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千歌「私のぴっかぴか音頭・タイムトラベル」
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29 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:25:24.49 ID:smyUCZOA0
―――――
むくりと身を起こす。頬に手を当てて、濡れた跡をごしごしとこする。
千歌「……夢」
夢。私が過ごしたはずの時間。
必死に手を伸ばすのに、夢の残滓は炎のように揺らめいて消えた。
頭がじんと重かった。
「夜ごはん、置いてあるからね」
志満姉が書いたメモが机の上に置いてあった。
あちこちに投げつけたペンやぬいぐるみは、きちんと拾われていた。
ぽろんぽろんと、音がする。
もう真っ暗になった部屋の中、どこからかピアノの音が聞こえてくる。
千歌「梨子、ちゃん……?」
窓をガララと開ける。
少し大きくなった音色は、不思議と心地よく聞こえた。
千歌「諦めないで、会いに来て。もう一度、走り出して……」
夢で聞いた言葉を口にする。
漏れた言葉は、夜闇の中へしゅるりと消える。
30 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:26:08.57 ID:smyUCZOA0
あの声は、何だったのだろう。
いつも聞いている声だった。
千歌「私の声、だったような……」
励ますような、叱りつけるような、慰めるような、突き放すような。
甘さと苦さの入り混じった夢が、とくとくと胸で脈打っている。
千歌「もう一度、走り出して」
また、夢の言葉を繰り返す。
走り出す――どこに?
諦めない――何を?
机の上には破れたノートがあった。
携帯のカレンダーは、相変わらず4月8日を表示していた。
ああ、私はこの日から走り出したんだ。
曜ちゃんと学校に行って、梨子ちゃんに出会ったこの日から。
「もう一度」
そういうことなのだろうか。
31 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:27:01.10 ID:smyUCZOA0
千歌「もう一度、Aqoursを……」
千歌「もう一度、皆を……」
夢で聞いた言葉が、皆との思い出が、しゅわしゅわと心に染み込んでくる。
もう一度、走り出すんだ。
あの暑い暑い日に。輝いていた日々に。
そう、まだ4月8日なんだ。
軽やかなピアノの音はまだ続いている。
千歌「ねえ! 梨子ちゃん!」
大きな声で叫んでみた。
不意に音が止み、カーテン越しに人影が近づいてくる。
窓が開き、怪訝な顔をした梨子ちゃんが顔を出した。
梨子「……え? た、高海さん!? お隣だったの!?」
千歌「ねえ梨子ちゃん。お願いがあるんだ」
梨子「え、う、うん。何?」
千歌「私と、スクールアイドルやろうよ!」
32 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:28:08.39 ID:smyUCZOA0
梨子「……へ?」
千歌「スクールアイドルだよ! 歌って、踊るの! 梨子ちゃんの曲で! 私の歌詞で!」
梨子「……」
目をまん丸にして、梨子ちゃんはしばらく言葉を失っているようだった。
そして。
梨子「……ごめんなさい!」
千歌「そっか、そうだよね。……そうだったもんね!」
なくなっちゃったんじゃない。まだできていないだけなんだ。
また、ここからだ。
もう一度、走り出すんだ。
千歌「待っててね、皆。千歌、絶対帰るから」
方法すらわからないけれど。
取り戻すんだ。大好きな、Aqoursを。
―――――
―――
33 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:29:02.53 ID:smyUCZOA0
◇―――――◇
次の日から、私は毎日音楽室に通った。
はじめは苦笑いしながら受け入れてくれていた梨子ちゃんも、3日目には遠慮なくしかめっ面をするようになった。
梨子「千歌ちゃん。私にアイドルなんて無理だってば。だから、ね?」
千歌「そんなことない! 梨子ちゃんは絶対人気出るもん。知ってるもん」
梨子「……千歌ちゃんって、たまに不思議なこと言うよね。知ってる、とか」
千歌「え、そ、そう?」
梨子ちゃんには、事情を言えないでいた。
言ったところで信じてもらえないと思った。
千歌「とにかく、梨子ちゃんが必要なの!」
梨子「曲が必要?」
千歌「違うよ! 梨子ちゃんが必要なの!」
梨子「ごめんね。私、もうすぐ春のコンクールがあって」
きっぱりと梨子ちゃんは断った。
34 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:29:42.11 ID:smyUCZOA0
―――――
梨子「千歌ちゃん、また来たの?」
千歌「毎日来るよ、だって、一緒にやりたいんだもん」
梨子「そ、そう……」
梨子「でも、私はアイドルなんてやらないよ?」
千歌「いいよ、いつかやるから。千歌知ってるもん」
梨子「……」
千歌「今日はピアノ弾かないの?」
梨子「誰かさんのせいで弾けてないの」
こつんと額を叩かれた。
ピアノを第一に考えて、邪魔をされたと口を尖らせる梨子ちゃんは、なんだか新鮮だった。
35 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:30:15.10 ID:smyUCZOA0
梨子「千歌ちゃん、毎日毎日私のピアノを聞いて、飽きちゃわない?」
千歌「えー、私、梨子ちゃんのピアノ聞くの好きなんだけどなあ……」
梨子「クラスの他の子は、ちょっと聞いたら帰っちゃったよ」
千歌「そうなんだ」
梨子「それに、今日は美容院の予約があるから弾けないの」
千歌「そうなの? ……あ、私が道案内しようか? 梨子ちゃんまだこっちのことあんまり知らないでしょ!」
梨子「それはありがたいけど、恩を売っても入らないよ?」
千歌「今はそれは関係ないよー! 内浦の案内は地元民に任せなさい! って、もう梨子ちゃんにとっても地元か!」
梨子「……」
梨子「変な人」
36 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:30:54.43 ID:smyUCZOA0
ピアノのこと、音の木坂のこと、梨子ちゃん自身のこと。
たくさんの話を、梨子ちゃんに聞いた。
すでに知ってる話も、知らなかった話も、以前に聞いたことと違う話もあった。
そんな話は、すべて優しい音に乗って聞こえてくるのだった。
胸の奥がざらざらと荒れる。
梨子ちゃんのピアノ。私はそばでうんうん唸って、考え事。
Aqoursの記憶と今を重ねては、ずきりとした。
私は何も話さなかった。
話そうとすると、いつもいつも、Aqoursの影がちらついた。
口を開くと、すぐにあの日々の話がふよふよ飛び出して行きそうだった。
だから、私はこう言うんだ。
千歌「梨子ちゃんとスクールアイドル、やりたいな」
梨子「……ごめんなさい!」
梨子「ふふっ」
千歌「あ、梨子ちゃん笑ったなぁ!」
37 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:31:33.97 ID:smyUCZOA0
――――
梨子ちゃんは、私の知ってる梨子ちゃんと似ているのかな。違うのかな。
曜ちゃんは、私の知ってる曜ちゃんと似ているのかな。違うのかな。
私が梨子ちゃんの所に行き始めてから、曜ちゃんはあまり元気がない。
水泳部はどうするの。
一度だけ小さな声でそう聞かれた。
千歌「私のせいだよね……」
けれど、どうしても水泳部には足が向かなかった。
じろじろと上から皆が見る中で、無様に足をバタつかせていた自分を思い出して、顔をしかめた。
梨子「何だか、今日は浮かない顔してる」
千歌「あ、ごめんね」
梨子「ううん、気にしないで」
梨子「気が乗らないときはね、好きな曲を弾くの。まあ、今はコンクールの曲ばっかりなんだけどね」
千歌ちゃんは好きな曲とか、あるの? そう聞かれて、またAqoursと答えそうになった。
μ'sの歌を挙げると、梨子ちゃんは口の中で「みゅーず、みゅーず」と数回繰り返した後、またピアノを弾き始めた。
38 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:32:17.86 ID:smyUCZOA0
今目の前にいる梨子ちゃんは、あの頃、好きなはずのピアノに恐怖を抱いて、迷っていた梨子ちゃんとは違う。
コンクールに向かって、ただひたむきにピアノを弾いていた。
梨子「そ、その、あんまり見られると恥ずかしいんだけど……」
それでも、たまに見せる照れた顔や、じとっと睨むような顔は、記憶にある梨子ちゃんのままだった。
千歌「ね、じゃあコンクール見に行ってもいい?」
梨子「え、ええ!? それは、別に、いい、けど……」
手をわたわた振っている。
梨子「そっか……。千歌ちゃん来るのかぁ。頑張らなきゃ、ね」
ぽそりと呟いて、梨子ちゃんはぎゅっとこぶしを握った。
39 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:33:00.76 ID:smyUCZOA0
――――
4月12日。梨子ちゃんのところに通って一週間。
今日も梨子ちゃんを誘った。今日も断られた。
それでも、最近は何も言わなくても一緒に帰ってくれるようになった。
音楽室の鍵を返してくるから待ってて。そう言われた。
曜「千歌ちゃん」
夕焼けに染まった下駄箱の前で靴を履き替えていると、曜ちゃんがやって来た。
頬を上気させ、髪はしっとりと濡れている。
曜「また、行ってたの?」
咎めるような言葉に、自然と顔が下を向く。
千歌「……うん」
曜「ねえ千歌ちゃん。この前言ったよね。部活に来てって」
千歌「……うん」
水泳部には1度だけ顔を出した。散々だった日を思い出してまた顔をしかめる。
めちゃくちゃなフォームで泳ぐ私を、鬼と名高いコーチは思いっきり怒鳴りつけた。
それ以来、水泳部には行っていなかった。
40 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:33:40.50 ID:smyUCZOA0
曜「調子が悪かったのはたまたまだよ。皆気にしてない。コーチだって、きっと言い過ぎたって思ってるよ」
私は競技用の正しいフォームなんて知らなかった。
もう一度行ったところでうまく泳げるとはどうしても思えない。
曜「それに、今日は後輩の子も来てくれたんだよ。津島善子ちゃんって言ってね。私、バスがたまたま一緒で。誘ったら見学に来てくれたんだ」
千歌「え、よ、善子ちゃんが……?」
曜「あれ、知り合いだった? おかしいなあ。善子ちゃん、そんなこと言ってなかったけど」
ここ数日で気づいていた。自分の周りの、何もかもが記憶と異なっている。
梨子ちゃんはピアノを弾き続けているし、私は水泳部だし。善子ちゃんもどうやら登校を続けているようだった。
