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女「犠牲の都市で人が死ぬ」 男「……仕方のないこと、なんだと思う」
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65 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/08/18(金) 16:07:12.10 ID:Iw2IIQMD0
乙
66 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/08/23(水) 16:43:30.91 ID:gDsglEzi0
>>64
ありがとうございます。そうしておきます
67 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/08/23(水) 16:44:47.32 ID:gDsglEzi0
「お、裕樹クン。勉強熱心だね。君、ほとんどの時間、ここにいないかい?」
「気のせいじゃないですか?」
確かに、僕はしょっちゅう図書室に来る。法の原点など、学ぶべきものが多いからだ。だが図書室に籠っている頻度は、卓也のほうがたぶん多い。過去の歴史の宝庫であるここは、彼にとってとても楽しい場所なのだそうだ。
おそらく、照の勤務時間とかそこらへんが僕と被っていないのだろう。
「いやー、『図書館の後光、照』の名の返上は近いね」
「はあ」
「ところでなんだがボスがお呼びだ。ちょっと来てくれる?」
「ボスが?」
ボス。このレジスタンスのボスは正直、そこまでかかわりたくない存在だ。恐ろしいとかではなく、力強さというか、気を緩めれないというか、そんな理由。
あまり姿を見せない人だ。そんな人が僕に何の用だろう。
僕は照の後についていく。
「最近どう?」
「普通です」
「そりゃよかった。そういえばさっきの『図書館の後光、照』の話なんだけどさ。この頭、禿げてるだろう? だから光を反射して図書室を照らすから名づけられたんだ。このつるつる頭が坊さんみたいだから後光、っていう寺っぽさを表現してるらしい」
人の自虐ネタほど、反応に困るものはない。
まもなくボスの下についた。大きめの削られた机に、椅子に座り、その人は待っていた。
首の骨を鳴らしながら、ボスはこちらにニヤッと笑いかける。
「待ちくたびれたぞ。照、コーヒーを出せ」
「はいはい」
「小僧、お前は座れ」
「はい」
照が湯気の立つコーヒーを運んでくる。ちゃっかり三つぶん持って来ていた。照は椅子を引きずり、ボスの近くに座った。
僕はコーヒーに口をつける。……っと、物凄い苦みが舌を締め付けた。今すぐに吐き出したいぐらいの苦み。
「おっと、子供には苦すぎるか?」
ボスがニヤッと笑う。顔に出ていたようだ。……まあ、それぐらい苦かった。普通じゃないくらいには。
少し悔しくてもう一口コーヒーを喉に注ぎ込む。あまり量は減らなかった。ボスはそれを見てほくそ笑んだ。
「無理しなくていいぞ」
「……」
今度こそ、コーヒーを流し込む。毒を飲んでいるような気分だ。だが顔には出さず、平然を保った。
「男気があるな」
「これぐらい誰でも飲めますよ」
「そうか。照、砂糖を持ってこい」
「はいはいはい」
「……」
ボスは角砂糖を入れた、二つ分。普通、こういうのは一つしか入れない気がする。
「裕樹、とかいったか? よくこんな劇物そのまま飲めるな。普通の奴は無理だぞ」
「……は?」
どういうことだ、と思うと照が声を堪えて笑っているのに気付いた。そもそも、照がコーヒーと同時に砂糖を持ってきていれば……つまりはわざとということだ。
「俺は、子供には苦すぎるか? と言ったが大人にとって苦すぎないとはいっていない」
「……」
ボスはニヤニヤと笑っていた。
「あんまり警戒するな。余裕を持て。真面目すぎる奴はからかわれるぞ。こんな風に苦い経験を味わうことになる」
「そうですか」
ボスは砂糖が十分溶けたのを確認し、コーヒーをうまそうに飲んだ。なんだかもやもやする。
68 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/08/23(水) 16:45:36.89 ID:gDsglEzi0
「コクっていうんだがな、あえて甘い部分と苦い部分を混ぜすぎないようにして味の差異を引き立てるんだ。そのために特化した特注のコーヒーと砂糖を使ってるんだよ。単一で飲める奴なんて照みたいな変人だけだ」
「趣味が合うので私の好みと同じにしてみたんですよ」と照が白々しく言った。明らかな確信犯だった。
僕は照を睨み付けた。
照がもう一杯コーヒーを運んでくる。今度は砂糖もある。
「裕樹、今度は砂糖入れて飲んでみろ」
正直、あまり飲みたくはなかった。
先ほどの感覚を思い出す。毒のような、じわりじわりと染みこむような味。今度はそんなことにはならないとは思う。……なるようになれだ。
砂糖を溶かす。口をつける。
……悪くない。
「うまいだろ?」
「そうですね」
「ほら見ろよ照。お前よりこいつは俺との相性がよさそうだ」
確かに、そうかもしれない。僕が思っていたより、ボスの性格は違う。
照が苦笑する。
「たかがコーヒーでそんなこと、わかりませんよ」
「じゃあ本人に聞いてみようか。俺たちのどっちのほうが気が合いそうだ?」
「ボスです」
「わはは」
照は職務乱用がどうだかと呟いた。でも実際、僕はボスとのほうが気が合いそうだ。
「さて、本題なんだが……裕樹、お前にはスラムのほうに行ってもらいたい。なに、危険はない。羅門と一緒におつかいをするだけだ」
……いきなりどういうことだろう?
「まあ、たまには外に出てみようってことさ」
と、照が言った。
僕は頷く。
「わかりました」
「あーそうそう」
ボスはコーヒーを飲んでいる。
「羅門はスラム出身だ」
69 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/08/23(水) 16:46:17.20 ID:gDsglEzi0
ーーーーーーーーーーーーー
羅門の後ろをぴったりと歩く。周りには無気力な人、人、人。小汚いぼろを纏い、物乞いをする彼らを横目に、僕たちは進んでいる。
「なんか、可哀想だな」と卓也が言う。
羅門との同行にはついで、ということで卓也も付いて来ていた。つまり、おつかいは羅門、卓也、僕、の三人だ。あまり危険はない、ということなのであまり外に出ない卓也と僕はたまには外の空気を吸え、と言われ、今回のおつかいに参加している。
一方、羅門はほとんどの時間、外で活動している。基本的にはボスの身辺警護を承っているとのことだが、訓練係であり実力者である彼は、レジスタンスの中でも活動時間が長い。
いかつい表情に、明らかに堅気ではない雰囲気。それが物乞いたちを近寄らせず、僕らの進行を楽にさせていた。
大男は卓也の言葉に反応する
「可哀想? なぜだ?」
不機嫌そうな声。
「いや、あんまり……裕福には見えないから」
「それは奴らが何もしていないからだ。自分の状況を仕方がない、と受け入れ、自分で腐っていくことを選んだからだ」
「そりゃそうですけど」
羅門の言うことは、実際、正しい。法によって支配されたこの世の中は犯罪を許さず、限りなく限界まで秩序を守っている。だが世の中のすべての人を裕福にすることはできない。いくら切り詰めようが、こういった人たちは出てきてしまうのだ。減らすことはできる。だがなくすことはできない。そのはけ口がここだ。ここは、一般的な人が存在を知りながら無視され、見捨てられた場所。僕だって、ここについては考えたことがある。例えば、ここにいる人たちを救うために救済資金を作ったとしよう。だが結局、今いるここの人たちを救っても、また似たような人たちが現れる。
イタチごっこ、徒労、無意味。
やがてスラム救済資金は尽き、民衆は税の無駄遣いを糾弾し……。
つまりはそういうことだ、必要悪。
そもそも自分のことさえ手一杯の子供に何ができる? そうやってかつての僕は諦めた。
「物乞いは無視しろ。構ってる時間が勿体ない。それに一度施せばうようよとわいてくるぞ。ゴキブリみたいにな」
羅門の言葉は辛辣だった。必要以上に貶めている気もする。確かに言っていることは正しい。だが言い方が……。
だからといって、僕はその言い方を改めるように言うのはお角違いだ。別に正義感ぶりたいわけじゃない。そもそも、人の価値観というのは個人の物で、批判できるものじゃない。思想の押しつけは独善的な偽善行為となり果てる。そう、彼女と一緒に、話し合ったことがある。
『羅門はスラム出身だ』
ボスの言葉。いやに引っかかる。なぜボスはこんなことを言ったんだろう。
試されているのかもしれない、と思う。だが思うだけだ。
ぼんやりと辺りを見渡す。それになぜか目をつけられた。
70 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/08/23(水) 16:46:51.88 ID:gDsglEzi0
「小僧、お前もだ。聞いてるのか?」
咎めるような言い方。
価値観の押しつけは独善的な偽善行為となり果てる。それを羅門は僕にしようとしている。年長者だとか、そういうこともあってこういうことを言っているのかもしれない。
だが、
「そうですね」
「気に食わなそうだな」
因縁をつけられている。そんな気がする。先程から卓也と比べて、僕に対してのあたりが強い。基地に羅門はあまりいないので、卓也が羅門と仲がいい、というわけでもない。
少し、腹が立つ。
「努力をしないやつは救われる権利がない」と羅門は言った。
だからどうした、と僕は思った。
「努力をするきっかけがないんですよ、この人たちは。努力したところで結果が保証されているわけでもないんだから、仕方ないでしょう」
そんな言葉を返した。
羅門は僕を睨み付ける。
「だが何もしなければ確実に腐っていくだけだが? 助けようとする奴がいても、徒労に終わるだけになる」
助けようとする奴?
――違和感を感じる。
「それは羅門さんの価値観でしょう。ここの人たちは本当に救われる、という可能性を信じることができない。選択肢を持っていないんですよ。僕ら外部の人たちはそういう考え方ができるけど」
卓也が注意を促すように僕に触れる。羅門は目に見えて怒っていた。僕はそれを見つめ返すだけだ。
怖くないわけじゃない。羅門の容姿は、今まで出会ったどんな人よりも、恐ろしい。だがきっと、力で押し通すことはしないはずだ。それはボスが信頼しているから、とか義理堅いという評判を落とすようなことを簡単にはしないだろう、とか、そういった理由もある。だが以上に、彼からは信念めいたものを感じていたから。接点はほとんどなかったが、多少はある。小さな行動から、どういった人物なのかはうっすら見えてくる。
羅門は何かを言いかけ、やめた。
「確かにそうだな。わかってるさ、その程度」
そういって背を向ける。拍子抜けだった。突然怒りが収まったかのような、諦めたかのような。
……。
71 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/08/23(水) 16:47:26.33 ID:gDsglEzi0
「何やってんのさ裕樹さん!」
卓也が鋭く、小さな声でそう言った。
「あ、うん」
「うんじゃないでしょ!」
「これからは気を付けるよ」
卓也は相当心配していたようだ。あの容姿の男から怒りの感情をぶつけられたら、確かに心配もするだろう。
僕は羅門の背を見る。誰も寄せ付けない、大きな背中。そびえ立つような、孤高のような。
なんだったんだろうか。よく……わからない。
72 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/08/23(水) 21:28:01.75 ID:Fs+zV9sf0
乙
73 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/08/24(木) 11:25:42.01 ID:H+SfRfBFo
乙
74 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/08/25(金) 18:43:44.51 ID:as1CpHWZ0
いつもレスを付けてくれる方々、本当にありがとうございます
励みになります。必ず完結させます
75 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/08/25(金) 18:47:32.70 ID:as1CpHWZ0
薄暗い取引現場。
危険物の取引など、並みの場所ではできない。このスラムという場所が見捨てられているからこそ、可能な芸当だ。ここでは誰も罰せられない。誰も救いに来ない。ここには法がない。
「ああ、じゃあ手筈通り頼む」
「了解」
羅門と男が話し込んでいた。漂う緊張感と、鋭い言葉の応酬。
本題自体はうまくいったようで、次の段階に進みそうだ。
僕らは小さく、少々の家具がある部屋に案内された。しばらくここで待ち、物を受け取り、それで終わりのようだ。
軽い食事を出される。コーヒーとパン。
卓也は食べ終わるやいなやトイレに行った。緊張とかで腹が痛い、みたいなことを言って。
僕は食事を終えた。羅門はゆっくりと食べていた。なんというか、見た目に反して紳士みたいな……なんというか。
気まずい雰囲気が流れる。「なぜ僕をそんなに嫌うのか」と聞いてみたい。だが、そんなことをしても変わるものはないもない。拗れるだけだ。
そして、羅門も食事を終えた。そのあとに祈りをささげるような仕草をした。
「どうした、珍しいか?」
彼をじっと見ていると、そんなことを聞かれた。
返答に困る。羅門は明らかに僕を嫌っている。下手に会話をしたくはない。
「そうですね」と僕は答えた。
「俺のところでは、これが普通だったんだよ」
「普通?」
「カミサマ、っていうのを信じるんだ。信じていれば救われる。そういう風に教育された」
……なんとなく、気づいたことがある。カミサマを信じれば救われる、という慣習は一般的には存在しない。そして『羅門はスラム出身だ』という言葉を思い出す。つまりは、スラム独特の考えだろうか。
そもそも、なぜいきなりこんなことを?
「……」
「だが信じていれば救われる、なんてありえない。所詮、空想みたいなものだ。現実的に、そうやって何かを縋っても何も解決しない」
「そうですね」
俺は、と羅門が言った。
「あまりお前のことが好きじゃない。何もかもが平気そうなお前が」
いきなり。そんなことを言った。
それは外見、個人の主観による意見。だが実際は、何かも、平気なわけじゃない。そう見えるというだけだ。
「人間味が無さすぎるようにも思えるんだ。割り切りがうますぎる。お前という人間は効率よく生きすぎている。お前自身にも腹が立つし、お前には関係のないことでも腹が立つんだ」
「じゃあどうしろと?」
「どうしようもないな」
「……そうですか」
本当に、どうしようもない。おまけに僕には関係のないことでも腹が立つらしい。
「お前は外と中の人間では価値観、物事を考える選択肢が違っている、と言ったな。確かにそれは事実だ。じゃあ誰が何をすればいい? ずっとこのままか?」
そんなことを羅門が問う。彼は僕のことを嫌いだと言った。だが彼は言う。いったいどうすればいい? お前はどう思うんだ? と。
試しているのかもしれない、と思う。だがそんな権利は羅門にはなかった。それどころか、ほかの誰にだってない。そういうことを、彼はしている。
「……バカみたいな理想論を抱いてるんですね」
「なんだと?」
「誰も、何もできない。わかりきったことでしょう」
……きっと、羅門は現状に不満を抱いているのだろう。スラムの人々に救いはこない。羅門にもそれがわかっていて、自分ではどうすることもできなくて……腹が立っている。そんなところで、僕がそれが当たり前だ、仕方ない、と言ったのだ。まあ、腹が立つのはわかる。わかるけれど。
「あなたの考えはなんとなくわかった、とても綺麗な思いだ。でも理想の押し付けはよくない。きっとその思いは正しいんですよ、でも」
「……」
「別に僕はあなたと争いたいわけじゃない。仲良くしましょう。そもそも、羅門さん。別に僕はスラムの人々がどうなってもいい、なんてことは思っていませんよ」
必要以上に誤解を受けている、気がしていた。
羅門は黙った。しばらく、何も言わなかった。
「悪かったな」
「……」
「自己嫌悪みたいなもんなんだ。――俺はスラム出身だ。自分では奴らを否定するくせに、他人に否定されると……なんともな」
わからない心境ではない。羅門はわりと正義感がつよい、気がする。……頭がそれほど良くないように思えるけど。
76 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/08/25(金) 18:48:14.88 ID:as1CpHWZ0
「八つ当たりみたいなことをしてしまったな、本当に悪かった」
頭は悪いけれど……正直な人だ。こんなことまでいわなくてもいいのに。
大人の容姿をしているくせに理不尽なことに腹を立て、糾弾するような人物。一応間違っている、、、、、、ということには気づけるタイプであり、それを認められる人物だ。経験上、このタイプは一度打ち解ければあとは大丈夫なことが多い。あくまで経験上、だけど。
「こちらこそ、生意気なことを言ってすいませんでした」
「いやいや俺が悪いんだよ。こんなバカな俺が――」
謝罪の譲り合いになってしまった。
「ところで羅門さん」
「ん?」
「僕には関係のないことで腹を立てている、というのはなんでしょうか」
羅門は、言葉に詰まったような顔をした。もうある程度和解はできたはずだ。なのに話せない、というのは……他人が関わっている? 人を売るような性格とは思えない彼は、もしそうならきっと話してはくれない、これ以上掘り返しても関係が悪化するだけだ。
人間関係。処世術。妥協はある種の必然か………。正直、嫌な気持ちにはなる。だが無駄なものは無駄だろう。
それでも聞き続けるのは、ただの我儘に近い。
「ところで羅門さん今日は――」
僕は話を切り替えた。諦めが肝心、だから。
羅門はほっとしたような顔をしていた。僕の話に快く乗り、肯定と賛成の意を示す。
やがて、卓也が戻ってきた。
「あれ、仲良くなったの?」
「まあ、そんな感じかな」
「よかったよかった。羅門さんは見た目以上にいい人なんだぜ?」
なんだと、と羅門がいった。
たしかに、と僕は答える。
もう険悪な関係とは言えない状況だろう。
ひそかに思う。幹部である羅門との軋轢は正直まずかった。もう一人の幹部、照からはいやに好かれている状況ではあるが。
……僕の目的には障害がいくつもある。
一つずつ、一つずつ取り除いているけれど、まだまだ問題は山積みだ。
僕は彼女を救わなければならない。そのためには逃げ場を探さなくてはならない。逃げ場はレジスタンス内ぐらいしか思いつかなかった。でも、わざわざ爆弾を抱えたいと組織が思うわけがない。
だから、爆弾には素敵な贈り物もつけなければならない。爆弾なんて些細なものに見えるぐらいの、不良債権と有用な株の抱き合わせのような、素敵な、素晴らしい贈り物。
幸い組織はそういったものを欲しがっていた。欲しいものは、有用な人材。
上に立つような人材はなかなか現れなくて、幹部が二人というのはまずすぎる状況だと、照は言っていた。
――彼女の救出にまでは、組織は手を貸してくれない可能性は高い。だが、僕が政府の目を欺きながら、そこまで組織に被害を受けないように彼女を助けられたら
77 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/08/25(金) 18:48:47.95 ID:as1CpHWZ0
きっと、彼女ともども僕を受け入れるはずだ。犠牲者が変わったところで、抵抗組織レジスタンスが気にするはずがない。
僕は組織内での人間関係を円滑に、そして能力の有用性を示さなくてはならない。
人心の掌握として、人がやりたがらない仕事を率先してやった。会話では相手が欲しがるような回答と、怪しまれないための反論を少量挟み込んだ。
全て、全てうまくいっている。
そう思っていた。
78 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/08/25(金) 18:49:53.39 ID:as1CpHWZ0
◇
「完璧な人になりたかったんです」と僕は言う。
なにもかもが実現させたい、そういうバカげた願い。
超人、英雄、完璧者。そういった単語が脳裏に浮かぶ。
「完璧な人になりたかったんです」と僕は言う。
『どうして?』
闇より沈む、深淵から、そんな言葉が返ってくる。
どうして? なぜかって? なぜだっけ?
