【艦これ】「泊地を継ぐもの」

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109 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/08(火) 23:47:17.18 ID:xy6mxyet0
「ですよね〜。私の妹もかわいくてしょうがないです!
 あっ、北上さんは兄弟とかいるのかなっ??」
 妹は突然の問いにあたふたする。
「えっ、あっ、私? 私はおにいちゃ、あ、兄がいるよー」
「北上さんってお兄ちゃんって呼ぶの!? かわいい!」
 五月雨の反応に妹は顔を赤らめる。顔を赤らめる妹は意外とかわいかった。
「ううー。五月雨ちゃんからかわないでよー」
「だってかわいいんですもん。で、北上さんのお兄ちゃんは何してるの??」
 妹は私に一瞬視線を合わせてにやつく。
「えー、兄は就活失敗して、警備会社でアルバイトしてるみたいだよー。ホントかどうかは分からないけど。
――もしかしたら、警備会社じゃなくて自宅警備員の間違いかも」
 こいつめ。やりおるな。
 妹はしてやったりみたいな表情をこちらに向ける。
 あとでお仕置きしてやろうか。
110 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/08(火) 23:48:23.99 ID:xy6mxyet0
「そ、そうなんだね。でも、お兄ちゃんとか私も欲しかったな〜」
 私がなってもいいんだよ。と言いたいところだがそれはやめておいた。
 そうこうべらべらお喋りしている裡に、ざっと6人前はあるであろうカレーができたのであった。
111 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/08(火) 23:49:22.31 ID:xy6mxyet0


 夜、私は明石中佐にカレーを届けに司令部庁舎を出て工廠に向かった。
 工廠の前に立つと、私はインターホンを押す。
 明石中佐はすぐに出てきた。
「あ、少佐ですか。こんばんは。どうされたんですか?」
「今日の夕食のカレーを届けにきた。六人前つくったんだが、なんか食べすぎたのか、一人前しか残らなかった。申し訳ない」
「いえいえ、気にしなくて大丈夫ですよ」
 そう言って、明石中佐は紙袋に入ったステンレス製の弁当箱を受け取る。

「あ、あと……、これまで考えずあの事を色々訊いてしまって、ごめんなさい!」
 私は明石中佐に頭を下げる。
「……前任司令官や事件のことを聞いたんですか」
「はい……」

 明石中佐はちょっと待っててと言い、カレーの入った紙袋を部屋に戻すと、過熱式煙草と煙草の箱を右手に工廠から出てきた。
 一緒にロシアンブルーのアカトゥルフも出てくる。
「私は大丈夫ですよ。ただ、上官から命令されていたので、話さなかっただけです」
 そう言って、煙草を過熱式煙草に刺すと、それを口に持っていった。
「でも、色々と辛い経験をされたと思う……」
「ええ、事件のあとは辛かったです。六人一気に失いましたからね」
 明石中佐は工廠の壁によりかかり、煙草を一旦口から離すとため息を吐いた。
 薄らと白い煙が口から漏れる。
 私と明石中佐の間にはアカトゥルフが座り、夜空を眺めている。
112 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/08(火) 23:50:35.97 ID:xy6mxyet0
「……身近な人がいなくなるという経験を私はまだ経験していないけれど、想像しただけで怖い……」
「そう、他人の死は寂しさや悲しさ、孤独を感じさせるだけでなく、自分の死を彷彿させるので怖いことです。
 私らが無限でないことを教えてくれるから……」
「はい、中佐が少し前にそれに遭ったと思うと居た堪れない」
「でも、艦娘というのは、轟沈した後は深海棲艦となります。
 そしてそれを轟沈させればまた人間として戻ってきますし、そう考えれば死とは違います。
 この世に存在している訳ですから。
 つまり、また、何処かで会えるかもしれませんし、前向きに捉えれば自分自身の抱える辛さは乗り越えられます」

 そして、合間を挟んで中佐は煙草を吸う。

「……そう言う訳で、轟沈というのは、結局は沈みゆく子達の方が残される者達よりもずっと辛いんですよ。
 いくら、轟沈したあと深海棲艦となって、そしてまた轟沈されて人間として戻って来たとしても、記憶が無くなってしまえば、それはもう死ぬ事と変わりないじゃないですか。
 ごく希に、深海棲艦になった時やその前の記憶を持っている艦娘がいますが、大抵の子達の記憶やこれまでの思い出は轟沈時に失われます。
 これまで積み重ねたものや記憶、思い出、そして自我や性格すべてが轟沈と共に無になるのです。
――これって、『死』と変わりありませんよね?」
113 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/08(火) 23:52:05.54 ID:xy6mxyet0
「あ、ああ」
 珍しく明石中佐は熱く隣で語っていた。
 アカトゥルフにはそれが子守唄に聞こえているらしく、中佐の足元で丸くなって寝ている。
「人が『死』を真に恐れるのは、死ぬまでの痛みや過程とかではなくて、自分自身の積み上げた全てが崩壊して無に帰すからです。轟沈も同じです。
――果たして、身体という入れ物は一緒でも、自我や記憶を失ったあとに作られる『自分』は轟沈する前の『自分』と一緒でしょうか?」
「私には分からない。が、記憶や思い出を失っては、轟沈前の自分と復活後の自分の連続性はないだろうなぁ」
「ええ、少佐の言う通りです。
 そこで人生が途切れているのですから、私には、それは一種の『死』であると思いますよ。
 そして、轟沈する子はその絶望に浸りながら沈んでゆく。
 まだ若くてやりたい事もいっぱいあると言う時期に……。
 これほどの絶望があるでしょうか。
 私はそう言う意味で、残された自分自身の辛さよりも、沈んだ子の事を思うと辛いんですよ……」

 明石中佐はうつむき加減で嘆息を吐くと、残りの煙草を吸う。
114 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/08(火) 23:53:05.67 ID:xy6mxyet0
「……中佐は仲間想いなんだな」
 それを聞いた明石中佐は煙草を口から離すと、笑わせないでくれと言うように鼻で笑った。
「私がですか? そんな事ないですよ。
 少佐も知っての通り、私は一人で行動する事が多いですし、それに、本当に仲間想いならこの事件を防げた筈です。
 仲間想いなら私が疑われるような事はない筈です……!」
「疑われる?」
 明石中佐は煙草を吸い終え、過熱式煙草から吸殻を取ると、それを携帯灰皿に入れた。
「ええ。それは疑われますよ。そりゃあ、私だけ生き残ったら、真っ先に疑われるのは私じゃないですか」
「でも、中佐は当たり前だが犯人ではなかった。アリバイがあった訳だ」
「はい。まぁ、アリバイというよりは、私は事件に関わっていないので、当然ながら事件に関する情報も出てこなかったから疑いが晴れたと言った方が正しいですがね」
「それで結局、あの事件については、全容が全く分からないと言う訳か……」
「えぇ。私がもっと司令官や艦娘と関わりを持っていれば、何があったのかもはっきりしたと思うと後悔の念が込み上げてきます……」
115 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/08(火) 23:55:20.00 ID:xy6mxyet0
 明石中佐はそう言って、煙草をもう一本吸うのかスカートのポケットに手を伸ばした。
「――中佐、この事件はここの司令官である私が必ずや解明してみせます。
 それが、この五神島泊地のあとを継ぐ私の使命と考えている――」

 私は中佐の前に立って、そう意を決した。

 中佐は煙草を取るのをやめると背中を壁から離して、小さくため息を吐く。
「少佐の気持ちは凄く嬉しいです。……が、これは少佐のする事ではありません。
 貴方はこの事件に関わった訳でもなければ、探偵でもないです。
 おそらく、柱島泊地の人事部の人間に協力を頼まれたのでしょうが……。
 まぁ、私は少佐には、この事件とは距離を置いて、しっかり司令官としての務めを果たしてもらいたいと思います」
116 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/08(火) 23:56:26.07 ID:xy6mxyet0
「中佐は事件の全容を知りたくないのか?」
「もちろん知りたいですよ。……でも、少佐の事を思えば、関わって欲しいとは思いません。
 少佐の性格からして、事件解明の途中できっとどこかで命令違反や軍規違反を起こす事になるでしょうから」
「なっ、それはどういう事だ??」
 明石中佐は私の問いに答えず背を向けると、アカトゥルフを抱いて、工廠の中へと帰っていくのであった――。
117 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 00:05:33.26 ID:hojLDG6p0

 今夜はここまでです。明日もまたニーズがあれば記しましょう。
 五月雨に栄光あれ……
118 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/08/09(水) 00:22:49.29 ID:eTC/+P63o
今から読むけど、ここで言われる「改行してくれ」ってのは
「他のSSみたいに一行ごとに余分に改行して行間を開けろ」ってことだぞ
いわゆる小説投稿サイトみたいに予め読みやすく行間開けてあるサイトじゃないからなここ
もったいないから次回からやれば読者増えると思う
119 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 00:33:34.06 ID:hojLDG6p0
なるほど、そういう事なのですね。
このSSの世界では改行とは、一行あけるということでしたか。了解です。
人生初の投稿で全く分からないものでして......。
120 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/08/09(水) 01:00:58.47 ID:L16fMuOI0
おう、いいから続きかくんだよ
121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/08/09(水) 11:21:11.15 ID:WPyICZHXO
すべての五月雨に妹がいるなら
北上にも姉妹が……?
122 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/08/09(水) 11:52:48.37 ID:knCqosGIO
ネット小説でよく見られる手法としては地の文と会話の間には一行空ける
123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/08/09(水) 12:19:50.22 ID:KHqcEHTso
この先の展開が透けて見える部分があるけど、続きはよ
124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 17:23:15.84 ID:hojLDG6p0
SS作法ありがとうです。
ではでは、本日も参ります!
125 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 17:24:16.17 ID:hojLDG6p0
***

 翌日の午前中、私は司令室で仕事をしていると、窓から見知らぬ三隻の艦娘がこちらへと向かっているのが見えた。
 
 おそらく、吹雪の遺品を回収しに来た宇和島基地の子だろう。私は、紙袋を持つと、司令室を出て、桟橋へと向かった。

「おっ、司令官じゃん。もしかして、今からそれ返しに行くの?」

 司令室を出て階段を下りようとすると、妹が私を呼び止める。

「北上も外みてたか。そうだよ。今から渡しにいくよ」

「んじゃ、私もついてくー」

 こうして、妹と一緒に桟橋に行く事になった。

 二人で桟橋に行くと、向こうも私らに気付いたらしく、白いカチューシャをつけたショートの髪の子が手を振ってくれた。
 
 他のもう一人は吹雪型の子であると分かったが、大きな籠を肩に掛けたセクシーな格好の女性は何の艦種艦名だか見当がつかなかった。

「一番のりぃぃ!」

 少しして、白いカチューシャの艦娘が桟橋ではなく、砂浜に上陸してきて勝鬨を上げたような声を出した。

「あ、君は?」

 私の問いに、白カチューシャは胸を張る。

「ふふーん。あたしの事も分からんのかい?? あたしは宇和島基地の海軍少尉、谷風さんだー!」

 これが陽炎型の艦娘か。キャラ濃いな。
126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 17:24:56.47 ID:hojLDG6p0
↑↑↑よくわからないですが、こんな感じですか??
127 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 17:26:24.54 ID:hojLDG6p0
「へぇ〜。キミが谷風ちゃんかぁ〜。面白いねぇ!」

 妹が谷風に近づいて、艤装やら格好やらを眺める。

「おぉー、あたしの事がおもしろいなんて分かってるねぇ。北上曹長は」

「あれ、私のこと知ってるの〜??」

「えー知ってるともとも! なんせあたしは、こんぐこっ!」

 谷風は頭を叩かれる。いま到着したセクシーな格好の艦娘に。

「うちの谷風が迷惑をおかけしました。今回は柱島泊地に輸送する物をお預かりしに来ました」

 おっ、おっ、近くで見ると余計セクシーじゃあないか。なんだこの側乳と腰とムチムチなふとももが見える格好は。
 
 エロい、エロすぐる。艤装の開発者の悪意を感じるぞ。

 いや、いけないのはこの子ではないか。胸にお尻に太ももと、身体が豊満すぎる。

「……? どうされましたか? 私に何かついてますか?」

「い、いや、見た事ない艦娘だなと思って」

「あ、すいません! まだわたしの事を紹介していませんでした! わたしは、宇和島基地で中尉として補給艦をしております神威と申します」
128 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 17:27:31.37 ID:hojLDG6p0
 ああ、これが神威か。いやー、アイヌ美人とはまさにこのことか。あー。

「んじゃ、あたしからは、このド田舎娘のいそなみんを紹介してあげるわ」

 谷風は神威の影に隠れていた三つ編みでツインテールの艦娘をひっぱってくると、私の前に持ってきた。人見知りなのか、とてももじもじしている。

「い、磯波です。准尉です……」

「はいはいよく出来ましたー! んで、このいそなみんは凄く地味だけど、良く見ると…………なんか襲いたくなっちゃいません?? ふごっ!!」

 またも谷風は神威に頭を叩かれた。しかし、私は思わず谷風の言われたとおり磯波を良く見てしまった。

 確かに髪型もなんか田舎っぽいし、胸も控えめで、雰囲気もかなり地味であるが、その地味さが逆に清純さを引き立たせており、とてもかわいい。偽りのない純粋なかわいさを感じた。

「……い、磯波のこと、そんなに見ないでください。恥ずかしいです……」

「あ、ああ、ごめん。で、神威さん、これが今回、預かってほしいものでして」

 私は神威に紙袋を手渡す。神威はそれを預かると、輸送先のシールを紙袋に貼った。

「了解です、確かに預かりました。それで、私たちの方からも今日は渡すものがあります」
129 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 17:28:26.53 ID:hojLDG6p0
 神威はそういうと、籠の中からA3サイズの立方体のダンボール箱を出して私に渡す。

 い、意外と重い。こんなものを宇和島からここまで持ってきてくれたのか……。

 磯波も肩かけから書類を出すと、妹にそれを渡した。

「これは、北上さんの雷巡改装用の部品と説明書が入ったものです。あとで、ここの明石さんに渡しておいて下さい」

 そうか、妹はもう軽巡洋艦から雷巡洋艦となる時期になったのか。早いものだ。

「でも、雷巡になるには、昇進試験に合格しないといけない! そんな訳で北上曹長、五日後の昇進試験はこのあたしと組むことになったから宜しくたのむよっ!」

「組むって?」

「あれー、聞いておらんのかい! 曹長から准尉の昇進試験は二対二のダブルスで、勝った方が昇進できるのさ。
 で、ペアは軽巡の場合は駆逐艦なんだけど、北上曹長のペアはあたしになった訳よ」

「なるほどねー。つまり、相手も曹長の軽巡と少尉の駆逐艦という感じ??」

「ずばりそうだっ! まぁ、あたしが見た感じ、北上曹長は勝てるよ。あたしと組むからってのもあるけどよ」

「それは心強いねー。よろしくたのむわ〜」

 妹は谷風に右手を差し出し、握手する。頑張れ、妹。兄として応援しているぞ。
130 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 17:30:10.97 ID:hojLDG6p0
***


 それから四日間は、妹と谷風は毎日宇和島と五神島の中間地点である戸島近海で猛特訓を行った。

 変人に見える谷風も訓練では真面目で面倒見がよく、妹は色々と学ぶことがあったという。

 そんな谷風が妹の昇進試験一日前の夕方に五神島まで妹と一緒にやって来た。

「たのもう! たのもう!」

 谷風は上陸するなり声を張り上げる。

「どうしたんだ、谷風」

「いやー、私が谷風ちゃんに五月雨ちゃんの事話したら是非とも戦いたいって譲らなくてさ」

「おう、そうだっ。ここの五月雨中尉とぜひとも演習させて頂きたい所存だっ」

「ああ、五月雨が許可するなら私は別によいが……」

「ありがたい! ここで待っているぞ」

 谷風はかくっと頭を下げて礼を言うと、その場に胡坐をかいて座った。こりゃあ、演習させてくれるまで帰らなそうだ。

 私は司令部庁舎に戻り、二階に上がると五月雨の部屋のドアをノックした。

「司令官だー。五月雨いるかー?」

 しかし反応はない。ここにはいないのか?? もう一回強めにドアをノックする。

「おおーい、五月雨? 寝てるのかー? 司令官だぞー」

 本当にいないのか? 私はドアノブを回し、ドアを開けようとした。

 が、開かない。いったいどこにいるんだ?