学校だって、私の記憶とはかなり違っていた。
曜「ねえ、千歌ちゃん。水泳、嫌いになった……? それとも私のこと、嫌?」
千歌「ううん、そうじゃなくて、そうじゃないの!」
曜「だったら何なのっ!」
千歌「……っ…」
41 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:34:24.09 ID:smyUCZOA0
千歌「ね、ねえ曜ちゃん。曜ちゃんは、私と一緒に、その……」
曜「……スクールアイドル?」
千歌「う、ん……」
はあ、と大きなため息をつくと、曜ちゃんはくしゃくしゃと髪を掻き混ぜた。
曜「この前、見たよ。μ'sの動画。凄かった。キラキラして、楽しそうで……千歌ちゃんが憧れるのも、わかるな」
千歌「じゃ、じゃあ!」
曜「でもさ」
曜「でも、ずっと一緒にやってきたじゃん! 水泳だって、水から顔を上げたときのキラキラが好きなんだって、そう言ってたじゃん!」
言ってない。私はそんなこと、言ってないんだよ、曜ちゃん。
曜「パパと練習だって一緒にしてさ! 昨日だって、パパ、千歌ちゃんのこと心配してたんだよ」
42 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:35:08.97 ID:smyUCZOA0
曜ちゃんのお父さん。普段はあまり会えないが、会うたびによくしてもらっていた。
千歌「お父さん、帰って来てるんだ……」
曜「え、そりゃ夜になったら帰ってくるよ」
千歌「え? 曜ちゃんのお父さん、フェリーの船長で……」
曜「へ?」
千歌「だ、だって曜ちゃん、あんまり会えなくて、少しだけ寂しいって、お父さんあんまり家にいないって、言って――」
曜「……何、それ」
しまった、と思った時にはもう遅かった。これも「違った」んだ。
曜ちゃんの声は、今まで聞いたことがないほど、低く、冷たかった。
曜「何それ、千歌ちゃん」
千歌「あ、あの、違うの。その、千歌、知らなくて」
曜「知らないって、何」
千歌「ご、ごめん、曜ちゃん。ごめ――」
バシンと、頬に衝撃が走った。
43 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:35:41.86 ID:smyUCZOA0
曜「バカ! バカ千歌ちゃん! あんなに一緒に練習したのに! パパにだって、たくさん泳ぎ方教えてもらったのに! こんなに真剣に話してるのに!!」
曜「もう知らない! 千歌ちゃんなんか梨子ちゃんとずっとアイドルやってればいいんだ!」
ぽろぽろと涙を流し、くるりと背を向けて、曜ちゃんは走って飛び出していった。
泣いているところはごまんと見てきたけれど、あんなに驚いた目は、傷ついた顔は初めてだった。
千歌「ぁ……曜、ちゃん、待って、待ってぇ!!」
追いかけようとして、足がもつれて転んでしまう。
千歌「曜ちゃん、曜ちゃんっ!!」
曜ちゃんの姿はすぐに見えなくなってしまう。
千歌「う、ぐっ……うぅ……うぅぅぅぅっ……」
よたよたと立ち上がり、じんじんと痺れる頬を押さえながら、下駄箱に寄りかかって泣いた。
梨子「お待たせ、千歌ちゃ――って、千歌ちゃん!? ど、どうしたの!?」
44 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:36:27.02 ID:smyUCZOA0
◇―――――◇
梨子「ほら、これで大丈夫。消毒も終わり。それで、曜ちゃんと喧嘩したって?」
千歌「……うん」
梨子ちゃんは私を家に連れ込んで、怪我の治療をしてくれた。
家は隣なのだからと断っても、ぐいぐいと腕を引かれた。
梨子「もう、そんな顔しないの。アイドルやるんでしょ?」
千歌「梨子ちゃんは?」
梨子「私は……」
梨子ちゃんはどこか遠い目をしていた。すぐに断られないことに違和感を抱く。
千歌「梨子ちゃん?」
梨子「……最近ね、夢を見るの」
千歌「夢?」
梨子「うん。夢の中でね、私は千歌ちゃんと……ううん、千歌ちゃんだけじゃなくて、曜ちゃんと、あと、他にも……」
梨子「9人で、踊っているの」
千歌「……っ!」
息を呑む。
45 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:37:01.28 ID:smyUCZOA0
梨子「ねえ、千歌ちゃんは知ってるの? これも、知ってるの?」
千歌「……そ、それ、は……」
どくんどくんと動悸が止まらなかった。
それは、Aqoursだ。Aqoursの夢だ。
梨子「毎日見るの。千歌ちゃんに誘われてから、毎日」
梨子「知っているなら、教えてほしいの」
千歌「梨子ちゃんは、ピアノのコンクールが、あるから……」
気づけば断っていた。
教えることで、梨子ちゃんの何かを決定的に変えてしまうような気がした。
ここ数日で、この梨子ちゃんがどれだけピアノを大切に思っているか、わかってしまっていた。
46 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:37:49.13 ID:smyUCZOA0
千歌「今は、そっちに集中した方が、いいんじゃ、ないかな……」
梨子「嘘。毎日勧誘に来る人の言う台詞じゃないよ」
千歌「……」
梨子「千歌ちゃん」
千歌「……あの、今日はもう……」
梨子「逃げないで、千歌ちゃん」
千歌「…っ!」
まっすぐな目から、視線が外せなくなる。
千歌「……わかった。話す、話すから……」
力なくそう言った。
千歌「その、すっごく長くなるんだけど、一言にするなら、ええっと……」
千歌「私、未来から来たんだ……」
梨子「……へ?」
―――――
―――
47 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:38:24.90 ID:smyUCZOA0
――――
梨子「え、っと……。予想外すぎて、何も言えないんだけど……」
話を聞き終わった梨子ちゃんは、頭を押さえて呟いた。
梨子「千歌ちゃんは、私たちがスクールアイドルをやっている未来から、跳んできたってこと?」
千歌「うん、たぶん……。でも、私の知ってる過去と違うし、詳しいことは全然わからなくて……」
梨子「そうだよね。ごめんね」
千歌「り、梨子ちゃんが謝ることじゃないよ!」
梨子「……」
梨子「そっか……、そうだったんだ……」
梨子「千歌ちゃんは、それで、私を誘ってたんだね」
千歌「……うん。だって、私の知ってるAqoursはあの9人だから」
梨子「……そっか」
それからしばらく、部屋は静かなままだった。
ちらちらとこちらを窺ったあと、梨子ちゃんがまた口を開いた。
48 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:39:11.66 ID:smyUCZOA0
梨子「ねえ千歌ちゃん」
千歌「……ん?」
梨子「私がスクールアイドルを始めたら、千歌ちゃんは帰れるの?」
千歌「……わかんない」
もう一度、走り出して。
ヒントかどうかもわからない、そんな言葉を頼りにしてしまっている。
千歌「わかんないよ、全然。でも……」
でも、それでも。
千歌「Aqoursが楽しくて、ずっとやっていたくて」
千歌「ほんとに、幸せで! みんなで先に進みたくて……っ!」
千歌「Aqoursって、すごいんだよ! すっごく仲良しで、休みの日も一緒にお出掛けしてさ! 練習だって、大会だって、いつも一緒で!」
気づけば、腕を振り回していた。何かを掴もうと、手を伸ばしていた。
けれど、手は梨子ちゃんの部屋の冷たい空気を掻くだけだった。
49 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:39:59.43 ID:smyUCZOA0
千歌「……」
千歌「たぶん、それだけなんだと思う。千歌には、それだけなんだ」
千歌「でも、ダメダメだ。絶対取り返すんだって誓ったのに。想ったのに。曜ちゃんを傷つけて、梨子ちゃんには迷惑かけて。ダメダメだよ……」
梨子「千歌ちゃん……」
梨子「ねえ、千歌ちゃんは、どうしたいの?」
千歌「……」
私は、どうしたいんだろう。
曜ちゃんと喧嘩をしてまで、戻りたいのかな。
梨子ちゃんからピアノを奪ってまで、帰りたいのかな。
ゆっくり考えていようと思うのに、気がついたら言葉が零れ落ちていた。
千歌「私は、帰りたい。またみんなで踊って、笑って、そんな日を過ごしたい」
梨子「……」
50 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:40:42.22 ID:smyUCZOA0
梨子「……私に、入ってほしい?」
千歌「それは! そう、だよ……。あ、でもでも! ピアノもやってほしいっていうか!」
梨子「……ふふっ、千歌ちゃんって、やっぱり変な人」
千歌「ええっ! そんなことないよ! 千歌なんて、ほら、普通だよ。普通星人だよ!」
梨子「えー? そうかなあ?」
普通の人は未来から来ないと思うけど。そんな冗談を言いながら、くすくすと梨子ちゃんが笑う。
梨子「……」
梨子「千歌ちゃん、もっと聞きたいな」
千歌「へ? Aqoursの話?」
梨子「うん。だって千歌ちゃん、さっき見たことないくらい素敵な笑顔をしてたから」
梨子ちゃんに頬をつつかれる。じんと痛んだ。
千歌「そ、そう、かな。えーっと、じゃあ……」
―――――
―――
51 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:41:22.91 ID:smyUCZOA0
――――
その後、梨子ちゃんにAqoursのことを話した。
何時間もかけて、一つ一つ丁寧に。
この世界のことは何もわからないけれど、Aqoursのことはびっくりするくらい詳しく覚えていた。
誰が、いつ、どこで、何をして、何が楽しくて――。
そんな話を、梨子ちゃんは文句も言わずに聞いてくれた。
梨子ちゃんは一つ一つの話に興味を持ち、質問し、驚いた。
善子ちゃんの堕天使話には手を叩いて笑い、曜ちゃんとの話では照れたように髪をいじった。
梨子「千歌ちゃんは、本当にAqoursが大好きだね」
千歌「……うん。大好き」
梨子「……そっか」
梨子ちゃんがにこりと微笑んだ。
梨子「ね、千歌ちゃん。コンクール、見に来てね」
千歌「う、うん、絶対行く」
梨子「あと、曜ちゃんとも仲直りすること。お昼休みのたびに気まずい空気とか、嫌だからね?」
千歌「うっ……。頑張ります……」
よろしい。そう言って梨子ちゃんはまた笑った。
52 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:42:10.51 ID:smyUCZOA0
――――
千歌「はあ……話しちゃったなあ……」
部屋に帰って、仰向けに寝転がる。
梨子ちゃん、一度も疑わなかったな。
Aqoursの夢を見ていたからだろうか。
それでも、救われた。
千歌「これからどうしよう……」
梨子ちゃんは結局入るとは言わなかった。曜ちゃんとは大喧嘩してしまった。
メンバー集めは、最初の一歩から大失敗だ。
どうして、あの頃は上手くいったのだろう。
