小日向美穂「空と風と恋と山と街と狸と人と」

Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

50 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 00:32:53.55 ID:Qezuh/qr0

P「…………」ピッピッピッ

P「…………」プルルルッ

P「ああ、もしもし? 俺だよ。うん、ごめんな急に」

P「実はかくかくしかじかの次第で、折り入って頼みたいことがあるんだが……」

P「うん。……ああ。そうなんだ、だから――――」


   ――ピッ

P「よし、こっちはOK……」

P「さて、あとはリハと打ち合わせの件、会場にも調整して頂かないと……。追加であれこれ忙しいな」

P「……いつものことか」

51 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 00:44:02.88 ID:Qezuh/qr0



  後編

  熊本狸合戦


52 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 00:47:16.71 ID:Qezuh/qr0

 次の日の朝、ホテルに真っ黒い高級車が来た。

 迎えに出た俺と周子以外みんなびっくりしていた。フロントの人も、たまたま早起きして居合わせた美穂も。

 車が止まる。瀟洒な燕尾服のおじさまが運転席から出て、後部座席のドアを開き――

「――プロデューサーちゃま、周子さん! 頼まれていた品、お持ち致しましたわ!」

「も、桃華ちゃんっ!?」
「やっほーい桃華ちゃん。ごめんねぇ朝早くから色々お願いしちゃって」
「ごきげんよう、美穂さん、周子さん。こちらこそ、ほんのご挨拶しかできないこと、どうかお許しくださいまし」
「え、そ、それはいいんだけど、でもどうして急に……?」
「プロデューサーちゃまに頼まれましたの。一般の郵送ではどうしても遅くなってしまうので、大至急と……」

 言って、優雅な所作で車を降りる桃華。
 その手には、俺が「大至急」と言った品物の紙袋がしっかり提げられてある。
 流石は桃華だ。昨日の今日で色々済ませてここまで飛んできたなんて……。

「ありがとう桃華。本当に助かったよ」
「お気になさらず。自家用ジェットを使いましたので、空港の手配にいささか手間取りましたけれど……」
「……ちなみにこの車って自前?」
「いえ? 飛行機に車は積めませんので、VIP専用の高級レンタカーを使いましたわ。ご存知ありませんの?」
「普通知らねぇ」
53 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 00:47:44.93 ID:Qezuh/qr0

「それと……ごめんな」
「? どうして謝るんですの?」
「桃華はあんまり実家の力を使いたくないんだろ? 状況が状況とはいえ、俺が頼っちゃ示しがつかないよな」
「まあ、何を言い出すかと思えば! そんな水臭いことをおっしゃらないでくださいまし、プロデューサーちゃま」

 俺の手を取り、桃華は微笑んでくれた。

「わたくしの進退に関わることなら、家の力に頼りたくないのは確か。ですが、美穂さん……仲間の為なら話は別!
 少しでも助けとなるのなら、この櫻井桃華、使える手は幾らでも打ちましてよ!」

「桃華………………。桃華はいい子だなぁ!! 本当に優しい子だなぁ!!」

 わしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃ!

「きゃっ……♡ も、もうっ、やぁっ♡ ぷっプロデューサーちゃまっ! わたくしはわんちゃんではありませっ、はううううううっ♡♡」

 わしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃ!!

 …………執事らしきおじさまに恐ろしい目で見つめられていたのでやめた。


「あ、もうおしまいなんですの……?」
54 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 00:48:17.69 ID:Qezuh/qr0

「おっほん! それでは、わたくしはこれで。午後からありすさん達とお茶会の約束がありますのっ」
「ああ、東京に戻ったら改めてちゃんとお礼をするよ」
「本当ですの!? それじゃあいつかおっしゃっていた、らーめんじろう? のお店に連れて行ってくださいまし!」
「う、うん、考えとく…………」
「それと、『お二人』もちゃんとお届け致しましたわ。そちらはプロデューサーちゃまのご指示の通りに動いていると思います」
「おう!」

「さて……爺や。空港に寄る途中、どこか和菓子屋さんに寄ってくださる? お土産をご用意しなくては」
「承りましてございます、お嬢様」

 ドアが閉まる。運転席からおじさまがこっちを見る。
 お嬢様にこのようなことをさせて、わかっているだろうな? 的な視線。コワイ!
 もちろん百も承知ですとも、と精一杯の笑顔で返すのが凡人の限界だった。
55 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 00:49:39.47 ID:Qezuh/qr0

「――あ、そうそう、周子さん! ご両親から伝言が!」
「ん、なに?」

 紙袋の中身を確かめていた周子が、思わぬ言葉に目を丸くした。

「『落ち着いたら顔を見せに来い』――とのことでしたわ!」
「落ち着いたら……かぁ。それ、だいぶ先のことになりそーだわ」

 紙袋をかかげ、ニッと笑い返す。

「あたし今、超〜楽しいからさ」


 かくして、桃華の車は嵐のように去っていく。
 ぽかんと見送る美穂の肩を叩き、俺は全員を招集した。
56 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 00:50:47.11 ID:Qezuh/qr0



「さて、準備はとりあえず整った。みんな聞いてくれ」


「これから、『美穂のご両親を奪還&LIVEを守るぞ作戦』の概要を説明する」


57 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 00:51:22.93 ID:Qezuh/qr0


 決行は夕方。
 それまでの間、私達はLIVEの準備を進めます。

 セトリの確認にリハ、スタッフさん達との諸々の打ち合わせ……。
 本番は明日。会場の設営は終わっていて、あとは当日を待つばかり。

 私達五人のユニット、『ケセラセラ』。

 なるようになる――現実は、果たしてどうなんでしょうか。

 それは、これからの私達自身の頑張りにかかっているんだと思います。


「……卯月ちゃん、響子ちゃん……」

 首に巻いたピンクのマフラーを握りしめると、勇気が湧いてくるようでした。

「私達、ちゃんとやり遂げてみせるから。だから、見ててね……」
58 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 00:51:58.58 ID:Qezuh/qr0

   ―― 12月15日 午後5時 地上/熊本市街


 寒いし、もう薄暗い。
 九州なんだから年中暖かいだろうというのは甘い見込みで、熊本の冬はどうにも容赦が無かった。
 他ならぬ地元民の美穂が真っ先にマフラーを巻いていたので、そこから察するべきだっただろうが……。

「こっからがとにかく本番だからな。みんな、いいか?」
「はい……っ!」
「魂の震える時!」
「なるがまま、どすな〜」

 情報によると、空中座敷は熊本上空を優雅に回遊しているという。
 借りた双眼鏡で空を見て、全天360度をぐるっと見渡す。
 見渡す。
 見渡す…………。


「…………いた」

「ほんとですか!?」
「うん、コタツで酒盛りしてやがる。美穂のご両親も檻の中だろうな」
「そんな……。で、でも本当に、あそこまで行けるんでしょうか?」
「天翔ける奇蹟、其は触れることすら許されぬ禁忌の花園。大いなる隔てを超えし魔術やいかに……?」


「なに、気にするな。空くらいうちのアイドルも飛んでる」
59 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 00:52:35.30 ID:Qezuh/qr0

  トゥルルルルル…

P「お、きたきた」

  ピッ

P「楓さん、そっちはどうですか?」

楓『はい。豊前坊様とはちゃんとお話しできましたよ』

P「そっか……良かった。任せろって言ってくれたけど、天狗なんて俺、見たこともないから。正直気が気じゃなくて」

楓『ふふ、心配してくれたんですか? けど大丈夫ですよ。古くからの大天狗には話のわかる方が多いんです。ただ……』

P「ただ? 何かあったんですか?」

楓『いえ、なにしろ遊び好きの方ですから。今回の件も面白半分だったようで、退屈しのぎに付き合って欲しいだなんて』

P「な……! ま、まさか、何か無理難題でも吹っ掛けられました!?」

楓『あ、もう終わったから大丈夫です。ちょっと飲み比べをさせて頂いたんですが、なんだか潰しちゃったみたいで♪』

P「天狗に大酒で勝ったぁ!?」

美穂「な、なんだかさらっとすごいこと言ってません……!?」

周子「……う〜わ。ほんと何者なん、あの人……」

楓『うふふふふふっ♪ 私どっちかというと日本酒派なんですけど、お米の焼酎もなかなか乙なものですよねぇ♪』

P「ま、まさか今も飲んで……。いやとにかく、今どこですか? どれくらいで合流できますか?」

楓『え〜っと、どこでしょう? 今どのあたりだったかしら〜?』

??『熊本上空ですぅ! もうそろそろ着きますから、準備しといてください〜っ』


周子「あ――プロデューサーさん、あれあれ!」
60 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 00:53:14.43 ID:Qezuh/qr0

 ごうっと音がして、アイドルが上空の寒気を連れてきた。
 降り立ったのは謎の獣、そしてその手綱を握る長い銀髪の少女だ。

「皆さん、こんばんわ〜。いいお天気ですね〜」
「イヴ、ブリッツェン! 間に合ってくれたか!」
「ブモッ!」

 イヴ・サンタクロース、それに空飛ぶトナカイ(?)のブリッツェン。
 いつもならプレゼント満載のソリを引いているところだが、今日は人を乗せて貰うしかない。

「ささ、早速どうぞ〜! サンタのソリは百人乗っても大丈夫ですから〜!」
「じゃ、美穂と蘭子は俺と一緒に。周子、紗枝、芳乃は……いいな?」

「あいよ。ま、やるだけやってみましょーか」
「狸とやり合ってみるんも、また一興どすなぁ。なんやうきうきしてきましたえ〜」
「心配は無用なのでしてー。そなたらもー、無事にらいぶを迎えられますようー」
「もちろんっ! その為に、みんなにも手伝ってもらったんだもん!」
「うむ! この漆黒の魔王達が生まれいずる世界の真理、必ずや掴み取ってみせるわ!」


 俺、美穂、蘭子。そして楓さんとイヴがブリッツェンのソリに乗り。
 周子、紗枝、芳乃は、そんな五人を見送るのだった。
61 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 00:54:10.43 ID:Qezuh/qr0