 私はスマホを取ると、五月雨に電話した。

 五月雨はすぐ出た。
131 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 17:30:54.47 ID:hojLDG6p0
「五月雨、どこにいるんだ? 宇和島基地の谷風が五月雨と演習したいってよ」

「とっ、と、トイレですっ!! 谷風ちゃんの事は分かりましたから先に行ってて下さい! あとで、工廠前で会いましょう!!」

「あっ、ああ、そうだったのか。すまなかった……。分かった。先に下に降りてるよ」

 私は通話を終えると、下に降りて、妹と谷風が待つ海岸へと向かった。

「司令、どうだった〜?」

「いまトイレにいるから、終わったらこっちに来るってよ」

「よっしゃあ! これでかつる!」

 谷風が胡坐をかきながら鼻息を荒くする。

「でも谷風ちゃん、うちの五月雨ちゃんは強いよ〜。少佐なみの強さを持つって戸島泊地の司令官さんのお墨付きだからね」

「あたしゃだって強いよ。なんせ中学の時の女子百メートル、山口県大会三位だし! 神速の谷風さんに勝てるかなっ??」

 と、五月雨が司令部から出てきて工廠に向かっていくのが見えた。
132 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 17:32:43.05 ID:hojLDG6p0
「おー、あれが五月雨中尉か、凛としておるなっ!」

 谷風は五月雨に手を振る。五月雨はそれに気付くと作ったように笑って手を振り返した。私は、五月雨の方へと駆けて行った。

「すまん、さっきはトイレ中なの知らなくて……。谷風と演習してくれるか?」

「はい、しますよっ!」

 その口調は少し怒っていた。

「ごめん、五月雨……」

 すると、彼女は私の手を引っ張って工廠裏へと連れて行った。

「もうっ、さっきので出るものも出なくなっちゃったじゃないですかっ!」

 そう声を上げて、五月雨はスカートの右ポケットからイヤーピースみたいなのを取り出す。そして、ぶんぶん振って私にめがけて投げつけた。

 当たったあと、下を見てみると、耳栓が四つ落ちていた。

「ごめんよ、まさかトイレに入ってるとこだとは思わなかった……」

 私は内心、なんでトイレ中に外から呼んだだけで怒ったのか疑問に思っていたが、これが女心を分かっていないと言う事なのだろう。

 便秘とか生理とか、女の子にはそう言う悩みがあるわけだし、ここは大人しく謝っておいた。

「もーっ、これから私を呼ぶ時はラインか電話にして下さいね! 急に部屋に来られるとびっくりします」

「は、はい……ごめんなさい……」

 こんなに怒った五月雨は初めてであった。

 申し訳ないと思いながらも、ぷんぷん怒る五月雨をかわいいと思ってしまったのは私だけの秘密である。
133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 17:33:55.17 ID:hojLDG6p0
 その後、五月雨はすたすたと工廠の中へ入り、艤装の装着をし始めた。

 私は五月雨が投げつけた耳栓四つを拾い上げる。

 耳栓を見ると、二つは「犬」、もう二つは「ねずみ」と小さくボールペンで書かれているのを確認した。

 若干耳栓の形が違うので、判別用に書いているのだろう。耳栓に名前をつけるところ、五月雨らしくてかわいいなと思った。

 それから五分ほどして艤装を装着した五月雨が出てきた。

「ほら、耳栓返すよ」

「……」

 五月雨は黙ったままそれをぎゅっと受け取ると、谷風のいる海岸へと足早に向かっていった。

「これはこれは五月雨中尉、あたしとの演習をみとめてくれて誠に有難う」

「どういたしましてですよー。谷風ちゃんの話は北上さんから聞いてたから、いつか私に演習を申し込んでくると思ったよ。私も谷風ちゃんの神速の味を拝見させてもらうね。
 で、訓練用魚雷はコストかかるから演習用の12.7センチ連装砲を各一丁でいい?」

「ええ、もちろんですとも! 砲撃戦でもあたしゃあ負けませんよっ!」

 谷風は張り切った口調で五月雨に意気込む。それを見て五月雨は笑いながら、演習用の12.7センチ連装砲一丁を谷風に渡した。

「これでかつる!」

「私もまけませんよ!」

 こうして、二人の戦いは幕を切って落とされたのである。
134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 17:36:30.81 ID:hojLDG6p0
「んでは、審判はこの五神島泊地司令少佐が行う。戦闘時間は十五分、範囲は約一海里四方とする。あと、レーダーにフィールドの座標を入れておいたから、フィールド外枠の0.2海里手前まで接近すると無線の短信音で知らせるよう設定してある。あとは何時もの演習通りである」

「……司令、漁船が近くにいますが大丈夫ですか?」

「あー、ありゃあ、大丈夫。一海里以上は離れているよ。それにあたしゃあ逃げるつもりはないからね。常に五月雨中尉の0.3海里以内で戦う覚悟よ」

「谷風ちゃん、なかなかの相手とみえるね。私もなんだか燃えてきましたっ!」

「では、演習を開始するので、それぞれの配置について欲しい」

 五月雨と谷風はそれぞれ十時と二時の方向に移動し、お互いの距離を0.3海里ほどとった所で止まった。

 そして、二人から演習開始をしてもよいと言う無線の入電を確認。

 私は無線のマイクを口に近づけた。
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 17:37:37.69 ID:hojLDG6p0
「演習開始!」

 直後、谷風は五月雨に向かって疾風の如く突っ込んでいった。

 そして、谷風は有無を言わず神速の突撃を加えながら連装砲を発射する。

 それに対し、五月雨はすっと避け、落ち着いた様子で連装砲の反撃を加える。

「わわっ、司令官みて! はやっ!」

 なんと、谷風は減速するのではなく更に加速した。

 模擬弾は谷風の後方へと軌跡を描き海へと突っ込んでいった。

 谷風は水を得た魚のように更に速度を速め、五月雨の後ろを取ろうとした。

 が、五月雨は大きくは移動せずに、常に谷風の方を向きながら回るので、谷風は彼女の後ろを取れずにいた。

 そして、たまに谷風から発射される砲弾も五月雨は華麗に避けた。

 私自身、五月雨の演習を間近で見るのは初めてであったが、ここまですごいとは思いもしなかった。

 相手から発射される砲弾に動じもせず、青い綺麗な長髪をなびかせ華麗に避ける姿は、まさに歴戦の兵士そのものであった。

「谷風ちゃん、そろそろ私が反撃しちゃってもいい?」

 無線で五月雨の余裕そうな声が聞こえた。それを聞いて、私はなんかゾクゾクしちゃった。
136 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 17:38:44.91 ID:hojLDG6p0
「いやぁ、五月雨中尉は強い。でも本気じゃないのが残念。あたしはもっと五月雨中尉に動いて欲しいんだけどね……」

「戦では体力消耗しない様にできる限り動かないのが基本だから、無駄な動きをしていないだけ。もちろん、避けることに関して言えば私も本気ですよ。谷風ちゃんの砲撃は正確だから、ちょっとでも気を抜かしたら当たっちゃうよ」

「くぅう、そう言ってくれると有難い。でも、あてなきゃ意味がない!」

 谷風はそう叫ぶと、急速で旋回して五月雨と距離をとろうとした。

 が、五月雨がここに来て谷風を追いかけはじめた。

「お尻、私に見せちゃっていいのかなっ??」

 その五月雨の声に私はまたもゾクゾクしてしまった。というか、今の五月雨は何時もの五月雨と違う人間のような気がした。

「……なぁ、北上、五月雨って戦いになるとこんな感じなの?」

「うん、そだよー。冷静で好戦的で凛としてて、かっこいいよ〜。でも、今のはなんかちょっと違うし異常だね。司令、さっき五月雨ちゃんを怒らせる事でもしたの??」

「あ、ああ。彼女を呼びに入った時、トイレに入ってたみたいで、それにも関わらず大きな声で呼んでしまったから怒ったみたい……」

 妹は「ふーん」と言って、五月雨のほうを見る。

 すでに五月雨は谷風の後ろをとっており、距離は離されているものの、このままではもう少しでフィールドの外枠近くにまで達するだろう。
137 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 17:40:52.02 ID:hojLDG6p0
 と、谷風の無線から短信音が響く。谷風は左旋回を始めた。加えて、速度も落ちている。

 それを五月雨は見逃さず、旋回中の谷風を後方から狙い撃ちながら、距離を狭めていった。

「あいたっ、ももに当たりやがった!」

 谷風が無線越しに声を上げる。一方で五月雨はじりじりと近づきながら的確に谷風のふとももを狙い撃ちする。

 谷風は逃げまどったが、足に被弾するたび、速力が落ちていった。

「ひゃっ、あんっ! うぐぐぐっ、五月雨ちゅーい、私のももばかり狙ってどうする??」

「谷風ちゃん得意の速力を封じさせて戦意を喪失させてあげているんですよー。相手の得意とする戦力を封じるのは戦いのキホンっ。
 相手が、射撃が得意なら砲門を狙い、雷撃が得意なら雷装を狙い、速力が自慢なら脚を狙い撃つことで、決定打を防ぐだけじゃなく、相手の戦意を喪失させちゃうこともできるからね! でも、これは射撃が得意な子に限りますが〜」

 五月雨は胸を張って得意気に言うと、更に谷風のももを狙い撃ちした。

「あっ、いたいよっ、はぅっ。まだ、あたしは撃つ事ができるっつうのに、何を弱気になってるんだっ。あっ、いたっ! うぐぐ!」

 谷風は五月雨になんとか撃ち返すが、もう正確な射撃は出来ておらず、五月雨は避けることなく、更に近づきながら砲撃を続けた。

「ちょっ、司令官! 明日の昇進試験もあるんだから、このぐらいにしてあげてよ! 私が昇進できなかったらどうしてくれるの??」

 妹が私の肩をどつく。私は我に返った。

「あ、ああ、ごめん。そうだな、谷風はよく頑張った」

「うん、早く演習を終わりにしてあげて!」
138 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 17:42:02.74 ID:hojLDG6p0
 こうして私は二隻に対して無線をつなげた。

「演習やめ!」

 私が合図すると、五月雨はこちらを一瞬振り返る。

 直後、我に返ったかのように連装砲を仕舞い、しゃがみ込んだ谷風のもとへと駆け寄った。

「わわっ、谷風ちゃん、大丈夫? ごめんね、ちょっと私、やりすぎちゃった……」

 無線からいつもの口調の五月雨の声が聞こえる。五月雨は谷風に手を差し伸ばした。

「いや、だ、大丈夫だよぉ。それに気にしなくていいよ。本気出して欲しいって言ったのは、あたしだからさ」

「でも明日の北上さんの昇進試験、一緒に頑張って欲しいのに、こんなに谷風ちゃんの脚を傷つけちゃった……」

 谷風のももは赤く腫れていた。模擬弾とはいえ、被弾すると無傷で済むわけではない。

「だいじょぶだいじょぶ! こんなの入渠すればすぐに治るさ! 五月雨中尉の風呂貸してくれない??」

「もちろんいいよ! 使って使って!」

「有難い! これでかつる!」

 二人はそんな会話をしながら砂浜へと戻ってくる。その後方には、さっきフィールドの近くにいた漁船もこちらへと向かって来るのが見えた。

「さっきのあの漁船、どうやら五月雨と谷風を追っているようだが?」

 私が五月雨と谷風に無線を入れる。

「……あ、それは、あたしのとこの司令官さまが乗ってるんだよ」

「え?」
139 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 17:43:21.56 ID:hojLDG6p0
 それから谷風と五月雨が砂浜に戻ってくると、後続して桟橋に一隻の漁船が接岸した。

 すると、漁船から護衛として袴姿の神風型の艦娘を左右に揃えた、五十代の厳ついオールバックの司令官が出てきた。

「ふむ、貴様がここの後継者となった新人少佐か」

 厳つい司令官は降りるなり私の方に目を据える。私は思わず背筋を伸ばす。

「はっ、はいっ! 私がここの五神島泊地の司令少佐であります!」

 私はそう返事するが、それを無視して彼は砂浜の五月雨へと足を進める。

「わっ、私になんでしょうか!!」

 五月雨も驚いて、背筋をぴんと伸ばす。

「ふむ、この子が戸島泊地司令将補から、少佐ほどの腕前がある中尉と言われている五月雨か。この目で演習を見させてもらったが、なるほどこの子は少佐レベルの強さがある。
――っと、我は宇和島基地の司令をやっている少将だ」

 なるほど少将の面な訳だ。
140 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 17:44:52.80 ID:hojLDG6p0
「それで、私になんでしょう……?」

 まじまじと五月雨を見回す宇和島基地の司令を前に、彼女は訊き返す。

「五月雨よ。こんなしけた司令部は辞めて、宇和島に来ないか?

