【モバマスSS】世にも奇妙なシンデレラ

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145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:13:13.22 ID:tjIn0ES/o
まゆ(!!!!!!!!!)

恐怖のあまり手紙を落とす。
それと同時にごみ箱の中から大量の封筒があふれ出してくる。
さながら、大雨の際に行き場をなくし、マンホールから噴き出す雨水のようであった。
まゆ(なに!?なんなのこれ!?)
何が起きているのかわからない。ただ、目の前のごみ箱から出てくる封筒は止まる気配がない。
まゆ(逃げなきゃ!このままじゃ埋もれちゃう!)
慌ててドアを開けようとする。
ドアノブに手をかけると、郵便受けからあふれんばかりの封筒が部屋に投げ込まれてくる。
あっという間に入り口がふさがれてしまった。
まゆ(そんな…ベランダからなら!)
既に封筒が山のようになった机の近く、ベランダに通じる窓を開ける。
しかし今日に限って滑りが悪く、少ししか空かない。
隙間から手紙を外に出してやり過ごそうとするが、それもすぐいっぱいになってしまった。
既に部屋の3割程度が手紙で埋め尽くされている。部屋が埋まるのも時間の問題だ。
まゆ(そうだ!クローゼット…!)
クローゼットに身を隠してやり過ごす。我ながら名案が浮かんだ。
急いでクローゼットを開ける。

まゆ「あっ」
146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:14:12.05 ID:tjIn0ES/o
……
「次のニュースです。人気アイドルの佐久間まゆさんが、寮の自室で大量の手紙の下敷きになっているのを、同じ寮のアイドルによって発見されました。
佐久間さんは病院に搬送されましたが、死亡が確認されました。
封筒に差出人は書かれておりませんでしたが、手紙の内容からストーカー殺人の可能性もあるとみて、警察では犯人の特定を急いでいます。 次のニュースです…」
147 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:19:20.81 ID:tjIn0ES/o
後日
つかさ「なあ、ちょっといいか」
P「なんだ…」
つかさ「あの一件の後、アタシなりに調べてみた。」
P「何をだ…」
つかさ「まゆの部屋の前に111通の手紙が置いてあった日、あったろ?」
P「……あったな。」
つかさ「それと、まゆの部屋にあった手紙の中に一枚変なのがあって、もしかしてと思ってマキノに調べてもらった。」
P「…ほう。」

P「あの日、Twitterに投稿された『まゆすき』に関するツイート数が111件だった。」
148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:20:23.45 ID:tjIn0ES/o
おわりです。
長くなっちゃいました。
あと、まゆP、ごめんね。
149 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/09/10(日) 16:06:34.40 ID:xaav314N0
書いていきます
すぐに終わります
150 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/09/10(日) 16:07:47.11 ID:xaav314N0
「人を、人たらしめるものとはなんなのでしょう」

「文明、というと範囲が広すぎるような気がします」

「知恵、というと抽象的すぎるような気がします」


「普段から書物に齧りついているからでしょうか」

「私にはその答えが、言葉なのではないかと思います」


「たしかに、人の他にもコミュニケーションを取る生物はいます」

「でも、そのどれもが人のような進化を経ていないのも事実だから」


「だから、言葉なのだと、信じています」

「きょうび、言葉の通じない人なんて、滅多にいるはずもないのだし」


『五十二ヘルツの鯨』
151 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/09/10(日) 16:08:26.22 ID:xaav314N0
「ねえ、文香」

 事務所のソファに腰かけて本を読んでいると、なにやら声がかかりました。

「五十二ヘルツの鯨って、知ってる?」

 声のする方に目線を向けると、いつの間にか奏さんがすぐそばにいました。

 湯気の立つマグカップを啜りながら、微笑んでいます。


 一言も返せないでいると、彼女はそこから更に相好を崩しました。

 私には、わけがわかりませんでした。
152 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/09/10(日) 16:10:23.18 ID:xaav314N0
「五十二ヘルツの鯨っていうのはね、世界で最も孤独な鯨のこと」


「その正体は全く不明で、どんな種なのかすら定かではないらしいわ」

 あくまでも彼女は歌うように続けます。


「五十二ヘルツっていう数字は、鳴き声の周波数。でも普通の鯨は五十二ヘルツなんかでは鳴かないそうよ」

「みんなはもっと低い周波数帯で鳴いてるの。どの種も。どの個体も」


「その鯨を除いてはね。それが、最も孤独だっていう理由」
153 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/09/10(日) 16:13:06.40 ID:xaav314N0
「不思議だと思わない?」

 彼女が笑いかけるような仕草を見せましたが、私はただ、そのさまを見ていることしかできません。


「文香はそうは思わないの?」

「少し残念ね」

 彼女は再びマグカップを啜ります。


 きっと、悪い冗談じゃないかと思いました。

 でなければ夢だと。


「鳴き声だけじゃなく、海中の軌跡も他の鯨とは異なるらしいの」

「たった一匹きりで、冷たい海の中を泳ぎ続けていて、寂しくならないのかしら」

「でも、寂しいという感情すら、知らないのかも」
154 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/09/10(日) 16:13:57.26 ID:xaav314N0
 いよいよ私は読んでいた本を閉じ、胸元に抱えました。


「……鯨だってコミュニケーションを取る生き物っていうでしょ」

「自分と同じ姿の相手に言葉が通じないって、どんな気持ちなのかなって、思ったんだけど」


 恐怖で足が竦んで、その場から動けなくなってしまいそうになります。

 夢でないなら、なんだというのでしょうか。


「……そんなに黙りこくらなくっても、いいじゃない」

 喉が引きつって、声も出ません。
155 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/09/10(日) 16:15:10.97 ID:xaav314N0

 どうして彼女はさっきから、ずっと唸り声を上げているのでしょう?
156 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/09/10(日) 16:16:31.38 ID:xaav314N0
 断続的な響きが耳に痛くて、私は顔をしかめてしまいます。


「気分が悪いの?」

 おどろおどろしい音の響きは、いっそう私を苛みました。

「……待ってて、誰か呼んでくるから」


 テーブルにマグカップを置いて、彼女は足早にどこかへ去っていきました。

 それに伴って、嫌な響きは徐々に薄れてきていて、小さく息をつきます。
157 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/09/10(日) 16:17:27.04 ID:xaav314N0
 はっとして私は携帯を取り出します。

 プロデューサーさんに伝えなければと思い立ったからです。


 奏さんの様子が明らかにおかしいこと。

 そして、その彼女がどこかへ消えてしまったこと。


 震える手で操作し、電話帳から彼の名前を選択します。

 ほどなくして回線が繋がりました。

 落ち着かなければ。早口に訴えたい気持ちを必死に思い直し、何度か深く呼吸をします。


「あの、」
158 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/09/10(日) 16:18:59.96 ID:xaav314N0

 耳元からは、聞き覚えのある底低い唸り声がするばかりでした。



159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:09:31.53 ID:QOYRkH000
小梅「自分に似た人は世界に3人いる……なんて話があるよね」

小梅「この広い世界で3人だから、会う確率なんてすっごい低いんだろうけど……それでいいと、思う」

小梅「ただの似てる人なら大丈夫だけど……そうじゃなくて、本当にもう一人の自分だったら、死期が近いってことになるから……」

小梅「私? 私は、本物の白坂小梅だよ……えへへ……」


「ドッペルゲンガー」
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:12:45.41 ID:QOYRkH000
「そういえば小梅さん、昨日はショッピングでもしてたんですか?」

「えと……昨日は溜まってたDVDを観てたから、ずっと寮にいたよ……?」

「あれ、そうなんですか。むむむ……」


レッスン後のロッカールーム。
私の返事を聞いた幸子ちゃんは、着替えの途中で動きを止めて首をかしげた。
どうしたんだろう?


「昨日、駅前で小梅さんらしき人を見たんです。でも人違いだったみたいですね」

「小梅ちゃんのそっくりさんって、なんか珍しいね……」

「輝子さんが言いますか……でも、そうなんですよねぇ。遠目とはいえ見間違えるわけないと思ったんですが」

「ファンの子が、服装も真似してるとか……? このあいだの雑誌で私服公開とか、好きなブランドの話題とかも載せたし」

「ありましたね。そういうことなんでしょうか?」

「それより、DVDはなにを観たんだ……? キノコが出てくるものもあった?」

「えっと、キノコは出てきたかな……あれ、よく覚えてないや……」


こんな風にそれきりお終いになって、別の話を始めたんだけど。
この話はここで終わらなかった。
161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:15:41.79 ID:QOYRkH000
「おい小梅、お前夜中にコンビニにいたろ。あんな遅くまで出歩くと危ねェから気ィつけろよ?」

「先週のあの映画、小梅も観に行ってたのね。席も離れてたし、観終わったあとはいないんだもの。目が合ったけど私と気付かなかった?」

「喫茶店の奥の席でパフェ食べてるところ、お店の外から見つけたんだけど……小梅ちゃん、ひとりであんなにおっきいパフェ頼むんだってびっくりしちゃった。今度一緒に食べようね♪」


最近、こんな風に私を見たと声をかけられる機会が増えた。
その全てが記憶にないものだった。

自分で言うのもおかしいかもしれないけど、
私くらいの身長で、片側目隠れの金髪なんて、あんまりいないと思う。
それに、みんな『私そっくりな人』じゃなく『私』を見たと言ってる。
いくら似てても、そんなことって……あるのかな?
162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:20:10.53 ID:QOYRkH000
そうやって、覚えのない目撃談が日に日に増えている。

1度なら、珍しいなって。
2度なら、こんな偶然もあるんだって。
でも、それが何度も起こると、もうこれは単なる見間違いでも偶然でもない。

「この街に……私のドッペルゲンガーがいる……?」
163 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:23:28.30 ID:QOYRkH000
……