「――それにしても楓さん、すみません。イヴもごめんな。こんな急に、熊本まで……」
「いいんですよぉ。私達の本業はもうちょっと先のことですから! ねっ、ブリッツェン〜!」
「ブモッ!」

「蘇りし世紀末歌姫よ……。そなたと再び相まみえしこと、この悪姫ブリュンヒルデは、その……」
「ふふ……いいのよ蘭子ちゃん、そんなにかしこまらないで」ナデナデ
「ひゃふっ。う、うぅ〜〜〜///」
「あの……天狗様とお話したんですか? 本当に大丈夫だったんですか?」
「大丈夫よ、美穂ちゃん。本当にちょっと飲み比べをしただけなんです。天狗様ったら飲みすぎて、ぐてーんっとなってしまって……ふふふ」

 楓さんは、どうやら天狗からふんだくってきたらしい米焼酎の瓶をまだ抱えていた。
 それをストレートでグラスに注ぎながら、ほんのり赤い顔で微笑む。

「所詮は狸同士の小競り合い、玩具を与えて高みの見物こそ楽しけれ……と、あの方は仰っていましたけど。
 みんなの晴れ舞台が台無しにされるのをよしとするほど、私も枯れていませんもの」

「楓さん……。本当に、ありがとうござ」
「はい、ということで駆け付け一杯どうぞー♪」トクトクトクトクトクトクトクトク
「ウワーッなみなみ注がれた!! いや駄目ですってこんな時に!!」
「あら、寂しいわ。私がこわ〜い天狗様と飲み交わしていたのに、プロデューサーは禁酒ですか?」
「そっそれを言われると弱い……。では、いただきます……!」

 ぐびぐびぐびぐびぐび…………。
 …………ってこれ、割ってもないし氷すらねーじゃねーか!!

「米の焼酎もいいものですねぇ。これでは私、しょっちゅう飲んでしまいそう……うふふっ♪」

 頭がくらくらする……。
 瓶を抱えてゆーらゆーら揺れながら、楓さんは心底楽しそうに笑った。
62 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 00:54:43.57 ID:Qezuh/qr0

「さてっ」

 指先をぺろりと舐めて、イヴは風向きを測る
 山積みのプレゼントを載せるソリも、流石に五人も乗ると少し狭かった。

「本日夕刻、熊本上空は晴天なりっ! 風は無し! この上もない、空中散歩日和ですよ〜っ!」
「ブモッ!」
「クリスマスにはちょっと早いけど、よい子を守るのもサンタのお仕事! ということで〜……ブリッツェン、はいよ〜っ!!」
「ブモモモモーーーッ!!」

 どるるんとエンジンめいた鼻息を吹いて、四つの蹄が地面を叩く。
 一歩踏み込み、二歩三歩で一気に加速、やがて蹄は地ではなく空を踏み――

「わ、わ、わ……っ!?」
「しっかり捕まってろよ、美穂!」

 などとカッコ付けたことを抜かしつつ、俺も初めて乗るので正直ドキドキもんである。
 慌ててこちらに寄りかかってくる美穂を支えて、前を――ブリッツェンが向かう先を見た。

 視界は水平から徐々に斜めへ。街の光景は、やがてずっと下に置き去りになって。

 目の前いっぱいに広がるのは、暮れゆく杏色の陽。


 かくしてクリスマス前のサンタのソリは、落陽に染まる空を飛んだ。
63 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 00:55:36.47 ID:Qezuh/qr0

   ワイワイ ガヤガヤ

「東京モンがナンボのもんか! 奴ら、天狗様の座敷に届けもせん!」

「むははは! こんまま空で酒でん飲んどるだけで、奴ら泣き寝入りたい!」

「わしらの怒りはこん程度では消えん……。あん奴ばらにわからしてやるわい」

「ふん、親ば狸質に取られて平気でおられる狸はおらん。そのうち泣いて土下座してくるに決まっとる」

「菜帆ん奴も、わかってくるっと思っとったがのう」

「いけんよ、あれは。菜帆は、なんしろ……」

「おい」

「なんね」

「……なんか、ついて来んか?」


「な」

「何ィイイイイイーーーーーーーーーーッ!!?」


「ブモモーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」
64 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 00:56:07.52 ID:Qezuh/qr0


「よし、近付いてきてるぞ! このまま全速力だ!!」
「おまかせあれ〜! ブリッツェン〜っ!!」
「ブモッ!!」

 全速力のソリは想像の何倍も速かった。
 一晩のうちにあらゆる街を回って、良い子のみんなにプレゼントを配る為の移動手段と考えれば、さもありなん。

 いつだったか、ダンボール一枚で寒さを凌ぐ全裸の少女と変ないきものを保護した時は、まさかモノホンだなどと思いもしなかった。

「――天狗の茶釜エンジンは、お酒で動く代物です。アレの中身を空っぽにしてしまえば、浮遊力を失ってふゅ〜と降下していくでしょう」
「合点承知です! ていうか詳しいですね!?」
「豊前坊様が仰っていましたので。それにしてもおいしいですねぇこの焼酎。お腹いっぱいなのに、もう一杯……♡」
「まだ飲んでるんすか!?」

 叩き付けるような風圧が顔面を凍えさせる。
 しがみ付いてくる美穂と蘭子を庇いながら、徐々に詰まりつつある距離を測った。
 とにもかくにも、あの座敷の横につく。勝負はそれからだ。

 と――――


「ふふふふ……ふっふっふっふっふっふっふっ!!」

 やたら耳に響く狸親父の笑いが、向こうの座敷から届いてきた。
65 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 00:56:37.47 ID:Qezuh/qr0


「ふっ……ふふふっ……ふぁーははははは!! 引っかかりよったな人間が!!」
「あぁ?」
「俺らがなしてずっと空ば飛んどったか、知らんかったと見えるのう!!」

 座敷の縁から顔を突き出して、おっさん狸――海老原さんの伯父だろう――が舌を出した。
 ご丁寧に仲間の狸をメガホンに変化させてまでのご高説である。

「その間、下で何が起こるか考えとらんかったとやろが!!
 おのれらの見世物ば良く思わん狸は、海老原だけでん無かっ! あちこちん山の無頼狸にも声ばかけとっとじゃ!!

 奴らは陸で待機しとる!! おのれらが空ばっかり気にしとる間、着々と準備ば進めとったとじゃ!!」


「今頃、熊本中より集めたる無頼狸が変化し――狙うは、らいぶ会場よぉ!!」


 あえて空に注意を払わせて、地上に潜ませていた伏兵の存在を隠匿する。
 まかり間違って空中座敷に干渉する手段をこちらが見つけたとして、「空にかかりきり」という時点で向こうの作戦勝ち。
 人を良く思わない荒くれ狸共が会場に乗り込んで、セットを壊しスタッフを脅かして、みんなめちゃくちゃにしてやろう――という作戦だろう。

 空と陸の二重作戦。
 なるほど、まさしく狸親父の考えそうなことだ。

 だが……。
66 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 00:57:05.73 ID:Qezuh/qr0

「ほれ! ここからでも会場は見えるやろが! 今まさに、うちの連中が目的ば遂げとるに違いなか!!」

 と地上を指差す。
 黄昏の中、ぽつぽつ灯りが点きつつある熊本の街並み。その一部にある、大きなLIVE会場。
 そこは上空からでもわかるほどの大騒ぎに見舞われて……。

 見舞われて………………。


「…………なして何も起きんとじゃあ!!?」


 なんでと言われれば、そこまで海老原さんに教えて貰ったからとしか言いようがない。
 彼女は説得をするかたわら、連中の作戦を一言も漏らさず聞いていてくれていた。
 そして、それを電話越しに伝えてくれたのだ。

 そう。
 今頃、地上には――――
67 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 00:57:43.95 ID:Qezuh/qr0

   ―― 数十分前 地上/熊本市街


「しっかしまさか狸と事を構えることになるなんてねぇ」
「京住まいの頃には、想像だにもせえへんかった……どすか?」
「まさしく。ま、人に色々あるように、狸にも色々あるってことなんだろーけど」

 あたしと紗枝ちゃんは所定の位置について、こっちはこっちで出発の準備を進めている。
 地上でこんくらい寒いんだから、空はえらいことになってるんだろうなぁ。
 それを考えると、地上組はある意味役得だったかもしんない。

 ……楽な仕事じゃないんだけどね、どっちみち。

「てことで、はいこれヘルメット」
「はぁ、それはええどすけど……」

 使い古された借りもののジェッペルを受け取って、紗枝ちゃんは微妙な顔をした。
 ヘルメットと、あたしと、路上のそれを何度も見比べて。

「周子はん、こないなもんほんまに乗りこなせますのん?」

 目の前に鎮座ましますのは、菜帆ちゃんの伝手で用意して貰っていた大切な移動手段。
 頭が高い、控えおろう。
 一見ボロいこの原チャリこそ、ホンダの傑作中の傑作。

 その名も、スーパーカブ様である。
68 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 00:58:32.83 ID:Qezuh/qr0

「あれ、言わなかった? あたし原チャ運転できるんよ。実家で配達に使ってたりして」
「ほあぁ、初耳どす〜」
「東京じゃ乗んなかったからね。ていうか父さんから『お前は二度と運転すんな』って言い付けられてたし」
「は? それ、どないな意味――」

 がるるるんっ!!

 Nギアのまま試しに空吹かし。
 なるほど元気元気。カブのパワフルさには相変わらず痺れるねぇ。
 あたしの顔に悪い笑みが刻まれていく。
 察して紗枝ちゃんの表情が強張る。

「しっかり捕まってなよー? 振り落とされても回収できるかわかんないんだから」
「…………あんたはん、ひょっとしてはんどる握ったら性格変わる手合いどすな?」
「さぁ〜〜〜〜て、一体何のことだか――」


 一速。
 アクセルレバーを思いっきり回す。

「わっかんないねぇっ!!!」
「ぴっ!? こ、こぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んっ!!?」

 遠心クラッチで二速→三速、からのいきなり最高速!!
 すごいGが二人にかかって、紗枝ちゃんが必死にしがみついてきて、シューコちゃんは風になるのだ。

69 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 00:59:33.06 ID:Qezuh/qr0

  タタタタタタタッ……

(海老原の旦那が言うには、この先の会場らしい)

(なんでも好き放題暴れ回っていいんだとか)

(よか、よか。人間どもに目にもの言わしちゃる)

(そいしてん、尻尾がむずむずして落ち着かん)

(現地に着いてから化けて、人間どもを驚かしてやれっち話やったばってん……)

(むむむ、武者震いがしよる! 我慢できん!)

