小日向美穂「空と風と恋と山と街と狸と人と」

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101 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:22:59.47 ID:Qezuh/qr0


 誰が意図したものでもなかった。
 空中座敷がガス欠を起こしかけ、狸が慌てて燃料補給し、茶釜エンジンが息を吹き返したその揺れだった。

 タイミングがあと一秒早いか遅いかすれば、なんのこともない揺れだったのに――

 それは、美穂が跳びかけたのとほぼ同時だったのだ。


「あ――」


 誰もが呆気に取られる一瞬。

 美穂が足を踏み外して、たった一人で空中に投げ出される。

102 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:23:46.92 ID:Qezuh/qr0


 俺はその時、もう何も考えていなかった。


 ソリから踏み出す。

 狸は空を飛べない。

 人間だって飛べない。


 んなもん知るか。

 放り出される美穂の姿が、世界の全てだった。

103 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:24:17.38 ID:Qezuh/qr0

 美穂の手を掴み取り、抱き寄せる。
 ギリギリで間に合った。

 だが既に、俺の体を支えるものも何も無い。


「プロデューサー!?」
「ああっ、二人とも〜っ!!」
「な、なんちゅうことじゃ!!」

 一瞬遅れてみんな正気に戻る。
 人狸の隔てなく、三者三様に差し伸べられた手は、しかし全てスカった。


 気が付けば足先に空、頭の上に熊本市街。

 全身が浮遊感に晒される。
 オレンジに染まる空を二人、真っ逆さまに落ちていく。
104 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:24:49.83 ID:Qezuh/qr0

 腕の中の美穂は気を失っているようだった。
 こっちも遠くなりかけた意識を繋ぎとめる。

 絶対に背中から落ちようと思った。

 狸の姿ならそんなに重くない。俺の体がクッションになって、美穂だけは助かるかもしれない。
 だからせめて変化だけは解かせたいのだが。

「美穂、起きろ! 狸に戻るんだ! 美穂っ!」

 と言いたいのだが、落ちながら喋った経験が無いのでちゃんと話せているかわからない。

 俺はどうなったっていい。
 けど、この子だけは助からなくちゃいけない。

 遥か下の街々を見下ろしながら、腕の中の温もりを強く抱き寄せた。
105 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:25:17.14 ID:Qezuh/qr0


 ――――プロデューサーさん?


 気が付けば、大好きな匂いに包まれていました。
 そうだ私、座敷から落ちちゃって……!

 私を抱きしめながら、プロデューサーさんはしきりに叫んでいました。

 狸に戻れ、と。自分がクッションになって、私だけでも助けると――そういう意味のことを。

「だめ、です、そんなの……!!」

 どうしよう、どうしようどうしようどうしよう。

 なんとかしなきゃ。諦めちゃ駄目だ。
 私はどうなってもいい。
 だからせめて、この人だけは――
106 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:25:45.88 ID:Qezuh/qr0


 その時、横合いからものすごい突風が吹きました。

 風は鋭く冷たくて、私達二人を更にもみくちゃにします。

 首に巻いたピンクのマフラーが、ばたばたと暴れるようにはためきます。


 あ。


 なびくマフラーの動き方で、風の道筋が見えました。
 遥か上空から吹き付けて、ずっと下にまで届く一陣の風。

 それはまるで、空と地上を繋ぐ見えない道のようで。

107 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:26:30.51 ID:Qezuh/qr0

 狸の「化学(ばけがく)」は、他者に己の姿を見誤らせ、脅かす技術の総称。
 ある権威が言うには「身体の全組織組み替えの驚異」であり、ただの擬態とは一線を画す「変身」を実現する奇妙奇天烈の御業です。
 究めれば狸から人になるにも、物になるにも他の動物になるにもまさに自由自在。

 けれど大前提として、「無いものは増やせない」という原則があるのです。
 たとえば目や手足を実際以上に増やしても、元あるもの以外は全てまやかし。
 鳥になって翼を生やしても、偽りのそれで羽ばたくことはできません。

 なので化け狸は「無い器官」が必要になった時、木の葉や木の枝や他のものを変化に使い、それを代用としてきました。

 今、私に必要なのは、翼です。

 狸に翼はありません。

 飛べない狸が宙を舞うには、もう一つアイテムが必要なのです。

 ――たとえ、はりぼてでも。
108 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:27:04.74 ID:Qezuh/qr0


 だから卯月ちゃん、響子ちゃん。

 どうか、私達に翼をください。

 首に巻いたマフラーを噛み、プロデューサーさんを強く強く抱きしめて、私は念じます――――



 ポンッ!!

