球磨「面倒みた相手には、いつまでも責任があるクマ」

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1 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/20(日) 20:11:16.07 ID:wQv5FyAe0



「めんどうみたあいてには、いつまでも責任があるんだ。まもらなけりゃならないんだよ、バラの花との約束をね……」

(1943年出版、サン=テグジュペリ『星の王子さま』より)




SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1503227475
2 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/20(日) 20:14:41.85 ID:wQv5FyAe0


 ………………………………


『海軍大佐――――。大日本帝国海軍・軍艦(艇)球磨、艦長ヲ命ス』


小寒の候、冬晴れの空。

本日天気晴朗、ナレドモ海風冷冷タリ。


――僕は夢を見た。


一人の黒衣の男が軍艦の前甲板に屹立している。

齢40近いこの男は、隊伍を組んだ黒軍服の手前、その一点に屹立している。


第一種軍装を身に纏い、短剣を剣帯し、士官軍帽の陰に潜む、その凛と輝く柔和な目で、艦首旗竿に掲げられた海風に揺蕩う日章旗を見据えていた。

小柄で無口なこの男は、襟章や袖章から察するに、海軍大佐であると窺える。

3 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/20(日) 20:18:35.83 ID:wQv5FyAe0


本日、この男が屹立している軍艦、その前甲板にて、艦長着任式が執り行われた。


この軍艦は、1919年7月14日に佐世保海軍工廠で産声を上げた、全長162.1メートル、全幅14.17メートル、排水量5500トン、最大速力36.0ノットと言う快速を誇る強豪艦である。

しかしそれは、あくまでも進水当時の話であり、今現在ではやや旧式となった二等巡洋艦であった。

兵装は40口径三年式8センチ高角砲2門、53センチ連装魚雷発射管8門、そして50口径三年式14センチ砲7門が備え付けられている。

特徴的な3本煙突の先は、ふっくらと丸みを帯び、通称「そろばん玉」と呼ばれる雨水除去装置が取り付けられていた。

4 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/20(日) 20:19:59.63 ID:wQv5FyAe0


帝国海軍における二等巡洋艦の命名慣例である河川の名称が襲用され、大正天皇に奏聞し治定された、この軍艦の名は「球磨」。

この海軍大佐は、大日本帝国海軍の軍人として、「軍艦・球磨」艦長の任に就く、誉高きこの日を迎えたのである。

5 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/20(日) 20:20:58.63 ID:wQv5FyAe0



『まさかの祝――人目の艦長だ。球磨も驚きだ。でもおめでたい』


6 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/20(日) 20:22:35.85 ID:wQv5FyAe0


 ………………………………


 ◆第1章:歴史という綴織


 ………………………………

7 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/20(日) 20:25:07.00 ID:wQv5FyAe0


――――11月、0630、横須賀鎮守府停泊、軍艦・球磨、艦長室。


「本日は航海長の知っての通り、各種整備の後、1200より馬公要港部へと向かう」

「了解です。艦長」


日の出遠き朝、電燈の明かりの下。

着任初日、大佐は艦長室の机の上に乱雑ながらも秩序的に並べた航泊日誌と方向航海計器(コンパス)、そして海図へと視線を落とし、航海長と本日の任務について話をしていた。


『台湾は久しぶりだ』


ふいと、大佐はあどけなさが残り、どこか間延びした少女の声を聞いた気がした。

8 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/20(日) 20:27:05.83 ID:wQv5FyAe0


唐突に顔を上げ、そして訝しげに首を傾げる大佐。

その大佐の様子に、航海長も不審げな表情を浮かべた。


寸秒の後、大佐は航海長に向かって口を開いた。


「……航海長。今誰か、喋らなかったか?」

「いえ、艦長。艦長室には私たち以外、誰もいませんが……」


『鳳梨酥(パイナップルケーキ)と烏龍茶で一服。うん、それも悪くない』


二言目。

大佐は、今度こそしっかりと少女の声色を聞いた。

9 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/20(日) 20:30:04.88 ID:wQv5FyAe0


――幽霊か、はたまた、妖か。


青褪めた大佐の様子に、航海長も殊更不安げな表情を浮かべた。


寸秒の後、大佐は意を決した様子で航海長に向かって口を開いた。


「航海長……変な事を聞くようだが……この艦に童が紛れ込んでいる……なんて事は無いな?」

「え、ええ……少なくとも水兵からその様な報告は上がっていませんが……」

「……」


『もっともこの球磨は、そんな美味しいモノを飲んだり食べたりする事が出来ないが』


三言目。

大佐は自分が疲れているのでもなく、少女の声色が自分の聞き違えでもない事を確かめると、深刻な表情で頭を抱えた。

10 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/20(日) 20:31:32.13 ID:wQv5FyAe0


「……艦長?」

「ああ……すまない、久方ぶりの国外任務で何分緊張しているのだ。1100の総員集合時には顔を出す。それまではよろしく頼む」

「……承知致しました。失礼致します」


航海長は敬礼の後、普段であれば決して見る事が無い、頭を抱えた大佐の姿に狼狽しつつ、艦長室を後にした。


「……まさかな」


暫くの後、大佐は確かめる様に口を開いた。

11 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/20(日) 20:33:02.44 ID:wQv5FyAe0


「……この部屋に誰か居るのか?」

「球磨も人間になれたら……っておい、そこな艦長……もしかして、この球磨の声が聞こえてるのか?」

「……」


まさか頭を抱える原因を作った張本人から言葉が返されるとは思わなかった大佐は、気を保ちながら恐怖を嚥下し、その震える唇を開き、語気を強めて問いかけた。

12 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/20(日) 20:35:00.70 ID:wQv5FyAe0