(化けるか、ここで!)

(おれはやるぜおれはやるぜ)

(そうかやるのか)

(やるならやらねば)


 ――ポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポンッ!
70 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:00:19.87 ID:Qezuh/qr0

 夕方の熊本市街で、百鬼夜行が始まった。


「おおぉ……!?」
「これは……えろう張り切ってはりますなぁ」

 国道三号線に現れる、ありとあらゆる魑魅魍魎妖怪変化。
 毛むくじゃらな赤鬼青鬼、光る眼の大きな虎、一つ目入道に髑髏にのっぺらぼう、唐傘のオバケだの大蝦蟇だのぬりかべだの、
 更には偽市電や偽加藤清正像や偽おてもやん像や偽と〇りのト〇ロ……。

 ありったけの化け力で変化した狸達が、どちゃがちゃ騒ぎながら一散に会場へ向かう。
 会場で化けるもんとばかり思ってたけど、我慢できなかったらしい。流石は狸だ。

「うわーなんだこれ!?」「ゆ、夢でも見てるのか!?」「いかん危ない危ない!」「ぱぱーあれなにー」
「何? 映画かなんかの撮影?」「すげぇ、写メ写メ!」「拡散拡散!」「ちくわ大明神」

 交通網は大混乱。幸い事故は起こってなさそうだけど、太い国道がこうも詰まっちゃ大渋滞だ。

「隙間通って、先回りするよ!」
「ふわわ、周子はん〜! もそっとゆっくり、ゆっくり〜っ!」

 いうてもカブは50ccの原付だから、トップスピード自体は大したことない。
 けど障害物と抜け道の多い市街地では、ストップ&ゴーが得意なこいつは実際以上の機動力を発揮するのだ。
 車の間をすり抜け、細道をショートカットし、あたし達は暮れなずむ街の狭間を縫うように走っていく。

 ……え、50cc以下は二ケツ禁止?
 細かいことは気にしぃな、こちとら非常事態なんだから!
71 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:00:49.04 ID:Qezuh/qr0


 うっし、先回り完了っ!

「最初のポイント! 紗枝ちゃん、よろしく!」
「はいな〜」

 後ろの紗枝ちゃんが、ふわりと花びらのように跳んだ。

 狸と同じく、狐もある種の妖術を操れる。
 今の紗枝ちゃんはある事情から仙気を無くして、ほとんど人間と変わらない状態だけど、軽い変化なら普通にできるらしい。

 とはいえ、化け狸の百鬼夜行に正面切ってカチ込めるほどの力はなくて。
 だとすればどうするか、策を弄すは人の仕事だ。
 ここから先は、あたしとプロデューサーさん共同で考えた狸騙しの奸計である。

 紗枝ちゃんは道路脇に降り立ち、すぅっと息を吸って――
 

  ポンッ!
72 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:01:28.32 ID:Qezuh/qr0


 ===================================

    小日向美穂 神崎蘭子
  依田芳乃 塩見周子 小早川紗枝

   『ケセラセラ』特別LIVE会場


    200m先 信号を右 どすえ

 ===================================

73 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:02:07.51 ID:Qezuh/qr0

(あっちじゃ!)

(行くぞ! 遅れるな!)

(祭りの時間じゃー!)

(おれはやるぜ! やるぜ! やるぜ!)

  ドドドドドドドドドド…………



「…………よっしゃ、あっさり信じた!!」

  ポンッ!

「根が単純お気楽な阿呆やからな〜。そないやから兎にも騙されて泥船に乗らされてまうんどす」

 もちろん、彼らが従った看板は紗枝ちゃんが化けたもの。
 ほんとの会場は距離も方角も全然違う。

「さ、次行くよ次。目的地までちゃーんと誘導しなきゃだからね」
「はいな〜。くれぐれも、引き続き安全運転でな?」
74 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:02:45.41 ID:Qezuh/qr0


『LIVE会場 100m先左 どすえ』

『会場 次の交差点をまっすぐ どすえ』

『目的地 反対側の通りをずっと西 どすえ』

『この先 ええ感じに斜め左 どすえ』

『右に曲がったらええもんありますえ』


 どんどんテキトーになっていくけど、狸は一瞬たりとも疑わずに従っていく。
 よし……もうすぐだ。
 道が開けて、潮の匂いが鼻先をくすぐるようになってきた。

 ――人がいなくて、開けた場所。

 彼女はそういうポイントを指定した。
 地図で見たところ該当しそうなのは、市街地から西に外れた熊本港の一区画。

 そしてあたし達は、指定ポイントに決して近付きすぎないよう言われていた。


 ……だからこうして、離れた物陰から見守るしかないわけ。

 一人ぽつんと立つ芳乃ちゃんと、彼女を取り囲む化け狸の大群を。
75 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:03:25.17 ID:Qezuh/qr0


 狸がよってたかって人を襲ったりはしないと思うけど……。
 相手はテンション上がりきった荒くれ者どもだ。正直、何しでかすかわかんない。

 なんだこのちまい奴は、会場はどこだ、俺らを騙したのか。
 だったらみんなでやっちまおうぜ――となっちゃうことも十二分に考えられる。

 もしヤバそうなら原チャで芳乃ちゃんをかっさらって逃げの一手も考えたけど……。
 あまり近付くなと言ったのは、他ならぬ芳乃ちゃん本人だ。


「心配無用どす」

 横で見守る紗枝ちゃんは平然としている。
 目を皿のようにして、狸でなくて芳乃ちゃんの一挙手一投足を凝視しながら、ぼそり。


「ええ機会や。芳乃はん――依田のご当代、お手並み拝見といきまひょか」
76 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:04:23.99 ID:Qezuh/qr0


 芳乃ちゃんが動いた。

 無数の目が見守る中で、背負っていた大風呂敷をゆっくり下ろす。

 包みが解かれて出てきたのは、持ち主の顔よりでかい立派な法螺貝。


 自然な動作で吹き口を咥え――――

77 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:04:49.63 ID:Qezuh/qr0

 ぶおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ
 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
78 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:05:37.05 ID:Qezuh/qr0

 ――ポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポンッ!!!


 戻るわ戻る、狸の変化が。
 散るや散る、毛玉がみーんな。
 
 法螺貝の音にすっかり肝を潰して、こけつまろびつ、蜘蛛の子を散らすみたいに逃げちゃった。

 かくいうあたしもやられた。
 衝撃波めいた轟音が右から左にブチ抜けて、視界で星がSAY☆いっぱい輝いた。


 芳乃ちゃんは周囲をゆっくり見渡して、何事もなかったかのように法螺貝を下げた。

 遠雷のような残響が、遥か西の空に消えて。
 宙で気絶したカラスの群れが、思い出したようにぽたぽた落ち。
 彼女の背後に広がる海が、さぁっ――と白波を立てた。
79 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:06:29.17 ID:Qezuh/qr0

「い、一撃…………」

 あれだけいた狸が、もういない。
 総崩れになって逃げ帰っちゃったか。車に轢かれてなきゃいいけど。


「いやぁえらいもん見た。紗枝ちゃん大丈夫? ……紗枝ちゃん?」

「                            コン」

「おーい紗枝ちゃん、しっかりしなー」
「はっ……」

 正気に戻って目をぱちくりさせる紗枝ちゃん、慌てて自分のお尻をぺたぺた触る。
 別に何の変哲もない、小振りでかわいらしいお尻である。

「は〜、危ない危ない。うちも尾っぽが出るとこやったわぁ……」
「いや、耳耳。出てる出てる」
「ああっ、いややわぁもう、恥ずかしい〜……」


「――お二人のおかげで、うまくいったのでしてー」

 下駄をからころ鳴らしながら、芳乃ちゃんがやって来た。
 化け狸を蹴散らした威容はどこへやら、いつもと変わらぬのほほんとした笑顔で。
80 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:07:17.63 ID:Qezuh/qr0


 これにて対狸、地上作戦は終了。

 海際にカブを停めて、その辺の自販機から買った熱いお茶をみんなで開ける。
 あたしらが出来ることは全部やった。ここじゃ空には届かない。
 あとは、向こうの成功を祈るのみだった。


「東の空に、星が流れましてー」
「え、流れ星? ……じゃないか。ああ、あれ……」
「やってはりますなぁ。プロデューサーは〜ん、おきばりやす〜」
 
 空を横切るものに、紗枝ちゃんがエールを送った。
 ここからじゃ点みたいでほとんど見えないけど、あそこに彼らがいるのはわかる。
 太陽はもう西に落ちて、薄紫色の空には白い月が昇り始めていた。

 空飛ぶ座敷と、サンタのトナカイ。

 シュールすぎる空中戦、果たしてどうなることやら――――
81 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:07:58.33 ID:Qezuh/qr0

   ―― 熊本上空 ブリッツェンのソリ


 私達はブリッツェンちゃんに乗り、海老原の狸との空中競争を続けていました。


「ぐぬぬぬぬぬぬぅ……っ! 下ん奴らはやられたとか!? さては、あの着物ば着とった小(こま)か女子(おなご)やな!?」

「よし……もうすぐだ! もうすぐで追いつく……!」
「はいぃ! ブリッツェン、ラストスパート〜!!」
「ブモーッ!!」
「お父さんとお母さんを返してもらいますっ!!」

「いや……いや! そうはいかん!! 父上っ!!」
「うむ!」


 と、海老原の狸が取り出したるは、未開封の一升瓶。
 かなり近くまで来ていたおかげで、私はそのラベルを見ることができました。

 そして、それが意味するところも、一目でわかってしまいました。
82 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:08:47.51 ID:Qezuh/qr0

「あ、あの瓶はっ!!」

「友よ、秘術の真実を!?」
(訳:知ってるの、美穂ちゃん!?)