109 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:27:39.82 ID:Qezuh/qr0

蘭子「美穂ちゃ〜〜〜〜〜んっ!! プロデューサ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」

父母「「ぽこーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」」

イヴ「よっ、ほっ、と、ブリッツェン! どうどう〜! ――ふ、二人はどうなったんですか〜!?」

楓「落ち着いて。ほら、下を……」


蘭子「…………翼?」


イヴ「あれって……ピンク色のパラシュート? いや、というか、グライダーですか〜?」

楓「風に乗って、ふわふわと滑空して……。風の先は地上です。あの調子だと、安全に着陸できそうね」

蘭子「ほ…………ほぉぉ〜〜〜〜〜っ……」ヘタッ

イヴ「はぁ〜、良かったぁ〜……」

楓「なんだか素敵だわ。きれいなピンク色で、上から見ているとハートマークみたい」

イヴ「あ、あれかわいいですねぇ。ほら右側に描かれてる……ドワーフ?」

楓「もんじゃ焼きに見えますけど、違うのかしら?」

蘭子「あの、狸って美穂ちゃんが……」
110 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:28:42.87 ID:Qezuh/qr0


イヴ「あれ? けど変ですねぇ。SNS(サンタネットワーキングサービス)によると、今日の熊本上空は無風だったような〜」

楓「普通の風は全然ですね。だけど、『何もないところから急に起こる突風』というものがたま〜にあって――」グビグビ

  カラン


楓「それは、天狗風というそうですよ?」

111 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:29:18.34 ID:Qezuh/qr0

 気が付けば、空を見上げていました。

 化け狸のグライダーは風に乗り、鶴屋百貨店の屋上に軟着陸。
 夢中で化けていた私は変化を解き、呆然とへたり込んでいます。

「ありがとう……」

 口をついて出る言葉は、変化を助けてくれたピンクのマフラーへか。
 それとも過ぎ去った突風へ向けたものか……自分でもわかりません。
 両方だったのかもしれません。

 いえ、それともう一人――って、あ。


「プロデューサーさん! プロデューサーさんは!?」

 い、いない!?
 周りを見渡しても姿がありません。どこかで落としちゃった!?
 いや、絶対そんなはずないのに……!!
112 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:29:54.11 ID:Qezuh/qr0


「ミホ……ミホ……」
「!! プロデューサーさんっ! どこにいるんですか!?」
「ミホ……クルシイ……ドイテ……」

 それにしても、なんだかお尻がむずむずするなぁ……。
 あ!!!

「ごっ、ごごごごごめんなさい私!! ぜっぜっ全然気付かなくてっ!!」

 自分が下敷きにしちゃってたことに気付いて、顔がぼっと熱くなります。
 私のお尻から解放されたプロデューサーさんは、仰向けのまま「ぷはっ」と息を吐き出しました。

「良かった。無事そうだな」

 自分のことを差し置いて、開口一番そんなことを言うものだから。

「……もう……」
「美穂?」
「もう……もう、もうっ! もうっもうっもう〜〜〜〜っ!」
「あいた!? ちょっ待っ美穂、なん……痛っ! 普通にいてぇ!?」

 私の為に、あんなことして。
 自分のことなんか考えもしないで。
 色んな感情がごちゃごちゃのむずむずになって、狸じゃなくて牛さんみたいに鳴いて、ぽかぽか叩きます。

 嬉しかった。
 ありがとう。

 ほんとは、そう言いたいのに。
113 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:30:22.12 ID:Qezuh/qr0


「えーっと……」
「むぅぅう……!!」
「……危ないことして、すいませんでした」
「………………許しますっ」

 でも考えてみれば、こっちもあんまり人の事は言えなかったりして。

「……私も、危なっかしいことしてごめんなさい」
「むむ。うん、許す」

 ぺっこりと、二人同時に頭を下げてお互い様。

「……ぷふっ」
「あははっ……」

 どちらからともなく、笑い声が漏れて。
 それはそれとしてクタクタに疲れちゃってた私達は、並んでその場に横たわりました。

 空にはもう、いくつもの星が瞬いていました。

 遥か向こうで、点のような二つの飛行体が綺麗な軌道を描きます。

 そのうち一つが針路をこっちに向けるのが、地上からでもはっきりわかりました。
114 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:30:56.10 ID:Qezuh/qr0