 今の五月雨にはここは勿体ない。我々の基地に来れば、もっと大きな任務ができるし、報酬も増えるぞ。……これはお前の将来の為を思ってのことだ。どうだ?」

 宇和島基地司令は圧力をかけて、五月雨に問う。

 それは、「来たらどうだ」ではなく、「来い」と命令しているのと変わりなかった。

 んにしても、しけた司令部と言われるのは誠に遺憾である。

「……お心遣いありがとうございます、宇和島基地司令少将。
 しかし、私は現司令官の初期艦であり、五神島泊地に望んで来ている身です。ですから、お断りさせて頂きます。
……それに、ここのみんなは家族みたいなものですし、私にしか出来ない事も沢山ありますから離れる訳にも行きません」

 五月雨はそうキッパリと断った。それを見た宇和島基地の司令は口角を曲げて鼻で笑う。

「やはり、昇進や名声、金に興味のない『駆逐艦五月雨』らしい発言だな。どおりで中尉な訳だ。……まあ好きにするがよい。我は貴様の異動を推薦することはできても、異動させる事はできないからな」

 それから今度は宇和島基地の司令は妹に目をつけた。

 今度は何を言うつもりだ、と考えていると特に妹には何も言わずに彼は私の方へと向かってきた。
141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 17:45:54.08 ID:hojLDG6p0
「あの女、貴様はちゃんと教育しているか??」

 宇和島基地の司令は私に向かってそう尋ねた。

「もちろんです。およそ一か月で准尉に昇格できる試験を受けられる権利を得るくらいには教育させています」

「違う!」

 彼は、腹を震わせそう怒鳴った。

「あの女は、敬語というのを知らんのか。曹長の身分の癖に、谷風や、更には我に対しても生意気な口で話しかけてきた」

「そういう性格でして……」

「もしや司令官である貴様に対しても敬語を使わんのか」

「ええ、そういう性格ですから……」

 もしやも何も、妹が兄に対して敬語を使う訳ないじゃないか。

 というか、谷風も私に対して敬語ではなかった気がするが。

「貴様は甘い! 敬語が話せない艦娘の司令官だなんて、それだけでも貴様の昇進や評価響くぞ。
……あの女が敬語を使わないことがあったら、土下座させて尻を素手で叩くぐらいの調教をしてもいいんだからな」

 私はそれにははいも何も答えられなかった。と言うかそんなの出来る訳ないだろ!

 妹のほうをちらと見ると、彼女は口を固く閉ざしていたが、その目は怒りに満ちていているのが兄の目からは直ぐに分かった。
142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 17:47:27.13 ID:hojLDG6p0
「……宇和島基地の少将さんさー、あんたの所の谷風ちゃんも私の司令には敬語喋ってなかったよー。それに、今の発言なに? セクハラで訴えられても知らないよー」

 妹は私の横に立つと、宇和島基地の司令の言葉に動じず反論した。

「ふん、我に口出しするとはたいした度胸だ。まぁ、貴様らのようなしけた場所にいる輩に敬語なんていらんから谷風もそうしているだけだ。なぁ、谷風?」

「はっ、はひっ……司令官さまっ!」

 谷風がびくっとしながらそう答える。

「んで、我が言ったことがセクハラ? ふざけているのか。これは、な、『教育』だよ」

「それじゃあ、宇和島基地では、先ほど仰られた様な事をされているのでしょうか?」

 もしそうだとしたら、神威さんも、谷風も、そしてあの地味で清純な磯波ちゃんまで目の前のチンピラみたいな司令官にそうされていることになる……。

「ああ、そうだよ。当たり前だろ?」

 くそ! 何と言うことだ。神威さんが、磯波が!

「貴様、今、この前来た神威と磯波のことを考えただろ?
 ああ、あの子たちにもしてるさ。特に磯波は頭が悪いから毎日一回以上は『教育』させている。
 もちろん、上達した時はちゃんとご褒美をあげて褒めてやるんだ。こうやってアメと鞭を上手く使い分ける事で艦娘というのは強くなっていくんだよ。
 まぁ、このアメと鞭の教育方法は、この我にしかできないものだがな。他の司令官じゃ無理だ。なんせ我は艦娘の調教師だからな」
143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 17:48:18.94 ID:hojLDG6p0
 こいつは真性の、クズだ。

「谷風ちゃんは、それでいいの??」

 妹が谷風に訊く。

「い、いいに決まっているじゃないかっ! あたしは司令官さまのお陰でここまでこれたんだから!
 負けたときとか戦果をあげられなかったときは『教育』されちゃうけど、勝った時とか戦果あげたときは沢山ご褒美くれるもんね!」

 それを聞いたクズ司令官は谷風の方へよると、彼女の頭をやさしく撫でた。

「ははは、そうだそうだ。でも、今日は帰ったらお前をじっくり『教育』しなければな」

「はっ、はいっ! 司令官さまっ、あたしの事たくさん『教育』しちゃってくださいっ!!」

 隣の妹がそれを愕然とした表情で見ている。無理もない。谷風は昇進試験のペアなのだから……。

「という訳で我々はこの辺で失礼するぞ。この島にいると不吉だしな」
144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 19:59:21.45 ID:hojLDG6p0
 クズ司令官はそう言うと、再び妹の近くへとやってきた。

「お前も一緒に乗っていくか? みっちり『教育』させてやるから、いい子になるぞ」

 その言葉が怖かったのか、妹は私の手を反射的に強く握る。私も妹の手を握り返した。

「ははは! まぁ、お前の明日の勝利は保障してやるよ。谷風にも勝った時のご褒美と負けたときの『教育』の中身を言ってあるしな。あのご褒美なら谷風も勝ちにいくだろう。お前も有難く思うがよい」

「……谷風ちゃんのご褒美とセクハラってなんなのさっ?」

「それは明日にでも谷風に聞けばよい」

 それからクズ司令官と谷風、従者の艦娘二人は漁船に乗り込むと、元来た海路を戻っていったのであった。

 結局、谷風はうちでは入渠することはなかった。

 漁船が去ったあと、妹は五月雨を気にせず、泣きそうな顔で私に抱きついてきた。

「こ、こわかったよー、おっ、し、司令官っ……! それにあんなの酷いよ。谷風ちゃんもあんな子だなんて……っ!」

 私は黙って妹を撫でながら、五月雨のほうを見つめる。

 五月雨も相当ショックだったのか、何も言わずに放心状態でそこに立ち尽くしていた。

「……ううっ、私、司令官のとこに所属されてホントによかったよ……。あんなとこだったら、私、私……っ!」

「そうだな……北上……」

 自然と私も妹を抱きしめる。妹がもしも、自分の司令部所属でなく、あんな司令部の所属になったらと考えると、戦慄した。
145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 19:59:48.12 ID:hojLDG6p0
「五月雨も大丈夫か?」

 私は手招きして五月雨に呼びかける。五月雨は我に返ると、こっちに来た。

「私は大丈夫です。……動揺してしまいましたけど……」

「ああ。あと一つ約束するが、私は五月雨や北上にあんなアメと鞭みたいな事は絶対にしない。体罰とかセクハラとかは、そんなの上官のストレス発散や性欲、地位欲を満たす為の醜い行為に過ぎないからな」

 そして私は、まず妹に小指を差し出す。妹も小指を出して、ゆびきりげんまんする。

「こんな事しなくても、司令官はそんなことしないの分かってるよ……」

 それから今度は五月雨に小指を差し出す。五月雨は何も言わずに私と小指を交わした。その小指は小さく震えているように感じた――。
146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 20:00:54.98 ID:hojLDG6p0
***

 その日の夜は、明日に備えて二十一時半には消灯した。

 が、なんか下がどたどたと煩い。寝室の下階と言うと五月雨の部屋だが、壁を叩いているのかそんな感じの音がこっちにまで響いてきた。

 そして、それから間もなく、五月雨が何かを叫んだような声が聞こえてきた。

 私は何事かとベッドから飛び降りると、五月雨の部屋へと全速力で走った。

 二階に降りると、既に浴衣姿の五月雨が泣き面で部屋の前に立っていた。

「ど、どうしたんだ? すごく下がうるさかったけれど……。なんかストレスでも溜まっているのか?」

 五月雨は黙って頷くと、私の方へとよってきて、手を引っ張った。

 そして、そのまま五月雨に引っ張られるがままに、司令部庁舎から外に出た。

 夏の夜の砂浜は涼しく、波の音と虫のこえが静かに響き渡る。五月雨は砂浜で私の手を離すと、私の正面に立った。

 そして、ぎゅうと抱きしめる。
147 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 20:02:08.28 ID:hojLDG6p0
 突然抱きしめられ、私はどうしてよいか分からなかった。

「……司令は、私のこと、撫でたり、抱きしめてくれたり、しないんですか??」

 い、いや、こんなかわいい五月雨を撫でたり抱きしめたりしたらいけない気がするのだ。

 私はなんと返せばよいのか分からず、夜空を見上げながら黙ってしまった。

「……北上さんにはなんで出来るんですか??」

「それは……北上はフレンドリーというか、なんか馴れ馴れしいから撫でたり抱きしめても許してくれるというか……」

 私は五月雨には目を合わせず、上を向いたままそう言った。目を合わせたら妹と自分の関係がばれそうだからだ。

「目を見て話してくださいっ!」

 五月雨に声を上げられ、思わず顔を下した。

 すると、私を抱きしめた五月雨が上目遣いでうるうるした表情で私を見つめていた。

 そ、そんな表情されたら、私は……!

「私だって、私だって、時には北上さんみたいに接して欲しいです! 私たちは、ここに一緒に暮らす家族なんだから、平等に接して欲しいんです!
 でも、明らかに同じ時間を過ごしているはずなのに、司令と北上さんはまるで出会う前から仲が良い感じに私にはみえるんです……。
 北上さんは会った時から司令に慣れてましたし、痴話喧嘩はするし、今日みたいに撫でたり抱きしめたりするし、二人ってホントは兄妹ですよね……??」

 五月雨は抱きしめる力を強くして、そう迫ってきた。

「…………」

 どう言おうか考える私に、五月雨は小さくため息を吐く。
148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 20:03:13.70 ID:hojLDG6p0
「黙秘する司令もかわいいです。でも、もう今ので分かっちゃいました。やっぱり司令と北上さんは兄妹なんですね」

「うう、何で分かった?……あっ!」

 やられた!

 と、同時に五月雨はにやっと笑って私からくるりと離れる。

 浴衣の裾もひらりと花を咲かした。

「あ、やっぱりそうなんですね!」

「ぐぐぐ、こうやって私の口を滑らせるなんて、五月雨もそんな訊き方ができるのか……」

「えへへ……。私だって、司令と北上さんがもらった命令を妹が着任した時に受けてますから。
 二人の関係が分かる行為をしちゃいけないとかお互いを信じてとかの紙を司令はもらいましたよね??」

「あ、ああ。でも、五月雨は五日くらい前に妹が涼風として艦娘をしている事を私に明かしてたじゃないか」

「それですけど、上官に聞いたところ、別にばれちゃったり関係を明かしたりしてもいいんです。それだけじゃ解任とか解体とかないですから!
 あの命令の本当の意味って、作戦とか戦闘で兄弟姉妹を贔屓しちゃいけないって事らしいです。作戦とか戦闘で兄弟姉妹を贔屓して失敗になる事を防ぐためらしいです。
 実際にそういう関係で贔屓しちゃった司令官や艦娘が命令違反で停職処分されることがありましたし」
149 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 20:04:25.72 ID:hojLDG6p0
 なるほど。つまり、あの命令は兄弟姉妹で着任した人全員に出される命令だったのか。

 てっきり訳ありな命令だったから、ここに私と妹の二人を配属したことにも意味があるのだと思っていたが、そうでもないらしい。

「そうか……五月雨はいつごろから分かってたのか?」

「もう初日には分かってましたよ〜。初対面とは思えない感じでしたから! 司令も北上さんも兄妹であることを隠そうとしている感じが見てて面白かったです!」

「うぐぐ、五月雨もなかなか観察力のあるとこあるんだな……」

「えへへ……でも……」

 五月雨は声のトーンを落とすと、私を再び抱きしめてきた。

「司令と北上さんが兄妹なんて羨ましいです……。ずるいです。だって、本当に家族なんですから。とーっても強い信頼もあるんですから……」

 すると、五月雨はしばらく黙り、私の胸に顔をうずめた。

 それからちょっとして、五月雨は上目遣いで私を見つめてきた。その顔はとても不安そうな顔であった。

「どうしたんだ? さっき下で怒ったり叫んだりしたのと関係あるのか……」

「う、うん。……まず、今日はごめんなさい。私、ちょっと感情的になっちゃって司令にあんなにきつく当たっちゃった……。
 北上さんと司令のことが羨ましくて羨ましくて、嫉妬、しちゃったのかもしれません……。
 この四日間、ずっと北上さんの昇進試験の対策に司令はつきっきりでしたから……」

「僕の方こそごめん。五月雨の気持ちをちゃんと考えてあげられなくて……」
150 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 20:05:07.83 ID:hojLDG6p0
 それから五月雨は視線を下す。

「――司令は、ホントに私のこと、信頼してますか? 私のこと、信じてくれますか?」

「もちろんだよ。僕らは家族だから、五月雨の事は信じてるし信頼してる」

「ホントですか? それなら北上さんと同じ様に私のことも妹みたいに接して欲しいです」

 五月雨は上目遣いに訴えてくる。

「ああ。僕からすれば五月雨も妹みたいなものだよ」

 すると五月雨は私の胸をぽかと叩いた。

「それなら私のこと、抱きしめてくださいっ! なでなでしてくださいっ!」

 こんなかわいい五月雨にそう懇願されたら、もう抱きしめて撫で撫でしてしまう!

 私は五月雨を右手でぎゅっと抱きしめ返し、左手で五月雨のつやのある綺麗な髪を撫でた。

 ああ、これが五月雨の温もりか。

 五月雨の身体は華奢でやわらかく仄かな体温を手から感じた。

 そして、撫でる髪はさらりと手に馴染み、顔を髪に近づけると、椿のような優しい香りがした。

 恐らく、使っているシャンプーやトリートメントは一髪であろう。
151 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 20:06:17.65 ID:hojLDG6p0
「えへへ……お兄ちゃんって私も呼んでいいですか??」

「五月雨にそう呼ばれるのは恥ずかしいな……」

 そういうと、五月雨はぷくーと頬を膨らます。

「兄さんっと言う方が五月雨らしいよ」

「そう、ですか? うんっ。では、兄さんって呼びますね!」

 私は自分の頬が赤くなったのが分かった。「兄さん」でも恥ずかしいのには変わりない。

 すると、五月雨は構わず私のことをより強く抱きしめた。

「兄さんはずっと私の味方ですよね??」

 五月雨は私の目を見つめてそう尋ねる。

「ああ。もちろんだよ。僕はずっと五月雨と北上の味方だよ」

 五月雨はその答えに納得しないようで、アヒル口をした。

「私と北上さんが対立したらどっちの味方ですか??」

 それを聞いた私は、五月雨の頭をぽんと叩いた。

「意地悪な五月雨だね。僕はどっちもの味方だから、お互いが対立しないようにするよ」

「ごめんなさいっ。でも、兄さんがずっと私の味方ってこと、約束してください!」

 五月雨はそういうと、右小指を私に差し出した。私も右小指を彼女の小指に交わらせる。
152 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 20:07:02.25 ID:hojLDG6p0
「約束ですっ! 私と司令も、兄妹と同じくらい信じて信頼してずっと味方でいる事を約束してくださいっ。私もずっと司令のこと信頼して味方でいますから!」

「ああ、約束だ。五月雨と僕はお互いに信頼し味方であることを……」

 その後は、流れで五月雨は私の寝室で寝ることになった。

 もちろん、やましい事とかあんな事こんな事はしていないのは、言うまでもない。

 ただ、ベッドでこんなかわいい五月雨と一緒に寝るとなると、興奮してね、もう、やばい。

 五月雨の寝顔とかはかわいくてたまらない。

 こうして、私はこの子の永遠の味方であることを自分の心の中で誓い、眠りについたのであった。
153 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 20:08:07.58 ID:hojLDG6p0
***