「球磨川沿いの天然鍾乳洞、球泉洞……! 中は温度、湿度共に年中一定!
 その性質を利用し、同じく球磨川のおいしい水から造った本場球磨焼酎を保管!
 さながら天然のワインセラーのように熟成保存させ、更に丸くふくよかな味わいに仕上げた逸品!
 ――その名も『球泉洞スピリアル』、しかも20年もの!
 一本二万円はくだらない、極上のビンテージ米焼酎だよっ!!」


「………………なるほど!!」
(訳:なるほど!!)

「まあ、なんて魅力的な……」

 人吉近辺の、いいや熊本の、ううん九州の酒飲み狸なら誰もが憧れる高級品……!
 狸のお爺ちゃんが栓を惜しみなく開けて、茶釜エンジンの蓋もがぱっと開けます。
 まさか……!

「ちょっと、まずいかもしれませんね」
「どういうことです、楓さん!?」

「茶釜エンジンはお酒が動力源。必然的に種類や銘柄が関わってくるんですが、呑むものの質も実はとても大きいんです。

 あちらの茶釜エンジンは米焼酎タイプ……。美穂ちゃんが言う通りの高級米焼酎が入れば、こう、きゅーーーっと凄いパワーを発揮するんじゃないかしら」
83 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:09:49.12 ID:Qezuh/qr0

 ほんの湯呑一杯分のスピリアルが茶釜に入って。
 次の瞬間、「ごうぅうぅうんっ」と物凄いエネルギーが膨れ上がるのを感じました。

 ――また引き離される!!

 咄嗟にそう思った私は、考えるより先に立ち上がっていました。

「美穂!?」
「ああっ、危ないですよ〜!!」

 ――お父さん、お母さん!!

 今が一番近いんだ。
 勇気を出したら、飛びつける距離なんだ。
 これ以上、離れられるわけには……!!

「美穂ちゃん!!」

 私を追って蘭子ちゃんも飛び出します。
 止めるプロデューサーさんを振り切り、ソリを蹴って、目と鼻の先の座敷の縁へ。

 …………届いた!!
84 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:10:23.45 ID:Qezuh/qr0

 次の瞬間、座敷が加速しました。


「ひゃあっ!?」
「ぴぃいっ!?」

 燃料の質でこれほど違うなんて。
 極上の焼酎を吞んだ茶釜は恐ろしいくらいのエネルギーを生み出し、いきなりジェット機のようなスピードを発揮します

 ……ギリギリで飛び乗った、私と蘭子ちゃんを乗せて。

「うはははは! 遅い、遅いっ! トナカイなんぞに負ける茶釜エンジンではなかーっ!」

 もうずっと後ろにあるブリッツェンちゃんの上で、プロデューサーさんが何かを叫んでいます。
 顔を上げると、険しい顔の狸達がこちらを見下ろしていました。


 私達は、いわば敵陣に孤立してしまったのです。
85 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:11:14.95 ID:Qezuh/qr0

「…………ふん。落ちるとも怖がらんで飛んできおったか。その根性だけは褒めてやってもよか」


「うぅ……!」
「大丈夫だよ蘭子ちゃん、私がついてるから……!」

 蘭子ちゃんは私にぴったりくっついて、両手両足でしがみ付いてきます。
 相手は余裕みたいです。もうブリッツェンちゃんには追いつけないと思っているんでしょう。

「ばってん、向こうはもうこれで詰みたい。球泉洞スピリアルを呑んだ茶釜エンジンに勝てるもんはおらん」

 座敷の隅には、お父さんとお母さんの眠る小さな檻。
 そしてすぐ隣には……。

「菜帆ちゃん……!」

 縛られたまま、やっぱり眠らされているようでした。
 耳と尻尾は出ているけれど、人間の姿のままです。

 どうしよう、どうしよう、考えなきゃ……!
 
「なんば固まっとるとか。どうせ向こうはもう勝てん、こっちゃん来んか」
「……っ!!」

 と、蘭子ちゃんがずいっと前に出て、私を強く抱きしめます。

 ああ……そうか。
 蘭子ちゃんがくっついてくるのは、怖いからじゃなくて。
 私のことを、守ろうとしてくれて。

 そのことが、逆に勇気をくれました。

 蘭子ちゃんの手に手を添えて、相手をきっと睨み返して。
 私は、一番知りたかったことを問いただします。
86 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:11:56.46 ID:Qezuh/qr0

「……どうして……そんなに、人間が嫌いなんですか!?」

 狸は良くも悪くも能天気で好奇心旺盛、人間の暮らしにも興味津々。それが普通です。
 だというのに、ここまではっきり恨みを持つのは、やっぱり何かされたからにしか思えません。

 誰もが一瞬口ごもる中、例のお爺ちゃんがおごそかに口を開きました。

「決まっとる。人間が、わしらの大切なもんを奪いよったんじゃ」

「大切なもの……?」

 ピンと来ません。
 鏡山も雨吹山も、そこまで強引に人の手が入ったことはなくて、自然はちゃんと残っています。
 人間が狸の暮らしにひどいことをした話は、少なくとも私の代からは聞きません。

「わからんか」
「……わかりません」

 カッ!

 お爺ちゃんの目がいきなり見開かれ、怒りの籠もった叫びが。


「わしの可愛い娘が、人間に嫁ぎよったんじゃあっ!!!」


「「…………ええええっ!?」」
87 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:12:39.69 ID:Qezuh/qr0

    ―― 地上 熊本港


周子「――そういえばさ。いっこ釈然としないことがあって、あたしなりに色々考えてたんだけど」

紗枝「はてぇ?」

芳乃「ふむー?」

周子「菜帆ちゃんのこと。こないだ初めて会った時に、あたしは正体に気付けなかった。人間だと思ってたんだよね」

周子「紗枝ちゃんなら知ってるでしょ? あたし目には自信あるんだ。人かそうじゃないか、見たら大体わかんの」

周子「そのあたしが一目でわからず、うっかり人間と思ったってことは――」


周子「あの子、人間とのハーフなんじゃないかなぁ」


芳乃「ほー……」

周子「でも、あるのかなそういうことって思って。そこらへん詳しいお二人的にはどうなん?」

紗枝「んー……今どきよう聞かへんけど、ひとつも無い話やありまへんなぁ」

紗枝「それこそ、安倍晴明公の母御が白狐やいう話は狐業界では常識どす。ずいぶん昔の話やけど」

周子「……ああそっか、晴明神社にもお稲荷様の社あるわ。あれそういうことだったのね」

芳乃「奄美にもー、鯨の化身を伴侶とした漁師の話が残っておりますー」

芳乃「他にもー、蛇、犬、馬、猿、はたまた蛤、あるいは鬼などー……健やかに子を成した例もありまするー」

芳乃「しかるにー、異類婚なるものはー、けして有り得ぬことではないのでしてー。とても珍しきことは、間違いありませぬがー」

周子「――なるほど。となると、なんとなーく裏が見えてきたような気ぃするね」
88 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:13:30.86 ID:Qezuh/qr0

   ―― 熊本上空 空中座敷


「――そして生まれたのが、菜帆じゃ」

 お爺ちゃんは眠る菜帆ちゃんを指差して言います。

 彼の娘――つまり、菜帆ちゃんのお母さん。
 彼女は人里に降りて一人の男性と出会い、そして恋に落ち、一緒になったとお爺ちゃんは語りました。
 狸界でも賛否両論あるとかないとか言われる、人間との結婚。それは本当にあったのです。

 ……って、けどやっぱりアリなんでしょうか!? 色々と!?
 いや実例があるんだから納得するしかないんですけど、でもでもなんか!

「わしはそれが許せん。菜帆はもぞか(可愛い)子じゃが、我が子を奪いおった人間は話が別じゃ!
 そもそも、狸と人間は深く関わってはいけんのじゃ! なのに人に惚れるなどとは言語道断っ!!

 わしは娘を奪った人間を許せん! 然るに人と交わり、人を好むお前も許すわけにはいかんっ!!」


 確かに、それは狸側の立派な言い分なのかもしれません。
 親なりの哀しみもあったんだと思います。
 でも……だけど、そんなの。


「そんなの、狸の勝手じゃないですか!!」
89 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:14:01.06 ID:Qezuh/qr0

「むぅ!?」

「だって、好きなんだもん! 好きになっちゃったんだもん!」

 火が点けばもう止まらない。
 蘭子ちゃんの制止も聞かないで、胸に生まれた熱のまま叫びます。

「本気で恋しちゃったら、もう仕方ないんです!
 その人の為に頑張って、その人の一番になりたいって思っちゃうものなんです!!」
 
 もう「菜帆ちゃんのお母さん」の話じゃなくて。
 私は、ある人のことをありありと思い浮かべていました。


「そこに人も狸も関係ない!! 大好きって気持ちは、誰にも止められないんだからっ!!」


 ……はぁ、はぁ……こんなに怒鳴ったの初めて。

「……ふ、ふふふ……流石は人間側の狸よ。とことん連中の肩を持ちおるわ……!」
90 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:14:39.20 ID:Qezuh/qr0

 
「それとも何じゃい! お前も人間と結婚するつもりか!?」

 ゔっ!!

「……し」

「わ、我が友……!?」
(訳:美穂ちゃん……!?)

「…………します!! 私だって、好きな人と結婚してみせます!!!」

「ふおおぉぉぉおぉっっ!!?」
(訳:ふおおぉぉぉおぉっっ!!?)

 あれ!?
 なんかとんでもないこと宣言しちゃったような!?
 いや、でも、引き下がりません! これが私の覚悟です! くく熊本のおおお女はつつつつ強いんです!!
91 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:15:19.58 ID:Qezuh/qr0

「ふん……見下げ果てた狸よ! じゃが、お前らの目的はどうせ叶わん!」

「父上、茶釜エンジンに追加に酒を! 連中をもっと引き離してやらんといけん!」

「うむ。山三つほども離してやれば、人間風情の心も折れようぞ……!」

 まだたっぷり残った球泉洞スピリアルと、あれほどのパワーを発揮する茶釜エンジン。
 また補給されちゃったら、プロデューサーさん達が追いつくなんてできっこない……!
 だけど止めようにも、私達の周りは海老原の狸が固めていて身動きも取れません。

 見守るしかない中、また新鮮な高級焼酎が注がれて……加速!