『完璧な人になってなにがしたいんだい?』
願いがあったから、望んだ。
僕は、誰かが不幸なのが嫌だった。できることなら生きとし生けるもの全てが幸福であることを望んだ。
誰だって、一度は考えたことがあるはずだ。
誰だって、他人の幸福をうれしく思うことだってあるはずだ。
妬みや羨望、そういったものを除いた、純粋に人の喜びを感じたときに感じる幸福感。それをずっと見つめていた。
だからだろうか。できることなら全てを救ってしまいたかったのだ。
踏み殺されたアリを瞬時に治し、飛べなくなった鳥に力を与えて飛べるようにし、泣いている子供に手品を見せる。
「完璧な人になりたかったんです」と僕は言う。
『なれると思っていた?』
まさか。そんなはずはない。
とてもとても、現実的じゃない。夢見がちな幼少期はとっくに卒業した。大人に近づいて行った。最善を選んだ。
全ての生命から人間へ。人間から周りに見える世界全てへ。周囲に見える世界全てからほんの一握りの大切な人へ。
年を取るにつれて、少しずつ現実的に調節していった。持っていけないものは置いて行った。今でも、全てが救われてしまえばいいのに、と思うことがある。だが実際、僕ができるのは、ほんの一握りの大事な人を大切にすることだけだ。それに納得している。
「完璧な人になることを、目指そうとしたんです」と僕は言う。
目指すということ。努力するということ。
それは、決して無駄なものではない。優しくあろうとするから、より人は優しくなれる。意識することによって、人は変わる。意味があるのだ。
『だから祐樹さんはそういう生き方をするわけだ』
声が変わる。それはより身近な者へ。
79 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/08/25(金) 18:50:23.98 ID:as1CpHWZ0
『ずっと考え続けてるわけだ。これ以上の正解はないって知っているのに。なのに苦しんでるわけだ。意味もなく、救われなかったもののことを考え続ける』
怒りの混じった声。
「そうだ。僕はそういう生き方をしている。考えれば考えるほど八方ふさがりなのがわかって。それでも考えることはやめられないんだ」
そういうものだった。彼女と話すことによって変容した僕の思想は、そういうふうになっている。
不変の意思。くだらない理想論。無意味でもったいぶっていて、本人ですら価値を認めてはやれない。
それでも、それでもこれは、間違った考えじゃない。
『なんでなんだ?』
「正しいことだと、信じているからだよ」
『苦しいだけなのに? なのに他人のことなんかを考えてるのかよ』
ふざけるな! と声が叫んだ。
『それで祐樹さんになんの得があるんだ? なんで身を削ってるんだよ! なんで祐樹さんが苦しい思いをしなきゃいけないんだよ! 犠牲になる必要なんてないじゃないか!』
苦しむようにのたうつ影。
『なんでそんなに優しいんだ? なんでそこまで他人のことを考えるんだ? 義務なんてないのに、なのになんでそこまでするんだよ!』
――優しい、ね。それは意味がない。
「でも僕は結局、誰も救えちゃいないんだよ。偽善行為の自己満足だ。結果が出せていないんだよ。だから、誰かが僕を庇う必要はないんだよ」
『それは違うよ』と誰かが言った。
影の形が再び変わる。女の影。
『少なくともキミは、私を救ってくれた』
救った? 救われた? そうか、それは正しいのかもしれない。
でも、
「でもきみは犠牲になるんだよ。死ぬんだ。ひょっとしたら魂が消耗される痛みに、何十年も苦しむことになるかもしれない。きみは救われちゃいない」
『そんなこと……』
「そういうことなんだよ。結果的に僕は何もできていない。結果が全てなんだ。努力? 努力すればきみが苦しんでもいいのかよ!」
やるせなさがこみ上げる。完璧な人になりたかった。目指すんじゃない、完璧そのものになってきみを救いたかった。犠牲なんてシステムがなくても、都市の人々は生きていけるような、そういう創造をしたかった。
80 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/08/25(金) 18:50:52.11 ID:as1CpHWZ0
『でもキミは私を助けようとしてくれている』
「今してるのは現実的な話だ。現実的に考えて、僕はきみを救えない」
進むと決めた道だった。だからといって成功を信じられるほど、夢に狂っちゃいない。
『そんなに自分を責めないで』
優しい、柔らかな声。
『キミが苦しんでると私は悲しいよ』
僕は震える声で言う。
「でも考えることを止められないんだ。こんなことを考えずに最適解を選べ続ければいいってわかってるのに、考えてしまうんだよ」
無駄なことをしている。僕が苦しんだところで誰かが得するわけじゃない。わかっている。わかっているんだ。
『優しいね』と声が言う。
それに沸き立つ否定の感情。
何かを言おうとする。だが影が口を塞ぐ。
また、影の形が変わっていく。
『悲しいぐらいに君は正しい。少なくとも僕はそう思うよ』
知らない影だ。どこかであったことがあるのかもしれない。だとしても、覚えていない。
『無駄に苦しんで損をしているように見える。だけど、その考え方は人ができる中で最も現実的で、尊い』
口が解放された。
僕は影に言う。
「それでもなにか意味があるわけじゃない。押しつけの独善を禁じたから、誰かに影響をあたえることもできていない。まるで無意味だ」
だから、嫌なんだ。結果が欲しい。意味はあったんだと、誰かに認めてほしい。
何の意味もないなら、いままでのことは全て無駄だ。それだけは嫌だった。
影が消える。僕はひとりぼっちだ。
あたりは徐々に暗くなっていった。それは、まるで趣味の悪いショーの幕切れのようで。
たったひとりで何かを求める。
人はゆっくり手を伸ばす。けれど決して届かない。
「だれか……」
孤独だ。
「だれか……」
無意味だ。
「だ……れ……」
何かを成し遂げたい。僕が絶対に正しいはずなのに、世界はそれを否定する。でもそれが、嫌になるぐらいに現実的だった。
何もかもが足りない。資源が、優しさが、能力が。
「完璧な人間になりたかったんです」
◇
81 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/08/25(金) 23:23:22.60 ID:3MRTB+Iuo
乙
82 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/08/29(火) 19:31:13.83 ID:KsUO0z3M0
あれから二か月、彼女が僕の日常から消えてから三か月たった。
組織が手放そうとは思わないほどの人材には、なれている気がする。
人心掌握。処世術。人間関係。
すべて順調だった。現実的に可能な完璧に、限りなく近い、と思う。
組織もまた、動いていた。六十年以上、表立った活動をしていなかった反社会組織だが、なにやら大がかりなことをするらしい。政府への反発として、地表の捜査、魔法の探求などの様々なことだ。確かに、これらのことに関して民衆からの疑問はあった。政府はなぜ新たな探求に手を伸ばさなかったのだろうか? もともと、市民からも声が上がっていた問題だ。
政府の回答は「今の社会は完璧ではない、その努力を欠かさなかったことはないが、問題がある状態で多くに手を伸ばすことはできない」とのことだった。
多くの者は納得した。僕だってそうだ。よりよい社会を目指す政府が、余計なことをして、新たな問題が発生したらどうなる? 少なくとも、今の政府は間違っちゃいない。そんな結論だ。
異論を唱える奴もいた。新たな探求の結果は富裕へとつながり、今ある多くの問題を解決に導くかもしれない、と。だが確実な手ではない以上、多くの民衆からは支持されることはなかった。
……そういう意味では、このレジスタンスは実に反社会的で、抵抗的だともいえる。汲み取られなかったわずかな意思。そういったものを拾い上げるつまはじきもの。だからこそのレジスタンスだ。
魔法は、地表と関係している。だから組織は、それを重要視していた。だが、魔法とは犠牲を除けば役に立たないものだ。ほとんどの人間は、かがり火程度の火を灯すことができる。けれど、結果として待つのは、成果に見合わない体力の消耗だ。五十メートルを全力疾走するほどのそれは、はっきり言って役に立たない。場合によっては死にさえも至る、欠陥品だ。
だが……犠牲に選ばれるほどの魔翌力を持つ人は、どうなのだろう? 魔法は皆が使えるが、体力の消耗の多さから、危険だとされ、一般的には使用を禁止されていた。でも……内緒で、秘密の場所で、僕らは禁を破ったことがある。今の法を遵守するような僕からしたら、考えられないようなことだけども。
組織の魔法の研究はまるで進んでいなかった。体力の消耗の大きさからいっても、材料が無さすぎるのだ。だからこそ彼女は、組織としては価値があるはすだ。
やれるだけのことはやった。彼女のいる場所も偵察してきた。助けに来る実例がほとんどないからだろうか。警備は存外緩く、様々な考察の結果、二割程度の確率で、救出は成功しそうだ。決して高い数字ではなかった。だが現実的な数字ではあった。
失敗すれば、見せしめの処刑が待っている。
死ぬのだ。だけど。
――命を懸けるだけの理由はある。
すぺてすぺて、可能な限りにおいて、完璧な行動をとった。すべて順調だった。
そんなある日のことだった。
「祐樹君、君はボスに呼ばれたようだ」
照の声。
「どういう理由ですか?」
「重要な理由だよ。とても重要な、ね」
照は意味深にそう言う。少したりとも、笑ってはいなかった。
「……そうですか」
「なあ、祐樹君」
照は笑ってはいない。目も口も、何もかも。
「我らがボスはご多忙だ。少し、時間つぶしに話さないか?」
◇
83 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/08/29(火) 21:22:16.35 ID:KsUO0z3M0
「それで、話ってなんですか?」
「なに、くだらない話だよ。くだらない、くだらない話だ」
照は絡みつくような物言いでそう言った。
なにかが起きる。そんな予感がする。どちらにせよ、彼女が消えて三か月だ。僕は、そろそろ行動を起こす必要があった。
「君はずっとこう思っていたはずだ。『なぜ照はこんなにも自分のことを好くのだろう』と」
それは、思っていなかったといえば嘘になる。だがそれは重要なことではなかった。
人心掌握。処世術。人間関係。
相手の望む言葉には、その相手が不快になる言葉もある。だがそれを悟って嘘をつけば、失うのは信用だ。結果が重要なのだ。そこに僕の意思、真実は、関係がない。
「そうですね。変だとはずっと思っていました」
「私はね、勝手に君と私が同類だと、思っていたんだ。……まあ、そういうわけではなかったようだけど」
――嫌な予感がする。
「私と君はかなり似ている……そんな仲間意識をもっていたんだよ」
「はは。そこまでとは、思ってもいませんでしたよ」
照は人との距離をうまく保つ。踏み込みすぎず、されど支えられる位置にはいる、そんな男。
僕は初対面のこともあって、そこまで照のことを好かなかったが、実は組織での照の評判は低くない。その人の好さそうな顔と、トレンドマークである髪のない頭が、まるでお坊さんのような雰囲気を生み出していて、話していなくても、勝手に好印象を持たれるのだ。事実、組織の構成員が、彼に悩み事を相談しに来たりするらしい。話がうまく、敵愾心を感じさせない彼は、非の打ちどころのない優秀な幹部だった。
「『人が目指すは完璧という高見。見えず、届かずともいえど、それを目指すということには意味がある』こんな言葉を、知っているかい」
「いえ……」
「ははは」
照が笑い声をあげる。何がどうおかしいのか、まるで判断がつかなかった。
「この組織にある昔の本さ。『星堕ち』以前に書かれた小説で、私はその本のファンなんだよ」
「……」
「君は、知らない、と言ったね、でもこの言葉と同じようなことを、考えた事があるはずだ」
確信したような口調。
こういった考えを持つものは一定数存在するだろう。当てはまりやすい事象をかまかけで聞いているだけだ。
84 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/08/29(火) 21:22:44.24 ID:KsUO0z3M0
「完璧な人になりたかった」と照は言う。
その言葉は。そしてそれに対する僕の反応は。照に『なにか』を確信させたように見えた。
「私はね、ずっとそんなことを、子供のころから、思っていたんだよ。ちっぽけな自分が嫌でたまらなかった。こんな自分は自分じゃないと、憎んですらいた。君もそうだろう?」
引きずり出された。そんな気がした。
なにもかも見抜く、一歩手前の状態。
照は訴えかけている。本心を話せと。真実をさらせと。
「そうですよ。それが……それがどうしたっていうんです?」
照は笑っている。
「人は大きすぎた失敗を前に、その原因を求める習性がある。それは根本的で、絶対的な原因だ。
不完全な世界のせいにする奴。
特定の誰かのせいにする奴。
……そして、自分の能力のなさにせいにする奴。
何も恨まず、なんて風にはいられない。はけ口を求めているんだよ。理由が欲しいんだ。『なにか』がなくてはやっていけないんだよ」
無意味さには耐えられない。物事がうまくいかない。じゃあそれはなぜだろうか。
きっとそれは……。
「そういう風に、何かに負荷をかける。一つに原因を集中するんだ。わかりやすくかみ砕いて、定義を置いておくんだよ」
もっと能力があればいいのに、と思ったんだ。全部、自分のせいにしたんだよ。運とか奇跡を信用していなくて、世界というのはむしろ敵対者で、だから全部、自分で完結させたんだ。
そういう意味で、君は僕に似ているんじゃないかな?
「なにかを信じるのがばかばかしかったんだ。そんなものより自分を信じるほうが現実的だった。私はね、なにもかも信用していなくて、世界の全てが大嫌いだったから失敗を全て自分のせいにしたんだよ。でも、君は違ったようだ」
「……」
85 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/08/29(火) 21:23:11.39 ID:KsUO0z3M0
たしかに。照の言っていることは僕に一定の共感を与えた。しかし、決定的な部分が違っていた。
「そういうことですか。だから照さんは僕を似ている、というくくりでとどめた。同類とは見なさなかった」
まるで、照は……照は『彼女がいなかったら』なっていたかもしれない、僕だった。
「完璧な人になりたかったんです」と僕は言う。
照は黙ってそれを見ていた。
世界は絶対に救われるべきで、けれど救われないのが現実で。
それは、もとはといえば、彼女の受け売りの考えで、僕の考えではなかった。優しすぎた彼女は僕にそれを分け与えた。影響された。決して不満はなかった。例え自分を苦しめる考えだとしても、それでもこの考えは正しいと信じていた。
そんなことを思っていたから、僕は失敗を自分のせいにした。
しかし、照は違う。
「至った結論は同じでも、原点がまるで違う。一瞬見ただけではわからない。そういうことなんでしょう」
「世界は素晴らしくあるべきで、救われるべきだと信じていた」と僕は言う。
「世界とは救いようがない敵対者で、決して信用できなかった」と照は言う。
つまりはそういうことだった。彼はむしろ、最初は僕に対して同族嫌悪を抱いてさえ、いたかもしれない。でも違った。まるで僕らは、別物だった。
照が力なく微笑む。
「私はね、力ない自分が嫌だった。可能なら世界を思うがままに操りたかったんだ。でも、現実的にそれは無理だった。だから、届かないと知っていても努力したんだよ。間違えない人間に、失敗を修正できる人間に。それで、今の私があるわけだ。組織の幹部。ちっぽけでは終わらない、世界にとっての重要人物。副産物としてついてきた対人関係は、今でも役に立っている」
汚い考え方だった。他人のことなんて見向きもしなかった。結果的には私は組織の人間からいいやつ、として扱われているし、実際に何人も助けた。
それでも、それでも私はこう思うんだよ。
「君は……よくぞそこまで綺麗な考えでいられたものだ。そりゃそうだ。積極的に人の不幸を願う奴なんていない。そんな奴は自分が世界で一番不幸だと信じている奴だけだ。でも、そんな奴でも、不幸じゃなかったのなら人の幸福を願うんだよ。……私は、君のような考えをもってこの場に居たかった。君のようで、ありたかった」
幾度となく聞いてきた照の称賛。だがそれは、決して偽物ではない、そういうものだった。
だが、僕の考えは違った。
綺麗な考え? それがなんになる?
まただ。幾度となく湧き上がる自己否定。
『お前は優しいな』と父はよく言っていた。今にして思えば、それは慰めなどの建前の言葉じゃなかったのかもしれない。本気でそう思い、わが子を誇りに思い、褒めていた。
それを聞いていた当時の僕は、今も変わらず、嫌でたまらなかった。
86 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/08/29(火) 21:23:41.03 ID:KsUO0z3M0
なぜかって?
87 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/08/29(火) 21:24:07.28 ID:KsUO0z3M0
「照さん、それは違いますよ。隣の芝が青く見えるように、それでそんなことを思っているだけです」
わかりきったことだ。
「僕は少したりとも結果をだしていない。だから、あなたのほうが素晴らしい人なんですよ」
あまりにも単純明快な、それだけのことだった。
究極的結果主義。
どういうところで今までの行動を正当化するのか。いままでの悪事があったとしても、それが自分を成長させ、その悪事以上に人を救い、自分が幸せなら、なにも咎められる要素はないはずだ。そうじゃない、という人もいる。けれど、他人が他人をどこまで詳しく見る? 見ることができるのは切り抜かれた、現在という枠組みだけだ。さらけ出さなければ他人は他人のことなど気にしない。
照は、最初はそれを聞いて、呆れてさえいた。けれどそれは長くは続かなかった。
「……本気でそう思っているのかい?」
「目に見えるものが現実、、です」
そういうものだ。
「過程を汲み取ろうとする人だって」と照は言った。
だが次には表情を歪ませていた。失言ではないのに、間違えてしまったかのような表情。
なんとなく、照はもう気づいているはずだ。彼がこういったことを考えたことがないはずがない。
きっとそれは、絶対に正しくて、綺麗な考えだ。
けれども、
「ほんとうはそうあるべきなんです。でもそれはどちらかと言えば明らかに少ない。――だって現実はそういうものだから」
人は何かに捌け口をもとめると、照は言った。
僕も照も、自分にそれを向けた。
誰がどう認めても、『自分だけは』認めることができない。よりよい結果を求めるから、満足はできない。人の欲望にはきりがないように、理想には果てがない。
人の称賛はひどく耳障りだ。嬉しくないわけじゃない。でもどこか納得できない自分がいる。そういった思いが大きくなるのは、決まって物事がうまくいっていない時だ。彼女を救える見通しはたった。
けれど、されど、その確率はいまだに――とてもとても、現実的じゃない。
「完璧な人になりたかったんです」と僕は言う。
照は――
◇
88 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/08/29(火) 21:24:50.90 ID:KsUO0z3M0
「学力試験第一位、佐藤祐樹」
それは、なにもかもを破壊する魔法の呪文のようだった。
照は濁りきった瞳でそれを発した。
動揺と、諦念と、何かに対する失望。
組織の調査能力を甘く見ていたわけではなかった。だが組織に余力は、あまりない。だから志望者を詳しくなど調べない。特に末端はそうだ。裏切りはその地帯を切り離すことによって対処される。同時多発的な裏切りは組織の壊滅だ。政府が取れない手段じゃない。常々思っていたことがある。反社会的な抵抗組織はかえって法に対する市民の結束を強めている。全力をだせばつぶせないことはない組織を、なせ政府は潰さない?
半分、泳がされている、侮っている、そこまでの余裕はない、なにかしら考え付かない事情がある。
そんなことを推測した。だから自分の身元に関しては調べられたとしても、そこまではないと、そう判断した。
だがそれは賭けだった。防ぎようがないから、臭いものに蓋をするように見ないようにした。
消去法的選択。
でもこれしか、やれることはなかった、だから。
「それが……?」
強がりだった。それがなんだと。だからどうしたといわんばかりに、平静を保った。
声は震えていた。
「幼馴染の近藤雪は今年選ばれた犠牲者である」
――すべて終わった。
いやまだだ。最初からバレていたなら僕はここに入れてはいなかっただろう。つまり気づいたのはあとからだ。今や僕は組織として非常に欲しい人材になったはずだ。まだ芽はある。
『祐樹君、君はボスに呼ばれたようだ』
照が最初に言った言葉だ。予感がある。だがそれでも、最良の選択肢を取り続けるという選択は間違ってはいないはずだ。
「そうですよ、ちょうどよかった。その件についてずっとボスに話そうと思ってたんです。ボスは時間がなかなか時間が取れない人だから」
自分の言葉がどこまでもしらじらしく聞こえる。
落ち着け、と強く念じる。
焦ったところでいいことはなにもない。いつものように最善を選べばいい。やることはいつだって同じだ。
89 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/08/29(火) 21:26:34.83 ID:KsUO0z3M0
「なにをするつもりなのか、私にはわからない。だがこれは、確実にウチに来た理由にかかわってるんだろうね。君は社会を変えたい、と言った。けど普通、少なくともウチにくる前に、その学力をもってなにかをやろうとするだろう」
冷汗が背をつたうのを感じていた。
だがそれでも、平然としたなりを装って僕はこう言う。
「それがなんだっていうんです?」
照は、長い、長い溜息を吐いた。
「助けるつもりかな?」
「ええ。組織に迷惑はかけません。僕が自分――」
「諦めたほうがいい」
――なぜ。
「そうかもしれませんね。でも一度、ボスに相談しようと思ってるんですよ」
照の判断は関係ない。ボスの指示で全てが動くのだ。有利となる材料はいくつかある。照はやり過ごせれば、それでいい。
「それはやめたほうがいい。絶対に成功しない」
「……理由を聞いても?」
照はただ首を振った。
「君のためを思って言っているんだよ。理由は言えない。でも絶対、止めたほうがいい。諦めるんだ」
「それは僕が選びます」
今更、選択肢がほかにあるとは思わない。
照は痛みを抱えたような表情をしていた。僕に対しての悪感情は感じられなかった。ただただ、同情していた。
「今の君を見ると胸が痛むよ。私が言えることじゃないが、自分を責めずに、もっと楽に生きたほうがいい。私はね、君の生き方を尊敬してるんだよ。信じられないことかもしれないけど、君には幸せになってほしい。君みたいなひとが報われるべきなんだ」
それはひどく矛盾した言葉だった。
照は本心でそう言っているのだろう。でもやはり、それは僕にとって関係がないことだった。
「なあ、君のいうことはわかる。わかるんだよ。でも私は、感情的にそれは嫌なんだよ。君は自分を絶対に許さないだろう。でも時間が解決してくれるさ。バカみたいなことをいうけど、それだって感情的な愚かな行動だ。私が君に言う資格がある言葉はなに一つとしてない。だけど……」
そうだ。それらすべては照が正しく、もう想定の終えた結論だ。僕は間違っている。それでもやり遂げる必要がある。
それは経験や思い出、人生と目標において、必要なことだから。
「もう一度言う。君は――」
「――なんでですか!」
90 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/08/29(火) 21:27:15.22 ID:KsUO0z3M0
その大声は、照を黙らせた。
彼は何も言わない。言えないのだろう。きっとその情報はボスから話される。彼にはその権利がない。……今、彼が言っている言葉だって、おそらくは逸脱した行為なのだろう。
照は天を仰ぐ。何かを誤魔化すみたいに、きまり悪く笑う。
「ああ、自分らしくないことをしたなあ。嫌になるぐらい感情的な行動だ。なあ、祐樹君?」
扉に指を指す。
「行ってきなさい。私は全てを知っているから君を止めた。でも土台、無理な話だったんだと分かったよ。自分で何とかするといい」
なんともできないと、暗に言っている。
「言われなくても」
扉に手を掛ける。
「なあ、最後に聞くけど、考えを改める気はないかい?」
沈黙をもって、その言葉に答えた。
照の最後の一言は、僕を苛立たせただけだった。
◇
91 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/08/29(火) 21:27:48.16 ID:KsUO0z3M0
「よう、小僧……じゃなくて祐樹。最近、首尾はどうだ」
「上々ですよ。現実的に可能な限りにおいて、ですが」
からからと、ボスは笑う。
僕はゆっくりと息を吸う。照に言われた言葉がわずかに余韻を残していた。それはこれからのことに邪魔になる。必要な要素だけ抜き取り、使うのだ。ただただ、最善を選ぶ。今まで通りに、同じことをすればいい。
「それで、話とは何ですか?」
不用意なことは決して喋らない。相手の出方に合わせ、対応する必要がある。
「ああ、そうだったな。俺はおまえに話があるんだよ」
狭い個室。机と椅子と、湯気の立つコーヒー。
ボスはそれに口をつける。ボスが好む、あの苦さと甘さを混同したコーヒーだろう。僕はそれに触れなかった。
「苦いな。なのにわけもわからんぐらいに甘い。良いことと悪いこと、どっちから先に聞きたい?」
「ボスが好きなように」
「ははは、つれない奴だな。堅物すぎると人生損だぞ? もっと楽に生きろ」
まるで、照のようなことを言う。だがまるで意味の違う言葉だ。込められた意味が、感情が、厳しさが、そういうものがない。
「では、おめでとう祐樹君。君は晴れて我がレジスタンスの幹部候補になったのだ! 嬉しいか?」
わざと場を盛り上げるような演技がかった仕草。
「……そうですね。早すぎる気もします。悪い点を聞いてから判断したいです」
「いや、お前が嫌がらないなら特にない」
「なら、嬉しいんじゃないでしょうか?」
それは組織が僕の価値を認めたようなものだ。僕にとっては得になる。だが、それにしても早すぎる。幹部候補? 入ってたった三か月程度の子供を? 無論、本物の幹部になるには時間がかかるだろうが、そういう問題を差し引いてもおかしい。組織は人材が不足しているとは思っていたが、ここまでではないはずだ。
「いろいろ照に教えてもらえ。羅門は武闘派だからおまえとはそこまでかかわりがなくなるな。それで――」
「――待ってください」
「なんだ?」
「なぜ僕なんですか? 不満があるわけじゃないんです。でも、早すぎませんか?」
「知りたいか」
「はい」
「……どうしてもか?」
「……はい」
はあ、とボスは溜息をついた。
92 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/08/29(火) 21:28:15.72 ID:KsUO0z3M0
「教える気はなかったんだがな。今教えとかないと後が怖そうだ。まあ、どっちでもよかったんだが、仕方ない。あのな、祐樹。おまえは……」
俺の後継者になるんだよ。
「…………は?」
はじめは、幻聴かと思った。だがボスの真剣な顔や、何も次に喋らないことから、本当なのだと分かった。
これは夢か? あまりにもうまくいきすぎている。もし夢でないのなら、彼女を助けられる確率はぐんと伸びる。本来、僕単独で、卓也さえなしに彼女を助けようと思っていた。彼がいようといまいと、見つかったら守衛に警戒される。そうなれば終わりだ。つまり、卓也はいてもいなくてもそこまで救出の確率は変わらない。だが、組織の手があるなら話は違う。何事もなく、長い間安全すぎた犠牲者の収容所は、僕単独での救出成功率が二割ほどある。ならば、プロに任せれば九割……いや、ほぼ確実に成功する。
胸が高鳴る。現実的だ。これならできる。彼女を助けられる!
