13:吹き矢[sage saga]
2023/04/07(金) 15:16:09.79 ID:laNpeqI/0
何も返せなかった。自身に恨み辛みをぶつけてスッキリするならばそれが一番だと居座るつもりだったが、彼女が流した僅かな涙に、心の奥底まで自分には救えないと思い知らされたのだ。
俺はただただ黙って、にちかに一礼をした。
深く深く、深く。
長く長く、長く。
できればこのまま、贖罪のまま時が止まればと願うほどに。
頭を上げるとやはりにちかは微笑んでいた。
日常でもステージでも悪態を吐く時でも美味しいと言う時でも、なんでもない時でも見せたことのない、黒い黒い笑顔。
ぐらぐらと思考を揺らがせたまま、俺は病室を出た。
廊下を歩いている際に(SHHisの仕事、どうすれば)なんて考えが出始めた時は、自分がいかに下劣かを知ってしまい、ついその場で腹の中のものを出してしまいそうだった。
「あの、プロデューサーさん」
声をかけられた。柔らかい、女性の声だった。にちかと同じ緑の髪色だった。
「はづき、さん……」ぶわぁと脂汗が吹き出た。
できれば会いたくはなかった。
無責任で無知蒙昧、プロデューサーとして下の下である己に、「にちかを任せてもいいですか」と託してくれたのが彼女だ。
七草はづきとにちかは、たった二人の姉妹だ。家に帰るとおかえり、ただいまと投げかけれる唯一の家族だ。
それを俺は奪ったのだ。
にちかの夢を叶えるとほざき、結果ぐちゃぐちゃにしてしまった。
今、はづきさんは家に帰った時どんな思いをするのだろうか。暗い部屋の中で返ってこないおかえりに、どれだけ心を潰されているのだろうか。
そう思うと、はづきさんの顔をまともには見れなかった。
「……会ったんですね、にちかに」はづきさんの手にはパンパンに中の詰まったトートバッグが握られていた。おそらくにちかの着替えや入院用に必要な物が入っているのだろう。
俺は間髪入れずに頭を下げた。
「申し訳ありません……本当に、本当に!」ここが病院だと言うことも忘れ、心の底から言葉を発する。
「プロデューサーさん……顔を上げてください」
「にちかを、七草にちかさんをお預かりしたのに……俺は、私は!」
「プロデューサーさん……顔を、上げてください」
「あの時、俺が、自分が居てれば、もっと前に連絡をしてタクシーを手配してれば」
「プロデューサーさん」
顔を上げた。ずっと見れなかったはづきの顔を見た。
笑っていた。にちかと同じ、笑顔だった。
「いいんですよ、もう。」
罵られると思っていた。殴られるのも覚悟をしていた。許されるはずがないと理解していた。
なのに、彼女は、彼女たちは何も責めることなく、許すのだ。忘れてくださいと自分を諭すのだ。
はづきさんは小さく一礼するとそれだけを済ませて、にちかの病室へと向かっていった。
俺はしばらく呆然としていた。足だけが一人でに動いていて、地下駐車場の自車の前でキーを手にぼうっとしていた。
何も考えられない。まるで下手なプログラムを受けたロボットのようで、幾分かの時間を過ごしてから車のロックを外し、後部座席へ乗り込んだ。
普段はアイドルたちが座る場所。座席に身を深く委ねる。ここからだと運転席はこう見えるのか、なんて普通は見ない場所にまでふと目が向いたりした。
にちかは、自分をどういうふうに見てたのだろう。
俺が話しかけた時、にちかは決まって言葉を返してくれた。
怒ったり、笑ったり、馬鹿にしたり、呆れたり、喜んだり、不貞腐れたり…………。
俺の表情はミラーで見えるが、俺からは彼女の表情はあまり見えなかった。
あの時、俺は彼女に正しい言葉を伝えれてただろうか。
あの時、俺は彼女を上手く励ませていただろうか。
あの時、俺は彼女を叱責したがそれで彼女は立ち上がれてたのだろうか。
同じ車内の中なのに、見える位置と見えない位置とでは、こんなにも大きく離れて感じるものなのか。
俺は、にちかを……彼女の夢を、輝かせれていたのだろうか。
彼女のことを想い、いままでせき止めていた感情が溢れる。両手で顔を覆い、声を抑えて泣いた。
泣いて、泣いて、泣き疲れて、気絶するように眠った。
目覚めた時には夕方だった。
携帯にとてつもない量の通知が来ていた。
遡ると社長が283プログループSNSでにちかについての報告をしていた。本来ならば俺がやらねばならないことを社長が背負ってくれていた。
それに関する追求を、皆んなしてきていたが、気付かないほどに眠っていたようだった。
それぞれに詳細を明かすことはできなかった。にちか自身が望んでいないことかもしれないからだ。ゆえに社長同様に「怪我をしているのは事実、詳しい容体はまだ伝えれない、各々には改めて負担をかけてしまうかもしれないので先んじて謝罪を述べる」ことを伝えた。
ピコン。通知が来た。
『今、平気?』
美琴からだった。
「ああ、大丈夫だ。通話のがいいか?」
『ううん、大丈夫。すぐに終わるから。明日、にちかちゃんのお見舞い行ってもいいかな」
大丈夫。……とは言えなかった。それこそにちかが望んでいないことだろうからだ。
『にちかちゃんから、連絡きて、辞めるて聞いたから』
そうか。にちかは既に美琴に伝えていたようだ。
「分かった。美琴も話したいことがあるだろうし、はづきさんに聞いてみるよ。大丈夫だったらまた連絡する」
『うん、分かった』
すぐにはづきさんに連絡をした。返事はすぐにはこなかった。
だが1時間もしないうちに、『にちかも大丈夫だと言っていますので』と返ってきた。
俺の知らないところで、にちかはこんなにも強い決断をできるようになっていたのだと知ると、また泣いた。
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