「ううう……っ!?」
「ムッハハハハハ! 速い速いっ! それそれどんどん注ぎ込んでしまえ〜っ!!」

 後ろに見えるブリッツェンちゃんがもう豆粒みたい。
 このまま、新しい人質と狸質になるしかないの……!?


「――だめです〜〜〜〜〜〜っ!!」


「ええ……っ!?」
「なんと!?」

 視界の隅から、何かが突撃してきました。
 それは座敷の隅で目を覚ました、菜帆ちゃんだったのです!
92 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:15:58.19 ID:Qezuh/qr0

「なっ、菜帆!? お前起きて……っ!」
「え〜〜〜〜〜〜〜〜いっ!!」
「ぬわーーーっ!?」

 ぼいーん!

 起きるなり駆け出した菜帆ちゃん、プニョフワボディでお爺ちゃんを弾き飛ばしました! つ、強い!?

「父上ーッ!」

 座敷にひっくり返るお爺ちゃん。
 たっぷり中身が残った一升瓶は宙を舞い…………。

「ふぇっ!?」

 蘭子ちゃんの手に納まりました。

「あれじゃ!」
「あいつが持っとる!」
「取り返せ、取り返せーっ!!」
「ぴいいっ!? 押し寄せる魔獣の軍勢ーっ!?」

「蘭子ちゃん、外! 座敷の外にそれ、投げてっ!!」

 叫ぶ私。慌てる蘭子ちゃん。
 蘭子ちゃんは私と瓶を見比べて、ぐっと覚悟を決め。


「ばるすーーーーーーーーーっ!!!」
(訳:えいやーーーーーーーーーっ!!!)


 ぽいっ、と。
 まだ八割方中身の入ったそれを、思い切って空に投げ捨てちゃいました。
93 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:16:37.02 ID:Qezuh/qr0

   ―― 熊本上空 ブリッツェンのソリ


 座敷がまた加速した。
 まずい。このままじゃ追いつくなんて夢のまた夢だぞ!

「頼むブリッツェン、頑張ってくれ! あんなうさんくせー畳張りに負けちゃ駄目だ!」
「ブモオッ!!」

 ブリッツェンにも意地はある。四つの脚を踏ん張り、火のような咆哮を上げた!
 それとほとんど同時に、空中に何かが放り出された。

「ん? あれは……」

 一升瓶らしい。
 向こうの座敷から放り出されたようだ。
 口からこぼれる雫が、きらきら輝いていた。

「……親方! 空から焼酎が!!」

 ゆるやかな放物線は、こちらが進む軌道と重なって。
 それはトナカイと焼酎の、まさに運命的な衝突針路……。

 くる、くる、くる――と瓶は周り、

 そのままブリッツェンの口に、


 がぽっ。

 んごっ、んごっ、んごっ、んごっ、んごっ、んごっ…………っくん。
94 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:17:25.91 ID:Qezuh/qr0

「ブリッツェン〜? 何を飲んで…………あ゙」
「あら、お見事」
「うわっ全部飲んだのか!?」

 ソリに転がってきた一升瓶には、もう一滴たりとも中身が残っていない。
 ……ブリッツェンの全身が、痙攣のように激しく震えた。

「…………ブ…………」

 あ。
 やばい。
 全員咄嗟にそう思って、掴めるものを掴むが早いか――


「ブモモモモモモモモモモモモモモオオオオオオオーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」


 まさに雷(ブリッツ)もかくや。
 酒の力をしこたま借りて、ブリッツェンは暴力的な加速を見せた。
 スピードは倍以上、パワーはヤケクソ、まさに暴れ馬ならぬ暴れトナカイ……!
 とんでもないGと風圧が襲い来る。蹄に踏まれる大気が一歩ごとに轟音を立てる。
 俺は慌ててソリにしがみつき、イヴがのけぞって、楓さんの髪が面白いことになった。
95 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:18:22.40 ID:Qezuh/qr0

「うわわわっ、ぶ、ブリッツェン〜!! もうちょっとゆっくり〜……あっ!」

 直線上の遥か向こう、遠い座敷との距離がどんどん縮まってくるではないか。
 イヴは手綱を握り直し、気合を込めて「ふすっ」と鼻息を吹いた。

「このままいくと追いつけます〜っ! いけいけブリッツェン! どんと・すとっぷ・みー・な〜〜〜うっ!!」
「ブモモモモモモモモモモモモモモモモモモモモモモモモモモモモモモモモモモモモモモモ!!!!!」
「はばなぐったーいむ! はばなぐったーいむ!!」

 何だか知らんが、とにかくよし!
 ドライバーズハイ状態に入ったイヴの操縦は神がかっていた。
 荒れ狂うソリの振動を柔らかく殺し、右へ左へ揺れまくる酔いブリッツェンの針路を前方に保って、
 さながら一発のミサイルのようにただ前へ、前へ、前へ!


 そしてあんなにも遠かった座敷が、今――

「追い着いた……!」
96 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:19:31.17 ID:Qezuh/qr0

「ブリッツェン、そのままそのまま〜! どうどう〜っ!!」
「ブッブモッ、ブモモッ!! ブモモモモーーーッ!!」

 イヴのヤバイ級トナカイ操縦テクにより、ブリッツェンは速度と針路を一定に保つ。
 空中座敷にぴったり横付けして……両者の距離と相対速度はほぼゼロになった。

「プロデューサーさん!」
「美穂、蘭子! 無事か!?」

 色めき立ったのは海老原の狸達。
 かくなる上は移乗攻撃かと腕まくりする彼らを尻目に、俺はすぐさま次の一手へ。

「周子のご両親――」

 取り出したるは、厳重に包んだ一つの袋。
 風に流されないよう、きっちり重しもつけた上で……。

「乱暴な使い方、お許しください!」

 投げる!!
97 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:20:12.73 ID:Qezuh/qr0

 狙いあやまたず、それは向こうの座敷にぼすっと落ちた。
 すわ爆弾かはたまた煙玉か。狸どもは慌てふためくが、危険物ではないことにほっと胸を撫で下ろす。
 だが……肝心の「それ」が何なのか、いち早く知ったご老体が目を見開いた。

「こッ……これはぁッ!」
「知っとるとですか、父上!?」

「噂に名高き京の名老舗……『塩見屋』謹製の和菓子詰め合わせではなかかーーッ!!」

 カッ!!

「「「「何ィイイイッ!?」」」」

 カカッ!!

「まこて! まっこて塩見屋の和菓子じゃ!」「待てぃわしが毒見を」「おいが喰う!」「俺が先じゃあ!」
「うまか!」「あまか!」「すごか!」「よか!」「天にも昇っがごた!!」

 周子の実家が「その筋」で有名なのは本当のようだ。
 和菓子大好き狸なら、賞味せずにはいられまい。うちもお中元に頂いてるけど超絶うまいもんな。

「――よし二人とも、今だ!!」
98 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:20:58.89 ID:Qezuh/qr0

 和菓子を巡ってわちゃわちゃしだす狸を尻目に、美穂と蘭子が駆け出した。
 蘭子が海老原さんの縄をほどき、美穂はご両親の檻へ飛びつく!

「女神よ、今こそそなたを封じ込める呪縛を解かん!」
「あ、ありがとうございます〜! みなさん、ご無事で何より〜……!」

「お父さん、お母さん! 起きて!」
『う〜ん……(狸語)』
『その声は、美穂……美穂ね?(狸語)』
「うん、美穂だよ。でも話は後! 今出してあげるからね!」

 檻そのものは単純な作りで、錠前のようなものは無かった。
 扉にかかっていた小さな閂を外し、美穂はふかふかした二匹の狸を助け出す。

 というところで、相手が正気に戻った。

「なあっ、しまったあ!?」
「和菓子をエサにするとは卑怯千万!!」
「こっちのセリフだこの狸親父! 美穂、蘭子、まずご両親を!」
99 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:21:34.47 ID:Qezuh/qr0

「はいっ! 蘭子ちゃん、ぱーす!!」

「ふゎわ、運命の邂逅と継承せし飛翔の魔術!?」
(訳:初めまして……って言ってる場合じゃなくて!)

 美穂が投げて、蘭子が受け取って、お父さんをぽーんとソリへ。
 もう一度同じ要領で、お母さんもぽんぽーんとソリへ。
 よし、ナイス着地!

「ぽんっ! ぽこ! ぽーんっ!(訳:初めまして美穂の父です!)」
「ぽこーっ!(訳:同じく母です! 娘がいつもお世話になっております!)」
「ん!? あ! はい! どうも!?」

 とりあえず元気だった。
 言ってることの意味はよくわからんが、とにかくよかった。
 よし、あとは三人がソリに戻ればこっちのもんだ!

「私は大丈夫です〜っ! 先にお二人を〜!」

 海老原さんに背中を押され、まず蘭子が駆け出す。
 ぎゅっと身を縮めたまま座敷を横切り、柵を超えてジャンプ!

「蘭子!」
「ふぎゅぅっ!」

 ばっちり受け止める。寒さのせいか怯えのせいか、その両方か、蘭子は震えていた。
 よく頑張ってくれた――抱き寄せて頭を撫でると、震えはやがて収まった。
100 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:22:20.76 ID:Qezuh/qr0

「座敷の揺れ方が変ですね。ガス欠が近いんじゃないかしら――美穂ちゃん、急いで!」
「は、はい!!」

「ならん! 逃がすわけにhぬわーっ!!」
「だめですってば〜!」

 ぼぬーん!