「――それで、ドッペルゲンガーがいるとして……小梅ちゃんはどうしたいんだ?」


休日。私の部屋に遊びに来ていた幸子ちゃんと輝子ちゃんに、いままでのことを話してみた。
私の話を一通り聞いたあと、輝子ちゃんがメロンソーダを飲みながら訊ねてくる。


「うーん……会って話してみたい、かな……」

「駄目ですよ! 本人がドッペルゲンガーに会ったら死んじゃんですよ!」

「幸子ちゃん、よく知ってるね……」

「小梅さんのおかげで幽霊とかゾンビに詳しくなりましたよ……ボクの瞳の黒いうちは会わせませんからね!」

「でも、せっかくならお話ししてみたい……」

「駄目ったら駄目です!」


こうなった幸子ちゃんは中々折れない。
私のことを心配してこんなに止めてくれるってことが嬉しくもあって、でも、会って話してみたい気持ちも確かにあって。


「ぐ、偶然出会ってもマズイし……まずは、どこで見かけたかを詳しく知っておくのがいいんじゃないかな?」


間に入った輝子ちゃんの提案に幸子ちゃんは「居場所がわかっても会わせませんからね」と、念を押しながらしぶしぶ頷いた。
164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:27:45.78 ID:QOYRkH000
それから3人で事務所に行って、みんなに話を訊いて回った。
私を見かけた日、場所、時間、何をしていたか。
傍から見たら自分のことを訊いていることになるので、みんな不思議そうな顔をしてた。

街の雑踏、駅のホーム、ゲームセンター、図書館。
時間や場所もバラバラに、私が目撃されている。


「妙なことを訊くなぁ……そうだ、先週の小梅のオフの日、街で服屋に入っていくところを見たぞ。いつもとジャンルの違うブランド店だったから印象に残ってるよ」


プロデューサーさんですら、私だったと信じて疑っていない。
165 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:36:33.79 ID:QOYRkH000
決定的だったのは、藍子ちゃん。
散歩中に公園へ立ち寄ったとき、花壇のお花を見つめる『私』を見つけたみたい。
もちろん、私は公園に行ってもいない日のこと。


「小梅ちゃんを見つけて、思わず写真撮っちゃいました。そのあとすぐ奥へ行ってしまったから、声をかけることもできなくて……勝手に撮ってごめんね」

「あ、ううん、いいよ……そのときの、写真……見たいな……」

「データはまだカメラにあるはずだから……あ、これです」


カメラの液晶画面に表示された一枚の画像。
真横から少し遠めに撮られた構図で、花壇を見つめる人がぽつりと立っている。

重ねてになるけど、断言する。その日、私は公園に行っていない。
この日は新曲のレコーディングに備えて、自室でデモテープを聴き込んでいた。

だから……本当にびっくりした。
みんなが『私そっくりな人』と言わないのも無理ないと思う。

自分で見ても写真の横顔は……間違いなく、白坂小梅だったから。
166 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:40:27.01 ID:QOYRkH000
事務所にいたみんなから一通り話を聞けたから、情報をまとめてみることにした。
地図アプリで目撃された場所にピンをさしていくと、普段私がお出かけする範囲とほとんど同じだった。
時間は朝から深夜までと、かなり幅広い。
ただ、平日の昼だけはほとんど目撃証言がなかった。
昼に現れるのは基本的に土日だけど、全く姿を見せない日も多い。


「現れる条件や順番、何でもいいので気付いたことはありますか?」

「同時に別の場所で現れたことはないみたい、だね」

「確かにそうみたいですね。つまり小梅さんのドッペルゲンガーはひとりだけ?」

「いや、単に見つかってないだけかもしれない……小梅ちゃんは、なにか気付いたこと、ある?」


会議室のホワイトボードに箇条書きされた目撃情報に視線を移す。
曜日や時間に偏りがあるけれど、その偏りがどんな法則なのかまではわからない。
でも、何かが引っかかってる感じがする。
目の前に書かれた偏り方に、何だか覚えがあるような……。
167 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:43:51.44 ID:QOYRkH000
「あれ……これって、もしかして……」


バッグからスケジュール帳を取り出したら、ホワイトボードと交互に眺めて照らし合わせてみる。

やっぱり。引っかかっていた違和感の正体が、見えた。
土日で現れなかった日は、私が終日お仕事の日だった。

手帳とホワイトボードを照らし合わせるとよくわかる。
もうひとりの私は、私がお仕事をしている時間には現れない。

さらにわかったのは、オフの日でも誰かと一緒にいた日も現れてない。
平日の昼は学校だから?
168 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:45:06.29 ID:QOYRkH000
「小梅さん? なにかわかったんですか?」


でも、これってつまり。


「……小梅ちゃん、大丈夫?」


私がひとりの時にだけ現れるってことは。
ドッペルゲンガーは。
もうひとりの私は。


「……ううん、なんでもない、よ……今日はもう終わろっか……」


覚えてないだけで、自分なのかもしれない。
169 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:48:45.27 ID:QOYRkH000
幸子ちゃんと輝子ちゃんにこれ以上心配されないように普段通りのふりをしながら、寮まで帰ってきた。
こんなときに演技のレッスンが役に立つなんて思わなかったなぁ。

部屋に戻ったら、必要なものを準備するために棚を漁る。
たしかここに仕舞ってる筈なんだけど。


私は、ホラースポット巡りをするときに記録は特にとらない。
自分の眼で見て、肌で感じて、そうして出会えたのが良い子だったらお話しできればいいと思ってる。
それに、カメラを構えると寄ってきて写りこもうとするのは、生きてる人を羨んでたり、何か強い思いを持ってたり……そんな、ちょっとよくない子が多い。
だから、一応持ってはいてもほとんど使っていなかったもの。
170 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:55:53.89 ID:QOYRkH000
「あった……」


専用の真っ黒なバッグは、棚の奥の暗闇に融け込んでいた。
薄らかかった埃をはたいて開けてみると、中身はほぼ未使用のビデオカメラ。
取り出してかちゃかちゃとボタンを押したり開いてみても、電源はつかなかった。
ずっと放置してたから、バッテリーが自然に放電して無いのかもしれない。
バッテリーパックを取り外して、充電器に差し込んでみると、充電中のランプが点滅し始める。

途中、食堂で晩ごはんを食べようと輝子ちゃんが部屋のドアをノックしたけど、食欲がないと断った。
明日の朝ごはんは一緒に食べると約束すると、わかった約束だよと言い残して、輝子ちゃんがドアから離れていく気配がする。
次第に小さくなる足音を聞きながら、私は規則的に瞬く充電器のランプをぼうっと眺めていた。
171 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:58:01.58 ID:QOYRkH000
充電を終えたバッテリーをビデオカメラに入れ直して動作確認をする。
うん、壊れたりはしてないみたい。
机の上に本を何冊か置いて高さや角度を調節したら、ビデオカメラをセットする。
画面を覗きながら、ベッドが映るように微調整。撮影モードをナイトモードに設定すれば、準備完了。
寝る直前に録画をすれば、夜明け前くらいまではバッテリーも持つ……と思う。


その日の夜、無機質な視線と緊張が交じり合って中々寝付けなかったけれど、そのうち規則的な秒針の音に意識が吸い込まれて、眠りについた。
172 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 22:00:40.05 ID:QOYRkH000
………
……


アラームの音が私の意識を無理やりに覚醒させる。
目を覚ましてからしばらくは、ぼんやりとした頭でまどろんでいたけれど、カメラのことを思い出して飛び起きた。
確認してみるとビデオカメラはまだ録画を続けてたけど、バッテリー残量が残り少ないことを警告するマークが点滅している。
録画を止めてそのまま再生。途中で切れちゃうかもしれないけど、バッテリーが持つ分だけでもすぐに確認したかったから。


映ったのはベッドで横になる自分。
早送りで流し続けても、時々寝返りをうつ以外に画面に動きはない。
考えすぎだったかな……なんて、少し安心しながら画面を見つめてたら。


いつの間にか、白いモヤのような何かが枕元に集まって、ゆらめいていた。
173 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 22:03:48.59 ID:QOYRkH000
ハッとして早送りを通常再生に戻す。
煙のような、霧のような、輪郭なんてまるでない白いカタマリ。
まるで、私を見下ろしているかのように。

そうして、しばらく漂っていたモヤが拡がったかと思うと……私の体に、纏わりつく。
そのままモヤは私に重なって……内側に吸い込まれるように消えていく。

モヤが完全に消えたら、画面は前と同じ風景に戻った。
まるでそんなものなかったみたいに。
だけど。次の瞬間。
無表情のままゆっくりと体を起こす、私の姿。


でも違う、違う!
いま写っているのは、私じゃない。
私だけど、私じゃないもの。

そんな『私』は、ベッドから起き上がると歩き出して、画面から見えなくなった。
空のベッドを映し続ける動画から聞こえるのは、布の擦れる音。多分、パジャマから着替えてる音。
やがて、ドアの開く音が小さく聞こえたかと思うと、画面が暗転する。操作してみても全く動かない。
バッテリーが切れたんだ。
174 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 22:05:24.20 ID:QOYRkH000
私も電池が切れたみたいに体が動かなくて、立ち尽くす。
ドッペルゲンガーはやっぱり私だった。体は私だけど、意志は私じゃないもの。

そして、私に憑りついたあの白く写ったモヤのようなものの正体。
普段は写らないよう気を付けてくれているのに、憑りつこうとした為に写ってしまっていたのは――


『そっか、気付いちゃったんだね』
175 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 22:09:52.66 ID:QOYRkH000
声が聞こえる。頭の中に直接語り掛けられたような、内側から響く声。聞き覚えのある声。
聞き間違えるわけない。いつも一緒にいて、お話ししてる……あの子の声。
でも、どうして……。


『羨ましくなっちゃったから、かな?』

口に出していないのに、まるで質問に答えるようにその声がまた聞こえる。
もしかして……思ってることも、全部伝わってる?

『うん、そうだよ。まだ小梅ちゃんの中にいるから。最初はね、寝てる間にちょっと体を借りてお散歩したり、それだけで良かったんだけど……何回かしたらコツも掴んで、それで欲が出ちゃった』

コツ……ってなに? それに欲って?