 みんな、無事かなぁ。
 蘭子ちゃん、周子ちゃん、紗枝ちゃん、芳乃ちゃん。
 菜帆ちゃん、イヴさん、楓さん。
 お父さん、お母さん……。

「大丈夫だ」

 頭の中を見透かしたように、真横のプロデューサーさんが言いました。

「その為にやってきたんだ。だから明日、最高のステージを見せてくれよな」
「ふふ。任せてくださいっ」
「おう――ていうか寒いなやっぱ! もうちょっと厚着してくるんだった……!」

 心頭滅却すれば火もまた涼し、の逆パターンってあるんでしょうか。
 確かに、それまで気にする暇すらなかった寒さが今になって堪えます。

 ……あ、そうだ。

「プロデューサーさん」
「ん? ……おっ、これ……」
「えへへ。私の、お守りです」

 二人に貰った、ピンク色のマフラー。

 私はそっと肩を寄せて、彼の首にその半分を巻いてみたのでした。
115 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:31:40.25 ID:Qezuh/qr0


P(かくして、熊本上空の空中戦&地上の対狸作戦は成功の裡に終わった)

P(けど、これで終わりじゃない)

P(俺がまとめるべき最後の仕事が、まだある)

P(そもそも海老原狸とは立場上、敵対関係にある。とことん邪魔されたし腹も立たされた)


P(だが何も、だからって彼らを懲らしめてやりたいわけじゃないのだ)

116 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:32:18.66 ID:Qezuh/qr0



  エピローグ

  いつでもだれかが


117 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:32:49.67 ID:Qezuh/qr0

   ―― 12月16日 朝 藤崎八幡宮裏手


P「…………」

海老原狸「…………」

周子「…………」

菜帆「…………」

海老原狸「…………他んヤツらはどげんした」

P「会場で先に準備しています。そちらこそ、お父上は?」

海老原狸「寝込んどるわっ。豊前坊様の秘宝が、あんな得体も知れん鼻水トナカイに負けるなぞ……ぶつぶつ……」

菜帆「伯父さん〜」

海老原狸「ム……。……小日向ん娘は大丈夫やったっか」

P「傷一つありませんのでご安心を。それより、もうこんなことやめませんか?」

海老原狸「ならん!! 俺らにも意地っちゅうもんがある! 見とれ、海老原が負けても第二第三の狸が……」

P「――塩見屋、例のものをこれへ」

周子「御意」スッ

   トン

P「こちらに、塩見屋の和菓子詰め合わせがもうワンセットございます」

海老原狸「!?」
118 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:33:29.84 ID:Qezuh/qr0

P「菜帆さんの話によると、海老原の狸ご一家はみな和菓子に目が無いとか……」

P「そちらさえ良ければ、これで手打ちとしたく存じますが」

海老原狸「わ、賄賂を受け取れっちゅうんか!? 菓子で手を引けと!? そげんこつ、お断りじゃ!!」

P「あ、いらないっすか。じゃあどうしようかなこれ。周子食う?」

周子「食べる食べるー。実家の味が恋しいわー」

海老原狸「ああっ」

P「ほい口開けて、生八ツ橋」ヒョイッ

周子「あーんっ……うん、おいしい。やるねぇ塩見屋」パクッ

海老原狸「あああっ」

P「ほい栗ようかん」ヒョイッ

周子「うんうん、クオリティ保ってて感心感心♪」パクッ

海老原狸「ああああっ」

P「名物、ご主人特製塩大福。これがまた特に激ウマ」ヒョイッ

周子「これって時間によっちゃ行列ができるんだよねー。ん〜っ、さすが父さん♪」パクッ

海老原狸「あああああっ」

周子「ちなみに他県のお得意さんには、クール便で定期的に郵送したりもしててさ」

周子「一見さんお断りだけどね。娘の口利きがなきゃ、そちらさんには逆立ちしてもできないことよ?」

P「お聞きになったでしょう。海老原さんほどの和菓子通ともあろう者が、この機をみすみす逃すんですか?」

海老原狸「ぐっぐううっ、くぅぅぅ……っ!?」

P(ちなみに一見さんお断りってマジなの?)ヒソヒソ

周子(まっさか。うちは初代の頃からどなたさんでも大歓迎よ)ヒソヒソ
119 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:34:14.05 ID:Qezuh/qr0