 翌朝、起きると既に五月雨は横におらず、食堂で朝食をつくっていた。私も一緒に手伝う。

 それから妹の北上も食堂に来て、いつも通りの朝食をとった。

 朝食を食べ終えた頃に、桟橋に昇進試験会場の佐伯泊地まで運んでくれる小船が到着した。

 それから私らは各自で用意を済ませると、桟橋に向かった。

 私や五月雨も他にやることがないことから妹について行く事にしたのである。

 桟橋では明石中佐とロシアンブルーのアカトゥルフが見送ってくれた。

「北上、今日は貴女の為にしっかりと艤装を整備しておきましたよ。存分に戦ってらっしゃい」

 中佐は顔を緩め北上に微笑みを見せながら、煙草を吸った。

「ありがとー明石さん! 私、必ず、曹長から准尉になって帰ってくるよー」

 妹は中佐に敬礼する。

「では、明石中佐、今日は私たちが帰ってくるまで、この泊地のことをお願いしたい」

「ええ、大丈夫ですよ。任せてください」

「ありがとう、よろしく」

「では、行きましょう!」
154 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 20:09:01.24 ID:hojLDG6p0
 こうして、私たちはクルーザータイプの小船に乗り込んだ。

 船に入ると、谷風や他の艦娘が六、七人ほどおり、司令官という立場の人間は私一人だった。やはり私は暇人司令官なのだろう。

「あー、谷風、おはよう。一緒の船だったんだな」

 私が谷風に声をかける。

「おはよう! 五神島泊地司令少佐っ! 北上ちゃんに五月雨中尉もおはよう!」

 谷風は気さくに挨拶する。五月雨は笑顔で返すが、妹は昨日のことからか声のトーンを落としたぶっきらぼうな挨拶を返した。

「もうもう北上ちゃん、昨日はごめんよー」

 すると、妹はクルーザーの室内から黙って出て、室外のバルコニーに出た。

 私もあとを追い、その後を五月雨と谷風がつけた。バルコニーを出た妹に谷風が近寄ると、妹は怒った様な表情をした。

「谷風ちゃんの本心はなんなの? あんな基地ってるとこにいて嫌じゃないの?」
155 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 20:10:00.40 ID:hojLDG6p0
「……あたしは嫌じゃないよ。ちゃんと司令は私を成長させてくれるし」

「セクハラも成長の源なの?」

「セクハラじゃない! あたしが成長するために必要な『教育』だよっ!」

「それじゃあ今日、私は負けるから『教育』されたら?」

「それは嫌だっ! あんなに頑張ったんだから一緒に勝とうよ!」

 谷風は反射的に妹の両肩を掴んでそう声を荒げる。

「……やっぱりセクハラじゃん。負けたらセクハラされるから勝ちたいんでしょ?」

「ううっ……。そうだよ、ホントはあたしだって嫌だよ……。でも、頑張ればご褒美もらえるしっ!」

 宇和島基地のクズ司令はホントにアメと鞭を使い分けるのが上手なのだろう。

「でも、多くの司令部はセクハラないんだよ? うちも勿論ないし」

「知っているさ、そんなの」

「じゃあ何で誰もそれをやめさせようとしないの?」

「あたしのとこはそういうの許されちゃうからだよ」

 谷風は豊後の海を遠い目で眺めながらそう言った。

「許されちゃうってどゆこと?」

「……北上ちゃんって、なぜあたしが足速いか分かる?」
156 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 20:12:49.66 ID:hojLDG6p0
 急に話題が変わり、北上がため息を吐く。

「そんなの私には分からないよ。それと許されちゃうのがなんか関係あるの?」

 谷風は妹を睨む様に見つめながら、口を小さく開いた。

「……あたしが、足速いのはね、万引き常習犯だったからだよ。
 家が貧しくてさ。困っちゃうよねー。仕方ないよねー。
 盗んでは逃げてを繰り返してたら、部活やってないのにいつの間にか女子で県内三位の速さになっちゃった。
 でも、高校に入る前についに捕まっちゃってさー」

 私と五月雨もそれを後方で聞いていたが、その言葉の重みに圧倒されて、何の口出しもできなかった。

「そして、いそなみんは親が小作人で貧しくて、しかも部落差別を受けてるとこの出身なの。神威中尉も親がアイヌで似たような差別を受けてまともに収入がなくて貧しいのよ。
…………今ので分からない?」

 谷風は妹から目を離すと、海に向かって唾を吐いた。

 妹は谷風の話に何も言葉を返すことができなかった。

「つまりさ、あたしの基地ってみんな貧しいか犯罪者か社会のクズ共の集まりなんだよ。
 そんな奴がセクハラ訴えても上官は見向きもしねえんだよ。
 そもそもウチの司令官さまは、幹部からはあたしらみたいな社会のゴミを社会的勝者へと導いたり更生させたりする事で有名なんよ。
 だからあそこでの方針はなんでも許されてしまうし、宇和島にくる艦娘は皆そう言う子が選ばれてくるわけなんだよ! 分かった?」

 小柄な体格には似合わないドスを効かせた声で、谷風は妹にそう吐露する。

 谷風を止めたいところだが、驚愕すぎて体が動かなかった。

「後ろの司令少佐さんとか五月雨中尉もご理解頂けたかな?」

 私と五月雨は黙って頷く。
157 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 20:14:28.95 ID:hojLDG6p0
「で、でも谷風ちゃんは嫌なんだよね……やめるって方法もあるのに、どうしてやめないのって……あっ、やめてっ!」

 妹のその言葉に谷風はぷつりと切れた。気付いたときには、妹の胸ぐらを掴んで持ち上げていた。

「おい、落ち着け、やめろ谷風!」

 私が止めようとしても、谷風は離さなかった。

「ふん、やっぱり二浪するだけ甘ったれてるね、北上ちゃんは。二年間なんもしなくても生きていけるのを当たり前に思って生活してたでしょ?
 でも貧しいとそんな事するなんて許されないんだよ。働くか盗むかしなきゃ生きていけない。
 だけど、艦娘になれば凄くいい給料で働けるし、艦娘として働けなくなってもその後の就職はいいとこ行ける。
 大手とか公務員とか海保や自衛隊の幹部とか……。
 まさに人生大逆転できるんだよ。
 そっから逃げる? ふざけてんの?」

 谷風はそう言い切ると、持ち上げていた胸ぐらを投げるように離した。

 妹が泣いて倒れる。私は妹の傍に寄った。

「これはさ、あたしゃにとって、神様がくれた人生大逆転の切符って思っているんだよ。
 私がその一万人の一人に選ばれたのはさ、神様があたしを見込んでいるからさ。
 それを無駄にしたくない。だからここで弱音を吐いてられんのだよ」

「谷風……」

 彼女の言っている事は正論であった。だから私も何も言えなかった。
158 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 20:17:00.84 ID:hojLDG6p0
「まぁ、世間一般に見たらブラックなんだろうけど、あたしゃ、司令官さまに救われたんだよ。
 少女院入って少しした時、ウチの司令官さまが来て、適合者かどうかの簡易検査をしたんだよ。
 そしたらさ、施設のなかであたしだけ陽炎型駆逐艦の適合者って反応したんよ。
 その時の司令官さまの言葉が今にも忘れられないね。『社会のド底辺から這い上がってみないか?』って。
 痺れたよ。で、試験受けたら駆逐艦谷風だったわけさ。なるほど船になる夢を見てきたわけだよ。
 そんな訳で、あたしは司令官さまには感謝してもしきれないんだよ。『教育』ははずいし、とっても痛いから嫌だけど、あたしは罪深い女だからね。これまでやってきた事の罰だと思って司令官さまにあたしの桃を差し上げてるよ」

 そう言って、谷風は自分の尻をぽんぽんと叩いた。

 と、涙目の妹が谷風のことをぎゅっと抱きしめた。

「ううっ……ごめんね、とってもごめんねだよ、谷風ちゃん……。私、谷風ちゃんのこと考えずにあんなこと言っちゃって……」

 すると谷風は顔を緩めて、気さくで優しい表情に戻って、妹を撫でた。

「分かってくれれば、あたしは別にいいんだよ。北上ちゃん」

「ううぅっ、谷風ちゃんホントにホントにごめんね……」

「そ、そんなに謝られてもこまる!
 あ、そうだっ! あたしが北上ちゃんを一回『教育』させてあげる!」

「ふぇ?」
159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 20:35:46.13 ID:hojLDG6p0
……妹は嫌がると思ったが、気がすまないらしく、大人しく船上で土下座をはじめた。

「ほらほら、もっとお尻上げて」

 私と五月雨の前で妹が土下座してお尻を谷風に出している。流石に生尻ではないが、なんか見ているこっちが恥かしくなってきた。

「は、はずかしいよぉ……」

「これが『教育』だしね。……って、うっほ、北上ちゃんもいいお尻してるなぁっ!」

 谷風が妹のお尻を撫でながらそう言うので、妹はとても赤面している。

「ううっ、司令官も五月雨ちゃんも見ないでっ。特にそこの変態司令官っ!」

 そりゃ、そうだろうな。でも、変態ではない。私は紳士である。

「じゃじゃ、北上ちゃんを『教育』しちゃうぞ!」

「手加減なく強く叩いてっ////」

 あれ、意外と妹ってマゾなのか。いや、これはホントにマゾかもしれない……。

 なんか兄として複雑な気分になる。と、谷風が思い切り妹の尻を叩いた。

「ひゃんっ、はぁっ//////」

 すると、五月雨は何かに目覚めたように、谷風の横に来た。
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 20:36:40.71 ID:hojLDG6p0
「あ、私も北上さんのこと叩いていい?」

「はぅ?? さ、五月雨ちゃん??」

 五月雨は妹の横に立つと、にっこりと笑った。

「五月雨中尉、ま、まあ、あたしゃ別にいいけど……」

「じゃあ、するね」

「ちょちょ、五月雨ちゃん恥かしいよ〜。それに私は五月雨ちゃんに謝るようなことしたっけ??」

「うん、してるよ〜」

「はぅぅ//////」

 恐らく、昨日のことを考えると、五月雨の妹への嫉妬かなんかだろう。でも、五月雨ってこんなにサドっ気あったか?

「それじゃあ、手加減なく叩いちゃうね」

「うぅっ、五月雨ちゃんっ//////」

 五月雨はそのきれいなすらりとした手を、ぴしゃりと妹の尻に容赦なく振り下ろした。

 ペシンッ!!

「いやっ、あんっ//////!」

 綺麗な音が船上に響いた。

 室内の子たちに見られていないか不安だ。

 しかし、五月雨の叩き方はまるで慣れたような手つきであった。

 と、五月雨が急に我に返ったように、跪いた妹のことを起こしてあげた。
161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 20:38:10.22 ID:hojLDG6p0
「わわっ、ごめんね! 北上さんのこと思いきり叩いちゃった!」

「ううっ、五月雨ちゃん、顔がマジだったよー」

「ありゃあ、まるで昨日の五月雨中尉のようだったなぁ」

 五月雨はぺこぺこしながら妹に謝る。これもドジというのか? 五月雨が分からなくなってきた……。

 それから妹は立ち上がると、谷風に右手を差し出した。

「谷風ちゃん……今日は絶対に勝とうね。私、がんばるよ」

「そうこなくっちゃっ! 北上ちゃんを『教育』したことだし、これで絶対かつる!」

 そう語気を強めて、谷風は妹と強く手を結んだ。

「……それで、谷風ちゃんの今回の報酬とお仕置きってなんなの〜? ペアとしてちゃんと知っておきたくてね」

「ご褒美は、新型高温高圧缶改二だぞよ! 司令官さまがあたしの為に柱島の明石に作ってもらったんだってさ! めっちゃ欲しいし、こりゃあ勝つしかないね!」

 速さを極める谷風にとってはこれが本当に嬉しい褒美なのだろう。

 宇和島の司令がアメと鞭の使い分けが得意なのが良く分かった。

 しかし、やはり私自身は、例え宇和島の子たちが社会的弱者だろうが「教育」みたいな体罰を与えるのはおかしいと感じた。

 だって、こんなの自分の性欲を上手い理由つけて発散したいだけじゃないか。

 轟沈のリスクを無視すれば待遇も給料もよすぎる「艦娘」という職業は、そういう彼女たちにとっては辞める事ができない仕事である。

 たとえ自分が辞めようとしても、同じく貧しい親が許さないだろう。

 宇和島の奴はそれを悪利用して、自分の欲の赴くまま好き放題やっているだけじゃないか。

 結局、貧しい子達を上から目線で踏んづけて楽しんでいるだけじゃないか。
162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 20:38:41.69 ID:hojLDG6p0
「――それで、お仕置きはなんなの〜?」

「うっ、それはすんごく恥かしくて言えないよ!」

「そなの? まぁ、谷風ちゃんにはそんな恥かしい目にあって欲しくないし、私は頑張るよ。
 きっと、谷風ちゃんが成長して強くなれば、その司令官から認められてお仕置きされなくなる日が来ると思うよ〜」

「そだね! あたしが強い艦娘になれば、司令官さまは毎日あたしにご褒美してくれる日がやってくる!」

 二人がそんな会話をしているのを見て、私は小さく嘆息を吐く。

……おそらく、谷風にそんな日がやってくることはないだろう。
163 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 20:40:44.10 ID:hojLDG6p0
***

 昇進試験会場である佐伯泊地に到着すると、私は試験に参加する妹と谷風とは別れて、五月雨と一緒に行動した。

 昇進試験と言っても一般人からすれば、一日に様々な艦娘を近くで見られる機会なので、佐伯泊地の海岸には見物客が多く来ていた。

 加えて休日ということもあり、屋台が出ていたりして半ばお祭状態である。

 私と五月雨は屋台に行って、適当に冷たい飲み物とかき氷を買うと、海岸に二人腰を下した。

 今日は曇りだが暑い。既に、目の前の佐伯湾では昇進試験が行われており、重巡四隻が砲撃戦を展開していた。

 いやー、訓練用主砲と模擬弾を使ってはいるが、こうやって近くで見ると音に水柱と迫力がある。

 観客の歓声も興奮に満ちていた。

「司令に問題です! あの子は何ていう艦娘でしょう??」

 五月雨がかき氷のストローで、臙脂色のセーラーでショートの髪型の重巡を指す。

 あのセーラーを着たツインテールでお嬢様出身の子が多いとされる三隈の事は、まぁ、気になるので知っていたが、ボーイッシュな彼女の艦名は知らなかった。

「みくまみくま、みくま……み、くま!?」

「はい、知らないんですね。司令……」

「ああ、知ってのとおり艦娘が三人しかいない司令部だから、こういうのに疎いんだよ」

「分かってますよ〜。だから、司令にも勉強して欲しいなって。あの子は最上型重巡の最上さんですよー。
 ネームシップ知らないのに、同じ最上型の三隈さんを知ってるのってどしてですか?」

「あ、いや、育ちが良い子に私は興味があるから……。あ、もちろん、五月雨もそう言う意味では好きだぞ!」
164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 20:41:30.99 ID:hojLDG6p0
「わわわっ、司令、急にびっくりですよ〜! じゃあ次いきますよ! 次っ!」

 五月雨が頬を赤くして、次の子をストローで指す。五月雨はやっぱりかわいいなぁ。

「ああ、あの子か……」

 いや、あの子と呼べる歳か、彼女は!? 格好はなんかOLっぽいし、見た感じ二十五くらいに見える。いや、三十代でもいけるぞ。

 少なくとも、私よりは年上であることは間違いない。あ、そう言えば、たしか妙高型は歳が二十代半ばに集中していると聞いたことがある。

「あれは妙高型だよね?」

「そうです、そうです! となると〜」

「たしかー、あの女性は神奈川の地名にあった気がする。あ、箱根だ!」

「し、司令……。もっと勉強してください……あの方は足柄さんです」

「おー、場所的には同じじゃないか。箱根でいいよもう。温泉好きそうだし」

「だめです」

 私は駆逐艦と軽巡、戦艦の名前は一通り覚えたが、重巡とか軽空母、潜水艦などにはまだまだ疎かった。

 まぁ、色々な艦娘と関わる機会があまりないからなのであるが……。
165 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 20:43:11.64 ID:hojLDG6p0
「……そういえば、こんな事訊くのもあれなんだけど、五月雨ってSなのかい? それともMなのか?」

 私の質問に五月雨は戸惑った表情をする。

「わ、私ですか? 司令がそんな事訊くなんて……。どっちに見えますか?」

「意外とSなのかい? さっきのとか昨日のとか見てると、そうなのかなってね」

「さ、さっきのとか昨日のはちょっと新鮮で興奮しちゃっただけです!!
 なんか心が自然と興奮しちゃって。……私って、S、なのかもです。
 あ、でも、そんなにSじゃないです!
 女の子なので、ちゃんとMなとこもあって……り、両刀使いって感じです!」

 五月雨ってむっつりすけべなのか??