『小梅ちゃんが体を動かさないで何かに集中してるときは、気付かれないで入れるようにもなったんだ。だから、お日様の光を生身で感じたり、美味しい物を食べたりしたくなって』

最近DVDを観てたのに内容を思い出せなかったり、歌詞や台本が中々覚えられないのは、こういうことだったんだ。
時間を忘れるほど観たり読み込んだ気がしていただけで、実際は観ても読み込んでもいなかった。
その間、私の体はあの子が使っていたんだ。
176 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 22:12:05.50 ID:QOYRkH000
『……怒らないの?』

知らない間に体を使われてるのはびっくりしたけど……。
でも、いつも近くにいて私のこと見てたから、羨ましくなっちゃったのかなって……多分、逆だったら私もそう思うかもしれないし。

『小梅ちゃんは優しいね……実は、もっとしたいことがあるんだ。これで最後にするから、聞いてくれる?』

うん、いいよ。

『私ね、小梅ちゃんになりたい』

え……私にって、どういうこと……?

『そのままの意味だよ。私もアイドルになって歌ったり踊ったりみんなとお話ししたり、小梅ちゃんとしてもう一回生きたくなっちゃった』

私として生きたいって、それじゃあ私はどうなるの?
さすがにそれはダメだよ。落ち着いて。

『大丈夫だよ。いつも見てたから上手くやれると思う、安心して』

待って、私はまだ
177 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 22:17:29.99 ID:QOYRkH000
「いただきます……ん、美味しい……」

「小梅さん、今朝はちゃんと食べてますね。昨晩から様子がおかしかったんで心配しましたよ!」

「なぁ小梅ちゃん、今日もドッペルゲンガー探しする?」

「するならボクたちもお付き合いします」

「それなんだけど……もういいんだ、解決したから」

「解決って、どうやったんだ?」

「うん……あの子がちょっと、ね……」

「こ、これ以上は聞かないほうがいい気がするのでいいです!」

「そっか……何はともあれ解決してよかったね、小梅ちゃん」

「うん……」

「そういえば小梅さん、右手でもお箸使えたんですね」

「あ、そっか……今日から右利き、なんだよ……えへへ……」
178 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 22:19:27.16 ID:QOYRkH000
終わりです。
おつかれ様でした。
179 : ◆nIlbTpWdJI [sage]:2017/09/18(月) 20:33:43.57 ID:HUNlZsa0o
お借りします。
180 : ◆nIlbTpWdJI [sage]:2017/09/18(月) 20:34:10.84 ID:HUNlZsa0o


由愛「食欲の秋、行楽の秋、スポーツの秋……いろんなことが楽しくできる季節になりました」

由愛「でも……私にとってはやっぱり芸術の秋です」

由愛「昔から……絵が好きで、私にとって大切なものです……」

由愛「絵を描いてるときは楽しくて……夢中で……」

由愛「まるで、魔法でもかけられたみたいに……」

由愛「絵の世界に、入り込んでしまうんです……」


「ゆめを広げて」

181 : ◆nIlbTpWdJI [sage]:2017/09/18(月) 20:35:34.23 ID:HUNlZsa0o

ある日、閑散とした事務所のテーブルにスケッチブックと絵の具のセットが置いてありました。
新品のスケッチブックは、私が持っているものより、ずっと大きい紙が重なった分厚いものでした。
これなら、どんな絵を描いてもすっぽりと収まるような気がしました。

隣に置いてある絵の具のセットは、私の鞄に入っているものより、たくさんの色が詰まったものでした。
これを使えば、どんな絵も描けるような気がしました。

ですが、この絵の具とスケッチブックの持ち主は誰なのでしょう。
ちひろさんもプロデューサーさんも、絵を描いているところは見たことがありません。そもそも、私がいる事務所で絵を描く人は、私だけです。

きょろきょろと周りを見渡しても、誰のものなのかヒントになるようなものはありませんでした。書類が山積みになっている二つの事務机の前にはからっぽの椅子が寂しそうに置いてあります。
お客さんが来たとき用の皮張りのソファーは、蛍光灯の青白い光を跳ね返すばかりで、皴一つありません。
 
あるのは、私が使っている小さな椅子と、綺麗に整えられて置かれた分厚く大きなスケッチブックと、新品の絵の具だけ。
182 : ◆nIlbTpWdJI [sage]:2017/09/18(月) 20:36:16.08 ID:HUNlZsa0o

……少しくらいなら、使ってもいいよね?

私の中から、ちくりと悪い声が聞こえてきました。

事務所には私だけ。
絵を描くのは私だけ。
なら、あの絵の具とスケッチブックは――

気が付けば、私はテーブルの前に腰かけていました。スケッチブックは目の前です。

私は、鞄の中からパレットと筆を取り出しました。

そしてスケッチブックに手を伸ばしました。
そのまま――ちょっといけないことをしてる気がしたけど――表紙を一枚だけ、めくってしまいました。

スケッチブックを開くと、誰もいないスキー場みたいに真っ白な画用紙が目の前に広がりました。
どこまでも広くて、ずっとずっと奥までどこまでも広がっているように思えました。

いてもたってもいられなくなって、大急ぎで筆洗を取り出し給湯室に飛び込んでいきました。
袖口が濡れることも気にしないで蛇口を思いっきり捻って水を溜めます。勢いよく跳ね返る水飛沫がシンクのあちこちに飛び散りました。
びしゃびしゃになったシンクをほったらかしにして私はすぐにスケッチブックの前へ戻りました。
183 : ◆nIlbTpWdJI [sage]:2017/09/18(月) 20:37:00.23 ID:HUNlZsa0o

私が知っている色、いいえそれ以上に、まるで世界中のなにもかもが描けるくらいの種類が詰まった絵の具のセットを前にしてわくわくしないわけがありませんでした。

何を描こうかな……私はまたきょろきょろとあたりを見わたします。
事務所の壁は真っ白で、たまに白黒のプリントやカレンダーがあるだけ。
絨毯も天井も、真っ白。蛍光灯の青白い光は元気ですが、今の私にはずいぶんとつまらなく感じました。
184 : ◆nIlbTpWdJI [sage]:2017/09/18(月) 20:38:37.76 ID:HUNlZsa0o

どうしようかな、と迷っていると窓のすぐそばにある緑色が目に入ってきました。
白い壁を背に、おひさまの暖かい光りを精一杯浴びようと葉っぱを一生懸命伸ばした名前の知らない観葉植物です。
細長くて、ひらべったい葉っぱは生き生きと緑色を放っています。
葉っぱを支える茎や幹は、大きい葉っぱの影に隠れながらも、弱弱しさや寂しさを感じない力強さを感じます。
影の薄い青と、茎の薄い緑が混ざったような、不思議な色です。
根を張っているであろう、丸く太った、大きなくまさんみたいに可愛い植木鉢は、根っこと茎と葉っぱを支えてくれる、優しい土の色をしています。
そして、葉っぱの先にある窓の外は、透き通るような青空が広がっていました。


私は絵の具が詰まった箱から、緑と茶と青を持てるだけ引っ張り出して、パレットに乗せていきます。

絵を描き始めてからは一瞬でした。何も無かった真っ白のスケッチブックに瑞々しくて力強い、生きている一本の木が生まれました。
葉っぱが伸びた先にある窓の外は、まるで自分で描いたとは思えないほど、透き通る青色で、本当におひさまの暖かさを感じるような気がしてくるくらいでした。
私は完成した絵を眺めながら目の前にある絵の具の素晴らしさに心を奪われていました。
もっと描きたい。何か描きたい。この絵の世界に入り込めるほど……

185 : ◆nIlbTpWdJI [sage]:2017/09/18(月) 20:39:39.83 ID:HUNlZsa0o

吸い込まれるほどに絵を眺めていると、なんだか変な感覚になりました。
植木鉢はやさしさに溢れた色をしています、茎も葉っぱも生きていることを力強く感じます。
絵の中の窓の外は突き抜けていくような青空です。

少し考えて、違和感の正体に気付きました。
本物の空にしてはあまりにも小さすぎるのです。当たり前のことでした、せっかく素晴らしい絵の具があるのに自分で窓枠を決めて広がっていくはずの青空を閉じ込めているからでした。
私はスケッチブックから画用紙をちぎり、テーブルの隙間から余計な色が見えないくらいに広げました。

私は絵の具をありったけ絞り出し、思うがままに絵を描いていきます。

窓枠を塗りつぶし、私が思う青空を描いていきました。
青空を閉じ込めた窓枠がおかしいなら、根っこを閉じ込めている植木鉢だって変です。
植木鉢をそのまま塗りつぶして、私が思う地面を描いていきます。
186 : ◆nIlbTpWdJI [saga]:2017/09/18(月) 20:40:32.70 ID:HUNlZsa0o

地面があったらもっといっぱい草やお花が生えているに違いありません。広げた画用紙に何本も何本も、たくさんのお花を描きました。
私が描いたお花は本物顔負けの、いいえ、絵の具の素晴らしさも手伝って本物以上に生き生きとして鮮やかなものでした。

私は次々に色んなものを描いていきました。
花があれば虫もいるはず。
虫がいればそれを食べる動物がいるはず。
動物がいれば、住処になる森があるはず。

私が描いたものは今にも動き出しそうなくらいです。じっくり見たことも描いたこともない動物や植物も、今ならなんでも描けるに違いありません。

ずっと絵を描き続けていましたが、あっという間に画用紙は白い部分が無くなってしまいました。思うがままに描いた私の世界はテーブルいっぱいに広がった、色に溢れた素敵な世界でした。

ですが、私が思う世界はこんなに狭いはずがありません。窓枠の外の青空みたいに、勝手に閉じ込めているはずです。
187 : ◆nIlbTpWdJI [saga]:2017/09/18(月) 20:41:23.88 ID:HUNlZsa0o

テーブルいっぱいの画用紙を見つめて、また周りを見渡して、繰り返しながら考えました。
散々見わたした事務所の風景は、私が描いた世界と違ってずっと変わらない退屈な真っ白のままでした。

真っ白い壁を見て、絵の世界の窓枠に気が付きました。

私は、茶色の絵の具を持って部屋の隅っこの植木鉢に近づいて、近くの壁と床ごと地面の色に塗り替えました。

私が描いた世界のほうが、この真っ白で何もない事務所より正しいはずです。

絵の具を筆に付け、壁と床を地面に描き変えていきます。真っ白でつまらない壁と床は、
草花が生える豊かな土に変わりました。
そして、テーブルの絵を私の世界の設計図にして私の世界へと描き変えていきます。
真っ白な空間は次々と溶けていき、絨毯は地面となって、観葉植物は根を伸ばします。
絨毯に筆を入れるたびに、草と花が育っていきます。
188 : ◆nIlbTpWdJI [saga]:2017/09/18(月) 20:41:54.71 ID:HUNlZsa0o