菜帆「伯父さん、もういいじゃないですか〜」

海老原狸「な、菜帆……」

菜帆「そんな固いまんまだと、お菓子をおいしくいただけませんし〜……」

菜帆「それに、みんなで食べるのが一番でしょう〜?」

海老原狸「………………」

P「一時は敵対しましたが、我々はなにもあなたがたに恨みがあるわけじゃありません」

P「これを機に、お互い歩み寄れないか……と考えています」

周子「で、お近づきの印がウチの和菓子。これからはお互い仲良くして、友達同士ならいがみ合うこともない、と」

周子「ど? まんざら筋の違う話でもないと思うけど」

海老原狸「……………………」

菜帆「伯父さん〜……」

海老原狸「…………………………わかった」


海老原狸「うちの、負けじゃ」
120 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:34:43.66 ID:Qezuh/qr0

周子「ほっ……」

P「ありがとうございます。では、これを……」スッ

海老原狸「? 何ねこれは」

P「今夜行うLIVEの、関係者席のパスです」

P「どうか、一度でも見てみて下さい。彼女達がどんなことをしているのか」
121 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:35:18.57 ID:Qezuh/qr0

  ―― LIVE会場


美穂「熊本のみなさーんっ! ただいまーっ!!」

蘭子「闇の魔王、今こそ舞い戻ったわっ!!」

 ワアアアアアアアアア!!


周子「――いや〜それにしても参ったよぉ。熊本来るなり狸に化かされて、そうかと思えば狐に絡まれるんだもん」

紗枝「あらぁ周子はん、真昼に夢でも見てはったんどすか?」

周子「いやいや夢じゃないって! 証拠に狸の毛ぇ引っこ抜いてきて……葉っぱだこれ」

 ドッ ワハハハハハハ……


芳乃「みなみなさまに出会えしことー、とても嬉しく思いましてー」

芳乃「今日の善き日を忘れぬようー、わたくしたちー、『けせらせら』の舞を奉じませー」

芳乃「それではー……」


「「「「「聞いてください!」」」」」
122 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:35:56.37 ID:Qezuh/qr0

菜帆「おお〜〜〜……」

P「……うん。素晴らしい仕上がりだ」

楓「楽しくて、良いステージですね。なんだか幸せな気持ちになります♪」

父母(人間形態)「「フゥーッ! フゥーッ! ウォーッハイ!! ウォーッハイ!!」」

P「ご両親のコール完璧だな!」

イヴ「いぇ〜い! ふぅ〜!」

ブリッツェン「ブモモッ! ブモモッ!」

菜帆「なんだか……すごいですねぇ〜」

P「そうだろ? みんな、この日の為に頑張ってきたんだ」

菜帆「――――あのぉ〜」


菜帆「アイドルって、楽しいですか?」


P「ん……俺がみんなの代弁するのは、ちょっと僭越なもんがあるけど」

P「みんな、笑顔だろ?」

菜帆「はい〜。五人もお客さんも、とってもいい笑顔です〜」

P「な? それが、答えだと思う」

菜帆「笑顔……」

菜帆「うふふぅ。私も、自然と笑っちゃいます〜」


  ワアアアアアアアアアアア……
123 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:36:39.23 ID:Qezuh/qr0

 夢のようなLIVEは終わりを告げて。

 ステージの光もみんなの声も、空の向こうに飛んでいっちゃうようで、だけど私はいつまでも覚えています。


 翌日、プロデューサーさんは丸一日のオフを作ってくれていました。

 そうなるとやっぱり、やることは熊本観光!
 地元民の私と蘭子ちゃん、それに菜帆ちゃんも加わって、みんなを色んなところに案内しました。
 熊本城は残念ながらまだ工事中だったけど、思い付く限りの場所を回って日が暮れるまで遊んだり。
 ホテルの部屋に集まって、女の子だけでこ、こ、コイバナ……なんかしちゃったり。

 帰りの飛行機は明日のお昼。

 それまでに……もう一つだけ、やりたいことがあります。

 お願いしてみると、プロデューサーさんは快諾してくれました。
124 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:37:41.77 ID:Qezuh/qr0


