楓「恋と呼ぶのでしょう」
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8: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2021/01/30(土) 07:38:28.57 ID:/1fb2KCg0
※ ※ ※



 初めてのライブは蜃気楼のようだった。

 興奮と緊張で体が熱く、強い照明の光で遠近感が狂う。足が震えるのをヒールのせいにするには、私は少しばかりヒールに慣れすぎていた。

 今からステージに上がると考えると意識が遠くなりそうで、喉が渇く。水を飲む時間はあるだろうか。本番まであと何分だろう? まだ一時間はあると思っていたのにさっき見たら十分前になっていた。なら今はもう十秒前かもしれない。怖くて確認できない。

「高垣さん、どうぞ」

 舞い上がって混乱した意識に、低く落ち着いた声が響き渡る。そんなに大きな体なのに、目の前で声をかけられるまで気づけなかった。震えそうになる指で落とさないようにゆっくりと差し出された紙コップを受け取り、冷たい水を火照った体に注ぎ込む。

「申し訳ありません。観客席の様子を見に行った帰りに、スタッフの方にいくつか質問を受けて戻るのが遅くなりました」

 そうだ。プロデューサーがずっと隣にいてくれたらここまで緊張しなかったのに、お客さんの様子が気になった私を気づかって様子を見に行くと言って、それから私をほったらかしにしたんです。酷いです。

「噓つき……責任とってくれるって言ったのに」

「も、申し訳ありませんっ」

「……フフッ」

 大きな体を恐縮するプロデューサーを見ていたら、緊張がほぐれてきた。

「すみませーん、そろそろ時間になります!」

「わかりました! ……高垣さん、行けますか?」

「はい」

 体は熱いままだ。けどそれはうなされる暑さではなく、高鳴る熱だ。足の震えも武者震いへと昇華された。今なら行ける!

「プロデューサー」

「はい」

「ちゃんと、見ていてくださいね」

「もちろんです。私は、貴方のプロデューサーですから」

 ステージを上がった私をいくつもの視線を見上げる。

 物珍しいものを見る眼。品定めをする眼。そんな中でキラキラと輝く瞳に気づいて視線を止めると、目が合ったことに気づいた相手は嬉しそうに手に持っていた雑誌を掲げる。遠目でも見覚えがあるとわかるその表紙のデザインが、私が何度か表紙を飾った雑誌だと教えてくれた。モデルの頃から応援してくれた人が駆け付けてくれている。

 嬉しさと、失望させるわけにはいかないという恐怖が舞い降りる。でも大丈夫。そうでしょう?

 確認するためにステージの端に目を向けたら、カーテンの暗い影の向こうから静かに頷き返す彼の姿があった。その穏やかな信頼が恐怖を振り払う。

「今日は来ていただいてありがとうございます。私の名前は高垣楓といいます。ご存じの方もいるかもしれませんが、以前はモデルをやっていました。その時の雑誌をここに持ってきてくれた人もいて、別の道を目指す私を応援してくれることを嬉しく思います」

 小さなライブハウスといっても百人はいるだろうか。そんな大勢の人を前にしているのに、淀みなく言葉が出てくる。表紙を掲げて答えるファンに、ほほ笑みを返す余裕まである。

「それでは聞いてください――こいかぜ」


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