5:名無しNIPPER[sage saga]
2023/02/21(火) 20:31:13.13 ID:G7tB3fi30
「……」
「……」
気まずい空気が、二人の間に漂い続ける。
ひとりはまだ動くことができない。ノートの表紙に視線を落として、ただ黙りこくってしまっている。
こんなことをしている場合ではない。黙っていても何も解決しない。何より、目の前にいるリョウがきっと困っている。
自分が今やるべきことは、金縛りにあったようにじっとしていることではない。今すぐにでも家に帰って、リョウに言われたとおりに歌詞を作り直すことだ。いや、家に帰る必要すらない。この場でペンを取り出して書けばいい。自分の書いてきた歌詞が原因でこんな空気になってしまっているんだから、それを直す以外に解決する術はない。
リョウに付き合ってもらう必要すらない。歌詞は次のバイトかスタ練のときにでも見せればいい。リョウの貴重な休日を、こんな気まずい沈黙で奪っている場合ではない。
そう心ではわかっているのに、手にも足にも力が入らなくて動かない。どく、どくと自分の鼓動を感じるたびに、焦燥感が募っていく。
そのとき、厨房の方でぱりんとグラスが割れる音がした。
続いて、「失礼しましたー」という女性店員の声が聞こえてくる。
ひとりはそのおかげで、反射的に顔をあげることができた。
そして気づく。リョウがさっきからずっと、自分の方を見つめ続けていたことに。
「えっ、あっ……りょ、リョウ先輩……?」
「……」
「あっあの……」
リョウはこちらを見ているが、ひとりは目を合わせることができない。
心配そうな目で見られてしまっているのがいたたまれなくて、身を乗り出すようにして必死に声を出した。
「すっ、すみません、私……今すぐに書き直しますっ!」
「え……今?」
「は、はい……えと、だからその……たぶん時間がかかってしまうと思うので……」
「……」
「リョウ先輩はもう……帰っていただいて、だいじょぶ……です……」
なんとかその言葉をしぼりだすことはできたが、最後の方はほとんど声がかすれてしまっていた。
言っていて、どんどん悲しく、むなしくなってきてしまった。
自分から呼び出しておいて、こんなことを言ってしまうのは本当に申し訳ないけれど。
こんな私なんかのために、時間を使ってくれなくて大丈夫です。
先輩の期待を裏切るような私なんかに気を遣って、一緒にいてくれなくても大丈夫です。
ひとりは震える手でバッグの中からペンケースを取り出し、おそるおそるペンを手にとる。
ノートを開き、「失敗作」のページから目を背けるようにして、おぼつかない手で次の新しいページを開き、ペン先を向ける。
そのとき、ぱたっと、ノートに一滴の雫がこぼれた。
(え……?)
ノートに落ちたのが自分の涙であることに気付くまで、数秒ほど要した。
いつの間にか、ひとりは泣いていた。
落ちた雫が紙を濡らし、裏に書かれていた文字のインクを浮かび上がらせている。あわてて手でその雫を払うと、水滴の跡が伸びて、余計に紙が濡れてしまった。
「……ぼっち」
「……」
リョウが、ペンを持つひとりの手に自分の手を重ねる。
ひとりが顔を上げると、リョウはなんとも言えない目でこちらを見ていた。
そんな状態で良いものが書けるわけがない。今日はもう終わりにしようと、そんなことを言いたげに感じて、ひとりはまた涙が溢れそうになった。
本当に、何をしているんだろう。
自分がリョウにいいところを見せようとして、格好つけて、こんなことになっているのに。
「……すみません……先輩」
「……いいよ」
リョウの手は、温かかった。
その声色も、優しかった。
それがまた、ひとりの目にじわじわと雫を溜めていく。
もっと、突き放してくれていいのに。
こんな無駄な時間には付き合っていられないと、帰ってくれていいのに。
ぽた、ぽたりと、ノートに雫が追加されていく。
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