   ―― 12月18日 朝 人吉市・鏡山


「うぅっ、やっぱり寒いぃ……」
「大丈夫か? カイロあるぞ」
「ふるる……だ、大丈夫です。なんだかこの寒さも懐かしくって」

 車を降りて山を登ると、街とは別世界のような静かな景色。
 昨夜遅くから早朝にかけて積もった雪が、朝日を受けてきらきら輝いていました。
 雪雲は晴れて、めまいを覚えるような鮮やかな青空が広がっています。


 ここは私の本当の故郷。
 人吉は鏡山、日が当たる古びたお堂の境内です。

「それじゃ、美穂。俺はここで見てるから」
「はい。いってきますっ」

 ざっ、と境内の中心に歩み出ます。 
 人の姿はないけれど、そこにはたくさんの気配がありました。
 狸です。
 木陰に、雪の陰に、お堂の中に、縁の下に、たくさんの狸がひしめいて、私をじっと見守っています。
 それはお父さんやお母さんでもあって、お堂を守るお爺ちゃんやお婆ちゃんでもあって。
 海老原の狸でもあって、あちこちの無頼狸でもあって、とにかく色んなとこから集まってきた狸がいっぱい。

 お父さんやお母さんにも伝えておいた、最後に一つの「やりたいこと」を、今します。

 耳と尻尾をひょいっと出して、私は大きく息を吸い込み――――
125 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:38:28.61 ID:Qezuh/qr0


 衣装や音楽はなく。
 踊りも仲間もなく。

 いわばアカペラの状態で、歌を歌います。

 空と風と恋のワルツ。


 私の故郷に、山に空に、狸に、みんなに。

 大切なことを伝えるように、胸を張って歌います。

 私は元気です。

 居場所ができました。

 大事な仲間ができました。

 好きな人が、できました。

126 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:39:07.11 ID:Qezuh/qr0

 小日向の由来はいつか話したから、今度は「美穂」って名前についてお話ししますね。

 これって実は、狸の尻尾に由来してるんです。

 ご存知の通り狸の尻尾は、短めで毛深くてもこもこです。
 それが垂れ下がったり風にふわふわ揺れてたりする様が、狸の間では稲穂によくたとえられます。
 尻尾の調子は健康のバロメーター。元気ならもふもふで、そうでないときは目に見えてしょんぼりするものです。

 だから私は美しく実る稲穂のように、いつまでも瑞々しく元気であれ。
 実りの秋も、芽吹きの春も、カンカン照りの猛暑の夏も、そして雪が降り積もる寒い冬も。
 年中どんな時も、ふわふわもふもふの尻尾であれ――と。
 

 いつしか物陰から狸達が出てきて、一様に私の歌に耳を傾けていました。

 元気な尻尾を揺らしながら、私は歌いました。

 空は高く、風が澄んだ、小さな冬晴れの日向で。
127 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:39:55.83 ID:Qezuh/qr0


「――それじゃあ二曲目いきますっ! 『Naked Romance』!」

 ポコォォオオオオオオオオーーーーーーーーーーーーーーッ!!!

 後はもう、大盛り上がりでした。
 なぜかみんなコールを覚えていて、中にはおっきなペンライトや楽器に化ける子もいて。

 どんちゃん騒ぎの中心で、私もぽんぽこ踊っちゃいます。


 一回盛り上がった狸の踊りは、そうそう収まることはありません。
 これはきっと日が高くなるまで続くので、私とプロデューサーさんはこっそり帰ることにしました。

「いいのか?」
「はいっ。あ、お父さん、お母さん!」

 去り際、人に化けた両親が私達を見送っていました。
 二言三言挨拶を交わして、またいつか帰ってくることを約束して。

 最後に二人は、プロデューサーさんに深々と頭を下げました。

 美穂のことを、どうか末永くよろしくお願いします――って。
128 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:40:59.99 ID:Qezuh/qr0