何も言わないのに、曜ちゃんが名前を書いてくれて。結局梨子ちゃんも入ってくれて。
花丸ちゃんとルビィちゃんとも出会えて、善子ちゃんも来てくれて。
3年生なんて、あんなに反対していたのに、最後には……。
奇跡だよ、なんて口癖が、随分と重く感じた。
53 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:42:58.96 ID:smyUCZOA0
千歌「はあ……」
千歌「曜ちゃん、やっぱり怒ってるかな……」
曜ちゃんの、あの反応。
お父さんは、ここではフェリーの船長じゃないのかな。毎晩、家に帰ってくるのかな。
曜ちゃんは、そんなお父さんと楽しく、幸せに暮らしているのかな。
ピロンと音を立てて、携帯が鳴った。
千歌「あ、メール……よ、曜ちゃんからだ!」
慌てて開いてみると、真っ白な件名の下に、短い本文が書いてあった。
『千歌ちゃん 今日は叩いちゃってごめん。痛かったよね。でも、やっぱり心配だよ。詳しい話、いつか、いつかでいいから、絶対聞かせてね』
千歌「曜、ちゃん……」
千歌「やっぱり、曜ちゃんは、すごいや……」
じわりと潤む目を指で拭って、ポチポチと返信を打った。
『曜ちゃん 私こそごめん。……うん、絶対。絶対話すから、待っててね』
54 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:43:36.95 ID:smyUCZOA0
――――
4月14日。
コンクール会場は、格式ばった姿をした人ばかりで、少し気後れしてしまいそうだった。
梨子「あ、千歌ちゃん、こっちこっち」
声のする方を見ると、梨子ちゃんが桜色のドレスに身を包んで手を振っていた。
隣には梨子ちゃんのお母さんが静かに佇んでいる。
千歌「梨子ちゃん! ……すっごく、綺麗」
梨子「え、ええ……? て、照れちゃうな」
満更でもなさそうにそう言うと、梨子ちゃんは私の手を取った。
戸惑いながらも手を引かれて歩く。
千歌「梨子ちゃん?」
梨子「ね、千歌ちゃん。来てくれて、ありがとう」
千歌「え、う、うん……」
ぎゅっと梨子ちゃんの手に力が入る。
少し汗ばんでいるようだった。
55 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:44:13.08 ID:smyUCZOA0
千歌「……緊張してる?」
梨子「……正直」
困った顔をして、梨子ちゃんは手を離した。
梨子「毎回、緊張はするの。でも、今日は特に。今日だけは、最高の演奏がしたいから」
千歌「今日だけ?」
梨子「あ、いつもちゃんと全力だよ? でも、今日は特別」
千歌「どうして?」
梨子「……ふふ、内緒」
千歌「え、き、気になるよー!」
梨子「終わったら、教えてあげる。だから、ちゃんと見ててね」
千歌「うん……絶対に見てる」
もう一度、梨子ちゃんの手を握る。ふるふると、小刻みに震えていた。
56 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/06/20(火) 01:44:22.06 ID:SfFYCaLmo
入れ替わってるなら、この世界にいた方の千歌ちゃんの方がずっと苦労してそうww
57 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:44:50.19 ID:smyUCZOA0
千歌「梨子ちゃん。梨子ちゃんなら、大丈夫」
梨子「そう、かな……。だって、千歌ちゃんの知ってる私は、怖がりなんでしょ?」
千歌「確かにそうだよ。梨子ちゃんは控えめで、怖がりで……。でも、強いんだ。1人でも、仲間と遠く離れていても」
千歌「私は、それを知ってるよ」
手にぎゅっと力を込める。
梨子「……そっか」
短く呟くと、梨子ちゃんはそっと手を握り返してくれた。
梨子「千歌ちゃんは、不思議な人。急に現れたと思ったら、わけのわからないことばっかり言って。本当に、不思議……」
梨子「千歌ちゃん」
梨子「私のピアノ、聞いていてね」
―――――
―――
――
58 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:45:48.42 ID:smyUCZOA0
◇―――――◇
誰もいないステージの上。
梨子ちゃんと2人。
授賞式を済ませ、梨子ちゃん以外の出場者は全員が控室に戻っていた。
千歌「梨子ちゃんは着替えなくていいの?」
梨子「うーん、もう少しだけ」
千歌「……本当におめでとう。凄かった。その、千歌バカだから、こんな感想しか言えなくて、あれなんだけど……」
梨子「ううん、ありがとう千歌ちゃん。すっごく嬉しい」
つうっとステージ上のピアノを撫でながら、梨子ちゃんは微笑んだ。
梨子「ね、今日私が言ったこと、覚えてる……?」
千歌「今日が、特別だってこと?」
梨子「そう」
梨子「私ね……」
梨子ちゃんはふと客席の方を見た。
千歌「梨子、ちゃん……?」
一瞬、泣いているように見えた。
梨子「私ね、ピアノのコンクールに出るの、しばらくやめようと思うの」
59 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:46:21.58 ID:smyUCZOA0
千歌「え……」
千歌「な、なんで!? だって、凄かったじゃん! 来月にもう1回あるんでしょ? 今日授賞式で、役員の人がそうだって――」
梨子「出ないよ」
千歌「どう、して……?」
梨子「……」
梨子「千歌ちゃん」
千歌「う、うん……」
梨子「あと一曲だけ。聞いてほしいな」
それだけ言って、梨子ちゃんはピアノの前に座った。
梨子ちゃんはしばらく目を閉じて、深呼吸していた。
やがて薄く目を開けると、すぅっと息を吸い込んで――
60 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:46:59.11 ID:smyUCZOA0
梨子「―――ユメノトビラ ずっと探し続けた―――……」
トンと鍵盤を叩き、歌いだした。
千歌「ぁ……」
梨子「――君と僕との……つながりを探してた―――……」
ぽろぽろと流れる音が、梨子ちゃんの優しく力強い声が、全身から流れ込む。
μ'sの曲が好きだと話した時から、ずっと練習してくれていたのだろうか。
嬉しいような、つらいような顔をする梨子ちゃんを見つめながら、ただただ想う。
あの頃の思い出。Aqoursの思い出。梨子ちゃんとの、曜ちゃんとの、9人での―――
梨子「―――Yes 自分を信じて みんなを信じて―――」
梨子「―――明日が……待ってるんだよ 行かなくちゃ―――……」
行かなくちゃ。帰らなくちゃ。
梨子ちゃんの弾くピアノに合わせて、呟いた。
―――――
―――
61 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:47:40.96 ID:smyUCZOA0
梨子「……ふぅ」
千歌「梨子、ちゃん……」
最後の一音が鳴り、ステージはまた静かになった。
梨子「私、スクールアイドル、やるね」
千歌「どうして……?」
梨子「千歌ちゃんに会えたから」
千歌「私に……?」
梨子「千歌ちゃんと、友達になったから。たったの一週間だけど、一緒にいてくれたから」
梨子「Aqoursのことを話す千歌ちゃんの顔を、見ちゃったから。光り輝く舞台を、思い描いてしまったから」
梨子「千歌ちゃんにあんな笑顔をさせる経験を、私もしてみたいって。……そう思ったから」
梨子「だから、私……スクールアイドルになりたいな」
梨子ちゃんの言葉に、ほろりと頬が温かくなった。
千歌「うん……うん! 一緒にやろう、一緒に……」
梨子ちゃんに手を伸ばした、その瞬間だった。
突然、白い光が辺りを包んだ。
62 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:48:29.56 ID:smyUCZOA0
梨子「きゃあっ!」
梨子ちゃんが短い悲鳴を上げる。
千歌「り、梨子ちゃん!?」
梨子「だ、大丈夫……!」
千歌「梨子ちゃん! 服が、光って……」
梨子ちゃんのドレスの胸に近い部分が、淡く、白く光っていた。
その光は、軽く、柔らかだった。
千歌「あれ……何だろう……」
眩しさに細めた私の目に、ちらっと何かが映る。
ひときわ強く辺りが光った後、何かがひらりひらりと落ちてくる。
梨子「あれ……」
『入部届 桜内梨子』
綺麗な文字でそう書かれた短冊みたいな紙が、頭上を舞っていた。
63 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:49:11.28 ID:smyUCZOA0
梨子「これ、どこから……?」
梨子「でも、入部届だもんね。千歌ちゃん、はい、これ」
梨子が不思議そうにそれを受け取り、差し出してくる。
綺麗な手につままれた長方形の紙は、それは、まるで―――
千歌「梨子ちゃん……ありがとう……」
端の方が淡く輝くそれに、ゆっくりと手を伸ばす。
千歌「うっ……っ…!」
梨子「ち、千歌ちゃん!?」
ぐらりと眩暈に襲われた。
視界が白く染まっていく。
梨子ちゃんの顔が見えなくなっていく。
あの夏の日。船の上。
あの時も、同じ眩暈を感じていた。
64 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:49:51.83 ID:smyUCZOA0
梨子「千歌ちゃん……やっぱり、行っちゃうの……?」
千歌「梨子、ちゃん……」
だんだんと梨子ちゃんの声が遠くなっていく。
梨子「ねえ千歌ちゃん。前を向いて。止まらないで」
梨子「でもね、もし疲れちゃったら、私を――、私にAqoursの話をしたときの気持ちを、思い出してね。」
梨子「私、曲作り頑張るから。アイドルも、頑張るから。……ああでも、やっぱり、寂しいな―――」
私の視界は、真っ白になった。
―――――――
―――――
―――
65 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:50:34.90 ID:smyUCZOA0
◇―――――◇
目の前に、教室があった。
私は声も出せず、体も動かず、ただ意識だけが漂っていた。
ぼんやりと窓から明かりが差し、教室が仄かに赤く色づいている。
梨子ちゃんが静かな瞳で鉛筆を走らせる。
曜「ねえ梨子ちゃん、できたー?」
梨子「んー、もうちょっと……」
梨子「よし、できたよ」
トントンと梨子ちゃんが机を指で叩く。
なんだか、見覚えのある光景だった。
けれど、いつ見たのかはどうしても思い出せなかった。
いったい、いつ―――…。
『……』
薄い紙を手でさっと払うと、梨子ちゃんが顔を上げた。
66 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:51:15.08 ID:smyUCZOA0
『千歌ちゃん』
どこからか声が聞こえた。
優しい、桜色の声が。
『ずっとずっと、思ってたんだ。もしあの時、ちゃんと弾けていたらって』
『もう少しだけ、強い私だったらって』