生い茂る草原をさらさらと歩いていき、壁だった場所を森に描き変えていきます。
いつしか、蛍光灯の青白い光はおひさまの暖かな光に変わって、描いた森の奥からふんわりと心地よい風が吹いて来ました。

もう真っ白で何も無い壁はどこにもありません。書類が積まれてたデスクは塗りつぶして苔の生えたごつごつした岩に描き変えました。
お客さん用の革張りのソファーは森の中でどこにあるかわかりません。
最初に窓があったところは、カーテンの上からもっと広い青空に描き変えました。

見わたしてみると、私は私の描いた……私の生み出した木々に囲まれていました。
全てが本物以上に本物の、絵の世界へと変わっていました。

どこまでも続く青空と、どこまでも続く草原、森。
少し歩いてみると、描いた覚えのない動物や、鳥の鳴き声が聞こえてきました。
私は走り出したくなりましたが、まだ一か所描き変えていない場所があります。
189 : ◆nIlbTpWdJI [saga]:2017/09/18(月) 20:42:28.71 ID:HUNlZsa0o

冷たくてこの世界で一番変な、事務所のドアです。
少し迷いましたが、残り少ない絵の具を全部パレットに絞り出しました。

そして、事務所のドアを絵の具で青空に溶かしてしまいました。

これで、全部私の世界に描き変えました。
私は筆とパレットを放り投げて、どこまでもつづく草原へ駆け出していきました。



どこまでも、どこまでも――



190 : ◆nIlbTpWdJI [saga]:2017/09/18(月) 20:42:56.91 ID:HUNlZsa0o
以上です。
ありがとうございました。
191 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:01:43.82 ID:k1yJYnNv0
ほたる「なぜトップアイドルを目指しているのか、ですか?」

ほたる「私は不幸体質でまわりに迷惑ばかりかけて……」

ほたる「だからこそ、こんな私でもファンの人を幸せにできたらって思うんです……!」

ほたる「それが叶えば……いえ、叶えるまで、絶対にあきらめません!」


「目的」
192 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:03:43.42 ID:k1yJYnNv0
広いライブ会場は開演を待ち望むファンの期待感に満たされていた。
袖から顔を出すことはできないが、その熱気は十分に伝わってくる。
舞台袖から回れ右をして廊下へ進むと、揃いのTシャツを着たスタッフが慌ただしい様子ですれ違う。

開演前のこの空気が何とも言えず好きだ。薄暗くスポットライトの当たらない舞台の裏側は、客席とはまた違う熱気を帯びている。
観客もスタッフも、ただ一人の女の子のためにここにいる。それがまたいい。
そしてそれは、プロデューサーの俺も変わらない。

廊下の角を曲がり、進んではまた曲がる。
「私の不幸をステージに持ち込まないようにしたいんです」と、彼女の強い希望で一番遠い部屋を楽屋にしているので、入り組んだバックヤードをちょこまかと進み続けなければならない。
ようやく『控室』のプレートが挟まれたドアの前までたどり着くと、一呼吸おいてから扉を開ける。

部屋の主、つまり今夜の主役は一人部屋にも関わらず一番隅の席に座っていた。
そんな担当アイドルが部屋に入った俺に顔を向ける。


「あ、プロデューサーさん……」


白菊ほたるが、微笑んだ。
193 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:06:07.92 ID:k1yJYnNv0
扉を閉めると客席の喧噪はここまで届かないようで、部屋はシンと静まり返る。
それでも、備え付けのモニターテレビにはステージを俯瞰する角度で映しているので、最前列付近の様子は確認できた。


「いよいよだな。緊張してないか?」

「私……ワクワクしてます。早くステージに立ちたいです……どうかしましたか?」

「いや、ほたるの口からそんな台詞が聞けるとは。今回のライブ、かなり気合入ってるみたいだな」

「はい、今日の日のために頑張ってきましたから」


そう言っても過言ではない。ほたるのこのライブにかけるストイックさは目を見張るものがあった。
彼女のなかで、今回のライブの成功が大きな転機と考えているのだろう。
いまも伏し目がちな瞳に、確かに熱を秘めているのが見てとれる。


「白菊さん、そろそろスタンバイお願いします!」


ノックのあと、ドア越しにスタッフが声をかけてくる。
ほたるが「わかりました」と投げかけると、また慌ただしく足音だけが去って行った。
194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:09:04.75 ID:k1yJYnNv0
「よし、行くか。今までの頑張りを見せて、ファンの度肝を抜いてやれ」

「はい! あの、プロデューサーさんにお願いがあるんですけど……聞いてくれますか?」

「俺に? そりゃ構わないが」

「さっき私が座ってた場所に、手紙を置いておいたので……プロデューサーさんに、このライブが一番盛り上がってるときに、読んでほしいんです……ダメですか?」

「つまり一番の盛り上がりは楽屋にいなきゃならんわけか……それはちょっと惜しいが、ここまで頑張ってきたほたるのお願いだしな。約束するよ」


そう答えるとほたるは心底嬉しそうに笑って、


「ありがとうございます。約束ですよ……いってきます」


上機嫌で楽屋を出て行った。

こんなに喜んでくれるなら、この約束は破るわけにいくまい。
ちらりと部屋の隅に視線を泳がせる。なるほど、先程までほたるの座っていた椅子にちょこんと封筒が乗っている。
今すぐ読みたい気持ちを抑えつつ、俺も舞台袖に向かうため部屋を後にした。
195 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:11:45.64 ID:k1yJYnNv0
………
……


彼女をスカウトしたのは半ば勢いだった。

遠征先の慣れない土地で道に迷い、携帯の充電も切れあてもなく彷徨い行き着いた、人気のない廃ビルの立ち並ぶ一角。
あとで調べてわかったことだが、その辺は一昔前、所謂バブル経済の頃に建設されたまま放置されている商業区域らしかった。
行けども行けども打ちっぱなしのコンクリや剥き出しの鉄骨、投げ出された建設資材しかなく途方に暮れていたとき、かすかな足音が風に交ざって確かに聞こえたのだ。

人に会えたら道を尋ねることができる。最寄駅までの距離があるようなら、携帯を拝借してタクシーを呼ばせてもらおう……そんなことを思っていたが、足音の聞こえた方を向いたときそんな考えもすぐに吹っ飛んだ。

向いた目の前には4階建ての雑居ビルの影が伸びている。正確には、文字通りひとりの人影がくっ付いて。
影の元のビルを見上げると、金網もない屋上の縁に少女が立っていた。
つま先の裏がかろうじて見える。つまり、靴を履いていない。
196 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:14:59.24 ID:k1yJYnNv0
「待てッ!」


反射的に叫んだ。
屋上の少女はびくりと体を引いて、下からは見えなくなる。
と、恐る恐るといった風に小さな頭が伸びてきて覗き込んできた。
思った通り、まだ子供じゃないか。


「そのままそこにいろ! いまそっちに行くから、話をしよう!」

「話すことなんて……ないですよ……」


少女の返事。か細く、それでいてよく通る声だ。


「君になくても俺にはある! いいから待ってろ!」


わざわざ此方を伺いに顔まで出してくるのだから対話はできると踏んで、俺は少女の待つ廃ビルに駆け足で侵入する。
階段を一段とばしで駆け上がる。息が上がるのも構わず。
急げ。もっと急げ!
197 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:16:38.11 ID:k1yJYnNv0
屋上の扉を勢いよく開け放つと、日暮前の低くなった夕日に視界を奪われた。
目を細めた先、逆光の中立ち尽くす少女に訊く。


「まずは自己紹介。俺はアイドルのプロデューサーをやってる者だ……君の名前は?」

「私は……白菊ほたる、です……」


こうして、俺はほたると出逢ったのだ。
198 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:19:03.65 ID:k1yJYnNv0
何が幸せで不幸せかなんてものは一概には言えないのだろうが、それでも、白菊ほたるは不幸体質といっても差支えなかった。
幼いころから身の回りでは良くないことが頻発して、周りからも疎ましがられているようだった。それは両親にアイドル活動をする許可をもらいに実家へ訪問したときにも感じた。
実の家族からもまるで腫物を触るかのような扱いで、逆にプロダクションに迷惑がかかりますがそれでもよろしいんですか、と念を押されたときは怒鳴り散らしてやろうかと一瞬頭をよぎった。

誰からも愛されず、そして誰よりも優しい彼女は、思いつめた結果廃ビルへ足を運んだのだろう。
もう迷惑がかからぬよう自らの命を絶つために。
そんな結末はあんまりだ。


「こんな私でも……みんなを笑顔にさせることができますか?」


スカウトをしたとき、そう訊いてきた彼女のいじらしさにこちらが泣きそうになった。
こうして、白菊ほたるは俺のプロデュースの元、薄幸の美少女アイドルとしてデビューする。
199 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:20:41.86 ID:k1yJYnNv0
守ってあげたくなるような少女に、男は弱い。
その儚げな中に時折垣間見える芯の強さも、彼女の魅力だ。

もちろん、すぐに上手くいったわけではない。
現場に向かえば渋滞やダイヤが乱れ、やっと到着したかと思えば機材が故障して撮影が中断したことも、1度や2度ではない。
低俗な週刊誌に『不幸を呼ぶアイドル』と評されたこともあった。

それでも。
それでも、ほたるはくじけなかった。
不幸をはねのけ、懸命に仕事に取り組んだ。
そのひたむきさが次第に評価され、人気も徐々に上がっていった。
そして今日、初のソロライブを満員御礼で迎えたのだ。
200 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:25:26.71 ID:k1yJYnNv0
………
……


ライブも終盤に差し掛かり、熱狂が渦となって会場を包む。
ここまで舞台袖で見守っていても、心配することがないくらいに完璧なパフォーマンスを魅せている。
次の曲が盛り上がりのピークかなと感じ楽屋に向かった。

楽屋に到着したタイミングで、歓声が背後から廊下に響く。
一番奥の部屋まで聞こえてくるのなら、ステージに立つほたるは割れんばかりの歓声をその身に浴びているだろう。
部屋のモニターには歌い、踊るほたるがライトに照らせれ輝いているのが映る。