 なんか嬉しいようなそうでもないような……。

「まぁ、五月雨もいい年頃だもんな。男ほどじゃないけど、そういうのとかにも興味あったりするだろうし」

「うー、からかってるんですか??」

「すまんすまん、五月雨とこう言う話するのが新鮮でね」

「……別に司令が話したければ、夜にでも私を呼んでもいいんですよ?」

「五月雨……。んっ?」

 突然、顔を合わせて話していた五月雨が驚いたように目を大きく見開いた。その焦点は私ではなく、私の後方にあっていた。
166 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 20:44:29.90 ID:hojLDG6p0
「どうした?」

「あっ、司令っ!」

 直後、五月雨は立ち上がり、私の右手を思い切り引っ張って走り出した。

「急にどうした!」

「とにかく走ってくださいっ!」

「なぜ!?」

「追われるからです!!」

 意味が分からない。何に追われるのだ。

 と、後ろの方で女の子がこちらに向かって叫んでいる声がした。

「姉さん! 姉さんなんでしょっ!?」

 走りながら振り返ると、そこには五月雨によく似た艦娘が私たちをかなりのスピードで追いかけていた。

 ああ、あれが白露型の涼風か。

「姉さんって呼んでるけど? もしかして五月雨の妹?」

「ぜんぜん違います! うちの妹は平群島だから、昇進試験あっても柱島に行くので、こっちには来ません!」

 それから五月雨は、屋台が並ぶ通りの人混みのなかを私の手を引っ張ったまま疾風のごとく突っ込んでいった。

 人と人の間を縫うように私らは走ったのだ。

「五月雨姉さんっ! 五月雨姉さんっ! 私だよ!」

 後ろの方で呼ぶ声がしたが、五月雨は見向きもせず、屋台裏の陰に隠れた。
167 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 21:53:28.87 ID:hojLDG6p0
「はぁ、はぁ……。とりあえず、ここで一旦休みましょう」

「いったいどうしたんだ。あの涼風は五月雨を姉さんと呼んでいたけど」

「それは嘘です! とにかく捕まってはいけませんよ!」

「なぜ??」

「あっ、近くにきてます!」

 そしてまた、五月雨は私の手を引っ張りながら屋台裏を走りめぐった。

「姉さん、待って! 少佐の五月雨姉さんでしょ!? 止まってよ!!」

 私らを見つけた涼風がそう必死に叫びながら追ってくる。しかし、五月雨はそれには動じず、有無を言わず走った。

 やがて、涼風との距離は離れていった。

 そして、五月雨は屋台横の木陰を見つけると、その裏に腰を下ろして、私の手を離したのであった。

「はぁ、はぁ、はぁ……。こんなに走ったのは久しぶりです」

「いったいなんなんだ。捕まってはいけないってなんだよ?」

「――司令は知らないですか? 特定の艦娘に起こる精神疾患の代償捕獲病を……」

「代償捕獲病?」

「はい。さっきの涼風さんはその病気に罹っていました。この病気は姉妹で艦娘をしている子が片方を亡くすと、その代償として亡くした艦と同種の艦を捕まえて自分の姉妹にしようとするものです」

「そんなの初めて聞いたよ」

「ええ。だってこの病気になるのは、血縁関係のある姉妹が揃って艦娘になる五月雨と涼風、それと扶桑と山城だけですから……」

 なんかおっかない病気だな。
168 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 21:54:16.34 ID:hojLDG6p0
「で、なんで見ただけで分かったのか?」

「目ですよ。病んでる目なんです。さっきは一発でやばいと分かるものでした」

「そうなのか……」

「ええ。叫んでいることからして、きっと、少佐の五月雨のお姉さんを亡くされたのだと思います……」

――少佐の五月雨、少佐の五月雨…………。

「――っ!」

 その五月雨って、豊後水道沖夜戦事件で轟沈した五月雨少佐ではないのか!?

 直後、私は立ち上がる。その涼風に会いたいと思ったからだ。

「何しようとしてるんですか!」

 私が元来た道に体を向けると、五月雨は私の腕を力強く握った。

「私はあの子に会いたい」

「何を考えているのですか! 司令が人質になったらどうするのですか??」

「そんな事ないさ。私は大丈夫だ」

「大丈夫じゃないです! 相手は病んでいるのです。あなたを人質に私の身柄を捕獲しようとします」

「そんな事したら、あの子は軍規違反で海没処分されてしまうではないか」

「そう言うことです! そして司令も、病気と分かっていながらあの子と接したとして減給&始末書ものです! 代償捕獲病は亡くした姉妹と同種の艦に会わなければ徐々に落ち着いてきますから。司令はそれをぶり返してよいのですか?」

 五月雨の正論であった。
169 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 21:54:58.29 ID:hojLDG6p0
「……申し訳なかった。ついつい私も興奮してしまって……」

「そうですか……。ちなみに何で会いたいと思ったのですか?」

「……」

 私はそれには答えられなかった。隣で五月雨は小さくため息を吐く。

「――たまに、司令をみてると不安になります。司令自身や私たちのことよりも好奇心の方が強くなっていることがありますから……。もちろん、探究心があるのはいいことです。でも、自分自身のこととか、私や北上さんの事とかも考えて行動してほしいです……」

「ごめんよ、悪かった……」

 私は五月雨に頭を下げる。五月雨の言う通り、私は好奇心が強く、それ故、何度かこれまでの人生で後悔したこともあった……。

「……司令、ちゃんと私のこと、守ってくださいね?」

「ああ、言われなくても分かってるよ。五月雨は私の大事な大事な家族なんだから」

 それから五月雨の頭を二回ぽんぽんと撫でてあげた。
170 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 21:56:34.56 ID:hojLDG6p0
「なんか、私、この格好じゃ落ち着かないです。司令みたいに今日は私服でくればよかったです。
……あ、北上さんの試験までまだ時間ありますし、服屋さん寄っていいですか??」

「ああ、そうだね。一緒に行こうか」

 私がオーケーを出すと、五月雨は嬉しそうにした。

 今日は、五月雨は休番日だし、せっかく人里に来たのだから五月雨にはもともとそうさせるつもりであった。

 妹の方は、休番日は一人で島の外に出かけていく事が多かったが、五月雨は私の手伝いをしてくれたりと、この一か月間は休みに島外に出かけることもなかった。

 こうして私らは二人で試験会場を離れ佐伯市街地に入ると、カントリースタイルのアパレルに入った。

「正直、この格好でお出かけするの、恥ずかしいです……。司令、はやく買いましょう」

 確かに、五月雨のセーラーは街中では目立ってしまう。普通のセーラーと違って少し露出多いしちょっと派手な気もするし……。

 まぁ、島風とか雪風とか前に会った神威さんのと比較すればたいした事はないが……。

「そうだな。あと、司令と呼ばれるのも恥ずかしい……」

「あっ、ごめんなさいっ。となると、兄さんって呼びますね」

 それも恥ずかしいが、家族だしな。うん。

「それじゃあ、適当に選んできますね!」
171 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 21:57:56.72 ID:hojLDG6p0
 五月雨は上機嫌に言うと、服を選び始める。

 こうやって見ると、五月雨も普通の女の子なのだ。

 恋やらおしゃれやらなんやらに一番興味がある年頃を艦娘として過ごす彼女は、そういうのを制限されてしまう。

 それがたとえ、彼女の意思で艦娘になったとしても、私にはそれは少し悲しいことの様に思えた。

 ふと、茨木さんの「私がいちばんきれいだったとき」という詩が脳裏に浮かぶ。

 ああ、早くこの戦いが終わればいいのにな。

 私は冷房の効いた店内の中、そんな事を思う。

 と、行きの船内での谷風の言葉を思い出す。

 逆に彼女のような子たちにとって、「艦娘」は救いの仕事だ。

 なんと皮肉なことか。

 機会均等を謳う日本社会。

 しかし、彼女のような存在は身分が固定していることを教えてくれる。

 親の所得が子の所得を映し、豊かさは豊かさを受け継ぎ、貧しさは貧しさを受け継ぐ。

 それを救う「艦娘」という仕事も、結局は弱者には厳しい。勝ち組になれるやら更生やらを理由に好き勝手している。

 数年前にどっかの首相が言ってた一億総活躍社会やらなんやらが馬鹿馬鹿しく思える。

 去年あったオリムピックも灼熱地獄のオリムピックとなり、それが終わると炭化したようにさびしくなって、景気も何もかも萎んでいった。

――まさに今は不景気だ。
172 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 22:00:00.48 ID:hojLDG6p0
 そんな中で、つい最近の日経新聞で読んだのだが、小中学生のなりたい仕事ランキングが出ていた。

 私は苦笑した。

 小学生と中学生の女子のなりたい仕事ランキングに「艦娘」があるのだ。

 しかも、公務員の次に来ている。四位の人気だ。

 そりゃあ安定しているし高給だし、色々と活躍していてかっこいいから人気で憧れのお仕事なのだろう。

 しかし、艦娘は国家公認のアイドルではない。

 艦娘は兵士であり兵器であるのだ。

 自ら兵器になりたいと思う少女が増えたと考えれば、日本社会も狂気の時代に突入したのだろう。

「……兄さん? 兄さん? 聞こえてますか?」

「あ、ああ。ごめん、考えごとしてた……って、うほおお、かわいいな!」

 目の前にはチェックのワンピに麦わら帽子の五月雨が。

 これは、いい! かわいすぐる!

「えへへ、兄さんにそう仰ってもらえるなんて、うれしいっ! あっ、もう会計は済ませましたのでいきましょう!」

「そうか、じゃあ戻ろうか」

 こうして、私らは店をあとにしたのであった。
173 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 22:06:10.67 ID:hojLDG6p0
***

 二人で喋りながら会場に戻ると、妹と谷風の試験時間の十分前になっていた。ちょうどいい時間に戻ってきた。

 私と五月雨は、妹の試験が行われる海域の海岸に腰を下ろすと、試合が始まるのを待った。

 しかし、改めて五月雨のチェックのワンピ姿を眺めると似合っており、かわいいなと思った。

 ああ、やはり五月雨を初期艦にしてよかったと思う瞬間である。

 初期艦は司令官候補生学校を卒業する時にたしか五隻から選べた。

 たしか、吹雪、叢雲、電、漣、五月雨だった気がする。

 その中で、叢雲か五月雨で迷ったような覚えがある。

 吹雪は特徴がないのが特徴だし、電は条約違反の幼さだし、漣は変人ぽさそうで素人には扱いにくそうだし、自然の流れで叢雲か五月雨の二択になった。

 まぁ、冷静になって考えてみれば、何をどう考えても五月雨なのだが。

「……司令? 私のことそんなに見つめてどうしたんですか??」
174 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 22:32:18.23 ID:hojLDG6p0
「いや、やっぱり私は初期艦を五月雨にしてよかったよ」

「わわっ、急にびっくりです! でも、兄さんにそう言ってもらえて私は幸せです♪」

 あゝ、心が洗われる。五月雨の精神洗浄能力は半端ではない。彼女のお陰で私は今、どれだけ紳士になれていることか……。

 と、試験海域に四隻の艦娘が入ってきた。北上と谷風、そして相手は……。

「あ、あれは、さっきの涼風じゃないか」

 私は彼女を思わず指差し、そう漏らした。隣の五月雨が息を飲む。

「……びっくりです。まさか、北上さんと谷風ちゃんの相手だとは思わなかったです……」

「だなあ。あの涼風はこんな状態で試験に出ても大丈夫なのだろうか」

「大丈夫だから出ているのだと思います。でも、さっきの事がありましたから、試験に響くかもです」

「となると、勝利の利はこっちにあるという訳か。それで、相手の軽巡の子は何というんだい? 軽巡にしては、兵装をいっぱい積んでいるように見えるけど……」

 私は、橙色のセーラーリボンにライムグリーンのスカートの艦娘を指さして五月雨に尋ねる。

「あれは、兵装実験軽巡の夕張さんですよ〜。司令の言う通り、普通の軽巡よりも兵装を多く積めるのが特徴です」
175 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 22:33:58.07 ID:hojLDG6p0
 五月雨はいつも通りの口調で私に説明してくれたが、さっきの事がトラウマなのか、彼女の視線は涼風の方に向いていた。

そしてその視線は、何を考えているのか分からない複雑な視線であった。

「……ああ、あれが軽巡夕張か。なかなか手ごわい相手だな。……で、五月雨。もしさっきの事で不安なら、この試験は見なくても大丈夫だよ」

 私がそう言うと、即座に五月雨は首を横に振った。

「私は大丈夫です! 向こうだって、私が着替えたから気づかないでしょうし。それに、北上さんと谷風ちゃんの事を応援したいです! その為にここまで来たんですから!」

「そうだな。じゃあ一緒に応援しよう」

 それから間もなくして、試験が始まるのか、四隻は所定の位置についた。

西側に北上と谷風が、東側に涼風と夕張が対峙する形だ。

海上のスピーカーからは、試験のルールや注意事項について、淡々と流れ始めた。

「〜〜〜それでは最後に、本試験の対戦相手について紹介致します。
 本試験について、東軍の昇進試験者は宿毛泊地の夕張曹長、支援者は土佐沖ノ島泊地の涼風少尉。
 西軍の昇進試験者は五神島泊地の北上曹長、支援者は宇和島基地の谷風少尉となっております。
 なお、旗艦は昇進試験者が務めるものとします」
176 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 22:36:03.60 ID:hojLDG6p0
 そうか、あの涼風は土佐沖ノ島泊地所属なのか。皆、近場の泊地の子たちじゃないか。