 捕まえようとした狸が海老原さんのボディプレスで制圧された。正直ちょっと羨ましかった。
 美穂が座敷を横切り、待ち構えるソリの上へ、飛ぶ――


 瞬間。

 空中座敷が、ガクンと大きく上下に揺れた。
101 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:22:59.47 ID:Qezuh/qr0


 誰が意図したものでもなかった。
 空中座敷がガス欠を起こしかけ、狸が慌てて燃料補給し、茶釜エンジンが息を吹き返したその揺れだった。

 タイミングがあと一秒早いか遅いかすれば、なんのこともない揺れだったのに――

 それは、美穂が跳びかけたのとほぼ同時だったのだ。


「あ――」


 誰もが呆気に取られる一瞬。

 美穂が足を踏み外して、たった一人で空中に投げ出される。

102 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:23:46.92 ID:Qezuh/qr0


 俺はその時、もう何も考えていなかった。


 ソリから踏み出す。

 狸は空を飛べない。

 人間だって飛べない。


 んなもん知るか。

 放り出される美穂の姿が、世界の全てだった。

103 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:24:17.38 ID:Qezuh/qr0

 美穂の手を掴み取り、抱き寄せる。
 ギリギリで間に合った。

 だが既に、俺の体を支えるものも何も無い。


「プロデューサー!?」
「ああっ、二人とも〜っ!!」
「な、なんちゅうことじゃ!!」

 一瞬遅れてみんな正気に戻る。
 人狸の隔てなく、三者三様に差し伸べられた手は、しかし全てスカった。


 気が付けば足先に空、頭の上に熊本市街。

 全身が浮遊感に晒される。
 オレンジに染まる空を二人、真っ逆さまに落ちていく。
104 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:24:49.83 ID:Qezuh/qr0

 腕の中の美穂は気を失っているようだった。
 こっちも遠くなりかけた意識を繋ぎとめる。

 絶対に背中から落ちようと思った。

 狸の姿ならそんなに重くない。俺の体がクッションになって、美穂だけは助かるかもしれない。
 だからせめて変化だけは解かせたいのだが。

「美穂、起きろ! 狸に戻るんだ! 美穂っ!」

 と言いたいのだが、落ちながら喋った経験が無いのでちゃんと話せているかわからない。

 俺はどうなったっていい。
 けど、この子だけは助からなくちゃいけない。

 遥か下の街々を見下ろしながら、腕の中の温もりを強く抱き寄せた。
105 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:25:17.14 ID:Qezuh/qr0


 ――――プロデューサーさん?


 気が付けば、大好きな匂いに包まれていました。
 そうだ私、座敷から落ちちゃって……!

 私を抱きしめながら、プロデューサーさんはしきりに叫んでいました。

 狸に戻れ、と。自分がクッションになって、私だけでも助けると――そういう意味のことを。

「だめ、です、そんなの……!!」

 どうしよう、どうしようどうしようどうしよう。

 なんとかしなきゃ。諦めちゃ駄目だ。
 私はどうなってもいい。
 だからせめて、この人だけは――
106 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:25:45.88 ID:Qezuh/qr0


 その時、横合いからものすごい突風が吹きました。

 風は鋭く冷たくて、私達二人を更にもみくちゃにします。

 首に巻いたピンクのマフラーが、ばたばたと暴れるようにはためきます。


 あ。


 なびくマフラーの動き方で、風の道筋が見えました。
 遥か上空から吹き付けて、ずっと下にまで届く一陣の風。

 それはまるで、空と地上を繋ぐ見えない道のようで。

107 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:26:30.51 ID:Qezuh/qr0

 狸の「化学(ばけがく)」は、他者に己の姿を見誤らせ、脅かす技術の総称。
 ある権威が言うには「身体の全組織組み替えの驚異」であり、ただの擬態とは一線を画す「変身」を実現する奇妙奇天烈の御業です。
 究めれば狸から人になるにも、物になるにも他の動物になるにもまさに自由自在。

 けれど大前提として、「無いものは増やせない」という原則があるのです。
 たとえば目や手足を実際以上に増やしても、元あるもの以外は全てまやかし。
 鳥になって翼を生やしても、偽りのそれで羽ばたくことはできません。

 なので化け狸は「無い器官」が必要になった時、木の葉や木の枝や他のものを変化に使い、それを代用としてきました。

 今、私に必要なのは、翼です。

 狸に翼はありません。

 飛べない狸が宙を舞うには、もう一つアイテムが必要なのです。

 ――たとえ、はりぼてでも。
108 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:27:04.74 ID:Qezuh/qr0


 だから卯月ちゃん、響子ちゃん。

 どうか、私達に翼をください。

 首に巻いたマフラーを噛み、プロデューサーさんを強く強く抱きしめて、私は念じます――――



 ポンッ!!

109 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:27:39.82 ID:Qezuh/qr0

蘭子「美穂ちゃ〜〜〜〜〜んっ!! プロデューサ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」

父母「「ぽこーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」」

イヴ「よっ、ほっ、と、ブリッツェン! どうどう〜! ――ふ、二人はどうなったんですか〜!?」

楓「落ち着いて。ほら、下を……」


蘭子「…………翼?」


イヴ「あれって……ピンク色のパラシュート? いや、というか、グライダーですか〜?」

楓「風に乗って、ふわふわと滑空して……。風の先は地上です。あの調子だと、安全に着陸できそうね」

蘭子「ほ…………ほぉぉ〜〜〜〜〜っ……」ヘタッ

イヴ「はぁ〜、良かったぁ〜……」

楓「なんだか素敵だわ。きれいなピンク色で、上から見ているとハートマークみたい」

イヴ「あ、あれかわいいですねぇ。ほら右側に描かれてる……ドワーフ?」

楓「もんじゃ焼きに見えますけど、違うのかしら?」

蘭子「あの、狸って美穂ちゃんが……」
110 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:28:42.87 ID:Qezuh/qr0


イヴ「あれ? けど変ですねぇ。SNS(サンタネットワーキングサービス)によると、今日の熊本上空は無風だったような〜」

楓「普通の風は全然ですね。だけど、『何もないところから急に起こる突風』というものがたま〜にあって――」グビグビ

  カラン


楓「それは、天狗風というそうですよ?」

111 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:29:18.34 ID:Qezuh/qr0

 気が付けば、空を見上げていました。

 化け狸のグライダーは風に乗り、鶴屋百貨店の屋上に軟着陸。
 夢中で化けていた私は変化を解き、呆然とへたり込んでいます。

「ありがとう……」

 口をついて出る言葉は、変化を助けてくれたピンクのマフラーへか。
 それとも過ぎ去った突風へ向けたものか……自分でもわかりません。
 両方だったのかもしれません。

 いえ、それともう一人――って、あ。


「プロデューサーさん! プロデューサーさんは!?」

 い、いない!?
 周りを見渡しても姿がありません。どこかで落としちゃった!?
 いや、絶対そんなはずないのに……!!
112 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:29:54.11 ID:Qezuh/qr0


「ミホ……ミホ……」
「!! プロデューサーさんっ! どこにいるんですか!?」
「ミホ……クルシイ……ドイテ……」

 それにしても、なんだかお尻がむずむずするなぁ……。
 あ!!!

「ごっ、ごごごごごめんなさい私!! ぜっぜっ全然気付かなくてっ!!」

 自分が下敷きにしちゃってたことに気付いて、顔がぼっと熱くなります。
 私のお尻から解放されたプロデューサーさんは、仰向けのまま「ぷはっ」と息を吐き出しました。

「良かった。無事そうだな」

 自分のことを差し置いて、開口一番そんなことを言うものだから。

「……もう……」
「美穂?」
「もう……もう、もうっ! もうっもうっもう〜〜〜〜っ!」
「あいた!? ちょっ待っ美穂、なん……痛っ! 普通にいてぇ!?」

 私の為に、あんなことして。
 自分のことなんか考えもしないで。
 色んな感情がごちゃごちゃのむずむずになって、狸じゃなくて牛さんみたいに鳴いて、ぽかぽか叩きます。

 嬉しかった。
 ありがとう。

 ほんとは、そう言いたいのに。
113 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:30:22.12 ID:Qezuh/qr0


「えーっと……」
「むぅぅう……!!」
「……危ないことして、すいませんでした」
「………………許しますっ」

 でも考えてみれば、こっちもあんまり人の事は言えなかったりして。

「……私も、危なっかしいことしてごめんなさい」
「むむ。うん、許す」

 ぺっこりと、二人同時に頭を下げてお互い様。

「……ぷふっ」
「あははっ……」

 どちらからともなく、笑い声が漏れて。
 それはそれとしてクタクタに疲れちゃってた私達は、並んでその場に横たわりました。

 空にはもう、いくつもの星が瞬いていました。

 遥か向こうで、点のような二つの飛行体が綺麗な軌道を描きます。

 そのうち一つが針路をこっちに向けるのが、地上からでもはっきりわかりました。
114 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:30:56.10 ID:Qezuh/qr0

 みんな、無事かなぁ。
 蘭子ちゃん、周子ちゃん、紗枝ちゃん、芳乃ちゃん。
 菜帆ちゃん、イヴさん、楓さん。
 お父さん、お母さん……。

「大丈夫だ」

 頭の中を見透かしたように、真横のプロデューサーさんが言いました。

「その為にやってきたんだ。だから明日、最高のステージを見せてくれよな」
「ふふ。任せてくださいっ」
「おう――ていうか寒いなやっぱ! もうちょっと厚着してくるんだった……!」

 心頭滅却すれば火もまた涼し、の逆パターンってあるんでしょうか。
 確かに、それまで気にする暇すらなかった寒さが今になって堪えます。

 ……あ、そうだ。

「プロデューサーさん」
「ん? ……おっ、これ……」
「えへへ。私の、お守りです」

 二人に貰った、ピンク色のマフラー。

 私はそっと肩を寄せて、彼の首にその半分を巻いてみたのでした。
115 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:31:40.25 ID:Qezuh/qr0


P(かくして、熊本上空の空中戦&地上の対狸作戦は成功の裡に終わった)

P(けど、これで終わりじゃない)

P(俺がまとめるべき最後の仕事が、まだある)

P(そもそも海老原狸とは立場上、敵対関係にある。とことん邪魔されたし腹も立たされた)


P(だが何も、だからって彼らを懲らしめてやりたいわけじゃないのだ)

