白雪千夜「アリババと四十人の盗賊?」
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179:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:14:46.35 ID:tRJaplXx0
 うわの空で続けようとしたのを止めて、振り向けば、文香が目を細めていた。

 本を閉じ、膝を、身体を、こちらに傾けている。彼女はゆったりと髪を垂らし、思い出に浸るように続けた。

「人は、物語に己を映す。受け取った光を、自分が鏡になって、様々に形を変え、世界に映し出す…… ただ言葉を受け取る、というわけにはゆかない、らしいのです。己は、己を相手には黙さぬもの。自分ならどうするか、自分は今どう感じたか、自分の知識から考証は可能か…… 全く知らなかった筈の世界や、自分のではない隣人についてさえ、物語の最後には持論主張を手に入れる。話を聞きながら、話をしているのです。
以下略 AAS



180:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:15:21.73 ID:tRJaplXx0
 ……
 一結杳然、というように間を置くと、文香は静かに目を開け、微笑んだ。こちらもゆっくり頷き返した。深く息をすると、葉っぱの匂いがした。

 千夜は手提げを持ち上げた。素材のクラフト紙がガサ、と音を立てる。
「これ、ありがとうございました。大変参考になりました」
以下略 AAS



181:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:15:58.48 ID:tRJaplXx0
「何というか、…… 取り留めのない想像話です。朝食の傍するような。お嬢様の話に応答を求められて、それで口にするような。月をつき≠ニ呼ぶ理由を尋ねられたような。……、あるいは、……」



182:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:16:50.90 ID:tRJaplXx0
「あるいは、砂上の玉座に編んだ頌詩のような」

 詰まった言葉を、文香が引き継いだ。その微笑みは確かな優しさを湛えていて、千夜はそれを感じながら、手を伸ばしかけていた。彼女の手を取って、その甲を撫でようと考えていた。

 はっと我に返り、自分がしようとしたことを思って、そんな間柄ではないからぐっと堪えて、堪えたところに、なにか懐かしい気持ちが押し寄せた。
以下略 AAS



183:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:17:24.13 ID:tRJaplXx0
「この物語は、犯してはならぬこと、禁忌にまつわる筋書きなのだと思いました」

「ある一定の法則、というやつです。研究者シュライビーの成果では、《ささいなきっかけ、大きすぎる災厄》というのが、初期の千夜一夜物語にみられるテーマだそうですね。『商人とジン』では、食べ終えたナツメヤシの種を投げ捨てただけで、ジンに命を狙われる。食事はつつましく、また《よきイスラム教徒たるにふさわしく》お祈りをしてさえいるところに、恐ろしい精霊は現れ、商人を襲うのです。お前が捨てた種のせいで息子が死んだ、と言って。

 一義的には悪徳や罪とも思えない行動が、奇妙な因果に導かれて、不思議な結果をもたらしていく。そういうテーマが『アリババと四十人の盗賊』にも流れているのだと思います」
以下略 AAS



184:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:17:51.92 ID:tRJaplXx0
「カシムが盗賊に命を奪われるきっかけになったのは、アリババが盗賊の宝をくすねたことは勿論ですが、それをカシムの妻が嗅ぎつけたことが大きいですね。アリババが魔法の洞窟から持ち帰った大量の金貨を、アリババの妻はなんとか計量したがり、カシムの家へ枡を借りに行きます。カシムの妻は枡を貸し与えますが、枡を持たない貧乏なアリババが、一体何を量る程に手に入れたのか訝しみ、升の底に脂を塗り付けておきました。

 そうして枡に残された一枚の金貨が、カシムの嫉妬を、怒りを呼び、彼自身の破滅を、そしてアリババの身に迫る大きな危険を巻き起こすことになります。《ささいなきっかけ、大きすぎる災厄》という言葉に――厳密な対応ではなくモチーフとして、ですが――照らすに、この脂に囚われた金貨≠ニいうのは、いかにも暗示的なように思われますね」



185:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:18:17.72 ID:tRJaplXx0
「さて、アリババには何の美徳もないものだと、私は考えていました。森に盗賊がやって来たと知るやロバを見捨てて木へ隠れる。盗賊が立ち去れば宝をくすねる。魔法の洞窟で合言葉を忘れた為に殺されてしまった兄カシムの、その四つ裂きの遺体を持ち帰る羽目になりながら、ついでにまた宝を盗んでいくことも忘れない。カシムの死因を隠蔽しなければ盗賊たちに見つかることを予見したまでは聡明ではありますが、肝心の方法はモルジアナ任せな上、いざ危機が迫った段では無能といってもいい程だ。しっかり顔を見た筈の盗賊の頭領を二度までも家に上げてしまうどころか、危険を察知し頭領を倒したモルジアナを、そんな事情に気付かず叱り飛ばすのですからね。《わたしたち一家にわざわいをもたらすつもりなのか》とかなんとか。よりイスラム調だという平凡社のものでは、ひどく罵りさえするのです。けっこう汚い言葉でしたよ。

 よくもまあ、題に名前を出せたものだ。『烈女之名誉(れつじょのほまれ)』といいましたか、最初の邦訳につけられた題はモルジアナを取り上げていたようですが、なかなか懸命な改変だったのではないかな」



186:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:18:44.15 ID:tRJaplXx0
「ですが、そこで思い直しました。『アリババと四十人の盗賊』…… 一見して立派なものではない、努力をしているふうでも、さしたる活躍を見せさえもしない彼、アリババの名を冠するからには、この話はやはり彼の美徳を、そして対称的に盗賊たちの悪徳を語るものなのでは、と。これは『モルジアナの戦い』ではない。『魔法の宝窟』でも『開けゴマ』でもない。『アリババと、女奴隷に殺された四十人の盗賊』なのです。この題が意味するのは、アリババと盗賊、善と悪、成功と失敗、美徳による隆盛と悪徳による滅亡の、その対比…… なのでは、と。

 ガランがそれらを見出し題にしたのだとも、初めて聞いた時からこうだったのだとも、言い切れませんが、――彼は『ガラン版 千一夜物語』の一巻、『告知文』でこう書いています。《この物語集から美徳や悪徳をめぐる心得をひきだそうとするひとびとは、ほかの物語からは決して得られない実りを手にすることができるでしょう》」



187:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:19:11.87 ID:tRJaplXx0
「その文に続けて始まる枠物語=Aシェヘラザードが『アリババ』を含め、千夜一夜の物語を語るきっかけになった話では、彼女の父である宰相がこう述べています。《危ういくわだての行きつく果てを見抜けない者は不幸になると言う》…… 
 このことが、『アリババ』にも通じる教訓なのではないでしょうか」


188:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:19:52.49 ID:tRJaplXx0
「……過去に囚われない≠ニいうことだと思いました。あるいは未来へ歩むこと≠…… 未来を忘れない=Bそれがアリババの美徳なのだと。

 ロバを見捨てたのも、宝をくすねたのも、そして兄の死について、悼んだり驚いたりするばかりではなかったのも、アリババの精神の未来志向ゆえだ。それこそが、この物語の提唱する美徳≠ネのではないでしょうか。だからこそ、彼は富を手にしたし、命も守られた。それぞれの行動は、それによってもたらされる直接的な利益自体よりも、この物語独特の法則、見えざるものによる肯定、恩寵を呼ぶことでアリババを助けているのです。未来を忘れなかった=A危ういくわだての行きつく果てを見抜いた≠ゥら、富を得、命を救われた」



189:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:21:20.25 ID:tRJaplXx0
「そしてその逆、過去に囚われる≠ニいうことが…… その為に見抜けない≠ニいうことが、この物語の悪徳、裁かれるべき罪であり、《大きすぎる災厄》を引き起こす《ささいなきっかけ》なのですよ。

 より言うのなら、名誉≠ナす。プライド、自尊心…… 傷付けられた過去の名誉≠フ感情に拘泥し、それを回復することに囚われた者が、『アリババ』の世界では破滅するのです」



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