……落ち着かなくては。まだやるべきことは残っている。
「驚いたか?」
「そりゃ……そうですよ」
「おまえのことだ、きっと理由を知りたいだろう」
「お願いします」
「まず、後継役の問題は深刻だった。照も羅門も、最終まとめ役には向かないからな。それで、人材が欲しかった。客観的に物事を見れる奴。冷静でいられる奴。自分を機械にでもするかのような、そんな奴」
「……」
「自分自身を歯車に徹底しようとするような奴だ。何かを遂行するためには、感情は邪魔でしかない。冷静に冷徹に、組織柄、そういうことができなければならない。だがそれでも、俺たちは人間で、支配しなければならないのも人間だ。単純な機械じゃだめなんだ。組織の頂点は人に裏切られにくい、人の気持ちがわかって、場合によっては汲み取れなくてはならない。……再度いうが、組織柄上、な」
なるほど、と思った。
レジスタンスは危うい組織だ。それこそ、こんなに存続できたのが不思議なぐらいに。五百年の歴史を誇るこの都市で、レジスタンスは実に二百年もの存続を続けている。都市の歴史の半分ぐらいだ。これだけの期間、そこそこの被害を、与えているのにも関わらず。
「わかるか? 要するに『機械を目指す人間』が欲しかったんだ。なれないと知っていながら、完璧を目指す。そういう人間はなにかしらで能力を発揮する。それがボス、という存在に適役かは置いといてだが。照は適役ではなかったタイプだが、能力の高さは発揮している」
93 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/08/29(火) 21:28:42.48 ID:KsUO0z3M0
並びたてられていく言葉の数々。
それは、やや過剰な称賛とも言えた。僕が精密な機械を目指す、ミスをしないことを目指す、完璧な人を目指している、というのはあながち間違いではない。
人心掌握。処世術。人間関係。
ボスの言っていることに、いくつかの心当たりはある。僕がどういう目的で、人との付き合いを円滑にしたのかとか、そういうことは、あまり関係がないのだろう。結果はすでに出ている。それが自分に嘘をついた仮初の姿だったとしても、三か月の期間、演じ続けられたのなら、これからもできる。『能力がある』そういうことだ。
「照にお前の観察を頼んだ。お前がどういう人間か、どういう考えをするのか、どういうことができるのか、そういうことを。照はな、心理学を極めた男なんだ。あいつは感情なんかじゃなく、経験と理論で人を理解できる。知ってるか? 人間の表情っていうのは面白いもので、ある物事に対する反応が約0、1秒の間、顔にそのままでるらしい。どんなに取り繕っても無駄で、嘘はつけない。時間の短さから、その分野を極めたわずかな人間しかできないが……照にはそれができる」
ボスはじっと僕の顔を見る。どういう感情が浮かんでいるのか、さっき言った方法で確かめるみたいに。
……照は、だからこんなにも僕のことを見通し、理解していたのだろう。嘘を見通すのではないかというあの感覚。それは間違いではなかった。真実だった。ただの勘と感覚で、それを感じ取っていた。
「十分に時間をかけた。はりぼてかどうかは、関係ないぐらいには。おまえは適役だった。ならばもう、教育は早いほうがいい。理由は、こんなところだ」
ボスの言葉には、違和感がなかった。筋道は通っている。自分を過大評価するわけではないが、確かに、僕みたいな人間はあまりいない。この思考と考えは、ただ重くて苦しい。おまけに救いようがない。
自分の行動を考え、周りの人間を見てきたからわかる。
簡単に人を否定する奴。
いわなくてもいい悪口で、争いを始める奴。
自分の行動がどれだけ人を傷つけるのか、考えた事のない奴。
94 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/08/29(火) 21:29:16.51 ID:KsUO0z3M0
それらすべてが、最終的に自分に返ってくるかもしれないことが分かっていない奴。
これらは、軽率な行動と言え、しかし細かすぎて絶対に自分に返ってくるとは言い切れないものだ。人を傷つけたり、自分を誇示することによって、周りに強い自分の印象を与える。発言力の上昇と、声の大きい者に付き従う人種の列が、さらに強化を生み出す。暗にスクールカーストのようなものができあがる。
だがこれらには代償が存在する。強さは誇示するがための行動は、結局、人を不快にさせることが多い。大きなミスからその立場は危うくなり、影で失敗を笑われる。
無論、そういうことにならないことだって多くある。要するに致命的なことをしなければ、その立場は続いていくことが多い。メリットとデメリットをどれだけ天秤に乗せるかだ。致命の時に仲間がいなくなるかもしれない。影で何かを言われるかもしれない。だが優位性による通常時の満足感は得られる。
最終的な結果なんて、運と行動いかんによって変わる。ただ自分はそういうリスクを負いたくなかっただけで……。
良い人間であろうとした。人の悪口で盛り上がらないように気を付けた。その場の空気というのもあるし、愚痴のようなことは言ったかもしれない。だがそうであることを望んだ。そうなりたいと目指した。努力した。そういう届かない高みを見つめていた。完璧な人で、人には優しくあれることを望んだ。
きっとそれはいきすぎた行動で、無意味な葛藤と苦しみだ。自分にとってを考えれば、もっと楽に生きたほうが都合がいいと、僕だって思う。
でも、もしかしたら、苦しんだかいがあったのかもしれない。全ては最終的な結果で語られる。この葛藤が、考えが、苦悩が、もし彼女を救うために役に立ったのなら……願ったり叶ったりだ。
「祐樹」とポスが僕の名を呼ぶ。
「ここが境界線だ。了承の選択をすれば引き下がれない。その前に、なにかいうことはあるか?」
――熱のこもった、おどろおどろしい気迫。
きっと第三者から見れば、なにも不自然な雰囲気はなかった。
僕だけに向けられた、そういう気迫。最初にボスにあったときのことを思い出す。
――ただものではない、なにかを背負っている。
僅かに怯む。
予感がある。
このままでは終わらない、いいことだけで終わらない、予定調和めいた不幸。
なにを? なんてことを聞くのは無粋だった。ついさっきまで、浮かれていた。
95 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/08/29(火) 21:29:47.23 ID:KsUO0z3M0
引き戻された。頭の中にあった絶望を、言葉を、思い出した。
『諦めるんだ。それは絶対に成功しない』
照の言葉。
それは僕がこの先、有利に動かすための言葉だ。だがそこに『彼女』は入ってない。ただ僕一点のみの有利。未来の行動の制止。
『諦めたほうがいい』
そうすれば、僕だけは有利になる。そういう情報。
「……ボス、言わなければいけないことがあります」
そう、ここでいわなくてはならない。
僕が助かってなんになる? 決意の日以来、もう自分の中にそういう選択肢は存在しない。
当然、ボスだって僕が彼女を救おうとしているなど、知っているはずだ。照が報告したのは間違いない。照はボスに逆らわない。でもその中で、僕を助けようとした。
もしかしたら、ボスは『救う』なんてことは知らないかもしれない――はずがない。
そういう人種だと、わかっている。
試されている。きっと最後の。言わなければならないこととして。
ここを境界線だとボスは言った。匂わせた。次はない、と。
「僕は今回選ばれた犠牲者、近藤雪を助けたい」
言った。どうなるかはわからない。だがそれは、彼女を諦めないという選択を取るなら、最善のはずだった。
「そうか」とボスは短く言った。
沈黙は続く。僕のコーヒーは満たされていた。ボスのコーヒーは空だった。コーヒーは暗く、濁っていた。
「知っていた。照から聞いた。俺に会う前、照に会っただろ? どうせ言わなくていいことをアイツは言ったんだろうな」
乾いた笑い声。やはり、照は組織にとって余計なことをしていた。だが、ボスは見通している。照すらも、見通している。ぞっとする。なにもかも利用して、てのひらのなかだ。
「テストだったんだよ。俺の独断でなにもかもを謀った。お前がそれを言ったのは今この場までは正解だ。そして言うことがある」
続く言葉は、わかっていた。
「諦めろ」
96 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/08/29(火) 21:30:39.47 ID:KsUO0z3M0
照は、あくまで僕に心の準備と、諦めるという選択肢を濃厚に示しただけだった。救いはなかった。
これになんと答えるか、それは決まっている。だがなんと答えるのか、どう説得するのか。
予感があった。予定調和めいた不幸。
諦めれば、僕の人生は決まる。だが諦めなければどうなる? ただ、ろくなことにならないのは確定していた。
――予感がある。
たぶん、殺されるか、飼い殺しか。結末が顔を覗く。うすら寒い。
――だがそれでも。
「無理です」
嫌だとか、どうしてだとか、そういうことは言わなかった。
断定の一言。愚かしい、そういう行動。だがそれでも、やるしか、ないのだ。
「――諦めろ」
命令形。最終通告。
けれど決して、揺らぐことはない。ばかばかしい気さえする。結果はなかば、わかっている。なのになぜこんなことをするんだろう?
「――無理です」
ボスは目を閉じた。そして開く。諦めと失望。
「やはりか。俺自身がおまえを見てきたわけじゃない。だがやはり、そういうやつなんだな」
悟ったような、諦めたような、そして――ただただ残念だという声音。それが全てを体現していた。結果だった。
「さっきまでの話はなしだ。おまえは一生平で、もう外に出すわけにはいかない」
殺しはしない。せめてもの、温情ってやつだ。どうせ個人じゃどうにもできないしな。ボスはそう言った。
「いいえボス。彼女を助けるのはぽく一人です。組織には一切負担をかけることもなく、連れてきます。その後は忠義を誓います。身を捧げます。それでなにもかも、あなたの思がままに。だから一度でいいんです。チャンスを下さい」
なにもかも、材料をぶちまけた。出せる手札全てだった。しかし、ボスはそれらに大した反応はしない。どうでもいい、とばかりに。
「教えてやるよ。この組織のことを。そうすればおまえは納得するだろう。諦めがつけば道もわかれるかもしれない、だから」
ボスには、僕の言葉欠片ほども届いていなかった。
「なあ、考えた事はないか? なんでこんな社会の害になる組織がこんなにも長い間続いてるのかって」
なにかを刺激するような声音。
97 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/08/29(火) 21:31:25.78 ID:KsUO0z3M0
「おまえは思ったことがあるはずだ。この組織の存在は、むしろ結果論でいえば、市民の団結と法の統治を補助している、と」
まさか。
「ああ、さっき言った表情を見分ける術を使わなくてもわかる。驚いただろ? そして理解したはずだ」
バカな。
「俺たち《レジスタンス》は政府とグルだ。不穏な存在、社会に対する敵対者は、人々の結束を促す。その結果、多少の死人は仕方ない」
そんな。
98 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/08/29(火) 21:31:55.60 ID:KsUO0z3M0
「――我らが住まうは、犠牲の都市だ」
99 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/08/29(火) 21:32:24.17 ID:KsUO0z3M0
続く
100 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/08/30(水) 13:14:19.51 ID:t/Y+Rjq/o
おおう…
乙
101 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/08/31(木) 21:49:13.90 ID:iVDTxJdE0
◇
「嘘だ」
「目をそらすな。わかっているんだろう?」
そう。嫌になるぐらいに。
考えた事はあった。だがあまりにも突拍子で、ありえない可能性と、切り捨てた。
「組織の多くは知らない。知っているのはほんの少しの、信頼できる上層部のみだ」
そうだ。僕がおかしいと思ったのだ。ボスや照が思わないはずがない。無意味な行動を、二人がするはずがない。つまり、絶対の保証と、根拠があったはずなのだ。
「ほとんどは不満をもったごろつきだ。第一、こんな組織が普通持つはずがないだろう? ほかに犯行組織がほとんどないのも変だ。この都市の統治は完璧に近いんだ。まだなにか、言ったほうがいいか?」
「……もう、いいです」
つじつま合わせの答え合わせ。そうだ、考えれば考えるほど不自然だ。だがそんなもの、よほど注意深く見ないと見えてこない。ほかに考えることなんていくらでもあった。それになにより、組織は現実として存在していた。目の前にあるコップは実は机だなんて、いったい誰が思う?
「そういうことだ。俺たちは政府の犬だ。おまえに絶対に協力しない」
絶対。
全てつながってくる。照の言葉も、なぜ僕の言葉にボスがたいして耳を傾けなかったのかも。
「なんで……なんでボスがそんなことをしているんです? 政府の犬、だなんて。あなたはそういう人に見えない……照だって! 自分が小さくないことを望んだ! 世界にとっての重要人物に、なろうとした!」
とてもとても、認められない。ボスも照も、なにかを自分で変えることを望んだ。はかりしれない存在だった。それゆえに小さなところに居られない、そのはずだ。
現実? 現実的に不可能だから?
噛み合わない。納得できない。
102 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/08/31(木) 21:50:09.72 ID:iVDTxJdE0
「ここが小さいか、そう見えるか。確かにそういう見方もある。おまえの言う通り、照も俺も、世界の変革者でありたかった。だがそんな場所は、な? 現実に存在しないんだ。政府にたてついて、人を殺して……それでなんになる? 個が巨大な組織に敵うことはない。俺一人がなにをやったって、所詮無意味だ。消去法的選択。だから一番重要な位置に、俺はいるんだ」
「重要? ここが?」
「ああ、お前も見ただろう。ここはそんなにうまく回っているわけじゃない。完璧とは程遠い。だが反逆者役を誰かがやらなくてはならない。そんなことができる奴なんて、世界中探しても、俺ぐらいだ。俺にしか、できないんだよ」
そういうボスの言葉は。
自信にあふれていて、疑いを知らず、黒を黒だと、当たり前のことを言っている口調で。
だから、なのだ。自分にしかできない。俺は世界にとって、必要な重要人物だ。だから。
「照も同じだ」
「そんな……こんな……」
こんな話がある。
奴隷の実情。
遠い昔、旅人がいた。旅人はその旅路の途中で女の奴隷を見つけた。そしてかわいそうだと思い、救ってやろうとしたのだ。しかし、奴隷は拒否した。旅人は、強引に奴隷を助けた。その奴隷の主人は死んだ。血だまりの中、女の奴隷の一言で物語は終わる。「愛していました」と。
誰にとって、彼にとって、正義の定義が違う。歪んでいるように見えても、価値観が違うだけだということもあり得る。
僕は社会の反逆者であるこの組織が、もし政府の見方だとしたら、犠牲を許容しているのなら、と考えたとき、それを正義ということはできない。なぜなら人が死んでいるのだ。殺しているのだ。だがこれも所詮、僕の価値観でしかない。
もし反論した時のボスの言い分も予想できる。数でいえばこれだけの期間で百も死んでない。何十万も生活しているこの都市で、反乱が起きればきっとこれ以上の死人は出る。反乱で起きる死人だけじゃない。政治の不安定化で死ぬ人数は、見過ごせないものになる。
きっとこんなことをいうのだろう。
組織の大半が本物のごろつきというのもカモフラージュのために仕方がない。そもそも現実問題、こんなことをやりたがる人の数も知れている。組織を保つための最低人数。それが被害を及ぼしたとしてもやはり……それでもこの組織はなくてはならない。
僕は完璧を目指すが故に認められなかった。しかし、そういう正義もあるのだと、理解することはできた。決めつけと独善はしないように、そういうことも僕の完璧、なことに入っていた。
ボスに何かを言おうとした。乾いた喉は、音を発さない。
何も、言えなかった。
103 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/08/31(木) 21:51:05.24 ID:iVDTxJdE0
「どうだ?」
「……」
「お前のここまでの行動、姿勢、照から聞かされたときは感動すら覚えたぞ。いきなりスーパーマンみたいなことをするわけでもなく、現実的に、できることだけをおまえは選択してきた。それはすなわち、英雄的な行動に酔っていないことの証拠だ。本気で助けようと思っていたんだろう。並みの人間ができることじゃない。しかし、運が悪かったな」
ボスは笑わない。誤魔化すことはしなかった。
「この社会構造的に、おまえはなにをやっても無理だったんだ。−−仕方がないんだよ。だから、いい加減、諦めろ」
「……」
なにも、言い返すことはできなかった。
なにかを考える。僕はここから、なにをすればいい?
取れる手段は、なにもかもが潰れていた。どこにも逃げ切れる場所がない。もう、どうしようもない。スラムに逃げたっていずれ捕まる。その期間で、ほかの犠牲者が選ばれ、彼女の犠牲は止められるかもしれない。だがそんなことをしたって、政府は例外を許さない。きっと僕らは晒し者として殺されるのだろう。あの、いつかの娘を救おうとした父親のように。そして巻き込まれた、ほかの血筋のものたちのように。
だから、レジスタンスはどうしても必要だった。しかし、ここは逃げ場所ではなかった。
「俺は『機械を目指す人間が欲しい』と言ったな。あれは本当だ。今回のことがなければおまえは後継者になる予定だったんだ。……今後の行動によっては、まだわからないがな」
ボスはささやいている。諦めろ、と。そしてそうすればおまえにはこういう立場が用意されている、と。
「おまえは人のことを思うことができるやつだ。きっと組織をうまく導く。さらにおまえが頭になれば俺たちの行動による『犠牲』をうまく減らせるだろう」
きっと、どんな人だって僕がなにをすればいいかなんてわかる。彼女も同じことをいうだろう。
だって。
彼女のことを諦めるのだ。不可能なことだと、仕方がないと。彼女は犠牲になる。ならせめて、彼女の意思を継ぎ、誰かのためになることをしなければならない。優しくあらねば。
結局、組織を継ぐことは影の中でしか見えないとはいえ、英雄的行動には違いないのだ。
英雄。超人。完璧者。
僕の目指したものの一つの形とも言える。
そのかわり何かを諦めている。だがそれがいかにも、現実的だ。
「僕は――」
――もう、選択肢は一つしか存在していなかった。
いやだいやだ、と心の中で悲痛な声がする。
まだ諦められない。
必死で考える。なにもない。バカげた妄想が頭に浮かぶ。僕は英雄のように、強大な力をもって彼女を救う。歯向かうものは皆殺し。強い強い、そういう魔法のような。
嫌になる。
なにもかも。
何もできないことが。
なにもできなかったことが。
「僕は――」
104 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/08/31(木) 21:51:49.26 ID:iVDTxJdE0
いつだって思い出す。
秘密の場所。薄暗い空間。風の舞う感触。
甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
――彼女の後姿が頭によぎる。
今に振り返る、そんな一瞬の写真のような思い出。
泣きそうになる。彼女のことがどこまでも大切だった。
――きっと。
どこかでは告白して、付き合って、キスをする。一緒に子供を育てる。「幸せだね」なんていう彼女の笑顔を見て、余韻に浸る。
――そんな未来を信じていた。
きみさえいてくれれば、僕は幸せでいられる。きみじゃないと嫌なんだ。
落ち着いた雰囲気で一緒にいられること。たまにだけどふざけあうこと。
どうしても、どうしても――。
僕の命は、僕のものだ。いくら彼女が大切でも確実に失敗するとわかるようなものには、成功率が七割を下回るような愚かな行動に、かけることはできない。
自分が理性的な人間であることを望んだ。そういうひとでありたかった。
――だけどどうしても、僕は。
……これだけは、諦める、ということができなかった。
「わかったか? わかったなら――」
ボスは話は終わったとでもいうように後ろを向いている。
そして僕がこのまま立ち去るのを望んでいる、ここで完結したと確信している。
だけど、
「まだです」
「……は?」
◇
105 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/08/31(木) 21:53:53.87 ID:iVDTxJdE0
ようするに、賭けだった。
ここは魔境の領域。事前の予想のほとんどは意味をなさず、相手から抜き取った情報から話を展開しなければならない。
だが、最初の一歩には確信があった。
ボスによって思い知らされた。僕はなにも知らなかった子供。なにもできない一般人。それを確信したからこそ、僕は思う。そもそもここまでこれたのも、ただの偶然なのだろうか?