――と、試験開始を知らせる砲撃が佐伯湾に鳴り響いた。

 そして、開始と同時に谷風は夕張の方へと猛スピードで突っ込んでいった。

 一方で涼風は妹の方へと突っ込んでいった。

 妹はと言うと、余裕そうな表情で突っ立っていた。おいおい、何してあがる。

 それから間もなく突っ込んでくる涼風が北上に向けて砲撃を開始。

 北上はそれを眺めながら攻撃をかわした。

 正直、危なっかしく見えた。妹には五月雨の真似をするのはまだ早いだろう。

「あの距離の砲撃ならかわせますし、外れます。北上さんの判断力も成長してますね」

 隣の五月雨が落ち着いた口調でコメントする。なに、今のは正しい判断らしい。

 一方で谷風と夕張はというと、互いに砲撃戦に入っていた。

 谷風は得意の速力で、相手の弾数を無力化する戦法をとっているのか、夕張の周りをぐるぐる回りながら砲撃を加えていた。

 夕張はその策に嵌るがごとく、谷風にむけて砲撃を繰り返すが当たらない。

 妹と涼風の勝負も均衡している。

 見た感じ、涼風は接近戦に持ち込みたい感じであるが、妹はそれを寄せ付けないよう砲撃を繰り返す。

 双方共に結構な近さで砲撃しており、涼風の方が多く被弾していた。

 しかし、彼女はそれでも妹から離れようとせず距離を縮めていった。

 妹もまた、意地なのか涼風との距離を離さずに砲撃を続ける。そろそろ雷撃してもいい頃のような気がした。
177 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 22:38:08.31 ID:hojLDG6p0
 一刹那、妹の主砲のリロードの時間を逃さなかった涼風は妹に急接近し十二.七センチ連装砲の火を噴いた。

 妹はそれを反射的に間一髪でかわす。

 見ているこっちの心臓が止まりそうだ。

 そして直後、涼風は妹の真横を通過した。

――何か北上に対して言っているようであった。

 妹は驚いたような表情を涼風に向けると彼女のあとを追った。

 妹もまた、涼風に対して何か言っているようであった。

 それから、妹と涼風は砲撃を交わしながら互いに何かを言い合いながら戦っていた。

 いったい何をこんな時に喋っているのだ。相手の涼風は練度が高い上官であるので、話す事に気を取られてしまい、隙を突かれたら終わりである。

「あの子、北上さんのことを挑発して正常な判断を削ごうとしてるように思えます……」

 五月雨が不安そうな口調でそう言った。たしかに妹はさっきと比べると動揺しているように思えた。

 とは言え、見た感じは妹よりも涼風の方が被弾しているし、谷風と夕張に至っては、ほぼ、谷風に軍配があがっていた。

 あとは、夕張を戦闘不能にすればこちらの勝利は確実であろう。

 もちろん、慢心は禁物。涼風に妹がやられたら逆転負けだ。
178 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 22:40:23.50 ID:hojLDG6p0
 それから夕張はペアの涼風に助けを求めるがごとく、涼風の方へと逃れようとした。

 が、谷風は夕張の脚を狙って砲撃し、それを食い止める。

 夕張の嫌がる悲鳴がこっちにまで聞こえて何だか罪悪感に襲われた。

 一方でとなりの五月雨はそれを見ながらうんうんと頷いている。

 五月雨自身は谷風が昨日の演習を活かしている事に嬉しさを覚えているのだろう。

 こうしてついに、夕張は雷撃でも容易に仕留められるくらいの船速にまで落ちてしまった。

 谷風は腕で額の汗をぬぐうと、魚雷を三斜線、夕張に向けて発射した。

 直後、涼風が夕張に向けて、魚雷を二斜線発射した。何事か。味方に撃つなんて血迷ったか。

 と、となりの五月雨が「あららー」と言いながら弱気に笑った。
179 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 22:41:25.72 ID:hojLDG6p0
「谷風ちゃん早くよけないと当たっちゃいます〜」

「え、何に?」

「あの子の魚雷です」

「え、あれは夕張に当たるんじゃ……」

 しかし、涼風が夕張に向けて放たれた魚雷はもう当たってもいいはずなのに爆発しない。

 一方夕張の方は最後の力を振り絞り、谷風から放たれた魚雷を一つ主砲で爆破させた。

「魚雷というのはですね、放たれたらいったん、海中に潜るんです。だからあの距離なら夕張さんにはすり抜けちゃいます。そしてすり抜けた魚雷は浮き上がって直線上にいる谷風ちゃんに……」

――な、なるほど。

 それから間もなく爆音二つ、水柱二つ。

 一つは谷風が放った魚雷が夕張に着雷。

 そしてもう一つは涼風が放った魚雷が谷風に着雷したのであった。

 魚雷は演習用と言えど、火力は凄まじく、谷風と夕張は弧を描くように吹っ飛んだ。

 谷風と夕張の悲鳴、そして妹が谷風を呼ぶ叫び声がこっちにまで聞こえた。
180 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 22:42:36.76 ID:hojLDG6p0
「……残り三分ですね。このまま北上さんがあの子の攻撃を逃れられれば戦術的勝利、北上さんがあの子を仕留められればS勝利になりますね」

 五月雨の言葉に私は黙って頷いた。

 海上の谷風と夕張は急所に当たったのか、大破して沈みかけていた。

 救助の艦娘四人が担架を持ってフィールドに入り、二人を乗せると、海域から離脱した。

 その後、妹と涼風は黙々と互いに撃ち合っていた。

 涼風の魚雷は残り二本、そして妹はまだ一発も撃っていないので四本残っている。

 出し惜しみをせず、上手いタイミングで撃ってほしいものだが、お互い高速機動かつ近距離で撃ち合っているので魚雷の撃ちようがなかった。

 妹が涼風の脚を狙って機動を遅くすれば雷撃のチャンスをつくれるが、そこまでの砲術精度はまだ持っていない。

 まぁ、私からすれば、練度の高い艦娘の砲撃をうまく避けられているだけでも昇進するにはもう十分だと思った。

 と、試験終了を知らせるサイレンが鳴り響いた。

 終わった。

 私は背伸びをして、試合の結果が発表されるのを待った。
181 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 22:44:18.44 ID:hojLDG6p0
「只今の試験の結果は、北上曹長と谷風少尉の西軍が戦術的勝利を収めましたので報告致します。また、試験結果より、北上曹長は本日付で准尉に昇任とします」

 妹の勝利と昇進を知らせるアナウンスを聞き、私は思わず嬉しくなって「よっしゃ!」とガッツポーズする。

 五月雨も嬉しそうに「やりましたっ!」と声を弾ませ、私に抱き着いてきた。

 もう、かわいいんだから。

 思わず、私は五月雨を撫でてしまった。

 もちろん、妹のことも後でたくさんなでなでしてあげなければ。

 海上にいる妹の方をみると、涼風と喋っていた。

 そして、涼風は大切な事を言うかのように手を口に当てて、妹に何かを伝える。

 妹は真面目な顔でうんうんと頷いているように見えた。

 それから二人は握手をしっかりと交わすと、それぞれのテントの方へと戻っていったのであった。

 まさに、戦中の敵は、今の友と言うべきか。
182 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 22:47:04.84 ID:hojLDG6p0
 それから、私は妹に集合場所をラインで伝えると、五月雨と一緒に屋台の方へと行き、自分と五月雨のぶんのソフトクリームを買った。

 五月雨にはオーソドックスにバニラソフトを買って彼女に渡した。五月雨は嬉しそうに受け取る。

 あ、ちなみに私は断じて変な妄想とかで彼女にバニラソフトを買ったのではない。

 五月雨が純白のバニラソフトをぺろぺろと舐めるところを見て興奮するために買ったわけではない。

 もしそう言う事をやるなら、バニラソフトじゃなくてミルクソフトでするし……。

 と、五月雨は早速もらったバニラソフトをちょこっと舌を出してぺろっと舐めて食べ始めた。

 白いバニラソフトが五月雨の舌の上に乗り、口の中へと幸せそうに引き込まれていく。

 おまけに五月雨らしく口のまわりに白いバニラをつけちゃって……。かわいい。

 あゝ、私もバニラソフトになりたい……。

「し、司令? どうしたんですか?? 司令のソフト、溶けちゃってきてますよー」

「おっと、すまんすまん、五月雨が幸せそうに食べるから私まで幸せになっていた……」

 ほんとうに五月雨をみていると幸せになれる。

 私は抹茶ソフトを食べながら五月雨のソフトを舐める姿を眺めた。

 ああ、かわいい。守りたい、この笑顔……。

「今日は、北上さんの成長したとこを見れて、私、嬉しかったです。私が教えたこと、ちゃんとできているし、私もちゃんとセンパイとして役目を果たしているって知れて良かったです!」

 私の右横で五月雨は満足そうな表情でそう言った。
183 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 22:48:30.54 ID:hojLDG6p0
「ああ、北上も先輩が五月雨で本当に良かったと思うよ。今日、こうやって北上が勝てたのも五月雨のお陰だしな」

「そう言われると照れくさいです……。私、これからも北上さんとは艦娘ではセンパイとして、人生ではコウハイとしてお互いに成長していければいいなって思います」

「ははは、北上はまだまだ幼いところがいっぱいあるから、五月雨のほうがお姉さんだぞ」

「そんなことないですよ。人当たりのよさとか、フランクさとか、心の余裕さとかを見ると北上さんは私よりもだんぜん大人ですよ!」

 たしかに妹は誰に対しても平等に接するとこがある。それは、八方美人ともいえるし、お人好しとも言える。

「そうだな。私自身も北上のそう言う所にはかなわないしな」

 私はそう言って抹茶ソフトのコーンをかじった。

 ちょうど、スマホにラインが入る。妹からで、あと十分したら谷風と一緒にこっちに来られるとの事であった。

「……にしても、さっきの涼風は北上に何を話しかけていたのかなぁ……」

 私は残りのコーンをかじりながら、思わずため息と一緒に漏らしてしまった。

 隣の五月雨もその言葉に同調するように小さくため息を吐く。

「私には分かりません……。それと、試合中にずっと北上さんから離れなかったのも気になります。あの子の腕なら、もっといい戦いができたはずなのに……」

 やはり、あの涼風は轟沈した五月雨少佐の妹なのだろうか。

 妹が五神島泊地の所属と知って、試合中に色々と尋ねようとしていたのかもしれない。

 いや、それしか考えられなかった。これは妹にあとで、さっきの試験での会話のことを聞くしかないだろう。

 それから少しして、私は自分と五月雨のコーンの紙を捨てがてら、屋台に妹と谷風のぶんのソフトクリームを買いに行った。
184 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 22:49:16.31 ID:hojLDG6p0
 五月雨のもとへと帰るとちょうど良い時間で、すでに北上と谷風が戻っていた。

「おー、お疲れ二人とも! よく頑張ったよ」

「司令少佐! ただいま帰ったよ!」

 谷風が私に敬礼して挨拶する。

「おにっ、あっ、司令官っ、私、ついに准尉になったよ〜!!」

 妹が嬉しそうに、胸元の准尉の階級章を私に見せる。妹の小さな胸の上の階級章も誇らしげだ。

「よしよし、よく頑張ったよ。頑張った二人にソフトクリーム買ってきたぞ」

 私は妹の頭を撫でながら二人にそう言って、まず、谷風にソフトを渡す。

「まず、谷風には夕張メロンソフトクリームだ」

「おおっ、夕張ちゃんを倒しただけに夕張メロンのソフトクリームかい! いいねぇ! ありがとよ、司令少佐っ!」

 谷風は嬉しそうに夕張メロンソフトを受け取ると、ぺろぺろ美味しそうに舐め始めた。
185 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 22:50:26.84 ID:hojLDG6p0
「んで、北上には……ミルクソフト!」

 ふははは、この乳白なミルクソフトを妹にはあげよう。

 もちろん、これは私が興奮するためではない。

 たまに妹から兄の私に対して発せられる生意気な物言いのおかえしである。

 妹はおとなしく、私の前でこのミルクソフトをぺろぺろするとよい!

「んんっ、司令官、ありがと。……でも、なんでミルクソフト?」

「ほら、北上ってミ・ル・ク好きだろ? 成長したいだのなんだので……」

 それを聞いた妹は顔を赤らめる。そして、ぷんぷんとした表情を私に向けた。妹をいじるのは意外と楽しい。

「ちょ、司令官の変態っ! やっぱり変態司令官なだけあるね。まぁ、好きだからいいけどさ」

 そういって、妹はぺろぺろとミルクソフトを舐め始めた。

 どうやら私の真の意図には気付いていないらしい。

 妹は乳白色のミルクソフトを舌にからめると、ぼーっとした表情で口内へと運んでいく。

 そして、ミルクソフトが溶けて、下の方へとたれていくと、妹はそれをすくう様に下から上へとちろっと舐めた。

 それから今度はソフトの上の部分をくりっと舐める。

 舐める反動で下唇に白いミルクがついて、妹はそれを下でぺろりとぬぐった。
186 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 22:51:56.25 ID:hojLDG6p0
「……司令官? さっきから私のことじろじろ眺めてるけどなに?」

「いや、別に。もっと舐めてていいんだぞ」

「はい?」

 それから妹は持っているミルクソフトを眺める。

 そして何かを察したらしく、妹は急に頬を赤く染め始めた。

 すると、怒った表情で、私の口元にミルクソフトをバッと近づけた。

「もー、この変態司令官っ! 司令官も舐めてよ!」

 妹はそんなことを私に要求してきた。私にも恥ずかしい思いをしろということか。

「これは北上のために買ってきたんだから、全部食べていいんだぞ?」

「でも舐めて」

「なぜ舐めなきゃいけない?」

「うううううっ、司令官の変態!」

「なんでそうなる? 私はただミルクソフトを北上に買ってあげただけなのに」

「もー、とにかく舐めてよー」
187 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 22:53:25.11 ID:hojLDG6p0
 妹は私の口元にミルクソフトをつける。私の唇にミルクソフトがつく。これは間接キスになるが、妹はそれでいいのか?