『でもね、弱いから気づけたことがある』
『弱いからこそ、分かち合えたものもある』
『そういうの、全部含めて私なんだって。千歌ちゃんに出会った今なら、Aqoursで過ごした今なら、そう言える気がするな』
千歌「梨子ちゃん……?」
だんだんと、ぼやけていく。
机や窓が、雲のように尾を引いて溶けていく。
最後には、梨子ちゃんの姿もさらりと溶けた。
67 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:51:57.77 ID:smyUCZOA0
――――――――――#1「私とAqours」
68 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:52:39.18 ID:smyUCZOA0
◇―――――◇
目が覚めた。
ざわざわと騒がしいどこかで、私の目の前には梨子ちゃんの顔があった。
千歌「う、うわあっ! り、梨子ちゃん!」
千歌「――あれっ? ここ……教室?」
辺りを見回すと、2年生の教室だった。
まだ見慣れないピカピカの机が乱雑に並んでいる。
梨子「そうだよ。もしかして、まだ寝ぼけてる?」
曜「相変わらずだなあ、千歌ちゃんは」
千歌「曜ちゃん……?」
千歌「あ、あれ? こ、コンクールは!? 梨子ちゃんは!?」
梨子「え、わ、私? 私なら、ここだけど……」
曜「えっと、ひょっとして夢でも見てた?」
千歌「夢……?」
千歌「梨子ちゃん、コンクールは?」
梨子「こ、コンクール? ピアノの? 変わった夢を見たんだね」
梨子「でも、実は私、コンクールにはそんなに出たくないと言うか、出られないと言うか……」
千歌「……」
69 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:53:10.09 ID:smyUCZOA0
梨子ちゃんだ。目の前にいるのは、控えめで、怖がりで、実は強くて。
それでもまだピアノを怖がっている、私の記憶の通りの梨子ちゃんだ。
一瞬、ほんの一瞬だけ、トロフィーを両手に抱えて満面の笑みを浮かべる「梨子ちゃん」の顔が、頭の中に浮かんで消えた。
寂しいと、「梨子ちゃん」は最後にそう言っていた。
千歌「……」
ちらりと携帯を見る。
「4月22日」
そう、表示されていた。一週間以上も時間が進んでいる。
ひらりと舞う『入部届』を思い出す。
「梨子ちゃん」から受け取った途端、眩暈がした。
梨子ちゃんは元通りになり、時間が少し進んだ。
千歌「戻って、来たのかな……」
70 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:53:46.66 ID:smyUCZOA0
ちらりと窓の外を見る。
少し曇り空。
梨子ちゃんが何かを一所懸命に書いていた、あの光景とは少し違うようだった。
あれは何だったんだろう。
「4月」に来てしまうもっと前に、あんなことがあった気がする。
思い出そうと首をひねっても、薄ぼんやりとした記憶しか出てこなかった。
おかしいな。Aqoursのことならなんでも覚えていられるはずなのに。
71 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:54:31.19 ID:smyUCZOA0
梨子ちゃんが、考え込む私の肩を遠慮がちに叩いた。
梨子「それより千歌ちゃん、もう練習の時間だよ。行こう?」
千歌「練習……?」
梨子「そう。やっと1曲目ができたんだから、踊りを考えないと」
千歌「1曲目……。スクール、アイドル……」
曜「そうだよ千歌ちゃん! これでも私、千歌ちゃんたちのステージを見るの、楽しみにしてるんだからね」
ばんばんと机をたたきながら、曜ちゃんが笑っている。
その笑顔には、少しだけ陰があるような気がした。
千歌「曜ちゃん……?」
曜ちゃんはスクールアイドルはやってないのかな。
頭はまだ混乱していたが、これだけははっきりわかった。
私は、また「違うところ」に来てしまっていた。
72 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:55:11.03 ID:smyUCZOA0
#2「私と幼馴染」
73 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:55:49.27 ID:smyUCZOA0
――――
梨子「1,2,3,4,1,2,3,4……」
体育館で、カウントに合わせてステップを踏む。
体育館には、硬めのマットを敷いた練習のしやすそうなスペースがあった。
私には見覚えのない場所だった。
学校も、変なままだった。
梨子「す、すごい千歌ちゃん! もう踊りを考えてたの?」
千歌「え、えっと……」
梨子ちゃんが見せてきた曲は、既に知っているものだった。
踊りも覚えている。
梨子「でも何だろう。少し違和感がある、かな」
梨子ちゃんが首をひねりながら動画を確認している。
違和感の正体はわかっていた。
この振り付けは、3人向けだから。
私と梨子ちゃんと、そして曜ちゃんと踊った曲だから。
浦女のスクールアイドルは、今は私と梨子ちゃんの2人だけのようだった。
74 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:56:45.88 ID:smyUCZOA0
千歌「曜ちゃん……」
梨子「もう、まだ言ってるの? それは、私も曜ちゃんがいてくれたら心強いと思うけど……」
千歌「喧嘩、してないんだよね。私と曜ちゃん」
喧嘩はどうなったのかと聞いても、梨子ちゃんは目を丸くするだけだった。
私が経験したこと全部が、なかったことになっているかのようだった。
梨子「うん、千歌ちゃんが誘って、断られただけだったよ。結局、曜ちゃんは衣装だけ手伝ってくれるって」
千歌「それじゃあ……それじゃあ意味ないのに」
小さく呟くと、梨子ちゃんは困ったように眉を下げた。
梨子「曜ちゃんだって、ずっと迷ってたんだからね。でも、最後にはやっぱりお父さんとの約束がって」
千歌「お父さんとの約束……?」
梨子「ほら、世界一の飛び込み選手になるって」
千歌「……」
話を聞くに、ここでも曜ちゃんのお父さんはフェリーの船長ではないようだった。
曜ちゃんはスクールアイドル部には入らず、水泳部で泳ぎと飛び込みの練習を続けている。
戻ったのは、梨子ちゃんだけ。
梨子ちゃん以外は、戻っていない。
75 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:57:27.57 ID:smyUCZOA0
梨子「ほら、ぼーっとしてるとダイヤさんに怒られちゃうよ」
千歌「うん……うん?」
ダイヤさん?
梨子「いつも千歌ちゃんは怒られてばっかりなんだから、ちゃんとしないと、ね?」
千歌「待って、待って! 何でダイヤさんが……?」
梨子「何でって、部長さんだし、来ると思うけど……」
千歌「ぶ、部長? 誰が? 何の?」
梨子「ダイヤさんが、スクールアイドル部の」
千歌「えええ!?」
梨子「ちょ、ちょっと千歌ちゃん、どうしたの?」
千歌「だ、だってだって! ダイヤさんだよ! そりゃμ'sの大ファンなのは知ってるけど、部長って――」
思わず大きな声が出た瞬間、重い音を立てて体育館のドアが開いた。
76 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:58:23.36 ID:smyUCZOA0
ダイヤ「誰が、何ですって?」
千歌「だ、ダイヤさん!」
ダイヤ「あら千歌さん。今日は準備体操をさぼってはいませんわね?」
千歌「え、あ、は、はい……」
梨子「生徒会のお仕事、お疲れ様です。ダイヤさん」
ダイヤ「ありがとうございます、梨子さん」
ダイヤ「さて、このままお2人の練習を見ていてもいいのですが……今日はお話がありますの」
ぽかんと口を開けている私を、ダイヤさんは部室に引っ張っていった。
部室は記憶通りの場所にあったが、少しだけ片付いていて、綺麗になっているような気がした。
ホワイトボードをコツコツ手で示しながら、ダイヤさんは私たちに座るように促した。
77 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 01:59:14.32 ID:smyUCZOA0
梨子「それでダイヤさん、話って……?」
ダイヤ「ええ……我が部存亡の危機なのです!」
梨子「そ、存亡の!?」
ダイヤ「……いいですわね、わたくしたちはこれから……」
ダイヤ「勧誘活動を行わなくてはなりません!!」
千歌「……はあ」
ダイヤ「舐めてますわね千歌さん! 皆が皆、あなたたちのように楽々入ってくれるわけではありませんわ!」
あ、楽々だったんだ、私たち。
ダイヤ「とにかく、今のままでは人数も十分ではありません。先ほど外から見た所、千歌さんの振り付けは素晴らしいですが……」
ダイヤ「それは、奇数を前提に作られたものでは?」
千歌「え、う、うん……」
梨子「千歌ちゃん敬語、敬語! 先輩だよ!」
横でこそっと梨子ちゃんがつついてくる。
78 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:00:23.77 ID:smyUCZOA0
ダイヤ「では、センターが必要ですわね。当然、あなたたちのどちらかにやってもらって、残りは新入部員が……」
てきぱきと文字を書いていくダイヤさんを、ぼんやりと眺める。
ダイヤさんが、部長。
ダイヤさんと、自分と、梨子ちゃんと。
普段あまりない組み合わせに、そわそわしてしまう。
「ここ」ではこれが普通なのかな。
毎日他愛もない会話をしながら、3人一緒に4月を過ごしてきたのかな。
前の世界でもそうだったのかな。
私は浦女にはスクールアイドル部はないと思い込んで、梨子ちゃんと話していた。
探せば、ダイヤさんがいたのかな。
千歌「あ、あの!」
ダイヤ「はい、千歌さん」
千歌「ダイヤさんが踊るんじゃ、ダメなんですか?」
しんと、部室が静まり返った。
ダイヤさんは少し驚いたような、それでいて困ったような顔をしてこちらを見つめていた。
79 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:00:56.90 ID:smyUCZOA0
梨子「ち、千歌ちゃん!」
千歌「あ、わ、私、その……ごめんなさい」
また何か傷つけてしまったのだろうか。
下駄箱で涙を流す曜ちゃんの顔が浮かんできた。
ダイヤ「……いえ」
ダイヤ「気にする必要は、ありませんわ。ただ……」
ダイヤ「ただ、わたくしはもう踊りません。それだけですわ」
きっぱりと、ダイヤさんはそう言った。
千歌「……」
ダイヤ「……」
80 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:01:56.44 ID:smyUCZOA0
果南「やっほ、皆やってるね……って、あれ、何この空気?」
千歌「か、果南ちゃん? な、何でここに?」
果南「部員が部室に来ちゃダメ? あー、それで、どうしたの?」
部員?