「ボスは、いまの立場になろうとしたきっかけはなんですか?」
「……まあ、答えてやろう。世の情勢を若い時に見て、やれることを探したんだ。目標がないころは世の仕組みを理解しようとして走り回った。俺がこの思考になったのはすべてを知り、これが最善と知った時だ。あまり若い時ではない。きっとお前もそうなるはずだ」
僕はボスの出自を知らない。レジスタンスに入るまではどこで生きてきたのか、なにをしてき
たのか。
「違います」
「……おいおい、こんなところを否定してなにがしたいんだ?」
失望したような声。相手が理性を失ったと判断し、話をするのが無駄だと、悟った声。
だからこちらに意識を再び向ける必要があった。
「あなたはひとりの人物によってきっかけを得たはずです。ほかのものなんて結果論的に理由になったに過ぎない」
ボスの様子は特に変わったところはなかった。しかし、ボスは相手の様子から情報の正誤をつかみ、読心するということに関してはプロだ。わかりやすい反応なんて示さない。
「男です」
「あてずっぽうなことを言って俺の関心でも買いたいのか?」
ここで確信する。ボスはここで「違う」なりなんなり、否定の言葉を言わなかった。つまり、少なくとも関心はこちらに戻っている。
「僕があったのは自分を呪い師と名乗る男でした。水晶玉を持たない、死に敏感な影のような人物」
ぎらり、とボスの目が輝く。それはわかりやすいアクションだ。「もっと話せ」と先を促す、素人目にもわかる行動。
――まずは卓也が言っていた言葉を。
106 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/08/31(木) 21:54:40.96 ID:iVDTxJdE0
「ボスは世の中のすべてを知るために若いころに走り回った、と言いました。そこで聞きたいんですが、今の政治はなぜこんなに整っているのです? レジスタンスが機能しているのはわかる。しかし、今の政治体制は王政だ。政治内容には投票が用いられ、民意は社会を動かしているが、それを王はすべて拒絶できるし例もある。王自身がなにか政策をできる状態でもある。しかし、これだけの絶対権力を持っているのに暴君がでないんです?」
「……」
「間違いなく、裏で支配している者がいるはずです。絶対権力は飾り。本当は誰かが操作している。そして……その手のものは、ボスに接触したと思うんですよ」
今のボスは間違いなく、世の中にとって重要な位置にいる。なら、ここまでくるのにボスは完全に自力で、自分一人で来たのか? それもあるかもしれない。ボスの能力は非常に高いから。
でも、もしボスがひとりで今の位置にこれたとしても、仮に裏の支配者がいたら接触があるはずだ。おまえに協力してやろう、というはず。それもこんな重要な位置にいる人物ならば……裏で支配しているものがじかじかにボスに接触しても、おかしくはない。思うに、ボスの立ち位置というのは今の世の中を維持するのに、王の次にもっとも重要な立場だと思うから。
これはあくまで賭けだ。しかし、勝算はある。
「僕は裏の支配者に関わったぞ(、、、、、、)」
ボスはゆっくりと目を閉じた。懐に手を伸ばし、煙草とライターを取り出す。
火が付く。時間の流れみたい、ゆっくりと煙が昇っていく。
ボスは黙ったままだった。
それに内心焦る。僕が言ったことはとんだ夢たわごとだったかもしれない。彼に本当だったとしても、知りすぎたからという理由で殺されてしまうかもしれない。
なにもかもが不確定、不確実。ある程度の理屈はある。だがそれでも、今やっていることはあらゆる面で賭けだ。
「ボス」と僕は彼に言った。
ボスはけだるげに煙草を灰皿に押し付け、「いる」と短く呟いた。
そのひとことで、ほんの少し気が緩む。だけど、まだ問答は続いている。
裏の支配者。そんなものがいるのなら、そいつはどこにいるのだ? どうしてこうも、誰も足取りをつかめない? きっと、たどり着けれないところにいるのだ。そう、確信している。
「地表を捜索しに行くんですよね、裏の支配者が、いるところに」
僕が裏の支配者の手のもの、もしくは本人に接触したのは、僕になにか見込みがあるからだ。いや、対して物でないかもしれない。しかし、なにも接触したことがない者よりもまた再接触できる可能性は高い。そして、その先は……。
ボスは裏の支配者が地表にいると、肯定も否定もしなかった。
「僕をそのチームに入れてもらえませんか?」
「なぜ?」
「ボスの味方はそんなに多くはないでしょう。しかも裏の支配者についてしっているほどのひとなんて。レジスタンスのほとんどは本物のごろつき集団。なら、手札は限られているはずです。それなら、犠牲者をなにがなんで救おうとし、おそらく未来おいていなくなってしまう少年を駒として消費したほうがいいはずだ」
「なぜ俺がそんなに裏の支配者なんぞに興味があると思っているんだ? そもそも俺は裏の支配者と連絡を取り合えている状況で、なにもかもを知っている状態かもしれないのに」
そのひとことに、僕は笑った。
「第一に、こんなにも長い年月を保ってこれたというのなら、おそらくその裏の支配者はかなりの秘密主義です。第二に、ボスはすべてを知りたがるひとでしょう。それこそ命がけになってでも」
「俺のことをどう思おうが、お前の勝手だ」
「そうですね」
僕にとって、ボスはそういうひとだ。能力が高くて、ほとんどのことを自分一人でやってきたひとだから。絶対にというわけではないが、ボスが知らないという状況のまま生きることを選ぶ人物とは思えない。それに、聞き出せはしなかったが、革命を考えていてもおかしくはない。彼は世の中の人間のことが大事と考える正確ではなく、どちらかと言えば自分の価値を最も大切にする究極の自分主義者だ。
「手配はしておこう。しかし、帰ってきた後にはすべてを話せ。そして、俺自身がやつに会う方法を聞いてこい。以上だ」
107 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/08/31(木) 21:58:27.84 ID:iVDTxJdE0
出ていけ、と暗に言われる。
それにお辞儀して、僕は退室した。
照はどこにもいない。照もまた、ボスに心酔しているというよりもは自分の道に従って生きてきたものだと思うから、なにか聞いてくると思ったのだが……おそらく、その必要はないのだろう。そんなことはボスから直接聞けばいい。照は、きっとボスにとって最も信用できる者のひとりだ。
機能性ばかり求められた簡素な廊下を歩く。
そして僕はこれからのことに思いはせる。
彼女を救うための道は、なにもかも塞がれてしまった。それで無理やりひとつだけ、道を切り開いた。その裏の支配者に接触して、直談判する。直談判? 救ってくれと、頼むしかないのだ。なにか交渉の手段を携えて。
……あまりにも狭い道のうえ、ゴールしたところで、そこも行き止まりである可能性が高い。でも、これしか道はなかった。今できる手段として、もう本当にこれぐらいしか残っていないのだ。
険しすぎて、先のことを考えるだけで不安で胸が苦しくなる。脳が暗いもやで締め付けられるみたいに。
それでも、やるしかない。
それしか、ないのだ。
◇
108 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/08/31(木) 21:58:56.74 ID:iVDTxJdE0
なにかないか、なにかないかといろんなことを調べて回った。
卓也は焦る僕を積極的に支え、サポートしてくれた。しかし、あまりにもなにも見つからない。
裏の支配者について彼に話した。「……ほんとに予想が当たってたのか」と卓也は納得。半信半疑な部分もあるが、ある程度予想していたことからか、飲み込みは早かったようだ。
こうしてボスと話したことを卓也と共有したが、もちろん最新の注意を払っている。周りには誰もいなかったし、情報は筆談。それもほかのことを調べているとき「つまりこういうことなんじゃないか?」と図を書いて説明するふりをして伝えた。
裏の支配者、なんていう要素を頼った博打的なこと以外の方法も考えた。しかし、一番の頼みの綱であったレジスタンスが機能しない以上、もう手段はないといっていいだろう。詰み、だ。
しだいにいらだちが募ってくる。なにをやってもどうにもならない現状、歯がゆさ。もっと力があれば、スーパーマンになって彼女を救えるような、超越的な力があれば。
そんな思考も無駄で無意味なバカげた思考に他ならない。現実的でないことを考え始めるなど、彼女を救うのを諦めるのと同じだ。
鏡を見たらクマができていた。寝る時だって、いつもなにかを考えていた。そんな様子を見てか、「少し休んだほうがいいよ」と卓也に言われた。
思わず、カッとなる。なんでそんなに気楽でいれるんだ。君の姉じゃないか、むしろ君こそが誰よりも頑張るべきじゃないのか?
そう思ったが、すぐに冷静になり、首を振る。
後悔がずしりと押しかかってきた。卓也は優しいから気を使ってくれただけだ。むしろ、よく見れば彼だって疲れているのがわかる。張りつめていて、いつ切れてもおかしくないぐらいに、苦しんでるのは予想できる。
「もう少し頑張ろう」と僕は言った。
「うん」と卓也は心配そうに、僕を見ながら言った。
◇
109 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/09/01(金) 08:18:36.52 ID:uBVHIZnoo
乙乙
110 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/08(金) 20:18:18.25 ID:c9qxGCK40
ここから先はちょっと出来が良くなくて、いろいろ改変させたために手間取ってました
この先を更新してもロクなことにならなそうですが……一応キリがついたので更新していきます
弱音のようなことを書き込んで申し訳ない。ここからは更新間隔が安定します
111 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/08(金) 20:19:10.65 ID:c9qxGCK40
「点呼だ」
「一」
「二」
「三」
「四」
「よし、全員いるな」
短く髪を切りそろえた男――隊長は元気よくそう言った。
ついに、地表に出る時が来た。
あれから僕は少々の体力訓練と、地表に対する見解予想を学ばされた。僕に与えられた番号は四番だ。この探索では仲間を見捨てる可能性もあるので、無駄な感情は必要ない。よって互いに名前はしらず、僕らには番号が与えられている。
「俺たちは仕事をしに行く。だが……地表は我々の夢の場所だ! 少々ならハメを外して構わん!」
……しかし、隊長はあまり規則を気にしない人物のようだ。
僕以外の番号を与えられた者はみな若者で、隊長だけはやや中年といったところか。みんな夢があってやってきた。未知なる場所への冒険心、好奇心。そういったものを抱えて。
残していく者のことを考える。
卓也のこと。父のこと。彼女の両親のこと。
今からするのは奇跡を願うことだ。魔法がさらに発現して彼女を救えるようにしたり、その技術の痕跡を盗む。政府から逃げられる場所を用意する。
最悪、ここにいるもの全員を裏切ってでも、なにかしらの特異ななにかを持ち帰らなければならない。とても、ばかばかしくても、やらなければ。
彼女を助ける。不可能に近くても、死ぬかもしれなくても。
誰かを傷つけないといけなくても。自分の信念を裏切ってでも。
僕らは移動を開始する。地表にいくために秘密裏にあけられた洞窟の中へ。
犠牲の装置メギナラムの効果はその装置の周囲数百キロメートルを、薄い膜の球で覆うことだ。その膜は人体に有害である粒子を防ぐ。魔素、という粒子だ。星が堕ちてきたあとに発生した謎の粒子。それはメギナラムの力以外では防げず、人類をほぼ滅亡に追いやった。さらにやっかいなことに、電波当を強烈に妨害し、探索機などが使い物にならなくする。
だから、人間が直接調査するしかない。僕らはそのための防護服を着ているが、魔素を防げるのは三日が限界だ。それ以上地上を闊歩しようなら、命の保証はない。
やがて、僕らは膜との境界線上までやってきた。
隊長が立ち止まる。そして、他の者も。
「ここまで掘るのに何人かが正体不明の病で死んだ」と、隊長が言う。
祈るように手を合わせ、それに他の者も習う。
やがて顔を上げた。隊長は重々しく言う。
「原因はおそらく魔素だろう。防げないものである以上、死体は速やかに処理され、保管ができないから、対処するための研究もできなかった。――諸君、肝に銘じることだ。我々は他人の命の犠牲の上で成り立っている。我らが住まうは犠牲の都市だ」
はい、というまばらだがしっかりした声。みな、思うところはあるのだろう。自分たちの命があるのは犠牲者のおかげであり、地表を探索するためにも誰かが死んでいる。自分も命を懸けるからといって、そういう者たちのことをないがしろにはできない。そういうことだ。
ひとり、ひとりと膜を通過していく。ある程度の説明は受けている。ここからは世界が変わる。通常とは異なる違和感が常に、付きまとうと。
そうだ、ここが境界線だ。今なら戻れる――なんてことを思うのも今更過ぎることだ。
僕の番になる。みなこちらを見ていた。背後からも視線がある。僕らが異常を抱えたまま帰還した時、処理をする者たちだ。役職を処理係という。
緊張する。何かが変わることを願い、祈り、僕は一歩踏み出した。
――突如、襲うのは違和感だ。存在しているのに存在する。矛盾だけを感じる。なにも外見に変わったことはない。だが……。
「みんな、大丈夫か?」
隊長がひとりひとりの顔を覗き込む。
それに全員頷いて答えた。僕も同じように頷く。
背後を振り返れば、処理係は消えていた。長居はしたくないのだろう。現にここを掘った人達が正体不明の病で死んでいることを考えても、この辺りは魔素の濃度が高いのだと想像がつく。
隊長が上のマンホールに手をかける。そこが地上への入口だ。
光が僅かに漏れる。都市では見られない、作り物ではない、本物の光。
112 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/08(金) 20:20:06.52 ID:c9qxGCK40
「いくか」
隊長が最初に潜り抜ける。そして一番が続く。
「どうした三番?」と二番が言った。
「ああ、いや」
「故郷がさみしくなったか?」
「いや、違うんだ。なにか後ろのほうで見えたような気がして……」
「ははは、幽霊でもみたか? むしろ幽霊なら地上にたくさんいそうだがな」
確かに、と僕は思った。
背後を見る。なにもいない。きっと哀愁がもたらした幻覚を、三番は見たのだろう。残していくものは、誰にだってある。
「俺たちは死ぬかもしれない。それでも……人生を特別なことに消費したいと思ったからここにいるんだ」
二番がにやりと笑う。
ここに集まったのは普通以外を求めた酔狂なものたちだ。
なにかを成したいと思い、勇気を胸に、集った若者。
「さあいこう」
その言葉に、三番は頷いた。
もう一度僕は振り返る。やはりそこには、なにもなかった。
◇
113 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/08(金) 20:20:48.77 ID:c9qxGCK40
◆
「雪様、こちらへ」
感情を感じさせない表情をした女がそう言った。
「わかってますよ」
ここではすべてが手に入る。望めば現実的に可能な限り、叶う。ここはそのための場所だった。
叶わないものも多数ある。それは本当に大切なものだ。親しい人間とか、家族とか、愛する人とか。そして、自分の命とか。
私は、長く生きることができない。この都市の犠牲に選ばれたのだ。逃げることはできない。だって、誰かが犠牲に、ならないと、何十万もの人が死ぬ。
機械のようだ、といえば共感されそうな女が私に服を着せていく。女の子なら一度は来てみたいと思うような、綺麗な服だった。彼女はメイドとして淡々とその職務を全うしていた。
私は、最初にここにつれてこられたとき、次のようなことを言われた。
「あなたは死にます」
「ここで手に入るものは何でも手に入ります」
「傷つけるという方法以外なら、人を使役することができます。風俗的な意味でも可能です。また、あなた自身の体なら傷つけても構いません。危険な薬物に酔うことだってできます」
ここは、まるで現実ではない場所のようだった。自分の命を犠牲にする代わりに、可能な限りを実現できる最期のための場所。
「お困りでしたら今までの具体的な例をあげましょうか?」
メイドの女は返事も待たずに言葉を続ける。
「最初に多いのは一般的な娯楽です。やはり、気が引けるのでしょうね。次に豪勢な食事、異性の肉体、薬物の使用。あと、可能な限りの都市の真実や、犠牲の装置について聞かれることも多かったですね。特殊なものですと死の一歩手前の経験を望んだ者もいました。予行演習だと」
メイドの女はさまざまことを語った。恋の演習で肉体関係を望まないものもありました。あと女性の方ですと姫となることを望んだ方が多かったです。薬物に早々と染まるものもいましたが、絶対に嫌だという方もいました。ただ平凡な生活を過ごして終わる方もいました。
そして、と彼女は言う。こうしてあなたは様々なサービスを受けることができます。また、実際に私たちが行ってきたものは完成度の高いサービスとして行うこともできます。新しいことをしてもいいのですが、それはあなたに任せます。
「ねえ……えっと、あなた?」
「メイドとお呼びください」
「……じゃあ、メイドさん。なんでこんな無駄なことをするの? どうせ死ぬ人のために過剰な資源を使う必要はないと思うのだけど……」
こういうことを最初に考えてしまうのは、彼に影響されたせいだろうか。
114 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/09/08(金) 20:21:39.90 ID:c9qxGCK40
「あなたの気分を害する情報の可能性があります。前もって言っておきますが、あなたは真理を求めるタイプに見えます。なので私はすべてを話しますが、止めたいときは言ってください。可能な限り、汲み取ります」
「わかりました」
「では……。私たちはサルではないということです。ここの方針は『我々は人間である』なので、一部を除いた人道的な支援を行います。また、これは言い訳でもあるのです。犠牲になる人に感謝していると、申し訳ないができるかぎりのことはするから許してほしい、と」
「……」
「無論、あなたが私たちを許す必要はありません。ただ、理解が得られなくてもやれることを最大限する。……私たちにはそれだけしかできませんから」
メイドは頭を下げる。
「仕方ないってことなのね」
「そういうことになります。誰かが死ぬことを、望んでいるわけではありません。……なるべくなら、犠牲はないほうがいいのです」
そう言ったメイドの表情には、僅かに感情の色が見えた。それすらもわざとなのかもしれない。けれど、そんなことはあまり重要ではなかった。きっと、人が死ぬことを積極的に願っている人はいない。それは普遍的なことで、納得できた。メイドの彼女も私に対して興味はないかもしれない。でも少なくとも、積極的に私に死んでほしいとは思っていないのだ。
それから、メイドの女に進めるがままにサービスを受けた。強制はされなかった。どんなものでも私の意思を聞いた。『今日は何も食べたくない』というくだらないことにも真摯に対応した。
都市のことを聞いた。ここがどういう仕組みなのか、とか、裏で何が動いているのか、とか。彼女はすべてを教えてくれた。きっとここまで知ったら絶対に逃げれないだろうな、と思いながらそれを聞いていた。抵抗組織は、実は政府が操っているとか、最近、法に対する民衆の意識が低いから、見せしめがほしい、だとか。逃げないように念を押された。また、実は私を誰かが助けに来たらその人を見せしめにしようと計画されていると聞いた。この場所は実は厳重すぎるほどの警戒態勢が施されているらしい。
それを聞いて、いろいろ考えて……少しだけホッとした。彼が私を助けに来たりしたら、彼は見せしめに殺されるのだ。だけど、彼はきっとこない。彼は感情が現実を動かすことはできないと知っている。また、法は絶対に守るべきものだと思っていて、彼はその職務を目指していた。助けに来れば私の家族が死んでしまうことも冷静に考えるはず。だからきっと、こない。
……でも、きっといろんなことを考えて、悲しんでくれるはずだ。思えば彼はあまり感情の起伏をあらわにしない性格だった。そんな彼をくすぐったり、からかったりして彼が感情を見せた時、鉄壁の守りを破ったみたいで嬉しかったものだ。
……彼はどうしてるんだろうか。
心配だ。彼はきっと、なにもかもを自分せいにしてしまう。理性的に自分が悪くないとわかっていても、苦しんでしまう。でも彼はなにもすることができない。卓也が、私の父と母が死んでしまうことを考えると、きっとなにもできない。
ごめんね、と思う。一度でいいから彼と話したかった。でも……それができないのが現実だ。
――彼の幸せを願う。
夢を見る。彼が誰かにキスをする。誰もが祝福していた。そこに私はいない。彼は幸せそうな顔をしている。私はそれを遠くから眺めている。胸が締め付けられる。でも、それでも私は、彼が幸せになることを望んだ。
115 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/08(金) 20:22:21.35 ID:c9qxGCK40
「この都市の秘密はそれだけ?」
「いえ……もう一つあります」
「なに?」
「この政治は幼少期から専門の教育を受けた議員によって動き、王が決定を下します。大まかな方向はすべて王によって決められ、実質の独裁です。ここまでは知っていますよね?」
「はい」
「王は飾りです」
「……え?」
常識外のことをなんども話された。しかし、この話はその中でも特におかしかった。
「王は『誰か』から指示を仰いでいます。ここからは憶測ですが、王がそれに逆らったことがないのが不自然です。歴代の王は非常に人道的な方、あるいは逆の方もおられました。しかし、明らかにその『指示』に不満を覚えているように見えても、逆らおうとはしませんでした。昔は『誰か』が政治を支配していたのを議員は知っていました。しかし、長年の王の支配のせいで、その事実を知るものは少数ですし、選べと言えば王につく方が多いでしょう。ですが、愚直なほどに王は『指示』に従います」
不確定な情報を話してしまい申し訳ありません、とメイドの女は詫びる。こんなことまで話す意味はなんだろうか? もはやこれはある種の不敬罪になりうるというのに。……まあ、そこらへんに対応する法が、なにかあるのだろう。
……卓也が、弟が政治体制が変だ、と言っていたのを思い出す。これ以上先はメイドもしらなそうだし、実際どうなっているのだろう?