「はいはい、食べればいいんだろ? 間接キスになるけどいいか?」

 その言葉に妹はもっと顔を赤らめると、ミルクソフトを差し出していた手を引っ込めて、はむっと口にソフトを頬張った。

 上唇と下唇にミルクソフトがついて、鼻にもミルクがついた。

「もうっ、見ないでよ〜!」

 ぷんぷんと怒る妹はかわいかった。妹にミルクソフトを買ってあげたのはまさに正解だった。

「北上ちゃんも司令少佐も仲良いねぇ」

 谷風が一部始終を見ていたらしく、そんなことをつぶやく。

「ええ、司令と北上さんはとっても仲良しですよ……」

 五月雨のその顔はなんか、怒っているようにも見えた…………。
188 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/08/09(水) 22:57:17.83 ID:hojLDG6p0

 Windows10が更新したがっているので、今夜はここまでです。
 なんかストーリーが中だるみしている気がしますが、一人でもニーズがあれば記しましょう。
 ああ、十勝の牛さんからとれたミルクソフトなめなめしたい……
189 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/08/10(木) 00:52:57.34 ID:sq3tny2Wo
この司令官、女物のシャンプーを香りだけで嗅ぎ分けたり
教育をなんだかんだ傍観したり
妹にアイス舐めさせたり
とんでもないぞ
190 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/08/10(木) 01:05:49.12 ID:5tZUrcxA0
甘ちゃんすぎて早死にするタイプだな
191 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/09/21(木) 13:17:38.79 ID:yoGsi3kr0

 それから私ら四人は遅めの昼食をとると、南中頃には五神島や宇和島に向かう帰りのクルーザーに乗り込んだ。

 船に乗り込むと、疲れていたのか谷風と五月雨はすぐに寝てしまった。谷風はいびきをかいて、泥のように眠るほどであった。

 一方で、妹は起きており、時折、船窓を眺めながら、スマホをいじっていた。

「北上は疲れてないのか?」

「そりゃあ疲れてるよ。でも、いまはやることあるしさ」

 そういって、妹はふたたびスマホの画面を見つめる。

「そういえばさ、さっきの試験のときに、涼風と何喋ってたのかい?」

「あー、あのやりとり司令官にも見えてたんだ。……あれはね、涼風ちゃんが私の弱点見抜いてこっちに話しかけてきたんだよ〜」

「え、そうなのか?」

「そうだよー。びっくりしたよ。今日の試験で、私、一回も魚雷撃たなかったでしょ? あれ、実は魚雷発射管が故障してたからなの。それを涼風ちゃんが見抜いて、私に指摘しにきたんだよ。それじゃあアンフェアだから、涼風ちゃんが直し方教えてくれたの。まぁ、直している間に狙われるから、直しはしなかったけどね」

 妹はそう私に言うが、私は半信半疑であった。

「本当にそうなのか?」

「本当にそうもなにも、そうだよ。そうじゃなかったらなんなのさ?」

「……」

 どうやら、妹は涼風に五神島のことを訊かれた訳ではないようだ。だが、あきらかにあの涼風の行動には不可解な点が多かった。とりあえず、今日のことは柱島泊地の人事部に報告しなければ。

 目の前の妹は、どうしたのとでも言う様な表情を私に向けると、顔を下ろした。そして、スマホをポチポチしながら、船内で時間をつぶすのであった。私は妹の姿をみながら、うとうと。ああ、ねむい…………。
192 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/09/21(木) 13:18:34.50 ID:yoGsi3kr0
「……司令官? 起きてよ、着いたよ。司令官、ほら!」

 妹が私の肩を揺すって私を起こす。ああ、私、寝ていたのか。

「お、おはよう、もう着いたのか」

「そうだよ、いくよー」
 
北上の手を支えに私は起き上がって、伸びをする。となりの谷風は依然としてぐうぐういびきをかいて寝ていた。

ちらりと腹を出しているのが、谷風らしい。そんな谷風のそばに妹が寄って、腰をおろした。

「谷風ちゃん、今日はありがと。じゃあ、また会おうね」

 妹は谷風の寝顔を撫でながら、彼女の耳元でささやく。谷風は寝ながら幸せそうな顔を妹に向ける。妹は、静かに谷風の頬にキスをすると、「大好き」と呟いたのであった。

 それから私たちは船をあとにした。桟橋に降り立つと、明石中佐が待っていた。

「おかえりなさい。あ、北上、昇進できたんだねぇ。おめでとう」

 中佐は妹の胸の階級章を見て、小さく手をたたきながら、出迎えてくれた。

「はい、明石さんのおかげで、准尉になれたよ〜。ありがとう!」

「いえいえ、私はただの工作艦。やることをしただけだよ。そして、北上。今日から貴女は軽巡じゃなくて雷巡となるのよ」

 そう言うと、明石中佐は厚みのある風呂敷を妹に渡した。

「明石さん、これはなに??」
193 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/09/21(木) 13:19:24.22 ID:yoGsi3kr0
「雷巡北上の制服だよ。これからは、これが貴女のユニフォームとなるからね」

「なるほど〜。ありがとう、明石さん! 私、雷巡としても頑張るよ〜」

 妹は頭をぺこりと下げて、明石に礼を言った。

「あと、そこのスーツケースに入ってる軽巡用の艤装は私が回収しておくから、そのままにしておいて。艤装も、これからは強力な雷撃を撃てる雷巡用の艤装になるから、明日からまた練習だね」

「はい! あ〜、雷巡の私、新しい艤装、わっくわくするよ〜♪」

 雷巡となることに心躍らす妹を見て、明石中佐も顔を綻ばす。私もまた、妹が雷巡になることに嬉しさを感じていた。聞くところによると、雷巡は甲標的を積むことで、先制雷撃を撃てるらしい。

そしてなにより、雷巡という名前の通り、そこらの駆逐艦や軽巡にはできない強力な雷撃を行えるのだ。

まさに、男のロマン。そしてそれを妹ができるというのだから、心躍った。
194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/09/21(木) 13:20:27.20 ID:yoGsi3kr0
「とにかく、今日は北上の昇進記念という事で夕飯を豪華にするぞ! 明石中佐もくるか?」

「私ですかい? 私は北上の新しい艤装の最終整備もありますし、申し訳ないですが、いつも通りということでお願いします」

「そうか……。たまには明石中佐と飯を一緒にできればいいのだが、そう言う事ならばよろしくお願いしたい。いつも艦娘のことを思ってくれてありがとう。今日は明石中佐にもいっぱい料理を作るよ」

「いえいえ、私はただの工作艦です。工作艦として当たり前の事をこなしているだけですから……」

ハスキィボイスで自分のことを謙遜する中佐。もちろん、私からすれば明石中佐は立派な工作艦であり、家族の一員と思っている。

ただ、彼女には心の壁がある。私は彼女と話すたび何時もそれを感じていた。それは紛れもなく、明石中佐がまだ前任司令官の所属として人事上でも精神面でも取り残されているからである。

今も、中佐はたったひとり、初月司令の艦娘としてその孤独の中にいるのだ。

 だから私は、豊後水道沖夜戦事件の真相を解明し、そして、本泊地を発展させて中佐を正式に我が泊地の所属にすると心の中で誓っている。これは、後任の司令官としてではなく、仲間としてなすべき当たり前のことだから……。
195 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/09/21(木) 13:21:48.68 ID:yoGsi3kr0
 この日の夕飯は、佐伯の街中で買ってきたローストビーフに白ワイン、そして私と五月雨でつくったトマトバジルピザにミートドリア、サラダというメニューとなった。

 なんか、お祝いとか良い事があると、いつもイタリアンになってしまってる気がするが、まあ皆好きだからいいのである。

 そして三人で、テーブルを囲んで乾杯。相変わらず妹の飲みっぷりは豪快であった。五月雨はワインを一口飲むと、サラダをしゃりしゃりと食べはじめる。

 なんか、今日の夕飯は黙々とみな食事を頬張っていた。今日は朝から慌ただしく、疲れが溜まっているし、お腹も減っているからだろう。

 ただ、食事に集中するこの感じは、悪い沈黙ではなかった。私は、食べる妹の姿と、食べる五月雨の姿を眺めながら、食事を楽しむ。

 変態かもしれないが、女の食べる姿を観察すると、普段では見られないような結構いい表情をするのである。

 まさに食するという幸せの表現がそこで見られるのである。

 ローストビーフをはむはむ食べる妹、ピザのチーズを伸ばしながら口の中へと食していく五月雨……。

 ああ、食べる女ってどうしてこうも興奮させられるのだろう……。
196 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/09/21(木) 13:22:59.15 ID:yoGsi3kr0
 それから少しして、最初に会話を切り出したのは妹であった。

「そいえば、五月雨ちゃん。私が今日昇進したら、お願い一つ聞いてあげるって言ってくれたよね〜」

「う、うん。そうだよ」

「じゃあ、前から言ってたあれでお願いね!」

「あれって何ですか〜?」

「もうもう五月雨ちゃん、とぼけちゃだめだよー。五月雨ちゃんのお部屋で一緒に寝るって約束したじゃん〜」

 五月雨はその言葉に困惑した表情をみせる。

「北上さん、それは私、困っちゃうよ〜。私の部屋、見られるの恥ずかしいもの……」

 あれ、五月雨は彼女の部屋を妹にも見せたことがないのか。なんか意外である。

「そんなこと言わない言わない! 私たち、『家族』でしょ? だったら水入らずで恥ずかしいとこも見せてよ〜」

「うううっ、私が北上さんの部屋で寝るのじゃだめなの??」

「それは、前にも何回かしてるじゃーん。だから今度は私が五月雨ちゃんの部屋に行って一緒に寝たいよ〜。まだ一回も五月雨ちゃんの部屋みたことないしさ〜」

 妹はワイングラスを片手に五月雨にねだった。

「恥ずかしいよ。恥ずかしい、恥ずかしい……!」

 五月雨の方は恥ずかしいの一点張りである。やっぱり五月雨はむっつりすけべなのだろうか。部屋に入ったら淫らなおもちゃやらなんやらがあるのかもしれない……。

 ああ……。

 あ、いや、私は紳士である。五月雨が部屋でそういうことをしている事をしているのを妄想していたわけではない。
197 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/09/21(木) 13:23:48.09 ID:yoGsi3kr0
「いいじゃん、女の子同士なんだしさ。
――それに私は五月雨ちゃんのコトをもっと知りたい。そして私はどんな五月雨ちゃんでも受け入れられるから……。だって家族だもん。私には隠さなくていいんだよ?」

 妹はグラスをテーブルに置くと、急に真面目な顔をして五月雨に視線を据えてそう言った。五月雨はその言葉にとても戸惑った表情をみせた。

「北上さん……それってどういうことなの、かな?」

「そのままの意味だよー。私たちはここで一緒に暮らす家族でしょ? 私は五月雨ちゃんには隠しごとはしないし、五月雨ちゃんも私には隠しごとはなしだよ? それに、いつでも私は五月雨ちゃんの味方だよ」

 妹の言葉に五月雨は視線をそらさずに黙っていたが、やがて小さく頷いた。

「うん、そうだよね。私だっていつでも北上さんの味方だし、大切な家族……。だから少し考えてみるね」

 隠し事は私にもしてほしくはないが、これがおそらく女同士の付き合いというものなのだろう。そこに、私が入る隙はなかった。ああ、羨ましい。

 それから、妹は私と喋りながら食事をしたが、五月雨は考えこみながら食べていた。そんなに迷うことなのなのだろうか。迷う五月雨をいじってみたいとも思ったが、そういう雰囲気でもないので、それはやめておいた。
198 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/09/21(木) 13:24:51.84 ID:yoGsi3kr0

 夕食が終わり風呂に入ったあと、私は久しぶりに明石中佐に夕食を届けにいくことにした。

 ただ届けるだけじゃなく、中佐とお喋りしたいので、釣り道具を片手に桟橋で晩酌にしようと思ったのだ。

 工廠前のインターホンを押すと、煙草をくわえた明石中佐が少ししてから出てきた。

「ああ、少佐ですか。こんばんは。それは……」

「夕飯持ってきたよ。なんか今日も結局あまりのこらなかったけど、酒はある。よかったら一緒に桟橋で飲まないか?」

「ええ、いいですよ。ちょうど少佐に話したい事がありますし。少し待っててくださいな。私も酒をもってきます」

 中佐は吸っていた煙草を加熱式煙草から外すと、携帯吸い殻入れにいれた。そして、工廠に戻ると、瓶焼酎を左手に持って出てきた。一緒にロシアンブルーのアカトゥルフもついてくる。

「これ、新しくでた朱霧島ですよ。これまでの赤霧島よりガツンとくるんですねぇ」

 名焼酎の霧島か。中佐はたしかに酒には強そうだ。

 私らは桟橋に腰を下ろすと、私は袋に入ったワインとピザとローストビーフを中佐の横に出しておいた。

「あ……」

 そうだ、こんなとこに置いたらアカトゥルフが食べてしまうのではないか。が、遅かった。アカトゥルフはピザとローストビーフの匂いを嗅ぎ始めた。ああ、やってしまった。

「大丈夫ですよ。アカトゥルフは食べません」

 隣の中佐は落ち着いた様子で言った。そして彼女の言う通り、アカトゥルフは食べ物には口をつけず、そこを離れた。

 その後、私の横へとやってきて「にゃあ」と鳴いた。早く釣りを始めろと言うことなのだろう。

「普通の猫なら食べてしまいそうなのに、アカトゥルフは利口だなぁ」

 私はアカトゥルフを撫でながらそう言った。
199 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/09/21(木) 13:25:55.68 ID:yoGsi3kr0
「まぁ、猫が食べていけないものは拒否するようになっているだけですがね」

「それは、どういうこと……?」

「あれ、少佐にはまだ言ってませんでしたっけ? アカトゥルフの右目のこと」

 明石中佐はローストビーフをつまみながら私に尋ねる。

「アカトゥルフの右目?」

 私はアカトゥルフを見る。左が青色、右が黄色のオッド・アイがこっちを見つめ返す。

「彼女、もともとはオッド・アイじゃないんですよ。アカトゥルフはもともと両目とも青色だった。でも今の右目には眼球型AIコンピュータが埋め込まれています」

「……!!」
 なっ、そうなのか!? 私はアカトゥルフに顔を近づける。アカトゥルフは驚いたような表情をするが、私に視線を据えたままだった。

 たしかに……。

 よく見てみると、アカトゥルフの右目の瞳孔はカメラのレンズのように回転しながら大きくなったり小さくなったりしていた。

 これはとても精巧にできている。ちゃんと観察しないと分からない程のものであった。

 と、アカトゥルフは右手を私の額にのせて、顔を離すように押した。

 ああ、すまんすまん、猫だってそんなに見つめられると恥ずかしいよな。

「でも、なぜ……?」

 私はコップにワインをトクトク注ぎながら中佐に訊く。
200 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/09/21(木) 13:26:49.10 ID:yoGsi3kr0
「この子、捨て猫だったんですよ。雨の日に呉鎮守府の裏口に捨ててあったのを、呉の明石少将が見つけたんです。かなり衰弱しており、しかも、右目が感染症にかかっていたのですよ。少将はすぐに海軍医大附属動物病院に連れていったそうですが、右目を摘出しなければ助からないと言われたそうです。命には代えられないと少将は子猫の右目の摘出手術を決断。その時に医者から、子猫を開発中であった眼球型AIコンピュータの被験体にさせてくれないかと頼まれたそうです」

