17:吹き矢[sage saga]
2023/04/07(金) 15:18:08.66 ID:laNpeqI/0
何度も通っているうちに看護師の中で俺の顔を知らない者は居なくなった。ご苦労様ですと労いの言葉ををかける者もいた。
今日はいつもよりも大きな荷物を持ってきた。肩から下げたトートバッグは時折持つ腕を変えなければ辛くなってしまう。
いつもならば、開けるのを躊躇う病室の扉も今日ばかりは少しも重みを感じなかった。
「おはよう、にちか」
朝食を済ませたにちかは、はづきさんが暇つぶしにと持ってきた雑誌を読んでいた。
「なんですか……朝から」予想外のテンションの高さに、にちかはぐっと眉間に皺を寄せた。久々に彼女らしさを見た気がした。
読んでいた雑誌を布団の端に放り投げると、にちかは両手を頭の後ろで組んだ。背中をベッドに預け、「あーあ」とため息を吐く。
少し困った。こういった時、構うなというアピールなのだ。これから辛い痛みを伴う経過診断がある。その前に余計な体力を使いたくなかったのだ。
これまでの俺ならば、気負いし、「すまん」と言って夕方にでも出直してきただろう。
だが今日ばかりは一つも退く気は無かった。経過診断がある日だからこそ、退くわけにはいかなかった。
「あのさ、にちか」
それでも言い出しにくい事ではあった。理性が喉に堤防をかけ、言葉を詰まらせる。
「なんですかー……。私、もうアイドルじゃないんで、呼び捨てとかありえなくないですか?」
まさか話しかけてくるとは思わなかったのか、にちかはそっぽを向いた。
「その事だが。……アイドルは、辞めさせない」
辞めないで欲しい。これまでのような懇願ではなかった。
決定事項として、揺るがない事として、断言しきった。
「はぁ?」にちかがこちらを向いた。その表情は大きく歪んでいた。到底信じられないことを突きつけられたことで、にちかは眉を曲げていた。
「プロデュ……○○さんてバカなんですねー。アイドルてなにか知ってますか? 歌って踊って——」
自分の言葉が突き刺さったのか、ギュッとにちかが掛け布団の裾を強く握った。
「知っている。アイドルは、歌って踊って輝くんだ」
「今の私、輝けると思いますか?」
「輝けるじゃないか」
迷いはなかった。ここで揺らぎを見せれば、俺の言葉は偽りになってしまうから強く言い切った。
「踊れないのにですか!?」
「歌えるじゃないか」
単純な解決法の一つを挙げた。踊らず、歌うだけのアイドルを提示した。
「へ、へー! ライブ中ずっと椅子に座るか、車椅子で移動でもすればいいんですか? それとも○○さんが担いでくれたりするんですか。ご苦労様ですー」
「にちかが……望むなら」
これもやる気ではいた。黒子の服装なりすればいいだろう。目立たないようにする方法などいくらでもある。これが浸透すればファンも気にはしない。
「ッッ!……踊るんですか。私の代わりに! あんな、ダッサいダンスしか踊れないのに!」
にちかが雑誌を投げつけてきた。俺はかわすつもりもなく、それを顔で受け止めた。バサリと雑誌は重力に従い、床に落ちる。
「○○さんて、プロデューサーだったのに私のこと何も知らないんですね! SHHisて実力で勝負してるんですよねー! 歌えるだけじゃ、ダメなんですよ……そんな、ありきたりじゃ、ダメなんですよ! こんな、こんな脚でどうやって」
「諦めるのか…………にちかは、辞めたくないんだろ。アイドル」
落ちた雑誌を拾い、汚れを払うとまたにちかの手元に置いた。にちかは雑誌を手にすると、今度はそれで俺の体を叩き、追い出そうとする。
「ッ! 当たりッ前じゃないですか! 私は、アイドルになって、まだ……まだ、何も。——それともなんですかっ!? 諦めるな諦めるなて言うなら、○○さんがなんとかしてくれるんですか!」
雑誌を振るにちかの手を取ると、俺は言った。
「なんとかするよ。そのために、来たんだ」
にちかの動きを止めてから、俺はトートバッグから一つ、物を取り出した。
「な、なんですか……それ」
「なんとかする、物かな」
それは膝から下だけの人足だった。ただ本物の肉でできているわけではない。特殊な合金で出来た骨組みは重さを感じさせず、樹脂と合皮で構成された肌は柔らかい。いわゆる義足だ。
これは仮組みの見本品で、今ここでにちかに合うものではなかった。
これは俺が、義肢工場から借りてきた物だ。
「は、ははっ。なんです? これ着けて、踊れてことですか」
「そうだ」
馬鹿げた提案だとは自分自身思ってもいる。
「無理に、決まってるじゃないですか……」
「誰もやったことがないからか? 義足で踊る。そんなアイドルはいないからか? いないから、やらないのか? ……違うだろ。そうじゃないだろ」
「じゃあ、どうやるのか○○さんには分かるって言うんですか!? 分からないくせに!」
「分からないよ……分からないから、にちかの気持ちが分かるまで俺はぶつかるしかないんだ。馬鹿だから……俺」
「こんな、こんなもの着けたって、前みたいに踊れるわけないですよね! 美琴さんの横で、SHHisとして! ……だから、私は」
「諦めてないんだぞ……美琴は」
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