果南ちゃんもそうだったんだ。ますます変だ。
「今日」はまだ4月。この頃は、3年生はまだスクールアイドルに消極的だったはずだ。
だというのに、こうしてスクールアイドル部に顔を出す。
それどころかきちんと所属し、ダイヤさんに至っては部長まで担っている。
梨子「果南さん……」
妙な空気におろおろとしていた梨子ちゃんは、あからさまにほっとした顔で果南ちゃんを迎え入れた。
ダイヤ「何でもありませんわ。果南さん、ビラ配布の成果はありましたか?」
果南「うーん……ファンみたいな子はたくさんできたんだけど……」
ダイヤ「あなたは、本当にもう……」
ダイヤさんが呆れたように首を振る。
少しずつ、空気にも動きが戻ってきていた。
81 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:02:32.64 ID:smyUCZOA0
ダイヤ「とにかく! 新入生獲得は急務ですわ! 千歌さんと梨子さんもポスターの配布、声掛け等、ぬかりのないように」
果南「そうそう。あとちょっとしたら私たちもいなくなるしね。2人だけだと不便でしょ」
梨子「……」
梨子「先輩方が引退したら、寂しいです……」
果南「梨子……」
ダイヤ「梨子さん……」
千歌「……」
ダイヤさんたちは、近々引退するつもりらしい。
重い空気が場に落ちていた。
何だろう、この雰囲気は。
まるで今という時間が消えてなくなってしまうような。
もうすぐ吹き飛んでしまうような顔をして。
新入生を獲得するなんて言っているダイヤさんも、どこか沈んだ顔を見せている。
千歌「違う、違うよ。こんなの、Aqoursじゃない。Aqoursはもっと明るくて、楽しくて、騒がしくて―――」
私の呟く声は、誰にも聞こえていないようだった。
82 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:03:03.92 ID:smyUCZOA0
――――
果南「それで、ダイヤと何言い合ってたのさ」
千歌「あー、その、ちょっとね」
校門近くで果南ちゃんと話す。
梨子ちゃんとダイヤさんは、必要な物の買い出しに行くと言って先に帰っていた。
果南「ふふっ、何それ。どうせ千歌が余計なこと言ったんでしょ」
千歌「そ、そんなことないもん! ただ、ただ、ダイヤさんも踊ったら、どうかって……」
きっとこの言葉の、何かが触れてしまったんだ。
「ここ」での過去を知らずに、自分勝手に発した言葉が傷つけたんだ。
果南「……」
言葉が消えたことを不審に思い見上げると、果南ちゃんは真剣な顔でこちらを見下ろしていた。
83 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:03:35.72 ID:smyUCZOA0
果南「……千歌」
千歌「へ?」
果南「……それ、本当に言ったの?」
千歌「あ、うん……。でも! 反省は、してて……」
果南「ううん、怒ってるわけじゃないんだ。それで、ダイヤは何て?」
千歌「もう踊らないって。それだけ」
果南「……そっか。……そっかぁ……」
何だか寂しそうな目で、果南ちゃんは空を見上げた。
千歌「果南ちゃん?」
果南「んー?」
84 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:04:13.53 ID:smyUCZOA0
千歌「果南ちゃんは……」
果南ちゃんは、踊らないの?
そう聞こうとした。
けれど、果南ちゃんの顔は、さっきのダイヤさんとそっくりで。
千歌「……ううん、何でもない」
果南「……そっか」
少しの間、お互いに黙ったまま。
果南「……」
果南「ほら、千歌! 新入生を勧誘しないとだぞ! 誰か一緒に踊りたい子はいる?」
からかうように、果南ちゃんは背中を叩いてきた。
千歌「一緒に踊りたい子……」
千歌「うん、いるんだけどなぁ……」
まだ梨子ちゃんが入ってくれただけ。
ダイヤさんと果南ちゃんも、どうやら踊る気はないらしい。
あと7人。先は長い。
85 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:04:43.80 ID:smyUCZOA0
果南「ま、千歌はそうだよね。ほら、その子が来たんじゃない?」
千歌「へ?」
くるりと振り返ってみると、見慣れたくせっ毛がふわふわ跳ねていた。
千歌「……曜ちゃん」
曜「あ、千歌ちゃん! 果南ちゃんも!」
果南「曜も部活? お疲れさま」
曜「うん、ありがとう」
果南「あれ、そっちの子は?」
曜「あ、そうそう! 水泳部の新入部員であります! ほら、善子ちゃん、こっちが私の幼馴染の松浦果南ちゃんと高海千歌ちゃん!」
曜ちゃんの隣に、つんと澄ました顔で歩いているお団子の女の子がいた。
見慣れた顔のはずなのに、何だか懐かしく感じてしまう。
86 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:05:25.89 ID:smyUCZOA0
善子「津島善子です。よろしくお願いします、先輩」
千歌「おおぉぅ」
変な声が出た。
え、これ本当に善子ちゃん? なんて、心の声も出そうになった。
善子ちゃんはにこりと笑顔を浮かべてお辞儀をするなんて、初対面の見本みたいな対応をしてくれた。
果南「うわっ、また美人な子連れてるね……。よろしく、えーっと、善子ちゃん」
善子「はい!」
千歌「突っ込まないんだ……」
だからヨハネよ! というお馴染みの台詞も出てこない。
善子「突っ込む?」
千歌「あ、ううん、何でもない」
曜「この2人はね、スクールアイドル部に入ってるんだ」
善子「あ、他の先輩から聞きました。高海先輩は、もともと水泳部だったんですよね」
87 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:06:20.13 ID:smyUCZOA0
曜「あー、えっとね、それには事情があってね」
善子「ふーん……?」
その時、おーい、と誰かを呼ぶ声がした。
声の方を見ると、黄色のタイを付けた1年生が数人で手を振っている。初めて見る顔だ。
どうやら善子ちゃんを呼んでいるようだった。
善子「あ、今行くわよー!」
善子「じゃあ曜先輩。あと、皆さんも、失礼します!」
千歌「あ、うん」
ぺこりと一礼して、善子ちゃんは去っていった。
途中でくるりと振り返る。
善子「曜先輩、その、お大事にしてくださいね!」
それだけ言うと、同級生の所に走っていった。
善子「あ、ちょっと! 待ちなさい! 置いてかないでってば! ちょっとぉ!」
楽しそうに、1年生たちが去っていく。
88 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:08:04.10 ID:smyUCZOA0
果南「いいなあ……。若いなあ」
曜「果南ちゃんだって、そんなに変わんないじゃん」
果南「いろいろ思うんだよ。この歳になるとね」
千歌「善子ちゃん……。うーん、あれが善子ちゃんか……」
私は善子ちゃんについて考えていた。
あんなににこやかに話しているところは初めて見たかもしれない。
それに、堕天使だとか、天界だとか、「そういう」ことは一度も口にしなかった。
一緒に帰っていった生徒だって、水泳部の仲間たちだろう。
千歌「花丸ちゃんや、ルビィちゃんとは一緒じゃないのかな……」
善子ちゃんの周りも、変わってしまっているのかな。
千歌「諦めないで、会いに来て。もう一度、走り出して……」
いつか見た夢での言葉を、呪文のように呟いた。
89 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:08:56.66 ID:smyUCZOA0
――――
千歌「そういえば曜ちゃん、どこか怪我したの?」
去り際の善子ちゃんの言葉を思い出して尋ねると、曜ちゃんは露骨に嫌な顔をした。
曜「うっ、き、聞こえてたか……」
曜「ターンの時、ちょっと距離感間違えちゃって……。足の指、ぶつけちゃって」
果南「え、大丈夫? ちゃんと診てもらった?」
曜「大丈夫だよ! 歩いてても痛くないし、ちょっとぶつけただけ」
果南「なら、いいけど。でも珍しいね。曜がそういうミスするの」
曜「あー、うん。最近はそうでもないんだ……」
やけに歯切れが悪い。
果南「曜? なんかあった?」
曜「……ううん」
ほんの少しの間だったけれど。
曜ちゃんはちらりとこちらを見た。
私の、せい?
「前の」喧嘩がちらついた。
ううん、「ここ」では、喧嘩なんかしてなくて、でも、私は水泳部をやめてスクールアイドル部で。
じゃあ、喧嘩も出来なかった曜ちゃんは、今どんな想いで――。
千歌「曜、ちゃん……」
曜「……」
90 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:09:28.12 ID:smyUCZOA0
果南「……あー、もう! いい加減にしなさい!」
千歌「え、か、果南ちゃん!?」
果南「ほら、2人とも言いたいことがあるならさっさと言い合って。ほら!」
曜「え、ええっ!? いや、別にそういうのじゃ……」
千歌「そ、そうだよ、言いたいことなんて」
果南「嘘。そうやって、何でも我慢すると、後悔するよ。取返し、つかないよ」
千歌「……」
果南ちゃんが言うからこそ、重い言葉だった。
けれど、私がそう思うのは「元の」果南ちゃんを知っているからだった。
この果南ちゃんはどうなんだろう。
何か後悔をしたのかな。しているのかな。
91 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:10:36.24 ID:smyUCZOA0
――――
結局、私たちは静かなままだった。
果南ちゃんも口を出したのは1回きりだった。
バス停に着いた頃、ふと気づくと曜ちゃんが私をじっと見つめていた。
千歌「……曜ちゃん?」
曜「1つだけだよ」
曜「私が言いたいのは、1つだけ」
曜「千歌ちゃん、帰ってきてよ。一緒に泳ぎたいんだ。一緒にいたいよ。これまでみたいに」
千歌「……っ」
不意にぶつけられたまっすぐな言葉に、息を継げなくなる。
返せない、返せないよ。
一緒に泳いだ記憶すらない私には、その言葉に何も返せない。
千歌「わ、たしも、一緒には、いたいけど……」
曜「じゃあさ千歌ちゃん」
曜「スクールアイドル、やめる?」
果南ちゃんがはっと息を呑んだ。
千歌「……やめないよ」
曜「……だよね」
それだけ小さく呟くと、曜ちゃんは到着したバスのステップに足をかけた。
曜「バイバイ千歌ちゃん。また明日」
ぷしゅっと音を立てて、バスの扉が閉まった。
―――――
―――
92 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:11:24.16 ID:smyUCZOA0
◇―――――◇
千歌「どうなってるんだろう……」
帰宅するなり、机に頬をつける。
長い一日だった。
梨子ちゃんとコンクール会場で話していた。
梨子ちゃんがスクールアイドルを一緒にやってくれると言ってくれた。
強い眩暈を感じたのは入部届に触れた瞬間だった。
その後、教室を見た。
だんだん思い出してきた。あれは、たぶん夏の初めの思い出だ。
8月の盆踊りに向けて、準備をしていた時の。
でも、何を準備していたんだっけ……?