置かれた封筒を拾い上げると、彼女らしい遠慮がちな小さな文字で『プロデューサーさんへ』と書かれていた。
中にはスズランのイラストが施された可愛らしい便箋が綺麗に折りたたまれている。

会場のボルテージが最高潮なこの瞬間に読ませたかった、その内容とは何なのだろうか。
はやる気持ちを抑え、丁寧に便箋を広げる。
201 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:33:03.82 ID:k1yJYnNv0
『プロデューサーさんへ

こんな形でしか伝えられなくてごめんなさい。
私をここまで連れてきてくれて、本当にありがとうございます。
お願い通り、一番盛り上がっているときに楽屋で読んでますか?
もし我慢できなくて早めに読んでたり、舞台袖で読んでいたら、続きはちゃんとその時その場所で読んでほしいです。
……なんて、信じてますので心配してないですけど。

プロデューサーさんは、私と最初に会った日のことを覚えてますか?
私はよく覚えてます。もしプロデューサーさんが私を見つけなかったら、声を掛けなかったら、私はあのまま飛び降りていました。そのつもりでした。
それでも多分、私は死ねなかったと思います。

私はいるだけで、まわりの人を不幸にします。そばにいる人ほど、深く傷つけてしまいます。
だから周りから疎まれて、消えてくれと思われていて……そんなある日、自分が死ねばいいんだと思いつきました。
そうすれば、みんなを傷つけずにすむし、周りのみんなも私がいなくなって幸せになれるから。
溺れた人がパニックになって助けようとした人を巻き込んで2人とも溺れるくらいなら、私はひとりで底に沈みたかったんです。
202 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:40:32.43 ID:k1yJYnNv0
でも、駄目でした。
首を吊っても、縄が切れました。
手首を切ろうとしても、刃がなまくらみたいに切れなくなりました。
薬をたくさん飲んでも、意志とは無関係に吐きました。
飛び降りも、入水も、感電も、練炭も、全部駄目でした。
怪我をして苦しくて痛くて、それでも不思議と死ねなかったんです。

何度試しても駄目で、それでも早く死にたくてまた試して。そうして、プロデューサーさんが現れて。
本当はアイドルに興味なんてこれっぽっちもなかったですけど、話を聞いてる内に気付いたんです。

私がみんなに消えて欲しいと思われてるのに、死ねないことが不幸なんだと。
疎まれて、私自身も死にたいのに、死ねないことそのものが不幸なんだと。

だから、変えればいいんです。
いなくならないで欲しいと、みんなから愛される存在になれば、私はようやく天国へ旅立てるはずだって。


ここまで読んでくれたプロデューサーさん、ライブは盛り上がってますか?
プロデューサーさんは、私に死んでほしくないと思いますか?
そう思ってもらえたら嬉しいです。

だって、それで私は死ぬことができるんですから』
203 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:42:57.74 ID:k1yJYnNv0
気付くと俺は走り出していた。
廊下を、長いバックヤードをがむしゃらに駆け抜ける。
舞台袖までが馬鹿に遠い。当然だ。楽屋は一番遠い部屋なのだから。

それでも走る。廊下に置かれた物を蹴飛ばしひっくり返しながら。
曲がり角でも減速せずに壁にぶち当たりながら。息が上がるのも構わず。
急げ。もっと急げ!


『みなさん!もっと私と一緒にいたいですか!? なら、私の名前をもっと叫んでください!』


ほたるの声が聞こえる。
普段の彼女があまりしない、観客を煽るようなマイクパフォーマンスに、ファンの歓声は一層爆発する。
ほたる、ほたると彼女の名前が繰り返し響き渡る。
やめろ、やめてくれ!
204 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:45:36.40 ID:k1yJYnNv0
舞台袖に到着し、そのままステージまで飛び込もうとする。
が、地を這う配線に足を引っ掛け倒れ込んだ。痛みと衝撃で、体を起こすこともできない。


「待てッ! ほたるッ!!」


反射的に叫んだ彼女の名前は、観客の発するそれと寸分違わぬタイミングで重なり、ひとつとなって聞こえた。
同時に、頭上から鉄のひしゃげる金属質の悲鳴が轟いて、ほたるの真上の照明が大きく傾いていく。
鉄とガラスの塊が落ちゆくステージに立つアイドルは、舞台袖の俺に顔を向ける。


「あ、プロデューサーさ


白菊ほたるが、微笑んだ。
205 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:46:28.45 ID:k1yJYnNv0
以上です。
ありがとうございました。
206 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:16:09.09 ID:yNCJI72m0
投稿いたします。30レス程です。
207 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:16:37.58 ID:yNCJI72m0

本田未央「あ〜面白かった!」

未央「まさか最後にあんなどんでん返しが待っているなんてねぇ」

未央「あっ! こんなトコで会うなんて奇遇だねっ!」

未央「え? 私? そうそう、みんなで映画見てたの!」

未央「最後までハラハラドキドキしちゃった! ……詳しくは言えないけどさ?」

未央「えー? そりゃ、現実じゃ起こりえないから面白いんだけど、そーゆーのって『ブスイ』って言うんじゃないの?」

未央「わかるけどさ、起こらないって思ってるから、起こったときに驚けるんでしょ?」

未央「うんうん、わかればよろしい! じゃ、未央ちゃんはレッスンにでも……え? 中止? そんなぁ……」


『どんでん返し症候群』

208 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:17:06.70 ID:yNCJI72m0

「うーん、いい天気!」

窓から差し込む光で目が覚めた私は、体を起こし、腕をぐぐぐーって伸ばした。
いつものように顔を洗って、いつものように朝ごはんを食べて、いつものように事務所へ行く支度をして。
ここで、いつもは家を出る時間までゆっくりテレビでも見るんだけど、今日はなんだか歩きたい気分!
ちょっと早く家を出て、ちょっと駅まで遠回りしよっと。
いってきます!

209 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:17:56.47 ID:yNCJI72m0

普段は曲がらない道を曲がって、大きめの公園を横切ったんだ。
そしたら、ちっちゃい女の子が、並木道で泣いてたの!
えーん、えーんって。

「ねえ、どうしたの?」

そりゃあ無視はできませんよ! なんてったって未央ちゃんは正義の味方だもんね!
女の子は泣いたまま、真上を指差して。

「?」

よくわかんないけど、とりあえず私も見上げたら。

「あー、なるほどなるほど。風船が木に引っかかっちゃったんだね?」

赤い風船が、木の枝に行く手を遮られながら、ちょっと風で揺れてたんだ。

「もう大丈夫! お姉さんが取ってあげよう!」

声を聞いた女の子が泣き止み、一瞬こっちを見たのを確認してから、私は風船に手を伸ばす。
よかった。女の子には遥か遠い上空だけど、私には背伸びすれば届く場所。
これがもっと高かったら、早苗さんみたいに木登りしなきゃだったね。

「はいっ。もう離すなよ〜?」

「うんっ! ありがと!」

うんうん、気持ちのよい返事ではないか!
あ、でも、ちょっと時間を使っちゃった。
女の子に手を振って、カッコよく、駅への道を足早に……

「うわーん!!!」

進もうと思ったところで、後ろからまた女の子の声が。
びっくりして振り向いたら、また泣いてる!
両手で目を覆って……
両手?
えっ、だって風船……
そう思って見上げたら、青い空に赤い丸が。
どんどんちっちゃくなって、見えなくなっちゃった。

210 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:18:31.61 ID:yNCJI72m0

「ど、どうしたの?」

もう1回駆け寄って、話を聞くと。

「む、虫が……」

「あー、そっか……」

気がつかなかったけど、さっきの風船に虫がついてたみたい。
それでびっくりして離しちゃったのかな。

「おーよしよし、泣くな〜」

頭を撫でながら声をかけるけど、なかなか泣き止んでくれないよ……
そしたら。

「ウチの子に何してるんですか!」

「わっ!?」

お、お母さんでしょうか……?
あ、あのですね、未央ちゃんは決していじめていたとかそういうわけでは

「やめてください!」

そういうと、私から女の子をひったくるように、そしてその場を去って行った。

211 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:19:01.98 ID:yNCJI72m0

「んー……」

すっきりしないけど、まあしょうがないかー……
うんうん、こんなこともあるって!
そんなことを考えながら、再び公園を進む。
すると、空き缶が落ちているのを見つけた。
まったく、最近の若いモンは困りますなぁ! 私の若い頃は……あ、まだ若者だっけ?
とかなんとか考えながら、その空き缶を手にする。
大人気の炭酸飲料が入っていたことを示唆する赤いラベルはまだ綺麗で、恐らく買って飲んでからそう時間は経っていないみたい。
ちょっと辺りを見渡したら、自動販売機とゴミ箱が目に入ってきた。

「これでおっけいと」

空き缶をゴミ箱に捨て、今度こそ良いことしたなあとか思いながら歩き始め……

「「「あー!!!」」」

「うおう!?」

いつの間にか、男の子の集団に囲まれてる!?

「み、未央ちゃんのファンなのかな! 悪いんだけどサインは事務所を」

「缶ケリしようと思ってたのにー!!!」

「……へ?」

あちゃー……、そうきたかー……

「ごめん! ごめんって!」

「どうしてくれんだよー!」

「わ、わかった! 買ってあげるから缶ジュース!」

「「「いえーい!!!」」」

「いやいや全員とは言ってないぞ!?」

……はい、結局全員分買ってやりましたよ。もう。

212 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:19:31.31 ID:yNCJI72m0

ちょっとモヤモヤもあるけど、電車に乗って事務所の最寄り駅へ。
ま、未央ちゃんはポジティブだからさ? 前を向いて生きていくのさ!
……そ、それはそれとして、時間がけっこうヤバめだ!
とりあえず事務所まで全力でダーッシュ……あ

「うんしょ、うんしょ……」

ううう、おっきな荷物を持ったおばあさんが歩道橋を登ろうとしている……
で、でも、急がないと遅刻……

「……」

なーんてっ。決まってるでしょ?