「変な話ですね」
「たしかに、この都市はなにかしらが特殊です」
メイドとはいろいろなことを話した。……犠牲についても、話した。
「あなたは非常にまれな魔力の質を持っています。あなたはいままでの犠牲者五人分の魔力を犠牲の装置に供給できるでしょう」
「……私が自殺したら?」
メイドが私の目を覗き込む。ほんとうのことをいっていいんですか、という表情。
私は頷いてそれに答えた。
「現在、犠牲になれるものの候補が不足しています。あなたがいなくなれば次に犠牲になるのは十にもならない少年です。しかし、彼では五年ほどしか持たないでしょう。その次も子供です。少年の犠牲を考えると年は十一を過ぎた状態で犠牲になるでしょう。彼は四年しか持ちません。あなたは二百年持ちます」
それを聞いて、震えた。「ここまで候補がいないのも異常な事態なのです」とメイドは付け足す。
私一人が犠牲になれば、数十単位で人が犠牲にならなくて済む。どちらにせよ、私は逃げられる状態ではなかった。メイドの言葉はせめてもの抵抗に私が自殺しないための嘘かもしれない……とは思わない。彼女はいままですべて本当のことをいっている。そう感じた。確かに根拠はない。でも……。
嫌になって考えるのをやめる。どうせ意味がないのだ。余計なことを考えて苦しみたくない。
せめて、と考え、この場所の娯楽を堪能した。見たこともないもの、普通に暮らせていたら経験できなかったであろうことをたくさん経験した。……だけど。
私は普通に暮らしたかった。彼と一緒に笑って、手を繋いで。彼の困ったような顔をみて、満足そうな顔をみて。それらすべては、もはや絶対に叶わないものだ。……考えてはだめだ。胸が、苦しくなるだけだ。
私はひとり、綺麗な景色を見つめていた。でも、ここに彼はいない。
メイドには近づかないように言っておいた。といっても、自殺しないように見張りぐらいはついているし、それが可能な道具に私が近づけば、きっと彼女はここに来る。
目頭が熱くなる。私は、死ぬのだ。なんでこんなことになっているんだろう? 彼さえいてくれればよかった。多くは望まなかった。
116 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/08(金) 20:23:06.05 ID:c9qxGCK40
きっと、運が悪かったのだ。だがそんなことで納得できるわけではない。
告白しておけばよかったなあ、なんてことを思う。彼はどんな反応をするだろうか。きっと、最初は動揺するに違いない。そのあと困ったような顔をする。でもきっと、嬉しそうに私を受け入れてくれるはずだ。まあ、私のうぬぼれかもしれないけど……。
でも、と思う。告白しなくてよかったかもしれない。そんなことをすればきっと、彼は余計に苦しむ。きっと、だから、私は……。
なにをしても、後悔だけが残る。泣きそうだった。彼との思い出を想う。そこには弟もいて、毎日が楽しかった。
どんなに辛くても、涙だけは流さなかった。それは無意味だが抵抗的で、まだ大丈夫だと自分に言い聞かせているかのようだった。
私は部屋の中に戻る。「大丈夫ですか」というメイドの言葉に微笑んで頷く。
「大丈夫」
一体何が大丈夫なんだろう? 自分を誤魔化していないとメイドに当たり散らしてしまいそうで怖かった。誰かを傷つけることだけは、したくなかった。
「なにかにおぼれることはできますよ」とメイドは言う。風俗、薬物、各種のリストを私に手渡す。男の人の裸が乗っていた。たくさんのリストからはどんな人でも好みに当てはまりそうなものもあった。薬物からは幻覚作用のパターンや、詳しい説明が乗っていた。量によって効果をずいぶん調節できるようだ。
「いいえ」と私は言う。
「なぜですか? あなたは死ぬんです。なにかに溺れたって誰も文句をいいません。もしそんな人がいたら私が排除しますよ。あなたはすべてを許されているんです」
「そうかもしれませんね。でも、私が私を見ているんです。だから、やめておきます」
「それでも」とメイドは言う。少しだけ荒い語気、込められた感情。それに気づいて彼女は恥じ入ったように俯いた。
「どうせ死ぬんです。たとえ自分が自分を許せなかったとしても、もう時間はないんですよ……? プライドなんか重要じゃありません。辛いことばかり考えて死ぬつもりなんですか? 最後ぐらい、楽をしてもいいのに」
ああ、と思う。初めてこのメイドのことが分かった気がした。人の苦しむ姿が、彼女は好きではない。他人の不幸が許せない、そういうタイプ。
「すみませんでした、こんな強制させる言い方をしてしまって……」
「いいんですよ」
メイドは不思議そうな顔で私を見つめる。私の声に悪意や、苛立ちを感じなかったからだろう。
……人が、誰かを思いやるということ。それが結果に結びつかなかったとしても、そういうのを感じるだけで救われたような気分になる。
メイドはなにかを言おうと、してやめた。食事をとってくるといってこの場を去った。
「……きっとキミなら、こうしたと思う」
ひとり、そんなことを呟く。彼とはいろんなことを話した。難しい話だったが、彼の思いや優しさが垣間見えるあの時間は、嫌いではなかった。
「……祐樹くん」
彼の名を呼ぶ。
ここに、彼はいない。
なにかに溺れてしまいたかった。もう何も考えたくなかった。ひたすら辛いだけの時間は、もう嫌だった。それでも、私は溺れることを拒否する。
彼のことを思い出して、浸って、それで……満足して死んでいく。いや、きっと満足なんて一ミリもできない。でも、私はこういうふうに、死んでいきたかった。
◆
117 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/09/08(金) 20:23:41.86 ID:c9qxGCK40
◇
僕はゆっくりと周囲を見渡す。彼女を救うために、裏の支配者とやらがいれるのなら、地下にある都市からそれほど遠くないところに居を構えているはずだろう。少なくとも、ばかげた遠方からはるばるくる……なんてことはないと思いたい。僕らの都市に、飛行機を作る技術というのはあるにはある。だがそれでも、利便性を考えれば車で来れるぐらいの距離であるのが妥当だろう。
ついに来た地表には、砂嵐が吹いていた。生き物の気配なんて感じられない、だだっ広い砂漠。
「きつい天気だ。といってもほとんど年中こんな有様らしいがな」と隊長は言う。
望遠鏡を用いた地表の探索は何度も繰り返されている。しかし、基本的には砂嵐や霧が立ち込め、周囲が見えない状態だ。そもそも、砂嵐と霧の共存というのがあり得ない。出た結論は地上はおかしい、とのことだった。地表は現実とは思えない、異常が続くミステリアスとも言ってもいい謎だらけの場所だ。
「おい見てみろよ、サラサラした土だぞ」
一番がはしゃぐ。
「それは都市にもあるだろうが……」と二番。
「はめをはずしていいとは言ったが早すぎるだろう……」と隊長。
たがみんな、抑えているだけで似たような状態だった。押し寄せるのは未知への期待感と、興奮だ。現に僕も、そういったものを感じていた。ここは、明らかにおかしいが、だからこそ何かを期待してしまう。
肉声は防護服と砂嵐の影響でほぼ聞こえない。用いているのは特殊なトランシーバーだ。だがこれも近距離でないと魔素の影響で届かないので、はぐれたら使えなくなる。
「知っての通り、今回の我々は仕事は地表の探索だ。期限は三日。よってマージンもとって一日かけて真っすぐ移動し、また一日かけて戻る。元の位置に戻れるよう、特別性のワイヤーを出発地点にくくりつけ、それを装備して、帰るときはたどっていく。食料は活動に適した少量のものだ。……まあ、都市を作った『賢者の塔』なるものでも運よくみたいものだ」
賢者の塔。そこに住まう科学者が、星が堕ちたときに都市を作ったとされている伝説だ。もっと昔の資料はある程度存在するにも関わらず、星が堕ちたその瞬間についての資料は、不自然なほど都市には残っていない。星堕ち当時の資料だけが少なすぎて不自然なのだ。そもそも、考えてもみれば、星が堕ち、人が死んでいく中でどうやって都市を作ったのだろう。魔素は急速に人体に影響を与え、拡散スピードも速い。であれば、前もって星が堕ちてきた対策を用意し、そうして都市はつくられているわけで、それをしたのは誰かのか、ということになる。それが賢者の塔の伝説というわけだ。
『先を見越した賢者様は未来のわれらを救いたもうた』
……これは単なる伝説であり、おとぎ話。でも、これを聞くと否が応でも……なにかあるのでは、と考えてしまう。まあ、他の隊員たちはそこまでは思わないだろうが。
「出発」
周囲を見渡しながら僕らは歩み始める。地表には生き物がいると聞いていたが、あるのは砂ばかりで、緑すらみえない。辺りは砂と霧が混じり、空は暗く、濁っていた。
ワイヤーが僕らの歩みを証明するみたいに、跡に伸びている。
「死んだ土地」と誰かが呟く。
まったくその通りだと思った。何かが生きている様子が、まるでない。
「おい!」
歓喜に似た叫び声。
「興奮しちゃだめぞ一番」と二番が冷静に諭す。それをろくに聞かず一番はある方向に指さした。
「生き物だ!」
118 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/08(金) 20:24:14.58 ID:c9qxGCK40
途端に皆の目の色が変わる。
トカゲがいた。しっぽの短い、普通にいそうでいない、地上でみた初めての生物。
「捕まえよう」と三番が言う。
「慎重にいけ、まんがいち防護服が破れたら死ぬぞ」と隊長。
「僕が回り込みますよ隊長」
「任せた四番」
「では俺たちは横に……」
囲い込む形になった。
三番がにじり寄っていく。
「なんか、興奮するな」
「生き物なら都市でも見れるだろう」
「だが見ろよ二番、こいつ、みたこともない種だ。そもそもここで生き延びてるってだけで奇跡の生物みたいなものだぞ」
「たしかに」
トカゲは目を閉じていて、眠っているように見えた。こんな無防備に、と思ったがどこを見渡しても砂しかないこの場所では、どこも同じようなものなのかもしれない。
ゆっくり、ゆっくりと近づいていく。みんな興奮に酔っている。単純だな、と我ながら思う。しかし、そういったものに身をゆだねるのも悪くない。
実行するのは三番だ。身振り手振りで今から捕まえると合図。自然と周囲の気が締まる。
――瞬間、トカゲが動いた。
三番の手を潜り抜け、駆け抜けた。
みな意表を突かれた。しかし、それだけではない。
「……嘘だろ」
三番が驚いた声を上げた。
トカゲは速かった。明らかに普通以上に。
もう終わりか? とでもいいたげなトカゲを見送る。予想外だった。
「すごいな……」
「隊長?」
「これが地上種なんだよ……! 明らかに普通じゃない。この五百数年で、急激な進化を遂げたに違いない……!」
みな色めき立った。そうか、と納得が降りる。自分たちは大発見をした、そういった興奮が周囲を囲った。
「しかし、注意しなければいけないかもしれませね」
そういったのは二番だ。
なぜなら、と彼は言う。
「生物が進化したというのは我々人間にとって不利なことかもしれません。過去にあった戦闘機、核など、兵器全般が衰退している我々は、地上では捕食される側にもなりえます。そういった危険生物がいるとしたら……我々は武力を強化せざるをえないでしょう。今は平和な都市ですが、武力の統制がおいつかなくなるかもしれません」
隊長が困ったような顔をする。水をさされた、とでもいいたげな表情だ。
「たしかに、そうかもしれん」
「地上への進出はまだしばらく後になるかもしれませんね」
「……まあ、まだそうときまったわけでもない。先に進もう」
それを止める者がいる。
119 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/08(金) 20:24:42.71 ID:c9qxGCK40
「待ってください隊長」
「どうした一番」
「危険生物が存在する可能性がでたんですから、決め事を作っておくべきです。襲われたらどうするか、とか」
そうだ、と僕は思う。想定されていない可能性ではなかった。しかし、主な予想は地表では生物が死滅しているという前提で動いていたのだ。実際、プランもそれにそったものが多い。だからここで簡易的に決まり事を作る必要があるだろう。
「そうだな、我々が来たのはやはり仕事のためだ。予算もかけた、人も死んだ。てぶらで帰ることだけは許されん。……脅威に対しては逃走を選択する。誰かが死にかけても撤退が優先だ」
厳しい言葉だった。だが、妥当だ。結果は絶対に必要だ。なにしろ、この調査のために人が死んでる。
「我々がそこまで親密でないのもそういった理由ですしね。異論があるものはいるか?」
二番の言葉にみな首を振る。反対する理由はなかった。
再び僕らは進行を始める。
「なあ」と二番が僕が話しかけてきた。
「どうしました?」
「ここにどんな生物がいると思う?」
「さあ……毒を持った生物とか、いるかもしれません。あとあながち巨大生物がいる可能性も捨てきれないかも。生き延びるために大型化するなんて話をよく聞きますし、さっきのトカゲのことを考えると異常な進化があってもおかしくないかもしれません」
「たしかに。『星堕ち』が起きて人間はほぼ全滅した。そう考えると他の種が多数全滅していると予想するのが妥当だ。いま生きているものは大なり小なり魔素を克服したやつらだと思うしな。……けど」
言おうか言うまいか、迷っている表情。
「話してみてください」と助け船を出す。
「なんかあれなんだがな」
「はい」
「人間はどうなってるんだろうな?」
「……はい?」
「『人間となってから種としての環境適応は遅くなった、だから他の生物が生き残れても星堕ちで人間は死滅するだろう』というのが今も昔も変わらない、科学者の見解だった。けど……本当に、地上に人間はいないのか?」
「というと?」
「ほぼ役に立たない力だとしても、俺たちは魔法という力を獲得している。これは進化の一つとして考えられないか? いや、機械で増幅しているとはいえ、この力が都市を守っていることを考えると間違いなく進化だ。なら単体で生き延びた人間がいないとほんとうにいえるのか? そもそも俺たちが人類最後の生き残りだと信じ込みすぎだ。星堕ち当時の情報がほとんどないし、都市の外を俺たちはあまりにも知らない。俺たちはあまりに多くの情報を抜き落としてしまっている」
それは多くの都市の人たちに当てはまることだ。僕も無意識の影響か何か、人類は都市でしか生き残れていない、という情報を確定した情報、、、、、、として扱っていた。
「そもそも俺たちの都市に矛盾を多く感じるんだ。長い年月をかけたのはわかるけど……統制が完璧すぎる」
120 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/08(金) 20:25:37.77 ID:c9qxGCK40
……気づく者、といえばいいんだろうか。
レジスタンスの真実を知る僕は、統制のシステムに、政府が並々ならぬ労力をかけていることを知っている。例えば……批判の統制をするために、その批判者は実は政府の回し者だったりする。一般的集団心理を利用した誘導法。誰かが不満の声を先頭に立ってあげているなら、自分が先頭に立つ意味はない。ついていくだけでいいのだ、といった誘導。
しかし、これだけのことをしても、これほど長い時間、完璧に統制できるかどうかは難しい。その難しいことをボスが担ってはいるが……。
ボスは裏の支配者が「いる」と言っていた。だがやはり、想像以上になにも足取りをつかめていないのではないのだろうか?
「もしかしたら都市は末端なんじゃないか? 実はもっと大きな人間の集合地があって都市に指令をだしているのかもしれない」
「……」
「俺が思っている矛盾はこうだ。『人間が魔法なんていう力を扱えるのはおかしい、進化が早すぎる』。もしかしたら魔素は生命に進化を促すためのものだったのかもしれない。その種の数が減るのはむしろ予定調和で――」
二番は他にも様々な考えを展開した。もともとこういうことを考えるのが好きな性分なのかもしれない。突拍子がすぎるものも多かったが引っ掛かりを覚えるのも多くあった。
「僕の知り合いが言っていたんです。『政治体制が腐敗しないのは不自然だ』なにかあるかもしれない、と」
「おお、なるほど。それでそれで?」
「『不死者たる英雄』がいるのかもしれないと。星堕ち前の科学者たちならできたかもしれない、そしてなにより、統制が完璧すぎるのは一貫した思想が用いられ続けているからだと」
「面白いな、その人も矛盾をどうにかして説明しようとしたわけだ」
実際、どうなのだろう、と僕は思う。感覚が麻痺しているのかもしれない。たしかに地表は非現実的だが、だからといってありえないことというのはそうそうおきないはずで。
歩いている長い間、二番と会話しながら過ごした。無論、周囲を警戒しながらではあるが。
「死んでも満足だな」なんてことを彼は朗らかに言う。
微妙な気分になった。
◇
121 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/08(金) 20:26:06.99 ID:c9qxGCK40
続く
122 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/09/09(土) 20:10:48.95 ID:uCAIC+q0o
面白いよ
乙乙
123 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/09(土) 23:04:41.56 ID:43vqk7Yd0
◇
進行は順調だった。危惧されていた危険生物との接触もなく、半日。生物はほとんど見かけなかった。見たのは最初に見たトカゲと、ムカデのような虫。きっとこれら以外にも生物の種類は生存しているはずだが、絶対数が少ないのか、遭遇できていない。
見つけた生物にもあまり近寄らなかった。トカゲはどうせ逃げられるとわかっているし、あのトカゲの進化のことを考えると、防護服があるとはいえ、虫の毒やらも怖い。当然、地表の虫の解毒剤などないので接触は危険だった。
足場は悪かった。延々と続く砂漠に凹凸のある地面。なかなか体力を消耗させられた。僕らは一時間ごとに二十分の休憩をとりながら進んだ。
……やはり、地表はどこかおかしい。真っすぐ進んでいるはずなのに、それができていなかったりする。ワイヤーが帰り道を指してくれてはいるが、不安になる状況だ。
そして、見えてはいけないものが、見える気がする。
怨念めいたものを感じる。ただの錯覚だろうか? プラシーボ効果? とにかく、ここは現実的ではない。
焦る気持ちがこみあげてくる。僕に彼女を救えるか? やはり、無理だったのではないか?
僕に見込みがあるからあの呪い師は近づいてきた、という薄い根拠。しかし、こんなものはあまりにも楽観的すぎる希望観測だ。もうこれしか僕にはとれる選択肢がないから、ただそれだけの理由で、僕はここにいる。
ため息をつきたくなる。なにかしらがほしかった。だがなにごともなく、順調だった。
「待ってください」
会話もつき、隊員たちに疲労が見え始めたころ、一番が言った。
隊長が振り返る。
「どうした?」
「なにか……いえ、少し待ってください」
僕らは止まった。一番は不安そうな、怯えているような、そんな表情をしている。
124 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/09(土) 23:05:15.15 ID:43vqk7Yd0
「どうしたんだ?」
「あの……その……」
「焦らすな。可能性だけの話でもいい。話してみてくれ」
「……」
すう、と息を吸い込む一番。
「たぶん、ワイヤーが切れてます」
「……なに」
今回用いているワイヤーはピンと常に張っているものではない。進むごとに背中から出てくる仕組みになっている。だからワイヤーが切れたとして、違和感はほんの少ししか感じない。地表では金属性のものはすぐに劣化し、自壊してしまうため、ワイヤーは特別製だった。耐久性は決して低くはないが、金属には劣る。
「全員、確かめろ」
言われるまでもなく、皆が始めていた。
軽く引っ張ってみる、が確信が持てない。本当についているか? ついていないのか?
ここに来るまでに、少し不安になりワイヤーを引っ張ったことがある。そしてその時の感触と比べると……。
「……切れてる」
ばかな、と思う。どうやって? 一体なにが、こんなことをできたんだ?
予感がある。偶然ではないと。そしてこれは……。
「二番、切れてます」
「三番、繋がってません」
「……こちらもだ」
――押し寄せる恐怖、焦燥感。
「急げ!」
一番が走ろうとする。それを二番が腕を掴んで止めた。
「おまえ!」
「無駄だ、どこで切れたのかもわからない。立ち止まって考えるべきだ」
125 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/09(土) 23:06:20.96 ID:43vqk7Yd0
一番が無理やり振りほどく。
もう一度走ろうとして……やめた。
二番の表情。泣き出しそうな顔。
「……すまない」と一番が言った。
誰もが、同じだった。皆が混乱している。恐怖に怯えている。ワイヤーは生命線だ。……死ぬかもしれない。
やれやれ、と平静をよそった隊長が首を振る。
「魔素で死ぬかと思ったが、帰れずに死にそうだなあ」
「隊長、食料は十分すぎるほどあるのでちゃんとさまよって魔素で死ぬかもしれませんよ」
ははは、と三番は笑った。
皆が平静ではなかった。しかし、やるべきことをやるということだけはわかっていた。
次第に落ち着きを取り戻していく。
……それでも、恐怖は残る。
隊長が案をまとめ始めた。
「風でワイヤーの向きが変わってしまっている。が、ひとまず我々は真っすぐ進んできたはずだ。だからそこを逆に行こう。それでもやはり、距離が距離だ。目的地からはずれる可能性が高い。……我々はトランシーバーが届くぎりぎりの距離を保ちながら広がって進んでいく。ワイヤーの捕捉を続けるんだ。砂が積もってワイヤーは見にくいが……目を凝らせとしか言えんな」
方針は固まった。確実性はない。完全な運頼みだ。おまけに勝ち目が高くない。
僕らが出発した地点には旗が立っている。高めのものではあるが、砂と霧という最悪の組み合わせでは見つけることは難しい。
足跡はほとんど消えていた。激しすぎる砂嵐のせいだ。頼りはワイヤーのみとなる。引っ張りすぎるとワイヤーが切れた場所からこちら側が離れるので注意をしなくてはならない。
歩き始める。最初はあまり広がらない。ワイヤーは同じような道筋を描いているからだ。
僕らは各々の考えを語る。
「五人全員のワイヤーが切れるなんて変だ。そもそも簡単に切れるものじゃないのに」
「人為的? なわけはないはずだよな? あまりにも得する奴がいないし、レジスタンスのメンバーぐらいしかできないとなるとますます損しかしなくなる」
「とれあえず人為的なものと仮定すると、俺たちに致命的なダメージを与えるなら出発してすぐの場所ではなく、中間あたりで切らなくてはならないな。出てすぐで切ったなら帰れてる目算が高くなるから。しかもそいつが帰還して、俺たちが戻らなかったら犯人だと思われるにきまってる。人為的、ってのはなさそうだ」
「じゃあ、なにが?」
「トカゲの進化を見る限り、ワイヤーも噛み千切る生物がいてもおかしくないんじゃないんだしょうか?」
「おかしくはない、が、五本分もか?」
「それは……」
「珍しかったから口に入れちゃったんじゃね?」
「くそが」
苛立ちが継続している。みんな自分の中にある恐怖を自覚しているのだろう。だから、それを誤魔化すために、見ないために、怒る。雰囲気は非常に悪い。
考えに思いを張り巡らせる。だがいくら考えても、答えは出なかった。
……だが。
126 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/09/09(土) 23:06:52.02 ID:43vqk7Yd0
思えばここは、変だ。常に違和感が付きまとう。ここにある。ここにない。境界線があいまいになることが、しばしばある。存在しているのに存在していないという矛盾の塊。しかし、稀に強い存在感のようなものを感じるのだ。そこに実体はない。だが、おかしい。奇妙だ。一連の結果をすぺて偶然で片づけるのは無理があるような気がする。
「広がれ」
トランシーバーからの隊長の一声で散開を始める。ワイヤーは追えている。今のところは順調だ。
「……なんだ?」
人影が見える。人為的、人為的でないかの話をしていた僕らは、自然と警戒心が上がった。
《……い。お……………い》
トランシーバーは同じ機種のものなら音を拾う。遠目から見ても、防護服が僕らと同じことから、レジスタンスの誰かだろうと予想できる。
《な……る? み……な、どうして……止まって……だ?》
声が聞こえる。それはどこか、聞き覚えのある声だ。
《おーい! おーい!》
完全に声が拾えるようになる。まさか、と思う。
たく……や?