「……だったらどうした、貴様はなんだ? この大日本帝国海軍が誇る軍艦・球磨に住み着く幽霊か、はたまた、妖か?」

「失敬な。この球磨こそ紛うことなき、大日本帝国海軍が誇る球磨型二等巡洋艦の1番艦、球磨だ。知っての通り、佐世保生まれだ」


大佐の言葉にその存在は、「ぷんすか」と言わんばかりの声色で、堂々を己が名前を告げた。

13 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/20(日) 20:37:12.99 ID:wQv5FyAe0


「貴様、何を言って……」

「そうだな……舟魂って知っているか? 海の民が航海の安全を願う神さまの事だ。多くの場合は女性である事が多い。まぁ、そんな存在だと思ってくれ」


大佐は頭を上げ、艦内に鎮座する艦内神社を想起した。

「軍艦・球磨」の名の由来となった「球磨川」が流れる熊本県・球磨郡に位置し、縁結びの神社としても知られる「市房山神宮・里宮神社」。

その分社である艦内神社には、神木を刳り貫いて作った舟型の中に、舟魂を模った紙の人形と、撤下神饌が供えられていた。

こうした艦艇内に神社を設ける分祀行事は、帝国海軍では連綿と続く慣わしである。

軍艦、ひいては艦艇が女人禁制と度々言われるのは、この舟魂、つまり女性の神さまが嫉妬して、機嫌を損ねてしまう可能性を憂いての事らしい。

14 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/20(日) 20:38:51.92 ID:wQv5FyAe0


「つまり貴様は……神か?」

「そんな大層な者ではない。球磨は『軍艦・球磨』だ。それ以上でもそれ以下でもない。最も球磨以外に似た様な存在が居るのかは知らん」

15 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/20(日) 20:40:16.79 ID:wQv5FyAe0


――そんな妖怪変化を信じてたまるか。


仮にも文明人で帝国軍人でもある大佐は、この事実を否定しようとしたが、こうやって会話が成立している以上、信じない訳にはいかず、大佐は腹を括った。

大佐は伊達に40年生きていない、ましてや伊達に20年近く軍務に就いていた訳ではない。

大佐は自分自身の肝っ玉を信じ、艦長室の虚空を仰ぎ、諦めた様子で言葉を投げた。

16 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/20(日) 20:42:10.81 ID:wQv5FyAe0


「……で、貴様の目的は何だ?」

「……」


大佐のその言葉と同時に、この「軍艦・球磨」と名乗る存在は沈黙した。

そうして艦長室には荒涼たる空気が唐突に流れ、大佐は思わず身震いし、身構えた。


――この神とも霊とも妖とも分からぬ存在から、果たしてどの様な宣告がなされるのか。


大佐は唯々固唾を呑んで、この少女から告げられるであろう言葉を待った。

17 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/20(日) 20:43:00.65 ID:wQv5FyAe0


「……いんだ」

「……」

「……寂しいんだ」

「……は?」

18 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/20(日) 20:44:24.90 ID:wQv5FyAe0


そして告げられた少女の気恥ずかしそうな声色に大佐は、ふにゃりと自分自身の緊張の糸が緩んだのを感じた。

続けて軍艦・球磨たる存在は言葉を紡いだ。


「お前が初めてだったんだ。この球磨が生み出されてから早15年近く。こうやって言葉を返してくれる人は誰一人として居なかった」


そしてその声色は、どこか嬉しそうな色を孕んでいた。

恐らく今、この少女がこの場に人間として姿を現していたならば、大佐に向かって赤面して嬉しそうな笑顔を浮かべていたであろう。

大佐は少しでも身構えた自分が阿呆だったと溜息を吐き捨て、軍艦・球磨たる存在に続けて言葉を投げかけた。

19 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/20(日) 20:46:57.43 ID:wQv5FyAe0


「目的は分かったが……それにしても、何故私だけ貴様の声が聞こえるのだ? 先刻まで居た航海長には聞こえなかったようだが」

「球磨にもよく分からんが、どうやらお前とは波長が合うみたいだ。嬉しいぞ、こうしてお前と話せるのは」

「私はちっとも嬉しくない。それに今後、貴様と言葉を交わすつもりは更々無い」

「むぅ……女の子に対して何て口の利き方だ……」

「第一、貴様と話して私に何の利点がある?」

「そ……それは……」


大佐の言葉に辟易した少女は、寸秒考えた後、早口で大佐に捲し立てた。

20 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/20(日) 20:48:09.98 ID:wQv5FyAe0


「伊達に15年近く軍艦はやっていない、多少なりとも助言は出来る! 意外に優秀な球磨ちゃんって、よく言われる! 後は……そう! お前も人の上に立つ身だ、何かと孤独だろう。その孤独を枯らしてやる事も出来る!」

「私に助言なぞ必要ない。それに孤独こそ男の本懐。そんなもの犬か軟弱な余計者にでも食わせてしまえ」

「ぐぅ……」

「それに私は必要な時以外、無駄口を開きたくない。だから黙っていてくれ」

21 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/20(日) 20:49:43.32 ID:wQv5FyAe0


とりあえず害が無いと分かった大佐は、少女の言葉を無視し、だんまりを決め込む事にした。

軍艦・球磨は大佐に何度も話しかけるが、大佐はウンともスンとも言わず、机の上に広げた航泊日誌に記述している。


「なぁ……球磨が少しお喋りだったのは謝る……」

「……」

「だからお願いだ……返事をして欲しい……」

「……」


暫くの後、この軍艦・球磨たる存在は、悲しみを吐き出す様に嗚咽を漏らした。

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