「おばあちゃん! 手伝いますよ!」

言うや否や、私は重そうな荷物を担ぎ上げた。
あ、案外重いぞ……。数段登ってるだけで敬意を表するよおばあちゃん……

「あとちょっとですよ! 頑張ってください!」

まさかレッスン開始を歩道橋で迎えることになるとはねぇ……
ま、まあ、トレーナーさんも人助けに悪い顔はしないと思うし、もしかしたら褒められちゃうかも?
なんて考えてたら、いつの間にか歩道橋を渡りきっていた。

「はい、荷物どうぞ!」

「ありがとねぇ……」

「いえいえ! それではお気をつけてっ!」

うんうん、やっぱり良いことをしたら気持ちがいい!
今日のレッスン、ノリノリでできるかも!

213 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:20:13.94 ID:yNCJI72m0

「……」

「……」

「……」

こんにちは、本田未央です。
私はただいま、固いレッスン場の上で正座をしております。

「あ、あの……、ひ、人助けを……」

「遅刻は遅刻だ」

「ううぅ……」

き、聞く耳を持ってくれない……。なんで……。

「トレーナーさん、なんだか今日は機嫌が悪いみたいなんだよなー、ま、ご愁傷様」

目を盗んでかみやんが囁いてくれたけど、納得いかないー……
た、確かに遅刻したのは私が悪いけど、少しは"じょーじょーしゃくりょー"みたいなのがあっても

「本田、足が崩れてる」

「はい……」

結局マトモにレッスンできなかったよ……

214 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:20:49.01 ID:yNCJI72m0

その夜、ベッドの上で、頭の中で、プチ反省会。
とは言っても、今日の未央ちゃんに反省することなんてないと思うんだよね……?
うんうん、明日は明日の風が吹く! おやすみっ!
はい、反省会終わり!
だって考えてもしょうがないもん。明日も正直な私で行こう!

215 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:21:26.99 ID:yNCJI72m0

今日はお仕事!
流石にまた遅刻なんてしたら……
せ、背筋が凍るよ……
1回事務所に向かってから移動だから、早めに行こっと。

昨日とは違って、真っ直ぐ駅へ向かって、電車に乗る。
今回は特に何事もなく、事務所の最寄り駅まで着けたね。
しっかし最近なんか暑すぎないかなー?
特に東京はアスファルトの照り返しが酷くて……
ち、ちょっとコンビニに避難しちゃお! 大丈夫、時間はヨユーだし!
飲み物を買ってー、あ、事務所に置いておくお菓子も買っちゃおっと。
それと、みんなのジュース……は重いから、アイスをたくさん買って〜

「ただいま、500円ごとにクジを引いていただけます。4枚どうぞ」

あ、そうなんだ、って、それ以前に2000円も買ってたのか……。栄養ドリンクは余計だったかな……
ま、いいや、本田未央、引きまーす!

「おめでとうございます、4枚全て当たりです! ここで引き換えますか?」

お! やーりぃ! 見たか未央ちゃんの運の良さ! 日頃の行いだねえ!

「はいっ! お願いします」

「ではこちら、2Lのお水2本、2Lのお茶1本、2Lのスポーツドリンク1本です」

ゴトッ

「……はい?」

216 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:22:15.29 ID:yNCJI72m0

「お、重い……!!!」

くそう……、ラッキーだと思ったのに……
いきなり8キロの荷物が……
なんなの……
ひいひい言いながら、私は事務所へたどり着き、冷蔵庫に入れようと思ったんだけど。

「あっ、未央ちゃん」

「ち、ちひろさん……」

「ど、どうしたんですかそんなに息を切らして」

「な、なんでもないよ……。冷蔵庫、使うね」

「あっでも今は」

……冷蔵庫の中身はいっぱいだった。

「ごめんなさい、5階の冷蔵庫に入れてきてもらってもいいかしら?」

「ええぇ〜……」


でも、私が持ってきたやつだし……
え、エレベーターまですら辛い……

「ようやく着いた……」

「ああ、本田。ん? 差し入れか? 良い心構えだな。しかし」

トレーナーさん、なんか言いたげですけど……

「しかし……?」

「そこの冷蔵庫、壊れてしまってな。飲み物なら地下の倉庫に置いといてくれ」

「えええ〜……」

217 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:23:00.44 ID:yNCJI72m0

「疲れた……」

ホントに疲れた……
こうなったら、あの飲み物たちが美味しく飲まれるのを期待するしかないよね……
うん、疲れたのは確かだけど、良いことをしたわけだし……
そんなことを考えながら待機していると。

「お、未央じゃん、おつかれー」

「はるちんだー、おつかれー……って、どうしたのそのヒジ! 血が出てるじゃん!」

「そーそー、だから絆創膏ねえかなって」

「ええっと、確かこの箱に……あった!」

「お、さんきゅ」

「貼ってあげるからちょっと来て?」

「なんか悪いな」

「いいっていいって。またサッカーしてたの?」

「あー、今回は違うんだよな」

「ありゃ、そうなの? よし、貼れた」

「さんきゅーな! いや、さっきプロデューサーの手伝いで地下に備品取り行ったんだけどな?」

……地下?

「そしたらなんか下に飲み物が置いてあって、コケちゃったんだよ……は、恥ずかしいから誰にも言うなよ!」

「……」

「未央?」

「えっ、あっ、うん、そうだね!」

「?」

「ご、ごめん、私、お仕事行ってくる!」

「お、おう、気をつけてな?」

218 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:23:46.04 ID:yNCJI72m0

私は、逃げるように今日の撮影場所へ向かっていた。

おかしい。なんかおかしいぞ。

なんというか……、良いことをしようとするとダメな結果になっちゃう。

ラッキーって思っても結局アンラッキーだ。

なんで? なんで? なんで?

219 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:24:37.59 ID:yNCJI72m0

この日、仕事を終えて家に帰った時、私の気分は最悪だった。

やることなすこと裏目に出る。
荷物を運ぶ手伝いをすれば、後で中身が壊れてたと問題になる。
電車で席を譲ったら、降りるときに近くに立ってた人が「なんで俺に譲らなかったんだ!」とか。
道端で募金してたからお金を入れたら、なんか写真撮られててネットで"偽善者だ"とか。

明日こそ、明日こそ。
って、何とか切り替えようとするんだけど。
そんな日は続いていった。

1つ1つは小さなことだけど、こうも重なると気が滅入るなんてものじゃない。
脳裏からみんなの顔が離れない。
泣く女の子の顔が。怪我をした晴ちんの顔が。

極めつけは、雑誌取材の写真撮影の時。
後ろに予定が詰まってる茜ちんに順番を譲ったら、突然地震が起きて。
機材が茜ちんに倒れてきた。
本人は大丈夫って言ってたけど、その瞬間の痛そうな顔が、私の網膜にこびりついている。


私は悪くない。私は悪くない。
そう言い聞かせても、やっぱりダメだ。

でも違う。一番ダメなのは、違う。
動けなくなってしまったことだ。

困っている人を見た時、足がすくんで、動けなくなってしまったことだ。

220 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:25:36.33 ID:yNCJI72m0

「――ちゃん?」

「―央ちゃん?」

「未央ちゃん!」

「わっ!」

「未央、大丈夫? 最近、なんか気が抜けてるというか……」

「未央ちゃん、具合が悪いなら、早退しても……」

しまむーとしぶりんが、それはそれは不安そうに、私の顔を覗き込んでいる。
無理もないよね。自分でもわかるもん。最近、元気ないって。
でも、ここで甘えるわけにはいかないんだ。

「う、ううん! 大丈夫大丈夫!」

まったくもう! 元気がとりえの未央ちゃんが2人を不安にさせちゃダメでしょ!
そう、自分に言い聞かせる。

「……ならいいけど」

しぶりんは何か言いたそうだったけど、言葉を飲み込んだみたい。
……優しいね。

「先、レッスン室行ってるから」

そう言い残して、2人は部屋から出て行った。
私も、いつまでもボーっとしているわけにはいかない。
重い意識と、重い体をなんとか持ち上げて、部屋を後に……
瞬間、机の上に、何か見慣れないノートを見つけた。
うーん、見たことあるノートだけど、どこで見たんだっけ……?
……あ、そうだ、乃々ちゃんが前に抱えてた気がする。
ということは、ポエム帳かな?

221 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:26:14.73 ID:yNCJI72m0

……先に言い訳をさせてもらうと、ほんの気の迷いで。
どうせレッスン終わったらすぐ戻ってくるし、上手くいかないことばかりでちょっとむしゃくしゃしてたのかもだけど。
そのノートを、手にして。
棚の1番上に隠しちゃった。
軽いイタズラみたいな……ね?
も、もちろん、後で謝るよ?
だから、良いことをさせてもらえないなら、ちょっとくらいは。
そんな気持ちで。

「レッスン行ってきます」

誰が聞いてるわけでもないけど呟いて、扉を開け……

ドンッ

誰かが勢いよく入ってきた。

「み、未央さん、ご、ごごごめんなさ……」

「乃々ちゃん……!」

「へ? も、もりくぼの顔に何か」

「う、ううん! レッスン行ってくるね!」

そう言って、逃げるように。いや、実際逃げてたんだけど。その場から離れた。

222 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:26:54.09 ID:yNCJI72m0

当然なんだけど、慣れないことはするものじゃない。
レッスンの間、ソワソワしっぱなしで、何回も怒られてしまった。
最近の元気のなさと相まって、トレーナーさんも心配そうな顔を向けている。
でも、こっちはひとまずそれどころじゃなくて、とにかく早く戻って謝んなきゃって。

いつもより何倍も長く感じたレッスンを終えて、私は駆け出していた。
ようやくたどり着いた部屋のドアを開けて。

「あ……未央さん」

「の、乃々ちゃん」

「あの……も、もりくぼ、未央さんを待ってました」

ま、そうだよね……。犯人かどうかわからないとしても、直前まで部屋にいた私に聞くのは正しいし……

「もりくぼのポエム帳を棚の上に隠したの……未央さん……ですか?」

「……うん。乃々ちゃん、ごめ」

「あ、ありがとうございます……!!!」

……

「……んんん?」

「本当に助かりました……。あのままだと、誰かに読まれてたかも……」

「……えっ、え?」

「レッスン中に、机の上に出しっぱなしだと気がついて……。急いで戻ってきたら隠してあって……」

「い、いや、私は」

「あ、あの後すぐにきらりさんに取ってもらったので、困ったとかもないですし……」

「ち、ちが……」

「では、もりくぼは失礼します……。ありがとうございました」

またお辞儀をして、乃々ちゃんは去って行った。
一方私は、なんか……よくわからない。
気持ちの整理がちょっと難しい。
最近ずっと、良いことをしようと思ったら裏目に出て。
今回は……