それに、梨子ちゃんは、あんなことを言っていたっけ。
どうしても晴れない記憶の靄を振り払う。
梨子ちゃんの言葉は、何か関係があるのかな。
ピアノを弾けなかった過去を悔やみ、それでも最後は前を向いていた、あの言葉は。
93 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:11:58.31 ID:smyUCZOA0
私が「4月」に出会った梨子ちゃん。
ピアノに力を注ぐ梨子ちゃん。
コンクールで、ピアノを弾くことができた梨子ちゃん。
今も、ピアノを弾いているのだろうか。
それとも、別の私とスクールアイドルをやっているだろうか。
そもそも、あの世界はどうなったのだろう。
考えても、何も思いつかなかった。
千歌「あああ、もう!」
わからないことだらけだ。
目を覚ましたら、誰もが何もかもを忘れていた。
なかったことになっていた。
梨子ちゃんにも、コンクールに出た記憶はないようだった。
94 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:12:30.66 ID:smyUCZOA0
千歌「……」
歌詞ノートを取り出してみる。
相変わらず、表紙にAqoursの文字はなかった。
裏表紙には、失くさないようにと私の名前が書いてあるだけだった。
けれど1枚ページをめくると、数曲分の歌詞が書いてあるのだった。
千歌「ここの私は、スクールアイドル、やってるんだね……」
少なくとも、今の私はスクールアイドルだった。
ちょっとは、近づけたのかな。
あの夏の日に、少しは戻れたのかな。
このままメンバーを増やせば、戻れるのかな。
「梨子ちゃん」の言葉が胸に残っている。
―――『私を――、私にAqoursの話をしたときの気持ちを、思い出してね。』
そうだよ、私はAqoursが大好きなんだ。
いつも元気で、たまにやりすぎちゃうような日々を過ごしたAqoursが大好きなんだ。
だから。
千歌「一緒にいたいのは、私も同じなんだよ、曜ちゃん」
95 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:13:07.56 ID:smyUCZOA0
――――
翌日、4月23日。
私は曜ちゃんに避けられているようだった。
授業は一緒に受けるし、お昼は一緒に食べるし。
休み時間は話をするし、笑顔も見せてくれるし。
それでも、避けられているようだった。
千歌「はあ……曜ちゃん……」
おかげで私は、放課後には部室で項垂れていた。
梨子「これは、重症ね……」
ダイヤ「千歌さん、今日はため息ばかりですわね」
果南「……もう」
不満そうに果南ちゃんがため息をつく。
果南「毎日誘うんだ、って昨日電話で言ってたじゃん。どうしたの?」
果南ちゃんには、昨晩に電話で決意表明していた。
千歌「だってぇ…曜ちゃんがぁ……」
けれど、肝心の曜ちゃんがするりと逃げてしまうのだ。
96 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:13:57.59 ID:smyUCZOA0
果南「曜もそういうところ、無駄に器用なんだから」
千歌「やっぱり、スクールアイドル、やりたくないのかな。怒ってるのかな」
果南「そんなことはないと思うけど」
千歌「そうかな……」
やけにはっきり言い切る果南ちゃんを睨む。
果南「とにかく、納得するまでやること! 昨日そう言ってたでしょ」
千歌「……うん。じゃあ、行ってくるね」
梨子「え、い、今から!?」
ダイヤ「はあ……、仕方ありませんわね。このままでは練習になりそうにありませんし」
千歌「ありがとうございます!」
果南「ふふっ……、その方が千歌らしいよ。ちゃんと2人で戻っておいで!」
梨子「えっと、千歌ちゃん、頑張ってね?」
97 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:14:53.30 ID:smyUCZOA0
――――
茜色に染まった校内を歩く。
千歌「曜ちゃん、どこかなあ……」
やはり水泳部だろうか。
千歌「あれ、そういえば千歌、水泳部途中で辞めたんだよね……」
行きたくなくなってきた。
どんな視線を浴びるかわかったものではない。
とりあえずプールに向かって歩いていると、見慣れた鞄が目に入った。
千歌「あれ、これ……」
校舎の端、保健室の扉の前に置かれている。
コンコンとノックをし、返事を待たずに扉を開ける。
曜「あ、はーい……って、千歌ちゃん!? どうしてここに!?」
千歌「あー、どうしてって言われると、そうだなあ……」
曜ちゃんは靴下を脱いで、絆創膏をぺりぺりと剥がしている。
千歌「曜ちゃん、怪我してるの?」
曜「あ、うん。プールサイドで転んじゃって。あはは、ドジだよね」
水がしみるから嫌だなあ、なんて笑いながら、曜ちゃんが膝に絆創膏を貼りなおす。
夕日で目元が影になる。
98 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:15:30.15 ID:smyUCZOA0
千歌「ねえ、曜ちゃん」
好都合だった。
今は2人だ。逃げ出す先も、話を逸らす友達もいない。
誘うなら今だった。
曜「……」
観念したように、曜ちゃんはこちらを向いた。
千歌「一緒に、スクールアイドルやろうよ」
曜「さすが千歌ちゃん。有言実行だ」
千歌「曜ちゃん、どうかな」
曜「……」
曜「衣装なら、ちゃんと作るよ」
千歌「……っ…! 違う! 私は、曜ちゃんと、皆と一緒に!」
曜「……ごめん、意地悪言った」
曜ちゃんは目を伏せて謝ると、そのまま続けた。
99 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:16:00.00 ID:smyUCZOA0
曜「千歌ちゃんは、水泳部には戻ってこないの?」
千歌「……うん、私は、スクールアイドル、やめないよ」
曜「そっか……」
曜ちゃんは、なぜか少し嬉しそうな顔をした。そしてすぐ、また顔を伏せた。
曜「嬉しい、千歌ちゃん。私を誘ってくれて。でも無理だよ。私は水泳を辞められない」
千歌「お父さんとの、約束……?」
梨子ちゃんに聞いた話を思い返す。
曜「約束……ううん、これはパパと私の夢なんだ」
千歌「夢?」
曜「代わりに叶えるって、そう決めたんだ。パパの代わりに、私は私の夢を叶えるって」
千歌「代わりに?」
曜「そう。パパがね、たまに言うんだ。『俺は諦めちゃったから、曜には自分の夢を叶えてほしい』って」
千歌「……」
100 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:16:35.81 ID:smyUCZOA0
曜「私が、諦めたくないんだ。世界一の飛び込み選手になって、パパの期待に応えたいんだ」
千歌「その、お父さんが諦めた夢って……」
曜「フェリーの船長、だよ」
曜「今は会社で働いてるけどさ、海が恋しいからって、私たちに水泳を教えてたんだって」
千歌「……!」
どくんと心臓が鳴る。
曜ちゃんのお父さんがフェリーの船長ではない。
その事実が急に意味をもって聞こえ始めた。
「ここ」では――ううん、きっと「前の世界」でも――曜ちゃんのお父さんは夢を諦めてしまった。
だからフェリーの船長にはなっていないし、私と曜ちゃんは小さいころから毎日水泳を教わることができた。
そのまま水泳部に一緒に入り、そして――。
曜「だからさ、私は諦められないよ。スクールアイドルはできないよ」
曜ちゃんは、泣きそうな声でそう言った。
101 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:17:23.21 ID:smyUCZOA0
千歌「曜ちゃん、どうして……」
諦めないと言うのなら、どうしてそんなにつらそうな顔をするんだろう。
曜ちゃんは絞り出すように、昨日と同じことを言った。
曜「ね、千歌ちゃん。私を誘うの、やめない?」
千歌「やめない」
千歌「明日も明後日も、その次の日も、毎日誘うよ」
曜「どうして、そこまで」
千歌「行かなくちゃいけない場所があるから。辿りつかなきゃいけない時間があるから。9人でいたときに、戻りたいから」
きっと、「この世界」の私は、一旦曜ちゃんを諦めてしまったんだ。
でも、私は違う。
9人でいたときの思い出がある。
「梨子ちゃん」にもらった言葉と歌がある。
千歌「私は、諦めないよ」
曜「千歌、ちゃん……?」
千歌「……」
102 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:17:54.18 ID:smyUCZOA0
曜「何か、事情があるの?」
曜「もし、もしそうなら―――」
千歌「……ねえ曜ちゃん」
千歌「私の話、聞いてくれる……?」
いつか話すと約束したから。
この曜ちゃんと私は喧嘩していないけれど。
この曜ちゃんは、その約束のことを知らないけれど。
曜「うん、うん……聞かせてほしい」
千歌「うん、話すね。えっと、えっとね―――」
あのね曜ちゃん、私ね、未来から来たんだよ。
―――――
―――
103 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:18:30.71 ID:smyUCZOA0
―――
話し終わったとき、既に辺りは真っ暗だった。
下校時間を告げるチャイムが虚しく響く。
曜「……」
曜ちゃんは何も言わなかった。
千歌「……曜ちゃん、あのね」
曜「千歌ちゃん、ごめん。今整理してる」
曜「千歌ちゃんは、別の未来から来た千歌ちゃん。だから、今までの記憶は、今までの、記憶は――」
次第に曜ちゃんの声が震えていく。
千歌「……」
曜「それで、それでっ! 千歌ちゃんのいた未来では、私のパパはフェリーの船長で、あんまり、帰ってこれなくて……」
千歌「……信じて、ほしいな」
曜「無理、だよ……。いきなりそんな話……。だって、そんなの――」
曜「……」
104 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:19:22.07 ID:smyUCZOA0
しばらく上を向いて黙っていた曜ちゃんは、くしゃくしゃに顔を歪めて、吐き捨てるように叫んだ。
曜「い、やだ。いやだ、嫌だっ!」
曜「だって! だって、私にとって、千歌ちゃんは! たった1人なんだよ!」
曜「パパも、そうだよ! 私にとっては、たった1人、たった1人の―――」