116 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:32:18.66 ID:Qezuh/qr0



  エピローグ

  いつでもだれかが


117 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:32:49.67 ID:Qezuh/qr0

   ―― 12月16日 朝 藤崎八幡宮裏手


P「…………」

海老原狸「…………」

周子「…………」

菜帆「…………」

海老原狸「…………他んヤツらはどげんした」

P「会場で先に準備しています。そちらこそ、お父上は?」

海老原狸「寝込んどるわっ。豊前坊様の秘宝が、あんな得体も知れん鼻水トナカイに負けるなぞ……ぶつぶつ……」

菜帆「伯父さん〜」

海老原狸「ム……。……小日向ん娘は大丈夫やったっか」

P「傷一つありませんのでご安心を。それより、もうこんなことやめませんか?」

海老原狸「ならん!! 俺らにも意地っちゅうもんがある! 見とれ、海老原が負けても第二第三の狸が……」

P「――塩見屋、例のものをこれへ」

周子「御意」スッ

   トン

P「こちらに、塩見屋の和菓子詰め合わせがもうワンセットございます」

海老原狸「!?」
118 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:33:29.84 ID:Qezuh/qr0

P「菜帆さんの話によると、海老原の狸ご一家はみな和菓子に目が無いとか……」

P「そちらさえ良ければ、これで手打ちとしたく存じますが」

海老原狸「わ、賄賂を受け取れっちゅうんか!? 菓子で手を引けと!? そげんこつ、お断りじゃ!!」

P「あ、いらないっすか。じゃあどうしようかなこれ。周子食う?」

周子「食べる食べるー。実家の味が恋しいわー」

海老原狸「ああっ」

P「ほい口開けて、生八ツ橋」ヒョイッ

周子「あーんっ……うん、おいしい。やるねぇ塩見屋」パクッ

海老原狸「あああっ」

P「ほい栗ようかん」ヒョイッ

周子「うんうん、クオリティ保ってて感心感心♪」パクッ

海老原狸「ああああっ」

P「名物、ご主人特製塩大福。これがまた特に激ウマ」ヒョイッ

周子「これって時間によっちゃ行列ができるんだよねー。ん〜っ、さすが父さん♪」パクッ

海老原狸「あああああっ」

周子「ちなみに他県のお得意さんには、クール便で定期的に郵送したりもしててさ」

周子「一見さんお断りだけどね。娘の口利きがなきゃ、そちらさんには逆立ちしてもできないことよ?」

P「お聞きになったでしょう。海老原さんほどの和菓子通ともあろう者が、この機をみすみす逃すんですか?」

海老原狸「ぐっぐううっ、くぅぅぅ……っ!?」

P(ちなみに一見さんお断りってマジなの?)ヒソヒソ

周子(まっさか。うちは初代の頃からどなたさんでも大歓迎よ)ヒソヒソ
119 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:34:14.05 ID:Qezuh/qr0

菜帆「伯父さん、もういいじゃないですか〜」

海老原狸「な、菜帆……」

菜帆「そんな固いまんまだと、お菓子をおいしくいただけませんし〜……」

菜帆「それに、みんなで食べるのが一番でしょう〜?」

海老原狸「………………」

P「一時は敵対しましたが、我々はなにもあなたがたに恨みがあるわけじゃありません」

P「これを機に、お互い歩み寄れないか……と考えています」

周子「で、お近づきの印がウチの和菓子。これからはお互い仲良くして、友達同士ならいがみ合うこともない、と」

周子「ど? まんざら筋の違う話でもないと思うけど」

海老原狸「……………………」

菜帆「伯父さん〜……」

海老原狸「…………………………わかった」


海老原狸「うちの、負けじゃ」
120 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:34:43.66 ID:Qezuh/qr0

周子「ほっ……」

P「ありがとうございます。では、これを……」スッ

海老原狸「? 何ねこれは」

P「今夜行うLIVEの、関係者席のパスです」

P「どうか、一度でも見てみて下さい。彼女達がどんなことをしているのか」
121 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:35:18.57 ID:Qezuh/qr0

  ―― LIVE会場


美穂「熊本のみなさーんっ! ただいまーっ!!」

蘭子「闇の魔王、今こそ舞い戻ったわっ!!」

 ワアアアアアアアアア!!


周子「――いや〜それにしても参ったよぉ。熊本来るなり狸に化かされて、そうかと思えば狐に絡まれるんだもん」

紗枝「あらぁ周子はん、真昼に夢でも見てはったんどすか?」

周子「いやいや夢じゃないって! 証拠に狸の毛ぇ引っこ抜いてきて……葉っぱだこれ」

 ドッ ワハハハハハハ……


芳乃「みなみなさまに出会えしことー、とても嬉しく思いましてー」

芳乃「今日の善き日を忘れぬようー、わたくしたちー、『けせらせら』の舞を奉じませー」

芳乃「それではー……」


「「「「「聞いてください!」」」」」
122 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:35:56.37 ID:Qezuh/qr0

菜帆「おお〜〜〜……」

P「……うん。素晴らしい仕上がりだ」

楓「楽しくて、良いステージですね。なんだか幸せな気持ちになります♪」

父母(人間形態)「「フゥーッ! フゥーッ! ウォーッハイ!! ウォーッハイ!!」」

P「ご両親のコール完璧だな!」

イヴ「いぇ〜い! ふぅ〜!」

ブリッツェン「ブモモッ! ブモモッ!」

菜帆「なんだか……すごいですねぇ〜」

P「そうだろ? みんな、この日の為に頑張ってきたんだ」

菜帆「――――あのぉ〜」


菜帆「アイドルって、楽しいですか?」


P「ん……俺がみんなの代弁するのは、ちょっと僭越なもんがあるけど」

P「みんな、笑顔だろ?」

菜帆「はい〜。五人もお客さんも、とってもいい笑顔です〜」

P「な? それが、答えだと思う」

菜帆「笑顔……」

菜帆「うふふぅ。私も、自然と笑っちゃいます〜」


  ワアアアアアアアアアアア……
123 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:36:39.23 ID:Qezuh/qr0

 夢のようなLIVEは終わりを告げて。

 ステージの光もみんなの声も、空の向こうに飛んでいっちゃうようで、だけど私はいつまでも覚えています。


 翌日、プロデューサーさんは丸一日のオフを作ってくれていました。

 そうなるとやっぱり、やることは熊本観光!
 地元民の私と蘭子ちゃん、それに菜帆ちゃんも加わって、みんなを色んなところに案内しました。
 熊本城は残念ながらまだ工事中だったけど、思い付く限りの場所を回って日が暮れるまで遊んだり。
 ホテルの部屋に集まって、女の子だけでこ、こ、コイバナ……なんかしちゃったり。

 帰りの飛行機は明日のお昼。

 それまでに……もう一つだけ、やりたいことがあります。

 お願いしてみると、プロデューサーさんは快諾してくれました。
124 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:37:41.77 ID:Qezuh/qr0


   ―― 12月18日 朝 人吉市・鏡山


「うぅっ、やっぱり寒いぃ……」
「大丈夫か? カイロあるぞ」
「ふるる……だ、大丈夫です。なんだかこの寒さも懐かしくって」

 車を降りて山を登ると、街とは別世界のような静かな景色。
 昨夜遅くから早朝にかけて積もった雪が、朝日を受けてきらきら輝いていました。
 雪雲は晴れて、めまいを覚えるような鮮やかな青空が広がっています。


 ここは私の本当の故郷。
 人吉は鏡山、日が当たる古びたお堂の境内です。

「それじゃ、美穂。俺はここで見てるから」
「はい。いってきますっ」

 ざっ、と境内の中心に歩み出ます。 
 人の姿はないけれど、そこにはたくさんの気配がありました。
 狸です。
 木陰に、雪の陰に、お堂の中に、縁の下に、たくさんの狸がひしめいて、私をじっと見守っています。
 それはお父さんやお母さんでもあって、お堂を守るお爺ちゃんやお婆ちゃんでもあって。
 海老原の狸でもあって、あちこちの無頼狸でもあって、とにかく色んなとこから集まってきた狸がいっぱい。

 お父さんやお母さんにも伝えておいた、最後に一つの「やりたいこと」を、今します。

 耳と尻尾をひょいっと出して、私は大きく息を吸い込み――――
125 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:38:28.61 ID:Qezuh/qr0


 衣装や音楽はなく。
 踊りも仲間もなく。

 いわばアカペラの状態で、歌を歌います。

 空と風と恋のワルツ。


 私の故郷に、山に空に、狸に、みんなに。

 大切なことを伝えるように、胸を張って歌います。

 私は元気です。

 居場所ができました。

 大事な仲間ができました。

 好きな人が、できました。

126 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:39:07.11 ID:Qezuh/qr0

 小日向の由来はいつか話したから、今度は「美穂」って名前についてお話ししますね。

 これって実は、狸の尻尾に由来してるんです。

 ご存知の通り狸の尻尾は、短めで毛深くてもこもこです。
 それが垂れ下がったり風にふわふわ揺れてたりする様が、狸の間では稲穂によくたとえられます。
 尻尾の調子は健康のバロメーター。元気ならもふもふで、そうでないときは目に見えてしょんぼりするものです。

 だから私は美しく実る稲穂のように、いつまでも瑞々しく元気であれ。
 実りの秋も、芽吹きの春も、カンカン照りの猛暑の夏も、そして雪が降り積もる寒い冬も。
 年中どんな時も、ふわふわもふもふの尻尾であれ――と。
 

 いつしか物陰から狸達が出てきて、一様に私の歌に耳を傾けていました。

 元気な尻尾を揺らしながら、私は歌いました。

 空は高く、風が澄んだ、小さな冬晴れの日向で。
127 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:39:55.83 ID:Qezuh/qr0


「――それじゃあ二曲目いきますっ! 『Naked Romance』!」

 ポコォォオオオオオオオオーーーーーーーーーーーーーーッ!!!