そして、1つの仮説が頭に浮かんできた。
この1回だけで判断するのは危ないってレベルじゃないんだけど、何かすがれるものが欲しかったのかもしれない。

……ふと窓から外を見ると、誰かがランニングをしていた。

223 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:27:44.27 ID:yNCJI72m0

「3人とも、おっつかれー!」

できるだけ元気な声で、私は千枝ちゃん、仁奈ちゃん、みりあちゃんに声をかけた。
ランニングをしていたのはこの3人で、ちょうど休憩に入ったらしい。
よく見るドリンクで、喉を潤そうとしている。
……今からすることに対して、少し不安で、申し訳なくて、でも確かに、ワクワクしている自分は、いた。

「あ! 未央おねーさん!」

「未央ちゃん! おつかれさまっ!」

「おつかれさまです」

口々に挨拶を返してくれる。優しい子たちだよね。

224 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:28:32.40 ID:yNCJI72m0

「休憩中かな?」

「そうでごぜーます!」

「3人でランニングをしてたんです」

「ほうほう、いい心がけだね!」

「未央ちゃんは何してるのー?」

「え? わ、私は……えーっと……」

「?」

「あ! み、みりあちゃん! 美味しそうだね! そのドリンク!」

「えー? いつもみんな飲んでるやつだよ?」

「ちょっとちょうだい!」

そう言って、私は半ばひったくるように、みりあちゃんの手からドリンクを奪った。
ごめんみりあちゃん! 今度ごはん奢るね!

「み、未央さん……?」

なるべく3人の顔は見ないようにして……

「あ! 手が滑った!」

私はみりあちゃんのドリンクを開け、地面へ落とした。

「あー!」

横になったドリンクの口からは中身がこぼれていく。

「未央おねーさん! ひどいです!」

「……」

「み、未央さん、手が滑っただけ……ですよね?」

「……」

私は黙っている。ごめんね、ごめんね。と心で呟きながら。

225 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:29:03.56 ID:yNCJI72m0

「も、もー、未央ちゃん、次から気をつけてね?」

みりあちゃんは私を責めない。本当に優しい子だ。胸がズキズキ痛む。いっそ土下座でもしようかって思った、その時。声が聞こえて、こちらに駆け寄る影が1つ。

「3人ともー!」

「ちひろおねーさん!」

「はぁ……はぁ……」

ちひろさんはだいぶ息を切らしている。大急ぎでここに来たらしい。

「だ、大丈夫ですか……?」

「ちひろさんもランニングしてるの?」

「ち、違います……」

「なにかあったでごぜーますか?」

「そ、そうなんです! さっき3人に渡したドリンクなんですけど、間違えて期限が過ぎた廃棄用を渡してしまって!」

「え! そうだったのー?」

「はい! ごめんなさい……! も、もう飲んじゃいましたか?」

「ええと……まだ……」

3人が、すっかり中身のこぼれたドリンクを一瞥した後に、私の顔を見つめる。
私はどんな表情をしているんだろう? 残念ながらわからない。展開的にはドヤ顔が正しいんだけど、まあそんな気分じゃないし……
226 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:29:43.06 ID:yNCJI72m0

「未央ちゃん、もしかして知ってたのー!?」

「え? 未央ちゃんが教えてくれたんですか?」

「未央おねーさん、いきなりみりあちゃんのドリンクをこぼしやがったですよ! でも、ダメなドリンクって知ってやがったでごぜーますか?」

みんなが驚いた顔でこっちを見ている。……1番驚いてるのはこっちなんだけどさ。
でも、ここは乗っかるしかない……よね?

「もー、ちひろさん、大きな声で話しすぎだって! 廊下まで聞こえてたよ?」

「ご、ごめんなさい……」

「みりあちゃん、ごめんね? いきなりこぼしちゃって」

「ううん! それより未央ちゃん、助けてくれたんだ! ありがとー!」

ズキン、と痛む胸に見て見ぬふりをしながら、賞賛の言葉を受け取る。

「ごめんなさい、千枝、少し未央さんを疑っちゃいました……」

本当に申し訳なさそうな顔で頭を下げる千枝ちゃん。
そんな顔しないで。悪いのは私だから。千枝ちゃんの感覚は間違ってないんだよ。
……なんてことは思っても、口に出せるわけもなくて。


雰囲気はね? "未央ちゃんありがとー!"って。そういう感じだったんだけど、やっぱ、そのままそれを受け取ることはできないよね。

「じゃ、ランニング頑張りたまえ!」

心の重さを隠すように、大きな声で告げて、その場を去ることにした。

227 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:30:22.79 ID:yNCJI72m0

……まあ、確定と言っていいんじゃないかな。

なんでかよくわかんないんだけど、善い事をすると悪い方向に、悪い事をすると善い方向に転がってしまうみたい。
いやはや、我ながらなんと意味のわからない……
でもまあ、さっきまでの。全部が裏目に出ていた時に比べれば、ちょっとは気分も晴れてる……と、思うけど。

こうして、"善い事をするために悪い事をする"という、なんとも奇妙な私の生活が始まった。


仲間のファンレターを破けば禁止ワード満載の捨てるべきやつで。
プリンを勝手に食べて「美味しかったよ」とやや高圧的に言っても、"初めての手作りで食べてもらう自信がなかった。嬉しい"だってさ。
撮影の邪魔をしたら「その表情、いいね!」って次の仕事に結びつくし。
寝てる人を起こすといつもレッスン10分前で、決まってみんな「ありがとう」って。


じゃあ、そんな良いことをし続けた未央ちゃんは、とびきり悪いことをずっとしていた未央ちゃんは、さぞご機嫌だったのでしょうって思う?
もちろん、そんな訳ないんだよねぇ。

228 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:30:54.92 ID:yNCJI72m0

「……はぁ」

最近はもう、ため息がクセみたいになっちゃってる。
そりゃあ、さ? みんなには感謝されるよ。そこは単純に嬉しいけど。
でも、その行動をするときには、まだわからないんだよ。どうなるのか。
結果がどうあれ、私がしているのは間違いなく悪いこと。もちろん、本当に困ってる人と正面から向き合えないのは変わらない。
やってみて初めて「ああ、こうなるんだ」ってわかるの。
これって、とっても怖い。
ともすれば、単なる加害者だもん。

でもやっぱり、こんな回りくどい方法でも、人助けができるのなら。
それならいいのかもって、思い始めてた。

229 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:31:23.03 ID:yNCJI72m0

そんな重苦しい気持ちに蓋をしながら、この日も事務所への道を歩いていた。

「おっ」

ふと道端の自動販売機を見ると、見覚えのある後ろ姿が、お金を入れてたんだ。
あの金の髪は……、見間違えるはずもない! ゆいゆいだ!
ゆいゆい、確かこの前コーラにはまってるとか言ってたような!
ってことは、ここで未央ちゃんがすることは1つ!

「おっしるこ〜!」

なんだかふざけた掛け声で、ゆいゆいの後ろから自販機のボタンを押した。

「わっ! 未央ちゃん!?」

ガコン

「やあやあゆいゆい、元気かい?」

「もー! ゆい、おしるこなんて飲まないよ!?」

「あれー? めんごめんご!」

そもそもなんでこの季節におしるこが売ってるのかとか言っちゃダメだよ?

「酷いよー! ……あれ?」

取り出し口からゆいゆいが取り出したのは、まぎれもない、コーラだ。
よかった……、今回も成功したみたい。

「いやあ、なんか入れ替わってる気がしたんだよねぇ」

不安だった心を見せないように振るまう。
でも、ゆいゆいの表情は……なんというか……

「……」

「……あれ?」

「ゆい、今日はメロンソーダ飲もうと思ってたんだけどなー」

「……え?」

「ま、いいや! おしるこよりはマシかな! じゃ、お仕事あるから先に事務所行ってるね!」

「あ、う、うん」

「じゃーね!」

ごめんね。という声が喉から出る前に、ゆいゆいは見えなくなっていた。

230 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:31:54.27 ID:yNCJI72m0

残された私は、今までにない感覚に困惑している。
あれ? 今の、失敗?
悪いことして、良い結果になると思ったんだけど……
結果は……

……あれれ?

首をかしげながら再び歩き始める。
リアクションの小ささとは裏腹に、動揺は大きくなるばかりだった。

231 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:32:38.40 ID:yNCJI72m0

「ひ、ひったくり!!!」

突然響いたその女性の声は、私の思考を現実に引き戻すには十分すぎるものだった。

ってか普通にビックリした! え? ひったくり? どこ?
……もしかして、前から猛然とダッシュしてくる人……!?
ど、どうしよう、どうしよう!
以前までの私だったら、そりゃタックルの一つでも決めてやるところだけど。
今はそんなことは、そんな良いことはできない。
でも、さっきのゆいゆいのパターンだったら? 良いことが良い結果になるなら?
いやいや確証がないよ。でもだってああ。

そんなことが頭を駆け巡る間に、犯人はこちらに一瞥もくれないまま、横を走り去って行った。
……罪悪感に潰されそうになる。で、でも、いつもの流れなら、これが良い結果につながるはずだし!
犯人の姿を再度捉えるために振り向くと、大柄な男性が、その犯人を取り押さえているところだった。
正直に言えば、安心した。これで犯人が逃げ延びちゃったら、私は一生後悔することになっただろう。
なんだ、やっぱり、悪いことをしたらいい結果になるじゃないか。
あの男性だって一瞬でヒーローだ。
そうだ、たとえ腕から血が流れていよう……と……

「……あ、え……?」

この距離でもわかる。あれは血だ。取り押さえている男性の腕から血が。
よく見ると傍にナイフが落ちている。犯人が持っていたのか。取り押さえる際に切られたのか。
どんどん増える野次馬に紛れるように、その場から去ることを、体が決断していた。