千歌「……曜、ちゃん」
曜「ねえ、千歌ちゃん、本当に? 本当に何にも知らないの? 一緒に泳いだことも? パパが教えてくれた釣りも?」
曜「一緒に……一緒に水泳部に入ったことも?」
千歌「……うん」
曜「ほんとに何にも? バーベキューに行ったことは? お祭りに行ったことは? 中学校は? 小学校は?」
千歌「……お祭りでも、バーベキューでも、小学校でも中学校でも、私は曜ちゃんと一緒だったよ」
曜「違うっ!! そんなこと聞いてない! 私と、『私』とっ!!」
肩をがしっと掴まれる。
千歌「痛いよ、曜ちゃん……」
痛かった。肩なんかより胸の方が、ずっとずっと。
105 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:20:25.37 ID:smyUCZOA0
曜「前の、『私』の知ってる千歌ちゃんは、どこに行ったの」
千歌「……っ」
たったそれだけで、わかってしまった。
曜ちゃんにとって、私は「違う」んだ。
胸が締め付けられるように苦しくなった。
ずきずきとした痛みに、思わず怒鳴り返す。
千歌「ち、千歌だって、わかんないよ!! 急に4月とか言われて! 周りの状況も全然違って!」
千歌「戻らなきゃいけないの! 入って! お願い、Aqoursに入って――」
曜「入りたいよっ!」
千歌「え……?」
106 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:21:09.86 ID:smyUCZOA0
曜「やりたいよっ! スクールアイドル、千歌ちゃんと一緒に! じゃなきゃ、あんな聞き方しない!」
曜「千歌ちゃんが『やめない』って言うの知ってて、私――」
曜「でも、でもっ! パパとの夢も大事で! もう私、どうしたらいいか、わからなくて……っ!」
千歌「曜ちゃん……」
曜「そしたら、今度は千歌ちゃんがわけわかんないこと言い出して……っ! もう、わかんない、わかんないよ!」
千歌「……」
曜ちゃんの手が肩から離れる。
最後は私に縋りつくようにして、泣いていた。
千歌「曜ちゃん……ごめん」
何に対してかもわからないまま、謝った。
107 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/06/20(火) 02:21:32.28 ID:SfFYCaLmo
他に明確な夢を持ってる人を無理矢理誘うのはどうなんだろう…。怪我で続けられなくなったみたいな描写するのかな
108 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:21:37.68 ID:smyUCZOA0
それからしばらく、曜ちゃんは私にひっついたまま何も言わなかった。
やがて小さな声で尋ねてきた。
曜「千歌ちゃんが行っちゃったら、千歌ちゃんは消えちゃうのかな」
千歌「……わかんない」
曜「私は、どうなるの。私ごと、この世界ごと、消えちゃうのかな」
千歌「わかんない」
曜「……怖いよ、千歌ちゃん」
千歌「そう、だね。私も、怖いよ」
曜「じゃあさ、……じゃあ、戻ろうとするの、やめる?」
千歌「……やめない」
曜「だよね」
曜ちゃんはゆっくりと身体を離した。
109 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:22:23.53 ID:smyUCZOA0
曜「…………1つだけ、教えて」
千歌「……うん」
曜「千歌ちゃんにとって、私は何人?」
千歌「……っ」
曜ちゃんは、私のことを1人だと言った。
お父さんのことを1人だと言った。
じゃあ、私は?
私にとって、一緒に生きてきて、一緒に生きていきたくて。
それは……。
千歌「……1人、だよ」
曜「そっか……」
曜「1日だけ、考えさせて」
110 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:23:50.71 ID:smyUCZOA0
◇―――――◇
曜ちゃんは、今何を考えているのかな。
自分の部屋の天井のシミを眺めながら思う。
家族と話しているのかな。
1人で部屋で悩んでいるのかな。
「この世界の私」と撮った写真を見ているのかな。
その写真には、曜ちゃんのお父さんも映っているのかな。
曜ちゃんは、お父さんとの夢に向かって、走っているのかな。
私は、そんな曜ちゃんを「なかったこと」にしようとしているのかな。
―――『……ああでも、やっぱり、寂しいな―――』
「梨子ちゃん」の言葉がよみがえる。
千歌「……」
たかをくくっていたんだ。
曜ちゃんなら分かってくれる。受け入れてくれる。
そう思っていたんだ。
私は、別の世界の人間なのに。
「梨子ちゃん」は今、どうしているのかな。踊っているのかな、ピアノを弾いているのかな。
それとも、なかったことになっちゃったのかな。
何回寝返りを打っても、2人の顔は消えてくれない。
他の皆は、どうしているのかな。
千歌「私はこれから、きっと皆を――」
111 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:24:40.95 ID:smyUCZOA0
――――
「明日、放課後に教室に残っていてほしい」
曜ちゃんからそう連絡があったのは、もう日付が変わる直前のことだった。
言われた通りに、チャイムが鳴っても教室に残る。
だんだんと、周りの雑音が減っていく。
先生や友達が、話しながら教室から去っていく。
時折、そよそよと木の枝が揺れる音が聞こえてくる。
授業中も上の空の私と曜ちゃんを、梨子ちゃんは何も言わずにじっと見ていた。
そして最後まで気になるそぶりを見せながらも、結局何も聞かずに歩いて行った。
言葉の代わりにポンと叩かれた肩が、妙に温かかった。
千歌「……」
曜「……」
曜「千歌ちゃん」
前を向いたまま、曜ちゃんが話しかけてきた。
曜「昨日ね、パパと話したんだ」
千歌「……うん」
曜「今から何でもやり直せるとしたら、どうするかって」
平坦な声で、曜ちゃんが話す。
私も、ただただ黒板を見つめながら聞いていた。
112 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:26:30.31 ID:smyUCZOA0
曜「そしたらさ、そしたら……もう1回、受けるって。もう1回チャンスがあるなら、やるって」
曜「全然、諦めきれてないんだ。パパ、諦めなんて、ついてなかったんだ」
目を横に向けると、曜ちゃんは顔に力を入れて斜め上を見ていた。
曜「ずうっと、ずうっとさ。夢を叶えられなかったこと、悔しくて。それで、せめて私だけでもって。そう思ったって……」
千歌「……」
曜「だから、私は、パパの夢を叶えたい。そして、私の夢も」
曜ちゃんはまっすぐ私に目を合わせてそう言った。
千歌「曜、ちゃん……」
曜「千歌ちゃんなら、それができるんだよね? 私は、私たちは消えちゃうかもしれないけど……」
千歌「曜ちゃんは、どうするの……?」
曜「私、は……もし、消えなかったら」
曜「両方やるよ。水泳部も、スクールアイドルも、どっちもやる」
曜「どっちもやりたいんだ。パパとやってきた水泳も。千歌ちゃんとやるスクールアイドルも」
曜「両方やってもいいんだって、千歌ちゃんのおかげで気がつけたから」
曜「きっと、『千歌ちゃん』一緒だったら飛べるから。どっちも、諦めたくないんだ」
曜「千歌ちゃんが知ってる私も、そうしてたんでしょ?」
曜「だから私は、『千歌ちゃん』を待ってるよ」
にこりと笑うと、曜ちゃんは私に近寄って―――
ぎゅっと抱きしめた。
113 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:27:26.19 ID:smyUCZOA0
曜「千歌ちゃん。私を、入れて。それで、約束して」
千歌「約束……?」
曜「たった1人の私に、出会って」
千歌「……っ」
曜「きっと、待ってるから。何日、何か月、何年でも、いつでも、どこでも、千歌ちゃんのこときっと待ってる」
曜「だって、それが『私』だから。それが、渡辺曜だから。千歌ちゃんの、幼馴染だから」
頭の後ろで、声が聞こえる。
優しい声が聞こえる。
曜ちゃんは強い。
どこまでもまっすぐで、強い。
曜「だから千歌ちゃん。私、スクールアイドル、始めます」
眩い光が、辺りを包んだ。
114 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:28:30.24 ID:smyUCZOA0
曜「……っ」
突然の明るさに曜ちゃんが呻く。
千歌「あ……」
曜「これが……」
ひらひらと、光を受けて輝きながら、白い短冊が落ちてくる。
『入部届 渡辺曜』
千歌「曜、ちゃん」
曜「うん、千歌ちゃん。気を付けて」
ゆっくりと手を伸ばす。
梨子ちゃんの時と同じなら、これに触ればまた「戻る」。
千歌「いいの、かな」
触れば戻る。
曜ちゃんの想いは、決意は、夢は、なかったことになる。
曜ちゃんのお父さんは滅多に帰ってこなくなる。
そのことを本当は寂しいと思っていたことを、私は知っている。
曜「千歌ちゃん」
直前で震えた私の手を、曜ちゃんが掴んだ。
そっと、手を『入部届』に押し付けられる。
千歌「くっ……!」
強い眩暈に襲われる。
視界が真っ白に染まっていく。
曜ちゃんの声は、どんどん遠く。
115 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:29:10.31 ID:smyUCZOA0
曜「躊躇わないで。諦めないで」
曜「私たちは、一緒に踊っているから。歌っているから。泳いでいるから。千歌ちゃんも、探し出して」
曜「それで私の手を取ってくれたなら、きっと嬉しいから」
申し訳ないような、寂しいような感情がぐちゃぐちゃと絡み合っていく。
こらえきれず、叫んだ。
口をついて出るのは、簡単な想い。
千歌「曜、ちゃん! 曜ちゃんっ! 私、いつでも、どこでも、曜ちゃんのこと―――」
世界が白に包まれた。
千歌「―――大好き」
―――――――
―――――
―――
116 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:29:47.96 ID:smyUCZOA0
◇―――――◇
ぼんやりと、部室が現れる。
私はまた、ふわふわとどこかを漂っていた。
見知った8人が、にこにことこちらを眺めていた。
千歌「――――というわけで、これ、配るね!」