思えば、三番が出発の直前になにかを見たと言っていた。幽霊でも見たのか?と二番はそれを笑い飛ばした。だが本当は、それは……。
一番がつかつかと、隊長の静止も聞かずに歩いていく。手に持つのはサバイバルナイフだ。慌てて僕は走り始める。一番からは僕が最も近い。だが、この距離では間に合わないのは明らかだった。
卓也と思われる人影は、何も知らない。今、僕らが彷徨っていることを。そして、まともな精神状態ではないことを。
一番が前に立つ。そして、こう言った。
「お前がやったのか?」
どすの聞いた声で、そう言った。
◇
127 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/09(土) 23:07:32.49 ID:43vqk7Yd0
「え……?」
卓也は呆然としていた。何が起きているのかわからない、といった感じで。
一番の顔から血の気が引く。人は本当に怒ると顔は紅潮よりも白くなる。本格的に暴力を働く時は、血管を収縮させ、致命的な傷をうけても出血が減るようにと体が準備をするからだ。
つまり、一番は本気で怒っている。そして、彼はナイフを持っている。
しかし、彼はすぐには動かなかった。それは理性による制御か、ただ怒りで動けなかったのかはわからない。だがともかく、彼は動かなかった。
「待ってください!」
叫ぶ。
卓也が死んでしまうかもしれない。すれ違いで、何の意味もなくそうなるなど、絶対に嫌だ。
ぴくりと一番が動く。
だが動き出す前に僕がその腕を掴んだ。僕の身体能力はそこまで高くない。地表の探索のために鍛えた体ではあるが、それをいうならずっと前からそれに取り組んでいた一番のほうがはるかに強い。
僕は急いで言う。
「彼は敵ではありません」
「……なぜ?」
「僕の知り合いです」
「……そうか」
瞬間、一番の体から力が抜けた。それは理解したから力を抜いた……というだけではない。彼の表情から窺えるのは安心感と……恐怖だ。
「俺は……本気で……」
殺そうとしたんだ。
彼が実際に言ったわけではなかった。だが安易に想像はついた。
困惑した顔で卓也は僕を見る。
「祐樹さん……いったいどうなってるんだ?」
「あとで話すよ、今は……」
膝をつく一番を見る。震えていた。それが何よりも彼の言葉が真実だったと証明している。
だがなぜだ、と思う。
切羽詰まった状況ではあった。皆、恐怖を内に抱えていた。だがこうも判断能力が低下するものなのか? ありえないことではない。だが彼は自分を止めたのだ。中途半端なのだ。恐怖による思考の暴走ならば最後に歯止めがかかるのだろうか。
……ありえない可能性ではないかもしれない。
雰囲気に呑まれているのだろうか? 地表は異常だ。常に違和感が付きまとう。それで僕の思考ですらも、まともではないかもしれない。
やがて皆が集まってきた。
おおよその説明を僕はした。卓也は僕の知り合いで、信用できる人物だということ。おそらく、一番は不安と恐怖感から、突然現れた卓也に殺意を向けたこと。それは衝動的なもので、彼が望んでいたわけではないだろうということ。
128 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/09(土) 23:08:23.78 ID:43vqk7Yd0
「大丈夫か?」と隊長が言う。
震えながら一番は頷いた。
隊長が周囲を見渡す。
「すこし休もう。思えば休憩なしに進みすぎた。それと……状況の整理だ。おまえ、名前は?」
「卓也……です」
「わかった。では卓也。おまえはどうやってここに来た? 何のために? 質問は急かさん。だが慎重に答えてくれ」
緊張が走る。卓也は信用できる、と僕は訴えたがそれが信用されたわけではない。僕は彼がそんなことをする人物ではないと知っているし、彼には理由もないとわかっている。だがそれは、皆が思うことではない。
「……俺は、祐樹さん……今あなたの隣にいる彼を追ってここに来ました。来た方法は……処理係の目をくぐってきました。あまり処理係の人たちは長居したくなかったのか、そこまで難しくなかったです」
隊長が天を仰ぐ。
「あいつらふざけやがって……! そこはわかった。たぶん本当のことを言っているな。だが動機について詳しく聞きたい。死ぬ可能性が高いんだぞ? そもそも許可を取らずに強引にくるメリットもない。さらに言えばあと三年もたてばもっと死亡率の低い状態で地表の探索もできただろうに」
「俺は…………」
卓也はためらった。僕の顔を見ている。だが言うしかない。選択肢はそれしか存在しない。卓也は諦めたようなため息をつく。
「祐樹さんが……死のうとしていると思ったんです。祐樹さんが地表の探索に行くと知ったのは出発の前日でした。それで、こんな強引なことをしました」
どきり、とさせられる。
僕が、死のうとしているように見えた。たしかに……卓也に最後に会った時はそういう精神状態に近かったかもしれない。
卓也はおそらく嘘を言っていない。地表に行くのを知ったのは出発の前日だというのもそうだ。地表の探索が行われるのはレジスタンスのメンバーなら知っていた。だがメンバーについては公表されていない。
隊長が僕のほうを見る。
「どういうことだ?」
「いろいろあったんです。今はそんなことはありませんよ」
「そうか」と隊長は言った。
そして卓也に向き直る。
「では次の質問に移ろう。卓也、ここに来る途中ワイヤーが切れている場所を見なかったか?」
「……え」
一拍をおいて、卓也が絶句する。彼は知らなそうだ。
「俺は今あるワイヤーのあとを辿ってきました……見てません……すみません」
「……そうか」
全て振り出しだ。結局、なにもわからなかった。
こわごわと卓也が聞く。
「ワイヤーが切れてるっことは……どうやって帰るんですか?」
「どうしようもない。我々は死にかけだ」
皮肉っぽくそう言った。隊長もあまり機嫌は良くないようだ。
他の皆も遅れて頷く。卓也の顔が青白くなっていく。
「……了解です」
◇
129 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/09(土) 23:08:52.21 ID:43vqk7Yd0
結局、卓也も加えて六人で行動することになった。だからといって状況が好転したとはいえない。
通常、こういったサバイバルのような状況で気になるのは食料だが、僕たちが心配するのは魔素による人体の影響だ。防護服である程度は防げるものの、その日にちはあまり長いとはいえない。
あれから、半日たった。僕らは切れたワイヤーを眺め、呆然としていた。道しるべが、切れていた。
「……終わったな」と隊長は言う。もう片方の切れたワイヤーを探すため、周囲の捜索をすでに開始していた。だが成果はない。この激しい風のせいだ。あまり重量のない特別製のワイヤーははるか遠くに飛ばされたのだろう。どこに行ったのか見当がつかない。皆疲れ切った顔をしていた。このままでは生きては帰れない、そんな状況のせいで。
「やっぱり凶暴な生物がいたんだな」と二番が言う。
ワイヤーにはなにかに噛み千切られたと思われる跡がついていた。それも、五本すべてのワイヤーに。
珍しい物質だから、興味を持った何かがかみついたのだろうか? しかし、そんなことを考えたところでどうにもならない。
一番がうめき声をあげる。
「どうしますか、隊長」
「……取れる手段は二つある」
隊長は重々しく言った。皆が隊長の言うことに耳を傾ける。
「一つは、完全に散開してみんなばらばらのところに行くという方法だ。この手段なら誰か一人が帰れる可能性が高くなる。二つ目は……今まで通り広がって一方方向に進む。帰れる可能性は落ちるが、ある程度の方向は予想がついているからそこまで下策ともいえない。それにワイヤーを見逃す確率はさがる。ただ、その方向は完全に間違っている可能性もおおいにある、ということを考えるとわからなくなってくるが」
隊長が皆を見渡す。
「選べ、誰もどっちを選んだかで文句は言わん」
二番がゆっくり手を挙げる。
「隊長、ここで我々がとるぺきは一つ目の方法です。俺たちの命より、誰かが帰ることに意味がある。隊長も最初にそう言っていたはずです。……客観的に考えて、僅かだろうと誰か一人でも帰れる目算が高い手段をとるべきだと、俺は考えます」
130 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/09/09(土) 23:09:19.49 ID:43vqk7Yd0
三番が手を挙げる。
「いいえ違います。それはあくまで僅かな可能性の上昇のためにそこまでするのは合理的ではありません。実際、適当に考えて十パーセントほどの成功確率の上昇が見込めるならそうするぺきでしょう。しかし、そうではないのなら、生き延びる人数の期待値が目に見えて高い後者の方法をとるべきです」
まったく反対の、しかし状況をうまく分析した意見がでた。どちらを選ぶべきか、その答えは明確だ。組織のために、ここにいる人たちは地表の探索に来た。命を捨てる覚悟はできている。
しかし……。
「おまえたち、本気か?」
隊長と卓也はは静観し、残りの隊員たちが選択をする。二番を除いて、みな後者の選択を選んだ。
「俺たちは私情のためにきたんじゃないんだぞ……? 俺たちのために人が死んでいる。なのに、お前たちはそうするのか?」
二番の言葉を隊長が制止する。
「二番、決まったことだ。一度決めた約束事は覆せない。こんなところで決められた約束事は法と一緒だ。一度破れば取り返しがつかない。諦めろ」
「……! わかってますよ、それぐらい……」
誰しも、命を積極的に捨てたくはない。確かに、みんな覚悟はしていたのだろう。
だが、選択肢としてそれが吊るされたなら……?
彼らは自殺願望者ではない。あくまで地表という未知のために狂った冒険家だ。可能ならば死にたくないに決まっている。
きっと……彼女のことがなければ僕は前者の選択肢を選んでいただろう。重んじなければいけないものがある以上、二番の言う通り、私情の一切を捨てなければならない。それが僕の生き方だからだ。まあ、彼女のことがなければここにはいないだろうが。
「進もう」と隊長が宣言する。
そして何時間もの時間がたった。ワイヤーも、出発地点も、見つからなかった。真っすぐ帰れているのならもうとっくについているはずだった。
何度か方向を変えたり、そういうことをし始めるようになる。
こんな道、来るときは通っただろうか、と思う。
足場が悪い。進みずらい。でこぼこしていて、足を取られる。
最初に来るときは終始違和感を感じていて、それどころではなかったのかもしれない。だが今思えば、ところどころにこのような歩きにくい場所があったのなら、僕たちは最初から真っすぐ進めていなかったのかもしれない。
さらに時間は過ぎていく。トカゲを見る頻度が多くなった。蛇のような生物もなんどか確認している。
皆、それに大した反応はしなかった。一応警戒するだけだ。
気力などとうにない。だが生き延びなければならない。その一心で足を動かした。
きっとみんな気付いている。どうせ今していることは無意味だ。どうせこのまま死ぬ。もう未来も希望もない。
そして僕らが地上に上がって二日半、体調の不調を訴えるものが出始めた。
「この防護服は三日持つ、との話だったが」
ぽつりと、隊長が呟く。
もともと不確定要素が多い探索だった。起きても仕方がないハプニングともいえる。一番と三番は見るからに顔色が悪い。
「歩け、でないとおいていく」と厳しく隊長は言う。
誰もそれを咎めなかった。そうするほか、ないのだから。
不調の者も体を引きずって、追いかける。最初に脱落したのは三番だった。
「……おいていかないでください」
誰も返事をしない。卓也が僕を見た。なんとかしてやりたいと、きっと思っている。しかしその後、彼は首を振る。諦めなければならないと自分で理解したのだろう。卓也は現実が見えていないわけではない。
三番が一番を見る。一番は顔をそらした。
「進もう」と隊長が言う。
五人の集団が砂漠を渡っていく――。
131 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/09(土) 23:09:45.02 ID:43vqk7Yd0
◇
また一人、脱落者が現れた。一番だ。彼はなにも言わない。まるで三番をおいていったのを悔いているかのように。
「行ってください」と一番は言う。彼は一番がいたであろうところを見つめていた。
「早くしてくださいよ。泣き叫びたくなりますから」
「……すまない」
隊長がなにかをこらえるかのようにそう言った。
誰もうしろを振り返らなかった。
132 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/09(土) 23:10:17.16 ID:43vqk7Yd0
◇
次に膝をついたのは隊長だった。
肩で担ごうとする二番を隊長自身が止める。
「ばかが!」
血を吐くような怒鳴り声。それでも二番はおろそうとしなかった。
強引に隊長が二番から離れる。どさり、と人間が砂の上に倒れる。
「……これ以上近づいてみろ」
隊長がナイフを取り出す。それを二番に向けた。
「殺してやる」
はったりだとわかっていた。これ以上自分にかまうなと、そのためにこんなことをしていると、みんなわかっていた。きっと二番が近づいても隊長はこけおどしにナイフを振るだけだろう。それでも……。
「……わかりました」
二番が引き下がる。何かをこらえるような表情。
隊長がここまでして遠ざけた。へたな悪役になってまで、そんなばかみたいなことまでして。
その意志を踏みにじるわけにはいかなかった。決してそれは、許されないことだった。
「それでいい」
満足気にそう言う声が聞こえる。
僕らはまた前に進む。
人が死んでいる。
なにもできずに、死んでいく。
「斉藤さんは俺に俺が泣いているときグミをくれたんだ、大丈夫か?って」
二番は誰にしゃべりかけているわけでもない。卓也のほうも、僕のほうも、向いていない。
「嬉しかったんだ。些細なことだけども。でもきっと……隊長は俺のことを覚えていないんだろうな……」
彼の言葉は誰かのためのものではなかった。何の意味もない、誰かが救われるわけではない、そういう類のものだった。
彼がしているのは独白だ。
◇
133 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/09(土) 23:20:05.01 ID:43vqk7Yd0
>>122
助かります
134 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/10(日) 21:41:24.26 ID:02n9Gv6p0
◇
「仮説を立ててみた」
二番が突然そう言った。卓也と僕は顔を見合わせる。
「どうしたんです?」
「なにかわかったんですか?」
「いや」と二番は言った。
ただこうも言った。「死ぬ順番がわかった」と。
「魔力が低い奴から死んでるんだ。ただの予想だし、裏付けはない。俺の魔力が平均よりだいぶ高いからそう思っただけで、ほかのやつらの魔力の程度は知らないけど」
ずっと考えていたんだ。どうして俺はまだ生きてるのかって。
「考えていたんだ。人が魔法を使えて、そしてなぜその力で都市を守れるのかって。きっと魔力が高くなって、魔素への親和度が高くなったとき、人は地上に戻れるんだ。完全な別種として生まれ変わってようやく、人類は元いた場所に帰る。……すまない、馬鹿なこと言った。忘れてくれ」
二番は口をつぐむ。
「祐樹さん……」
卓也が不安げな声をあげる。二番の予想が事実なら、卓也よりも僕が先に死ぬ。
「どうしようもないよ」
「でも……」
「僕らはやれることをやるだけだ」
「……」
実際、その程度しかできないし、それ以外にやることもない。
ごほ、とせき込む音がする。その主は二番で、彼は口から血を流していた。
「……ここで終わりみたいだな」
ははは、と彼は笑う。それが虚空へ消えていく。
「いけよ。誰かはたどり着いてくれ」
「……必ず」
誰かを見捨てること。それに慣れてしまったのかもしれない。悲しみは感じなかった。できもしないことを約束し、それでも進まなくてはならないという状況が、今の現実だった。
前に進もうと一歩、踏み出す。少し迷って振り返る。
「あなたの魔力の数値を教えてください」
死ぬ順番。
135 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/10(日) 21:41:59.81 ID:02n9Gv6p0
「五百二だ」
その数値は、僕のものよりも、卓也のものよりも低かった。
……どうやら二番の予想は的中してそうだ。
僕はきっと、卓也よりも早く死ぬ。僕は彼に何を残せるだろうか、何をすればいいのだろうか。
「祐樹さん……」と泣きそうな声で卓也は言う。
僕はそれに振り返る。
「俺が死んでも、生きてくれる?」
「……なにを言って」
「裏の支配者、なんて存在がいるならさ、もし祐樹さんにわざわざ接触してきて、なにかしらの見込みがあるなら、ほしいのは祐樹さんだけじゃないか? ならもう、別れたほうがいい。そのほうが……」
「バカなことを言うな。そんなの非現実的だ。そもそも僕にどんな特別な要素があるんだ。僕はこんなにも普通の人間なのに」
そんなことを言うと、卓也は少し笑った。
「そうだな。バカなこと言ってごめん」
◇
136 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/10(日) 21:42:30.93 ID:02n9Gv6p0
◇
二番の予想は外れた。先に体調に影響が出たのは卓也のほうだった。僕は彼に肩を貸してやり、なんとか前に進んでいった。
彼は青い顔をして歩み続ける。できれば休憩しよう、と言ってやりたかった。だかそれが彼の命を伸ばせるものではない以上、なにも言えない。
恐怖感が押し寄せる。僕にはなんの変化もなかった。だが問題はそこじゃない。
ついに、彼女を助けるために人が死にそうなのだ。それは僕にとって、大切な人で、長い間一緒にいた人物で。
お姉さんを助けるんだろう? と言おうとするのを飲み込む。辛そうな彼をさらに追い詰めるようなことを言いたくない。それにきっと、僕が言わなくても卓也はわかっている。
……どうすればいい?
いい加減にしてくれ、と思う。なんど自分の無力感を感じればいいのだろう。もっと僕の能力が高かったら、完璧だったら。そしたら誰も死ななかったかもしれないのに。
そして気付く。もはや、僕は卓也の死を確定させてしまっているということに。諦めてしまっていると、わかってしまう。
「俺は大丈夫だよ祐樹さん」
卓也は努めて明るく言った。
僕が彼を励まさなきゃいけないのに、年長者なのに、彼は彼女の弟なのに。
突然卓也が力強く僕の肩を掴んだ。
「なあ、約束してくれ。俺が死んでも、祐樹さんは姉さんと幸せに過ごすって。それができなくても、祐樹さんは生き延びるって」
「……約束するよ。とにかく、今は前に進もう」
自分が憎くなる。また、僕はなにもできない。
遠い、遠くへと、歩く。気が滅入る。果てが見えない。
見えるのは、どこまでも似た風景だ。いつまでも同じところにいるのではないかと、錯覚しそうになる。
ごほごほ、と咳の音が聞こえる。肩にかかってるから迷惑をかけないためだろうか、卓也は僕とは反対方向に咳をした。……卓也の体調が悪くなっている。
怖い、と思った。卓也が死ぬ。僕は責任を持てない。彼女もその両親も、きっと僕を責めない。だが僕は自分を許せない。絶対に、無理だ。
ずっと考えている。なにか解決策がないかどうかを。だがそんなものはなかった。そんなことはわかっていた。だがそれでも、考え続ける。無意味で苦しい、救いようがない思考。それでもやめるわけにはいかなかった。
――人が一人死んでいったい何人助けられれば納得できる?
彼女を救うために、命を犠牲にしている。それは確実性のない賭けのチップとしての使用だ。勝率は恐ろしく低い。それでも僕はかけた。それは僕が必要だと思ったからだ。
僕はよかった。だが、できることなら卓也はその賭けをしてほしくなかった。
思い出がある。親愛の情がある。
……しかし、彼は死ぬ。それが、現実。
僕だけが、賭けをするべきだと思っていた。
◇
137 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/10(日) 21:43:06.77 ID:02n9Gv6p0
◇
どさり、と倒れる自分の体。
卓也が隣では倒れている。
強く揺り動かせば動かせば、また動いてくれるかもしれない。
でも、そんなことをしても無駄だ。
もうとっくに、彼は死んでいる。
泣き出したかった。
もうだめだと叫びたかった。
だが許されなかった。
膝をつくことはできない。
進むしかない。
約束したから。約束したから。
◇
138 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/09/11(月) 07:43:55.21 ID:qJHVkTQho
おおう……
乙
139 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/11(月) 22:54:04.90 ID:L2VEMbba0
ひどく体が重い。全身から熱が出ていく感覚。熱い、そして寒い。
……限界が近い。
それでも前に進まなければならない。人の意思を背負っているから。死んだ人間の願いを担っているから。
世の中はひどく理不尽だ。世界は周り続け、止まることを知らない。
平和のための統制。法による絶対支配。都市の致命性が理由となり、徹底的にそれらは行われた。
思えば、僕はなぜ法を勉強しようとしたんだっけか。……確か、納得できないことがあったのだ。物心がついて、いろんなことを考えられるようになった頃。その時、法が悪用されていた。『生まれながらのハンデを負うものたちを敬おう』というものだった。その法はハンデを負っている者たちへの優先権を増大させるものだ。例えば、何かの順番ごとがあった時、ハンデを負ったものたちに普通の人は前を譲らなければいけなかった。困っていたら、必ず助けなければならなかった。一見、そこまで問題ないように見える。だが問題はその法が強制を伴うものだったということだ。罰則は軽い。だが、強制だったのだ。
この法は憐みの法だった。だから、感情的に反対することが難しかった。もちろん、反論を唱えた者たちもいた。しかし、彼らは次のような言葉によって封殺される。
『彼らに同情しないのか? 私たちは彼らと比べてこんなにも恵まれているのに。分け与えることを拒むなどまるで獣のような行為だ。お前たちは人の心を持っていない』
人でなしというレッテルを貼り付け、なかば強引に、その法は建てられた。理論ではなく感情を利用した、やり方だった。一般人も反対できなかった。『お前は残酷な奴だ』など、言われたくなかったからだ。
……この法はハンデを負っている者たちの増長によって終止符が打たれた。まるで王様きどりというか、偉ぶったりし始めたのだ。これを受けて民衆の怒りに火が付く。荒れに荒れ、結局本物の王が独裁的に法を廃した。この都市でもっともまともではなかった政治だった。なにもかも、めちゃくちゃだった。
それを見て僕は、法は強い力を持つからこそ、正しく使われなければならない、と思ったのだ。感情が世の中を動かすなどあってはならない。必要なのは整然とした理論と、謙虚で自分が間違っているかもしれない、という意識を持ちながらの運行だ。だから、僕は法の番人になろうとした。
気付けば地面に倒れていた。さらさらとした砂の感覚。嘘みたいに晴れやかな空。
立ち上がる。前に進まなくてはならない。
視界が歪んでいる。まるで現実感がない。
塔が見える。高い、天まで突くような、塔。
足から力が抜けた。砂の味がする。
かろうじてまだ判断能力は生きていた。目の前の塔に向かわなくてはならない。そこが出発地点でなかったとしても、一度、体を休めなくてはならない。
すでに日にちの感覚はなかった。卓也が死んで、どれぐらいたったのだろう。
数時間? 一日? 一か月?
どれも同じこと。
重要なのは今、体は魔素に侵されていて、さらに疲れ切っているということだ。帰り道がどこか見当もつかない。
140 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/11(月) 22:54:58.71 ID:L2VEMbba0
……ここで死ぬのだろうか?
141 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/11(月) 22:55:33.91 ID:L2VEMbba0
なにもできていない、成せていない。現実的になにかをするのは無理だ。帰れたところでじき、力尽きる。決して彼女を救えない。なのに……僕はなにをやっているんだろう?