 中佐はそこで一旦言葉を切ると、持っていた朱霧島を二つのおちょぼに注いだ。中佐は一つを私に手渡す。私は小さく頭を下げて、それを飲んだ。

 喉が熱い。隣の明石中佐は平気そうな顔で飲んでいる。整備士という仕事柄なのか、酒にはやはり強いようだ。

「――で、呉の明石少将は、アカトゥルフを被験体にしたわけか」

「まぁ、結論から言うとそうですね。この眼球型AIコンピュータは人間の失明者の視力回復を目的に開発されましたが、その前段階として動物実験が必要だったのです。そしてそのタイミングでこの子が病院に運ばれた訳ですよ」

 中佐はアカトゥルフを撫でながら説明する。アカトゥルフは気持ちよさそうに身体を伸ばして中佐の隣に伏せた。

「もちろん、手術が失敗しても亡くなってしまいますし、仮に成功しても眼球型AIコンピュータが猫の脳に大きな負荷となれば神経障害を起こして亡くなってしまいます。アカトゥルフの前に行った犬や猫での実験ではそれで全てが失敗して亡くなったそうですよ」

「そんな状況でよく、呉の明石少将は被験体として差し出したなぁ」

「ええ。でも、事前に設計図や手術の手法を見せてもらったそうで、少将は熟練の工作艦の立場から、手術は成功すると確信したそうです。事実、手術は成功してここにアカトゥルフがいるわけですから」

 さすが工作艦。艦娘の艤装を作れるだけあって、機械工学だけでなく生物工学の心得も十分にあるから、医学についても自然と知識が涵養されるのだろう。

「なるほど……。でも、まさかアカトゥルフがそんな生い立ちとは思わなかった。しかし、なぜ、そういう意味ではすごい猫がこんな所にいるのかい?」

 その問いに、中佐はローストビーフを箸でつまみ食べて、私が持ってきたワインを一口飲んでから答える。
201 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/09/21(木) 13:27:57.85 ID:yoGsi3kr0
「……アカトゥルフは手術後、リハビリを重ねながら、人間の眼球型AIコンピュータを開発するにあたって必要なデータを色々と採取されたようです。そして、それが終わると、漸く少将のもとへと返されたんですがね……」

 そこで明石中佐はため息を吐いて、ワインを一口する。

「まぁ、命の恩人とはいえ、そんな危険な手術や開発実験に差し出した少将のことをアカトゥルフはよく思ってなかったらしく、なつかなかったんですよ。あと、そもそも、呉鎮守府は猫禁止ですし……」

「ああ、聞いたことがあるなぁ。呉鎮守府が猫禁止なのは。たしかちゃんとした理由があったような……」

 と、ちょうど釣り竿にぷるると反応がきたので、ひょいと持ち上げた。小さなアジが釣れる。中佐の横で伏せていたアカトゥルフは途端に起き上がって、くれくれと私の肩を叩いた。釣り針からアジを外して手に持ちアカトゥルフに差し出すと、アカトゥルフは尻尾の方を加えてアジを受け取る。そして、ピチピチあばれるアジをバリバリ食べ始めた。

「ありますよ。艦娘の鎮守府として呉鎮が開設したての頃に、鎮守府と司令部間の情報通信を行うネットワークがダウンする事件があって、それの犯人が鎮守府内に侵入してネットワーク機器のコンセントを引っこ抜いた猫だったのですよ。それ以来、呉鎮守府は猫禁止になりましたし、鎮守府と司令を結ぶネットワークがダウンすると猫のイラストが出てくるようになったんですよねぇ。『猫る』とはまさにそう言う事です。『バグる』のエピソードと同じなんですよ」

 ああ、そうだった。うちでも一回だけ猫ったが、猫ると遂行中の任務は中断せざるをえなくなり、艦娘は退却することになる。

 あの時はいつもの豊後水道の哨戒任務であったが、大きな任務や作戦で猫るとかなりの損失を食らうことになる。

 あゝ怖い。

「それで、話を戻すと、アカトゥルフは呉鎮守府にはいられないから、私のいるここ五神島で引き取ってくれないかと少将が私に連絡をしたんですよ。たしか、今から一年十カ月前のことでした。当時、私はちと辛いことがあったので、私の高校時代の先輩である少将が心配して、アカトゥルフをかうことをすすめてくれたんですよ」
202 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/09/21(木) 13:29:07.15 ID:yoGsi3kr0
 一年十カ月前……吹雪中佐が前任司令官とケッコンする一年前のことである。中佐に何かあったのだろうか。
「ちと辛いことって……?」
「まぁ、端的にいえば、大切な人を亡くしたんですよ」

「……それは艦娘……?」

「それ以上は答えたくはありません」

「す、すまなかった……」

 中佐は隣で、煙草をポケットから取り出して加熱式煙草に差し込む。嘆息を吐くと、吸い始めた。

「私の過去なんて少佐は知る必要などないでのですよ。少佐は、貴方の指揮下の艦娘の事だけを背負えばよいのです」

 一匹狼な明石中佐らしい発言である。しかし中佐は女性であり、しかも私と同じくらいでまだ若い。だから私には何となく彼女が虚勢を張っているようにもみえた。

「あ、ああ……」

「まぁ、そんな訳で私はアカトゥルフを引き取ることにしたのです。司令官も猫好きだったので、快諾してくれましたよ……」

「前任司令官も猫好きだったのか」

「ええ。引き取ってから、司令官はよくアカトゥルフと遊んでましたよ。かなり懐いてたと思います。泊地の子たちからも好かれ、アカトゥルフも病気もせず元気にここまで成長してくれました。健康でいられるのは眼球型AIコンピュータに健康状態を調べるプログラムやら、さっきの猫が食べてはいけない物をAIが分別してくれるプログラムやらが入ってるからでもありますが」

 アカトゥルフは幸せものだな、と私はアカトゥルフを眺める。

 アカトゥルフは顎を動かして「にゃあ」と鳴いた。早く二匹目を釣れということか、はいはい。

「……っと、すいません、アカトゥルフの事を長々と話してしまって……」

「いえいえ、こちらこそアカトゥルフの事を知れてよかった。んで、中佐が話したかったことってこの事なのかい?」

「ぜんぜん違いますよ。本当は、少佐とはちょっと話しながら酒を飲みかわす程度にして、本題を伝えて、帰ってもらうつもりでした。ついついアカトゥルフの話で盛り上がってしまいました……」
203 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/09/21(木) 13:30:31.95 ID:yoGsi3kr0
 中佐は白波の少し立つ宇和の海を眺めながらそう言うと、吸っていた煙草を口から離した。その表情はすこし、不安そうにも見えた。

「中佐、本題というのは……」

「本題というほどのものじゃあないですよ。ただ、今夜は時化るかもしれないから、少佐は早く帰って中にいた方がいいと伝えたかっただけです」

「時化るって……? 海は時化ない予報だが」

「そう言う意味じゃありませんよ」

 明石中佐はそう言って、煙草の吸殻を携帯吸い殻入れに仕舞う。

「……つまり、どういうことなのか?」

「単に少し嫌な予感がするという事です。もう二十時四十分です。はやく帰られた方がいいですよ。まぁ、私の勘ですがね」

 そう言うと、中佐は夕食が入ったタッパーの蓋を閉じて、紙袋に戻し、片づけをはじめる。嫌な予感、なにが嫌な予感なのだ?

「――嫌な予感って……?」

 私もリールを巻きながら釣り道具を片付ける。明石中佐は何らかの根拠があって言っていることは間違いない。

「いや、少佐も分かってると思いますが、北上は昇進したら五月雨の部屋で一緒に泊まる約束を五月雨にしてたじゃないですか。でも五月雨は明らかに乗る気じゃありません。だから、喧嘩になるかもという事です。私の気のせいかもですが」

 なるほど、そのことか……。

「たしかに、私もそれは気になってた。五月雨は、私はもちろん北上にもまだ自分の部屋にいれたことがない。今日も夕飯のときに五月雨は自分の部屋を見られるのが恥ずかしい恥ずかしいとか言ってたし……」

「うーん、なぜ恥ずかしいのかは私も知りませんが、そうなるとやはり嫌な予感がしますね」

「私が北上に諦めるよう言った方がいいのかな?」

「それは良くないと思いますよ。二人の約束にはなっているみたいですし、北上のフラストレーションが溜まるのもよくないと思います。まぁ、軍である以上、共同生活は当たり前ですし、この泊地はシングルルームじゃないので、艦娘が増えればいずれ五月雨の所も共同部屋になります。ですからここは二人をそのままにした方がいいですね。まぁ、喧嘩が加熱し過ぎているようでしたら止めに入ればよいと思います」

「中佐の言う通りだな。ありがとう。お礼に残りのワインは貰っていいよ」

 私は桟橋から釣り道具を片手に立ち上がる。

「じゃあ、貰っときます。タッパーとかグラスは私が洗っておきますんで、少佐はこのまま帰って大丈夫ですよ」

「ああ、よろしくたのむ。明石中佐、今日は朝からありがとう」

 私は中佐に礼を言って、背を向ける。さあ、司令部に帰ろう。
204 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/09/21(木) 13:31:12.78 ID:yoGsi3kr0
「――少佐、これからが少佐の手腕が試されるときです。色々あると思いますが、頑張ってください。私も応援してますから……」

 明石中佐は私の背中をそっと押すように言う。私は振り返らずその場で小さく頷くと、その場をあとにしたのであった。
205 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/09/21(木) 13:33:04.93 ID:yoGsi3kr0

 司令室に帰ると時刻は既に二十一時五分前となっていた。

 三階に昇るとき、二階の奥の部屋を見たが、五月雨や妹はいなかった。

 何事もなく、もう部屋に入ったのだろうか。それとも、まだなのだろうか。

 帰って早速、私は柱島人事部の海城に今日の事を打電することにした。

 内容は勿論、轟沈した五月雨少佐の妹と思われる土佐沖ノ島泊地の涼風少尉が、うちの五月雨を五月雨少佐と誤認して呼び止めようとしたことだ。

 報告を終えて、少しすると電話がかかってきた。海城からであった。

 海城は詳しく今日の事を聞かせて欲しいと言ってきたので、誤認された経緯を彼に伝えた。

「なるほど状況を理解しました。はい。伝えるのが遅くなりましたが、土佐沖ノ島泊地の涼風少尉は、まさに轟沈した五月雨少佐の実の妹です。やはり、まだ彼女は姉が轟沈したことを受け入れられないのでしょう……」

「はい。あの時を振り返ると、彼女の無邪気な言動に心が締め付けられます……」

「そして、辛い事をフラッシュバックさせないためにも五月雨中尉がそれを瞬時に察知し、彼女と距離を置こうとしたのは正しい判断ですし、凄いと思いました。ただ――」

 海城はそこで一旦言葉を切った。何か引っかかることでもあるのだろうか。

「……代償捕獲病というのは聞いたことがないですし、よく判断できたなと思います」

「聞いたことがない?」

「ええ。ただ、代償捕獲病ではないですが、涼風少尉は事件後にPTSDになったので、艦娘の間ではこれをそう言っているのかもしれません。実際に親しい艦娘を亡くすと防衛機制の代償行動として、似たような艦娘に接近して気を紛らわすというのは良く聞きますし」

「なるほど。あと、五月雨いわくその涼風は目が病んでいるから判断できたと言ってました。私にはそうは見えなかったですが、艦娘の中ではそう言うのが分かるのかもしれません」

「目が病んでいる……ですか。目は口ほどに物を言うといいますが、そうなのかもしれません。と、お休み前に少し長く喋ってしまいましたね。五神島司令、今日も報告ありがとうございました。引き続き、気になる事があれば連絡ください。因みに指輪を発見したあとに、泊地内から何か出てきたりしませんでしたか?」

「いえ、特に何も出てきてないですよ。まぁ、また何かあれば連絡します」

 そう言い、私は受話器を置いた。時刻は二十一時三十三分であった。

 二十分ほど話していたが、その間は特に何もなかった。

 もう、こんな時間だ。おそらく今頃は妹も五月雨も仲良く部屋に入って談笑しているところだろう。

 私も今日は疲れたしもう寝ることにするか。

 私は座った状態で、手を両手に挙げて伸びをすると、大きく欠伸した。
206 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/09/21(木) 13:33:55.41 ID:yoGsi3kr0
――と、その時だった。

 机の上の簡易無線機がモールス信号を受信した。

 これは…………救難信号ではないか!

 私は慌ててペンを取ると、メモ帳に和文化した救難信号を走り書きした。

「SOS SOS ヒブリジマ ホクトウオキ 2カイリ コショウシンスイダ……」
207 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/09/21(木) 13:34:41.07 ID:yoGsi3kr0
 しかし、救難信号を受信している途中に、階下から悲鳴にもとれる五月雨の怒鳴り声が私の耳を突き刺した。

「だめええええええっっ!!! ぜったい、だめええええええっ!!!」

 このタイミングで、明石中佐の懸念が的中してしまった……。最悪なタイミングだ。

 一瞬、下の騒ぎを放っておくことも考えたが、五月雨から発せられたその怒鳴り声は、昨晩聞いたもの以上に深刻なものであった。

 あんな五月雨の怒声は聞いたことがない。

 私の体は反射的に、立ち上がっていた

 救難信号の無機質な短信音も悲鳴をあげる。

 しかし、今の私には頭に入ってこなかった。

「…………ッ!」

 日振島北東沖なら日振島泊地や戸島泊地の方が早く救助に駆けつけられる。それに、いまの状態では救助どころではないだろう。

 そう自分に言い聞かせて、この救難信号を無視。

 直後、私は司令室を飛び出し、階下へと転がるように駆けていった。

 二階へと到着すると、五月雨が自分の部屋の扉の前で紅潮して突っ立っていた。妹はその前に尻を着いてしゃがみこんでいる。

 と、五月雨と目線があった。
208 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/09/21(木) 13:35:32.45 ID:yoGsi3kr0
「司令、来たんですね。北上さんを止めてください」

「……北上との約束なんだろ?」

「……」

「そだよ。五月雨ちゃんと約束してたのに、私が来たら入らせてくれないの。入ろうとしたら、めっちゃどなってきて、しかも突き倒された」

 妹は不機嫌そうに言うと、立ち上がり浴衣の埃を払う。

「だって、あんな約束、北上さんが一方的にしてきただけじゃないっ!!」

「そんなことないし。私は五月雨ちゃんがオーケーしてくれたの覚えてるもん」

 喧嘩は平行線をたどる。

「五月雨、どうして北上をいれたくない?」

 私が横から五月雨に尋ねる。その質問に五月雨は膨れた顔で私を睨み返す。

「だめなのはだめだからです!!」

「何がだめなのかい?」

「…………」

 沈黙する五月雨に私は近づき、正面に立つ。

「……五月雨、僕たちはさ、一緒に生活する家族なんだよ。僕だって北上だって五月雨には自分の部屋みせているし、夕飯の時に言ったように隠し事はしてない。だからさ、五月雨も恥ずかしがらなくていいんだよ。それに北上はすごく楽しみにしていたんだ。約束というのもあるけど、五月雨にはそれを理解してほしい」

 私は五月雨に視線を据えてそう言葉を紡いだ。

 目の前の彼女は、口を固く閉ざしてそれを聞いていたが、やがて、嘆くようにため息を吐いた。
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