口を開いたつもりはないのに、自分の声が聞こえてきた。
鞠莉「Letter、ね。随分ロマンティックね!」
果南「ほんと、千歌らしくないかもね」
千歌「失礼な! これでも歌詞係なんですー!」
あ、この会話、したことある。
急に強い既視感に襲われる。
でも、いつ―――…。
視界の端で、曜ちゃんがペンを握る。
誰よりも早く、カリカリと紙に何かを書いていた。
教室で何かを書いていた梨子ちゃんの姿と重なって見えた。
117 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:30:55.40 ID:smyUCZOA0
『千歌ちゃん』
声が響いた。
強くて優しい、波のような声が。
『たまにね、思うんだ。もし、パパが家にいたらどうだったんだろうって』
『毎日お話して、ご飯をつくってもらって。たまには喧嘩して。そんな日々が過ごせたらって』
『でもね、船長は、パパの夢だったんだ』
『叶えたい、夢だったんだ』
『夢を叶えて頑張ってるパパのこと、本当は自慢に思ってるんだ。だから、寂しくても大丈夫』
『私は千歌ちゃんと、大好きな仲間たちと、話しきれないくらいの思い出をつくって、待ってるよ』
じっと紙を見つめる曜ちゃんが、さらりと溶けた。
118 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:31:23.29 ID:smyUCZOA0
――――――――――#2「私と幼馴染」
119 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:31:53.64 ID:smyUCZOA0
◇―――――◇
目が覚めた。
急速に、周りに音が増えていく。
梨子「あ、起きたみたい」
ダイヤ「千歌さん、たるみすぎですわ!」
スパンと頭を叩かれる。
千歌「痛いっ! こ、ここは……部室?」
果南「ええ……寝た場所も覚えてないの?」
曜「あはは、千歌ちゃんは相変わらずだなあ」
千歌「……っ」
千歌「曜、ちゃん……」
曜「へ?」
曜ちゃんがいた。
机に衣装を広げて、自分も妙なコスプレをして。
9人いたはずの部室には、今は5人しかいなかった。
また、夢だったのかな。
120 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:32:54.17 ID:smyUCZOA0
千歌「ねえ、曜ちゃん。今日お父さんは……?」
曜「え、急だね。うーん……、しばらくはいないかな。夏には1回帰ってくると思うであります!」
びしっと敬礼のポーズ。
千歌「そっか」
千歌「……そっか……っ」
ずっと我慢していた何かが溢れ出す。
千歌「うっ……く…うぅ……っ」
ぽたりと垂れた滴に、全員が息を呑むのが聞こえた。
千歌「ふっ……うっ……ごめん、ごめんね…っ、曜ちゃん……!」
曜「え、ええ!? 千歌ちゃんどうしたの!?」
千歌「なんでも、ない……っ!」
曜ちゃんの肩にひしと抱き着いて、わんわんと声を上げた。
あと6人。
121 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:33:29.29 ID:smyUCZOA0
#3「私と夢」
122 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:33:57.15 ID:smyUCZOA0
――――
5月10日
千歌「うーん、ルビィちゃんたち、いるかなあ……」
数日後の昼休み。
突然泣き出したことをからかわれるくらいになった頃。
私は1年生の教室に足を伸ばしていた。
このへんてこりんな旅が始まってから、一度も出会っていない仲間を見に行くためだった。
千歌「それにしても、なんか損した気分」
目を覚ましたらいつの間にかゴールデンウィークが終わっていた。
「私」は曜ちゃんと梨子ちゃんと出掛けていたらしい。
楽しそうに思い出を語られて苦笑いしかできなかったことを思い出す。
123 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:34:37.84 ID:smyUCZOA0
「ここ」では、私と曜ちゃんは言い合いをしていない。
曜ちゃんのお父さんは私たちに水泳は教えていない。
私は水泳部に入っていない。
何の部活にも入らないまま2年になり、スクールアイドル部に入りたいと言った私に、曜ちゃんがついてきてくれた。
転校してきた梨子ちゃんは、私と曜ちゃんで半ば無理矢理引き込んだ。
「元の」記憶にだんだん近づいてきている。
やっぱり、あの『入部届』に触ると、戻るんだ。
千歌「もう一度、走り出して……」
口の中で呟きながら、教室のドアに手をかける。
開けないうちに、近くで声がした。
124 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:35:16.67 ID:smyUCZOA0
花丸「あの、何か御用ですか?」
千歌「あ、花丸ちゃん……」
花丸「え……?」
しまった。「私」はまだ花丸ちゃんに出会っていない。
どう言い訳をしようかと考えていると、教室から小さな頭がひょこり覗いた。
ルビィ「どうしたの、花丸ちゃん?」
千歌「……え?」
千歌「る、るるるルビィちゃん!? その髪どうしたの!?」
きょとんと首を傾げるルビィちゃんは、記憶にあるツインテール姿ではなく、腰まで髪を下ろしていた。
ルビィ「あ、ち、千歌さん! いつもお姉ちゃんがお世話になってましゅ!」
ぶんぶんと頭を下げたルビィちゃんは、舌を噛んで痛そうに目を潤ませている。
ばさりと長い髪が跳ねる。髪型以外は記憶のままだ。
125 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:35:51.89 ID:smyUCZOA0
花丸「あ、ルビィちゃんのお知り合いずらか」
ルビィ「う、うん。お姉ちゃんと同じスクールアイドル部で、2年の高海千歌さん。前うちに来た時、お茶をお出ししたから知ってるんだ」
千歌「えっと、ごちそうさまでした?」
とりあえず話を合わせておく。
ルビィ「えへへ。ルビィお茶入れるの得意なんです!」
嬉しそうにルビィちゃんが笑う。
花丸「ルビィちゃんは本当に偉いずら! よくお弁当も作ってきてるもんね」
ルビィ「お姉ちゃんと交代で作ってるんだぁ」
千歌「え、そうなの?」
そんな話、ルビィちゃんから聞いたことあったかな。
記憶を掘り返しても、特に思い当たることはなかった。
ルビィ「あ、千歌さん、そういえばどうしてここに?」
千歌「あ……」
全く考えていなかった。
千歌「え、えーっと……、る、ルビィちゃんたちとお昼を食べに」
ルビィ「うゅ?」
結局出てきたのは、そんな苦しい言い訳だった。
126 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:36:53.95 ID:smyUCZOA0
――――
千歌「ほえー……。ここが文芸部かあ。初めて来たな……」
花丸「今はルビィちゃんと2人で使ってるんです。1つ上は誰もいなくて、2つ上の先輩は受験勉強があるからって」
狭い室内をぐるりと見渡しながら、花丸ちゃんが説明してくれる。
ルビィちゃんと花丸ちゃんは、文芸部に所属していた。
千歌「でも、本当にいいの? 急にお邪魔しちゃって……」
ルビィ「び、びっくりはしましたけど……。お姉ちゃんのお友達だし、大丈夫です!」
花丸「マルはルビィちゃんがいいならいいず……いいです」
千歌「あー……、気は遣わなくて大丈夫だよ、花丸ちゃん」
花丸「ずらっ」
ルビィ「……千歌さん、お姉ちゃんはご迷惑をかけてはいませんか?」
千歌「いやいや、千歌は叱られる側だよ……」
ルビィ「ご、ごめんなさい! お姉ちゃん厳しくて……」
千歌「ううん! 私がぼけっとしてることも多いし! ダイヤさんには感謝してるんだ」
花丸「ルビィちゃんのお姉ちゃん、綺麗だし、かっこいいもんね……」
ほうっと、花丸ちゃんが湯気の立つお茶を飲んでいる。
なぜかルビィちゃんは複雑な顔をしていた。
127 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:37:43.47 ID:smyUCZOA0
千歌「そういえばルビィちゃん、髪型はいつもそんな感じなの?」
揃えた前髪に、長い髪。
ダイヤさんとそっくりな髪型だった。
ルビィ「え? これですか? そうですね。いつもこうです。黒澤家の者として相応しくしないといけなくて……」
千歌「……」
どうやらこの世界のルビィちゃんは、家の方針に従って髪を伸ばしているらしい。
嫌々ではありそうだけれど。
千歌「花丸ちゃんたちは、ここでどんな活動をしているの?」
花丸「色々ずら! 放送で本を紹介したり、図書室の管理を手伝ったり、あとはたまーに、校内新聞に小説を載せたり」
千歌「小説? な、なんかすごそう」
ルビィ「花丸ちゃんの書いてる小説、大人気なんです! 『先生』なんて呼ばれてるもんね!」
花丸「は、恥ずかしいよ……」
千歌「へえ! 千歌にも読めるかな?」
ルビィ「もちろんです! むしろ気に入ると……あ、ここにコピーがあるんですけど!」
花丸「ルビィちゃんやめるずら! は、恥ずかしいって!」
鼻息も荒く部室をガサゴソやりはじめたルビィちゃんを、花丸ちゃんが必死に止める。
千歌「……ふふっ」
スイッチが入ると意外とアグレッシブ。ルビィちゃんらしいと思った。
128 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/06/20(火) 02:39:15.29 ID:smyUCZOA0
千歌「でも、そっか、残念だな……」
花丸「え、何がですか?」
千歌「あー、2人はとっても可愛いし、アイドル出来るんじゃないかなって思って」
それとなく口に出してみる。
曜ちゃんとの一件で、私は随分臆病になってしまっていた。
花丸「へ!? お、おお、オラがアイドル!? む、無理ずら無理ずら!」
ルビィ「……」
真っ赤な顔で、花丸ちゃんはあわあわと顔の前で手を振っている。
けれどルビィちゃんは、途端にすっと表情を消した。
千歌「へ……る、ルビィちゃん?」
初めて見るルビィちゃんの表情に、どうしたらいいかわからなくなる。
ルビィ「千歌さん、お姉ちゃんに言われてきたんですか」
それまでとは違う低い声。
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