 さく、さく、と雪を踏みながら、坂道を並んで歩いていきます。

「ん、美穂、尻尾出っぱなしだぞ」
「山にいる間はいいんですっ。だって、自慢の尻尾ですから!」
「そっか。――じゃ、戻ろう。みんな待ってる」
「はい。あの……」

 普段の私なら、恥ずかしくって絶対言えないようなこと。
 まだ聞こえる狸のお囃子に押されて、思い切って言ってみます。

「て――手を。つ、繋いでみませんか……っ?」
「手」
「はい、あのえっと、プロデューサーさん手袋つけてないから、きっと冷たいだろうなって……」

 ……だめ、ですか?
 言った後で顔が熱くなって、もたもたしだす私。
 思わず目を逸らした瞬間、ふっと手を取られて。

「あ……」
「うわ、お互い冷えてるなぁ。でもまあ、こうしてたら温かくなるのかな?」

 寒くて冷たくなった手だけど、今の私には火のように熱く感じられます。
 人間に毛皮が無い理由、今ならわかる気がしました。
 触れ合った時、こんなにもはっきり鼓動を感じるから。

「……えへへっ」

 手を繋いで二人、一歩一歩、降りていきます。
129 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:41:37.03 ID:Qezuh/qr0




 ……今なら、言えるかも。



130 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:42:19.99 ID:Qezuh/qr0


「プロデューサーさん」

 揃う足音を、一つ一つ数えながら。

「熊本は、好きですか?」
「ああ、いいとこだよな。やっぱり近いうちにまた来ようって決めたよ」
「狸は、好きですか?」
「うん。頑固者もいるってわかったけど、それは人も一緒だ。これからも仲良くしていきたいな」
「それじゃあ……」

 私は、好きですか?

 私は、あなたのことが好きです。

 足を止めて、繋いだ手をくいと引きます。
 大好きな人は、引っ張られて不思議そうな顔をします。

「プロデューサーさん」
「ん?」
「私、あなたが――――」


 パキッ。


 ………………「パキッ」?
131 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:43:05.47 ID:Qezuh/qr0

「それいけっ、チューだ! そこで一発チューだっ! 唇は喋る為に咲いてるんじゃないっ!」
「周子はん〜、そない声出しはると気付かれてまうで〜」
「はわわわ……っ。た、魂の契り……。み、み、蜜のたわむれ……っ」
「よきかなーよきかなー」
「プレゼント枠、もう一人追加でしょうか〜?」
「それより今、誰か枝を踏まなかったかしら? 声出して、小枝まで踏んじゃうと大変……なんて」


「「「「「「あ」」」」」

「「あ」」


 ……………………………………………………。
132 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:43:42.85 ID:Qezuh/qr0


「……も、もーーーーーーーーーーーーーっ!! どうしてみんな見てるのーーーーーーーーーっ!!!」


 私が追っかけると、みんなわーっと逃げていきました。
 もう恥ずかしいどころの話じゃありません。
 きっと私の顔は真っ赤になっていると思います。あんなに冷たかった風が気持ちいいくらいです。

 逃げるみんなを追いかけて、さっきまでとは大違いの騒がしさで坂を下って。

 ぽかんとしていたプロデューサーさんも少し笑って、私の後に続きました。

133 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:44:19.20 ID:Qezuh/qr0

   ―― ハイエース(レンタル) 車内

  ブロロロロロ…

美穂「……」プクー

周子「ごめんごめん美穂ちゃん、機嫌直してってば〜」

美穂「うぅ……それはいいんだけど……」

P「うん、いい時間だ。飛行機には十分間に合いそうだな。空港で昼飯食っていくか?」

蘭子「白く煮えたぎる聖杯を我に!」
  (訳:私、とんこつラーメンが食べたいです!)

楓「焼酎と一緒に、おいしい馬刺しなんていかがでしょう?」

P「あんたは昼から飲もうとしてんじゃないよ!」

イヴ「あったかいものが食べたいですぅ! ね、ブリッツェン!」

 /ブモッ!\ (屋根の上にいる)

紗枝「せやけど、熊本ともこれでお別れどすなぁ。なんや、寂しゅうなってまいます」

芳乃「いずれまたー、訪うこともありましょうー」

美穂「……あのー……」

P「どうした? なんか忘れもんか?」

美穂「いえ、忘れものとかじゃないんですけど――」
134 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:44:54.44 ID:Qezuh/qr0


