エンド・オブ・ジャパンのようです
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308: ◆vVnRDWXUNzh3[sage saga]
2024/08/19(月) 23:48:14.21 ID:G3J+e0ts0
九四式四号丙無線機。それが、今僕の眼の前に鎮座している悩みのタネの正式名称。

大日本帝國陸軍が戦闘車両間通信機として開発した物で、主に磯部さんたち所謂【アヒルさんチーム】が駆る89式中戦車や良くも悪くも世界に名を轟かす“チハたん”こと97式中戦車に装備されていた。

とどのつまり、“第二次世界大戦期に使用されていた戦車装備の一つ”である。恐らく、西住さん達が駆る戦車と同じで遥か昔にこの学園で盛んであったという戦車道チームの名残だろう。無線機だけが転がっていたというのはやや解せないが。

(メメ;^ω^)(或いは、“どん底”のどこかにも隠されているかも解らんおね)

何せ自然観察区の沼地の中に沈んでる車両まであったのだ。沼の底が範囲なら、“船の底”にぐらい戦車の一両や二両あっても驚かない。

(メメ^ω^)(…………。それにしても)

二十数年前。僕やシューが年端もいかぬクソガキで、西住さん達に至っては生まれてすらいなかった時分。この学園艦では戦車道が行われていた。
実際学園史を紐解いてみると、全国大会の出場履歴も複数存在し最高実績ではベスト4まで勝ち進んだ事もあったらしい。黒森峰や聖グロリアーナのような名門とまではいかないものの、確認できた範囲だけでも中堅校ぐらいは名乗っていい程度の戦績を誇る。

そんな戦車道が、“消えた”。緩やかに衰退したとかではなく、二十数年前………より具体的な年代で言えば、1995年頃を境に忽然とこの学園から消失したのだ。

大会に出た、どこまで勝ち進んだといった記録はちゃんと残っている。だがそうした、抹消に多大な労力がかかる“公の記録”以外ではこの学園艦の戦車道に関する事跡を窺い知ることが全くできない。まるで“そうしてほしくない”から、意図的に徹底して消したかのように。

無論、これはあくまで書類上の記録を追っていく中で受けた僕個人の印象論に過ぎない。身も蓋もない話をするなら、結局“当時”の詳細が解らない限りは推測の域を出ることはない。

元々衰退の兆候があった中で当然の帰結だったかもしれないし、不幸な行き違いの連続がたまたま一時的な“休止”に繋がった可能性もある。
記録の消滅についても、当時学園艦に勤めていた天然さんがうっかり関連書類を尽くシュレッダーにぶち込んでしまっただけ……みたいな間抜けなオチの可能性だって否定できない。

だけど。

(メメ^ω^)(……信じがたいほどお粗末な、極めて低い可能性の内容だとしても、“行政上のミス”で記録の乏しさは辛うじて説明できるお。

ただ、じゃあ本当に大洗女子学園の戦車道に関する記録の消失が事故によるもので、戦車道の廃止それ自体は極自然な流れであったとしたら…………)

何故“OG”が、今日この日に至るまでただの1人も現れないのだろうか。


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