXo
少し時間をください
620 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/02(土) 12:52:25.38 ID:kgIpuee70
気長に待たせていただきます
621 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/03(日) 00:04:47.66 ID:4wYjYCyZO
勿論待ちますよ
622 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/03(日) 09:16:20.36 ID:bSF5ICtQo
了解です。ゆっくりどうぞ。
623 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/10(日) 20:58:51.27 ID:J7JQGDwio




「元素周期表みたいですね」と誰かが言った。それは分かってる。 
 でも、何の話なのかはわからなかった。何が元素周期表みたいなんだろう、みんな何の話をしていたんだろう、俺には何もわからない。

 意識がものすごく曖昧だった。とても、深い眠りからようやく目覚めたときみたいに。

 けれど俺は眠っていたんだろうか?

 瞼を開いている。それはわかる。けれど全てが滲んだように曖昧にぼやけている。
 
「そうかな。そんなふうに思ったことはないけど」

 そう、また別の誰かが言う。俺は、いま、何かを聴いている。それは分かる。

 俺はいままでどこにいて、何をしていたんだったか。

「……ああ、起きたかい」

 そんな声が、俺に向けられているんだとわかる。

 わかったから、もっとはっきりと見ようと思った。

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