232 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:33:19.46 ID:yNCJI72m0

「ひ、ひったくり!!!」

突然響いたその女性の声は、私の思考を現実に引き戻すには十分すぎるものだった。

ってか普通にビックリした! え? ひったくり? どこ?
……もしかして、前から猛然とダッシュしてくる人……!?
ど、どうしよう、どうしよう!
以前までの私だったら、そりゃタックルの一つでも決めてやるところだけど。
今はそんなことは、そんな良いことはできない。
でも、さっきのゆいゆいのパターンだったら? 良いことが良い結果になるなら?
いやいや確証がないよ。でもだってああ。

そんなことが頭を駆け巡る間に、犯人はこちらに一瞥もくれないまま、横を走り去って行った。
……罪悪感に潰されそうになる。で、でも、いつもの流れなら、これが良い結果につながるはずだし!
犯人の姿を再度捉えるために振り向くと、大柄な男性が、その犯人を取り押さえているところだった。
正直に言えば、安心した。これで犯人が逃げ延びちゃったら、私は一生後悔することになっただろう。
なんだ、やっぱり、悪いことをしたらいい結果になるじゃないか。
あの男性だって一瞬でヒーローだ。
そうだ、たとえ腕から血が流れていよう……と……

「……あ、え……?」

この距離でもわかる。あれは血だ。取り押さえている男性の腕から血が。
よく見ると傍にナイフが落ちている。犯人が持っていたのか。取り押さえる際に切られたのか。
どんどん増える野次馬に紛れるように、その場から去ることを、体が決断していた。

233 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:34:06.38 ID:yNCJI72m0

「はぁ……はぁ……」

しばらくの間走っていた私は、知らない住宅街で、ようやく我に返ることができた。
体力には自信があるが、こんなに息が切れている。相当走ったのかもしれない。

……自分のことなのに"かもしれない"だなんて恥ずかしいけど、それだけ余裕がなかったってことだと思う。

しばらく、何も考える気になれなかった。
息を整えながら歩く。ふと気がつくと公園の周りにいた。

「ちょっと休もうかな……」

公園ならベンチの1つはあるだろう。別にブランコに座ってもいい。それは良いことでも悪いことでもないんだし。

そう思いながら、公園の入り口に近づいた瞬間。

ポーン ポーン

「……え?」

私の横を、ボールが、多分サッカーボールだと思うんだけど、そんなことはどうでもよくて。
公園から目の前の道へ飛び出していった。


一瞬、思考に空白が生まれる。


そこから、私の脇をすり抜ける、小さな1つの影。
止まっていたアタマを無理やり現実に引き戻す。
ボールを追うように飛び出す影なんて。相場は決まっているから。
反射的に振り向き、目に入ってくる情報を無理やり飲み込んでいく。道路の向こうにボールが転がり、それを追う、子ども。
さらに視界の端からは大きな、大きな。

「危ない!!!!!」

叫ぶと同時に体は動いていた。
さっきまでの悩みとか、体の重さとかそんなものは置き去りだ。
迫り来るモノに子どもが飲み込まれそうになる。

届け! 届け!

ドン! と、必死に手を伸ばして、子どもを突き飛ばした。
その子が道路の向かい側で尻餅をつく姿を見届けて。

ザザザッ!

道路の真ん中に滑り込む。
自分の体を向こうまで持っていく余裕はなさそうだ。

ブレーキの音が、これでもかというくらいに耳に突き刺さる。

ああ、走馬灯なんて、見えないんだな。とか思い、なが、ら――

234 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:35:04.50 ID:yNCJI72m0

……

……

……

……あれ?

天国にしては地面が硬いね?
なんか焦げた匂いもするし……?

……あれれ?

「よい……しょ……」

力を入れ、体を起こす。マヌケな顔で周囲を見渡すと。
公園があって、反対側に男の子がへたり込んでて。目の前には。

「ナンバープレート……」

ということは、目の前で止まったのか! ラッキー!
……いやいや、そんな緩いスピードじゃなかったよね?
よーく見てみると、そのナンバープレートは車体の後ろについているもので。
え? 未央ちゃん、すり抜けた!? この車……いや、よく見るとトラックだ。を、すり抜け……
それもありえないでしょ。なんてセルフツッコミを入れながら、そう考えると答えは1つだけしかない。

「下……?」

大きい大きいトラックの下を覗きこむと、確かに、少しのスペースが存在した。
ここに入って、トラックが通過したタイミングで止まったの……?
焦げ臭いのは、タイヤのブレーキ跡みたいだ。

改めて、自分の身に起きたことを反芻して、汗が流れ始める。

よかった、よかった!
ようやく、少しずつだが頭が動き始めた。
なるほど、子どもを助けようとした未央ちゃんは、トラックに轢かれかけるも、九死に一生を得る!
なるほど! なるほど!
安堵感もあって腰が抜けてしまっているが、まあ仕方ないって。トラックが大きくて本当によかった……
こういうどんでん返しも、まぁちゃちに見えるかもだけど、悪くないよね?

235 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:35:41.67 ID:yNCJI72m0

それにしても大きいトラックだ。ナンバープレートの、さらに上。荷台を見上げると、そこには大量の棒のようなものが積まれていた。
鉄パイプかな……?
これだけの量を積めるトラックはあまり見覚えがないけど。まあその大きさのおかげで助かったんだし。
当然ながら、その大量のパイプはロープで留められていた。
うへえ……、弱そうなロープだなあ……。
切れたりでもしたら大惨事だよ?

ほら、あの結び目のところなんて、今にも千切れ……そ……

ブヂィ!!!

「……え?」

嫌な音が。

聞こえた。

残念ながら、目でも。

それを捉えていた。

降ってくる。

転がって。


降って

236 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:36:12.85 ID:yNCJI72m0

ポコポコポコポコ!

「あいたたたたたた!!!」

……んん?

こ、これ……

「プラスチック……?」

……

……

「はぁ〜……」

そのまま、大量のパイプの中で。起き上がる気力はもう、なかった。



おわり


237 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/20(水) 23:36:38.95 ID:yNCJI72m0
ありがとうございました。
238 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/21(木) 03:11:24.53 ID:huYZMWvp0
239 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/26(火) 23:05:37.01 ID:1qpUpdjR0
よろしくお願いします。

タイトル:高垣楓「ばけもの」
240 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/26(火) 23:07:00.04 ID:1qpUpdjR0
「……えま……か?」

 べったりと張り付くような空気が漂っていた。
 月は雲に隠れ、星も見えない息苦しい夜空が世界を覆っている。地上に広がる都市は不出来なランタンのように灯りを散らす。
 駅前の雑踏。ぼんやりとした灯りに照らされる人々の顔は、幽鬼のようであった。

 仮に、ここに幽霊が居たところで、人と見分けはつかないだろう。
 仮に、ここに異界への入り口があったとしても、誰も気付かないだろう。
 仮に、ここに人ではないモノが徘徊していたとしても、誰も気にもとめないだろう。

「おまじないは、いかがですか?」

 雑多な音を切り裂いて、童女のあどけない声が聞こえた。
 偶然、一人の女性がその声を聞き取った。
 
「素敵な素敵な、恋のおまじないはいかがですか?」

 女性は立ち止まり、蒼と碧の瞳で声の主を見る。
241 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/26(火) 23:08:28.98 ID:1qpUpdjR0
 まるで造り物のような容姿の少女が居た。
 透き通るような白い肌。金色の瞳に金色の髪が夜の闇に浮かんでいる。
 それは、不確かな灯りの下では人形と錯覚してしまう程に異様だった。

「世界中の人々が祝福する、素敵な恋をしたくありませんか?」

 引きこまれる様な声だった。金色の瞳に囚われ、そこから逃れられなかった。

「そうですね」

 そして、気が付けばそう答えていた。

「それでは、お名前を教えてください」

「高垣楓」

 ――その日、『ばけもの』は生まれた。
242 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/26(火) 23:09:37.94 ID:1qpUpdjR0
◆◆◆

 翌日、高垣楓は同僚の川島瑞樹に、夜の出来事を語った。

「楓ちゃん、いくらなんでも不用心じゃないの?」

 呆れながらも窘める友の言葉の温かさを感じ、意地が悪いと思いつつも楓は微笑む。
 しょうもない子、思わず瑞樹の口から洩れた呟きは、優しい声色だったから。

「悪い人には見えませんでしたから」

「とは言っても、密室に連れ込まれて強制的に怪しい壺とか買わされることもあるのよ」

 と、ひとしきり注意をした後、瑞樹はふと言った。 

「それにしても、恋ね……私たちにはちょっと身構えちゃう言葉よね」

 遠くに置いてきた青春。恋、と言う言葉を噛みしめる。

「アイドルですからね」

 高垣楓も川島瑞樹もアイドルである。職業柄、恋愛事は御法度である。
243 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/26(火) 23:10:58.41 ID:1qpUpdjR0
「そうそう。でも、世界中が認める恋だったら、素敵よね」

 それでも、一人の女性として恋に焦がれることはあった。
 もし仮に、世界中が認めてくれる恋があるとしたら――それは、アイドルにも許されるだろうか。
 そんな、都合のいい考えが昨夜の楓の内にもあった。

 ――『ばけもの』は育つ。

「もし仮に、だけど」

「なんですか」

「恋をするなら、どんな相手がいい?」

「そうですね。瑞樹さんみたいな人でしょうか」

 唇に指をあてて、悪戯小僧のように狡賢い微笑みをする。

「もう、お世辞を言ったって、お酒はおごらないわよ」

「はい」
244 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/26(火) 23:12:18.40 ID:1qpUpdjR0
◆◆◆

 季節は流れる。
 夏は過ぎ、気が付けば秋の暮れ。

 充実した日々を過ごす楓は、いつしか呪いの事を忘れていた。

 そんなある日の事だった。
 事務所に入ると、社員が慌ただしく走り回っていた。
 盛況とは違う、明らかに殺気立った空気が漂っている。

 どうしたものか、と立ち尽くしていると、彼女のプロデューサーが駆け寄ってきた。
 目の下にはクマがあり、シャツも汗で萎びている。明らかに、疲労していた。

「何があったんですか?」

 彼から差し出されたのは、一冊の雑誌。明日発売予定のモノだった。
 問題は、その表紙に踊る文字。

『高垣楓に熱愛発覚か!?」

「……これは?」
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