底辺映画監督唯一の名作 〜そしてそれに連なる窮屈で退屈な続編達〜
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名無しNIPPER
[saga]
2021/05/03(月) 21:09:45.03 ID:U1gqLcRo0
その女は、黒澤がよく通う弁当屋の娘であった。整った顔立ちながら、能面のように表情が変わらず、また心内も静かで穏やかな女であった。二人が夜を交わすようになるまで、そう長い時間はかからなかった。何の劇的な展開もなく、ただ淡々と二人の関係は深まっていき、いつからか同じ部屋で寝泊まりするようになっていた。
ある日、女がその能面にいつになく影を落とし不安そうな表情を見せた。黒澤が問いかけると、女は子ができたことを告げた。黒澤は、あれだけやればさもあらんと落ち着いたものであった。
しかし、さすがの黒澤も女を孕ませたとあっては放っておくわけにもいかない。こうあっては、片膝をつき愛の言葉と指輪を贈るほかないと身を固める覚悟を決めた。だが、黒澤には金が無かった。日々の飯ですら、彼女の僅かな収入に頼っているというのに指輪など買えようがないではないか。
黒澤は、最後の手段に打って出た。近くの工場で拾ってきたナットを、映画の大道具から借りたグラインダーでひたすらに削ったのだ。彼女の指の大きさを思い浮かべながら、黒澤はひたすらに、ただひたすらに火花を散らした。そうして、出来上がった歪な指輪をポケットに収め彼女の下を訪れた。
女は、大粒の涙をこぼし声をあげた喜んだ。目じりが下がり、口角が上がり、目元と頬を赤くはらした。日頃の能面とは打って変わって、くしゃくしゃになったその表情に黒澤は大きく驚いた。思えば、己から愛の言葉を囁いたことなどなかった。贈り物をしたことさえも。
その日、黒澤は知ってしまった。人を涙が出るほど喜ばせることが、如何に簡単なことであるかを。誰一人として感動させることができなかった俺が、いまたった小さで歪な指輪と粗削りな愛の言葉だけでこんなにも彼女のことを感動に打ち震えさせている。
商業主義を敵視し、独りよがりな人生を送ってきた黒澤にとってそれは契機となった。人を感動させるのに、難解なストーリーや技巧にこった演出など不要なのだ。ほんのわずかな、寄り添う心、誰かを喜ばせたいという奉仕の心。ただそれだけで、人々の心は大きく動かされるものなのだ。
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