 後はもう、大盛り上がりでした。
 なぜかみんなコールを覚えていて、中にはおっきなペンライトや楽器に化ける子もいて。

 どんちゃん騒ぎの中心で、私もぽんぽこ踊っちゃいます。


 一回盛り上がった狸の踊りは、そうそう収まることはありません。
 これはきっと日が高くなるまで続くので、私とプロデューサーさんはこっそり帰ることにしました。

「いいのか?」
「はいっ。あ、お父さん、お母さん!」

 去り際、人に化けた両親が私達を見送っていました。
 二言三言挨拶を交わして、またいつか帰ってくることを約束して。

 最後に二人は、プロデューサーさんに深々と頭を下げました。

 美穂のことを、どうか末永くよろしくお願いします――って。
128 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:40:59.99 ID:Qezuh/qr0

 さく、さく、と雪を踏みながら、坂道を並んで歩いていきます。

「ん、美穂、尻尾出っぱなしだぞ」
「山にいる間はいいんですっ。だって、自慢の尻尾ですから!」
「そっか。――じゃ、戻ろう。みんな待ってる」
「はい。あの……」

 普段の私なら、恥ずかしくって絶対言えないようなこと。
 まだ聞こえる狸のお囃子に押されて、思い切って言ってみます。

「て――手を。つ、繋いでみませんか……っ?」
「手」
「はい、あのえっと、プロデューサーさん手袋つけてないから、きっと冷たいだろうなって……」

 ……だめ、ですか?
 言った後で顔が熱くなって、もたもたしだす私。
 思わず目を逸らした瞬間、ふっと手を取られて。

「あ……」
「うわ、お互い冷えてるなぁ。でもまあ、こうしてたら温かくなるのかな?」

 寒くて冷たくなった手だけど、今の私には火のように熱く感じられます。
 人間に毛皮が無い理由、今ならわかる気がしました。
 触れ合った時、こんなにもはっきり鼓動を感じるから。

「……えへへっ」

 手を繋いで二人、一歩一歩、降りていきます。
129 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:41:37.03 ID:Qezuh/qr0




 ……今なら、言えるかも。



130 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:42:19.99 ID:Qezuh/qr0


「プロデューサーさん」

 揃う足音を、一つ一つ数えながら。

「熊本は、好きですか?」
「ああ、いいとこだよな。やっぱり近いうちにまた来ようって決めたよ」
「狸は、好きですか?」
「うん。頑固者もいるってわかったけど、それは人も一緒だ。これからも仲良くしていきたいな」
「それじゃあ……」

 私は、好きですか?

 私は、あなたのことが好きです。

 足を止めて、繋いだ手をくいと引きます。
 大好きな人は、引っ張られて不思議そうな顔をします。

「プロデューサーさん」
「ん?」
「私、あなたが――――」


 パキッ。


 ………………「パキッ」?
131 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:43:05.47 ID:Qezuh/qr0

「それいけっ、チューだ! そこで一発チューだっ! 唇は喋る為に咲いてるんじゃないっ!」
「周子はん〜、そない声出しはると気付かれてまうで〜」
「はわわわ……っ。た、魂の契り……。み、み、蜜のたわむれ……っ」
「よきかなーよきかなー」
「プレゼント枠、もう一人追加でしょうか〜?」
「それより今、誰か枝を踏まなかったかしら? 声出して、小枝まで踏んじゃうと大変……なんて」


「「「「「「あ」」」」」

「「あ」」


 ……………………………………………………。
132 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:43:42.85 ID:Qezuh/qr0


「……も、もーーーーーーーーーーーーーっ!! どうしてみんな見てるのーーーーーーーーーっ!!!」


 私が追っかけると、みんなわーっと逃げていきました。
 もう恥ずかしいどころの話じゃありません。
 きっと私の顔は真っ赤になっていると思います。あんなに冷たかった風が気持ちいいくらいです。

 逃げるみんなを追いかけて、さっきまでとは大違いの騒がしさで坂を下って。

 ぽかんとしていたプロデューサーさんも少し笑って、私の後に続きました。

133 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:44:19.20 ID:Qezuh/qr0

   ―― ハイエース(レンタル) 車内

  ブロロロロロ…

美穂「……」プクー

周子「ごめんごめん美穂ちゃん、機嫌直してってば〜」

美穂「うぅ……それはいいんだけど……」

P「うん、いい時間だ。飛行機には十分間に合いそうだな。空港で昼飯食っていくか?」

蘭子「白く煮えたぎる聖杯を我に!」
  (訳:私、とんこつラーメンが食べたいです!)

楓「焼酎と一緒に、おいしい馬刺しなんていかがでしょう?」

P「あんたは昼から飲もうとしてんじゃないよ!」

イヴ「あったかいものが食べたいですぅ! ね、ブリッツェン!」

 /ブモッ!\ (屋根の上にいる)

紗枝「せやけど、熊本ともこれでお別れどすなぁ。なんや、寂しゅうなってまいます」

芳乃「いずれまたー、訪うこともありましょうー」

美穂「……あのー……」

P「どうした? なんか忘れもんか?」

美穂「いえ、忘れものとかじゃないんですけど――」
134 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:44:54.44 ID:Qezuh/qr0


美穂「――ど、どうして、菜帆ちゃんも来てるんですか!?」

菜帆「いやですねぇ、水臭いこと言わないでくださいよ〜。あ、栗饅頭いかがですか〜?」

P「ああ菜帆さんね。うん、あのね」

P「スカウトしちゃった☆」

菜帆「お呼ばれされちゃいました〜♪」

紗枝「ほんま、おどろきましたわぁ。プロデューサーはんたら先に言うてくれはったらええのにぃ」

P「仕事柄、見込みのある女の子は逃がさないようにしてるのだ」

周子「……その言い方誤解招くからよそじゃやめとき?」

美穂「そうなんだ……び、びっくりしたけど。あ、栗饅頭おいしい……」

美穂「じゃあ、菜帆ちゃんともアイドルできるんですねっ!」

P「そういうことだ。帰ったらまた忙しくなるぞー」

菜帆「私、地元を出たことないから楽しみです〜っ」

蘭子「再び集いし神々の戯れ! 汝、祭壇に座す者達の光輝に浴すがいいわ!」
  (訳:東京のみんなもすっごくいい人たちばっかりです! 紹介しますね!)


芳乃「ふふふー。賑やかになりそうでー、楽しみなのでしてー」

紗枝「せやねぇ。あいどるのお仕事、休む暇もあらしまへんなぁ♪」

周子「ほーんと色々あったねぇ今回は。ま、これからも色々あるんだろうけど――」


周子「ケセラセラ(なるようになる)、ってね」
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/16(土) 01:45:30.54 ID:09H6DQz30
クオリティたっか
136 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:45:36.46 ID:Qezuh/qr0


 ♪〜 イッツデモダレカガー


P「お、この歌……」

美穂「ラジオですか?」

P「うん。懐かしいなぁ」

菜帆「ご存知なんですか〜?」

P「まだ全然ちっちゃかった頃、大好きでさ。よく聴いてたんだよ。ちょっと音量上げるな」
137 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:46:06.09 ID:Qezuh/qr0


 いつでも誰かが きっとそばにいる

 思い出しておくれ すてきなその名を

 心がふさいで 何も見えない夜

 きっときっと誰かが いつもそばにいる


 生まれた街を 遠く離れても

 忘れないでおくれ あの街の風を


 いつでも誰かが きっとそばにいる

 そうさきっとおまえが いつもそばにいる――




 〜おしまい〜
138 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:46:36.08 ID:Qezuh/qr0

https://www.youtube.com/watch?v=5nwhkG3KeNk
139 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:48:39.51 ID:Qezuh/qr0
 以上となります。かなり長くなってしまいましたが、お付き合いありがとうございました。
 依頼出してきます。

 こっひお誕生日おめでとう。
140 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/12/16(土) 02:03:49.67 ID:zK3uA6Js0
まるで一本の映画を観たような満足感
とても面白かった、乙です
141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/12/16(土) 02:12:32.51 ID:wjegMg7l0
乙GJ

百鬼夜行の中にしれっと
シベリアンハスキー混じってて吹いた。

いやまあ狸もイヌ科だけどw

142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/16(土) 02:52:10.68 ID:bhGuFG0j0

面白かったよ
143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/16(土) 03:09:25.63 ID:RQZvBpnVo
乙でした
アイドル皆可愛いw
144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/16(土) 11:30:12.44 ID:iZAINfK30
おつおつ、やはり楓さんの正体は
145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/16(土) 12:29:04.53 ID:pFTysFc4o

ブリッツェンちゅよい
146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/16(土) 20:05:13.52 ID:213hp2LGo
放り出される美穂の姿が世界の全てだったで不覚にもうるっときた
本当に面白かったありがとう
147 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/16(土) 23:44:32.43 ID:7VaHoWr0O
美穂は熊本の宝やね
人吉出身は公式設定だっけ?
148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/19(火) 02:39:10.84 ID:enNPX/op0
>>11に出てくる妖怪調べてもことごとく不穏な顔しか出てこないんだけどwwwwww
英彦山とか人吉とか九州の地名がいっぱい出てきてニヤニヤしてしまった
まさかバトルものになるとは思わなかったがクオリティ高いわ
おつ
149 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2017/12/19(火) 13:40:37.82 ID:FjN3GcTNO
法螺貝をあれだけ長く吹ける肺活量に驚き。
マイク無しでライブ出来るんじゃ?

でもって小日向ちゃんの頭上に狸耳が見えてしょうがないんですが(苦情)


乙でしたー
122.01 KB Speed:0   VIP Service SS速報VIP 更新 専用ブラウザ 検索 全部 前100 次100 最新50 続きを読む
名前: E-mail(省略可)

256ビットSSL暗号化送信っぽいです 最大6000バイト 最大85行
画像アップロードに対応中!(http://fsmから始まるひらめアップローダからの画像URLがサムネイルで表示されるようになります)


スポンサードリンク


Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

荒巻@中の人 ★ VIP(Powered By VIP Service) read.cgi ver 2013/10/12 prev 2011/01/08 (Base By http://www.toshinari.net/ @Thanks!)
respop.js ver 01.0.4.0 2010/02/10 (by fla@Thanks!)