徒労であることは理解していた。卓也に言った言葉はただの嘘だと、自分が一番よく分かっている。
「でも、人が死んだんだ」
一人、呟く。聴衆は自分のみで、誰も答えてはくれない。
「……それがどうしたっていうんだろう」
人が死んだ。確かにそうだ。だがそんなものは世の中に溢れている。意味もなく転がる死体。しっぽのちぎれた猫。翼が折れて飛べなくなった鳥の亡骸。
踏みにじられた蟻。汲み取られなかった意思。悔しさと失望の慟哭。
すべてすべて、それらはなにかを変える力を持たない。
「大切な人、だったんだ」
それがなんになる? 怒りや失望、嘆きと呪詛。感情が世の中のあり方を変えられるわけではない。常に世の中の変革は、理性と世情の方向によって任される。感情がなにかを救うなら、とっくに世界は、幸せで溢れている。
次に目を覚ましたのはやや硬い土の上だった。
背後に砂漠が見える。塔が近い。あと、数時間もすれば着きそうだ。
だが指一本すらも動かなかった。それは疲労、魔素による浸食が重なり、生み出している現象だ。
――体が熱い。
それでも前に進まなければ。そう強く念じた。
しかし、動けなかった。もう意思でどうにかなる段階を過ぎていた。
もういいや、と思う。ここまでこれただけでもまともじゃない。真っ逆さまに落ちていく崖に向かい続けて、正気を保っているだけましだ。むしろ僕は、ほめたたえられるべきだ。
そんな思いも次には否定が襲う。
だが、結果は出せていない。努力でなにかが救われるわけではない。結局、してきたことすべては無意味だ。
僕はゆっくり目を閉じる。
何も見えなかった。何もできなかった。
苦痛に喘いでいたのが、少し楽になった気がした。
――約束してくれ。
そんな声が、聞こえる気がする。
――気付けば僕は、再び立ち上がっていた。塔を見据える。
硬い、地面の感触。地面に立つ自身の脚。
ところどころに緑が見えた。小さく咲いた花。剥き出しの根。
なにかがかわっている。変化している。そのことになにかを期待しながら進み続ける。一歩一歩、進んでいく。風が吹く。生ぬるい、風。
防護服は一部一部が破れていた。だがそれでも、多少は僕の命を繋いでいるのだろう。
塔を目指して、ひたすら進む。
遠ざかっているような、近づいているような、奇妙な感覚。
おかしい、と思った。まともに足が動いていないのかもしれない。
そう思って自分の足を見たけれど、それはしっかりと役割を果たしていた。交互に繰り返される歩み。そして……。
ぞっとする。そんなばかな、と言いたくなる。
叫びたかった。だがそんな機能はとっくに喉にはないようで、音はでない。そもそも口が開いているのかも怪しい。
塔には近づけなかった。僕が狂っていて、幻覚を見ているのだろうか? 無理やり足を動かす理由をつくるために、だからこんなものが見えるのだろうか?
違う、と思った。塔は確かにある。そこにあるのにそこにはない、矛盾した感覚。強い存在感と空白。気付いた。ある、と確信しているのはやはり己の感覚で、そんなものは地表に出た時点でおかしかったのだと。
142 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/11(月) 22:57:47.76 ID:L2VEMbba0
――こみ上げる感情がある。
強引に周囲の草をちぎって投げた。それは風にのって漂い……ある地点で消えた。とうとう、狂ってしまったのだろうか? 発狂は当人自覚なしに行われる。なにかを根拠に正気の証明をしようとも、その『なにか』が正しい根拠がない。
草が消えたあたりで手をかざす。そこで違和感を感じた。辺りを見渡せば踏みつけられた草があった。ここに僕以外の人間はいないだろう。そう考えると、やはり。
だがこれも根拠がない。自分が正しい、証拠がない。
息が苦しい。胸を手で押さえる。
――ああ、
体中の感覚がない。
――なぜこんなに暗いんだろう。
僅かに頭を持ち上げれば地面があった。口の中には砂の味。
――限界だ。
頭の中で誰かが呼んでいる。なにかを言っている。それは『信じてる』と言っていた。
――ごめん。
なにを信じているんだろう?
ゆっくりと失われている感覚。最後の最後で、僕は何かを願う。
溢れそうなぐらい感情が爆発する。
その想いは――。
◇
143 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/11(月) 22:59:03.51 ID:L2VEMbba0
◇
◇
世界はあまりにも優しくない。本当なら世界全体が幸福で満ち溢れているぺきだ。しかし、現実はそうではない。
――耳を傾ければ、誰かが苦痛に喘ぐ声が聞こえる。なにかを呪っている。泣いている。無力さを憎んでいる。
誰かが赤の他人を助けようとした。しかし、誤ってそれは赤の他人を追い詰めてしまった。そして人が死んだ。そいつは誰からも責められた。
余計なことをするから。おまえのせいだ。僕なんか、生まれなければよかった。
助けようとしていただけだった。しかし、失敗した。現に結果は最悪で終わっている。弁明は言い訳に聞こえ、人に嫌悪感を抱かせる。
泣きながら身を投げた。こんなはずじゃかったと。
144 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/11(月) 23:00:04.08 ID:L2VEMbba0
私は弱った小鳥を拾いました。その子は放っておけば、間違いなく死んでしまうような状況でした。だから私はその子を手当てして、元気になったあとにまた逃がしたんです。それから三日たってカラスが集まっているのを見ました。不審に思って近づいてみると、カラスは一斉に飛び立ちます。そこにはぼろのように横たわった、『なにか』がありました。それには見覚えがある傷があって、目の前が真っ暗になりました。私はそれを拾ってこの前と同じように助けようとして……。私の手の中にいる小さな生き物は、家に着く前に冷たくなっていました。私は泣きながらお墓を作ります。そして、こう思うのです。カラスに弄ばれて、苦しかっただろう、私が余計なことをしなければ、少なくともこの子は安らかに死ねていたん
だ。
145 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/11(月) 23:00:38.06 ID:L2VEMbba0
俺は子供の頃、喜んで蟻を踏み殺していた。意味もなく小さな命を潰していったんだ。大きくなって後悔した。馬鹿なことをしていたと。ずっと罪悪感があった。贖罪をしたかった。俺は正義のヒーローを目指した。俺は反省しているんだと、自分に証明したかった。いじめられているやつがいた。だから首謀者を椅子で殴りつけたんだ。そいつは耳が聞こえなくなった。皆が俺を化け物でも見るかのような目で見た。最初は周囲がおかしいと思っていた。だが大人になってからわかった。もっと取れる手段はあった。結局、俺は周囲に対する不満を怒りに任せてぶつけただけだった。過剰な正義心の、独善的な偽善者だった。俺は、謝りに行った。そいつはゴミをみる目で俺を見て、こういった。
「よかったな、これでお前は自分を許せるわけだ」
◇
146 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/11(月) 23:01:15.55 ID:L2VEMbba0
そろそろ終わります
147 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/09/12(火) 04:35:39.27 ID:Bav4t3Xko
どうなるんだこれは…
乙
148 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/12(火) 18:41:25.81 ID:bdvuTYni0
◇
『世界全体は絶対に幸福になるべきで、されどそうはならないのが現実である』
その事実を許せないものがいた。争うのが人の性、資源が足りないのが現実。人は分かり合えない。宗教、言語、思想、各々の価値観。それらが大きな壁となって、世界全体の幸福を阻む。
もっとこうすれば少なくとも世界はもっとよくなるはずだ。しかし、その『少し』をすることは難しすぎる。世界は規模が広すぎる。個人では手に負えない。誰も世界を変えられない。
民族、宗教、政治。異なる価値観によって起こる紛争、夥しい死体の群れ。それらはすべて必要のないものだった。
――そう思う白衣の男のことを誰よりも相対する男は理解していた。
白衣の男は、同じ思想の者たち、そして己を犠牲にすることによって星を呼び寄せた。星を本来の用途から別の使い方へと堕落させた。
男は白衣の男の思想を知っていた。最大の理解者だった。尊敬していた。そんな恩師ともいえる相手の表情をみると――胸が痛んだ。
――大いなる星が地表に堕ちる。
星は本来、人類への贈り物。しかし、それは人の滅亡のために利用される。もう、星は堕ちた。人の滅亡は、確定してしまった。
「私が正しい」と白衣の男が言う。
人間賛歌。肯定と肯定と肯定。人は理想の姿に生まれ変わる。普遍的な価値観は共有され、争いは最低限にしか起こらない。誰も無意味に死ぬことはない。互いが互いに権利を認め合う。そこには嘆きだって、差別だって生まれる。だが、最小限なのだ。綺麗事を限りなく現実で成功させる、現実に迎合した理想。
誰もがその理想を肯定した。「価値観の壁などの障害さえなければ可能かもしれない」と、誰もが諦めた。
相対する男は滅んでいく命を見つめていた。世界がかわるための犠牲だ、と白衣の男は言った。
男はそれに対してこう反論した。「あなたの思想はすぺてが間違っているわけではない。だが、結果が保証できないうえに行為が他人を踏みにじるものである以上、間違っている」と。
白衣の男の体の一部が、劣化した建造物のように崩れ落ちた。星を呼んだ代償が、彼の体を蝕む。
彼は目の前の男を、見つめていた。
「もうとめられやしないさ」
死んだような声音で白衣の男は言う。
男は首を振った。
「後悔、してるんですか?」
「……」
「人を何千億と殺して、それで胸が苦しみを訴えて、それなのになんでこんなことをしたんですか」
「私は……」
世界は幸福に包まれるべきだと頑なに信じた男がいた。しかし、そうはならないのが現実だ。……許せなかった。
「罪悪感に耐えられないから、それで死のうと思ったんですか?」
白衣の男は、自分にとって恩師だった。親近感と、感謝の念を抱いてさえ、いたのに。その死を見つめなくてはならない。罪深いこの人間を、誰よりも理解していたのに。
――白衣の男の一部が崩れ落ちる。
「そうだ」
足は一本たりとも残ってはいなかった。片腕はもげていた。耳がひしゃげている。指を動かせば、それは直ちに失われた。
星が堕ちていた。苦しみの声が溢れかえる。
怨嗟の声が鳴り響く。殺せ殺せと泣き叫ぶ。
「人が死んでいるんだ」と白衣の男が言う。
恨みの声が聞こえる。何かにはけ口を求めている。私はそのために殉じる。信じてくれないかもしれないけど、これは罪滅ぼしなんだ。全く足りていないかもしれない。けど、私にできることはこれだけなんだ。
そんなことを、言った。
149 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/12(火) 18:41:51.82 ID:bdvuTYni0
「なあ、任されてくれるかい?」
「……」
「君が人を導いてくれ。私にはその資格がない。もうことは起こってしまった。人が死んでしまった。だから……現実に迎合した理想の世界を、作ってくれ」
「……」
「君は断らない。君ならば、やれるだろう」
男には相手の感情が見えていた。自分を悪だとわかってるその感情と、それでもやらなければやらなかった、矛盾を。
――世界は絶対に救われるべきだ。そう唱えた奴が、世界の人間を殺しつくした。
やりたくなかった。そしてなにより、誰かの悲鳴を聞きたくなかった。他人の苦痛の声は自分にとっても苦痛だった。
男は白衣の男の手を握る。それに白衣の男は救われたような顔をした。
男はそれを見据える。目の前の者は償い切れない罪を犯した。だが、それでも――。
脳裏に浮かぶのは理想を語ってた白衣の男の姿だ。彼は本気でその理想が正しいと信じ、また、叶わないことを知っていた。
「あなたは許されるぺきじゃない。でも、周りが何と言おうと、僕はあなたの気持ちを知っている。苦悩を、悲しみを知っている。僕はあなたを助けません。でも、こぼれ落ちたその罪を、僕が背負います」
焼き尽くし、根絶やしを広める緑の炎。分散され、空気に散っていく、人を殺す魔素。
「ありがとう」
許しを乞い、求める声。
「ありがとう……」
命の鼓動が止まっていく。
男はたったひとりで辺りを見渡す。
できる限り理想に近い、そんな世界を作らなければならない。
死んでいく者たちを見ながら、そう思った。
それが、これからの生涯の使命だった。
◇
150 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/12(火) 18:42:18.45 ID:bdvuTYni0
◇
彼女のことを考える。楽しかった時の思い出。些細な苦労と、乗り越えた時の喜び。それらすべては、僕にとって大切な宝もので。
「君は死ぬのかい?」
――声が聞こえる。
「大切な人を置いて、諦めて、死ぬのかい? 君は言っていたはずだ。『彼女』が生き続ける限り、自分も生き続けたい、と。そんなばかばかしいことを、言ったはずだ」
無理だ、と思った。もうなにもかも限界で、擦り切れていて、人としての領分を超えている。
――誰かの声が聞こえる。
若い声。僕の知っている、大切な人の。死んでしまった、願いの籠った意思。
『約束してくれ』
――目を覚ます。
「は……あ、はあ、はあ……」
何も見えない空間。最初にそう思った。しかし、目の前にぼんやりと人影が現れた。僕はこいつを――知っている?
たぶん前は、顔が見えなかった。しかし、今は見える。
冷酷な顔だった。なんら感情をたたえていない、まるで機械のような、人間ではないような、そんな表情。
彼は僕の方を見て微笑む。途端に雰囲気がかわった。人を安心させるような、自然とそう思ってしまう表情。彼が微笑むのを止めれば、また感情をたたえていない表情に戻った。
「大丈夫かい?」
「ここは……?」
「どこだと思う?」
止まっていた頭を動かす。僕は砂漠で力尽きたはずだ。最後に見た光景は、開いていく扉と、視界に指す光。そびえたつ塔。
「賢……者……?」
確かめるように、その言葉を喉に上らせる。
151 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/12(火) 18:42:56.10 ID:bdvuTYni0
「そんな大層なものではないけど、記号として僕は『賢者』と呼ばれているね」
賢者の塔の伝説。星が堕ちて、人類は壊滅した。だが一部の人間は生き延びている。なぜだろう? それはきっと、誰かが先を見据えて人が生き残る手段を講じたからだ。ああ、未来を知る賢者様は我らを救いたもうた。
おとぎ話にでも迷い込んだような感覚。現実感が麻痺していく。でも……つまりは彼が、都市を支配する裏の支配者、ということで……いいのか?
「どうして僕は、ここにいるんです?」
「いちおう、君の頭の中に答えは入ってるよ。でも突拍子もないから教えておくと……魂の成長と、魔素の適合のおかげかな」
魂? 魔素の適合?
「最初に僕と会った時に唾をつけたおかげだよ。特別や偶然でもなく、必然でここに君はいる。僕はあの日の君の答えを気に入っているんだ」
「なにが……なんだか……」
まるで、わからない。
「そんなことは重要じゃないんだ。大事なのは君がどういう選択をするか、ということだ」
「選択……?」
「ほら、わざわざ選択肢を表示するほど僕は優しくない。なにを思うか。なにをしたいか、そして僕に何をいうかを、君自身が選択するんだよ」
……選択。
たったひとつの、当たり前に優先するべきことがあった。そしてそれは彼にどう思わせるだろうか。それすらも選択なのだろう。そういうことを、求められている。
「僕は彼女を助けたい」
「ふむ、いいんじゃないかな? それで?」
彼は、目の前の賢者は部外者でしかない。僕がなにかをしたいと言った。だが、賢者は「それで?」と答えた。関係がないという立場であると、お前がなにをしようと勝手だと、そう意思を示した。
「力を借りたい」
「なんで僕がそんなことをする必要があるのかな?」
そうだ。彼は関係がないのなら、メリットが、見返りがなければなにもしない。「助けてください」で助けてくれるほど、そもそも世界が甘くない。
また、賭けだ。でも、やるしかない。根拠はいくつかある。それがどれぐらいあっているのかはわからない。希望を見たいからひねり出した願望でしかないのかもしれない。
……いいや、どれか一部は当たっている。その、自信がある。
「僕が……あなたに協力します」
「そんな価値が君にあるのかい?」
「わかりません。しかし、僕はあなたが彼女を助けるために協力をしないのなら僕はあなたの言うことを一切聞きません。なにもかも、絶対に」
彼が僕を生かした。そして……彼は、僕に以前、都市の中で出会っている。そして、現にここにいる。
結果論だ。結果論ではあるが……僕にはなにかしらの価値がある。そこは、間違いないはずだ。
確証があるわけではない。他の可能性などいくらでもあり得る。しかし、僕自身に価値がなければ彼女を助けることはできない。価値がなくとも、僕だけは助かるのかもしれない。だからこれは……。
「ははは、考えてることがわかるよ。僕が言った言葉だ。さて、なんと言ったんだったかな?」
「……消去法的選択」
152 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/12(火) 18:43:24.17 ID:bdvuTYni0
「そんな大層なものではないけど、記号として僕は『賢者』と呼ばれているね」
賢者の塔の伝説。星が堕ちて、人類は壊滅した。だが一部の人間は生き延びている。なぜだろう? それはきっと、誰かが先を見据えて人が生き残る手段を講じたからだ。ああ、未来を知る賢者様は我らを救いたもうた。
おとぎ話にでも迷い込んだような感覚。現実感が麻痺していく。でも……つまりは彼が、都市を支配する裏の支配者、ということで……いいのか?
「どうして僕は、ここにいるんです?」
「いちおう、君の頭の中に答えは入ってるよ。でも突拍子もないから教えておくと……魂の成長と、魔素の適合のおかげかな」
魂? 魔素の適合?
「最初に僕と会った時に唾をつけたおかげだよ。特別や偶然でもなく、必然でここに君はいる。僕はあの日の君の答えを気に入っているんだ」
「なにが……なんだか……」
まるで、わからない。
「そんなことは重要じゃないんだ。大事なのは君がどういう選択をするか、ということだ」
「選択……?」
「ほら、わざわざ選択肢を表示するほど僕は優しくない。なにを思うか。なにをしたいか、そして僕に何をいうかを、君自身が選択するんだよ」
……選択。
たったひとつの、当たり前に優先するべきことがあった。そしてそれは彼にどう思わせるだろうか。それすらも選択なのだろう。そういうことを、求められている。
「僕は彼女を助けたい」
「ふむ、いいんじゃないかな? それで?」
彼は、目の前の賢者は部外者でしかない。僕がなにかをしたいと言った。だが、賢者は「それで?」と答えた。関係がないという立場であると、お前がなにをしようと勝手だと、そう意思を示した。
「力を借りたい」
「なんで僕がそんなことをする必要があるのかな?」
そうだ。彼は関係がないのなら、メリットが、見返りがなければなにもしない。「助けてください」で助けてくれるほど、そもそも世界が甘くない。
また、賭けだ。でも、やるしかない。根拠はいくつかある。それがどれぐらいあっているのかはわからない。希望を見たいからひねり出した願望でしかないのかもしれない。
……いいや、どれか一部は当たっている。その、自信がある。
「僕が……あなたに協力します」
「そんな価値が君にあるのかい?」
「わかりません。しかし、僕はあなたが彼女を助けるために協力をしないのなら僕はあなたの言うことを一切聞きません。なにもかも、絶対に」
彼が僕を生かした。そして……彼は、僕に以前、都市の中で出会っている。そして、現にここにいる。
結果論だ。結果論ではあるが……僕にはなにかしらの価値がある。そこは、間違いないはずだ。
確証があるわけではない。他の可能性などいくらでもあり得る。しかし、僕自身に価値がなければ彼女を助けることはできない。価値がなくとも、僕だけは助かるのかもしれない。だからこれは……。
「ははは、考えてることがわかるよ。僕が言った言葉だ。さて、なんと言ったんだったかな?」
「……消去法的選択」
153 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/12(火) 18:44:22.50 ID:bdvuTYni0
「後継者はいますか?」
「……傲慢だね。頭はちゃんと働いているのかな? そんな価値、君にあるのかい?」
「……たぶん」
ははは! と彼は笑った。それに驚く。
だが意外なことに、それは辛辣さといったバカにしたものは含まれず、単純におかしいというものしか伝わってこない、そういった笑いだった。
「ここまで強気にきて自分の価値は信じられないわけだ? まあ、そういう人間だもんね、君は」
「……何もかも知ってるみたいに言うんですね」
「でもこうなんじゃないかと、君は予想してたんじゃないのかい?」
こくり、と僕は頷く。
最初に会ったとき、彼は僕のことを見通すかのような喋り方をした。彼が僕のことをなにかしら知っていても不思議はない。
「後継者、ね。そういう存在は欲しいね、たしかに。まあ、そういうつもりで近づいたんだけど」
しかし、と彼は言う。
「ほんとうに君なんかでいいのかな?」
「ここまで来れる人間はそこまでいないんじゃないんでしょうか? 結果はでていますよ、一応」
「そんなものは求めていない。能力なんて必要ない。僕が求めているのはただひとつ。ふさわしい思考を持つかというだけだ」
瞳の奥を覗きこまれる。
「いいよ、力を貸してあげるよ。でももう一つ言っておくことがある」
指さす方向には僕がいる。
「君はもうそういうことができる存在だ」
「……え?」
「魂の成長と、魔素の適合が起きたんだ。まあ、それは最初にあった時にそうなるように僕が仕込んだからだけど。それでも普通なら無理だ。君の魂は本当に特殊な形だったんだよ。魔素に向き合えるだけの魂に成長したキーはこれだ。
154 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/12(火) 18:44:57.23 ID:bdvuTYni0
「『世界は絶対救われるべきだが、救われないのが現実。完璧な人になりたかった。人の善意は、少なくとも悪いものじゃない』」
僕の思想。そしてその答え。
「ほんとうに?」
――暗い空間になにかがなだれ込む。人の……記憶。
三人の、少年、少女がいた。彼らは善意で行動をした。しかし、結果がでなかった。結果は他人を傷つけるものだった。取り返しのつかない、ひどい結果だった。
「彼らは失敗したんだ。世の中では結果がすべてだ。けれど彼らは、失敗したんだ」
静かにそういう賢者。
僕は彼の言葉にこう答える。
「誰かがそれを認めてあげるしかないんです。努力したことを。少なくとも善意は、悪いものじゃなかったと」
「確かにその通りだ。だが……それは取り返しのつかない時でも言えるのか? 人が死んでるんだ。苦しまなくてもいい奴が苦しんだんだ。耳が聞こえなくなったものは、一生不自由さが付きまとう」
人の善意は少なくとも悪いものではないかもしれない。だが、それが取り返しつかない結果を生んでしまったら?
「彼らは罰せられるぺきだ」と賢者は言った。
なにも言い返せなかった。善意のために失敗した者たちに、お前は悪くないといってやりたい。しかし、その被害者はどうなる? 僕が悪くないと言えばそれは被害者に対する冒涜だ。いいことだけを言う、偽善行為だ。終わったことだと、被害者の意思を汲み取らない悪事だ。
どちらかにつけば、どちらかを否定することになる。
それでも。
「いいえ」と僕は言う。
「なぜ?」
「現実問題として、その結果的加害者は罰せられるべきかもしれません。でも僕個人はそうしません」
「なにをするんだい?」
「僅かな救済」
いつだって、僕の答えは変わらない。
「加害者に、『お前は悪くない、しかし罰を受けるだろう、けれど僕はお前を認める』と言います。このことは被害者は知りません」
「誰に彼にもいい顔をするって?」
思わず苦笑する。嫌な言い方を、わざとしている。
「被害者への否定はなかったことになります。知らないんですから。加害者は少しだけ救われます。誰かが僅かに、そいつのことを肯定したんです。僕は卑怯なことをします。加害者には、お前悪くない、といい。被害者にはそのことを知らせないんですから。でも、それでいいんです。程度さえあれ、結果的に誰もが救われている」
「どうだろうか? それがばれるかもしれない。嘘をつきとおせる保証などどこにもない」
「そうですね。でも少なくとも、怒りの矛先は僕に向くはずです。加害者と被害者がまた争い始めることはない」
「……君は馬鹿なことを言ってる。君が怒りを代わりに受けるのか? 不条理の犠牲になって? ばかばかしいじゃないか、そんなの」
そうかもしれない。
だがそれでも、僕の答えはいつだって変わらないのだ。
世界は絶対に救われるべきで、救われないのが現実。
しかし、せめて助けようとはするべきだ。
そういう考え。
僕がこれをして殺されたりするなら……やらないかもしれない。だが恨みが向くだけだ。僕は出来る限りを現実的に可能な限り救う。時には見捨てなければならないときだってある。けれど、この考えは、きっと正しい。
「君だけが損してる。君は愚かだ」
英雄的行動に酔っている? 善意を振りまくことために狂っている?