美穂「――ど、どうして、菜帆ちゃんも来てるんですか!?」

菜帆「いやですねぇ、水臭いこと言わないでくださいよ〜。あ、栗饅頭いかがですか〜?」

P「ああ菜帆さんね。うん、あのね」

P「スカウトしちゃった☆」

菜帆「お呼ばれされちゃいました〜♪」

紗枝「ほんま、おどろきましたわぁ。プロデューサーはんたら先に言うてくれはったらええのにぃ」

P「仕事柄、見込みのある女の子は逃がさないようにしてるのだ」

周子「……その言い方誤解招くからよそじゃやめとき?」

美穂「そうなんだ……び、びっくりしたけど。あ、栗饅頭おいしい……」

美穂「じゃあ、菜帆ちゃんともアイドルできるんですねっ!」

P「そういうことだ。帰ったらまた忙しくなるぞー」

菜帆「私、地元を出たことないから楽しみです〜っ」

蘭子「再び集いし神々の戯れ! 汝、祭壇に座す者達の光輝に浴すがいいわ!」
  (訳:東京のみんなもすっごくいい人たちばっかりです! 紹介しますね!)


芳乃「ふふふー。賑やかになりそうでー、楽しみなのでしてー」

紗枝「せやねぇ。あいどるのお仕事、休む暇もあらしまへんなぁ♪」

周子「ほーんと色々あったねぇ今回は。ま、これからも色々あるんだろうけど――」


周子「ケセラセラ(なるようになる)、ってね」
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/16(土) 01:45:30.54 ID:09H6DQz30
クオリティたっか
136 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:45:36.46 ID:Qezuh/qr0


 ♪〜 イッツデモダレカガー


P「お、この歌……」

美穂「ラジオですか?」

P「うん。懐かしいなぁ」

菜帆「ご存知なんですか〜?」

P「まだ全然ちっちゃかった頃、大好きでさ。よく聴いてたんだよ。ちょっと音量上げるな」
137 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:46:06.09 ID:Qezuh/qr0


 いつでも誰かが きっとそばにいる

 思い出しておくれ すてきなその名を

 心がふさいで 何も見えない夜

 きっときっと誰かが いつもそばにいる


 生まれた街を 遠く離れても

 忘れないでおくれ あの街の風を


 いつでも誰かが きっとそばにいる

 そうさきっとおまえが いつもそばにいる――




 〜おしまい〜
138 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:46:36.08 ID:Qezuh/qr0

https://www.youtube.com/watch?v=5nwhkG3KeNk
139 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2017/12/16(土) 01:48:39.51 ID:Qezuh/qr0
 以上となります。かなり長くなってしまいましたが、お付き合いありがとうございました。
 依頼出してきます。

 こっひお誕生日おめでとう。
140 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/12/16(土) 02:03:49.67 ID:zK3uA6Js0
まるで一本の映画を観たような満足感
とても面白かった、乙です
141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/12/16(土) 02:12:32.51 ID:wjegMg7l0
乙GJ

百鬼夜行の中にしれっと
シベリアンハスキー混じってて吹いた。

いやまあ狸もイヌ科だけどw

142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/16(土) 02:52:10.68 ID:bhGuFG0j0

面白かったよ
143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/16(土) 03:09:25.63 ID:RQZvBpnVo
乙でした
アイドル皆可愛いw
144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/16(土) 11:30:12.44 ID:iZAINfK30
おつおつ、やはり楓さんの正体は
145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/16(土) 12:29:04.53 ID:pFTysFc4o

ブリッツェンちゅよい
146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/16(土) 20:05:13.52 ID:213hp2LGo
放り出される美穂の姿が世界の全てだったで不覚にもうるっときた
本当に面白かったありがとう
147 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/16(土) 23:44:32.43 ID:7VaHoWr0O
美穂は熊本の宝やね
人吉出身は公式設定だっけ?
148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/19(火) 02:39:10.84 ID:enNPX/op0
>>11に出てくる妖怪調べてもことごとく不穏な顔しか出てこないんだけどwwwwww
英彦山とか人吉とか九州の地名がいっぱい出てきてニヤニヤしてしまった
まさかバトルものになるとは思わなかったがクオリティ高いわ
おつ
149 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2017/12/19(火) 13:40:37.82 ID:FjN3GcTNO
法螺貝をあれだけ長く吹ける肺活量に驚き。
マイク無しでライブ出来るんじゃ?

でもって小日向ちゃんの頭上に狸耳が見えてしょうがないんですが(苦情)


乙でしたー
150 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/06/09(土) 21:37:15.31 ID:Bp4A3ehSO
>>19
尻すげぇ後20ゲームマイケル
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