なにかに影響されたがゆえの思考停止?
……いいや、そうではない。
155 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/12(火) 18:45:25.33 ID:bdvuTYni0
「でも僕はそれが正しいと思うんです。自分だけは、この考えを裏切れません。僕だけが僕を見る。人が報われないのをみると、夢見が悪いんですよ」
自分のためだと言い訳して。それで僕はこの考えが正しいという。
「本当なら、世界全体は救われるべきなんです。運が悪いかったから仕方ない、は嫌なんです」
僕の考えは、実に抵抗的で、しかし、もう変えられないものだ。
「ほんとに……はあ……」
賢者はため息をついた。あきれているような、ある意味感心したような。
「君みたいな人は嫌いじゃないよ」と呆れながら言う。
「損していて苦しいのは、もうわかっていることなので」
「どこまでも曲がらないね。なんていうか……効率が悪いというか、自分に無頓着というか」
僕は笑う。
僕がするのはあくまで現実的に可能な限りだ。あまりに救いようがなにものは、救わない。あまりにも自分に被害がくるなら無視する。だが心を痛める。そいつが救われますようにと、願う。
抵抗的な行動、そういうことをする。
賢者はやれやれと首を振る。
「現実主義者で理想主義者、ここに極まりって感じだ」
「そうかもしれません」
賢者が笑う。仕方ないなあ、という表情。
「君を認めるよ。ただ、勘違いしないように。別にこの思想は君だけが持っているわけじゃない」
「わかってますよ。僕は特別なんかじゃない。むしろ、考え方は一般的な人のものに近い」
「ある意味、ラッキーで選ばれたってことだ。まあ、君の大切な人が犠牲にならなければ僕は君を選ばなかっただろうから、不幸の上で成り立つことでもあるんだけど」
なにかを乗り越えた人間、そういった者でないと、この位置は任せらない。
そんなことを、賢者は言った。
依然、彼は大切な人を看取ったことがあると言っていた。
……そういうことなのかもしれない。彼が僕を選んだのは、彼女が僕のそばにいたから。おそらく、彼と似たような境遇になりかけている僕が、信用できるような気がしたからだ。
他にも変わりはいた。でも、強いて言うなら……その役目は、僕でいいと判断したのだ。
「頑張ってね。『彼女』、とやらを救うために。わかってると思うけど『彼女』を救うというのは他に犠牲者を生み出すということだ。君が彼らを間接的に殺すんだ」
超然とした口調。やはりというか、命の数をそこまで重要視するタイプではないらしい。あるいはそこはもう擦り切れたのか、なんのなのか。僕にとっては有利な状況ではある。もやもやしたものは残るけども。
「……わかってます。それでも、やらなきゃいけないんです」
僕を射貫くように見つめる目。しかし彼は、僕を認めていた。肯定していた。
「実は君に魂の成長と、魔素の適合が起きたている。まあ、それは最初にあった時にそうなるように僕が仕込んだからなんだけどね。それでも普通なら無理だ。君の魂は本当に特殊な形だったんだよ。魔素に向き合えるだけの魂に成長したのは、君が苦しんであがこうとしたからだ」
「そんなことで?」
「大事なことだよ。まあ、君は僕みたいなことができる。時間は限定的だけど、ここに帰ってくるまでの時間は続くだろう」
暗い空間が破れていく。辺りは無の領域へ。
「いってらっしゃい」と言う声がする。
ごめんよ、と胸の中で、彼女の代わりになる犠牲者に言う。誰にも届かない声だった。彼女を救うという僕のエゴで、彼らを殺すことになる。それでも思い出があったから。彼女が狂おしいほどに大切だったから。
『姉さんを救ってくれ』と卓也は言った。どうあがいたってやることはひとつだ。
だからといって僕の行動が許されるわけではない。それを痛いほどに肝に銘じる。僕は罪を背負っている。
どうしてもそのことは気がかりだった。だがどうすることもできなかった。
だが、それが現実だ。
だから「ごめん」と僕は言う。誰にも届かない。許されるわけではない。それでも、僕は謝り続ける。そういうものだった。
――視界が開ける。
156 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/12(火) 18:46:50.27 ID:bdvuTYni0
◇
目を開ければそこは見覚えのある場所だった。いままで過ごしていた、組織の建物の中。賢者がなにかをしたのかもしれない。
――人の声が聞こえる。
「もう四日だな。あの冒険狂たち、帰ってこなかったな」
「ああ」
「でも少し……安心してるんだ。接点はなかったけどあいつらだって俺たちの仲間だ。それを殺さなくて済んだと思うと……。俺って、矛盾してるよな」
「矛盾してるな。だが、気持ちはわかる」
彼らに近づいてみる。その服装で処理係だとわかった。地表探索隊が魔素に侵されて帰ってきたとき、処理を実行する者たちだ。
自分の中にあるのものを意識する。彼女を助けるためのものだ。僕は彼らに近づいていく。
処理係のひとりは怪訝そうな顔をした。だが首を振って思い直すような動作をする。
「どうした?」
「なんでもない。きっと気のせいだ」
『そこにあるのにそこにない』。矛盾した存在感。それが僕にできることだった。僕を認識できる人間はいない。僕が認識させようと思わなければ、できない。
おまけに飲み食いなしに体内器官を動かせる。魔素に適合して、僕は人間なのか、人間でないのかよくわからない存在になったようだ。
彼女を連れ出して賢者の塔に匿う。彼女は魔素に侵されたとしても進行は遅いだろう。そして塔につけば彼女は生き延びることができる。
僕はひとり、組織の中を歩いた。誰にも気付かれなかった。途中、羅門を見た。元気にやっているようだ。照はひとりで退屈そうに読書をしていた。照らしいといえば照らしい。
最後にボスのところへやって来た。僕がしているのは自己満足だ。だがこの三か月過ごした彼らを見ておこうと思った。
ボスはひとり、机と向き合って資料を眺めていた。テロに関する計画書だ。
ぴくり、と肩が動く。
「誰だ」
自分の心臓が飛び跳ねる音。
まさか、と思う。尋常ではない。まともな人間のそれではない。今の僕を認識できるなど、ありえない。
ボスは用心深く周りを見渡す。僕がいる方向も見た。だが、
「……ばかばかしい」
気付くことはなかった。
「変な気分だ」
僕は息をひそめていた。そしてボスの様子をうかがう。
「あいつが来てからだ。ほんとに、変な気分だ」
もしかしたら気付いてるのではないか? そんなことさえ思う。だが確信があったのなら、ボスは僕を見逃してはくれないだろう。ボスは、そういう人間だ。魔素の適合が僅かに起きているのだろうか? とにかく、尋常ではない。
「ばかばかしい」と彼は言う。
僕はその場からひっそりと立ち去った。
これで……ここにくることはもう、ない。
◇
157 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/12(火) 18:47:24.66 ID:bdvuTYni0
◇
目を開ければそこは見覚えのある場所だった。いままで過ごしていた、組織の建物の中。賢者がなにかをしたのかもしれない。
――人の声が聞こえる。
「もう四日だな。あの冒険狂たち、帰ってこなかったな」
「ああ」
「でも少し……安心してるんだ。接点はなかったけどあいつらだって俺たちの仲間だ。それを殺さなくて済んだと思うと……。俺って、矛盾してるよな」
「矛盾してるな。だが、気持ちはわかる」
彼らに近づいてみる。その服装で処理係だとわかった。地表探索隊が魔素に侵されて帰ってきたとき、処理を実行する者たちだ。
自分の中にあるのものを意識する。彼女を助けるためのものだ。僕は彼らに近づいていく。
処理係のひとりは怪訝そうな顔をした。だが首を振って思い直すような動作をする。
「どうした?」
「なんでもない。きっと気のせいだ」
そこにあるのに、、、、、、、そこにない、、、、、。矛盾した存在感。それが僕にできることだった。僕を認識できる人間はいない。僕が認識させようと思わなければ、できない。
おまけに飲み食いなしに体内器官を動かせる。魔素に適合して、僕は人間なのか、人間でないのかよくわからない存在になったようだ。
彼女を連れ出して賢者の塔に匿う。彼女は魔素に侵されたとしても進行は遅いだろう。そして塔につけば彼女は生き延びることができる。
僕はひとり、組織の中を歩いた。誰にも気付かれなかった。途中、羅門を見た。元気にやっているようだ。照はひとりで退屈そうに読書をしていた。照らしいといえば照らしい。
最後にボスのところへやって来た。僕がしているのは自己満足だ。だがこの三か月過ごした彼らを見ておこうと思った。
ボスはひとり、机と向き合って資料を眺めていた。テロに関する計画書だ。
ぴくり、と肩が動く。
「誰だ」
自分の心臓が飛び跳ねる音。
まさか、と思う。尋常ではない。まともな人間のそれではない。今の僕を認識できるなど、ありえない。
ボスは用心深く周りを見渡す。僕がいる方向も見た。だが、
「……ばかばかしい」
気付くことはなかった。
「変な気分だ」
僕は息をひそめていた。そしてボスの様子をうかがう。
「あいつが来てからだ。ほんとに、変な気分だ」
もしかしたら気付いてるのではないか? そんなことさえ思う。だが確信があったのなら、ボスは僕を見逃してはくれないだろう。ボスは、そういう人間だ。魔素の適合が僅かに起きているのだろうか? とにかく、尋常ではない。
「ばかばかしい」と彼は言う。
僕はその場からひっそりと立ち去った。
これで……ここにくることはもう、ない。
◇
158 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/12(火) 18:48:37.05 ID:bdvuTYni0
彼女がいる建物についた。父に一度会おうと思ったが、やめておいた。すべてが終わったら、その時は一度家に帰ろう。僕が成功したか失敗したかどうかは、僕がみせしめの処刑にされるかされないかで判別できる。まずは、彼女を助けることを優先しなければ。
建物の中にはいたるところにガラスが張られていた。きっと、僕が単体で彼女を救出しようとしていれば必ず捕らえられていただろう。
今だからわかる。ガラスの反射を利用して、死角から覗くいくつかの監視カメラが見える。気付いた時には見つかってしまう。そういう仕掛け。
僕はなにものにも認識されることがない。だから、今なら突破できる。彼女のいるところへたどり着ける。
ゆっくりと歩いていく。途中、メイドや執事の恰好をした者などを見た。犠牲者はその死までは最大限の敬意を払われる。彼ら、彼女らは犠牲者へ奉仕をする者たちだろう。
誰にも気づかれずに、歩き回る。建物の中は広かった。だが探していればいつかは彼女のもとに辿りつく。扉を開けたりしても誰かに不審がられることはない。誰もがいつも通りの行動をし、異常に気づけない。
そしてその扉を見た瞬間、胸が高まった。確信した。ここにいる、と。
打ち震えた。もう何年もあっていなかったような錯覚。ようやく、辿り着いた。
僕は扉を開く。光が差す。穏やかな雰囲気と、しかし、刺すような悲痛。
◇
159 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/12(火) 18:49:08.68 ID:bdvuTYni0
「祐樹……くん?」
160 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/09/13(水) 14:04:52.99 ID:hna7WImUo
おお…
161 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/15(金) 00:44:23.78 ID:jX7ap57O0
◇
「会いた……かった」
何を言おうか、なにから話そうか。そんなことを考えていた。だが最初に出た言葉は、それだった。
「嘘……うそ……」
彼女は目に見えて動揺していた。広い部屋にぽつんと、佇む彼女。目をいっぱいに広げ、まなざしは僕へと向いている。
「迎えに来た」
「ついに幻覚を見るようになったみたい……」
彼女の手を握る。
「ここにいるよ」
「リアルな幻覚……」
冗談で言っているのか、本気で言っているのかわからない声音で、彼女はそう言った。
そして彼女は静かに泣き始めた。嘘みたいに綺麗に、彼女は涙を流した。
「どうやって……どうしてきたの……? 法が大事なんじゃないの? 社会の秩序はなによりも大切だって……」
「そうだよ。世の中に犠牲は必要だ。でも、それに逆らってでも、きみに会いたかった。……助けにきたんだ」
「……変わったね。確かにキミなのに、なんだか別人みたい」
確かに、と思う。
彼女は不思議なものを見るかのように僕をみた。そしてまるで確かめるように僕の体に触れる。こそばゆい。
「夢……みたい」
「まだ幻覚うんぬんを引っ張るの?」
「あはは、違う違う」
「それで、助けに来たんだけど」
「どうやって?」
「どうにかできるんだ、任せて」
卓也のことは伏せておいた。何もかも終わってそれにから話そうと思った。
……気が重い。でも、いずれ知らなければならないことだ。
「私ね、すっごい辛かったんだ」
「うん」
「日にちが過ぎていくにつれて自分の命の終わりを数えてるみたいで。ここの人たちはね、私が死ぬってことを示唆するの。たぶん、そうすることによって犠牲になるときの効率が上がるんだと思う。三か月で死ぬんだって、あと一か月で死ぬんだって、ずっと考えないといけなかった」
「……もう、大丈夫だから」
「キミはどうやってここに来たの? 逃げるあてはあるの?」
「賢者って人に力を借りたんだ。逃げるあてもあるよ」
「――よかったあ」
ぞくり、とさせられる。その彼女の声音は、確かに安堵からのものだった。だが、そこには。
「キミは逃げられるんだね」
「僕だけじゃない。きみも来るんだよ」
「私はいけない」
どうしてだ? それはできない。それだけは、絶対にできない。
湧き上がる焦燥感と、恐怖。必ず彼女を救わなくてはならない。
怖い、と思った。それでも平静なフリを保って僕は彼女に問う。
「なんで?」
「……私が逃げるとね、かわりに子供が死ぬの。犠牲者になれる人が少ないから、たくさん、死んじゃうの。私は犠牲者としてこれまでにないぐらいの逸材なんだって」
懸念はあった。優しすぎる彼女は、他人が犠牲になるのを許さないのではないかと。
「……関係ない。きみは生きなきゃ。そうしないと悲しむ人がいる」
「少なく見積もって、六人」
「……」
「それが私の犠牲者としての価値。まだ二人とか、三人ならよかった。でも、少なくともこれだけいる。多ければ二十人、私の代わりに死ぬ」
逃げていたのかもしれない。彼女が何を思うか。何を考えるか。それを想像しなかった。考えるのは助けに来てくれたんだと喜んでくれる彼女の笑顔ばかりで。
成功すると、確信していた。
酔っていたんだ。囚われた彼女を助ける行為は、まるで英雄のようだと。物語は幸せに包まれて終わると、根拠もなく、信じていた。
162 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/15(金) 00:44:59.67 ID:jX7ap57O0
「敬くんはね、いたずらっ子だけど、お父さんとお母さんを大切にしてた。茜ちゃんはね、好きな男の子がいるみたいで、将来の夢はお嫁さんなんだって」
政府の嘘かもしれないじゃないか、と思う。でも……理屈めいたその思考が告げている。そんなことをする意味はない。あるがままの真実を見せたのだと。
該当する知識がある。いつのまにか理解していた、魂と犠牲のメカニズム。魔素に適合したから得た、感覚。正しく犠牲になれる人はこの都市で……彼女しかいない。そしてもうひとつ、気付いたことがあった。それは……。
「海くんはね、将来――」
「――聞きたくない!」
動悸がする。自分を殺すかのように脈打つ心臓。
少なくとも犠牲者の不足について、政府は嘘は言っていない。
彼女を直接見てようやく、魂と犠牲のメカニズムを理解できた。彼女のその巨大な魂の波動。ありえないぐらい人間離れした魔力。もっとはやく気付ければ、なにかできたかもしれないのに。なんでこうも、世の中はうまくいかない。
なにがなんでも説得しなくちゃいけない。でも……どうやって? 成功の未来が、なぜこんなにも見えないんだ?
予感がある。直感めいた、結論を示唆する記憶の渦。きっと、本当は理由を、わかっている。
「自分を大切にしてくれ、自分を優先してくれ……! お願いだ、ずっと言ってたじゃないか。他人を助けるのは自分に被害が及ばない範囲だって。きみが死んだら、誰かを救えたって……意味がないじゃないか!」
吐き気がするほどの恐怖感。うっすらとわかっている。きっと僕は、どうやったって彼女を救えない。
「最近、人の悲鳴が聞こえるの」
誰かを恨む声、哀願し、救いを求める声。
「わかるの。人が死んだ未来が。助けてほしいって、何人もの声が重なってるの」
私はその声の持ち主を知っている。
「私は犠牲者の候補に直接会わせてもらった。ここではどんなことだって教えてもらえた。願えば可能な限りが叶った。私は私が犠牲なることによってどれだけ救われるか、私がいなかったらどれだけが死んでいたか、教えてもらった。私は、自分が死ぬ意味を知りたかったから。生きてきた意味を、知りたかったから」
「……」
認めるわけにはいかなかった。
今までしてきたことの意味。卓也が死んだこと。
僕だって、もう元の生活には戻れない。
今更、彼女を諦める? そんなの、絶対に無理だ。絶対に、絶対に。
それをするなら死んだほうがましだ。彼女が死ぬことを、許容できない。
許すわけにはいかない。僕はすべてをかけて、ここまできたんだ。
「卓也が死んだんだ」
吐き気がする。むせかえるような感覚。
163 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/15(金) 00:45:42.04 ID:jX7ap57O0
彼女は絶句していた。弟が死んだという事実に、衝撃を受けていた。
「……今更、戻れない。卓也が死んだんだ。僕もここまでくるのに犠牲にしたものがあった、なのに、それら全部を無視して、きみはここに残るの?」
もう止められなかった。
「それは困る。苦しかったんだ。なのに僕の気持ちはどうなるんだ。命だって懸けた。死にかけた。……卓也は、僕の目の前で死んだんだ!」
彼女の、泣き崩れる表情。そして……それで……。
今、気付いた。
自分がなにをしたのか、なにを言ったのか。
卓也と自分をだしに、言うことを聞かせようとした。理屈ではなく、愚かにも感情に訴えて。
優しい彼女の性格を利用しようとした。こんな言い方をすれば、傷つくって、わかっていたのに。
――嫌悪感。
馬鹿なことをした。もっとやりかたがあったのに、僕は最悪をした。
そして、もっと最悪なことは……。
「ごめんね」
そう、それでも彼女は。
「私は、いけない」
――決断は変わらない。
人が死ぬから。何人も何人も、彼女が逃げれば、死んでしまうから。
そいつらは顔のない人物ではない。彼女が自分で確かめて、知った、無関係ではない人間。
僕がしたことは無為に彼女を傷つけただけだった。
完璧を目指していた。失敗したくなかった。
なのに、最後の最後に、最悪を犯した。自分が許せなくなった。猛烈な自己嫌悪。
「嫌だよ」
それでも彼女には生きてほしい。
僕を選んでくれ。他人なんて気にしないでくれ。
お願いだ。
……お願いだ。
「来てくれよ。お願いだ。きみがいないと、生きてる意味がない……」
まだ、縋って。
それでも彼女は首を振った。そして同じ言葉を繰り返す。
「私はいけない」
自分が死ねば、救ったもののことなんてわからない。死ねば感覚はすべて失われる。誰かを救ったという実感は無意味だ。なのに。
彼女は他人を救うことを選んだ。他人のことを思いすぎた。
きっと原因を僕は知っている。
他人を見捨てたまま生きることはできない。それは絶対に、『自分を許せなくなる』。
164 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/15(金) 00:46:30.43 ID:jX7ap57O0
◇
――勢いよく扉が開かれる音。
とっさに振り返る。
豪華な衣服で着飾った男がいた。背後には執事とメイドが待機していた。
瞬時に誰にも認識できない状態に、なろうとする。
――できなかった、
ばかな、と思う。干渉を受けている。それをしているのは、目の前の男だった。
「誰だ」と僕は言う。
「王だ」と男は――王は短く答えた。
細められていく目。僕を見る、目。
「入口から誰にも気づかれずに来たな? 見ていたぞ。入念に周囲を観察していたな」
なにが起こっているのか、理解できない。こいつは何を言っているんだ?
「なにを……」
理解したことがある。その口ぶりと容姿と、あふれる存在感を見て。こいつは明らかに、違う。まともな人間じゃない。僕と同じだ。こいつは魔素と適合している。
全て知られていた。口ぶりから僕が入った時点で、こいつは僕を見つけていた。
てのひらの中だ。泳がされていた、遊ばれていた。
「賢者……あの神を気取るやつに、会ったんだろう?」
賢者を知っている。それどころか、敵対的な感情を抱いている?
「だが無意味だ。賢者のたくらみなど、上から指図するだけのやつの計画など、知ったことか」
王はまるで宣言するかのように、そう言った。
殺される、と思った。僕はこいつの前だと普通の人間と変わりない。逃げきれない。見せしめに殺されて、彼女は犠牲で死ぬ。
不自然な感覚があった。本来なら今すぐにでも、指示をして僕をとらえればいいはずだった。なのに王はそうしない。ずっと僕を見ている。なにかを待っているような、僕がなにかを言うのを、望んでいるような。
――予感がある。犠牲と魂のメカニズム。
成長した魂。
「動かないで!」
叫び声。
彼女の、声。
「その人を外に返して。私はちゃんと犠牲になる。でもその人を殺すなら、私はここで死んでやる」
決意を秘めた、そんな言い方。絶対に実行すると、彼女はそう言っている。
それを聞いて、胸に来るものがあった。彼女は僕をないがしろにしていたわけではなかった。僕について来てくれないのはほんとうに他の犠牲者を増やしたくないからで、僕を守るために彼女は命をかけている。
「やめてください雪様」
メイドの女が歩み出る。感情の見えない表情。
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